習近平の訪露によるウクライナ侵攻仲介と多極化構築

習近平の訪露によるウクライナ侵攻仲介と多極化構築
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29888

『2023年4月4日 平野 聡 (東京大学大学院法学政治学研究科教授)

「一部の日本側指導者は、いわゆる《秩序》を大いに語っている。ならばわれわれはそれをビリビリに引き裂いてやる! 今日の世界秩序は世界反ファシスト戦争の勝利の上に築かれており、それに挑戦する歴史修正主義を中国は絶対に受け入れない!」

 「米国側のいう米中関係のセーフガードや衝突回避とは、中国側を縛って転倒させ手足も出させず、罵られるままに口ごたえもさせないようにすることだ。しかしそうはさせるものか! 米国が偉大であるならば、別の国が発展するのを受け容れる雅量を持て!」

 王毅氏に代わって新たな中国の外交部長に就任した秦剛氏は、去る3月8日に催された記者会見の場で、およそ職業外交官の洗練とはかけ離れた表現で、「開かれたインド太平洋戦略」を通じた日本の役割拡大と対中批判、ならびに国際的な連帯を説く米国の戦略を切り捨てた (中国外交部公式HP所載全文の語感をそのまま直訳した)。

 このことは、昨今の日米をはじめとした西側諸国による規制強化の結果、今般の全国人民代表大会(以下、全人代)での政府活動報告が示した「さらなる外資・外国技術の導入によって中国の自立・自強を進め、高度科学技術における争奪戦に勝利し、サプライチェーン自立を強靭化し、製造強国を実現する」という方針に暗雲が垂れ込め、中国経済そのものの再起にも問題が山積しているという吐露に他ならない。

ロシアによるウクライナ侵攻から1年を経て、習近平国家が訪露した意図とは(ロイター/アフロ)

 その「中国の秩序は認めよ。外国が示す秩序は受け入れられないし、かつての振る舞いを忘れて正義ぶった者が示す秩序はなおさら受け入れられない。ただ単純に貿易の自由は認めよ。強き者は競争相手に少しは手加減せよ」という狼狽は、あたかも20世紀の世界史でいつか見た光景である。

 しかし習近平思想は、内外におけるさまざまな強権への批判を「国情」の名において決して受け入れないばかりか、ごく当たり前な人間の尊厳をも「反人権」と切り捨てるものであり、現在進行形で世界の姿を確実に不安定なものにしている。しかも中国は、「自立・自強」と「多極化」の名において囲い込んだ「圏域」「共同体」によって、既存のグローバリズムを圧倒しようとしている。

 その可能性に米国をはじめ西側が次第に気付き、しかもロシアのウクライナ侵攻に対して中国が明確な立場を示さないことが、西側の危機感を強めていることの意味を、中国は真剣に考えるべきであろう。

 とは言え筆者の見るところ、「中国中心の多極化グローバリズム」を掲げる習近平思想の立場は、ロシアのウクライナ侵略1周年を機に、ロシアと西側の間で逡巡するのを止めたのかも知れない。習近平政権は西側への憎悪、そして「多極化した新型国際関係」における同志国ロシアの戦略的立場への配慮のため、何一つ侵略されたウクライナの側には立っていない。しかも「侵略戦争は許されない」という、そもそも中国自身が(特に日本に対して)掲げている規範を自ら損ねつつある。』

『反西側言説・多極化世界構想としてのロシア支持

 2月24日に習近平政権が発表した「ウクライナ危機の政治解決に関する中国の立場」では、「各国の主権・独立と領土の一体性は切実に保障されるべきである」という。しかし、各国の独立のありようや領土が具体的にどのような状況・範囲を指すのかについて、習近平政権は一切説明しない。さらに中国は「一国の安全は、他国の安全を代価とすることはできない」「地域の安全は軍事集団を強化し、拡張することによっては保障されない」という。

 要するに習近平思想は、ウクライナ南東部を強奪して得られた「新領土」を含む「ロシアの一体性」を尊重するかたちでの「平和的」な解決が望ましいとみている。そして習近平思想は、ウクライナの安全保障を求めるウクライナや北大西洋条約機構(NATO)の立場は、ロシアの利益を毀損するため認められない、と暗に言いたいのである。

