AIフル活用の「Microsoft 365 Copilot」。文書もプレゼン作成もAIとの対話で完結

 ※ 今日は、こんな所で…。

AIフル活用の「Microsoft 365 Copilot」。文書もプレゼン作成もAIとの対話で完結
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1486537.html

 ※ ウインテル連合の「3年毎のОSのアップグレード」、それに連動してのOfficeの更新…、という「Office商法」は、「死んだ」…、と思われていた…。

 ※ しかし、AI連携で、それが「不死鳥のごとく、蘇(よみがえ)る…、のか…。

 ※ Windows12も「出る」という噂だしな…。

『  米Microsoftは16日(現地時間)、LinkedInにおいてプライベートイベント「The Futre of Work with AI」を開催。この中でAI機能を統合したオフィススイート「Microsoft 365 Copilot」を発表した。

 このところChatGPTのように自然言語処理を使ったAI技術が飛躍的に進歩しているが、ついにこの技術を一般的なビジネスでも使われるMicrosoft 365にも取り込んだ。

 製品名にある「Copilot」、つまり「副操縦士」が示すように、ユーザーはCopilotに自然言語で要望や指示を出すだけで、非常に高度で複雑な処理を簡単にできるようになる。ユーザーは最小限の時間で生産性を最大限にまで引き出すことが可能になり、ビジネスにとって新しい時代の幕開けとなる。

 そもそもMicrosoft 365(旧Office)は非常に豊富な機能を備えていたが、ほとんどのユーザーはそのうちの10%の機能しか使っていなかった。Copilotを使うことで残り90%の機能の潜在能力を引き出すことができるとしている。

 Copilotの特徴はユーザーがアクセスできるデータを縦断し、フルに活かす点であり、イベントでは以下のことがデモされた。
Outlook

 メール文面も、相手に伝えたい大まかな内容をCopilotに伝えるだけで適宜作成してくれる。文面の長さも数クリックで調整が可能。

 なお、スマートフォン版でも同様にメール文面が作成でき、返信にかかる時間を大幅に短縮できる。

長文の文面はCopilotに概要を伝えるだけで作成可能
もちろんスマートフォン版でも利用可能

PowerPoint

 プレゼンテーションで述べたい内容、ページ数をCopilotに指示するだけで、ユーザーが持つ関連データや写真などを参照し、見栄えが非常に良いプレゼンテーションをほぼ自動で作成できる。アニメーションの追加もCopilotに指示するだけ行なえる。

 デモでは「娘の卒業を祝うプレゼンテーション」の作成をしていたが、娘の写真アルバムから適宜写真をピックアップしていた。

 ビジネス向けのデモでは、既存のWord文書からPowerPointプレゼンテーションを生成する様子が示された。また、スライド中のテキストを減らし、スピーカーノートの自動生成を行なえる様子が示された。

PowerPointのCopilot(画面上部)。ここで指示を出す
ほんの数秒で20枚のPowerPointが完成。写真の貼り込みも自動で行なう
ビデオクリップがあれば、それも自動的に埋め込まれ、見栄えがいいプレゼンテーションが完成する

Word文書から……
PowerPointへの変換も一瞬。スピーカーノートも自動的に作成

Word

 書きたいことを1段落Copilotに伝えるだけで文書を代筆。すでに持っているメモ書き等がある場合はそれを挿入できる。

 デモでは「娘の卒業を祝うスピーチ」を作成していたが、スピーチする時間に合わせた長さに自動的に文面の長さを調節したりする様子が示された。

 またビジネス向けのデモでは、長い文章の要約を自動で行なっていた。
娘の卒業を祝うスピーチの作成。スピーチの時間と、娘の趣味などを伝えると……

即座に代筆。ノートの挿入も簡単
冒頭に要約を追加するときも瞬時にまとめてくれる

Excel

 Excelでは、詳細の売上データのシートを、Copilotに指示をちょっと出すだけで即座に四半期ごとのサマリーにまとめる機能がデモされた。また、成長シナリオの生成も行なえる。

詳細な売上データから……
即座に四半期売上データを生成
成長シナリオも

Teams

 先日、日本マイクロソフトの発表会でもTeamsへGPT-3.5の統合が発表されていたが、会議中にこれまでの会話の概要を自動的にまとめる議事録的な機能がデモされた。

 また、カレンダーの予定からのタスクの作成、チャットスレッドのこれまでの会話の要約、ファイルからのデータを抽出してチャットに貼り付けるといった操作がCopilotへの指示だけで行なえる様子が示された。

 さらに、予定している会議で役立つ資料を自動検索し、例えばExcelファイルから必要なデータの抽出、そして抽出したデータをPowerPointに貼り込むといった作業もCopilot経由で行なっていた。

チャットスレッド内の概要を提示
Teams会議の音声を認識し、会話の概要を表示する
会議に必要なファイルの提案
Excelファイルから必要なデータだけ抽出する
Copilotはセキュリティにも重視

 このように、Microsoft 365が本来備えている豊富機能を簡単に指示するだけで実現するCopilotだが、その実現にはやはり大規模言語モデル(LLM)の存在が欠かせなかった。Copilotでは、Microsoft 365アプリからのプロンプトを直接LLMに渡しているのではなく、いったんMicrosoft Graphに投げて、ユーザーのメール/ファイル/会議/チャット/カレンダー/連絡先といったデータを根拠付けして処理。

 これを編集されたプロンプトとしてLLMに投げている。そしてLLMのレスポンスをもとに再度Microsoft Graphに戻して根拠付けを行ない、LLMの応答ともにユーザーに渡しているという。

Microsoft 365 Copilotの挙動

 Copilotの登場により大きく変化するMicorosft 365。新しいPCの活用法、新しいオフィススイートの使い方は、もうすぐそこまで来ている。

イベントの冒頭で挨拶したサティア・ナデラCEO 』

リビアの大量破壊兵器完全廃棄とその背景

国際安全保障第37巻第2号
リビアの大量破壊兵器完全廃棄とその背景
木村修三
(神戸大学)

 ※ https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaianzenhosho/37/2/37_69/_pdf という文献を、手持ちソフトでテキスト変換した。一部「意味不明」な個所があるが、適宜「脳内変換」してくれ。

『はじめに
2003年12月19日、リビア⑴政府は大要次のような声明を発表した。

① 冷戦期の緊張状態の下でリビアは、中東及びアフリカを大量破壊兵器の
存在しない地域にするよう提唱した。
② しかしどの国からも肯定的反応が得られなかったため、リビアはやむを
得ず防衛能力の増強に努めた。
③ リビアの専門家たちは、この分野におけるリビアの活動に関して米英の
専門家たちと話し合いを行った。
④ リビアの専門家たちは米英の専門家たちに対し、国際的に禁じられた兵
器の生産につながる可能性がある物質•設備・計画を提示した。
⑤ この話し合いにより、リビアは自発的にこれらの物質・設備•計画を完
全に廃棄することを決定した。
⑥ 同時にリビアは、自国のミサイルを「ミサイル技術管理体制」(MTCR)
の基準に合致するよう制限することを決定した。
⑦ リビアはこれらの措置に透明性を持たせるため、直ちに国際査察を受け
入れる。
⑧ リビアは国際原子力機関(IAEA)との間に追加議定書を締結し、また化
学兵器禁止条約を批准する。
⑨ リビア政府は、軍備競争がリビアの国益や地域の安全に資することなく、
世界の平和と安全に対するリビアの願いにも反するものと信じる。
⑩ リビアは中東諸国をはじめとするすべての国が、いっさいの例外や二重
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基準を設けずにリビアのこの措置を踏襲することを希望する⑵。

リビアが密かに化学兵器や核兵器の開発を行っているのではないかという疑
惑は国際社会で早くからささやかれ、とくに米国は強い疑いを抱いていた。米
国がリビアを「ならず者国家」と決めつけて制裁の対象としたのは、リビアが
極端な反米的姿勢に基づき数々のテロ行為に関わってきたことに加えて、密か
に大量破壊兵器の開発•製造を行っているに違いないという疑惑があったから
である。

もっともリビアは、一貫してその疑惑を否定してきた。

例えば、上記の廃棄
声明の1年足らず前の2003年1月、米紙『ワシントン・ポスト』とのインタビュー
でムアンマル・アル•カダフィ(Muammar Al Qadthafi)⑶大佐は、「リビアが大
量破壊兵器を持つと考えるのは馬鹿げている」と述べた⑴。カダフィの次男で有
力な後継者と目されるセイフ•アルイスラム・カダフィ(Saif Aleslam Qadthafi)
もまた、米国の中東政策専門誌の2003年春季号に寄せた論文のなかで、「リビア
は核兵器不拡散条約(NPT)を一貫して遵守してきた」と強調した⑸。

ところがリビアは、僅か1年前まで全面否定していた大量破壊兵器の開発・製
造計画を一転して認め、その完全廃棄に踏み切ったのである。

リビアが廃棄声
明を発表したのと同じ日、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統
領とブレア(Tony Blair)英首相もそれぞれ声明を発表し、リビアの最高指導者
カダフィ大佐が同国の大量破壊兵器の開発・製造計画を完全に廃棄すること、
またその廃棄を検証するため即時・無条件に国際査察を受け入れることを確約
した旨を明らかにして、リビアのこの決断を褒め称えた⑹。

リビアがこのように政策を一転させた背後には、いったい何があったのであ
ろうか。本稿ではそれを探ることにするが、その前にまず、リビアがどのよう
にして大量破壊兵器の開発•製造を行ってきたのか、それにはどのような背景
があったのかを見ることにしたい。

I特異なイデオロギーに基づく体制と政策

1独立から特異な革命体制の確立へ

(1)独立後の貧困と社会不安

1912年イタリアによって植民地とされたリビアは、サヌーシー派⑺の指導者
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国際安全保障第37巻第2号
でキレナイカの首長でもあったイドリス(Muhammad Idris al-Sanusi)国王が統
治する「リビア連合王国」として、51年に独立した。

しかし独立当初のリビア
は、1人当たり国民所得が50ドル以下という、世界の最貧国にすぎなかった。


の最貧国を経済的に支えていたのは、国際機関からの援助のほか、米英がりビ
アに置いた軍事基地の見返りとして供与する援助金などであった。

1959年に米企業エッソ(エクソンの子会社)がキレナイ力で大油田を発見し
て以降、リビア領内で有力な油田が次々と発見され、61年からは石油輸出が開
始された。63年、国王は連邦制を廃して国名を「リビア王国」に変えたが、統
治の実態は旧態依然たるもので汚職•腐敗がはびこり、石油収入が国民生活の
ために使われることもなく、貧困と社会不安が後を絶たなかった⑻。

(2) 「9月革命」とナショナリズムの高揚

1969年9月1日、カダフィ大尉(当時27歳)を中心とする軍の若手将校グルー
プがイドリス国王の外遊時を狙ってクーデターを起こし、さしたる抵抗も受け
ずに政治権力の奪取に成功して革命指導評議会(Revolutionary Command Coun-
cil: RCC)を設立し、これを国権の最高機関とした。

RCCは国名を「リビア•ア
ラブ共和国」と改め、カダフィを大佐に昇格させて軍の最高司令官とした。

革命政権は何よりも国家の独立性の確立をめざし、リビアにある外国軍基地
の即時全面撤去及びイタリア人資産の接収を求めるとともに、外国の石油会社
に石油利権契約の改定を要求した。

これにより英軍基地は70年3月に、また米軍
基地は70年6月に撤去され、イタリア人資産は70年10月に接収された。

また、
外国の石油会社は利権契約をリビアに有利に変更することを迫られ、その後多
くが国有化された⑼。

(3) 「第三の普遍理論」と『緑の書』

革命の指導者カダフィは1973年5月、資本主義や共産主義に代わる「第三の普
遍理論」なるものを提唱した。

それは資本主義による労働者搾取と共産主義に
よる階級闘争のいずれをも否定し、また議会制民主主義や政党政治を拒否して、
人民の直接参加に基づく新たな政治体制を構築するという理論である。

その理
論を体系化するものとして、カダフィは75年から78年にかけ、3章よりなる『緑
の書』を著した的。

この理論に基づき、人民は総計230余の人民会議に分かれて所属し、立法その
他の決定に直接参加し、決定の基本事項の執行は、基本人民会議が選出した書
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2009年9月
記局からなる人民委員会が担当するという制度が作り出された。

77年には国名
を「大リビア・アラブ社会主義ジャマーヒーリア」と変え、在外の大使館を「人
民事務所」と改称した。

2既存の国際秩序に挑戦する外交路線

(1) 裏切られたアラブ統一への期待

「第三の普遍理論」に基づく対外路線としてカダフィは、何よりもパン・ア
ラビズム(アラブの統一)に情熱を燃やした。カダフィによれば、アラブが低
開発の状態にあるのは、長期にわたるトルコの支配とその後の西欧帝国主義の
支配とによって、民族がばらばらに分断され、それが別々の国家として固定化
された故である。したがって既存の国家の枠を取り払って統一することが、ア
ラブ民族発展の鍵であると彼は主張した

この信念に基づきカダフィは、エジプト、アルジェリア、モロッコ、スーダ
ン、シリア、チュニジアといった近隣のアラブの国々に次々と国家の統合を呼
びかけた。

しかし、これらの国の指導者たちは、「アラブは一つ」というスロー
ガンにはリップサービスを行いつつも、実際の国家統合には反対で、カダフィ
の呼びかけにも冷淡な反応しか示さなかった。

このため、アラブ諸国の指導者
たちに裏切られたと感じたカダフィは、次第にアラブ諸国の既存の体制と距離
を置く過激なグループに接近し、支援を行うようになった。

(2) 共産主義と欧米の政策への拒否反応

カダフィは共産主義を、イスラム及びアラブ民族主義と相容れない無神論の
イデオロギーであるとしてしりぞけた。

アラブ急進派に対するソ連や中国の支
援については一定の評価を与えつつも、リビア国内では共産主義分子ないしは
それに同調する勢力の存在をいっさい認めず、これらを徹底的に弾圧した。

他方、カダフィは欧米諸国が第三世界、とくに中東アフリカの問題に介入す
るのを、新植民地主義の動きとして激しく批判した。

カダフィにとってとくに
許せないのはイスラエルの存在であり、それによって同じアラブであるパレス
チナ人が難民生活を余儀なくされ、あるいは占領状態に置かれていることであっ
た。それゆえ、外交•経済・軍事のあら冷る面でイスラエルを支えている米国
の中東政策を厳しく批判した。

同時にカダフィは、イスラエルのパレスチナ占領が続いている状況の下でイ
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国際安全保障第37巻第2号
スラエルと和解し、それによって米国にすり寄ったエジプトのサダト(Anwar al-
Sadat)大統領やパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト(YasirArafat)議長
をも厳しく批判した。

リビアが、アブ・二ダール(Abu Nidal)一派やパレスチ
ナ解放人民戦線•総司令部派(PFLP-GC)といったパレスチナの超過激派を支
援し、彼らに資金や訓練基地などを提供したのは、こうした理由による的。

(3)パン・アフリカニズム

カダフィは、アラブ統一への期待がアラブ諸国の既存の指導者たちによって
裏切られたと感じたことから、リビアはアフリカの一部であるという意識をよ
り強く持っようになった。

