米大統領、ロシアに改めて警告 ウクライナと電話会談

米大統領、ロシアに改めて警告 ウクライナと電話会談
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL030CM0T00C22A1000000/

『【ワシントン=共同】バイデン米大統領は2日、ウクライナのゼレンスキー大統領と電話会談し、ロシアがウクライナに侵攻した場合には「米国と同盟国、友好国は断固とした措置を取る」と伝え、ロシア側に改めて警告した。ホワイトハウスが発表した。9日から米ロの戦略的安定対話など欧米とロシアの協議が始まるのを前に、ウクライナ側と対応などを擦り合わせたとみられる。

【関連記事】
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ホワイトハウスによると、電話会談で両首脳は、米国や北大西洋条約機構(NATO)などのロシア側との対話について、緊張緩和に向けた外交努力として支持する考えで一致した。
その上でバイデン氏は「ウクライナのことをウクライナ不在の場では決めない」との立場を強調した。NATOの東方不拡大の法的保証を求めるロシアに対し、ウクライナなどの意向を無視して決めることはないとの見解を重ねて示した。

親ロシア派武装勢力が実効支配するウクライナ東部ドンバス地方を巡り、親ロシア派とウクライナ軍との停戦や紛争解決の手順を取り決めた2015年のミンスク合意履行の重要性も指摘した。

バイデン氏は昨年12月30日、ロシアのプーチン大統領と電話会談し、ウクライナに侵攻した場合「重い代償を払うことになる」と警告していた。』

NATO拡大は思い上がり ゴルバチョフ氏が米国批判

NATO拡大は思い上がり ゴルバチョフ氏が米国批判 
ソ連崩壊30年で対話訴え
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB250H00V21C21A2000000/

『【モスクワ=共同】冷戦時代に世界を二分して米国と対立したソ連が1991年12月、大統領だったゴルバチョフ氏(90)の辞任で事実上崩壊してから25日で30年。同氏は24日、節目に際しロシア通信などとのインタビューで、崩壊後の北大西洋条約機構(NATO)東方拡大を「冷戦に勝利したという米国の思い上がり」の結果だと批判。安全保障を巡る米ロ対話の開始に期待を示した。

また「(欧米と)一緒に世界を冷戦期の対立と核軍拡から救い出したのに、米国は勝利の高揚感から自信過剰になって新しい帝国を築くと決め、NATO拡大が始まった」と非難、欧州も参加した集団的安全保障に立ち戻るよう呼び掛けた。

「世論基金」の今月の調査ではロシア人の62%がソ連崩壊を「残念」と回答、ソ連復活を望む人も52%に上る。崩壊は本当に避けられなかったのか、今も多くの国民が答えを探しあぐねている。

ソ連に代わる独立国家共同体(CIS)創設を主導し崩壊後のエリツィン政権で国務長官を務めたブルブリス氏(76)は「ソ連は91年8月の共産党保守派によるクーデター未遂事件の時点で終わっていた。内部から崩壊した」と一貫して主張。

だがゴルバチョフ氏は、ソ連解体を決めたエリツィン元ロシア大統領らは「独立すれば万事うまくいくと説明していたが、現実は違った」と批判。解体に反対した自分の警告には「誰も耳を貸さなかった」と悔やんだ。崩壊後のロシア指導部はNATO拡大に「当初は活発に反応せず、後で私に罪をなすりつけた」と不満を表した。

その上で、ソ連時代に自身が始めた欧米指導者との個人的関係の構築は「現在の新型コロナウイルスや気候変動対策での国際協力に引き継がれている」と自賛した。』

ソ連崩壊30年 行き先見えぬ「強権のトロイカ」

ソ連崩壊30年 行き先見えぬ「強権のトロイカ」
編集委員 坂井光
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK103PU0Q1A211C2000000/

『ソ連が崩壊して30年を迎える。東西冷戦が名実ともに終結し、新生ロシアは自由と民主化を志向するかにみえた。しかし、プーチン大統領は強権に走り、経済もここ約10年は停滞。それを覆い隠すかのように復古主義が台頭している。そんな風潮に多くの国民は違和感を覚え、来るべき未来を描けないでいる。

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編集委員が日々のニュースを取り上げ、独自の切り口で分析します。

1991年12月25日夜、ゴルバチョフソ連大統領がテレビで辞任を発表すると、クレムリンのビル屋上にはためいていた赤い国旗が降ろされ、代わりに3色のロシア国旗が掲揚された。時代が移り変わった瞬間だった。

混乱のなかに一筋の光

当時、経済は疲弊し、もの不足も深刻で先は見通せなかったが、希望はあった。「民主主義」「市場経済」「基本的人権」がトロイカ(3頭立ての馬車)となり、ロシアを未来に導くはずだった。

秘密警察の創設者ジェルジンスキーの像の頭部を踏みつける人々(1991年8月、モスクワ)=AP共同

2000年に御者がエリツィン氏からプーチン氏に代わると、けん引役は「専制主義」「統制経済」「国家権力」に変わった。プーチン氏にそんなつもりではなかったのかもしれないが、国の安定のためには帝政時代からの伝統にのっとるしか手本がなく、国家保安委員会(KGB)出身としてもやりやすかったのだろう。

その結果はどうか。欧米との関係はかつてないほどに悪化し、ソ連を構成したバルト3国、ジョージア(グルジア)、ウクライナは造反した。経済面では、世界最大の面積を有し、日本と同じほどの人口を抱えるにもかかわらず、国内総生産(GDP)では韓国並みにとどまる。

グローバル化にも乗り遅れた。世界のサプライチェーン(供給網)から外れ、モスクワ国際金融センター構想は日の目を見ていない。
ソ連崩壊以降の30年のうち22年間をプーチン氏が最高権力者として君臨する(2000年5月、エリツィン氏㊨に代わり大統領に就任したプーチン氏)=タス通信

いま国を支えるのは石油・天然ガスといった資源、素材や武器などの軍需産業、農作物など。大半がソ連時代の遺産といっても過言ではない。

冷戦時、米国と対峙した大国としての立ち位置は大きく変わった。一時は主要8カ国(G8)首脳会議のメンバーに加わったが、2014年のウクライナ侵攻でその地位を追われた。

