日中国交正常化 火種残した尖閣諸島問題「棚上げ」論

日中国交正常化 火種残した尖閣諸島問題「棚上げ」論
日中国交正常化50年
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA0948C0Z00C22A9000000/

 ※ 一応、公式見解においては、日本としては、「日中間に、領土問題は存在しない(国際法上も、国際慣習法上も、日本の領土なのは明らか)。」という基本的な立場なわけだ…。

 ※ それからすると、「棚上げした。」というのも、一歩「後退」(譲歩)となるわけだ…。

 ※ よって、「棚上げした、という密約があった。」と認めることも、「できない」ということになる…。

 ※ それで、「暗黙の了解が、あった。」とかで、「とどめている」わけだ…。

 ※ こういう風に、「あえて、明示せず」「玉虫色の了解で」「とりあえず、この場は収めて」「先に進みましょう。」ということにするわけだな…。

 ※ そういうことなんで、「先に進めば、進むほど」「亀裂は、大きくなって」、結局は「決裂に至る」なんてことも、生じるわけだ…。

『「尖閣諸島については今回は話したくない。今これを話すのは良くない」。1972年9月、周恩来首相は北京での田中角栄首相との会談でこう語った。沖縄県・尖閣諸島を巡る日中間の立場の違いを議論するとき、しばしば引用されるのがこの発言だ。

中国側は72年の日中共同声明の交渉にあたり、国交正常化を優先して尖閣の領有権を巡る問題を「棚上げ」したと主張する。

日本政府は「棚上げ」に合意したことはないとの立場だ。72年の交渉時も領有権を巡って解決すべき問題があると日本側が認めた事実もないと訴える。

一方で外務省条約課長として交渉に関わった栗山尚一元外務次官は後に「国交正常化に際し尖閣問題は『棚上げ』するとの暗黙の了解が首脳レベルで成立した」と証言。こうした曖昧さが火種を残した。

中国が尖閣の領有権を主張し始めたのは70年代に入ってからだ。60年代後半に尖閣周辺で石油埋蔵の可能性が指摘されたことも一因とされる。92年施行の領海法では尖閣を自国の領土と定めた。

2008年には中国公船が尖閣周辺の日本の領海に初めて侵入した。10年の中国漁船衝突事件を経て、日本政府は12年に尖閣の国有化を決めた。

日本は米軍の対日防衛義務を定めた日米安保条約第5条が尖閣諸島にも適用されるとの確約を米国から取り付けている。14年に米大統領で初めてオバマ氏が適用を明言し、バイデン大統領も引き継ぐ。

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国葬に参加した中国代表・万鋼氏は「非共産党員」! 中国の芸当

国葬に参加した中国代表・万鋼氏は「非共産党員」! 中国の芸当
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220928-00317145

『中国は安倍元総理国葬に非共産党員の万鋼氏を代表に選ぶことによって日本との微妙な距離感を演じた。一方、国葬でなければ日本国民の反対者も出てこなかったはずで、菅元総理の胸を打つ弔辞があれば、何も要らない。

◆非共産党員を派遣するという中国の芸当

 日本人の多くは気が付いていないと思うが、安倍元総理の国葬に参加した中国の代表・万鋼氏(全国政治協商会議副主席)は、中国共産党員ではない。

 中国には長いこと(中国共産党の指導の下における)八大民主党派があるが、その民主党派の中の一つである「致公党」の党員(党主席)だ。

 かつて『チャイナ・ナイン 中国の動かす9人の男たち』でも詳述したが、中国で「両会」と呼ばれるものの内の立法権を持っている「全人代(全国人民代表大会)の方は中国共産党員が多い」ものの、その諮問機関のような存在である「全国政治協商会議(政協)の方は非共産党員の方が多い」。

 パーセンテージはときどきの情況によって多少変動するが、2021年における中国共産党中央委員会の規定では、政協委員における「非中国共産党員の占める割合は60%」となっており、政協の常務委員会における「非中国共産党員の占める割合は65%」となっている。

 たとえば、2018年1月のデータで見るならば、その年の3月に開催される政協代表2158人の割合は、

      中国共産党の代表 : 859人、39.8%

      非中国共産党の代表:1299人、60.2%

となっている。非中国共産党員の中の八大民主党派の人数は

      中国国民党革命委員会 65人

      中国民主同盟 65人

      中国民主建国会 65人

      中国民主促進会 45人

      中国農工民主党 45人

      中国致公党 30人

      九三学社 45人

      台湾民主自治同盟 20人

で、その他無党派代表が65人となっている。それ以外にもさまざまな領域からの代表がおり、各少数民族の代表も非常に多い。要は、中国共産党員は少数派だということだ。

 万鋼氏はドイツのクラウスタール工科大学に留学していた工学博士で、致公党と九三学社は科学技術に強い特徴を持っている。

 そのような人物を安倍元総理の国葬に「中国代表」として参加させたのは、中国共産党の指導の下にある人物ではあっても、決して中国共産党そのものが安倍元総理の逝去を悼む形で意思表示したのではないという、「中国共産党の権威」を保つ意味で、非常に微妙な人選を行っていたということに、日本人は気が付かなければならない。

 本来ならば、中国包囲網であるインド太平洋構想を始めた安倍元総理国葬に参加したくはないが、何と言っても「台湾」が早々に参加の意思を表明していたので、「中国大陸」が代表を送らないわけにはいかないという苦肉の策でもあったということになる。

 日中国交正常化50周年記念に一応重きを置いたという見方はできなくはないが、台湾が代表を送って国葬に参加することに対抗したという側面の方が大きいだろう。その証拠に中国外交部は、国葬に参列した「台湾」の代表を「中国台北」と言わずに「台湾」と言ったことに抗議している。

◆中国における安倍元総理国葬に関する報道

 したがって中国の安倍元総理国葬に関する報道は、当然のことながら辛口のものとなる。しかし、中国自身がどう思うかということには触れず、もっぱら他国がどう思っているかという紹介が主たる分析として報道されている。

 それも、中国共産党系のメディアである「環球時報」だけでも10本近くの報道をしているくらい多く、その一つ一つにリンク先を張って分析するのは、あまりに膨大な文字数を要するので、リンク先を張るのは避ける。

 総体的に見るならば、要するに「国論を二分した」という情報が多く、「国葬開催中にも国葬反対者が抗議デモを行っている」という報道が目立つ。

 世界の主要国は、どの国も「日本は国論が二分しており、しかも国葬反対者の方が多い中で国葬を実施するというのは、民主主義国家の在り方として正しいのか」という批判が目立っている。その中の気になったものだけでも、いくつか列挙してみよう。

 ●岸田首相は自分の支持率を引き上げたいために国葬を決断したのだろうが、決定の手法が民主国家のルールに相応しくなかったために、かえって支持率を落とした。

 ●決められない首相と批判された岸田氏が、唯一自らの意思で決定したのが国葬で、そのために支持率を落としたのだから、岸田の決断は適切ではないことが証明された。

 ●安倍氏の総理大臣期間が長かったことを国葬開催の理由にしているが、何度も当選できた背景には旧統一教会の支援があったからではないのか。その癒着により狙撃されたのに、安倍氏の統一教会との癒着には目をつぶるということが許されるのが、「日本的民主主義」だ。「儀礼」の衣を着て、「モラル」と「正義」の基準は、トップダウンで決められ、民意を反映させない仕組みになっている。

 ●旧統一教会の反社会性は、国葬により正当化され、偽善的民主主義が残る。

・・・

 さまざまあるが、それを列挙すると、不愉快になってくる側面も持っているので、この辺にしておこう。

◆菅元総理の胸を打つ弔辞があれば、何も要らない

 以下は筆者自身の感想だが、菅元総理の弔辞が、あまりに見事で、心がこもっており、死者を悼む苦しみと誠意が滲み出ていたので、「欲しかったのは、これだけだ」という思いを強くした。

 これさえあれば、何も要らない。

 聞いていて、思わずこちらも熱く込み上げてくるものがあり、菅元総理に初めて深い尊敬の念を抱いた。特に、安倍元総理がいつも周りに「笑顔」を絶やさなかったというのは、筆者自身も経験しており、何度か個人的にお会いしたことがあるが、そのときの「こんなに優しい顔ができるのか」と思われるほどの「あの笑顔」には深い感動を覚えたことがある。

 故中曽根元総理のときのように、内閣・自民党合同葬にしていれば、葬儀に対する抗議運動をする人は出てこなかったはずで、そうすれば国葬が行われているそばで「国葬反対」という激しいデモが展開されることもなく、各自が静かに故人を素直な気持ちで見送ることができただろう。海外の信用を失うこともなかったと残念に思う。

 欲をかいた岸田首相の思い付きは、そのようなことしかできない人の弔辞だけあって、まるで国会答弁を聞いているようで、ただの一言も心に響かなかった。

 その意味でも、菅元総理の弔辞ほど心打つものはなく、ほかには何も要らないという思いを強くした。
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。』

二階氏「媚中派とかいうけど中国と話できなくてどうすんだ」

二階氏「媚中派とかいうけど中国と話できなくてどうすんだ」日中関係50年支える“議員外交”
https://news.yahoo.co.jp/articles/4231726524a24639c001de3c9625d72f9ca57cfb

『来週、国交正常化50年を迎える日本と中国の関係を振り返る「日中50」です。両国関係に欠かせないものに“議員外交”がありますが、最近では「媚中派」という批判の声がついてまわります。

自民党 二階俊博 元幹事長

「中国との間に格別の関係があるんですよ」

中国との“議員外交”を牽引してきた自民党の二階元幹事長。

中国 習近平 国家主席

「中国は中日関係の発展を重視しています」

2015年、およそ3000人の大訪問団を率いて訪中します。党役員としては異例の習近平国家主席との面会を行い、安倍総理の親書を手渡しました。

自民党総務会長(当時) 二階俊博氏

「3000人の皆さんの前で(安倍総理の親書を)渡すのが一番良かろうと思って」

2012年の民主党政権による尖閣国有化と翌年の安倍総理の靖国神社参拝によって、“戦後最悪”と呼ばれるほど関係が悪化していた当時の両国。この時の訪中がその後の習主席の来日に繋がるなど、関係改善に大きく貢献したとされます。“議員外交”について、二階氏はこう語ります。

自民党 二階俊博氏

「政府の使いではないんですよね。ですから、そういう新たな立場で、(議員外交を)積極的にやっぱり、やっていくっていうことが大事でしょうね」

当時の田中総理と周恩来首相が北京で国交正常化に合意してから、29日で50年。歴史認識や天安門事件などで、日中は幾度も困難な時期を迎えましたが、小沢一郎氏や福田康夫氏らによる“議員外交”が関係改善の起爆剤になってきました。

しかし、中国の軍事拡大や新型コロナウイルスの発生で、“議員外交”は厳しい局面に立たされています。

さらに日中関係を重視する政治家への「媚中派」「朝貢外交」との批判がインターネット上などで強まっています。

自民党 二階俊博氏

「媚中派とか何とか言うけど、中国と話できなくてどうすんだと、言ってるお前は中国の誰と話できるんだと。中国のどの発言、どの態度が悪いって言うなら、一言抗議にいけるかって」

二階氏は近隣の大国である中国と本音で語り合える関係こそが重要なのだと強調します。

自民党 二階俊博氏

「50年って言ったら長い年月だけども、(日中の関係を)大きく捉えたら、短い期間とも言えるんですね。日本は中国なしに、やっぱり国際社会でやっていけないでしょう。中国との関係っていうのは深いでしょう。こういうことをやっぱり忘れたら駄目ですよね」

安倍政権時代に合意した習氏の来日は現在も宙に浮いた状態です。

次の50年の日中関係に、“議員外交”は何が出来るのか。政治家たちの底力が問われています。

TBSテレビ 』

「中国を正しく伝えよ」駐日中国大使

「中国を正しく伝えよ」駐日中国大使、主要メディアに圧力か
https://www.epochtimes.jp/2022/09/117958.html

『張哲 2022/09/16 更新: 2022/09/16

孔鉉佑駐日中国大使が14日、日本主要報道機関14社の関係者らを招き座談会を開いた。台湾問題をめぐって「1つの中国」原則の厳守をメディア関係者に求めたほか、中国の情報を「正しく伝えるように」と圧力をかけた。

