Windowsはどう使われたがっているのか

Windowsはどう使われたがっているのか
山田 祥平
2022年1月8日 06:31
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/config/1379224.html

 ※ これは、一読しといた方がいい…。

 ※ コンピューティングの本質とか、ユーザー・インターフェースとは何かとかいうような問題に、つながるような話しが語られている…。

『WordやExcelに今なお残る保存のためのツールバーボタンがフロッピーディスクを模したシンボルになっているように、OSとの対話は、クラウドとの対話のためのメタファーに過ぎなくなる。そんな時代のWindows作法について、これからじっくりと考えていかなければならない。

ファイルとアプリとウィンドウ

 モバイルノートPCで一般的なフルHDの13.3型液晶を推奨の150%拡大で使う場合、デスクトップ下部に横たわるタスクバーに表示できるタスクバーボタンは19個だ。スタートボタンを入れて20個。これらがダイレクトにWindowsと対話することができるトリガーとなる。

 Windows 10では、タスクバーボタンのサイズを小さくできたし、そうしてなくても、多くのボタンをピン留めすると表示しきれないものについては次行に切り替えて表示させることができた。でも、Windows 11ではその方法が見つからない。最右端のボタンの左側に縦棒が表示されていて上限を超えていることがかろうじて分かる。

 Windows OSでは、デスクトップと呼ばれる仮想の机の上に、アプリの作業領域をウィンドウとして開き、そのエリアで作業をする。ウィンドウを開くには、アプリを開いてもいいし、ファイルを明示的に開こうとすれば、そのファイルを作ったアプリがそのファイルを開く。

 アプリには、データをファイルとして扱うものもあれば、そうでないものもある。また、データファイルを扱わないアプリもある。さらには、データファイルの在処は、目の前のPCの中にあるのか、クラウドサービスが預かっていて、それをネットワーク越しに開いているのかを、ほぼ気にする必要がなくなりつつある。

 ぼくらはPCを開き、Windowsのデスクトップが表示されると、タスクバーボタンの中から、これから使いたいアプリを開くか、エクスプローラーを開いてOSのファイルシステム内を徘徊し、過去に作ったファイルを探し出して開いて作業の続きをする。

 新たにファイルを作る場合は、アプリを開いて作業し、その結果を新規にしかるべき場所に保存するか、先にしかるべき場所に空のファイルを作って、それを開くかのどちらかで作業を始める。

 おおざっぱに言えば、それがWindows OSでの作業のすべてだった。分かってしまえば簡単なことだが、それを理解する必要があるのかどうかは微妙だ。実際、モバイルOSでは、ファイルの概念は希薄だ。
タスクバーボタンの意味

 Windowsにインストールした多くのアプリは、スタートボタンを経由してアクセスできる。これは今も変わらない。それらのうち、よく使うアプリをタスクバーボタンにピン留めすることで、目的のアプリを開くまでの手間を省略することができる。

 開いているウィンドウについてもタスクバーボタンとして表示されるが、ウィンドウを閉じればそのボタンは消える。表示したままにしておくときにはピン留めだ。

 タスクバーボタンにはファイルやフォルダをピン留めすることはできない。どんなに頻繁に使うファイルやフォルダであってもエクスプローラーを経由する必要がある。例えば、エクスプローラーのクイックアクセスに登録すれば、エクスプローラーのタスクバーボタンでのジャンプリストとして利用できる。

 各アプリのタスクバーボタンも似たようなもので、その右クリックで、過去に開いたファイルの履歴をたどることができる。

 ここで問題だ。なんらかの一覧表を作ったとしよう。ジャンプリスト経由で開くには、それをExcelで作ったのかWordで作ったのかを人間が覚えておく必要がある。その一方で、ファイルからアプリを開くのであれば、そのファイルを作ったアプリを覚えておく必要はない。勝手にアプリがファイルを開いてくれるからだ。

 Windows 10までのタスクバーは、こうした作業の段取りに、それなりにうまく対応できていた。ファイルが開いているか、アプリが開いているかといったことを気にしなくてもよくなり、目の前にあるボタンをつっつけばそれでよかった。

 だが、Windows 11は、ボタンへのダイレクトなアクセス個数を制限してしまい、それ以上はスタートボタンを経由しろという。当然、作業は煩雑になる。もちろん、高解像度の大画面ディスプレイを使えばボタンの数は増えるが上限がなくなるわけではない。何よりも、大きなディスプレイを使ったときと、ノートPCのような小さなディスプレイを使うときの体験が異なるものになってしまう。

 Windows 11は、いったい自分自身をどのように使ってほしいのだろうか。

探せないアプリ

 スマホでもそうだが、アプリは多くのものを入れると、いちいちその名前などは覚えていられなくなる。前回紹介したようなスマートウォッチ/バンドのコントロールアプリにしても、realme製品は「realme Link」という名前なので見つかりやすいが、Oppoの製品は「HeyTap Health」という名前だ。
関連記事

【山田祥平のRe:config.sys】スマホの拡張ディスプレイとしてコモディティ化するスマートウォッチ/バンド

 さらにアプリの一覧を見ても、名前全体が表示されるわけではないので探しにくくもある。アプリの一覧に並ぶアイコンのひとつひとつが、どんなアプリなのかを完全に把握しているユーザーはそれほど多くないのではないだろうか。

 PCの場合は、スマホほどアプリの数は多くないかもしれない。それでも常用アプリ以外は名前を覚えられない。名前順に並んでいても、日本語環境ではカタカナ表記とアルファベット表記があってややこしい。例えばバッファローのWi-Fiルーターの管理アプリの名前は「エアステーション設定ツール」で「バッファロー」をキーワードに探し出すのが難しい。

 ブラウザのお気に入りに代わってサイトのアプリ化が一般的になり、通常のアプリと同様に、サイトをピン留めしてアプリのように使うようになった今、アプリの範疇は拡がる一方だ。

 かくして、フルHD150%表示のデスクトップでは、上限19個というタスクバーボタン表示の争奪戦が始まる。ボタンをつっつくだけでダイレクトに開く特権階級のアプリの特等席だ。
さよならローカル、アプリを使うなウェブを使え

 はみ出しツールバーボタンアクセス不可については、日本マイクロソフトの広報を経由して製品担当に問い合わせてもらったところ、現時点ではWindows 11の仕様であるが、ユーザーや顧客からの改善要望もあり、今後のアップデートなどで対応できないか米国本社にフィードバックを入れているとのことだった。仕様が変わるかどうかの可否や時期は未定だが、可能性は十分あるという。

 Windowsの開発に携わる人々は、タスクバーなどほとんど使っていないのかなと思うことがある。

 IDE(Integrated Development Environment)と呼ばれる開発環境に入ったら、そこにずっといて、たまにブラウザを開く程度なのかもしれない。あのアプリ、このアプリを行ったり来たりということは、少なくとも仕事をしている最中にはなさそうだ。少なくとも、タスクバーボタンを愛用していれば、数が増えたときにはみ出したボタンにアクセスする方法を排除するという発想は生まれない。

 コンシューマは違う。今Netflixで映画を見ているかと思えば、途中で飽きて、YouTubeに切り替え、コメント欄で見つけたリンクをつついてブラウザを開いたかと思えば、Twitterのタイムラインを遡る。そして、思い出したようにFacebookやInstagramをのぞいたりする。そうこうしているうちに、翌日の用事を思い出して、WordやExcel、PowerPointを開いて作業の続きをする。もうデスクトップにどんなウィンドウが開いているのかをインスタントに把握するのは不可能だ。ブラウザも無数のタブを開いている。

 もしかしたら、WindowsはPCからローカルという考え方を排除しようとしているのかもしれない。かつてアプリは必ずローカルにあった。ファイルもローカルにあった。だからネットワークに接続していないPCでもそれなりに便利に使うことができた。

 今、インターネットに接続していないPCというのはほぼ考えられない。あれもできないこれもできないという環境の中でいつもの作業をこなすのは不可能に近い。極端な話、ローカルに何もなくてもブラウザがあればなんとかなる。かくしてWindows OSは、ファイルシステムを捨て、ファイルを捨て、アプリを捨てるつもりなんだろう。Windows 11は、その兆しとなるOSだ。

 今はまだ、ゲームのリッチな表現や、長大な撮影済み動画素材の編集などで、ローカルパワーが求められてはいるが、それが永遠に続くことはなさそうだ。

 それでもローカルパワーは必要だ。大量のデータトラフィックをさばき、それを目の前のユーザーのストレスを最小限にするよう瞬時にレンダリングして表示する。データのストリームの処理はエッジで引き受けないとクラウド側のリソースは破綻する。

 ローカルパワーの大小がどれほどPCの使い心地に寄与するかは、Chromebookを使ってみるとよく分かる。高価な高性能Chromebookと、エントリーモデルのChromebookを並べて使うと、こうもローカルパワーが使い勝手に影響を与えるのかと痛感する。Windowsもきっとそうなる。ゲーミングPCのリアルタイム感は、そんな将来のPCの使われ方への前哨戦とも言える。

編集部のおすすめ記事

3万円と10万円のChromebookでどれくらい差が出るのか?ブラウザやアプリで速さを比較検証! 』

ファーウェイ3割減収 21年12月期、スマホ落ち込み

ファーウェイ3割減収 21年12月期、スマホ落ち込み
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM310OG0R31C21A2000000/

『【広州=川上尚志】中国通信機器最大手の華為技術(ファーウェイ)は31日、2021年12月期の売上高が前期比29%減の6340億元(約11兆4千億円)程度になる見込みだと明らかにした。通年で減収となるのは直近10年間で初めて。米政府による規制の影響で、スマートフォンの出荷が大きく落ち込んだことが響いた。

同社の郭平(グォ・ピン)副会長兼輪番会長が31日に公開した22年の年頭所感で、売上高について触れた。

ファーウェイは米政府が20年9月に輸出規制を強めて以降、スマホに使う高性能な半導体の調達難が続く。同年11月には規制の影響を避ける狙いで低価格ブランド「オナー」を売却し、残る「ファーウェイ」ブランドのスマホの生産も低調なままだ。20年4~6月期にはスマホの世界出荷台数で初めて首位に立ったが、21年に入ってからは5位圏外に転落している。

ファーウェイはスマートウオッチなどの端末の販売や、電気自動車(EV)関連の技術開発などに注力し、スマホ事業の落ち込みを補う狙い。独自に開発した基本ソフト(OS)「鴻蒙(ホンモン、英語名ハーモニー)」の利用拡大にも力を入れており、同OSを搭載した自社端末は2億2千万台、対応する他社の端末は1億台を超えた。

郭氏は22年の業績の見通しについて具体的には触れなかったが、「我々は多くの食糧(収入)を生産し、困難な時期を過ごす自信がある」とした。』

中国軍指示でソフト不正購入か、元留学生に逮捕状

中国軍指示でソフト不正購入か、元留学生に逮捕状 すでに出国、国際手配へ
(2021/12/28 08:43)
https://www.sankei.com/article/20211228-AODGVXZATZJZHCMNC44N43EB3I/

『中国人民解放軍の関係者の指示で、日本製セキュリティーソフトを不正購入しようとしたとして、警視庁公安部は詐欺未遂容疑で中国籍の30代の元留学生の男の逮捕状を取ったことが、28日、捜査関係者への取材で分かった。男はすでに帰国しており、警視庁は国際手配をする方針。警視庁は中国がサイバー攻撃をしかけるにあたり、日本製ソフトの脆弱(ぜいじゃく)性を把握しようとしたとみて調べている。

捜査関係者によると、男は平成28年、架空の日本企業名を使うなどして日本製セキュリティーソフトを不正に購入しようとした疑いが持たれている。販売元は法人登記の確認ができないことなどから販売しなかった。

28~29年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)など国内約200の航空・防衛関連組織や大学などが狙われた大規模なサイバー攻撃があり、警視庁は今年4月、私電磁的記録不正作出・同供用の疑いで、中国籍の30代の男を書類送検した。

一連の被害は手口から、中国人民解放軍のサイバー攻撃専門部隊「61419部隊」の指揮下にある「Tick」と呼ばれるハッカー集団が関与したとみられる。今回の事件では、元留学生の男は61419部隊の関係者から指示を受けていたとみられる。』

みずほが「キングギドラ」と呼ばれた理由

みずほが「キングギドラ」と呼ばれた理由、旧行意識でポストが“3の倍数”だらけ
https://diamond.jp/articles/-/286920?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=2022newyear

 ※ なるほど、「ポストの数」の問題もあるわけだ…。

 ※ 強力な、「統合を邪魔する行動」の「動因」となるな…。

『みずほが、不祥事を何度繰り返しても生まれ変われず、金融庁に「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」と企業文化を酷評されるに至ったのはなぜか。その真相をえぐる本特集『みずほ「言われたことしかしない銀行」の真相』(全41回)の#17では、みずほの旧3行が繰り広げた壮絶なポスト争いを取り上げる。

