ムーアの法則

ムーアの法則
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

 ※ 今日は、こんな所で…。

 ※ オレが初めて買った「コンピューター」は、NEC製のPC-98で、確か、「80286」搭載だったと思ったな…。

 ※ まだ、「フロッピー」でOS読み込むタイプで、起動すると「ツンツン、ツーン…」とかいう音がしたもんだよ…。

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原文と比べた結果、この記事には多数の(または内容の大部分に影響ある)誤訳があることが判明しています。情報の利用には注意してください。正確な表現に改訳できる方を求めています。(2016年5月)

集積回路に実装されたトランジスタ数の増大(片対数グラフ)

ムーアの法則(ムーアのほうそく、英: Moore’s law)とは、大規模集積回路(LSI IC)の製造・生産における長期傾向について論じた1つの指標であり、経験則に類する将来予測である。発表当時フェアチャイルドセミコンダクターに所属しており後に米インテル社の創業者のひとりとなるゴードン・ムーアが1965年に自らの論文上に示したのが最初であり、その後、関連産業界を中心に広まった。

彼は1965年に、集積回路あたりの部品数が毎年2倍になると予測し、この成長率は少なくともあと10年は続くと予測した。1975年には、次の10年を見据えて、2年ごとに2倍になるという予測に修正した。彼の予測は1975年以降も維持され、それ以来「法則」として知られるようになった。

初出

ムーアの元々の文章は以下である。

(原文) The complexity for minimum component costs has increased at a rate of roughly a factor of two per year (see graph on next page). Certainly over the short term this rate can be expected to continue, if not to increase. Over the longer term, the rate of increase is a bit more uncertain, although there is no reason to believe it will not remain nearly constant for at least 10 years. That means by 1975, the number of components per integrated circuit for minimum cost will be 65,000.

I believe that such a large circuit can be built on a single wafer.

"Cramming more components onto integrated circuits", Electronics Magazine 19 April 1965[1]

(訳)部品あたりのコストが最小になるような複雑さは、毎年およそ2倍の割合で増大してきた((訳注)元文献ではここでグラフを参照している)。短期的には、この増加率が上昇しないまでも、現状を維持することは確実である。より長期的には、増加率はやや不確実であるとはいえ、少なくとも今後10年間ほぼ一定の率を保てないと信ずべき理由は無い。すなわち、1975年までには、最小コストで得られる集積回路の部品数は65,000に達するであろう。

私は、それほどにも大規模な回路が1個のウェハー上に構築できるようになると信じている。

チップの複雑さはトランジスタの個数に比例すると仮定し、それらが何に使われているかを無視するならば、この法則は今日まで充分時の試練に耐えてきたと言える。

しかし、トランジスタ当たりの複雑さは、RAMキャッシュでは実行ユニットほど高くないという議論もあり得る。

こんにちのマイクロプロセッサの祖である4004も、DRAMの祖である1103(en:Intel 1103)も1970年前後に登場したのであり、それらより5年も前に述べられたことでもある(また「1個のウェハー」についても、こんにちの直径300mmのウェハーへの wafer-scale integration のようなものを想定してはいないだろう)。

そういった観点からすれば、ムーアの法則の妥当性は、その定式化のしかたによっては疑問符がつくものとなる。ただし、その成長が指数的であるという点に異論は無いと推測される。

なお、1枚のチップ(a chip)に集積される部品数は、プロセスの微細化とチップ面積の拡大の2つの要素の掛け合わせで増加する。

また「ムーアの法則」と名づけたのはムーア自身ではなく、その著書 Introduction to VLSI Systems(『超LSIシステム入門』)などで知られるカーバー・ミードによる[2]。

ムーアは今日の機械式マウスの共同発明者であるダグラス・エンゲルバートから、1960年の講義にて集積回路のサイズ縮小の見通しについて議論したのを聞いた可能性がある[3]。

公式

ムーアの法則の公式は、集積回路上のトランジスタ数は「2年ごとに倍になる」というものである。

これを式で表現すると、n年後の倍率 p は、

p = 2 n / 2 {\displaystyle p=2^{n/2}}

となる。

したがって、2年後には2倍、5年後には5.66倍、7年後には11.3倍、10年後には32倍、15年後には181.0倍、20年後には1024倍ということになる。

さらには、1チップあたりのコストに対するコンピューティングパワーをどんどん増加させ続けるものがムーアの法則だとされ、ハードディスクや果てはコンピュータ以外の技術でも指数的な成長をしていればなんであれどんどんムーアの法則と呼ぶような傾向さえ現れたが、それらについてはこれ以上触れない。

定量的にはともかく、コンピュータの性能という視点からは「トランジスタ数=ゲートやラッチ数の増加により、より複雑なプロセッサが実装できる」「デナード則により、微細化=高速省電力化である」という、ムーアの法則から間接的に発生する複数の要素が関与して、ひたすらに性能向上が進んだ、と定性的には言うことができるのは確かである。

クーメイはこれを定量的に捉え直す試みとして、ムーアの法則による微細化にともなう、デナード則による速度向上と省電力化の定式化と、過去のコンピュータの消費エネルギーあたりの計算量の再調査による長期の傾向から、法則性を取り出し「クーメイの法則」とした。クーメイによれば21世紀に入った後ではその値の成長は鈍化している。

鈍化の原因としては、ゲートやラッチの数をより増やしても、それに比例するようにはコンピュータの性能を上げられなくなったこと(ポラックの法則)、また集積回路技術の微細化による電子的な特性ではリーク電流による悪影響のほうが強くなって、省電力性能が上がりにくくなったこと、が言われている。実際に商品のトレンドとしても、2020年現在では、クロック周波数やシングルスレッド性能は伸び悩み、その一方でコア数の増加は進んでいる。

産業牽引力

集積回路製造の業界用語で、それに関係する生産プロセスに投入される技術を指すプロセステクノロジ(process technologie)という用語がある。以下では、ムーアの法則の本来の適用範囲についてはその用語「プロセステクノロジ」を、逸脱した拡大解釈によるその他の技術などへの外挿の場合は「技術」などの用語を使う。

ムーアの法則は最初は半導体産業でのプロセステクノロジの観察と予測によって生まれたが、今日ではより広く受け入れられ、先進的な工業製品一般における性能向上の1つの予測値や目標値として用いられることがある。

コンピュータ関係の製品や部品を製造する企業にとって、ムーアの法則が暗示する将来予測は無視できない。

例えばCPUやハードディスクのような製品を新規に設計・生産する場合には、最初の出荷まで2年から5年ほどの期間を要するため、こういったメーカーは、投資と収益に関する大きな経済的リスクを負うと共に、数年先の市場を予測した製品開発を行わねばならない。
製品の陳腐化が早いいくつかの産業では、先行者利益が大きい分だけ市場参入の遅れは大きな損失を負う可能性があるが、逆に、他社が提供できない新規性があり高性能な製品であっても生産コストが高く販売価格が市場に受け入れられなければ、特殊な用途向きの小さな市場にしか得られない可能性があるため、将来予測は重要である。

過去の結果から将来を演繹する将来予測は、「自己成就」などと呼ばれる、それを信じる参加者が多いことでより信頼度の高いものとなるという性質があり、「ムーアの法則」はそのような特性も持っている。

「2年ごとに倍になる」という表現は、ムーアの法則が近年の技術の表象的な進み具合をほのめかしている。より短い時間軸で表現されると、ムーアの法則は平均して1週間に0.6%以上半導体産業全体のパフォーマンスを向上させていると言い換えることができる。

法則の限界

2010年代後半、半導体の開発ペースが鈍化し始め、ムーアの法則のペースが維持できなくなるとの説が広まりだした。2017年5月、NVIDIAのJensen Huangは大手半導体企業のCEOとして初めて、「ムーアの法則は終わった」ことに言及している[4]。

インテル チック・タックは、200x年代なかばにインテルが打ち出した戦略で、パターンの大幅な変更無しに新しいプロセステクノロジによって縮小して高性能化した世代のチップと、新しくマイクロアーキテクチャを設計してその前の世代と同じプロセステクノロジで製造するチップとを、毎年交互にリリースする、というもので、ムーアの法則によって2年に1回のペースで新しいプロセステクノロジへの更新があることを前提にしていた。

2010年代後半に、この戦略が崩れたことも、現実がムーアの法則通りではなくなっていることのあらわれとみなされている。

将来のトレンド
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主要なCPUにおけるトランジスター数の推移

各々初出荷時点での数

(以下の記述は執筆時点がだいぶ古いものも含まれている)

2006年第一四半期において、PCのプロセッサは90nmで製造されており、65nmのチップはIntel(Pentium DおよびIntel Core)からのみ出荷されていた。10年前では、チップは500nmで製造されていた。各企業は45nmや30nm、さらにそれ以下の細かさのチップを製造するために起こる複雑な課題を解決するため、ナノテクノロジーを用いて開発を行っている。これらのプロセステクノロジに因って、半導体産業が直面するムーアの法則の限界の到達が延伸することになるだろう(その後、2010年32nmでトランジスタ数約4億個、2015年には14nmを実現)。

2001年頃のコンピュータ業界のロードマップは、ムーアの法則はチップ数世代にわたって継続するであろう、と予測していた。そのロードマップでの計算によると、2011年にチップ上のトランジスタ数は2の100乗個にまで増加するだろう、と予測していた、というわけである。半導体産業のロードマップではマイクロプロセッサのトランジスタ数は3年で2倍になるとしているので、それに従うと10年で2の9乗個になる。

この法則に経済的合理性があるのは、トランジスタ1個あたりのコストが劇的に下がることである。例えばCore i5には13億個のトランジスタがあり、7万個のトランジスタで1ペニーである。

