【追悼】ジャズの巨匠「ウェイン・ショーター」 LAの自宅に何枚もあった肖像画に描かれていた人は
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/03111000/?all=1
※ 今日は、こんな所で…。
※ ウエザー・リポートの解散後、ザビヌエルとショーターは、何枚かのアルバムをリリースしている。
※ オレが、聞いたもの(CD)を、貼っておく…。
※ 聞いた感想は、「ウエザー・リポートは、唯一無二のバンドだったな…。」「ウエザーの前にウエザー無く、ウエザーの後にウエザー無し…。」
※ それでも、ショーターの2枚は、「中くらいの名作」だとは、思う…。
※ 大体、「フュージョン・シーン」なるものは、1990年代に「崩壊」してしまっているような状況だ…。



『日本では、ジャズをメインテーマとしたアニメ映画「BLUE GIANT」のヒットが話題となっている中、世界的なジャズ・プレイヤー、ウェイン・ショーターの訃報が伝えられた。長年にわたって第一線で活躍してきたレジェンドだが、私生活では事故で妻を亡くした失意の時期もあった。ちょうどその頃、自宅でのインタビューをしたという音楽ライターの神舘和典氏に、当時の様子や発言、そして彼の偉業について寄稿してもらった。
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サクソフォンプレイヤーで、作曲家、ウェイン・ショーターが、3月2日にアメリカ、ロサンゼルスの病院でこの世を去った。89歳だった。
ウェインはグラミー賞を13回受賞したジャズのレジェンド。1950年代から半世紀以上、第一線で活躍し続けた。最初に注目されたのは、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ在籍時。ずば抜けた演奏能力と作曲能力で、オーケストラの音楽監督になった。
1959年には初リーダー作「イントロデューシング・ウェイン・ショーター」を発表。そして、マイルス・デイヴィス(トランペット)のグループに参加。メンバーは、トニー・ウィリアムス(ドラムス)、ロン・カーター(ベース)、ハービー・ハンコック(ピアノ)そして、ウェインとマイルス。この時期が“帝王”マイルスの黄金期と言われている。強力なメンバーのなかでウェインは次々と新曲を生み出し、マイルスもリスナーも驚愕させた。
そして1970年、ジョー・ザビヌル(キーボード)らとジャズ・フュージョンを象徴する伝説のバンド、ウェザー・リポートを結成。「ウェザー・リポート」「ブラック・マーケット」など名アルバムを録音した。その後は、自分のクインテットやハービーとのデュオで、活動をしてきた。
飛行機事故で妻を亡くす
ウェインに初めてインタビューしたのは1999年。取材を申し込むとロサンゼルスの自宅に招いてくれた。当時、ウェインは活力を失っていると言われている時期だった。
1996年にウェインは飛行機の墜落事故で妻、アナ・マリアを失っている。アナはサプライズでウェインのツアー先を訪れようとして、事故に遭った。それ以降外出を好まなくなったとうわさされていたのだ。
余談になるが、ウェインのインタビューの1か月前、サックスプレイヤーのブランフォード・マルサリスにニューヨークでインタビューした。そのときブランフォードに「ウェインに会ったら、僕の気持ちだと言って抱きしめてほしい」と言われた。ブランフォードは「レクイエム」というアルバムで、ウェインに捧げる「サウザンド・オータムズ」という曲をレコーディングしている。最愛の人が亡くなったとき、亡くなった本人と、残された者、どちらが多くの苦しみを背負うのか――。そのテーマを“千の秋”と表現して演奏した。』
『マイルス・デイヴィス、ジャコ・パストリアスについて
当時のウェインの自宅があったのはハリウッドの近く。サウンドシティという緑豊かな街の小高い丘の上だった。恐る恐るインターフォンを押す。すると思いもよらず、2階のほうで大きな返事が響いた。勢いよく玄関ドアが開き、満面の笑みのウェインが迎えてくれた。ブランフォードの話とは様子が違う。千の秋のイメージとはほど遠い、子どものような笑顔だった。
仕事部屋に通されると、何十メートルもの、巻紙のような譜面を見せられた。大作だ。
「ロサンゼルスとニューヨークのフィルハーモニーとジャズミュージシャン、総勢100人で演奏するために書いた譜面だよ。2000年のメモリアルに間に合うように、今は毎朝3時から16時間仕事をしている。これはジャズともクラシックとも違う、新しい音楽だよ」
ウェインは胸を張った。彼が自宅にこもっているのは悲しみのせいではなく、創作に没頭しているからだと思った。こんな大作をつくっていたら、家からは出られない。
部屋の壁には、マイルスのクインテットにいたときの写真やウェザー・リポート時代の写真が飾られていた。その1枚1枚をていねいに説明してくれた。
マイルスの写真を見ながら言った。
「できると自分で思えたら、それは絶対にやれる。誰がなんと言おうとやれる。それをマイルスから僕は教えられた。マイルスはいつも僕にひと言だけ言った。やれ! とね」
ウェザー・リポートの写真を見ながらも言った。
「世の中にいるすべてのベーシストの中で最高なのはジャコ(ジャコ・パストリアス)だ」
ラックには、レーザーディスクがぎっしり。
「子どものころ、僕は映画の仕事に就きたかった。でも、あのころ、映画界は黒人にとっては狭き門だった。だから、僕は仲間がたくさんいる音楽の世界に入った。今でも僕は映像に思いがある。音楽で映像のような世界をつくり上げたい。ちょうど『スター・ウォーズ』がそうであるように、永遠につづくストーリーをつくりたい」
ウェインの音楽は立体的に響く。音が景色を描き、物語を感じさせる。その理由がわかった気がした。ちょうどその前日、近くのチャイニーズ・シアターで、「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」が世界に先駆けて公開されていた。
映像のような音楽――ウェインがサクソフォンを選んだ理由もそこにあった。
「トランペット、ストリングス、木管楽器、肉声……。そのすべてを1つの楽器で表現できないだろうか。オーケストラに近い響きにならないだろうか。その思いで、アドルフ・サックスという人がつくった楽器がサクソフォン。だから、僕はこの楽器を選んだ。音楽を奏でるとき、僕は僕自身が主人公の物語の映画監督で、プロデューサーで、主演男優。そのためには、サクソフォンが必要だった」
部屋の中にあった肖像画
ウェインに会うと、とてもシャイな印象を受ける。しかし、なにかのきっかけでスイッチが入ると、とても陽気になり、饒舌になる。あの日も、部屋の中を歩き回り、話し続けた。
帰り際、玄関横の部屋のドアが半開きになっていた。何枚かの油絵が見えた。僕の目線を察したウェインが、部屋に案内してくれた。そこには何枚もの画が置かれていた。描きかけもあった。すべて肖像画。同じ女性が描かれている。アナ・マリアだった。
「全部僕の妻。写真を見て描いた」
そう言って、ウェイン・ショーターは静かに笑った。
神舘和典(こうだてかずのり)
1962(昭和37)年東京都生まれ。ライター。音楽をはじめ多くの分野で執筆。『墓と葬式の見積りをとってみた』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など著書多数。
デイリー新潮編集部 』