「天の眼は見てる」凄みある李克強・中国首相最後の挨拶

「天の眼は見てる」凄みある李克強・中国首相最後の挨拶
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK060M40W3A300C2000000/

『新たな中国国務院総理(首相)が誕生する今回の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開幕する直前、ものすごい勢いで中国内外に拡散した「問題映像」がある。国営中国中央テレビは、現時点でその重要場面を放送していない。いや、できないのだ。

それは、退任する首相、李克強(リー・クォーチャン、67)が、国務院弁公室を中心とする政府幹部ら800人に別れを告げる挨拶の言葉だ。そのなかに、解釈次第では共産党総書…

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『「人が何をしているのか、天は(きちんと)見ている。蒼天(そうてん)には眼があるのだ」。拡散され、一部は消去されてしまった多くの映像の場面などを丁寧に拾い、つなぎ合わせると、李克強がこう言っているのは間違いない。

凄(すご)みがある。強い意志を感じる意味深な言葉だ。これは文脈上、10年にわたって自分を支えてくれた国務院幹部の面々に向けられている。表だって評価されることがなくても、その素晴らしい働きぶりを天、つまり天帝だけは見ていたはずだから、今後も次期首相の下で精勤してほしいという大意になる。』

『中南海の内部は、大きく南と北に分かれている。南にある「南院」は、習をトップとする共産党の中央組織の拠点だ。北に位置する「北院」は、李克強が仕切った国務院系の主要な執務地である。

長い間、微妙な関係にあった「南」と「北」だが、2012年に習時代に入ってからは、徐々に南院が強くなっていった。構図が完全に固まったのは16年だ。そこには、李克強最後の言葉を他の副首相らとともに聞いていた習の側近、劉鶴(リュウ・ハァ、71)も一役、買っていた。

当時、共産党機関紙である人民日報の1面に「権威人士」を名乗る劉鶴が唐突に論文を発表した。李克強が主導する経済刺激策「リコノミクス」を暗に批判した筆致は鋭く、国務院には衝撃が走った。

この動きは、北院に陣取る李克強の国務院の勢力を削ぎ、南院の習による集権に大きく寄与する。その後、一時、世界から注目された「リコノミクス」は完全な死語となったのである。

それでも李克強は、最後に国務院で重要政策づくりを担う人々をたたえた。そして「人民の声」「人民の力」にも繰り返し言及したという。それを重んじるべきだという意味であろう。』

『政治の主役であるべき一般の中国国民を意味する「人民」から本当の声を聞き、それをくみ取りながら実際の政策に反映させるのは、伝統的な政府機関である国務院にとって最も重要な役割だ。

昨今の動きは、その伝統を無視し、全てを習が仕切る党中央に権限を集中させている。かつてない「極権」の体制が出来上がりつつある。李克強の言葉は、伝統無視に対して懐疑的な視線を向けているようにみえる。』

『天(帝)は、東洋思想の鍵となる概念のひとつで、人の上にある存在、人を超えた存在を指す。中国で「天は見ているぞ」という言葉は、一般的に「見られているのだから、悪いことをしてはいけない」という意味だ。では、いったい誰が悪いことをしているのか。解釈は様々である。

李克強がお別れのあいさつをした現場で、スマートフォンなどで撮られた複数のバージョンの映像が、中国内ばかりではなく世界中に、ものすごい勢いで拡散していったのはなぜなのか。

国務院幹部800人の中にいた李克強に心酔している「有志の人物」が、この最後の勇気ある言葉を伝えたかったからだろう。李は副首相時代を含めれば、15年もの長きにわたって国務院がある南院で真摯に仕事に励んできた。いわゆる「ファン」が数多くいるのは自然なことだ。彼らは李克強の退任を惜しんでいるのだ。』

『李克強が「天には眼があり、ちゃんと見ているぞ」という趣旨の言葉を放ったまさにその日、因果な出来事があった。国営中国中央テレビは、夜のメインニュースでこれまた意味深な原稿を読み上げたのだ。

国務院を含む全機関の党組織の政治的なトップを意味する書記らが、こぞって習に対して「書面による職務報告」をしたという内容だ。習時代以前には考えられなかった権力集中を担保する仕組みである。そのニュースは最後にこう強調した。

「習近平同志を核心とする党中央の権威と集中統一指導を断固として維持し、全党の統一意思、統一行動を確保する」。象徴しているのは、習が仕切る党中央への権力集中の完成だ。あまりにタイミングが良い。』

『李克強が去り、習側近の李強(リー・チャン、63)が新たな首相に就けば、国務院の権限低下はさらに明確になる。いま全人代で議論中の「党と国家の機構改革」もこれに拍車をかける。この結果、何が起きるのか。

「これまでは習と李の方向性の微妙な違いが、政策実行の際、障害になっていたが、これからは、完全な党主導の政策決定と実行になるのは間違いない。北院(国務院)が、南院(党中央)に全て従う手法で、党と政府の一致がはかられるなら、全てうまくいく。効率がよくなるからだ」

ある共産党関係者は、手放しで現在進行中の権力集中を評価する。だが、本当にそうだろうか。一見、論理的に筋が通っているようにみえるが、見落とされている重要な点がある。』

『国民生活を重視したきめ細かい政策づくりには、地方政府やシンクタンクなどから上がってくる正反対に近い様々な意見を中央でもみながら、裏で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をする過程が重要である。今後は、この大切な過程が飛ばされる可能性が高い。
とりわけ、地方政府は皆、党中央を仕切る習の顔色ばかり気にするようになっている。身を守るには、本心を隠し、異論を差し挟まないのが一番だ。すでにこの傾向は鮮明で、これからさらに強まるのは明らかだ。

国務院を支えてきた劉鶴のほか、若手のホープといわれた胡春華(フー・チュンホア、59)といった副首相は皆、去り、新たにやってくる李強は、副首相として中央政府を動かした経験さえ持っていない。』

『李克強は、この5年、中国と米国との間で先鋭化した貿易戦争の激化を心配し、様々な対策を打ってきた。だが、米中関係は、安全保障面の確執からさらに悪化するばかりで、国内経済対策の効果は十分にあらわれていない。』

『20年から中国でまん延した新型コロナウイルス感染症が今なお、終わっていないことにも心を痛めている。習を核心とする党中央は「コロナへの勝利」を既に宣言している。だが、末端の厳しい状況を細かく知る李克強の認識は違うようだ。それは、国務院幹部へのお別れの言葉にもにじんでいたとされる。

5日の全人代開幕式での最後の公式演説を終えた李克強と習は、握手をした。極めて珍しい場面である。いろいろなことがあったにせよ、10年にわたってコンビを組んできた李克強が去るに当たって、習が慰労するのは当然と言えば当然だ。

習との握手の際、退任する首相の胸中は、いかなるものだったのか。この3日ほど前に中南海で「天の眼は、人が何をしているのか見ている」と最後の挨拶をした李克強の言葉の本当の意味を改めて考えざるをえない。(敬称略)』

『中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』