台湾海峡の危機が高まったことについて、孔大使は「米国側が恣意的に台湾海峡の現状を一方的に変えた」とした。台湾問題が中日関係にも影響を与えると述べ、「日本側も中日の4つの政治文書と他の約束を厳守し、『1つの中国』原則を着実に守らなければならない」と念を押した。

(※ 無料は、ここまで。)』

中国・ロシア、軍事で連携強化へ

中国・ロシア、軍事で連携強化へ 中国人民大の時殷弘氏
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM138PE0T10C22A9000000/

 ※『――日中は29日に国交正常化50年を迎えるが、関係安定に向けた展望を描けるか。
「中日関係はめちゃくちゃだ。中日間の軍事的な対立はだんだん激しくなっている。もし台湾で戦争が起きれば、日本は米国とともに大規模な軍事干渉する方針を決めているようにみえる。世界中で経済安全保障の観点から中国にもっともひどい態度をとっているのは米国で、次は日本だ。中日関係はもはや新しい段階に入った。軍事戦略上の対立を抱え、軍事衝突の可能性さえある。外交面での緊張は続くだろう。過去にこうした局面はなく、見渡せる将来において変えられそうにない」』…。

 ※ 日中関係の問題を考えようとする人は、よくよく読んでおいた方がいいことを、言っているな…。

 ※ まあまあ、「そうすれば、こうなる。」ということの典型だ…。

『【北京=羽田野主】中国の外交政策に詳しい中国人民大学国際関係学院の時殷弘教授は日本経済新聞とのインタビューで、中国とロシアが軍事的な連携をさらに深めるとの見通しを示した。ただロシアのウクライナ侵攻とは距離を置き、中国が巻き込まれないようにすべきだとの考えも強調した。

――習近平(シー・ジンピン)国家主席が2年8カ月ぶりに外遊を再開する目的は。

「中国の指導者は新型コロナウイルスの流行を理由に非常に長い間、国外に行かなかった。電話やオンラインを使った首脳間のやりとりは、面会での会談の効果には及ばない。そのためカザフスタンを訪問し、その後にウズベキスタンで開かれる上海協力機構(SCO)首脳会議に参加することにしたのだろう」

――習氏はなぜ最初にカザフに行くのか。

「カザフスタンは中国の広域経済圏構想『一帯一路』にとって最も重要な国の一つだ。習氏が2013年9月にカザフスタンで一帯一路に関する構想を発表し、成功を収めてきたが、いくつかの経験不足から調整が必要な局面にある。中国政府は18年から一帯一路のテコ入れをしてきたが、新型コロナの世界的流行とロシア・ウクライナ戦争で、大きな困難に直面している。ロシアとカザフはいま潜在的な緊張関係にある。中国が仲裁に近い役割を果たす必要がある」

――中ロ首脳会談ではどんな分野を中心に話し合うのか。

「中ロの軍事連携の拡大と深化は引き続き必要になる。これまでも連携して軍事分野の先端技術の開発に取り組んできた。ただこれまで共同で取り組んできた分野の深掘りであり、新しい領域には踏み込まないだろう。2つ目は軍事物資の貿易で、3つ目は台湾や東欧地域以外での軍事演習だ」

――中国はロシアのウクライナ侵攻を支持するのか。

「ロシアがウクライナに侵攻して以来、中ロ関係は非常に敏感な局面にある。ロシアは最近、中国に特別の熱意をもって接してきている。中国の力を借りてウクライナとの戦争の苦境を脱しようとしている。だが中国は、ロシアがウクライナとの戦争に巻き込もうとする試みを断固として断り続ける。ロシアがウクライナで続けている軍事的努力を中国が助けることはしない。中国政府はロシアが8月末以来、ウクライナで失敗を重ねている状況を注視している」

――ロシアのプーチン大統領から、中国の台湾統一方針を巡り支持を取り付ける可能性があるか。

「ロシア政府はいままで台湾海峡で戦争が起きた場合に中国に軍事支援をする考えを表明したことはない。ロシアが軍事支援を約束しない以上、中国がウクライナとの戦争でロシアを軍事支援することも永遠にありえない。台湾問題は中ロ関係の核心的な問題ではない。軍事面からいって、ロシアは中国の助けにならない。(台湾有事で)ロシア海軍は役立つだろうか」

――11月の主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)に向け、米中首脳で関係改善を探る動きは出てくるか。

「何を指して改善というかだ。一時的に緊張が和らいだり、衝突リスクが下がったりすることはあっても、それは過去にもあった。中米間は台湾問題だけではなく、東シナ海や南シナ海でも問題を抱える。多くの要因があり、中米関係は中長期にわたって落とし穴にはまり込む可能性がある。もっとも中米間には対立する海域で多くの経験がある。経験は緊張を和らげる効果はないが、直接衝突を防ぐ役割を果たすだろう」

――日中は29日に国交正常化50年を迎えるが、関係安定に向けた展望を描けるか。

「中日関係はめちゃくちゃだ。中日間の軍事的な対立はだんだん激しくなっている。もし台湾で戦争が起きれば、日本は米国とともに大規模な軍事干渉する方針を決めているようにみえる。世界中で経済安全保障の観点から中国にもっともひどい態度をとっているのは米国で、次は日本だ。中日関係はもはや新しい段階に入った。軍事戦略上の対立を抱え、軍事衝突の可能性さえある。外交面での緊張は続くだろう。過去にこうした局面はなく、見渡せる将来において変えられそうにない」』

沖縄にとって最大の問題が注目されなかった沖縄知事選

沖縄にとって最大の問題が注目されなかった沖縄知事選 | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202209130000/

『アメリカのナンシー・ペロシ下院議長が台湾を強硬訪問したことで台湾周辺の軍事的な緊張が急速に高まっている中、9月11日に沖縄県知事選挙の投開票があり、現職の玉城デニーが再選されたようだ。言うまでもなく、沖縄の軍事基地は台湾情勢と深く結びついている。

 玉城は「オール沖縄」が推す人物で、アメリカ軍普天間飛行場を名護市辺野古へ移設させる問題やCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)対策による経済への打撃が争点になったというが、アメリカ軍や自衛隊にとって辺野古より重要な問題は中距離ミサイルの配備だろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、日本は1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表されてから日本はアメリカの戦争マシーンへ組み込まれ、自衛隊はアメリカの戦略や方針に従って動くことになった。そうした戦略や方針はアメリカ国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が報告書などで明らかにしている。

 このシンクタンクが今年出したレポートによると、​アメリカはGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようと計画している​のだが、インド太平洋地域でそうしたミサイルの配備を容認する国は日本以外にないという。

 しかし、その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという形にすることになるとしている。そのASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画のようだ。

 アメリカ軍はインド洋から太平洋にかけての海域を一体として対処するため、2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えた。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点、インドネシアが領海域をつなぐと拠点としているのだが、インドはアメリカとの距離を置き始めてロシアや中国へ接近して関係を深めている。中国とインドには領土問題があり、両国が軍隊を出して対峙していたが、ここにきて双方とも部隊を引き上げることで合意したと伝えられている。インドネシアもアメリカの思惑通りには動いていない。つまり、インドから太平洋にかけての地域でアメリカに従属しているのは日本だけだ。

 この動きと並行して自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設し、19年には奄美大島と宮古島に作り、そして23年には石垣島でも完成させる予定。これらの島にASCMを配備することになるだろう。​日本政府は射程距離が1000キロメートル程度のミサイルを開発、艦艇、戦闘機、そして地上から発射できるようにする​と読売新聞は伝えている。地上発射の改良型は2024年度にも配備する方針だという。辺野古ではなく、こうしたミサイル配備計画が重要な問題のはずだ。

 安倍晋三は首相時代の2015年6月、赤坂にある「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたと報道されている。安倍政権下、着々と対中国戦争の準備が進められていたのだ。

 その前、2010年6月に発足した菅直人内閣は閣議決定した尖閣諸島に関する質問主意書の中で「解決すべき領有権の問題は存在しない」と主張、1972年9月に日中共同声明の調印を実現するために田中角栄と周恩来が合意した「棚上げ」を壊した。

 この合意で日中両国は日本の実効支配を認め、中国は実力で実効支配の変更を求めないことを決めていたわけで、日本にとって有利。それを壊した理由は日本と中国との関係を悪化させることにあったとしか考えられない。そして同年9月、海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、漁船の船長を逮捕した。棚上げ合意を尊重すればできない行為だ。

 その時に国土交通大臣だった前原誠司はその月のうちに外務大臣になり、10月には衆議院安全保障委員会で「棚上げ論について中国と合意したという事実はございません」と答えているが、これは事実に反している。

 日本はアメリカ、オーストラリア、そしてインドと「Quad」と呼ばれる軍事同盟を結んでいたが、インドは腰が引けているため機能しそうにない。そこでNATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは「NATO2030」なるプロジェクトを始めると2021年6月に宣言、この年の9月にはアメリカ、イギリス、オーストラリのアングロ・サクソン系3カ国が「AUKUS」という軍事同盟を結んだ。

 こうしたアングロ・サクソンの戦略は19世紀から始まり、それをアメリカが引き継いでいる。

 イギリスの支配層はロシアの制圧を目指して南コーカサスや中央アジア戦争を19世紀に開始した。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略を1904年に「歴史における地理的要件」というタイトルで発表した。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もマッキンダーの理論に基づいている。

 マッキンダーの理論はユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配、「三日月帯」を形成し、内陸部をその帯で締め上げ、最終的にはロシアを制圧するというもの。この戦略を成立するためにスエズ運河が大きな意味を持つ。この運河は1869年に完成、75年からイギリス系の会社が所有している。

 当時、西アジアを侵略しようとしていたヨーロッパ諸国にとって目障りな国が存在した。オスマン帝国だ。そこでイギリスのマーク・サイクスとフランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコが中心になって協定を結んでいる。ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが、またトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが支配する取り決めだ。

 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援し始める。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局。そこにはサイクスやトーマス・ロレンスも所属していた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのロレンスだ。

 ロレンスが接触していたフセイン・イブン・アリにイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンは書簡を出し、その中でイギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束している。フセイン・マクマホン協定だ。このイブン・アリを追い出したイブン・サウドを中心として1932年に作られた国がサウジアラビアだ。

 その一方、イギリスのアーサー・バルフォア外相はロスチャイルド卿に宛てに出した書簡の中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。1917年11月のことである。なお、この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだと言われている。シオニストはパレスチナに住むアラブ人を虐殺し、1948年にイスラエルの建国を宣言した。

 三日月帯の東端にあり、中国侵略の拠点として最適な場所にあり、侵略用戦闘員の供給源としても有望な日本への工作もイギリスやアメリカはアヘン戦争の後に行なっている。そして出来上がった明治政権は1872年に琉球を併合、さらに台湾へ派兵、江華島事件を引き起こし、日清戦争、日露戦争と突き進む。その背後にイギリスやアメリカが存在していたことは本ブログで繰り返し書いてきた。明治時代と似たことをアングロ・サクソンと日本は繰り返そうとしている。

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最終更新日 2022.09.13 13:47:25 』

対中結束「実利」示せるか IPEF参加国の中国依存強く

対中結束「実利」示せるか IPEF参加国の中国依存強く
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA06ACZ0W2A900C2000000/

『【ロサンゼルス=金子冴月】米国主導の新経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」は9日に閉幕した閣僚会合で正式な交渉入りで合意した。サプライチェーン(供給網)強化など4分野で中国への対抗軸をつくる。ただ、どの国も中国との経済面での結びつきは強い。参加14カ国の結束を保ち、枠組みに実効性を持たせるには主導する米国が参加国の目に見えるメリットを示せるかが問われる。

【関連記事】IPEF、重要物資融通へ情報共有 14カ国交渉入り合意

14カ国は①貿易②供給網③クリーン経済④公正な経済――の4分野で、それぞれの閣僚声明を採択した。米国のレモンド商務長官は「今後数カ月で米国や他国に経済的な利益を引き出すことに注力する」と各分野での協力の具体化を急ぐ考えを示した。

