侵略国はなくせない、この戦争が突き付けた厳しい現実
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29498
『東野篤子 (筑波大学人文社会ビジネス科学学術院 教授)
昨年2月24日に勃発したロシアによるウクライナ侵攻から、間もなく1年が経過しようとしている。
昨年秋、東部ハルキウ州および南部ヘルソン州での大規模反転攻勢で、ウクライナは2月24日以降にロシアに占領された領土の40%を解放したとされる。
だが、それでもなお、2014年に併合されたクリミア半島などを含む全国土の約20%をロシアに占領された状況にあり、現在展開中の戦線の長さは1500キロメートルに及ぶとされる。ロシアは昨年10月以降、ウクライナ全土に対する民生インフラへの攻撃も続けており、ウクライナの国民生活は困窮を極めている。
現在ロシアは膠着した戦況を変化させるため、次の一手を繰り出すタイミングを見計らっているとされる。ウクライナ当局者は、ロシアが今年2月以降にキーウ再侵攻を含む大規模攻勢を計画していると主張する。ウクライナ側としても、米欧からの軍事支援を強く要求しながらこれに立ち向かう姿勢を見せている。こうした状況で、ロシアとウクライナの双方が現時点で「停戦」を全く視野に入れていないのは当然であろう。
ロシア政府は「ロシアは停戦交渉を行う準備がいつでもあるにもかかわらず、ウクライナがそれを受け入れようとしない」とする一方、ロシアが昨年10月に「併合」したと主張する東部・南部4州(ドネツク州、ルハンシク州、ザポリージャ州、へルソン州)に関する交渉には一切応じないとしている。
これに対してウクライナ政府は、ロシア軍が国内に展開している状況での停戦交渉はあり得ないとの立場を崩しておらず、また、ウクライナの主権と領土的一体性の回復は妥協不可能としている。そして本稿執筆時点では、ウクライナ国民の8割以上が、ロシアに対する徹底抗戦を強く支持しているとされる。
筆者はこの侵攻開始直後から、毎日のように「この戦争の『落としどころ』はどこか」と尋ねられてきた。端的に言えば、現段階では落としどころなど存在しない。
そもそもプーチン大統領は、極めて短期間のうちにウクライナ制圧を完了することができると考えていたとされる。その見通しが完全に狂った今、プーチン大統領自身が戦争終結に向けた明確なビジョンを描けていないのであろう。
しかし同時に、プーチン大統領が侵略を終わらせると決定しない限り、この戦いは終わることはない。ウクライナは米国や欧州諸国からの支援を求めながら徹底抗戦を継続するであろうし、米欧諸国は戦争長期化のリスクと、ロシアによるエスカレーションのリスクを天秤にかけつつも、ウクライナに対して可能な限りの支援を続けるしかない。
かくして戦争は長期化・泥沼化の様相を呈しているが、この状況を人為的に打開する余地は極めて少ないのが実情である。』
『タブーなき議論を始め、日本は万全の備えを
日本から遠く離れたウクライナが受けた理不尽な侵略は、日本にも多くの課題を突き付けた。
まず指摘すべきは、欧州情勢を見るうえでの日本の視点の偏りである。欧州においてはかねてから、ロシアの脅威を声高に叫ぶポーランドやバルト諸国などと、ロシアとの経済的相互依存を深め、そのためにはロシアへの宥和も厭わないドイツやフランスなどとの間に、無視できない認識ギャップが存在していた。
しかし結局のところ、ロシア・欧州の経済関係の強化がロシアの武力行使を思いとどまらせることはなく、ポーランドやバルト諸国の懸念が的中した形となった。06年のリトビネンコ事件(※1)や18年のスクリパリ事件(※2)など、自国の領土内で数多くのロシアによる蛮行を経験していた英国も、厳しい対ロシア姿勢を長年とり続けてきた。
※1:英国に亡命した元ロシア情報機関員のリトビネンコ氏が放射性物質ポロニウムで殺害された事件
※2:英国に亡命した元ロシア軍情報機関大佐のスクリパリ氏とその娘が神経剤ノビチョクで襲撃された事件
欧州内部に確実に存在していたロシア懸念の声に、日本はどこまで耳を傾けていただろうか。むしろ、北方領土の返還を含めてロシアに非現実的な期待を抱き、日本が見たいロシア像だけを見ていたのではなかったか。プーチン政権が一度占領した他国の領土を返還することなどあり得ないことは、08年のロシア・ジョージア戦争や、14年のロシアによるクリミアの違法な占領などの事例からも明らかである。
この悲惨な戦争は、日本がロシアに対するこれまでの過剰な期待や幻想を断ち切り、ロシアの実像を改めて理解することができるか否かをも突き付けている。後述するように、主要7カ国(G7)の結束を大前提としながら、冷静かつ抜本的な対ロシア政策の見直しを日本がどこまで進めることができるのかが問われている。
