侵攻直後のロシア軍の大失態、なぜ起きたのか 56キロの車列が動けず
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64755894




『2023年2月24日
クレア・プレス、スヴィトラナ・リベット、BBCワールド・サービス&BBCウクライナ・サービス、キーウ
A civilian north of Kyiv points to where Russian forces destroyed his home
画像提供, BBC / Claire Jude Press
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ウクライナ・キーウ北郊の住民。ロシア軍に自宅を破壊されたと言う
ロシアがウクライナに侵攻して3日目、同国北部で15キロ半にわたって続く長大な装甲車の列ができ、人工衛星がそれを捉えた。同じ日の朝、キーウ郊外のブチャではウォロディミル・シェルビニンさん(67)がスーパーの前に立っていると、ロシアの軍用車両100台以上がなだれ込んできた。シェルビニンさんも人工衛星も、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の迅速かつ圧倒的な勝利の計画に関して、その重要部分の目撃者となった。そして、その失敗の目撃者にもなった。
西側メディアはこれを「車列」と呼んだ。実際には交通渋滞であり、戦術的な大失態だった。この最初の衛星写真が撮られてから48時間後の2022年2月28日には、車両の列は56キロという途方もない長さに伸びていた。車両の停滞は何週間も続いた。ついには後退を決めると、一夜にして消え去ったようだった。
いったい何が起きたのか。これほど大規模の部隊はなぜ、キーウに到達できなかったのか。
BBCのチームは、数十人の目撃者に話を聞いた。軍関係者、国内外の情報機関員、民間人、退役軍人、領土防衛隊員など、車列を見た人たちだ。さらに、ロシアの地図と文書にアクセスし、計画の実態と、見事なまでに失敗した理由を明らかにした。
動画説明,
人工衛星が捉えた昨年の侵攻開始直後のロシア軍の車列の動画 ©2022マクサー・テクノロジーズ
Presentational white space
最初の数時間
物語は、戦争の初日、ウクライナ北部のベラルーシ国境付近から始まる。
ウクライナ第80独立空中強襲旅団のウラジスラフさん(23)は、その日最初のタバコを吸いに外に出た。すると夜空に明るい光が飛び交うのが見えた。
「森全体から光が発していたのを覚えている。最初は車のヘッドライトかと思った。でもすぐにグラート(ロシア軍の自走多連装ロケット砲)だと分かった。こっちに向けて撃っていた」
ウラジスラフさんの部隊は、チョルノービリ(チェルノブイリ)原発の立ち入り禁止区域の森の奥深くでキャンプを張っていた。ロシアの車両が最初にウクライナに侵入したとき、部隊はパトロール中だった。
「地面全体が揺れていた。戦車に乗ったことはあるか? あんな音は他にない。すごい迫力だ」
侵攻された場合の計画どおり、第80独立空中強襲旅団は、チョルノービリと隣の大きな町イヴァンキフを結ぶ橋を爆破した。
ロシア軍は代わりの浮き橋の建設に時間を取られることとなった。その間に、ウラジスラフさんらの部隊はキーウに引き返した。
「なぜチョルノービリで(ロシア軍を)止めないのかと、最初は驚いた。でも、敵のことを知る必要があった。それでそうした」
ベラルーシ国境が近かったため、ウクライナは新たな紛争を発生させないよう発砲を控えた。まず優先すべきはロシアの戦法を理解することであり、それから部隊を戦線に展開させることになっていた。
プーチン氏のマスタープラン
ウラジスラフさんが目にしたのは、ロシア軍の車列を形成することになる最初の車両だった。
ウクライナ軍によると、全長56キロにわたったこの隊列は、ロシアの10のロシア大隊戦術群によるものだった。これは当時の多くのメディアの報道とは異なる。
ロシア軍はウクライナの東部と南部でも攻撃を繰り広げたが、この10戦術群の任務は明確だった。ベラルーシからウクライナに入り、ウクライナの首都を転覆させ、政府を排除する――というものだった。軍事用語でいう「首切り攻撃」だ。
BBCが確認したロシアの文書には、この計画の時刻表が書かれている。最初の大隊は2月24日午前4時にウクライナに入り、午後2時55分までにキーウに到着するよう命じられていた。
大隊の一部は、キーウ北郊のホストメルまで前進し、空港の確保のために空から入った部隊を支援することになっていた。
その他はキーウ中心部に直行する予定だった。
