アメリカ大統領選挙にみる大阪都構想反対とトランプ再選の可能性の危険な共通点〜分断された民意の構造と文脈〜

https://comemo.nikkei.com/n/n2d10622d0b3a

 ※ これも、あまり言っている人は、いない話しだ…。

 ※ 語る機会も、あまり無いようなんで、下記の論とあまり関係はないだろうが、視点として提示しておく…。

 ※ それは、「制度」とか、「社会的システム」というものは、それが妥当する「限界」「限定された範囲」があるという話しだ…。

 ※「国民主権」とか、「民主主義」とかは、採用される「現実の制度」「現実のシステム」として、「多数決」という手法・制度が採用されることが多い…。

 ※ しかし、当然のことながら、この「多数決制度」「多数決原理」というものにも、それが妥当すべき「範囲」「限界」というものが、厳然としてある…。

 ※ それは、「「価値判断」の決定に、適用してはいけない。」という限界だ…。

 ※ ちょっと考えれば、容易く分かる話しだ…。

 ※ 世界には、「一神教」というものがある…。ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教…。この「一神教」の神様のうちで、「誰が、本当の・真実の神様か」なんてことが、「多数決」で決められるか?決めてもいい話しか?

 ※ じゃあ、逆に「多数決で、決めてもいい。」のは、どういう類いの事柄なんだ?

 ※ それは、ある目標・目的が集団に共有されている場合に、その目標・目的を「達成するための方法・手段」を決定する場合だ…。

 ※ 多数決で決めてもいいのは、本来は、「目的達成のための、具体的な方法・手段」についてだけ、なんだよ…。

 ※ だから、そもそも社会とやらが「分断」されて、社会全体が達成すべき目標・目的という「価値観・価値判断」が共有されていないならば、そこに行われている「多数決」は、意味をもたないことになる…。

 ※ いくら「多数決の結果だから。」と主張したところで、「手段・方法」の話しを超えて、前提たる「社会が達成すべき目標・目的」のところで、齟齬があるわけだから、多数を取れなかった一派は、到底納得できないわけだ…。

 ※ 問題は、構造とか、文脈とかにあるのでは無く、「多数決原理」が妥当する基盤・前提である「社会全体が達成すべき目標・目的」に、共有されているところが無い…、というところに「根本問題」があるわけだ…。