兵庫 伊丹 天神川で堤防決壊 10棟余で浸水“工事で川幅狭く”

兵庫 伊丹 天神川で堤防決壊 10棟余で浸水“工事で川幅狭く”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230508/k10014060151000.html

『2023年5月8日 12時21分

7日から降り続いた大雨の影響で、兵庫県伊丹市で8日未明、川の堤防が壊れ、これまでに周辺の建物10棟余りで浸水の被害が確認されています。県によりますと、堤防が壊れた場所では川底を強化するための工事を行っていた影響で、川幅が通常の半分ほどまで狭くなっていたということで、詳しい状況を調べています。

兵庫県や伊丹市によりますと8日午前0時50分ごろ、伊丹市荒牧6丁目を流れる天神川の堤防が壊れ、周りの住宅街に水が流れ込みました。

県によりますと、これまでに床上浸水が1棟、床下浸水がおよそ10棟、確認されているということです。

堤防はおよそ30メートルにわたって壊れ、周辺の道路に土砂が流れ込んで、複数の乗用車が埋まる被害も出ています。

県によりますと、堤防が壊れた場所では川底を強化するための工事を行っていた影響で、川幅が通常の半分ほどまで狭くなっていたということです。

県では去年3月から工事を始め、このうち川幅を狭めて行う作業は比較的雨が少ない去年11月から今月にかけて行っていたということで、県は「工事で流水能力が低くなっていたところに想定以上の雨が降り、堤防が決壊した」として現場で詳しい原因を調べています。
濁った水がひざ下ほどの高さまで押し寄せる

天神川が流れる兵庫県伊丹市の荒牧地区に住む女性が8日午前1時半ごろに自宅の3階から撮影した映像では、自宅前の道路が、茶色く濁った水が大人のひざ下ほどの高さまで押し寄せている様子が確認できます。

「ザー」と雨が強く降り、緊急車両のサイレンの音が鳴り響く中、警察官がライトを手に持ちながら「大丈夫ですか。避難の準備をしてください」と大声で呼びかけていました。
女性は、警察官に対し、向かいの家の人が寝ていて気付いていないようなので、知らせてほしいと伝えていました。

水が引いてからNHKの取材に応じた女性は、「午前1時半ころ、隣に住む人から『ガタガタガタという音がして大変な状況だ』と連絡が来て、起きて見てみたら辺り一面が浸水していました。水が入ってこないか心配で、どうしたらいいかわかりませんでした」と話していました。』

【速報中】石川県能登地方で震度6強の地震 津波被害心配なし

【速報中】石川県能登地方で震度6強の地震 津波被害心配なし
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230505/k10014058181000.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『 2023年5月5日 16時45分

午後2時42分ごろ、石川県で震度6強の揺れを観測する地震がありました。この地震により、日本の沿岸では若干の海面変動があるかもしれませんが、被害の心配はありません。
各地の震度は

▽震度6強が石川県珠洲市でした。

また、▽震度5強の揺れを能登町で、▽震度5弱を輪島市で観測しました。

このほか▽震度4を新潟県長岡市や富山県高岡市、金沢市、福井県坂井市などで観測したほか、東北から中国地方にかけての広い範囲で震度3から1の揺れを観測しました。

気象庁の観測によりますと震源地は石川県能登地方で震源の深さは10キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.3と推定されています。

住宅3棟倒壊 2人巻き込まれの情報も

震度6強を観測した石川県珠洲市を管轄する奥能登広域圏事務組合消防本部によりますと今回の地震で珠洲市内では住宅3棟が倒壊したという通報が入っているということです。

このうち2か所で1人ずつが倒壊に巻き込まれたという情報があり、救助活動を進めているということです。

男性1人が心肺停止 はしごから転落

また、珠洲市正院町では男性1人がはしごから転落し、救急搬送され心肺停止の状態だということです。

【原発影響】

柏崎刈羽原発 影響なし

東京電力によりますとこの地震で震度4を観測した新潟県刈羽村と震度3を観測した柏崎市にある柏崎刈羽原子力発電所は運転停止中で、周辺の放射線量を測定するモニタリングポストの値は通常の変動範囲だということです。

また現時点で外部への放射能の影響はないということです。

志賀原発 異常は確認されず

原子力規制庁によりますと、石川県志賀町にある北陸電力の志賀原子力発電所では、この地震による異常は確認されていないという連絡があったということです。

また、周辺の放射線量を測定するモニタリングポストの値にも変化はないということです。

先ほどの地震で志賀町では震度4の揺れを観測しました。

【政府の対応】

岸田首相 災害応急対策と情報提供を指示

今回の地震を受けて、岸田総理大臣は、午後2時43分に、早急に被害状況を把握すること、地方自治体とも緊密に連携し、人命第一の方針のもと、政府一体となって被災者の救命・救助などの災害応急対策に全力で取り組むこと、国民に対し、避難や被害などに関する情報提供を適時・的確に行うことを指示しました。

松野官房長官「自治体と緊密連携 引き続き被害状況の把握」

松野官房長官は、緊急の記者会見で「政府としては地震発生後、直ちに総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置するとともに、関係省庁の局長級による緊急参集チームを招集し、岸田総理大臣の指示を踏まえ、人命第一の方針のもと被害状況把握と救命・救助などの災害応急対策に総力を挙げて取り組んでいるところだ」と述べました。

その上で「引き続き被害状況の把握を進め、自治体と緊密に連携を図りながら、警察、消防、自衛隊、海上保安庁を中心に救命・救助活動を最優先に災害応急対策に全力で取り組んでいく」と述べました。

そして住民に対し「引き続き、震度6強程度の地震の発生に注意するとともに、揺れの強かった地域に住んでいる人は自治体の避難情報のほか、テレビ、ラジオ、インターネットなどの情報にも注意しつつ行動してほしい」と呼びかけました。

政府 官邸対策室を設置

今回の地震を受けて政府は、午後2時43分、総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置しました。

政府 緊急参集チームを招集

今回の地震を受けて、政府は、関係省庁の担当者をメンバーとする緊急参集チームを招集し、情報の収集と被害の確認などにあたっています。

【専門家】

「今後1週間程度 同程度の地震に注意」

石川県で震度6強の揺れを観測した地震について、東京大学地震研究所の佐竹健治教授は「能登地方ではここ数年、地震活動が活発になっていて、去年もマグニチュード5.4の地震が発生している。去年の地震と比べるとマグニチュードは1桁大きく今後も同程度の地震が起きる可能性がある」と話していました。

また、石川県で地震が相次いで発生していることについて、「これまでに起きた地震と同じ程度の地震が短いあいだで発生する可能性が高く、地震が続くと建物などで大きな被害が発生することも予想される。また、これまでの地震で被害が出たような場所では相次ぐ地震でさらに大きな被害が発生することもあるので近づかないようにしてほしい。今後1週間程度は、同程度の地震に注意が必要だ」と話していました。

【震度6強観測の石川県珠洲市は】

市役所「何度も揺れ恐怖 被害確認進める」

震度6強を観測した珠洲市役所の職員の女性は「大きな、長い揺れが2分ぐらい続きました。収まったあとも何度も揺れて恐怖を感じました。被害の状況について確認を進めています」と話していました。

当時、市役所には職員2人がいて、まだ被害の状況は分かっていないということです。

【震度6強の揺れ 注意点は】

気象庁によりますと震度6強の揺れははわないと動くことができず、固定されていない家具のほとんどが移動して倒れることが多くなります。

耐震性の低い木造の建物は傾くものや倒れるものが多くなるほか、大きな地割れが生じたり、大規模な地すべりや山体崩壊が起きることがあるため崖の近くなど危険な場所には近づかないようにしてください。

主な注意点です。

落石や崖崩れなど注意

揺れの強かった地域では、落石や崖崩れなどの危険性が高まっているため、危険な場所には近づかないようにするとともに、今後の地震活動に十分注意するようにしてください。
片付けなども注意

室内に割れた食器やガラスなどがあると、片付けをする場合などに思わぬけがをするおそれがあります。

決して無理をしないようにして、室内を歩くときはスリッパや靴をはくようにしてください。

建物の中にいるのが不安な場合などは安全な場所に避難して下さい。

【能登地方の地震活動は】

石川県で震度6強は2007年「能登半島地震」以来

気象庁によりますと、石川県で震度6強の揺れを観測したのは2007年3月25日に能登半島沖を震源とするマグニチュード6.9の「能登半島地震」以来です。

このときは石川県の七尾市や輪島市などで震度6強の揺れを観測しました。

能登地方は地震活動が活発

石川県能登地方は、珠洲市で震度6弱の揺れを観測する地震が起きるなど、ここ数年、地震活動が活発な地域です。

気象庁によりますと、2018年ごろから小規模な地震の活動が確認され、2020年12月以降、活発化する傾向がみられていたということです。

特に2021年の春以降、震源が少しずつ変わりながら活動が活発になっており、9月にはマグニチュード5.1の地震が起き、珠洲市で震度5弱の揺れを観測したほか去年6月にはマグニチュード5.4の地震が起き珠洲市で震度6弱の揺れを観測しています。

過去にも地震被害

また、能登地方全体でみてもたびたび地震の被害を受けていて2007年3月にはマグニチュード6.9の「能登半島地震」が発生し、1人が亡くなったほか、3万棟以上の建物が被害を受けました。

このほか、1993年には能登半島の北の沖合でマグニチュード6.6の地震が発生しています。』

貞観地震

貞観地震
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E8%A6%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87

※ 869年、1611年、1896年、1933年、1978年、2011年と「大地震」が起きている…。

※ 「プレート境界」の宿命だ…。

※ トルコ大地震も、同じだ…。

※ ただ、「三陸沖」の場合は、「海溝型」なんで、「大津波」が押し寄せる…。

※ 言い伝えどおり、「津波てんでんこ」で、「高地に逃れる」他はない…。

『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西暦換算に関する注意
1582年以前に発生した日本の地震の西暦換算については、ユリウス暦であるか、グレゴリオ暦であるかを明記してください。Wikipediaの表記ガイドでは原則としてユリウス暦で表記することになっていますが、『理科年表』など多くの文献ではグレゴリオ暦表記となっており、混乱を避けるために注意が必要です。
詳細は日本の歴史地震の西暦換算を参照してください。

貞観地震

貞観地震の推定震源域
貞観地震の位置(日本内)貞観地震
貞観地震の推定震源地
本震
発生日 869年7月9日
(貞観11年5月26日)
震央 三陸沖(陸奥国東方沖)
座標 北緯38.5度 東経144.0度座標: 北緯38.5度 東経144.0度[1][† 1]
規模 マグニチュード (M) 8.3 – 8.6, Mw >8.7
津波 最大約10m
地震の種類 海溝型地震(日本海溝で発生)
被害
死傷者数 死者約1000人[2]
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日[3]、グレゴリオ暦7月13日)に、日本の陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として発生したと推定されている、大規模な津波を伴った巨大地震である。震源域は北緯37.5°~39.5°・東経143°~145°、地震の規模はマグニチュード(M)8.3あるいはそれ以上と推定されている。この地域に周期的に発生する三陸沖地震のひとつとして理解されてきたため、貞観三陸地震と呼称されることがある。