期待した欧州の一員にはなれず、ユーラシア大陸の盟主の座はかつての弟分、中国に譲った。
軍事的緊張高めるプーチン政権

そんな現実を体感する国民にとって、ソ連崩壊から30年たったいま、描ける将来像はぼやけたままだ。西側諸国から孤立したまま経済的に停滞の道を歩むのか、それともロシア以上に覇権主義的な隣国に接近し、次第に取り込まれていくのか、あるいは第3の道が開けるのか――。

そんな不安を脇に追いやろうとプーチン政権はますます強権的手法に頼っている。ウクライナ国境近くに部隊を派遣し、軍事的緊張を高めているのもそのひとつだ。外部に敵をつくり政治体制を支えようとするのは、非民主国家の常とう手段だ。

精神的には「古き良き時代」に国民の目を向けさせようと躍起だ。当時ロシア人が持っていた誇りや社会生活上の安定、対外的な影響力を思い出させる試みだ。第2次世界大戦でソ連が果たした役割や払った犠牲についてプーチン氏が独自の歴史認識で言及する場面が増えているのも、過去の栄光にロシアとしてのアイデンティティーを求めているからであり、同時に強権的な体制を正当化するためといえるだろう。

スターリンを英雄視し、暗部は覆い隠そうとする試みがみられる(4日、モスクワの「赤の広場」で)=AP

プーチン氏は伝統的価値観としてロシア人の「精神的な絆」を強調している。当局は理想の家族像として3世代の同居を提示。一方で、LGBT(性的少数者)の権利やジェンダー研究を誤った価値観をもたらすとして遠ざけている。

主力はソ連を知らない世代へ

しかし、ロシアの主力をなすのは、ソ連を知らない世代に移りつつある。多様な価値観を持つ彼らは過去を押しつけられることに抵抗感が強い。ソ連に郷愁を感じる世代でさえ、恐怖政治を敷いたスターリンを大戦に勝利した偉大な英雄としてのみ取り上げ、その暗部を覆い隠そうとしていることに戸惑いを持つ人がいる。

ロシア人の多くが、よりどころとする価値観をいまだに見つけられないでいるようだ。

プーチン氏が御者となって22年。まだ馬車の行き先は見えない。途中で降りて安住の地を見つけた人も多い。しかし、大半は降りることさえできない人々だ。

ロシアはどこへ向かっているのか――。約180年前、文豪ゴーゴリは小説「死せる魂」のなかでロシアを馬車に見立て、同じ問いをしている。「ロシアよ、おまえはどこへとんでゆくのだ? おしえてくれ」と。これに続くのは「だが、答えはない(略)他の民族や国々はちらと横目で見ると(略)このトロイカに道をゆずるのである」(工藤精一郎訳)。

先が見えないのは当時もいまも同じかもしれない。ただ、当時の皇帝は、厳格な専制主義者のニコライ1世。のちに南下政策をとり、クリミア半島などを舞台にイギリス、フランス、オスマン帝国と戦火を交えた。 』

欧州に再び東西の壁 ベラルーシ支えるプーチン氏の懸念

欧州に再び東西の壁 ベラルーシ支えるプーチン氏の懸念
編集委員 坂井光
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK2035W0Q1A121C2000000/

『ポーランドなど欧州連合(EU)加盟の3カ国がベラルーシとの国境線に「壁」を建設し始めた。同国がイラクやシリアなどに住む移民希望者を入国させ、不法に送り出していることに対応するためだ。ソ連崩壊30年を今年末に迎えようとするなか、再び東西を分断しかねない新たな壁は何をもたらすのか。

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ポーランドの現地メディアによると、同国は一時的につくった高さ2.5メートルの有刺鉄線に代わり、本格的な障壁の建設を12月にも開始する。高さは5.5メートル、全長はベラルーシとの国境線の約半分に相当する180キロメートルの計画で、2022年前半に完成させるという。

ポーランド、リトアニア、ラトビアが壁を建設

リトアニアは500キロに及ぶ有刺鉄線の壁を22年9月までに完成させる方針を決めたほか、ラトビアも24年までに約130キロに及ぶ同様の壁を建設する検討に入った。

ルカシェンコ大統領率いるベラルーシが移民を政治的に利用し始めたのは今年8月ごろ。EUの経済制裁に対抗するため、ベラルーシへのビザや航空チケットなどを購入させて入国させたあと、国境地帯に連れて行き欧州側へ越境を促した。

これを欧州側が阻んだため行き場を失った人々が国境地帯にあふれるという事態となった。ベラルーシ当局によると、同国に滞在する移民希望者は11月中旬時点で、約7000人。うち約2000人がポーランドとの国境地帯にいるという。11月18日には一部の帰国が始まったが、地域情勢が不安定化したことに変わりない。

ロシア、西側刺激のルカシェンコ氏憂慮

ベラルーシとEUとの対立が先鋭化していることを複雑な感情で見ているのがロシアだろう。

プーチン政権はウクライナと対立しているだけに、同じく兄弟国のベラルーシが西側になびくことは避けねばならない。今回ベラルーシと西側との対立が決定的となったことで、その目的は達成したといえる。しかし、同時にルカシェンコ氏は〝獅子身中の虫〟になり始めた。

「われわれが欧州を暖めてやっている。もし、ガスを止めたらどうなる? ポーランド、リトアニアなどの頭の悪い指導者は発言する前に考えることをお勧めする」。ルカシェンコ氏は11日、EUが制裁を強化すれば、ロシアから自国を通過して欧州に向かうガスパイプラインの供給を止めることを示唆した。

ルカシェンコ大統領はロシアにとって獅子身中の虫となりつつある(9月9日、モスクワにルカシェンコ氏㊧を迎えたプーチン大統領)=ロイター

これに対しプーチン大統領は13日、国営テレビとのインタビューで「(そんなことをして)何もいいことはない」と自分の意見とは違うことを表明した。

というのも、ロシアはドイツに直結する2本目の海底ガスパイプライン「ノルドストリーム2」を完成させたが、EU内ではエネルギーのロシア依存が高まることに反対する勢力が多く、稼働の承認が下りていない。そんななかでの脅迫発言が稼働開始に逆風になったのは間違いない。

さらにルカシェンコ氏は19日、英BBCとのインタビューで、ベラルーシの治安部隊が移民の越境を手助けしていることについて「大いにあり得る」と発言した。

ロシアの孤立招くベラルーシの動き

プーチン氏にとって低迷する経済を立て直し、安全保障面での競争激化をやわらげるため、西側との関係改善を進めたいのが本音だ。しかし、ルカシェンコ氏を擁護すればするだけ、それが遠のくかのようだ。しかも、老練な独裁者である同氏を持て余しているようにもみえる。

