〔Microsoft Windows 3.x〕

 ※ 久々で見たな…。

 ※ うろ覚えだったが、調べてみると、だいぶ記憶と違っていた…。

 ※ 「すべては、忘却の彼方(かなた)へ。」だ…。

 ※ 人生、そんなモンだ…。

『Microsoft Windows 3.x(マイクロソフト ウィンドウズ 3.x)は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)[注 1]。主なバージョンとして1990年に発売された「Windows 3.0」と、1991年に発売された改良版「Windows 3.1」がある。

その他、マルチメディアに対応した「Windows 3.0 with Multimedia Extensions (Windows MME)」を一部機種で展開するなど、幾度かのマイナーバージョンアップが行われている。英語版ではネットワークをサポートする「Windows for Workgroup(Windows3.1ベース)」も発売されている。また追加モジュールとして32ビットアプリケーションを動作させるための「Win32s」、画像表示を高速化するための「WinG」、AVI形式の動画を再生するための「Video for Windows」、LANに接続するための「LAN Manager」、インターネットやメールをするための「Internet Explorer(16ビット版)」がある。

MS-DOS環境から起動させるため、事前にMS-DOSシステムをコンピュータ上で動作させておく必要がある。しかし、Windows 3.1以前はMS-DOSの拡張製品としてそれぞれが別々に販売されたため、MS-DOSは別途購入する必要がある。 』

『機能

Windows 2.x (Windows 2.11, Windows/386 2.11) の後継となるWindows 3.0は、ユーザーインターフェイスの大幅な改良とIntel 80286や80386プロセッサのメモリ管理機能を有効活用する技術的な改善が行われた。

グラフィカルユーザインタフェース (GUI) 機能を持ち複数のタスクを同時実行できるマルチタスクが可能なことが利点であった。

しかし、1つのWindowsプログラムがCPUを占有してしまいほかのプログラムが止まってしまうこともあった(ノンプリエンプティブ)[6]。

Windows/386ではMS-DOS用のテキストモードプログラムは全画面を占有し、ショートカットキーで画面を切り替える仕様となっていたが、Windows 3.0ではウィンドウ内で動作させることができ、旧来のプログラムも擬似マルチタスクとして利用できるようになった[7]。

しかし、家庭向け市場では多くのゲームやエンターテイメントソフトがMS-DOSへの直接アクセスを必要としていたため、あまり恩恵を受けられなかった[8]。

Windows 2.xはメニューやウィンドウ枠での非常に限られた色しか使うことができなかったが、Windows 3.xのアイコンやグラフィックはEGAやVGAモードで16色を完全にサポート。256色VGAモードやMCGAモードが初めてサポートされた。

また、ディスプレイ出力に使用するカラーパレットはディスプレイドライバが管理し、アプリケーション毎には論理的なカラーパレットが用意されたことで、アプリケーション側はカラーパレットの状態や制限を気にする必要がなくなった[9]。

MS-DOSウィンドウ(ファイルマネージャ・プログラムランチャー機能)は、アイコンベースの「プログラムマネージャ」と一覧ベースの「ファイルマネージャ」に置き換えられた。前バージョンではアプレットとなっていた「コントロールパネル」はAppleのClassic Mac OSと類似のものに作り替えられた[10]。

いくつか簡単なアプリケーションも同梱された。テキストエディタのメモ帳、文書作成ソフトのライト(後のワードパッド)、一連のキー操作やマウス操作をマクロとして記録して後で実行できる「レコーダー」、ペイント、電卓など。ゲームはWindows 3.0ではリバーシに加えてソリティアが搭載された[10][注 2]、Windows 3.1ではソリティア・マインスイーパが付属[注 3]。

Windows 3.0に搭載されたプロテクトモードやエンハンスドモードはDOSアプリケーションで行われていた方法より簡単に、より多くのメモリをWindowsアプリケーションで使えるようになった。

Windows 3.0ではリアルモード(8086相当CPUの機能を利用)、スタンダードモード(80286相当CPUの機能を利用)、386エンハンスドモード(i386相当CPUの機能を利用)があり[11]、通常は自動で適切なモードを選択するが、/r(リアルモード)、/s(「スタンダード」286プロテクトモード)、/3(386エンハンスドプロテクトモード)といったスイッチを使って特定のモードで起動することもできた[12]。

386エンハンスドモードではやや動作が重くなり、実用的には486以上のマシンパワーを必要とした[13]。 』

『プロテクトモードの恩恵

WindowsはWindows 3.0のスタンダードモードおよびエンハンスドモードからプロテクトモードが本格的にサポートされた。

厳密には、WindowsはWindows/386からプロテクトモードを利用しているが、このバージョンでは内部的に80386で導入された機能をプロテクトモードで使用し、アプリケーションには仮想86モードを提供するというものであり、EMS対応MS-DOSアプリケーションと同様に実行プログラムを数百KBという限られたスペースに収まるよう作る必要があった[7]。

またEMSはバンク切り替えがあるため、その切り替え作業にかかる時間だけ低速になる。

特に大規模なアプリケーションはほぼ常時バンク切り替えを繰り返すために低速だった[7]。

これがWindows 3.xのスタンダードモードとエンハンスドモードは、Windowsの大半のモジュールがプロテクトモードで動作する16ビットのコードで構成され、アプリケーション(WIN16アプリケーション)もプロテクトモードで動作する16ビットのコードで構成されるように変更された。

さらにエンハンスドモードでは、80386で導入されたメモリ管理機能をプロテクトモードで動作するシステムのコードに実装し、IA-32のページングを利用した仮想記憶もサポートし、実メモリ以上のメモリをアプリケーションが確保できるようになった。

また Windows 用のデバイスドライバとして、80386で導入された機能をプロテクトモードで活用した VxD デバイスドライバもサポートされた。

従来のWindowsは常にメモリが不足気味だったが、3.0からのプロテクトモードをサポートした結果、Windows自身とそのアプリケーションは、(コンベンショナルメモリ)+(EMS)よりも高速で大量のメモリを使用可能なプロテクトメモリを利用可能になった[14]。

そのため、MS-DOSではメモリ不足から実現不可能だった大型アプリケーションも、Windows用に開発されるようになった。 』

『ユーザーインターフェイス

GUIはマイクロソフトがIBMと共同開発していたOS/2 1.2のプレゼンテーション・マネージャと類似の外観をしている。

ウィンドウのメニューバーとパネル本体という構成やダイアログボックスなど、IBMが提唱したSystems Application ArchitectureのCommon User Access (CUA) におおむね準拠している。

しかし、シフトキーとマウスを組み合わせた操作はCUAでの規定に反しており完全準拠ではない[15]。このデザインはアップルより同社が開発したClassic Mac OSのルック・アンド・フィールを盗用したとしてWindows 2.xとともに著作権侵害が指摘されたが、裁判ではアップルの訴えは退けられ、後に両者は和解した(詳細はWindows 2.0#アップルとの法的抗争を参照)。

ウィンドウ

一番右上(タイトルバーの右端)のボタン[▲]は最大化(全画面表示)のボタンで、既に最大化している場合はウィンドウ表示に戻すボタン(上下に▲と▼が並んだ[◆]状のボタン)が表示される。その隣のボタン[▼]は最小化(タスクアイコン化)のボタンである。Windows 95以降でのウインドウを閉じる[×]に相当するボタンは存在しない。

終了はタイトルバー左上の[-]ボタン(コントロールメニューボックス)やメニューバーからのプルダウンメニューから行えるが、左上の[-]そのものをダブルクリックすることでも終了する[16]。MS-DOSボックスの場合はメニューバーやタイトルバーから終了させることはできず、コマンドプロンプトでEXITと入力する必要がある[注 4][17]。また、エンハンストモードであればControl-Alt-Deleteでアクティブなウィンドウの強制終了が行える。

ポインティング
当時はまだマウスは推奨であって必須ではなかった[18]。セットアップ時にマウス無し(使用しない)を選択することもでき、Windowsの主要システム自体はキーボードだけでも操作できるようになっていた[注 5]。ただし実際にはGUIである以上はマウス前提で作られたアプリケーションが少なくなく、Windows 95以降はマウスが必須になっている。
なお右クリックによる操作はアプリケーション側で対応している場合にのみ有効であり、Windowsを操作する上では特別な意味合いを持っていなかった[6]。Windows標準付属のアプリケーションとしてはペイントブラシやマインスイーパが右クリックを活用できる[注 2]。

