アングロサクソン・モデルの本質

アングロサクソン・モデルの本質
https://1000ya.isis.ne.jp/1366.html

 ※ 松岡正剛という人の、「千夜千冊」という「書評サイト」における書評だ。

 ※ この本、前々から読みたいと思っていた…。

 ※ 身辺が、やや落ち着いてきたんで、久々で「紙の本」だが、最近購入した。
   とっくに絶版になっているんで、古本でしか、手に入らない。
   なるべく「良品」を購入したかったんで、探したら、けっこうな値段した…。

 ※ しかし、ちょっと、期待した内容とは違っていた…。
   「アングロサクソン・モデル」という語から想像していたものは、もっと「社会システム全般」「政治システム」「思考の枠組み」みたいな内容だったんだが…。

 ※ ここで言っている「アングロサクソン・モデル」とは、英米系の「グローバル企業」における、「企業の利益獲得モデル」の話しだった。

 ※ まあ、「アングロサクソンの資本主義モデル」くらいには、広がっているが…。

『なぜイギリスに世界資本主義が集中して確立し、
そこからアングロサクソン・モデルが
世界中に広まっていったのか。

英国型コモンローと大陸型ローマ法の違い、

エクイティやコーポレート・ガバナンスの違い、

とりわけアメリカ的株主主権型資本主義との違いなど、

いろいろ考えなければならないことがある。

 数年前、ぼくは『世界と日本のまちがい』(その後『国家と「私」の行方』春秋社)のなかで、イギリスを悪者扱いした。イギリス人が嫌いなのではない。ジェントル然としながらもシャカリキにしゃべるところ、オックスブリッジの学究力、コッドピース(股袋)を発明するところ、エスティームでエスクワイアーなところ、男色やギャラントな性質を隠さないところ、大英博物館が自慢なところ、そのほかあれこれ。付き合うかぎりは、むしろ喧しいフランス人や無礼なアメリカ人よりずっと好ましく思っているほうなのだが、そういうこととはべつに、歴史にひそむ「イギリス問題」を看過してはまずいと思ってきたからだ。

 この本には「自由と国家と資本主義」というサブタイトルをつけた。それは、ヨーロッパにおける都市国家・王権国家・領主国家・植民地国家などと続いてきた「国家」の歴史が、近代においてネーション・ステート(国民国家)に向かったところで、その隆盛とともに「自由」と「資本主義」をいささか怪しいものにしたと言わざるをえないからだ。

 ぼくがそのことに関する「まちがい」をどのように描いたかは、あらためて読んでもらうこととして、さて、この「イギリス問題」を現代資本主義のしくみのほうから見たときに、しばしば「アングロサクソン・モデルの問題」というふうに議論されてきたことを、今夜は考えたい。いったいアングロサクソン・モデルって何なのか。むろんイングリッシュ・モデルということだが、ではそれって「イギリス問題」なのかどうか、そこを本書に追ってみた。著者は一橋大とロンドンビジネススクールをへて、野村総研のワシントン支店長やNRIヨーロッパ社長を務めたのち、法政大学で教鞭をとっている。

 イギリスがイギリスになったのは、ヘンリー8世がルターの宗教改革に反対し、とはいえローマ教会のカトリックの支配にもがまんがならず、一挙に英国国教会という独自路線を打ち立てたとき、それからエリザベス女王と東インド会社が世界資本主義のセンター機能をアムステルダムからロンドンに移したときからである。このときイギリスは「アングリカニズム」の国になった。大陸ヨーロッパとは袂を分かち、あきらかにブリティッシュ・ナショナリズムに立ったのだ。ナショナリズムとは自国主義のことをいう。これはカトリックの普遍主義(ユニバーサリズム)とはずいぶん違う。

 その後、イギリスはクロムウェルのピューリタン革命を通してピューリタニズムを生んだかに見えたのだが、それは「エミグレ」(移住者)とともに新大陸アメリカに渡り、いささか姿と信条を変えてアメリカン・プロテスタンティズムになっていった。そのどこかであきらかに資本主義とピューリタニズムあるいはプロテスタンティズムが結びつき、イギリスには「コンフォーミズム」(順応主義・承服主義)が残った。歴史的には、それらの前期資本主義・国教会・ピューリタニズムを含んで、アングロサクソン・モデルがつくられていったはずなのである。