2006年初頭、IBMの研究者らは深紫外光 (DUV、193nm) のフォトリソグラフィで、29.9nm幅の回路をプリントするプロセステクノロジを開発したと発表した。当時IBMは、これによってチップ市場は今までのやり方でムーアの法則の予言をこの数年達成し続けることができるだろう、とした。

計算能力を向上させる方法は、単一の命令ストリームを1つの演算部で可能な限り早く処理するだけとは限らず、遅い動作クロックであっても複数の演算部で並列的に処理することでも計算能力を向上できる。

一般に動作クロックの上昇は処理性能に寄与するが、発熱もまた増すために、ある程度まで高速化された演算部では処理性能の向上よりも発熱量の増加が上回り、高集積な回路であれば放熱問題に直面して、動作クロックの高速化は現実的でなくなる[5]。

ムーアの法則を基にして、ヴァーナー・ヴィンジやブルース・スターリング、レイ・カーツワイルのような有識者が技術的特異点を部分的に推定している。

しかしながら、2005年4月13日、ゴードン・ムーア自身が、「ムーアの法則は長くは続かないだろう。なぜなら、トランジスタが原子レベルにまで小さくなり限界に達するからである」とインタビューで述べている。

もっとも、横に並べるならば原子の大きさによる限界があるであろう、というのはムーアでなくてもわかることであって、実際に縦方向に並べる研究がさかんに進められている。
(トランジスタの)サイズに関して、我々は基本的な障壁である原子のサイズに到達するであろう。

しかし、その向こう側に行くにはまだ2, 3世代ある。そして、我々が見ることができるよりもさらに向こう側がある。我々が基本的な限界に到達するまでにはあと10〜20年ある。そのときまでには10億を超えるトランジスタを搭載するより巨大なチップを作ることができるだろう[6]。(2005年の発言)

ムーアの法則を今後も時間軸に沿って維持するには、裏に潜む様々な挑戦なしにはなしえない。

集積回路における主要な挑戦のうちの一つは、ナノスケールのトランジスタを用いることで増加する特性のばらつきとリーク電流である。

ばらつきとリーク電流の結果、予測可能な設計マージンはより厳しく、加えてスイッチングしていないにもかかわらず、かなりの電力を消費してしまう。

リーク電力を削減するように適応的かつ統計的に設計すると、CMOSのサイズを縮小するのには非常に困難である。これらの話題は「Leakage in Nanometer CMOS Technologies」によく取り上げられている。サイズを縮小する際に生じる挑戦には以下のものがある。

・トランジスタ内の寄生抵抗および容量の制御
・電気配線の抵抗および容量の削減
・ON/OFFの挙動を制御するためにゲートを終端できる適切なトランジスタ電気的特性の維持
・線端の粗さによる影響の増加
・ドーピングによる変動
・システムレベルでの電力配送
・電力配送における損失を効果的に制御する熱設計
・システム全体における製造コストを常に引き下げるようなあらゆる挑戦

カーツワイルによる推測

ムーアの法則を、カーツワイルが拡張したもの(収穫加速の法則)。集積回路の登場より以前のトランジスタ、真空管、リレー、電気機械式コンピュータまでさかのぼり、基本的なトレンドがパラダイムシフトによって維持されていることが示されている。

カーツワイルの目算は、ムーアの法則が2019年まで継続することにより、将来たった原子2, 3個分にしかない幅のトランジスタがもたらされるというものである。

もちろん、より高精度なフォトリソグラフィーを用いるやり方によって達成できるが、このことはムーアの法則の終わりを意味するものではないと彼は考えている。

カーツワイルいわく、集積回路におけるムーアの法則は、価格対効果を加速する最初のではなく5番目のパラダイムである。

コンピュータは(単位時間当たりの)処理能力はとっくに何倍にもなってきた。

1890年にアメリカの国勢調査で使用されたタビュレーティングマシンからLorenz暗号を破るためのMax Newmanのリレー式計算機”Robinson”、アイゼンハワーの選挙予想に使われたCBSの真空管式コンピュータUNIVAC I、最初の宇宙旅行に使われたトランジスタ式コンピュータ、集積回路を用いたPCへと[7]。

カーツワイルは、なんらかの新しい技術が現在の集積回路技術を置き換え、ムーアの法則は2020年以降もずっと長く維持されるのではないか、と推測している。

つまり彼は、ムーアの法則に沿った技術の指数関数的な成長は、(ムーアの法則の本来の適用範囲である)プロセステクノロジの発展による集積回路の向上に仮に限界があったとしてもそれを乗り越えて、技術的特異点をもたらすまで、今後も続くであろうと信じているのである。

「収穫加速の法則」の中でカーツワイルは、多くの方法によってムーアの法則の一般的な認識は変更されてきたと述べている。ムーアの法則は技術のすべての形を予測すると共通に(しかしそれは誤っているが)信じられている。

たとえそれが実際には半導体回路に関してのみ適用されるものとしてもである。多くの未来学者は、いまだカーツワイルによって力を与えられたこれらの考えを述べるために、「ムーアの法則」という言葉を用いている。

その他

KraussとStarkmanは彼らの論文である「Universal Limits of Computation」で、宇宙に存在するあらゆるシステムの情報処理容量の合計を厳密に見積もった結果、600年という非常に長い期間をムーアの法則の限界と発表した。

この法則は明らかに克服できないように見える障害にしばしば直面したが、すぐにこれらを乗り越えていった。

ムーアは、自分が実現した以上に今やこの法則が美しいものに見える、と述べている。「ムーアの法則はマーフィーの法則に違反している。すべてのものはどんどんよくなっていくのだ。」[8]

コスト

2015年時点で、最新のプロセステクノロジを用いたチップの設計と実用試験には約1億$かかった(2005年には1600万$だった)。新型チップ製造工場の建設には100億$かかった[9]。

他の関心事

コンピュータ関連業界において、ムーアの法則に従って開発が進むのは容量と速度だけではない。

RAMの速度とハードディスクのシークタイムは最高年2, 3%ずつ改善されている。

RAMとハードディスクの容量はそれらの速度と比べて非常に速く増えているので、それらの容量をうまく使うことはますます重要になっている。

多くの場合、処理時間とスペースは交換できることがわかっているので、素早いアクセスを行うために何かしらの方法で処理前にインデックスをつけてデータを格納しておく方法などである。

コストの点で、より多くのディスクやメモリのスペースが使われる。スペースは時間と比べてより安くなっている。

他方、時々間違えてしまうが、指数関数的なハードウェアの改良は、必ずしもそれと同様な指数関数的なソフトウェアの改良を意味するものではないということである。

ソフトウェア開発者の生産性はハードウェアでの進化と共に指数関数的に確実に増えているというわけではなく、たいていの測定では、ゆっくりとまた断続的に増えていく。

ソフトウェアは時間と共により大きく複雑になっていく。ヴィルトの法則では「ソフトウェアは、ハードウェアが高速化するより急速に低速化する。」とさえ述べている。

さらに、もっとも有名な間違った考えは、メガヘルツ神話として知られる、プロセッサのクロック速度が処理速度を決定する、というものである。

これは実際には、単位時間当たりに処理できる命令数にも依存するので(それぞれの命令の複雑さも同様に依存する)、クロック速度は単に2つの同一の回路同士を比較する時にのみ用いることができる。

もちろん、バス幅や周辺回路の速度のような他の要因も考慮に入れなければならない。

それゆえに、もっとも有名な「コンピュータの速度」の評価は、原理を理解しなければ元々バイアスがかかっている。

これは特にPentiumの時代には真実であった。この時は有名なメーカーが速度の普通の認識として、新製品のクロック速度を宣伝するのに力を入れていた[10]。

たいていのよくある並列化されていないアプリケーションのため、マルチコアCPUのトランジスタ密度は実用的な計算能力に反映して増えているというわけではないことに注意することも重要である。

コンピュータの能力を使用する消費者が負担するコストが落ちているが、ムーアの法則を達成するためのメーカーのコストは逆のトレンドをたどっている。

研究開発や製造、テストのコストはチップの世代が新しくなるごとに着実に増えている。
半導体メーカーの設備にかかるコストも増え続けると思われるので、メーカーはよりたくさんより大きくて利益の出るチップを売らなければならない。(180nmのチップをテープアウトするのにかかるコストは約30万ドルであった。90nmのチップをテープアウトするのにかかるコストは75万ドルを超え、65nmでは100万ドルを超えると思われる。)

近年、アナリストたちは先進的なプロセス(0.13umやそれ以下)で「設計開始」された数が減っているのを目の当たりにしている。

2000年以降の景気の低迷の間これらのことが観察されたが、開発の衰退は、長い間世界市場にいた伝統的な半導体メーカーが、経営的にムーアの法則を維持できなくなっていることの証拠であるかもしれない。

しかし、2005年のインテルの報告書では、経営的に安定させながらシリコンチップをダウンサイジングすることは次の十年可能である、としている[11]。

シリコン以外の材料を使用することが増えるとのインテルの予想は2006年中ごろには確かめられ、2009年までにはトライ・ゲート・トランジスタを使用するつもりであるとしている。

IBMとジョージア工科大学の研究者らは、ヘリウムで極低温まで冷却したシリコン/ゲルマニウムチップを500GHzで動作させ、新しい動作記録速度を作った[12]。

チップは4.5K(摂氏マイナス268.65度)で500GHz以上で動作し[13]、シミュレーションの結果では恐らく1THz(1000GHz)で動作することも可能であるとしている。 』