歴史書における記述
延喜元年(901年)に成立した史書『日本三代実録』(日本紀略、類聚国史一七一)には、この地震に関する記述がいくつか記されている。

貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日)の大地震発生とその後の被害状況については、次のように伝わる。

五月・・・廿六日癸未 陸奧國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝洄漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乘船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

現代語訳(意訳)
5月26日癸未の日、陸奥国で大地震が起きた。(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らし、人々は叫び声を挙げて身を伏せ、立つことができなかった。ある者は家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割れに呑まれた。驚いた牛や馬は奔走したり互いに踏みつけ合い、城や倉庫・門櫓・牆壁[† 2]などが数も知れず崩れ落ちた。雷鳴のような海鳴りが聞こえて潮が湧き上がり、川が逆流し、海嘯が長く連なって押し寄せ、たちまち城下に達した。内陸部まで果ても知れないほど水浸しとなり、原野も道路も大海原となった。船で逃げたり山に避難したりすることができずに千人ほどが溺れ死に、後には田畑も人々の財産も、ほとんど何も残らなかった。

上記の史料にある「陸奥國」の「城」は多賀城であったと推定される。地震による圧死者の数は記されておらず、津波による溺死者が人的被害の中心をなすことが史料からは読み取られる。「流光如晝隱映」の部分は、地震にともなう宏観異常現象の一種である発光現象について述べた最初の記録であるとされる。斎野裕彦[4]は「驚濤涌潮」を慶長写本に基づき、「驚濤涌湖」とする校訂案を示したが、鈴木琢郎[5]は諸写本の系統と字形の模写ないしは影写の集成研究から、従来どおりの「驚濤涌潮」を矛盾なく解釈できるとして、斎野説を斥けた。 「去海數十百里」は原本では「去海數千百里」であるが、当時の1里= 6 丁(約650メートル)であるとしてもこれは喫驚せざるを得ずとし、「去海」は海岸から津波で浸水した城郭までの距離を表し、多賀城から湊浜までは50丁位(約5.5キロ)にも満たないため、「數十百里」(30 – 65キロ程度)が妥当であるとしている[6]。また、「數十百里」であるとしても正鵠を失ったものであるとし、これは「沿海數十百里」と読むべきとする説もある[7]。 「原野道路 惣爲滄溟」の「道路」は当時多賀城に通じる官道東山道や浜通りの旧官道ほかを指すものとみられる[8][9]。

朝廷の対応

朝廷の対応は遅く、地震から3か月を経た貞観11年9月7日(ユリウス暦869年10月15日)になってようやく以下の通り、從五位上紀春枝を陸奥国地震使に任命したことが『日本三代実録』に記されている。

九月・・・七日辛酉・・・以從五位上-行左衛門權佐-兼因幡權介-紀朝臣-春枝,爲陸奧國地震使。判官一人、主典一人。

現代語訳(意訳)
9月7日辛酉(かのととり)の日、従五位上行左衛門権佐兼因幡権介である紀春枝を陸奥国地震使に任命した。また、判官一人、主典一人を併せて任命した。

発災から4か月を経た11年10月13日(ユリウス暦869年11月20日)の記事には、清和天皇が、陸奥国の国境が被災地とする詔を発したことが記載されている。朝廷は民夷を論ぜず救護にあたり、死者はすべて埋葬するように命じた。被災者に対しては租税と労役義務を免除している[10]。

冬十月・・・十三日丁酉、詔曰、羲農異代、未隔於憂勞、堯舜殊時、猶均於愛育、豈唯地震周日、姫文於是責躬、旱流殷年、湯帝以之罪己、朕以寡昧、欽若鴻圖、脩徳以奉靈心、莅政而從民望、思使率土之内、同保福於遂生、編戸之間、共銷?於非命、而惠化罔孚、至誠不感、上玄降譴、厚載虧方、如聞、陸奧國境、地震尤甚、或海水暴溢而爲患、或城宇頽壓而致殃、百姓何辜、罹斯禍毒、憮然?(異本は愧)懼、責深在予、今遣使者、就布恩煦、使與國司、不論民夷、勤自臨撫、既死者盡加收殯、其存者詳崇賑恤、其被害太甚者、勿輸租調、鰥寡孤獨、窮不能自立者、在所斟量、厚宜支濟、務盡矜恤之旨、俾若朕親覿焉、

同年12月8日辛卯、陸奥国の正五位上勲九等苅田嶺神に従四位下を授ける(同じ記事は12月25日にもあり)。吉田東伍は三代実録原本では正六位上から従四位下の超階となっていることから、「府城の変災の歳に、三階を超越したるは、正しく彼の災をば、山神の憤怒に因るものと見做された証拠にもなる」としている[6]。

同年12月14日(ユリウス暦870年1月19日)には、清和天皇が伊勢神宮に使者を遣わして奉幣し、神前に次の通り告文を捧げた。告文では、はじめに同年(ユリウス暦869年)6月15日から新羅の海賊が博多へ侵攻したこと(新羅の入寇)、次に7月14日の肥後での地震風水の災、最後に5月26日の陸奥国又異常なる地震の災についてごく簡単に述べ、国内の平安を願っている[† 3]。遅くとも翌年の貞観12年9月までには、陸奥国の修理を担う「陸奥国修理府」が設置[11][12][13]されている[† 4]。

また、京都平安京では、疫病や死者の怨霊などを払い鎮めるため御霊会などの儀式が行われた。これは、現在の祇園祭の起源と言われている[14]。

地震発生時の朝廷

地震発生時の朝廷は以下の通り[15]。参議以上議政官。なお、散三位以上該当者はなし。
天皇 清和天皇 20歳
皇太子 貞明親王(のちの陽成天皇)1歳
皇太后 藤原明子 41歳
摂政・太政大臣 従一位 藤原良房 68歳
大納言 正三位 藤原氏宗 60歳 皇太子傅
中納言 正三位 源融 48歳
中納言 従三位 藤原基経 34歳 左近衛大将・陸奥出羽按察使
参議 従三位 源多 39歳 左衛門督
参議 従三位 藤原常行 34歳 右近衛大将・讃岐守
参議 正四位下 源生 49歳 右衛門督・讃岐権守
参議 正四位下 南淵年名 63歳 民部卿・春宮大夫・伊予守
参議 正四位下 春澄善縄 73歳 式部大輔
参議 正四位下 大江音人 59歳 左大辨・勘解由長官・美濃守
蔵人頭 正四位下 藤原良世 48歳 皇太后宮大夫
蔵人頭 従四位上 藤原家宗 53歳 左中辨・皇太后宮亮
陸奥守 正五位下 良岑経世 上野権介
鎮守府将軍 従五位下 御春岑能

調査研究

従来から文献研究者には存在が知られた地震であったが、東北地方の開発にともなう地盤調査と日本海溝における地震学研究の発展にともない、徐々に地震学的研究が積み重ねられている。三陸沖地震による震災の記録が少なく貞観地震の記録は貴重であることに加え、2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生したことで、研究の重要性も増している。

文献調査

末の松山

明治時代には歴史地理学者吉田東伍による研究があり、『日本三代実録』にある「城郭」は陸奥国府・多賀城(北緯38度18分23.8秒 東経140度59分18.1秒)を指すと考え、広大な範囲の浸水は津波であり、震源は太平洋側の沖合いにあるものと推定している。また、小倉百人一首には、清原元輔の詠んだ次のような歌が登場する。

「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」(『後拾遺和歌集』恋四)
現代語訳:約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに

この歌についても、宮城県多賀城市八幡の丘陵にある「末の松山」(北緯38度17分15.8秒 東経141度0分12.1秒)であり、「津波がこの末の松山を越えそうで越えなかった」という状況を示すものと考証している[6][16]。東北地方太平洋沖地震の津波もまた末の松山の麓まで浸水させた(「沖の石」(北緯38度17分12.6秒 東経141度0分12秒)も浸水した)が、この丘を超えることはついになかった[17][18]。末の松山の老松二本は「鍋かけの松」とも言われ、この津波のときに流れた鍋がかかっていたからと伝えている[19]。関連して「小佐治と猩々ヶ池」伝承がある。もっとも古い採録は1823年舟山光(万年)著『鹽松勝譜』であるが、わずかずつ異なる伝承がいくつか残されている。大略は多賀城八幡の居酒屋の娘小佐治(こさじ)のもとに猩々(海から現れる異形の生き物。赤毛)が通うようになり、やがて猩々は村の者に殺されることを察知し、小佐治に屍は池(八幡村上屋敷とも中谷地とも)に捨てて欲しい、それから6日後に大津波が来るので末の松山に逃げろと言い残す。その言葉のとおり、猩々は殺され、やがて八幡上千軒・下千軒は大津波に呑み込まれ、小佐治(別伝では、小佐治とその両親)だけが助かった[20][21][22]。

今村明恒も、貞観地震と慶長三陸地震は東北地方太平洋沿岸に特に巨大な津波をもたらし、その規模は明治三陸地震を凌ぎ、いずれも日本の地震の活動期に発生したものであることを説いている[23]。特に三陸海岸は世界的な津波常襲地であるにもかかわらず、有史以来、慶長年間に至るまでの約1200年間で、貞観地震の津波記録が唯一のものであることに着目し、この津波がいかに激烈・絶群なものであったか想像に難くないと述べている[7]。

1995年には飯沼勇義は宮城県名取市の神社に伝わる貞観年間の疫病の流行により庶民が大いに苦しんだとする伝承と貞観津波との関連を指摘[24]し、今後も津波に襲われる危険性を訴えた。

この津波に関する伝説・伝承は25例が確認され、宮城県気仙沼市から茨城県大洋村(現・鉾田市)にかけて分布している。これをもとに宮城県 – 茨城県沖の日本海溝沿いに長さ230キロ、幅50キロの断層モデルが仮定され、M8.5が推定されていた[20][25]。一方、三陸地方に津波伝承が残らない理由として、そもそも津波が頻繁に次から次へと襲う津波常襲地には津波伝承は生まれにくいことと、文字を持たない蝦夷の伝承がのちの住民へと語り継がれたかどうかは疑問が残り、伝説・伝承が残らない三陸地方がただちに被災しなかったことを意味するものではない。その後の研究で、特に砂押川下流域の多賀城市旧八幡村のみならず、旧市川村・旧南宮村から利府町旧加瀬村にかけての砂押川中流域にも、大津波に関わる漂着伝承が残されていることが明らかにされている[26][22]。

10月13日の詔中の文言「陸奥国境、地震尤甚、或海水暴溢而為患」の「陸奥国境」とは、「陸奥国の境の内」の意味であって陸奥国中の広い範囲でもっとも甚だしく被害が出るほどであったと解釈され[27]、12月14日の伊勢神宮告文中の「陸奥国又異常奈留地震之?言上多利。自餘国々毛、又頗有件?止言上多利」の記述は、被災が陸奥国に留まらず、隣国すなわち常陸国も同様であることを報告したとも読め、広い範囲におよぶものであったと解釈される[28][29]。

