コロナ感染、なぜ急減 専門家に聞く
舘田一博氏/黒木登志夫氏/松浦善治氏/仲田泰祐氏
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD227SS0S1A021C2000000/
『新型コロナウイルスの国内感染者数が急減している。1日2万人を超える新規感染者が報告された8月から状況は一変した。ワクチン接種が進んだ他の国の感染再拡大も伝わるなかで、足元では日本の減り方が際立っている。急減の理由は何か、今後はどうなるのかを専門家に聞いた。
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一時的に強い集団免疫 東邦大教授 舘田一博氏
たてだ・かずひろ 長崎大医学部卒。日本感染症学会前理事長。政府の新型コロナ関連分科会や厚生労働省の助言組織で委員を務める
「第5波」の感染者急減は一つの要因で説明できないような現象が起きた。いろいろ要因があるが、私はワクチンの効果と基本的な感染対策の徹底が非常に強く出たためと考えている。
新型コロナウイルスのワクチンは2回目接種から約2週間後に効果が強まり、次第に下がっていく。7月から64歳以下の人の接種が急激に進み、ワクチンの効果が最も強い状態の数千万人の集団ができた。
ちょうどデルタ型で感染が拡大した時期と重なり、若い人を中心に多くの人が感染した。若い人は感染しても無症状かほとんど症状のない「不顕性感染」が多く、実際には検査で感染が確認された人の3~4倍は感染者がいただろう。
ワクチン接種が急速に進み、同時にタイミングよく不顕性感染を含めて免疫を持つ人が急増したことで国内で一時的な集団免疫効果が強く表れ、8月半ば以降に感染者が急減した可能性があるのではないか。
英国やイスラエルなどワクチン接種が先行した国では、ワクチン効果による免疫力が弱まっていた時期にデルタ型が流行し、接種した人も感染する「ブレークスルー感染」が増えた。日本も早く接種が進んでいれば同じような状況になったかもしれない。
さらに日本は基本的な感染対策が文化として定着しつつある。マスクを着用し、密集を避け、十分換気する。緊急事態宣言解除後も会食を控えるなど対策を一気に緩めていない。人出は増えても多くの人々が用心し続けていることが感染者数を少なくしている。
新型コロナワクチンの効果は6~8カ月とみられる。先行接種した医療関係者や高齢者などへの追加接種は12月以降に始まる見込みで、たまたま感染が拡大しやすい冬場と重なり、高い効果が期待できる。
季節性インフルエンザは秋にワクチンを接種して冬場に備える。新型コロナワクチンも接種率だけでなく、今回のように接種するタイミングも重要だろう。多くの人に一気に接種するスピードも求められる。第5波の教訓を生かした備えが不可欠だ。
(聞き手は社会保障エディター 前村聡)
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日本独自の型で変異か 東大名誉教授 黒木登志夫氏
くろき・としお 専門はがん研究。日本学術振興会学術システム研究センター顧問。新型コロナの独自分析をネットなどで発信する
デルタ型ウイルスは新規感染者数の増え方も減り方も指数関数的だ。公表データから夏の「第5波」について計算すると、東京では8月下旬~11月1日にかけての下降期に新規感染者数が8.6日で半減のペースで急降下した。減少率は99.9%と、あり得ないような数字だ。このまま行けば12月上旬には1人になる。
感染のピークが何度も現れるのは世界共通だ。1918~20年のスペイン風邪の流行をはじめ、天然痘やポリオ、麻疹でも明瞭なピークを繰り返した。この現象は数理モデルで説明できるが、それにしてもデルタ型の増減は急すぎる。
専門家らで構成する政府分科会の尾身茂会長は、いくつか原因をあげた。人流が減ったほか、自宅療養中の患者の死亡報道などを受けて人々が対策を強めたというが、新規感染者の下降の加速を説明しきれない。
医療従事者へのワクチン接種により、院内感染や介護施設のクラスター発生を防げるようになった面もあろうが、それだけではこれほど減少しない。気象条件は夏でも冬でも流行するので関係なさそうだ。
ワクチンの効果については、2回接種を完了したうちの約2割が「ブレークスルー感染」を経験する。接種率60%の段階では感染予備軍が人口の52%になる計算で、新規感染者数は高止まりしたはずだ。
では何が原因か。デルタ型は変異を繰り返し、より感染力が強いものに置き換わっていった。すでに天然痘や水ぼうそう並みの、これ以上はないような感染力を獲得している。
特に国内では日本独自のデルタAY・29型が第5波の主流で、これが収束に向かったのではないか。仮説だが、ある遺伝子領域に変異が追加され、感染性が失われるといったことが起きている可能性がある。
今後、新たな感染の波が起きるとしたら、デルタ型とは異なる新しい変異ウイルスが入ってきたときだろう。すぐ検出できるようにPCR検査とゲノム解析を増やすべきだ。ここ1、2カ月が大切だ。大学が参加するコンソーシアムをつくって迅速に解析し、データを全世界に公開するのがよい。
(聞き手は安藤淳)
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変異重ねた末に自滅も 阪大特任教授 松浦善治氏