シェル

Windows 3.xで標準のシェルは後述のプログラムマネージャというメニューソフトに相当する機能を持つプログラムランチャーだった。また、設定を変更することにより、ファイルマネージャやそれ以外(コマンドプロンプトやNorton Desktopなどのサードパーティー製シェルソフトなど)の特定のアプリケーションをシェルに指定することも可能である。
なお、プログラムマネージャ・ファイルマネージャともに、親画面の中で子画面を複数開くことができた (MDI)。

プログラムマネージャ

プログラムの起動は原則としてプログラムマネージャから行う。プログラムマネージャはプログラムを表す「アイコン」およびアイコンを分類する「グループ」を画面に表示するためのプログラムであり、アイコンをダブルクリックすることでプログラムを起動することができた。ただし、プログラムマネージャ上のアイコン(およびグループ)とディスク上のファイル(およびディレクトリ)との間には対応関係が無く、後のエクスプローラーのようにファイルを操作する機能は統合されていない[6]。

ファイルマネージャ
ファイル操作は、Windows 2.x以前のシェルだった「MS-DOSウィンドウ」に似たファイルマネージャというプログラムで行う。

ファイルのダブルクリックでプログラムを直接実行することもでき、拡張子によるアプリケーションの関連付けもファイルマネージャ上で行うことができる。

Windows 2.xでMS-DOSアプリケーションを実行するにはPIFファイル(情報ファイル)にあらかじめ実行環境を設定する必要があったが、Windows 3.0ではPIFファイルがなくても標準設定で実行するようになった[19]。

MS-DOSウィンドウはファイル名が羅列されるだけであったが、ファイルマネージャでは画面左に現在開いているディレクトリの位置を示すディレクトリツリーが表示され、画面右には項目名とその種類を示す小さなアイコンが一覧表示されるようになった[9]。

プログラムマネージャやデスクトップのタスク(後述)と違って「大きなアイコン」を表示する機能は無い。また、ファイルの種類毎にアイコンが用意されたWindows 95以降と異なり[20]、ファイルマネージャでは自身の持つ数種類のアイコンしか表示できなかった。
ファイルマネージャには2000年以上の年表示が文字化けするという不具合があったが、後に2000年問題対応版がマイクロソフトから配布された[21]。

デスクトップ

デスクトップ[注 6]の領域には実行中のプログラムを最小化したときのアイコンが表示される[16]。Windows 95以降でのタスクバーに相当する場所であった。

Windows 2.xからの変更点として、画像や模様を背景として飾ることができるようになった。デスクトップをダブルクリックするとタスクマネージャに似た画面を呼び出すことができた。』

『マルチメディア(※ 省略)』

『ネットワーク / インターネット

Windows 3.0、3.1では、標準でネットワーク (LAN) 機能自体が搭載されておらず、LAN Manager ClientなどDOSベースのネットワーク機能に頼っていた。

LAN Manager ClientはWindows NT ServerのCD-ROMなどに収録され、TCP/IPやNetBEUI、NetWare互換プロトコルなどのプロトコルが使えた。

また、Windows for Workgroups (WfW) 3.1はWindows 3.1にWindowsベースでのネットワーク機能を付加するアドオンとして発表、販売された。ただし、この段階ではネットワークプロトコルとしてNetBEUIかNetWare互換プロトコルしか選択できなかった。

その後、WfW 3.11が完全なWindows製品として発売され、このWfW3.11向けにTCP/IPプロトコル用ドライバも提供された[30]。

WfWの日本語版は発売されなかったため、日本のユーザーが手軽にネットワークを組むにはWindows 3.1との互換性に乏しく高性能パソコンを要求するWindows NTを購入するか、Windows 95の登場を待つしかなかった[31]。

日本では1994年時点で個人ユーザーにインターネット接続サービスを提供するISPがIIJと富士通(InfoWeb、1999年にニフティへ統合)の2社しか存在せず、まだ黎明期にあった。

1995年に入るとISPは10社以上になり、インターネットを取り扱った参考書も急増した。

しかしWindows 3.1標準ではネットワーク機能は搭載されていないため、市販のInternet CHAMELEON(ネットマネージジャパン、19800円)といったダイヤルアップ接続ツール(ダイヤラー、メーラー、FTPクライアントなどをまとめたパッケージ)を購入するか、パソコン通信を通じてTrumpet Winsockといったツールを揃えていく必要があった。

ウェブブラウザにはNCSA Mosaicやその後に登場してすぐに標準となったNetscape Navigatorが使われた。[32]

Windows 95と同時発売のMicrosoft Plus!に同梱されたウェブブラウザ「Internet Explorer」は1996年4月にWindows 3.1対応の16ビット版が公開され[33]、これにはメーラーのOutlook Express(16ビット版)やダイヤラーなどが添付されていた。

インターネットの閲覧やメールの送受信はInternet Explorer添付のダイヤラーを使ったダイヤルアップの他、LAN Manager Clientをインストールしてある場合やWfWではLAN経由でも可能である。

ただし、Internet Explorer標準添付のダイヤラーはPC/AT互換機用のため、PC-9800シリーズでダイヤルアップ接続する場合は市販ソフトなどを別途用意する必要があった[34]。 』

 ※ ということで、Win95以前では、まだMacの方が、ネットやるには一日の長があった…。

 ※ オレも、この頃は、PowerMac+56Kモデム+Netscape Navigatorでネットに接続していた…。

 ※ 電話回線使った、従量制の接続環境なんで、やたら「電話代」がかかった記憶がある…。

『設定ファイル

各プログラムの設定は、それぞれのプログラムが持つiniという拡張子が付けられたファイル、もしくはwin.iniやsystem.iniなどのWindowsのシステムファイルで行っていた。

Windowsそのものの設定もwin.iniとsystem.iniで行っていた。

これらはテキストファイルであり、標準で付属するシステムエディタ (sysedit) などのテキストエディタで編集を行うことができた。

また、設定変更ミスや諸々のトラブルからWindowsが起動しなくなっても、MS-DOS環境からテキストエディタを使ってwin.iniやsystem.iniの中身を修正して復旧することができた。

これらの設定内容はマイクロソフトが監修した解説書『Windows 3.1 リソースキット』で公開された[35]。Windows 3.1の登録情報データベース(後のレジストリ)は、ファイルマネージャで開くファイルのフォーマットとアプリケーションとの関連付けやOLE情報に使用されるのみであった[36]。

メモリ容量の最大値

Windows 3.0やWindows 3.1では32ビット386プロテクトモードではなく16ビット286プロテクトモードで動作していたため、標準構成では64KBセグメント・メモリモデルを使用するようになっていた。(※ いわゆる、「MS-DOSにおける”64Kの壁”」)

しかし、32ビットCPUではプログラマーはより大きなメモリポインタにアクセスして、プログラム・セグメントをどんな大きさにも拡張することができた(セグメント・ディスクリプタが24ビットであるため最大サイズは16MBに制限されている)。

当時のWindows APIファンクションは16ビットであったため、それらは32ビットポインタを使用できず、コードに32ビット命令を含んでいてもDOSと同様に64KBセグメントでOS呼び出しを行うプログラムコードの一部を配置する必要があった[37][38]。

このため、理論上は4GBのメモリ空間を使用できる386以上のCPUであっても、Windows 3.0は合計16MBのメモリにしかアクセスできない。

Windows 3.1では16MBの制限はなくなり、理論的には最大4GBのメモリを使用できる(現実的な上限は256MB)[39]。ただし、先述のとおり1つのプログラムが使用できるメモリは最大16MBである。

32ビットへの限定的な対応

Windows NTの登場による32ビットOSへの移行を促す意味もあり、Win32sというドライバ/APIがマイクロソフトから供給された。

これはWindows 3.1の386エンハンスドモード上で動作する32bitプログラムのためのドライバ/APIであり(WinNTのAPIであるWin32のサブセットなのでWin32s[要出典])、これによりアプリケーションをWindows 95やWindows NTと共通の32ビットコードでWindows 3.1に供給することが可能になり[40]、初期の32ビットアプリケーションの開発を多少容易にした。

また、ファイルシステムにおいてはBIOSを介した16ビットディスクアクセスが基本的に用いられていたものの、Windows 3.1の386エンハンスドモードでは常設スワップファイルに対してのみ32ビットでのアクセスが可能となった。

さらに、Windows for Workgroups 3.11では完全な32ビットディスクアクセスが実現され、ディスクアクセスを高速化させることを可能にした[41]。 』

『Windows 3.1へのアップグレード(※ 省略)

Windows 3.1から新しいバージョンへのアップグレード(※ 省略)』

『開発とリリース(※ 省略)』

『反響(※ 一部省略)

売れ行きと評価

Windows 3.0

日本においてWindows 3.0は米国ほど広がりを見せなかった。要因として以下の問題が挙がった。

一太郎などWindows 3.0にネイティブに対応するソフトウェアがまだ十分に出揃っていなかった。[73]