ゴードン・ムーア

ゴードン・ムーア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2

 ※ この人、そもそもは「化学畑」の人だったんだな…。

 ※ 「八人の裏切り者」とか、知らんかった…。

 ※ 「フェアチャイルド」の創設者の一人でもあったんだな…。

『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 「ゴードン・ムーア (イギリス海軍軍人)」とは別人です。
魚釣りを楽しむゴードン・ムーア(2005年ごろ)

ゴードン・ムーア(Gordon E. Moore, 1929年1月3日 – 2023年3月24日)は、Intel Corporation(インテル)の設立者の一人であり、現名誉会長である(2005年現在)。
経歴

1929年、サンフランシスコ南部の太平洋岸の小さな田舎町で生まれた。中学生の頃におもちゃの実験セットで黒色火薬などを作って遊んでいる内に科学に興味を持ち、高校時代にはニトログリセリンを作ったこともあった。

1946年、サンノゼ州立大学へ進学。専攻は化学、副専攻は数学を学び、1948年に化学の上級カリキュラムを学ぶためカリフォルニア大学バークレー校に転籍し1950年に卒業した。 すぐにカリフォルニア工科大学大学院に進学。赤外線分光学分野の研究で化学博士号を取得した。 卒業後ジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所に入社した。しかし研究チームの解散とともに退社した。

1956年、ウィリアム・ショックレー博士に誘われてショックレー半導体研究所に入社。ここで盟友ロバート・ノイスに出会う。だが博士との折り合いの悪さから8人の仲間とともに同社を退社することになる。後にこの時の8人の研究員は「八人の裏切り者」と呼ばれることになる。

起業家アーサー・ロックの支援により、ムーアは仲間とともに1957年にフェアチャイルドセミコンダクターを設立した。1961年にはICの大量生産に乗り出し、60年代半ばには世界最大の半導体メーカーとなった。1963年には同社に面接に来たアンドルー・グローヴを採用している。

しかし会社が大きくなるにつれて人事を巡る問題が生じ、経営陣に強い不満を持っていたノイスと共に会社を去ることになった。そして1968年7月18日にインテルを設立した。翌8月に従業員第一号としてグローヴを採用した。

1979年にはインテル会長に就任。ノイスは副会長、グローヴは社長という体制になった。1979年から1987年までCEO(最高経営責任者)を務め、同社を世界的な半導体メーカーに育てた[1]。

1965年にムーアが唱えた「ムーアの法則」は、半導体産業のガイドライン的な役割を果たすようになる。

2023年3月24日に、米ハワイ州の自宅で94歳で死去した[1]。
受賞歴

1990年 - アメリカ国家技術賞
1997年 - IEEEファウンダーズメダル
2002年 - バウアー賞ビジネスリーダーシップ部門
2003年 - C&C賞
2008年 - IEEE栄誉賞
2010年 - ダン・デイヴィッド賞 』

ゴードン・ムーア氏死去 インテル創業「ムーアの法則」

ゴードン・ムーア氏死去 インテル創業「ムーアの法則」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN250OA0V20C23A3000000/

 ※ 「ムーアの法則」の御大も、死去か…。

『【シリコンバレー=佐藤浩実】米インテルの共同創業者で「ムーアの法則」の提唱者として知られるゴードン・ムーア氏が24日、米ハワイ州の自宅で死去した。同氏の設立した財団とインテルが発表した。94歳だった。

ムーア氏は長年の同僚だったロバート・ノイス氏とともに1968年にインテルを設立。79年から87年まで最高経営責任者(CEO)を務め、同社を世界的な半導体メーカーに育てた。「半導体の集積度は2年ごとに倍増する」という同氏の予測はムーアの法則と呼ばれ、長らく半導体やIT(情報技術)産業の技術革新における指針となった。

インテルCEOのパット・ゲルシンガー氏は「ムーア氏は洞察力と先見性によってテクノロジー産業を定義した。トランジスタの力を明らかにすることに貢献し、数十年にわたって技術者や起業家に着想を与えた」と声明を出した。

1995年2月、日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。

【関連記事】

・「ムーアの法則」の先へ カギ握る製造装置
・ムーアの法則 限界の先は(2017年掲載)
・ムーアの法則 考案者が語った長期継続の理由と未来(2015年掲載)』

ウクライナ軍、露軍のバフムトでの進撃阻む泥道

ウクライナ軍、露軍のバフムトでの進撃阻む泥道
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5420779.html

『ゼレンスキー大統領は、中露の会談の終わった2023年3月22日、ウクライナ東部のドネツク州Donetskで兵士を激励し、ロシア軍はこの日、ウクライナの各都市に攻撃を行った。

午前中にはドローンで、その後、ロケット弾での攻撃もあった。これにより、首都キーウ近郊と南東部ザポリッジャで、少なくとも8人が殺された。同国シルスキー陸軍司令官は23日、東部ドネツク州の要衝バフムトBakhmut周辺に侵攻するロシア軍の攻撃が失速しつつあり、近くウクライナ軍が反撃に着手すると述べた。

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バフムト占領を目指すロシアの民間軍事会社ワグネルWagnerの部隊が「相当の戦力を消耗し、勢いを失いつつある」と投稿。「我々はこれまでキーウ(キエフ)や東部ハリコフなどで行ったのと同様に、間もなくこの機会を利用する」と過去の成功例を挙げながら、反転攻勢を予告した。

英国防省は22日、「ウクライナ軍がバフムトの西側で反撃し、、、ウクライナ軍が南北両側から追い込まれるリスクは残るものの、ロシアの攻撃が勢いを失いつつある可能性が現実にある」との見方を示した。

ワグネルの創始者プリゴジン氏は20日、ロシアのショイグ国防相に送った書簡を公表し、ウクライナ軍がロシア正規軍とワグネル部隊の分断を図っていると指摘、戦況がロシア側に不利に傾くことへの警戒感を示していた。参照記事 参照記事 映像:ドローン攻撃に逃げ回るロシア軍兵士

index hgyFireShot Webpage Screenshot #716 – ‘images

(数か月にわたりウクライナ・ロシア両軍が攻防を繰り広げているバフムート(Bakhmut)周辺は、数日間晴れたかと思えば、また雨に見舞われた。

世界でも有数の肥沃img_c892c3ba47a1f06605f628427bac476295629(ひよく)な土壌を誇るウクライナでは、東部の道は黒い泥土に覆われ、進撃は困難になる。

ウクライナ側は「兵士は皆、塹壕(ざんごう)の泥の中にとどまって陣地を守らなければならない。 われわれも相手側も、今は装軌車は使えない。雨がやんで晴天が3~4週間続けば、間違いなく大規模攻撃がある」との見方を示した。映像:battle in the city of Bakhmut ドローンでの地上ロシア兵攻撃  参照記事  

FireShot Webpage Screenshot #715 – ‘【解説】

プーチン、習両首モスクワで2日間にわたって行われていたロシアのプーチン大統領と中国の習近平国家主席の会談が終了し、その主な成果は2つの共同声明への調印となって表れている。

2つの声明のうち、最初は二国関係の深化に関して、2番目は2030年まで経済協力の主要分野を発展させる計画について表された。

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ウクライナに関しての会談結果についてスプートニク紙は、ロシアは中国のウクライナに関する姿勢を肯定的に受け止めており、中国はロシアに交渉開始の用意があることを肯定的評価をしていると曖昧な記述で、具体的な調停に向けた事には何も触れていない。

また中国の「言ってみただけ」「注目されたかっただけ」か、、。

何かにつけ国際問題では知らん振りの中国が、珍しく調停の打席に付きたがったが、失敗とも言われている。

もっともこれまで、一安打の記録すらない。経験不足でスポーツ音痴では、投球の球筋すら見えないのだろう。 

停戦への泥道は、当分乾きそうにない。参照記事 映像記事:プーチン「話が違う」中露首脳会談大失敗!習氏「関わらない」 
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今後また、中国がウクライナ側に調停のポーズをとってみても、ウクライナ大統領府は、ウクライナとロシアの間の軍事問題の解決への中国の関与の範囲について明確な立場が欠如しているため、2 人の指導者間の会談を組織することには一定の困難があると指摘している事から、中国の提案は空振りで終わる可能性が高い。

ウクライナは、すでに終わった中露会談は経済が主で、和平については話し合われなかったと見ている。英文記事 参照記事 、、、

筆者の見方は、プーチンが弟分の中国へ、第3国が調停を提案したらウクライナがどういう態度に出て来るか見たいと伝え、習近平が渋々パシリに出てきたのだろう。

映像:中露会談欧米の見方 【ウクライナ侵攻1年】さまようロシア人 ジョージアでみた侵攻の代償【NIKKEI Film】 』

ブルームバーグが木曜に報じた話。

ブルームバーグが木曜に報じた話。
https://st2019.site/?p=20997

『2023-3-23記事「Wagner Group To Shift Focus From Ukraine War After Military Feud, Heavy Losses ―― Bloomberg」。

    ブルームバーグが木曜に報じた話。プリゴジンは、ワグネルをウクライナ戦争ですりつぶしたくない。
 むしろアフリカ全土で金鉱や石油を支配してカネを儲けたい。そろそろそっちにシフトする。

 ワグネルが進出済みの諸国は、スーダン、中央アフリカ共和国、マリなど。

 ショイグを中心とする露軍上層が、プリゴジンを警戒し且つ反発もしているため、ワグネルはすでに、刑務所から囚人を徴募することができなくされてしまった。

 バフムトの鉱山を支配できず、それどころか、砲弾補給も受けられずにますます歩兵を磨り潰した挙句に敗退し、露軍上層から嘲られるという図は、プリゴジンにとっては愉快じゃない。