ベラルーシ国境で建設が始まった壁が、東西を分断する存在になるとすれば誤算だろう。
プーチン氏がロシアの孤立を望んでいないのは確かだ。

「(西側の)パートナーはわれわれの警告やレッドライン(越えてはならない一線)を軽く見ている」――。18日、外務省で職員らを前に演説したプーチン氏は西側を非難しながらも、今年6月にジュネーブで開いたバイデン米大統領との首脳会談の成果に言及し「対話の扉は開いている」と繰り返し強調した。

プーチン大統領は11月18日、外務省で演説し、西側への強硬姿勢を見せながらも対話に期待を示した=ロイター

プーチン氏側近のパトルシェフ安全保障会議書記は同日、米ロ首脳会談が年内に開催される可能性を示した。

1991年12月25日、ソ連は崩壊し、冷戦は終結した。それから30年という節目をロシアはどう迎えようとしているのか。

プーチン氏は外務省での演説でこうも発言した。「境界線で(欧州)大陸を分けることは歴史的に見ても良い結果を生まない」。強硬な顔を見せる一方で、危機感もにじませている。』

08年紛争前夜と「同じ」 ウクライナ情勢けん制

08年紛争前夜と「同じ」 ウクライナ情勢けん制―ロシア
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021112300002&g=int

『【モスクワ時事】ロシア対外情報局(SVR)はウクライナ情勢をめぐり、米欧の「挑発的な政策」がウクライナを強気にさせているとして、2008年のジョージア(グルジア)での紛争(南オセチア紛争)直前にも「同じような状況を見た」と批判、米欧をけん制した。インタファクス通信が22日報じた。

 SVRは声明を出し、ロシアとジョージアが軍事衝突した08年の紛争について、米欧があおり当時のサーカシビリ・ジョージア大統領が暴走したと主張した。また、ウクライナとの国境付近に関し、米メディアは10月末からたびたびロシア軍の集結情報を報じているが「全く誤った情報」と否定した。 』

欧州全体に「壊滅的結果」 ロシア軍集結で警告

欧州全体に「壊滅的結果」 ロシア軍集結で警告―ウクライナ国防相
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021111900848&g=int

『【ワシントン時事】訪米中のウクライナのレズニコフ国防相は18日、オースティン米国防長官と国防総省で会談し、ロシアがウクライナに対して軍事行動を起こせば「欧州全体に壊滅的結果」をもたらすと警告した。ロシア軍はウクライナ国境に部隊を集結させており、米国などは強い懸念を示している。

「状況悪化」は米欧の責任 ウクライナ情勢でロ大統領

 レズニコフ氏は会談冒頭、「ロシアがいつでも緊張を増大させる手段に訴える可能性があることは承知しており、われわれは国と子供たちの未来を守る用意がある」と強調。「(ロシアが事態を悪化させるかどうかは)文明世界が侵略を止めるために団結と決意を示せるかによるところが大きい」と述べた。

 オースティン氏は「ウクライナ国境付近でのロシア軍の動きを注視している」として、地域の安定化で引き続き連携していく考えを表明。その上で、ウクライナの自衛と主権、領土保全に対する「揺るぎない支持」を改めて約束した。』

ベラルーシ大統領と独首相が電話協議 不法移民問題で

ベラルーシ大統領と独首相が電話協議 不法移民問題で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR15D7C0V11C21A1000000/

 ※ メルケルって、10月26日に「首相を退任した」んじゃなかったか…。

 ※ どうも、よく分からん…。

 ※ いずれ、未だに「対旧ソ連圏」「対ロシア」となると、引っ張り出されるようだ…。
 
 ※ マクロンでは、まだ、「貫禄不足」と言うことか…。

『【モスクワ=桑本太】ベラルーシのルカシェンコ大統領とドイツのメルケル首相は15日、電話協議を開いた。

インタファクス通信によると、ベラルーシが国境を接するポーランドのほか、リトアニア、ラトビア国境に集まっている不法移民の状況について協議。問題を解決するための方法について議論したといい、今後の協議の継続にも合意した。

ロシアのプーチン大統領は国営テレビのインタビューで、ベラルーシを経由してドイツに向かう不法移民について、メルケル氏とルカシェンコ氏が「お互いに話し合う準備ができていると思う」と解決に向けた進展に期待を示していた。

15日にはプーチン氏とフランスのマクロン大統領が電話で協議し、不法移民の問題について議論した。ロイター通信によると、プーチン氏はマクロン氏に対し、「この危機に終止符を打つ必要があると理解している」と伝えた。』

ロシアが対衛星攻撃実験 米「1500個以上のデブリ発生」

ロシアが対衛星攻撃実験 米「1500個以上のデブリ発生」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1606Z0W1A111C2000000/

※ ウクライナ情勢が、きな臭いんで、それとの関係が全く無い…、とは言えないだろう…。

※ そういう「手をくり出して」、お互いに「けん制し合っている」んだろう…。

『【ワシントン=中村亮】米国務省は15日、ロシアが人工衛星に対するミサイル攻撃実験をしたと明らかにした。自国の衛星を破壊し、1500個以上の宇宙ごみ(デブリ)が発生したという。米欧とロシアの関係が一段と悪化しそうだ。

米国務省のプライス報道官は15日の記者会見で「ロシアの危険かつ無責任な行動が宇宙の持続性を危険にさらす」と非難した。1500個以上の追跡可能なデブリだけでなく、小さなデブリも大量に発生したという。

プライス氏はデブリが他国の衛星に衝突する恐れがあると指摘。国際宇宙ステーションの宇宙飛行士が被害を受けるリスクにも触れた。米航空宇宙局(NASA)は声明で宇宙ステーションとデブリが接近した際、飛行士が避難措置を講じたと説明した。

国防総省のカービー報道官は15日の記者会見で、ロシアからミサイル実験について事前通告はなかったと明らかにした。米軍で人工衛星は偵察活動や情報収集、ミサイルの早期探知、通信仲介など幅広い役割を果たしている。米軍はロシアや中国の対衛星攻撃能力の向上を強く懸念してきた。

米軍はデブリなど約3万個の物体を常時監視している。デブリが衛星などに近づくと当該国に通告して事故を防ぐ仕組みを設けており、追跡を急いでいるとみられる。

中国は2007年にミサイルで衛星を破壊した。この実験で3000個のデブリが発生したと米国は分析し、現在も監視対象にしている。インドも19年に同様の破壊実験に成功した。

