2015年から2020年にかけて、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリー、ブルガリア、チェコ共和国、クロアチア、スロヴァキア、スペインは、ロシアに対して総額3億4600万ユーロの兵器を売っていた。

2015年から2020年にかけて、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリー、ブルガリア、チェコ共和国、クロアチア、スロヴァキア、スペインは、ロシアに対して総額3億4600万ユーロの兵器を売っていた。
https://st2019.site/?p=19855

『Anna Neplii 記者による2022-6-28記事「Who armed Russia?」。

    2015年から2020年にかけて、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリー、ブルガリア、チェコ共和国、クロアチア、スロヴァキア、スペインは、ロシアに対して総額3億4600万ユーロの兵器を売っていた。

 抜け道は、2014-8-1以前の契約は実行して可い、とEUが制裁に例外を認めたから。

 最大の売り手はフランス。1億5200万ユーロの兵器をロシアに売り渡した。
 戦闘機用のFCSや戦車用のサーマルイメージングシステムだけではない。爆弾、ミサイル、ロケット、魚雷、爆薬をモロに売りまくってきた。2015から逆に輸出が増加しているのだ。

 2014年には、化学物質、生物兵器素材、放射能物質もロシアに売って可いと仏政府は決めた。

 金額で二番手はドイツだ。ロシアに軍需品を1億2180万ユーロ、売った。
 2017年には、宇宙ロケット用のヒドラジン燃料を250万ユーロ、売っている。

 イタリアのイヴェコ社は「Lynce」装甲車を2500万ユーロ分、ロシアに輸出した。2015年に。この装甲車は今年3月、ウクライナ戦線で撮影されている。
 また2021年の1月から11月まで、イタリアからロシアへ、兵器と弾薬が2190万ユーロ、輸出されている。
 チェコは、航空機、ドローン、飛行機用エンジンをロシアに輸出している。
 オーストリーは、重機関銃や機関砲とその弾薬パーツ。
 ブルガリアは、軍用船舶。

 EU諸国は、2014以降に「特許」もロシアに売っていた。それはヴォロネジ航空機工場で「アントノフ148」を15機製造するのに必要なものだったという。』

ロ作戦司令官解任と英米分析目標未達成、政権が不満か

ロ作戦司令官解任と英米分析
目標未達成、政権が不満か
https://nordot.app/914760453489508352?c=39546741839462401

『英国防省や米シンクタンクの戦争研究所は29日までに、ロシア軍で対ウクライナ軍事作戦を統括するドボルニコフ司令官が解任された可能性が高いとの分析を明らかにした。事実であれば、ウクライナ東部ドンバス地域の制圧という最低限の目標にいまだ届かないことへのプーチン政権の不満の表れと言えそうだ。

 戦争研究所は、後任にはジトコ大将が充てられたとみられると指摘。ロシアのショイグ国防相が26日、ウクライナで軍事作戦を続けるロシア軍部隊の現地司令部を視察した際、ジトコ氏がショイグ氏の隣に座っていたことなどを根拠として挙げている。』

プラウダ

プラウダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%80

『プラウダ、またはプラヴダ(ロシア語: Правда プラーヴダ、英語: Pravda)は、ロシア連邦の新聞、またそれを発行する出版社(新聞社)。かつてのソビエト連邦共産党の機関紙で、1912年4月22日(ユリウス暦、グレゴリオ暦では5月5日)に発刊された。プラウダとはロシア語で「真実・正義」の意である。』

『概要

1941年7月3日のプラウダ:題「ラジオ演説を行うソ連国家防衛委員会議長、同志スターリン」
プラウダを読むレフ・カーメネフ

最盛期の発行部数は1,500万部を超えたといわれ[1]、世界一の発行部数を誇ったこともあった。なお最盛期の発行部数ではコムソモールの機関誌であったコムソモリスカヤ・プラウダやモスクワの週刊新聞である論拠と事実など、これを上回る新聞もあった[1]。ソビエト連邦の崩壊後は発行部数を大きく減らし、日によっては4面しかないこともあったが、2000年代初頭においてロシアで第2位の発行部数があった。

ソ連時代は、政府機関紙のイズベスチヤと同じく国民に対するプロパガンダ紙であり、無味乾燥な発表報道とスローガンばかりで、広告や写真の少ない新聞であった。ソビエト連邦共産党にとって都合の悪い事は書かれず、時には事実がねじ曲げられて伝えられ、捏造も行われた。多くの国民もそのようなことはわかっていたので行間を読む、裏を読むといったことで真実を探ろうとした。そのような状況から「ソ連の二大新聞、プラウダとイズベスチヤの違いは何か?プラウダにイズベスチヤ(ニュース)はなく、イズベスチヤにプラウダ(真実)はない」というような小咄(アネクドート)も生まれた。

現在ではロシアにおけるタブロイド型の新聞として人気を集めている。旧プラウダ紙のスタッフによって運営されているニュースサイトプラウダ・オンラインも存在するが、これと現在印刷されているプラウダ紙の間に直接の関係はない。なお、「プラウダ」と呼ばれる新聞は他にもいくつかあり、有名なものとして、かつてコムソモールの機関誌であり、現在ロシアで最も部数の多いタブロイド新聞となっているコムソモリスカヤ・プラウダなどが挙げられる。

2000年代初頭にはUFOや超常現象、陰謀論などを扱うようになった。たとえば超常現象研究家のコンノケンイチはプラウダのサイトに載った「地球外文明によってつくられた月面都市」の記事を著書『UFOとアポロ疑惑 月面異星人基地の謎』で引用している。 』

『起源
ロシア革命以前のプラウダ

プラウダが発行されたのはカール・マルクスの生誕記念日である1912年5月5日というのが公式の見解である。しかし実際の起源は1903年にまで遡る。裕福な鉄道技師ウラジーミル・コジェフニコフ(ロシア語版)によってモスクワで設立され、1905年のロシア革命の最中に出版を開始した[2]。

プラウダの黎明期は政治的な方向性を持っておらず、コジェフニコフは芸術、文学、社会生活の雑誌として始めていたが、すぐにプラウダの「社会生活」雑誌への積極的な寄稿者だった若手作家たち(アレクサンドル・ボグダーノフ、N・A・ロジコフ、ミハイル・ポクロフスキー、イヴァン・スクヴォルツォーフ=ステパーノフ(英語版)、P・P・ルミャーンツェフ、M・G・ルンツ等)によるチームが形作られた。その後、彼らは雑誌の編集委員となり、後にはロシア社会民主労働党のボリシェヴィキの主要なメンバーとなっていた[2]。

しかしコジェフニコフと、ボリシェヴィキ主要メンバーでもある編集委員との間に争いが生まれ、ついにはコジェフニコフがプラウダから去ること求めて来たのでこれを受託し、社会民主労働党のメンシェヴィキが編集委員会を引き継いだ。これがプラウダとコジェフニコフとの間に禍根を残すことになる[2]。

1912年1月にプラハで開催されていた社会民主労働党の第6回党会議で、遂にメンシェヴィキが党から追放された。党の主導権を握ったウラジーミル・レーニンは明確にプラウダを公式の代弁者とした。書類をウィーンからサンクトペテルブルクに移すと同時に1912年5月5日(ユリウス暦1912年4月22日)にレーニン主導により4ページで5コペイカの創刊号が発表された[3]。このとき初めてプラウダが法的にも政治新聞として発行された。社会民主労働党の中央委員会、労働者や個人などと共にマクシム・ゴーリキーは新聞に資金援助をした。これには経済問題、労働運動、ストライキに関する記事があり、プロレタリアートの詩が2作載っていた。サンクトペテルブルク・プラウダの最初の編集者であるマクシム・イェゴーロフとドゥーマの議員であるニコライ・ポレターエフ(ロシア語版)が版元として務めた[4]。
2月革命
1917年3月16日:ポーランドの独立宣言を報じるプラウダ。

1917年の2月革命によるニコライ2世の退位によって、プラウダは発行を再開した。新しく生まれ変わったプラウダの最初の編集者であるヴャチェスラフ・モロトフとアレクサンドル・シュリャープニコフ(英語版)は、自由主義的なロシア臨時政府に反対した。3月12日にシベリアへの流刑から戻って来たレフ・カーメネフとヨシフ・スターリンに加え、マトヴェイ・ムラノフ(英語版)らは3月15日に編集委員会を引き継いだ[5]。

1917年3月15日、戦争への努力を支持する記事を載せた。

軍隊と軍隊とが対峙しているときに、武器をしまって家路につくよう一方に提案するのは、最もばかげた政策であろう。これは平和政策などではなく、自由人民たちを苛立たせ拒絶させる、奴隷政策だ。 When army faces army, it would be the most insane policy to suggest to one of those armies to lay down its arms and go home. This would not be a policy of peace, but a policy of slavery, which would be rejected with disgust by a free people.[6]

4月3日に、ロシア帝国に帰国したレーニンとグリゴリー・ジノヴィエフは4月テーゼで、臨時政府との統一的な傾向を強く非難した。カーメネフはプラウダの社説でレーニンの立場に反対したが、レーニンは再度プラウダで「反革命」として臨時政府を非難することによって4月党大会では好評を得ることに成功した。それ以降プラウダは基本的にレーニンの編集姿勢を追い、十月革命後の1917年には毎日ほぼ10万枚を販売していた。
ソ連時代
1939年3月18日: プラウダのオフィス内部、立っているのはヴァシーリー・モロドツォーフ(ロシア語版)とイリイチョーフ。

ソビエト政権が首都をモスクワに遷都した時に事務所も1918年3月3日にモスクワに移し、プラウダはソビエト連邦共産党の公式出版物、または「党の機関紙」となった。プラウダは公式の政策や方針の変更を発表するための国民へのパイプとなり、1991年までそれを続けた。1989年までは国営企業、軍隊、その他の組織はプラウダの購読が必須だった[7]。

他にも新聞はあったが、すべて他の国家機関の機関紙として存在していた。例えば外交関係を報じていたイズベスチヤはソビエト連邦最高会議の機関紙であり、またトルード(英語版)は労働組合運動の機関紙であり、ベドノター(英語版)は赤軍と農民に配布されていた。他の様々な派生誌は全国紙として部数を増やすために名前に「プラウダ」を付けたものも発行されていた(コムソモールの機関紙はコムソモリスカヤ・プラウダ、ピオネールの機関紙はピオネールスカヤ・プラウダ(英語版))、さらにソ連内の幾多の共和国と州では共産党の地域新聞が発行された、例えばカザフスタンではカザフスタンスカヤ・プラウダ(英語版)、ムルマンスク州ではポリャルナヤ・プラウダ(ロシア語版)、アルハンゲリスク州ではプラウダ・セヴェラ(英語版)、そしてモスクワ市ではモスコフスカヤ・プラウダ(英語版)などがあった。
1941年11月: モスクワでプラウダを読む兵士。写真アナトーリー・ガラーニン(ロシア語版)
ドイツがプロパガンダ用に作った偽プラウダ。ドイツ占領地域ではコルホーズが廃止されたと伝えている。

10月革命後まもなく、ニコライ・ブハーリンはプラウダの編集者となった[8]。 この人事は1917年4月にロシアへの帰国が決まったブハーリンに先立ち、移住と亡命が終わる最後の数ヶ月の間に決まっていた[9]。1916年11月から1917年4月までブハーリンはアメリカのニューヨーク市で暮らし、地元の図書館で勤務しつつロシア語話者用のロシア語新聞であるノーヴィ・ミール(英語版)(新世界の意)を発行していた[10]。時が経つにつれてブハーリンとノーヴィ・ミールの関係は深くなり、実際にロシアに戻ったときに1917年1月から4月までノーヴィ・ミール.Zの事実上の編集者を務めていた[10]。1924年のレーニン死後のプラウダはブハーリンの権力基盤を形成する存在となり、新聞を編集したこともある敵対政党の指導者を助けることによりマルクス主義理論家としての評判を補強した。ブハーリンはプラウダの編集者として働き続けていたが、ヨシフ・スターリンとの論争により1929年2月にミハイル・トムスキーと共にプラウダでの職務から外された、これにより結果として彼らは失脚した[11]。

ソ連の場所や物事はプラウダにちなんで名付けられたものが多く、その中でも特にゴーリキー州(プラウダ含め他の全国紙の新聞紙を大量に生産する製紙工場の本拠地である)のプラブジンスクの都市には幾つものプラウダの名を冠した通りや集団農場があった。
ソ連崩壊後

ミハイル・ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ、グラスノスチ政策の時代にはイズベスチヤに比べて保守的な記事が多く、時にはゴルバチョフの政策を批判することさえあった。ソ連崩壊後は古き良きソ連時代を懐かしむといった論調も目立つものの、内容はずっと軟化している。

1991年に共産党が解散されその資産が接収された際に、プラウダ紙もその一部として発行が停止されたが、その数週間後には旧スタッフによって同じ名前の新聞が創刊された。数ヶ月後にプラウダ紙の経営権はギリシャの実業家ヤンニコス家に移ったが、これに反発したスタッフたちはプラウダ紙から独立し、独自の新聞創刊(これはのちに政府によって発行禁止となった)を経て1999年にロシア語による初めてのニュースサイトであったプラウダ・オンラインを開設した。

2012年7月5日、プラウダ創刊号発行100周年を記念して、ロシア連邦共産党内に正式に編集部が組織された[12]。
プラウダの発行する主な新聞・雑誌

プラウダ
日刊紙
アガニョーク(Огонёк、ともしびの意)
かつてはソビエト共産党の機関誌、週刊。
クロコディル(Крокодил、ワニの意)
ソ連時代は唯一の漫画誌。インテリ層に根強い人気がある。
セリスカヤ・ジーズニ(Сельская жизнь、農村生活の意)

歴代編集長
1945年5月10日: I・V・スターリン勝利の日を祝う
1960年代のプラウダの一面。

編集委員会(1917年3月-12月)
    レフ・カーメネフ
    ミハイル・カリーニン
    ヴャチェスラフ・モロトフ
    ヨシフ・スターリン
    ウラジーミル・レーニン
    グリゴリー・ソコリニコフ
    マトヴェイ・ムラノフ(英語版)
    コンスタンチーン・イェレメーエフ(ロシア語版)
    ミハイル・オリミーンスキー(ロシア語版)
    マリーヤ・ウリヤーノヴァ(ロシア語版)
ニコライ・ブハーリン(1918年12月–1929年)
編集委員会事務局(1929-1930年)
    ガラリド・クルミン(ロシア語版)
    ニコライ・ポポフ(ロシア語版)
    イェメリヤーン・ヤロスラーフスキー(英語版)
マクシミリアン・サベリェフ(ロシア語版)(1928–1930年)
レフ・メフリス(1930–1937年)
イヴァン・ニキーチン(1937–1938年)
不明(1938–1940年)
ピョートル・ポスペーロフ(1940–1949年)
ミハイル・スースロフ(1949–1950年)
レオニード・イリイチョーフ(ロシア語版)(1951–1952年)
ドミトリー・シェピーロフ(1952–1956年)
パーヴェル・サチュコフ(ロシア語版)(1956–1964年)
アレクセイ・ルミャーンツェフ(ロシア語版)(1964–1965年)
ミハイル・ジミャーニン(ロシア語版)(1965–1976年)
ヴィークトル・アファナーシェフ(ロシア語版)(1976–1989年)
イワン・フロロフ(1989–1991年)

脚注

^ a b マル秘情報取材班(編集)『世の中なんでも「ピン・キリ」読本―テレビじゃやらないマル珍データ』青春出版社(青春BEST文庫)、1996年、169頁。ISBN 4-413-08306-7。
^ a b c White, James D. (April, 1974). "The first Pravda and the Russian Marxist Tradition". Soviet Studies, Vol. 26, No. 2, pp. 181–204. Accessed 6 October 2012.
^ Bassow, Whitman. (February, 1954) "The Pre Revolutionary Pravda and Tsarist Censorship". American Slavic and East European Review. Vol. 13, No. 1, pp. 47–65. Accessed 6 October 2012.
^ Elwood, Carter Ralph. (June 1972) "Lenin and Pravda, 1912-1914". Slavic Review. Vol. 31, No. 2, pp. 355–380. Accessed 6 October 2012.
^ Leon Trotsky, History of the Russian Revolution, translated by Max Eastman, Chicago, Haymarket Books, 2008, p. 209
^ See E. H. Carr, The Bolshevik Revolution, London, Macmillan Publishers, 1950, vol. 1, p. 75.
^ See Mark Hooker. The Military Uses of Literature: Fiction and the Armed Forces in the Soviet Union, Westport, CT, Praeger Publishers, 1996, ISBN 978-0-275-95563-2 p.34
^ Stephen F. Cohen, Bukharin and the Bolshevik Revolution: A Political Biography, 1888–1938 (Oxford University Press: London, 1980) p. 43.
^ Stephen F. Cohen, Bukharin and the Bolshevik Revolution: A Political Biography, 1888–1938, p. 44.
^ a b Stephen F. Cohen, Bukharin and the Bolshevik Revolution: A Political Biography, 1888–1938, p. 43.
^ Stephen F. Cohen, Bukharin and the Bolshevik Revolution: A Political Biography, 1888–1938, p. 311.
^ Sharma, Rajendra. (2012年3月13日) "Pravda at a hundred: Alive and Fighting Archived 2013年12月29日, at the Wayback Machine." People's Democracy (Weekly Organ of the Communist Party of India (Marxist)). Loklahar, New Delhi. Vol. XXXVI, No. 19. 2012年10月6日現在 』

(※ 関連項目、外部リンクは省略。)