カダフィのアフリカ政策の重点は、アフリカに対す
る欧米諸国やイスラエルの影響力を極力排除しつつ、アフリカの統一を図るこ
とにあった。

このため、アフリカで植民地主義勢力や人種主義政権と戦う民族
解放戦線を積極的に支援し、また親米的政権と争う反体制派に支援を与えたほ
か、アフリカ国家間の紛争あるいは内戦にもしばしば介入した。

アフリカ諸国の指導者のなかには、アフリカにおける反植民地主義、反人種
主義及びアフリカ統一のために積極的に活動するカダフィの行動に好意的反応
を示す者も少なくなかった。

これは、アラブ諸国の指導者の多くがカダフィの
行動に拒否反応を示したのと対照的である。

後で見るように、リビアは米国や
国連から厳しい経済制裁を受けることになるが、アフリカ諸国のなかには、対
リビア制裁に反対ないし消極的な国が少なくなかった叩。

I!米欧との関係悪化とテロへの関わり

1悪化の一途をたどった対米関係

(1)分水嶺となった第4次中東戦争

1969年にリビアで革命が起こった際、米国はあまり懸念を持たなかった。な
ぜなら、革命政権が共産主義への反対を明確に表明したからである。カダフィ
が民族主義を高揚して米軍基地の撤去を求めた際にも、米国は比較的すんなり
とそれに応じた。核抑止戦略の中心が大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発
射弾道ミサイル(SLBM)へと移ったため、リビアに置かれた空軍基地はもはや
かってのような重要性を持たなくなったからである。

しかし、73年の第4次中東戦争(十月戦争)を契機に、リビアと米国との関係
は悪化の一途をたどった。

この戦争でアラブ側が石油戦略を発動したのとほぼ
-73 –
2009年9月
時を同じくして、リビアは米系石油会社の国有化を断行した。

革命直後に力ダ
フィが国有化はしないと約束していたにもかかわらず、である皿。

さらに73年
10月11日、リビアはシルテ湾への領海宣言を行ったが、米国は74年2月11日、
同湾は公海であってリビアの領海宣言は断じて認められないという声明を発表
した。これ以降、シルテ湾ではたびたび両国間で小規模な軍事衝突が繰り返さ
れることになる。

(2)米大使館の炎上と関係の険悪化

1979年12月2日、トリポリの米大使館がリビアの群集に襲撃されて炎上した。

米側に死傷者は出なかったが、リビア当局は群集の動きを抑えるのに有効な手
段を講じなかった。

この事件は明らかに、前の月、テヘランの米大使館がイラ
ンの群集に襲われて多数の館員が人質とされた事件の影響を受けたものと見ら
れた。

カーター (Jimmy Carter)米大統領は同月後半に作成した「テロ支援国家」
のリストにリビアを加え、80年5月には在トリポリ米大使館の閉鎖を命じた。


らに米政府は81年5月、ワシントンにある「リビア人民事務所」(大使館)の閉
鎖を求めた。同事務所が在米のリビア反体制派に対する暗殺計画を企図したと
いう理由からである小)。

1981年8月19日、シルテ湾を航海中の米空母ニミッツから発進した2機のF-14
戦闘機に対し、リビア空軍の2機のSU-22がミサイルを発射した。

リビア側のミ
サイルは命中しなかったが、米軍機は直ちに反撃してSU-22を2機とも撃墜し
た。さらに81年11月には、スーダンのハルトウームで米大使館が主催したダン
スパーティ会場のスピーカーの中から爆発物が発見されたが、米側はこれをリ
ビアの諜報員が仕掛けたものとして、レーガン(Ronald Reagan)大統領は81年
12月10日、米国民のリビアへの渡航を禁止した地)。

2相次ぐテロ事件と米軍による報復爆撃

(1)フレチャー事件とベルリンのディスコ爆破事件

1984年4月17日、ロンドンのリビア人民事務所(大使館)周辺で行われた在
英リビア反体制派グループのデモに対し、リビア人民事務所から銃撃が加えら
れ、デモの警備に当たっていた英国の婦人警官イボンヌ・フレチャー(Yvonne
Fletcher)が銃弾に当たって死亡したほか、デモ参加者11人が負傷した。英国政
府は銃撃犯の引渡しを求めたが、リビア側が拒否したため外交関係は断絶され、
__ 74 —
国際安全保障第37巻第2号

4月27日にはリビアの外交官が出国した。その中に銃撃犯と思われる者も含まれ
ていたが、外交特権により英側が取調べを行うことはできなかった⑰。

1986年4月5日、西ベルリンのディスコ「ラ・ベル」(LaBelle)で爆発事件が
起き、2人の米軍人を含む3人が死亡し、200人以上が負傷した。レーガン米大統
領は4月9日の記者会見で、「リビアの秘密諜報員が爆薬を仕掛けた疑いが濃厚で
ある」と発表した的。同月15日、この事件に対する報復として、100機を超える
米軍機がリビアのトリポリ及びベンガジの両市を空爆した。

この空爆によりリ
ビアの民間人70人が犠牲となった。とくにトリポリ郊外の軍司令部内にあった
カダフィ大佐の住居がピンポイント攻撃を受けて家屋は崩壊し、同大佐の幼い
養女が犠牲となった㈣。

(2) ロッカビー事件とUTA機爆破事件

1988年12月21日、ロンドン発ニューヨーク行きの米パンナム旅客機103便が
英国スコットランドのロッカビーの上空で爆発し、乗客244人、乗員15人が死亡
したほか、ロッカビーの住民11人が巻き添えをくって死亡するという事件が起
こった。

犠牲者の3分の2は米国人であり、次いで多いのが英国人の44人であっ
た。

そこで米英両国の捜査当局が全力を上げて調査した結果、セミテックス爆
弾を包んだ衣類の残7宰などから、リビア諜報機関員2人が米軍のリビア空爆に対
する報復として仕掛けたものと断定し、その引渡しをリビアに要求した。

しか
しリビアがこれを拒否したため、米英は問題を国連安保理に付託した伽。

1989年9月19日、コンゴ共和国のブラザビルからンジャメナ(チャド共和国)
を経由してパリへ向かうフランスUTA旅客機772便が、ニジェール共和国のテレ
ネ砂漠上空で爆発し、乗客・乗員171人が全員死亡するという事件が起こった。

フランス当局が捜査した結果、リビア諜報機関による犯行であると認定し、リ
ビア諜報機関の副長官を含む4人に対して国際逮捕状を発したこのようにし
て1980年代半ば以降、リビアと米国及び英仏との関係は悪化の一途をたどっ
た。

3リビアに対する制裁の実施と強化

(1)米国による制裁

米国はリビアに対し、1973年の武器売却規制以来、20以上の制裁措置をとつ
てきた。すでに見たように79年、トリポリの米大使館がリビアの群集に襲われ
-75 –
2009年9月
て焼かれた直後にカーター政権はリビアを「テロ支援国家」のリストに加え、
直接・間接の経済援助の停止、国際機関からのリビアに対する金融支援への反
対などの措置をとった。

レーガン政権時代に入ると対リビア制裁はさらに厳しくなり、81年にはりビ
アへの渡航禁止、82年にはリビア原油の輸入禁止及び石油•ガス関連技術のリ
ビアへの輸出禁止を定めた。

米リビア関係が最も険悪化したのは86年で、この
年には包括的経済制裁措置と在米リビア資産の凍結が実施された。その後口ッ
カビー事件の解決が長引く過程で米議会でもリビアに対する強硬意見が高まり、
96年には「イラン・リビア制裁法」(Iran and Libya Sanctions Act: ILSA)が制定
された(22)。

(2) 欧州連合(EU)による制裁

1984年のフレチャー事件により英国とリビアとの外交関係は断絶され、それ
は99年まで続いた。フランスとリビアの関係はUTA機爆破事件で悪化し、91年
10月、フランス司法当局は4人のリビア人に国際逮捕状を発し、翌12月にはり
ビアに対する要求事項を国連事務総長にも送付した。

こうした動きのなか、86年4月に欧州外相理事会はリビアに対する武器輸出禁
止及び外交•領事関係の縮小決議を採択した。また93年には、国連制裁を実施
するために限定的な禁輸と旅行制限に関する決議を採択した囲。

(3) 先進国サミットの声明及び国連による制裁

1986年5月に開かれた東京サミットでは「国際テロリズムに関する声明」が採
択されたが、その中でリビアを名指しで非難し、武器輸出禁止や外交関係の縮
小などの措置が明記された(測。

91年にはフランス、米国及び英国の司法当局が、
UTA機爆破及びロッカビー事件にリビアの諜報機関員が関与したものとし、フ
ランスはリビア人4人に国際逮捕状を発出し、米英はリビアに容疑者の引渡しを
求めた。しかしリビアがこれに応じなかったことから、米英仏3国は91年12月
20日、リビアに対する要求事項を国連事務総長に送付した。

これを受けて国連安保理は92年1月21日、決議731を全会一致で採択した。こ
の決議はリビアに対し、ロッカビー事件及びUTA機事件に関する米英仏3国の要
求を履行するよう求めるものであった。その要求とはすなわち、ロッカビー事
件に関しては、①容疑者の引渡しとリビア当局の責任の受諾、②犯罪に関する
すべての情報の開示、③適切な補償の支払い、であり、またUTA機事件に関し
~ 76 –
国際安全保障第37巻第2号
ては、①真実を明らかにするためにすべての記録及び物証へのアクセスの促進、
②関係者への接触や証人へのアクセスの促進、③リビア当局の捜査への協力の
保証、であった(如。

この安保理決議731に対しリビアは、「リビアの国家主権を侵害しない方法」
でならば協力する用意があるとし、容疑者の「自由意思」によるならばマルタ
または他のアラブの国での裁判を許容するということをほのめかした。また、
補償の支払いに関しても、容疑者が支払えない場合はリビア政府が支払いを補
償することもあり得るという、ある程度前向きと受け取れる発言を行った1:26)。L
かしその後、実際には決議に従おうとしなかったことから、国連安保理ではさ
らに二つの制裁決議が採択された。

すなわち92年3月31日、安保理は賛成10か国、棄権5か国(カーボベルデ、
中国、インド、モロッコ、ジンバブエ)で決議748を探択した。その内容は、リ
ビアに遅滞なく決議731の履行を求めるとともに、リビアがそれを履行したと安
保理が認めるまでの間、国連憲章第7章に基づき、すべての国に対し、①リビア
を離発着する航空機の離着陸許可禁止、②リビアへの航空機及び航空機部品の
供給禁止、③リビアへの武器等の輸出及び軍事援助の禁止、④リビアとの外交・
領事関係の制限、を行うよう求めるものであった”。

安保理決議748の採択後リビアは、ロッカビー事件容疑者の中立国への引渡し
について交渉を行う用意があると述べ、またUTA機事件についてはフランスか
らの捜査官の受入れを表明した。しかし、それにもかかわらず事態が進展しな
かったことから、93年11月11日、安保理は再度、決議883を賛成11か国、棄権
4か国(中国、ジブチ、モロッコ、パキスタン)で採択した。その内容は、リビ
アの在外資産の凍結や石油輸送機器の禁輸といった、制裁措置をいっそう強化
するものであった伽。

H(リビアによる大量破壊兵器の開発と廃棄

1 生物•化学兵器及び弾道ミサイル

(1)化学兵器の製造と使用の疑い

リビアは1971年に25年のジュネーブ議定書を批准した。同議定書は、「窒息性
ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガス及びこれらと類似のすべての液体、
物質または考案」並びに「細菌学的戦争手段」の戦争における使用を禁じたも
一 77 —
2009年9月
のである。

他方、97年4月に発効した化学兵器禁止条約(CWC)に関しリビア
は、イスラエルが核兵器不拡散条約(NPT)に未加盟であることに抗議するとい
う理由から、他の幾つかのアラブの国とともに署名を拒んだ。

リビアは1980年代後半から90年代初めにかけ、西欧及びアジアの多くの企業
から技術を導入してラブタ、セブハ及びタルーナに密かに化学兵器製造施設を
建設した。そのなかでも最大のものは「技術センターJと呼ばれたラブタの複
合施設で、それはイラクの化学兵器計画に関わってきたイラク人専門家イフサ
ン・バルボウティ(Ihsan Barbouty)の協力を得て建設された。そこには表向き
は製薬工場とされた各種の有毒ガス製造工場のほか、有毒ガスを装着する砲弾
の製造工場などが建設された¢の。

86年から87年にかけて米政府の専門家は、リビアが隣国チャドへの軍事介入
で化学兵器を使用したのではないかという疑いを持ち、チャド軍にガス・マス
クの提供を行った髄。しかし、リビアはそれを否定し、その後の分析でも実際に
使用されたという確たる証拠は見出せなかった的。

(2) 化学兵器のストックと廃棄

2003年12月の大量破壊兵器廃棄声明の後、リビアは2004年1月6日に化学兵器
禁止条約に署名し、同年2月5日に批准した。その後リビア政府が化学兵器禁止
機関(opcw)に対して行った申告及び同機関による現地査察によって、①マス
タード・ガス23トン、②約3,500発のガス装着用砲弾及び爆弾、③神経ガスの素
材となる化学物質1,300トンなどのストックの存在が明らかとなった。

ただし、
毒ガス装着済みの砲弾や爆弾は存在しなかったという的。

その後opcwの査察官たちは、リビアが申告したストックは完全に破壊され
たことを確認した。OPCWのファータ—(Rogelio Pfirter)事務局長は、「化学兵
器禁止条約を完全に遵守しようとするリビアの行動は、われわれを勇気づける
ものである」と高く評価する声明を発表した囲。

(3) 低水準にあった生物兵器の開発

リビアは1982年1月19日に生物兵器禁止条約に署名し、同日批准を了した。
しかし、同条約は確たる検証手段を欠くことから、真に条約を遵守しているか
どうかを検証することは困難であった。こうした状況の下、1980年代から90年
代にかけてリビアは密かに生物兵器の開発を行っているのではないかという疑
惑が各方面から持たれた。とくにタミンヒントに建設された「保健研究セン
—78 —
国際安全保障第37巻第2号
ター」や「微生物学研究所」などが疑惑の中心であった牌。

1990年代にリビアでは、イラクの生物兵器の専門家たちの協力を得て、炭痩
菌やボツリヌス菌を装着する爆弾や砲弾の製造プロジェクトが開始された。し
かしリビアの科学技術水準及び工業水準がきわめて低かったために、これらの
研究やプロジェクトは予期した成果を挙げるには程遠く、2003年以降リビアを
現地査察した米英の専門家たちは、リビアの生物兵器開発は予想よりも遥かに
低い水準で、実際に毒素菌が装着された爆弾・砲弾は全く存在しないことを確
認した(新。

(4)弾道ミサイル

リビアが保有する弾道ミサイルは、旧ソ連から導入したスカッドB(射程300
キロ メートル、投射重量79キログラム)と北朝鮮から導入したスカッドC(射程
600キロ メートル、投射重量700キログラム)である。

そのほかリビアは、「ア
ル・ファタハ」と称する射程500ないし700キロメートルのミサイルを国内で開
発する計画を立てて実行に移そうとしたが、リビアの工業水準の低さと厳しい
経済制裁のために結局は完成できなかった囲。