津波堆積物調査と震源域推定

1986年以降、箕浦幸治によって着手された仙台平野における古津波堆積層の研究は、文献記録が残る貞観津波以前にも3枚の古津波堆積層があり、未知の先史地震による津波とした[30]。1990年に東北電力女川原子力発電所の建設にともない行われた貞観津波の痕跡高に関する研究は、考古学的所見と津波堆積物調査とを突き合わせて検討[31]し、「津波の最大遡上地点は、藤田新田付近との結論」を得て、「貞観11年の津波の痕跡高として、河川から離れた一般の平野部では2.5 – 3メートルで、浸水域は海岸線から3キロ程度の範囲」と推定した[32]。

2000年代になると、ボーリング調査などによる仙台平野の津波の痕跡の研究が長足の進歩を遂げた[33]。2005年から5年間にわたって、文部科学省による委託を受けた「宮城県沖地震における重点的な調査観測」(国立大学法人東北大学大学院理学研究科、国立大学法人東京大学地震研究所、独立行政法人産業総合研究所)によって行われた[34]。2005年、岩手県大槌湾では内湾静穏域の湾奥中央部水深10メートルから海面下35メートルまでの調査で、過去6000年間の海底シルト層中から22枚の津波堆積層が確認された。これらの層は、津波襲来時に多くの土砂を巻き込み、一気に引き波によって海底にもたらされた堆積層である。年代測定は、津波に巻き込まれた合弁2枚貝や保存状態のよい新鮮な個体20点を用いられ、AMS法による14C年代測定、OxCal3.10による暦年較正、海洋リザーバ効果400年と仮定し、年代は算出された。その結果、層厚約2メートルのTs10が貞観津波堆積層と同定された[35]。

仙台平野の沿岸部では、貞観地震の歴史書が記述するとおり、1000年ほど前に津波が内陸深く溯上したことを示す痕跡が認められた。ところが研究が進むにつれ、この種の津波の痕跡には、貞観津波を示すと思われるもの以外にもいくつか存在することが明らかとなった。東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センターなどの研究では、仙台平野に過去3000年間に3回の津波が溯上した証拠が堆積物の年代調査から得られ、間隔は800年から1100年と推測されている。また、推定断層モデルから9メートル程度の津波が、7- 8分間隔で繰り返し襲来していたと考えられる。2007年10月には、津波堆積物調査から、岩手県沖(三陸沖) – 福島県沖または茨城県沖まで震源域がおよんだ、M8.6の連動型巨大地震の可能性が指摘されている[36]。一方、2008年の調査では陸前高田平野からは津波堆積物は見つかっていない[37]ため想定震源域の北限を決められる。

2011年(平成23年)3月11日には三陸沖を震源として、岩手県沖から茨城県沖までの広範囲を震源域とするMw9.0の連動型超巨大地震「東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)が発生した。貞観地震と同様に広範囲を震源域として内陸部まで被害がおよぶ巨大・広域津波が発生している点、さらに上記の800年から1100年間隔で同様の地震が発生するという推測などから、この地震は貞観地震との関連性が指摘されている[38]。

2011年8月、津波堆積物の年代比較調査により、過去3500年間に東日本沿岸を少なくとも7回以上の大津波が襲い、その津波を起こしたのは千島海溝から日本海溝沿いにかけての4つの震源域のいずれか、または複数が連動活動して発生したM9クラスの地震と推定されたとの結果が公表された。貞観地震もそのひとつと考えられている[39][40]。

規模

河角廣(1951)により規模MK=7.5が与えられ[41]、マグニチュードはM8.6に換算されていた。宇佐美龍夫(1970)は、昭和三陸地震より大きいと考えられるが1960年チリ地震でも当時はMs8.5とされ、M8.6にはおよばないと考え、M8.3 – 8.4が妥当であるとした[42]。しかし当時はモーメントマグニチュードの概念は存在しなかった。宇佐美龍夫(2003)では推定値に幅を持たせてM8.3±1?4としている[43]。

仙台平野で見出された津波堆積物に基づく産業技術総合研究所の断層モデルによる推定ではM8.4前後とされたが[44]、これは宮城県沖から福島県沖に長さ200キロの断層モデルを置くとした場合の推定であり、津波堆積物の見出される範囲を浸水域と仮定していた。

その後、さらに三陸海岸にも津波堆積物が発見され震源域がさらに広がり[45]、また、東北地方太平洋沖地震では津波堆積物よりもさらに内陸側まで浸水していたことが指摘された。プレート間の滑りが大きく海溝軸付近まで断層破壊域が伸びていた可能性もあり、その規模は従来の推定のMw8.4を大きく上回り東北地方太平洋沖地震に匹敵する可能性があるとも考えられている[38][46]。

また、地形から推定される東北地方太平洋岸の隆起量と、地質学的に観測される歪み速度、および潮位データによる沈降速度とを総合的に見ると、M9クラスの巨大地震が繰り返し発生しないと合理的に説明できないとされる[47]。纐纈一起(2011)は東北地方太平洋沖のプレート境界の歪のエネルギーを分析し、1000年に1度では歪がたまり過ぎるとしてM9クラスの地震が約440年に一度発生すると試算し、貞観地震もその候補になるとした[48]。従来M8.4程度と推定されてきた歴史地震はモーメントマグニチュード尺度ではMw9クラスになる可能性があり、宝永地震などとともにMw9クラスの超巨大地震と推定される可能性がある[49]。

考古学的調査

1990年に東北電力女川原子力発電所建設所の阿部壽らによる考古学的所見を導入した津波痕跡高・浸水域に関する研究[31]はあるものの、遺跡における津波に関わるイベント堆積物の調査検討は充分に行われてこなかった。

1999年から2000年にかけて行われた多賀城市市川橋第26.27次調査[50]では、旧砂押川の流路近くの南北大路を浸食するイベント堆積物(SX1779:暗灰黄色砂と粗砂の互層)が十和田aテフラ(To-a)の直下付近で検出され、珪藻分析が行われた[51][52][53]。その結果、海水生種は認められず、海水の影響は論じられないとされた。珪藻分析は東北大学においても行われ、同じく汽水生・海水生ともに認められず、「津波により海から直接運搬され堆積したものではない」とされた[54]。その後の検討で、このSX1779堆積層は年代的にも貞観以後の河川氾濫による洪水性堆積物であることが明らかにされ[55][56][57]、貞観津波堆積層ではない。

2011年東日本大震災後の初期の段階で、貞観地震津波の被災が津波を主とするものであると記す『日本三代実録』に関し、斎野裕彦[58]と柳澤和明[59]の間で、大きく評価は食い違った[60]。斎野裕彦は仙台市沼向遺跡を「砂の薄層」のほぼ分布限界とし,津波は仙台平野第Ⅰ浜堤列を海側から越えて,その西方に広がる「潟湖」の湖面を進み,一部は北岸に達したが,市川橋遺跡や山王遺跡が立地し,方格地割が施工されていた自然堤防までは到達しなかった[61]とし、貞観津波の被害は仙台平野全体では限定的で,東日本大震災の津波より規模は小さく,実態からややかけ離れた内容を含む『日本三代実録』の記述は,事実を過大視した文飾に過ぎないとした。貞観津波の遡上距離も1.5~2㎞ほど、地震被害についても瓦の葺き替え程度で、主な建物には被害はなく、ごく沿海部を除くほとんどの集落は存続するとした「貞観震災」説を提唱した[62]。柳澤和明は、斎野の「潟湖」説を受けいれたものの、多賀城市の2009年版「洪水ハザードマップ」想定域に加え、古代の砂押川の両岸も貞観津波の影響を受け、方格地割やその周辺の大半は浸水し、居住者のうち 1,000 人もが夜間に発生した巨大津波により溺死したとし、解釈が分かれた[63]。

松本秀明は斎野裕彦・柳澤和明のいう「潟湖」の存在をボーリング調査によって完全に否定[64]し、貞観地震津波による砂質堆積物は多賀城市高橋付近まで遡上したと考えるのが妥当で、なお、それより北方や西方への津波の侵入については現在の調査では不明であるが、砂押川などの中小の河川沿いに津波が遡上し、さらに内陸まで到達した可能性は否定できない[65]とした。

相原淳一は多賀城南門付近にかつて存在したという「鴻の池」地区周辺の低湿地に、過年度の調査記録に未製品を含む木製品の漂着や大量の建築部材が埋め込まれた整地、護岸設備に破壊と復旧の痕跡が残され、津波固有の堆積構造[66][67][68]が認められるイベント層があることから、貞観津波は多賀城東外郭線・南外郭線内部に及んだ可能性を指摘している[69]。  

東日本大震災以後の復興発掘調査では、多賀城城下のイベント堆積物中にこれまで確認されなかった海水生種珪藻中には外洋性珪藻[70][71]、それも親潮系寒冷種に属することが明らか[72]とされ、津波以外に説明は困難であり、貞観津波によるイベント堆積物である可能性が一段と高まった。

イベント堆積物の剥ぎ取りによる調査では、津波固有の堆積構造が宮城県山元町熊の作遺跡[73][74][75]と多賀城城下の山王遺跡[76][77][78]で確認されている。両調査地点ともに、2011年東日本大震災の津波浸水域の外側に位置しており、貞観津波は東日本大震災津波を上回る規模と考えられ、相原は斎野が唱える「貞観震災」説・『日本三代実録』文飾説を斥けた[79][80]。

ほかの自然災害・地震との関連

「地震の年表 (日本)」も参照
9世紀には大きな地震・噴火が頻発しており、これらは『日本三代実録』に収録されている。

貞観地震との地球物理学的関連性は明らかではないが、地震の前後に火山の噴火が起こっている。この地震の5年前の貞観6年(864年)には富士山の青木ヶ原樹海における溶岩流を噴出した貞観大噴火が起きている(噴火の詳細については「富士山の噴火史」も参照)。また、2年後の貞観13年(871年)には鳥海山の噴火記録がある[81]。この地震の9年後の元慶2年(878年)には、伊勢原断層の活動、または相模トラフのプレート間地震とも推定されるM 7.4の相模・武蔵地震(現在の関東地方における地震)が発生しており、誘発地震の可能性が指摘されているが、間隔が開き過ぎているともされている[82]。915年には十和田火山の大噴火による火山灰(To-a)が東北地方の全域におよび、宮城県北部においても火山灰に埋もれ、そのまま廃絶された水田跡が発掘されており[83]、貞観地震津波に続き、東北地方に重大かつ深刻な社会変動を引き起こした。朝鮮半島では白頭山もこのころ大噴火した[84]。

西日本では前年の貞観10年(868年)に播磨地震(山崎断層を震源とする地震)、仁和3年(887年)に南海トラフ巨大地震と推定される仁和地震(M 8.0 – 8.5。一般的に南海地震とされるが、東海・東南海との連動説もあり)が起こっている。これらの関連性は不明であるが、この時代に日本付近の地殻が大きく変動していた可能性が高いとされる[85]。

今村明恒(1936)は、684年ごろから887年ごろは地震活動の旺盛期のひとつにあたる[86]としている一方で、9世紀ごろに地震記録が集中しているのは地方の地震が京都に報告される体制が整備された中での、六国史編集の人為効果による見かけの現象であるとの見方もある[87]。