ミサイル実験で米欧とロシアの対立に拍車がかかりそうだ。米欧はロシアがウクライナ国境付近に部隊を増強していると懸念する。中東からベラルーシを経由してポーランドなどに押し寄せる不法移民の問題も欧州ではロシアが「首謀者」との見方が出ている。』

ロシア、欧州へのガス供給増 貯蔵施設5カ所に充塡へ

ロシア、欧州へのガス供給増 貯蔵施設5カ所に充塡へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR09CXK0Z01C21A1000000/

 ※ 何らかの「妥協」が、成立したと見えるな…。

 ※ 安全保障上のものか、経済上のものか、どこの地域、どの勢力についてか、どの分野のものか…。

 ※ そこいら辺は、ちょっと分からんな…。

『【モスクワ=桑本太】ロシアは欧州への天然ガス供給を増やし始めた。国営ガス会社のガスプロムが欧州内の5カ所のガス貯蔵施設への供給増を9日に発表、欧州向けの一部パイプラインでガス輸送が増加に転じた。現時点での増加量は限定的で、気温が低下する冬を控えて欧州の需要を補えるかは懸念が残る。

ガスプロムは9日、「欧州の5つの地下貯蔵施設について、11月のガス注入計画を承認し、実施し始めた」と発表した。具体的な内容については公表していないが、ガスの輸送量と経路についても決定したという。

インタファクス通信によると、ロシアからベラルーシを経由してドイツに向かう天然ガスパイプライン「ヤマル・ヨーロッパ」とウクライナ経由のパイプラインのガス輸送量が増加した。

プーチン大統領は10月27日、ガスプロムに対しロシア内の貯蔵施設への充塡を終えた後に、欧州で同社が管理する貯蔵施設へ供給するよう命令。インタファクス通信によると、ガスプロムのミレル社長は国内ガス貯蔵施設への充塡を今月8日に終え、その後にドイツやオーストリアなど欧州の貯蔵施設への供給を増やす予定としていた。今週以降にガスプロムが供給を始めるとの観測が高まっていた。

これまではガスプロムからの天然ガス供給が停滞し、欧州内の在庫は低い水準に落ち込んでいた。

ただ、9日時点での欧州へのガス供給の増加は限定的だ。インタファクス通信によると、ウクライナ経由スロバキア方面のパイプラインへの供給は同日に増加前と比べて1割程度増加したとみられるものの、ガスプロムが長期予約している輸送量を下回る状況が続いている。

ロシアのガスは欧州連合(EU)の天然ガス輸入の約4割を占める。ロシアが地下貯蔵施設向けのガス供給を増やして理解を求めつつ、より多くのガスを供給できる新パイプライン「ノルドストリーム2」の早期稼働を求めているとの見方も根強い。プーチン氏はノルドストリーム2について輸送効率が高く、環境負荷が少ないと主張する。同パイプラインは9月に完成しているが、EUの独占禁止を巡る規制の適用除外が認められず、稼働にはハードルが残る。

ロシアからのガス供給増の報道を受けて、欧州の天然ガス指標価格であるオランダTTFは9日、小幅に下落した。』

ロシア外交官の遺体、大使館前で発見 ドイツ

ロシア外交官の遺体、大使館前で発見 ドイツ
https://www.afpbb.com/articles/-/3374573?act=all

『【11月6日 AFP】ドイツの首都ベルリンのロシア大使館前で先月、ロシアの外交官が遺体で発見されていたことが5日、明らかになった。

 遺体発見を最初に報じた独週刊誌シュピーゲル(Der Spiegel)によると、警察が10月19日、大使館から転落して死亡したとみられる男性の遺体を歩道上で発見。ドイツ外務省の報道官は、同省がこの件について「把握している」としたが、詳細は明らかにしなかった。

 ロシア大使館は外交官の死亡を認め、「悲劇的な事故」と説明。「西側メディアが伝えた臆測」は「全くもって不正確」だと主張した。

 シュピーゲルによると、死亡したのはロシア大使館の2等書記官(35)。だがドイツ当局は、この外交官がロシアの治安機関、連邦保安局(FSB)の情報員でもあったとみているという。

 死亡した外交官は、FSB第2部の高官とつながりがあったとも伝えられている。西側諸国の情報機関はこの部署について、2019年にベルリン中心部でジョージア国籍のゼリムカン・カンゴシュビリ(Zelimkhan Khangoshvili)氏が殺害された事件に関与していたとみている。(c)AFP 』

ロシア富豪亡命 殺人容疑で国際手配

ロシア富豪亡命 殺人容疑で国際手配―モンテネグロ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021102300509&g=int

『【ポドゴリツァAFP時事】旧ユーゴスラビア構成国の一つモンテネグロが、殺人容疑者としてロシアが国際手配中の富豪テルマン・イスマイロフ氏の亡命を受け入れた。弁護士が23日、確認した。イスマイロフ氏は今月、モンテネグロ入りしたところを国際手配に基づき逮捕されていた。

 報道によると、アゼルバイジャン出身のイスマイロフ氏はもともと偽造品で悪評が立つモスクワの巨大商業施設のオーナーだった。モスクワで2016年、200万ドル(約2億3000万円)を支払って人を雇い、2人を暗殺させた容疑で追われる身となり、モンテネグロでカジノを経営する息子を頼って逃亡してきたとみられている。

 モンテネグロ内務省は「政治的な意見に基づいて母国で迫害を受けているため、イスマイロフ氏には国際的な保護が提供された」と説明している。 』

ロシアで航空機墜落、16人死亡 エンジン故障か

ロシアで航空機墜落、16人死亡 エンジン故障か
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM110TF0R11C21A0000000/

『【モスクワ=共同】ロシア中部タタルスタン共和国のメンゼリンスクで10日、航空機が墜落した。乗員2人のほか、落下傘降下をする人々20人が搭乗しており、16人が死亡、6人が負傷した。ロシアメディアが伝えた。共和国のミンニハノフ大統領によると、離陸後間もなく、高度70メートルでエンジンの一つが故障し、緊急着陸を試みていた。

同機は旧チェコスロバキアの会社が開発したL-410で、軍関連組織が運用していた。インタファクス通信によると1987年製。定員超過だったとの情報もある。

ロシアでは7月、極東カムチャツカ半島でアントノフ26旅客機が墜落、乗客乗員28人が全員死亡した。その後も同型機が墜落するなど航空事故が多発している。』

ロシア中銀、6.75%に利上げ

ロシア中銀、6.75%に利上げ インフレ懸念で5会合連続
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB10CEK0Q1A910C2000000/