リビアは2003年12月の大量破壊兵器廃棄声明に基づき、MTCRの基準を超え
るミサイル、すなわち射程300キロメートル、投射重量500キログラムを超える
ミサイルをすべて廃棄することを決定した。これにより、北朝鮮から導入した
スカッドCはすべて廃棄され、またスカッドBについても、より射程の短い防御
用ミサイルへの転換が行われた°”。

2密かなる核兵器開発へ努力

(1)ソ連の協力による核研究センターの設立

リビアの核兵器開発とその廃棄について詳細な分析を行ったロンドン大学キ
ングス・カレッジのウィン•ボウェン(WynQ.Bowen)によれば、リビアの核
兵器開発の過程は大きく三つの時期に分けられるという的。

第1は1969年から81
年までの時期で、この時期にリビアは、表向き核の平和利用を目的として外国
から基礎的技術のほか、実験用原子炉とその関連施設や核燃料などを導入する
ために力を注いだ。

リビアは王制時代の68年7月、NPTに署名したが、イスラエルが未署名である
という理由から、批准しなかった。カダフィの権力奪取から4年後の73年、リビ
-79 –
2009年9月
アは原子力の平和利用推進を表向きの目的として「原子力エネルギー機構」
(AEE)という組織を設立し、米、仏、アルゼンチン、ブラジル、インドなど多
くの国に原子力分野での協力を要請した。しかし、どの国もそれには応じなかっ
た。カダフィ政権の特異な攻撃的対外政策に加え、「アラブはイスラエルの核兵
器に対抗して核兵器を持つべきだ」と公然と述べていたことが、核拡散への不
安を招いたからである例。

そこでリビアが接近したのはソ連であった。カダフィは共産主義を厳しく批
判しながらも、欧米との関係が悪化したためソ連に依存せざるを得なかったの
である。

75年、リビアはソ連との間に原子力協力協定を結び、ソ連の協力によっ
て「タジョウラ核研究センターJ (Tajoura Nuclear Research Center: TNRC)を
設立した。これがリビアの核開発の中心となったが、そこにはソ連の協力にょ
り10 メガワットのIRT実験炉と関連する研究施設•実験施設などが建設され
た(仙。

なお、ソ連はリビアに協力する前提として、リビアがNPTを批准し、IAEAと
保障措置協定を結ぶことを求めたため、リビアは75年5月にNPTを批准し、80
年7月に保障措置協定を締結した。

タジョウラのIRT実験炉にはソ連から核燃料
の濃縮ウランが供給され、81年4月に臨界に達した。

なお、リビアは78年から
81年にかけニジェールから],587トンのウランを輸入し、そのうち約450トンを
密かにパキスタンに再輸出したといわれる血。

(2)プルトニウム抽出とウラン濃縮の初期的活動

ボウェンのいう、リビアの核開発過程における第2の時期は1981年から95年
までで、この時期にリビアは核兵器開発をめざし、密かにプルトニウム抽出と
ウラン濃縮の初期的活動に取り組んだ。

まず、プルトニウムについては84年か
ら90年にかけ、IRT炉から出るウラン酸化物およびウラン金属から抽出を試みた
が、IRT炉があまりに小さいため、抽出できたプルトニウムはごく少量にすぎ
ず、とうてい核兵器製造に結びつくものではなかったW。

ウラン濃縮に関しては、まず86年に日本から輸入したモジュール型のウラン
転換設備を用いてウラン転換活動を試みようとしたが、実際には全く成果が上
がらなかったという。

もっとも実験室レベルでは、ニジェールから輸入したイ
エローケーキを用いてごく少量の転換に成功したといわれる。

他方、82年から
92年にかけTNRCでは、ドイツの技術者が持ち込んだ遠心分離装置を用いてウラ
-80 –
国際安全保障第37巻第2号
ン濃縮の実験も試みられたが、ほとんど成果は上がらなかったという的。

(3)核の闇市場を通じて活動を活発化

リビアとパキスタンのカーン(Abdul Qadeer Khan)博士との接触は1980年代
半ばにすでに始まっていたが、リビアがカーン博士の築いた核の闇市場のネッ
トワークに大幅に依存して核兵器開発活動を活発化するのは1995年以降であ
る。それゆえボウェンは、95年から2003年までをリビアの核兵器開発過程にお
ける第3の時期としてとらえる叫。

リビアは97年、カーンのネットワークからまずL-1型と呼ばれる遠心分離装置
(パキスタンのP-1型)を輸入して濃縮実験を開始したが、実験が初めて成功し
たのは2000年10月であったといわれる。

2000年9月、リビアはより進んだL-2型
(パキスタンのP-2型)遠心分離機1万台とそれを組み立てて操作するために必要
なさまざまな素材•器具・装置などを発注した。

カーンのネットワークは、ド
イッ、イタリア、日本、リヒティンシュタイン、マレーシア、パキスタン、韓
国、シンガポール、南アフリカ、スペイン、スイス、トルコ、アラブ首長国連
邦などのさまざまな企業からこれらを調達してリビアに送り届ける仲介役を果
たした。もっとも、リビアに実際に届いたL-2型遠心分離機そのものはわずか2
台にすぎなかったという㈤。

2001年暮れから2002年初めにかけリビアは、カーン博士から核兵器の各種部
品についての設計図を入手したが、これらの図面にはそれらの組み立て方につ
いての説明が手書きで書き添えられていた。

しかし、受けとったリビア側の専
門家のレベルがきわめて低かったために、これらの図面が実際にどの程度役立
つものであるかを検討することもなかったという<46)〇

米英の諜報機関は、カーンのネットワークとリビアとの関係を2000年からす
でに察知していた。

2003年9月、マレーシアの工場から搬出された遠心分離装置
関連部品は、ドバイの港でドイツ国旗を掲げた輸送船、BBCチャイナ号に積み
変えられてリビアに向かった。

しかし、ずっとその動きを追跡していた米当局
は10月4日、イタリア当局とともに同船に対しイタリアのタラノ港に寄港する
よう指示し、遠心分離装置関連部品を押収することに成功した

これは長期に
わたる諜報活動の成果であったが、ブッシュ政権は2003年5月に打ち出した「核
拡散防止構想」(Proliferation Security Initiative: PSI)がさっそく効果を発揮した
ものとして発表した。
-81-
2009年9月

(4)核兵器開発関連物資•設備の完全廃棄

2004年1月、核兵器の設計図関連資料及び約5万5千ポンドに及ぶ核兵器開発
関連物資•設備はすべて米国へ空輸された。

そのなかには、コンテナー数両分
の六フッ化ウラン、パキスタンから輸入された2台のL-2型遠心分離機、それに
関連するさまざまな設備•部品などが含まれていた爾。米国政府は、2005年5月、
リビアの核兵器開発計画に関連した物資•設備は完全に除去され、それに関連
した活動も完全に停止されたことを確認した物。

IVリビアの政策転換の理由と経緯

1 リビアの政策転換をめぐるさまざまな見解

(1)リビアの公式見解

カダフィ、その息子のセイフ•アルイスラム・カダフィ、そしてカダフィに
近いリビア政府の要人たちが、大量破壊兵器廃棄に踏み切った理由をいろいろ
と述べた

なかで共通するのは、大量破壊兵器の開発と所有がもはやリビアの国
益、とくに安全保障上の利益にそぐわなくなった、ということである。

それは
冒頭に挙げたリビア政府の廃棄声明にも盛られている。廃棄声明後の2004年3
月、アフリカ連合における演説の中でカダフィは、「リビアの安全は核兵器から
はもたらされない。核兵器は、それを持つ国にとっても危険なだけである」と
強調した価。

セイフ・アルイスラム・カダフィは、2004年3月10日付のアラブ紙『アル・
ハヤト』に次のように述べた。

「リビアは三つの理由から廃棄を決定した。第1
は西側が代償として約束した政治的・経済的•文化的•軍事的利得がきわめて
大きかったこと。第2はリビアが歩んできた道が西側と問題を抱えて危険だった
こと。第3の、最も重要な理由は、リビアはイスラエルとの戦争に備えて大量破
壊兵器開発を行ってきたのだが、パレスチナ人の50年に及ぶ武装闘争が何もも
たらさず、むしろ交渉によって和解が達成されたことから、こうした兵器の不
要なことが明白となったことである牌」。

リビアはまた、廃棄決定が外部からの脅しに屈して行われたのではなく、あ
<まで自発的な決定であることを強調する。それは廃棄声明にも現れているが、
とくに米国のネオコンの主張に反駁するため力説されるようである。さら・にリ
ビアは、その決定が冷戦終結という国際環境の劇的変化に対応した全般的な政
-82 –
国際安全保障第37巻第2号
策転換の一環であることをも指摘する。

2004年4月にブラッセルを訪問したカダ
フィは、「リビアはかって第三世界の解放運動の先頭に立ったが、いまや全世界
の平和運動の先頭に立つことを決意した。廃棄決定はその第一歩である」と述
べた(52)。

(2) 英国政府の見解

英国政府は、数年にわたって行われてきた外交と交渉の役割を強調する。


レア首相は2003年12月19日の声明の中で、「リビアの廃棄決定は、大量破壊兵
器拡散の問題が粘り強い話し合いと関与によって取り組むことができ、また責
任ある国際機関によってフォローできる問題であることを示した。それはまた、
国々が自発的かつ平和的に計画を放棄できるものであることを示した」と述べ
た缶)。

ストロー (jack Straw)外相も、「英国は6、7年前からリビアと話し合い
を行ってきたのであり、イラクにおける軍事行動とリビアの廃棄決定との間に
は直接的な関係はない」と述べた囲。

(3) 対立する米国内の見解

米国のブッシュ政権は、外交の果たした役割を認めながらも、大統領自身が
打ち出した「拡散対抗戦略」(Counter-Proliferation Strategy)の効果を大いに強調
した。

例えば2004年秋の大統領選挙に際し、民主党のケリ—(John Kerry)大統
領候補と行ったテレビ討論の中で、ブッシュ大統領は次のように述べた。

「(イ
ラクへの)軍事力行使は、率直に言って全世界に良い影響を与えた。リビアを
見るがよい。リビアはわれわれにとって脅威であったが、米国がブッシュ・ド
クトリンに基づき軍事力を行使するのを目の当たりにして、いまや平和的にそ
の兵器計画を解体するに至った⑸」。

チェイニー (Dick Cheney)副大統領もまた2004年秋、民主党のエドワーズ
(John Edwards)副大統領候補と行ったテレビ討論において、「われわれがサダ
ム・フセイン(Saddam Hussein)を捕らえたわずか5日後に、カダフィはすべて
の核開発計画を放棄することを申し出てきた。リビアのこの譲歩はイラク戦争
の大きな副産物のひとつである」と強調した

ネオコンと呼ばれる人々の多くは、イラク戦争のこうした「デモンストレー
ション効果」を喧伝したが、これに対しては米国内でも多くの反論があった。

例えばクリントン政権時代の1999年から2000年までリビアとの秘密交渉に当
たったインディク(Martin Indyk)元国務次官補は、「リビアの大量破壊兵器廃
83 —
2009年9月
棄にはイラク戦争は全く必要なかった」と主張した”。

またブッシュ政権内部
でも、アーミテージ(Richard Armitage)国務副長官は、「サダム・フセインの
逮捕はリビアの譲歩とは直接の関係はない」と述べ、ネオコンの主張を否定し
た岡。

2 リビアの国内情勢の変化とカダフィの軌道修正

(1) 独裁体制を支えた石油収入

リビア原油の確認埋蔵量は約415億バーレル(2007年末)で、世界第7位に相
当するという。

しかも国土の60パーセントはまだ探査が行われておらず、確認
埋蔵量は今後いっそう増えることが見込まれる。

米エネルギー省の試算では、
増える埋蔵量は760億バーレルにも達する可能性があるという例。

しかもリビア
には、湾岸の産油国と比べて二つの大きな利点がある。

そのひとつは、リビア
の原油が製油所の求める品質の良い軽質油であること、

もうひとつは湾岸産油
国と比べてヨーロッパへの距離がきわめて近いことである。

このため、リビア
原油の85パーセントは欧州連合向けに輸出され、とりわけドイツ、イタリア、
スペインが最大の輸入国で、欧州連合全体が輸入するリビア原油の約75パーセ
ントはこの3国が占めてきた®1>。

1970年代、リビアの石油収入は急激に増大し、75年から79年まで経済成長率
は年率10パーセントを上回った。

原油価格の上昇により、79年から80年までの
1年間だけで国際収支黒字は150億ドルにも達した。

すでに見たように、革命後
カダフィが作り上げた特異な独裁体制の下で、経済は社会主義的な中央指令型
の運営が行われ、それにともなうさまざまな非効率や汚職•腐敗が随所に見ら
れた。

それにもかかわらずカダフィ体制が国民の支持を調達できたのは、巨額
の石油収入を利して多面的なばら撒き政策が行われたからである。

70年代から
80年代にかけ、すべてのリビア国民は住宅、健康保険、食料、水及び電気の安
定的供給を保障された。政府は国民が自動車を買う場合、月賦の利子の補助ま
で行ったという町。

(2) 経済不安と体制への不満の高まり

しかし、1980年代末に始まった経済不振は、90年代に入ると急速に悪化し
た。原油価格が安値水準をたどったのに加え、社会主義的な国営中心の経済運
営のまずさ、そしてリビアに対する経済制裁が相乗効果を及ぼし、経済は急速
-84 –
国際安全保障第37巻第2号
に落ち込んだ。

1993年にリビアの国内総生産(GDP)は前年比30パーセントも
低下し、92年から98年までの経済成長率は年率0.8パーセントにすぎなかった。
94年には失業率が30パーセント、インフレ率が50パーセントにも達したとい

リビア政府の歳入の75パーセントは石油収入に依存していたが、この時期の
石油収入は70年代の最盛期に比べて半分近くに落ち込んだ。

原油価格の低迷の
ほか、老朽化した石油生産関連の施設•設備を経済制裁のために近代化できず、
また新たな油井の開発もできなかったからである。

リビアの石油産業の基礎が
主に米国企業の技術によって作り上げられたものであるため、米国による厳し
い禁輸措置がリビアの石油産業に及ぼしたダメージは大きかった。

経済不安が高まるにつれて、カダフィ体制に対する国内の不満も高まり、さ
まざまな反体制グループが活動を活発化させた。

軍内部にも不満が高まり、93
年にはクーデター計画が発覚し、約2,000人の兵士の逮捕と上級軍人6人の処刑
が行われた知)。

「ムスリム同胞団」(Muslim Brotherhood)の動きもカダフィ体制
にとっては脅威であった。

というのは、経済悪化が進むにっれて、同胞団が行
うイスラム的な相互扶助活動が社会の下層の人々に魅力を与え、その分だけカ
ダフィ体制の吸引力を低下させることになったからである。

同胞団よりもさら
に過激なイスラム集団、「イスラム解放党」(Islamic Liberation Party) s「リビア・
イスラム戦闘集団」(Libyan Islamic Fighting Group)、「リビア殉教者運動」(Libya
Martyrs5 Movement)などは、より激しい反政府運動を展開し、95年8月には力
ダフィ暗殺未遂事件が起こった。