持ち株会社のみずほホールディングスが誕生し、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行は翌年に分割・合併し、二つの銀行に再編される――。その当時まで時をさかのぼろう。
「旧行意識に固執し、統合の足を引っ張る人材は管理職としての資格を失うことになる」と、みずほ首脳は断言していた。ところが株式市場でみずほはその時、3本の首を持つ怪獣「キングギドラ」になぞらえられていた。

「週刊ダイヤモンド」2001年9月1日号特集「「興銀・一勧・富士 取引先100万社を巻き込む!『みずほ』統合の暴風」を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの。』
『3行統合直後のみずほで持ち上がった

ミドルのポスト争い「50年問題」

 みずほグループのなかで、「50年問題」が、ミドルの話題に上っている。昭和50(1975)年入行、2001年の今年50歳の声を聞く行員が、前後の年次に比べて多いのだ。

 昭和50年入行といえば、第一選抜組はすでに部長になっており、遅れている人でも、まだ昇格を狙える位置にある。しかし、ただでさえ人が多いうえに、肝心のポストがまるで足りない。なぜなら、2002年4月の分割合併以降、持ち株会社であるみずほホールディングスは500人程度の小所帯になる。理屈でいえば、残るみずほコーポレート銀行、みずほ銀行のポストを3行で奪い合う構図だ。

次のページ
「旧行意識を排除」と叫びつつ、ポストが3の倍数で決まる不条理

(※ 有料会員限定記事。無料は、ここまで)』

伝えられるところによると、Steamは中国で禁止されています

伝えられるところによると、Steamは中国で禁止されています
ステイシー・ヘンリー
2日前に公開
https://www-thegamer-com.translate.goog/steam-banned-china-christmas-day/?_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=op

『(※ 翻訳は、Google翻訳)

中国のプレイヤーは、Steamがブラックリストに登録されたと報告しています。
Steam Logo.Jpg

更新25/12/2114:07 GMT:一部の矛盾するレポートは、これはDNS攻撃の結果であり、意図的な禁止ではないと主張しています。詳細がわかり次第、このストーリーを更新します。

中国のプレイヤーは、SteamストアフロントとすべてのSteamコミュニティページがブラックリストに登録されていると報告しています。これは、中国ではアクセスできなくなったことを意味します。2月に、Steam Chinaが発売され、ゲームのコレクションははるかに少なくなりました。このサイトはまだ稼働していますが、はるかに多くのゲームが提供されている完全なSteamサイトであるSteam Globalは、クリスマスの日に国内でオフラインになりました。

この動きは驚きですが、過去12か月間のビデオゲームに関する中国政府の行動のパターンと一致しています。Fortniteは今年11月15日に中国で閉鎖されました。子供たちは週に3時間のゲームに制限され、暗号通貨は禁止されました。新しいゲームの開発を許可するためには、「女々しい男性」の存在など、反中国的であると考えられるいくつかの要素がないようにする必要がありました。制限の2か月後、承認されたゲームは1つもなかったと報告されました。

今日のTHEGAMERビデオ

関連している:
ゲーム業界に対する中国の影響は甚大になるだろう
Dota2 and CS:GO, two of the most popular games in China, are both on Steam China and will be largely unaffected by this decision. However, many other games, especially by smaller developers, rely on the huge audiences China offers in order to stay afloat. For example Monster Hunter World, by no means a small title, has more Chinese reviews on Steam than it does English language ones. Of the ten most recent reviews for It Takes Two, Game of the Year winner at The Game Awards, nine of them are Chinese. Call of Duty Mobile, though a mobile game and therefore not affected by Steam, has as many players in China as it does in the rest of the world combined. The nation is a huge market for developers, but without Steam, this market has been virtually snuffed out overnight, on Christmas Day.
via: esportsranks.com

The fact the site is blacklisted means Steam is not just temporarily down, but has been deliberately banned. Confirmation of this has been shared by users on Twitter, ResetEra, and Reddit.

これが今後の中国のゲームにどのように影響するかは不明です。ほとんどの場合、Steamチャイナに着陸できます。つまり、国内で販売できますが、Steamグローバルへの開発者のアクセスがプレーヤーのアクセスと同じくらい制限されている場合、中国の開発者は中国国外の開発者と提携して着陸する必要があります。メインのSteamサイトで-そしてそうすることはSteamChinaを見逃すリスクがあるかもしれません。また、これが、中国の国家元首である習近平への言及を軽蔑するためにSteamから悪名高く削除されたホラーゲームであるDevotionにとって何を意味するのかは不明です。

明らかなことは、これがおそらく中国のゲーム業界に対する最大の制限であるということです。

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ゲーム業界は本当に忌避的です
ノーウェイホーム
スパイダーマン:ノーウェイホームはMCUが最悪です
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マトリックスレザレクションズにはゲームアワードのイースターエッグがあります

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獲物-複数のプレイ可能なキャラクターを示すTyphonHunterカバーアート
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申し訳ありませんが、ブロックは2021年に完全にキャンセルされます
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グランブルーファンタジーヴァーサス:ビラムーブリストと攻略本
業界で次を読む 』

[FT]公開ソフト、課題は保守 脆弱性克服へ技術・法支援

[FT]公開ソフト、課題は保守 脆弱性克服へ技術・法支援
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB204P40Q1A221C2000000/

 ※ 「オープンソース」の「死角」は、こういうところにもある…。

 ※ 大手または有名どころのソフトは、少なくとも「問題が生じた場合」の「交渉の相手方」は、明確だからな…。

 ※ それも、「事前の承認」で、「放棄させられている」ことが多いが…。

 ※ まあ、最後は「保険」に頼る他は無いんだろう…。

 ※ おそらく、その「保険」すら、「責任限定の特約」まみれなんだろうが…。

『世界はオープンソースのソフトウエアで動いている。社会で幅広く使われるソフトを、ボランティアのプログラマーが自主運営する集団を通じて、無償で開発・保守するのがオープンソースの大まかな運用手法だ。
オープンソースのソフトウエアは世界のインターネットを支える重要な位置を占めている
一見するととんでもない、社会実験として始まったこの手法は今やIT(情報技術)の中心的存在となった。最近の平均的な応用ソフトにはオープンソースで開発されたソフトが500以上も組み込まれている。

それだけに、オープンソースの時代が始まってから20年以上たった現在、専門家ですら驚くような情報セキュリティーの欠陥がみつかることは憂慮すべき事態だ。
従来と異なるインセンティブが必要に

オープンソースの世界では既存の管理体制が通用しない。品質と安全性を担保するにしても、開発者の集め方や、報酬などは従来と異なるインセンティブ(動機づけ)が必要になる。

現在、ブロックチェーン(分散型台帳)技術がITにおける新たな分散化の潮流となりつつあるなか、自主運営のプログラマー集団が必ずしも常に社会に幅広く恩恵をもたらすとは言えなくなっている。

オープンソースの基本ソフト(OS)を手がけるリナックス財団エグゼクティブディレクターのジム・ゼムリン氏の一言が正鵠(せいこく)を射ている。「権限が分散している自主運営の集団の中で、誰が責任を取れるのか」

我々をはっと気づかせた直近の例は、11日に明らかになった「Apache Log4j(アパッチログフォージェイ)」のセキュリティー上の欠陥だ。

Log4jはあまり知られてはいないが幅広く使われているソフトで、オンラインのサービスや応用ソフトの利用状況の記録管理という目立たない仕事をする。

だが、この無害そうにみえるソフトウエアが突如、この10年ではオンラインセキュリティー上の最大の脅威となった。このソフトを搭載している世界中のコンピューターが100万回以上ハッキングされ、これまで知られていなかった脆弱性が明らかになったのだ。

Log4jの保守は、普段は米データ分析大手パランティア・テクノロジーズや米IT大手オラクルなど企業の開発者がパートタイムで担っている。

世間的に注目される知名度の高いプロジェクトではないため、外部から多額の資金を集めてはいない。ある開発者はツイッターで、資金を提供する支援者が3人しかいないと嘆いた。
組み込まれていることを知らない場合も

このように資金を含め支援を十分に受けていないソフトが世界のインターネットのインフラを支える重要な位置を占めているとすれば、Log4j以外にもセキュリティーに欠陥のある「時限爆弾」はどれほどあるのだろうか。

これは当てずっぽうな答えを口にすることさえはばかられる、厄介な疑問だ。

Log4jを公開している米アパッチソフトウエア財団(ASF)だけでも約350件のオープンソースプロジェクトを抱えている。こうしたプログラムを他の多数のプログラムと組み合わせて、利用者が最終的に購入する応用ソフトが作られる。

つまり、多くの組織の中で、Log4jなどのプログラムが、組み込まれていることさえ認識されずに使われている可能性がある。オープンソースのサプライチェーン(供給網)の透明性と統制を強化する取り組みは最近始まったばかりだ。

アパッチには以前にも同様の不祥事があった。2017年に米消費者信用情報大手エクイファクスから史上最大規模の個人情報が流出した問題はアパッチのプロジェクトの一つ「Apache Struts(アパッチストラッツ)」の脆弱性が悪用されたことが原因だった。

だからと言ってオープンソースのソフトの方が、設計図のソースコードが非公開のソフトに比べてセキュリティーが低いというわけではない。両者は本質が異なるのだ。その違いを理解した上で、どう使いこなすかは今なお模索している段階だ。

問題の一つは開発者の動機づけだ。ソフトウエア開発者のエリック・レイモンド氏はオープンソース時代の初頭に出版された影響力の大きい著書「伽藍(がらん)とバザール」の中で「(監視する)人の目が十分にあれば、どのようなバグも深刻ではない」と記した。

同氏はソフトの透明性を高めれば理論上は欠陥をみつけやすくなるとも論じた。だが、Log4jなどの地味なプログラムについて、バグをみつけるために訓練を受けたいという開発者はいるのだろうか。

懸念すべき一つの点は、安全なプログラムを書き、欠陥をみつけることに対する金銭的対価が低すぎることだ。

だが、これは杞憂(きゆう)かもしれない。IBM傘下の米ソフトウエア大手レッドハットのクリス・ライト最高技術責任者によると、最重要なオープンソースソフトウエアの大半は、自社製品でそれらを使っている企業で働く専業の開発者が保守しているという。

また、大企業はオープンソースの開発者を支援できるだけの資力は十分にあり、問題はむしろ多数の小さなプログラマー集団をみつけだして関係を維持することだという見方もある。同時に、ボランティアのプログラマーは金銭が目的ではなく、誰にも邪魔されず独りで自由に開発したいという人が多い。


オープンソースという手法をアップデート

金銭で解決できないとすれば、それ以外の支援が必要となる。開発者がセキュリティーの高いプログラミング技術を進んで身につけるような動機づけも必要だ。Log4jなどの失敗がもたらす悪評はプログラマーたちに対する警鐘となる。

アパッチ財団は他のオープンソース団体と同様、自らの傘下で公開しているプロジェクトの運営と資金調達を個々のプログラマー集団に委ね、そのための技術インフラや法的支援を用意している。

一方、リナックス財団は約300人の従業員を抱えて開発者のためのトレーニングを実施したりプログラムの品質維持に使うツールを開発したりしている。アパッチにはこうした経営資源がない。より多くの開発者がこうした支援を受けられるようにすべきだ。

オープンソースの開発者は自らの独立性を重んじる。だが、彼らが開発するソフトは今やビジネスや社会で中心的な役割を果たしている。オープンソースという手法そのものを最新版にアップデートしなければいけない。

By Richard Waters

(2021年12月17日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2021. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.
英フィナンシャル・タイムズ(FT)と日経新聞の記者が、アジアのテクノロジー業界の「いま」を読み解くニュースレター「#techAsia」の日本語版をお届けします。配信は原則、毎週金曜。登録はこちら。

https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=B009&n_cid=BREFT053 』

FTC、英アームの買収阻止へ 米エヌビディアなど提訴

FTC、英アームの買収阻止へ 米エヌビディアなど提訴
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN0304I0T01C21A2000000/

 ※ 『エヌビディアの競合もアームの技術に依存しており…』…。

 ※ 『エヌビディアの競合』って、AMDのことか…。

 ※ GPUって、アームの設計技術を使っていたっけ…。

 ※ ちょっと、よく分からない…。

 ※ それよりも、「米連邦取引委員会(FTC)」というものは、こういう「海外企業の買収」に対しても、「差し止め」ができる権限を持つんだな…。

 ※ そのことに、ちょっと驚いた…。

『【ラスベガス=白石武志】米連邦取引委員会(FTC)は2日、米半導体大手エヌビディアによる英半導体設計アームの買収計画をめぐり、反トラスト法(独占禁止法)に基づき差し止めを求める訴訟を起こした。両社の統合は「競合する次世代技術を阻害する」などと主張した。アームを傘下に持つソフトバンクグループ(SBG)の戦略にも打撃となる。

