ウクライナ戦争で幕を閉じた「平和の配当」の時代
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29976
『3月6日付の英フィナンシャル・タイムズ紙は、「平和の配当の終焉」(The end of the peace dividend)との社説を掲げ、ロシアのウクライナ戦争と中国の敵対行為により西側民主主義国は再度軍備拡充に舵を切ったが、今後福祉など、他の分野への資金配分との困難なトレードオフが発生すると指摘している。要旨は以下の通り。
冷戦終結後の四半世紀、西側民主主義国は、世界的対立は終わったと信じてきた。過去の防衛費の一部は学校や病院に回った。だがロシアのウクライナ侵攻と中国の敵対行動で、「平和の配当」は確実に終わりを告げた。米英豪が安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス)」の元で原潜の太平洋配備を発表し、英国が仏、独ほかに続き国防費増額を決めたのは今月(3月)だ。民主主義国は、戦争に備えることで国境の平和を保てると期待してきた。
西側政府が認識しつつある通り、兵器技術進歩で近代戦のコストは大きく増大した。更にウクライナ戦争は、21世紀の紛争は全てが遠隔地からのサイバー攻撃やドローン、精密爆弾による訳ではなく、これまでと同様に戦車や砲撃、地上部隊が意味を持つことを示した。全ての脅威に万全の準備をするには、全てのツールと産業基盤が必要だ。従って、民主主義国は冷戦時代に比べ、技術、情報、負担、調達のより幅広く深い共有が必要になる。
AUKUSはそのような原則を実施に移す意欲的な試みだ。3カ国は潜水艦のみならず極超音速ミサイル、AI、量子コンピューターでも協力する約束だ。豪英は新攻撃型潜水艦を共同生産する。豪州の資金が英国造船所の能力拡充を助け、共同調達でコストが下がる。
また、2つの別の三カ国連合(注:日英伊、仏独スペイン)が次世代戦闘機について協力している。欧州連合(EU)でさえ新たな試みを始めた。EUは弾薬共同発注のために10億ユーロを支出し、既存の在庫からウクライナに弾薬を供給する加盟国に対し10億ユーロを補填することに合意した。
その先には困難なトレードオフが控えている。1980年代後半以降公的支出に占める国防費比率が下がってきた結果、欧州諸国は税負担の大幅な増大なく福祉システム拡充ができた。西側政府は新たな軍拡が何を意味するかにつき未だ国民に説明を始めてさえいない。
また、抑止のための再軍備のリスクは、相手がそれを挑発と捉えることだ。冷戦期には2超大国の直接紛争は最終的には回避された。今日の複雑な地政学的状況は、この再演を相当難しくしている。
* * *
ウクライナ戦争や中国の台頭に呼応した西側陣営の国防費増加が、福祉、教育など他の分野での政府支出に影響を与えることを「平和の配当(平和の結果国防費以外に支出を振り向けられた)の終焉」という言葉で説明した、ある意味当然だが、従来あまり見たことのない視点を提供する社説である。
第一に、紛争に対する最大限の準備をすることが、紛争の発生自体を抑止するための最善の道であるという「抑止」の基本的前提は間違っていない。冷戦終結以降の西側における国防に対する投資の落ち込み・停滞が、今日の事態を招いた一因であろう。
そもそも米国の国防費がNATO加盟国の国防支出総額の約7割を占めるという状況は、防衛上の問題以前に米国の国内政治上持続可能ではなく、トランプ前政権はそのことをこれ以上ないほど直接的な形で指摘したのだが、欧州の対応は緩慢だった。その米国でさえ、国防費は2010年以降減少傾向で、2015年に2010年比で15%近く減少し底を打った後増加に転じたが、ようやく2020年に2010年のレベルを超えた(+5%)に過ぎない。』
『それでもまだ米国の国防支出は世界全体の国防費の40%を占める膨大な額であるが、バイデン政権はこれまでインフレ率を下回る国防予算しか提案しておらず、それを増額しているのは議会側だというのも、若干気になる話だ。そして、欧州と日本の国防費支出を巡る基本的対応を変えるには、残念ながらウクライナ戦争のような危機が必要だったというのが現実である。
「抑止のための再軍備のリスクは、相手がそれを挑発と捉えることだ」という指摘があるが、軍拡を続けてきたのは相手方であり、それに対応することを更なる軍拡の口実にするのは筋違いだ。上記の通り2010~20年に米国防費がほとんど増加せず、支出累計の伸びが鈍化していた一方、中国の国防費の伸びは驚異的で、同じ2010~20年の間に2.4倍になっている。これは、年平均17%以上の伸びである。
求められる国民への説明
第二に、この社説の主題である、国防費増が福祉・教育などの他の支出に与える影響であるが、「西側政府は新たな軍拡が何を意味するかにつきまだ国民に説明を始めてさえいない」というのは重要な指摘である。ということは、昨年来の岸田政権による防衛費増額の原資に関する議論は、増税議論の不人気を承知の上で政府としてあるべき正直な問題提起を行ったものとして高く評価されるべきだろう。
詳細は今後の議論が必要だが、将来に向けた基盤的支出である防衛費を国債発行という借金ではなく、経費削減と最低限に必要な増税で賄うと言う大枠が既に決まっていることの意味は大きい。
最後に、国防費増はようやく始まったが、抑止すべき「対象」において未だ「空白」がある。最近になって報道されるようになったが、アフリカに対する中国の進出はここ数年で始まった話ではなく、対応ぶりも過去の失敗から学びながら日々進化している。
ロシアの進出はまだ一部に限られているが、中央アフリカなどにおける歴史は長い。「裏庭」に責任を持つという考え方から言えば、日本が東南アジアの平和と繁栄に対して継続的に努力し一定の成果を上げてきたことに比べ、欧州全体としてのアフリカへの関与は大いに不十分だ。ウクライナ戦争を奇貨として、この空白に対して欧州が対応することが望まれる。』