ベンガジがこれらの反政府運動の拠点であっ
たが、95年から98年まで軍隊を動員してこれらの動きを抑圧する過程で、約600
人の死者が出たといわれる個。

(3)カダフィの軌道修正とバック・チャネル外交

こうした状況のなかでカダフィは、従来の軌道を修正して西側とくに米国と
の関係を改善し、それにより国際的孤立から脱して局面を打開しようと図った。

1991年12月、リビア政府がテロリズム活動に関わる組織との関係を絶つ旨の宣
言をしたのは、その最初のジェスチャーであった岡。

1992年には、密かに米国
の2人の要人を通じて米政府にメッセージの伝達を依頼するという、いわゆる
バック・チャネル(裏口)外交を始動させた。その要人とは、ハート(Gary Hart)
元上院議員(コロラド州選出・民主党)とロジャーズ(William Rogers)元国務
-85 –
2009年9月
次官(フォード政権時代)の2人だが、そのいきさつは次のようである。

ハート議員は92年2月、ギリシャ旅行中にリビアの要人から接触を受け、
ジョージ・H-W ・ブッシュ(George H.W. Bush)政権へカダフィのメッセージ
を伝達するよう依頼された。

しかし米国務省はハート元議員に対し、リビアが
パンナム機問題で米国の要求に応えるまでは話し合いには応じないとの意向を
伝えた。

そこでハート元議員は92年3月にリビアを訪れ、ホスト役を務めたりビ
ア諜報機関の長ムーサ・クーサ(MusaKusa)に対し、ロッカビー事件に関する
米側の要求に応じるよう説いたという瞞。

他方、92年1月、カダフィと親密な関係を持つリビア系米国人ブフレス
(Mohammed Bukhres)の依頼を受けてリビアを訪問したロジャーズ元次官は、
カダフィと面談し、ロッカビー事件の容疑者引渡しのほか、テロリズムとの訣
別、大量破壊兵器に関する国際査察の受け入れなどの意図表明が、米国がりビ
アと話し合いを行うための前提だと説いたといわれる岡。

3 テロ関連問題解決への努力と秘密交渉の進展

(1)ロッカビー事件容疑者の引渡しと国連制裁の停止

バック・チャネル外交を通じ、米国との関係改善には何よりもテロ関連問題
の解決が不可欠だと認識したリビアは、なんとかリビアの国家的威信を損なわ
ない形で解決を図りたいと考えた。

他方、米国は1995年3月、リビアからの石油
禁輸を含む制裁強化決議案を国連安保理に提案しようと試みたが、ヨーロッパ
諸国の強い反対から断念せざるを得なかった。

ヨーロッパ諸国の多くは、石油
をリビアに依存しているばかりでなく、リビアをあまり追い詰めれば、カダフィ
体制に代わって過激なイスラム主義勢力が権力を握るのではないかと恐れたの
である。

アラブやアフリカの国々も制裁の強化には概して反対で、公然と制裁
破りをする国も増えてきた岡。

98年8月24日、米英は、ロッカビー事件の容疑者をオランダの旧米軍基地内
に設置する法廷でスコットランド法の下に裁くという妥協案を提案した。

この
妥協案の背後には、97年9月のロシアの打開工作、さらには97年10月の南アフ
リカ・マンデラ(Nelson Mandela)大統領、サウジアラビアの駐米大使バンダル・
ビン・スルタン(Bandaru bin Sultan)王子などの調停の働きかけがあった。


の妥協案をリビアにのませるため、国連安保理は98年8月28日、「リビアがこれ
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国際安全保障第37巻第2号
を受け入れて容疑者がオランダの法廷に到着し、かつリビア政府がUTA機爆破
事件に関してフランス司法当局を満足させたと国連事務総長が報告した時には、
国連制裁を停止する」という趣旨の決議1192を全会一致で採択した伽。

しかし、この裁判がリビアの体制転換に利用されるのではないかとリビア側
が恐れたことから、アナン(Kofi Annan)国連事務総長とマンデラ南アフリカ
大統領は、容疑者に対しては事件以外に関する尋問は行わず、リビアの体制転
換にも利用しないという保証を米英から取り付け、その旨をリビア側に伝えた。

その結果、リビアは99年4月5日、2人の容疑者をオランダに引き渡した。他方、
UTA機事件に関しては、リビアは被害者の遺族、航空会社などに2億1,100フラ
ン(約3,400万ドル)の補償金を支払った。これにより安保理決議1192の条件は
満たされ、99年4月8日、リビアに対する国連の制裁は停止された狗。

(2) ロッカビー事件裁判の進展と秘密交渉の開始

ロッカビー事件の容疑者の引渡しが行われる数年前から、英国はフレチャー
事件の解決をめざして密かにリビアと接触を行っていた。

1999年5月、ロッカ
ビー事件容疑者の引渡しの1か月後に米•英・リビア3国の秘密交渉が開始され
たのは、英リビア間にこうした長期にわたる接触があったからである。

なお、
99年7月にはリビアがフレチャー事件に対する責任を認め、英国とリビアの外交
関係は回復された”。

3国秘密交渉の第1ラウンドは、99年5月から2000年初めまで、サウジアラビ
アのバンダル・ビン•スルタン王子が所有する英国とスイスの邸宅で行われた。

米側首席代表にはインディク国務次官補、リビア側首席代表にはムーサ・クー
サ対外情報局長が就いた。

リビア側はこのラウンドで、大量破壊兵器計画を中
止する意向を伝えてきたが、米側はパンナム機事件の犠牲者の遺族がリビアか
らの補償金支払いを求めて米議会に大きな圧力をかけていたことから、その問
題の解決に優先順位を置いたという(か。

その後秘密交渉は米大統領選挙のため中断され、2001年1月にブッシュ政権が
発足してからも暫くは再開されなかった。

他方、オランダで2000年5月に開始さ
れたロッカビー事件の裁判は2001年1月に結審し、2人の容疑者のうち1人は有
罪で終身刑、1人は無罪の判決が下された。有罪となった1人は控訴したが、2002
年3月には控訴が棄却され、有罪が確定してスコットランドの刑務所に収監され
た”。
-87 –
2009年9月

(3) 「テロとの戦い」と秘密交渉の再開

米英との秘密交渉が開始された頃から、リビアの対外政策には明白な変化が
現れた。

それはまず、テロ活動に走る過激なグループと完全に絶縁したことで
ある。

例えばパレスチナの超過激派であるアブ・二ダールのグループは1999年
にリビアから追放されたし、PFLP-GCの訓練基地なども閉鎖された。

それに先
立ち98年には、アル•カイダのグループがリビアで外国人暗殺に関与したとし
て、リビア政府はインターポールを通じてアル・カイダの指導者オサマ・ビン・
ラーディン(Osama bin Laden)に国際逮捕状を発した。

こうして過激なグルー
プと手を切ったリビアは、同じようにテロリスト組織と戦うエジプト政府やヨ
ルダン政府に接近し、またパレスチナのイスラム過激派のテロを非難して自治
政府を積極的に支援する姿勢に転じた物。

2001年9月11日、米国で同時多発テロが起こると、カダフィは直ちに犠牲者
を悼み、テロリストを非難する声明を発表した。

リビア政府はまた、実行犯の
氏名などを含むアル・カイダに関する多くの情報を米国政府に提供した。
ブッ
シュの「テロとの戦い」に同調する姿勢を示したのである。

そしてその翌月か
ら、米・英・リビア3国の秘密交渉が再開された。米側の首席代表には新任のバー
ンズ(William Bums)中東担当国務次官補が就き、リビア側は引き続きムーサ・
クーサ対外情報局長が首席代表を務めた。2001年10月から2003年12月まで6回
に及ぶ会談が行われたこの第2ラウンドの交渉では、米側がリビアに対し、テロ
関連の国連安保理決議の要求が完全に満たされれば国連の制裁は終了するけれ
ども、米国の対リビア制裁は大量破壊兵器の問題が解決されなければ終了しな
い旨を伝えたという㈤。

4 テロ関連問題の解決から大量破壊兵器廃棄声明へ

(1)ブッシュ政権内部の異論と英国が果たした役割

秘密交渉は再開されたものの、ブッシュ政権内部では交渉の進め方について
さまざまな反対や異論があった。

例えばラムズフェルド(Donald Rumsfeld)国
防長官は、人権問題や民主化の問題も交渉議題に含めるべきだと強く主張した。

またネオコン派のボルトン(JohnBolton)国務次官は、交渉で自分自身が大き
な役割を果たしたいという希望を持っていたが、英国側の意向で交渉からはず
されたという叫
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国際安全保障第37巻第2号

2002年1月の一般教書演説でブッシュ大統領が打ち出した「悪の枢軸」に、リ
ビアは含まれなかった。これもボルトン国務次官らが含めるよう強く主張した
のに対し、ストロー英外相の意向を受けたパウェル(Colin Powell)国務長官、
ライス(Condoleezza Rice)安全保障問題補佐官らが、リビアとの交渉に悪影響
を与えることを恐れて強く反対したからだという”。

2002年8月、オブライエン(Michael O’Brien)英外務担当閣外相がリビアを訪
問し、リビアと米国との関係正常化のためには、テロ関連問題の完全解決のほ
かに大量破壊兵器問題を解決することが必要であると説いたのし対し、カダフィ
から前向きの返答を得たという物。

(2) テロ関連問題の解決と国連制裁の終了

2002年春以降、ロッカビー事件へのリビアの責任の明確化及び遺族への補償
に関する交渉は、英国の主導の下に進められた。リビア側の交渉担当者は、ムー
サ・クーサ対外情報局長のほか、モハメド・ツワイ(MohammedZwai)駐英大
使、アブデラティ・オバイディ(Abdellati Obadi)駐伊大使で、いずれもカダフィ
の信頼厚い人物であった。

さらにカダフィの息子で「カダフィ国際慈善財団」
理事長でもあるセイフ・アルイスラムが関わってきたことから、交渉は大幅に
進展した。

彼はまた、大量破壊兵器の廃棄についても大きな役割を果たした眺

2003年3月、ロッカビー事件の民事責任に関する合意が成立し、同年8月には
ロッカビー事件に関する補償合意が成立した。リビア側が犠牲者1人当たり1,000
万ドルの補償金を支払うという内容であった。

セイフ•アルイスラムの説明に
よれば、リビア側は、資金27億ドルの「平和基金」なるものを創設し、そこか
らロッカビー事件の犠牲者の遺族に補償金を支払うが、同時に1986年の米軍の
空爆により犠牲となったリビア人の遺族に対しても同基金から補償金を支払う
ということで、国内的に面子を保つ形をとった®»。

これを受けて2003年9月12
日、国連安保理は、リビアに対する制裁を「終了」するという内容の、英国が
提出した決議1503を採択した。リビアに対する国連の制裁が「停止」されてか
ら4年5か月振りのことである。

(3) 大量破壊兵器廃棄決定への最後の詰め

すでに見たように、秘密交渉の場で米国側は、テロ関連問題が解決されて国
連のリビアに対する制裁が終了しても、大量破壊兵器問題が解決されない限り
は米国の対リビア制裁は解除されないということを伝えていた。

それとともに
-89 –
2009年9月
米国は、リビアがこの問題で歩み寄れば、イラクに対して米国が採ったような
体制転換の政策を、リビアに対して採ることはないということを、英国を通じ
て伝えていた。

ただ問題は、カダフィが米国の真意について疑心暗鬼を完全に
は払拭できないでいることであった。

それを払拭するのに最大の役割を果たしたのが、セイフ•アルイスラムであっ
た。1972年生まれというから2002年には30歳にすぎかったセイフ•アルイスラ
ムは、トリポリのアル・ファタハ大学で建築・都市計画を学んだ後オーストリ
アの大学で都市計画の修士号をとり、秘密交渉の第2ラウンドが進行したのと並
行して、2002年からロンドン大学大学院の博士課程に留学し、グローバル・ガ
バナンスの勉強を開始した。

というよりは、留学という名目で秘密交渉のプロ
セスに直接参加し、そこでの感触を通じて父カダフィに大量破壊兵器完全廃棄
への決意を促したのである岡。

すでに見たように、2003年9月、BBCチャイナ号がブッシュ政権のPSIによつ
て捕捉された事件がひとつの大きな転機となったというのが通説であるが、あ
る報道によれば、リビア側が善意の証として故意にこの船についての情報を米
英側に漏らしたのだともいわれる姻。

真偽のほどは不明だが、これがカダフィに
廃棄決定を迫る要因となったことは疑いない。

これを機に、リビアは米英の代
表を現地に招致し、大量破壊兵器開発の現状をすべてさらけ出して、2003年12
月の廃棄声明へと至る。

いずれにせよ、レーガン政権のごく一時期を除き、米英両国がリビアに対し
て体制転換ではなく政策転換の政策を追求し続けたこと、そして交渉の秘密を
長期にわたって維持し続けたことが、自らの政権維持にこだわり、かつ自己の
対外イメージにこだわるカダフィの廃棄決定につながったと思われるのである。


(1) リビアの正式国名は「大リビア・アラブ社会主義ジャマーヒーリア」(英語表記
では The Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiria)であるが、ここでは略称の
リビアを用いる。なお、ジャマーヒーリアとは「人民による共同体制」を意味す
るのだという。