 本書でアングロサクソン・モデルと言っているのは、むろん英米型の資本主義のモデルのことを言う。いまではまとめて「株主資本主義」とか「新自由主義的資本主義」と呼ぶか、もしくはそれをイギリス型のアングロサクソン・モデルとアメリカ的でWASP型のアングロアメリカン・モデルとに分けるのだが、本書では一括されている。

 この見方そのものは新しくない。旧聞に属する。しかし旧聞に属したモデルから出発してそのヴァージョンを説明したほうがわかりやすいこともある。本書はその立場をとる。英米のアングロサクソン・モデルとしての株主資本主義、ドイツの社会民主主義的な銀行資本主義、フランスのエリート率先型の国家資本主義、日本の経営者従業員平均型の資本主義というふうに、とりあえず出発点を分けるのだ。

 古典派経済学は、自由市場原理(マーケット・メカニズム)によって、個人と自由と社会のつながりがほどよく鼎立すると考えた。そう考えることで、たとえ個人が利益追求をしても「見えざる手」のはたらきによって経済社会は相互的な向上を生むという確信を樹立できた。

 ところが20世紀に入って2つの大戦を経過し、そこに政治と企業と大衆と個人の分離がいろいろ生じてくると「個人の自由」と「社会の連帯」とが合致しなくなってきた。そのうち、政治のほうがこのどちらかを重視するようになった。

 市場と「個人の自由」を連動させて重視したのは、その後は市場原理主義とも新保守主義ともよばれている「新自由主義」(neo-liberalism)である。新自由主義は、もともとイギリスのコモンローの伝統やそれを補正するエクイティ(道徳的衡平)の考え方にひそんでいたイデオロギーやスタイルを生かし、これをマーガレット・サッチャー時代に強化したものだ。

 これに対して、市場の力をなんとか「社会の連帯」に結びつけようとしたのが「社会民主主義」(social democracy)で、こちらは大陸ヨーロッパに普及していたローマ法などの伝統にもとづいてラインラント型に組み立てられ、ドイツを中心に労使共同決定スタイルをもってヨーロッパ大陸に広まっていった。

 これらのうちのイギリス型がアメリカに移行して、WASP的な資本主義となり、もっぱら株主重視の強力な自由市場的資本主義になったわけである。しかし、なぜそんなふうになったのかということをリクツをたてて説明しようとすると、これが意外に難問なのだ。アメリカ人が「人生は深刻だが、希望もある」と言うのに対して、イギリス人は「人生には希望はないが、それほど深刻でもない」と言いたがるといった程度の説明では、あまりにも足りない。

 アングロサクソンという民族は一様ではない。源流は大きくはゲルマン民族に入るし、イングランドに渡ったアングル人とサクソン人は最初は別々だった。

 アングル人はその後にイングランドの語源になり、サクソン人のほうもサセックスとかエセックスといった地名として各地に残った。エセックスは「東のサクソン王国」、ウェセックスが「西のサクソン王国」である。ウェセックス王国の首都がウィンチェスターで、9世紀にそのエグバート王がそれまでの七王国を統一し、イングランドの最初の覇権を樹立して、それをアルフレッド大王が仕上げていった。

 しかし、それでイギリスという原型ができたわけではない。1066年に北フランスのノルマンディー公ウィリアム1世がヘースティングズに上陸してイングランドを征服し、ロンドンを拠点に中央集権を敷いて、ここに多民族を配下とした「ドゥームズデー・ブック」(土地台帳)にもとづく封建制を施行したとき、やっとイギリスの原型が誕生し、ここからコモンローの伝統が育まれていった。このあたりのことは、『情報の歴史を読む』(NTT出版)にも書いておいた。

 その後、エリザベス時代やヘンリー8世時代をへて、大英帝国の規範としてのイギリスがしだいに形成されていった。そのわかりやすい頂点は、ナポレオンがヨーロッパ中を戦争に巻き込んだときイギリスがこれに抵抗し、ナポレオンもまた大陸封鎖によってイギリスを孤立化させようとしたことにあらわれた。

 以上のように、イギリスは大陸ヨーロッパとの関係で大英帝国になっていったわけだが、当然、その内的歴史にもアングロサクソン・モデルの胚胎があったとも言わなければならない。その大きな下敷きにコモンロー(commonlaw)がある。