当時の日本ではPC-9800シリーズがパソコン市場の50%以上を占めていた。英語版では複数のDOSアプリケーションをウィンドウで並べ、従来の資産も有効に活用できることをセールスポイントにしていたが、PC-9800シリーズ版では旧バージョンと同様に全画面での排他利用しかできなかった。そのため、販売店側も販促デモの展示にあたってウィンドウ表示を活用することに苦慮した。[73]

Windows上でDOSアプリケーションを使用するにはPIFエディタであらかじめ環境設定を行う必要があったが、MS-DOSのメモリ管理は複雑化しており、初心者には難しい作業であった。多くのソフトウェアメーカーは設定方法を公開したが、ロータスやアスキーなどサポートの都合から設定方法を公開しないメーカーも存在した。[74]
PC-9800シリーズを含め、Windowsを快適に動作させるために必要なハードウェアを揃えるとなると多額な投資が必要になった。[73]

スティーブ・バルマー(当時、マイクロソフト上級副社長)も翌1992年の来日記者会見にて同様の見解を示した。

当社のパソコンOS「ウィンドウズ」が日本市場で米国ほど売れていないのは、日米の市場構造が違うことが原因である。ハードウェアの互換性の問題やハードの価格が高いことなどだ。このほか、漢字変換やOSのハードへの搭載サービスなど様々な問題の解決がウィンドウズ普及の前提となる。
?スティーブ・バルマー。「マイクロソフト副社長、日本出荷は予定通り―ウィンドウズNT、来年中。」『日経産業新聞』1992年10月13日、6面の引用文より。

PC-9800シリーズ版の発売当初は受注に生産が追いつかない状況が続いた。これについて日本電気は、受注が予想を上回っているためメディアやマニュアルの生産が追いついていないことを説明した[75]。これに対してソフトハウスの間では「機種の違いで画面に現れるフォント(書体)が異なったり、印刷が狂うなどの不具合を見つけて出荷を止めているのでは。」という推測が流れた[73]。

日本IBMのDOS/V版はMS-DOSアプリケーションの複数ウィンドウ表示に対応していたが、PC-9800シリーズ対応ソフトが約1万本であったことに比べ、1990年に発売されたばかりのDOS/Vに対応するアプリケーションは約200本と少なく、こちらも旧資産の継承という訴求材料だけでは不十分であった[76]。 』

『Windows 3.1

日本のPC国内出荷台数(青線)と出荷額(赤線)(JEITA調べ)

Windows 3.1に対する雑誌の反応は使い勝手や信頼性が向上したという好意的なものであった。米国のPC Magazine誌はレビュー記事に「UAE(修復不可能なアプリケーションエラー)の終わり、新しい印刷エンジン、賢くなったSMARTDriveなど。マイクロソフトはWindowsを安定した豊かな環境にするために磨きをかけた。」という序文を付け[77]、日本の日経パソコン誌は「ドラマチックな変化はないものの、信頼性が低い、処理速度が遅いなど、Windows 3.0での不満点を改良した。」と評した[78]。

マイクロソフト日本法人は自社のWindows対応ソフトの売り込みを強化し、Windowsの普及を推進した。例えば、表計算ソフトのExcel 4.0は1993年5月に98000円から58000円へと40%の値下げ。6月25日から他社の日本語文書作成ソフトを使用しているユーザーを対象に、58000円のWord 5.0を25000円で販売する「乗り換え・アップグレード・サービス」を開始した。これは1993年4月に発売された一太郎 Ver.5(4年ぶりとなる新バージョン)に対抗したものと思われた[79]。同日にWordとExcelをセットにした、日本語版で最初のバージョンとなるMicrosoft Officeを発売[80]。翌1994年2月のOffice 1.5発表までに8万本を出荷し[81]、1994年後半になると月20万本ペースの出荷になる[82]。オフィスソフト市場におけるマイクロソフトのシェアは急拡大することになった。

Windows 3.1のマルチメディア機能は個人市場の開拓を促し、ExcelやOfficeは企業にWindowsの導入を促した[83]。

後年の評価としては、日本でのWindows 3.1はWindowsがパソコンユーザーに受け入れられた期間であったものの、パソコンが本当に一般に普及し始めたのはWindows 95からとされている[84][85]。しかしWindows 3.1の広がりは、日本メーカーの国内向けパソコンを独自開発から世界標準のPC/AT互換機に転換させ、「鎖国状態」を解消したことで競争力が上がり、パソコンの低価格化が進んだことで普及を後押しすることになった[84][86]。 』

『OS/2とIBMとの対立(※省略)』

『日本でのPC/AT互換機市場

PC-9800シリーズと日本国内PC本体出荷台数(1990年から1998年)

折りしも発売時期がDOS/Vの登場とマニア間で起きたDOS/Vブームが重なったこともあり、日本でのIBM PC/AT互換機市場の形成に大いに貢献した。

1991年当時、日本でのパーソナルコンピュータ (PC) 市場は国内メーカーで市場をほぼ独占していた。さらに言えばNECのPC-9800シリーズで寡占状態にあった。PC/AT互換機は世界中で販売されるため開発コストは日本市場でしか販売できない国内専用製品と比べ物にならないほど安価だったが[94]、日本語という障壁のため参入できない状態にあった。NECの製品展開は同社のオフィスコンピュータ(オフコン)などとの兼ね合いから同時期のPC/AT互換機よりも低い性能レベルに据え置かれ、価格も引き下げられなかった[要出典]。しかし、安価かつ高性能なPC/AT互換機で日本語が扱え国産PCとも共通のアプリケーションが利用できるWindowsの事実上の完成により、国内におけるPC/AT互換機市場は1994年にかけて急拡大することになった[20]。NECも同社のPC向けにWindowsを提供していたが、MS-DOS環境において存在していたアプリケーションの優位性が失われる結果となった。

DOS/V版Windows 3.0では、標準VGAでも640480/16色表示が可能で当時の主力機NECのPC-9800シリーズの640400/16色を上回っていたうえ、当時すでにほとんどのDOS/V機ではSVGAモードを備えていた(もしくはグラフィック回路が拡張ボードとして独立しており交換が容易だった)ことから、市販のドライバで800600の高解像度をWindowsから利用することができた[95]。一部の英語版ディスプレイドライバではさらに高解像度・多色(640480/256色、800600/256色、1024768/16色など)のGUI表示を行うためのパッチファイルや英語版ドライバで日本語表示を行う DDD (Display Dispatch Driver) が販売されて上級ユーザを中心にPC-9800シリーズよりもハードウェア価格が安くて高性能なPC/AT互換機を求めるケースが増え、市場が立ち上がり始めた。[96][97]

次のDOS/V版Windows 3.1では多くの英語版ディスプレイドライバを直接使用しても高解像度・多色のGUI表示ができるようになる。また発売にあわせてTVCMも放映され、本木雅弘が「Windows!」を連呼するというインパクトのあるもので[98]、国内においてWindowsの名前を広く知らしめたことにより、PC-9800シリーズにこだわる必要がないというユーザーが増えていった。日本語版Windows 3.1からアウトラインフォント TrueType および、マイクロソフト版においてはかな漢字変換ソフト Microsoft IME が標準として採用され[注 8]、各アーキテクチャ向けにて相違があった日本語の入出力環境の統一を図った。[99][100][101][102]さらにPCパーツ店による組み立てPCや外国のPCメーカーによるこの組み合わせでの新規参入も相次ぎ、市場ニーズがPC/AT互換機へシフトするきっかけとなる。
次に買いたいパソコン(日経パソコン1993年5月調べ)

とは言え、まだこの段階ではPC-9800シリーズも強力だった。オープンであるがゆえに規格の統一が今ひとつのOADG規格とその派生製品はこれらのオプション類の利用にPC-98シリーズより手間を要した。当然、日本のパソコン周辺機器メーカーはPC-9821シリーズのWindows3.1用の周辺機器も発売し、量販効果ですぐに値下がりした。企業ユースやゲーム市場では、PC-98用ソフトの互換性を求めるユーザーもまだ相当数存在していた。更に、製造元であるNECやPC-98互換機メーカーであるセイコーエプソンによる価格引き下げなどの対抗策もあり、1995年まで50%のシェアを確保し続けた[20][103][104]。この流れが本格化するのは、機器の相違をデバイス仮想化などの方法によってOS側で吸収したWindows 95以降である。』