【関連記事】
・AI半導体、覇権狙うエヌビディア アーム買収
・ソフトバンクG、英アーム売却発表 米エヌビディアに

FTCは訴状で、幅広い半導体メーカーに設計技術を供与するアームについて「半導体業界のスイスと呼ばれる」と指摘。エヌビディアの競合もアームの技術に依存しており、買収を認めれば「技術支配力を利用して競合他社を弱体化させる能力と動機を与える」と主張した。

競争が阻害されることで最終的には品質の低下や価格の上昇を招き、アームの技術を使った製品の恩恵を受けている「数百万人の米国人に損害を与えることになる」と指摘した。乗用車向けの運転支援システムや、クラウドサービスを支えるデータセンター向けCPU(中央演算処理装置)の競争などで悪影響を懸念しているという。

エヌビディアなどは2020年9月にSBGからアームを最大400億ドル(約4兆5000億円)で買収すると発表した。アームが保有する半導体の設計技術を手に入れ、人工知能(AI)の計算に使う省電力の半導体で競争力を高める狙いだった。業界では発表当初から「アームの中立性が失われる」との懸念が出ており、米クアルコムなどが反対していた。

提訴の是非を判断する採決に参加した4人のFTC委員は全員が買収阻止に賛成した。提訴に踏み切るまでの調査にあたっては、欧州連合(EU)や英国、日本、韓国の競争当局と緊密に連携したという。FTCは、訴訟は22年8月に始まるとしている。

エヌビディアは同日、「FTCの手続きが次の段階に進むにあたって、我々はこの(買収)取引が業界に利益をもたらし、競争を促進するものであることを示す努力を続ける」と述べた。同社の株価は前日比2.2%高で引けた。アーム側はコメントを避けた。』

マイクロアーキテクチャ (micro-architecture)

マイクロアーキテクチャ (micro-architecture)
最終更新日: 1999/05/27
https://atmarkit.itmedia.co.jp/icd/root/78/7205278.html

 ※ 漠然としたイメージはあったが、キッチリと「定義」を聞いたのは初めてだ…。

 ※ ちょっとウレシかったんで、貼っておく…。

 ※ 「CPUの設計者」視点なんだな…。

『マイクロプロセッサにおいて、命令を実行・処理するための内部的なアーキテクチャのこと。

命令セットアーキテクチャ(ISA)が、プログラマの側から見たプロセッサの構造を定義しているのに対して、

マイクロアーキテクチャでは、内部的なプロセッサの構造を定義する。

同じ命令セットアーキテクチャを持つプロセッサでも、さまざまなマイクロアーキテクチャが考えられる。

例えば、同じx86アーキテクチャのプロセッサでも、Intel社はもとより、各メーカーからも、マイクロアーキテクチャの異なるさまざまなx86互換プロセッサが開発され、販売されている。

 マイクロアーキテクチャでは、命令コードを実行するための内部的な構造を定義している。

たとえば、命令コードのデコード・実行に際して、マイクロプログラム方式を使うのか(CISC系のプロセッサに多い)、

ワイヤードロジック方式を使うのか(RISC系のプロセッサに多い)、

それともいったんRISC風の単純な命令に分解してから実行するのか、などといったものから、

パイプラインの機能と構成、

スーパーパイプラインやスーパースカラーアーキテクチャを使うかどうか、

使うならその構造はどうするのか、

命令実行ユニットや浮動小数点演算、

マルチメディア処理機能の実装やその構成方法、

レジスタリネーミングや分岐予測機能とその実現方法、

キャッシュの量とその構成、

バスインターフェイス、キャッシュインターフェイス、

割り込み機能、

そして実装に利用されるテクノロジなどとの兼ね合いによる機能の取捨選択(トランジスタ数やチップ面積、

使用するプロセス、消費電力、設計のためのツールや

人的・資金的リソースによる制限、他)など、

マイクロアーキテクチャレベルで考慮しなければならない事項は非常に多岐に渡る。』

歴代のWindowsにガチのマジで無能なやつが1つあったよな

歴代のWindowsにガチのマジで無能なやつが1つあったよな
http://blog.livedoor.jp/bluejay01-review/archives/58648660.html

 ※ 今日は、こんなところで…。

※ この手の「○○は、酷かった…。」話しは、キリ無く語ることができる…。

※ Windowsもさることながら、Macは輪をかけて酷かった…。

※ 「コントロール+Sが、全てを救う…。」とか、ふざけるな!という感じだった…。

※ しかも、何かにつけて、「高くつく」しな…。「信者」じゃなければ、ついて行けないよ…。

※ ちょっと、「調子が良ければ」、「調子に乗って、いろんな仕事をさせる」…。

※ それがまた、「加重負担」になって、マシンの「能力」を超えて、「ハングアップ」する…。

※ それの、永遠の「繰り返し」だ…。

※ 今では、もう、「激しい仕事」は、させなくなったんで、「平和」なものだ…。

※ 「外部からの攻撃(?)」は、あるがな…。

※ それを、「躱(かわ)して行く」のも、楽しみだ…。

量子コンピュータはなぜ速いのか?

量子コンピュータはなぜ速いのか?
https://www.mki.co.jp/knowledge/column101.html#:~:text=%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%AF%E3%80%81%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%81%8C%E6%8C%81%E3%81%A4%E6%80%A7%E8%B3%AA%E3%80%8C%E9%87%8D%E3%81%AD%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%82%82%E3%81%A4%E3%82%8C%E3%80%8D%E3%82%92%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E9%AB%98%E9%80%9F%E8%A8%88%E7%AE%97%E3%81%AE%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%20%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%80%8C%E9%87%8D%E3%81%AD%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%81%EF%BC%91%E3%81%A4%E3%81%AE%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E3%80%8C0%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C1%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%92%E5%90%8C%E6%99%82%E3%81%AB%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%80%A7%E8%B3%AA%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82,%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%92%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E9%99%90%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%20%E5%A4%A7%E9%87%8F%E3%81%AE%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%92%E5%90%8C%E6%99%82%E3%81%AB%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%80%81%EF%BC%91%E5%9B%9E%E3%81%AE%E8%A8%88%E7%AE%97%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%A7%E5%90%8C%E6%99%82%E3%81%AB%E5%87%A6%E7%90%86%E3%81%99%E3%82%8B%20%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 ※ 「量子コンピュータ」については、分かりたいと思っている…。

 ※ それで、ボチボチ文献読んだり、資料収集したりはしている…。

 ※ しかし、どうも、「今一つ」なぜ「演算速度」が速くなるのかが、理解できないでいる…。

 ※ 今回、なんとなく「イメージが掴めそうな」画像に当たったんで、途中段階ではあるが、貼っておくことにする…。

※ 最後の説明だと、「2量子(クァンタム)bit」だと、「00」「01」「10」「11」の「4パターン」を表現(保持)していることになるから、それの「量子(クァンタム)bitとしての演算」は、「00」「01」「10」「11」の「4パターン」を順次別々に取り扱って「演算」するよりも、「一気に取り扱う(演算する)こと」ができて、「速い」と言っているようでもあるんだが…。

※ そういう理解で、いいんだろうか…。

〔Windows 11 関連情報〕

「Windows 11」の動作要件
https://http476386114.com/2021/06/28/%e3%80%8cwindows-11%e3%80%8d%e3%81%ae%e5%8b%95%e4%bd%9c%e8%a6%81%e4%bb%b6/

Windows 11で必須になった「TPM 2.0」って何?
https://http476386114.com/2021/07/01/windows-11%e3%81%a7%e5%bf%85%e9%a0%88%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8ctpm-2-0%e3%80%8d%e3%81%a3%e3%81%a6%e4%bd%95%ef%bc%9f/

TPM2.0で、Windows11導入不適合判定されるPCが続出
https://http476386114.com/2021/07/01/tpm2-0%e3%81%a7%e3%80%81windows11%e5%b0%8e%e5%85%a5%e4%b8%8d%e9%81%a9%e5%90%88%e5%88%a4%e5%ae%9a%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8bpc%e3%81%8c%e7%b6%9a%e5%87%ba/

Windows 11はなぜTPMが必要で、CPU制限が厳しいのか?
https://http476386114.com/2021/07/06/windows-11%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9ctpm%e3%81%8c%e5%bf%85%e8%a6%81%e3%81%a7%e3%80%81cpu%e5%88%b6%e9%99%90%e3%81%8c%e5%8e%b3%e3%81%97%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b/

Windows 11からWindows 10に戻す方法(ダウングレード)

Windows 11からWindows 10に戻す方法(ダウングレード)
https://pc-karuma.net/downgrade-from-windows-11-to-windows-10/

[Windows11] アップグレード前のWindows10に戻す方法はありますか?
https://faq.mypage.otsuka-shokai.co.jp/app/answers/detail/a_id/311870/~/%5Bwindows11%5D%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E5%89%8D%E3%81%AEwindows10%E3%81%AB%E6%88%BB%E3%81%99%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B%EF%BC%9F

 ※ 11にするんだったら、こういう情報もちゃんと調べて、準備万端整えてからにした方がいいぞ…。

 ※ 大概、なんかしらの「不具合」は出るからな…。

TPM 2.0 とは?利用中のPCのTPM2.0が有効なのか調べる方法とTPM2.0を有効化する手順

TPM 2.0 とは?利用中のPCのTPM2.0が有効なのか調べる方法とTPM2.0を有効化する手順
https://tanweb.net/2021/06/26/41315/

※ ここのサイトに、大体の手順が載っている…。

※ コンパネから降りて、「デバイスマネージャー」で表示させた。

※ 「TPM」とは、「トラステッド・プラットフォーム・モジュール」の意味だったんだな…。

※ BIOS弄ったら、自動でデバドラ(?)がインストールされたようだ…。自分で入れた記憶は、無い…。ちゃんと、機能しているようだ…。

※ 前にも書いたが、各サイトの.htmlの表示が、「ややモッサリした」感はあった…。

※ もう、慣れたが…。

Windows 11でできなくなること

Windows 11でできなくなること レジストリエディタで一部対処可能
http://blog.livedoor.jp/bluejay01-review/archives/58621935.html

 ※ タスクバー関係で、多くの機能を削ったんだな…。

 ※ 今のところ、Armのアプリにも対応していないようだし、メリットはあまり感じられない…。

 ※ BIOS弄って(いじって)、TPMには対応させているんで、当分は様子見だな…。

『Windows 11 は見栄えがよく、うまく機能しています。ただし、Windows10からWindows11に引き継がれない特定の機能があります。

Windows11タスクバーはこれらの機能を失いました

1]タスクバーの位置は固定されています

Windows11では、タスクバーの位置は画面の下部にのみ固定されています。以前は、その位置を左、右、上、下に変更できます。
これを行うためのオプションは完全に削除され、タスクバーは画面下部の位置に制限されます。

2]タスクバーアイコンなしサイズオプション

サイズを感じたときタスクバーアイコンの数が大きくなっているので、外観を[小さく]に変更できます。
現在、Windows 11では、タスクバーのアイコンのサイズが固定されており、小さなアイコンに変更することはできません。

3]開いているWindowsのグループ化を解除できません

以前のWindowsバージョンのタスクバー開いているウィンドウを複数のアイコンで表示したり、開いているウィンドウのグループを解除したりするオプションがあります。
グループ化解除機能は、主にユーザーが異なるタブで複数のWebページを閲覧するのに役立ちます。この機能は、新しいWindows11タスクバーで完全に削除されました。

4]タスクバーのアプリにファイルをドラッグして開くことは無効になっています

タスクバーのアプリのアイコンにファイルをドラッグして、そのアプリを使用してファイルを開くことができます。これは、Windows10タスクバーの最高の機能の1つです。
残念ながら、ファイルをタスクバーにドラッグすることはできません。実行しようとするとクロスマークが表示されます。

5]日時は1台のモニターにのみ表示されます

複数のモニターを使用している場合、以前はWindows 10の両方のモニターの時刻と日付。ただし、Windows 11では、時刻と日付は1台のモニターにのみ表示されます。

ゲームをプレイしてタスクバーを非表示にすると、問題が発生します。 2台目のモニターに時刻と日付が表示されません。

続きはソース元で
https://br.atsit.in/ja/?p=102524 』

〔こういうメール来た…。〕

 ※ これで、2回目だ…。

 ※ クワバラ、クワバラ…。

 ※ ヒトの「弱った心理」につけ込む輩が、ウジャウジャいるんで、気を付けよう…。


 ※ まあ、第一、オレはLINEをやらないんで、ⅠDとかにもアクセスできんのよ…。

『タイトル:在宅勤務に適したアルバイトですc

こんにちは、 新型コロナのせいでお金を使い果たしましたか?暇な時間にお金を稼ぎたいですか?携帯一つと仕事に対して真剣に取り組む姿勢が必要です。毎日2万円から4万円ぐらい稼げます。LINE ID:a58※※※※』