(2) 声明の全文(英訳)はBBC News電子版による 2009年7月1日アクセス。
(3) カダフィの日本語での呼び方や英語での表記方法は人によってさまざまだが、
ここでは外務省のホームページが用いている方式に従った。
—90 —
国際安全保障第37巻第2号
(4) Lally Weymouth, “On Saddam, Lockerbie, Bin Laden and Peace: An Inclusive Interview
with Muammar Gadhafi,” Washington Post,12 January 2003.
(5) Saif Aleslam Qadhafi, “‘Libyan-American Relations,” Middle East Policy, vol.10, no.1
(Spring 2003), pp. 43-44.
⑹ 声明全文はいずれもBBC News電子版による。ブッシュ声明はs ブレア声明は いずれも2009年7月1日アクセス。
(7) アルジェリア出身のムハンマド・ブン・アリ・アッサヌーシー(Muhammad bin
Ali al-Sanusi)により1837年にメッ力で創設され、1840年代以降リビアを中心に北
アフリカに拡大したイスラム神秘主義教団。
(8) 王制時代のリビアについては次を参照。Lisa Anderson, The State and Social Trans-
formation in Tunisia and Libya, 1930-1980 (Princeton: Princeton University Press,1986).
(9) Christopher M. Blanchard, Libya: Background and U.S. Relations (CRS Report for
Congress, November 2008), pp. 2-3.
(10) 第1章が「民主制のもつ問題の解決一人民の権威」(75年)、第2章が「経済問題
の解決一社会主義」(77年)、第3章が「第三の普遍理論の社会的基礎」(78年)で
ある。これらの英訳版は、http://www.mathabanet/gci/theory/gb.htmで読むことが
できる。
(11) Francois Burgad, “Qadhafi’s Ideological Framework,” in Dirk Vandewalle, ed., Qadhafi s
Libya (New York: St. Martin’s Press,1995), p. 52.
(12) Blanchard, Libya: Background and U.S. Relations^ p. 4.
(13) Gawdat Bahgat, Proliferation of Nuclear Weapons in the Middle East (Gainesville:
University Press of Florida, 2007), pp. 135-136.
(14) Ronald Bruce St John, “New Era in American-Libyan Relations,” Middle East Policy,
vol.9, no. 3 (September 2002), p. 86.
(15) Clyde Mark, Libya (CRS Issue Brief fbr Congress, updated May 2005), p. 7.
(16) Ibid., pp. 7-8.
(17) 川西晶大「リビアに対する経済制裁とその帰結」『レファレンス』no. 692(2007
年11月)109頁。
(18) Mark, Libya, p. 8.
(19) Ibid.
(20) 川西「リビアに対する経済制裁とその帰結」111頁。
(21) Yahia H. Zoubir, “The United States and Libya: From Confrontation to Normalization,”
Middle East Policy, vol.13, no. 2 (Summer 2006), p. 49.
(22) Mark, Libya, p. 6
(23) 川西「リビアに対する経済制裁とその帰結」118-120頁。
(24) 「国際テロリズムに関する声明」、外務省『わが外交の近況』(外交青書)昭和61
年版、458-459頁。
(25) UN Doc. A/46/825 S/23306 (31 December 1991)及びUN Doc. A/46/827 S23308 (31
December 1991).
-91-
2009年9月
(26) UN Doc. S/23574 (11 February 1992)及び UN Doc. S/23672 (3 March 1992).
(27) 川西「リビアに対する経済制裁とその帰結」112頁及びBruce W. Jentleson and
Christopher A. Whytock, “Who ‘Won’ Libya? The Force-Diplomacy Debate and Its
Implications for Theory and Policy/International Security, vol.30, no. 3 (Winter 2005/06),
p. 64.
(28) Ibid.
(29) Joshua Sinai, ‘”Libya’s Pursuit of Weapons of Mass Destruction,” Nonproliferation
Review, vol.4, no. 3 (Spring-Summer 1997), p. 94.
(30) Elaine Sciolino, “U.S. Sends 2000 Gas Masks to the Chadians,” New York Times, 25
September 1998.
(31) Joseph Cirincione et al., Deadly Arsenal: Nuclear, Biological and Chemical Threats
(Washington D.C.: Carnegie Endowment for International Peace, 2005), p. 323.
(32) Dany Shoham, “Libya: the first real case of deproliferation in the Middle East?” Disarma-
ment Diplomacy^ no. 77 (May/June 2004), p. 40.
(33) OPCW News 電子版 http://www.opcw.org/news/news-archives/archive/2004/ 2009
年7月10日アクセス。
(34) Shoham, ”Libya: the first real case of deproliferation,” pp. 42-43.
(35) Bahgat, Proliferation of Nuclear Weapons, p.128.
(36) Ibid, pp. 128-129.
(37) Cirincione et al., Deadly Arsenal, p. 324.
(38) Wyn Q. Bowen, Libya and Nuclear Proliferation: Stepping back from the brink, Adelphi
Paper 380 (The International Institute for Strategic Studies, 2006), pp. 9-10.
(39) International Institute for Strategic Studies, Nuclear Programmes in the Middle East,
IISS Strategic Dossier (International Institute for Strategic Studies, 2008), p. 98.
(40) IAEA Report by the Director General, GOV/2008/39, Implementation of the NPT Safe-
guards Agreement in the Socialist People 5 Libyan Arab Jamahiria (12 September 2008),
p. 4.
(41) Anthony Cordesman, Weapons of Mass Destruction in the Middle East (London: Brassey’s,
1991),pp. 151-153.
(42) IISS, Nuclear Programmes in the Middle East, pp. 99-101.
(43) Ibid.
(44) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation, pp. 36-43.
(45) IAEA Report by the Director General, GOV/2008/39, pp. 5-6.
(46) IAEA Report by the Director General, GOV/2004/12, 20 February 2004, p. 6.
(47) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation, p. 66.
(48) Sharon A. Squassoni and Andrew Feickert, Disarming Libya: Weapons of Mass Destruc-
tion^ CRS Report for Congress, 22 April 2004, p. 4.
(49) Blanchard, Libya: Background and U.S. Relations, p. 34.
(50) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation, p. 48.
(51) 藤原和彦「リビアの政策転換ープロセスとWMDプログラム放棄一」『海外事
-92 –
国際安全保障 第37巻第2号
情』第52巻第4号(2004年4月)63頁。
(52) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation, p. 48.
(53) BBC News 電子版 http://news/bbc.co.uk/l/hi/uk-politics/3336073.stm 2009年7 月
!日アクセス。
(54) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation, p. 50.
(55) Jentleson and Whytock, “Who ‘Won’ Libya?” p. 48.
(56) Ibid.
(57) Martin Indyk, “The Iraq War Did Not Force Gaddafi’s Hand,” Financial Times, 9
December 2003.
(58) Flynt Leverett, “Why Libya Gave Up on the Bomb,” New York Times, 23 January 2004.
(59) Blanchard, Libya: Background and U.S. Relations, p. 26.
(60) Ronald Bruce St. John, “Libyan Foreign Policy: Newfound Flexibility,” Orbis, vol.47,
no. 3 (Summer 2003), p. 401.
(61) Lisa Anderson, “Muammar al-Qaddafi: The King of Libya,” Journal of International
Affairs^ vol.54, no. 2 (Spring 2001),p. 516.
(62) Meghan L. O’Sullivan, Shrewd Sanctions: Statecraft and State Sponsors of Terrorism
(Washington D.C.: Brookings Institution, 2003), pp. 203-204, 210-211.
(63) Ray Takeyh, “The Rogue Who Came in from the Cold,” Foreign Affairs, vol.80, no. 3
(May/June 2001),p. 65.
(64) Ray Takeyh, “Qadhafi and the Challenge of Militant Islam,” Washington Quarterly, vol.
21,no. 3 (Summer 1998), pp.165-170.
(65) Stephen D. Collins, “Dissuading State Support of Terrorism: Strikes or Sanctions? An
Analysis Employed Against Libya,” Studies in Conflict and Terrorism, vol.27, no.1
(January-February 2004), p.13.
(66) Ronald Bruce St. John, “Libya is not Iraq: Preemptive Strikes, WMD, and Diplomacy,’*
Middle East Journal, vol.58, no. 3 (Summer 2004), pp. 338-339.
(67) Barbara Slavin, “Libya’s Rehabilitation in Works since Early ’90s,” USA Today, 27 April
2004.
(68) 川西「リビアに対する経済制裁とその帰結」113頁。
(69) 同上、114頁及び、Gentleson and Whytock, uWho ‘Won’ Libya?” pp. 69-70.
(70) Khalil I. Matar and Robert W. Tabit, Lockerbie and Libya: A Study in International
Relations (Jefferson, N.C., McFarland, 2004), pp. 270-272.
(71) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation, p. 59.
(72) St. John, “Libya is not Iraq,” pp. 391-392.
(73) Mark, Libya, pp. 4-5.
(74) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation^ p. 3 7.
(75) Jentleson and Whytock, “Who “Won’ Libya?” p. 72; Bowen, Libya and Nuclear Prolifera-
tion, p. 61.
(76) Jentleson and Whytock, “Who ‘Won’ Libya?” pp. 72-74.
(77) Ibid.
-93 –
2009年9月
(78) George Joffe, “Libya: Who Blinked, and Why,” Current History, no. 673 (May 2004),
p. 223.
(79) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation^ p. 62.
(80) Saif Aleslam Qadahfi, “Libya-American Relatios,” pp. 41-42.
(81) Bowen, Libya and Nuclear Proliferation^ pp. 62-63.なお、セイフ・アルイスラムに
ついては次を参照。Yehidit Ronen, “Libya’s Rising Star: Saif aklslam and Succession^^
Middle East Policy, vol.12, no. 3 (Fall 2005), pp. 136-144.
¢82) Stephen Fidler, Mark Husband and Roula Khala£ “Return to the Fold: How Gadhafi Was
Persuaded to Give Up Nuclear Goals,n Financial Times, 27 January 2004.
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ウラン2.5トンが行方不明 リビアの保管場所から

ウラン2.5トンが行方不明 リビアの保管場所から―IAEA
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023031600922&g=int

『国際原子力機関(IAEA)は15日、リビアで保管されていたウラン鉱石約2.5トンが行方不明になったと明らかにした。AFP通信などはその後、同国東部の武装組織の報道担当者が、ウラン鉱石を発見し回収したと表明したと報じた。

リビア首都で戦闘、32人死亡 東西分裂で民間人に被害

 IAEAは声明で、ウラン鉱石の入ったドラム缶10本が「事前に申告された場所になかった」と説明。追加調査を行い、「(ウランが)撤去された背景や現在の場所を解明する」と強調していた。 』

クリミア併合集会、急きょ中止 1年前はプーチン氏出席―ロシア

クリミア併合集会、急きょ中止 1年前はプーチン氏出席―ロシア
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023031700239&g=int

『ロシアによるウクライナ南部クリミア半島「併合」から9年を迎える18日に、モスクワのルジニキ競技場で「コンサート」と銘打って計画されていた大規模な官製集会が、急きょ中止される見通しとなった。ロシア有力紙ベドモスチ(電子版)が16日、大統領府関係者の話として報じた。

ロシア、占領地の子連れ去り クリミアで14人確認―「愛国教育」、養子縁組も

 1年前は同じ競技場で、ウクライナ侵攻開始後初の官製集会として開かれ、プーチン大統領が軍事作戦を正当化する機会に利用していた。ペスコフ大統領報道官は14日、プーチン氏がクリミア半島に関する行事にオンラインで参加すると、記者団に説明していた。
 中止の理由は不明。ベドモスチは、ウクライナ東・南部で戦闘が続く中、クリミア半島での「成功体験」に焦点を当て過ぎるのは不適切という識者の見方を伝えた。「テロの危険性」を指摘するメディアもある。』

「自尊心」より現実外交 「ウィンウィンの国益」目指す―韓国大統領

「自尊心」より現実外交 「ウィンウィンの国益」目指す―韓国大統領
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023031601256&g=int

『韓国の尹錫悦大統領は、不透明な国際、経済情勢の中、日本との関係強化は「選択ではなく必須」(大統領府高官)と位置付けた。実利のために歴史を巡る「自尊心」は脇に置いた。

シャトル外交復活で成果 批判封印とは程遠く―韓国大統領

 尹氏は岸田文雄首相との会談後の共同記者会見で「韓国の国益は日本の国益とゼロサム関係ではない。ウィンウィンになり得る」と強調した。

 今回の訪日は、4月の米国国賓訪問、5月に広島で開催される先進7カ国首脳会議(G7サミット)の機会の日米韓首脳会談も念頭に置いたものだ。米中対立やロシアのウクライナ侵攻を踏まえ、「従来の(米中間で態度を鮮明にしない)『あいまい戦略』は通じなくなった」という現実的認識がある。

 北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)で米国を威嚇する一方、短・中距離ミサイルの脅威にさらされる日韓は、米国の拡大抑止の信頼性に共通の懸念を抱える。経済面では昨年3月以来貿易赤字が続く。2019年の日本の対韓輸出規制以降、日韓の貿易規模は縮小しており、経済関係の回復が急務になっている。

 6日の元徴用工問題の解決策発表に当たり、朴振外相は「国力に見合った大局的決定」と説明した。政府に近い関係筋は「対日認識の転換だ。自尊心の争いをやめた」と解説する。

韓国は国防費や1人当たりの国内総生産がほぼ日本に肩を並べる水準になった。大統領府高官は会談後「歴史認識でこれ以上日本を疑うのをやめよう、新しい未来に向かって行こうという意味がある」と語った。日本に歴史を巡り要求する時代は過ぎ去り、対等な協力関係を築ける先進国になったという意識がのぞく。

 尹氏は16日の在日本大韓民国民団(民団)関係者らとの懇談で「責任ある政治家なら両国問題を国内政治や自分の立場のために利用してはいけない」と訴えた。しかし、同様の実利外交を志向した李明博元大統領は、任期末の12年に「国内の論理に押され」(当時の高官)、島根県・竹島(韓国名・独島)に上陸。「失われた10年」とも呼ばれる関係冷却の始まりとなった。

 韓国では政権交代ごとに北朝鮮や中国との向き合い方も大きく変遷してきた。会談では各レベルの政策対話など「両国の共通の利益を論議する協議体を早期に復元する」(尹氏)ことで合意。揺らがない共通の利益を見いだせるか、今後4年間の尹政権の課題となる。 』

豪、トマホークを米から購入へ 最大220発、原潜などに搭載

豪、トマホークを米から購入へ 最大220発、原潜などに搭載
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023031700332&g=int

『【シドニー時事】オーストラリアのコンロイ国防産業相は17日、米国から巡航ミサイル「トマホーク」を最大220発購入する方針を明らかにした。米英豪3カ国の安全保障枠組み「AUKUS」を通じて配備する原子力潜水艦などに搭載する。費用は8億9500万米ドル(約1200億円)の見込み。』

中国、金融・香港政策を党直轄に 治安組織新設は見送り

中国、金融・香港政策を党直轄に 治安組織新設は見送り
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM16BU60W3A310C2000000/

『【北京=川手伊織】中国共産党と国務院(政府)は新たな機構改革をまとめた。金融行政の司令塔や香港政策を党中央の直轄に格上げし、習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)に権力を集中させる。警察やスパイ摘発など治安維持の権限を政府から党に移管するのは見送った。

国営新華社が16日夜、報じた。金融では「中央金融委員会」と「中央金融工作委員会」の2つを設ける。

中央金融委員会は金融行政の司令塔として、不…

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『中央金融委員会は金融行政の司令塔として、不動産が絡んだ金融リスクなどに対応する。台湾有事で米国の金融制裁の影響を受けにくい体制づくりも急ぐとみられる。これまでかじ取り役を担ってきた国務院金融安定発展委員会は廃止する。

中央金融工作委員会は金融分野の規律強化や腐敗撲滅を担う。1998〜2003年にも存在していた同委員会を復活させて、習指導部への不満分子を排除し、党の指導力を強める。

党直属でハイテク分野の育成などを担う「中央科技委員会」も設けた。「中央香港マカオ工作弁公室」の新設で、政府が担ってきた香港政策も党直轄に格上げした。習指導部による香港への関与や締め付けを強める狙いだ。

一方、治安維持のかじ取り役として浮上していた「中央内務工作委員会」は設置が見送られた。国務院の所管である警察業務を担当する公安省や、スパイ摘発を担う国家安全省、戸籍管理を扱う部署を実質的に分離・統合して同委員会に移管する案が検討されていたが、慎重論もあったとみられる。

このほか「中央社会工作部」は住民組織や企業、業界団体の管理や思想工作を通じ、社会全体における党の影響力拡大を図る。ネット配達員など2億人に上るとされるネットで単発の仕事を得るギグワーカーに対する党の組織作りも進める。』

北朝鮮、火星17発射を発表 金正恩氏視察「敵に恐怖を」

北朝鮮、火星17発射を発表 金正恩氏視察「敵に恐怖を」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM170J40X10C23A3000000/

『【ソウル=甲原潤之介】北朝鮮の朝鮮中央通信は17日、大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星17」の発射訓練を16日に実施したと報じた。金正恩(キム・ジョンウン)総書記が視察し「核戦争の抑止力強化で敵に恐怖を与える」と述べたと伝えた。