 コモンローは、中世イングランドの慣習法にもとづいて積み重ねられていった法体系である。教会法に対して世俗法の意味で、こう呼ばれるようになった。

 イングランド王国を征服したウィリアム1世が「ドゥームズデー・ブック」によってイギリスの土地と人間のつながりをまとめていったとき、税金が確実に王国の金庫に納付されているかどうかをチェックするための大蔵省(Exchequer)が設置され、納税事務とともに民法や刑法にあたる管轄権をもった。

 これを背景に、12世紀に国王裁判所(Royal Justice)が生まれ、巡回裁判(travelling justice)の制度が確立した。不法行為法、不動産法、刑法などの封建制の基幹をなす諸法がこうして整えられていった。この巡回裁判によってあまねく浸透していったのがコモンローなのである。

 そこにはほぼ同時に、「信託」(trust)や「エクイティ」(equity)の概念が芽生え、そのまま定着していった。コモンローは成文法ではない。制定法ではない。国王をも律する「王国の一般的慣習」としての判例の集合体である。そこには権威によって書かれた文書(法典)はない。

 なぜそのようなコモンローがアングロサクソン・モデルの基本となったのか。なぜコモンローがローマ法やカノン法の継受を必要としなかったのか。3つの理由がある。

 第一には、ノルマン人によるイングランド統一以降、国王裁判所が巡回的に全土に判例を積み重ねていったため、国内の地方特有の規則や法が淘汰されていったことだ。これが多民族多言語の大陸系のヨーロッパにあっては、ローマ法などを導入して成文的統一をはかるしかなかった。

 第二には、法律家はすべて法曹学院(Inns of Court)という強力な法曹ギルドによってかためられていた。イギリスの法モデルは、大学でローマ法を学んだ者が管理するのではなく、法曹学院の成果をその出身者たちが管理するものなのだ。いまでもイギリスのロースクールは大学とは独立していて、バリスターとよばれる法廷弁護士が所属する法曹団体(Bar Council)がこれをサポートしている。

 第三には、そうした封建制がくずれて近代化が始まったのちも、大法官府裁判所がコモンローを補完するエクイティ(衡平法)という体系を接合してしまったからだった。以降、アングロサクソン・モデルはコモンローとエクイティの両輪によって資本主義ルールを確立することになっていく。

 アングロサクソン・モデルにおけるコモンローとエクイティの役割は、まことに独特だ。コモンローが支配的ではあっても、会社法・為替手形法・商品販売法といった制定法(statute law)はその後に次々に加えられていった。

 これを促進したのは「最大多数の最大幸福」を説いたジェレミー・ベンサムで、コモンローだけではあまりに合理的な解決が得られないことを批判したためだ。1875年に裁判所法がコモンローとエクイティの統合をはかったのが、その大きな転換だった。それでも、包括的な家族法、相続法、契約法、民事訴訟法などはいまなおコモンローの判例にもとづいている。

 こういう変成的なことがアングロサクソン・モデルに入りうるのは、イギリスの議院内閣制では行政府と立法府はほぼ一体になっていて、意外にも三権分立が必ずしも確立していないせいでもあろう。イギリスの議会は与党内閣の政策意思を受けて、なかば受動的に立法機能をはたしていることが多いのだ。それゆえ、内閣の意思に反して党籍を除名されれば、その議員が日本の政治家のように、政党を変えて再選に臨むなどということはまずおこらない。イギリスの政治家は党籍剥奪とともに政治生命をおえる。日本にはイギリス的な意味での本格的な政党政治家はほとんどいないと言っていい。

 では、「エクイティ」とは何なのかというと、ここでもちょっとした歴史認識が必要になる。

 今日のアメリカ型の株主資本主義では、株式のことをエクイティとかエクイティ・キャピタルと言い、株主資本をシェアホルダーズ・エクイティと言っている。けれどももともとのエクイティの意味とは衡平法から生まれた「信託」のことだった。