 ※ メールの発信元、調べると、あの某国だ…。

 ※ まあ、「注意:発信元の情報は正しくないことがあります。また、迷惑メール類では偽装されていることがあります。参考程度に見てください。」という程度の調査なんだが…。

真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生

真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生
真鍋淑郎 2021年ノーベル物理学賞受賞者インタビュー【中】
https://diamond.jp/articles/-/284204

 ※ はぁ…。この人、フォン・ノイマンの「孫弟子」だったんだな…。

 ※ フォン・ノイマン―ジョセフ・スマゴリンスキー―真鍋淑郎…、という「系譜」か…。

 ※ 『「コンピュータの父」ともいわれるフォン・ノイマンが、コンピュータを応用する最適な分野として気象予測を選び、プリンストン高等研究所に世界中から優秀な若手研究者を呼び集めていた。』…。

 ※ ある意味、フォン・ノイマンの「慧眼」が取らせた「ノーベル賞」という側面もあるな…。

 ※ 『大ざっぱな計算だが、40年間の滞米生活で気象研究のために使った研究費はざっと150億円。このうち約半分をスーパーコンピュータの使用料が占め、年間当り平均で2億円近くをコンピュータ代に使ってきた勘定になる。これだけ膨大な資金を、日本からやってきた一人の気象学者に注ぎ込むアメリカの研究体制――真鍋はつくづく、この国の持つ多様性というか、懐の深さを痛感せずにはいられない。』…。

 ※ 『給料も天国だった。日本の中央気象台の大卒初任給が8200円だったのに対し、米国気象局の給与は月額600ドル。当時の為替レート(1ドル=360円)で換算すると21万6000円に相当し、日本に比べてなんと26倍の高給を食んでいたことになる。』…。

 ※ 「ノーベル賞(人類の進歩と幸福に貢献したと評価できる研究に与えられる)」なんてものは、そういう中から、生まれるんだな…。

 ※ もちろん、「気候モデル」における「大気の3次元柱モデル」の計算処理と、スパコン(それも、ベクター型)の潤沢な使用が、ピッタリとマッチした(スパコンの潤沢な使用≒ノーベル賞級の研究成果の叩き出し…、というものでは無い)という側面があるのだろうが…。

 ※ 一方、「日本型研究システム」とは、『 97年9月末に赴任して以来、地球フロンティア研究システムでの研究は4年になろうとしているが、自由闊達な雰囲気とはほど遠い何かを感じざるをえない日々を過ごした。それはスマゴリンスキーのような名伯楽がいるいないという単純な理由ではなく、日本の社会システム全体にどっかりと根を下ろす『見えざる壁』ともいえる存在によるものだった。

 真鍋自身の経験に照らして、理由はいくつか挙げられる。まず、国の科学研究費配分の問題がある。日本では官僚が予算を取って、能力や業績に関係なく悪平等で研究費を配分する。大御所といわれる先生のもとには多くのカネがつき、気に入られた子分だけにカネが流れる仕組みだ。

 そこには、米国流のピア・レビューが働かない。日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ、研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため、そこそこの研究成果で満足し、大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。』…、というようなシロモノらしい…。

 ※ まあ、「ノーベル賞級」の「頭脳」を招聘したとしても、「システム」がこれじゃあ、「ノーベル賞級の研究成果」は、生まれないだろう…。

『戦後の就職難で渡米、最高の上司と研究環境との出会いで
1~2年の滞在予定が40年に延びた

「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」――地球フロンティア研究システムの真鍋淑郎・地球温暖化予測研究領域長の研究者人生を振り返るとき、これほど的を射た表現はほかに見当たらない。

 大ざっぱな計算だが、40年間の滞米生活で気象研究のために使った研究費はざっと150億円。このうち約半分をスーパーコンピュータの使用料が占め、年間当り平均で2億円近くをコンピュータ代に使ってきた勘定になる。これだけ膨大な資金を、日本からやってきた一人の気象学者に注ぎ込むアメリカの研究体制――真鍋はつくづく、この国の持つ多様性というか、懐の深さを痛感せずにはいられない。

 愛媛県新宮村に生まれた真鍋は代々医者の家系に育った。祖父も父も兄も医者という家庭環境のなかで、当然自分も医者になるものと小さいころから思い込んでいた。旧制三島中学(現県立三島高校)4年修了時に大阪市立医大に合格し、入学手続きをとって医者になるための勉強をスタートした。

 ところが、どうもこの世界が自分の性分に合わないことに気づき始めた。まず日本の医学教育が暗記中心の学問であることに幻滅を感じた。それに医者は緊急事態に対して冷静で的確な判断を求められるが、そういう状況になればなるほど平静でいられなくなる自分を意識した。

 本人の言葉を借りれば、「記憶力は悪いし手先は不器用だし、いざとなると頭にカッと血が上って何をしていいかわからなくなる性分」が、入学早々から心の内で医者への道を断念させていた。ほとんど「腰掛け状態」だった医大生活の1年後、たまたま大学が旧制から新制に切り替わる時期に当たり、この機会をとらえて自分に合った学問の分野に進路変更しようと決心した。

「とにかく自分の性格から考えて、時間を十分にかけ、じっくり問題に取り組める研究者の道が一番合っていると思った。データに基づいて自然現象の謎を解くことには子どものころから興味があり、これらの条件を満たせるのは物理学の世界ではないかと考えた」

 新制に替わった東京大学の試験に受かり、1949年春、第一期生として入学した。その際の喜びとは裏腹に、真鍋が有能な医者になることだけを楽しみにしていた父親のがっかりした顔が、脳裏に残っていまだに忘れることができないという。

 専門課程に進む際、真鍋には理論物理学に進むか、地球物理学に進むか二つの選択肢があった。東大に入学した年、湯川秀樹博士が日本人初のノーベル物理学賞に輝き、理論物理学が脚光を浴びている時期でもあった。しかし、「数学のできる優秀な人でないと理論物理学は無理」とあきらめて、地球物理学を最終的な専攻科目に選んだ。』

『大学院時代に米国気象局からスカウト

日本に職が無く「1~2年の予定」で渡米

 学部から大学院に進み、天気予報の精度を高める研究に没頭しながら博士号取得に向けたいくつかの論文をまとめた。そうした博士課程修了直前の58年初め、米国海洋大気庁(NOAA)の前身である米国気象局のジョセフ・スマゴリンスキー博士から招待状が届いた。真鍋が55年に発表した論文が彼の目にとまり、「アメリカでいっしょに仕事をする気はないか」という渡米を勧める誘いの手紙だった。

 当時の日本は、まだ敗戦の爪痕も生々しい戦後の混乱期で、大学を出てもほとんど職がないのが実情だった。まして専門が気象予測となると就職先も限られ、中央気象台(気象庁の前身)に入るか、大学に残って学者の道を歩むか、選択肢がきわめて限られていた。

 ところが、最も大きな受皿になるはずの中央気象台は、陸軍や海軍の気象部に在籍していた『残党』を抱え込み、ほかに行き場のない職員であふれ返っていた。仮に真鍋がそこに入っても、「10年後、20年後もペーペーのまま」の可能性が高く、とても就職しようという気持ちが起きなかった。

真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生2001年9月29日号誌面

 一方、この時期のアメリカは「スプートニク・ショック」の真っただなかにあった。旧ソ連に人工衛星の打上げで先を越され、国を挙げて追いつき、追い越せと、科学技術予算が湯水のように付いた時代だった。61年にはケネディ大統領が「アメリカは今後10年以内に人類を月に送る」と宣言し、自然科学の分野は研究予算も研究レベルも黄金時代を迎えようとしていた。

 加えて、コンピュータも日進月歩の発展を遂げるスタートラインにあった。「コンピュータの父」ともいわれるフォン・ノイマンが、コンピュータを応用する最適な分野として気象予測を選び、プリンストン高等研究所に世界中から優秀な若手研究者を呼び集めていた。「今思うと研究者には夢のような時代」に、一大学院生だった真鍋にも正式にお呼びがかかったのである。

 招待状を送ってくれたスマゴリンスキーはノイマンの最も若い弟子に当たり、そのころすでに米国気象局で、数値データに基づいた長期予報の研究に携わっていた。日本で職がないことを考えると、この誘いは真鍋に魅力的なものと映り、とりあえず「1~2年のつもり」で招きに応じる決意をした。』

『背水の陣で渡ったアメリカに

理想の研究環境があった

 いざ現地に赴いてみると、そこは『天国』のようであった。日本だけでなく、ヨーロッパやインドなどからやってきた若い研究者にものびのびと研究させ、競争心を刺激し合う自由闊達な研究風土にあふれていたからだ。

 給料も天国だった。日本の中央気象台の大卒初任給が8200円だったのに対し、米国気象局の給与は月額600ドル。当時の為替レート(1ドル=360円)で換算すると21万6000円に相当し、日本に比べてなんと26倍の高給を食んでいたことになる。

 渡米した当時の心境を、真鍋は今こう振り返る。

「あの招待状は、今からみればたいへんすばらしいチャンスのように思えるが、本人の気持ちはそんな浮ついたものではなかった。むしろ日本に職がなく、背水の陣でアメリカに渡ったというのが正直なところだった。でも実際に行ってみると、外国から来た青二才の若者に好きなように研究させてくれた。多額の研究費も出て、研究一筋の毎日を送ることができた。20代後半にあの環境で研究できたことが今の自分につながっていると思う」

 コンピュータの発達と歩調を合わせるように、真鍋の気象研究は未開拓の分野を切り開いていった。気象局、そして地球流体力学研究所(GFDL)で、常に世界最高速のスーパーコンピュータを使い続け、それまでどちらかというと考古学的な学問だった気候変動の研究を、理論に基づいて数値モデル化する「大気科学」の土俵に乗せていく『先兵』の役割を果たした。

 そうした地道な研究の成果が、やがて67年の温暖化予測の先駆けとなる記念碑的な論文に結びつき、さらに69年の大気・海洋結合モデルへと発展していった。初め1~2年つもりで始めた米国生活は、研究三昧の日々が続くうちに10年、20年……と積み重なり、いつしか40年の長きに及んだわけである。

 もちろん、それは真鍋が「生涯の恩人」と仰ぐスマゴリンスキーの陰の支えがあったからこそ可能だったともいえる。GFDL初代所長で真鍋より7歳年上のこの気象学者は、今もプリンストン近郊で悠々自適の毎日を送っているが、この恩人を語る時の真鍋の表情はいつにも増して輝いて見える。

「こんな上司に仕えたら最高と思わせる典型的な人物だ。いい研究をすると徹底的にほめてくれるし、成果が上がらなくても決して『クビだ』などと批判的なことは言わない。しかも、部下に対して『雑用はしなくていい。それはオレ一人でたくさんだから、ともかく君たちは研究に没頭するように』と口癖のように言っている人だった。」

最高の上司との出会いでスピード出世

36歳で『大統領任命対象公務員』に昇格

 真鍋は渡米してから昼夜兼行で、ひたすら研究三昧の日々を送ったが、最初の8年間ほどはこれといった論文も書けず、精神的に不安定な状態が続いた。米国気象局は1年ごとの契約更新だっただけに、「今年中にほかの仕事を探して出ていくしかないかもしれない」と思い詰めた時期が何回かあったが、スマゴリンスキーは「いい研究をやっている」とほめるばかりで、叱責することは皆無といってよかった。』

『実際の研究でも、雑用のすべてを彼1人でこなしてくれた。特に真鍋らが感謝してやまなかったのは、他の研究所との争奪戦を繰り広げながら、常に最新鋭のコンピュータを導入してくれるその類い稀な力量にあった。

「数値モデルの計算に、その時々の最高速のスーパーコンピュータを使い放題使えたのは、本当に研究者冥利に尽きる喜びがあった。しかも、アメリカは専門家による相互評価(ピア・レビュー)が厳しい国だから、研究の提案書作成はたいへんな仕事だが、それも彼が一手に引き受けてくれた。GFDLで獲得した研究費の3分の1を私のグループに配分してくれて、やりたい研究が好きなだけできて、いい結果が出るとほめてくれる、こんなすばらしい上司がいますか?」

 もちろん真鍋が「成果が上がらないと居づらくなる無言の圧力があった」と述懐するように、真鍋自身の実力や努力が認められたからこそ、クビにならず研究生活を続けられたのだろう。スマゴリンスキーの軍団は、彼がトップを務めていた30年間というもの、80数人の少数精鋭主義を貫いており、そこからはずされなかった真鍋も優秀な研究者だったことは間違いあるまい。