年表
[88][89]

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850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) -出羽地震、M7
863年7月6日(貞観5年6月17日) – 越中越後地震
864年7月 – 富士山の貞観大噴火(2年間)
864年11月 – 阿蘇山噴火
867年3月(貞観9年1月) – 鶴見岳(大分県)噴火
867年6月 – 阿蘇山噴火
868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) – 播磨・山城地震、M7、山崎断層か。
869年1月(貞観10年閏12月) – 摂津地震(7月30日の余震が続いていた)
869年7月13日(貞観11年5月26日) – 貞観地震
869年8月29日(貞観11年7月14日) – 肥後台風高潮被害(潮水漲溢、漂没六郡、…其間田園数百里、陥而為海)。12月14日の伊勢神宮への奉幣告文中に「肥後国に地震風水の災」とあり、津波が襲った可能性もあり。
871年5月(貞観13年4月) – 鳥海山(山形県・秋田県)噴火
874年3月25日(貞観16年3月4日)、仁和元年(885年)7月、同8月 – 開聞岳(鹿児島県)が大噴火。
878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) – 相模・武蔵地震、M7.4
880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) – 出雲で地震、M7
887年8月26日(仁和3年7月30日)- 仁和地震(南海トラフ巨大地震?)、M8.0 – 8.5
915年 十和田火山噴火。火山灰(To-a)が東北地方全域に及ぶ。(『扶桑略記』裏書による)。
940年ころ – 朝鮮半島の白頭山噴火[84]。

歴史への影響
864年貞観の富士山噴火、869年の貞観地震・津波、869年疫病の流行などが起こったため、自然と社会を見つめ宮廷政治が整えられ、宮廷文化が生まれた[90]。

東北地方では、貞観地震・津波に続いて915年の十和田火山噴火が起き、宮城県北部・岩手県・秋田県の水田は火山灰で覆い尽くされ、ほとんどは復旧していない。秋田県北部では火山泥流による埋没家屋が検出されている。[22][91]。

脚注
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注釈
^ 震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地表投影である震央ではない。地震学的な震源は地震計が無ければ決まらず、震源域が広大な巨大地震では無意味な上誤解を与える恐れがある。-石橋克彦(2014)『南海トラフ巨大地震』, pp.7-8.
^ 牆壁:しょう-へき。石・煉瓦・土などで築いた塀・垣根・囲い。
^
十二月・・・十四日丁酉、遣使者於伊勢大神宮、奉幣。告文曰:「天皇我詔旨止、掛畏岐伊勢乃度會宇治乃五十鈴乃河上乃下都磐根爾大宮柱廣敷立、高天乃原爾千木高知天、稱言竟奉留天照坐皇大神乃廣前爾、恐美恐美毛申賜倍止申久。去六月以來、大宰府度度言上多良久:『新羅賊舟二艘、筑前國那珂郡乃荒津爾到來天豐前國乃貢調船乃絹綿乎掠奪天逃退多利。』又廳樓兵庫等上爾、依有大鳥之恠天卜求爾、鄰國乃兵革之事可在止卜申利。又肥後國爾地震風水乃?有天、舍宅悉仆顛利、人民多流亡多利。如此之比古來未聞止、故老等毛申止言上多利。然間爾、陸奧國又異常奈留地震之?言上多利。自餘國國毛、又頗有件?止言上多利。傳聞、彼新羅人波我日本國止久岐世時與利相敵美來多利。而今入來境内天、奪取調物利天、無懼沮之氣、量其意況爾、兵寇之萌自此而生加、我朝久無軍旅久專忘警多利。兵亂之事、尤可慎恐。然我日本朝波所謂神明之國奈利。神明之助護利賜波、何乃兵寇加可近來岐。況掛毛畏岐皇大神波、我朝乃大祖止御座天、食國乃天下乎照賜比護賜利。然則他國異類乃加侮致亂倍久事乎、何曾聞食天、驚賜比拒卻介賜波須在牟。故是以王-從五位下-弘道王、中臣-雅樂少允-從六位上-大中臣朝臣-冬名等乎差使天、禮代乃大幣帛遠を、忌部-神祇少祐-從六位下-齋部宿禰-伯江加弱肩爾太襁取懸天、持齋令捧持天奉出給布。此?乎平介久聞食天、假令時世乃禍亂止之天、上件寇賊之事在倍久物奈利止毛、掛毛畏支皇大神國内乃諸神達乎毛唱導岐賜比天、未發向之前爾沮拒排卻賜倍。若賊謀已熟天兵船必來倍久在波、境内爾入賜須天之、逐還漂沒女賜比天、我朝乃神國止畏憚禮來禮留故實乎澆多之失比賜布奈。自此之外爾、假令止之天、夷俘乃造謀叛亂之事、中國乃刀兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事爾至萬天爾、國家乃大禍、百姓乃深憂止毛可在良牟乎波、皆悉未然之外爾拂卻鎖滅之賜天、天下無躁驚久、國内平安爾鎮護利救助賜比皇御孫命乃御體乎、常磐堅磐爾與天地日月共爾、夜護晝護爾護幸倍矜奉給倍止、恐美恐美毛申賜久止申。」
^ 『日本三代実録』貞観12年9月15日の条「潤清、長焉、真平等、才長於造瓦、預陸奥国修理府、料造瓦事、令長其道者相従伝習。」の解釈をめぐっては、律令官制では「府」は衛門府や衛士府など軍事的官衙に用いられ、鎮守府・大宰府ほか国府も軍事的性格を持つこと(岸俊男1984「国府と郡家」『古代宮都の探求』)から、固有名詞としての「陸奥国修理府」ではなく、「府」は「国府」を指し、拘束された新羅人潤清、長焉、真平等を陸奥国に預け「国府を修理し、瓦造りに従事」させたとする解釈(青森県史編さん委員会2001『青森県史資料編 古代1 文献史料』、二上玲子2013「文献史料からみた貞観地震に関する一考察」『市史せんだい』vol.22)が現在、最も有力である。
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^ 澤井祐紀・谷川晃一郎・篠崎鉄哉・田村亨・那須浩郎2016b「付編4 宮城県熊の作遺跡から発見された貞観地震による津波堆積物」『熊の作遺跡ほか』pp.525-532, 宮城県文化財調査報告書第243 集
^ 相原淳一・野口真利江・谷口宏充・千葉達朗2019「貞観津波堆積層の構造と珪藻分析― 宮城県多賀城市山王遺跡東西大路南側溝・山元町熊の作遺跡からの検討―」『東北歴史博物館研究紀要』20 P17-44
^ 相原淳一・野口真利江・谷口宏充・千葉達朗2019「貞観津波堆積層の構造と珪藻分析― 宮城県多賀城市山王遺跡東西大路南側溝・山元町熊の作遺跡からの検討―」『東北歴史博物館研究紀要』20 P17-44
^ 相原淳一2021「陸奥国における869年貞観津波による被災と復旧」『季刊考古学』第154号  P34-38
^ AIHARA Junichi2021:Archaeological survey of the disaster in AD869 Jogan Tsunami in Kumanosaku and Sanno sites, in Miyagi, Japan,30th International Tsunami Symposium at Sendai in Tohoku
^ 相原淳一2021「再考 貞観津波―考古学から「津波堆積物」を考える―」 『考古学研究』第68巻第1号 P53-74
^ 相原淳一2022「多賀城「鴻の池」地区周辺調査の学史的検討と展望」『第1回日本災害・防災考古学会資料・予稿集』pp.93-100,日本災害防災考古学会https://sitereports.nabunken.go.jp/129910
^ 保立道久の研究雑記 保立道久(2011): 地震火山19貞観地震翌々年の出羽鳥海山の噴火
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^ 石巻市八幡遺跡宮城県教育委員会 2004年 「八幡遺跡」『沢田山西遺跡ほか-三陸縦貫自動車道建設関連遺跡調査報告書III-』宮城県文化財調査報告書第196集
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^ 藤井敏嗣、Newton, 2013年2月号、ニュートンプレス
^ 今村明恒(1936) 「日本に於ける過去の地震活動に就いて (未定稿)」 地震 第1輯 1936年 8巻 3号 p.121-134, doi:10.14834/zisin1929.8.121
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^ 「浮かび上がるスーパーサイクル」日経サイエンス 2012年2月号
^ 「国史が語る千年前の大地動乱」日経サイエンス 2011年6月号
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^ 丸山浩二2020『火山灰考古学と古代社会 十和田噴火と蝦夷・律令国家』雄山閣
参考文献
読売新聞「平安大震災」岡本公樹記者 2011年5月18日、25日
震災予防調査会編 編 『大日本地震史料 上巻』丸善、1904年。 pp.38-39(日本三代実録)国立国会図書館サーチ
武者金吉 編 『大日本地震史料 増訂 第一巻 自懿徳天皇御宇至元祿七年』文部省震災予防評議会、1941年。 p.78(日本三代実録)国立国会図書館サーチ
東京大学地震研究所 編 『新収 日本地震史料 第一巻 自允恭天皇五年至文禄四年』日本電気協会、1983年。 p.22
東京大学地震研究所 編 『新収 日本地震史料 続補遺 自天平六年至大正十五年』日本電気協会、1994年。 p.2
宇佐美龍夫 『日本の歴史地震史料 拾遺二 自成務天皇三年至昭和三十九年』東京大学地震研究所、2002年3月。 p.2
宇佐美龍夫 『日本の歴史地震史料 拾遺三 自斉衡二年至昭和二十一年』東京大学地震研究所、2005年3月。 pp.3-10
関連項目

ウィキソースに日本三代實録の地震史料の原文があります。

ウィキクォートに貞観地震に関する引用句集があります。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
巨大地震
連動型地震
地震の年表 (日本)
三陸沖地震
歴史地震
多賀城
末の松山
鼻節神社
蝦夷
外部リンク
津波災害は繰り返す「陸奥国府を襲った貞観年津波」(東北大学「まなびの杜」)
産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター
貞観地震に関する成果報告,報道等[リンク切れ]
平安の人々が見た巨大津波を再現する-西暦869年貞観津波 (PDF) (産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター「AFERC NEWS No.16 August 2010」)
石巻・仙台平野における869年貞観津波数値シミュレーション (PDF) (佐竹健治、行谷佑一、山木滋)
西暦869年の貞観地震・津波について (PDF) 佐竹健治(東大地震研)、宍倉正展、澤井祐紀、岡村行信、行谷佑一(産総研活断層・地震研究センター)
『貞観地震』 – コトバンク

表話編歴
1884年以前に日本で発生した主な地震(歴史地震)

  • 1749

1750 – 1799

1800 – 1849

1850 – 1884
一覧記事 地震の年表カテゴリ 日本の地震
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東日本大震災12年、広がる鎮魂の祈り 被災地点描

東日本大震災12年、広がる鎮魂の祈り 被災地点描
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE099RR0Z00C23A3000000/