 エクイティという言葉も、委託者(受益者)の権利を公平に守るという意味から生まれた新概念なのである。14世紀には明確な意味をもちはじめ、ヘンリー8世の1535年に信託法(ユース法)が確立すると、大法官が「エクイティによる救済」を施すようになって、その判例がしだいに集合してエクイティの概念を普及させた。コモンローが基本的な決め事の本文(code)だとすれば、エクイティは付属文書(supplement)にあたるもの、ざっとはそのような価値観の関係だと見ていい。

 こうしてイギリスに、法律上の所有権(legal ownership)と、土地などの所有権(equitable ownership)とを区別する、汎用的なエクイティの考え方が浸透し、これがその後の株式会社における有限責任制の保護や、さらにはアングロサクソン・モデルにおける経営者の株主に対する受託者責任の重視につながっていった。

 すでによく知られているように、アングロサクソン・モデルにおいては、法人化された株式会社(共同出資企業)では、経営者(取締役と執行役員)は受託者で、会社と株主の利益に対しての忠実義務(duty of loyalty)と注意義務(duty of care)を負っている。そのぶん、広範な裁量権(執行権限)も与えられている。今日の取締役や役員の行動基準はここから発してきたものなので、ここから受託者が委託者(株主)に説明する(account for)という、いわゆる「説明責任」(accountability)も生まれた。

 こういうことはすべてコモンローとエクイティの考え方から派生したものだった。しかし、そんなことはイギリス人の自分勝手だったのである。

 以上のような特異なアングロサクソン・モデルの基本を理解するには、いったん、それとはいささか異なる大陸ヨーロッパ型の資本主義がどのようなものであるかを知っておいたほうがいい。

 そもそも「ヨーロッパ」という概念は、今日のEUに見られるごとく、地域や民族や人種や言語の実体をあらわしてはいない。古代ギリシア、ローマ帝国、ガリア地方、フランク王国、ライン川諸国(ラインラント)、イベリア半島勢力その他の、さまざまな社会経済文化が離合集散する共同体群が、あるときローマ・カトリック教会によって“統一体としてのひとつの規範”をもったことから、「ヨーロッパ」という超共同体が認識されてきたものだった。

 なかで、大陸ヨーロッパで法的な規範として重視されていったのが「ローマ法」である。風土も慣習も言語も異なる複数民族のヨーロッパ社会では、これらを統括する法典が必要だったからだった。そこはイングランドとは決定的に違っていた。いや、イングランドが変わっていた。

 たとえばドイツだが、ドイツは神聖ローマ帝国の昔から連邦制の分権国家群として成り立っていた。それが19世紀まで続いた。なぜそうなったかというと、有名な話だろうが、次のような変遷があった。

 962年にザクセン朝のオット11世が神聖ローマ帝国皇帝として戴冠したとき、いったんローマ・カトリック教会の世俗社会に対する権威が失われた。それまではキリスト教の聖職者が王国内部の大公や伯を牽制し、その力が王国ガバナンスの要訣となっていたのが崩されたのだ。しかし11世紀になって、ローマ・カトリック教会は中央集権的な教会体制を再構築し、教会の司祭職の叙任権を奪回する試みに出た。

 この叙任権問題をめぐっては激しいやりとりがあった。挙句、ローマ法王グレゴリウス7世がドイツ国王ハインリッヒ4世を破門し、1077年にハインリッヒ4世がイタリアのカノッサで法王の許しを乞うことになった。これが教科書にも有名な「カノッサの屈辱」だが、これを機会にローマ・カトリック教会はゲルマン系の諸国家を布教するにあたって、諸侯には自治権を、庶民には生活上の自由を認めるようにした。

 こうしたことがしだいにヨーロッパ各地におけるローマ法の定着を促した。加えてこの事情のなかで、そのころ成立しつつあった大学の教職者たちがローマ法を研究し、その影響をその地にもたらすという制度ができあがっていった。ドイツでは大学の教科書こそが法律になったのだ。イギリスが法曹団体によって外側から法をコントロールしたこととは、ここが大いに異なっている。

 ヨーロッパの資本主義は、12世紀の銀行業の確立から14世紀の小切手の利用や複式簿記の実験をへて、15世紀にはほぼその前提的全容が姿をあらわしていた。いわゆる商業資本主義の世界前史にあたる。