 運も実力のうちというが、優れた上司に巡り合えた真鍋は自らの能力とも相まって、トントン拍子で出世の階段を上った。「日本人だからといって差別待遇を受けることは一度もない」まま昇級に昇級を重ね、36歳までの10年間で公務員としての職階であるガバメント・サービス・グレード(GSG)の11から16までを一気に駆け上がった。

 アメリカの公務員制度では、GSG16以上はポリティカル・アポインティ(大統領任命の対象)になる。真鍋は最速で『スーパーグレード』とも呼ばれる16に到達したわけだ。

 ビザも最初は短期就労(H1)ビザに始まり、次に一時雇用の公務員としてグリーンカード(永住権)を取得した。さらに70年代半ばには、「アメリカの市民権がないとグレードが上がらない」とのアドバイスを受け、実際に市民権を取って国籍を日本からアメリカに移してしまった。

 真鍋はスマゴリンスキーがGFDL所長を辞任したとき、後任に立候補しようとしたことがある。結果的に立候補を断念したが、それは日本人ゆえに差別待遇を受けたためではなく、「(所長の)公募に打って出ると言ったら、家族全員に反対された」からで、日本人に門戸が閉ざされているわけではなかった。』

『日本に帰って感じた

アメリカとの大きな違い

「自由闊達」という言葉がふさわしい40年間の滞米生活を総括して、真鍋はこんな感想を語る。

「スマゴリンスキーの管理能力がすばらしかったから研究所が有名になり、研究費も潤沢について好きな研究を好きなだけやれた。10年先、20年先を見据えた長期的な気候変動を研究テーマに選んだ彼の炯眼(けいがん)にも支えられ、初めのうちは数こそ少なかったが、独創性の高い論文を書くことができた。最初の10年間で数値モデルをつくり、それ以降はモデルを適用してさまざまな切り口を見つけ出していった。やはり駆け出しのころの彼の処遇のおかげで今日があり、その点は感謝しようにもし尽くせないものがある」

 こうした40年間の満ち足りた米国での研究生活と、現在の地球温暖化予測研究領域長の立場を重ね合わせながら、真鍋は「40年前の気象局の雰囲気と、地球フロンティア研究システムの今とが似ている」と、一瞬の夢から覚めたような表情でポツリとつぶやいた。ある種、草創期の張り詰めた緊張のようなものを感じるらしいが、じつはそれが似て非なるものであることを真鍋は知悉(ちしつ)している。

 97年9月末に赴任して以来、地球フロンティア研究システムでの研究は4年になろうとしているが、自由闊達な雰囲気とはほど遠い何かを感じざるをえない日々を過ごした。それはスマゴリンスキーのような名伯楽がいるいないという単純な理由ではなく、日本の社会システム全体にどっかりと根を下ろす『見えざる壁』ともいえる存在によるものだった。

 真鍋自身の経験に照らして、理由はいくつか挙げられる。まず、国の科学研究費配分の問題がある。日本では官僚が予算を取って、能力や業績に関係なく悪平等で研究費を配分する。大御所といわれる先生のもとには多くのカネがつき、気に入られた子分だけにカネが流れる仕組みだ。

 そこには、米国流のピア・レビューが働かない。日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ、研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため、そこそこの研究成果で満足し、大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。

 真鍋にしてみれば日本の現状がなんとも歯痒くて仕方がないようだ。

「私が若い日にアメリカに渡り、自由にのびのび研究ができたような環境が日本にもできないものか。私が行ったころは、アメリカでクビになったら研究者としてのキャリアは終わり、もう食えないという背水の陣でやっていた。アメリカに渡る今のインド人や中国人の留学生のほうが背水の陣で必死にやっている。今や日本のほうが給料は高いし、無理にアメリカに行くこともないが、アメリカの環境は研究者にとって最も適したものだと思わざるをえない。その原点は、外国から来た人間を差別なく受け入れ、同じ土俵で才能の違った人間を徹底的に競わせる『多様性』の文化にあるのかもしれない」

 若き日への憧憬と現状への不満との狭間で、やはり真鍋の思いは40年の長きを過ごしたアメリカに向かうようである。(文中敬称略)
きし・のぶひと/1973年東京外国語大学卒業、読売新聞社入社。横浜支局を経て経済部に勤務、大蔵省、通商産業省、日本銀行、経団連機械、重工クラブなどを担当。91年読売新聞社を退社、知的財産権などをテーマに執筆。』

〔Microsoft Windows 3.x〕

 ※ 久々で見たな…。

 ※ うろ覚えだったが、調べてみると、だいぶ記憶と違っていた…。

 ※ 「すべては、忘却の彼方(かなた)へ。」だ…。

 ※ 人生、そんなモンだ…。

『Microsoft Windows 3.x(マイクロソフト ウィンドウズ 3.x)は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)[注 1]。主なバージョンとして1990年に発売された「Windows 3.0」と、1991年に発売された改良版「Windows 3.1」がある。

その他、マルチメディアに対応した「Windows 3.0 with Multimedia Extensions (Windows MME)」を一部機種で展開するなど、幾度かのマイナーバージョンアップが行われている。英語版ではネットワークをサポートする「Windows for Workgroup(Windows3.1ベース)」も発売されている。また追加モジュールとして32ビットアプリケーションを動作させるための「Win32s」、画像表示を高速化するための「WinG」、AVI形式の動画を再生するための「Video for Windows」、LANに接続するための「LAN Manager」、インターネットやメールをするための「Internet Explorer(16ビット版)」がある。

MS-DOS環境から起動させるため、事前にMS-DOSシステムをコンピュータ上で動作させておく必要がある。しかし、Windows 3.1以前はMS-DOSの拡張製品としてそれぞれが別々に販売されたため、MS-DOSは別途購入する必要がある。 』

『機能

Windows 2.x (Windows 2.11, Windows/386 2.11) の後継となるWindows 3.0は、ユーザーインターフェイスの大幅な改良とIntel 80286や80386プロセッサのメモリ管理機能を有効活用する技術的な改善が行われた。

グラフィカルユーザインタフェース (GUI) 機能を持ち複数のタスクを同時実行できるマルチタスクが可能なことが利点であった。

しかし、1つのWindowsプログラムがCPUを占有してしまいほかのプログラムが止まってしまうこともあった(ノンプリエンプティブ)[6]。

Windows/386ではMS-DOS用のテキストモードプログラムは全画面を占有し、ショートカットキーで画面を切り替える仕様となっていたが、Windows 3.0ではウィンドウ内で動作させることができ、旧来のプログラムも擬似マルチタスクとして利用できるようになった[7]。

しかし、家庭向け市場では多くのゲームやエンターテイメントソフトがMS-DOSへの直接アクセスを必要としていたため、あまり恩恵を受けられなかった[8]。

Windows 2.xはメニューやウィンドウ枠での非常に限られた色しか使うことができなかったが、Windows 3.xのアイコンやグラフィックはEGAやVGAモードで16色を完全にサポート。256色VGAモードやMCGAモードが初めてサポートされた。

また、ディスプレイ出力に使用するカラーパレットはディスプレイドライバが管理し、アプリケーション毎には論理的なカラーパレットが用意されたことで、アプリケーション側はカラーパレットの状態や制限を気にする必要がなくなった[9]。

MS-DOSウィンドウ(ファイルマネージャ・プログラムランチャー機能)は、アイコンベースの「プログラムマネージャ」と一覧ベースの「ファイルマネージャ」に置き換えられた。前バージョンではアプレットとなっていた「コントロールパネル」はAppleのClassic Mac OSと類似のものに作り替えられた[10]。

いくつか簡単なアプリケーションも同梱された。テキストエディタのメモ帳、文書作成ソフトのライト(後のワードパッド)、一連のキー操作やマウス操作をマクロとして記録して後で実行できる「レコーダー」、ペイント、電卓など。ゲームはWindows 3.0ではリバーシに加えてソリティアが搭載された[10][注 2]、Windows 3.1ではソリティア・マインスイーパが付属[注 3]。

Windows 3.0に搭載されたプロテクトモードやエンハンスドモードはDOSアプリケーションで行われていた方法より簡単に、より多くのメモリをWindowsアプリケーションで使えるようになった。

Windows 3.0ではリアルモード(8086相当CPUの機能を利用)、スタンダードモード(80286相当CPUの機能を利用)、386エンハンスドモード(i386相当CPUの機能を利用)があり[11]、通常は自動で適切なモードを選択するが、/r(リアルモード)、/s(「スタンダード」286プロテクトモード)、/3(386エンハンスドプロテクトモード)といったスイッチを使って特定のモードで起動することもできた[12]。

386エンハンスドモードではやや動作が重くなり、実用的には486以上のマシンパワーを必要とした[13]。 』

『プロテクトモードの恩恵

WindowsはWindows 3.0のスタンダードモードおよびエンハンスドモードからプロテクトモードが本格的にサポートされた。

厳密には、WindowsはWindows/386からプロテクトモードを利用しているが、このバージョンでは内部的に80386で導入された機能をプロテクトモードで使用し、アプリケーションには仮想86モードを提供するというものであり、EMS対応MS-DOSアプリケーションと同様に実行プログラムを数百KBという限られたスペースに収まるよう作る必要があった[7]。

またEMSはバンク切り替えがあるため、その切り替え作業にかかる時間だけ低速になる。

特に大規模なアプリケーションはほぼ常時バンク切り替えを繰り返すために低速だった[7]。

これがWindows 3.xのスタンダードモードとエンハンスドモードは、Windowsの大半のモジュールがプロテクトモードで動作する16ビットのコードで構成され、アプリケーション(WIN16アプリケーション)もプロテクトモードで動作する16ビットのコードで構成されるように変更された。

さらにエンハンスドモードでは、80386で導入されたメモリ管理機能をプロテクトモードで動作するシステムのコードに実装し、IA-32のページングを利用した仮想記憶もサポートし、実メモリ以上のメモリをアプリケーションが確保できるようになった。

また Windows 用のデバイスドライバとして、80386で導入された機能をプロテクトモードで活用した VxD デバイスドライバもサポートされた。

従来のWindowsは常にメモリが不足気味だったが、3.0からのプロテクトモードをサポートした結果、Windows自身とそのアプリケーションは、(コンベンショナルメモリ)+(EMS)よりも高速で大量のメモリを使用可能なプロテクトメモリを利用可能になった[14]。

そのため、MS-DOSではメモリ不足から実現不可能だった大型アプリケーションも、Windows用に開発されるようになった。 』

『ユーザーインターフェイス

GUIはマイクロソフトがIBMと共同開発していたOS/2 1.2のプレゼンテーション・マネージャと類似の外観をしている。

ウィンドウのメニューバーとパネル本体という構成やダイアログボックスなど、IBMが提唱したSystems Application ArchitectureのCommon User Access (CUA) におおむね準拠している。

しかし、シフトキーとマウスを組み合わせた操作はCUAでの規定に反しており完全準拠ではない[15]。このデザインはアップルより同社が開発したClassic Mac OSのルック・アンド・フィールを盗用したとしてWindows 2.xとともに著作権侵害が指摘されたが、裁判ではアップルの訴えは退けられ、後に両者は和解した(詳細はWindows 2.0#アップルとの法的抗争を参照)。

ウィンドウ

一番右上(タイトルバーの右端)のボタン[▲]は最大化(全画面表示)のボタンで、既に最大化している場合はウィンドウ表示に戻すボタン(上下に▲と▼が並んだ[◆]状のボタン)が表示される。その隣のボタン[▼]は最小化(タスクアイコン化)のボタンである。Windows 95以降でのウインドウを閉じる[×]に相当するボタンは存在しない。

終了はタイトルバー左上の[-]ボタン(コントロールメニューボックス)やメニューバーからのプルダウンメニューから行えるが、左上の[-]そのものをダブルクリックすることでも終了する[16]。MS-DOSボックスの場合はメニューバーやタイトルバーから終了させることはできず、コマンドプロンプトでEXITと入力する必要がある[注 4][17]。また、エンハンストモードであればControl-Alt-Deleteでアクティブなウィンドウの強制終了が行える。

ポインティング
当時はまだマウスは推奨であって必須ではなかった[18]。セットアップ時にマウス無し(使用しない)を選択することもでき、Windowsの主要システム自体はキーボードだけでも操作できるようになっていた[注 5]。ただし実際にはGUIである以上はマウス前提で作られたアプリケーションが少なくなく、Windows 95以降はマウスが必須になっている。
なお右クリックによる操作はアプリケーション側で対応している場合にのみ有効であり、Windowsを操作する上では特別な意味合いを持っていなかった[6]。Windows標準付属のアプリケーションとしてはペイントブラシやマインスイーパが右クリックを活用できる[注 2]。