インド太平洋で影響力を高める中国に対し、有志国と連携して対抗する経済圏を構築する――。これが米国がIPEFを主導する目的だ。

中国を切り離した経済圏をつくるのは簡単ではない。どの参加国も中国との貿易依存度が高く、経済面での結びつきは強い。米中対立が長引く状況で、各国は米国と中国、それぞれとの距離感が問われている。

2020年時点の参加国の貿易総額に占める中国の割合をみると、最も高いオーストラリアが35%で、ニュージーランドが25%、韓国が24%だった。ベトナムやインドネシアなどIPEF参加国の半分を構成する東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の7カ国も、それぞれ1~2割ほどを中国が占める。米国以外の13カ国の貿易依存度は、いずれも対米国よりも対中国の方が高い。

半導体やレアアース、蓄電池の生産に欠かせない鉱物などの重要物資は中国が大きなシェアを握る。米国が供給網の強化を目指すのは中国に重要物資を依存する状況を是正する狙いがある。

交渉開始の合意にはこぎ着けたものの、各国の結束には課題が残る。

参加国の一部には環境や人権、データ流通などバイデン米政権が重視する厳しいルールの導入を迫られかねないとの警戒がくすぶる。インドが貿易分野での交渉参加を見送った背景に、こうした事情があるとの見方がある。インドのゴヤル商工相は「参加国がどのような利益を得られるのかまだ見えていない」と語った。

参加国をつなぎ留めるために具体的な経済効果を示せるかが課題になる。

IPEFは既存の自由貿易協定(FTA)とは異なり関税の撤廃や引き下げなどを交渉の対象に含まない。世界最大の経済大国である米国の市場開放に期待する参加国からみると魅力的に映りづらい。

米国はメリットを強調する。閣僚会合の関連イベントでは女性がIT(情報技術)関連技術を習得できるよう支援すると表明した。米グーグルや米アップルなどの協力を得て、人工知能(AI)やロボット工学などに関して、今後10年間で700万人に教育や研修を提供することを目標とする。

アジアの経済圏の主導権争いで米中のつばぜり合いが続く。中国は広域経済圏構想「一帯一路」でインフラ投資などを進める。米国がトランプ前政権下で環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱すると、中国は揺さぶりをかけるかのように昨年9月にTPP加盟を申請した。バイデン政権は中国の動きを警戒しアジア関与を強めている。

「米国がインド太平洋地域への経済的な関与を再び明確にしたことは大きな意味がある」。西村康稔経済産業相は会合後の記者会見で米国の姿勢を歓迎した。

米国の関与を維持するには同盟国であり、ASEANとの関係も深い日本の役割が重要になる。西村氏は「高いレベルのルールと協力関係の中でのメリットを感じてもらいながら全体としてバランスの取れた枠組みをつくる」と強調した。

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Nikkei Asia https://asia.nikkei.com/Politics/International-relations/Indo-Pacific/U.S.-carves-path-to-Indo-Pacific-framework-but-will-others-follow?n_cid=DSBNNAR 』

中国無人機、また沖縄通過 空自がスクランブル

中国無人機、また沖縄通過 空自がスクランブル
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE30D7I0Q2A830C2000000/

『防衛省統合幕僚監部は30日、中国のTB001偵察・攻撃型無人機1機が同日午後、沖縄本島と宮古島の間を通過し、東シナ海と太平洋を往復したと発表した。太平洋側では、宮古島や石垣島など先島諸島の南側を東西に移動し、周回するような飛行もした。航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)して対応した。

防衛省によると、このタイプの無人機は、中国が台湾周辺で大規模な軍事演習を開始した今月4日にも、沖縄を通過して東シナ海と太平洋の間を飛んだのを確認している。〔共同〕』

日中国交回復50年:田中角栄に訪中を決断させた「極秘文書」

日中国交回復50年:田中角栄に訪中を決断させた「極秘文書」
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02190/

『田中角栄は、首相就任わずか85日で日中国交回復という偉業をなし遂げた。その裏に、田中に訪中を決断させた「極秘文書」の存在があったことは、一般にはあまり知られていない。日中国交正常化50年を機に、あらためて当時の外交交渉の舞台裏を振り返ってみたい。 』

『束になった52枚のコピー

コクヨ製の27行の罫線の入った用紙に、びっしりと文字が書き込まれている。全部で52枚。1972年7月27日から29日にかけて、北京の人民大会堂で行われた周恩来首相(当時)と公明党の竹入義勝委員長(同)との会談記録だった。それは長い間、極秘文書として外務省に眠っていた。情報公開されたのは国交回復から30年後のことである。

今の習近平の中国は、世界第2位の経済力と強大な軍事力を背景に、外交交渉では強硬路線を貫き、互いに歩み寄ろうという姿勢はない。50年前はどうであったか。

1972年9月29日、北京を訪問した田中角栄首相(当時)は、日中共同声明に調印。中華人民共和国との間に国交正常化を実現させた。それまで、中国は台湾寄りの佐藤栄作政権を軍国主義と猛烈に批判していた。そもそも首相に就任して間もない田中に、国交回復の道筋は見えていたのだろうか。

私がその極秘文書を入手したのは、2002年のことである。私は束になったその文書のコピーを携えて、当時、神戸製鋼特別顧問だった橋本恕(ひろし)(1926~2014)を訪ねた。同氏は、東大法学部を卒業後、1953年外務省に入省。アジア局長、駐シンガポール大使を経て駐中国大使を最後に1993年に外務省を退官していた。

橋本は、佐藤栄作政権の末期から外務省アジア局中国課長を務め、田中政権になってからも都合、6年間その任にあった。当時の日中交渉の舞台裏を最も良く知る人物である。

橋本は、開口一番、こう語った。
「大臣室に呼ばれた私は、この文書を大平正芳外務大臣(当時)から『検討してみてくれ』と直接渡されました。分厚い資料で、なかなか達筆な字で書かれていた。一読して、私は、これなら国交回復はできると確信したのです」

厳格な人柄を思わせる橋本の話ぶりには、よどみがなかった。かつて心血を注いだ交渉時の記憶は鮮明だった。
「でも、当時は大平さんから『事務次官にも言うな』と秘密主義を徹底されていましたから、私はこの書類が何かの間違いで流出したり、その中身が記者に漏れでもしたら大変だと思い、すぐにキャビネットにしまい込み、厳重にカギをかけて保管したことを覚えています。それぐらい、この文書が持つ意味は大きかったということです」

当時の自民党の国会議員は、元首相の岸信介を代表に親台湾派が多数を占めていた。外務省の親玉、事務次官の法眼晋作も親台湾派だったのだから、大平外相も橋本に口止めするわけである。1972年7月、佐藤栄作の後継を福田赳夫と争った田中は、大平正芳、三木武夫と3派連合を形成し、総裁選を勝ち抜くが、3者で「日中国交回復を行う」という政策協定を結んでいたものの、まだその機は熟していなかった。

ところが急転直下、日中交渉が動き出す。結論から言えば、この極秘文書は、田中が訪中の決意を固める上で決定的な拠り所になったのである。では、この文書は、どうやって政府首脳にもたらされたのか。そして、田中や大平、橋本を唸らせたその内容とは、いかなるものだったのか。
「内閣なんか吹っ飛んじまうよ」

私がこの極秘文書の存在を知ったのは、当の竹入元委員長からであった。日中国交回復30年の節目にむけて、ある雑誌で特別読物を執筆するに際し、竹入に相談したところ、この文書のコピーを手渡されたのだ。それより以前から、私はたびたび氏の私邸を訪ね、懇意にしてもらっていた。竹入は、田中訪中に至る経緯を詳細に説明してくれた。

国交回復より2カ月前の7月23日夜、竹入は密かに目白の田中角栄邸を訪れた。ふたりは個人的にも親しい関係だった。少し解説しておけば、竹入は戦後、国鉄職員から東京都議を経て、公明党が国政に進出した1967年の衆議院総選挙で初当選。結党以来、党の要職を占め、代議士になると同時に委員長に就任した。叩き上げの苦労人であり、自説を曲げない武骨な政治家である。田中角栄の経歴は周知の通りだが、苦労人同士、互いに気脈の通じるところがあったのであろう。

その田中邸訪問の1週間ほど前、竹入は中国から北京訪問を打診されていた。前年6月にも訪中し、首相だった周恩来と会談していたが、「今度の訪中は、国交正常化交渉の話になるだろう」と竹入は踏んでいた。

田中邸の応接室に通された竹入は、早々に要件を切り出した。
「今度、北京へ行くことになった。ついては、竹入という男を私も信用している旨、一筆書いてくれないか」
竹入にしてみれば、国交回復の話をする以上、特使的な意味合いで、総理のお墨付きがほしかった。だが、田中は即座に断った。

「行くなら、行ってこい。だけど紹介状は書けないよ」
竹入は憮然(ぶぜん)として言った。
「お前さん、本気で中国をやる気があるのか?」
「中国をやる気は全然ないよ。おれは総理になったばかりだ。今、中国なんかやってみろ。内閣なんか吹っ飛んじまうよ。紹介状なんかとんでもない」
密談は決裂した。
3回にわたる周恩来・竹入会談

その2日後の7月25日、竹入と大久保直彦副書記長、正木良明政審会長ら公明党代表団は北京に飛び立った。このとき田中角栄は54歳の史上最年少総理。竹入も46歳の若さであった。

今回の訪中に際して、竹入らは国交回復の条件として10数項目の要望を中国側に伝えるつもりで草案を用意していた。竹入にしてみれば、正式な特使ではないから相手が蹴るのであればそれもよし。とりあえず日本政府が主張するであろう条件を先方に伝えさえすればよいというほどの腹積りであった。日本がどうしても譲れないのは、日米安保条約は破棄できない、台湾との関係はいきなり断交するわけにはいかない、の2点だった。

27日午後4時から、第1回目の周恩来・竹入会談が開かれた。
いきなりの周恩来の発言に、一行は驚かされた。
「毛沢東主席は、賠償請求権を放棄すると言っています」
日本側は息を呑んでその言葉に聞きいった。竹入らが事前に用意していた草案では、賠償請求については触れなかった。当然、中国側は戦時賠償を要求してくると思い込んでいたのである。

「中国は、相当日本に譲歩してくるぞ」それが竹入の抱いた感触だった。初日、2日目の会談で、中国側の反応は日本の要望を聞き入れようとするものだった。中国が一番こだわっていたのは、「中華人民共和国が中国を代表する唯一の合法政府」と日本が認めることだった。最終日となった29日、晩餐会後の午後7時半から始まった会談冒頭で、周恩来はこう話し始めた。
「これから話す中国の考え方は、毛沢東主席の批准を受けたものです」
続けて周恩来は、田中に9月中の訪中を促し、8項目にわたる日中共同声明の草案を示した。それは、竹入らが考えていた草案をほぼ受け入れた内容だった。周恩来は、日中共同声明では日米安保条約や日華平和条約には触れないと明言したのである。

日本側は一字一句、間違いのないように中国側の通訳に確認を取りながら周恩来の言葉を書き留めた。これが後に、日中共同声明の原案となる有名な「竹入メモ」である。最後に周恩来はこう言って、竹入との会談を締めくくった。
「なお、3回にわたる会談の内容は、すべて重要でありますので、田中首相、大平外相以外は、完全に秘密を守ってください。私たちの方も秘密を守ります。すべて竹入先生を信頼して申し上げたことです」

竹入らは帰りに立ち寄った香港のホテルで、2日間かけて周恩来との会談記録と草案メモを清書した。達筆な文字で筆を取ったのは政審会長の正木良明だったという。周恩来は竹入にメッセージを託した。田中と竹入の個人的な信頼関係に目をつけてのことであっただろう。
「おれは北京に行くぞ!」

竹入は、帰国した翌日の8月4日に首相官邸を訪れ、田中と大平に会談記録と共同声明の草案メモを手渡した。5日午後、ホテルニューオータニの一室で、田中と竹入は2人きりで向き合った。そのときの様子はこうだ。