 ※ ということで、「1990年から1998年」の間に、「PC-9800」機は廃れ、「DOS/V」機・PC/AT互換機の時代へと移行して行った…。

 ※ PC/AT互換機は、その「アーキテクチャ」は、ずっと受け継がれて、現在に至っている…。

 ※ BTOとか、「PCパーツ」の交換とかが可能なのは、土台となっている「アーキテクチャ」が変わってないからだ…。

『後継バージョンへの移行

1995年8月に発売されたWindows 95はそれまでパソコンに興味を持たなかった人々の関心を集め、個人市場の開拓に成功した。企業でもWindows 95を要望する従業員の声を聞き入れて買い換えを支援する動きが見られた。日経パソコンが1996年2月に日本の企業110社に対して行った調査では、Windows 95の「導入予定あり」が64%、「未定」が42%、「導入予定なし」が4%となった。「Windows 95の導入をどのように進めていくか」の問いに対して、「新規に導入したパソコンを中心に徐々に移行する」が30%となったものの、「既存のパソコンを含めて積極的に切り替える」はわずか8%に留まり、既存環境の移行には慎重な姿勢が見られた。「Windows 95の導入で、特に問題が多かった項目は」の問いに対しては、「MS-DOS対応やWindows 3.1対応ソフトの動作」(39%)、「既存のネットワークやデータベースとの接続」(35%)、「インストール関連」(32%)となった。[105]

マイクロソフトはOffice 95やVisual Basic 4.0など、自社製品のWindows 3.1に対するサポートをまもなく打ち切った。しかし、1996年度にIDCが行ったデスクトップOS選択率の調査では、Windows 95が62.9%、Windows 3.1/3.11が17.4%となり、データクエストが米国の大企業を対象に行った調査では、マイクロソフト社製OS利用者のうち86%がWindows 3.1/3.11を使用していると報告した。あるソフトウェア・エンジニアは「マイクロソフトはまだ多くの3.1が使われていることを把握しているが、早くすべてを移行してそれを忘れることを望んでいる。」とコメントした。[106]

1999年に日経パソコンが日本の企業を中心に行った調査では、Windows 95の使用率が79.7%にのぼり、Windows 3.1の使用率は6.2%となった。[107] 』

『出荷本数の推移

Windows3.0(全世界)
    1990年5月22日発売
    1990年6月22日 - 40万本[要出典]
    1990年12月30日 - 100万本[要出典]
    1991年5月 - 300万本以上[108]
    1992年4月 - 900万本[91][109]

Windows3.0(日本)
    1991年1月23日 - NEC版発売
    1991年3月13日 - 日本IBM版発売
    1991年5月 - 日本電気版、受注累計6万本[75]
    1993年5月 - 44万本[60][110]

Windows3.1(全世界)
    1992年4月6日発売 - 受注100万本[109]
    初日出荷100万本[111]
    1992年4月12日 - 1週間で100万本販売[112]
    1993年5月 - 2500万本[113]
    1994年1月末 - 4000万本[要出典]
    1995年1月 - 6000万本[要出典]
    1995年8月 - 1億本[111]

Windows3.1(北米)
    1995年5月26日 - 発売から50日で100万本販売[114]

Windows3.1(日本)
    1993年5月12日 - 日本電気版発売
    1993年5月14日 - 日本電気版、受注6.5万本[113]
    1993年5月18日 - マイクロソフト版発売
    1993年6月末 - 40万本[110]
    1994年5月17日 - 146万本[115]
    1995年2月 - 300万本突破[116]
    1995年5月末 - 402万本[116] 』

〔1993年頃の兵頭二十八氏の動向…。〕

『じぶん用の備忘の補備。

 「北緯九十度のハッティ」の初出DATEが判明した。当時、日記代わりにカレンダーにメモ書きをしていた。そのカレンダーメモをテキスト起こししてワープロにまとめていたのを発掘できた。

 前編が載ったのが、1993-11-10都内店頭発売の『ビッグコミック』誌であった。なんと6回も書き直ししていたことも確かめられた。
 すぐに続いて11-17(水曜日)に小学館のパーティがあり、里中満智子先生、永井豪先生、松本零士先生、つのだじろう先生、石森先生、新谷先生、不二子A先生を3Dで目撃してとうぜんながら感激した。しかも、入口には私の提供原作のゴルゴのエピソードが《今度は深海へ》とかいうキャッチコピーとともに看板化されていたのだから、密かに鼻が高かった。

 後編は、1993-11-25に都内店頭発売であった。
 しかしこの頃のカレンダーのメモ書きを見返すのは辛い。私生活ではいかにもバブル崩壊期らしい波乱が次々起きていた。その記憶をよびさまされた。
 おしまい。』

 ※ コンピューティングの歴史的には、「Windows95」の発売が、1995年だ…。

 ※ 折からの、ネットの普及・実用化とGUIが相まって、爆発的にパソコンが行き渡って行った…。

 ※ その数年前だから、まだDOSの時代だったか…。

 ※ 「Windows95」は、DOSのバージョン的には、「DOS7」だ…。

 ※ ハードの普及状況が、まだ16bitと8bitの混在だったんで、Windows95も「16bitと8bitの混在」OSだった…。

 ※ DOS5でMOが使えるようになり、DOS6でやっとOSレベルで「Windowsシェル(GUIでファイルやフォルダの操作が可能となった…)」が使えたと記憶しているが…。

 ※ 「Windows3」というものもあった…。

 ※ DOS6の「Windowsシェル」の先駆けみたいな感じのもので、「ファイルやフォルダの操作」をGUIで行うことができるものだったらしい…。

 ※ 「らしい」と言うのは、「英語版」しかなく、日本では殆ど使っている人がいなかったからだ…。

 ※ オレも、文献読んだだけで、実物は見たことが無い…。

 ※ DOSの時代の「パソコン」は、まだ、「ワープロに毛が生えた程度のもの」だった…。

 ※ そういう時代でも、「自分の頭で考える」人は、「日記代わりにカレンダーにメモ書き」して、自分の「思考」を深めて行った…。

 ※ そして、「そのカレンダーメモをテキスト起こししてワープロにまとめて」、「思索」を深めて行った…。

 ※ そのテキスト・データは、今現在でも「活用すること」ができる…。

 ※ 「私生活ではいかにもバブル崩壊期らしい波乱が次々起きていた。その記憶をよびさまされ」て、つらい思いが甦るとしてもだ…。

〔Edrawmax、再度DLした…。〕

 ※ こういうソフトも、あったんだな…。

 ※ タイムスタンプ見たら、去年の8月にDLしてた…。

 ※ その後、「お試し版」を試用中に、「旧機、起動せず」状態になったんだっけな…。

 ※ 「旧機改」、やっと安定稼働してきた…。

 ※ 結局、OSの再インストールとなり、常用するソフトの再インストールも迫られた…。

 ※ その過程で、ずいぶん「データ」も失った…。

 ※ 特に痛かったのは、「メール」を大分失ってしまったことだ…。

 ※ 割合的には、「標的メール」と「ゴミ・メール」が8割くらいだが、中には「惜しいメール」もある…。

 ※ 知人に送った「民主主義の基盤の考察」メールで、「送り返してくれ。」と頼んだものがある…。しかし、「Gmail」使いで、「もう、削除したから、残っていない。スマンな…。」と言われた…。

 ※ そういうものだ…。

 ※ 幸い、「旧起動ドライブ」は無傷で、アクセスできる…。「ダウンロード」フォルダには、どんなものをDLしたのか、残っている…。

 ※ まあ、ボチボチと確かめて、必要だったら、再DLして行こう…。

 ※ あとは、バックアップ体制の構築だな…。

 ※ 「未だ、構築せず。」なのに、「起動しません…。」だけは、カンベンしてもらいたい…。

PCケースが塔になるほどの在庫量、STORMのPC工場でケースへのこだわりを聞いてきた

PCケースが塔になるほどの在庫量、STORMのPC工場でケースへのこだわりを聞いてきた
BTO PCでも自由にケースが選べる環境を提供、メモリ品質へのこだわりも text by 平澤寿康
https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/sp/1293923.html

 ※ 全て新品の「パーツ」で、一気に組む場合は、かえって「トラブル」は少ない…。現に、オレの場合も、「新機」では、さしたる問題もなく、スンナリ組めた…。まあ、「パーツで当たること」は、あるがな…。

 ※ しかし、「旧パーツ」と「混在させる」と、大変だ…。どのパーツも、その周辺の「プラットフォーム」「ドライバ」なんかで、次々と「新機軸」が繰り出されているからだ…。

 ※ そもそも、世の中の流れ全体が、「旧パーツ」は「使わせない」という方向に向いているからな…。
 「旧式化」してきたら、「全とっかえ」やってくれ…、という話しだよ…。