シェル

Windows 3.xで標準のシェルは後述のプログラムマネージャというメニューソフトに相当する機能を持つプログラムランチャーだった。また、設定を変更することにより、ファイルマネージャやそれ以外(コマンドプロンプトやNorton Desktopなどのサードパーティー製シェルソフトなど)の特定のアプリケーションをシェルに指定することも可能である。
なお、プログラムマネージャ・ファイルマネージャともに、親画面の中で子画面を複数開くことができた (MDI)。

プログラムマネージャ

プログラムの起動は原則としてプログラムマネージャから行う。プログラムマネージャはプログラムを表す「アイコン」およびアイコンを分類する「グループ」を画面に表示するためのプログラムであり、アイコンをダブルクリックすることでプログラムを起動することができた。ただし、プログラムマネージャ上のアイコン(およびグループ)とディスク上のファイル(およびディレクトリ)との間には対応関係が無く、後のエクスプローラーのようにファイルを操作する機能は統合されていない[6]。

ファイルマネージャ
ファイル操作は、Windows 2.x以前のシェルだった「MS-DOSウィンドウ」に似たファイルマネージャというプログラムで行う。

ファイルのダブルクリックでプログラムを直接実行することもでき、拡張子によるアプリケーションの関連付けもファイルマネージャ上で行うことができる。

Windows 2.xでMS-DOSアプリケーションを実行するにはPIFファイル(情報ファイル)にあらかじめ実行環境を設定する必要があったが、Windows 3.0ではPIFファイルがなくても標準設定で実行するようになった[19]。

MS-DOSウィンドウはファイル名が羅列されるだけであったが、ファイルマネージャでは画面左に現在開いているディレクトリの位置を示すディレクトリツリーが表示され、画面右には項目名とその種類を示す小さなアイコンが一覧表示されるようになった[9]。

プログラムマネージャやデスクトップのタスク(後述)と違って「大きなアイコン」を表示する機能は無い。また、ファイルの種類毎にアイコンが用意されたWindows 95以降と異なり[20]、ファイルマネージャでは自身の持つ数種類のアイコンしか表示できなかった。
ファイルマネージャには2000年以上の年表示が文字化けするという不具合があったが、後に2000年問題対応版がマイクロソフトから配布された[21]。

デスクトップ

デスクトップ[注 6]の領域には実行中のプログラムを最小化したときのアイコンが表示される[16]。Windows 95以降でのタスクバーに相当する場所であった。

Windows 2.xからの変更点として、画像や模様を背景として飾ることができるようになった。デスクトップをダブルクリックするとタスクマネージャに似た画面を呼び出すことができた。』

『マルチメディア(※ 省略)』

『ネットワーク / インターネット

Windows 3.0、3.1では、標準でネットワーク (LAN) 機能自体が搭載されておらず、LAN Manager ClientなどDOSベースのネットワーク機能に頼っていた。

LAN Manager ClientはWindows NT ServerのCD-ROMなどに収録され、TCP/IPやNetBEUI、NetWare互換プロトコルなどのプロトコルが使えた。

また、Windows for Workgroups (WfW) 3.1はWindows 3.1にWindowsベースでのネットワーク機能を付加するアドオンとして発表、販売された。ただし、この段階ではネットワークプロトコルとしてNetBEUIかNetWare互換プロトコルしか選択できなかった。

その後、WfW 3.11が完全なWindows製品として発売され、このWfW3.11向けにTCP/IPプロトコル用ドライバも提供された[30]。

WfWの日本語版は発売されなかったため、日本のユーザーが手軽にネットワークを組むにはWindows 3.1との互換性に乏しく高性能パソコンを要求するWindows NTを購入するか、Windows 95の登場を待つしかなかった[31]。

日本では1994年時点で個人ユーザーにインターネット接続サービスを提供するISPがIIJと富士通(InfoWeb、1999年にニフティへ統合)の2社しか存在せず、まだ黎明期にあった。

1995年に入るとISPは10社以上になり、インターネットを取り扱った参考書も急増した。

しかしWindows 3.1標準ではネットワーク機能は搭載されていないため、市販のInternet CHAMELEON(ネットマネージジャパン、19800円)といったダイヤルアップ接続ツール(ダイヤラー、メーラー、FTPクライアントなどをまとめたパッケージ)を購入するか、パソコン通信を通じてTrumpet Winsockといったツールを揃えていく必要があった。

ウェブブラウザにはNCSA Mosaicやその後に登場してすぐに標準となったNetscape Navigatorが使われた。[32]

Windows 95と同時発売のMicrosoft Plus!に同梱されたウェブブラウザ「Internet Explorer」は1996年4月にWindows 3.1対応の16ビット版が公開され[33]、これにはメーラーのOutlook Express(16ビット版)やダイヤラーなどが添付されていた。

インターネットの閲覧やメールの送受信はInternet Explorer添付のダイヤラーを使ったダイヤルアップの他、LAN Manager Clientをインストールしてある場合やWfWではLAN経由でも可能である。

ただし、Internet Explorer標準添付のダイヤラーはPC/AT互換機用のため、PC-9800シリーズでダイヤルアップ接続する場合は市販ソフトなどを別途用意する必要があった[34]。 』

 ※ ということで、Win95以前では、まだMacの方が、ネットやるには一日の長があった…。

 ※ オレも、この頃は、PowerMac+56Kモデム+Netscape Navigatorでネットに接続していた…。

 ※ 電話回線使った、従量制の接続環境なんで、やたら「電話代」がかかった記憶がある…。

『設定ファイル

各プログラムの設定は、それぞれのプログラムが持つiniという拡張子が付けられたファイル、もしくはwin.iniやsystem.iniなどのWindowsのシステムファイルで行っていた。

Windowsそのものの設定もwin.iniとsystem.iniで行っていた。

これらはテキストファイルであり、標準で付属するシステムエディタ (sysedit) などのテキストエディタで編集を行うことができた。

また、設定変更ミスや諸々のトラブルからWindowsが起動しなくなっても、MS-DOS環境からテキストエディタを使ってwin.iniやsystem.iniの中身を修正して復旧することができた。

これらの設定内容はマイクロソフトが監修した解説書『Windows 3.1 リソースキット』で公開された[35]。Windows 3.1の登録情報データベース(後のレジストリ)は、ファイルマネージャで開くファイルのフォーマットとアプリケーションとの関連付けやOLE情報に使用されるのみであった[36]。

メモリ容量の最大値

Windows 3.0やWindows 3.1では32ビット386プロテクトモードではなく16ビット286プロテクトモードで動作していたため、標準構成では64KBセグメント・メモリモデルを使用するようになっていた。(※ いわゆる、「MS-DOSにおける”64Kの壁”」)

しかし、32ビットCPUではプログラマーはより大きなメモリポインタにアクセスして、プログラム・セグメントをどんな大きさにも拡張することができた(セグメント・ディスクリプタが24ビットであるため最大サイズは16MBに制限されている)。

当時のWindows APIファンクションは16ビットであったため、それらは32ビットポインタを使用できず、コードに32ビット命令を含んでいてもDOSと同様に64KBセグメントでOS呼び出しを行うプログラムコードの一部を配置する必要があった[37][38]。

このため、理論上は4GBのメモリ空間を使用できる386以上のCPUであっても、Windows 3.0は合計16MBのメモリにしかアクセスできない。

Windows 3.1では16MBの制限はなくなり、理論的には最大4GBのメモリを使用できる(現実的な上限は256MB)[39]。ただし、先述のとおり1つのプログラムが使用できるメモリは最大16MBである。

32ビットへの限定的な対応

Windows NTの登場による32ビットOSへの移行を促す意味もあり、Win32sというドライバ/APIがマイクロソフトから供給された。

これはWindows 3.1の386エンハンスドモード上で動作する32bitプログラムのためのドライバ/APIであり(WinNTのAPIであるWin32のサブセットなのでWin32s[要出典])、これによりアプリケーションをWindows 95やWindows NTと共通の32ビットコードでWindows 3.1に供給することが可能になり[40]、初期の32ビットアプリケーションの開発を多少容易にした。

また、ファイルシステムにおいてはBIOSを介した16ビットディスクアクセスが基本的に用いられていたものの、Windows 3.1の386エンハンスドモードでは常設スワップファイルに対してのみ32ビットでのアクセスが可能となった。

さらに、Windows for Workgroups 3.11では完全な32ビットディスクアクセスが実現され、ディスクアクセスを高速化させることを可能にした[41]。 』

『Windows 3.1へのアップグレード(※ 省略)

Windows 3.1から新しいバージョンへのアップグレード(※ 省略)』

『開発とリリース(※ 省略)』

『反響(※ 一部省略)

売れ行きと評価

Windows 3.0

日本においてWindows 3.0は米国ほど広がりを見せなかった。要因として以下の問題が挙がった。

一太郎などWindows 3.0にネイティブに対応するソフトウェアがまだ十分に出揃っていなかった。[73]

当時の日本ではPC-9800シリーズがパソコン市場の50%以上を占めていた。英語版では複数のDOSアプリケーションをウィンドウで並べ、従来の資産も有効に活用できることをセールスポイントにしていたが、PC-9800シリーズ版では旧バージョンと同様に全画面での排他利用しかできなかった。そのため、販売店側も販促デモの展示にあたってウィンドウ表示を活用することに苦慮した。[73]

Windows上でDOSアプリケーションを使用するにはPIFエディタであらかじめ環境設定を行う必要があったが、MS-DOSのメモリ管理は複雑化しており、初心者には難しい作業であった。多くのソフトウェアメーカーは設定方法を公開したが、ロータスやアスキーなどサポートの都合から設定方法を公開しないメーカーも存在した。[74]
PC-9800シリーズを含め、Windowsを快適に動作させるために必要なハードウェアを揃えるとなると多額な投資が必要になった。[73]

スティーブ・バルマー(当時、マイクロソフト上級副社長)も翌1992年の来日記者会見にて同様の見解を示した。

当社のパソコンOS「ウィンドウズ」が日本市場で米国ほど売れていないのは、日米の市場構造が違うことが原因である。ハードウェアの互換性の問題やハードの価格が高いことなどだ。このほか、漢字変換やOSのハードへの搭載サービスなど様々な問題の解決がウィンドウズ普及の前提となる。
?スティーブ・バルマー。「マイクロソフト副社長、日本出荷は予定通り―ウィンドウズNT、来年中。」『日経産業新聞』1992年10月13日、6面の引用文より。

PC-9800シリーズ版の発売当初は受注に生産が追いつかない状況が続いた。これについて日本電気は、受注が予想を上回っているためメディアやマニュアルの生産が追いついていないことを説明した[75]。これに対してソフトハウスの間では「機種の違いで画面に現れるフォント(書体)が異なったり、印刷が狂うなどの不具合を見つけて出荷を止めているのでは。」という推測が流れた[73]。

日本IBMのDOS/V版はMS-DOSアプリケーションの複数ウィンドウ表示に対応していたが、PC-9800シリーズ対応ソフトが約1万本であったことに比べ、1990年に発売されたばかりのDOS/Vに対応するアプリケーションは約200本と少なく、こちらも旧資産の継承という訴求材料だけでは不十分であった[76]。 』

『Windows 3.1

日本のPC国内出荷台数(青線)と出荷額(赤線)(JEITA調べ)

Windows 3.1に対する雑誌の反応は使い勝手や信頼性が向上したという好意的なものであった。米国のPC Magazine誌はレビュー記事に「UAE(修復不可能なアプリケーションエラー)の終わり、新しい印刷エンジン、賢くなったSMARTDriveなど。マイクロソフトはWindowsを安定した豊かな環境にするために磨きをかけた。」という序文を付け[77]、日本の日経パソコン誌は「ドラマチックな変化はないものの、信頼性が低い、処理速度が遅いなど、Windows 3.0での不満点を改良した。」と評した[78]。

マイクロソフト日本法人は自社のWindows対応ソフトの売り込みを強化し、Windowsの普及を推進した。例えば、表計算ソフトのExcel 4.0は1993年5月に98000円から58000円へと40%の値下げ。6月25日から他社の日本語文書作成ソフトを使用しているユーザーを対象に、58000円のWord 5.0を25000円で販売する「乗り換え・アップグレード・サービス」を開始した。これは1993年4月に発売された一太郎 Ver.5(4年ぶりとなる新バージョン)に対抗したものと思われた[79]。同日にWordとExcelをセットにした、日本語版で最初のバージョンとなるMicrosoft Officeを発売[80]。翌1994年2月のOffice 1.5発表までに8万本を出荷し[81]、1994年後半になると月20万本ペースの出荷になる[82]。オフィスソフト市場におけるマイクロソフトのシェアは急拡大することになった。