 ※ 干支も、一廻りしたのか…。

 ※ 随分、時間も経ったな…。

 ※ 貞観の大地震(869年)に匹敵する大地震だったらしい…。

『激しい揺れと大津波が街を襲ったあの日から12年。懸命に続けられた努力により、東日本大震災の被災地にはにぎわいが戻りつつある。それでも、大切な人を失った深い悲しみが癒えることはない。「元気でやっています」「家族のことは心配しないで」――。人々が祈り、復興を誓う日。被災地を見つめた。

午前6時15分@仙台市荒浜地区「長く無事でありますように」

海岸を訪れ犠牲者を追悼する人たち(11日午前6時2分、仙台市若林区)
仙台市若林区の荒浜地区の海岸では冷たい風が吹き付ける中、夜明けごろから人が姿を見せた。日本ビーチテニス連盟宮城県支部長の鹿島寛英さん(54)は支部のメンバーらとともに海に向かって手を合わせた。メンバーの中には自宅を流されたり、津波で家族を亡くしたりした人もいる。犠牲者を悼みながら「また海で楽しめるようになりますように。この地域が長く無事でありますように」と祈った。

午前6時@福島県いわき市薄磯海岸 鎮魂と希望の舞

福島県いわき市の薄磯地区で、日の出を前に祈りをささげる小田原真理子さん(11日)
いわき市の薄磯海岸では、地平線から朝日が顔をのぞかせる中、海に向かって舞をささげる人の姿があった。札幌市在住の舞踊家、小田原真理子さん(53)。震災後、いわき市でボランティアに参加して以来、毎年ここへきて鎮魂と希望の舞をささげているという。小田原さんは「まだ見つかっていない方も含めて安らかに眠ってほしいとの思いを込めました」と話した。

午前5時45分@「悲しみ、分かち合いたい」防災士、奇跡の一本松

奇跡の一本松を前に手を合わせる高根沢さん(11日、岩手県陸前高田市)
岐阜県大垣市で防災士をする高根沢優さん(47)は11日朝、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の前で静かに手を合わせた。高根沢さんは11日から数日をかけて被災地を回る。高根沢さんの祖母は8歳の時に関東大震災を経験し、町中が火の海になる光景を目の当たりにした。幼いころ祖母に教わった災害の恐ろしさを「次世代に伝えたい」。大垣市と陸前高田市、距離は遠いが「思いを同じくして、悲しみを分かち合いたい」と話した。

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シェルター ミサイルなどから避難

シェルター ミサイルなどから避難
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO67938590X20C23A1EA2000/

 ※ こうキナ臭くなったんじゃ、ざっと「当たり」くらいは、つけておいた方がいいぞ…。

 ※ と言っても、せいぜいが「情報収集」するくらいのものだが…。

 ※ 自分の身と、大切な人の身は、自分自身で守る他はない…。

 ※ 他人は、全く当てにならない…。

 ※ ましてや、「政府」がお膳立てしてくれるなんてことは、絶対無い…。

 ※ ただし、「有事」には、「ミサイル攻撃」されるということは、政権内部においては、「当然の前提」のようだ…。「爆風被害」と言っているからな…。

 ※ 「核攻撃」も、「当然の前提」だろう…。

 ※ 「国民・大衆が、甚だしく動揺・騒ぎ立てる」から、声高には言わないだけの話しだ…。

『2023年1月27日 2:00

▽…ミサイル攻撃などを受けた時に住民が迅速に避難するための施設。明確な定義はなく、整備する際に必要な壁の厚さや扉の強度、換気機能の有無といった基準は定まっていない。核攻撃の爆発に耐える強固さや放射能対策の空気清浄機能を備えるタイプは「核シェルター」と呼ばれる。

▽…日本では都道府県が国民保護法に基づいて一定の基準を満たす場所を「避難施設」に指定する。対象には公民館や体育館などがあり2022年4月時点で全国に9万4424カ所ある。このうちミサイル攻撃による爆風などの被害を軽減できる強固な建物を「緊急一時避難施設」と定める。5万2490カ所あるが、被害防止の効果が高い地下施設は1591カ所にとどまる。

▽…内閣官房の資料によるとスイスやイスラエル、シンガポールは地下鉄駅や学校といった公共施設だけでなく個人の住宅にも一定の義務付けがある。韓国には義務がなく、一部地域で政府が避難施設の設置を補助した。米国は公共シェルターの整備はしていない。』

台風14号、最強級に急発達 高い海水温・季節風影響か

台風14号、最強級に急発達 高い海水温・季節風影響か
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE180LF0Y2A910C2000000/

『台風14号は非常に強い勢力で九州に上陸した。気象庁が「過去に例がないほど危険」とみる台風14号は、予想を上回って過去最強級の勢力へ急発達した。通過した海域の温度が高く、季節風の影響も受けて大量の水蒸気が流入したとみられている。気象庁は新たに宮崎県に大雨特別警報を出し、広い範囲で警戒を呼びかけている。

「住家が倒壊するような猛烈な風、命の危険があるような災害の可能性がある」。18日午後、気象庁の担当者は台風14号が接近した九州地方へ最大限の警戒を求めた。

統計のある1951年以降、上陸時にもっとも中心気圧が低かったのは61年「第2室戸台風」の925ヘクトパスカルで、59年「伊勢湾台風」の929ヘクトパスカルが続く。台風14号の中心気圧は17日、これらを上回る勢力の910ヘクトパスカルになった。

米軍合同台風警報センター(JTWC)は一時、台風14号を最も強い区分の「スーパー台風」に位置づけた。1分間平均の最大風速が毎秒約67メートルを超える規模の台風が該当するという。気象庁の担当者は「当初の予想より発達し、16日の夜から急激に勢力が強まった」と説明する。

予想を上回る急発達をもたらしたのは大量の水蒸気の流入だ。9月は日本の南海上の海面水温が高く、台風が通ってきた海域は28度以上とみられる。温度が高ければ蒸発する水蒸気の量が増えて台風にたえず流れ込み、勢力が衰えにくい。

九州大の川村隆一教授(気候力学)は南西方向からの季節風の影響も挙げる。季節風は例年この時期、強弱を繰り返しながら弱まるが、比較的強く吹いたタイミングが台風14号の接近に重なった。フィリピン近海の大量の水蒸気が台風の反時計回りの風に接続するように流れ込んだ可能性が高いという。

気象庁によると、台風14号の上陸時の中心気圧は935ヘクトパスカルとなり勢力はやや弱まった。しかし速度は時速約20キロと遅く、大きな暴風域を維持したままゆっくり北上する。同庁担当者は「猛烈な風が長時間続く。台風から離れた地域も広範囲で大雨への警戒が必要」と指摘する。

地球温暖化が進む中、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、台風の強さや大きさが増している可能性があると指摘している。国内外の研究機関なども大型化や勢力が強まるとの未来像を示す。気温が高まったり海面水温が上昇したりすると、空気中の水蒸気量が増えて台風が発達しやすい条件が整うという。

IPCCが2021年に発表した第6次評価報告書によると、1分間平均の最大風速が毎秒50メートル以上となるような強い熱帯低気圧の発生の割合は過去40年間で増加した可能性が高い。北西太平洋の熱帯低気圧は、その強度のピークに達する緯度が北方に移っているとしている。

また非常に強い熱帯低気圧の割合と、最も強い熱帯低気圧のピーク時の風速は、地球温暖化の進行に伴い、地球規模で増加すると予測している。

気象庁や文部科学省が20年にまとめたリポート「日本の気候変動2020」は、温暖化が進むと台風が強大化して日本に接近する可能性があると指摘する。世界の平均気温が今後上昇した場合をシミュレーション(模擬実験)すると「スーパー台風の強度で日本にまで達する」という。

リポートは、日本の南の海上で台風が最も発達した場合について、中心気圧が860ヘクトパスカル程度、最大風速が毎秒85~90メートルになる可能性があると指摘した。地球温暖化の進行も踏まえたうえで、勢力の強い台風へ備える必要性が高まっている。

(都市問題エディター 浅沼直樹、矢野摂士、秦明日香)

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台風14号、福岡・柳川に上陸 東海道新幹線が一部運休へ

台風14号、福岡・柳川に上陸 東海道新幹線が一部運休へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE174FS0X10C22A9000000/

『宮崎に大雨特別警報

台風14号は18日午後7時ごろ、鹿児島市付近に上陸して北へ進み、19日午前3時ごろには福岡県柳川市付近に上陸した。気象庁は18日、台風接近で記録的な大雨の可能性が高まったとして宮崎県に大雨特別警報を発表した。大雨特別警報は5段階の警戒レベルで最も上のレベル5に相当する。17日には鹿児島県に台風の特別警報を発表し、暴風、高潮、波浪への警戒を呼びかけていた。

【関連記事】台風14号、3連休の九州直撃 強風でけが人も

気象庁によると、鹿児島への上陸時の中心気圧は935ヘクトパスカルで、統計がある1951年以降で4番目の低さとなった。勢力は上陸時の「非常に強い」から19日午前0時の観測で「強い」に変わった。九州を縦断した後、進路を東寄りに変えて20日ごろにかけて本州付近を北東に進むとみられる。

気象庁は18~19日、宮崎県北部と熊本県で線状降水帯が発生したとして「顕著な大雨に関する気象情報」を出した。中国、四国、近畿でも19日にかけて線状降水帯が発生し、大雨災害の危険度が急激に高まる恐れがあるとしている。

JR各社は新たに19日の計画運休を発表した。東海道新幹線は名古屋―新大阪間で19日午後4時ごろから最終列車にかけて運休し、東京―名古屋間は大幅に運転本数を減らす。20日も始発から午前中にかけて一部区間の運転を取りやめる可能性がある。

山陽新幹線の広島―博多間、19日は計画運休

山陽新幹線は広島―博多間で19日始発から終日計画運休する。新大阪―広島間では始発から列車の本数を減らし、19日午後2時ごろから順次運転を取りやめるとしている。京阪神エリアを発着する特急列車も同日午前から運休する予定だ。

日本航空は18日、九州発着便を中心に約300便が欠航した。19日は約450便が欠航し、4万5千人余りに影響する。全日空も19日の約300便を欠航することを決めた。

政府は18日、首相官邸で台風14号に関する関係閣僚会議を開いた。岸田文雄首相は「国民の安全安心の確保に万全を期すため先手先手で対応にあたってほしい」と呼びかけた。

台風14号は19日午前5時現在、福岡県飯塚市付近を時速約20キロで北へ進んだ。中心気圧は960ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は35メートル、最大瞬間風速は50メートルで、中心の北東側260キロ以内と南西側185キロ以内が暴風域となっている。

18日の最大瞬間風速は午後10時現在、大分県佐伯市で50.4メートル、鹿児島県屋久島町尾之間で43.5メートル、宮崎県小林市で41.1メートル。いずれも観測史上1位を更新した。宮崎県内では都城市など複数の観測点で18日夜までの24時間雨量が500ミリを超えた。

気象庁によると、19日に予想される最大風速(最大瞬間風速)は、九州北部45メートル(60メートル)、九州南部、中国40メートル(60メートル)、四国、近畿30メートル(45メートル)、北陸、東海25メートル(35メートル)。