 この史的世界システムとしての資本主義が産業革命を促し、やがて強度のアングロサクソン・モデルと軟度のドイツ・イタリア型とアメリカ型などに分化していったことについては、また、それとは別に日本モデルやブリックス・モデルが登場してきたことについては、ましてそのおおもとのアングロサクソン・モデルがいったんサッチャリズムやレーガノミックスでそれなりの絶頂期を迎えながら、どうにも不具合を生じてしまったことについては、アナール派以降の説明でもウォーラーステインの説明でも必ずしも充分なものになっていない。

 そうなのだ、アングロサクソン・モデルはしばしば限界状況をきたし、それをそのたびなんとかくぐり抜けてきたというべきなのである。それがついにはエンロン事件やリーマン・ショックにまで至ったのだ。

 古い歴史の話はともかくとして、その後の現代資本主義における「イギリス問題」を見てみても、アングロサクソン・モデルがしばしば限界状況をきたすということは、決してめずらしいことではなかった。たとえば多国籍企業の時代でも、70年代から80年代にかけてのスタグフレーション(景気停滞とインフレの同時進行)の時代でも、もっと言うなら大恐慌の時代でも、そういう症状はあらわれていた。

 それらの症状が90年代以降は、たんにディレギュレーション(規制緩和)とリストラクチャリング(事業再編)とグローバリゼーション(経済管理の標準化)によって、乗り越えられようとしていたか、あるいはごまかされていたとも言えるわけである。ということは、ディレギュレーションとリストラクチャリングとグローバリゼーションの掛け声は、アングロサクソン・モデルの“ぼろ隠し”だったとも言えるわけだった。

 1993年に書かれたハムデン=ターナーとトロンペナールスの話題の書『七つの資本主義』(日本経済新聞社)には、資本主義をめぐる七つの対立が明示されていた。古くなった見方もあるが、いまなお参考になる対比点もあり、本書も踏襲しているので、あらためて掲示しておく。

①普遍主義(universal)と個別主義(particular)

 カトリックとプロテスタントに普遍主義があった。ラテン系やアジア諸国は経済的には個別主義を重視する。このいずれをもグローバリズムが覆ったのだが、その一方では地域ごとの普遍主義と個別主義の抵抗に遇った。

②分解主義(analytic rational)と総合主義(synthetic intuitive)

 要素に分解したがるのが分解主義である。つまりはスペシフィック(関与特定的 〈specific〉)にものごとを見たり、アンバンドル(切り離す)しながら事態を進めたりする。証券化のプロセスで、要素価値とリスクをアンバンドルするのがその例だ。総合主義は統合したがり、バンドルしたがりだが、ときに関与拡散(diffuse)になる。ネットワーク主義がこの傾向をもつ。

③個人主義(individualistic)と共同体主義(communitarian)

 個人主義はアングロサクソン・モデルの根底にある。ドイツ・イタリア・日本は共同体的であろうとすることが多い。このあたりのこと、エマニュエル・トッドの研究がある。しかし、ここでいう共同体主義(コミュニタリアニズム)については、いまはかなり深化し、また多様になっている。

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エマニュエル・トッド著『新ヨーロッパ大全Ⅰ』より作成

遺産相続に際して財産が平等に分配されるかどうかによって①と②に分類し、
さらに、大家族制度が支配的か、各家族制度が支配的かによって③と④に分けている。
こうして欧州諸国を4つのタイプに分類したもの。

④自己基準(inner directed)と外部基準(outer directed)

 アングロサクソン・モデルは株主や企業が自己基準をもってコーポレート・ガバナンスとコンプライアンスに当たることを前提とし、アジア型企業の多くは状況判断や社会変化に対応しようとする傾向をもつ。

⑤連続的時間(sequential)と同時的時間(synchronic)

 野球やアメフトはシークエンシャルに時間秩序が整っているスポーツゲームで、サッカーやラグビーはシンクロニックなゲームである。連続時間的な価値観は継続事業的な判断(going concern)をし、たとえばM&Aにおいても、M(merger)は合併によって新会社を設立する一方、A(acquisition)によって株式の一部取得を通して事業を継続させるという方法をとる。同時間主義はドイツや日本の徒弟制や、マンガ制作やアニメスタジオに顕著だ。

⑥獲得主義(achievemental)と生得主義(ascriptive)