Windows 3.1のマルチメディア機能は個人市場の開拓を促し、ExcelやOfficeは企業にWindowsの導入を促した[83]。

後年の評価としては、日本でのWindows 3.1はWindowsがパソコンユーザーに受け入れられた期間であったものの、パソコンが本当に一般に普及し始めたのはWindows 95からとされている[84][85]。しかしWindows 3.1の広がりは、日本メーカーの国内向けパソコンを独自開発から世界標準のPC/AT互換機に転換させ、「鎖国状態」を解消したことで競争力が上がり、パソコンの低価格化が進んだことで普及を後押しすることになった[84][86]。 』

『OS/2とIBMとの対立(※省略)』

『日本でのPC/AT互換機市場

PC-9800シリーズと日本国内PC本体出荷台数(1990年から1998年)

折りしも発売時期がDOS/Vの登場とマニア間で起きたDOS/Vブームが重なったこともあり、日本でのIBM PC/AT互換機市場の形成に大いに貢献した。

1991年当時、日本でのパーソナルコンピュータ (PC) 市場は国内メーカーで市場をほぼ独占していた。さらに言えばNECのPC-9800シリーズで寡占状態にあった。PC/AT互換機は世界中で販売されるため開発コストは日本市場でしか販売できない国内専用製品と比べ物にならないほど安価だったが[94]、日本語という障壁のため参入できない状態にあった。NECの製品展開は同社のオフィスコンピュータ(オフコン)などとの兼ね合いから同時期のPC/AT互換機よりも低い性能レベルに据え置かれ、価格も引き下げられなかった[要出典]。しかし、安価かつ高性能なPC/AT互換機で日本語が扱え国産PCとも共通のアプリケーションが利用できるWindowsの事実上の完成により、国内におけるPC/AT互換機市場は1994年にかけて急拡大することになった[20]。NECも同社のPC向けにWindowsを提供していたが、MS-DOS環境において存在していたアプリケーションの優位性が失われる結果となった。

DOS/V版Windows 3.0では、標準VGAでも640480/16色表示が可能で当時の主力機NECのPC-9800シリーズの640400/16色を上回っていたうえ、当時すでにほとんどのDOS/V機ではSVGAモードを備えていた(もしくはグラフィック回路が拡張ボードとして独立しており交換が容易だった)ことから、市販のドライバで800600の高解像度をWindowsから利用することができた[95]。一部の英語版ディスプレイドライバではさらに高解像度・多色(640480/256色、800600/256色、1024768/16色など)のGUI表示を行うためのパッチファイルや英語版ドライバで日本語表示を行う DDD (Display Dispatch Driver) が販売されて上級ユーザを中心にPC-9800シリーズよりもハードウェア価格が安くて高性能なPC/AT互換機を求めるケースが増え、市場が立ち上がり始めた。[96][97]

次のDOS/V版Windows 3.1では多くの英語版ディスプレイドライバを直接使用しても高解像度・多色のGUI表示ができるようになる。また発売にあわせてTVCMも放映され、本木雅弘が「Windows!」を連呼するというインパクトのあるもので[98]、国内においてWindowsの名前を広く知らしめたことにより、PC-9800シリーズにこだわる必要がないというユーザーが増えていった。日本語版Windows 3.1からアウトラインフォント TrueType および、マイクロソフト版においてはかな漢字変換ソフト Microsoft IME が標準として採用され[注 8]、各アーキテクチャ向けにて相違があった日本語の入出力環境の統一を図った。[99][100][101][102]さらにPCパーツ店による組み立てPCや外国のPCメーカーによるこの組み合わせでの新規参入も相次ぎ、市場ニーズがPC/AT互換機へシフトするきっかけとなる。
次に買いたいパソコン(日経パソコン1993年5月調べ)

とは言え、まだこの段階ではPC-9800シリーズも強力だった。オープンであるがゆえに規格の統一が今ひとつのOADG規格とその派生製品はこれらのオプション類の利用にPC-98シリーズより手間を要した。当然、日本のパソコン周辺機器メーカーはPC-9821シリーズのWindows3.1用の周辺機器も発売し、量販効果ですぐに値下がりした。企業ユースやゲーム市場では、PC-98用ソフトの互換性を求めるユーザーもまだ相当数存在していた。更に、製造元であるNECやPC-98互換機メーカーであるセイコーエプソンによる価格引き下げなどの対抗策もあり、1995年まで50%のシェアを確保し続けた[20][103][104]。この流れが本格化するのは、機器の相違をデバイス仮想化などの方法によってOS側で吸収したWindows 95以降である。』

 ※ ということで、「1990年から1998年」の間に、「PC-9800」機は廃れ、「DOS/V」機・PC/AT互換機の時代へと移行して行った…。

 ※ PC/AT互換機は、その「アーキテクチャ」は、ずっと受け継がれて、現在に至っている…。

 ※ BTOとか、「PCパーツ」の交換とかが可能なのは、土台となっている「アーキテクチャ」が変わってないからだ…。

『後継バージョンへの移行

1995年8月に発売されたWindows 95はそれまでパソコンに興味を持たなかった人々の関心を集め、個人市場の開拓に成功した。企業でもWindows 95を要望する従業員の声を聞き入れて買い換えを支援する動きが見られた。日経パソコンが1996年2月に日本の企業110社に対して行った調査では、Windows 95の「導入予定あり」が64%、「未定」が42%、「導入予定なし」が4%となった。「Windows 95の導入をどのように進めていくか」の問いに対して、「新規に導入したパソコンを中心に徐々に移行する」が30%となったものの、「既存のパソコンを含めて積極的に切り替える」はわずか8%に留まり、既存環境の移行には慎重な姿勢が見られた。「Windows 95の導入で、特に問題が多かった項目は」の問いに対しては、「MS-DOS対応やWindows 3.1対応ソフトの動作」(39%)、「既存のネットワークやデータベースとの接続」(35%)、「インストール関連」(32%)となった。[105]

マイクロソフトはOffice 95やVisual Basic 4.0など、自社製品のWindows 3.1に対するサポートをまもなく打ち切った。しかし、1996年度にIDCが行ったデスクトップOS選択率の調査では、Windows 95が62.9%、Windows 3.1/3.11が17.4%となり、データクエストが米国の大企業を対象に行った調査では、マイクロソフト社製OS利用者のうち86%がWindows 3.1/3.11を使用していると報告した。あるソフトウェア・エンジニアは「マイクロソフトはまだ多くの3.1が使われていることを把握しているが、早くすべてを移行してそれを忘れることを望んでいる。」とコメントした。[106]

1999年に日経パソコンが日本の企業を中心に行った調査では、Windows 95の使用率が79.7%にのぼり、Windows 3.1の使用率は6.2%となった。[107] 』

『出荷本数の推移

Windows3.0(全世界)
    1990年5月22日発売
    1990年6月22日 - 40万本[要出典]
    1990年12月30日 - 100万本[要出典]
    1991年5月 - 300万本以上[108]
    1992年4月 - 900万本[91][109]

Windows3.0(日本)
    1991年1月23日 - NEC版発売
    1991年3月13日 - 日本IBM版発売
    1991年5月 - 日本電気版、受注累計6万本[75]
    1993年5月 - 44万本[60][110]

Windows3.1(全世界)
    1992年4月6日発売 - 受注100万本[109]
    初日出荷100万本[111]
    1992年4月12日 - 1週間で100万本販売[112]
    1993年5月 - 2500万本[113]
    1994年1月末 - 4000万本[要出典]
    1995年1月 - 6000万本[要出典]
    1995年8月 - 1億本[111]

Windows3.1(北米)
    1995年5月26日 - 発売から50日で100万本販売[114]

Windows3.1(日本)
    1993年5月12日 - 日本電気版発売
    1993年5月14日 - 日本電気版、受注6.5万本[113]
    1993年5月18日 - マイクロソフト版発売
    1993年6月末 - 40万本[110]
    1994年5月17日 - 146万本[115]
    1995年2月 - 300万本突破[116]
    1995年5月末 - 402万本[116] 』

〔1993年頃の兵頭二十八氏の動向…。〕

『じぶん用の備忘の補備。

 「北緯九十度のハッティ」の初出DATEが判明した。当時、日記代わりにカレンダーにメモ書きをしていた。そのカレンダーメモをテキスト起こししてワープロにまとめていたのを発掘できた。

 前編が載ったのが、1993-11-10都内店頭発売の『ビッグコミック』誌であった。なんと6回も書き直ししていたことも確かめられた。
 すぐに続いて11-17(水曜日)に小学館のパーティがあり、里中満智子先生、永井豪先生、松本零士先生、つのだじろう先生、石森先生、新谷先生、不二子A先生を3Dで目撃してとうぜんながら感激した。しかも、入口には私の提供原作のゴルゴのエピソードが《今度は深海へ》とかいうキャッチコピーとともに看板化されていたのだから、密かに鼻が高かった。

 後編は、1993-11-25に都内店頭発売であった。
 しかしこの頃のカレンダーのメモ書きを見返すのは辛い。私生活ではいかにもバブル崩壊期らしい波乱が次々起きていた。その記憶をよびさまされた。
 おしまい。』

 ※ コンピューティングの歴史的には、「Windows95」の発売が、1995年だ…。

 ※ 折からの、ネットの普及・実用化とGUIが相まって、爆発的にパソコンが行き渡って行った…。

 ※ その数年前だから、まだDOSの時代だったか…。

 ※ 「Windows95」は、DOSのバージョン的には、「DOS7」だ…。

 ※ ハードの普及状況が、まだ16bitと8bitの混在だったんで、Windows95も「16bitと8bitの混在」OSだった…。

 ※ DOS5でMOが使えるようになり、DOS6でやっとOSレベルで「Windowsシェル(GUIでファイルやフォルダの操作が可能となった…)」が使えたと記憶しているが…。

 ※ 「Windows3」というものもあった…。

 ※ DOS6の「Windowsシェル」の先駆けみたいな感じのもので、「ファイルやフォルダの操作」をGUIで行うことができるものだったらしい…。

 ※ 「らしい」と言うのは、「英語版」しかなく、日本では殆ど使っている人がいなかったからだ…。

 ※ オレも、文献読んだだけで、実物は見たことが無い…。

 ※ DOSの時代の「パソコン」は、まだ、「ワープロに毛が生えた程度のもの」だった…。

 ※ そういう時代でも、「自分の頭で考える」人は、「日記代わりにカレンダーにメモ書き」して、自分の「思考」を深めて行った…。

 ※ そして、「そのカレンダーメモをテキスト起こししてワープロにまとめて」、「思索」を深めて行った…。

 ※ そのテキスト・データは、今現在でも「活用すること」ができる…。

 ※ 「私生活ではいかにもバブル崩壊期らしい波乱が次々起きていた。その記憶をよびさまされ」て、つらい思いが甦るとしてもだ…。

【速報】Windows 11が10月5日にリリース決定

【速報】Windows 11が10月5日にリリース決定。無償アップグレードも同日開始
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1347552.html

 ※ 下のコメントにある通り、セキュリティの関係上、対応CPUが限られた…。それでWindows10のバージョンアップ版として出すと、アップできないユーザーが出て騒がしいんで、「11です。」ということで「旧ユーザー切り」に踏み切った…、という辺りが真相のようだな…。

※ 久々で、この画像を貼っとくぞ…。

世界のPC、4台に1台は依然としてWindows 7 – 2月OSシェア
https://news.mynavi.jp/article/20200303-986236/

『「Windows 11」10月5日登場、Androidアプリは当初非対応に
8/31(火) 22:36配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/75de1dbd02614d85bf0fafb6099b0165e3326fc2

 マイクロソフトは、「Windows 11」を10月5日より提供すると発表した。なお特徴のひとつであるAndroidアプリが利用できるという機能は当初含まれない。

 Windows 11は、ユーザーインターフェイスの一新、ゲーム体験の強化など、新たな要素が盛り込まれる。Windows 10搭載パソコンでは無償でアップグレードできるほか、Windows 11対応機種かどうか確認する「PC Health Check」アプリは近日リニューアルして再登場する。

全文はソースで元で 』

『ニューノーマルの名無しさん 2021/09/01(水) 02:05:03.17 ID:m39/pdK+0

古いソフトウェアをずっとメンテし続けるのは作った時には全然想定してなかった技術やハードに対応させていかないといけないわけだから屋上屋を重ねるような感じになって作ってる方の負担がどんどん大きくなっていくんだよ』

『名無しのPCパーツ 2021年09月01日 12:13 ID:2s9NmQxv0

内部的には普通のwin10 21H4アップデートだぞ
ただ、このアップデートでPCの必要スペック要件が変わるから表の名前変えて分かりやすくしただけなんだよなあ

Appleなら事前になにも言わずにバージョンアップして旧式の互換性切りましたって言うぞ(前科無数)

ご覧の通り、仮に21H4で出してたらアップデート出来ないと発狂しまくること不可避のsandy爺なんかの無知蒙昧のアホが、現段階でこの暴れようという予定調和まで見れてるからな』