Luibov Demydiv (R), a pensioner from Demydiv, points on the map to where she saw the convoy circling after a bridge was destroyed, stopping their advance
画像提供, BBC / Claire Jude Press
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デミディウで年金生活を送っているルイボフ・デミディウさん(右)は、ロシア軍の車列が前進できなくなった地点を地図で示した
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この侵攻は2つの要素に大きく依存していた。保秘とスピードだ。
イギリスの安全保障関連のシンクタンク、王立防衛安全保障研究所(RUSI)によれば、キーウへの攻撃計画を秘密にすることで、ロシア兵は同市北部でウクライナ軍を12対1の比率で圧倒できた。
しかし、プーチン氏の秘密主義は代償を伴った。保秘が非常にうまくいったため、大半の指揮官ですら侵攻の24時間前まで命令を受け取らなかった。
これにより、戦術レベルではロシア軍はもろい立場に置かれた。食料も燃料も地図もなかった。適切な通信手段もなかった。弾薬は不足していた。冬の寒さへの備えさえ不十分だった。
雪の中で不適切なタイヤを装着したロシア軍の車両は、泥の中へと突っ込んだ。イワンキウ近郊の住民らによると、ロシア兵らはウクライナの農民たちに対し、戦車を泥から出すのを手伝うよう求めたという。
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前進できなくなったロシア軍の車両は、軟弱地盤を避け、舗装道路へと回り道を強いられた。何千もの車両が1つの列を作ることになった。
しかし、大隊同士の通信が限られていたため、すぐに大渋滞が発生した。
現場の軍事専門家は、「敵地に長い車列で入り込むなどありえない。絶対にだ」と話した。
目撃者の証言やウクライナ軍の情報をもとに、BBCは昨年の侵攻開始から3月末までの車列を地図化した。各車両は野原の横断を避けたため、キーウ北部のほとんどの主要道路を埋め尽くした。
russian convoy route
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隊列の総延長が56キロに及んだころには、最大で戦車1000台、機械化歩兵車両2400台、兵士1万人が並んでいた。さらに、食料や燃料、石油、弾薬を積んだ補給トラック数十台も加わっていた。
キーウの北で停滞し、食料と燃料が不足するなか、ロシア軍は敵そのものも過小評価していた。
結束して抵抗
前出のシェルビニンさんと仲間のボランティアたち(大半は年金生活者)は3日間、自分たちの町ブチャに車列が進入してくるのに備えていた。
12人につき1丁の機関銃で武装し、全ての道路標識を取り外し、検問所を作り、火炎瓶を何百も用意した。
そして、2月27日(日)の朝、ついにロシア軍の戦車が町へ入ってきた。
Maksym (L) Volodymyr (C) and ‘the colonel’ (R) stand in front of their bombed out office for local volunteers
画像提供, BBC / Claire Jude Press
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マクシム・シュコロパルさん(左)、ウォロディミル・シェルビニンさん(中)ら地域のボランティアたち。ロシア軍に爆撃されたボランティア事務所の前で
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シェルビニンさんらの草の根部隊は30分近く、なけなしの戦力で戦車を打ちのめした。
「2台に火をつけ、車列全体を減速させた」とシェルビニンさんは言う。
だがその後、報復があった。
「私たちが火炎瓶を投げているのを見て、ロシア軍は撃ってきた」とマクシム・シュコロパルさん(30)は言う。「私はバーテンダーだった。軍隊の訓練は全く受けていなかった」。
30分後、シェルビニンさんの仲間は全員撃たれ、病院へと運ばれた。
シェルビニンさんは病室からも戦い続けた。キーウ全域の住民らから車列の目撃情報を入手し、それを照合してウクライナ当局に連絡した。
電話の向こうにいたのは、イルピンの副首長ロマン・ポホリリイさん(23)だった。
Lawyer and councillor by day, Roman searches for Russian posts on social media by night.