19日午後6時までの24時間予想雨量は多い所で、四国500ミリ、九州南部、九州北部400ミリ、東海300ミリ、中国、近畿250ミリ、関東甲信200ミリ。

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警戒 防災情報、知って備えを

ニューズレター https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?n_cid=DSREA_newslettertop 』

近畿北部で記録的大雪 車の立往生など交通影響に厳重警戒を

近畿北部で記録的大雪 車の立往生など交通影響に厳重警戒を
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211227/k10013405621000.html

 ※ 「ラニーニャ現象の発生」→「大雪現象の確率が高い」…、という予想が、「的中   」しつつあるな…。 

『数年に一度クラスの強い寒気が流れ込んでいる影響で特に近畿北部では記録的な大雪となっています。
28日にかけて近畿や北陸、新潟県などで積雪はさらに増える見込みで車の立往生など交通への影響に厳重に警戒するとともに、雪崩や着雪による停電などにも十分な注意が必要です。

気象庁によりますと、日本の上空に数年に一度クラスの強い寒気が流れ込んでいる影響で日本海側で雪が降り続け、特に近畿北部では記録的な大雪となっているところもあります。

27日朝にかけての24時間の降雪量は、
▽兵庫県朝来市和田山で71センチ(~4時)
▽滋賀県彦根市で68センチと(~5時)
いずれも統計を取り始めてから最も多くなりました。

午後1時の積雪は、
▽滋賀県の米原市で68センチ、彦根市で67センチ
▽鳥取県倉吉市で60センチ
▽兵庫県豊岡市で44センチなどとなっているほか、
発達した雪雲は東海にも流れ込み、
▽岐阜市で8センチなどとなっています。

西日本から北日本の日本海側では、積雪が平年のこの時期の2倍以上に達しているところが多く、平年は数センチしか積雪のない彦根市や倉吉市では30倍以上に達しています。
雪の量の見通し 車の立往生の危険も
今後の雪の見通しです。

発達した雪雲はしだいに東へ移動していて、北陸や新潟県、東北などでも警戒が必要です。

28日昼までの24時間に降る雪の量は、
いずれも多いところで、
▽新潟県で80センチ、
▽近畿で70センチ、
▽東北、関東北部、岐阜県で60センチ、
▽長野県と北陸で50センチ、
▽中国地方で30センチなどと予想されています。

また、風の強い状態も続き、北海道や北陸にかけての海上では、大しけやしけが続く見通しです。
大雪による交通への影響に厳重な警戒が必要で、雪崩や、着雪による停電、屋根からの落雪にも十分注意が必要です。気象庁と国土交通省は大雪となっている地域では不要不急の外出を控えるよう呼びかけています。また、27日朝は西日本や東日本の各地で氷点下の冷え込みとなったため、路面の凍結によるスリップ事故や歩行中の転倒にも十分注意が必要です。

官房長官「大雪の際 不要不急の外出極力避けて」
松野官房長官は記者会見で「あすにかけて北日本から西日本の日本海側を中心に、降雪量が増える見込みであり、引き続き厳重な警戒、注意が必要だ。これまで特段の人的被害などは確認されていないが、昨日は鳥取県の鳥取自動車道で車両滞留が発生し、本日も滋賀県の国道で通行止めが発生しているほか、鉄道、航空の運休など交通機関への影響が生じている」と述べました。

そのうえで「政府は、官邸危機管理センターに情報連絡室を設置するとともに、防災担当大臣のもと、関係省庁による災害警戒会議を開催し、大規模な車両滞留の回避に向けた取り組みと災害発生時における応急対応などを確認し、共有をした」と述べました。

そして「大雪となっている地域にお住まいの皆様は、あすにかけて交通障害などに警戒するとともに、気象情報や道路などに関する関係機関の情報にも注意をしてほしい。また、大雪の際には不要不急の外出を極力避けるようお願いしたい」と述べました。

注目のコンテンツ

大雪に備える 車の“立往生” 注意点や対策は? https://www3.nhk.or.jp/news/special/saigai/basic-knowledge/basic-knowledge_20211215_01.html?utm_int=detail_contents_news-link_001 

大雪のリスクが高まったとき、気をつけたいのが車の「立往生」。もしもの時の注意点や対策のポイントです。 

大雪に備える 注意したいポイントは? https://www3.nhk.or.jp/news/special/saigai/basic-knowledge/20201216_01.html?utm_int=detail_contents_news-link_002

大雪になると「雪下ろし」「雪崩」による事故のほか、「孤立」が起きやすくなります。雪に不慣れな都市部では「歩行中の転倒」や「車のスリップ」による事故も起きます。注意してほしいポイントをまとめました。 』

“ラニーニャ現象”発生で、この冬の雪は…気象予報士が解説
https://http476386114.com/2021/11/13/%e3%83%a9%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%83%a3%e7%8f%be%e8%b1%a1%e7%99%ba%e7%94%9f%e3%81%a7%e3%80%81%e3%81%93%e3%81%ae%e5%86%ac%e3%81%ae%e9%9b%aa%e3%81%af%e6%b0%97%e8%b1%a1/ 

エルニーニョ/ラニーニャ現象とは
https://http476386114.com/2021/11/13/%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%83%a7-%e3%83%a9%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%83%a3%e7%8f%be%e8%b1%a1%e3%81%a8%e3%81%af/

鳥取など各地で大雪、立ち往生も 28日にかけ警戒続く

鳥取など各地で大雪、立ち往生も 28日にかけ警戒続く
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE260U80W1A221C2000000/

『強い寒気が流入し、冬型の気圧配置が強まった影響で、日本列島は26日、厳しい冷え込みとなり、各地で大雪となった。28日にかけても日本海側を中心に大雪が続き、北日本と北陸は雪を伴った強い風が吹く見込み。気象庁は、暴風雪、路面凍結などによる交通障害、高波に警戒を呼び掛けた。

鳥取県智頭町の鳥取自動車道上り線では午後6時半ごろ、大型トレーラーが進めなくなり、後続車70台以上が一時立ち往生した。国土交通省鳥取河川国道事務所などによると、最大2.1キロの渋滞が発生した。このほか、名神高速道路などの一部区間が通行止めになった。空の便も北海道や日本海側の空港を発着する便を中心に欠航が出た。

気象庁によると、北日本の上空約5千メートルには、氷点下45度以下の寒気が流れ込んでいる。智頭町では26日午後10時までの6時間降雪量が昨冬までの最多を更新する43センチに上り、深刻な交通障害が発生する恐れがあるとして「顕著な大雪に関する気象情報」を発表。12時間降雪量は群馬県みなかみ町で60センチに達したほか、新潟県妙高市、福島県只見町でも50センチを超えた。未明に東京都心部で、朝には鹿児島県で初雪を観測した。
雪が舞う松江城周辺(26日夜、松江市)=共同

26日の最高気温は、福島市(鷲倉)で氷点下10.5度、青森市(酸ケ湯)で同9.8度と、北日本を中心に氷点下にとどまる観測点が相次いだ。大阪市は5.8度と平年より5度以上低かった。

強い冬型の気圧配置は28日にかけて続く見通し。太平洋側でも大雪となる地域があるとしている。

27日夕方までの24時間予想降雪量はいずれも多い場所で、北陸、近畿90センチ、東北、関東甲信、東海、中国60センチ、四国、九州北部20センチ、九州南部10センチ。その後の24時間は東北、関東甲信50~70センチ、北陸、東海40~60センチ、近畿30~50センチ、中国20~40センチ。〔共同〕』

土石流「人災」防止へ問われる法整備

土石流「人災」防止へ問われる法整備 抜け穴対策焦点に
編集委員 谷隆徳
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD016IT0R01C21A1000000/

 ※ 『産業廃棄物ならば廃棄物処理法で処分方法が厳しく定められている。一方で、建設残土は再利用が可能な有価物という位置づけだ。その分、規制が緩く、残土を保管しているという名目で実際には産廃が不法投棄されることもある。』…。

 ※ なるほど、ここがポイントか…。

 ※ 「建設残土」ということだと、「有価物」=個人の所有財産…、という扱いだから、公的機関・公権力の「強制力」を、及ぼしにくいわけだ…。

 ※ そこいら辺を、こういう「業者」は、巧みに突いて来るんだろう…。

 ※ ちょっと疑問なのは、「建設残土」の方は業者の私有財産だとして、それを「置いた」土地の所有関係・土地利用の権利関係は、どういうことになっているんだろう…。

 ※ そっち関係の情報は、あまり出ていないようだな…。

 ※ 犠牲者が「28人」も出た大災害だ…。

 ※ しっかり、「責任追及」しないとな…。

『静岡県熱海市で発生した土石流災害を受けて、政府は再発防止策の検討を始めた。都道府県を通じて全国の盛り土を総点検したうえで、12月にも対策をまとめる。既存の法律の抜け穴をなくし、危険な盛り土の造成を防ぐ総合的な法制度を打ち出せるかどうかが焦点となる。
Nikkei Views
編集委員が日々のニュースを取り上げ、独自の切り口で分析します。

7月3日に熱海市で発生した土石流は130棟に上る建物を巻き込み、多数の死傷者を出した。現地では土砂の搬出がようやく進み、被災地に近くて校舎を使えなかった地元の小学校でも11月1日から授業が再開された。

今回の災害が豪雨に伴う単なる天災ではないのは、上流部にあった盛り土が県の条例に違反していたとみられるためだ。条例が定める上限の約3倍の高さがあり、盛り土の量も届け出を大幅に上回っていた。
静岡県警が家宅捜索に入った不動産管理会社の建物(10月28日、神奈川県小田原市)=共同

雨水などを流す排水施設も不備だったもようで、木くずなどの産業廃棄物が混ざっていたことも分かっている。静岡県警が業務上過失致死などの疑いで強制捜査に踏み切ったのも、こうした点に着目したためとみられる。
10年前から危険性を認識

行政の対応にも批判が噴出している。市や県が公表した資料によると、少なくとも2010年の段階で行政も危険な状態にあると認識していたからだ。

11年には造成を続ける不動産業者に対して安全対策を求める措置命令を出す方針を固めたが、結局、見送った。この点でも「人災」といえるのだろう。熱海市議会は地方自治法100条に基づく強い調査権限がある調査特別委員会(百条委員会)を設置し、災害の経緯や市の対応などについて調べることを決めた。

土砂を人工的に固めた盛り土は適切な工法ならば強度があるが、今回のように山の斜面に沿って階段状に設ける場合、一部が崩れると連鎖的な崩落が起こりやすい。国土が急峻(きゅうしゅん)な日本は、各地で谷を埋めたり、山間の傾斜地を整地したりして利用している。これまでもしばしば盛り土の崩落事故が発生しており、広島県東広島市では09年、民家に土砂が流れ込み、死者も出ている。
静岡県熱海市伊豆山で発生した大規模な土石流の起点付近(7月3日)=共同、県提供

盛り土の造成には目的や場所ごとに様々な規制がある。宅地造成の場合、面積が500平方メートルを超すと宅地造成等規制法の対象になり、盛り土の流出を防ぐ擁壁の設置が求められ、工事完了時には都道府県が検査する。1ヘクタールを超す山林開発ならば森林法、農地ならば農地法の規制がかかる。
規制の緩い建設残土

