ロシア侵攻で米欧の責任論 リアリストが問う危機の根源
Global Economics Trends 編集委員 永沢毅
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD05DQZ0V00C22A7000000/
『2022年7月10日 2:00
ロシアのウクライナ侵攻を招いた原因はなにか――。ロシアのプーチン大統領の責任に帰する議論が一般的だが、一部には米欧が冷戦後の対ロシア政策のかじ取りを誤ったことがロシアによる侵攻の主因になったとの見解もある。
現実主義派の政治学者が米国批判
この立場をとる代表的な識者が米シカゴ大のジョン・ミアシャイマー教授だ。「私が言っているのは西側諸国、特に米国が主にこの惨事の責任を負っているということだ」。今回の侵攻開始から1週間ほどたった米誌での対談で、2014年のロシアによるウクライナ領クリミア半島の併合についてこんな見方を示した。2月に始まった今回の侵攻もその延長線上にあるとの見解を示す(Why John Mearsheimer blames the U.S. for the crisis in Ukraine)。
ミアシャイマー教授は米国の対応を批判している
ミアシャイマー氏は国際政治や外交関係について、軍事力を中心としたパワーに基づいて分析する現実主義派(リアリスト=realist)の代表格である。リアリストは国際政治を、国家を主体とした権力闘争ととらえる。この立場にたつと、国際社会は軍事力や経済力に勝る米国、中国、ロシアといった大国(great power)が動かし、それ以外の国家はこの大国に従属的な行動を余儀なくされる。
「ロシアのような大国と隣り合わせにあるウクライナのような国家は、ロシアが何を考えているかに注意を払う必要がある」。先の対談でもこう指摘している。
08年のNATO首脳会議が決定打に
ミアシャイマー氏によると、ウクライナ危機をもたらしたのは①北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大②欧州連合(EU)の拡大③ウクライナなどでの民主化運動の支援――の3つにあるという(Why is the Ukraine the West’s Fault?)。
冷戦後、唯一の超大国となった米国は民主主義を推進する一環でNATOの東方拡大を段階的に進めた。共産主義に勝利した自信と高揚感にあふれる米国が、弱体化していたロシアの反対に配慮することはなかった。
とりわけ決定的だったのが、08年4月にルーマニアの首都ブカレストで開かれたNATO首脳会議だ。ブッシュ米大統領がウクライナとジョージア(グルジア)の加盟を提案したが、こうした動きがロシアを過度に刺激しかねないとみたフランスとドイツは反対に回った。
妥協の末、首脳宣言には「両国が将来的にNATOの一員になることに同意した」との表現が入った。ウクライナなどの加盟が直ちに実現することはなかったものの、激怒したロシアは4カ月後にジョージア侵攻に踏み切った。
ロシアのプーチン大統領はNATOの東方拡大に反対してきた=ロイター
ミアシャイマー氏の理論にたつと、ロシアのような大国は国益を最大限に確保するため隣国に緩衝地帯を設けることを好む一方、安全保障上の脅威が迫るのを嫌い、それを自ら排除しようと試みる。それが現実のものになったのがクリミア併合であり、今回のウクライナ侵攻ということになる。
米国にもキューバ危機の事例
米国も例外ではない。1962年にケネディ米大統領が米国の「裏庭」であるキューバでのソ連のミサイル基地建設に強く反対したのは、米国の安全保障に死活的な問題になるととらえたためにほかならない。ロシアと地続きで隣り合わせているウクライナのNATO加盟もこれと同じ構図にある。
ミアシャイマー氏は「プーチン氏を擁護しているわけではない」とも訴えているが、こうした主張が「ロシア寄り」「親プーチン」と受け取られている現実もある。NATOの東方拡大の停止はプーチン氏のかねての持論であり、2月の侵攻に至るまで断続的に開かれていた米ロ協議の焦点の一つでもあった。
実際、ロシア外務省はミアシャイマー氏が14年に米誌フォーリン・アフェアーズに寄稿した論文「なぜウクライナ危機は西側諸国に責任があるのか」(Why the Ukraine Crisis Is The West’s Fault)を引用してツイートし、プーチン氏が唱える侵攻の正当性を補完しようと試みている(Ministry of Russian Foreign Affairs Tweet)。
米欧メディアでミアシャイマー氏に全面的に賛同するような論調は少ない。米ジャーナリストからは「ロシアにとって侵攻の責任は西側にあり、自身の欲望や帝国主義にあるわけではないと言う必要があった。米国のアカデミズムがこうした主張に根拠を与えてしまった」といった批判もあがっている(Anne Applebaum Tweet)。
「外交政策は慈善事業ではない」との声も
ミアシャイマー氏に加勢する数少ない論客が、同じリアリストである米ハーバード大ケネディ行政大学院のスティーブン・ウォルト教授だ。クリミア併合から間もなく発表した論考で「米国の力と保護はまだ大きな資産であり、簡単に提供すべきではない」「外交政策は慈善事業ではない」などと訴えた(Would you die for that country?)。
ウォルト氏によると、かつての米国の同盟国選びは国益を冷徹に踏まえたものだった。冷戦が終わるころからこうした傾向はなくなり、米国の国益にとってほとんど意味のない国を支援する羽目になったと分析している。ウクライナのNATO加盟はその一つで、ロシアとの無用な対立を深めるばかりで米国の国益の拡大につながらないとみる。
ロシアのウクライナ侵攻は終結に向けた道筋が見えない(ウクライナ東部ルガンスク州、7月5日)=ロイター
現在の侵攻への対応に関しても手厳しい。「NATO拡大が欧州に広大な平和地帯を作ることになると妄信していた人たちが、ロシアが完全に敗北して著しく弱体化するまで戦争を継続するよう訴えている」。米外交誌フォーリン・ポリシーへの寄稿では、欧州に平和をもたらすはずだったNATO拡大が、むしろ甚大な被害をもたらしかねない現実を皮肉っている(Why do people hate realism so much?)。
リアリストは必ずしも武力に訴えることなく、外交や妥協を通じて意見の相違を調整して問題解決をはかろうとする。「邪悪な指導者や政権がもっぱら世界で起きている問題の責任を負うというのであれば、その悪党を取り除くことが唯一の解決策になってしまう」。ウォルト氏のこうした見立ては侵攻開始の当初、米欧の一部に「プーチン氏の排除」への期待があったのを想起させる。
バイデン米大統領は3月下旬の演説でプーチン氏について「この男が権力の座に居座ってはならない」と発言し、事実上の「体制転換」を求めたと受け取られたことがある。後に「プーチン氏を追放するつもりはしない」と修正した。