『【モスクワ=石川陽平】ロシア中央銀行は10日の金融政策決定会合で、政策金利を年6.50%から6.75%に引き上げると決めた。13日に実施する。利上げは3月から5会合連続で、インフレ率の高まりを抑える狙いだ。

ロシアでは新型コロナウイルス対策で実施していた行動規制などの緩和や世界経済の回復を背景に、消費者物価が上昇傾向を強めている。中銀によると、8月の消費者物価は前年同月比で6.68%上昇。7月にはさらに高まった。中銀が目標とする年4%を大きく上回っている。

中銀は10日の発表文で「次回以降の会合でさらに政策金利を引き上げる可能性がある」と述べた。ナビウリナ中銀総裁も同日の記者会見で「政策金利が7%を超えることもありうる」と述べ、一段の利上げを示唆した。

ナビウリナ氏は会見で、10月の金融政策決定会合で2021年のインフレ率の予想値を現在の5.7~6.2%から見直す可能性に言及した。同年の実質成長率の予想はこれまでの4.0~4.5%から上方修正することもあると指摘した。』

ロシアの非常事態相が死亡

ロシアの非常事態相が死亡
北極圏で訓練の視察中
https://nordot.app/808321006287486976?c=39546741839462401

『【モスクワ共同】ロシア非常事態省は8日、エブゲニー・ジニチェフ非常事態相(55)がロシア北極圏のノリリスクで、緊急事態を想定した訓練の視察中に死亡したと明らかにした。ロシア主要メディアが伝えた。

 訓練の様子を撮影していた男性が足を滑らせて水中に落ち、ジニチェフ氏は助けようとして飛び込んだが、石にぶつかり死亡したという。男性も助からなかった。

 ジニチェフ氏はソ連国家保安委員会(KGB)出身。2018年に非常事態相に就任した。

 ロシア大統領府は8日、ジニチェフ氏の悲報を受け、プーチン大統領が深い哀悼の意を表したとの声明を発表した。』

ロシア極東でヘリ墜落

ロシア極東でヘリ墜落、8人死亡
観光客ら17人が搭乗
https://nordot.app/798364004742070272?c=39546741839462401

『【ウラジオストク共同】タス通信などによると、ロシア極東カムチャツカ半島で12日、観光客ら17人が乗った民間のMi8ヘリコプターがクロノツキー自然保護区の湖に墜落し、8人が死亡した。

 観光客14人と乗組員3人が乗っていたとみられ、9人は救出された。

 Mi8はロシア国内で民間、軍用ともに広く使われている。近年は墜落事故が相次いでいる。』

2つの東京五輪またぎ中国が操る「北方領土カード」

2つの東京五輪またぎ中国が操る「北方領土カード」
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK022T30S1A800C2000000/

『東京五輪の開催中も国際政治を巡る厳しいせめぎ合いが続いている。話題になっているのは、日本の北方領土を巡る中国政府のスタンスの微妙な変化である。「中国外務省が表明した最新の見解と、北方四島に関する中国の地図表示には統一性がない。中国は一体、どうするつもりなのか」「これは今後の日中関係、そして米中関係をも左右する」。アジアの外交関係者らはこう指摘する。

問題となったのは、中国外務省の副報道局長、趙立堅による7月27日の記者会見だ。日本政府がロシア首相のミシュスチンによる北方領土訪問に抗議したことについて「世界反ファシズム戦争勝利の成果は適切に尊重され、遵守(じゅんしゅ)されるべきだ」と一歩、踏み込んだ見解を示した。

 7月26日、北方領土の択捉島で水産加工施設を訪れたロシアのミシュスチン首相=タス共同

この前段で「これはロシアと日本の2国間問題であり、双方の話し合いで解決すべきだ」と従来の立場を述べているものの、後段と合わせると、ロシア側に寄り添った雰囲気を醸し出すよう工夫されている。

「台湾で手を出せばロシアに肩入れ」示唆

そもそも「反ファシズム戦争(第2次世界大戦)勝利の成果」という表現は、ロシアが実効支配を正当化する際に使う表現である。これを「適切に尊重・遵守(じゅんしゅ)せよ」というなら間接的ながらロシアの主張を認めていることになる。

中国外務省の記者会見で、ロシア首相の北方領土訪問、関税を免除する特別区の設置提案について質問した共産党機関紙・人民日報傘下の国際情報紙である環球時報は、通信アプリ「微信(ウィーチャット)」公式アカウントで「(中国が)誰を支持しているのかは既に明確だ」などとする記事を掲載した。

2018年に中国企業代表団が択捉島を訪れ、旅行や養殖業での協力の可能性を検討した経緯に触れ、最後は「もし日本が続けて台湾、新疆ウイグル自治区など中国の内政問題に手を出すなら、中国企業は完全にロシアとともにさらに大きな一歩を踏み出す」と締めくくった。

「中国は時が来れば南千島の開発に参画する」。踏み込んだ見出しの記事は中国内で広く転載されている。中国政府が直接言わない意図の恣意的な解説は、宣伝当局の意向に沿って国際的な宣伝戦を有利に運ぶ「ポジショントーク」を含んでいる。

台湾を巡って日本は米バイデン政権と連携を強めている。21年版の防衛白書は「台湾をめぐる情勢の安定は、わが国の安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとっても重要」と初めて明記し、中国への警戒感を前面に出している。

握手する習近平・中国国家主席㊨とプーチン・ロシア大統領(2019年11月、ブラジリア)=AP

中国としては、北方領土問題でロシア寄りの姿勢を示すことで日本側をけん制する狙いがあるもようだ。一部で「半同盟関係」と評される中国とロシアの両軍は、東京五輪閉幕直後の8月9~13日に中国・寧夏で合同演習を予定している。一連の動きにはロシアへの配慮もある。9日はソ連が日ソ中立条約を破って旧満州(現中国東北部)に攻め込んだ日でもある。

中国の地図は今もロシア占拠を明記

とはいえ、中国の地図では今も北方四島について、本来、日本の領土である場所をロシアが占拠しているという意味のかっこ書きが付いている。日ロの国境線も択捉島とウルップ島の間に描かれている。日本政府の主張通りだ。