まつうら・よしはる ウイルス学を研究。日本ウイルス学会理事長。阪大が4月に新設した感染症総合教育研究拠点のトップに就いた
新型コロナウイルス感染症の新規患者数が日本で急減した理由は分からない。ワクチン接種が進んだことが指摘されがちだが、海外でも接種が遅れたインドネシアで患者が減り、タイやロシア、英国は増えてきた。ワクチンだけでは説明できない。
患者の急減はウイルス側に理由があるのかもしれない。様々なウイルスのうちで、遺伝情報をRNA(リボ核酸)に載せた「RNAウイルス」は変異を起こしやすい。新型コロナもその一種だ。変異を盛んに起こすことで様々なタイプができ、一部が人間の免疫の仕組みやワクチン、治療薬の攻撃をすり抜けて増える。
強い感染力を持つ新型コロナのデルタ株はあまりに多くの変異を起こしすぎ、人間に感染した時に増えるのに必要な物質を作らせる遺伝情報が壊れるなどして、自滅しつつあるのかもしれない。以前に優勢だった株は、デルタ株の流行に押されて勢力を弱めた。
新型コロナの流行が今後どうなるかは見通しにくい。冬に流行するインフルエンザのような季節性はあまりなく、これからも新たな変異株が現れるだろう。
従来型のコロナウイルスには、季節性の風邪を起こす4種類がある。これらは80~800年前に人間の間で定着した。もともとはコウモリかネズミに感染していた新型コロナウイルスが、人間で流行して約2年。ウイルスが人間とどう折り合いを付けるかの過渡期にある。
ウイルスはRNAやDNAが入った微小なカプセルで、生物ではなく、意思も持たない。もともとは野生動物や家畜に静かに感染していたウイルスが、人間の間で流行すると人獣共通感染症になる。新型コロナのほか、2003年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)や、鳥インフルエンザもそれに当たる。
人間が自然を破壊し、それまで森林の奥深くなどにいた動物と密に関わる限り、こうした新しい感染症は続々と現れるだろう。新たな流行を見越して、感染症に詳しい医師や看護師の育成や、正しくわかりやすい情報を発信する体制づくりを進める必要がある。
(聞き手は草塩拓郎)
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行動制限の効果は不明 東大准教授 仲田泰祐氏
なかた・たいすけ 専門はマクロ経済学。計量モデルに基づくコロナの分析や見通しを定期的に公表する。元FRB主任エコノミスト
8月後半からの感染者減は多くの人の想定を超える速さだった。人流は8月前半と比べて減っておらず、指標によっては増えていた。ワクチン接種の効果は7月から働いており、人流とワクチンだけで8月後半の急減は説明しにくい。
我々は3つの要因を分析した。1つ目はデルタ型の感染力が想定以上に小さかった可能性だ。7月後半の急拡大を見てデルタ型はアルファ型の1.5倍と設定して感染見通しを立てた。再検証すると現実に近かったのは1.2倍とした試算だ。見通しと現実の差には個人の免疫力の違い、生活や仕事を共にするコミュニティーから外への広がりにくさなども影響している。
2つ目は人々のリスク回避傾向だ。報道で医療逼迫を知り、感染しやすい行動を避ける傾向が強まった可能性がある。重症病床の使用率上昇や、カラオケに関するツイッターの書き込みの減少は実証的に8月の急減を説明できる。他方、医療逼迫が解消した10月以降も感染者数が減った。説明可能な期間は限定される。
3つ目は周期性だ。過去の動向は120日周期の波で統計的には説明できる。
問題はなぜ周期が生まれたかだ。新しい変異型が生まれることが理由であれば、今後の感染は増えにくいと言える。今のところデルタ型を超える感染力の強い変異型は出ていないからだ。だが、人々の警戒心が理由なら、警戒心が薄れることで再び感染増に転じる可能性がある。
追加的な人流抑制をしなくても感染が急速に減少することがあるというのが、この夏の最大の教訓だ。ロックダウンは学校教育、飲食・宿泊やイベントなど、幅広い分野で社会的、経済的なコストが生じる。行動制限は政策手段として排除すべきではないが、効果には不確実性があり、慎重に検討すべきだ。
感染急増が起きた7~8月には、感染抑制策をどの程度厳しくするかを巡って、政策決定者と科学者の間で摩擦が生じたように見えた。科学者側で政策決定者を動かすような説得力のある分析ができていたかを検証することも必要だ。
(聞き手はマクロ経済エディター 松尾洋平)
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〈アンカー〉世界の知恵借り原因解明を急げ
新型コロナの感染が下火になり、安堵感が漂う。外出する人が増え、飲食店にも活気が戻ってきた。だが、どこか気持ち悪いのは、感染者が急減した理由がはっきりしないからだ。厚生労働省の助言組織によると、今あるデータだけでは不十分だが、ではどんなデータを集めればよいかも明言できないという。
政府は冬にかけての「第6波」に備え、万全の対策をとるとしている。飲食店の時短営業などを漫然と繰り返すのではなく、狙いを定めて対策の効果を最大化するためにも原因の解明は欠かせない。
