中国気球撃墜と習近平式「未来の軍隊」の危うい関係
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK120UX0S3A210C2000000/
『北米空域で繰り返し起きている気球などの撃墜が世界的に大きな話題になっている。米領空を侵犯した60メートル大の巨大気球は撃墜され、米側が残骸を回収した。この巨大気球に限っては中国政府が「自国の民用無人飛行船で気象観測用」と確認し、撃墜に強く抗議している。
実のところ米中の激しい軍事的なつば競り合いの焦点は、米国付近だけではない。アジアの安全保障関係者らは、極めて重要な視点として、中国の「未来の軍隊…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り3653文字
すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料 https://www.nikkei.com/r123/?ak=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXZQODK120UX0S3A210C2000000&n_cid=DSPRM1AR07 』
『アジアの安全保障関係者らは、極めて重要な視点として、中国の「未来の軍隊」と南シナ海での米軍の攻防に関わる実態を明かす。
「(中央軍事委員会主席の)習近平(シー・ジンピン)の大号令で新たに編成された『未来の軍隊』が、最重点地域として、まず監視・警戒、情報収集していたのは南シナ海だ」
「南シナ海での米中の対峙には『気球』も大きく関係していた。これが今の米中間の気球問題にもつながっている」
今回の気球撃墜事件に至る経緯を考えるうえで示唆に富む指摘である。
5日、米南部サウスカロライナ州沖で、偵察気球の残骸を回収する米海軍の爆発物処理班(米海軍提供)=共同
折しも米第7艦隊は、気球問題で世界が騒然としていたさなかの11日に米空母ニミッツ、強襲揚陸艦などの艦隊、海兵隊などが南シナ海で合同演習を実施したと発表した。米海軍は、南シナ海で継続的に訓練を続けているのだ。
南シナ海から北米へ、進化する気球
これに絡む問題は、およそ2年前となる2021年初め、南シナ海で起きていた出来事だ。米空母セオドア・ルーズベルトなどの艦隊が「航行の自由」作戦をした際、南シナ海で既に複数の拠点を築いていた中国側も「対抗措置」をとった。
「それは(中国)軍が直接、運用する、より軍事色の強い『偵察気球』による超高空からの監視・情報収集だった。もちろん米艦隊側も探知しただろう」
南シナ海で演習する米空母ニミッツ(米第7艦隊ホームページから)
南シナ海は、中国南部に位置する海南島の南側に広がっている。中国にとって海南島は空母、潜水艦、航空機、ロケットなど海、空、ロケット各軍の重要な軍事拠点となってきた。
01年には海南島付近の南シナ海上空で、米中の軍用機が衝突し、大きな国際問題に発展した。海南島には、中国の重要な衛星発射施設もある。ここに、先に紹介した「未来の軍隊」が大きく関係している。
「未来の軍隊」とは、15年の中国人民解放軍の大再編で新たに誕生した「戦略支援部隊」を指す。長い間、その真の任務が何なのか謎に包まれていた。その中で中国側が16年に半ば公式に示唆したのが、共産党機関紙である人民日報の国際情報紙、環球時報の電子版などが触れた説明である。
戦略支援部隊は3つの部門・機能で構成されていると読みとれる。
(1)ハッキングに備えるインターネット軍=(防御主体の)サイバー戦部隊
(2)偵察衛星や、中国が独自に構築した衛星ナビゲーションシステム「北斗」を管轄する宇宙戦部隊
(3)敵のレーダーシステム・通信をかく乱する(攻撃性の強い)電子戦部隊
残骸を回収した米側が既に断定した「中国の偵察気球」は、通信傍受などに関係するとみられるアンテナなどを備えていたという。仮に搭載機器が、中国紙が自ら言及した機能と関係しているなら、米側が強く反応するのは当然だ。
注目したいのは(2)である。偵察衛星を巡っては、南シナ海沿岸なら海南島の文昌に衛星打ち上げ基地がある。この周辺に戦略支援部隊の拠点が存在することは、中国のインターネット上に同部隊が要員を募集する公告を出している事実からも確認できる。
大卒以上ではなく、高卒、専門学校卒の募集もあり、比較的、低レベルのIT(情報技術)関連の任務を担う人材も集めている。驚くのは、一般の民間企業とさほど変わらない若手人材を堂々と募集していることだ。
「超限戦」実現する戦略支援部隊と偵察気球
これは機密などではない。戦略支援部隊は、まさに習の肝煎りで進めてきた「軍民融合」という大方針を体現する模範的な組織でもあるのだ。習自身も16年8月29日、新設した戦略支援部隊の視察に訪れ、大きく報道された。
「戦略支援部隊」を視察し、幹部一人一人と握手する習近平国家主席(2016年8月29日、国営中国中央テレビの映像から)
戦略支援部隊の創設に至る歴史をひもとくと1999年に遡る。中国軍幹部が発表した『超限戦』と題した論文が示す政治、経済、文化、思想、心理など社会に関わる全要素を非軍事戦力として動員する考え方が、その基本にある。