新コロで遅れていたロシアの国勢調査(2020)のまとめがようやく完了。

新コロで遅れていたロシアの国勢調査(2020)のまとめがようやく完了。
https://st2019.site/?p=19845

『ストラテジーペイジの2022-6-26記事。

    新コロで遅れていたロシアの国勢調査(2020)のまとめがようやく完了。
 これは10年ごとにやるもの。

 人口は2010年より1.4%増えた。
 旧ソ連圏から非ロシア系の移入民が多かったおかげで。

 彼らはなぜ引っ越したかというと、ロシアでなら仕事にありつけた。
 米国が国内石油・ガスをフラッキングで採掘するようになる以前のロシアの石油・ガス景気がすごかった。

 その後、米国のフラッキングのおかげでロシアは不景気に。移入民も減った。そこで2014にクリミアを併合し、人口が230万人増えた。

 ロシア軍の徴兵任期を1年とし、しかも、徴兵は海外戦場に送らないと決めたのも、人口減対策の一環だった。しかしあまり効果がなかった。

 2020センサスでは、ロシアの労働力人口は減っていることが確かめられた。2010年には全人口の66%は就労可能年齢層だった。それが59%に落ちた。老人が増え、子どもは減っている。

 モスクワにある外国人と高額所得者向けのアパートの賃料が2014年とくらべて半額に落ちている。これは2014いらい、専門知識のあるロシア人が国外へ脱出し続けていることを示す。
 いまや、国外へ去る人数が、あらたにロシア国内へやってくる人数を上回っている。

 ロシアのインフレ率は、クリミア侵略直後の2015年には12%にもなったが、2018~2019には4%にまで落ち着いていた。』

プーチン大統領「信任」80%政府系調査、侵攻後最高に並ぶ

プーチン大統領「信任」80%
政府系調査、侵攻後最高に並ぶ
https://nordot.app/913070464870449152?c=39546741839462401

『 ロシア政府系の「世論基金」が実施した最新の世論調査で、プーチン大統領を「信任する」との回答が80%になった。ロシア通信が24日伝えた。2月24日のウクライナ侵攻開始以降では4月24日の調査と並び最高。侵攻から4カ月が経過しても国民の支持率が低下していないことを示している。侵攻直後の2月27日の調査では「信任する」が71%だった。

 今回の調査ではプーチン氏の大統領としての仕事ぶりを「評価する」との回答も81%に上った。

 調査は今月17~19日にロシア全土で1500人を対象に行われた。(共同)』

プーチンの「核ボタン」担当のFSBジミン大佐がピストル『自殺』

『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)6月25日(土曜日)
         通巻第7381号  <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 プーチンの「核ボタン」担当のFSBジミン大佐がピストル『自殺』
   血の海に頭を撃ち抜いて死んでいた
****************************************
 6月22日、モスクワのアパートの台所が血の海となってFSB大佐のジミンが『自殺』していた。銃はIZH79-9TMピストル。53歳だった。

 ジミンはエリツィン時代から大統領警護の任務に就き、核ボタンを携行した。
ロシアでは核のボタンは、大統領のほか国防大臣と参謀総長が持ち歩く複合システムとなっている。

 プーチン批判派は反体制派のナワルヌイが獄中にあり、ホドルコフスキーは出所後、英国へ移住した。チュバイスはイスラエルへ入国が確認された。

 エリツィン政権で太ったオルガルヒには「モスト銀行グループ」の総帥だったウラジミール・グシンスキーやアレクサンダー・スモレンスキーがいた。前者はメディアを駆使し、プーチン批判を展開し、危機を悟るとスペインへ脱出した。前から用心のためスペイン国籍ももっていた。

 スモレンスキーは「SBS集団」を手広く展開していたが、1998年のロシア金融危機に対応出来ず破綻した。この二人はユダヤ人である。エリツィン時代のオルガルヒは、プーチンの前から殆どが去った。

 プーチンに反対した人物はネムツォフをはじめ、次々と消された。ところがジミン大佐のようにプーチン警護の側近が『消された』のは意外と受け止められ、病気を苦にしての自殺説、汚職で取り調べを受けていたため等と噂が飛び交っている。プーチン自身も判明しているだけで、五回の暗殺未遂に遭遇している。

 オルガルヒでプーチンに睨まれずいまも健在は、ロマン・アブラモウウィッツ、アルカディ・ローテンブルグ兄弟らのユダヤ人脈で、ロシア財界でユダヤ人は少数派となった。サンクトペテルブルクに豪華な宮殿をつくって『プーチン宮殿』としたとナタリヌイが告発したが、「その宮殿は私が購入したのです」とローテンブルクが発言した。下手な田舎芝居を言われた。
ユダヤ人のローテンブルグ兄弟はプーチン政権のもとで「すくすく」と育ったオルガルヒである。ガスならびに電力網建設で大財閥となった。

 米国がロシア人オルガルヒの資産凍結を発表したリストには多くの名前が並んだ。
 なかでもセルゲイ・イワノフは、第一副首相、国防相、FSB長官から大統領府長官を歴任した。
 ゲンネジー・ティムチェンコ夫妻は、フィンランド国籍をもち、石油から教科書まで手を広げた「ボルガ集団」を率い、フォーブス番付でロシア富豪五位となった。70歳。

 このイワノフとティムチェンコはプーチンと親しい。いずれのオルガルヒも石油、ガスで当てて、権力から離れず、さらに銀行経営者となるのが共通項だ。だからプーチンは「ラスプーチン」より近年は「ガス・プーチン」と呼ばれる。

      □◎○☆み○◎☆○や○☆△○ざ☆○◎◎き◎△☆□   』

真実は、ロシアは今までずっと西欧の技術を自由に使えていたから米国以上に多量のミサイルと砲弾をこれまでは量産できたのである。

真実は、ロシアは今までずっと西欧の技術を自由に使えていたから米国以上に多量のミサイルと砲弾をこれまでは量産できたのである。

『Kamil Galeev 記者による 2022-6-22 記事「How can Putin make stuff?」
 https://st2019.site/?p=19833

典型的な誤解。ロシアは中共を味方にしているので米国以上に多量のミサイルと砲弾を量産しているのだと。これはただの空想だ。中共も否定しているし誰も証拠を出せない。
 真実は、ロシアは今までずっと西欧の技術を自由に使えていたから米国以上に多量のミサイルと砲弾をこれまでは量産できたのである。

 90年代のロシアで何が起こったか。経済凋落→政府の軍事支出減→軍需工場の経営危機→設備投資はできなくなる→国内の工作機械産業が壊滅。

 ソ連時代には工作機械を輸出していたほどだったのに、それが死んだのだ。

 これには日本が関係がある。1970年代に日本がCNC、つまり数値制御式の工作機械を製造業界に導入した。ソフトウェアのプログラムで工作機械を精密に動かそうというのだ。ソ連はこれに追随しようとしたが、できないでいるうちに、ソ連そのものが崩壊してしまった。

 ※東芝機械の多軸制御式スクリュー削り出し機の対ソ密輸事件の背景だね。

 そのため、ロシア財政がガス輸出で復活しても、工作機械産業の復活はなかなか難しい話になってしまった。いまさらNC旋盤以前の工作機械を復活させても、しょうがないのだ。NC旋盤以降の現代の工作機械を国産しなければいけないのだが、技術断絶があるために、基盤がゼロ。自力ではどうにも西側とのギャップを越えようがなくなってしまった。

 ここで西側の人は「労働者」について想像して欲しい。
 NC旋盤以前、ソ連の工場では、ブルーカラーの熟練技能工たちが、リスペクトされ、しっかりと高給を貰っていたのだ。
 ところがソ連崩壊後、非数値制御式の古い工作機械の熟練技能工には、大工場は、給与そのものを支払おうとしなくなった。強制リストラである。彼ら熟練技能工は、一斉に、乞食の身分にまでおちぶれた。

 数年間無給でも失業よりマシだからと、少数の技能工はそれでも工場に残ろうとした。しかし、新人工員は入って来ないし、ラインは死んだ状態で何年も放置されたのである。
 NC旋盤なら新人の素人でもプロ並に操作ができる。ところが、NC以前の世代の工作機械は、熟練技能工がいなくなったら、もはや誰にも扱えやしないのだ。ブルーカラー人材の継承が何年もできなくなるということは、業界にとって、全球凍結大絶滅を意味するわけである。

 80年代までは、ソ連には、13歳から入れる少年技能工の育成学校があり、そこを卒業すれば、世間並み以上の就業待遇と老後の安居が確約されていた。成功者コースであり、インセンティヴがあった。
 しかし90年代以降、そのようなキャリアコースは、まったく無意味になった。

 ロシア経済のどん底は、1998年である。そこからV字回復が始まる。
 2000年に入り、石油・ガス収入が巨大化。ようやくクレムリンは、軍事産業を復興しようという気になる。
 だが……。

 予算が増えたロシア軍が国内の工場にあれこれ発注しても、工場ではそのリクエストに答えられなかった。NC旋盤がなく、さりとて、古い旋盤を扱える技能工もいなくなっていたから。

 戦前のスターリンには、分かっていたことがある。スタは「生産のための手段をまず生産しろ」と言った。製造業ならば、これは工作機械のことを意味する。しかしプーチンにはここが分かってなかった。

 旧ソ連時代に熟練工であったブルーカラーは、2005年にはもう老衰していて、2010年にはほぼ消えたと考えられる。
 その技能を継承する若者の人材プールはゼロだった。
 ではどうするか。

 その頃までには、戦車砲の製造すら、国内では難しくなっていたようである。

 こうなっては、もはや、やれることはひとつしかなかった。
 ドイツから最新世代の工作機械をまるごと輸入するのだ!
 かくして、大量の工作機械が輸入され、その85%が、軍需工場に据えつけられた。

 ドイツ製以外では、スイス、イタリア、日本、米国製の工作機械も、据えつけられた。

 豪州製やトルコ製の工作機械だってある。カリニン市にある「S-300」対空ミサイルのラインでは、トルコの「エログル」社の工作機械が大活躍している。

 ここで興味深い事実を話そう。記者は、ロシアが中共製の工作機械を買っている証拠がないものか、ロシア国内で公開されている工場内の画像資料を継続的に調べてきた。結論。ひとつも無し。

 なぜそうなのか?
 証明できない仮説をいくつか語ろう。

 まず、中共の技術にはロシアと同じ弱点(チョークポイント)があるのかもしれない。たとえば超高性能ベアリングだ。中共もそれは西側製品を頼っている。無い技術は、他国へ供給しようがないわけである。

 中共に『科技日報』とかいう国営新聞があるのだが、2018年に、中共はまだ35の分野で外国技術に頼っているという連載記事が載った。それはネットで確かめられる。

 だがそれでも疑問は残る。最先端ではない工作機械なら、ロシアに輸出できるのではないか?

 答えは、これまた仮説となるが、ロシア工場内でその「決裁」を取るのが、難しいのではないか? つまり中共製の工作機械類には「ブランド」としての信用が無いのではないか。
 何人かの工場幹部がその購入案に反対したときに、その反対を押し切るだけの「説得力」がイマイチ出てこないのではなかろうか? 「安い」というだけでは、もちろん、投資として合理化されないのである。製造機械への投資は、軽い胸算用で踏み切ることが、ゆるされない。

 三番目の仮説。ロシアでは、こと、軍需産業に関しては、政府の上の方から、中共製の機械を買って据えつけることが、禁止されているのかもしれない。製造機械を輸入するときには、かならず、中共以外の国から輸入しなくてはならない、という指導でもあるのだろう。

 ところでロシア人の頭の中には人種序列がある。最上がドイツ人とスイス人。日本人は名誉白人の扱い。しかるに中国人は「サブヒューマン」と考えられている。しかしそんな人種観が理由で、中国製の工作機械をロシアの工場に据え付けさせないのではないだろう。

 ロシア人の頭の中ではタタールも「サブヒューマン」なのに、トルコ製の機械は据えつけられているではないか。
 おそらくロシア人から見てトルコ人は怖くないのだろう。
 中共はどこが怖いか。全体主義体制である。一枚岩として行動する。そこをロシア人は警戒する。ロシア人は支那人を御しやすいと考えていないのだ。西洋人の方がくみしやすいと考えてきた。これまでは。

 ヨーロッパはロシアとの戦争になっても一枚岩になれないだろうとロシアは見ている。だから西欧からの輸入は、ロシアの弱みにはならない。西洋と対決することになっても、ロシアは西欧圏内の分裂に乗じることができると思っていたのだ。

 しかし、ロシアが中共と対決しなくてはならなくなったとき、そうはならない。中共は統制的に行動ができる。ロシアとしてくみしやすくない。だからそのときに弱みを握られないようにしておかなくてはならぬ。それで中共製の機械は買わないという方針があるのだろう。

 ロシアは今、焦っている。まさか西側が一枚岩的に対露の経済制裁を打ち出せるとは思っていなかったからだ。

 こんどばかりは、ロシア指導部が西側から「奇襲」的な反撃を喰らってしまった。一枚岩の経済制裁を、モスクワは予測していなかった。

 ロシアは恐支病を治すときにきたように思われる。』

帝国の兵器庫:クリミア半島のロシア海軍建設とその黒海安全保障への影響

帝国の兵器庫:クリミア半島のロシア海軍建設とその黒海安全保障への影響
投稿者:Ihor Kabanenko

2022年6月3日午前11時10分 年齢:2週間
https://jamestown.org/program/an-arsenal-of-empire-russian-naval-construction-in-crimea-and-implications-for-black-sea-security/

 ※ 兵頭サイトから、飛んだ。

『(※ 翻訳は、Google翻訳)

帝国の兵器庫:クリミア半島のロシア海軍建設とその黒海安全保障への影響
投稿者:Ihor Kabanenko

2022年6月3日午前11時10分 年齢:2週間
ウラジーミルプチン大統領が、2020年7月に占領下のクリミア半島のザリーフ造船所に建設中の2隻の強襲揚陸艦の起工式を訪問(出典:kremlin.ru)

エグゼクティブサマリー

ロシア北部に比べて温暖な気候のおかげで、黒海沿岸地域は、より大きな船を迅速に建造し、建造上の欠陥がないようにするのにはるかに役立ちます。黒海でのロシア海軍造船は、ロシア帝国とソビエト帝国の歴史のさまざまな時期に発生しました。1991年にソビエト連邦が崩壊し、ウクライナの独立が回復するまで、モスクワはクリミア半島とその周辺の重要な造船所施設の管理を失いました。黒海北部の海岸。

しかし2014年、ロシアはクリミアを強制的に併合し、すぐに半島の活発な軍事工業化を開始しました。8年間の占領の結果、クリミアで最も印象的なロシアの「成功」は、したがって、その領土の「軍事開発」です。この「開発」は、ロシアの巨大な軍事基地、いわゆる不沈空母を作成することを目的としています。このプロセスには、信頼性の高い産業、輸送、ロジスティクス、エネルギー、水インフラの構築が含まれます。この政策の重要な要素の1つは、クリミアでのウクライナの造船企業の収用、ロシアの軍事産業基盤への統合、および半島の企業への独占的な標的軍事命令の発行でした。

2027年までに設計されたロシアの国家兵器計画によると、2016年から2020年にかけて、ロシアの黒海艦隊を対象とした14隻の軍艦がクリミア造船所に配置されました。トンプロジェクト23900ヘリ空母強襲揚陸艦(LHD)。LHDは、驚きの電撃戦の水陸両用任務を実行し、艦隊の指揮統制(C2)管理を実行する比類のない能力を備えているため、海戦において独特です。これは、艦隊の首都が沈没して以来、ロシアが黒海に欠けている能力です。船、モスクワ、4月に戻った。同時に、沿岸砲や一部のミサイルシステムの到達範囲を超えて運用することができます。黒海または地中海では、これらの能力は、ロシアにこれまでよりも多くの軍事オプションを与えることにより、地域の力のバランスを大幅に変えることができます。これらはロシアの戦力投射能力を劇的に強化し、水陸両用作戦の時間枠を数日から数時間に短縮します。

西側の制裁とロシア海軍の計画者がフリゲート艦クラスの船の建造に以前から焦点を合わせていたため、クリミアで建設中のLHDは、両方の船が完全に運用される年である2028年以降に遅れる可能性が高いと当局者は述べています。ロシアにとって重要な障害は、高品質のガスタービンエンジンの欠如です。ロシアの国内武器製造業者はついに2020年にそれらの生産を開始したが、それらは性能が低く、数が少なく、現代のロシア海軍のバックボーンを形成すると思われるフリゲート艦に必要である。2014年以前は、ロシアの軍事産業部門は、ウクライナのムィコラーイウ生産施設からガスタービンを購入していました。この施設には、ソビエト時代にまでさかのぼり、大型の原子力船や空母を建造する能力もあります。ソビエト海軍建設の王冠の真珠、

序章

2014年にクリミア半島を占領して以来、モスクワは半島を巨大な軍事基地、いわゆる不沈空母に変え、黒海盆地全体と東地中海へのロシア軍の投射を容易にしました。しかし、おそらく同じくらい重要なこととして、占領下のクリミアは、軍艦建設のための地域産業の中心地として建設されました。

クリミアの併合直後、ロシア国防相のセルゲイ・ショイグは、ロシア連邦の国防命令を履行するために、地元の武器産業の全生産能力を参加させる意向を発表しました。[1]このように、2014年4月中旬、国防省は、ロシア向けの軍事兵器および装備の生産にリダイレクトされるべき、造船および船舶修理会社10社を含む23のクリミア企業のリストをまとめました。これらの企業はすべて、クリミア半島の違法な押収後の最初の数か月でモスクワによって正式に指揮されました。[2]

次の研究は、クリミアの造船業の軍事化を分析するだけでなく、2014年の占領開始以来クリミアの造船所が直面している問題を特定します。さらに、クリミアの造船所での商業建設から海軍プロジェクトへの生産のシフトの結果を評価します。新しいロシアの軍艦を敷設することを含むモスクワの地域海軍戦略を満たすために。最後に、この調査では、黒海地域およびそれ以降のロシアの戦力投射能力への影響を含め、クリミアでのこれらのロシアの行動がウクライナと西側に与える政策の影響について概説しています。