『ニューノーマルの名無しさん 2021/09/01(水) 01:42:40.24 ID:zQGJe80P0

Windows10が最後だったはずだ
いい加減にしろ 』

ソフトウエアの「中の人」が消える

ソフトウエアの「中の人」が消える、日本企業が犯した愚かな過ちの本質
2021.9.2
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木村 岳史=日経クロステック/日経コンピュータ
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00322/082300009/?n_cid=nbpnb_mled_mre

『普通ならブラックボックスには必ず「中の人」がいるものである。何の話かと言うと、ソフトウエアのことだ。ソフトウエアはとても便利だが、それを利用する人を「無知」にする。なぜ無知になるかは単純な話で追々説明するが、利用者が無知になっても大丈夫なようにするのが、中の人である。ところが日本企業や官公庁のシステムでは往々にして、その中の人がいなくなる。これはもう真夏の夜の怪談より恐ろしい。

 ソフトウエアによってブラックボックスが生じるというのは、企業システムでは常識だと思っていたが、どうやらそれも分からない「非常識」な人も多いようだ。なぜそう言えるのかというと、これも後で改めて触れるが、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の一大ブームが日本企業の間で続いているからだ。本当に後が怖いのに、後先を考えずに導入を進めるIT部門などの愚かさを見せつけられると、ブラックボックス化の問題を認識していないのだと思わざるを得ない。

 そんな訳なので、まずはソフトウエアが生み出すブラックボックスについて説明しよう。ソフトウエアによるブラックボックス化は3つの領域で起こる。1つ目はコンピューターシステム自体のブラックボックス化だ。もっと正確に言えば、ソフトウエアは自分より下位レイヤーのハードウエアやソフトウエアをブラックボックス化する。

 つまりこういうことだ。今、業務アプリケーションなどを開発している技術者は、コンピューターが「なぜ動くのか」について分かっているだろうか。恐らく分かっている技術者はほとんどいないだろう。つまり、自分がつくっている業務アプリがなぜ動くのかも分かっていないはずだ。コンピューターのハードウエア上では全てのソフトウエアがデータと共に、0と1のビットとして論理回路などで処理されるが、そうしたコンピューター処理の原理をしっかり説明できる人は少ない。

 ソフトウエアの領域でもそれは同じことだ。業務アプリを開発する技術者は、いわゆるOSやミドルウエアがどんな働きをするかという概要と、それを利用するためにはどうすればよいかを知っていればよく、その中身(ソースコード)は知らなくてよい。ITベンダーの製品なら全く知らないし、オープンソースソフトウエア(OSS)でも中身を知る人は限られている。業務アプリを開発する技術者でさえこうであるから、業務アプリを利用するユーザーに至っては全く知るよしもない世界である。

 だがコンピューターの黎明(れいめい)期には、そうではなかった。業務アプリを書く技術者もハードウエアやOSなどに精通している人が多かったし、中にはユーザー企業の技術者なのに独自のプログラミング言語を開発してしまう人もいた。時代は下ってインターネットが普及し始めた頃は、ネットワーク技術者でもないのに通信プロトコルを熟知する人がごろごろいた。そして今、その辺りの下位レイヤーは全てブラックボックス化され、業務アプリの技術者は知るよしもない。つまりその分、技術者は無知になったのである。
パソコン画面の「こちら側」までブラックボックス化

 さて、2つ目のブラックボックスだ。こちらは1つ目のテクノロジーサイドと違って、業務サイドのブラックボックス化だ。こちらは極めて分かりやすい話だ。例えば、企業そして官公庁などの基幹系システムは、その組織の業務のやり方や業務プロセスなどをソフトウエアの機能として組み込んでいる。以前に人が紙とペンとそろばんなどで行っていた個々の業務や、一連の業務の流れ(プロセス)がシステムによって機械化されている。

 随分前の話だが、日本企業にコンピューターシステムが導入され始めた頃を知るシニア技術者から、当時の話を聞いたことがある。昔、企業には社内の業務に精通した「生き字引」みたいな人が何人かいた。初めてシステムを導入する際には、そうした生き字引たちの協力も得て、自社の業務プロセスなどをほぼ全てあぶり出したそうだ。

 あぶり出した業務プロセスは紙に書いて、システム導入プロジェクトの推進室の壁一面に貼り出したとのこと。で、壁に貼り出された業務プロセスを眺めながら、会計処理など各業務のプロセスのどの部分を機械化(システム化)するのかを、業務担当者やITベンダーの技術者などを交え、かんかんがくがくの議論をして決め、会計などのシステムを順次構築していったという。

 そんな訳なので、企業システムの黎明期には、多くの日本企業で業務プロセスが完全に見える化されていた。それを基に業務の一部をソフトウエアによりシステム化したものだから、システム導入によって業務はものすごく効率化された。ただ、業務プロセスなどがソフトウエアの機能として組み込まれた途端、ブラックボックス化も進んだ。業務担当者は時を経るに従って、システム化する前にやっていた業務を忘れてしまうからだ。

 しかも半世紀近くの時を経て、今やソフトウエアでブラックボックス化された業務の範囲は広大になった。特に大企業では、従業員はパソコン画面の「向こう側」で処理されている業務プロセスについてほとんど無知と言ってよい。そういえば、システム化の進んだ大企業では、従業員が自社の業務を知らな過ぎることにIT部門が危機感を持ち、ソフトウエアのブラックボックスの中で粛々と処理されている業務プロセスを、何らかの形で従業員に「見せよう」というプロジェクトを進めていると聞いた。

 このソフトウエアによる業務のブラックボックス化は、もう行き着く所にまで行き着いた感があったが、さらに「延長戦」があった。それが日本で一大ブームのRPAの導入である。RPAではご存じの通り、システムからデータを「コピペ」して他のシステムに入力するなどの作業を自動化するソフトウエアロボットを多数つくり出す。これによりパソコン画面の向こう側だけでなく、「こちら側」に残されていた業務までをブラックボックス化してしまうわけだ。

 ソフトウエアロボが代行する作業の多くは、単純作業だけれどもシステム化できなかった領域だから、目先の業務の効率化への貢献度は大きい。人海戦術でデータ入力などをしてきた企業では、コンピューター黎明期のシステム導入に匹敵するくらいの効果があったりする。だから、業務の変革でも何でもないのに「我が社のDX(デジタルトランスフォーメーション)の成果だ」と悪ノリする経営者は多い。しかも、既存のシステムだけでなくRPAで業務を二重にブラックボックス化する恐ろしさに気づいていないのだ。

ブラックボックス化しても「中の人」さえいれば

 ソフトウエアによるブラックボックス化の3つ目の領域は、ソフトウエア自身のブラックボックス化だ。これは1つ目に挙げた「下位レイヤーのハードウエアやソフトウエアのブラックボックス化」とは意味合いが全く違う。抽象度を高くして述べたので「何のことだ」と不審がる読者もいると思うが、種明かしをすれば「何だ、そのことか」と言うだろう。例のトホホなブラックボックス化である。

 つまり、基幹系システムなどのソフトウエアが長年の改修作業でスパゲティ化して、改修を担当する技術者以外はプログラムコードを「解読」できなくなる現象である。そういえば、「2025年の崖」で有名になった経済産業省の「DXレポート」では、基幹系システムでのこのブラックボックス化を、企業のDXを阻む深刻な問題として取り上げていたな。

 こちらのブラックボックス化が深刻な問題となるのは、2つ目に挙げた業務のブラックボックス化ともつれ合うように進むからだ。業務のブラックボックス化が進行するのは、単に業務担当者がシステム化以前の業務を忘れてしまうからだけではない。その後の業務の変化もブラックブックス化に寄与する。業務の変化は、新商品の発売に伴ってのことかもしれないし、法制度対応のためかもしれない。はたまた何らかのカイゼン活動の「成果」を取り入れたのかもしれない。いずれにせよ、そのたびにソフトウエアは改修されていく。

 結果として、業務はどんどん変わり複雑になっていくが、その複雑さの大半はソフトウエアの機能として、つまりシステムで処理されるから、従業員の仕事が複雑になっていくわけではない。ただし業務プロセスなどはますます分からなくなっていく。しかも、こうした業務の変更に伴うソフトウエアの改修などによって、ソフトウエアもどんどん訳が分からなくなる。技術者不足や緊急の改修要求などのせいで場当たり的な改修が繰り返されるケースが多いから、いつの間にか担当の技術者以外には理解できないスパゲティ状態となる。

 ただし、ソフトウエアによるブラックボックス化は、ただちに大きな問題になるわけではない。記事の冒頭で書いた通り、ブラックボックスには「中の人」がいるからだ。中の人とは、ハードウエアやOS、ミドルウエアなどの場合で言えば、それらの製品を開発・保守しているITベンダーの技術者たちだ。一方、2つ目と3つ目、つまり業務のブラックボックス、そしてスパゲティ化によるソフトウエア自体のブラックボックスでは、システムの保守運用を担う技術者が中の人に相当する。

 中の人がいるからといって、安心してよいというわけではない。中の人が突然いなくなることもあるからだ。あっ、そうだ。「突然いなくなる」というのは表現がおかしいな。十分に時間があったにもかかわらず、事の重大性を認識しようとせずに放置し、そのうちに中の人がいなくなるケースがほとんどだ。3つの領域のブラックボックスの全てで中の人がいなくなり、「このシステム、どうするんだ」とぼうぜんとしている企業もあるから、まさに中の人の消滅は真夏の夜の怪談より恐ろしいのだ。

RPA導入が恐ろしい理由は「中の人」の不在

 基幹系システムなどを利用する業務担当者から自身の絡む業務プロセスが見えなくなっても、保守運用を担当する技術者はブラックボックスの中の人として、少なくとも自身の担当する範囲の業務を把握している。プログラムコードがスパゲティ化して他の技術者にはソフトウエアがブラックボックスになっても、担当の技術者は自身がぐちゃぐちゃにしてきたコードだから、そのコードに手を入れられる。

 そんな訳なので、これらのブラックボックスの中の人である技術者は、本来ならとても貴重な存在だ。ところが、その価値はあまり認知されておらず、中の人が「外の人」だったりする。何の話かと言えば、IT部門が丸投げ体質で、システムの保守運用をITベンダーの常駐技術者に頼り切っているケースだ。これは企業だけでなく官公庁でもおなじみの話。自分たちの業務もシステムも「外の人」しか知らないのだから本当に恐ろしい。

 で、この中の人ならぬ外の人がいなくなるという事件が起こる。例えば、企業なら毎年のように保守運用料金の値下げをITベンダーに要求し続けた場合に起こり得る。ITベンダーは当初、値下げ要求をのんで常駐技術者の人数を減らすなどして対応するのだが、そのうち採算面で耐えられなくなり、常駐技術者の疲弊や不満も限界に達する。ついにITベンダーが撤退を通告し、ブラックボックスの中の人は誰もいなくなる。これは「本当にあった怖い話」だ。

 ちなみにRPAによる業務のブラックボックス化の場合、そもそも初めから中の人がいない。RPAの導入前にデータの入力業務などを担っていた人は、派遣など非正規雇用の人が多く、RPA導入から時を置かずにいなくなってしまう。正規雇用の従業員も別の業務に就くから中の人ではない。RPA導入を支援した技術者も中の人を続けることはない。かくして中の人がいないままソフトウエアロボは動き続ける。さて将来、何が起こるか。乞うご期待、である。

 もう1つのブラックボックス、つまりハードウエアやOS、ミドルウエアなどの中の人がいなくなるというのは、なかなか想定しにくいかもしれない。だが、これは極めて頻繁に発生する。何せ日本企業は最新の製品、最新バージョンのソフトウエアを使いたがらない。古い製品、古いバージョンのソフトウエアを使い続けているうちに、ITベンダーが製品に対する保守サポートを停止し、開発や保守に携わった中の人である技術者も担当を外れていなくなるというわけだ。

 企業によっては、3つのブラックボックスの全てで中の人がいなくなったという悲惨な話もある。中堅クラスの企業での悲話だが、随分前に構築した基幹系システムを延々と使っているうちに、ハードウエアやOSなどはサポートが切れた。それでも問題ないと判断して使い続けているうちに、今度は基幹系システムのブラックボックスの中身を知る唯一のIT担当者が退社し、中の人は消滅してしまった。社長が事の重大性に気づいたときは、まさに後の祭りだったという。

 さて、いかがだったであろうか。この「極言暴論」ではブラックボックス化問題を何度か取り上げているが、今回は「中の人問題」の観点でまとめてみた。結局のところ、企業が何もしなくても、いつまでも中の人として献身的に尽くしてくれる技術者やITベンダーなどいないということだ。付加価値の少ない基幹系システムにはITベンダーに中の人が大勢いるパッケージソフトウエアやクラウドなどをそのまま使い、どうしても独自システムが必要ならば自社で中の人を育てるしかない。そう思うが、いかがか。』