ウォルト氏はこうした考え方を持つのはリベラル派やネオコン(新保守主義者)らに多いとみている。国際政治の分析におけるリベラル派は経済の相互依存などが深まれば紛争は回避できるとの立場をとり、国家間の権力闘争は相互依存で防止できないとみるリアリストとは差異がある。
ウクライナ東部では激しい戦闘が続き、ロシアとウクライナ双方とも対話の機運は高まってはいない。ただ、侵攻の長期化で終結に向けた道筋がみえないなかでウォルト氏の指摘は示唆に富む。
バイデン氏はリアリストたりえるか
フランスやドイツはプーチン氏との対話の重要性を指摘し、なるべく早期の終結を探っている。オバマ政権でホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)欧州担当上級部長などを歴任した米ジョージタウン大のチャールズ・カプチャン教授は早期の対話の必要性を説く一人である。
「紛争が長引けば、死者は増えて破壊も大きくなり、世界経済への影響や食糧危機も深刻になる。ロシアとNATOの全面戦争に発展するリスクも高まる」との懸念を示す(Negotiating to end the Ukraine war isn’t appeasement )。
バイデン米大統領は冷徹なリアリストとしての顔を持つ=AP
同氏は別の論考で、明確に「ウクライナは中立的な地位を保っていた方がはるかに安全だった」と指摘している(Putin’s War in Ukraine Is a Watershed. Time for America to Get Real.)。
この論考ではキッシンジャー元国務長官にも言及している。冷戦下でソ連に対抗するため、共産主義の中国との国交正常化に活路を見いだしたリアリストである。そのキッシンジャー氏がロシアとの早期の対話の必要性を唱え、クリミア奪還を断念するよう促す発言で物議を醸したのは記憶に新しい(Henry Kissinger: Ukraine must give Russia territory)。
バイデン氏は20年に及ぶアフガニスタン戦争を終結させた。同盟国からの反対を受けながらも米軍の撤収を強行したのは、対中国との体制間競争に備える国益を追求したためである。
バイデン氏はウクライナに領土を割譲するよう圧力をかけるつもりはないと述べ、戦闘継続を望む同国の意思を尊重する構えを示す。ただ、ウクライナ危機の長期化は対中戦略にとってはマイナスだ。
内政では11月に中間選挙を控え、最大の懸案である物価高への影響も見過ごせない。バイデン氏の冷徹なリアリストとしての側面を注視する必要がある。
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【記事中の参照URL】
■Why John Mearsheimer blames the U.S. for the crisis in Ukraine
(https://www.newyorker.com/news/q-and-a/why-john-mearsheimer-blames-the-us-for-the-crisis-in-ukraine)
■Why is the Ukraine the West’s Fault?
(https://www.youtube.com/watch?v=JrMiSQAGOS4)
■Why the Ukraine Crisis Is The West’s Fault
(https://www.foreignaffairs.com/articles/russia-fsu/2014-08-18/why-ukraine-crisis-west-s-fault)
■Ministry of Russian Foreign Affairs Tweet
(https://twitter.com/mfa_russia/status/1498336076229976076)
■Anne Applebaum Tweet
(https://twitter.com/anneapplebaum/status/1498623804200865792)
■Would you die for that country?
(https://foreignpolicy.com/2014/03/24/would-you-die-for-that-country/)
■Why do people hate realism so much?
(https://foreignpolicy.com/2022/06/13/why-do-people-hate-realism-so-much/)
■Negotiating to end the Ukraine war isn’t appeasement
(https://www.politico.com/news/magazine/2022/06/15/negotiating-to-end-the-ukraine-war-isnt-appeasement-00039798)
■Putin’s War in Ukraine Is a Watershed. Time for America to Get Real.(https://www.nytimes.com/2022/04/11/opinion/ukraine-war-realist-strategy.html)
■Henry Kissinger: Ukraine must give Russia territory(https://www.telegraph.co.uk/business/2022/05/23/henry-kissinger-warns-against-defeat-russia-western-unity-sanctions/)
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鈴木一人
東京大学 公共政策大学院 教授
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ひとこと解説
国際政治学における「リアリズム」とは、必ずしも「現実を踏まえた議論」ということではない。もともとは「理想主義」に対抗するために作られた学派であり、国家は自らの利益を最大化し、そのために力を使うこともありうるという前提で組み立てる議論。
ミアシャイマーの見解は様々なところで批判されているが、ウクライナを「緩衝国家らしく振舞え」と言っているにすぎず、マクロな国際秩序における国家の役割りに当てはめて議論をしているだけなので、その国に住む人やロシアの侵略の正当性の問題などを完全に無視している。
残念ながらそうした議論が多数派になることはなく、国際政治の中では異端に近くなっている。
2022年7月10日 19:42』