 フランスではエリート養成学校グランゼコールの同窓生、なかでもENA(国立行政学院)の卒業生が高級官僚から天下って民間会社の経営者となり、政財界を牛耳ってきた。日本ならば東大法科にあたる。これが獲得主義だ。一方、生得主義は生まれながらの才能をどう伸ばすかという方向になっていった。

⑦平等主義(egalitarian)と権威主義(hierarchical)

 とくに説明するまでもないだろうが、これにタテ型とヨコ型が交差するとややこしい。たとえばフランスやドイツはヨコ型権威主義、スペインやシンガポールはタテ型平等主義の傾向がある。

 これらの対比特色のうち、アングロサクソン・モデルがどこを吸着し、何を発揮していったかというと、たとえば「分業」の思想や「株主重視」の発想は分解主義と個人主義がもたらした。「複利」の発想は連続時間的価値観から生まれた。株主資本主義は分解主義がもたらしたのである。一方、アメリカ型は保守もリベラルも自己基準的なので、集団に奉仕しながらも、個人がその集団に埋もれてしまうのを嫌うため、プロテスタントな自立性を組織的に求めようとしていく。

 これに対してドイツや日本は同時間主義的で、状況的な外部基準をおろそかにしないので、ついつい労使共同決定的になっていった。ドイツや日本にいまでも多数の中小企業群(Mittelstand)があって、それぞれが専門技術やノウハウをもって食品から自動車までを支えているのは、かつてはそれぞれのハウスバンクが機能していたせいだ。いいかえれば、ドイツや日本では、労使共同的であるから経営の透明性や説明の明示性が劣り、そのかわりに親方日の丸や業務提携が発達したということになる。逆にアングロサクソン・モデルでは、事態と機能を分解したのだから、それならつねに経営者や担当者の説明責任(アカウンタビリティ)が求められるわけである。

 こういった特色があるということは、アングロサクソン・モデルにおける「会社という法人」が、きわめて擬制的であるということを物語っている。ハイエクやフリードマンを擁したシカゴ学派などでは、会社というものははなはだフィクショナルなもので、取引関係者相互の「契約の束」(nexus)にすぎないという見解さえまかり通っていた。
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ハムデンターナーとトロンペナールス著『七つの資本主義』より

 アングロサクソン・モデルがつくりあげたしくみのなかで、無節操に世界に広がり、はしなくも価値の毀誉褒貶が激しく、最も説明がつかなくなったものがある。それは何か。会社ではない。議会や政府でもない。貨幣や通貨というものだ。

 そもそも社会は物々交換の経済をもって始まった。そこでは互酬的で互恵的な交換が通例になっていた。そこに、共同体ごとに原始的な貨幣が使われるようになった。それでもそれらはいわば「内部貨幣」であったのだが、やがてそのような貨幣に「交換手段」(medium of exchange)と「計算単位」(unit of account)があらわれてきた。そうなると、人々の異時点あるいは異地点のあいだでの消費と支払いのズレを、貨幣がしだいに保証するようになり、そのうち貨幣に「貯蔵手段」(store of value)が派生した。
 それだけならまだしも、生産に従事する労働の対価を貨幣で支払うようになって、貨幣は「もの」にくっついて動くだけではなく、「ひと」にくっついて労働や生活にも所属することになった。こうして貨幣は法律や言語に匹敵するパワーの象徴になっていったのである。

 そうした貨幣の本質をどのように議論するかということは、とんでもなく難しい。これまでもその議論をぞんぶんに組み立てたという思想はきわめて少ない。近々、ゲオルグ・ジンメルの『貨幣の哲学』(白水社)などを通して、そのあたりを千夜千冊したいと思うのだが、それはそれとして、今夜は、今日の貨幣の問題で、次のことについて言及しておかなければならないだろう。

 第一には、貨幣は地球上のいろいろな場所で発行され、使用されてきたにもかかわらず、これを通貨とし、世界通貨として金などの金属価値から切り離して不換紙幣にしてしまったのは、ひとえにイギリスとアメリカの事情によっていたということ、つまりはアングロサクソン・モデルがもたらした出来事だったということだ。明治日本が列強に伍するために「円」をつくらされたのも、イギリスの画策だった。

 第二に、今日の貨幣は政府と銀行などの「取り決め」(agreement)によってのみ、その価値が裏付けられているにすぎないということだ。これを「貨幣法制説」というのだが、そのことによってだけ、ポンドやドルや円や元やフランという「国民通貨」が成り立っているわけである。