「あれ、これから読ませてもらうよ」
田中は52枚におよぶ会談記録を取り出すと、ゆっくりページをめくり始めた。田中は2度読んだ。そして開口一番にこう言った。
「おまえ、日本人だな?」
竹入が中国に騙されていないか疑ったのである。
「何ふざけたこと言ってんだ」
「ここに書いてあることは間違いないか」
草案を記した「竹入メモ」を示して再度念を押す。
「中国側とも一字一句確認した。絶対に間違いない」
田中はしばらく考え込んだ後、こう言った。
「おれは北京へ行くぞ!」
まさに、田中が訪中の決意を固めた瞬間だった。

竹入は周恩来との間で、ある合図を決めていた。田中が訪中を承諾した場合には、「秋に予定されている廖承志(中日友好協会会長)の大型訪日団は延期になった」と公表すること。国会の記者クラブに駆け込んだ竹入は、その通りに記者発表したのだった。
周恩来からの密使

中国課長の橋本は、大平から「竹入メモ」と会談記録を受け取った。それより先、橋本には日中交渉が進む予感があった。周恩来は密使を日本に送り込んでいたのだ。田中内閣発足の3日後、孫平化(当時中日友好協会副秘書長)を団長とする上海舞劇団が来日した。その数日後、橋本は情報源の一人から、「孫を大平外相に会わせてほしい。打ち合わせしたいことがある」と打診されたという。

孫の意向を確かめる必要がある。橋本は、中国側が指定したホテルニューオータニの一室を密かに訪ねた。待ち受けていたのは孫ではなく、舞劇団にまぎれて中国共産党から派遣された唐家璇(のちの外相)ら2名だった。唐は言った。

「周総理の極秘のメッセージを持ってきています。是非とも大平外相にお伝えしたい。その段取りをつけていただけないか」

橋本から伝え聞いた大平は了承した。問題は密会場所である。大臣スケジュールは事前に記者クラブに張り出すことになっていた。記者の目をごまかすために、大平行きつけのホテルニューオータニにある床屋に行く予定を入れた。当日、大平と橋本は怪しまれないようにひとまず床屋に入った。周囲の様子をうかがい、別々にエレベーターに乗り込むと、目指すスイートルームへと急いだ。

部屋には孫平化が一人で待っていた。日本語が堪能な孫は、周恩来のメッセージを口頭で伝えた。
「周総理は、田中角栄氏が首相になられたこと、田中内閣の成立を心から喜んでおります。また、田中総理の日中国交正常化の姿勢も評価しており、よき隣人として、善隣友好関係を築き上げるために、できるだけ早く中国をご訪問くださいと申しております」

橋本は、中国が国交正常化に前向きである感触はつかんだ。しかしなお、中国は国交回復の前提としてどんな難題を突き付けてくるのかはわからなかった。そうした懸念を一掃したのが、「竹入メモ」と52枚の会談記録だったのである。

橋本はこう語った。
「この文章の最大のポイントは、『日米安保条約を認める』『中国は賠償を求めない』と中国側が言明していることです。はっきり言って予想外でした。中国が建国されてから当時まで23年間、周恩来をはじめ要人には会ったことがなく、中国に行くという大方針は変わらないものの、行ったところでどうなるか全く未知数でした。しかし、このメモを見た時に、安心感を持つと同時に、これなら話し合いができる、ひょっとするとうまくいくかもしれないという気持ちになったのです」
「2人が日中双方のトップにいたという偶然も・・・」

田中角栄はどうして国交回復を成し遂げることができたのか。それは当時の国際情勢の後押しがあったからである。中国は1969年中ソ国境でソ連と軍事衝突し、中ソ対立は抜き差しならない危機的状況になっていた。国内に目を向ければ、中国共産党は権力闘争に明け暮れ、その影響で経済は破綻していた。

他方、アメリカはベトナム戦争の泥濘に足を取られている。いまや中国にとって最大の脅威はソ連となった。ここに米中接近の余地があった。1971年7月、キッシンジャー大統領補佐官の極秘訪中によって、ニクソン大統領の訪中が発表された。世にいう「ニクソンショック」である。

アメリカが中国と接近するならば、対米追随の日本も国交回復が可能である。中国にとっても、国内経済を再建するためには日本の経済力は魅力であった。事実、国交回復後、日本は積極的に経済支援を行った。しかし、このときの首相が田中角栄であったからこそ、国交回復が早期に実現したのであろう。

当時、外務省から出向し、田中の総理秘書官として訪中に同行した木内昭胤(元駐フランス特命全権大使)はこう語っていた。
「田中さん本人は、中国そのものをよく知っていたわけではありません。向こうに乗り込んで、周恩来と会って、そこで初めて『この人となら、うまくやれる』という感触を抱いたのだと思います。周恩来と田中さんは、すっかり意気投合しました。これは30年経った今だから言えることですが、この2人が日中双方のトップにいたという偶然も日本にとって幸いしたのです」

いまや米中は再び激しく対立する関係になっている。そして日本も米国に追随する。日中国交正常化から50年。当時の蜜月関係と比べて、習近平と日本の政治指導者との距離はあまりにも遠くなってしまったといえるだろう。(文中敬称略)

バナー写真:1972年9月29日、北京の人民大会堂で日中共同声明に調印、中国首相の周恩来(右)と文書を交換する首相田中角栄(共同)

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滝野 雄作Takino Yuusaku経歴・執筆一覧を見る

書評家。大阪府出身。慶應義塾大学法学部卒業後、大手出版社に籍を置き、雑誌編集に30年携わる。雑誌連載小説で、松本清張、渡辺淳一、伊集院静、藤田宜永、佐々木譲、楡周平、林真理子などを担当。編集記事で、主に政治外交事件関連の特集記事を長く執筆していた。取材活動を通じて各方面に人脈があり、情報収集のよりよい方策を模索するうち、情報スパイ小説、ノンフィクションに関心が深くなった。』

日中正常化50年、中国共産党の本質を見誤った瞬間

日中正常化50年、中国共産党の本質を見誤った瞬間
「分水嶺」としての1989年天安門事件

城山英巳 (北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 教授)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/27700

『日中両国は9月29日に国交正常化50周年を迎える。8月2~3日、ペロシ米下院議長の台湾訪問に激怒した習近平国家主席は弾道ミサイルを次々発射し、うち5発を日本の排他的経済水域(EEZ)内に着弾させ、対日威嚇を強めた。

中国の学生や若者が民主化へ動き、弾圧された1989年の天安門事件。日本はこの時に中国共産党を見誤ったと言える(AP/アフロ)

 日中高官は8月17日、天津で7時間にわたり協議したが、緊張はなお続く。友好と対立が交錯した50年間の日中関係の「分水嶺」はどこかと尋ねられれば、共産党が存亡の危機に瀕した1989年の天安門事件での日本政府の対中政策だろう。日本政府はあの時、一党独裁体制の維持のためには人民の流血も厭わない共産党の本質を見誤ったのではないか。

「民主化」に進むか「強権国家」のままか

 筆者は、秘密指定を解除された日本の外交文書と、当時の外交官の証言を基に7月に『天安門ファイル―極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)を上梓した。序章にこう記した。

 「天安門事件前夜は、中国が最も民主主義に近づいた瞬間だった。それが6月3~4日の武力行使によって崩れた。6月4日以降、外交官たちは次のことで悩み、中国共産党の本質をつかもうとしたに違いない。

 中国は改革開放が進めば、民主化や自由化に進むのか、あるいは、もともと市民に銃口を向け、実際に発砲することもためらわない強権国家なのか――。

 贖罪意識を強く持ち、『友好』と『協力』を主流とした戦後日本の対中外交にとって『分水嶺』であった」

「日本にとって望ましい中国像」描き対中外交

 血なまぐさい権力闘争が中国全土を大混乱に陥れた文化大革命(1966~76年)が毛沢東死去とともに終結してまだ13年。失脚から復活した鄧小平が78年にスタートさせた改革開放政策はインフレや腐敗などの副作用を生み、大学生らは政治改革も進めないと国は変わらないと憂国意識を強めた。当時の中国の経済規模は、日本の8分の1程度で、「弱い中国」だった。

 過去の戦争への贖罪意識を抱える日本政府は、戦後賠償の意味もあり、79年に対中政府開発援助(ODA)を開始した。当時日本の対中外交を仕切ったチャイナスクール外交官は、天安門事件という流血の人権弾圧があっても、対中ODAを通じて改革開放は進み、自分たちにとって「望ましい中国」がつくられるだろうと堅く信じた。

 天安門事件直後の89年6月12日の外交文書には「我が国にとって望ましい中国像」とは「あくまで、安定し、穏健な政策により近代化を進める中国」と明記された。日本が改革開放に関わる中で、ゆっくりと安定した形で民主化や自由化に進む中国の姿を描き、それが「国益」につながると判断した。』

『外交官が見た「エネルギー」、民主化を期待

 上記のような天安門事件後の中国認識は、あくまで霞が関の外務官僚が描いたものだ。しかし現場の在北京日本大使館の若手外交官はそう考えなかった。大規模デモを展開する学生や市民のエネルギーを連日目の当たりにして、日本政府としても学生らの民主化運動に無関心であるべきではないと認識した。

 民主化の叫びが最高潮に達した89年5月に話を戻そう。

 5月15日、ソ連でペレストロイカ(政治体制改革)とグラスノスチ(情報公開)を進めるゴルバチョフ共産党書記長が歴史的な中ソ関係正常化実現のため北京入りした。中国共産党の変革を求める広場の学生たちは興奮し、17日についに、天安門広場やその周辺は人で埋め尽くされ、百万人デモに発展した。

 日本大使館の若手外交官は、たまたま訪中した日本の要人に同行し、ゴルバチョフもいた人民大会堂を訪れた。人民大会堂を出た瞬間、目の前の天安門広場を埋めた学生の期待の眼、刺すような視線を感じた。「ゴルバチョフ訪中で、情勢が好転していくんじゃないかという期待がみなぎっている輝いた視線だった」と回顧した。

 日本大使館は「百万人デモ」を観察し、東京に公電を送った。

 「今回の動きを通じ、党指導部の権威が大きくゆらいだことは疑いなく、無数の学生・市民が何らの規制を受けず、天安門広場を占拠し、『民主と自由』をさけぶことができることを実感したことの意義は大きく、党・政府指導部としては、今後、長期にわたり、こうした解き放たれつつあるエネルギーがこの国の体制の自由化、民主化、政治体制改革へ向けて強い圧力となって働くのをコントロールするのに腐心していくことになろう」(中島駐中大使発外相宛公電「中国内政(5・17デモ:当館観測)」89年5月18日)
民主化運動は「中国内政問題」、共産党を最優先

 しかし東京の外務省では、あくまで日中関係をつくるパートナーは共産党・政府であり、その関係を最優先する対中方針が一貫していた。日本大使館は、「百万人デモ」5日後の5月22日、外務省中国課から「中国の学生デモ」と題した文書を受け取った。同文書には「日中関係への影響」としてこう記されていた。

 「本邦プレスの報道振り(学生に同情的)もあり、李鵬現指導部の今後の対応振りいかんでは、日中友好協力関係をプレイ・アップ〔大きく扱う〕したり、円借款等の経済協力を積極的に推進することに対する批判も出て来ることがあり得る。ただし、我が方としては、本件はあくまで中国の内政問題との立場から、はねかえりはないことを期待との対応とする」

 中国課では、学生に同情した趙紫陽共産党総書記の失脚が確定的となり、李鵬総理が中心となった中国政府との間で日中友好を継続、強化していく方針だった。中国学生らの民主化運動は「あくまで中国の内政問題」であり、静観することで、日本への「はね返り」が来ないことを期待するというのが基本的スタンスであった。これが摩擦を抱えながら大崩れしなかった1980年代の日中関係の現実であった。
対中政府協力で日本は「嫌悪」対象になる

 人民解放軍の戦車が、天安門広場の武力制圧作戦に向け、本格的に前進を始めたのは6月3日夜。その21時間前の3日午前0時すぎ、北京の日本大使館から東京の外務省に「当館分析ペーパーの送付」と題した文書がフックス送信された。「ペーパー」の中身は、大使館政治部が5月31日に作成した「学生運動と趙紫陽の失脚」という「秘」指定の中国分析報告だった。