これらは大手IT企業、百度(バイドゥ)のサイトで検索できる地図でも確認できる。中国の国土資源省が管轄する国家測絵地理情報局が指示する統一表記だという。中国はいつでもこれを変えることができる。そういう脅しを日本にかけ始めた。

しかし、これは言葉でいうほど簡単ではない。中国による北方領土を巡る日本の立場支持には長い経緯がある。その起源が、1972年の日中国交正常化よりはるか前、建国の指導者、毛沢東による明言にあることはあまり知られていない。

話は64年の前回東京五輪の直前に遡る。「毛沢東主席が(日本への)南千島(北方領土)返還を支持」。64年7月13日付の日本経済新聞1面は香港発の記事でこう伝えている。

毛沢東主席が社会党訪中団に北方領土の日本返還を支持したと伝えた1964年7月13日付の日経新聞1面

毛沢東は同7月10日に佐々木更三ら社会党訪中団と会談。「社会党は南千島返還を要求しているが、どう思うか」との質問に、毛沢東は「ソ連は領土を取りすぎているので南千島を日本に返すことに賛成だ」と明言した。

1964年の毛沢東発言以来、中国の一貫した政策

続いて同8月1日付朝刊各紙は、社会党訪中団に参加した岡田春夫の話を香港電で伝えた。「(当時の首相である)周恩来も日本の対ソ領土返還要求を原則的に支持した毛主席の発言は、日本に対する一時的な戦術的考慮ではなく、中国の一貫した政治的主張である、と述べた」という。これは毛沢東発言が報道された後、日本国内で「日本に対する戦術的な考えに過ぎず、警戒すべきだ」という論評が出たのを気にしたものだった。

ちなみに中華人民共和国は、国交がない日本で64年10月10日開幕した前回東京五輪に参加していない。そして開幕から6日後の10月16日には、新疆で初の核実験に踏み切り、アジア唯一の核保有を宣言した。

前日の10月15日には毛沢東が敵視したソ連の第1書記兼首相のフルシチョフが辞職願に署名して失脚し、北京では「修正主義反対闘争の偉大な勝利」という歓呼の声が広がった。華やかな東京五輪の裏で中ソ対立を含む国際政治は風雲急を告げていた。

最高指導者、毛沢東の対日発言を受けて、人民日報はソ連の覇権主義を背景にした北方領土の占領を非難する記事を繰り返し掲載する。そして日中関係は72年の国交正常化に向けた道を歩み始める。ソ連への対抗は、対米関係の正常化という大きな決断にもつながった。

だが、その後のソ連崩壊は大きな転機になった。中国とロシアは国益を重視する戦略的な協調関係に動く。北方領土問題で日本を支持する利点は小さくなった。そこに目下の激しい米中対立も関係してくる。

中国共産党創建100年の祝賀大会を終えて参加者に手を振る、党総書記の習近平国家主席(前列左から2人目)ら。下は毛沢東の肖像画(7月1日、北京の天安門)=共同

毛沢東が日本への返還支持を明言してから57年。毛のような確固たる地位を目指す国家主席の習近平(シー・ジンピン)が、64年と2021年の2つの東京五輪をまたぐ形で毛と逆の決断に踏み込むのか。

周恩来がわざわざ「一時的な戦術ではない」と説明した歴史的な政策を覆すなら、中国の地図の表記は1950年代の中ソ蜜月時代に戻り、この50年、発展してきた日中関係も大きな転機を迎える。そして日本の同盟国である米国と中国の関係にも影響を与えるだろう。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』

ソ連クーデター未遂首謀者、死去

ソ連クーデター未遂首謀者、死去
オレク・バクラノフ氏、89歳
https://nordot.app/793440323854106624?c=39546741839462401

ソ連8月クーデター
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A38%E6%9C%88%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC

『背景
ゴルバチョフの3代前の書記長レオニード・ブレジネフの政策は1970年代後半以降徐々に破綻をきたし、中ソ関係や米ソ関係のさらなる悪化を招いた。特に米ソ関係は1979年のアフガニスタンへの軍事介入で決定的に悪化し、デタントは消え去った。

ゴルバチョフ(左)とアメリカのロナルド・レーガン大統領

こうした状況の中で1982年にブレジネフが死去した。その後任となったユーリ・アンドロポフは病弱であったため、1年3ヶ月後の1984年に死去。さらにアンドロポフの後を継いだコンスタンティン・チェルネンコも病弱であり、書記長就任の翌1985年に死去した。チェルネンコの後任の書記長には54歳だったゴルバチョフが就任し、ペレストロイカ(再構築)やグラスノスチ(情報公開)といった国内改革を進めることとなる。

就任直後の1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故への対応を巡っては、ソ連指導層に混乱が生じた。事故を隠蔽すべきと考えていた保守派は、現場の自己保身に同調する形で、グラスノスチで情報公開を推し進める改革派のゴルバチョフに対して事故を過少報告した。ところが、スウェーデンのフォルスマルク原子力発電所でRBMK由来の放射性核種が発見されたニュースがゴルバチョフに知られるに至り、隠し通せなくなった。だが必ずしもソ連の栄誉すべてをかなぐり捨てるつもりではなかったゴルバチョフは、調査に当たったワレリー・レガソフらと協議の末、「事故の事実は認めるが、RBMKの設計上の問題は認めない」という保守派にも改革派にも不満の残る対応をとった。レガソフは2年後にこれらの事実を踏まえた告発文を発表、また回顧録を肉声テープで残したうえ、自殺している。

こうした中、ソ連共産党内の改革派からボリス・エリツィンが台頭してくる。エリツィンはゴルバチョフが保守派と妥協していることを批判したため、1987年にモスクワ市党委第一書記を解任され、さらに1988年2月には政治局員候補から外される。保守派と改革派の対立の土台は1988年のゴルバチョフによる過去の政治批判によりできあがっていた。1988年10月にはアンドレイ・グロムイコ最高会議幹部会議長が辞任し、ゴルバチョフが兼任する。

翌1989年には改革派からはみ出した民主綱領派が結成され、エリツィンがリーダーとなった。これに刺激されるかのように1990年2月に保守派が政策集団「ソユーズ」を結成する。7月の党大会でゴルバチョフが書記長に再選されるが、エリツィンがゴルバチョフの書記長続投に反発し離党。1991年1月にソビエト連邦軍がバルト三国に軍事介入し13人の死者が出た。ソ連軍のバルト三国軍事介入に反発するソ連国民がゴルバチョフの退陣を要求するようになり、軍部に頼るようになったことで国民の支持という点での政権基盤が崩れつつあった。また、経済政策も行き詰まりつつあった。