 囚人を集められないとすると、徴募条件をもっと魅力的にしなければならない。それにはアフリカに行けるぞと誘うのがよさそうだ。契約期間は9~14ヵ月。』

米国・カナダ、領空にレーダー配備 中国気球問題受け

米国・カナダ、領空にレーダー配備 中国気球問題受け
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN250CH0V20C23A3000000/

『【ワシントン=坂口幸裕、ニューヨーク=大島有美子】バイデン米大統領とカナダのトルドー首相は24日、カナダの首都オタワで会談した。両国の領空に中国の偵察気球が飛来した問題を受け、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の監視体制を強化する最新鋭のレーダーを配備すると合意した。

バイデン氏はカナダ議会で演説し「カナダとの緊密なパートナーシップを維持し、両国民が安心して暮らせるようにする」と強調した。米国とカナダが共同運営しているNORADの防衛能力を増強するため、海底監視システムや最新鋭の戦闘機の受け入れ施設も整備する。

トルドー氏も「数十年にわたってカナダの防衛能力を強化するものだ。国境をより安全にし、人々の安全を守る努力を続ける」と訴えた。米軍は米国とカナダの領空に侵入した中国の偵察気球を米領空で2月に撃墜。これとは別に、米国・カナダ領空で飛行物体を撃ち落とした経緯がある。

首脳会談では中南米などからの不法移民対策で協力すると申し合わせた。不法移民が米国経由でカナダに渡るのを防ぎやすくする。米国は移民の難民申請を制限する方針を打ち出し、カナダでも社会問題になりつつある不法移民の急増に対応する。

双方の国境を越えようとする不法移民をそれぞれの国境で追い返すのを可能にする。カナダは1万5000人の移民を新たに合法で受け入れる人道プログラムを提供し、米国の受け入れ負担を軽減する狙いがある。バイデン氏は「米国とカナダは不法な越境を阻止するために協力する」と明言した。

首脳会談後に発表した共同声明では、中国による経済的な威圧や人権侵害などを挙げ「国際秩序への長期にわたる深刻な挑戦」に危機感を示した。「台湾海峡の平和と安定を維持する重要性を確認した。両岸の問題の平和的解決を促す」とも記した。

ウクライナ侵攻を継続するロシアを非難した。「ロシアに経済的代償を科し続け、ウクライナへの揺るぎない支援を必要な限り維持する」と指摘した。

【関連記事】

・北米、飛行物体の撃墜相次ぐ 偵察気球と特徴異なる
・国境管理、迷うバイデン政権 落胆の民主左派と板挟み 』

駐シリア米軍にロケット弾攻撃 親イラン系組織が報復か

駐シリア米軍にロケット弾攻撃 親イラン系組織が報復か
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN250C60V20C23A3000000/

『【ワシントン=中村亮】米軍は24日の声明で、シリア北東部の駐留拠点が10発のロケット弾で攻撃を受けたと発表した。米軍は23日にイランとつながりの深い組織を空爆しており、ロケット弾攻撃は報復措置の公算が大きい。

声明によると米軍関係者に死傷者は出ておらず、駐留拠点の米施設も被害を受けていない。1発のロケット弾は拠点から5キロメートルほど離れた民家に着弾し、負傷者が出たと説明した。

米軍は23日、シリア北東部の拠点に対し、イラン製の無人機で攻撃があり7人が死傷したと発表した。報復措置として米軍はシリア東部でイラン革命防衛隊とつながりを持つ組織の施設を空爆した。

バイデン米大統領は24日、カナダの首都オタワで開いた記者会見で「勘違いしないでほしい。米国はイランとの紛争を模索していない。しかし我々は人員を守るため強力な行動をする用意がある」と語った。新たな対抗措置を辞さない構えを示した。』

新興5か国“BRICS”に融資の銀行新総裁にブラジル元大統領就任

新興5か国“BRICS”に融資の銀行新総裁にブラジル元大統領就任
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230325/k10014019391000.html

 ※ AIIBの他に、「新開発銀行」というものも、あるんだな…。

『中国やロシアなどの新興5か国・BRICSのインフラ整備に融資をしている「新開発銀行」の新しい総裁に、ブラジルの元大統領ルセフ氏が就任しました。

中国の上海に本部を置くBRICSの開発銀行「新開発銀行」は、ブラジル、中国、インド、ロシア、南アフリカの新興5か国が出資し、この5か国のインフラ整備などに融資をしています。

新開発銀行は24日、新しい総裁にブラジルのルセフ元大統領を理事会の全会一致で選出したと発表し、ルセフ氏が総裁に就任しました。

ルセフ氏を選出した理由について「ブラジルの大統領として、経済の安定や雇用創出に加え、貧困の撲滅に積極的に取り組んだ。国際的には多国間主義や持続可能な開発を推進した」などとしています。

新開発銀行の総裁は2025年7月までの5年間をブラジル出身者が務めることになっていて、ことし1月に就任したブラジルのルーラ大統領は、ボルソナロ前大統領が任命した外交官出身のトロイホ前総裁の交代を主張していました。

ルセフ氏は2011年にブラジル初の女性大統領となり、2014年に再選されましたが、政府会計の不正操作に関わったなどとして、議会の弾劾裁判で2期目の途中で罷免されたため、ルセフ氏の総裁就任はブラジル国内で賛否が分かれています。』

各国の国土政策の概要 スペイン(Spain)

各国の国土政策の概要 -An Overview of Spatial Policy in Asian and European Countries 国土交通省国土政策局 スペイン(Spain)
https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/international/spw/general/spain/index.html

『概況

スペインはイベリア半島に位置し、南東は地中海、北西は大西洋、北はピレネー山脈でフランスと接する。人口は約4,700万人(2011年)であり、欧州連合の約1割を占める。欧州連合の中では、独、仏、英、イタリアに次ぐ第5位の人口規模となっている。

首都マドリードは、欧州都市としてベルリンに次ぐ人口規模を有し、大都市圏としてみてもパリ、ロンドンに次ぐ3番目に位置する都市である。

表国勢概要
国名 スペイン王国
国土面積 50.6万km²(日本の約1.4倍)
人口 約4,646万人(2016年7月)
人口密度 92人/km²
都市人口比率 79.6%(2015年)
GDP 約1兆1,997億ドル(2015年:IMF)
一人当たり国民所得 25,843米ドル(2015年:IMF)
産業別
就業人口比率 第一次産業2.5%
第二次産業22.4%
第三次産業75.1%(2016年推計)
経済成長率 ▲1.0%(2011年)、▲2.6(2012年)
▲1.7(2013年)、1.4%(2014年)
3.2(2015年)(IMF)

(情報更新:2017年3月)

図スペインの地図
スペイン地図

資料:http://europa.eu/abc/maps/members/spain_en.htm

スペインの地方制度

1975年にフランコ独裁政権が崩壊し、1978年に新憲法が公布された。1978年憲法は、従来の市町村(Municipio)、県(Provincia)といった地方組織に加えて、新たな行政組織として自治州(Comunidades Autónomas)を創出し、都市・地域計画および住宅の整備に関する権限を中央政府から自治州へと移譲した。現在、スペインは、中央政府のもとに17の自治州、50の県、8,112の市町村で構成されている。その他、任意で形成できる行政機関として、市町村連合(Mancomunidades de Municipios)、郡(Comarca)、大都市圏(Área Metropolitana)などが定められている。

スペインは市町村数で見るとわずか6%、面積でみると、国土の7%に過ぎない68の都市に人口の62%が集中している。

また、基礎自治体の90%以上は人口1万人以下の小規模市町村であり、これは全人口の27%、国土の84%を占める。

国土政策関係の主要な機関
政策分野 機関名 ホームページ
中央政府 インフラ 振興省
Ministerio de Fomento http://www.fomento.gob.es/
EU地域政策 経済大蔵省
Ministerio de Economía y Hacienda http://www.minhap.gob.es/
地方政府における
地域政策 マドリード自治州
Comunidad de Madrid http://www.madrid.org/cs/Satellite?
pagename=ComunidadMadrid/Home
カタルーニャ自治州
Generalitat de Catalunya http://www.gencat.cat/
バルセロナ大都市圏
Àrea Metropolitana de Barcelona http://www.amb.cat/web/guest

国土政策に関わる主要な施策

スペイン諸都市の都市化の大きな特徴として、都市部への人口集積と小規模農村地域の数の多さが指摘できる。単一の自治体として人口50万人以上を数えるマドリード(約321万人)、バルセロナ(約161万人)、バレンシア(約80万人)、セビージャ(約70万人)、サラゴサ(約66万人)、マラガ(約57万人)、これにビルバオ(約35万人)を加えた主要7都市は、いずれも周辺の複数の自治体を吸収する形で大都市圏域を形成しており、これら7大都市圏には全人口の約34%が集中している。

大都市圏への集中是正は内戦後の1940年代から政策課題として認識されており、現在でも欧州内における競争力ある地域形成へ向けて大都市圏レベルでの政策が模索されている。
その一方、国内そして同一地域内における不均衡の問題も認識されている。国内分権化とEU政策の強化に引き裂かれる中で、より持続的な国土形成のために、EU・国・州が協働した国土政策が模索されている。

今日の空間計画に関わる主要なツール

表国土・地域整備に関わる主な計画
計画 策定主体
総合広域プラン(PTG) 自治州
広域整備指針(DOT) 自治州
地域別広域プラン(PTP) 自治州
部門別広域プラン(PTS) 自治州
大都市圏総合プラン(PGM) 原則的に市町村、複数の市町村が連携して策定することも可能

都市整備総合プラン(PGOU)

