日本人はインカ・マヤ・アステカを理解していない!

日本人はインカ・マヤ・アステカを理解していない!古代文明の違いを調査!
http://osusumegeorge.seesaa.net/article/448414935.html

『2017年03月27日

インカ・マヤ・アステカと聞いてどんなイメージを持ちますか?何となくですが時代や場所など答えられますか?そんな3つを今回は比較してみました。同じような文明と捉えがちですが、場所も時代も違います。知っているようで知らない古代文明を調査です!

高学歴芸能人(東大卒や京大卒といった)が出演するクイズ番組で、難しい漢字や、日本・ヨーロッパの歴史問題などを次々に回答するなか、急にインカ・マヤ・アステカの問題となると沈黙していたのです。ただ地図での位置を答えるのだけなのに!!

たまたまその地域を学んだ経験があった私は、高学歴芸能人でもわからないのかっと落胆。人の知識は偏ったものですが、おそらく受験でもあまり関係がなく、スルーされてきた地域なのかなっと感じています。

そこで「インカ・マヤ・アステカ」の違いを調査してみました!
細かなところでも違いがあり、調べれば調べるほど面白かったです。

◆中南米って広いんです。

マチュピチュってマヤ文明ですよね~っとか、よく聞きます・・・
世界遺産好きの日本人ですら、中米も南米もひとくくりなのです。
※マチュピチュは南米のインカに関連した遺跡と言われています。

距離的な事を言えば、ヨーロッパと中東を同じにするぐらい違いがあります。それでもインカ・マヤ・アステカは同じだと認識されてしまうことが多いのです。でも場所はぜんぜん違いますから~!

・インカ帝国

南アメリカのアンデス山脈一帯に広がるエリアで、アルゼンチン、ボリビア、チリ、コロンビア、エクアドル、ペルーに広がっています。世界遺産のマチュピチュでも有名です!
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https://en.wikipedia.org/wiki/Inca_Empire

・マヤ文明

中米に広がり、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ベリーズに広がります。メキシコのチェチェンイツァーが有名ですね。
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https://en.wikipedia.org/wiki/Maya_civilization

・アステカ

アステカは、現在のメキシコシティーを中心に広い範囲に広がります。現在のメキシコシティーの地下に遺跡が埋まっているそうですよ~!
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http://www.ancient.eu/Aztec_Civilization/

◆時代が違いすぎます!

インカ・マヤ・アステカを中南米の代表的な文明として一律に紹介されますが、時代がかなり違います。

・マヤ文明

マヤ文明は、約紀元前2000年前後からスペイン人到来の1600年代までマヤの王国がユカタン半島に点在していたそうです。ちなみにマヤの人たち(マヤ諸語を話す人)は現在にも多く生きています。この長い歴史の全体を含めてマヤ文明と呼ばれています。地域も太平洋岸からカリブ海側に及びかなり環境的にも違いがあります。
マヤ・チェチェンイツァ640.jpg

・アステカ

時代は、紀元後1350年からスペイン人の到来までとなります。同じ中米の隣接するマヤ文明と比べると大変短い期間となります。もちろんその前には、違う国家が栄えていろいろな文化の影響を受けながらアステカが発展しています。民族は、ナワ語を話すメシカ族が主となりアステカを担って発展していったそうで、マヤと近い地域と言っても民族的にも違いがあります。
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・インカ帝国

スペイン人が到来する直前の時代は15世紀~16世紀と期間も短いのです。民族はクスコ地方の集団と考えられているそうで、広い範囲を統一した帝国としても広く知られてみます。ちなみにこの南米からかなりの量の金がスペインを通じてヨーロッパに渡ったことから、黄金伝説なんかにも通じているようですよ。
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http://www.britishmuseum.org/

インカとアステカというのは、その地域における文明の最近のお話で、スペイン人が到来により崩壊するまでに活躍した帝国的なものを指しています。しかしマヤ文明は、中米のユカタン半島の長い歴史をすべて総括するもので、他のインカやアステカとはかなり時代的な範囲が異なっているというのです!!

◆特徴で見るインカ・マヤ・アステカ!

当然ながら、地域も時代も違う『インカ・マヤ・アステカ』なので、その文化的な特徴も違ってくるのです。ここでは少しだけご紹介です。

・文字があるのはマヤ文明!?

マヤ文明の文字は、一見すると絵文字で意味が分かりにくいですが、実はこれ日本語とよく似た表音・表語文字でいわゆる「ひらがな」・「漢字」の組合せなのです。それだけしっかりとした文字体系が完成していたのがマヤ文明です。
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しかしインカなどを見ると、キープと呼ばれる縄で数字を表していたものはあるものの、文字らしい文字はなく、アステカでも絵文字はありますが、マヤ程の完成度ではなかったそうです。ちなみによく、「信じるか信じないかはあなた次第です!」的な話などで、先ほど紹介したアステカの石板の画像をマヤ文明の物のように説明されますが、これはアステカのもので、その点でも変な誤認がありますね。

雑誌ムーとかならきっとこんなミスはなく、無限の可能性を示してくれるでしょうが、なぜかテレビとなると変に決まった説しか唱えないので変な感じになっちゃうんですよね~。残念。

・インカ帝国は統一国家!?

インカ帝国のすごい所は、初めに説明した地図の範囲を統一していたところです。その仕組みも強固なもので、行政官がおかれるなど各地域の管理が行き届いていたようです。現在にも残るインカ道なんてのもその証拠の一つなのかもしれません。「全ての道はローマに通ず」でしたっけ?そんな感じでインカでも交通を充実させ統治の重要な役割となっていたのです!

ちなみにマヤ文明では、ユカタン半島の地域全体が統一されるようなこともなく、比較的各地域で都市国家的な形で分散して統治されていました。またアステカは、統一国家とよく言われるのですが、アステカによる統治は三国同盟により広がった範囲となります。もちろんアステカは中心的な存在であったことは間違いありません。また範囲としても広いものの、歯抜けのような状態で、貢納を主として関係を気づいていたようです。
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(whc.unesco.org/en/documents/121298 © Silvan Rehfeld)

・農耕に優れたアステカ

アステカは、チナンパという湖沼に人口の畑を作るという大事業を成し遂げているのです。杭を打ち、アシなどの草を引き詰め、そして湖底の栄養分のある土を盛ることで大地を作りあげ、生産性がよい畑ができるそうです。こういった部分でアステカは世界的にも特徴的な農耕技術をもっていました。食料の確保は重要ですから、アステカが大きく発展した一つの要因なのかもしれません。

マヤのティカル遺跡では、大河がないことから巨大な貯水を行っています。またインカでも段々畑は発展していますが、チナンパという考えはなかったようです。それぞれ何かに秀でているという部分があるようですね~。
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https://en.wikipedia.org/wiki/Chinampa

◆やっぱり似ている?似てない?

ヨーロッパの人からしたら、中国と日本はかなり似ているといわれるでしょうし、そういう意味では、中南米をひとくくりに認識してしまうのもわかります。しかし実際には結構違いがありますよね。

私も印象や思い込みではなく、知っていると思っている事、知らないことをさらに積極的に、このサイトを通じて考えていきたいと思っています!!できれば広く、深くですが、とりあえず広く浅くから・・・・。

それではまた楽しい話題でお会いしましょう~~~ 』

メキシコ古代文明年表
http://www.ai-l.jp/HtMexico/mexchronicle.pdf