経済政策の行き詰まりの原因はアメリカ合衆国にあった。アメリカのロナルド・レーガン大統領によるソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗するムジャヒディンの支援とスターウォーズ計画でソ連の軍事費はかさむ一方で、民需による技術開発がなされなかった。宇宙開発競争でアメリカをリードしたニキータ・フルシチョフ時代には「科学先進国」ともされていたソ連だったが、戦勝と資源投入によって得た技術的優位はこの頃にはすっかり失われ、日本やアメリカと比べると10年から20年は遅れている(西側ではどんな貧乏人でも買えるようなカセットテープレコーダーが、ソ連では高級官僚ですら入手不可能だった)という無残な状況となっていた。アメリカに融和的なゴルバチョフは軍民転換(コンヴェルシア)を掲げて従来の計画経済を改革しようとするも、マルタ会談での冷戦終結に伴う大規模な軍縮はアメリカと軍拡競争を行ってきた軍産複合体の既得権益を脅かすこととなり、クーデター側に軍需産業の代表が名を連ねる原因となった。

ゴルバチョフはエリツィンと4月に和睦し、ソ連邦の基本条約に調印した。しかし、ゴルバチョフ政権を支えていた軍部と保守派は、この動きに抵抗した。この頃、ソ連の国民世論はエリツィンら急進改革派支持に傾いていった。1990年4月にはエリツィンら急進改革派が結成した地域間代議員グループに所属するガブリール・ポポフがモスクワ市長に、1991年6月にはアナトリー・サプチャークがレニングラード市長に当選した(ポポフ、サプチャークは後にブレジネフの流れを汲む保守派と一線を画し、後に共産党を離党する)。また同年6月20日のロシア大統領選では、保守派が擁立したニコライ・ルイシコフ前ソ連首相がエリツィンに惨敗したことも保守派を追い詰め、クーデターを引き起こすきっかけとなった。

1991年8月20日に各主権共和国は独立した共和国として共通の大統領、外交、軍事政策下に連合するという新連邦条約に署名する予定だった。保守派は新連邦条約がいくつかの小さな共和国、特にエストニア、ラトビア、リトアニアといった国々の完全独立に向けた動きを促進するだろうという恐れから同条約に反対した。彼らは、新連邦条約は各主権共和国へ権力を過度に分散させすぎたものだと見なした。』

『経緯

クーデター前夜

1991年8月19日、ゴルバチョフ大統領と各主権共和国指導者が新連邦条約に調印する前日、「国家非常事態委員会」を称するグループがモスクワでの権力奪取を試みた。ゲンナジー・ヤナーエフ副大統領を始めとする保守派グループによる体制維持が目的の反改革クーデターはウラジーミル・クリュチコフKGB議長が計画し、ゴルバチョフの別荘の暗号名をとって「あけぼの作戦」とよばれた。委員会の8人のメンバーはヤナーエフ副大統領、クリュチコフKGB議長、ボリス・プーゴ内相、ドミトリー・ヤゾフ国防相、ヴァレンチン・パヴロフ首相、オレグ・バクラーノフ国防会議第一副議長、ワシリー・スタロドゥプツェフソ連農民同盟リーダー、アレクサンドル・チジャコフ国営企業・産業施設連合会会長であった。また、同委員会の正式なメンバーでは無かったが、アナトリー・ルキヤノフソ連最高会議議長は同委員会と密接な関係にあり、謀議に関与していた。

8月19日

前日の8月18日の午後5時頃ワレリー・ボルジン大統領府長官ら代表団がクリミア半島フォロス(ロシア語版)の別荘で休暇中のゴルバチョフに面会を要求、ヤナーエフ副大統領への全権委譲と非常事態宣言の受入れ、大統領辞任を迫ったがゴルバチョフはいずれも拒否、別荘に軟禁された。

国家非常事態委員会は8月19日の午前6時半にタス通信を通じて「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で執務不能となりヤナーエフ副大統領が大統領職務を引き継ぐ」という声明を発表する。反改革派が全権を掌握、モスクワ中心部に当時ソ連の最新鋭戦車であったT-80UDの戦車部隊が出動し[7]、モスクワ放送は占拠された。(当時、アナウンサーは背中に銃を突きつけられた状態で放送をしていたという[8])。

午前11時になるとエリツィンロシア共和国大統領が記者会見を行い「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」との声明を発表する。エリツィンはゴルバチョフ大統領が国民の前に姿を見せること、臨時人民代議員大会の招集などを要求、自ら戦車の上で旗を振りゼネラル・ストライキを呼掛け戦車兵を説得、市民はロシア共和国最高会議ビル(別名:ホワイトハウス)周辺にバリケードを構築した。また市民は銃を持ち火炎瓶を装備、クーデター派ソ連軍に対し臨戦態勢を整えた。クーデターには陸軍最精鋭部隊と空軍は参加しなかった。

海外の反応

このニュースは世界各国にも伝わった。リビアのカダフィ大佐[9]、イラクのサダム・フセイン大統領[10][11]、セルビア(ユーゴスラビア)のスロボダン・ミロシェヴィッチ幹部会議長、パレスチナのヤーセル・アラファート議長は国家非常事態委員会の支持を表明した。

一方、アメリカ合衆国のジョージ・H・W・ブッシュ大統領は国家非常事態委員会を否定し、エリツィンとゴルバチョフらの改革派を支持した。イギリスのジョン・メージャー首相とフランスのフランソワ・ミッテラン大統領も同じだった。日本の海部俊樹首相は、ソ連内の情報ルートがなかったことによりクーデターの先行きを把握できなかったため、保守派が政権を奪取した場合を考慮しクーデター発生当初は態度を明確にしなかったが、後にクーデターを非難し、改革派への支持を表明した。

午後10時をすぎると戦車10台がエリツィン側に寝返った。1万人の市民がロシア最高会議ビル前に篭城した。KGBのアルファ部隊は保守派からロシア最高会議ビル奪取命令を下されたがそれに従わなかった。北部ロシアの炭鉱でも改革派を支持する労働者によるストライキが発生し、エストニアでは独立宣言が出された。レニングラードでは改革派のアナトリー・サプチャーク市長が市のコントロールを奪回した。