 全9ページの文書のうち、筆者が注目したのは、中国で起こっている民主化のうねりという激動に対して日本政府がどう向き合うか提言している箇所である。

 「わが国としては、あるいは国民の一部には反感さえ存在することが明らかになった政府を相手とすることになるかもしれないという意味で、戦後の日中関係上ほとんど経験したことのない局面を迎えたということができよう。極論すれば、現〔中国〕政府への支持・協力表明が一部〔中国〕国民からは反感をもって迎えられるという要素も十分考慮に入れつつ進める必要が出てきつつあると言えよう。少なくとも、今回の百万人デモで現れてきた民主化の流れは、今後の中国の将来への流れと見ることもできるわけであり、そうした人々の考え方や受け止め方にはわが国としても十分注意を払っていくべきであろう」』

『日本の外交官が天安門広場で見たものは、鄧小平や李鵬ら共産党最高指導者を打倒しようとしている「民」の声であった。共産党・政府を相手にし、対中ODAなどを通じて共産党を支援し続ければ、日本政府あるいは日本も、中国の民から「嫌悪」の対象になりかねないと危惧した。

 もしかしたら中国は「共産党の中国」でなくなるかもしれない。民主化は「今後の中国の将来への流れ」ではないかと感じ、中国民間との関係を構築して対中外交を展開する必要があると提言したのだ。


メモに記載された「流血」直後の日本大使館内

 人民解放軍は6月3日深夜から4日未明、学生を守るため天安門広場手前で激しく抵抗する市民に無差別発砲し、民主化運動はもろくも崩れた。

 日本大使館政治部。防衛駐在官(武官)・笠原直樹のもとに「北京飯店」の拠点から、「天安門広場は落ち着いた模様」と連絡が入ったのは4日午前6時5分。大使館は、民主化運動観察の前線として、天安門広場に近いホテル「北京飯店」に一室を確保し、館員が連日詰めていた。

 笠原はメモに、日本大使館内の状況をこう記録している。

 「外はすっかり明るくなっていた。誰も一睡もせず、あるものは情報を送り続け、あるものは電話をとり、あるものは電報を書き続けた。解放軍は、戦車まで動員した武力を使用して、学生の民主化運動を鎮圧した。長いあいだ日中友好のために頑張ってきた外務省中国関係者たち、いわゆるチャイナサービスといわれる人達のショックは大きい」。館員たちは皆、ガックリし、こう口にした。

 「市民に銃を向けるような、こんな中央はダメだ。いつかは倒れるよ」

 「情けない。予想もしていなかった」
「農民の国」に民主化は無理と分析

 一方、外務省中国課は、天安門事件5日後の6月9日、重病説や死亡説すら出ていた鄧小平が公の場に登場したことで、混乱した事態が一応収束に向かうだろうと評価した。同時に中国の民主化問題についてこう分析した。

 「政治問題にほとんど関心がない8億の農民が政治的安定と経済的繁栄のみを追及する保守的な基盤として存在し続ける限り、中国の民主化実現は容易ではない」(中国課「中国情勢[鄧小平の登場]」89年6月10日)

 中国課は6月26日に作成した「極秘・無期限」指定の外交文書「中国情勢」でもこう記した。

 「将来の可能性はともかく、当分の間、中国における民主化要求の力を過大評価することは誤り。農民を中心に中国人の大多数は政治的自由に無関心」

 中国課は、中国は「農民の国」であり、民主化は無理だと片づけてしまった。

 天安門事件直後に外務省の作成した外交文書にはこう明記されている。

 「民主・人権より長期的・大局的見地の重視」

 「温かい目で中国側の状況を見守っていく」(「我が国の今後の対中政策[今回の事態を踏まえて]」89年6月22日、「中国情勢―日米外相会談大臣発言要領―」日付不明)。

 日本政府は天安門事件後も中国共産党・政府だけを相手にした関係を構築し、共産党を孤立させず、国際社会に中国を巻き込む「関与政策」を目指した。』

『外交官個人の「感情論」と組織の「外交論」

 筆者は拙著『天安門ファイル』の「あとがき」でこう記した。

 「天安門事件は、リアルタイムかつ目に見える形で、中国共産党体制の強権的かつ閉鎖的な本質が表れた瞬間であり、日本政府や日本人にとって中国の民主化の限界を考える初めての機会だったはずである」。日本政府はその分水嶺を見誤ったのではないだろうか。

 結局、現場にいた外交官個人の「感情論」は、国家としての方針を決める組織の「外交論」にどう影響を与えたのか――。

 学生の民主化運動の行方を追い、武力弾圧を目の当たりにして涙した当時日本大使館政治部一等書記官の佐藤重和は筆者のインタビューにこう答えた。

 「憤りはあったけど、われわれの感情的なもの、シンパシー的なものと、外交は別という意識はあった。ただ天安門事件の後に日本は真っ先に関係改善もしたわけですから、その気持ちの上ではわれわれはいろいろと割り切れないものが山ほどあった」。  

 外交官が現場で目撃した「中国共産党の本質」は封印されてしまった。

(『天安門ファイル』の一部を抜粋し、加筆・修正のうえで再構成、敬称略・肩書は当時)
 『Wedge』2022年9月号で「「節目」を迎える2022年の中国 日本の対中戦略、再考を」を特集しております。https://note.com/wedge_op/m/m1784643c180b 

 日中国交正常化50年、香港返還25年と、2022年は、中国にとって多くの「節目」が並ぶ。習近平国家主席が中国共産党のトップである総書記に就任してからも10年。秋には異例の3期目入りを狙う。「節目」の今こそ、日本人は「過去」から学び、「現実」を見て、ポスト習近平をも見据え短期・中期・長期の視点から対中戦略を再考すべきだ。。

 特集はWedge Online Premiumにてご購入することができます。
 https://note.com/wedge_op/m/m1784643c180b 』

中国が円を売る日 幻の日中「国債持ち合い」

中国が円を売る日 幻の日中「国債持ち合い」
経済部長 高橋哲史
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA232OP0T20C22A8000000/

 ※ なるほど、「中国が、日本国債をどれくらい保有するつもりなのか。」ということも、日本の金融政策に影響を与える「ファクター(要素)」の一つなのか…。

 ※ 次の視点は、「その要素が、どれくらい”円高(or 円安)”に影響を与え得るのか」ということだな…。

 ※ そういう「影響度」を、「定量的」に判定できる「方程式」みたいなものは、確立されているのだろうか…。

 ※ 最近読んだ「地政学」の文献に、「国力の方程式」というものが載っていた…。

 ※ 『クラインの方程式は、次のとおりである。

 国力=((基本指標:人口+領土)+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)

  (注)国家意思=戦略目的を遂行する意思』…、というものだ。

『いま振り返れば、日本と中国の金融協力が最もうまくいっていた時期かもしれない。

「円高が加速する局面では、日本国債への投資を減らす」。10年前の2012年3月、中国人民銀行(中央銀行)の易綱副総裁(現総裁)は記者会見でこう語った。

いまと違い、日本経済が1ドル=80円前後の超円高にもがいていたときである。

欧州の債務危機でユーロの先行きが懸念され、円に買いが集まっていた。中国も日本国債への投資を増やしているのではないか。そんな観測が絶えないなかで、易氏の発言は飛び出した。

円高を抑えたい日本にとって助け舟になったのは言うまでもない。「日本側は中国からの投資が多すぎ、円相場の上昇につながることを非常に心配している」。易氏はこう述べ、日本に配慮する姿勢をにじませた。

伏線は、3カ月前の11年12月に訪中した当時の野田佳彦首相と、中国の温家宝首相が合意した「国債の持ち合い」にあった。

中国では外国当局が国債を買う場合、人民銀の許可を取らなければならない。中国側が日本に中国国債の購入を認め、日中それぞれが互いの国債を保有する。そんな枠組みは両国の金融協力が新たな段階に入る象徴となるはずだった。

十年一昔である。

日本による中国国債の購入は12年9月の尖閣諸島の国有化で暗礁に乗り上げ、いまだ実現していない。今年9月の国交正常化50周年を前に日中は互いに不信を募らせ、国債の持ち合いを再び前に進めようという機運はない。

ペロシ米下院議長が8月初めに台湾を訪問し、それに怒った中国は台湾周辺で大規模な軍事演習を実施した。中国軍が発射したミサイルは日本の排他的経済水域(EEZ)内にも落ち、日中間にはかつてない緊張が漂う。

秋葉剛男国家安全保障局長と中国外交トップの楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員は17日、中国の天津で7時間にわたって会談した。

岸田文雄首相と習近平(シー・ジンピン)国家主席の首脳対話も議題になったもようだが、実現へのハードルは高い。5年に一度の共産党大会を秋に控える習氏は、米国と歩調を合わせて台湾への関与を強める日本に弱腰を見せられない。

10年前と変わらないのは、中国がなお日本国債を買っているとみられる点だ。21年末の保有額はおよそ24兆円で、前年に比べ5割増えた。

米中対立が激しさを増すなか、中国はドルに偏った外貨準備の運用先を他の通貨に振り分けている。中国からみて、日本国債は有力な選択肢の一つだ。

日本の普通国債の発行残高は1000兆円の大台に迫る。国債の安定消化を考えれば、中国を含む買い手の裾野が広がるのは必ずしも悪い話ではない。

だが、中国にとって日本国債の保有は、日本に圧力をかける手段にもなり得る。実際、10年に尖閣沖で海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件が起きたときは、中国政府内から「日本国債を買い増し、円高に誘導すべきだ」との声が公然と上がった。

いまなら、中国は日本国債の売却をちらつかせるだけで、急激な円安を誘えるだろう。国債の持ち合いで合意した10年前と違って、中国が日本に配慮する理由は見あたらない。

巨額の借金は日本の「弱点」に映る。中国に隙を見せないためにも、財政がいま以上に悪化するのを防ぐ努力が欠かせない。
経済部長(経済・社会保障グループ長) 高橋哲史
大蔵省(現・財務省)を振り出しに霞が関の経済官庁や首相官邸、自民党、日銀などを取材。中国に返還される前の香港での2年間を含め、計10年以上に及ぶ中華圏での駐在経験をもつ。2017年4月からは中国総局長として北京を拠点に中国の変化を報じ、21年4月に帰国した。
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柯 隆
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ひとこと解説

一般的に金融協力といえば、金融の安定を図るために、助け合う行為。東アジアのスワップ協定はその一例。しかし、日中の間では、ほんとうの金融協力がほとんど行われていない。かつて、中国経済と金融が弱かった時代、中国の金融関係者は日本に来て、不良債権の処理などについて学んでいたが、中国経済は日本を追い抜いてから、彼らはもっぱらウォール街をみている。今、米中対立が激化しているから、一時的に日本にアプローチしている
2022年8月25日 8:37 』

習近平軍事委主席が裁可した日本EEZ内のミサイル着弾

習近平軍事委主席が裁可した日本EEZ内のミサイル着弾
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK199H10Z10C22A8000000/

『日本の排他的経済水域(EEZ)内に5発の弾道ミサイルを撃ち込むという極めて重大な決断を最終的にしたのは、 習近平(シー・ジンピン)その人である――。

中国共産党の軍隊を意味する人民解放軍が実行する軍事行動を決定するのは、共産党中央軍事委員会だ。トップは同委主席である習で、首脳部は主席の下にいる2人の副主席(軍人)と、4人の委員(軍人)という計7人で構成される。7人中、職業軍人ではないのは共産党総書記兼国家主席の習だけだ。

中国建国70年の軍事パレードで人民解放軍を閲兵する習近平国家主席(2019年10月、北京)=新華社・共同

中国では「共産党が鉄砲(軍)を指揮する」という鉄の規律が守られてきた。権力基盤を固めた習は、この規律をさらに前面に打ち出した。「(共産)党の指揮に従い、勝てる、清廉な人民の軍隊に。習近平」。各地の軍施設で習の署名入りスローガンが、元国家主席、江沢民(ジアン・ズォーミン)の言葉と入れ替わったのは、2015年ごろだ。

今回の軍事行動も党トップとして軍の指揮権を持つ習が、米下院議長、ペロシの台湾訪問に対抗する「軍事演習」として最終判断を下したのは間違いない。もし習が裁可・決裁していないとすれば、鉄の規律が破られ、軍の暴走を許したことになる。

