中国「偵察気球」問題の伏線は仙台に、日本揺さぶる撃墜

中国「偵察気球」問題の伏線は仙台に、日本揺さぶる撃墜
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK050QT0V00C23A2000000/

『まさか、子供の頃に見て恐ろしさを覚えた思い出があるUFO(未確認飛行物体)なのだろうか……。

心が騒いだのは、朝の出勤途中のことだった。日本の安全保障にとって重要な自衛隊関連施設も多い東北地方の宮城県。その中核都市、仙台市にある宮城県庁近くから、ふと空を見上げた。梅雨入りしたうっとうしい季節には珍しく、完璧に晴れ渡った真っ青な天空だったからだ。

何かおかしい。そこに真っ白な見慣れない風船が浮かん…

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『何かおかしい。そこに真っ白な見慣れない風船が浮かんでいる。いや、風船のはずがない。目をこらすと、超高空をまん丸い物体が、南西から北東にゆったり移動してゆく。距離から推し量ると、かなり大きい。

これは2020年6月17日、仙台在住の市民が目撃した謎の白い球体の鮮明な記憶である。その頃、日本は初期の新型コロナウイルス禍と、東京五輪の延期などでざわついていた。地方での「UFO」目撃談などは、全国的に大きな話題にはならなかった。

自衛隊施設の集積地付近を航行

目撃者は、まさか、球体を巡る「真相」が、3年後の今になって明らかになるとは思わなかったという。しかも、米全軍の最高指揮官である大統領、バイデン(80)の命令によって米軍が誇る最新鋭ステルス戦闘機F22が出撃し、そのミサイルで撃墜されるなんて。米国での中国気球撃墜の伏線は、仙台にあったかもしれないのだ。

中国の巨大気球をミサイルで撃ち落としたのは米軍のF22戦闘機だった=ロイター

米東海岸の大西洋上空で破壊された白い球体。「それはバス3台分もの大きさだった」。米メディアは米政府関係者の話としてこう伝えている。下部にはソーラーパネルのような板状構造物がぶら下がり、海に落下していった。付属プロペラを使った移動も可能という。米北方軍司令官のバンハークは6日、気球の高さは約60メートルで、小型ジェット機大の機材を搭載し、機材の重さが900キログラムを超えるとの分析を示した。

3年前の仙台での目撃談によると、肉眼では、球体にぶら下がる構造物をはっきり確認できなかった。だが宮城県警が警戒のために飛ばしたヘリコプターからの目視や、仙台市天文台などによる撮影写真からは、白い球体から下がる十字型の構造物とソーラーパネルのようなもの、くるくる回る2基のプロペラなどが確認できたという。

多くの仙台市民らは、地元メディアの報道で大きく取り扱われた異形の真っ白な飛行球体をしっかり覚えている。確かに今回の撃墜で世界的話題になった「中国の偵察気球」と似ている。

球体は偏西風のジェット気流にも乗りながら南西から仙台上空にやってきた。20年6月17日は、早朝から宮城県内を北東方向に長い時間、ゆっくり飛行し、最後は太平洋側に消えていった。見逃せないのは、宮城県内の飛行ルート付近には自衛隊の重要施設が複数あった事実だ。

宮城県庁から東5キロメートルには、2011年3月11日の東日本大震災の際、被災者救援活動の指揮拠点になった陸上自衛隊東北方面総監部がある。同15キロメートルには陸自多賀城駐屯地、そして東北東40キロメートルにはブルーインパルスで有名な航空自衛隊松島基地。後ろ2つは、いずれも甚大な津波被害を受けた。

撃墜され、落下する中国の気球(4日、米サウスカロライナ州沖)=ロイター
考えてみれば、今回の米国での球体撃墜では、それを「気球」と呼んでいるから、要らぬ誤解を生む。バス3台分もの大きさがあれば、我々がイメージする優雅でふわふわした観光用などの気球ではない。立派な中小型の飛行船なのだ。

これが米領空を侵犯し、何日間も上空を飛行すれば、米国民が身構えるのは当然である。中国の公式発表も民用の無人飛行船だ。ぶら下がる構造物には十分な面積がある。安保関係者は「特殊カメラ、通信施設、計測器など様々な物を載せることも可能」と指摘する。

宮城県知事の村井嘉浩(62)は陸自出身で、かつてヘリコプターパイロットとして東北方面航空隊(仙台霞目駐屯地)に勤務していた。その経験で培われた感覚は一定の参考になるため、6日の宮城県庁での記者会見のやりとりをQ&A形式で紹介する。

Q:米国(で撃ち落とされた問題)の気球は3年前、宮城で発見された気球との関連があるのか?

A:県としては(気球の所属を)調べようがなかったので、「正体不明」ということになった。中国のものかは今も分からない。ただ今回、米国であのような事案があったので、同じ事案が発生したときには、速やかに国に連絡をして対策を求めたい。

Q:当時は国や防衛省に調査を依頼したのか?

A:宮城県として何らかの申し入れをしたことはない。

Q:(県警がヘリを飛ばすなどした)3年前の調査は、あれが限界だったということか?
A:そうだ。県としては限界だった。

Q:米国と日本の対応が全く違う。3年前の日本の対応をどう考えるか?