黒海におけるロシアの造船の歴史的背景

露土戦争(1768〜1774年)とキュチュクカイナルカ平和条約の調印後、ドニエプル川と南ブーフ川の間の黒海沿岸地域はロシア帝国の一部となりました。モスクワは黒海へのアクセスを獲得することにより、すぐに黒海艦隊を創設する任務を引き受け、この部隊のために新しい船を建造しました。これにより、1778年にドニエプル河口にヘルソン提督が創設されました。その目的は特に帆船を建造することでした。[3]この提督には、造船所、管理およびサポートサービス、ワークショップ、倉庫が含まれていました。同じ年に、ヘルソン市は、港と造船所の建設現場を保護する軍事要塞の場所に設立されました。

1784年、ロシア皇帝がクリミアを併合した後、アクティアルスカ湾(現在のセヴァストポリ湾)にアクティアルスコエ(後のラザレフスコエ)提督が結成されました。[4] 20世紀に、この海軍本部は、ソビエト黒海艦隊の軍艦を処理し、その補助艦を修理するためだけに再構築されました。

1788年、南ブーフ川との合流点であるインフル川沿いの土地にムィコラーイウ提督が創設されました。1790年、この場所にムィコラーイウ市が設立されました。主な目的は、ロシアの黒海艦隊向けの大型軍艦の建造を確保し、艦隊の本部をホストすることです。[5]しかし、ムィコラーイウ提督の真剣な造船能力にもかかわらず、その施設は、1828年から1829年の露土戦争の前夜にロシア帝国の高まる野心を満足させることができませんでした。ロシアは100隻以上の砲を搭載した戦列艦を必要としていましたが、ムィコラーイウの狭いインフル川とヘルソンの浅いドニエプル河口では、そのような大型船の建造は許可されませんでした。代わりに、ロシア当局は、より大きな軍艦を建造するために、ムィコラーイウの深海のバグ河口に目を向けました。その結果、スパスキー提督は1826年にそこに創設されました。ヘルソン提督のサービス、チーム、造船所の設備は、1829年にムィコラーイウ提督に移管されました。

ムィコラーイウは、19世紀半ばまでに、ロシア帝国の海軍造船の事実上の中心地になりました。ムィコラーイウでの戦列艦建設の強度の指標は、ピョートル大帝によって設立されたサンクトペテルブルクの造船所の期待をはるかに超えていました。ムィコラーイウの造船所は、平均して年間6隻の船を就役させたが[6]、サンクトペテルブルクはその数のほぼ半分を建造した。[7]労働生産性のこのギャップの主な理由の1つは、サンクトペテルブルクの寒くて湿度の高い気候でした。研究者たちは、サンクトペテルブルクの造船所での労働条件は、特に厳しい冬の霜の間は困難であり、それが労働者の高い死亡率につながったと指摘している[8]。そして、その地域から逃げる人員の多数の事件-時には大量に。[9]

軍艦のサイズと数に関するロシア帝国の高まる欲求は、1897年に、南ブーフ川の深海部に新しいムィコラーイウ造船所施設、海軍造船所(以下、黒海造船所)を創設することにつながりました。 )。[10]

北に位置する造船所に対する南の造船所の利点は、1930年代から、ソビエトの造船に手動アーク溶接が導入されたことで、さらに明白になりました。これは、低温が溶接プロセスに重大な悪影響を及ぼしたという事実、つまり、金属の継ぎ目に高温および低温の亀裂が形成されたためです。この欠陥のために、船体の溶接シームが崩壊し、金属が破損する可能性があります。[11]船の溶接シームの品質に対する温度の影響は、今日でも重要です。たとえば、厚板低合金鋼グレードで作られた大型軍艦の船体の自動サブマージアーク溶接は、摂氏-10度(華氏14度)以上の温度で実行できます。[12]

1938年にクリミア半島に2つの新しい造船所が建設されました。ケルチのザリフ造船所は、魚雷艇、掃海艇、タグボート、漁業用トローラーの組み立てに特化しており、テオドシアのユズナヤトチカ造船所は、魚雷艇の製造に使用されています(後のこの造船所は、テオドシア生産協会「海」と名付けられました。[13]

それでも、ムィコラーイウは、ソビエト海軍、軍事海軍艦隊( Voyenno-Morskoy Flot —VMF)向けの大型トン数の軍艦の連続建造における指導的地位を強化し続けました。20世紀半ばまでに、この都市の造船所複合施設には次のものが含まれていました。

61のコミューン(現在のミコライヴ造船所)にちなんで名付けられた造船所は、造船施設の点でレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)のバルチック造船所とほぼ同等であり、フリゲート、駆逐艦、巡洋艦の生産に集中していました。
黒海造船工場— 1960年代に航空機搭載船の建造を開始し、VMF初の対潜水艦ヘリ空母を建造し、その後、大型航空機搭載巡洋艦を建造した巨大な施設です。1990年代初頭、この工場で原子力空母を建造する計画がありました。この造船所に類似したものは、現代のロシアには存在しません。
南タービンプラント(現在はZorya-Mashproektプラント)—旧ソビエト連邦で唯一の海軍船用ガスタービンビルダー。ロシア連邦にも、この生産施設に類似したものはありません。

同時に、クリミアの造船所はいくつかのセクターエリアに分割されました。

セヴァストポリは、軍艦と補助艦のあらゆる種類の修理の実施に集中するでしょう。
ケルチは大規模な民間造船に従事し、ヴォルガ川の造船所で建造された後、黒海に向けられた小型軍艦の試運転基地にもなりました。1970年に拡張され、巡視船(フリゲート艦)のいくつかのモデルを建造できるようになりました。
セオドシアは、水中翼船(1956)やエアクッション船(1980)など、軽合金で建造された高速軍艦や民間船を建造しました。

一般に、ロシア帝国とソビエト帝国の歴史の中でさまざまな時期に発生した黒海とその周辺の造船開発は、多くの有利な要因によって可能になりました。何よりもまず、温暖な黒海の気候でした。これは、高度な電子機器を備えた大型艦艇の建造や、オープンエリア(船台)での技術的な建造要件を満たすために特に重要です。2つ目は、軍艦建設用の金属を生産するマリウポリ工場に造船所が近接していることです。3番目の重要な実現要因は、この地域の造船所(テオドシアを除く)の深海域でした。これにより、モスクワは大型空母を含む大規模な軍艦を建造することができました。そして最後に、黒海北部沿岸は、造船要員の訓練と収容のためのインフラストラクチャを開発していました。要するに、クリミア周辺とその周辺地域は、何世紀にもわたってロシアの野心の生命線であり、主要な海軍大国になりました。

モスクワのクリミア半島におけるウクライナの造船会社の盗難、管理および軍事化

1991年にソビエト連邦が崩壊し、ウクライナが独立したとき、モスクワはクリミア半島と黒海北部沿岸地域の造船施設の管理を失いました。しかし、次の20年間、現在ウクライナが管理している造船所は、ガスタービンエンジンなどの非常に必要とされているコンポーネントをロシア連邦の海軍兵器生産者に供給し続けました。この取り決めは、2013/2014年のウクライナの尊厳革命(ユーロマイダン)まで続きました。

2014年初頭にロシアがクリミアを併合した直後、半島はクリミア共和国と連邦都市セヴァストポリの2つの「ロシア連邦の実体」に分割され、モスクワの中央権力に従属しました。しかし、時間の経過とともに、占領下のクリミアとセヴァストポリの地位は低下し、クリミア連邦管区は排除されました。代わりに、ロシアはクリミア半島のすべてをロストフオンドンの当局者によって管理されている南部連邦管区に再割り当てしました。この法律は、とりわけ、半島の民間構造を地域の軍事組織構造と統合しました。具体的には、クリミアのロシア軍のすべての要素は、ロストフオンドンに本部を置く重要な南部軍管区に含まれていました。

このプロセスの一環として、クリミアの軍事工業化を促進することは、モスクワの南東部の政策の重要な側面であり、半島の経済の主要な推進力となりました。そして、8年間の占領後、クリミアで最も印象的なロシアの「サクセスストーリー」は、したがって、その領土の「軍事開発」です。この「開発」は、信頼できる産業、輸送、ロジスティクス、エネルギー、水インフラに支えられて、クリミアを広大なロシアの軍事基地に構築することを効果的に意味しています。この政策の中心的な要素の中には、クリミアでのウクライナの造船企業の収用、ロシアの軍事産業基盤への統合、および半島の企業への独占的な標的軍事命令の発行がありました。

クリミア経済の軍事化の一般的な傾向の証拠は、ロシアの経済活動コード84.22:「軍事安全の確保に関連する活動」です。たとえば、ロシアの黒海艦隊の主要基地であるセヴァストポリは、2014年以来、軍事施設の開発、装備、武器のために最大25億ドルを受け取っています。したがって、軍事活動は、このクリミア港湾都市の経済全体の70%を占めています。[14]

2015年5月、ロシア連邦産業貿易省は、軍産複合体のクリミア企業に対していわゆる「キュレーターシップ」を導入しました。このシステムでは、学芸員はクリミアの造船所と注文を共有し、造船活動を管理する必要がありました。そのような「キュレーターシップ」の印象的な例は次のとおりです。

オープン合資会社のレニングラード造船所ペラは、ペラ造船所がセオドシア施設のテナントになる前に、海の造船所(セオドシア)をキュレートしていました。[15]
Ak Bars Shipbuilding Corporationの一部であるGorky(Zeleinodolsk)にちなんで名付けられた合資会社Zelenodolsk Plantは、2014年8月にZaliv Shipyard(Kerch)を買収し、この造船所のキュレーターになりました。

国連がクリミア制裁のパッケージを開始した2017年8月に、キュレーターシップスキームは正式に停止されました。しかし事実上、それはロシアの造船所所によるクリミア造船所の吸収という形で現在まで続いています。この変革の過程で、たとえば、ザリーフ造船所は、Ak BarsShipbuildingCorporationの一部としてBEButomy [16]にちなんで名付けられた造船所に「再編成」されました。一方、セオドシアに本拠を置く海の造船所は、当初はレニングラード造船所ペラによって運営されていましたが、最終的には株式会社カラシニコフ・コンサーンの一部になりました。[17]2018年に、それはロシア国家公社ロステックに従属し、後にロシアの統一造船会社に移管されました。[18]占領下では、クリミアの造船所には外国の造船命令はなく、ロシアの造船会社を介したモスクワの命令のみが委託されていることに注意することが重要です。

2027年までに設計されたロシア国営兵器プログラムによると、2016年から2020年にかけて、ロシアの黒海艦隊を対象とした14隻の軍艦がクリミアの造船所に配置されました。

8つのプロジェクト22800カラクルト型ミサイルコルベット(ロシア分類の小型ミサイル船)。カリブ長距離巡航ミサイルまたはオニックス(SS-N-25スイッチブレード)対艦ミサイルが装備されています。海の造船所で3つが建設されています。3つはザリーフ造船所でまだ建設中であり、1つは2021年12月に就役し、最後の1つはまだ海上公試を受けています。このクラスの軍艦は、沿岸地帯向けに設計され、現在ロシアの黒海艦隊で使用されているBuyan-Mクラスのコルベットをより耐航性のある青い水で補完することを目的としています。[19]
ザリーフ造船所で建設中の4隻のプロジェクト22160哨戒艦は、さまざまな任務に合わせたさまざまなモジュール兵器および装備パッケージを運ぶことができます。この軍艦クラスは、主に外洋および閉鎖海域でのパトロール、監視、保護などの任務を目的としています。[20]
Ak BarsCorporationのゼレノドリスク局によって設計された2隻のProject23900強襲揚陸艦(LHD)。このクラスは、北極の凍った海を含む、暖かい海と北の海の両方で動作することを目的としています。[21]

モスクワはさらにクリミア造船所に9隻の補助艦を建造しています。ザリーフ造船所で建設中ののは、VolgaとVyatkaです。、ツインプロジェクト15310砕氷船ケーブル敷設船; 2つのプロジェクト23131複合補給船。プロジェクトMPSV07救助船。3つのプロジェクト19910小型水路船。プロジェクトCNF22貨物フェリー。Sea Shipyardは、YaroslavlShipyardおよびNizhnenovgorodskyTeplohod Plantと協力して、さまざまな補助ボートの建造に関与しました。ウクライナの兵器生産に属するクリミア企業Ukroboronpromは、2014年にロシアが違法に押収した後、ロシア軍産複合体の59の企業のパートナーおよびサプライヤーになりました。これらのクリミア企業には、とりわけ、海造船所(テオドシア)、ザリフ造船所( Kerch)、Design Technological Bureau Sudokomposit(Theodosia)、Shipbuilding Enterprise Skloplastik(Theodosia)、Fiolent Plant(Simferopol)。クリミアの船の修理工場もロシアの軍産複合体に統合されました。2019年1月の時点で、Sevastopol Sea Plantだけで、38隻のロシアの軍艦が修理されました。[22]

ロシアの軍艦建造が黒海の安全にどのように影響するか

水陸両用作戦艦

ロシア海軍当局者は、2008年のロシア-ジョージア戦争の1年後に、水陸両用強襲揚陸艦(LHD)の建造に最初に関心を示しました。黒海艦隊に搭載されていれば、40分で任務を完了し、26時間も必要なかったでしょう」と、当時のロシアのウラジミール・ビソツキー提督は当時述べています。[23]

ロシアは2011年にフランスと、ミストラル級強襲揚陸艦2隻を12億ユーロの費用で供給する契約を締結しました。セヴァストポリとウラジオストクの名前でこれらの船の建造は、それぞれ2012年と2013年に始まりました。これらの最初のもののロシア連邦への移送は2014年10月に予定されており、船はロシアの船員を乗せた実地試験の一環として海上でいくつかの試験を完了しました。しかし、2014年春にクリミアが併合され、ロシアに対して西側の制裁がさらに課された後、ミストラルに関する合意は終了しました。代わりに船はエジプトに売られました。

フランスとのミストラル協定の崩壊後、ロシアのユーリ・ボリソフ副国防相は(ヘリロシア-2017年のヘリコプター産業展示会で)モスクワが2022年に就役する初のLHDヘリコプター空母を一方的に建設することを公に発表した。 24]特に、ロシアは、クリミアの併合後、ヨーロッパ最大の造船ドック(長さ364メートル、幅60メートル)の1つであるケルチザリフ造船所を没収して、そのような軍艦を建造する能力を獲得した。そのような類似体はロシア国内には存在しません。23これらの宣伝された船のうちの2隻は、2020年7月20日、ウラジーミルプチン大統領が執り行った式典でザリーフ造船所に置かれました。もともと船のペアは名前を受け取ることになっていたがセヴァストポリとウラジオストク—以前はロシアのミストラルに割り当てられていた名前は決して得られなかった[25] —結局、彼らはイワン・ロゴフとミトロファン・モスカレンコと名付けられた。ロシアの造船業界の情報筋によると、これらのヘリ空母の最初の空母は2025年に就役し、2番目の空母は2027年に就役する予定です。 。[27]これら2隻の水陸両用攻撃船の建設契約の合計価格は1,000億ルーブル(14億ドル)と報告されている。[28]

それぞれがおそらく最大1,000のロシア海兵隊と75の戦闘車両、最大20のヘリコプター、および無人航空機(ストライキと偵察)を運ぶことができるでしょう。彼らの船首は、最大6隻のプロジェクト11770セルナ級揚陸艇を輸送できるウェルデッキで建造されます。29LHDの排水量は最大40,000トンで、長さは220メートルを超えます。これらは、最大60日間、海上で自律的に動作するように設計され、計画されている最高速度は22ノットになります。これらの軍艦には、ミサイル、大砲、対トルペド兵器、電子戦(EW)システム、およびマルチサービスミッションを管理するための「コマンド、制御、通信、コンピューター、インテリジェンス、監視および偵察」(C4ISR)システムが装備されていると想定されています。水陸両用の攻撃部隊、戦闘船、ストライキ航空、および機械化された他の軍隊が関与します。[29] クレムリンは、イワン・ロゴフとミトロファン・モスカレンコが遠征による暴行行為を目的としています。ロシアの報道機関自体が、船舶の建造の進捗状況を説明する際に頻繁に言及しています。[30]

クレムリンは、完成時にLHDの目的地について公に話しません。これらの船の1隻をロシア北方艦隊に配備して、北極圏で水陸両用攻撃部隊を射撃できるようにすることができます。29ただし、これらの軍艦は困難な氷の状態での運用用に設計された合金鋼で製造されていないため、北緯でのLHDの使用は制限されます。さらに、モスクワは北極海に少なくとも4隻のそのような船を必要とするだろう(1隻は海上、1隻は即時準備中、3隻目は修理後の戦闘準備回復状態、4隻目は必然的に長期修理を受けることになる) /近代化)、および護衛部隊の衣装。

LHDの運用ゾーンとしての黒海と東地中海は、ロシアの温水海軍基地が近接していることと、沿岸の防空システム(S-400、S-300、沿岸ベースの戦闘機)。LHDは作戦レベルの指揮統制(C2)センターとして設計されており、ロシアがミサイル巡洋艦Moskvaを失ったため、注意することも重要です。2022年4月14日のウクライナのミサイル攻撃に対して、黒海艦隊には現在、艦隊のC2管理センターの機能を実行できる軍艦はありません。最後に、技術的な側面を検討する価値があります。現代のロシアの造船所は、これまで5,000トンを超える排水量の軍艦を建造したことはありません。これは、新しいLHDは、試運転後も建設現場の近くで技術的な微調整とメンテナンスが必要になる可能性が高いことを意味します。