太平洋上EEZに係争拡大も

問題はここからだ。対日関係を中長期的に傷つける日本のEEZへのミサイル撃ち込みという威嚇の裁可も習が下したのか。答えは「イエス」である。

中国外務省報道官は「中日間では台湾以東の海域でなお境界を画定していない。中国側はいわゆる日本のEEZという言い方を受け入れない」と言明した。他国のEEZ内での軍事演習が禁じられているわけではない。それでもペロシ台湾入りを逆手にとって、日本を威嚇し、反応を試す行為は公然たる挑発だ。日中国交正常化50年の歴史の転換点になりかねない事態である。

これは、結果的にミサイルによって太平洋上での日本のEEZに関する主張を崩そうとしたことになる。これまで日中間の問題は主として東シナ海だったが、今後は太平洋にも拡大する可能性が出てきた。日本側が身構えるのは当然だ。

重大な問題であることを認識していた中央軍事委、中国軍には、ある種の迷いがあったと考えられる。それが透けてみえる興味深い傍証がある。

中国国営の新華社は、ペロシが台北・松山空港に着陸した直後の8月2日深夜、日本のEEZにかかる台湾東部海域への軍事演習地域の設定を伝えた。6つの演習地域の一つ(地図中の①、以下①)だ。演習開始は中国時間4日正午としていた。ところが、奇妙なことに中国当局は4日未明、航空固定通信網などを通じて、もう一つの臨時危険区を追加した。

詳細な位置は台湾の交通部が4日午前、布告した安全情報からわかる。「8月4日10時から8月8日10時(台北時間)、(台湾)東部海域に新たに軍事演習地域(地図中の②、以下②)を設定した。その期間、船舶は演習地域を避け、注意して航行するように」とある。この7つ目の演習地域の設置は、一部中国メディアも転載した。

臨時危険区(②)は、2日発表の台湾東部の演習地(①)に一部重なっていた。注意すべきは、より台湾の本島に近い位置に移動し、ほぼ日本のEEZを避けていたことだ。日本への恫喝(どうかつ)とみなされにくい穏当な場所である。

日本にとって脅威が大きい「8月2日案=強硬案」(①)と、脅威が小さい「8月4日案=妥協案 」(②)という2案の存在がにじむ。ことの重大性を認識していた中央軍事委は、様々な観点から少なくとも2つの案を用意していた。表の強硬案と、裏の妥協案だ。日本のEEZを外す選択肢は最後まで残っていたことがうかがわれる。

台湾当局は4日午後になると「8月4日案」に関する布告をいったん取り下げ、間を置かず改めて公表した。範囲、時間に変更はないが、中国側の軍事演習との関連を示す表記を削る修正が加えられた。同じ頃、中国軍のミサイル発射は始まっていた。4日午後4時以降、沖縄の波照間島南西部の日本のEEZ内に5発が着弾した。

防衛省によれば、うち4発は、福建省沿岸から発射され、台北のはるか上空を通過して着弾した。500~550キロメートルほど飛翔(ひしょう)したミサイルは、まさに台湾と沖縄を同時に威嚇するものだった。

150キロ先の尖閣諸島をにらむ与那国島の陸上自衛隊レーダー基地

残る1発は浙江省沿岸から発射され、650キロメートルほど飛翔。台湾の陸地の上は経由せず、日本のEEZ内に着弾した。自衛隊部隊が駐屯し、レーダーも設置している南西諸島への直接の脅しとも解釈できる。

7つ目の演習地域と目された「8月4日案」の臨時危険区に落下したミサイルはなく、全て「8月2日案」の範囲だった。「8月2日案」の範囲内でも日本のEEZを外す選択肢があったが、それは選ばれず、より東側にある日本のEEZにかかる部分を正確に選んで着弾させた。

1発なら「たまたま」という説明もできるが、5発となると明確な意図がある。裏の妥協案を排除し、日本に強硬なメッセージを送る。軍最高指揮官である習の最終決断なしに、この重大な「軍事行動」はあり得ない。

驚いた王毅外相

実は、これに驚いたのは日本だけではなかった。中国内でも多くの関係者が目を見張った。外交を担う中国外務省も寝耳に水だったようだ。中国では、軍事的な決断について、外交部門が全て知っているわけではない。4日、国務委員兼外相の王毅(ワン・イー)は、東南アジア諸国連合(ASEAN)に関連する外相会議のためカンボジアにいた。会議の途中で、日本のEEZ内への着弾の知らせを聞いた王毅は、かなり驚いた様子だったという。

習の裁可をカンボジアで知った王毅や、中国外務省は、これまでの対応が生ぬるかったことを認識し、一気に日本に強く出始めた。珍しく中国側が積極的で、自ら開催を明らかにしていたカンボジアでの日中外相会談は急きょ、キャンセルになった。主要7カ国(G7)外相が「台湾海峡の平和及び安定の維持に関する共同声明」で「不当に中国を非難した」というのが理由だった。

それだけではない。北京では駐中国大使の垂秀夫が、中国外務省に呼び出されて、G7外相声明に関して抗議を受けた。この声明の最終とりまとめは、議長国のドイツであり、調整過程でも日本はさほど深くかかわっていない。

9月29日に日中国交正常化50周年の行事を控える日本は慎重に対応していた。それは、官房長官の松野博一の発言からもわかる。「G7外相共同声明の文言のほうが、より強く中国への懸念を表明しているのは明らかだ」。G7を構成する主要国の外交官は、日本の政府と外務省の慎重姿勢を証言する。

記者会見する岸田首相(10日、首相官邸)

一方、日本側はどうだったか。ミサイルのEEZ内着弾を受けて、外務次官の森健良が8月4日夜、駐日中国大使の孔鉉佑に抗議した。こちらは電話だけである。緊急性を考えたという理由になっている。

防衛省は4日夕、ミサイルEEZ着弾を直ちに公表したが、岸田文雄内閣がすぐに国家安全保障会議(NSC)を開くことはなかった。首相の岸田は、日本の安全に危害を与える問題ではないと判断したことになる。過去の北朝鮮の弾道ミサイル発射への対応と明らかに違っていた。台湾問題を議論した安保会議4大臣会合が開かれたのは改造内閣発足後の 12日になってからだ。事案発生から8日後だった。

腹を割った本音の首脳対話を

中国が万一、台湾へ武力行使する場合、自衛隊が駐屯する与那国島など先島諸島も巻き込まれる。太平洋上の日本EEZにまでミサイルを着弾させた今回の選択は、それをあえてにおわせた。

習にとっては、この威嚇行為も鄧小平時代、江沢民時代、胡錦濤(フー・ジンタオ)時代ならできなかった「業績」とする意図がある。習による「鄧小平超え」という個人的な使命感は、日本にも甚大な影響をもたらす。かつてない威嚇は、中長期的に日本を中国から遠ざける。中国側はそれを忘れている。

17日、中国・天津で会談した秋葉剛男国家安全保障局長(左)と外交担当トップの楊潔篪共産党政治局委員=新華社・共同

それでも日本側は感情的にならず冷静に対処すべきだ。国交正常化50年を前に、国家安全保障局長の秋葉剛男が中国・天津で中国外交担当トップの楊潔篪(ヤン・ジエチー)と7時間会談したのは評価できる。中国側の姿勢は「北戴河会議」を経た微調整の結果でもある。

岸田と習の首脳会談の調整も始まる兆しがある。習と首相の李克強(リー・クォーチャン)が22日、新型コロナウイルスに感染した岸田に見舞い電報を送ったのもその一環にみえる。電話、オンラインという選択もあるが、できれば最後は、対面での会談が望ましい。その過程は極めて困難なものになるだろう。習が裁可したミサイルによる脅し。そんな危機的な状況だからこそ、腹を割った本音の対話が必要である。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』

日中首脳会談を「検討」 林外相表明、秋の実現探る

日中首脳会談を「検討」 林外相表明、秋の実現探る
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA194NS0Z10C22A8000000/

『日中両政府は岸田文雄首相と習近平(シー・ジンピン)国家主席による首脳会談の調整を始めた。国交正常化50年の節目を9月に控え関係の改善を探る。林芳正外相は19日の日本経済新聞とのインタビューで会談の実現に向け「具体的に検討する」と表明した。

首相と習氏の対話は2021年10月の電話協議以降ない。対面での首脳間の協議は19年12月以降開いていない。

日中両政府は対面やオンライン、電話での協議など形式を含め検討する。現状では今秋のオンラインでの協議が有力だ。11月にインドネシアで開く20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の場など日中以外の第三国で会談する案もある。

中国は4日、ペロシ米下院議長の台湾訪問に反発し台湾周辺で大規模な軍事演習を始めた。日本の排他的経済水域(EEZ)に弾道ミサイルが5発落下した。

林氏は中国の行動を非難したうえで「こうしたときこそ意思疎通が重要だ」と言及した。「建設的で安定的な日中関係を双方の努力で構築する必要がある」と語った。

17日には秋葉剛男国家安全保障局長が中国・天津で中国外交担当トップの楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員と7時間会談をした。日中間の対話を継続する方針を確かめた。

【関連記事】

・日中首脳会談、オンラインや第三国案 国交正常化50年
・林外相インタビューの要旨
・日中、対話継続で一致 国交正常化50年を前に高官会談

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日中、国旗・握手なき高官協議 国内反発を警戒か

日中、国旗・握手なき高官協議 国内反発を警戒か
首脳会談への難路映す
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA211NQ0R20C22A8000000/

 ※ 良記事だ…。

 ※ 冷静に、丁寧に分析している…。

 ※ お互いに、どういう「立ち位置」で、どういうことを「考えている」のかが分かる内容だ…。

『日中両政府が17日に開いた高官協議は異例ずくめの形式だった。夕食を含めて7時間にわたりながら、両国が公表した画像は握手やグータッチの場面ではなく距離を置いて棒立ちする写真だけ。背後に国旗もなく、発表は会談の翌日となった。

17日午前8時前、羽田空港を1機のチャーター便が離陸した。搭乗していたのは秋葉剛男・国家安全保障局長。行き先は会談相手の中国外交トップ、楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員が執務する北京ではなく隣接する天津だった。

新型コロナウイルス禍で中国は北京に厳しい防疫体制を敷いており、外国要人との会談は別の都市で開いている。

会談場所の天津は新型コロナの影響で日本からの直行便が限られている。外部と接触を遮断する感染対策「バブル方式」をとる必要もあり、主に民航機で移動する安保局長がチャーター便で渡航せざるを得なかった。

この2週間前、中国はカンボジアで調整していた外相会談をキャンセルしたばかりだった。ペロシ米下院議長の台湾訪問を受けて中国が軍事演習をしたことに日本を含む主要7カ国(G7)が非難声明を出したからだと説明した。

会談を呼びかけたのは中国側で、ペロシ氏の訪台前だった。台湾問題で関係が悪化しても、新型コロナによる物理的な制約があっても、秋葉氏とは予定通り会った。秋葉氏との協議を外相会談より重視したのはなぜか。

「第9回ハイレベル政治対話」。中国は今回の会談をこう呼ぶ。

中国で外交戦略を判断するのは外務省ではなく共産党中央外事工作委員会。その事務局長といえる弁公室主任の楊氏は王毅(ワン・イー)外相よりも格上の政治局員だ。楊氏と日本の安保局長との会談を「ハイレベル政治対話」と位置づける。

中国は安倍晋三政権だった2015年ごろ、安保局長を首相へ確実にメッセージを伝えられるパイプだと判断したという。内閣改造で交代の可能性がある外相よりも安定した関係を築きやすいとも考えた。

16年以降、習近平(シー・ジンピン)国家主席との首脳会談はおおむねその3カ月前以内に安保局長と楊氏が会って下準備をしてきた。

今回の協議についても両国は首脳同士の対話を議題にしたことを示唆する。中国側の発表資料に「対話と意思疎通を継続する」、日本側に「重層的な意思疎通の重要性で一致」との表現がある。