わが国の都市計画法に相当するのが「土地法」(Ley del Suelo)である。国内初の包括的な都市計画制度として1956年に制定され、その後、1975年、1990年、1998年、2007年に改正されている。現行法は簡潔な理念法となっており、実際の土地政策・都市計画の実施は自治州以下の地方団体に委ねられている。

広域的な空間整備の体系

1975年に最初の改正が行われた土地法は、広域レベルの空間計画体系として、国が策定する「国土計画」(Plan Nacional)、より広域の地域組織が策定する「広域調整指導プラン」(Plan Director Territorial de Coordinación)の2種を導入した。

しかし国土計画はこれまで一度も策定されたことがなく、また広域調整指導プランも1978年の新憲法を受けた地方自治法を根拠法とする各州法が定める広域整備指針(Directrices de Ordenación Territorial:バスク州やアラゴン州等)あるいは総合広域プラン(Plan Territorial General:カタルーニャ州等)に取って代われた。空間計画だけでなく、地域の社会経済計画を包含するプランである。

複数の市町村の連携による広域的都市計画の策定

一方、基礎自治体である市町村は、土地法に基づきプランを策定するが、実態としての都市圏が複数の市町村にまたがる場合には、協働でひとつのプランを作成できる。以下で見るバルセロナ大都市圏プランが代表例である。

EU施策との関係

地域振興政策については、この15年間でEUの構造基金から多大な支援を受けており、実質的な影響力を有している。東欧諸国の加盟後は、基金からの援助が相対的に低下し、国は欧州との交渉・調整、各州との調整に努めている。

また、州の国土計画の実質上の上位計画として、拘束力はないが参考的に上位レベルのビジョンを示すものとしてESDPを位置づけているカスティーリャ・ラマンチャ州の事例もある。

図バルセロナ大都市圏総合プラン
バルセロナ大都市圏総合プラン
拡大表示

資料:Area Meetropolitana de Barcelona (1999): “La construcció del territori metropolità”

バルセロナ大都市圏の空間計画

1976年に策定された「バルセロナ大都市圏総合プラン」(Plan General Metropolitano de Barcelona; PGM)は、28の市町村で構成されるバルセロナ大都市圏(面積約476km²、当時の人口約310万人)を計画対象としていた。大都市圏総合プランは現在でも有効な広域マスタープランであり、「広域都市圏」という枠組みから見た大規模な地域間の調整を図るものである。

州の空間計画

現在、すべての自治州が地域整備法の制定を完了している。一般的に、各自治州が定めている地域整備プランの目的は、①地域の均衡ある発展の促進、②生活の質の向上、③地域にとって重要な環境および資源の保全となっている。

マドリード州空間戦略計画

1997年に策定され、都心部を中心とする人口密集地域と州内の他地域のアクセスを改善し、一体的な緑地の保全を図ろうとする計画である。

カタルーニャ総合広域プラン

バルセロナ市への1極集中を是正し、開発計画を誘導し均衡のとれた地域像を実現することを目的に1995年に策定された。地域ごとに将来像は異なるため、カタルーニャ州は州域を7つの計画単位に分け、またプラン作成のために15指標(景観保全や交通網の改善等)を提示している。

(情報更新:2010年3月)』

ペドロ・サンチェス

ペドロ・サンチェス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9

『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はサンチェス、第二姓(母方の姓)はペレス=カステホンです。

スペインの旗 スペインの政治家
ペドロ・サンチェス
Pedro Sánchez Pérez-Castejón
Pedro Sánchez 2020 (Portrait).jpg
2021年公式肖像
生年月日 1972年2月29日(51歳)
出生地 スペインの旗 スペイン マドリード
出身校 スペインの旗 マドリード・コンプルテンセ大学
ベルギーの旗 ブリュッセル自由大学
IESE
スペインの旗 カミーロ・ホセ・セラ大学
前職 経済学者、経済学教授
所属政党 スペイン社会労働党(PSOE)
配偶者 ベゴーニャ・フェルナンデス
宗教 無神論者[1]
サイン Firma de Pedro Sánchez.svg
スペインの旗 スペイン王国
Spanish Presidential Flag.svg 第7代 首相
内閣 サンチェス内閣
在任期間 2018年6月2日 – 現職
国王 フェリペ6世
Logotipo del PSOE.svg スペイン社会労働党書記長(党首)
在任期間 2014年7月26日 – 2016年10月1日
在任期間 2017年6月17日 –
スペインの旗 スペイン下院議員
選挙区 マドリード県選挙区
在任期間 2013年1月29日 –
マドリード市議会議員
在任期間 2004年5月18日 – 2009年11月16日
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ペドロ・サンチェス・ペレス=カステホン(スペイン語: Pedro Sánchez Pérez-Castejón, 1972年2月29日 – )は、スペインの政治家。現在、同国首相、スペイン社会労働党(PSOE)書記長(党首)。

マドリード・コンプルテンセ大学マリア・クリスティーナ学校で経済学および経営学の修士号を、カミーロ・ホセ・セラ大学で経済学およびビジネスの博士号を取得している。2014年、彼はスペイン社会労働党(PSOE)書記長をアルフレード・ペレス・ルバルカバより引き継いだ。2016年、社会労働党がマリア―ノ・ラホイ前首相に代わる政府を提唱するか、それを控えるかという意見の相違に分かれ、サンチェスは後者の立場を取り、書記長辞任を余儀なくされた。その後一時期、下院議員としての活動を停止した[2]。2017年6月、サンチェスは予備選挙での勝利した後、党の書記長に返り咲いた。

2018年6月、マリア―ノ・ラホイ前首相に対する内閣不信任決議を経て、首相に就任した。サンチェスはフランコ以後のスペイン民主主義時代の第7代首相である。サンチェス政府の最初の100日間の最も重要な措置として考えられるのは、独裁者フランコの墓の移住[3]、移民問題に関する「ヨーロッパのアプローチと人権の尊重」の追求である[4]。また、査定を部分的に禁止するようにスペイン憲法を改正するという提案もしている[5][6]。エル・パイス紙はサンチェスがスペイン政府の国際的な議題を強化していることを伝えた[7]。

経歴

1972年、サンチェスは首都マドリードで、2人兄弟の長男として父は会社経営、母は弁護士という裕福な家庭に生まれた[8]。

マドリードのラミロ・デ・マエストゥ専門学校で中等教育を修了し[9]、1995年、マドリード・コンプルテンセ大学マリア・クリスティーナ学校で経済学と経営学の学位を取得した。ベルギーのブリュッセル自由大学でEUの経済政策の修士号を、またビジネススクールのIESE(ナバラ大学)で公共リーダーシップの修士号を取得(この取得には議論[10]の余地があると報じられている)し、マドリードのカミーロ・ホセ・セラ大学では「新スペイン経済外交」に関する論文で博士号を取得した[11]。

1993年スペイン議会総選挙でフェリペ・ゴンサレス首相が率いるスペイン社会労働党(PSOE)が勝利すると、サンチェスは社会労働党の党員となった[12]。

26歳だった1998年、ドイツ出身でスペイン国籍の社会主義者であるバーバラ・デュルコップ(スペイン語版)とともに、欧州議会の顧問を務めた。その後、コソボ紛争の間、ボスニアの国連の上級代表の一員(これも同じように議論[13]の余地があると報じられている)として、カルロス・ウェステンドルプ(スペイン語版)の下で働いた[14]。2000年、彼は第35回社会労働党連邦議会の代議員の一人となった[15]。

2004年から2009年にはマドリード市議会議員を務め、2013年にはマドリード県選挙区選出の下院議員となった。

社会労働党の書記長選挙

2013年12月にはサンチェスの著書『新スペイン経済外交』の発表会に多数の社会主義の指導者たちが出席し、サンチェスの存在感は高まり始めた。この書籍はサンチェスが博士号を取得した論文の内容を発展させたものだった[16]。

2014年の最初の数ヶ月の間、サンチェスは社会労働党の幹部や連邦委員会に属することはなかったが、2015年スペイン議会総選挙で社会労働党の候補者を選出するための予備選挙に向けた候補者の一人となり、スペイン全土の社会主義グループを巡回してまわった[17]。

サンチェス擁立への動きは、2014年欧州議会議員選挙における社会労働党の敗北後に加速した。数日後、社会労働党の書記長であるアルフレード・ペレス・ルバルカバは辞任を発表した。6月12日、サンチェスは書記長選挙への立候補を表明。7月13日に選挙が行われると、エドゥアルド・マディーナ(スペイン語版)が36%の得票を、ホセ・アントニオ・ペレス・タピアス(スペイン語版)が15%の得票を得たのに対して、サンチェスは49%を得票し、書記長に当選を果たした。

2014年7月26日と27日の社会労働党の臨時総会で結果が批准され[18]、9月10日の総会で非公式の野党党首の立場となった[19]。

社会労働党書記長時代

書記長就任後、サンチェスは社会労働党の統一と旧有権者の信頼を取り戻す必要性にせまられた[20]。結局、旧有権者の25%は新しい政党ポデモスを選択した[21]。またアンダルシアの社会労働党との緊張への対処も課題だった[22]。

自身の存在を知らせるため、彼は多数のテレビ番組に登場するようになった。 はじめのうち、ポデモスはしばしばサンチェスを「ポピュリスト」と呼んだ[23]が、サンチェスはポデモスを「イデオロギー的日和見主義」と呼んで応戦した[24]。

サンチェスはスペインの国家モデルとして、独立主義(independencia)ではなく連邦モデル(un modelo federal para España)を提案[25]するとともに、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ前首相の制定した憲法135条を改正し[26]、宗教的な要素を排除して、教育制度の世俗主義化を強化する[27]と主張した。