このような計画に対するさらなる支持は、2014年にロシアがセヴァストポリまたはノヴォロシースク港をフランスのミストラルの本拠地と見なしたという事実から来ています[31]。モスクワは現在、ノヴォロシースク[32]とタルトゥース(シリア)[33]の海軍基地を近代化しているようです。これらのタイプの大型軍艦を収容し、配備するために。さらに、ロシアは2019年にセヴァストポリにある黒海艦隊の主要基地の近代化を開始しました。最後に、その戦略的重要性の兆候として、4つのロシア艦隊のうち、黒海艦隊のみがこのために上記のロシア連邦資源を受け取りました。海軍基地の近代化のタイプ。したがって、現在建設中の水陸両用攻撃ヘリ空母の少なくとも1隻がロシアの黒海艦隊に加わり、黒海以降の海軍の勢力均衡が劇的に変化することはほぼ保証されています。

LHDは、驚きの電撃戦の水陸両用任務を遂行する比類のない能力を備えているため、海戦において独特です。同時に、沿岸砲や一部のミサイルシステムの到達範囲を超えて運用することができます。黒海や地中海では、これらの能力は、ロシアにこれまでよりも多くの軍事的選択肢を与えることにより、地域の力のバランスを大幅に変えることができます。つまり、ロシア海軍は、他の海軍資産やロシア空軍との諸兵科連合作戦でLHDを共同で運用できるようになり、潜在的な敵に対して空と海からの高度に機動性のある水陸両用攻撃作戦が可能になります。一般に、このような操作には次のものが含まれます。

水陸両用大隊戦術群による2つから3つの戦略的に重要な州のオブジェクト(港、水力発電ダム、原子力発電所など)とともに沿岸の足場の急速な押収。この部隊は、主要な水陸両用部隊が上陸するまで、最大2日間領土を保持します。
いくつかの空中および海上水陸両用の階層(最大3〜4つの空挺/海兵遠征旅団)と、着陸船および軍用輸送機の配備。
戦闘航空と海軍の組み合わせを共同で使用して、火力支援を備えた水陸両用部隊の配備。
C2管理の拡張と、さまざまな戦闘操作(水陸両用および空中、ストライキ、対潜水艦など)の制御。

ロシアのLHDは、主に防御資産と見なされるべきではありません。彼らは積極的な攻撃的な水陸両用作戦を実施するように設計されました。

ミサイルコルベットと巡視船

ロシア国防相のセルゲイ・ショイグは、2017年に、多目的フリゲート艦をロシアの軍艦の主要なクラスと定義しました。[34]しかし、この声明が出された後、黒海艦隊が配備される新造船の数の点で北、バルト海、太平洋艦隊よりも大幅に進んでいるにもかかわらず、モスクワは黒海に新しいフリゲート艦を配置していなかったことを明らかにしていますそしてその造船所に置かれました。実際、VMFの指導部は、フリゲート艦ではなく、長距離カリブミサイルを搭載したプロジェクト22800カラクルト型ミサイルコルベットやプロジェクト22160小型哨戒艦(OPVクラス)などのコルベット建造に焦点を当てることを決定しました。これらの船は、2014年以来、モスクワが黒海艦隊のために注文した主要なプラットフォームでした。ロシアの一般職員の計画によると、カラクルト型小型コルベットは、すでに配備されているプロジェクト21631(Buyan-M)ミサイルコルベットとともに[35]

ロシアの海軍のジレンマ:ディーゼルエンジンとガスタービン?

間違いなく、2014年以前のモスクワの長期海軍建設計画は、ウクライナのガスタービン供給が次の10年まで続くという前提に基づいていた。しかし、クリミアの侵略と併合の後、この重要な供給は中断され、無期限に延期され、ロシアの戦略計画立案者はロシアのフリゲート艦建造計画を延期しました。ソビエト時代以来、モスクワの軍艦用のガスタービンエンジンはムィコラーイウ(ウクライナ)で製造され[36]、ディーゼルエンジンはサンクトペテルブルク(ロシア)で製造されていたことは注目に値します。[37]Mykolaivのタービンは、ソビエトとロシアのすべての大型軍艦(フリゲート、駆逐艦、巡洋艦)に搭載され、サンクトペテルブルク工場のディーゼルエンジンは、特に小型船(コルベット、ミサイル、魚雷艇、ディーゼル潜水艦)用に指定されました。

2014年以降、ウクライナはロシアへのガスタービンの供給を停止し[38]、その結果、ロシア連邦での大型軍艦の建造が凍結されました。これは、何よりもまず、事実上すべてのフリゲート艦プログラムです。言い換えれば、2014年以降、ロシア海軍はコルベット中心のディーゼル海軍にならなければならず、外洋海軍を建設するという大国の野心は、ウクライナのガスタービンエンジンの喪失に人質にされていました。この事実は、ウクライナがプーチンの「レコンキスタ」のためのロシアの帝国計画にとって非常に重要である理由を部分的に説明するのに役立ちます。

ロシアのディーゼルエンジンは、「モノブロックスター」(航空スキーム)の設計に従って製造されており、ロシアの要件に対して不十分で信頼性が低いと見なされています。このため、21世紀の最初の10年間、モスクワは主にコルベット用にドイツのディーゼルエンジンを購入しましたが、クリミア半島の占領後、西側の制裁措置により、これらの重要なコンポーネントの供給も停止されました。[39]モスクワは代わりにドイツのエンジンを中国のエンジンに取り替えようとしたが、後者の信頼性が低いという問題に直面している。この経験により、新しく建設されたすべてのロシアのコルベットは現在、ロシアのディーゼルエンジンを使用しています。[40]

プロジェクトの台頭22800カラクルトクラスとカリブクルーズミサイル

ロシアのガス対ディーゼルエンジンのジレンマに照らして、モスクワは、短期的な軍事目標が置かれている黒海の北西部でロシア海軍に大きなパンチと打撃力を与えるために、クリミア造船所での建設プログラムを選択しました。つまり、モスクワは、アゾフ海でのウクライナの沿岸防衛に対してより大きな攻撃力が必要であり、占領された半島の地峡近くのクリミア海の側面を守り、その基地でより小さなウクライナ海軍を封鎖し、ロシア軍に移動の自由を提供する必要があると判断しました黒海の北西部にあります。このような状況では、ルーマニアの海軍基地と軍隊も危険にさらされる可能性があります。ロシアの黒海艦隊のための12隻のコルベット(Kalibr長距離巡航ミサイルを装備した8隻のProject 22800Karakurtクラスのコルベットと4隻のProject22160OPVクラスの巡視船)に対するモスクワの防衛命令は、ケルチとテオドシアのクリミア造船所で行われました。 2016〜2019年。Project 22160 OPVに、KalibrクルーズミサイルやOniks(SS-N-25 Switchblade)対艦ミサイルなどのモジュール式コンテナ兵器を装備する計画があったことは注目に値します。このようなモジュラーシステムは、OPV船に搭載された北方艦隊でテストされました Kalibr巡航ミサイルおよび/またはOniks(SS-N-25 Switchblade)対艦ミサイルを含みます。このようなモジュラーシステムは、OPV船に搭載された北方艦隊でテストされました Kalibr巡航ミサイルおよび/またはOniks(SS-N-25 Switchblade)対艦ミサイルを含みます。このようなモジュラーシステムは、OPV船に搭載された北方艦隊でテストされましたVasiliy Bykov、2020年8月、しかしそのようなモジュールは今のところ黒海に配備されていません。[41]

コルベットプログラム全体が実施されると、ロシアの黒海艦隊のミサイル一斉射撃の合計は、2022年のウクライナとの本格的な戦争の直前と比較して2倍になります。沿岸の標的に対して1,500〜2,000キロメートルの射程を持つ124のカリブルミサイルと、海軍の標的に対して80〜300キロメートルの射程を持つ最大76の対艦ミサイルに増加します。この攻撃的な海軍グループの形成は、3つのフロンティアに軍事力を投影するための多方向システムを構築したいというモスクワの願望によって推進されています。1)黒海の北西部とアゾフ海にあるウクライナの沿岸海域。2)黒海流域における北大西洋条約機構(NATO)との対立の可能性。3)東地中海では、[42]

近年のロシア黒海艦隊の海軍演習と作戦展開の評価は、さまざまな劇場でのロシアのコルベット級軍艦の主な任務と作戦領域を示しています。黒海とアゾフ海:[43]

平時の状況では、黒海の北西部とケルチ海峡の海域で海軍の存在、海の制御、および海の拒否能力を維持するために、これらのロシアの海軍船は高度な準備で定期的な戦闘任務を遂行する可能性がありますミサイル攻撃。[44]
新たな地元の武力紛争が発生した場合、クリミア半島とその周辺でロシアのA2 /ADバブルを強化するために黒海艦隊が関与する多機能ストライキ部隊のグループの一部として海軍ストライキ作戦に積極的に参加する。これには、2つの可動コンポーネントが含まれます(これらのバブルの1つは、モスクワが2014年に捕獲し、タルカンクト半島と蛇島の間に広がる、押収されたウクライナの沖合天然ガスプラットフォームに集中しています。もう1つは、ケルチ海峡へのアプローチの近くにあります。 )。
地域の武力紛争が地域戦争に発展したとき、指定された沿岸および海上標的にミサイル攻撃を開始し、他の黒海沿岸国の海軍を封鎖することにより、黒海の北西部、中央部、および東部での支配のための戦いに参加する資産、および黒海以外の国の軍艦がトルコ海峡を経由して黒海にアクセスするのを防ぐ。

地中海:[46]

平時、指定されたレベルの準備で、タルトゥース(シリア)からの戦闘任務に従事すること。さらに、海に出てミサイル攻撃演習を行うこと。
中東と北アフリカで地域の武力紛争が発生した場合、戦闘パトロールに配備し、黒海、カスピ海、および東地中海でのスタンドオフ射撃位置に参加し、ミサイルストライキを実施するロシアが支援する権威体制に対するモスクワの支援の一環としての沿岸/海上目標について。

したがって、クリミアの造船所に配置されたロシアのコルベットの能力を考慮に入れて、モスクワは黒海地域全体とそれ以降をカバーする広範囲の攻撃的な脅威予測任務が可能なストライキ海軍の深刻なグループを形成しています。

クリミア造船所におけるロシア造船プロジェクトの実施の問題

2014年のクリミア併合後にロシアに課された西側およびウクライナの制裁の主な結果の1つは、ロシアの造船活動に不可欠な軍事およびデュアルユースコンポーネントの移転と供給の中断でした。[47]

まず第一に、上記のように、モスクワの最大の課題の1つは、ケルチのザリーフ造船所で建設されている前述の水陸両用攻撃ヘリ空母に必要な推進システムに関するものです。[48]ツインLHDにはM55Rディーゼルガスタービンユニットが搭載されています。M55Rはもともとロシアのフリゲート艦用に開発されましたが、現在のところ、ロシアの大型軍艦に使用できる推進システムは他にありません。2014年まで、ロシアのフリゲート艦向けのガスタービンは、ムィコラーイウにあるウクライナのプラントZorya-Mashproektから供給されていました。しかし、それ以来、ウクライナのロシアとの軍事技術協力の崩壊に続いて、ロシアの計画立案者は国内のガスタービン生産の再確立を試みることを余儀なくされた。これらの重要なコンポーネントのロシア海軍への納入期限は繰り返し延期されました。これは、国内の軍産複合体がこの技術の開発と構築に苦労したことを明確に示しています。2020年11月にのみロシアの会社ODK-Saturn [49]ロシアのフリゲート艦イサコフ提督のために最初のガスタービンを製造できることを証明する。同様のエンジンは、モスクワが2027年までに建造する予定のこのタイプのロシアのフリゲート艦を少なくとも8隻搭載する予定です。

すでに述べたように、フリゲート艦はロシア艦隊35の基礎となるはずであり、ロシアの造船プログラムの主要な優先事項です。これとガスタービンの生産率が低いことを考えると[50]、ケルチに建設されているLHDは深刻な遅延に直面する可能性があります。

同時に、ロシア海軍には高速上陸用舟艇と攻撃ドローンが不足しています。これらは、LHDに配備される予定の兵器の一部です。確かに、ロシアの産業は重い甲板着陸ヘリコプターモデルを生産しておらず、VMFで使用されているのはソビエト時代のKa-29TB甲板輸送着陸ヘリコプターの数十機だけです。この役割を果たす可能性のある候補者はKa-65ミノガですが、このヘリコプターはまだ開発中です。[51]最も楽観的なシナリオによると、最初のKa-65は2025年から2026年より前には準備ができていません。さらに、この新しく開発されたシステムは、長いテストトライアルを必要とします。したがって、Ka-52K偵察攻撃甲板ヘリコプターとKa-27対潜水艦(捜索救助)甲板ヘリコプターのみが、ロシアで最初に自国で建造された強襲揚陸艦に搭載することを検討できます。[52]そして、重い甲板ヘリコプターがなく、高速上陸用舟艇が不足しているため、このLHDペアは、最初は空中および海上で同時に水陸両用任務を遂行することができません。[53]

モスクワはまた、クリミアの造船所でコルベットとOPVを建造するのに苦労しています。2019年、制裁の脅威の下、JJ Sietas Shipyard(ドイツ)が所有するLeningrad Shipyard Pellaは、テオドシアン海造船所での3つのカラクルト型ミサイルコルベットの建造を中止し、未完成の船体をサンクトペテルブルク地域に移送しました。テオドシウス朝の施設の所長であるオレグ・ザチンヤエフは、西側の制裁の影響についてコメントし、次のように述べています。建設中の船舶や軍艦の部品や設備の50%以上が輸入生産であることは周知の事実です。特定のスキームを使用してこれらすべてを購入する必要があります。直接購入するパートナーに負けます。同様に、クリミアの企業と協力するための制裁に陥ることを望まないため、私たちが開始する競争に参加することをいとわない人は誰もいません。」[54]

ロシア海軍の生産に影響を与える西側の制裁の別の事例は、モスクワが当初ドイツ製のディーゼルユニットを使用して建造することを計画していたプロジェクト22160オフショア巡視船に関連しています。[55]しかし、EU制裁が課される前は、ロシアは1つのOPVであるVasilyBykovに十分なディーゼルユニットしか輸入できませんでした。残りの契約済みOPVは、ロシアのコロムナ工場で製造されたディーゼルユニットを使用するように再設計する必要があり、これにより生産が大幅に遅れました。[56]

また、2014年以前は、クリミア造船所は主に商船、タンカー、コンテナ船、ウクライナの石油およびガスセクター向けの海上プラットフォームの建設と修理を目的としていました。一例を挙げると、ロシア当局を占領することによってプラントが割り当てられる前は、商業プロジェクトがザリーフ造船所の年間生産能力の70パーセントを占めていました。この造船所は、毎年3〜4隻のマルチトン商船を建造し、最大35隻のさまざまな商用船を修理しました。[57]しかし、2014年にロシアがクリミアを併合した後、国際的な商業契約は取り消され、施設はEU、米国、ウクライナから制裁を受けました。すべてのクリミア造船所は停滞し始め、彼らの労働者の間で怒りを引き起こしました。これは、2019年末にクリミアの企業が平均して40%の能力でしか働いていないことを強調した、いわゆる「クリミアの首長」であるSerhiiAksyonovの言葉によって確認されています。8

2020年5月、ザリーフ造船所は、給与の低下に対する労働者の不満によって引き起こされた大規模なストライキによって麻痺しました。ストライキに参加した従業員は、次のように述べています。船は未完成の状態です。お金は浪費されており、船は試運転されません。」[58]上記の建設中止により、クリミア造船所でのロシア軍艦の完成期限は繰り返し延期されてきた。現在までに、2016年にザリーフ造船所に配置されたカラクルト型コルベットの5つのうち2つだけが委託され、2020年に1つのOPVであるPavelDerzhavinだけが建造されてロシアの黒海艦隊に移されました。[59]

結論

「2030年までの海軍活動の分野におけるロシア連邦の国家政策の基礎」に従って、ロシア海軍は、高精度の長距離ミサイルを装備しているその軍隊に大きく賭けた。モスクワにとって、質的に新しい海軍の目的を可能にするでしょう:海から敵の軍隊と重要な物体を攻撃することによって敵の軍事的および経済的可能性を破壊することです。同時に、黒海艦隊の運用能力と戦闘能力の増強は、2030年までのロシアの主要な任務の1つであり、クリミア半島の領土における軍隊(軍隊)のサービス間グループの開発に影響を与えます。地中海における恒久的な海軍の存在。30モスクワは、とりわけ この目標を追求している占領下のクリミアの造船企業を再建プログラムに参加させる。

他のロシアの防衛産業企業によるクリミア造船所のいわゆる「キュレーターシップ」を導入するというロシア政府の決定と、それに続くロシアの造船会社によるそれらの施設の完全な取得は、モスクワがクリミアを回すという目標を重視していることを証明しています。沈むことのできない空母に。この計画では、クリミアの造船所は、連邦センターからの軍事命令を履行することによってモスクワの戦略を実行します。実際、これは、クリミア造船所の労働力に正当な不満を引き起こす「北方の兄貴」という旧ソビエトの概念に従ったクリミア造船所の完全な管理を意味します。62

ただし、最も重要なのは、制裁の影響とクリミア造船所の産業能力に対する制裁の制限です。これらの施設はすべてウクライナと米国からの制裁下にあり、ザリーフ造船所もEU制裁の対象となっています。さらに、米国とEUは、占領下のクリミアとの間の軍事および二重用途の商品、技術、サービスの輸出入を禁止しており、半島での造船の開発機会に悪影響を及ぼしています。これらの状況に照らして、クリミアの造船企業に対するモスクワの増加した州の軍事命令は、これらの没収された企業を財政的に浮かび上がらせるだけでなく、黒海艦隊をそれほど強化しません。軍事命令だけでは、クリミアの造船所をフル稼働させるのに十分ではありません。彼らは主に国際的な商業契約に依存していました。モスクワがこれらの造船所の生産レベルを上げるか、新しい民間の命令を見つけることができない限り、労働力の不安や労働力の減少は避けられないかもしれません。

