北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:改めて見直すクリミアの歴史
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『ロシアの実効支配により2014年、ロシアが一方的にクリミアCrimeaをロシア側へ併合してしまったのは記憶に新しいが、今後さらにクローズアップされるだろうクリミアという地域はかなり複雑な歴史を抱えている。産業的にはワイン産地で、広大なブドウ耕作地は、併合後、プーチンに近いロシア人富豪に買収されている。
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まず、オスマン帝国との戦争の中で、18世紀にロシアはクリミアを占領したが、クリミアは長い間、ロシアとまたウクライナUkraineとさえほとんど関係を持たなかった歴史がある。
その後、クリミアの先住民であるイスラム系クリミア・タタール人Crimean Tatars達が独立を主張が、彼らはソビエト連邦がクリミア半島を支配下に置いた時に抑圧され国外追放されたFireShot Webpage Screenshot #660 – ‘Ölüm(「クリミア・タタール人追放(Sürgün、Surgun)」※この時にはすでに、強制移住されたロシア人の占める割合が増え、先住民の耕作地は、ソ連の国策で没収、または破格値で売却された)。
ソ連崩壊後のウクライナ独立で状況が良くなり、クリミアは単一国家ウクライナの中で自治権を得て、クリミア・タタール人達は国外追放先の中央アジアから徐々に戻ってくるようになるが、すでにクリミアではロシア系住民が過半数以上を占め、ついで1/4程度をウクライナ人、そしてクリミア・タタール人は1割程度だった。
このように、近代においてクリミアの地は状況が複雑に繰り返し変わってきたこともあり、クリミアを単純にロシアの領土と見なすのは、近年の、また昔からの歴史の大部分を無視した、専制主義プーチン・ロシアの一方的解釈であり、国際的にも独立国家だった国の主権を無視した併合、侵略は到底許される行為ではない。
参照記事 過去ブログ:2023年2月ロシアの徴兵と民族浄化、2月23日は露の「祖国防衛の日」:2022年3月ウクライナの民族問題、ナチスを警戒するロシア:3月プーチンの勝手な決めつけとクリミア半島併合に対する失策:2017年2月揺れ動くトランプ政権のロシア政策:2014年3月ウクライナ クリミヤの過去:』