林芳正外相は19日の日本経済新聞とのインタビューで会談実現に向け「具体的に検討する」と語った。

「我々の最優先事項は党大会の成功だ。そのための対米関係を考えるなかで日本とどう付き合うかを判断する」。中国で対日政策にかかわる共産党員は語る。

習氏の総書記3期目がかかる党大会を秋に控え、中国側は対外関係を安定させたい。その際に日本が台湾問題でどこまで米国と歩調を合わせるつもりかを確認する必要があるという。

日中は9月末に国交正常化50年を迎える。習氏は両国関係を安定させる節目として重視する発言をしてきた。一方で、中国側には党大会前に日本と接触した後、日本が台湾支持で突出した動きをされては困るという不安もある。

中国にとって日本は接近しすぎれば強硬派や世論から突き上げを受ける国だ。日本との対話を志向しつつ、疑念も抱える結果が、握手や国旗のない写真に表れた。これまで楊氏と安保局長の会談の多くは国旗を背に握手する写真を撮ってきた。

日本側にも安倍晋三元首相が死去した後、岸田文雄首相が対中政策を緩めないか警戒する声がある。お互いに相手国への世論を警戒する状況だ。

国交正常化50年というタイミングは首脳が対話するきっかけの一つになり得るものの、実現に向けた機運が高まっているわけではない。

新型コロナも調整を難しくする一因になる。習氏は新型コロナの感染が拡大した20年1月以降、一度も海外に出ていない。感染防止のためとされる。

海外訪問の解禁は党大会が終わった後、11月にインドネシアで開く20カ国・地域首脳会議(G20サミット)への出席になるとの見方がある。

日中の首脳対話を巡って時期を急ぐならオンライン形式、そうでなければ第三国でという案が浮上するゆえんだ。いずれも両国の内政状況や台湾情勢と連動した調整になる。(永井央紀)

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中国計画停電、日本企業に影 トヨタなどの工場休止

中国計画停電、日本企業に影 トヨタなどの工場休止
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1822L0Y2A810C2000000/

『猛暑による電力需要の急増で中国の現地政府が計画停電を実施し、進出する日本企業が相次ぎ工場の稼働を停止している。内陸部の四川省成都市でトヨタ自動車が完成車生産を止めたほか、重慶市ではパナソニックやデンソーも工場の稼働を休止した。小売業も時短営業や照明を落とすなど節電対応に追われた。

重慶市は15~24日まで、成都市は15~20日までの稼働停止を企業に命じた。工場が立地する場所や取引先によって計画停電の内容は異なるが、中国に進出する日系企業が対応に追われている。トヨタ自動車は成都にある中国企業との合弁工場で主力セダンなどを生産しているが、地元当局の要請を受けて15日から稼働を止めた。

自動車やパソコンなどの工場が集積する重慶でも同様の動きが相次いでいる。パナソニックは17日から部材工場の稼働を休止した。再開時期などについては「今後も当局の指示に従っていく」(同社)とする。デンソーは15日から、一部の部品工場で生産を休止した。顧客への供給は続ける。「供給先の稼働状況などを踏まえて再開時期を検討したい」(同社)という。

汎用エンジンなどを生産する工場を持つホンダは21日まで夏季休暇で稼働休止を予定するが、同日以降は「政府指示や電力状況を踏まえて判断する」と停止継続も視野に入れる。

メーカー以外にも影響が広がる。セブン&アイ・ホールディングス傘下のイトーヨーカ堂は、節電要請を受け成都の店舗で店内照明を通常の3分の1にしたり、エアコンの設定温度を26度から28度に変更したりするなどの対応に追われた。市中心部に近い店には一段の節電要請が出ており追加対応も検討中だ。
成都市内のイトーヨーカドーは照明を落とすなど節電をして営業している

三越伊勢丹ホールディングス出資の台湾合弁会社などが運営する商業施設「新光天地」は18日から、重慶店と成都店で通常は午前10時の開店時間を1時間遅らせ、閉店時間も通常の午後10時から30分~1時間早める時短営業に踏み切った。

四川省と重慶に約700店あるローソンは、冷房を夏期は通常25度設定を推奨しているのを、節電要請を受け26度以上に変更した。

中国では最高気温がセ氏40度を超える日も目立つなど猛暑が続く。エアコンの利用などが増え電力不足に陥るリスクも高まっている。四川省などの現地当局は家庭用電力を確保するため管轄内の工場に生産の一時休止を要請した。

現状では8月下旬には製造業の生産活動が再開する見込みだ。米コンサルティング大手、アリックスパートナーズの鈴木智之マネージングディレクターは「都市封鎖(ロックダウン)と異なり、1週間程度の生産停止であれば大きな影響は出ないだろう」とみる。自動車産業を中心にした供給網の混乱を受け、各社が在庫の積み増しなどで備えているためだ。

一方で、「長期化すればリスクは高まる」とも指摘し、頻繁に起こる中国での電力制限への懸念も示す。

(四川省成都=多部田俊輔、湯前宗太郎、吉田啓悟)

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青山瑠妙
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 教授
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ひとこと解説

今年の猛暑で四川省と重慶の電力不足が日系企業を含め社会経済活動に大きな支障をもたらしている。こうした中で高まっているのは内陸部での原発建設の議論。四川省は地震の発生しやすい地域とも言われている。電力需給逼迫で原子力発電所の建設が加速されるのか。中国に近い日本としても関心を持って注視していくべき問題だ。
2022年8月19日 7:26
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東京財団政策研究所 主席研究員
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ひとこと解説

中国では、もともと気温が37度に達すると、工場が生産停止になる決まりがあった。気象台は気温が37度に達しても、37度と発表したがらない。しかし、今年は40度を超える日があって、正しい気温を発表するしかない。一方、電源構成はベースロードの発電所が多い。高温になると、ピークロードの電力供給が足りなくなる。産業用電力を停止することは正しい選択。生活用電力を停電すると、命を落とす人が出てくる。電力供給のベストミックスを再認識する必要がある。日本にとって対岸の火事ではないはずである
2022年8月19日 7:57 』

拠出総額約3兆6600億円: 対中国ODA 42年の歴史に幕

拠出総額約3兆6600億円: 対中国ODA 42年の歴史に幕
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00828/

『 1979年から始まった中国への政府開発援助(ODA)は2022年3月で終了した。42年の長きにわたって続けられたODAはどのように拠出され、どう活用されたのか。その歴史と意義について総括する。
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ODAは事実上の戦後賠償

日本が中国に対して行なっていたODAが2022年3月末、42年間の歴史に幕を下ろした。ODAは中国の経済発展を支えて日中の結びつきを強めた半面、援助を続ける必要性や中国政府が国民への周知を怠っていることなどを巡って批判も受けてきた。

外務省国際協力局と国際協力機構(JICA)によると、42年間で、日本が低金利で長期に資金を貸す「円借款」が約3兆3165億円、無償でお金を供与する「無償資金協力」は約1576億円。このほか日本語教師派遣などの「技術協力」約1858億円を合わせて拠出した総額は、約3兆6600億円にのぼる。円借款については、中国から予定通りに利子を含めて返済されており、最後の返済期限は2047年という。

対中ODAが始まったのは1979年。同年9月に訪日した谷牧副総理が日本政府に対し、8件のプロジェクトからなる総額 55.4億ドルの円借款を要請。日本は中国が78年に改革開放政策に踏み切ったことを踏まえ、79年12月に大平正芳首相が訪中し、「より豊かな中国の出現がよりよき世界につながる」と述べ、79年度から支援を開始。これが中国に対して西側から初めて供与されるODAとなった。

北京空港で出迎えの華国鋒・中国首相(右)と握手する大平正芳首相(中国・北京)1979年12月5日(時事)
北京空港で出迎えの華国鋒・中国首相(右)と握手する大平正芳首相(中国・北京)1979年12月5日(時事)

日本が踏み切った背景には、中国が戦後賠償を放棄した「見返り」との性質もあったとされる。大平元首相の孫で、一般社団法人日中健康産業振興協会副会長の森田光一氏によると、首相は当時、娘婿で元運輸大臣の森田一氏(光一氏の父)に「対中ODAには戦争の償いという意味合いがあり、中国が戦後賠償を放棄する代わりに日本が経済援助をするものである。ただし、いずれ中国は経済大国となり、日本を凌駕(りょうが)するだろう。そうなれば日中外交は相当難しくなる。日本はその覚悟を持って支援しなければならない」と話していたという。

日本政府が単なる途上国援助ではなく、事実上の戦後賠償と位置づけ、改革開放政策の後押しが、アジアひいては世界の安定につながると考えていたことがうかがえる。

大平元首相の予言どおり、中国は飛躍的な成長を遂げ、2010年には国内総生産(GDP)で日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。さらにアフリカなどに戦略的な開発援助を始め、右肩上がりで軍拡を進めるなど、軍事大国の道も歩み続けている。日本政府が発展途上国を脱した中国に「(途上国支援の)一定の役割を終えた」として無償資金協力に終止符を打つのは06年。07年には円借款を打ち切った。

しかし、それ以降も技術協力は続けた。21世紀には日本への影響も懸念される大気汚染を中心とした越境公害や感染症、食品の安全など中国との協力の必要性が認められる事業や中国進出日本企業が円滑に活動するため中国の法律に関する事業などで支援が続けられた。
国際空港や総合病院建設にも貢献

援助の内容は、80年代初期は港湾や発電施設などインフラ支援が主で、90年代からは地下鉄建設や内陸部の貧困解消、環境対策など、時代が進むにつれて変わっていった。特に80年代には円借款による鉄道、空港、港湾、発電所、病院などの多くの大規模インフラが日本の支援で整備され、改革開放政策を支え、近代化に貢献。中国が経済成長し、世界第2の経済大国となる道筋をつけた。

84年、北京に建設された中日友好病院がその一つだ。81年から83年度まで無償資金協力として約165億円が投じられ、最新の医療器材が導入され、81年から92年、94年から95年まで医師、看護師、臨床技師らへ医療技術を移転し、医療サービスも日本式となる近代的総合病院を建設した。03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)発生時には、重症患者受け入れ指定病院となり、08年の北京五輪では政府公認の指定病院となるなど中国を代表する総合病院となった。

医療サービスも日本式を導入した近代的総合病院として1984年、北京に建設された中日友好病院(左)。2003年、広東省を起源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染が流行した際、同病院内の集中治療室(ICU)での防護服の使用法を指導する日本人専門家(右端) 提供:JICA
医療サービスも日本式を導入した近代的総合病院として1984年、北京に建設された中日友好病院(左)。2003年、広東省を起源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染が流行した際、同病院内の集中治療室(ICU)での防護服の使用法を指導する日本人専門家(右端) 提供:JICA

90年代には、新たな開発課題として北京国際空港を整備した。93、95、96年に300億円の円借款を投じて国際線、国内線用の旅客ターミナルビル、貨物ターミナルビルを新設し、旅客処理能力が300万人から3600万人となり、世界有数の国際空港に生まれ変わった。

90年代に空の玄関として整備された北京国際空港 提供:JICA

また、感染症対策として世界保健機関(WHO)が定めた「西太平洋地域(日本や中国、フィリピンを含むアジア太平洋の37の国と地域)」におけるポリオ(急性灰白髄炎・小児麻痺)の撲滅にも日本のODAは寄与している。この西太平洋地域におけるポリオの患者総数の実に85%を中国が占めた時期があったが、90年から日本が技術協力を行ない、93年から無償資金協力など7億円が供与されたことで、中国はもちろん、西太平洋地域全域でポリオは撲滅された。

2000年代には、日本の技術による内陸部の社会開発支援として重慶のモノレール建設がある。93年に技術協力として山が多く起伏の激しい重慶市の公共交通機関としてモノレールを提案。01年に271億1千万円の円借款を供与して日立製作所が市中心部約13.5キロにモノレールを完成させ、交通渋滞と大気汚染が著しく改善された。

2001年に重慶市の公共交通機関として日本の技術で建設されたモノレール 提供:JICA

2001年に重慶市の公共交通機関として日本の技術で建設されたモノレール 提供:JICA
同上 提供:JICA

21世紀の技術協力に、国境を越えて飛来する微小粒子物質PM2.5の大気汚染問題がある。12年から16年に汚染排出源の中国の鉄鋼業3社に対して、日本企業が日本の計測器を使用した大気中の窒素酸化物を総量規制する改善法を指導、実現した。