同時に、違法に併合されたクリミアにおけるモスクワの軍産複合体の努力を過小評価または軽視することは誤りです。クリミアの造船所には自由市場の選択肢がないため、クレムリンは、現代の造船方法に不可欠な黒海の温水へのアクセスや強力な労働力プールなど、その潜在能力を最大限に活用することができます。 。そして、このモスクワの地域軍事政策とクリミアの産業部門との絡み合いは、半島を黒海地域およびそれ以降の軍事力投射の前哨基地に変えるというロシアのより高いレベルの目標によって推進されています。

最終的な分析では、資金調達の制限と技術的ギャップは、軍艦建設のタイミングと試運転スケジュールに影響を与える可能性があるため、海軍の近代化と再編成に向けたロシアの取り組みのアキレス腱となる可能性があります。最終的に、ロシアはクリミアの造船所に建設されている多数のミサイルコルベットと巡視船を黒海艦隊に補充する予定ですが、これは2025年から2027年の時間枠の前に発生する可能性は低いです。

クリミアでのロシアの海軍建設プログラムに関して、米国とそのNATOの同盟国が最も懸念すべきことは、ケルチに建設されている2隻の水陸両用攻撃ヘリ空母(LHD)です。モスクワは、エンジン生産、労働ストライキ、およびこの特定の造船所でのそのような大型海軍艦艇の建造経験の欠如に関する継続的な問題にもかかわらず、ザリーフ造船所でこれら2隻の軍艦の作業を継続します。実際、ザリフの施設は、4,500トンのフリゲート艦よりも大きな軍艦を建造したことはありません。したがって、これらの船舶の予想される試運転は、2028年から2029年までには行われない可能性があります。ただし、完成すると、これらの軍艦の機能により、ロシア海軍歩兵が迅速に移動し、広大な沿岸地域や重要な海岸線インフラストラクチャを占領するのにかかる時間が大幅に短縮されます。黒海艦隊の現在の能力に基づくと、現時点でそのような目的を達成するのに数日かかる可能性がありますが、モスクワがLHDを稼働させると、任務時間は数時間に短縮されます。実際、ウクライナ、グルジア、さらにはトルコの領海の近くで蒸気を発するそのような軍艦の単なる存在は、プーチンの強制外交の震えに別の矢を追加する可能性があり、それは彼が地域の隣人を威嚇するために使用します。

地中海に向かっているロシアの強襲揚陸艦の一方または両方の光景も、黒海を越えて脅威を引き起こします。これが、これらの軍艦のうち少なくとも1隻または2隻が黒海盆地の外に配備される可能性が高い理由です。ただし、同時に、LHDは潜在的なターゲットを誘惑するのに役立ちます。ロシアのヘリ空母は、海や空からの攻撃、さらにはトルコ製の攻撃ドローンからの攻撃に対して非常に脆弱であり、防空を提供し、戦闘の回復力を確保するために護衛艦を必要とします。

しかし、ロシアが前述の海軍のストライキと暴行の能力を完全に展開する準備ができたら、おそらく、米国と英国以外の黒海でロシアに挑戦することはできません。しかし、黒海における後者の2か国の海軍のプレゼンスは、1936年のモントルー条約によって課せられた制約のため、21日間に制限されます。

今後10年以内に、モスクワは、押収されたクリミア造船所の直接参加のおかげで、攻撃力の強力な海軍グループを擁護することになります。これにより、黒海と地中海でのクレムリンの軍事力が強化されるだけでなく、VMFが地上の標的や軍隊に対して海と空から強力な機動攻撃を行えるようにすることで、ロシアの海軍能力が大幅に向上します。これらの海軍資産の追加により、モスクワはその拡張された軍事力を強制と恐喝に使用できるようになり、必要に応じて沿岸の領土、港、島を占領するための海軍電撃戦を実行できるようになります。

とは言うものの、クレムリンの軍事計画立案者が、占領下のクリミアの造船所のみを利用することに限定して喜んでいると考えるのは間違いです。近くには、ソビエト海軍建設の王冠にある宝石があります。これは、ソビエト時代のインフラストラクチャの多くを今も保持している巨大なムィコラーイウ造船所です。クレムリンの野心のリストのトップは、大型原子力空母を含む原子力軍艦を建造するという長年の計画です。[60]ムィコラーイウにあるウクライナの造船所は、冷戦中にそのような船を建造するというソビエトの目標を達成するという重要な役割を果たしました。そしてプーチンは、ウクライナのこの地域を「歴史的にロシアの領土」と見なしており、クレムリンの指導者は「ノヴォロシア」と呼んでいます。そのため、2022年2月24日、かなりの数のロシア軍がヘルソン-ムィコラーイウの方向に投げ込まれました。クレムリンは一時的にヘルソン地域の地区を占領し、ムィコラーイウの郊外に到達しました。そこでは、ロシア軍がこの都市を占領し、造船所にアクセスしようとする激しい試みは失敗に終わりました。ウクライナ軍は敵を撃退しており、6月初旬の時点でロシア北西部の前進は停止している。

ノート

[1]「ショイグ:ミノボロニー・オルガニズイエ・ザグルズク・プレドプリヤティOPKクリマ・ドリャ・ヴィポルネニヤ・ゴソボロンザカザ」、TASS、2014年4月4日、https ://tass.ru/politika/1097156 。

[2] Ivan Safronov、「クリミア産業は軍拡競争に含まれている」、Kommersant、(ロシア語)、2014年4月14日、https://www.kommersant.ru/doc/2452032。

[3]「FoundationofKherson」、Litopis Khersona、(ウクライナ語)、https: //www.library.kherson.ua/young/tavrica/litopys/lit_1.htm 。

[4] Larisa Levchenko、「ムィコラーイウとセヴァストポリの軍事知事の創設の歴史」、ムィコラーイウ地区の州立アーカイブ(ウクライナ語)、https://lib.chmnu.edu.ua/pdf/naukpraci/history/1999 /2-1-3.pdf。

[5]「造船と海軍の博物館」、ムィコラーイウ・プラウダ(ウクライナ語)、http://www.nikpravda.com.ua/muzej-sudnobuduvannya-i-flotu/。

[6] Yurii Kryuchkov、「ムィコラーイウでのセーリング造船(1790-865)」、海軍(ロシア語)、2018年、https: //www.korabelhobby.com.ua/drawings/russian-books/3150-parusnoe-sudostroenie- v-nikolaeve.html。

[7]「聖。サンクトペテルブルク–ロシアの造船の首都」(ロシア語)、https://helpiks.org/9-33396.html。

[8] Luppov SP、「18世紀の第1四半期におけるサンクトペテルブルクの建設の歴史」、Nauka(ロシア語)、1957年。

[9] Bernadsky VN、Suknovalov AE、「レニングラードの歴史的過去」、Uchpedgiz(ロシア語)、1958年。—255ページ。

[10] Bugaevska UA、「ムィコラーイウの海軍造船所の歴史から」、ムィコラーイウ地区のアーカイブ(ウクライナ語)、http://mk.archives.gov.ua/pubonsite/314-z-istorii-vykolaivskogo- zavodu-naval.html。

[11]「造船における最初の溶接構造」、Biblioteka mashinostroitelya(ロシア語)、https: //lib-bkm.ru/publ/19-1-0-1880 。

[12] Malyshev BD、MelnikVIおよびGetiyaIG、「手動アーク溶接」、Stroyisdat(ロシア語)、1990年。

[13]「ザリーフ造船所、ケルチ:歴史、生産」、ノヴォスティi obshestvo(ロシア語)、https: //autogear.ru/article/347/265/zavod-zaliv-kerch-istoriya-produktsiya/ 。

[14]「バックインザUSSR。クリミア経済の逆再編」、BlackSeaNews、2020年8月28日、https: //www.blackseanews.net/en/read/169451 。

[15]「産業成長の要因としての「トロフィー経済」軍事化」、BlackSeaNews、2020年10月25日、https: //www.blackseanews.net/en/read/169458 。

[16]「KerchZalyv造船所は、ブトミーによって名付けられた受益者造船所に加わる形で再編成された」、Interfax Russa(ロシア語)、2021年2月20日、https: //www.interfax-russia.ru/south-and-north -caucasus / news/kerchenskiy-zaliv-reorganizovan-v-forme-prisoedineniya-k-svoemu-beneficiaru-sudozavodu-im-butomy。

[17]「ロシアの懸念「カラシニコフ」がウクライナのフェオドシヤに復活した造船所を割り当てた」調査ジャーナリズムセンター(ウクライナ語)、2017年11月23日、https://investigator.org.ua/ua/news-2/203738 /。

[18]アナスタシア・ヴェデネエバとアレクサンダー・ドレムリュギン、「ロステックが統一造船会社に引き渡される海の造船所を手放す」、コメルサント(ロシア語)、2021年4月2日、https://www.kommersant.ru/doc /4753274。

[19]ユーリ・マカロフとアレクサンダー・モズゴボイ、「とげを通して…常識に」、国防(ロシア語)、#11、2020年11月、https: //oborona.ru/includes/periodics/navy/2015/0730/153716373 /detail.shtml。

[20] Evgeniy Damantsev、「プロジェクト22160コルベット:駆逐艦機能を備えた目立たない巡視船」、Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2016年3月1日、https: //topwar.ru/91585-korvety-pr-22160-malozametnye -patrulnye-korabli-s-vozmozhnostyami-esminca-vsled-za-soobrazitelnym.html。

[21] Kirill Ryabov、「プロジェクト23900船:ロシアが開発した普遍的な揚陸艦」 、 Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2020年7月22日、https: //topwar.ru/173342-korabli-proekta-23900-universalnye-desantnye -svoi.html。

[22] Andrii Klymenko、Tetiyana Guchakova、Olga Korbut、「グレーゾーン」がクリミア半島を占領:2018年の制裁違反」、黒海戦略研究所、キーウ、2019年、https://www.blackseanews.net/en/読み取り/169630。

[23] KvyrisPalitraとIrakliAlamashvil、「Vysotskiy:’Mistral’があれば、ジョージアの海岸を40分間つかんだだろう」、Georgia Online(ロシア語)、2009年9月15日、https ://www.apsny.ge/記事/1253062679.php。

[24]ローマのスコモロホフ、「最初のロシアのヘリ空母は2022年に登場するでしょう…あなたはミストラルが不足していましたか?」Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2017年6月2日、https: //topwar.ru/117037-pervyy-rossiyskiy-vertoletonosec-poyavitsya-k-2022-godu-mistraley-ne-hvatilo.html 。

[25]「最初の2機のロシアのヘリ空母はミストラルから名付けられる」TASS(ロシア語)、2020年1月11日、

https://tass.ru/armiya-i-opk/7499381。

[26]「ロシアのLHDは、変更されたプロジェクトに基づいて構築されます」、Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2020年8月14日、

https://topwar.ru/174106-rossijskie-udk-budut-stroitsja-po-dorabotannym-proektam.html。

[27]「ロシアはクリミアで8年間、普遍的な揚陸艦を建造する」、Novosti Kryma(ロシア語)、2021年3月15日

https://news.allcrimea.net/news/2021/3/15/rossiya-8-let-budet-stroit-universalnye-desantnye-korabli-v-krymu-143962/。

[28]「出典:ロシアは最初の2機のヘリ空母の建造に1,000億ルーブルを費やす」、TASS(ロシア語)、2020年4月10日、https://tass.ru/armiya-i-opk/8207635。

[29]ローマン・クレツル、ボグダン・ステポボイ、アレクセイ・ラム、「海戦では、ロシアのヘリコプター運搬船が浮かぶ本部になる」、イズベスチヤ(ロシア語)、2020年7月24日、https://iz.ru/1039189/roman- kretcul-bogdan-stepovoi-aleksei-ramm/v-morskoi-boi-rossiiskie-vertoletonostcy-stanut-plavuchimi-shtabami。

[30]「ロシア自体がヘリ空母を建造している:国内LHDの特徴と展望について」、Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2020年10月15日、https: //topwar.ru/176051-rossija-sama-stroit-vertoletonoscy- kakie-onibudut-dlja-chego-oni-nuzhny-i-chto-ot-nih-ozhidajut.html。

[31]「ロシアはセヴァストポリにミストラルヘリ空母を配備したい」、Glavred(ロシア語)、2014年5月30日、https: //glavred.info/world/281065-rossiya-hochet-razmestit-vertoletonoscy-mistral-v- sevastopole.html。

[32]「セヴァストポリの黒海艦隊の主要基地の近代化は2019年に開始される予定です」、Bez Formata(ロシア語)、2019年1月11日、https: //sevastopol.bezformata.com/listnews/modernizatciyu- osnovnoj-bazi-chf-v-sevastopole /60308231/。

[33]「ロシアはタルトゥースの海軍基地の近代化を開始する」、Vzglyad(ロシア語)、2017年3月11日、https://vz.ru/news/2017/3/11/861450.html。

[34]「ショイグ:海軍の基地は 『アドミラル・ゴルシュコフ』のようなフリゲート艦になる」Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2017年4月21日、

https://topwar.ru/114050-shoygu-osnovoy-flota-stanut-fregaty-podobnye-admiralu-gorshkovu.html。

[35] Anton Novoderezhkin、「ロシア連邦の黒海艦隊の近代化は西側を警戒させた」、Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2018年3月6日、https: //topwar.ru/137336-modernizaciya-chernomorskogo-flota -rf-obespokoila-zapad.html。

[36]この会社の背景については、https ://zmturbines.com/を参照してください。

[37]この会社の背景については、http ://www.zvezda.spb.ru/index.php/o-predpriyatiiを参照してください。

[38]「ウクロボロンプロムはついにロシアへの武器供給を凍結した」、Zerkalo Nedeli(ロシア語)、2014年3月29日、https: //zn.ua/UKRAINE/ukroboronprom-nakonec-to-zamorozil-postavki-oruzhiya-v-rossiyu -142213_.html。

[39]「ドイツと中国はロシアからミサイル船を奪った」、Novosti VPK(ロシア語)、2018年2月7日、https: //vpk.name/news/206004_germaniya_i_kitai_lishili_rossiyu_raketnyh_korablei.html 。

[40]「海軍は「カラクルト」の再モーター化を拒否した、Voenno-Promyshlenniy Kur`er VPK(ロシア語)、 https: //vpk-news.ru/news/45537 ; 「非永久運動エンジン:業界と海軍がディーゼル危機から抜け出す方法をどのように模索しているか」、Flot Prom(ロシア語)、2018年8月8日、 https: //flotprom.ru/2018/%D0%9E %D0%B1%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%BD%D0%BA%D0%B0348/。

[41]ローマン・クレツルとアレクセイ・ラム、「目で見たコンテナ:海軍の戦闘モジュールは夏の終わりまでにテストされる」、イズベスチヤ(ロシア語)、2020年7月22日、https://iz.ru/1038280/ roman-kretcul-aleksei-ramm/konteiner-s-pritcelom-boevye-moduli-vmf-protestiruiut-do-kontca-leta。

[42] 「フロリダ」の尾にある「アドミラルエッセン」、Rossiyskaya Gazeta(ロシア語)、2020年1月28日、https://rg.ru/2020/01/28/rossijskij-flot-provel-rotaciiu- korablej-v-sredizemnom-more.html。

[43] Irina Kuteleva-Kovalenko、「ロシアはミサイル艦と沿岸ミサイル複合施設Balの参加を得て黒海で演習を実施した」、Novoye Vremya(ロシア語)、2019年2月19日、

https://nv.ua/world/countries/rf-provela-ucheniya-v-chernom-more-s-uchastiem-raketnogo-korablya-i-beregovyh-kompleksov-bal-50006869.html。

[44]「Kavkazの演習では、黒海の主人が誰であるかが示されました」、Rossiyskaya Gazeta(ロシア語)、2016年9月22日、https://rg.ru/2016/09/22/reg-ufo/glavnye- fakty-o-strategicheskih-ucheniiah-kavkaz-2016.html ; 「小型ミサイル船「ウグリチ」と「グレート・ウスチュグ」がアゾフ海に入った」、Kubanskiye Novosty(ロシア語)、2019年10月21日、https: //kubnews.ru/obshchestvo/2019/10/21/malye-raketnye -korabli-uglich-i-velikiy-ustyug-voshli-v-azovskoe-more/。

[45]グレン・E・ハワードとマシュー・チェカイ編、ロシアの軍事戦略と教義、ジェームズタウン財団、ワシントンDC、2019年4月、https: //jamestown.org/product/russias-military-strategy-and-doctrine /。

[46] 「小型ミサイル軍艦「セルプホフ」と「グリーンドル」が地中海で演習に参加した」、Military Press Flot(ロシア語)、2016年8月15日、https: //flot.com/2016/%D0 %A7%D0%B5%D1%80%D0%BD%D0%BE%D0%BC%D0%BE%D1%80%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9%D0%A4 %D0%BB%D0%BE%D1%8237 / ; Ivan Petrov、「すべての口径から。さらに2隻の小型ミサイル軍艦が地中海のロシア海軍グループに加わった」RossiyskayaGazeta(ロシア語)、2018年6月18日、https://rg.ru/2018/06/18/malye-raketnye-korabli-popolnili- gruppirovku-vmf-v-sredizemnom-more.html。

[47]「制裁はどのように機能するのか。占領下のクリミアの軍事産業」、BlackSeaNews(ウクライナ語)、2020年12月31日、 https: //www.blackseanews.net/read/171798 。

[48]ローマン・アザノフ、「 『プリボイ』からの離陸:ロシアのヘリ空母はどうなるか」、TASS(ロシア語)、2017年6月30日、https: //tass.ru/armiya-i-opk/4374859 。

[49]この会社の背景については、https://en.wikipedia.org/wiki/UEC_Saturnを参照してください。

[50]「「提督」は部隊を待っていた」、Aviaport(ロシア語)、2020年11月27日、https: //www.aviaport.ru/news/2020/11/27/659959.html 。