国家非常事態委員会の狼狽

翌8月20日12時頃、ロシア政府ビル前に市民10万人が集結し「エリツィン!、ロシア!、エリツィン!、ロシア!」のシュプレヒコールをあげた。労働者ストライキが全国で発生し、市民デモも多発。一部では流血事態が発生した。21日の午前0時になると戦車隊がロシア政府ビルへ前進、市民と衝突し火炎瓶を装甲車に投げつけるも、装甲車に飛び乗った市民を振り落とす等で3名が死亡する。午前4時頃、軍とKGBの150戦車隊の一部がバリケードの突破で小競合いとなる。ロシア側は発砲を許可し戦車2台を破壊、10数名の市民が死亡した。午前5時に国家非常事態委員会は戦車部隊の撤収を決定。交渉により軍は当面事態を静観すると確約する。午前11時頃、ロシア最高会議は国家非常事態委員会に対して夜10時までに権力の放棄を求める最終通告を行う。この通告に動揺したせいかは定かではないが国家非常事態委員会の一部メンバーが辞任を表明、ヤナーエフ副大統領は飲酒の果てに泥酔して執務不能の状態にあった。午前11時40分、国家非常事態委員会の実質的リーダーであるクリュチコフKGB議長がエリツィンにゴルバチョフ大統領との話し合いを申し出る。ロシア最高会議はイワン・シラーエフ首相を代表に任命、ゴルバチョフ救出のためクリミアに派遣することを決定した。

クーデター失敗と共産党の失墜

午後1時53分、エリツィンはクーデターが未遂に終わったことを宣言した。午後2時になると国家非常事態委員会のメンバーがソ連国内から逃亡を始め(プーゴ内相は拳銃・アフロメーエフ元参謀総長は首吊り自殺)、エリツィンはメンバーの拘束指令を発する。午後4時20分にはヤゾフ国防相が全部隊のモスクワへの撤退命令をニュース放送で行う。午後4時55分にロシア代表団がクリミア半島に到着してゴルバチョフと面会、午後9時にはモスクワ放送が復活した。

8月22日の午前2時55分に攻撃を避けるための人質としてクリュチコフを帯同したゴルバチョフが搭乗したアエロフロートの特別機がモスクワのブヌコヴォ空港に到着した。クーデターの関係者は逮捕されたが、その首謀者たちはゴルバチョフの側近だったため、皮肉にもゴルバチョフ自身を含むソ連共産党の信頼は失墜していた。午後0時にエリツィンはクーデターに対する勝利宣言を行う。これには市民20万人が参加したが、ゴルバチョフが姿を見せることはなかった。夕方にゴルバチョフは外務省のプレスセンターで記者会見を行う。同日夜になると、モスクワ中心街で共産党の活動禁止を要求するデモが行われた。

ソ連共産党解体

翌日の8月23日、ゴルバチョフはロシア最高会議で今後のソビエト連邦と共産党に関する政見演説を行うが、議員たちは彼の演説に耳を傾けることはなかった。エリツィンはソ連共産党系のロシア共産党の活動停止を命じる大統領令に署名を行う。翌8月24日、ゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任、資産を凍結し党中央委員会の自主解散を要求。ロシアはエストニアとラトビアの独立を承認した。

クーデターからおよそ10日後の8月28日、ソ連最高会議の臨時両院(連邦会議・民族会議)合同会議がパヴロフ首相の不信任案を可決し、共産党の活動全面停止を決定。クーデターを支持した「プラウダ」等の共産党系新聞5紙が発禁処分となった。また、クーデターを支持したとしてタス通信やノーボスチ通信の社長も解任された。

余波

エリツィン(右)とアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領(左)

クーデターの後、新連邦条約についての交渉がまた新たに始まった。ソ連およびアメリカは、9月にバルト三国の独立を承認。ゴルバチョフはモスクワ帰還後数か月の間、なおも政権の安定と合法性を取り戻す為の努力を行ったがそれは不発に終わることとなる。11月に7共和国が主権共和国連邦結成の条約に合意したが、ソ連内でも有数の工業国であるウクライナが参加しなかったため、エリツィンはロシアの利益を優先し合意を破棄した。エリツィンはロシアが他の共和国の厳しい経済に対する責任を負うことになると考えたため、ロシアの新条約への参加は考えられなかった。ソ連共産党が存在しない状態では、もはや連邦を構成する共和国を協調させることはできなかった。

12月8日にエリツィンおよびベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領が、ベラルーシのベロヴェーシの森の旧フルシチョフ別荘で秘密裏に会合をもった。ここで彼らは、3国がソ連邦を設立した1922年の連合条約からの離脱と、独立国家共同体(CIS)を創設に合意した(ベロヴェーシ合意)。中央アジア、アルメニアおよびアゼルバイジャンの5共和国を含め独立国家共同体を拡張するための署名式は、12月21日にアルマアタで執り行われた。他方グルジアは、ゴルバチョフの親友であったエドゥアルド・シェワルナゼがグルジア大統領となる1993年(ただし、1992年に国家評議会議長に就任しており、正式に大統領となったのは1995年)まで、これに参加しなかった。

構成国の相次ぐ独立により、ソビエト連邦は1991年12月25日に消滅した。ゴルバチョフが1985年12月25日にエリツィンをモスクワ市党委員会第一書記に任命してからちょうど6年後のことだった。

インターネットによる変革の先駆け

この8月クーデターが失敗に終わった原因として、当時はまだ普及していなかったインターネットがもたらしたとAFPは分析している[12]。

放送局も新聞社も保守派によって占拠され情報統制されている中、エリツィン率いる改革派は打つ手なしだった。しかし1990年に、当時ソ連の専門家が開発していた電子メールシステム「RelCom」から、電子ファイルを電話回線を用いてフィンランドに送信する際、何らかの原因でUsenetに漏洩していたという経緯があった。そこでまず誰かがエリツィンの声明をファックスで受け取り、このネットワークを介して西側諸国に流した。

西側のテレビが情報源を明らかにしたにもかかわらず、KGBは全く動かなかったという。クーデターの数週間前にはKGBがRelCom制作チームのオフィスに乗り込んだものの、モデムなどの役割がわからず、機材の押収やメンバーの逮捕なども行なわずに立ち去っていた。

クーデターから数ヶ月後に、RelCom制作チームの一人から事の次第を知ったエリツィンが、「新聞もラジオもテレビも機能していなかった。それでも国民は(自分の声明を)知っていた。君たちのおかげだったのか!」と驚き感謝している。』