この呼称は、シリコンバレーで長年にわたって新聞記者をつとめたマイケル・マローン(Michael Malone)氏の著作「The Intel Trinity: How Robert Noyce, Gordon Moore, and Andy Grove Built the World’s Most Important Company」(Harper Business、2014年7月発行)により、米国では広く知られるようになった。邦訳書籍は「インテル 世界で最も重要な会社の産業史」(文藝春秋、2015年発行)である。邦訳タイトルには「インテル・トリニティ」が入っていない。このためか、日本における「インテル・トリニティ」の知名度はあまり高くない。
今回はムーア氏とともにインテルを創業したロバート・ノイス氏の経歴を述べる。ノイス氏の伝記として最も優れているとされるのは、シリコンバレーを専門とする歴史学者のレスリー・バーリン(Leslie Berlin)氏が著した「The Man Behind the Microchip: Robert Noyce and the Invention of Silicon Valley」(Oxford University Press、2005年6月10日初版発行)だろう。440ページというかなりの大著である。
ロバート・ノイス氏(以降は一部を除いて敬称略)の経歴で日本でも知られているのは、フェアチャイルド半導体の共同創業者、インテルの共同創業者、日米半導体貿易摩擦における対日攻撃の急先鋒、モノリシック集積回路の発明者といったところだろうか。バーリン氏の著作「The Man Behind the Microchip: Robert Noyce and the Invention of Silicon Valley」を閲覧すると上記のほか、いくつかの興味深い事実が浮かび上がる。
ところが2000年10月10日、スウェーデン王立科学アカデミーは同年のノーベル物理学賞を、キルビーを含めた3名の研究者に授与すると発表した。授与の理由は、現代情報技術(Modern Information Technology)の構築に寄与したこと。2名は化合物半導体のレーザーと高速トランジスタの基本構造「ヘテロ接合」の開発に対してノーベル賞を与えられ、この2名が賞金の半分を折半するとした。賞金の残り半分は「集積回路の発明に関するキルビー氏の寄与」に対してキルビーに授与された。
ノイスが1956年8月14日にトンネルダイオードのアイデアを著した研究ノート。右上に日付がある。右下に電流電圧特性の予想曲線(順方向にトンネル電流と負性抵抗が生じる)が描かれている。出所:Computer History Museum, Department of Special Collections, Stanford University
江崎は、続く1958年6月にベルギーのブリュッセルで開かれた国際固体物理学会(International Conference on Solid State Physics)で、高濃度に不純物をドープしたGeトンネルダイオードを発表することにした。ここで不可解なことが起こった。学会の冒頭に実施されたキーノートアドレスで、すでに固体物理学の権威となっていたショックレーが「東京から来た江崎がトンネルダイオードを発表する」と述べ、江崎の研究成果を高く評価したのだ。これには発表者の江崎本人が非常に驚いた。ショックレーが事前にアピールしたこともあり、江崎の発表には多くの聴衆が集まった。
先に紹介した「Robert Noyce and the Tunnel Diode」は、いくつかの可能性を挙げている。まず、ショックレーは意見や方針などを頻繁に変える傾向があったこと。ショックレーの部下の1人は、彼は会社をいつも「揺さぶっていた」とコメントした。別の部下は、ショックレーはトンネルダイオードに対する考えを変えたのではないかと述べた。また、1957年8月にショックレーを裏切った8名(ノイスを含めたフェアチャイルド半導体の共同創業者)に対する恨みが1958年6月の時点では癒えてなかったからだとする意見もある。いずれにせよ、今となっては本当の理由は分からない。
炭素質小惑星リュウグウの試料中の可溶性有機分子
原題:Soluble organic molecules in samples of the carbonaceous asteroid (162173) Ryugu
小惑星リュウグウ試料中の黒い固体有機物
原題:Macromolecular organic matter in samples of the asteroid (162173) Ryugu
ちょうどこの中継を見ていたのだけれど、イーロン・マスクが、 ”Prototype is easy, production is hard.”といっていたのがとても印象的であった。 月に行くというアイディアは簡単なんだけど、実際に月に行くのは難しい、とも続けていた。テスラ・SpaceXを手掛けるイーロンの言葉が身に染みた会見であった。
ストリンガー教授(Chris Stringer:Centre for Human Evolution Research)らは、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと子供を作るようになったことで徐々に人口を減らし、くわえて環境が要因ですでに人口が少なく分散していたことも相まって、やがて衰退していったのではと推測している。
『I built the first ever Cordless Tesla and did a 1600 Mile Road Trip without ever charging the car. It just made perfect sense to me to adapt a power plant generator to my modified Model S Tesla and do a road trip.』