 しかし、NATOのストルテンベルグ事務局長が「中国はあまり信用されていない」とコメントした通り、ある意味当然のように「立場」の評判が芳しくないためであろうか、3月7日に記者会見を行った秦剛外相は、ウクライナ危機をめぐって次のように述べ、事態の責任を米国とNATOに転嫁した。

 「ウクライナ問題の本質は、欧州における安保ガバナンスの矛盾が大爆発したものである。見えざる手(=米国とNATO)が衝突の引き伸ばしと悪化を仕掛け、ウクライナ危機を通じて地政学的な利益を得る陰謀を試みている。ウクライナ危機における各方面の合理的な安全への関心は全て尊重されるべきだ。中国は独立自主で判断し、和平と対話を重視している。危機の製造者・当事者ではないし、武器供与もしない。何を根拠に中国に責任をなすりつけ、制裁や威嚇を加えるのか?」

 しかしそもそも、徹頭徹尾ロシアの側に立ち続けていることこそが習近平政権の責任である。結局は習近平思想における反西側言説・多極化世界構想こそが最優先であり、プーチン・ロシアは得難い協力者だということなのであろう。

 習近平氏がモスクワを訪問し、伝えられるところによると10時間以上にわたって緊密な会話を交わし、パートナーシップを大々的に誇示したことは、そのような態度表明に他ならない。昨年9月の上海協力機構・サマルカンド首脳会談の際に、プーチンを前にして習近平氏が示した今ひとつれない態度とは全く対照的である。

 この時はまだ、中共第20回党大会における習近平3選の前であり、西側とロシアの双方を睨んで中国の立ち位置を測りかねていたか、それとも自らの3選を前に外交上明確すぎる態度を示すのを先送りしたかのいずれかであろうが、少なくとも方針が明確にならなければ、かくも大々的で記念すべきモスクワ訪問にはならないはずである。』

『ウクライナを犠牲にする中国

 実際、3月21日に発表された「中露新時代の全面戦略的協力パートナーシップの深化に関する共同声明」は、目下のところ習近平政権の発展観・文明観・グローバル観の集大成の一つとなっている。要約すると、以下のように言う。

 多極化された国際秩序が加速度的に形成され、新興国と途上国の地位が増強され、グローバルな影響力を増している。その中から、自国の正当な権益を断固として守ろうとする地域大国が増え、米欧中心の覇権主義・一方的なやり方・保護主義の横行に反対するのは当然である。

 「法の支配に基づいた秩序」なるものによって、一般的な国際法の原則にとって代わることは受け入れられない。

 「民主主義が権威主義に対抗する」という西側の言説は虚偽である。(筆者注:ゼレンスキー政権もまたこのような言説によりウクライナ国民を鼓舞している以上、習近平思想はウクライナとの対立を暗に覚悟したことを意味する)

 各国の歴史・文化・国情は異なり、いずれも自主的に人権と発展の道を選択する権利がある。他者よりも抜きん出た「民主」は存在しない。だからこそ世界の多極化を実現し、国際関係を民主化すべきである。中露両国はその実現のためのパートナーである。

 総じて習近平思想はプーチンとともに、これまで人類社会がさまざまな摩擦や葛藤を繰り返しながらも次第に確認しあってきた普遍的価値を否定し、力を持つ者が自らの論理を内外で強め、物質的発展と勢力圏拡大を目指すという事実こそが普遍的であると言わんとしている。そのような国々が互いに一目置きパワーシェアリングすれば「多極化された国際社会の民主化」だという。

 したがって習近平氏が、自らの強権や誤った政策のために苦しむ人々の声に耳を傾けることはないし、侵略されたウクライナの痛みを共にするとも思えない。

 既に習近平氏は国内において、「これこそが中華民族共同体意識であり、中国の人権と発展観念である。外部勢力の干渉を拒否して中国の正しい声を受け入れれば誰もが幸せになれる」と称して人々を動員・参加させてきた。そして反発する人々に対しては「外部勢力の影響を受けた分裂主義者・極端主義者への打撃」と称して、一切の容赦なき鉄槌を下してきた。

 そしてプーチン・ロシアも「東スラブ民族の共同体意識」を説き、ウクライナが「米国やNATOの悪影響から脱し、ロシアの声を受け入れれば幸せになれる」と称して侵略を続けている。