[51]「ロシア海軍の強襲揚陸艦にはミノガヘリコプターを装備できる」、ノヴォスティVPK(ロシア語)、2020年9月30日、https: //vpk.name/news/449243_universalnye_desantnye_korabli_dlya_vmf_rossii_mogut_osnastit_vertolet

[52]「情報源はロシアのミストラルの特徴について話しました」、世界の武器貿易の分析のためのセンター(ロシア語)、2021年3月4日。

https://armstrade.org/includes/periodics/news/2021/0304/101061888/detail.shtml?fbclid=IwAR3GjAk4lUEEHuTN3xerr_a3ee7w7X5OyExbSoX0VKPojjJCSWV-52mvSzQ。

[53]「占領下のクリミア半島のザリフ工場にLHDが建設される見通しは?」、Defense Express(ウクライナ語)、2021年3月19日

https://defence-ua.com/weapon_and_tech/jakimi_je_perspektivi_budivnitstva_udk_na_zavodi_zaliv_v_okupovanomu_krimu-3137.html。

[54] Tetiana Guchakova、「制裁はどのように機能するか。占領下のクリミアの軍事産業」、Centr Jurnalistskih Rassledovaniy(ウクライナ語)、2020年12月4日、https: //investigator.org.ua/ua/investigations/230678/ 。

[55]「プロジェクト22160巡視船」、Obyedinennaya Sudostroitelnaya Korporatsyia(ロシア語)、https: //www.aoosk.ru/products/project-22160/

[56]「プロジェクト22160「VasilyBykov」の巡視船が州の裁判に参加した」、Voennoe Obozreniye(ロシア語)、2018年10月25日、https: //topwar.ru/148878-patrulnyj-korabl-proekta-22160-vasilij -bykov-vyshel-na-gosispytanija.html。

[57]「Zalyvは生産を増やした」、UNIAN(ロシア語)、2010年2月9日、

https://www.unian.net/economics/transport/322823-zaliv-uvelichil-proizvodstvo.html。

[58] 「労働者はケルチのZalyv工場でストライキの準備をしている」、Kerch.FM(ロシア語)、2020年5月29日、

https://kerch.fm/2020/05/29/na-zavode-zaliv-v-kerchi-ljudi-gotovjatsja-k-zabastovke.html。

[59] Vitaliy Timkiv、「軍艦「Pavel Derzhavin」は黒海艦隊の一部になりました」、RIA Novosty(ロシア語)、2020年11月27日、https: //ria.ru/20201127/korabl-1586562871.html 。

[60]「ロシアは世界最大の空母を建造する」、Nezavisimoye Voennoye Obozreniye(ロシア語)、https: //nvo.ng.ru/nvo/2020-01-17/1_1077_main.html 。

クリミアは造船業になぜ向いているか。

クリミアは造船業になぜ向いているか。
https://st2019.site/?p=19819

『Ihor Kabanenko 記者による2022-6-3記事「Arsenal of Empire: Russian Naval Construction in Crimea and Its Implications for Black Sea Security」。
    クリミアは造船業になぜ向いているか。気候が良いのだ。だから船が早く仕上がる。
 ロシアは2014いらいクリミア半島を「不沈空母」にすると標榜している。※中曽根か?
 ※露土戦争いらい、ロシアはクリミア一帯をどのようにして一大造船センターにして今に至るか、詳しく紹介している長い記事。略す。』

トルコとロシアの輸出商売スタイルは正反対。

トルコとロシアの輸出商売スタイルは正反対。
https://st2019.site/?p=19812

『Kamil Galeev 記者による2022-6-17記事。

   トルコとロシアの輸出商売スタイルは正反対。
 トルコでは無数の零細企業がめいめい勝手に輸出して儲けている。

 ロシアでは輸出は原料資源なので、少数の巨大企業が一手扱いする。それら巨大企業は政府と一体であり、すなわちプーチンと一心同体。

 ※よく考えたらカミルとケマルは通じる。タタール系の人なのだね。たいしたものだ。』

ドンバス

ドンバス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%B9

『ドンバス(ウクライナ語: Донба́с、ロシア語: Донба́сс)は、ウクライナの東南部に位置する地方である。

「ドネツ盆地」という地名は盆地を貫流するドネツ川に由来し、それを表す現地語 (ウクライナ語: Донецький басейн〔ドネツィキー・バセイン〕またはロシア語: Донецкий бассейн) から生まれた混成語が「ドンバス」である[注 1][1]。ドンバス地域の範囲の定義とされる諸説がありながら、公式に法で定められた事は一度もない。今日用いられる最も一般的な定義はウクライナのドネツィク州とルハーンシク州を指すものである。ドンバス地域はウクライナ国土面積の10%を占めている。

他方、19世紀後半より続く採炭[2]においてドンバス炭田をさす場合、上記2州の複数の地域を含めない代わりに近隣のドニプロペトロウシク州と南ロシアの一部を範囲に含める[3]。

同名のユーロリージョンはウクライナのドネツィク、ルハーンシク州とロシアのロストフ州から構成される[4]。ドンバスはザポロズカ・シーチ(ウクライナ語版)(コサックの自治政体)とドン・コサック・ホストとの歴史的な境界線を成してきた[2]。重工業化した19世紀後半以降、ドンバスは重要な採炭地域であり続けた。

2014年3月ウクライナ革命(親露派大統領の追放)に引き続いてドンバスの大きな領域が(親露派による)反乱によって支配されるに至った。この反乱は後に「ドネツク人民共和国」および「ルガンスク人民共和国」と連携した親露派分離主義者と革命後のウクライナ政府との間の戦争へと発展した。戦争が進行するまでドンバスは首都キエフを除けばウクライナの地域の中で最も人口が密集していた。

内戦前、ドネツィク市がドンバスの非公式な首都であると考えられていた。人口10万人以上の大都市にはルハーンシク、 マリウポリ、 マキイフカ、ホルリウカ、クラマトルスク、 スラヴャンスク、アルチェヴスク(英語版)、シェヴェロドネツクとリシチャンシクが含まれていた。

現在ウクライナ側のドネツィク州の暫定行政機関はクラマトルスクに、ルハーンシク州のそれはシェヴェロドネツクに置かれている。分離主義者側ではドネツク人民共和国ではドネツィク、マキイフカ、ホルリウカが、ルガンスク人民共和国ではルハーンシク、 アルチェヴスクが最大級の都市である。 』

『歴史

ロシア帝国時代

石炭を拾い集める貧民 ニコライ・カサトキン(ロシア語版、英語版)による: ドンバス、1894年。

現在ドンバスとして知られる地域は17世紀後半、ドン・コサックが定住するまで無人の土地が広がっていた[5]。最初の町はSolanoyeと呼ばれ (現在のソレダル)、新たに発見された岩塩鉱脈の開発を目指して1676年に建設された。一帯はドンバスと呼ばれるずっと以前からウクライナ語で「荒野(英語版)」と通称され、広くウクライナ人のヘーチマン国家とトルコ人のクリミア・ハン国の支配下に置かれた期間を経て[6]、18世紀の半ばにロシア帝国が征服・併合すると新ロシアと名付けた。産業革命がヨーロッパ中に定着するに伴い、19世紀中盤から後半にかけて地域で資源開発が相次ぐ。すでに1721年に発見されていた石炭の埋蔵量の膨大さが知られるようになった[7]。

「ドンバス」という地名は石炭埋蔵量最大のドネツ川沿いの地域を表す用語と見なされ、ドネツ炭田(ウクライナ語: Донецький вугільний басейн、ロシア語: Донецкий каменноугольный бассейн)の派生語扱いし始めるのはこの頃からである[8]。石炭産業はその隆盛を大きくロシア人住民に担わせたこともあり、ロシア人人口はエカテリノスラフ県のバフムート、Slovianserbskおよびマリウポリ諸郡でほかの地域よりも顕著に増加した。

今日、地域の要となったドネツィクは1869年にイギリスの実業家ジョン・ヒューズが投資する以前、ウクライナ・コサックに連なるザポリージャ・コサック(英語版)が暮らす町でオレクサンドリフカと呼ばれた。ヒューズは製鉄所を建設、複数の炭鉱を開発し、その名前をとって町はユゾフカ(ロシア語: Юзовка)と改称された。炭鉱景気に沸くほかの町も発展し、ロシア帝国のグベールニヤ(県)から出稼ぎ先を求めて大勢の小作農が集まった[1]。1897年のロシア帝国の国勢調査(英語版)によれば、地域人口の52.4%がウクライナ人であり、28.7%がロシア人だった[9]。ドンバス地域にはギリシア人(英語版)、ドイツ人、ユダヤ人(英語版)あるいはタタール人も住み、とりわけマリウポリ地区(人口の36.7%)では重要な存在だった[10]。

それにもかかわらず、産業労働力の多くを担い続けたのはロシア人である。ウクライナ人は周辺(農村)地域に住み、都市部では、地域の重工業に職を求めてやってきたロシア人しか居住しない状況がしばしば見られるようになる[11]。出稼ぎに来たウクライナ人は都市に流入すると、たちまちロシア語話者の労働者階級に吸収されてしまった[12]。

ソビエト時代

「ドンバスはロシアの心臓部」と謳うポスター(1921年に登場したソビエトのプロパガンダポスター)

1917年から1922年のロシア内戦の結果、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国が誕生するとウクライナ人が居住した他の地域と共にドンバスは統合された。一帯に暮らしたコサックのうちウクライナ語話者は、1919年から1921年にかけて脱コサック化(英語版)を強制された[13]。

ドンバスに暮らしたウクライナ人はホロドモール飢饉(1932年–1933年)のほか、ヨシフ・スターリンのロシア化(英語版)政策に大きく影響される。ウクライナ人のほとんどが農村の小地主農民 (ソビエト体制の呼称はクラーク) に過ぎず、食糧難の深刻な被害を受けてしまう[14][15]。在英ウクライナ人協会によれば、飢饉により現在のルハーンシク州の人口は25%まで減少し、現在のドネツィク州では15-20%にまで減少した[16] 。ある推定によればウクライナ社会主義共和国内の飢饉によって発生した死者のうちウクライナ人が81.3%であったのに対し、ロシア人の死者はわず4.5%にとどまるという[17]。

ドンバスにおける第二次世界大戦の戦災は甚大である。戦前のドンバスは貧困と食料不足に苦しめられた。戦争への備えにより、結果として工場労働者の出勤日が増えノルマが吊り上がり、達成できない者は逮捕された[18]。ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーはドンバスの資源がバルバロッサ作戦にとって決定的に重要と見ていた。このようにして1941年から1942年に至るナチ占領下でドンバスは苦しむことになる[19]。ドイツの工場で働かせるために強制的に「輸出」された工場労働者は数千人にも及ぶ。旧称スターリノ州、現在のドネツィク州では占領期に27万9千人の市民が殺された。旧称ヴォロシーロフ州、現ルハーンシク州で殺された住民は4万5649人である[20]。1943年の赤軍による攻勢により、結果としてソビエトのドンバス支配が回復した。戦争の代償は高く、破壊され人が住まない地域が残された。

第二次世界大戦後のドンバスの再建期間中、多数のロシア人労働者がやって来て人口比率はさらに変動する。ロシア人居住者は1926年の63万9千人[21]から、1959年にはほぼ4倍の255万人に伸びた。ロシア化はソビエトの教育改革(1958-1959年)によっても推し進められ、ドンバスにおける学校教育からウクライナ語をほぼ消し去るものであった[22][23]。1989年ソ連国勢調査では、ドンバスの人口に占めるロシア人の比率を45%と報告した[24]。

独立ウクライナ時代

ルハーンシクにあるドン・コサックのモニュメント。銘に「栄光と自由の息子たちへ」とある。

ウクライナ独立に関する1991年国民投票(英語版)では、有権者の内、ドネツィク州で83.9%(投票率76.7%)、ルハーンシク州で83.6%(投票率80.7%)がソビエト連邦からの独立を支持した[25]。しかしながら独立は結果的にドンバスに深刻な経済的悪化をもたらした。1993年には産業生産は崩壊し、平均賃金は1990年比80%にまで低下した。キーイウ(キエフ)の新中央政府が冒した数多くの管理間違いと怠惰のせいで、ドンバスは危機に陥った

ドンバスの採炭業者は1993年に国内紛争(歴史家ルイス・ジーゲルバウムが言うところの「ドンバス地域と他の地域との争い」)を巻き起こしながらストライキを行った。あるストライキ指導者が言ったように、ドンバスの人たちは地域や企業や諸都市に権限移譲して欲しいから独立に賛成したのであってただモスクワからキーイウに移っただけの高度に中央集権化された政府を望んだわけではない[25]。このストライキはドネツィク・ルハーンシク両州の様々な憲法上の諸問題に関する意見聴取の住民投票(独立ウクライナの最初の議会選挙(英語版)と同時実施)が行われた1994年まで続いた[26]。これらの諸問題にはロシア語を ウクライナの公用語として採用する是非、あるいはドネツィク・ルハーンシク両州の行政言語をでロシア語とする是非、ウクライナの連邦化かウクライナと独立国家共同体の密接な連携か、といった諸点が含まれる[27]。投票者の90%近くがこれらの提案に賛成した[28] 。しかし、いずれも採択されなかった。ウクライナは単一国家に留まり、ウクライナ語は唯一の公用語として維持され、ドンバスにはいかなる自治権も与えられなかった[24]。しかし、ドンバスのスト参加者達は地域の経済危機に対する緩和策を考慮されるなど、キーイウから多くの経済的譲歩を得た。小規模なストライキは90年代を通じて続いたが、自治に対する要求は終息していった[25]。ドンバスの重工業に対するいくつかの補助金は廃止され、世界銀行による自由化改革を後押しするために多くの炭鉱がウクライナ政府によって閉鎖された[25]。

1994年ドンバスと東ウクライナの他の地域からの支持で当選したレオニード・クチマ ウクライナ大統領は1999年に再選された[25]。クチマは地域内の政治的支援を得るために、開発資金を用いてドンバスに経済的援助を与えた[25]。2000年代初めにドンバス内の権力はオリガークス(英語版)(ウクライナ語: олігархи、オリハルフィー)と呼ばれる一部の政治的エリートに集中した。国有産業の私有化は腐敗の蔓延を招いた。郷土史家の黒宮広昭[29]は地域の経済力、政治力を支配する人々のグループであるこのエリートを「ドンバス・クラン (Donbass clan)」として描写した[25]。「クラン」の著名なメンバーにはヴィクトル・ヤヌコーヴィチとリナット・アクメトフ(英語版)が含まれる。オリガークスの形成は腐敗と結びつき、 ウクライナ内でドンバスが最も非民主的かつ最も邪悪な地域との認識を導いた。2000年代、ウクライナの他の地域から見て、ドンバスは「チンピラ文化」を持ち、「ソビエトの糞貯め」であり、後進的である、と認識されていた[25]。2005年のNarodne slovo紙が伝えるように、コメンテーターのViktor Tkachenkoはドンバスを「第五列」の巣窟と呼び、その地域でウクライナ語を話す事は「健康と生命にとって安全ではない」と発言した[30]。また、親ロシア派分離主義の策源地であるように描かれた。ドンバスはウクライナの他の地域と比べて共産主義者の名前を採って名付けられた都市や村の数が顕著に多い[31]。ところが、これらの描写にも拘らず、1990年代から2000年代に行われた調査ではドンバスによるウクライナの他地域への支援は強力であり、むしろ分離主義者を冷淡に取扱った事が示された[32]。

ドンバスにおける内戦 (2014年から2015年時点)

詳細は「ウクライナ紛争 (2014年-)」および「ドンバス戦争」を参照
ドンバスに展開したウクライナ軍、2015年3月

2014年2月のウクライナ革命とユーロマイダン運動の余波の一部として、3月初頭からドンバスで親ロシア・反政府グループのデモが起きた。これらのデモ[注 2]は2014年4月、分離主義武装勢力(ノヴォロシア人民共和国連邦)とウクライナ政府の戦争に悪化した[33][34]。

内戦の最中、分離独立派の「共和国」は2014年5月11日にドネツィクとルハーンシク両州の地位に関する住民投票を実施した。この住民投票はウクライナ中央政府を排除した自治を望ましいとする結果に回帰した(一方で住民投票はウクライナからは非合法そして国際社会からは非民主的であると見なされている)。幾度も停戦が試みられたが、2014年を通して、そして2015年になっても戦闘は続いた[35][36]。また、この戦争においてウクライナと西側諸国はロシアが分離独立派に物資支援と軍事支援の双方を供与したと主張しているが、ロシアは否定している。分離独立派は2014年8月まで大部分がロシア市民により先導されていた[35][36]。

人口統計と政治

ウクライナ地図:ネイティブなロシア語話者が多数を占める地域を赤で示す(2001年国勢調査)

現在、ドンバスの大部分をロシア語使用地域(英語版)が占める。ドンバスにロシア人少数派の要人が暮らすものの、人口の多数はウクライナ人である。2013年-2014年のウクライナ危機以前、地域の政治は「地域党」によって支配されていた[注 3]。前大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチをはじめ、党の主要人物はドンバス出身だった。
ドネツィク州のロシア化:上のグラフは長期に見た話者の比率、下のグラフは住民の国籍の変遷を示す[注 4]。 ロシア語/ロシア人、 ウクライナ語/ウクライナ人、 その他。

ロシア起源の住民たちは、主に大都市の中心部に集中していた。大都市とりわけドネツィク、ルハーンシク両州においては母語としてロシア語が優勢である。ロシア語を共通語として話すウクライナ人は多い。