A:安全なものかも不明で、もしかしたら放射能を含むかもしれないと考えると、しっかり追尾をし、正体不明であれば、しっかりと調べるということは、今後必要になるかもしれない。しかし県には権限がない。国の方で考えてほしい。

Q:3年前のものと今回の米国の気球は似ていると思うか?

A:実際、(捕獲したりして詳細に)調べたわけではないが、似ていると言われれば、確かに似ている気がする。

早急に具体的な対処法検討を

知事の発言はあくまで慎重だ。しかし「確かに似ている気がする」という最後の言葉と、複数の目撃談を合わせると、かなり似ているのは明らかだ。米国での撃墜は、日本にとってひとごとではない。仙台での目撃証言を思い起こしても、日本政府は深刻に受け止めるべきだ。

宮城県の村井嘉浩知事(1月18日、仙台空港)

米政府が言及する軍事目的を持つ「偵察気球」かどうかの断定は、今後の調査結果を待たねばならない。だが、少なくとも、今後も起こりうる同様の事案にどう対処するか、日本政府として早急かつ具体的に検討する必要がある。

20年6月17日の仙台での目撃について当時、官房長官だった菅義偉は翌日の記者会見で、敵意を持つ他国からの物体であることを否定した上で、「必要な警戒監視は行っている」と述べるにとどめた。米国で撃墜事件が起きた今から振り返ると、再考し、修正すべき内容にみえる。

中国では、基本的に共産党があらゆる組織をコントロールしている。「(航空・宇宙、通信、気象観測など)安全保障に関係する部門に、純粋な民間など存在しない」。中国での経験が長い日中外交筋の指摘である。必ず共産党・政府の関与があるのが常識だ。

例えば、中国版GPSである衛星測位ナビゲーションシステム「北斗」の管理・運用は形式上、軍が直接行っているわけではない。だが最も重要な用途は、通信や軍用機、軍艦、公船の誘導など軍事・安保用であるのは間違いない。これは、深刻な米中間の安保上の対立、技術覇権争いの最前線に立つシステムだ。

中国当局が、55基目の衛星打ち上げによって「北斗」の完成を宣言したのは、20年6月23日だった。関係性はまるで不明とはいえ、日本領空である仙台上空で謎の球体が目撃された6日後のことだった。

中国建国70年の記念式典で、人民解放軍を閲兵する習近平国家主席(2019年10月1日、北京)=新華社・共同

国家主席の習近平(シー・ジンピン、69)もトップに就いてから一貫して軍事技術と民用技術の一体開発と運用を意味する「軍民融合」の旗を振っている。17年の第19回共産党大会からは、軍民融合を明確に掲げたプロジェクトが様々な分野で大々的に進められてきた。

仮に今回の飛行船が気象観測を主体にしていたとしても、軍事施設が点在する米上空で様々な機器を駆使して情報を集めていたなら、軍事目的への転用の可能性は十分ある。それが習が命じた軍民融合の意味なのだから。

中国も自国の「無人飛行船」である事実は認めた。ただ軍用ではなく、民用と強調しただけだ。民用という表現は、中国軍に直接、所属している飛行船ではない、という意味にすぎない。

ブリンケン訪中直前、謎の挑発の意味

それにしても、ひとつ大きな疑問が残る。今回の米領空侵犯は、米国務長官、ブリンケン(60)が予定していた訪中直前に起きた。習がブリンケンと面会する予定も固まったという西側メディア報道もあった。

記者会見するブリンケン米国務長官(3日、ワシントン)=ロイター

対米関係で緊張緩和を探るのは、習の意向に沿った中国外務省の大方針でもあったのだ。では、なぜそのタイミングで米国を挑発するチグハグな対応になったのか。中国の安保に詳しい人物の分析はこうだ。

「(中国軍など)安保を担う部門は、(中国外務省が)外交的に発信する対外的な緊張緩和のサインなどと全く無関係に、敵側の出方を試す『試探』と呼ばれる行動を定期的にとってきた。それはトップを含む最高指導部から直接、強い中止命令が出ない限り、各部門の判断で随時、実行される。今回もその可能性がある」

こう考えれば、仙台での目撃談の前後から、似た飛行球体が日米などで延々と発見されてきた謎が解ける。今回もその流れで実行されたにすぎないのかもしれない。中国トップは、安保関係部門の全ての行動を把握し、命令・指示しているわけではない。

日本周辺での中国艦船、公船の目立つ航行でも似たチグハグな「挑発」が度々起きる。これも、あらかじめ決まっている方針に従っているだけだ。具体的にどのような行動をとるか現場で判断されることも多い。

記者の質問に答えるバイデン米大統領(4日)=ロイター

バイデンの命令で中国飛行船が撃墜された結果、早期に米中関係の緊張緩和が実現する道は閉ざされた。それでも米中のパイプが全て切れたわけではない。できるだけ早い時期に双方が話し合いのテーブルに着くことが、米中両国と交流を持つ日本を含む各国の利益にもなる。

その日はいつ来るのか。そもそも、いかなる理由があろうと、自国の飛行船を米領空に侵入させてしまった中国側が米政府に抗議するのは筋違いだ。ここは無用なメンツを捨てて、まず真摯に謝罪するのが先決だろう。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部部次長、東日本大震災特別取材班統括デスクなどを歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員件論説委員。14年度ボーン・上だ記念国際記者賞受賞。』