サンチェスはセサル・ルエーナ・ロペス(スペイン語版)をナンバー2に任命した。2015年2月、マドリード州パルラの路面電車の追加費用の調査のため、トマス・ゴメス・フランコ(スペイン語版)をマドリード州支部書記長職から解任した[28]。

2015年12月20日に行われた総選挙で、社会労働党は90議席の獲得に終わり、第2政党にとどまった。にもかかわらず翌2016年2月2日、サンチェスは首相候補者としてフェリペ6世国王によって推薦された[29]。 2月24日、社会労働党は総選挙で40議席を獲得したシウダダノス党とサンチェス擁立で合意した[30]。しかし、3月4日の2回目の票決で議会は賛成131票(社会労働党、シウダダノス、カナリア連合)、反対219票(残りの下院議員)でサンチェスの首相就任を大差で否決した[31]。スペイン民主化後初めて、首相候補が2度目の投票で議会の信任を得られないという結果に終わった。

2016年、社会労働党は85議席という民主化以後最低の議席数となった。ラホイ首相の提案による国民党(PP)とシウダダノスの協定の後、サンチェスは国民党政府に繰り返し反対票を投じた。 ラホイの協定が失敗におわると、彼は「変革の力(ポデモスとシウダダノス)」に国民党に代わる政府を可能にするように要請した。

社会労働党書記長の辞任

2016年9月28日、社会労働党の連邦政策長官であるアントニオ・パラーダス(スペイン語版)は解散を強制するため、連邦執行部17人のメンバーの辞任を党本部にて発表した。サンチェスもその中に含まれていた。10月1日午後、連邦委員会が連邦議会の招集を拒否した後、サンチェスは社会労働党書記長の辞表を表明した[32]。

2016年10月29日、サンチェスは下院議員を辞任した[33]。

しかし、サンチェスは失脚後も愛車プジョー407に乗ってスペイン各地の党員を訪問してまわり[34]、影響力の維持を図った。

2017年1月、サンチェスは5月に予定されている、社会労働党書記長選挙に立候補することを発表した。

社会労働党書記長への復帰

2017年5月21日、選挙の結果社会労働党書記長に返り咲きを果たした。 2017年6月18日、第39回党大会で、サンチェスは正式に書記長に就任した。

社会労働党は一方的なカタルーニャ独立宣言の後、カタルーニャ州政府に対してスペイン憲法第155条を適用することで政府を支援することを決定した。
ラホイ首相に対する不信任案

2018年5月、2007年より調査が開始されていた国民党の大規模汚職事件、グルテル事件(スペイン語版)に対する初の裁判所の判決が下り、29人の被告人に計351年の懲役刑が宣告された[35]。事件に関与したとされるマリアーノ・ラホイ首相を含む国民党議員の証言は信頼性を欠くと指摘された[36]。

5月25日、判決ののち、社会労働党は国会にラホイ首相に対する内閣不信任案を提出し、サンチェスが首相候補として挙げられた。

6月1日、投票が行われ、賛成180票、反対169票、棄権1の賛成多数でサンチェスの首相就任が決まった[37]。

首相就任後

2018年6月1日、フェリペ6世国王は王令によりサンチェスを首相に任命した[38]。翌日、サンチェスはサルスエラ宮殿でスペイン王を前に就任を約束した。 2014年7月、スペイン王室が政府高官の宣誓にあたって、聖書と十字架の有無の選択に同意していたことから、サンチェスは宗教的なシンボルなしで宣誓を行なった。それにより彼は民主化後はじめて宗教的裏付けをもたない首相となった[39][40]。

6月7日、新しい内閣の17名が就任した[41]。サンチェスは、1981年生まれと若いイヴァン・レドンド(スペイン語版)を大統領府の内閣官房長に任命した[42]。女性閣僚は11名を数え、スペインの歴史上もっとも女性の多い内閣となった[43]。

任命ののち、サンチェスは現在の議会を維持し、2020年6月まで選挙を行わないと表明した[44]。しかしスペイン社会労働党は少数与党であり、他政党の協力なしには議会運営は成り立たない状況だった。2019年予算案が否決された場合は4月に総選挙に踏み切るとの情報が採決前より報道され、2月13日の採決ではカタルーニャ系の政党の支持を得ることに失敗し、賛成158票、反対191票、棄権1票で否決された。これにより前倒しでの解散総選挙が決まった[45]。

2019年4月28日投開票の総選挙では、社会労働党は過半数には届かなかったものの、改選前を上回る議席数を獲得した[46]。その後連立協議は難航し、2020年1月5日にスペイン下院で行われた、サンチェスを首相として承認するかを問う投票では賛成166、反対165、棄権18票で、必要な議会過半数の176票に届かず否決[47]。1月7日の2回目投票では、賛成167、反対165票と僅差で承認され、1978年のスペイン民政復帰後はじめて連立政権が発足した(社会労働党とポデモス)[48]。

2021年6月22日にはカタルーニャ独立派との関係正常化を図るため、ウリオル・ジュンケラスら9人に対する恩赦を決定した[49]。

2018年のサンチェス内閣

2018年のサンチェス内閣
ナディア・カルビニョ経済・企業相と(2019年1月23日)

ナディア・カルビニョ経済・企業相と(2019年1月23日)
フィンランドのサンナ・マリン首相と(2022年1月26日)

フィンランドのサンナ・マリン首相と(2022年1月26日)
デンマークのメッテ・フレデリクセン首相と(2022年2月21日)

デンマークのメッテ・フレデリクセン首相と(2022年2月21日)
2022年4月21日、デンマークのメッテ・フレデリクセン首相とともにウクライナの首都キーウを訪問。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談した[50]。

2022年4月21日、デンマークのメッテ・フレデリクセン首相とともにウクライナの首都キーウを訪問。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談した[50]。
アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相と(2022年6月28日)

アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相と(2022年6月28日)

政策

歴史の記憶法

サンチェスは野党党首として、マリアーノ・ラホイ前首相による歴史の記憶法(スペイン語版)に対する抑圧的な方針への反対をすでに表明していた。彼は前首相が記憶法に必要なリソースを割り当てていないと非難した[51]。

首相就任後、サンチェスは政権の優先事項として歴史の記憶法を推し進め[52]、内戦や独裁政権下に迫害や暴力を被った人々を有利にし、法が意図する目的に適切な制度的支援を提供するための王令698/2018[53][54]にしたがって、法改正を提案し、法務省内で記憶法を方向づけるための決定を下した[55]。

これまでのサンチェスの決断の中で最も重要なものは、戦没者の谷にあるフランシスコ・フランコの墓の移転である[56]。

フランコ家が反対するなか[57]、サンチェス政権は墓をより知られていないファランヘ党創始者ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラの記念碑へと移しかえることを提案した。

カタルーニャ州警察は2018年11月、墓移転計画に対する妨害と自宅に16丁の銃器を所持していた咎で、カタルーニャ州タラサに住む男を逮捕したと発表した。男はサンチェスの暗殺を計画していたとみられている[58]。

移民政策

2018年6月、イタリアとマルタは移民船アクエリアス号の入港を拒否し、船は629人の移民を乗せたまま地中海を漂着した[59][60]。サンチェス政府は地中海に面した東スペインのバレンシア港を人道的な配慮[61]から安全な港として提供することを申し出た[62]。 2018年6月30日、政府は別の船、スペインのNGO団体オープンアームズ(外部リンク)と59人の移民が再びイタリア、マルタ両政府によって拒絶されたことを受けて、船の受け入れを決定した[63]。同じことが2週間後にも起きた[64]。 さらに8月上旬、今度は87人の移民を乗せたオープンアームズの船を再び受けいれ、アルヘシラス港に入港させた[65]。

これによりスペインはアフリカからの移民の主な参入国となった。決定はサンチェスがいわゆる「呼び水効果」を引き起こしたとして、国民党(PP)とシウダダノスによって非難された[66][67]。

サンチャス政権は移民問題をEU全体の問題であると考え、他の南ヨーロッパの国々がドイツ型移民政策による政治危機を回避するなか、(2015年に100万人以上の移民を想定した)ドイツ政府との連帯を示し、移民歓迎の姿勢で両国間での合意に達した[68]。彼は、欧州連合の重要な2人のリーダー、フランス大統領のエマニュエル・マクロン[69]とドイツ首相のアンゲラ・メルケル[70]の支援を受け、移民問題においてヨーロッパレベルでの解決策を選んだ。

これに対して、スペイン、イタリア間の政府間関係は移民問題のため緊張することとなった。サンチェス政権のメンバーであるジョセップ・ボレル議員とイタリアの副首相兼内務大臣マッテオ・サルヴィーニとの間で非難の応酬が起きた。サルヴィーニ大臣はスペインを「制御できない移民たちを支持している」として非難した[71]。これを受けてサンチェスはインタビューの中で「単独行動主義は移民危機への答えではない」と述べ、イタリア政府による港閉鎖を意識しながら、「イタリアの一部の指導者たちの焼夷弾のような言葉は選挙では有効だろうが わたしたちが地中海やイタリアの沿岸で直面している人道危機に効果的な対応はみせておらず、それが答えとはいえない」とした[72]。

人物

21歳まではマドリードにあるバスケットボールクラブのCBエストゥディアンテスでアマチュア選手としてプレーしており[73]、政治家となった後はエストゥディアンテス財団の運営に携わっている[74]。2008年からはマドリードにあるカミーロ・ホセ・セラ大学で教壇に立ち、法経済学部で経済構造や経済思想史などを教えている。ベゴーニャ・フェルナンデスと結婚してふたりの娘がいる。