画像提供, BBC / Claire Jude Press
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ロマン・ポホリリイさんは日中は弁護士や議員の仕事をし、夜間にソーシャルメディアなどでロシア軍の情報を収集している
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彼は3日間一睡もしなかったと、BBCに話した。
「私と同僚は議会事務局でホットラインを担当していた。隊列に関する電話や、車列が通るために地面に印をつけていた工作員たちについて連絡を受けていた」
ポホリリイさんは昼は議員だが、夜はオープンソース・インテリジェンスの専門家に変身する。共同設立したウェブサイト「DeepState」で、ソーシャルメディアと情報機関の情報を収集。それらを地理的に特定し、高い評価を受けている同サイトに掲載している。
「ロシア人はキーウに向かう途中、ソーシャルメディアに動画を投稿していた。私たちはそれを再投稿し、動向を明らかにした。向こうは注目を集めようとしてやっていたが、そのために打ちのめされることになった」
キーウが攻撃された時に最も重要だったのは、ウクライナが一つに結束したという感覚だったとポホリリイさんは言う。
Ukrainian volunteers distributing food
画像提供, BBC / Claire Jude Press
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食料を配るウクライナのボランティアたち
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「誰もが何かをしていた。たしかに最初の数日はとても慌ただしかった。でも、退役軍人たちが住民らを助けていた。みんな自分の街を守りたいと思っていた」
キーウ州各地の町や村で、手製の武器で武装した市民たちや機械化歩兵、大砲などが、ロシア軍の車列を激しく攻撃した。
時代遅れの戦術
ウクライナ側とは対照的に、ロシア軍は繰り返し、戦場でダイナミックな決断ができないことを露呈させた。
第80旅団のウラディスラフさんは、「ロシアはみな、『機密』と書かれた大きな金属の箱を運んでいた」と語る。
「待ち伏せて襲撃した時、そのうちのひとつを押収したところ、すべての経路に印が付いている地図が出てきた。この後、我々はロシアの全戦術を知った」
ロシアのナビツールもひどく時代遅れだった。侵攻開始から1年の間、BBCがたびたび発見したロシア軍が置き去りにした地図の中には、1960年代や1970年代のものもあった。現存する町がまるごと、ロシア軍が使っていた地図に載っていない場合もあった。また、部隊間でのやりとりとしてはほぼ時代遅れといえる手旗信号も見つけた。
ウクライナ抵抗部隊が成功した戦術のひとつに、車列の前方にある橋やダムを爆破し、経路を変えさせるというものがあった。古い地図に頼り、司令部への報告手段が限られる中、ロシアの部隊はたびたび、決定できずに立ち往生した。
ロシア軍の車両が円を描いて走っている様子をとらえた人工衛星画像もある。
Maxar satellite image of the convoy
画像提供, Maxar Technologies 2022
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米マクサーの人口衛星画像では、ロシアの車列が迷走しているさまがうかがえる
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占領
ウクライナの空からの攻撃と砲撃の中、ロシアの車列は最終的に、キーウ市境のすぐ外側で停止した。立ち往生した部隊の傍に住んでいた数千人の住民にとって、この時の体験は恐ろしいものだった。
「あらゆるところからあらゆるものを盗んだ。店を空っぽにして」と、ウラディスラフさんは語った。
「それから民間人を、人間の盾に使った」
キーウ北部と西部の多くの村や町での出来事については、国際刑事裁判所(ICC)を含む多くの当局によって現在も調査されている。
長い4週間の後、ロシア軍はやっと撤退を始めた。
残されていた大隊のうち2つは、ホストメリ空港の近くで敗北した。このほか、おそらくズヴィジウカの村に取り残されていた幌付き軍用トラック370台も、砲撃によって破壊された。
ウクライナ軍は3月19日まで車列を押し返し続け、その後はロシア軍がキーウ州から撤退を始めた。
A graveyard of Russian vehicles from the convoy piled high in Hostomel
画像提供, BBC / Claire Jude Press
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ホストメリで高く積み上げられたロシア軍の車両の残骸
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ロシアは現在も、東部の工業地域ドンバスに、南部ではヘルソンやザポリッジャへの侵攻を続けている。
キーウに新たな攻撃が仕掛けられるとの憶測がある半面、ベラルーシ国境にロシア軍が大量に群を配備している様子はなく、専門家の大半はその可能性は低いとみている。
それでもウクライナの新兵たちは、偵察ドローンで国境近くを監視している。
「チョルノービリでの夜をいつまでも覚えているだろう」とウラディスラフさんは語る。
「友人とたばこを吸いに外に出た。でもたばこを吸い終えるころには戦争が始まっていた」
「友人と私にはこんな夢がある。あの日と同じようにシフトに入り、またたばこを吸っていると、戦争が終わっと、私たちは勝ったのだという知らせを聞くんだ」
協力:スラワ・シャルモウィチ、マーカス・バックリー、マイケル・ウェラン、アリスター・トンプソン、アレンとティム・コーイー
(英語記事 How Russia’s 35-mile armoured convoy ended in failure) 』