 このように、習近平・プーチン思想は、彼らが影響力を持つと称する範囲において、過酷なガバナンスを通じて思想を統一するという点でも、多極化した世界において西側の影響を排除した「圏」を確立するという点でも、極めて似通っている。

 習近平思想の立場は、仮にロシアに対して直接の軍事支援はしないとしても、プーチン思想を擁護し放置し続けることによって、ウクライナの永続的な犠牲と引き換えに成り立つ「多極化世界」を享受しようとしている。少なくとも、ロシアの侵略が引き続くことになれば、西側とロシア双方が莫大な戦費を使うことになり、相対的にみて中国の軍事的プレゼンスに寄与する。また、ロシアは確かに資源を擁する大国であり、完全に衰退する可能性は恐らくない中、それでも今後は中国に依存しながら生きる「弱小な極」であり続けるならば、中国主導の多極化世界構築と「国際関係の民主化」にとって有利である。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、岸田文雄首相のキーウ電撃訪問で日本の強い支持を得たのを受けて、習近平をウクライナに招待した。しかし恐らく、習近平氏はウクライナ国民一般に響く言葉を持たないはずである。』

『日本がとるべき選択

 この先にあるのは、ユーラシア大陸にくすぶる剥き出しの強権がグローバルな規模で広がり続け、彼らなりの「国情」を振りかざしつつ、規範に基づく国際秩序を揺るがす混沌の世界である。それは、文明や文化を異にする他者どうしが時間をかけて共通の規範を見出し共有しようとしてきたこれまでの人類社会の知的営為の否定であり、グローバリズムの深刻な危機・敗北を意味する。

 その中で習近平思想は具体的に、多極化世界における自らの足元たる東アジア、そしてアジア・西太平洋地域を自らの「圏」と見なし、その中心にいるのはかつての「反ファシスト戦争」の勝者にして、今や「西側にも勝った」中国であるという姿勢をいっそう強めよう。そして、ウクライナに対するロシアの発想と同じく、「米国や西側ではなく中国との協力・中国の恩恵があってこそ、真正の日本の繁栄がある」と称して、日本の政策決定の余地を狭めようとするであろう。

 それが好ましくないと思うのであれば、日本は一層、開かれたアジア太平洋秩序、法の支配に基づく国際秩序の擁護に向けて、志を同じくする国々やNATOなどの組織との一層緊密な協力を打ち立てつつ、日本自身の経済と社会の質と魅力を盛り返すことが喫緊の課題と言える(とりわけ中国は「グリーン経済」を掲げ、莫大な投資を続けている)。そして中国に対しては、「現状の内政と外交では中国の将来の可能性を狭めるだけであり、他国を圧倒する世界観ではなく、誰もが受け入れられる共通の規範のもとで相互尊重の関係を築く」ことを求め続けるべきである。

 このような意味において、日本が秦剛新外相から「日本のいう秩序などビリビリに引き裂いてやる!」と罵られたのは、実は日本が普遍的価値観に照らして適切な方向を歩んでいるということであり、この上もない名誉なのである。

 その秦剛外相は、去る4月2日に開催された林芳正外相との会談の場で、「平和共存、友好協力が中日両国にとって唯一の正しい選択だ」と強調しつつも、同時に経済的な規制をめぐって「矛盾や分岐をめぐって一部の国々と結託して(拉幇結派)、大声を叫んで圧力をかけるだけでは問題は解決せず、相互の溝を深めるだけだ」と牽制した。中国は、自国の市場の巨大さという魅力と、それが中国自身の「自立・自強」のために日本を排除したものになる可能性を目の前にちらつかせ、改めて日本に対して「米国・西側を選択して低迷するのか、それとも多極化世界における弱小な極として自立しつつ、中国との協力によって生きる道を選ぶのか」と暗に迫ったと言える。

 しかし、そのような交渉を前にして日本人ビジネスパーソンを拘束することと、プーチン・ロシアに従わないウクライナを侵略し「ナチからの解放」を掲げることと、発想において一体何が異なるのだろうか。中露両国を日本単独で牽制できないのであれば、やはり開かれた規範を重んじる国々との協力により、中国自身の変化を待つ以外にない。』