我々が欲しいのは、長時間、安賃金で働く労働者だと言い始めた中国共産党
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/31144896.html
『 今まで、このブログの記事で紹介してきたように、今の中国は、地方財政は、職員の給料さえまともに払えず、住民に言いがかりをつけては、罰金を徴収して不足する財政を補う状態です。銀行は、金利を長期間に渡って、できる限り多く搾り取る為に、先払い返済に制限を設けたり、そもそも受付を拒否したりしています。政府は、年金や健康保険の制度を変更して、補助される額を、いきなり半分に減らしました。つまり、「金」が無いんです。あれだけ、高いGDPを自慢しておきながら、実際には、どこも金が無くてどん詰まりです。
こういう時に、中国共産党のやる方策は、一つの特徴があります。とにかく、自分たちの誘導したい方向に美談を捏造して、そうするのが社会的に正しいと宣伝するのです。一人っ子政策をやっていた時には、将来に不安を覚える夫婦に対して、「老後の面倒は政府が行う。それが共産主義だ」と言っていました。しかし、最近、放送された国営メディアのプロガバンダでは、幼少期から体に障害があり、労働に制約のある息子が、自身のハンディーを克服し、「国の扶助に頼らず」に老いた母親の面倒まで自立して見ている様子が「素晴らしい美談」として紹介されていました。つまり、「身内の面倒は、身内が見るのが立派で常識的な事だ。国を頼ってはいけない。どんなに状況が厳しくてもだ」と、共産党政府は言い始めたのです。
新卒の若者の就職率が、29%にまで落ち込み、北京大卒だろうと、清華大学卒だろうと、ユーバーイーツみたいな宅配や、誰でもできる単純労働しか就職口がありません。その宅配すら、余りにも希望者が殺到して、配達あたりの単価は下がりまくっています。賃金を安くしても、働き手は調達できるので、工場労働者の時給は、下がりまくっています。文句を言えば、クビです。実際には、建前上、一応は共産国なので簡単にクビにできないので、長期休暇という形で出勤停止にし、給料の3割程度の賃金で、飼い殺しにします。この賃金だと部屋代も払えないので、辞めざるを得なくなります。そもそも、中国の経済躍進が始まった頃から操業していた、20年超えの工場が、武漢肺炎中に倒産しています。経営者も煮え湯を飲まされているのです。
この状況をふまえて、中国政府が始めたプロバガンダが、「高学歴に拘るのは止めて、身近な労働を始めよう」というキャンペーンです。ここで、国営メディアが持ち出したのが、名門大学を卒業した高学歴の女性が、ダンボールや廃品を集めて売る事で、5桁の収入を得ているという、いかにも嘘っぽい話です。実際、こうした廃品回収業は、個人単位で出来る回収量では、ガソリン代が稼げるかどうかも怪しく、きちんと利益を出すには、トラックで複数の工場を回って、鉄クズやリサイクルできる資材を回収しなければなりません。壊れた電化製品や古紙の回収では、高収入は無理です。それでも、政府は、「我々が欲しいのは、安い賃金で働く労働者であって、高学歴の管理職候補生ではない。学歴など捨てて、とにかく働け」と、美談に仕立てて広報するわけです。
これは、中国が外資を誘致する魅力が、「安い労働力」でしか無いのが、ここのところアジア諸国との人件費の競争で負け始めて明確になってきているからです。頭がおかしいレベルの武漢肺炎対策で、生産スケジュールが狂って、迷惑をかけられまくった外資は、リスク分散の為に、中国にあった工場を閉鎖して、インドやベトナムに移しつつあり、もしくは自国へ回帰しつつあります。人件費の高騰で、自国で生産しても、余り変わらなくなったからです。なので、「高学歴で管理する人間」よりも、「安賃金で労働する人間」を増やす必要に迫られています。その為、単純労働で美談をでっち上げて、若者を単純労働に導こうとしています。
最近、習近平氏は、習い事や学習塾など、代金を取って教育する事業を禁止しました。無料で教えるのは良いが、授業料を取ってはいけないという施策です。表向きは、増加する教育費を軽減させ、競争社会になるのを阻止する為と言っていますが、ようは無駄に高学歴でモノを知っている人間が増えるより、一生涯、低賃金で文句なく働いてくれる奴隷が欲しいという事です。賢い人間はいらないのです。それでは、東南アジアとの競争に勝てない。
こうした夢を見れない社会を反映して、中国の若者はお寺にお参りする人が増えています。インターネットでお寺を検索する件数は、2019年の500倍に増えています。皆、霊験あらたかなお寺にお参りして、御札や祈願のグッズを買います。毛沢東の時代に、文化大革命で紅衛兵の若者達が、過去の権威主義の象徴として、寺を襲撃し、仏像を破壊し、経典を燃やし、坊主を殴ったのとは、えらい違いです。どうしようも無くなると、神頼みになるのですね。
祈る内容も、結婚や恋愛の成就は、大幅に減退し、就職や商売の成功が大幅に増えています。今まで、将来の為に、勉学で身を立てる事を目標にしていた若者は、それが叶う未来が無いと判ると、「精神の内部消耗」と彼らが呼ぶ状態になっています。そして、自力で、その感情を解消できる見通しは、絶望的です。その為、仏に縋って、救済を願うのです。彼らの希望は、金と健康であり、家族や恋愛は高嶺の花になりつつあります。こうした傾向を、「若者は寺に線香をあげにいくより、奮闘するべきだ」と説教するメディアは多いですが、「なぜ、若者が線香をあげに行くのか良く考えろ」という返事が秒で返ってきます。自省を求めて納得する段階は、とうの昔に過ぎているのです。』