しかし、実際には個別法の適用外になるケースが多く、熱海市の事例もそうだった。自治体の条例がこの穴をある程度塞いでいるが、規制内容にはばらつきがあり、実効性に欠ける面もある。熱海市の斉藤栄市長は「人災という側面も否定できない」とする一方で、市の権限は限られていたと弁明する。

産業廃棄物ならば廃棄物処理法で処分方法が厳しく定められている。一方で、建設残土は再利用が可能な有価物という位置づけだ。その分、規制が緩く、残土を保管しているという名目で実際には産廃が不法投棄されることもある。
全国3万~4万カ所を調査

今回の災害では、発生直後に赤羽一嘉・前国土交通相が全国的な調査に乗り出すことを表明。政府は土砂災害警戒区域や大規模な造成地など全国で3万~4万カ所を対象に総点検を進めている。内閣府に9月末、有識者からなる「盛土による災害の防止に関する検討会」も設けた。年内にも対策をとりまとめる予定だ。

今後、ポイントとなるのは大きく2点ある。ひとつは点検で発覚した危険な盛り土をどうするのかだ。もちろん、所有者や造成者が対策を講じることが原則だが、熱海で盛り土を造成した業者がすでに会社清算されているように、当事者任せでは動かないことも予想される。

そうなると行政が代執行せざるを得ないが、費用が問題になる。産廃の不法投棄を行政が除去する場合、産業界と国で設置した基金から財政支援している。こうした仕組みが参考になる。
建設残土の流れ、把握する仕組みを

次に再発防止策だ。全国知事会は熱海の災害を受けて「建設残土に関する全国統一の基準・規制の早期設置」を求めた。法律の抜け穴を防ぎ、不適切な盛り土の造成をなくす法制度が要る。

建設残土の発生から活用・処分までの流れを把握することも再発防止につながる。内閣府の検討会では「(産業)廃棄物と同じように残土についても排出者がその適正処理に責任を担う必要がある」(袖野玲子芝浦工業大教授)という意見が出た。不適切な処分をした業者だけでなく、問題を引き起こす背景まで視野に入れて新たな対策を考えることが重要だ。』

東京・埼玉で震度5強 JR山手線など一時運転見合わせ

東京・埼玉で震度5強 JR山手線など一時運転見合わせ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE07DSX0X01C21A0000000/

『7日午後10時41分ごろ、東京都足立区、埼玉県の川口市と宮代町で震度5強を観測する地震があった。気象庁によると、震源地は千葉県北西部で、震源の深さは約75キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5.9と推定される。この地震による津波の心配はない。

【関連記事】
・都心の夜、震度5強の揺れが直撃 帰宅難民も
・想定「首都直下」より深く小さく 東京・埼玉で震度5強

東京都大田区と町田市、横浜市や千葉市、さいたま市などで震度5弱、茨城や栃木、群馬、静岡など広い範囲で震度3~4を観測した。

気象庁によると、東京23区で震度5強以上を観測するのは2011年3月11日の東日本大震災以来。

政府は7日午後10時43分、首相官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置した。松野博一官房長官は8日未明、首相官邸で記者会見し、重傷者が東京都江東区で1人、程度不明の負傷者が16人いると明かした。
地震の影響で電車が運転見合わせとなり、帰宅者らで混雑するJR品川駅の中央改札前(8日未明)

地震発生後、東海道新幹線やJR山手線、東京メトロの地下鉄などが運転を見合わせた。首都高速道路は都心環状線や中央環状線が通行止めとなった。羽田空港も一時4本の滑走路を閉鎖した。

足立区では急停止した日暮里・舎人ライナーの車両が脱輪し、乗客がけがをした。転倒や落下物などでけがをしたとの通報が各地の消防や警察に相次いだ。都内では水道管破裂の通報が数十件あった。

埼玉県草加市では住宅火災が発生。千葉県市原市では川にかかる水管橋から水が吹き出しているのが確認された。

都心のターミナル駅では8日未明になってもタクシーを待つ人の長い列ができた。8日午前5時半すぎの時点で、JR東日本の在来線の一部、東海道線、京浜東北線(蒲田―磯子間)、常磐線(品川―土浦間)、京葉線などで運転見合わせが続いた。

岸田文雄首相は7日午後11時20分ごろ、首相官邸に入った。首相は8日未明、首相官邸で記者団の取材に答え「引き続き情報収集と迅速な復旧に政府としては努めていきたい」と強調した。

気象庁は当初、震源の深さを約80キロ、マグニチュードを6.1と発表したが、その後修正した。
水があふれて冠水した道路(7日、東京都目黒区)
地震の影響で通行止めとなったことを知らせる首都高の電光掲示板(7日夜、東京都千代田区)』

盛り土「産業廃棄物を捨てた」元社員が証言

盛り土「産業廃棄物を捨てた」元社員が証言…業者の開発工事場所で過去にも“土砂崩れ”
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d592f6051a67324738eb92a8964202d2de91036

『静岡・熱海市で発生した土石流。崩落した現場の盛り土をしていた不動産管理会社の元社員が取材に応じ、「建物を解体した産業廃棄物をあそこに捨てていた」と証言しました。

■土石流発生から1週間…いまだ20人の安否わからず

時折、捜索活動をはばむ大粒の雨。胸のあたりまで泥だらけになっていた救助隊員も。

熱海市での大規模な土石流発生から1週間。新たにトオヤマユウジさんの死亡が発表されました。懸命な捜索活動が続くも、いまだ20人の安否がわかっていません。

また、これまでに死亡が確認された9人のうち、田中路子さん(70)の身元が判明しました。路子さんを知る人は……

松本早人さん「自分が子供の時から塾やったり文房具屋やったりしてたもんで、自分もそこに何度もお邪魔したり。つい最近も家の前通ったりするときも『元気?』『気をつけて出かけてきてね』そんな会話もしてたんで。本当に生きていてもらいたかったんですけどね」

連日、路子さんを捜すため現場を訪れていた夫の田中公一さん。地元の消防団によると、妻の死を確認したあと公一さんは、「お世話さんでした。これからも救助活動頑張って」と言葉をかけてくれたといいます。

■盛り土に“産業廃棄物を捨てた”元社員が証言

甚大な被害をもたらした土石流。

静岡県・難波副知事「天災・天候要因に人の行為の適切でないことが加わって、大災害を起こしてしまったと」

土石流のほとんどが、人工的に積まれた盛り土だったことがわかっています。

その盛り土をした不動産管理会社で当時社員だった男性が、日本テレビの取材の応じ、盛り土がつくられた経緯について語りました。

元社員「(周辺一帯を)宅地分譲しようというのが当初の計画だった。許可通りにひな壇にして、それを分割して売ると。ひな壇にするには一か所は削らないといけないと。削った土を、当初は谷に捨てていた。(そこが)今回崩落した場所」

崩落した盛り土に土砂が搬入されてから1年半後の2010年に撮影された映像では、分譲地にするためでしょうか、盛り土が6段ほどの階段状になっているように見えます。

元社員は、この盛り土の中に解体工事で出た産業廃棄物が含まれていたと話します。

元社員「プラスチックの破片とか木くず、タイヤ、うわさによるとトラックも埋めてあると。そういうものが露出していました。これはひどいなと、それは思いましたよ。これが下まで崩れたら大変な問題だと感じました」

自身も責任を感じているという元社員。

元社員「今回犠牲になった方に(会社の代表が)素直に出てきて謝罪することが一番大事なことじゃないですか」

■過去にもたびたび“トラブル”

この業者をめぐっては、過去、たびたび“トラブル”がありました。

盛り土をした不動産管理会社は、過去、熱海市内の他の場所でも開発工事を行っていましたが、2012年、その土地で土砂崩れが発生。周辺住民は、崩落の前から身の危険を感じていたといいます。

熱海市『宝泉寺』住職「これよりも2年くらい前(2010年)から大雨が降るたびに土砂は流れてきてたので、(大雨のたびに)気をつけてました。同じ熱海の中で今回それ以上の大きな災害になった。本当に憤りを感じます」

■「定時に食事とれない時も」消防や自衛隊員らに支援も

時には大雨、時には蒸し暑さの中で続けられる捜索。それを支援する動きもあります。消防や自衛隊員らにむけ、食料が届いていました。

自衛隊員「ありがたい限りです。正直、隊員たちも一生懸命頑張っておりますし、時には定時に食事がとれない時もあります。がんばります」

10日(土)も午後から再び雨となる予報の熱海市で、午前6時から捜索が再開されます。

7月9日『news zero』より。

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熱海土石流、盛り土工事に是正命令なく

熱海土石流、盛り土工事に是正命令なく 住民に疑問の声
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE082MO0Y1A700C2000000/

『静岡県熱海市の土石流を巡り、事業者による不適切な「盛り土」造成が問題化する中、行政側の対応にも住民から疑問の声が上がっている。県や市は造成に関わった事業者を少なくとも5回指導していたが、工事完了までに、より強く是正を求める命令は出していなかった。一連の経緯について行政の検証が求められる。

【関連記事】盛り土に排水設備置かず 人的要因重なり土石流か

「なぜこんな危険な場所に造成されたのか明らかにしてほしい」。被災者の避難所となった熱海市のホテルに身を寄せる40代女性は8日、厳しい表情で語った。

県によると、土石流の起点周辺の土地を神奈川県小田原市の不動産会社(清算)が取得したのは2006年9月。同社は07年3月、約0.9ヘクタールに約3万6千立方メートルの建設残土を使って盛り土を造成するという内容を熱海市に届け出た。県の土採取等規制条例では、1ヘクタール未満の土砂の盛り土や掘削の規制権限は市にあった。

しかし市からの連絡を受けた県が07年4月に現地調査したところ、盛り土の面積が条例で規定する1ヘクタールを超えていたことが判明。開発の中止と森林の復旧を文書で指導したところ、盛り土の面積を減らしたことを08年8月に確認した。09年にも防災措置と盛り土の面積の計算について、市による指導があったという。

【関連記事】熱海土石流、崩壊土砂量の大半が「盛り土」

10年8月には土砂への産業廃棄物の混入が発覚し、県が撤去するよう指導。さらに土砂中に木くずの混入も確認され、市は同9月に工事中止を求めた。だが同社が従わなかったため、翌10月に土砂搬入の中止を指導したところ、同社は土地を11年2月に土地を売却。抜本的な対策は取られないままだった。

県条例には、盛られた土砂の崩壊や流出によって災害が発生する恐れがある場合、防止措置を取るよう事業者に命令できる規定がある。指導に従わなくても罰則はないが、命令に違反した場合は20万円以下の罰金が科される。しかし現場で造成が進められた07~10年の間に命令は出されなかった。

行政側は複数回、現地の状況を確認していた。難波喬司副知事はこれまでの記者会見で「現場は人目につきにくく、簡単には行けない」と説明。「行政の責任が問われる可能性があるかと思う」とも述べた。