産業化の過程でこの地域に新たな都市がつぎつぎと開かれると、多くのロシア人(特にクルスク州出身)が流入し、東ウクライナの諸都市でロシア語が重要になる。

農村地帯へのロシア語の拡大は研究のテーマとして今も論争が続くが、これら2州では一般的に、それを裏付ける調査結果は出ていない。

ロシア語が母語だと申告する人々にはウクライナ人と他国人がいるため、ロシア語話者は国籍上のロシア人の人口を上回り、ドネツィク州で74.9%、ルハーンシク州で68.8%を占めた[37]。2001年時点で、少数派ロシア人の割合はドネツィク38.2%、ルハーンシク39%だった[38]。

ドンバスには比較的大きなムスリムのコミュニティーがあり、いくつかの地域では人口の20%に達する[38]。

言語学者George Shevelovによると、ソビエト連邦政府はウクライナ社会主義共和国内のすべての学校に、ウクライナ語で授業を行うように命じたというが(ウクライナ化政策の一部として)[いつ?][39]、1920年代初頭、ウクライナ語を教える中学校の割合はドンバスのウクライナ人の割合を下回った[40]。ウクライナで行われた地域的帰属意識の調査によればドンバス住民のほぼ40%が「ソビエト帰属」を意識すると回答している[41]。

セーデルトーン大学(英語版)のRoman Horbykは「不完全かつ廃れた制度」により、20世紀に栄えた鉱山や工場がウクライナ人とロシア人の居住区の境界にあったため、ドンバス住民すなわち周辺から流入したはずの出稼ぎ農民は地域社会にとけ込むことができず、現代的郊外としての性格(全国的に見られる新しいアイデンティティ)が顕著に強まる妨げになったと主張する[40]。

経済

詳細は「ウクライナの石炭(英語版)」を参照

ドンバスの経済は重工業と金属工業、とりわけ採炭と冶金が優勢だった。1970年代以降、石炭の年間採掘量は減少したものの重要な産出地として生き延びる。採炭は地下深くに達し、褐炭は地表下およそ600メートル、より商品価値の高い無煙炭、瀝青炭の採炭地は地下およそ1800メートルで行われる[7]。2014年4月のドンバス内戦前、ドネツィクとルハーンシク両州合わせてウクライナの石炭輸出高の30%を産出していた[42]。石炭だけでなく、この地域は鉄や鋼の生産拠点ともなっている。

またこの地域は金や銀の採掘、原子炉を建造するのに用いられる水銀を産出することでも知られる。結果、ドンバスはウクライナ全体の輸出の30%を占めており、GDPの20%を占めている。

石炭産業における労働安全

ドンバスの採炭地点の深度化、メタンや炭塵の爆発事故の頻発あるいは岩盤崩落 (rock burst) の危険、さらに時代遅れのインフラにより、世界で最も危険な部類に入る[43]。2000年代後半には非合法でさらに危険な炭鉱すら、全域に蔓延していた[2][44]。

環境問題

ドネツィクのカルミーウス川沿いのボタ山

ドンバスへの採炭と製錬の集中は地域の環境に深刻なダメージをもたらし、次の問題は広く知られている。

水供給の破綻と鉱水 (mine water) に起因する洪水
コークス工場と製鉄所周辺の目に見える大気汚染
大気汚染・水の汚濁とボタ山から発生する泥流の脅威

加えて、ドンバスの化学廃棄物(英語版)処理施設の管理不全から、環境汚染の脅威が続く。

イェネキイェヴェではソビエト時代に1979プロジェクト(ロシア語版)と銘打った実験をしており、極めて特異な核採掘(英語版)の悪影響が懸念される。

世論

2015年11月にドネツィク、ルハーンシク州(親ロシア派占拠地域を除く)のRating Group Ukraineによって行われた調査では住民の75%がドンバス全体がウクライナに留まることを望んでいる事が判明した。7%はロシアへの併合を、1%はドンバスが独立国になる事を、3%は親ロシア派テロリストが出て行き、ドンバスはウクライナに留まる事を選択した。

ロシア語を話す住民に圧力または脅威下にあるかを尋ねた調査では、82%は「いいえ」、11%は「はい」だった。ウクライナのロシア語話者を「保護」するためにロシアが派兵する事を支持するかを尋ねた調査では、71%が「いいえ」2%は「ある程度は」、7%は「その他」だった。

50%はウクライナは単一国家を維持する事を望み、14%は連邦制国家を、13%はクリミアを除いた単一国家を、7%は複数の国家に分割する事を望んでいた。

いずれかを選択するよう尋ねたところ、33%はユーラシア関税同盟を21%はEUを選好した。』

ロシアのVTB銀行の重役だった人が回顧して綴った『ロシア外国銀行史』という一級一次資料

ロシアのVTB銀行の重役だった人が回顧して綴った『ロシア外国銀行史』という一級一次資料
https://st2019.site/?p=19790

『Kamil Galeev 記者による2022-6-13記事。
   N.クロトフという、ロシアのVTB銀行の重役だった人が回顧して綴った『ロシア外国銀行史』という一級一次資料には、旧西ドイツが冷戦中にいかにしてCOCOMを破って西側の先端技術(ソフトウェア)をロシアへ売り渡していたかが証言されている。
 ドイツとソ連の商業協力は1922年に遡る。独ソ戦中は中絶したが、戦後すぐ復活した。1960年代にはハンブルグの商社が、ソ連には売ってはいけないはずの米国製コンピュータを、ソ連に船荷のコンテナで転売してやっていた。

 1980年代にはドイツ商社のこういう活動が米政権を怒らせていた。

 ソ連には、技術のアウタルキーはなかった。冷戦中も一貫して、西側のハイテク品を輸入することが必須だったのである。それで、技術が成り立っていたのである。

 Kamaz といえばソ連随一のトラック・ブランドだが、じつはKamaz工場は、ソ連が国内で必要とする消費財なら何でも手がける生産拠点として、米・西欧・日本から設備を買い集めて建設されているのだ。

 ほとんどが輸入品でできた工場だった。トラック製造の工程管理は「IBM370」。アメリカがコンピュータを売ってやったのだ。

 これではいかんとレーガン政権が1981年に、対ソ輸出品の規制を強化した。しかしソ連は抜け道を探し、西欧と日本からスペアパーツを調達し続け、それで軍用トラックを量産していた。』

プーチン氏に健康不安の臆測 「後継者」に複数の名前

プーチン氏に健康不安の臆測 「後継者」に複数の名前
編集委員 池田元博
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD121H20S2A610C2000000/

『ロシアがウクライナへの軍事侵攻を続ける中、作戦を主導するプーチン大統領の健康不安説が取り沙汰されている。がんを患っているとの臆測も浮上。仮に事実なら侵攻の行方、ロシアの政権運営に大きな影響を与えかねないが、ロシア政府は完全に否定する。情報戦の可能性もあり、今後の動静が注視される。

情報、乱れ飛ぶ

米誌ニューズウィークは今月初め、プーチン氏が4月に進行がんの治療を受け、体調を持ち直したようだと報じた。米情報当局が5月末、バイデン政権に提出した機密報告に基づくもので、複数の情報機関の幹部が明らかにしたという。

同誌によれば、米高官の一人は「プーチン氏の統制力は強いが、もはや絶対ではない」と指摘した。ただ米国家安全保障会議(NSC)の報道官は、こうした機密報告の存在を否定している。

現在、69歳のプーチン氏の体調を巡っては、これまでも様々な情報が乱れ飛んできた。英紙タイムズはプーチン氏が「血液のがん」にかかっている可能性があると報じた。ロシアの独立系メディア「プロエクト」は同氏が甲状腺の病気を抱えていると伝えた。

机を握り続けた右手

健康不安をうかがわせるような映像もある。典型例が4月21日、モスクワのクレムリン(ロシア大統領府)で開かれたプーチン氏とショイグ国防相の会談場面だ。

4月21日、クレムリンでショイグ国防相(右)と会談するプーチン大統領=大統領府提供・タス共同

大統領府の公式サイトでみられる約12分間の映像は、プーチン氏が硬直した姿勢で椅子に座り、終始、右手で机の角を握り続ける様子が映っている。右足は足先を頻繁に動かしていた。一部で取り沙汰されてきたパーキンソン病との関連を指摘する声も出ている。

後継者説が流れた男性

健康不安説が広がるにつれ、後継問題も噂に上り始めた。5月9日、モスクワの「赤の広場」で開かれた第2次世界大戦の対独戦勝記念式典。軍事パレードの終了後、プーチン氏が若い男性と歓談しながら広場を歩く姿が国営テレビで長々と映し出された。一部メディアやSNSなどが「後継者か」と騒ぎ立てた。

5月9日、モスクワで軍事パレードに出席したロシアのプーチン大統領(中央)。左側がコバリョフ氏=ゲッティ共同

ロシアメディアによれば、男性は36歳のドミトリー・コバリョフ氏。大統領府の幹部職員で、父親は天然ガス最大手ガスプロムの関連会社のトップだという。アイスホッケーの愛好家で、そのつながりでプーチン氏と親しくなったとされる。

「SVR将軍」の投稿、話題に

一方、ロシア発の通信アプリ「テレグラム」では、ロシアの対外情報局(SVR)の元将軍と称する人物が投稿する「SVR将軍」というサイトが話題だ。あたかも政権の内部情報のような話が載っており、プーチン氏が最も信頼し、緊急時に一時的に権限を移譲する側近はパトルシェフ安全保障会議書記(70)だとしている。

またプーチン氏が今月初め、一部側近と段階的な権限移譲策を協議したと投稿。2024年の次期大統領選を1年前倒しし、パトルシェフ氏の長男ドミトリー・パトルシェフ農相(44)を後継者として推す計画が話し合われたとしている。

独立系ネットメディアの「メドゥーザ」は、ロシアのエリート層内で政権交代を望む声が高まりつつあると指摘。政権内では、プーチン氏の後継候補として前大統領のメドベージェフ安全保障会議副議長(56)、ソビャーニン・モスクワ市長(63)、キリエンコ大統領府第1副長官(59)の3人が上がっていると報じている。

メドベージェフ氏(左から2人目)も後継候補の一人か(5月9日、モスクワの対独戦勝記念式典)=ロイター

ロシアとウクライナは情報分野でも、激しいつばぜり合いを演じる。プーチン氏自身は頻繁に公の場に登場しており、健康不安や後継を巡る噂話の流布は、情報戦の一端である可能性が否定できない。他方、ウクライナ侵攻で社会の閉塞感が強まる中、「ポスト・プーチン」を期待するロシア国民の心情を映したとの見方も出ている。

ウクライナ侵攻前は、2024年に任期を迎えるプーチン氏が次期大統領選に再出馬するのはほぼ確実とみられていた。通算4期目の同氏は現在の任期が最後のはずだったが、20年に国民投票を通じて、自らの5選出馬を可能にするよう憲法改正を断行していたからだ。

ちなみに憲法改正を巡る当時の議会審議で、プーチン氏の再選を認める条項を加えるべきだと主張したのは政権側ではない。世界初の女性宇宙飛行士で、国民人気が高いテレシコワ下院議員だった。だが同議員は「当日の朝まで、そのような提案をするとは自分も知らなかった」(フランス在住の政治評論家タチアナ・スタノバヤ氏)という。実態は政権が入念に仕組んだシナリオだったようだ。

ロシア市場から撤退したマクドナルドの店舗でロゴマークと看板を撤去する人々(8日、ロシアのレニングラード州で)=ロイター 

だがウクライナ侵攻の長期化で事態は一変しつつある。具体的な戦果を誇示できないまま、ロシア軍兵士の犠牲が増え続ければ、厭戦(えんせん)機運が一気に高まりかねない。日米欧の厳しい制裁で、ロシア経済も一段と疲弊し、国民生活への影響が避けられない。
ロシア社会では早晩、プーチン政権への不満が水面下で膨らんでくるとみられる。健康不安説の真偽はともかく、プーチン氏の再選戦略に黄信号がともりつつあるのは確かなようだ。

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渡部恒雄
笹川平和財団 上席研究員
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分析・考察

ウクライナ侵攻を終わらせるシナリオとして、プーチン大統領の交代を期待する声が大きいのはよく理解できます。しかし、実際にプーチン大統領から次の指導者に交代するにしても、後継がうまくウクライナからの撤退を行えるかどうかの保証はありません。むしろ後継者争いが愛国的な競争となれば、安易な撤退はできなくなるという状況も考えられます。アメリカのベトナム戦争介入は、1961年に就任したケネディ大統領が介入を深め、後継のジョンソン大統領も終結はできず、ニクソン大統領がベトナムからの撤退を決定し、戦争終結の宣言をしたのは1973年でした。

2022年6月15日 8:44

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柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
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ひとこと解説

強権政治において、指導者の健康状態は核爆弾よりも重要なトップシークレット。しかし、人間はだれでもいずれ死ぬ。民主主義の指導者が死んでも、ショックが小さい。それに対して、強権政治の指導者が死んだ場合、天変地異になることが多い。今のロシアは北朝鮮や毛沢東末期の中国ではないが、プーチンが退いた場合、権力闘争が激化する可能性は払しょくできない。しかも、暗殺のある国だから、それにどう備えるか、心の準備をしておく必要がある

2022年6月15日 6:30』

ロシア、エネルギー輸出収入13兆円確保 侵攻後100日で

ロシア、エネルギー輸出収入13兆円確保 侵攻後100日で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR13D4W0T10C22A6000000/

『【ロンドン=篠崎健太】フィンランドのシンクタンクCREAは13日、ロシアがエネルギー輸出で得た収入が、2月下旬のウクライナ侵攻開始から100日で930億ユーロ(約13兆円)に上るとの推計を公表した。欧米などの経済制裁は販売量や価格に一定の打撃を与えているものの、資源の輸出が「軍事力強化と侵略を支える重要な存在になっている」と警告した。

CREAは船舶やパイプラインの輸送データ、市場価格などを基に、ロシアがウクライナ侵攻を始めた2月24日から6月3日まで100日間の輸出収入を試算した。主な化石燃料の原油、石油製品、天然ガス、石炭が対象だ。全体の930億ユーロのうち欧州連合(EU)が570億ユーロと約6割を占めた。

国別でロシアからの購入量が最大なのは中国の126億ユーロで、2位はドイツ(121億ユーロ)だった。上位にはイタリア(78億ユーロ)、オランダ(同)、トルコ(67億ユーロ)、ポーランド(44億ユーロ)が続く。

CREAの分析では、ロシアの5月の化石燃料輸出量は侵攻前と比べて15%縮小した。ロシア産燃料を忌避する動きも出て国際価格より割安に取引されている。だが相場全体が大幅に上昇したことで、輸出収入は1日あたり8億8300万ユーロと前年同月より2.5億ユーロ増えた。

ウクライナ侵攻後にロシア産資源の調達を特に大きく増やしたのがインドで、原油ではロシアの輸出量の約2割を占めた。インドに持ち込まれた原油は精製されて米国や欧州に多く再輸出され、CREAはこうしたルートが制裁の抜け道になっているという。長距離輸送のため需要が出ているタンカーが、保険などの観点から制裁対象として有効だと指摘した。

【関連記事】

・[FT]「親ロシア」のインドを許す欧米 対中で役割期待 
・G7中心の制裁に試練 ロシア、原油高で関連税収5割増も
・[FT]ロシア、侵攻後も化石燃料輸出8兆円 EU向け大半 』

やがて悲しきロシア人 空洞化で変質するプーチン神話

やがて悲しきロシア人 空洞化で変質するプーチン神話
上級論説委員 坂井光
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK092R60Z00C22A6000000/

『ロシア軍によるウクライナ侵攻開始以降、ロシア人が参加するSNS(交流サイト)でこんなメッセージが増えている。「海外にいる友人のみなさん。私の代わりに購入してくれないでしょうか」

日本に住むロシア人は知り合いの学者に研究者向け英プラットフォームの利用料支払いを依頼された。「研究に必要なツール」だが、制裁でロシアでは支払いができなくなった。代わりに日本からログインして支払い、代金はロシアの銀行口座に振り込んでもらったという。

ロシア科学アカデミーに所属する研究者によると、ロシアで開く学会に西側諸国から参加する人がほぼ消えた。共同研究を打ち切る国や、学術誌などへの論文掲載が拒否されるケースも増えている。

ロシアでは、ビデオ会議ソフト「Zoom(ズーム)」の有料版なども購入できなくなった。目立たない制裁の影響だが、科学アカデミーは科学技術振興や教育分野での空洞化につながりかねないと危機感を強め始めた。

影響がより分かりやすいのはビジネス面だ。米エール大学がロシアに進出している外国企業のうち1200社以上を調べたところ、6月12日現在、撤退したのが325社、事業停止は475社、事業縮小は162社となった。

ロシア経済にとって特に深刻なのは製造業だ。仏ルノーはモスクワ市の工場でルノー車を生産。ロシア市場で約2割を占める最大手メーカーの株式約68%を取得し、経営を立て直した。そのいずれからも撤退を決めた。

事業は現地企業が引き継ぐが、主要部品が輸入できなくなるうえ、多大な開発投資もなくなる。品質・性能の低下は免れない。そのうえモスクワ市はルノーブランドの代わりに1946年に発売した「モスクビッチ」ブランドの乗用車復活を発表した。

侵攻以降、ソ連への懐古主義が広がっているが、皮肉なことに「後進性」や「非効率」も増殖しつつあるようだ。

ロシアでは頭脳流出が深刻だ(4月7日、南部のソチ国際空港で搭乗手続きをする乗客)=タス共同

「制裁が5年以上続けばロシアの先端技術は世界から取り残される」。ウクライナのIT企業経営者アレクサンドル・オリシャンスキー氏はこう指摘する。ロシア企業は半導体チップ製造の大半を台湾積体電路製造(TSMC)などに委託していたが、これが止まったからだ。

そして、空洞化の最たるものは頭脳流出だ。侵攻開始から10日間で20万人以上が国外に退避したといわれている。多いのはIT技術者、コンサルタント、起業家など高学歴の若者層だ。