分析結果を世界に発信すれば、瞬く間に様々な分野の専門家から反応が返ってくるだろう。そこから新たな対策のヒントが生まれ、国際貢献にもつながる。科学的な知見をしっかり積み上げ、感染状況に応じた社会・経済活動に役立てることが大切だ。
(編集委員 安藤淳)』
多様な観点からニュースを考える
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仲田泰祐
東京大学大学院経済学研究科 准教授
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ひとこと解説
インタビューして頂きました。
発言の根拠は先月公表した「東京での感染減少の要因:定量分析」です。
この分析は明日の厚労省アドバイザリーボードで発表させて頂きます。
様々な推測・仮説が存在しますが、定量的な分析を行うと、多少ですがどの説が有力であるかに関して気付きが得られることがあります。
紙面の都合上インタビューでは「重要かもしれない」という結果が出た仮説しか挙げられていませんが、レポートでは「あまり重要そうではない」という結果が出た仮説もご覧になれます。
より多くの専門家が様々な仮説の定量的重要性をデータとモデルをもとに色々な手法で検証することで、多少は理解が深まると考えています。
2021年11月8日 9:59
竹内薫のアバター
竹内薫
サイエンスライター
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別の視点
この記事を読んで、専門家が感染急減について、どう考えているかがよくわかりました。
仮説1 ワクチン接種が進み、気が付かず感染していた人も多かったし、日本は感染防止対策の意識が強いから、一時的に「集団免疫状態」となった。
仮説2 デルタ型に日本でだけ「遺伝的な変異」が起きて自滅した。
他にも可能性はあるのでしょうが、要因を特定するためにどのようなデータを集めればよいかがわからないとは…新型コロナの複雑さ、厄介さを象徴していますね。
2021年11月8日 10:19
花村遼のアバター
花村遼
アーサー・ディ・リトル・ジャパン パートナー
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ひとこと解説
最近、コロナの急激な収束の要因がウイルスのゲノム変異修復酵素(nsp14)への変異によるコロナの「自滅」説がささやかれていますが、個人的にはかなり疑問を持っています。
①ウイルスの生存に不利な変異が入った株については、変異が入らない元々の株が優位になっていくだけであり、なぜnsp14の変異の入っていない元々のデルタ株が残らなかったのか、
②日本以上に感染が爆発した海外ではなぜ同じ変異が入り自滅しなかったのか、などの疑問が残ります。
現時点では、オーソドックスにワクチンの効果と公衆衛生意識の高い行動により、局所的な強い集団免疫の獲得と考えるのが妥当かと考えています。
2021年11月8日 8:44 (2021年11月8日 9:02更新)
新井紀子のアバター
新井紀子
国立情報学研究所 教授
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別の視点
まったくの門外漢だが、コロナウイルスの新規感染者数のグラフを見ていると、どの流行時期も左右ほぼ対称の形状をしていることが興味深い。
第五波では、急激に増加し急激に減少した。一方、ゆるやかに増加した第三、第四波のときはだらだらと時間をかけて減少した。
変異株の登場など「ウイルス側の事情」で新規感染者数の増加率が変わるのは、わかる。だが、人の行動原理や、病院や保健所などハードの部分は急には変わらない。記事を読んでも、「左右対称」が偶然なのか必然なのか、なぞのまま残った。
2021年11月8日 8:56
坂田亮太郎のアバター
坂田亮太郎
日経BP 「日経バイオテク」編集長
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別の視点
なぜ、日本だけ、感染者が急減したのか。国民の誰もが不思議に感じている疑問に、タイムリーに応える記事だと思います。
ただ、「専門家」をもってしても、今の状況はよく分からない状況だということが理解できました。
それも当然だと考えます。データに基づき仮説を検証していくのがまともな研究者のやり方であり、今は確たる結論を得るだけのデータが不足しているからです。
そのためにも、黒木教授などが指摘するように、PCR検査や感染者から採取したウイルスのゲノム解析を強化すべきと考えます。変異ウイルスの動向をつぶさにモニタリングしていけば、再流行の兆候もいち早くつかめるようになるはずです。
2021年11月8日 9:18
山崎大作のアバター
山崎大作
日経BP 日経メディカル 編集長
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別の視点
この問題は編集部内はもちろん、有識者の方々とも話をしましたが、結局、自信を持って語れる理由にはたどり着きませんでした。
自身に都合のよい理由を信じたくなりますが、現時点ではいつ再度拡大してもおかしくないと考えながら生活すべきだと思っています。
2021年11月8日 9:03