日韓の防衛当局が16日午前、ICBM発射を探知していた。火星17は北朝鮮が保有する最大級のミサイルで、通常の角度で撃てば米本土が射程に入るとされる。

朝鮮労働党機関紙「労働新聞」はミサイルが上空に上昇する様子や宇宙空間から撮影したとみられる地球の写真などを掲載した。

浜田靖一防衛相は17日午前の閣議後の記者会見で、北朝鮮が16日に発射したのは「火星17と同型のものと推定している」と述べた。通常の角度で撃てば「弾頭重量などによっては1万5千キロメートルを超える射程となりうる。その場合米国全土が射程に含まれる」と説明した。

北朝鮮メディアは米国と韓国に「強力な警告を送る」意図があったと記述した。米韓の合同軍事演習が「朝鮮半島の緊張を意図的に高めている」と主張した。

金正恩氏は「わが国を露骨に敵対視する米国と南朝鮮(韓国)に無謀さを認識させ続ける」と話したという。

ミサイルは首都平壌近郊の空港から発射し、高度6045キロメートルまで上昇して日本海の公海上の目標水域に落ちたとしている。』

自衛隊が石垣島に駐屯地を建設した目的は米国に協力、中国を攻撃するため

自衛隊が石垣島に駐屯地を建設した目的は米国に協力、中国を攻撃するため | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202303170000/

『陸上自衛隊の駐屯地が3月16日に石垣島で開設された。南西諸島の離島における軍事施設は2016年に与那国島で、また19年には奄美大島と宮古島で建設されている。日本では「防衛上の空白」を解消するためだと説明されているようだが、これは建前にすぎない。

日本はアメリカの属国であり、自衛隊はアメリカ軍の補完物にすぎない。軍事施設建設の目的はアメリカの戦略に基づく。その戦略はアメリカ国防総省系のシンクタンク、?「RANDコーポレーション」が昨年に発表した報告書?のなかで明らかにされている。

 それによると、アメリカ軍は中国をGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で包囲しようとしているが、配備できそうな国は日本だけだ。ところが日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでアメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされている。その一環として石垣島の駐屯地も建設された。

 そこで、?日本政府は射程距離が1000キロメートル程度のミサイルを開発し、艦艇、戦闘機、そして地上から発射できるようにする計画?をたてた。地上発射の改良型は2024年度にも配備する方針だという。

 その後、?日本政府はアメリカから亜音速の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する意向だという話が出てきた?。トマホークは核弾頭を搭載でき、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートル。「反撃能力」というタグがつけられているが、実際は先制攻撃能力だ。攻撃する相手は中国だけでなく、その同盟国であるロシアも含まれる。

 日本は?射程距離が3000キロメートル程度のミサイルを開発し、2030年代の半ばまでに北海道へ配備する計画?だとも伝えられている。それが実現するとカムチャツカ半島も射程圏内だ。岸田政権の与党である自由民主党と公明党は「敵基地攻撃能力」を日本が保有することで合意しというが、これは「先制攻撃」の言い換えにすぎない。

 日本は技術力が低下しているアメリカを助けるため、高性能兵器の開発にも乗り出しているようだ。例えばアメリカと共同で音速の5倍以上で侵入してくるHGV(極超音速滑空体)を迎撃するミサイル技術の研究開発を考え、昨年7月24日には宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所で迎撃ミサイルに必要な速度に到達することが可能だとされるエンジンの飛行試験を初めて実施した。

 極超音速で飛行するミサイル自体も研究だと言われ、HGVではなくエンジンによって推進力を得る極超音速巡航ミサイル(HCM)の開発を目指しているという。2026年には九州や北海道の島々へ配備したいようだ。

 アメリカはロシアの周辺にもミサイルを配備しているが、これは軍事的に威嚇することが目的であり、状況によっては先制攻撃に使われる。アメリカは核兵器を開発して以来、常に先制攻撃のチャンスをうかがってきた。

 例えば?フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文?では、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとしている。この雑誌はCFR(外交問題評議会)の定期刊行物で、アメリカ支配層の考え方が反映されている。

 2019年にRANDが発表した「ロシア拡張」では、ロシアを弱体化させるためにウクライナへ殺傷兵器を提供し、シリアのジハード傭兵に対する支援の再開、ベラルーシの体制転覆を促進し、アルメニアとアゼルバイジャンの緊張を利用、中央アジアへの関心を強め、トランスニストリア(モルドバとウクライナに挟まれた地域)の孤立を強めるとしていた。
 ウクライナでは昨年2月にロシア軍が介入したが、本体はまで戦場に姿を現していない。3月へ入る頃になるとキエフ政権は話し合いで解決しようとする動きを見せるが、アメリカやイギリスはそれを阻止するために恫喝、戦闘の継続を命じた。

 しかし、ウクライナの軍事組織は壊滅、兵士の訓練、武器弾薬や軍事情報の提供だけでは対応できず、NATO軍が指揮しているようだ。事実上のNATO軍だが、ロシア軍の勝利は確実だと見られている。そうした中、戦争を推進してきたネオコンは好戦的な発言を繰り返し、東アジアでの軍事的な緊張を高めている。

 ネオコンは1991年12月にソ連が消滅した直後、アメリカが「唯一の超大国」になったと認識、1992年2月にネオコンが支配していた国防総省において、DPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。その時の国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツだ。そのウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから、DPGは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 ドイツを統一、日本を自らの戦争マシーンに組み込むことに成功したアメリカは世界制覇に乗り出したわけだが、その第1の目的は「新たなライバル」の出現を阻止することだ。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、東南アジアにアメリカを敵視する勢力が現れることを許さないとしている。

 1995年2月に発表されたジョセイフ・ナイの「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を受け入れた時点で日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。その延長線上に石垣島の軍事施設建設もある。

 ところが、その世界制覇戦略はすでに崩れ始めている。世界的にアメリカ離れが起こっている一因はそこにあるのだが、明治維新からアングロ・サクソン系金融資本に従属してきた日本は破滅への道を歩き続けるようだ。

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最終更新日 2023.03.17 00:00:06 』

中国の年金制度の仕組みとは?

中国の年金制度の仕組みとは?年金制度の課題や外国人の加入について
https://hoken-room.jp/money-life/7510

『日本と同様に少子高齢化が急速に進む中国。中国の年金制度にも大きな問題が発生しています。今回中国の年金制度について、仕組みや特徴をわかりやすく解説した上で、受給額不足などの年金制度の課題を解説します。中国駐在や海外勤務の方にも年金事情をわかりやすくお伝えします。

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この記事の監修者
谷川 昌平
東京大学の経済学部で金融を学び、その知見を生かし世の中の情報の非対称性をなくすべく、学生時代に株式会社Wizleapを創業。保険*テックのインシュアテックの領域で様々な保険や金融サービスを世に生み出す一歩として、「マネーキャリア」を運営。2019年にファイナンシャルプランナー取得。

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中国の年金制度について仕組みや現状を解説
高齢化率が10.5%であり、日本と同じスピードで少子高齢化が進んでいる中国では、年金が老後の生活で必要になります。

しかし今の保険料負担では、年金支給額を補うことができなくなってこのままの年金制度では破綻する可能性もあるのです。

そこで今回は、中国の年金制度の

年金制度の仕組みや特徴
これからの課題

について日本の年金制度と比較しながらご紹介し解説致します。

また最後には、中国に駐在の方や海外勤務で中国に住んだことがある方の年金はどうなっているのか、その場合の受け取り方法についてもご紹介しますので、是非最後までご覧ください。
中国の年金制度の概要と特徴

中国の公的年金制度の特徴の一つは加入できる年金制度が、都市の就労者なのか、農村住民や都市住民の非就労者なのかで 大きく2つに分けられることです。

都市部に住む会社員(自営業社も含む)や公務員は公的年金制度への加入が義務付けられているのですが、農村の住民や就業していない人は任意加入になっています。

次に挙げる特徴は、日本を含む多くの国々では、世代間の支え合いである賦課方式が採用されていますが積立方式が一部採用されていることです。

そしてもう一つ特徴を挙げるとすれば、年金額の格差についてです。

格差が起きる大きな理由は2つあり、1つ目は地域差です。

年金制度は全国共通ですが、財政の管理は地域ごとに分断されています。

賃金水準に応じて年金水準が異なる構造から受給額に地域差が生まれてしまっています。

2つ目の理由は、加入する年金制度による格差です。

都市就労者の全国平均受給額は2,240元で、農村住民や非就労者の同受給額117元に対して約19倍です。(2015年)

ただ、前年比の増加率で見てみると都市就労者の全国平均は9.3%なのに対し、農村住民や非就労者は30.0%と大きな増加率となっています。

中国では、都市の就労者と都市・農村の非就労者で年金制度が異なる

中国の公的年金制度の分類は大きく2つあり、

自営業・会社員、公務員が加入する「都市職工基本養老保険」(以降、都市職工年金とします)と

農村住民や都市部の非就労者が加入する「都市・農村住民年金基本養老保険」(以降、都市・農村住民年金とします)に分けられます。

どちらの制度も受給資格が得られる加入期間は15年間です。

受給開始年齢は都市・農村住民年金の加入者は男女共通で60歳から、
都市職工年金の加入者の場合は、男性は60歳から、女性は60歳か55歳からになっています。

受給開始年齢に関しては、日本同様、中国でも引き上げが年金制度改革の課題の一つに入っています。

加入する制度の違いで、拠出方法や受給方法、その金額にも違いが生まれるのは日本でも同様ですが、その格差の大きさや、転職などによる制度間相互の継続ができない部分があること、手続きの煩雑さなどは課題になっています。

中国の年金制度
中国の年金制度
中国の年金の受給額はいくら?年金がない地域も?

受給額は加入する年金の分類や属する地域によって違っています。

まずは加入する年金の分類による違いを見てみます。

都市職工年金

現役の時の平均賃金と加入期間によって決ま基礎年金部分と

個人勘定に積み立てられた残高から支給される部分の2層で構成されています。

都市・農村住民年金

基礎年金の給付は国庫などから税金負担でまかなわれ、その上に個人が積み立てた個人勘定から支給の2層で構成されています。

制度が導入されてから浅いことも要因となって、給付額に地域の財政状況が大きく影響しているようです

次に運営地域別の受給額の違いを見てみます。(2015年)

都市職工年金 全国平均:2,240元

深セン市 4,169元 
北京市 3,366元
上海市 3,315元

都市・農村住民年金 全国平均:117元

深セン市 414元
北京市 526元
上海市 823元

ちなみにこの金額は、都市職工年金であっても普通に生活するのに十分な金額ではなく、その地域の前年の平均賃金の4~5割程度に当たる金額です。

都市・農村住民年金であればことさらその額の少なさは際立っています。
中国の年金金額の拠出金は?負担割合は?

拠出には加入する年金の分類によって違っています。

都市職工年金

所属する企業が拠出する基礎部分と個人拠出分の個人勘定に分かれます。

拠出額は賃金に比例するようになっていて、負担割合としては、企業が賃金総額の20%、本人は8%を保険料として納めます。

公務員は同28%、12%の負担割合になります。

企業が拠出した分は基礎年金の原資となり賦課方式で運営されます

個人が拠出した分は個人口座で、積立方式で運営されます

この年金制度の加入者には自営業者も含まれます。

企業が拠出す額とは言っても、自営業者の場合は実質個人拠出分に重ねて負担することになり、未加入の原因にもなっています。

 都市・農村住民年金 

個人拠出分の保険料負担は加入者の賃金とは関係なく、

いくつかの段階で設定された保険料から自身の経済状況に合わせて選びます。

ただ、そうなると低い段階の保険料を選ぶ傾向が増えてしまうため、

保険料の多い段階区分を選んだ人には、加算額が与えられる仕組みになっています。

個人拠出分と税金でまかなわれる基礎年金部分を合わせて、個人の口座に積み立てられ、すべての拠出金が積み立て方式で運営されます。

中国の年金制度の課題とは?

中国の年金制度の課題の大きなものについてはすでに改革や規制緩和の取り組みが開始しています。

まだ残された課題については、2016~2020年 第13次5カ年計画の中で検討が進められています。

社会保険制度の検討分野には医療保険と並んで年金についても多数検討事項が挙げられています。

「皆保険の実現」に代表される目標に加え、

料率の引き下げ、個人口座積み立て分の整備、基礎年金部分の全国統合、運用成績の向上、定年年齢の引き上げなどが検討されています。

また、年金積立金が赤字になった場合の補填金の積み増し、民間保険会社による養老保険商品の販売拡充などについても、検討事項に挙げられています。

中国は、くらしにゆとりを実感できる社会「小康社会」の実現を目指して、これらの課題を解決していくことが重要になっています。

中国の年金制度にも危機が?赤字?破綻?

こうした問題を抱えている中国の公的年金制度ですが、財政収支はどうなっているのでしょうか?

2015年については、いずれの制度も黒字になっています。

しかし特に都市・農村住民年金に関しては、国庫・地方政府の財政負担分が収入の70.7%を占めていて、保険料収入のみでは大きく不足しています。

他にも、個人が拠出する分を積み立てる個人勘定の積立額が、本来なくてはならない金額に達していない問題も浮上しています。

原因は地方政府の財政難への流用と考えられていて、その不足額は基礎年金の残高を超える規模までになっています。

別途この不足に対する基金を設立して、運用により補填を目指していますが、まだまだ及ばないのが現状です。

問題が山積みに見える中国の年金制度ですが、日本の年金制度と比較してどう評価されているでしょうか。

ある調査機関から、世界34カ国の年金を評価する指数のランキングが民間会社MERCER(マーサー)から毎年発表されています。

2018年のランキングでは、34カ国中日本は29位、中国は31位で

両国とも評価はD(最低評価)です。

2009年からのランキング推移を眺めてみると日本と中国が最下位争いをしているようにも見えます。

国民皆年金を2020年に目指している

中国の公的年金制度に残された課題の一つに年金加入率があります。

中国政府は2020年までの国民皆年金、数値目標で90%を目指しています。

現在加入者の多くが任意加入対象者であることや、

強制加入の対象者である都市地域の就業している者であっても30歳以下の5人に1人が加入していない問題があります。

日本でも似ていますが、中国でも若者の年金離れが進んでいるようです。

中国では若者の就職難が聞かれる反面、起業は増えています。

起業は年金制度に当てはめると自営業者になり都市職工年金の加入者に該当します。

先にも解説した通り自営業者の場合、保険料負担は重くなります。

また、若者の多様な働き方に対して、引継ぎ手続きや継続性の難しさも

若者の年金離れの原因となっていると考えられています。

賦課方式の収入部分を担う若者を取り込むことは国民皆保険を目指すときに重要になることでしょう。
【海外勤務の方】外国人は中国の年金制度に加入できる?