この戦争が日本に突き付けたいまひとつの重要な教訓は、侵略を試みる国を完全になくすことは不可能であるという現実である。戦争を起こさないための外交交渉が重要であることは言うまでもない。侵攻開始前、フランスのマクロン大統領は連日のようにプーチン大統領に電話をかけ、毎回数時間にわたって侵攻を思いとどまるよう説得したとされる。
またウクライナ政府も侵攻直前までに、北大西洋条約機構(NATO)への加盟は断念する意向を、外交ルートでクレムリンに伝えていたという。しかし、いかに外交努力を尽くしても、ひとたび軍事的手段を用いて目標を達成することを決意した大国─とりわけ核大国─の意思と行動を変えるには限界があることを、この戦争は露呈したのである。
そうである以上、最悪の事態ーーとりわけ、隣国からの武力による現状変更ーーの可能性を常に想定し、タブー抜きの議論をし、万全の備えを目指す以外に日本のとるべき道はない。その際、ウクライナにおける出来事を常にわが身に置き換えて捉えることが肝要となる。
ウクライナが現在、国土の約20%をロシアに占領されていることはすでに述べたが、そのウクライナに「占領された領土を全て取り戻すことなどできないのだから、諦めてロシアとの停戦交渉を優先してはどうか」と諭す声が日本では絶えない。しかし国土の約20%といえば、日本では九州よりも広い地域が他国の支配下に入るに等しい。そのような状況で領土の「切り捨て」を外国から促されて、納得する日本人がどれほどいるだろうか。
有事に直面した際、日本はどのように対処するのか、死守しなればならないラインをどこに引くのか、真剣な議論を開始すべき時である。
侵略を受けたウクライナから学ぶばかりではない。
今年1月、ドイツは戦車レオパルト2をウクライナに提供することを決定しただけでなく、他の諸国がレオパルト2をウクライナに供与することも、製造国として許可することに踏み切った。この問題を巡ってショルツ首相が逡巡を続ける中、ウクライナだけでなく、ポーランドやフィンランドなどのレオパルト2提供に積極的な諸国はドイツへの批判を強めた。こうした「決められないドイツ」の姿を揶揄するかのような空気は、日本にも確実に存在していたのではなかったか。
しかし、戦車の提供(ないし提供許可)は、ウクライナにおける戦況を大きく変化させる引き金となり得るだけでなく、ドイツとロシアとの関係を決定的に悪化させる可能性をはらんでいた。ドイツの逡巡は、その立場に立てば十分に理解できることである。
ドイツのショルツ首相は逡巡の末、ウクライナへの戦車供与に踏み切った(REUTERS/AFLO)
仮に日本がこのような重大な転機に直面した場合、日本は冷静に議論し、決定を導き出すことができるのか。場合によっては、ドイツとは比べものにならないほどの右往左往が発生するのではないか。あるいはそうした決定を行わない場合、日本は国際社会に対し、日本としての考え方を十分かつ説得的に説明できるのか。ドイツの事例は、日本にとっても全く他人事ではないのである。』
『G7議長国の日本、問われる覚悟と実行力
日本は今年1月から1年間、G7議長国を務める。国内の関心は、5月に広島で開催されるサミットの成否に集まっており、ゼレンスキー大統領もオンラインで招かれるという。しかし、G7議長国としての日本の役割はサミット開催にとどまるものでない。日本は1年間にわたってウクライナ支援と、ロシアによるウクライナ侵攻を原因とするグローバルなダメージの修復に取り組む必要がある。
とりわけ、ウクライナからの穀物輸出がロシアによって阻害されていることから生じたグローバル食糧危機や、エネルギー不足および価格高騰への対処などが急務となる。こうした危機は豊かな諸国と貧しい諸国との分断を進めかねないばかりか、ロシアが穀物やエネルギーを「武器化」して発展途上諸国の窮状に付け込む余地を与えかねない。
現にロシアメディアは、米欧諸国からエネルギーを「奪われ」、米欧による対ロシア制裁の「犠牲になった」発展途上諸国に対し、ロシアが救いの手を差し伸べているとのイメージを盛んに喧伝している。このように板挟みとなったグローバルサウス(南半球を中心とする途上国)をいかに包摂できるか、日本のイニシアチブが問われている。
日本がG7議長国である期間中にロシアの侵略が終わりを迎える可能性は、残念ながら大きくはないだろう。そうである以上、日本の果たし得る役割は、「戦争が続く限りウクライナを支援する」というG7の原則(22年6月のG7サミット)を率先して守り続けることに他ならない。
それは支援諸国をまとめ上げ、グローバルサウスに目配りをしながら、おそらくこれまで以上の苦境に直面するウクライナを支え続けることを意味する。その併走努力を地道に継続することを通じてこそ、有事に際しての日本の危機意識と対処能力もまた、磨かれていくのであろう。』