マリアーノ・ラホイ前首相をはじめ、歴代のスペイン首相は英語が不得意だったが、サンチェスは英語を流暢に話せる初めての首相である[75]。』

スペイン首相、月末に訪中 習氏とウクライナ巡り協議

スペイン首相、月末に訪中 習氏とウクライナ巡り協議
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN23E330T20C23A3000000/

『2023年3月24日 4:00 (2023年3月24日 9:32更新)

【パリ=北松円香】スペインのサンチェス首相は30日から中国を訪問する。ロシアとウクライナの仲裁役に意欲を示す中国に対し、ウクライナの意向尊重を求める欧州の立場を説明する。ロシアによる侵攻に関する対応を協議するとみられる。ロイター通信などが伝えた。

今回の訪問はスペインと中国の国交50周年を記念し、習近平(シー・ジンピン)国家主席がサンチェス氏を招待した。サンチェス氏は欧州連合(EU)首脳会議出席のために訪れたブリュッセルで23日、記者団に対して「ウクライナの和平に関する習氏の立場を理解したうえで、和平の条件を決めるのはウクライナであることを伝えるのは重要だ」と語っているという。

サンチェス氏は30日に中国の海南省で国際会議「博鰲(ボーアオ)アジアフォーラム」に参加し、31日には北京を訪れて習氏と会談する。スペインは7月からEUの議長国を務める予定で、欧州の代表としての意見交換を意識しているとみられる。

サンチェス氏と習氏は2022年11月にインドネシアで開催された20カ国・地域(G20)首脳会議の場でも会談した。サンチェス氏は習氏に対し、ウクライナ侵攻をやめるようロシアを説得してほしいと要請していた。』

フランス、反年金改革110万人デモ 英国王は訪問延期

フランス、反年金改革110万人デモ 英国王は訪問延期
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR240400U3A320C2000000/

『【パリ=北松円香】フランスで受給年齢引き上げを軸とする年金改革への反対がさらに激しくなっている。内務省によると23日は仏全土で110万人近くが抗議活動に参加し、治安部隊との衝突も相次いだ。混乱を受け、26日から計画されていたチャールズ英国王の訪仏は延期が決まった。

マクロン政権が16日に年金改革法案を強行採択してから初めての大規模デモだった。現地メディアによると、パリやリヨン、マルセイユなど各地で改革撤回を求める人々が集まった。職員によるストライキで公共交通機関の運休が相次いだほか、教員のストで一部の学校が休校した。

デモ参加者の動きを抑えるために治安部隊が出動し、催涙ガスを使用する場面も相次いだ。店舗の破壊やデモ中の放火など一部が暴徒化、西部ボルドーでは市役所の入り口が燃え、消防隊が出動した。

ダルマナン内相によるとフランス全土で457人が逮捕され、警官や憲兵441人が負傷した。

チャールズ国王は2022年9月の即位後、初めての外遊先としてカミラ王妃を伴い26〜29日にフランスを訪れ、ベルサイユ宮殿での夕食会などを予定していた。

仏大統領府は24日、マクロン大統領とチャールズ国王が電話で協議後に延期が決定されたと発表した。可能な限り早期の訪問を再調整するとしている。

マクロン氏は22日に放映されたテレビ局のインタビューで、年金改革を「年末までに実施する必要がある」と表明した。有権者の間では年金改革そのものに加え、憲法の規定に基づき議会採決を経ずに法案採択に持ち込んだ政権の姿勢への反発も広がる。

調査会社Ifopによると直近のマクロン氏の支持率は28%と、反政権デモ「黄色いベスト」が続いていた2019年2月以来約4年ぶりの低水準に落ち込んだ。

激しい抗議活動に歯止めがかからなければ、マクロン氏は今後年金改革に関連してなんらかの妥協を迫られる可能性もある。』

仏EU首脳、一緒に訪中へ 「結束した欧州の声」伝える

仏EU首脳、一緒に訪中へ 「結束した欧州の声」伝える
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR24D8D0U3A320C2000000/

『【パリ=北松円香】欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長は、4月上旬にフランスのマクロン大統領とともに訪中する。マクロン氏が3月24日、フォンデアライエン氏に一部日程の同行を提案したと明らかにした。「結束した欧州の声」を中国に伝えるのが目的としている。

マクロン氏はかねて4月上旬に中国を訪問する予定を明らかにしていた。3月24日のEU首脳会議後の記者会見では、ロシアのウクライナ侵攻に関し…

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『マクロン氏はかねて4月上旬に中国を訪問する予定を明らかにしていた。3月24日のEU首脳会議後の記者会見では、ロシアのウクライナ侵攻に関して中国に協調を求めると述べた。「ロシアに対して化学兵器や核兵器の使用を控え、紛争をやめるよう」中国が圧力をかけることを要望する。フォンデアライエン氏の同行は、フランス単独ではなくEUとしての要請である点を強調する狙いがあるとみられる。

ロイター通信によると、EUの報道官はフォンデアライエン氏が4月の第1週にマクロン氏ととともに中国を訪れると認めた。スペインのサンチェス首相も3月30日から中国を訪問する予定。欧州が中国との友好関係を確認し、ウクライナ侵攻を巡る協力を探る流れが強まっている。』

中国の一撃、米国の中東回帰促す

中国の一撃、米国の中東回帰促す デーブ・シャルマ氏
元駐イスラエル豪州大使
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD204XZ0Q3A320C2000000/

『イランとサウジアラビアの外交正常化を中国が仲介したことは予期せぬ一撃であり、中東に新しい権力秩序をもたらした。

米国は10年以上、中東における安全保障と外交の負担を減らしてきた。中国と競争するため、アジアにより多くの資源を集中するためだ。今回、中国が中東で存在感を高めたことで、米国のアジア重視政策は複雑になる。

サウジとイランの外交正常化は双方にとって百八十度の方針転換だ。中東における主導権争い…

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『外交正常化の動きは、両国の戦略や相対的な立場の見直しを反映しているようにみえる。どちらも競争のコストが高くなりすぎたことを理解するに至った。

Dave Sharma 豪ディートン大修士(国際関係論)。豪議会の外交・援助合同小委員会の委員長、首相府の主席外交顧問を歴任

サウジは正常化により、イランが石油施設へのさらなる攻撃を停止するなどの約束をとりつけた。またムハンマド皇太子の下、中東の重要なプレーヤーとしての立場を固めることもできた。皇太子にとって、イランとの合意は米国に対して自らの影響力を高めることにつながる。

イランはサウジとの関係改善によって投資格付けが向上し、経済的利益につながることを期待している。イランは通貨安やインフレによる生活費の上昇、反政府デモの拡大に苦しんでおり、外交・経済面で一息つく余裕ができる。

中国は今回の合意実現に向けて周到な外交面での投資を行った。習近平(シー・ジンピン)国家主席は22年12月に中東を訪問し、湾岸諸国とイランとの首脳会議を提案。今年2月にはイランのライシ大統領を北京に迎えた。中国は今回の合意により、米国だけが世界の和平調停を独占しているわけではないと威信を示した。エネルギーを依存する地域の紛争リスクの低下は直接の国益にもなる。

イスラエルにとっては、今回の合意は大きな後退だ。サウジは湾岸諸国の中で最も声高にイランの封じ込めを呼びかけてきた。関係修復の動きに小国が追随するのは確実で、イスラエルが目指すイラン孤立のための地域連合に亀裂が生じる。イスラエルはイランの核開発に対抗する努力を強めなければならず、長年追求してきたサウジとの国交正常化の可能性は低くなった。

1956年のスエズ危機以来、米国は中東における不可欠なアクターだった。しかし今回の合意により権力の序列に変化が生じている。米国はアジア重視政策により、中東問題の解決は中東自身に委ねようとしていた。

安易な願い事はしない方がいいということだ。中国が米国の間隙を突いたことで、中東は米中間のグローバル競争の一部になった。米国が中東から手を引こうとしても、再び引き戻される場合がある。今回も同じだろう。』

『イスラエルがカギ握る

2013年9月、当時のオバマ米大統領はシリア内戦をめぐる演説で、「米国は世界の警察官ではない」と語った。その後、外交や安全保障政策の軸足を中東からアジアに移す動きは共和党のトランプ政権になっても変わらなかった。安保戦略のアジアシフトは中国を念頭に置いたものだが、中東に生じた空白をその中国に突かれたのは皮肉な話だ。

米国が今後中東に戻ってくることがあるとすれば、カギを握るのはイスラエルではないか。シャルマ氏が指摘するように、イスラエルにとってイランは最大の仮想敵だ。外交正常化の動きにより、イラン包囲網が緩む事態は看過できない。戦略の見直しは不可避だろう。イスラエルの次の動き次第で、同盟国である米国は中東に引き戻されることになりかねない。

(編集委員 松尾博文)』

サウジファンド、クレディ・スイスで損失 運営に危うさ

サウジファンド、クレディ・スイスで損失 運営に危うさ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB222XZ0S3A320C2000000/

『世界の金融市場を揺さぶったスイスの金融大手クレディ・スイス・グループの信用不安。危機の発火点のひとつは筆頭株主であるサウジアラビアの銀行トップによる追加出資を拒否する発言だった。救済スキームの成否でも産油国の株主の対応がカギをにぎる。危機は中東産油国マネーの存在感の高まりと、不透明なファンド運営の危うさも印象づけた。

「あり得ない」。経営難のクレディ・スイスへの追加出資を問われたサウジ・ナショナ…

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円上昇、一時129円台 米欧銀行不安でリスク回避の買い

円上昇、一時129円台 米欧銀行不安でリスク回避の買い
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB240LC0U3A320C2000000/

『24日の外国為替市場で円が対ドルで上昇し、一時1ドル=129円台と2月上旬以来、およそ1カ月半ぶりの円高・ドル安水準をつけた。米銀の経営破綻をきっかけに米欧の金融システムへの不安が強まるなか、低リスク通貨とされる円の買いが膨らんでいる。