 ※ そこら辺の「見切り」も、重要な要素になってくる…。

 ※ コスパ的には、「定番」の「手堅いパーツ」で組んで、6年くらい使ったら、「新機」にする…、というのが一番いいのかもしれんな…。

 ※ BTOは、確かに「お手軽」だ…。

 ※ しかし、「トラブル」が生じた場合に、それを「解決する能力」は、養われることは無い…。

 ※ 現に、今回のトラブルで、「マザボのマニュアル」読み返したし、UEFIについても、だいぶ情報収集して、勉強した…。

 ※ まあ、年取ってきたんで、すぐに「忘れて」しまうことになるんだがな…。

『BTO PCは購入時にスペックを細かくカスタマイズできることから、自作PC感覚で製品を購入できる点が大きな魅力だ。

 ただし、カスタマイズできるのはCPUやメモリ、ビデオカードや内蔵ストレージなど、PCの核となるパーツが中心で、ケースはブランドの統一感を持たせるために固定となっているメーカーも多い。

 そういった中、アイティーシーが展開するBTO PCブランド「STORM(ストーム)」では、多種多様なケースラインナップを用意し、ケースについてもユーザーが自由に選択できるようにしている点が大きな特徴となっている。なぜSTORMではケースにも力を入れているのか、そのこだわりを茨城の工場でチェックしてきた。

塔のように積み上げられたPCケース
選択の自由を実現するための大量の在庫を工場に保管

茨城県龍ケ崎市に位置するアイティーシーの工場。畑に囲まれたのどかな雰囲気の中でSTORMブランドのBTO PCが製造されている。
 STORMブランドのBTO PCラインナップを見てみると、内部は同じ構成でケースが異なる商品をたくさん用意していることがわかる。これは、ケースをBTOメニューに入れているのとほぼ同等と言える。そこでまず、STORMブランドのBTO PCではどういったケースが選べるようになっているのか、実際にSTORMブランドのBTO PCを製造しているアイティーシーの工場に足を運んでチェックしてきた。

 アイティーシーの工場は、茨城県龍ケ崎市に位置している。畑に囲まれたのどかな景色が広がる場所で、PC関連の工場があるとは言われなければ想像もできないといった雰囲気。

 工場は大きく分けて2棟の建物で構成されており、一方が完全な倉庫、もう一方が倉庫兼製造工場となっている。大半のエリアがPCパーツの在庫を保管する倉庫として利用されている。しかも、そのほとんどがPCケースの在庫で、2棟ある工場の大半にケースの在庫がひしめいている姿はかなり圧巻だ。

こちらの棟はパーツの倉庫として利用されている。内部に置かれているのはほとんどがPCケースの入った箱。

PCケースは場所を食うが、毎回まとまった数を輸入していることもあって常にかなりの数のPCケースが在庫として収納されているという。
 倉庫兼製造工場となっている棟だが、倉庫スペースはかなる高い位置までケースが積み上げられており、ちょっとした塔のような印象だ。BTO PCを製造するスペースよりもPCケースを保管するエリアがかなり広くとられているが、PCケースはPCを構成するパーツの中で飛び抜けてサイズが大きいものなので、そうなるのが必然ともいえるだろう。PCケースを自由に選べるようにするため、多くの在庫が確保されている。

こちらの棟は、倉庫兼組み立て工場となる。

入り口からはアイティーシーのロゴマークが見える。

こちらのエリアも多くのPCケースが保管されている。

入り口の付近にはPCケース以外にもメモリはSSDなども保管されていた。

倉庫の奥側、かなりの高さまでPCケースが積み上げられている。段ボールの中には複数のPCケースが入っており、人が小さく見えるほど。

2棟ある工場の倉庫スペースのほとんどがPCケースで埋まる光景は工場好きにはたまらないかもしれない。
STORMのBTO PC用ケースは大きく分けて4ジャンル、代表的なケースをチェック
 現在、STORMブランドのBTO PCで利用されているケースは、大きく4種類に分類できる。それは、ゲーミングPC向けケース、オーソドックスケース、コンパクトケース、そしてメーカーコンプリートPC向けケースだ。今回の工場見学に合わせ、代表的なモデルの実機を見せてもらった。もちろんこれら以外にも多数のPCケースが取り扱われている。

イルミネーションが楽しめるモデルや静音モデルも用意されたゲーミング向け

ゲーミングPC向けケース
 ゲーミングPC向けケースは、ハイエンドのCPUやビデオカードを余裕を持って搭載できる優れたカスタマイズ性のミドルタワーやフルタワーをラインナップ。PHANTEKSのEclipse P300やECLIPSE P400Sなどがこれに該当する。

 光るケースファンやイルミネーションの搭載、内部が見える透明側面パネル仕様、内部を綺麗に仕上げられエアフローも有利となる裏配線対応なども特徴となっている。また、逆に透明パネルなどがなお静音向けのケースも用意されており、ユーザーの好みに合わせた構成が可能だ。

色も選べてクリエイター用にも使えるオールラウンドな一般向け

オーソドックスケース
 オーソドックスケースは、シンプルなデザインでオールラウンドな用途に対応でき、カスタマイズ性にも優れているミドルタワーが中心。MetallicGear Neo V2やJONSBO U4などがこれに該当する。

 一般向けPCからクリエイター向けPCまで、幅広いモデルで選ばれている、STORMブランドBTO PCの主力ケースシリーズとなっている。カラーバリエーションが豊富な点も魅力のひとつだ。

小さくてもハイスペックが組めるMini-ITX向け

コンパクトケース
 日本では、住環境から小型のPCケースも根強い人気があり、STORMブランドBTO PCではスタイリッシュなデザインのアルミケースをラインナップ。RAIJINTEKのOPHION EVOやMETIS PULSがこれに該当する。

 小型であっても、ゲーミングPCとして高スペックなPCパーツを搭載できるケースとなっている点は大きなこだわりだ。

メーカーコラボや特別モデル向けの個性的なケースも

メーカーコンプリートPC向けケース
 STORMはMSIと連携し、MSI製のパーツで固めた「POWERD BY MSI」製品を取り扱っており、主にPOWERD BY MSI製品で利用されるケースも用意されている。特にMPG GUNGNIR 110Rは、フロントと左パネルに強化ガラスを採用するとともに、前面に3基、リアに1基のLEDファンが組み込まれれ、見た目にもインパクトのあるケース。

 また、2機のPCを内蔵する特別なBTO PC「PUNI 」シリーズには、Phanteks ENTHOO LUXE 2など特殊なケースが用意されている。

使い勝手の良いミドルタワーケースにこだわるSTORM、ポイントをスタッフに聞いてみた
メモリのエラー0を目指した取り組みも

アイティーシーでSTORMのBTO PCを担当する宇都木氏

アイティーシーでSTORMのBTO PCを担当する豊田氏
 これらSTORMブランドのBTO PCで採用されているケースは、どのような考えで選択されているのだろうか。実際に工場で製品の組み立てを担当するとともに、採用するパーツ類の選別なども行っているスタッフにこだわりを聞いてみた。

――STORMブランドのBTO PCで採用されているPCケースでは、どういったところにこだわりがあるのか教えてください。

[STORM]STORMは商社が母体となっていることもありまして、とにかくそのまま製品として出せるぐらいの優れた品質を備えたパーツを利用しているところがこだわりです。

PCケースについては、以前は市場で売れ筋のケースを利用することもありましたが、現在では代理店として扱っている高品質なケースのみを扱うようにするなど、とにかく品質にはこだわりがあります。

そして、日本の住宅事情ではあまり大型ケースは好まれませんので、特に人気のミドルタワーに力を入れています。

Phanteks ECLIPSE P300
――ケースラインナップを決める際に基準のようなものはありますか、また人気モデルも教えてください。

[STORM]PCケースとして欠かせない、拡張性や内部の作業性、エアフロー、フロントコネクタの種類などは、日々確認し検証しています。拡張性や内部の作業性はケースとして基本的な要素ですし、高性能PCではエアフローを気にされるお客様が多いので、ドライブ搭載の有無などによる影響もしっかり検証していますから、そういった部分にはかなり自信があります。

また、中が見えるPCケースが7~8割ほどを占めていますので、ファンが綺麗に並ぶか、といったところもチェックしています。人気モデルはやはりミドルタワーで、特に「Phanteks ECLIPSE P300」は人気が高いです。

メモリの品質チェックには特に力を入れているという。

BTO PCに使用する前にエラーが無いかチェックが行われる。

裏配線などはスタッフ間でテクニックやノウハウが共有され、PC好きだからこその良さやこだわりも積極的に取り入れられているという。
――ケース以外にもこだわりやSTORMならではの部分はどういったところでしょうか。