また、86年から2015年度末までに中国全32州に医療・保健、農業などで約830人のボランティアを派遣、草の根レベルで技術協力事業などを進め、相互理解も進んだ。

しかしながら、支援で建設された施設のほとんどで日本側が働き掛けるまで中国政府は日本の支援について国民に周知していない。北京国際空港など一部では、日本の援助を示す銘板が掲示されているが、大部分で日本の表示がなく、「日本の貢献を知る中国の一般国民は少ない」。戦後賠償の代替と捉えた中国政府が「日本の支援は当然」と周知しなかったことが原因とされる。

北京国際空港に設置された日本の支援を示す銘板 提供:JICA

日本では、日本から援助を受けながら、その一方で他の途上国に戦略的な支援を行った中国に、「日本の支援が中国の市民に知られていない」との不満が高まった。日本のODAが改革開放政策を支え、中国の近代化に貢献したことを日中両国の国民が正しく理解しなければ、真の日中友好は生まれないとの懸念からだ。
安倍元首相の決断で歴史に幕

ズルズル続いた支援の終了を決断し、終止符を打ったのが安倍晋三元首相だった。2018年10月、公式訪中した安倍氏は、日中平和友好条約発効40周年行事で、「中国は世界第2位の経済大国に発展し、(ODAは)その歴史的使命を終えた」と述べ、18年度から始まる技術協力の新規案件を最後に終了する意向を伝えた。この18年度の案件が22年3月で終わり、対中ODAは完全に終了した。

安倍氏は、「新たな時代にふさわしい新たな次元の日中協力の在り方について大所高所から胸襟(きょうきん)を開いて議論したい」と未来志向を語り、日中関係安定化に意欲を示し、ODAに代わり、第三国での開発について中国と協議する「開発協力対話」の発足を目指すと述べた。第三国での開発協力は中国が提唱する経済圏構想「一帯一路」への協力にも映り、中国の李克強首相は、「日本の積極的な参加を歓迎する」と呼びかけた。

日本側は、「一帯一路ではなく、個々のプロジェクトで協力する」(外務省幹部)との立場を表明。安倍氏が掲げた「自由で開かれたインド太平洋戦略」と一帯一路は安全保障面で対抗する側面もあり、そのバランスを取る思惑から一帯一路への関与は否定した。

外務省国際協力局によると、習近平国家主席と首脳会談で次のようなやりとりがあった。

「安倍総理(当時)からは、対中ODAの新規供与終了を踏まえ、今後は開発分野における対話・人材交流や地球規模課題における協力を通じ、両国が肩を並べて地域・世界の安定と繁栄に貢献する時代を築いていきたい旨を述べました。これに対して、習主席からは、日本のODAによる貢献を高く評価する旨述べた上で、こうした協力について前向きな発言がありました」

習氏から日本のODAへの高い評価と前向きな発言を引き出したことは、安倍氏が対中外交で遺(のこ)した功績の一つと言っていい。だが、習氏の具体的文言はつまびらかにされていない。事実上の戦後賠償である日本のODAが中国の経済発展に貢献した事実を中国の国民が正しく理解しない限り、日中友好親善は実現できない。そのためにもいつか習氏の言葉も明らかにされることを願わずにはいられない。

バナー写真:日本の対中国ODAで整備された施設前で地元幹部(左)に感謝される丹羽宇一郎駐中国大使(当時)=2011年06月24日、中国新疆ウイグル自治区アトシュ市(時事)

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中国 ODA 政府開発援助

岡部 伸OKABE Noburu 経歴・執筆一覧を見る

産経新聞論説委員。1981年立教大学社会学部卒業後、産経新聞社に入社。社会部記者として警視庁、国税庁など担当後、米デューク大学、コロンビア大学東アジア研究所に留学。外信部を経てモスクワ支局長、東京本社編集局編集委員、2015年12月から19年4月までロンドン支局長を務める。著書に『消えたヤルタ密約緊急電』(新潮選書/第22回山本七平賞)、『「諜報の神様」と呼ばれた男』(PHP研究所)、『イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭』『新・日英同盟』(白秋社)『第二次大戦、諜報戦秘史』(PHP新書)など。』

秋葉国家安全保障局長 中国 楊氏と会談

秋葉国家安全保障局長 中国 楊氏と会談 台湾情勢めぐり7時間
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220818/k10013776501000.html

『台湾海峡の緊張が高まる中、秋葉国家安全保障局長は、中国の外交を統括する楊潔※チ政治局委員と17日夜遅くまで、7時間会談し、中国の軍事演習に抗議するとともに、地域の平和と安定の重要性を重ねて伝えました。

台湾海峡をめぐっては、アメリカのペロシ下院議長の台湾訪問に反発した中国が大規模な軍事演習を行うなど緊張が高まっていて、発射された弾道ミサイルの一部が日本のEEZ=排他的経済水域の内側に落下するなど、日中関係にも影響が及んでいます。

こうした中で、秋葉国家安全保障局長は、中国側の招請に応じて、きのう午後、北京に隣接する天津で、中国の外交を統括する楊潔※チ政治局委員と会談しました。

会談は、17日夜遅くまで、7時間に渡りました。

この中で秋葉局長は、最近の台湾情勢について、中国による大規模な軍事演習を非難し、抗議するとともに、台湾海峡を含む地域の平和と安定の重要性を重ねて伝えました。

一方で、両氏は、日中国交正常化50周年の節目を来月控えていることも踏まえ、両国間の重層的な意思疎通が重要だという認識で一致しました。

そして、対面による対話が価値あるものであることを再確認し、両国の「建設的かつ安定的な関係」の構築に向けて対話を継続していくことで一致しました。

※チ=竹かんむりに褫のつくり。』

中国、反日感情高まりの兆し 関連イベントも中止に

中国、反日感情高まりの兆し 関連イベントも中止に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM072DD0X00C22A8000000/

『【北京=羽田野主】中国で反日感情がくすぶっている。7月に南京市内の寺院で南京事件に関連して戦犯として処刑された日本軍人の位牌(いはい)が奉納されていたとの告発があり、インターネット上で猛反発が巻き起こった。日中は9月に国交正常化50年を迎えるが、日本を連想させるようなものに批判が集まるなど、反日感情が高まる兆しも出ている。

「だれの仕業だ?」。7月下旬、日本軍人の位牌奉納についてSNS(交流サイト)などで騒ぎが起き、南京市の共産党委員会と市政府が動く事態に発展した。寺の尼僧は逮捕された。

7月末には北京市の地下鉄駅で昔の北京の市場を表現したとされる壁画が「中国人ではなく日本人に見える」「画風が日本の浮世絵のようだ」として物議を醸した。

日本の夏祭りをイメージしたイベント「夏日祭」も、東北部の遼寧省から南の雲南省の一部の都市まで次々と中止に追い込まれた。安倍晋三元首相が死去した際には「今日はお祝いだ」「狙撃者は抗日英雄」と心ない書き込みがSNSにあふれ、いまも放置されたままだ。

反日感情が高まりやすいのは習近平(シー・ジンピン)指導部が対日強硬姿勢を維持してきたためだ。日米両政府が「台湾海峡の平和と安定」を唱えるたびに中国外務省は「内政干渉だ」と猛反発してきた。

ペロシ米下院議長の台湾訪問も重なり、習指導部の対日姿勢がさらに強まる可能性もある。中国共産党の機関紙、人民日報は15日付の重要コラム「鐘声」で「日本はかつて台湾を不法占拠し、60万人以上の台湾同胞を殺害した」と主張。「言動を慎むべきだ」と強調した。

中国外務省の鄧励外務次官は4日、日本の垂秀夫駐中国大使を緊急に呼び、台湾情勢に関する主要7カ国(G7)の共同声明を発表したことに抗議した。大使の呼び出しは異例で、習氏が自ら決裁した場合に可能とされる。

8月上旬の東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会合で林芳正外相の発言中に王毅(ワン・イー)国務委員兼外相は途中退席した。中国外務省の華春瑩報道局長は5日の記者会見で「日本の指導者は最近、台湾問題でも態度が悪く、中国人の不満を買っている」と批判した。

中国は秋に共産党幹部の人事を決める党大会があり、3期目を確実にしたい習氏は日本に弱腰とみられたくないのが本音とみられる。

国交正常化40年だった2012年には民主党政権が尖閣諸島の国有化を決め、胡錦濤(フー・ジンタオ)政権(当時)が猛反発。国交正常化を祝う式典は吹き飛んだ。政治的に最も敏感な時期がまた近づき、習指導部も神経質になっている。

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川島真
東京大学大学院総合文化研究科 教授
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分析・考察

日本側に「身に覚え」があれば反日運動も「理解」可能だが、中国が自ら「問題」を設定し相手がそれを無視すると怒り出すなら、相手は反応できない。中国は、蔡英文政権を独立志向と見て、日本がその背後にいると見る。また、日本は50年台湾を統治し、現在も台湾に野心があると警戒し、日米が連携しているとする。だからこそ、アメリカが動くと中国の視線は日本に釘付けになる。だが日本側からすればこの独自の理論は理解困難だ。歴史認識どころか現状理解も日中でここまで異なれば対話も難しい。人事を控え、国内宣伝を強化して言説が保守化しているのだろうが、それが国境の外に溢れ出ても外国は受け入れられない。外国は国内とは異なるのだ。
2022年8月16日 8:10 』

中国、靖国参拝に反発 副報道局長「誤った態度だ」

中国、靖国参拝に反発 副報道局長「誤った態度だ」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM156GX0V10C22A8000000/

『【北京=羽田野主】中国外務省の汪文斌副報道局長は15日の記者会見で、岸田文雄首相が靖国神社に玉串料を奉納し、閣僚も相次ぎ参拝したことについて「歴史問題を扱ううえで日本政府の誤った態度を改めて映し出した」と反発。抗議のため日本側に申し入れをしたと説明した。

汪氏は「日本は歴史の教訓をくみ取り、軍国主義をたちきり、アジアと国際社会の信頼をさらに失うのを避けるべきだ」と主張した。

在日中国大使館も報道官談話で「強い不満と断固とした反対」を表明した。「靖国神社は日本の軍国主義による侵略戦争の象徴」と指摘。「侵略戦争を美化し、歴史認識をねじ曲げる行為をやめる」よう日本側に求めた。』

岸田首相と米ペロシ下院議長 会談 台湾海峡平和維持で連携確認

岸田首相と米ペロシ下院議長 会談 台湾海峡平和維持で連携確認
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220805/k10013754861000.html

『岸田総理大臣は、アメリカのペロシ下院議長と会談し、台湾情勢をめぐって、中国が発射した弾道ミサイルが日本のEEZ=排他的経済水域の内側に落下したことを強く非難し、両氏は、台湾海峡の平和と安定を維持するため、日米両国で緊密に連携していくことを確認しました。

岸田総理大臣とペロシ下院議長は総理大臣公邸でそろって記念撮影に臨んだあと、5日8時からおよそ1時間、朝食を交えながら会談しました。
この中で岸田総理大臣は、安倍元総理大臣が銃撃され、亡くなったことを受けて、アメリカ側から弔意が示されたことに対し、謝意を伝えました。

そして、日米同盟の強化や自由で開かれたインド太平洋の実現に向けた取り組みなどをめぐって意見が交わされ、岸田総理大臣は、ペロシ議長のリーダーシップとアメリカ議会の支援に期待を示しました。

また両氏は、中国や北朝鮮、そしてロシアによるウクライナ侵攻などの地域情勢や「核兵器のない世界」の実現などについても意見を交わしました。

このうち台湾情勢をめぐって岸田総理大臣は、中国が軍事演習で発射した弾道ミサイルの一部が日本のEEZ=排他的経済水域内に落下したことは、日本の安全保障と国民の安全に関わる重大な問題だとして、中国を強く非難し、抗議したと説明しました。

そのうえで、地域や国際社会の平和と安定に深刻な影響を与えるものだとして中国側に軍事演習を
即刻中止するよう求めたことを伝えました。そして両氏は、台湾海峡の平和と安定を維持するため、引き続き、日米両国で緊密に連携していくことを確認しました。』