よく知られるのが、世論戦、心理戦、法律戦を合わせた「三戦」の概念である。万一、台湾有事の際には、サイバー戦部隊が台湾世論に影響を及ぼそうと心理戦を仕掛ける可能性がある。これが米側の見立てだ。確かにその兆候は昨年、当時の米下院議長、ペロシの台湾訪問の際に垣間見えた。
撃墜された中国の気球について、中国政府が気象観測が目的と説明したのには一定の根拠がある。「民用」という断言を除けば、ウソとは言えない。共産党政権下の中国でロケット打ち上げの成否、ミサイル発射・着弾の精度、砲撃の効果に絡む気象は、軍管轄のイメージが強い。
そもそも中国では「軍事気象工作管理規定」という厳格な法規などによって、軍事に関係する気象問題は、習をトップとする中央軍事委員会が担うと明確に規定されている。軍の大再編以降は、その任務を戦略支援部隊が担っていると考えられる。
南シナ海で中国が埋め立てにより築いた基地をイメージした絵画では、中国戦闘機が上空を飛ぶ(2019年、中国内の展示)
「大型ハイテク気球の運用も、軍の重要任務のひとつであるのは常識で、南シナ海周辺で(関係各国の船舶などに)目撃されてきた」という。
「台湾有事」という最近の話題に先立ち、長く大問題であり続けたのが南シナ海だったのだ。16年までに中国は南シナ海で埋め立てによる大規模な人工島造成をほぼ終えていた。
16年の中国側の戦略支援部隊に関する説明から既に7年。今回、米領空に侵入してしまったのは、超大型に進化を遂げた中国の言うところの「民用無人飛行船」だったのである。
センサーなど多領域の測定が可能な機器類を搭載した気球は、名目上、軍民両用だ。だが、安保に関わる各国の専門家らは「(軍民両用とされる)これも戦略支援部隊が背後で運用に関わっている」とみている。
日本や米国でこの3年余り、相次ぎ発見された気球は、海南島、内モンゴルなど中国各地に点在する衛星発射拠点の付近から、戦略支援部隊が関係する枠組みで飛ばされたとの見方も多い。
中国の空母「遼寧」から発進する戦闘機を描いた絵画(中国内の展示から)
内モンゴルの衛星発射拠点は、一番近い都市だった甘粛省の地名である酒泉を使い、「酒泉衛星発射センター」と呼ばれる。ところが実際の所在地は、内モンゴル自治区最西部のアルシャー盟のエジン旗だ。1970年、ここから中国初の人工衛星「東方紅1号」が打ち上げられた。
もし酒泉衛星発射センター付近から気球が飛ばされて超高空に至り、偏西風のジェット気流に乗れば、容易に日本上空から、アラスカ、カナダ、米国に到達できる。これは春先に黄土高原から西日本、そして日本全国に到達する「黄砂」のルートでもある。
このほか四川、山西、山東各省にも衛星発射センターがある。これら「五大発射センター」と呼ばれるいずれの施設付近から出発しても、気球が目視された宮城県仙台、青森県八戸、小笠原諸島父島、鹿児島県鹿児島などに達することが可能だ。例えば海南島と日本各地を結んだ場合、途中で必ず台湾上空を経由するのも興味深い。
古くは旧日本軍も第2次大戦中、焼夷(しょうい)弾などをぶら下げた気球を多数、米国に飛ばし、実際に火災を引き起こした実例があった。戦後、通称「風船爆弾」と呼ばれるようになる気球爆弾である。学徒まで動員して製造された兵器は、時限式で降下する仕組みだった。
第1号は1944年、千葉県九十九里から放たれ、その後、各地から9000発超が飛び立った。戦争中の米国は気球爆弾による被害について厳格な報道管制を敷いたため、日本側は戦術の効果を確かめる手段がなく、途中で中止してしまったといういわく付きだ。
無人が誘発しかねない偶発衝突
今回、一連の動きで明らかになった危うい事実がある。無人の気球、そして今後、有人の戦闘機にとって代わって軍事的な主役に躍り出るであろうハイテク化された無人機が、米中の偶発的な衝突を誘発する危険性である。
専門的な訓練を受けた軍人が搭乗していないため、どうしても安易な運用になりがちだ。相手国からは、かなり挑発的にみえてしまう。中国は、無人で、かつ撃墜が難しい超高空を飛ぶという安心感から、深い考えもなく世界ナンバーワンの軍事大国、米国の領空に気球を侵入させた可能性もある。
仮にミスであっても侵入時点で直ちに米側に通告する行動さえとっていない。これに関連し、中国外務省は13日、昨年来、米国の気球が10回以上、許可なく中国領空に侵入したと突然、発表した。現時点では真偽不明だが、米政府は直ちに全面否定した。このほか中国は山東省の沖合に正体不明の物体が飛来しているとも発表している。
いずれにせよ、偶発的な衝突の危険性は、例に挙げた南シナ海での米空母と中国の偵察気球の対峙、そして台湾の周辺でも同じだ。米中両国は、世界に厄災をもたらす偶発衝突を避けるため、あらゆる努力をする義務がある。
それが22年11月の習と米大統領、バイデンが初めて直接、長々と会談した意義だったはずだ。近くドイツで中国外交トップ、王毅(ワン・イー)と、訪中を延期した米国務長官、ブリンケンが顔を会わせる可能性ある。緊張緩和に向けた本音の意思疎通に期待したい。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。 』