日本と中国は社会保障協定の締結が2019年9月に発行済みです。(参照
:日本年金機構)

社会保障協定とは、国際間の人の移動に伴って起こる社会保障制度関連の問題を解決するための協定で、主に2つの目的があります。

1つ目は二重加入防止です。海外滞在中にどちら国の法令を適用するかを決め、保険料を二重に払うことを防ぎます。

2つ目は年金保険期間の通算です。両国での年金制度の加入期間を通算できるようにするとともに、滞在していた国の制度それぞれで加入期間に応じた年金を受け取れるようにします。

この協定による手続きの中で、日本の企業から中国に赴任して就労する場合、その期間が5年以内なのか、5年を超えるのか、または現地採用なのか否かによって、どちらの国の社会保険制度に加入するかが違います。

また自営業者でもこの5年という区切りは同様に重要になってきますが、中国との協定の場合では自営業者は中国の制度の強制加入対象者とはならず、対象外とするとされています。

厚生労働省が海外で働く方に向けたページをまとめていますので、参考にしてみてください。(参照:厚生労働省)

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まとめ:中国の年金制度の仕組みと年金問題について

ここまで見てきたように、中国の公的年金制度は受給にしても拠出の方式にしても課題が多いことがわかりました。

中国で1979年から2015年まで導入された人口抑制の政策(一人っ子政策)の影響は大きく、今後の公的年金制度にマイナスの影響を与えることが予想ができます。

日本も同様の状況ですが、改革がなされなければ現役世代への負担が今後一層重くなっていくでしょうから、公的年金制度に加えて、民間の年金保険や養老保険、貯蓄や投資などによる老後資金の自助努力が一層求められていくことでしょう。

また、グローバル化が進む中で、今後増えてくると思われる海外勤務者についての配慮も重要になります。

赴任先が社会保障協定が結ばれているのかどうかを自ら確かめて、会社任せにするばかりでなく、必要な手続きを取ることやその状況を把握しておくことが大切になってくることでしょう。

中国も日本も、それぞれが抱えている改革をすすめ、課題を解決していくことで、若者を加入に取り込める魅力的で持続可能な公的年金制度になるようことを期待したいと思います。』

2億人退職の中国、衰える活力 窮余の定年延長が波紋

2億人退職の中国、衰える活力 窮余の定年延長が波紋
全人代2023 3期目の習政権(下)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM231CS0T20C23A2000000/

 ※ こういう問題(定年延長とか、給付額の引き下げとか)は、そもそも「都市部」の公務員・会社員の人々(4億人くらい)についての問題だ…。

 ※ 9億人くらいいる「農村部」の人々については、全くの「任意加入」なんで、「定年」も「給付額」も、制度としての問題とならない…。

 ※ 「農民」身分なんで、「定年」も、無い…。そもそもが、そういう人々の「社会保障」自体が、全くの「任意加入」なんだ…。

 ※ 日本の「国民年金」みたいな、ある程度強制加入の制度とは、相当に異なっている…。

『「毎年1万元(約19万3000円)を積み立てよう」。湖北省武漢市でIT企業に勤める李麗さん(仮名、25)は今年から夫と老後の備えを始めた。積立金は2人の合計年収の5%。納税や住宅ローンの返済も考えると決して少なくない。

将来への不安を強めたきっかけは2月、職場の窓から眺めた医療保険改革を巡る抗議活動だ。多くの高齢者が個人向け医療費補助の減額などへの反対を訴えた。「医療保険の削減が既に始まった。公…

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『公的年金なんてもらえなくなるんじゃないか」

なかでも都市部の会社員らが加入する「都市従業員基本年金」への懸念は強い。積立残高を月平均の支出額で割った月数をみると、2012年は18.5カ月だったのが21年は11.2カ月まで短くなった。この10年近くで支払い余力が4割も減ったことを意味する。

いま中国では日本と並ぶ世界最速のペースで少子高齢化が進み、働き手の数も減り続ける。

1963?75年生まれは各年2000万人を超す中国の「団塊世代」だ。法定退職年齢(男性は60歳、女性管理職は55歳)に達すると大量退職時代に突入する。国勢調査などをもとに試算すると、2023年から10年間で退職者は計2億2800万人に及ぶ。

社会保障負担でみると22年に現役2.26人で高齢者1人を支えていたのが、20年後には1.25人まで減る計算となる。

このままでは経済成長の阻害要因となりかねない――。習近平(シー・ジンピン)指導部の危機感を映すように出てきたのが定年延長論議だ。

政府内では30年かけて男女の退職年齢を65歳にする案が浮上する。現役世代の減少や年金財政の悪化に対応する。社会科学院の鄭秉文主任は「中国の平均退職年齢は54歳で、先進国より11年も早い」と引き上げ余地は大きいと指摘する。

退職を控えた人々には不安がくすぶる。中国メディア「生命時報」の調査で「何歳で退職するのが健康に良いか」と聞くと、全体の74%が「55歳未満」と答えた。「61歳以上」は6%のみ。早期退職を望む声は根強い。

現代中国の子育てスタイルも一因だ。都市部では高い住宅費や教育費を賄うため一般的な夫婦は共働きする。退職した人は家庭内で孫の学校への送迎などを期待される。

一方で就職難を抱える若年層には定年延長によって就職の枠がさらに狭まるとの不満もある。

理由は違えど各世代で不協和音が生じる定年延長。とはいえ社会保障の破綻を避ける有効策は限られる。

事実上の一党独裁下にある中国では一般の人の政治参加意識は比較的薄い。それでも自らの生活に直結する問題には敏感になる。武漢市などで起きた医療保険改革を巡る抗議運動はその典型だ。

定年延長は、政府も慎重に事を進める構えだ。「真剣に検討し十分に論証を重ね、適時着実に実施する」。13日の全国人民代表大会(全人代)閉幕後の記者会見で、李強(リー・チャン)首相は慎重な表現に徹した。

高齢者層の比重はますます高まる。「シルバー社会主義」というべき状況下で対応を誤れば、反発の矛先は直接、共産党に向く。

多部田俊輔、土居倫之、川手伊織が担当しました。』

ロシア、核情報提供を停止 米国「軍縮条約消滅に備え」

ロシア、核情報提供を停止 米国「軍縮条約消滅に備え」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN120EJ0S3A310C2000000/

『【ワシントン=中村亮】ロシアが3月初めに核戦力の運用に関する情報提供を停止し、バイデン米政権が反発している。運用の全容把握が難しくなり、米国で軍拡論に拍車がかかる公算が大きい。米政権は50年以上ぶりに米ロの核軍縮条約が消滅する場合にも備え、対応計画の策定に着手した。

ロシアのプーチン大統領は2月28日、米国とロシアの新戦略兵器削減条約(新START)の履行停止を定めた法律に署名した。新START…

この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』

『新STARTは米ロ間に残る唯一の核条約で、2026年2月が有効期限になる。後継の枠組みに合意できなければ1972年以降、初めて米ロの核軍縮の枠組みがなくなる。

バイデン政権は新STARTの維持を目指して実務者協議をロシアに呼びかけているが、実現のめどは立たない。

米国務省高官は10日、日本経済新聞の取材でロシアから協議日程の提案はないと話し「今後も提案があると想定していない」と断じた。22年11月にはエジプトの首都カイロで開催を計画し、ロシアが直前に延期していた。

バイデン政権は核軍縮条約が消滅するシナリオに備える。同高官は「新STARTを(26年2月まで)履行できない状況が続き、その先も(米ロ間で軍縮の)手段が何もない最悪のケースを議論している」と明かした。米国家安全保障会議(NSC)や国務省、国防総省などを交え、省庁横断で対応策を協議している。

新STARTの履行停止で影響を受けたのが核運用の把握だ。国務省は15日、ロシアから戦略核戦力に関する情報の通知が停止したと発表した。米国とロシアは戦略核戦力の移動や配備状況などに関して情報を互いに通知してきた。国務省高官は3月初めに情報提供が停止していたと説明した。

人工衛星などを使えばある程度は代替できるとの見方が多いが、高官は「最終的に(新STARTと)同じだけの安定をもたらす透明性を確保できない」と懸念を表明した。米国は互いに年18回認められている実地査察に関し、ロシアが拒んでいるとも繰り返し非難してきた。

米ブルッキングス研究所のスティーブン・パイファー非常勤上級研究員は弾道ミサイルへの核弾頭配備数の把握が難しくなる可能性を指摘する。ロシアは新STARTの履行停止中も核弾頭配備数の制限を守ると明言しているが、パイファー氏は「時間が経過するにつれて米国は信頼を失う」と分析した。

米軍備管理協会のダリル・キンボール会長は「監視や査察の欠如が不確実性や最悪の想定を生み出し、軍拡競争につながる可能性がある」と危機感を語る。26年以降に米国とロシアの軍縮枠組みが消滅すれば、両国が短期間で核弾頭の配備数を倍増させるシナリオを挙げて警鐘を鳴らす。

米国で核戦力の運用を担うアンソニー・コットン戦略軍司令官は3月上旬、議会公聴会で新STARTが消滅するケースへの対応に関し「私の任務は米大統領に柔軟性の高い抑止策を提示できるようにすることだ」と証言した。追加の抑止策が必要になるとの見方を示唆する発言だ。

日本の岸田文雄首相は5月、広島市で開く主要7カ国首脳会議(G7サミット)で核軍縮を主要テーマの一つに据える。

国務省高官は「岸田首相のアプローチに深く感謝している」としつつ「ロシアが核の脅しを拡大し、中国が核計画の透明性や開放性を欠いいたまま(戦力を)増強するリスクを無視して軍縮へ急に向かうことはできない」とも述べた。』

ドイツ、対ロ強硬鮮明に ウクライナ支援「必要な限り」

ドイツ、対ロ強硬鮮明に ウクライナ支援「必要な限り」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR160D90W3A310C2000000/

『【欧州総局=赤川省吾、南毅郎】ドイツのショルツ首相は日本経済新聞の取材で、ウクライナ侵略を続けるロシアの行為を「黙認できない」と指摘し、対ロシア強硬姿勢を鮮明にした。ウクライナへの「支援疲れ」については全面否定し「必要な限り長く支援する」と明言した。欧州は長期戦に備えつつある。

中国への批判は慎重な言い回しに終始したのと対照的に、ロシアを強い調子で非難した。

「ロシアは帝国主義的な道を選んだ」「…

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『「国境を武力で変えてはならないという合意を破棄した」。いつも冷静沈着なショルツ氏だが、話題がロシアに及ぶと舌鋒(ぜっぽう)が鋭くなった。

外交による打開を図るため、ショルツ氏はプーチン大統領と電話協議を繰り返している。
戦争が始まってからの1年間でプーチン氏の態度に変化を感じたかをたずねると「ほとんど変わっていない」と即答。ウクライナとベラルーシを取り込んだ新しい大ロシアをつくろうとしていると指摘したうえで、それを「ばかげた目標」と切り捨てた。

ショルツ氏の出身母体であるドイツ社会民主党(SPD)が冷戦期から主導したのがドイツの対ロシア(ソ連)融和策だ。その路線は完全に行き詰まった。ロシアを信じていたからこそ、失望も深いのかもしれない。

ウクライナ支援では、ドイツは世界最強とされる主力戦車「レオパルト2」の供与を表明した。隣国ポーランドなどと協力しながらウクライナにおける戦車部隊の編成を目指す。
焦点となっている戦闘機の供与についてショルツ首相は「議論は無駄だ」と否定した。すでに供与済みの武器の「保守・点検や修理、部品・弾薬の供与」には積極的にかかわる姿勢を表明した。

ウクライナ東部ではドネツク州の要衝バフムトなどで激しい戦闘が続く。

ロシア軍の完全撤退が見込めないなか、東西分割による停戦案など「ウクライナの頭越しに決めてはならない」と指摘。東西分断の歴史を持つドイツとして当事者の理解なしに周辺国が勝手に和平交渉を進めるべきではないとの考えを明らかにした。

「戦争の終わらせ方」を巡る議論も時期尚早だとの立場だ。仮に停戦しても、ロシアは再軍備したのち再びウクライナを侵略するかもしれない――。そんな懸念を払拭するため、英国やドイツなどが個別にウクライナと軍事同盟を結ぶ構想がある。だがショルツ氏は「臆測」と語ったのみで言質を与えなかった。

戦争が長期化したことで、歴史や文化を共有してきた欧州とロシアの絆は切れた。もはやロシアを含めた欧州秩序は望めないだろう。

「ドイツは自らの責任を果たす必要がある」との表現で、ショルツ氏は欧州の安全保障に責任を持つ覚悟を述べた。今後はドイツを含めた北大西洋条約機構(NATO)が軍事力でロシアと対峙する。

ロシアとの経済関係も急速に細る。ドイツは天然ガスの過半をロシア産に依存してきたが、開戦後に脱ロシアに動いた。ショルツ氏は「記録的な早さでロシア産の石炭、石油、ガスから独立した」と強調した。

Olaf Scholz 
中道左派・ドイツ社会民主党の出身。労働社会相、ハンブルク州首相、財務相などを歴任し、2021年から現職。64歳。
【関連記事】

・ドイツ、4月に脱原発完了へ ショルツ氏「稼働停止」明言
・ショルツ独首相「特定の国への依存を避ける」一問一答 』

ECB、0.5%利上げを決定 インフレ抑制を優先

ECB、0.5%利上げを決定 インフレ抑制を優先
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR16BAB0W3A310C2000000/

『【フランクフルト=南毅郎】欧州中央銀行(ECB)は16日の理事会で、3会合連続となる0.5%の大幅利上げを決めた。スイスの金融大手クレディ・スイス・グループの経営不安などが高まったものの、インフレ抑制を優先した格好だ。ラガルド総裁は「すべての手段を使って対応する用意がある」と述べ、欧州金融システムの安定を保つことを強調した。

ラガルド氏は記者会見で「現在の市場の緊張を注意深く監視している」と述べた。ユーロ圏の銀行は「(金融危機の)2008年に比べて格段に強固だ」と指摘し、さらに必要に応じて流動性支援に乗り出す方針も示した。米シリコンバレーバンク(SVB)の破綻後、主要中銀の政策決定は初めてでECBの判断に注目が集まっていた。

主要政策金利は3.5%と08年10?11月以来の高水準に引き上げる。先行きの利上げペースは、不確実性が高まっているとして「データ次第」と述べるにとどめた。次回5月会合ではインフレの長期化を視野に利上げ幅を見極める方針だ。

欧州のインフレ圧力は根強い。16日公表した最新の経済・物価見通しで、ユーロ圏のインフレ率は23年を5.3%、24年を2.9%と想定した。経済成長率は23年が1.0%、24年が1.6%を見込む。量的緩和策で膨らんだ保有資産の圧縮は6月にかけて月150億ユーロ(約2兆1000億円)規模で削減する方針だ。

2月のユーロ圏の消費者物価指数は前年同月比の伸び率が8.5%と高止まりした。価格変動の大きいエネルギーや食品などを除いたベースでは5.6%と過去最高を更新し、ドイツやフランスなど一部の国ではインフレ率が再び高まっている。

ECBは物価が中期的に2%に戻るまで利上げを続けると繰り返し説明してきた。市場では利上げ幅を0.25%に減速するとの見方が広がっていたものの、前回2月会合で示唆していた0.5%の利上げを継続した。

16日の欧州市場でクレディ・スイスの株価は一時前日比3割超上昇とひとまず反発している。ECBの大幅利上げ公表後は伸び悩む場面があった。為替市場ではユーロは方向感を欠く展開。米国市場では、大口預金が多い米ファースト・リパブリック・バンク株が一時4割下げるなど一部銀行への不安がなお強い。

【関連記事】

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伊藤さゆり
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 研究理事
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分析・考察