一方、同条例は、造成後に災害防止対策が必要と判断された場合は工事完了日から2年間、同様に防止措置を取るよう事業者へ命令できると定めている。造成を終えた後の行政指導や命令の有無について、県は「確認中」としている。

県の推定によると、現場には届け出の約1.5倍にあたる約5万4千立方メートルの盛り土があり、大半が崩落したとみられる。下流域の被害を甚大化させた大きな要因とみられているほか、土石流の起点となった可能性も指摘されている。

県や市は、なぜ行政が業者側に防止措置をとるよう命令を出さなかったのかや、造成の経緯について確認を進めている。

近畿大の河井克之教授(地盤工学)は「造成現場を行政側が頻繁に監視するのはマンパワーや専門知識が十分でなく容易ではない。事業許可を出すかどうかという計画段階で厳しくチェックし、不適切な施工を規制するのが有効だ」と話した。』

「盛り土リスク」浮き彫り 監視の目届かず、対策急務

「盛り土リスク」浮き彫り 監視の目届かず、対策急務
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE06B3S0W1A700C2000000/

『静岡県熱海市で発生した土石流は起点周辺の「盛り土」が被害を甚大化したとされ、山中に運ばれた土砂の災害リスクを浮き彫りにした。現場のように使用目的が不明確な盛り土は規制の網がかかりにくく、監視の目は行き届いていない。危険性の高いエリアの対策は急務だ。

「繰り返し不適切な行為があった」。静岡県の難波喬司副知事は7日午後、熱海市伊豆山地区で起きた土石流の起点周辺にあった盛り土の造成経緯に言及した。

土石流の起点となったかどうかははっきりしないものの、被害を大きくした要因とされる盛り土。伊豆山地区に住んでいた60代男性は「土砂を積んだとみられる大きなトラックが崩落現場周辺へ向かうのを何度も見た。大雨が降れば崩れるのではと不安だった」と話す。

一方、別の地元男性(63)は「上流に盛り土があるとは知らず、周辺は安全だと思っていた。土砂崩れのリスクがあると知っていたら、近所にも早めの避難を呼び掛けられたはずだ」と悔やむ。

盛り土を巡る規制は目的や規模によって分かれる。宅地開発のための盛り土には宅地造成等規制法が適用される。事業者は都道府県などへの許可申請が必要なほか、工法なども細かく規定され、土砂崩れを防ぐ措置も必要となる。

産廃の埋設については、許可された処分場以外での埋設を廃棄物処理法が禁止。処分場は崩落対策もなされるが、現場は同法に基づく許可申請などが出ていなかった。

宅地開発や産廃処理を除く目的で造成する場合の規制は、各自治体が条例に基づいて進める。難波副知事は記者会見で「条例では(不適切な施工を是正する)勧告や命令などは出せるが(他の法律と異なり)強制的な措置が取れない」と述べた。

盛り土に使われることが多い建設残土は再利用が可能なことから「私有財産」とみなされ、法律だけでなく条例の規制すらかからないケースも少なくない。

盛り土は国土交通省が把握する大規模造成地だけでも全国に約5万1千カ所。規制の網から漏れている小規模な盛り土は各地に点在しているとみられる。

北関東の自治体は「盛り土の点検は大規模なものに限って実施してきた」と話し、別の自治体も「小規模な工事が適正かどうかを調べるには少ない人員では難しい」と漏らす。

赤羽一嘉国交相は6日の記者会見で「関係省庁と全国の盛り土の総点検をする方向で考えないといけない」と述べたが、実施する上で課題となるのが点検の実効性だ。

大阪市立大の山田優名誉教授(土木工学)は今回の土石流の発生について「盛り土部分の強度や崩落対策に加え、行政のチェックが機能していたかどうかの検証が必要だ」と指摘する。

その上で「各地の盛り土についても国が主導する形で大雨時の災害リスクが高い地域を最優先で調べた上、リスクを住民に速やかに周知しなければならない」と強調している。』

〔麦島善光〕

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%A6%E5%B3%B6%E5%96%84%E5%85%89

『概要

実業家

1958年、22歳で麦島建設を設立。1972年、ユニホーを設立。2004年、ZENホールディングスを設立[1]。株式会社ZENホールディングス代表取締役会長兼社長、株式会社ユニホー代表取締役会長、株式会社ツノダ取締役、前麦島建設代表取締役会長。

学校法人理事長

学校法人理知の杜

長野県松本市の創造学園高等学校を経営する学校法人創造学園理事長に就任。2018年4月、学校法人創造学園を学校法人理知の杜に名称変更し、創造学園高等学校を松本国際高等学校に校名変更し、JR篠ノ井線村井駅前に新校舎を建築し移転[2]。同年10月、愛知県岡崎市に岡崎日本語学校を開校[3]。2021年4月には理知の杜ビジネス専門学校を岡崎市に開校[4]、松本国際高等学校に松本国際中学校を併設開校[5]。

学校法人明浄学院

2019年12月の学校法人明浄学院の理事会で1月11日付で麦島を理事長にすると決議された。だが学校法人としては1月13日の理事会で明浄学院高等学校校長である奥田貴美子を理事長に選任して就任したと異なった発表がされた。これに対して麦島は内規に反し無効であるとの訴えを起こす。大阪地方裁判所は3月6日、新理事長ら7人の職務を停止する仮処分を決定した[6]。8月20日、明浄学院高等学校は学校法人明浄学院から分離する形で、学校法人藍野大学が経営することとなり、大阪観光大学のみが残る学校法人明浄学院の理事長には今後、麦島が就任することが決定した[7]。』

太陽光発電、立地規制も 検討熱海土石流で 小泉環境相

太陽光発電、立地規制も検討
熱海土石流で小泉環境相
https://nordot.app/784993578694410240?c=302675738515047521

『小泉進次郎環境相は6日の記者会見で、山林開発などで災害を招く恐れのある太陽光発電所の立地規制を検討する考えを示した。静岡県熱海市の大規模土石流の起点付近には太陽光パネルが設置されている。県調査で因果関係は確認されていないが「急傾斜地への設置を懸念する地域もあり、ここに建てるべきではないという対応も必要ならやるべきだ」と述べた。

 改正地球温暖化対策推進法は、国が自治体に対し再生可能エネルギー発電所整備の「促進区域」を設けるよう促す。促進区域の設定に関し、小泉氏は「国民の不安払拭が必要だ」と指摘し、何らかの規制が必要かどうか省内で議論を始めたと説明した。』

「やや強い雨」蓄積、熱海土石流の原因か

「やや強い雨」蓄積、熱海土石流の原因か
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0414M0U1A700C2000000/

『静岡県熱海市では土石流発生までの3日間、「やや強い雨」が断続的に降り続いた。長引く降雨が蓄積され、地盤の緩みにつながった可能性が高いが、自治体や住民の危機意識が高まることはなかった。全国には土砂災害警戒区域が約66万カ所ある。5日にかけて日本海側中心に大雨となる可能性があり、強い警戒が求められる。』

『山口大の山本晴彦教授(環境防災学)は熱海に降った雨について「短時間に激しい雨が降るのではなく、ダラダラと長く降った点が特徴。今回のような降り方は避難の判断が難しい」と語る。市は土石流発生前に避難指示を出しておらず、斉藤栄市長は3日「(発生前の)2日の段階で降水量がピークを越えると見込んでいた」と釈明した。

梅雨前線の影響で熱海市では1~3日にかけて雨脚が強まった。だが2日までの降水量は1時間あたり10ミリ以上20ミリ未満にとどまり、気象庁が警戒を呼びかける際に使う雨の表現で最も低い「やや強い雨」に分類される状況が続いた。

土石流が起きた3日午前10時には1時間あたり27ミリに上昇したが、より強い「激しい雨」(30ミリ以上50ミリ未満)や最も警戒度が高い「猛烈な雨」(80ミリ以上)には達しなかった。

近年大規模災害をもたらす集中豪雨は、同じ地域に大雨が降り続く「線状降水帯」が原因となることが多い。2020年7月豪雨では熊本県球磨村で1時間あたり30~70ミリ超の雨が観測され「滝のような雨」が降った。だが京都大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)は「災害に至る雨の降り方は多様で集中豪雨だけではない」と指摘する。

土石流が起きた地域は斜面の開発が進み、住宅や別荘が立ち並ぶ一方で、周辺の土地は火山灰や溶岩で構成され、水を含みやすく崩れやすいとされてきた。土砂災害警戒区域に指定されており、市はハザードマップなどで危険を周知していた。

気象庁によると、5日以降も日本列島に前線が停滞し、日本海側を中心に大雨となる可能性がある。矢守教授は、災害リスクのある地域では「降り始めからの雨量を確認するなどの備えが大切だ」と話している。』

熱海土石流は森林伐採し設置したソーラーパネルが原因か?

remmikkiのブログ : 熱海土石流は森林伐採し設置したソーラーパネルが原因か?
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/5806967.html

『静岡県熱海市の伊豆山地区で3日に発生した土石流はすさまじいものだ。
この土石流が上流に設置した太陽光パネル、メガソーラー造成によるものだという指摘がされている。
ところがNHKはそのメガソーラーの画像を隠して放映しているというではないか。』

『このなんとも解せないダブルスタンダードとも言える行為は

・「地域住民の安全を第一に考える」
・「メガソーラー事業とその事業者の利益を優先する」

という二者択一で後者を選んだのです。

そしてこの事業を請け負ったのが韓国系企業である以下の会社です。
・ハンファエナジージャパン
・SUNホールディングス

「ハンファエナジージャパン」は伊豆メガソーラーパーク合同会社(代表社員 ハンファエナジージャパン)として、伊豆高原に大規模太陽光発電施設を建設する計画を打ち出しました。

またハンファエナジージャパンと同じ伊豆高原の山で違法な森林伐採や、稼働しているメガソーラーパネルの飛散事故などが問題となったのがSUN-K合同会社(SUNホールディングス)です。

韓国系企業のメガソーラー計画は許可し、日本企業が計画する函南町のメガソーラーについては反対していました。

川勝平太県知事は静岡県民や日本の国益を考えている政治家なのか?と疑いたくなりますね。

長文です、以下上記サイトへ。

韓国の悪徳企業「伊豆メガソーラーパーク合同会社」の朴聖龍代表
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韓国の悪徳企業「伊豆メガソーラーパーク合同会社」(代表:朴聖龍=パク・ソンヨン)が静岡県伊豆の伊東市で東京ドーム10個分の森林を伐採し、大規模太陽光発電所「メガソーラー」の建設を計画!

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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

大雨の影響で山間部で土石流が発生し、市街地(写真左奥)の家屋などが広範囲に被害を受けた=2021年7月3日午後5時23分、静岡県熱海市、朝日新聞社ヘリから、池田良撮影

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熱海市の土砂崩れ現場、オレンジ色の建物(酒屋)を目印に上流を見たらやっぱ森切り開いてメガソーラー造ってたわ pic.twitter.com/tAT6KOFbsV
— ラインボーテ (@lrt_kyuu) July 3, 2021

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即刻、韓国企業による伊豆高原の森林伐採(メガソーラー設置)をやめさせ、今後は太陽光発電のための森林伐採を禁止にすべき!』