[STORM]まずは品質です。出荷前の動作環境を再現した負荷テストにはしっかり時間をかけています。例えばメモリなどは検証して合格したもの以外は使わないようにしています。もちろん、PCを組んだ後にもテストを行い、メモリのエラーが出ないよう対策を取っています。

また、内部の配線もこだわりの部分です。中が見えるケースが多いこともありますので、組み立てる時にはどれだけ綺麗にケーブルを配線できるか、どこに通していかに配線を見せないようにするか、スタッフの間で日々検証して、いいところはどんどん取り入れています。製造スタッフは、全員が自作PC好きのマニアでもあるので、「ユーザー目線で気に入らないものは製品として出荷したくない」という思いで取り組んでいます。

組み立て時のネジのトルク管理もこだわっている部分です。ネジのトルクは強すぎても弱すぎてもだめなのです。特にマザーボードなどはトルクが強いとすぐに損傷してしまうので、気を付けている部分です。

そして、出荷された製品が問題なくお客様に届けられるように、エアパッキン型クッションを作る装置も導入して、梱包にも気を付けるようにしています。

STORMは様々なPCケースでテストを行っているが、大型のオープンフレームケースなども選べるようにできないかテストを行っているそうだ。
――今後の展望とユーザーへのメッセージをお願いします。

[STORM]パーツの性能はどんどん上がっていて、熱問題が大きくなっています。そのため、エアフローについてはかなり重視している部分ですが、今後の製品選択においても試行錯誤が多くなってくると思います。しかし、そういった中でも時代に合わせたキッチリとした製品を作っていきたいと思っています。

また、ケースではATXサイズのオープンフレームケースを出せればいいな、とも考えていますので、今後にご期待いただければと思います。

その他、注文の際の不安な点や、このようにして欲しいといったご要望にもスタッフが相談に乗りますので、お気軽にお声がけいただければと思います。

STORMのBTO PCが組みあがるまで
製品のピッキングから組み立てまでチェックしてきた

こちらが工場内の組み立てスペース。常時4~5名のスタッフが商品を組み立てている
 今回は、せっかく工場に足を運んできたので、STORMブランドのBTO PCが組み立てられる様子もチェックしてきた。

 ちなみに、取材時に組んでいたモデルは、GeForce RTX 30シリーズの売れ筋モデルとなっているGeForce RTX 3070を搭載したPC。出来上がるまでの流れを見てみよう。

棚には、製品で利用する各種パーツが整然と並べられている。

各パーツは、ピックアップしやすいように、種類ごとにわかりやすく配置されている。

こちらはSSD。よく使われるモデルが置かれており、取材時も何回か補充されていた。

マザーボードもかなりの数が並べられていた。採用モデルはMSIの製品が多いようだ。
 まずはじめに、オーダー表を受け取った組立スタッフが、パーツを保管している棚からオーダー表に従ってパーツをピックアップしていく。

 棚には、CPU、メモリ、SSD、ビデオカード、マザーボード、電源ユニットなどのパーツが整然と並べられており、その中から目的のパーツを見つけてピックアップする。パーツは目視でピックアップしていくという、どちらかというとアナログな作業となっているが、スタッフは慣れたもので瞬時に必要なパーツを選別し、あっという間にピックアップが完了していた。

オーダー表を手に、構成をチェックする、まずはじめにOSのパッケージをピックアップする

続いて、CPUやマザーボード、メモリ、ストレージ、ビデオカードなど、オーダー表を確認しながら正しいものを順にピックアップしていく

CPUの次はマザーボードを選択。

SSDは定番のCrucial。

ビデオカードは今人気のGeForce RTX 3070。

Crucialの定番メモリ。棚に置いてあるメモリは事前にエラーチェック済み。

電源も仕様に合わせてまとめられているところからピックアップ。

ピックアップしたパーツは、このようにケースにまとめて入れていく。
 続いて、ピックアップしたパーツをケースに取り付けていく。こちらも非常に手慣れたもので、ケースへのマザーボードの装着やパーツ類の取り付けなどもとてもスムーズに行われていた。

 こだわりのケーブル配線は、通常試行錯誤で行われる裏面配線も含め、事前にどこにどのケーブルを通せばいいのか検証が終わっていることもあってか、よどみなく進められる様は圧巻だった。

マザーボードをはじめ、パーツ類をケースから取り出し組み立てに備える。

手際よくマザーボードなどのパーツ類がケースに取り付けられていく。

電源ユニットからのケーブルなどの配線もスピーディに進められていく。

通常は試行錯誤の裏面配線も一発で決まっている。迷いが無いので作業はかなり早い。
 組み立てが完成したら、動作試験が行われる。基本的に全ての製品で、1日ほどの時間をかけて実環境での検証を行うことになる。

 動作試験で問題が無ければはれて出荷。製品は専用の箱に詰められたうえ、さらにクッション材を敷き詰めた外箱に収められる。このクッション材は輸送中の衝撃を和らげるためのもので、その場で必要な量のクッション材を用意できるように、クッション材の製作機器も工場には備え付けられていた。どのようなクッションを使うと輸送中の事故が起きにくいのかも検証し、今の形式になったそうだ。

Windows 10上で負荷テストを実施するなどの動作試験を行う。全ての製品で1日ほどの時間をかけてテストを行うそうだ。

完成した製品は段ボール箱に入れられ、さらに輸送用の外箱に収められる。

製品の箱と外箱の間には、ビニール材に空気を閉じ込めた、エアキャップ型の緩衝材が詰められ、輸送時の振動が製品に及ぼす影響を軽減。

緩衝材をその場で製作する機械も用意されている。
スタッフのこだわりがSTORMブランドBTO PCの高品質の証

次回はSTORMの最新BTO PCのレビューを行う予定だ。
 このようにSTORMブランドのBTO PCは、PCケースも含めて品質や完成度にこだわって作られていることがわかってもらえたと思う。

 実際に組み立てているスタッフが自作PC好きというのもポイントになるだろう。ユーザー視点で不満が無いものをというこだわりがあるからこそ、STORMブランドのBTO PCが購入者から高い評価を得ているということが、今回の取材を通して見ることができた。