円は米銀シリコンバレーバンク(SVB)が経営破綻する前の8日には1ドル=137円台後半で取引されていた。SVBの経営破綻やクレディ・スイス・グループを巡る懸念など欧米の銀行不安が広がったことで、金融システムが相対的に健全な円がマネーの逃避先として買われた。2月末比の対ドルの上昇率は主要通貨の中で最も大きく、様々な通貨に対して円高が進んでいる。

3月は日本企業の多くが決算期末に当たる。輸出企業などが円建てで利益を確定するために海外資産を円に戻す動きが円相場を押し上げているとの声もある。

米連邦準備理事会(FRB)は21〜22日に開いた米連邦公開市場委員会(FOMC)で0.25%の利上げを決め、23日には英国とスイスの中央銀行も政策金利を引き上げた。金融システムへの不安が残る中で各国がインフレ抑制の姿勢を示し続けており、景気悪化への警戒感も一段と意識されている。

リスク回避の買いは日本の国債にも波及している。海外勢による前週の日本の中長期債の買越額は4兆円を超え、週間として過去最大となった。

【関連記事】円にリスク回避の買い 「金融不安波及しにくい」思惑

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滝田洋一
日本経済新聞社 特任編集委員
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ひとこと解説

①円が買われているというより、ドルが売られているのが気がかりです。根っこには米国の金融不安がある。折しも決済大手ブロックのアカウント水増し疑惑が持ち上がったことに警戒が怠れません。

②決済は金融の中核とあって地銀の経営不安とはインパクトが違う。ノンバンクが決済で重要な米国では「nonbank run」の恐れも。当局には事実関係の確認など、市場の動揺を抑える迅速な対応が求められます。

③金融不安は欧州でも収まらず、24日には欧州の銀行株が軒並み安に。なかでもドイツ銀行は売りの標的になっています。スイス当局がCSのAT1債を紙くずにしたことで、投資家が浮足立っている。危機の共振が懸念されます。

2023年3月24日 18:14 (2023年3月24日 22:04更新) 』

スイス当局、AT1債問題で沈静化に奔走 訴訟の動きも

スイス当局、AT1債問題で沈静化に奔走 訴訟の動きも
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR23E510T20C23A3000000/

『【チューリヒ=南毅郎、香港=木原雄士】経営不安が高まったクレディ・スイス・グループの救済を巡り、スイス金融当局が釈明に追われている。資本安定のために同行が発行した「AT1債」を価値ゼロとした判断は「目論見書と緊急法令に従うものだ」と説明。投資家の理解を求めているが、集団訴訟を探る動きもある。

「AT1債に関する多くの問い合わせがあった」。23日、スイス金融市場監督機構(FINMA)はクレディ・ス…

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米カード利用、米銀破綻後に10%減少 20年4月以来

米カード利用、米銀破綻後に10%減少 20年4月以来
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN24DCI0U3A320C2000000/

『【ニューヨーク=佐藤璃子】米銀大手シティグループが発表した調査によると、18日に終わる週のクレジットカードの支出は前年同時期から10.3%減少した。減少幅は前週の6.8%から拡大し、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年4月以来の落ち込み幅になったという。米銀破綻による金融システムの混乱で消費者が警戒感を強めた可能性がある。

シティは米国内での取引を対象に、同社が提供するクレジットカードの小売り分野での利用状況を調べた。内訳をみると、工具店やガーデニング用品店などでの支出は前年同時期から18.4%減と、減少幅が前週(8.8%減)より広がった。そのほか靴や電子機器の消費の落ち込み幅も大きかった。食品を除いた全体の支出は13%減った。

シティはリポートで「(米銀破綻を受けた)金融システムの混乱を反映した最初のデータであり、実際に消費者に影響を与えていたことが明らかになった」と指摘した。10日には米銀シリコンバレーバンク(SVB)が経営破綻に陥り、12日にはシグネチャー・バンクも閉鎖を発表した。相次ぐ破綻を巡る混乱が消費者心理の重荷となる恐れがある。』

貿易が映す世界の分断 ロシアの「抜け道」鮮明

貿易が映す世界の分断 ロシアの「抜け道」鮮明
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00003630T10C23A3000000/

『2023年3月24日 17:00

世界の分断が貿易にも及んでいる。ウクライナに侵攻したロシアとの取引を西側諸国が減らす一方、中国やインドは結びつきを深めた。日本経済新聞の「Next World」取材班は国連や各国の貿易データをもとに、戦争を機に変貌した越境取引の可視化を試みた。

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米国の中小銀、預金流出が過去最大 SVB破綻で週15兆円

米国の中小銀、預金流出が過去最大 SVB破綻で週15兆円
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN23DY90T20C23A3000000/

『【ニューヨーク=大島有美子】米連邦準備理事会(FRB)が24日発表した週次の商業銀行統計によると、シリコンバレーバンク(SVB)の破綻後を含む9〜15日で、米国の中小規模の銀行から1200億ドル(約15兆7000億円)の預金が流出したことが分かった。週間での流出額は過去最大となる。取り付け騒ぎによるSVBの急転直下の破綻で預金者の不安が高まり、大手銀行などに預金を移す動きが広がった。

同統計は、週次で全米の商業銀行のバランスシートの状況を集計する。大手銀行は総資産上位25位までで、中小銀行はそれ以下で定義する。中小銀行の15日時点の預金残高(季節調整値)は前週比2.2%減の5兆4559億ドルだった。流出額は遡れる1973年以来で最大。減少率でみてもリーマン・ショック時を上回った。新型コロナウイルス下の米政府の財政支援で過去最高水準に膨らんでいた預金残高は、2021年11月以来の水準に落ち込んだ。

JPモルガン・チェースなど大手銀行の預金残高は10兆7400億ドルで、前週比で666億ドル(0.6%)増加した。「『パックウェスト』の口座を持っているが、安全のため『チェース』に移すことにした」。ある米西海岸の企業は、SVBが破綻して数日後、預金を米カリフォルニア州地盤の中堅行パシフィック・ウェスタン・バンクから、JPモルガンに移した。
大手銀、「中小銀の顧客勧誘手控えを」

「資金が逼迫している金融機関の顧客を勧誘するのは控えよう」。JPモルガンは13日、従業員に対してこう通知した。それでも同社には「口座開設の処理が追いつかないほど預金が来る」という。
預金者は「安心」を求め大手銀行に預金を移している(ニューヨークのJPモルガン・チェースの店舗)

調査会社モーニング・コンサルタントが16〜17日に約2180人に実施した調査によると、SVBの破綻後に16%の米国の成人が預金の全額もしくは一部を別の金融機関に移した。移転先は全米にビジネスを展開する国法銀行が36%と最多だった。

英キャピタル・エコノミクスのポール・アシュワース氏は「中小銀からの流出のおよそ半分が大手銀へ、残りはMMF(マネー・マーケット・ファンド)や債券市場に流れた」とみる。

米連邦準備理事会(FRB)による急ピッチな利上げで、政策金利に敏感なMMFの利回りは2月に4%代後半に乗せた。ゼロ%台の預金金利との金利差拡大からMMFの魅力が高まっていたところへ預金不安が重なり、MMFへの資金流入が加速している。

米投資信託協会(ICI)によると、週次のMMF残高は22日時点で5兆1300億ドルとなり、直近2週間で2300億ドル以上(約5%)増えた。コロナ禍初期の20年春以来の急増ぶりだった。

イエレン財務長官は23日、米銀の預金保護について「必要ならさらなる措置を講じる用意がある」との見解を示した。急速に広まった金融不安の終息に努めるものの、預金移転の動きは続いているとみられ、銀行は流動性の確保に奔走する。

「最後から2番手の貸し手」 資金供給が急増

米連邦準備理事会(FRB)が12日に導入した緊急融資枠の利用額は、22日までで536億ドルと、15日時点(119億ドル)と比べ4.5倍に増えた。以前から設けている「連銀貸し出し」は、リーマン・ショック時を上回るペースで利用されている。

住宅ローンなどを担保に商業銀行に流動性を提供する政府系金融機関、連邦住宅貸付銀行(FHLB)の動向も注目を集める。FRBに次ぐ「最後から2番目の貸し手」として金融危機時に利用されており、地銀の重要な資金源となっている。

英バークレイズのジョセフ・アベート氏は、FHLBによる融資残高が直近で1兆1000億ドルを超えたと試算する。リーマン時のピークを12%上回り、過去最高を更新したとみる。

米ブルームバーグ通信によると、FHLBはシリコンバレーバンク破綻後となる13日からの1週間で合計3040億ドルの債券を発行した。米ゴールドマン・サックスのヤン・ハチウス氏によると19〜22年は年間の発行額が4000億〜6000億ドルだった。地銀からの資金需要増を反映した措置とみられる。

経営不安が続く中堅銀行ファースト・リパブリック・バンクの16日の発表によると、FRBから1090億ドル、FHLBから100億ドルを借りた。預金が流出しているパシフィック・ウェスタンも緊急融資枠を含めてFRBやFHLBから借りている。

米国野村証券の雨宮愛知氏は「銀行が貸し出しを絞っていく局面が訪れる」とみる。FRBが実施する米銀の貸し出し態度調査では、3カ月前に比べて貸し出し態度を「厳しくした」割合から「緩和した」割合を引いた比率を追跡している。3月は45%となり、コロナ禍を除くとリーマン危機後の2009年3月以来の高水準となった。金融機関の流動性懸念が長引けば銀行が融資に慎重になり、米景気の重荷となる。』