五感をぜんぶ使うのはコスパが悪い、という感覚。

https://comemo.nikkei.com/n/n5e3679aeca4a

『「耳だけ参加します」

リモートワークがはじまってから、そんなセリフを聞くようになった。

料理をしながら、
育児をしながら、
若しくは他のタスクをこなしながら、
会議に耳だけ参加する。

聴いてさえいれば、大まかな流れは掴めるから効率的だ。

五感を全て研ぎ澄ませて〜

そんな感覚はもう昔の話かもしれない。

今日はそんな話。

〔目次〕
■五感を捧げる、というマナー
■モノゴトの本質を炙り出したコロナ
◾️五感をすべて使うのはもったいない

■五感を捧げる、というマナー
かつては学校の授業にしても、会社の打ち合わせにしても、五感を捧げることがマナーだった。

1.触覚(手)
2.嗅覚(鼻)
3.味覚(舌)
4.視覚(眼)
5.聴覚(耳)

の中で、例えば学校の授業で実際に使うのは

1.触覚(手)→ ノートを取る
4.視覚(眼)→ 黒板を見る
5.聴覚(耳)→ 話を聞く

くらいだが、授業中にガムを噛んだら「失礼だ」と怒られるのは当たり前だった。

しかし、リモートが当たり前になった今、
授業中にガムを噛んでも、打ち合わせ中にスマホを見ても怒る人は(あまり)いない。

むしろ作業効率的には、そっちの方がいいこともある。

冷静に考えれば、先生や上司が今まで怒っていたことを、「リモートだから」という理由で怒らないのもおかしい。

そこで考える。

本当はこれまでも、怒る理由なんてなかったのではないか?

■モノゴトの本質を炙り出したコロナ
言わずもがな、授業や打ち合わせの本質は「内容を理解すること」だ。

ガムを噛もうが、スマホを見ようが、内容を理解さえできていれば問題はない。人それぞれ、集中できるやり方で理解すればいい。

例えば以前、北欧の小学校を見学した際のこと。
教室には色んな種類の椅子があった。日本ではあまりみない光景なので、その理由を聞くと「だって、普通の椅子の方が集中できる子もいれば、ソファーの方が集中できる子もいるじゃないですか?」と返された。

あまりに本質的な回答で唖然とした。

日本ではみんなが同じ椅子で、同じ姿勢で先生の話を拝聴することが当たり前。それが授業の本質である内容理解を阻害する、など考えたこともなかった。

「授業中にガムを噛むな」という発言もまた、子供の内容理解という本質よりも、敬意やマナーを重視した風習だった。

それが今、コロナによって「まずは(どんな形でも)授業をすることが大事」という本質に立ち戻った結果、付随していた余計な風習も削ぎ落とされはじめている。

なんだ、やればできるじゃないか。
なんで今まで対面にこだわっていたのだろう。
むしろ、こっちの方が便利かも。

そんな声が、あちこちから聞こえてくる。』

 ※ まあ、何事も「時と場合」「程度の問題」だと思うぞ…。

 「形式」や「しきたり」にも、それなりの「意義」はある…。子供の「適性」に合わせた「イス」や「ソファー」を用意するということも、一見「理想的」にも見える…。
 しかし、「導入コスト」「耐久性」の問題は、クリアできるのか…。居間なんかでくつろぐのを前提に作られたものに、現在使用中の学校用の「イス」「机」と同程度の「耐久性」は、あるのか…。
 そういう側面も、考えておかないとな…。