今回の理事会の声明文は「あまりに高く、あまりに長くインフレが見込まれることから0.5%の利上げを決めた」との文言で始まる。
予告通りの利上げ幅を維持する一方、今後の方向性は示さず、「データに基づくアプローチ」を強め、「今後の経済金融データ」、「基調的インフレのダイナミクス」、「金融政策の伝達の強さ」の3要素を考慮することを、ラガルド総裁は記者会見で繰り返し述べた。
ユーロ圏の銀行システムの強靭性を再三強調したことも今回の記者会見の特徴。
会見終了後も欧州株は前日を上回る水準を維持している。
とりあえず、市場心理の一層の悪化を回避することには成功したようだ。
2023年3月17日 0:13 (2023年3月17日 0:37更新)

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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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ひとこと解説

前回理事会での事実上の予告通りの0.5%ポイント利上げ決定に関しては、欧米通信社が内幕を報じている。ロイターによると、経営不安が取り沙汰されるスイス大手銀行が16日、スイス国立銀行(中央銀行)から最大500億スイスフランを借り入れる選択肢を行使して流動性強化の断固とした措置を取ると発表したことによって、大半のECB当局者は0.5%ポイント利上げに動く自信を得たという。また、ブルームバーグによると、0.5%ポイント以外の決定であれば投資家の間にパニックを引き起こすかもしれないとの懸念に後押しされたという。仮に利上げを見送ると、事態は表面で見えているよりも深刻だと市場が受け止める恐れのことだろう。
2023年3月17日 7:26

滝田洋一のアバター
滝田洋一
日本経済新聞社 特任編集委員
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ひとこと解説

①えっ0.5%。市場参加者は見事な肩透かしに。クレディスイス・ショックを機に0.25%への利上げ幅縮小の予測をよそに、2月の理事会の宣言通り0.5%利上げを決めたからです。
②欧州銀行の経営不安には、資本・流動性基盤が強靱と指摘するとともに、必要な場合には流動性を供与するとECBは明言しました。この言い回しはスイス中銀とソックリです。
③インフレ抑制には0.5%利上げ、金融不安には流動性供与――いかにも理屈好みのECBらしい政策割り当てですが、ブレーキとアクセルを一緒に踏む感じが否めません。
④2008年にはベア・スターンズ破綻とリーマン破綻の間にも利上げを続けたECB。その既視感が漂います。
2023年3月16日 22:40 (2023年3月16日 23:03更新)

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白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
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ひとこと解説

米国のシリコンバレー銀行などの破綻やクレディスイス銀行への懸念から、現状維持か0.25%の利上げを予想する市場の見方も多かった。しかし、以前に予告したとおり0.5%の利上げを行った。クレディスイスがG-SIBsとして厳しい金融規制下にあり自己資本比率が高いことやスイス中銀の流動性支援もあり、ユーロ圏の銀行が総じてみると自己資本や流動性比率が高く波及するリスクが低いとの判断をもとに、インフレの抑制を優先したようだ。CBは域内の銀行のクレディスイスへのエクスポージャーがどの程度なのか調査を行ったようで、影響は限定的と判断したようだ。またスイス中銀と同様にECBは流動性供給が可能だ。
2023年3月16日 22:40』

仏年金改革、野党は一斉反発 不信任決議案提出へ

仏年金改革、野党は一斉反発 不信任決議案提出へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR16DWQ0W3A310C2000000/

『【パリ=北松円香】フランスのマクロン政権が16日に年金改革法案の強行採択に踏み切り、改革に反対していた野党は一斉に反発している。内閣不信任決議案を提出し、法案の成立回避を狙う方針だ。受給開始年齢を64歳に引き上げる年金改革には国民からの反対の声も多く、抗議活動の拡大といった余波はなお続きそうだ。

「もちろん、内閣不信任決議案を提出する」。極右政党・国民連合(RN)で国民議会(下院)の党派代表を務…

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『「もちろん、内閣不信任決議案を提出する」。極右政党・国民連合(RN)で国民議会(下院)の党派代表を務めるルペン氏は16日、強行採択を受けて記者団の前でこう表明した。急進左派「不服従のフランス」の党派代表を務めるパノー氏も、テレビ局BFMTVの取材に対し不信任決議案について「超党派の動きとなる可能性がある」と述べた。

ボルヌ首相は16日、年金改革法案について憲法49条3項の適用を表明した。同項は首相が政府の責任において、社会保障関連法案などについて議会の投票を経ずに採択できるとする。ただしその後に下院で内閣不信任決議案が過半数の賛成を得て可決されれば、法案は不成立となる。

マクロン氏が率いる与党連合は16日に年金改革に理解を示す野党・共和党の協力を得て下院で法案を可決させる予定だった。だが共和党議員の票を固めて賛成多数を得られるメドが立たず、直前に強行採択へとかじを切ったとみられる。

【関連記事】

・仏マクロン政権、年金改革法案を強行採択 デモ激化も
・仏で再び大規模スト、年金改革に反対 原発発電量も低下 』

クレディ・スイス株、9日ぶり上昇 中銀の資金供給好感

クレディ・スイス株、9日ぶり上昇 中銀の資金供給好感
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR16E530W3A310C2000000/

『【ロンドン=大西康平】16日の欧州株式市場でスイスの金融大手クレディ・スイス・グループの株価が9日ぶりに上昇した。終値は前日比0.325スイスフラン(19%)高の2.022スイスフランで引けた。同社がスイス国立銀行(中央銀行)の資金供給策を使った手元流動性の調達を発表し、経営不安に対する市場の警戒がいったん和らいだ。

株価は2月末の2.852スイスフランから3割安の水準となっており、投資家の懸念…

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『英キャピタル・エコノミクスのニール・シェアリング・グループチーフエコノミストは「金利上昇がもたらす金融システムへの脆弱さに対して市場が敏感になる状態は続いている」と指摘する。

欧州の銀行株で構成されるストックス銀行株指数は同日に1%高で引けた。前日比で一時4%高まで上昇していたが、欧州中央銀行(ECB)による0.5%の大幅利上げの発表による警戒感から伸び悩んだ。欧州の代表的な株式指数も上昇した。ドイツのDAX指数は2%高、英国のFTSE100は1%高となった。

【関連記事】

・クレディ・スイス、預かり資産3割減 収益回復見えず
・クレディ・スイス、中銀から最大7兆円調達へ 』

NYダウ反発、371ドル高 大手銀11行の地銀支援を好感

NYダウ反発、371ドル高 大手銀11行の地銀支援を好感
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN00001_X10C23A3000000/

『【NQNニューヨーク=横内理恵】16日の米株式市場でダウ工業株30種平均は反発し、前日比371ドル98セント(1.2%)高の3万2246ドル55セントで終えた。経営不安が続く米地銀のファースト・リパブリック・バンクを米大手銀行が支援するとの観測から、金融システム不安が和らぐとみた買いが広がった。引け間際に支援策が発表されると一段高となる場面があった。

午前は売りが先行し、ダウ平均は一時300ドルあまり下げた。欧州中央銀行(ECB)が16日の理事会で前回に続き、0.5%の利上げを決めた。米欧の金融機関の経営不安から利上げ幅を縮小するとの見方もあったが、インフレ抑制を優先した。米連邦準備理事会(FRB)が21?22日に開く米連邦公開市場委員会(FOMC)で0.25%の利上げを続ける可能性が意識された。

もっとも、米株相場は午前中ごろに上げに転じ、引けにかけて上げ幅を拡大した。ウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)が午前に大手行がファースト・リパブリックへの支援を協議していると報じた。引け間際にはJPモルガン・チェースを含む米銀11行が預金の形で総額300億ドルの資金支援を実施すると発表した。発表後にダウ平均の上げ幅は400ドルを超える場面があった。

一時は4割近く下げたファースト・リパブリックは10%高で終えた。JPモルガンやゴールドマン・サックスなど大手金融株も上げた。

最近の米長期金利低下で相対的な割高感が薄れた高PER(株価収益率)のハイテク株も上昇。ダウ平均の構成銘柄ではソフトウエアのマイクロソフトが高かった。アナリストが投資判断を引き上げた半導体のインテルも大幅上昇した。

ハイテク株比率が高いナスダック総合株価指数は4日続伸し、前日比283.225ポイント(2.5%)高の1万1717.277で終えた。インテルの上昇に連れ高し、エヌビディアやアドバンスト・マイクロ・デバイス(AMD)など半導体株の上げが目立った。』

ポーランドがウクライナに戦闘機供与へ NATOで初

ポーランドがウクライナに戦闘機供与へ NATOで初
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR16EEI0W3A310C2000000/

『【ロンドン=大西康平】ポーランドのドゥダ大統領は16日、保有する戦闘機をウクライナに供与すると明らかにした。ロイター通信などが報じた。旧ソ連製のミグ29戦闘機4機を数日中に引き渡すという。北大西洋条約機構(NATO)加盟国からの戦闘機の供与の決定は初めてとなる。

ドゥダ大統領は「追加の供与も準備しており、順次引き渡す」と述べた。ポーランドはミグ29を10?20機保有しており、すでに同型機を使用しているウクライナ軍のパイロットが訓練せずに操縦できるという。ポーランドのモラウィエツキ首相は14日、提供には4~6週間かかるとの見方を示していた。

ミグ29を巡っては、スロバキアも供与を検討している。ただNATO加盟国の間ではロシアへの反発を警戒して慎重な姿勢をとる国も多いとみられる。ポーランドはドイツ製の主力戦車「レオパルト2」についてもドイツにウクライナへの供与を認める要請をするなど、軍事支援に積極的な姿勢を見せてきた。

米CNNは16日、ロシア軍が中国製の商用ドローン(無人機)を改造し、ウクライナの前線で使っている可能性があると報じた。CNNがウクライナ東部で同国軍に撃ち落とされたドローンを確認した。中国福建省のアモイ市に拠点を置く企業が、同社の製品であることを認めたという。

【関連記事】

・ドイツ、対ロ強硬鮮明に ウクライナ支援「必要な限り」
・[FT]スイス大統領、ウクライナへの武器再輸出に反対

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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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ひとこと解説

NATO加盟国からウクライナへの戦闘機供与は初めてであり、エポックメイキングな出来事ではある。さはさりながら、供与されるのは、取り沙汰されている米国製のF16ではなく、旧ソ連製のミグ29であり、ウクライナ空軍の装備がグレードアップするわけではない(F16の操縦訓練には少なくとも数か月を要するという問題点もある)。また、供与される機数も、今のところは少ない。ロシアを過度に刺激して逆切れ的な反応を招くことのないよう、慎重に考慮された範囲内での動きとみる。
2023年3月17日 7:41』

米高官「日韓関係の持続的な進展支援」 首脳会談受け

米高官「日韓関係の持続的な進展支援」 首脳会談受け
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN16E8T0W3A310C2000000/

『【ワシントン=坂口幸裕】米政府高官は16日の記者会見で、関係正常化で一致した日韓首脳会談を巡り「両国の新たな和解を持続的な関係進展につなげるため支援していく」と述べた。中国や北朝鮮を抑止するため、過去に浮き沈みを繰り返してきた日韓関係を安定的に発展させるべきだとの認識がある。

米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官が語った。日韓関係は元徴用工問題で韓国が日本企業の賠償を韓国の財団が…

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『元徴用工問題で韓国が日本企業の賠償を韓国の財団が肩代わりする解決策を示したのをきっかけに改善に向かう。

岸田文雄首相は16日、首相官邸で韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と会談した。2011年以来途絶えていた首脳間の相互訪問の枠組み「シャトル外交」を再開すると申し合わせた。

カービー氏は元徴用工問題を巡り「日韓両国の協力とパートナーシップの新たな章を示す歴史的な発表で、バイデン大統領は歓迎した」と指摘。「日韓の歴史問題に対処し、2国間関係の改善を意図したものだ」との見方を示した。

軍備拡張を進める中国や北朝鮮の脅威をにらみ日韓が足並みをそろえ、米国と協力して東アジアの安全保障を再構築する態勢が整う。米国の核を含む戦力で同盟国を守る「拡大抑止」の強化を話し合う新しい枠組みを日米韓で設ける案を検討。3カ国の軍事演習や情報共有の拡大も選択肢になる。

カービー氏は「(日米韓の)3国間の結びつきを強化し、我々の国家安全保障を守るために必要な軍事力を持ち続ける」と話した。「韓国と日本の防衛に対する米国の約束は絶対的に揺るぎない」と訴えた。』

米国、韓国「黄金の4年」に望み 日米韓協力で実績狙う

米国、韓国「黄金の4年」に望み 日米韓協力で実績狙う
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1605H0W3A310C2000000/

『【ワシントン=坂口幸裕】米政府は関係正常化に動く日韓に3カ国による協力分野の拡大を働きかける構えだ。日韓が歩み寄った元徴用工問題を巡り、形骸化した2015年の慰安婦合意の二の舞いになりかねないとの懸念が残る。それだけに4年ほど任期がある韓国の保守政権のもとで、安全保障協力の実績を積み上げる狙いだ。

「日韓の新たな和解を持続的な関係進展につなげるため支援していく」。16日の日韓首脳会談を受けた米国…

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『16日の日韓首脳会談を受けた米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官の発言は米国の期待と不安を映す。

期待は軍備拡張を進める中国や北朝鮮の脅威をにらみ、日韓と足並みをそろえた東アジアの安全保障体制の再構築にある。米国は核を含む戦力で同盟国を守る「拡大抑止」の強化を話し合う新しい枠組みを日米韓で設ける案を検討する。3カ国の軍事演習や情報共有の拡大も選択肢になる。

中国に強硬姿勢をとる日米と、韓国にはなお温度差はある。米国は対中感情が悪化する韓国世論の変化を踏まえ、北朝鮮だけでなく段階的に中国を念頭に置いた軍事協力を深める余地はあるとみる。

米国の不安は韓国の内政に向く。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は16日の岸田文雄首相との会談で、元徴用工問題の解決策を着実に履行すると明言した。しかし、韓国は政権交代が起きると前政権の方針が覆る「moving the goalpost(ゴールポストを動かす)」と批判されてきた経緯がある。

前米NSC東アジア担当部長で米戦略国際問題研究所(CSIS)日本部長のクリストファー・ジョンストン氏は「重要なのはやり遂げることだ」とクギを刺す。

15年末には安倍晋三元首相と韓国の朴槿恵(パク・クネ)元大統領のもとで、両国が譲歩して慰安婦合意をなし遂げた。その直後も米国には3カ国協力の深化を期待する声が広がったが、成果は乏しかった。

当時と政治状況が異なるのは22年5月に韓国大統領に就いた尹氏の任期が27年まで4年以上ある点だ。慰安婦合意から朴氏が退くまで1年あまりしかなく、次の文在寅(ムン・ジェイン)前政権で合意は事実上ほごにされた。

ジョンストン氏は「朴氏の任期終了間際だった慰安婦合意と対照的に、今回は韓国の次期大統領選までに時間がある」と指摘する。日本との安保協力に積極的な尹政権のもとで腰を据えて成果づくりを進める余裕がある、との見立てだ。

まず試されるのが24年春に予定する韓国の総選挙(国会議員選)になる。与党の勝敗は尹氏の政権基盤を左右するだけに、懸案処理の推進力にも連動する。

厳しさを増すアジアの安全保障環境を見すえ、過去に浮き沈みを繰り返してきた日韓関係を安定的に発展させられるのか。バイデン政権が重視する同盟・有志国の能力を総動員する「統合抑止力」を具体化する指導力が問われる局面に入った。』