 次回は、BTO PCの新モデルのレビューを行うが、今回組み立て作業をチェックして見てきた製品の出来映えと性能をじっくりチェックしたいと思う。

[制作協力:アイティーシー]』

今日は、こんなところ…。

今日は、こんなところにしておく…。

旧機改、まだ安定していない…。

それでも、大分情報収集したんで、UEFIについての知識が深まった…。

もはや、昔のBIOSとは、全然別物になったんだな…。

特に、「セキュアブート」というものが導入されたんで、パーツを「交換」すると、一々チェックが入るようになったらしい…。

まあ、無理もない…。「知らぬ間にパーツを取り換えて、良からぬプログラムを読み込ませる。」という「悪事」が、横行したからな…。

だから、メモリも1枚、また、1枚…、と認識させないと、いけなくなったらしい…。

それと、win10の「高速スタートアップ」も、「パーツ交換」に際しては、良くないらしい…。前に書いた、「旧環境を引きずるような感じ」は、たぶんこれだと思う…。

さらには、GPUも、ドライバの関係で「当たる」ことがあり得るという記事も見た…。

さらに、さらには、「CMOSクリアが、地雷になることもある。」という記事も見た…。

「PC自作」の醍醐味は、「古いパーツの使いまわし」にあったんだが、もはや「過去の話し」となったようだな…。

まあ、こういうものなのか…。

 相変わらず、起動する時に、3回くらい再起動している…。

 そして、POSTのスピードが、遅い気がする…。

 今は、Q-Code、「IDE初期化開始」という表示になっている…(「開始」で止まられてもな…)。

 そして、毎回BIOSの「再設定」を、強いられる…。

 しかし、一旦起動してしまえば、「安定動作」している…。

 特に「ブルスク」出たり、いきなり「再起動」する…とか、「シャットダウン」する…、ということは無い…。

 まだ、起動SSDだけ繋いでいる状態だ…。

 それでも、メモリは、4枚刺した…。1枚づつ刺して、様子を見たんで、手間だった…。

 「まな板」買っといて、良かったよ…。買ってなければ、また「起こしたり」「寝かせたり」の格闘だったな…。

 まあ、最低でも旧環境のHDDと、SSDを認識させたい…。

 それから、GPUを装着して、Bench取ってみたいな…。

 のんびり、気長に、やっていこう…。

お知らせ

※ スマンが、今日も投稿お休みする…。

※ いろいろやってみているが、症状改善しない…。

※ 段々、策も尽きてきた感じだ…。

※ 後残っているのは、CMOSクリアくらいか…。何回やったんだ…。

※ 見切り時かも、しれんな…。

お知らせ

※ スマンが、今日は投稿お休みする…。

※ 旧機起動しなくなったんで、パーツ、大幅に入れ替えて、新たに組んだ…(旧機改と呼ぶことにする

)。

※ しかし、どうもおかしい…。

※ 起動に延々と、6回も「再起動」している…。

※ しかも、毎回BIOSの「再設定」を必要とする…。

※ 電源が怪しいと考えて、新電源ユニットを取り寄せた…。

※ そしたら、その電源が、うんともすんともなんだよ…。

※ アマゾン経由の購入なんで、「お問い合わせフォーム」から問い合わせた…。

※ その業者さんからメール来た…。

※ こうなったら、徹底的にやろうと思って、「まな板(シャシー)」も取り寄せた…。それが配送された…。

※ その組み立てで、けっこうな時間を取られた…。

※ 旧機改が、安定稼働するのは、いつのことになるのかな…。

※ 工事代金の請求書も、回って来たしな…。

※ そういう「トラブルの連続」「処理しなくちゃならない仕事の連続」が、「世の中」「人生」というものだ…。

〔こういうものが、世の中だ…。〕

若いねーちゃんは、「忍者」になって、ゲーミングする…。

パパやママ、あるいはにーちゃんは、「ぼっちテント」に籠って、「パソコン仕事」「リモート・ワーク」する…。

キッズは、「キッズ・テント」で戯れて、夢を育む…。

アクティブ・シニアは、ワゴン車にテント積んで、キャンピングする…。

とあるジジイは、フルタワーと格闘し、寝かせたり・起こしたりして疲労困憊し、「こ…こ、こ…しが…。」と呟いたりする…。

そして、「こりゃあ、絶対電源だあー。」と叫んで、電源ユニットぽちったはいいが、その「新品のユニット」が、うんともすんともなのを前にして、途方にくれる…。

そして、フルタワーのサイドには、内部から引き出された電源や、マザボなんかが、なにやら箱を二、三個積み重ねたものの上に、剝き出しで乗せられている…。

それを前にして、ジジイは「一体全体、どーゆーことなんだ…。」「何が、原因なんだ…。」とブツブツ呟いている…。

しょぼつく老眼でマニュアル見ると、「大量に電力を消費するデバイスを使用する場合は、高出力の電源ユニットの使用をお勧めします。電源ユニットの能力不十分だと、システムが不安定になる、またはシステムが起動できなくなる等の問題が発生する場合があります。」
と書いてあるのを発見する…。

「これか…。」と呟いて、さらに読み進むとA、B、Cと3か所電源プラグを繋ぐ箇所があることを発見する…。

しかし、Aは4ピンであることを、さらに発見する…。

ガサガサと、電源モジュール・ケーブルの束を物色するが、「4ピン」のモジュールは、「無い」ことを発見して、途方に暮れる…。

そういうものが、世の中だ…。

Bauhutte、“ゲーミング着る毛布”「ダメ着」シリーズに電熱ヒーター内蔵の新モデル
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/yajiuma/1293278.html

クルマのハッチバックに接続できるポップアップ式テント「CARSULE」
https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1271268.html

徐々に環境を、構築しつつある…。

「旧機」、完全に復活させるのはあきらめた…。

結局、大幅にパーツ交換して、OSの再インストール…、というハメになった…。

オレは、昔人(むかしびと)だから、もの事が単純・簡単だった時代の頭(あたま)のまんまだ…。

不具合が生じた場合は、「パーツを交換」すればいい…、という発想から抜けられない…。

しかし、時代は「進化」し、BIOSは今やUEFIというものになった…。

こうなると、どうも「準OS」と言ったようなものになっている感じだ…。

不具合が生じている「マシン」に繋げると、「旧環境」を引きずるような感じなんだよね…。

CMOSクリアで、何とか解決した…。

そのままだと、メモリすら、一部認識できなかった…。

今はまだ、GPUすら装着していない…。

CPU内蔵GPUで出力し、ドライブも「起動SSD」だけ繋いでいる…。

ソフトも、ほとんど再インストールしていない…。

「旧機」にあったデータへも、ほとんどアクセスしていない状態だ…。

まあ、いい…。

徐々に、取り戻していこう…。

「旧機」、復活した…。

とある筋から、「マザボのトラブルの時は、マザボのマニュアルを熟読する方がいい…。」という情報を得た…。

「なるほどな。」と思って、最初のページからちょっと丁寧に読み始めた…。

マニュアルによれば、このマザボには、「POST State LED」というものが搭載されている…。

「システムは、起動時にPOST(Power on Self Test)と呼ばれる動作チェックを実行します。POST State LEDは、POST時のキーコンポーネント状態を分かりやすく知らせます。」というものだ…。

それで、通電して見てみると、確かに一つのLEDが赤々と点灯している…。

マニュアルで見てみると、「DRAM_LED」だ…。「DRAM」に何らかの異常がある…、ということだ…。

合わせて、このマザボには、「Q-Code LED」というものも搭載されている…。「7セグメントLEDディスプレイによって、POSTコードを表示し、システムの状態を通知します。」というものだ…。コード表と照らし合わせて見ると、「メモリ未登載」と出た…。

メモリは、当時としては奢って、4枚刺しにしてある…。それで「メモリ未登載」は、オカシイ…。

「ははあ…。こりゃ、メモリが逝った可能性があるな…。」と思って、さっそく検証に取りかかった…。

マザボのメモリは、「Dual」とか言って、2枚ペアで使う仕様になっている…。どっちかのペアの1枚かあるいは両方が、お亡くなりになっている可能性が高いわけだ…。

それで、一旦全部取り外して、生きてるペアがないか、探った…。

そしたら、発見した…。生きてる方のペアが、あったんだよ…。「死んだ」と思われるペアを取り外して、2枚刺しにした…。

見事に、起動した…。BIOS設定画面まで、進むことができた…。

それで、BIOSで「USBメディア」から起動する設定にして、Win10のインストールメディアを読み込ませた…。

インストール・プログラムを実行させると、「Windowsの修復」という項目が出てきたんで、「ダメ元」で試してみた…。

そしたら、何ということもなく、「修復」されたんだよ…。

ざっと使ってみただけだから、詳細は分からんが、特に失ったソフトも、特に失ったデータも、「無い」ような感じだ…。

デスクトップには、見慣れたアイコンが、ズラッと並んでいる…。

4枚刺しから、2枚刺しに「降格」したんで、メモリの容量は半減した…。その分は、非力になったわけだ…。

当分は、システムの様子を観察し、メモリを買い足すかどうか考えるつもりだ…。

なお、上記の試行は、GPUを取り外して、CPU内蔵GPUから出力させて行った…。

今は、再度GPUを戻してある…。

さすがに、3DMarkブン回すなんて「荒技」は、ヤル気がしないな…。また、どこか「損傷」でもしたら、大変だ…。「かろうじて、動いているだけ。」という可能性もある…。オレと同じで、「あちこちガタが来ている」可能性も高い、シロモノなんだ…。

非力ノートで、できること…。

非力ノートでは、できることも限られる…。

Steamで買ったゲームは、全て「不可」だ…。

DLして、起動しようとすると、「起動の要件が、充たされていません。」てな表示が出て、起動すらできない…。

それで、初めて「ブラウザゲーム」なるものを、やってみた…。「ブラウザ」立ち上げて、ネットに接続くらいは、できるからな…。

あつ森が話題なんで、「ひつじ村」というものをやってみた…。

「たーらったら~、たららん」ってな調子のいい音楽が流れる中、いろいろ「農作業」みたいなことをやっていく…、ものだ…。

「お試し版」というものがあって、「会員登録」しなくても体験可能だったんで、やってみた…。

なるほど、ほとんどマウス・クリックのみで、ゲームは進行して行く…。

ラディッシュ植えて、収穫した…。水やりして、日にちを進めると、成長して、収穫できる…。

それから、「マーモット」なるものを、飼育した…。「仔マーモット」だったものが、「若マーモット」に育って、「なんでもショップ」みたいなところで売り払った…。

売上金を、ゲットした…。

それから、うら若い女村長さんが、いろいろ助言してくれて、励ましてくれた…。

それから、農地を拡張した…。なんと、海上にまで拡張できるんだ…。「農作業」だけでなく、海中で魚介類を「養殖」したりもできるようだ…。

村長さんだけでなく、そこの住民とも、いろんな交流ができるように、作ってあるんだろう…。

30分くらいもやったら、大体わかった感じだったんで、止めた…。

あとは、KindleのPC版を落として、買った電子書籍やサンプル本の中から、読んだ…。

こっちは、良かった…。デバイスとしてのKindleも買ってある…。しかし、電池切れになってて、読みたいときに「使えない」ことがよくある…。

その点、非力ノートとは言え、アダプターで電源につないで机上で使っているから、「電池切れ」の心配は無い…。それから、インターネット・ラジオで音楽聞きながら
読んだりできる…。工事、コンプレッサー回しながらやってるんで、騒音はけっこうウルサい…。カナル式耳穴に突っ込んで、遮断しながら読めたんで、重宝した…。

