社会問題が政治課題になると起きる喜劇

社会問題が政治課題になると起きる喜劇
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/31335408.html

『ドイツが完全に原発を止めました。3基だけ残っていた原発を止めて、全ての原発が廃炉プロセスに入りました。原発の場合、スィッチを切るように止めるわけにはいかないので、正確に言うと、原発を送電網から切り離して、発電した電気が送電されなくしたという事ですね。これから、長い期間をかけて、原子力燃料からでる放射線が消えるまで、ただただ無用の施設として見守る事になります。これにも、費用はかかるんですけどね。まぁ、反原発派の人にとっては、おめでたい事です。

これからドイツは不足する電力を、石炭火力発電所やら、外国から買うなどして補いながらエネルギーを調達する事になります。そうなんですよ。石炭火力発電所は、原発の廃止によって、活用されるようになる予定です。この前、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんが、ドイツの炭鉱の敷地を、活動家仲間と不法占拠して逮捕されていましたが、原発の廃止で石炭採掘が活況を迎えています。まぁ、イギリスと同じですね。気象条件で発電量が変わる自然エネルギー発電では、安定して電力が確保できないのです。反原発は、環境問題の他にも、そもそも安全保障の面で、危険だという意見もあるので、一概に環境問題とバーターにするわけにもいかないのですが、せっかくクリーンネエルギーにねじ込んだのに、ドイツに限って言えば、何の恩恵にもなりませんでしたね。

これで、また問題になるのが、白眼視されて技術開発が止まっている欧州の石炭火力発電所って、一昔前の施設が殆どなんですよね。つまり、煤烟やら二酸化炭素を出しまくりです。日本の石炭火力発電所は、エネルギー源を分散させる方向で管理してきたので、今でも煤烟と二酸化炭素排出の低減の研究を進めて、恐らく最先端を走っています。環境活動家の皆様が、ヒステリックに日本を吊し上げて、「石炭火力発電所を止めろ」とか、環境問題に消極的だとして侮辱的な賞を贈呈して溜飲を下げている間に、地道に石炭火力発電所を使わざるを得ない時に、環境に対する影響を極力抑える対処をしていたわけです。口じゃなくて、手を動かせって事です。完全に脱化石燃料が達成できる見通しが立っているならともかく、そうじゃない時点で、思想的な観点から、物事を決めつける愚かしさというのが、良く判ります。彼らは、自分達が嫌っていた石炭火力発電に当分は頼らないと、今の生活を維持できないのです。確実にエネルギー料金は、爆上げするでしょうね。50%の値上げが、既に予定されているらしいです。多分、この事は、公には批判されないと思います。それよりも、「原発を止めた。凄い」という事だけが喧伝されるでしょうね。

これの問題は、社会問題を政治課題にして、それを達成する事を目標にしてしまっている点です。その方向が正しいのであれば、問題が無いのですが、色々と新たな問題を引き起こす事が判っていたり、時期尚早だったりしても、思想的な正しさとかいうもので、ゴリ押しされるんですよね。有権者に人気な事を成し遂げれば、得票につながるからです。そして、この方向性が、私なんかからすると、単なる「集団ヒステリー」に見えるような事が動機になっている事が多い。

昔、アメリカのハリウッドで、ヘイズ・コードという自主規制がありました。昔、映画産業というのは、卑しい職業とされていて、迫害されがちだったユダヤ系の移民が興した産業だったんですね。なんで、一時期、集客の為にエロ・グロ路線に流れた事があって、社会批判が高まり、立場的に弱い人々だったので、コッケイなくらい自分たちで自主規制をして、批判の矢面に立たないようにしたのです。例えば、「夫婦でも同じベッドに寝ているシーンは駄目」「警官をおちょくるシーンは駄目」「唇を吸うキス・シーンは駄目」と、もう映像になる結果で規制されて、物語の必然性とか完全に無視して、規制をかけてた時代があります。彼らにしてみれば、少数派のマイノリティー民族なので、その当時のアメリカの大部分を占めたプロテスタントの白人からの攻撃対象になったらアウトだったわけですよ。なので、後から考えたら、笑えるくらい自主規制しまくったわけです。

この規制は、アメリカン・ニューシネマの時代に、破壊されていって完全に無くなるのですが、その先駆けになったのが「俺たちに明日はない」とか「イージー・ライダー」とかの作品です。今でこそ、古典ですが、公開された当時は、社会的なバッシングが凄くて、それにも滅気ずに応援し、劇場に通い続けた当時の若者のエネルギーが、評価を変えさせた作品群です。

で、このヘイズ・コードと同じ事をしているのが、今のポリコレだと思うわけです。明確な法的規制が無くても、「文化侵略だぁ」「LGBTQだぁ」「人種差別だぁ」と、ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアーの皆様の合意が成立すれば、徹底的に相手をネット上でリンチにかけて、「こうなりたくなかったら、俺たちに従え」みたいな事をしているわけです。弱者とかマイノリティーと言っていますが、今や暴力を背景に圧力をかける集団になっています。実際、そうじゃない人々を「許さない」思想団体になっていますからねぇ。それが怖くて、グローバル企業は、批判されないように、多額の寄付をしていたりします。不買運動とか起こされると、商売が脅かされるからです。とても、正常な社会とは思えません。

現実的なすり合わせも無く、思想で突っ走ったエネルギー行政が、どうなるか、ドイツには是非とも、お手本としてウォッチしていきたいと思います。』