もともとロシア人の移住願望は強い。米シンクタンクのアトランティック・カウンシルが2019年に公表した調査によると、プーチン氏が大統領に就任した2000年以降、推定160万~200万人が国外に移住。400人を調査したところ、出国時の学位は81%が学士以上で、うち36%は修士、博士だった。

長期独裁化するプーチン政権に見切りをつける人は絶えずいたが、侵攻がそれに拍車をかけたのは間違いない。

通貨ルーブルが侵攻前の水準まで戻すなど、制裁の効果を疑問視する声もある。しかし、多方面に及ぶ空洞化が次第に経済をむしばむとの見方が支配的だ。

ロシアのクドリン元財務相は4月、今年の国内総生産(GDP)が10%以上の減少率になるとの見通しを示した。2ケタのマイナス成長はソ連崩壊を受けて混乱した1994年以来で、プーチン政権では初めてとなる。

プーチン氏に刃向かう人は弾圧される(3月13日、モスクワ)=タス共同

ロシアを安定させ、繁栄した大国に導く強い指導者――。そんな「プーチン神話」は崩壊しつつある。

とはいえ、能力や資産に恵まれた人は国外へ逃げ、政権に抗議の声を上げる人は逮捕されたり、弾圧されたりした。いま残っているのは、現状を受け入れざるを得ないとあきらめた人、あるいはプーチン氏を妄信する人が大半だ。

他方、プーチン氏は側近を強い結束を誇る旧ソ連の国家保安委員会(KGB)出身者らで固め、宮廷クーデターも起きにくい体制を築いた。

神話にはまだ続きがありそうだ。ただ、光が見えない悲劇として。

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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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貴重な体験談

モスクワを中心にロシアには旧ソ連時代を含めて何度か足を運んだが、そのたびに受けた印象は、街行く人々のつれなさと、武骨な建物が多い街の冷たさである。

寒い時期が多いからそうなるのか、それとも国民性なのかはわからない。親密になればこれほど情に厚い国民はそう多くないという人もいる。

だが、このコラムを読んでみると、プーチン時代が長くなる中で、ロシアという国家は良くない方向に向かっているという思いを強くする。プーチン体制は強固であり突然崩壊するようなことはないだろうという見方は、ウクライナ侵攻の直後から筆者もコメントしてきた点である。だが、「光が見えない悲劇」としての国内政治・経済安定は、あまりに悲しい。

2022年6月14日 11:32 』

語られ始めた「終末の日」…核で恫喝するロシア

語られ始めた「終末の日」…核で恫喝するロシア 「2週間余りで完了」の見通し外れ苦戦の裏返し
2022年5月27日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/179739

『 <侵攻の深層 ③>
◆プロパガンダ機関が語る「核戦争」の可能性
「ウクライナでの軍事作戦が複雑な状況に陥れば、核戦争で終わる可能性が高い」。ロシアの政治討論番組に出演した国営テレビ局「RT」の編集長シモニャン(42)が言い放つと、司会者ソロビヨフ(58)は「でも、われわれは天国に行けるだろう」と真顔で応じた。
 ロシア軍の侵攻開始から約2カ月後。ウクライナからの激しい反撃を受けていた4月末、欧米がプロパガンダ機関に指定する国営メディアで「終末の日」が語られ始めた。
 外相ラブロフも「核戦争のリスクを軽く見るべきではない」と発言。プーチン政権は、欧米各国によるウクライナへの武器供与を阻止しようと、国営メディアや外交ルートを使って恫喝を繰り返した。
 ロシア政府が2年前に公表した「核抑止政策に関する基本原則」は、国家が存亡の危機にさらされた場合などに核兵器による反撃を認めている。現在の戦闘地域はウクライナ国内に限られており、軍事雑誌編集長コロチェンコは「原則からすればウクライナでの核使用はあり得ない」と指摘する。
 しかし、プーチンはこれまでもたびたび核の使用をちらつかせ、国際社会を威嚇。歴代クレムリン指導者と太いパイプを持ち、核政策を担ってきた元ソ連共産党機関紙の科学部長グバレフは、2年半前の本紙取材に「プーチンは核兵器を軽く考えすぎている。核の恐ろしさを理解せず『おしゃべり』の度が過ぎる」と厳しく批判していた。
◆高官自宅軟禁の情報 漂う閉塞感
 「核の恫喝」は、ロシア苦戦の裏返しでもある。
 プーチンは20年来、ソ連崩壊で疲弊したロシア軍の立て直しと近代化に取り組んできた。2020年末の時点で新型装備の比率は通常兵器で約70%、戦略核兵器で86%に達しており、その軍事力でウクライナを圧倒する腹づもりだった。
 旧ソ連の国家保安委員会(KGB)の流れをくむ連邦保安局(FSB)の職員が内部告発したとされる文書によると、FSB対外諜報部門は「数日内で首都キーウ(キエフ)を陥落させることができる」との分析結果を報告。ウクライナ側がロシア側から押収した内部資料でも「(侵攻は)2月20日に開始、3月6日に完了」だったといわれる。
 ところが見通しに反しロシア軍は開戦直後から苦戦を強いられ、キーウ周辺からの撤収に追い込まれた。
 FSB内では対外諜報部門第5局の局長らが不正確な情報を報告した疑いで自宅軟禁になり多数の諜報部員が解雇されたとの情報も。プーチンの権力基盤で「シロビキ」と呼ばれる軍・治安関係省庁のメンバーらが厳しく処分されたとすればかつてない異常事態だ。
 外務省から離反の動きも出ている。ロシアの在ジュネーブ国際機関代表部の参事官ボリス・ボンダレフは23日、「ウクライナ侵攻は犯罪だ」とする抗議声明を公表し辞職した。
 外交関係者によると、ロシア政府内では侵攻の是非はおろか、それ自体を口にできない閉塞感が漂っているという。政権の屋台骨がじわりと揺らぎ始めているようだ。(敬称略) 』

「プーチンはヒトラーより恐ろしい人間になる」

「プーチンはヒトラーより恐ろしい人間になる」 スパイに毒殺された夫は警告していたhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/182728

『 <侵攻の深層 第2部 プーチンとウクライナ>
①元FSB職員、リトビネンコ氏の妻 マリーナ(59)
◆犯罪直訴しても何の関心も示さず
 「夫の警告が何を意味していたか。今、誰の目にも明らかになった」
 ロシアのウクライナ侵攻から約3カ月がたった先月、ロンドンのカフェでマリーナ・リトビネンコ(59)は悔しさを隠さなかった。「夫は毒殺される直前まで、プーチンがいかに危険かを警告していた。『ヒトラーより恐ろしい人間になる。戦争を始めて100万単位の人が死ぬだろう』と」
 夫のアレクサンドル・リトビネンコは、旧ソ連国家保安委員会(KGB)の流れをくむ連邦保安局(FSB)の職員だった。43歳だった2006年、亡命先の英国で放射性物質ポロニウムによって毒殺された。英当局は実行犯2人を特定し、調査報告書で「殺害はFSBの指令の下、おそらくプーチンによって承認された」と結論付けた。
 リトビネンコの人生は、何度もプーチンと交錯している。中佐だった1998年、FSB長官になったばかりのプーチンに、犯罪行為を上司に指示されたと直訴した。しかしプーチンは何の関心も示さず、追い込まれたリトビネンコは記者会見を開いて「上司に複数の人物の暗殺を命じられた」と告発した。
 その後に逮捕、収監され、亡命を余儀なくされた。マリーナは「逮捕はプーチンの指示だった」と確信する。リトビネンコに「青白くて無口」という印象を残した当時40代のプーチンは、わずか2年後に大統領に登りつめた。
◆プーチン氏を選んだロシア特有の「システム」
ロンドン市内で5月、取材に答えるマリーナ・リトビネンコさん=加藤美喜撮影

ロンドン市内で5月、取材に答えるマリーナ・リトビネンコさん=加藤美喜撮影
 「プーチンがシステムをつくったというより、システムがプーチンを選んだ」
 マリーナによると、リトビネンコは、プーチンを生み出したロシア特有の権力構造を「システム」と呼んで恐れていた。「夫はこのシステムが危険だと訴えたが、誰も信じなかった」
 システムとは、旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身者が中心となり、治安当局と犯罪組織、政治家、闇の資金が絡んだ複合体を指す。1991年のソ連崩壊とともにKGBは解体されたはずだが、マリーナは「(KGB出身者は)企業や政治家と協力しながら力を取り戻し、再び全てを掌握した」と指摘する。
 KGB出身の政治家プーチンはシステムにとって好都合な存在だ。システムは、ロシア第2の都市、サンクトペテルブルクの副市長で同市の犯罪組織も掌握していたプーチンを中央政界に押し上げる。98年にはFSB長官に就任。そしてリトビネンコと対面する。
 マリーナによると、リトビネンコは当初、無名だったプーチンをそれほど警戒していなかった。しかしプーチンに不正を直訴した後、自宅で盗聴器がみつかった。「夫はシステムを甘く見ていたことに気づいた」
◆テロを自作自演したチェチェン侵攻を告発
亡命先のイギリスで毒殺されたアレクサンドル・リトビネンコ氏(2002年5月撮影)=AP

亡命先のイギリスで毒殺されたアレクサンドル・リトビネンコ氏(2002年5月撮影)=AP
 リトビネンコは英国に逃れたが、再びプーチンの虎の尾を踏む。FSB=システムがテロを自作自演してチェチェン侵攻を正当化し、無名のプーチンを大統領に押し上げたと告発したのだ。一連のテロでは300人以上が犠牲となり、人々は強い指導者として登場したプーチンを熱狂的に支持した。毒殺はこの告発が引き金になったとみられる。
 リトビネンコの警告は、ロシア資金への依存を深める世界にも向けられていた。特に英政界にはプーチンとつながりの深い新興財閥オリガルヒの資金が流入してきた。マリーナは「プーチンは民主主義者や改革者のふりをして、多くの投資を呼び込んで原油ビジネスを成長させた。でもプーチンが民主主義者だったことはない」と断言する。
 マリーナによると、プロパガンダの浸透したロシア国内ではウクライナ侵攻の正しい戦況は伝えられていない。8割近い国民が侵攻を支持しているが、西側の制裁で経済状況が悪化し、戦死者も増えつつある。マリーナは「人々は政府の言葉がうそだと気づくだろう。いずれプーチン政権は崩壊する」と予言する。
◆親族を平気でプロパガンダに使うロシア政府「私は操られない」
 リトビネンコは生前、「僕たちは必ずロシアに帰るよ」とマリーナに話していたという。しかし帰国は実現していない。マリーナが、ロシア政府のプロパガンダに利用されることを恐れているためだ。
 実はリトビネンコの父は18年、息子の暗殺事件後に国会議員となった人物と並び、テレビ出演したことがある。英当局はこの人物を暗殺容疑者と特定しているが、父はこれを「デマ」と主張する西側批判に利用された。「親族をプロパガンダに使うのはKGBの常とう手段だ。私は彼らに操られたくない」と話す。
 「夫はずっと、人々を助けることが自分の義務だと思っていた。だからこそ、暗殺を指示された時に拒否し、告発を決意した」。マリーナは正義感の強かった夫について語る。「西側はロシアとのつながりを断ち切り、もっと圧力をかけてロシアを孤立させるべきだ。私たちの財布が少し痛んでも、ウクライナの人々が命を失っている痛みの方がもっと強い」と訴える。
 「今、夫が生きていたら、もっと多くのことができたと思う」と最愛の夫の不在をさみしく思いながら、「私は彼の小さな代わりでしかないが、私にできることをしていきたい」と前を見つめた。(敬称略、ロンドン・加藤美喜)

 マリーナ・リトビネンコ 1994年にFSB職員のアレクサンドル・リトビネンコ氏と結婚、一男をもうける。2000年、英国に亡命。06年、同氏が毒殺された後、英政府に真相究明を訴え続け、14年に独立調査委員会の設置を実現させた。社交ダンス講師。共著に「リトビネンコ暗殺」(早川書房)。
   ◇
 プーチン政権と対峙してきた関係者やロシア情勢に詳しい識者へのインタビューから、ロシアによるウクライナ侵攻の背景や含意を4回にわたって探ります。
【侵攻の深層 第1部】
<1>肥大化したロシア国民の愛国心…プーチン政権がプロパガンダであおる 侵攻の出口は見えず
<2>ウクライナ侵攻の原型は「自作自演」か…プーチン氏が権力を握った爆破事件と謎の死
<3>語られ始めた「終末の日」…核で恫喝するロシア 「2週間余りで完了」の見通し外れ苦戦の裏返し
<4>プーチン氏の誤算…北欧2カ国が「中立」放棄 NATO拡大への怨念が真逆の結果を招いた 』

イルクーツク

イルクーツク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AF

『イルクーツク(ロシア語: Иркутск, ラテン文字転写: Irkutsk イルクーツク、ブリヤート語・モンゴル語: Эрхүү, ラテン文字転写: Erhüü)は、ロシアのシベリア地方(北緯52°17′、東経104°16′)南部のイルクーツク州の州都で、モンゴル国境から北に300km程に位置する都市。人口は約62万人。

首都モスクワからはシベリア鉄道で繋がっており、ロシア極東地域とウラル・中央アジアをつなぐシベリア東部の工商および交通の要衝である。ロシア正教会の大主教座が置かれ、劇場などの文化施設も充実する。また、街並みの美しさから「シベリアのパリ」と呼ばれることもある[1]。

街はバイカル湖西岸内陸にあたり、イルクート川とバイカル湖から流れ出るアンガラ川(どちらもエニセイ川の支流)の合流地点の右岸に位置する。 』

3.海外における鉄道を利用した国際海上コンテナ輸送に係る現状の把握と課題の抽出
(1)ロシアのコンテナ鉄道輸送に係る状況
https://www.mlit.go.jp/common/000030232.pdf

中国が突き進む「一帯一路」と、ユーラシア鉄道網の思惑
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1905/31/news031.html

【ロシア】元マクドナルド、ロゴ決定

【ロシア】元マクドナルド、ロゴ決定
https://hosyusokuhou.jp/archives/48927960.html

『1: 少考さん ★ 2022/06/09(木) 18:36:21.70 ID:Ql6aC0bT9.net

Бывшая сеть McDonald’s выбрала логотип:
https://tass.ru/ekonomika/14865789

no title

元マクドナルドのチェーンはロゴを選びました 商標には、レストランの主なシンボルが表示されます。黄色いフライドポテト2本と黄橙色のハンバーガーです。

モスクワ、6月9日。/TASS/。マクドナルドに代わるケータリングチェーンがロゴを選びました。これは、ロシア連邦を去ったマクドナルドのネットワークを管理するSistemaPBOLLCのプレスサービスでTASSに報告されました。

以前、イズベスチヤ紙は、マクドナルドに代わるファーストフードレストランのチェーンが新しいロゴを選択したと報じました。商標には、レストランの主なシンボルである黄色のフライドポテト2本と黄橙色のハンバーガーが含まれます。

https://iz.ru/1347191/2022-06-09/smenivshaia-mcdonalds-set-restoranov-vybrala-novyi-logotip 

2: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:36:38.71 ID:Or117kCV0.net
もすやないか

3: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:36:55.17 ID:sjiVME800.net
モスですよね

8: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:37:45.39 ID:yURZG9Jq0.net
モスワロタ

14: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:38:22.14 ID:mhOxDYSo0.net
モスドナルド?

19: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:38:54.55 ID:iVYySrXJ0.net
モスドやないか

30: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:40:01.70 ID:ynH734yu0.net
♪マックどーなるの~

43: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:40:57.53 ID:g+lneakE0.net
モスクワルド?

49: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:41:26.29 ID:5tBXZNQs0.net
モス

68: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:43:34.51 ID:c2dZSrQZ0.net
やっぱ共産圏はなにやってもダサいね

77: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:44:10.91 ID:4UO2dRO80.net
マルエツやんけ!

80: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:44:27.22 ID:Lpq+KwV40.net
勝手に営業するわパクリだわもう中国だな

92: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:45:37.65 ID:B/AgGU1r0.net
モス+マルエツだろこれ

100: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:46:24.07 ID:obq5EbMb0.net
モスバーガーで草

157: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:53:02.95 ID:1ocn9yvv0.net
いろんなのパクった感じでワロタ

160: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:53:56.18 ID:Pr+wSCOZ0.net
モスクワバーガー略してモスバーガー

132: ニューノーマルの名無しさん 2022/06/09(木) 18:49:26.17 ID:spYQ0+r50.net
どっかで見た 』

プーチンはロシア社会に何を与えると約束してきたか?

プーチンはロシア社会に何を与えると約束してきたか?
https://st2019.site/?p=19740

『Kamil Galeev 記者による2022-6-7記事。

   ロシアの歯科医院がヤバイことになっている。器材や麻酔薬がことごとく西側頼みだったので、諸費用が高騰しているのだ。

 まもなく、ソ連時代の方式に戻さざるを得まい。 ※まさか鉄のフィリング復活か? でもパラジウム産地だからな……。

 プーチンはロシア社会に何を与えると約束してきたか? それは、生活水準でもなければ、雇用でもなければ、経済成長でもない。

 スーパーマーケットの棚に商品が補充されている状態。
 これをプーチンは与えると約束した。その約束のひきかえとしてロシア市民はプーチンの支配をうけいれることにしたのだ。

 ソ連時代のロシア人がいちばん腹を立てたのが、現金が手元にあっても、商店に商品(殊に食品)が無いことだった。だったら現金は何の役に立つ?

 ロシア人は、平均的なヨーロッパ人よりも、買い物が大好きである。スターリン時代からこのかた、モノが豊富だったことがない。だから豊富なモノを、選んで買える状態になっているなら、それが高額であっても、また、じぶんが貧乏でも文句はいわない。カネの工面ができないのは、本人の責任だと考える。

 しかし、商店にモノがなくなったら、それはプーチンの責任である。誰もがそう思う。
 ※だから穀物の略奪ですかい……。』