表示も、慣れてるせいなのか、非常に見やすい感じだ…。

非力ノートは、実は「電子書籍」読むのに適したデバイスであることを、発見した…。

BIOSの修復(書き換え)は、難しそうだ…。

ちょっと調べたが、ネットに上がっている話は、大概が「UEFI」BIOSの設定画面から、ユーティリティーを使う方法だ…。

しかし、そもそも、その「UEFI」に入れないから難儀しているわけだ…。

BIOSの設定画面に入れないから、「起動デバイス」を指定・変更することもできないし、挿している「USBメモリ」を認識しているのかの確認すらできない…。

持っているWin10のインストールメディア(USBメモリ)を、読み込ませることもできない…。

残っている方法は、DOS環境を構築して、そこから書き換えソフトとBIOSデータを使って、書き換える方法だ…。

しかし、その「DOS環境」を、どうやって読み込ませるんだ?

オレのマザボは、FDドライブに対応していない…。内蔵FDD買っても、それを繋ぐソケットは、存在していないんだ…。

外付けFDDは、全てインターフェースが「USB」ときている…。その「USB」が、使えないんだよ…。

ただ、いろいろ調べて収穫もあったぞ。それは、BIOSの物理的な「実体」は、フラッシュメモリである…、ということだ。それが、マザボ上にあって、基板に接続されている…。

CMOSクリアのCMOSとは、その「フラシュメモリ」に「情報・データ」を送っている存在らしい…。

だから、理屈上は、CMOSクリアすると、ユーザーがいろいろ設定した「設定データ」は、チャラになって、BIOSが納められているフラッシュメモリは、「工場出荷時の、初期状態」に戻るはずなんだ…。

それが、「元に戻らない」ということは、酷く損傷してしまって、「用をなさない」状態になってしまっているんだろう…。

さあて、どう行動するかな…。

お知らせ

スマンが、投稿はお休みする…。

旧機、完全にお亡くなりになったようだ…。

ダマしダマし、使ってきた…。

しかし、ついにBIOSの設定画面にすら入れなくなった…。CMOSクリアも、やってみたが、ダメだった…。

「回復」のUSBメモリも作り、アクロニスのレスキューも作ってあったが、BIOSの設定すら入れないんでは、お手上げだ…。

幸い、新機はベンチも紹介した通り、「サクサク、ヒュンヒュン」だ…。

しかし、これで「今まで通り、投稿を上げる」となると、まだまだソフトのインストールとか、データの移転とかが、足りない…。

それに、旧機も、今ひとつ「納得がいかない」部分がある…。この状況では、Win10の再インストも不可ということだ…。

マザボには、通電している…。一体、どういうことなのか…。

最悪、Win10の再インストということになるとして、もう少し追求してみたい…。

とりあえずは、BIOSの再インスト(書き換え)か…。

しかし、ネット接続できないんで、データ取ってくることもできんぞ…。

新機でデータ落としてきて、USBメモリに入れたとして、旧機で認識できないぞ…。

いやあ、どうしたものか…。

ちょっと、困ったな…。

そういうことで、暫くは投稿を上げれないかもしれん…。

スゲーBench、撮れた…。

「Better than 94% of all results.」って、上位6%…ってことだよな…。

オレもwin98の頃から、3DMark回しているが、これほどの「高スコア」叩きだしたのは、初めてだ…。

これは、アレだな…。「計画された陳腐化」の間隙、突いたんだな…。

Intelの第10世代コアが発売されてから、まだ半年くらいしか経っていない…。

そして、RTX30※ シリーズは、つい最近(10月29日)に発売されたばかりだ…。

それで、まだ両者の組み合わせのPCは、世間に、それほど行き渡っていないんだろう…。

この業界は、「計画された陳腐化」が実行されている…。大体、3か月で、予定された「ロードマップ」に従って、「新製品」が投入される段取りになっている…。

RTX30シリーズも、3か月後には、「新製品(新シリーズ)」が投入されてくるハズだ…。

それでも、まあまあ、当初、狙った通りの性能は、出ている…。

オレとしては、十分満足な結果だよ…。

このBench見て、苦労が報われた思いだ…。

お知らせ

スマンが、明日の投稿はお休みする…。

新規PC、ほぼ組み立て終わっていた…。

しかし、GPUだけは、まだ組み付けていなかったんだ…。

最初の「構想」では、CPU内蔵のGPUと、手持ちのGTX7※で、試してみるつもりだった…。

それで、civ6をインストールして、動かしてみた…。

そしたら、全くの「能力不足」ということが、判明したんだよ…。

ターンが変わった時に、「交易商ユニット」というものが、動いて他の都市に移動することになっている…。その動きが、ゆっくりと「スローモーション」なんだよ…。他のユニットの動きも、推して知るべしだ…。

それで、早々と諦めて、ディスクリートGPUを、物色した…。

しかし、「時期が悪いおじさん」じゃないが、全く「時期が、悪かった。」…。

RTX30※を狙ったんだが、全く「品切れ」で、買えんかった…。

しかも、PCケース、「フルタワー」との格闘で疲労困憊したんで、「ミドルタワー」にした…。そしたら、「3連ファン」タイプは、長さの関係で、ムリなんだよ…。「2連ファン」止まりと判明した(しょぼつく老眼で、マニュアル読んだ…)。

それで、ますます入手困難となった…。

ここんところ、毎朝、PC立ち上げては、一番で「検索」かけ続けていた…。

やっと、3、4日前に、ヒットしたんで、さっそくポチった…。

そのGPUが、今日の午後に配送されたんだよ…(見ると、地方の大都市圏の業者さんだな…)。

そういうことで、明日は「最後のパーツ」を組み込んで、完成させる予定です…。ヤレヤレだ…。

そこから、まだまだ、ドライバ入れたり、Steamからダウンロードしたりと、ぬかるみが待っている…。

他のパーツとの「相性問題」も、あるしな…。「衝突」問題が、発生しないことを、願っているよ…。

お知らせ

※ スマンが、暫く投稿はお休みする…。

※ パーツが揃ったんで、組み立てにかかっている…。

※ しかし、すっかり浦島太郎状態だ…。

※ あらかじめ、組み立ての解説動画なんかも見ておいたんだが、細かい部分がよく分からない…。

※ しかも、老眼で、近くにピントが合わないと来ている…。オレは、近視の人が老眼になったタイプなんで、メガネ外さないとマニュアルなんかが読めないときている…。これで、ピンにソケット挿したりできるのか…。

※ 昔取った杵柄は、全く「年寄りの冷や水」になったな…。

※ ヤレヤレだ…。

Windows10の破損したシステムファイルを修復する方法

Windows10の破損したシステムファイルを修復する方法【できない場合も】
https://itojisan.xyz/settings/18571/

※ 上から順に、試してみた…。

※「DISM」も、やってみた…。

※ セーフモードや、回復環境で「sfc/scannow」やってみても、この通りだ…。

※ 一時、「設定」が使えたんで、「システムの復元」も実行してみた…。9月28日の状態まで「復元」してみたが、やはり、HDDは見えて来ない…。

※ 残るは、「方法9:Windows10を初期化する」だけか…。「方法6:手動で正しいシステムファイルを上書きする」は、ちょっとヤル気がしない…。

※ どうしたものだろうか…。

※ 前にちょっと語ったが、実は、もう一台PCを組む予定になっている…。今日、最後のパーツが配送される予定だ…。

※ そっちの方に、多大の時間が食われるだろう…。

※ こっちの方は、後回しだな…。バックアップ自体は、USB外付けのHDDが使えるんで、取れることは取れる…。

※ 過去のバックアップのサルベージは、まあ、後回しでもいいか…。

※ ありゃりゃ…。重要なファイルだけでも、バックアップ取っておこうと、今試みた…。そしたら、USB外付けHDD、見えなくなっているぞ…。最近買った、一番デカいHDDだ…。

※ システムファイル、徐々にいろんなものが「死んで」行っている可能性がある…。

※ ちょっと、困ったな…。