わかる!国際情勢 EU(欧州連合)~多様性における統合
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『2010年2月3日
EU(欧州連合)~多様性における統合
“Unity brings strength.″(統合は力をもたらす)――ヘルマン・ファン=ロンパイ欧州理事会議長
2009年12月1日、EU(欧州連合)はリスボン条約の発効により、地域統合の新たな局面へと前進しました。EC(欧州共同体)を前身とするEUが、ヨーロッパでどのような発展を遂げてきたのか、そして、リスボン条約によってEUはどう変わるのか、半世紀余りの歩みを振り返りながら考えます。
■EUの”新しい顔″が誕生
リスボン条約のポイント リスボン条約は、2007年に調印され、2009年12月に発効したEUの新しい基本条約です。
この条約の大きな特徴としてまず挙げられるのが、EUの”新しい顔″の誕生です。
EU加盟国の”首脳会議″とも言える欧州理事会の「常任議長」、そして、一国の”外務大臣”にあたる位置付けの「外務・安全保障政策上級代表」の2ポストが新設されました。
欧州理事会にはこれまでも議長がいましたが、常任ではなく、EU加盟国の首脳が半年交替で就任していたため、EUの重点課題が半年ごとに揺れ動いたり、本国の国政とのバランスをとるのが難しかったりするなどの課題が指摘されていました。
外務・安全保障政策上級代表は、複雑な国際情勢の下でEUの外交政策を強力に推進するために新しく設置する「対外活動庁」(EU版の外務省)のトップに立ちます。こうした機構改革により、民族も言語も多様なEUは、より民主的で力強い政策が展開できるとしています。
ほかにも、気候変動、テロ対策、警察・司法分野の段階的な統合、移民・難民政策の共通化、EU拡大など、新たな課題への対応能力も一層強化していくことになりました。
EU加盟国と加盟年
■ヨーロッパで地域統合が進んだ理由
EUは地域統合の先進例として注目されていますが、そもそもなぜヨーロッパでは地域の統合が進んだのでしょうか。
その答えは、ヨーロッパ大陸で互いに国境を接する国々が、絶えず戦争を繰り返してきたという歴史にありました。
特に、第1次世界大戦(1914~1918年)では、ヨーロッパが主戦場となったことから、各国の被害はそう簡単に立ち直れないほど甚大なものでした。
その中で、不戦と平和に向けた取組の模索が始まり、そのひとつの形態として、欧州統合の兆しが見え始めました。
オーストリアの貴族クーデンホーフ・カレルギーは1923年、地域統合によるヨーロッパ再生を構想し、この頃から民族の対立を超えた社会を目指す理想が次々に提唱されはじめます。
後に「欧州統合の父」と呼ばれるフランスの政治家ジャン・モネは、ドイツとフランスの国境地帯で採掘される石炭と鉄鉱石の共同管理を提唱しました。
しかし、世界大恐慌の発生(1929年)に続き、ヒトラーの台頭がヨーロッパにナショナリズムを巻き起こし、世界は第2次世界大戦(1939~1945年)へと突入していきました。
■EUの源流となった3つの共同体
EU地域統合の歩み 欧州統合の理想が具体的に動き出したのは、1950年、ロベール・シューマン仏外相が、ジャン・モネの構想を具体的にシューマン宣言で、独・仏の石炭・鉄鋼の共同管理として提案したことがきかっけでした。
石炭、鉄鋼と言えば、それまで独仏対立の火種となっていた資源ですが、その生産を共同管理機関の下に置くことで、両国の和解と平和を進めようとしました。
つまり、それまで戦争の資源と考えられていた石炭と鉄鋼で、平和の基礎を築くという発想で、言い換えれば、経済の安定を図ることによって、政治的な不安定要素を取り除くというものでした。
1952年、ヨーロッパはECSCの創設をもって統合への歩みを踏み出し、1958年には経済統合を進める「欧州経済共同体」(EEC)、原子力エネルギー分野での共同管理を進める「欧州原子力共同体」(EURATOM)を発足させました。
そして、これら3つの共同体は1967年、運営機関が統合され、「欧州共同体」(ECs)として再スタートします。これが今日のEUにつながる欧州統合の源流となりました。
■国際情勢の変化とEUの拡大
欧州の統合は、経済分野での協力が大きな柱となって進められてきましたが、その背景には激動する国際情勢が大きく関係していました。
20世紀後半、ヨーロッパ諸国の海外植民地が次々に独立を達成し、旧宗主国だった欧州の経済基盤は少なからず影響を受けました。
さらに1987年には、「ブラックマンデー」と呼ばれる世界的な金融恐慌が発生し、ヨーロッパ株式市場にも余波が及びました。
また、1989年には、ベルリンの壁崩壊とともに冷戦が終わり、東西ドイツが統一されると、今度はヨーロッパにおける安全保障環境も大きく変わってきました。
こうした大きな世界の流れを受け、ECはよりヨーロッパ内での結束を固めていく道を進んでいきます。
ECは1991年、欧州連合条約(マーストリヒト条約)の合意(発効1993年)により、新しい統合体である「欧州連合」(EU)を誕生させ、その後は旧共産主義圏の中東欧諸国をもメンバーに取り込みながら、さらに拡大と深化を続けました。
■単一通貨「ユーロ」の導入
現在のEUは27加盟国で構成され、総人口は約5億人、GDPは約16兆8,000億ドル規模(日本の3.8倍、米国の1.2倍)にも上ります(2008年世界銀行)。
EUの経済統合は、関税同盟や単一市場に加えて、単一通貨「ユーロ」の導入が大きな特色ですが、構想段階から実際に流通が始まるまで、実に30年近くもの月日がかかりました。
ECで通貨統合を視野に入れた通貨安定の取組が始まったのは1971年、為替相場が固定相場制から変動相場制に移行したころからでした。
その後、紆余曲折を経て、1989年に経済通貨同盟結成に向けた計画を採択。
1990年から域内での市場統合が促進され、欧州通貨機構の設立などを経て、1999年、単一通貨「ユーロ」(?)が導入されました。
導入当初は現金を伴わない決済通貨でしたが、2002年にユーロの紙幣と硬貨の流通が始まりました。
ユーロは、世界市場において単独で競うには小さすぎる国(通貨)でも、EUとして結束することで競争力を高められるということを世界に証明しています。
ユーロに込められたEUの思い
今や国際的な基軸通貨となった「ユーロ」のデザインには、欧州統合に向けたEUの思いが込められています。
ユーロ硬貨の場合、金額が記された表面は、欧州の地図をあしらった共通のデザインになっていますが、裏面は、オーストリアは「モーツァルト」、イタリアは「レオナルド・ダ・ヴィンチの人体デッサン」など、各国の独自性を表すデザインになっています。
一方で、ユーロ紙幣はデザインが統一されており、表面には「窓」や「門」、裏面には「橋」が描かれています。
これは、窓や門が「開かれたEU」という理念を表し、橋が「人と人のつながり」を象徴しています。
紙幣に描かれた建築物は、どこの国かを限定しないよう、ヨーロッパの特徴をよく表した架空の建築物が描かれています。
ユーロに込められたEUの思い
■EU独自のガバナンス
リスボン条約の署名風景 このように一歩ずつ地域統合を進めてきたEUは今、どのようなガバナンス(統治)の体制を築いているのでしょうか。
EUは今回発効したリスボン条約に基づき、「欧州理事会」「EU理事会」「欧州議会」「欧州委員会」、そして新設の「欧州対外活動庁」による国家の枠を超えた独自の仕組みを築いています。
欧州理事会は、加盟国の首脳で構成され、EUの方向性を決める”サミット”のような会合です。
EU理事会は各国の閣僚レベルで構成され、EU市民を代表する欧州議会とともに、法案の議決などを行っています。
その法案を提案するのが、執行機関にあたる欧州委員会です。
EUが扱うさまざまな政策課題のなかでも、外交については、対外政策を一元化してさらに国際社会でリーダーシップを発揮しようというのが、これから本格的に始動する欧州対外活動庁です。
また、EU理事会の議決はこれまでコンセンサス方式(全会一致)で行われていましたが、2014年からは新たな加盟国の承認などの重要事項を除いて、特定多数決方式(加盟国数と人口に比例して投票する方法)になります。
これによって、将来的にEUの加盟国がさらに拡大したとしても、議論が停滞することなく、政策決定のスピードアップが図られることになります。
EU独自のガバナンス
欧州憲法条約からリスボン条約へ
EUは、民族も歴史も異なる27の加盟国が、「欧州」という1つの共通したアイデンティティを帯ひもに結束した大きな組織ですが、すでに存在している国々の上位に立つ組織というよりは、それらを代表する立場を担う組織という発想に基づいています。
実は、リスボン条約には、「欧州憲法条約」という前身があります。
欧州憲法条約は2004年に署名されましたが、フランスとオランダで行われた国民投票でこの条約の批准が相次いで否決され、状況は一変。
憲法条約はそもそも、度重なる改定でわかりにくくなっていた基本条約を、実質的に整理する目的で作られたものでしたが、「憲法」という名称やEU旗、EU歌の規定などが盛り込まれていたため、あたかも各国憲法の上位に置かれ、国家主権や国民のアイデンティティを脅かすのではないかという懸念を生んだからでした。
このため、EUはそのような懸念を招きかねない条項を削除するなどして、改めて別の条約を作成。それが、リスボン条約です。
このように、EUは試行錯誤を繰り返しながら、各国のアイデンティティを尊重する理想の統合体に向けて徐々に歩みを進めているのです。
■23年間続くトルコのEU加盟交渉
EUには更なる拡大を続ける上での課題もあります。地理的にヨーロッパとアジアの接点にあるトルコは、1987年に加盟申請を行っていますが、実際に加盟交渉が開始されたのは2005年でした。
トルコは北大西洋条約機構(NATO)加盟国であり、長年にわたってEUとの間に連合協定を結んできた国ですが、オスマン帝国時代にさかのぼる欧州との紛争の歴史や、EU市民の多くがキリスト教徒であるといった要因に加え、EU加盟国であるキプロスとの間に領土問題などもあり、今後の交渉の見通しは予断できません。
一方で、かつてユーゴスラビア連邦を構成していたクロアチアは、近い将来に加盟することが有力視され、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニアなどバルカン半島諸国も、潜在的な加盟候補と見られています。
■幅広い政治・経済統合体を目指して
EU旗と加盟国の国旗 EUは経済的な統合を足がかりに、この半世紀余りで、国家の多様性を尊重しながら、他に例がない政治・経済統合体へと発展を遂げました。
欧州理事会のヘルマン・ファン=ロンパイ議長は、リスボン条約の発効にあたり、「27の加盟国は、文学、芸術、言語のいずれも異なる。そして、それぞれの国に多様性がある。多様性は、私たちの財産、発展、力の源である。EUは寛容と尊厳の模範であり、また、そうでなければならない」(全文はこちら)と述べました。
新興国の台頭や経済危機の発生でめまぐるしく変わる国際経済情勢や、気候変動など緊急性が増す地球規模の課題を前に、EUは国家の枠を超えた地域における国家間協力のあり方について、国際社会に大きな視座を与えてくれています。
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