 この国民通貨には、現金通貨と預金通貨があるのだけれど、今日ではそのいずれもが「信用通貨」とみなされている。信用通貨というのは銀行の債務としての銀行信用によって裏付けられているという意味である。これは、通貨は銀行の与信行為によって生まれ、それが同時に銀行にとっての負債に相当するということを意味する。

 第三には、貨幣が利子を生むようになったということだ。この習慣が本格的に生じたのは、イギリスが三十年戦争後のウェストファリア条約以降、国家が保有していた通貨発行権を民間銀行に委譲したことからおこった。戦費を調達するためである。このとき例のジョン・ローが大活躍したということについては、1293夜のミルクス・ウェイトらの『株式会社』(ランダムハウス講談社)でも詳しく述べた。問題は、そのとき、国家が戦費調達の代償として国債を発行し、それを銀行に引き受けさせることの見返りに、通貨発行権とともに利子を付ける権利を認めたということなのだ。

 ちなみに、この利子をこそ問題にしたのがシルビオ・ゲゼルの自由貨幣論やイスラーム経済というもので、いまでも独特の経済価値論を発揮しつづけているので、これについてもいずれ千夜千冊したいと思っている。

 第四に、通貨は世界資本主義システムが進展するなかで、しだいに為替相場と密接な関係をもつようになり、やがて固定相場制から変動相場制に移行したとき、一方では「基軸通貨」の思想をもたらし、他方では「無からつくる通貨」(fiat money)の可能性を開いてしまったということだ。

 そして第五に、ここが今夜の一番の眼目になるのだろうが、通貨の歴史は、株式が「擬似貨幣」の役割を担うことを許したということである。エクイティの発想は、ここからは金本位制でも不換紙幣制でもなく、株式本位制としての資本主義に達したということなのだ。株式は計算単位としての役割をもちえないにもかかわらず、その他のありとあらゆるパワーを吸収することができるようになったのだった。

 株式は国民通貨ではないし、銀行の負債でもない。また確定的な利子も付かない。それなのに現代の資本制は名状しがたい情報価値の評価の変動を媒介に、現代貨幣の本質である「無からつくる通貨」の可能性をもってしまったのである。

 ここにこそ、アングロサクソン・モデルがつくりだした最も強力で最も理不尽な「株式資本主義」と「市場原理型資本主義」の特徴があらわれていた。

 とりあえずの結論ではあるが、ぼくとしては以上のような見方がいいと思っている。日本のビジネスマンは、そろそろアングロサクソン・モデルに代わるモデルを構想するか、もしくはエクイティの英米的ロジックに明るくなるべきなのである。

【参考情報】
(1)本書の著者の渡辺亮は一橋大学とロンドン・ビジネススクールの出身。野村総研で企業財務調査、為替予測、アメリカ経済予測に携わったのち、ワシントン支店長をへて、ヨーロッパ社長となっている。1999年、いちよし経済研究所の社長となり、2002年からは法政大学経済学部教授になった。『ワシントン・ゲーム』(TBSブリタニカ)、『英国の復活・日本の挫折』(ダイヤモンド社)、『改革の欧州に学ぶ』(中公新書)などの著書がある。

 本書はテーマが章立てで分けられているわりに、さまざまに重複していて、実はそこがおもしろい。本来なら未整理な原稿ということにもなるのだが、それがかえってネステッドな解説の複合性を発揮したのだ。これは「ケガの功名」なのだけれど、ときに読書にはこういう僥倖をもたらすことがあるものなのである。

(2)本書に先行する本も後追いする本もいろいろある。先行例としてはハムデンターナーとトロンペナールスの『七つの資本主義』(日本経済新聞社)、ミシェル・アルベールの『資本主義対資本主義』(竹内書店新社)、ブルーノ・アマーブルの『五つの資本主義』(藤原書店)、ピーター・ドラッカーの『ポスト資本主義社会』(ダイヤモンド社)などが有名だ。後攻例はいくらでもあるから省くけれど、たとえばアラン・ケネディの『株式資本主義の誤算』(ダイヤモンド社)などはどうか。

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2010年6月11日

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1363夜 フェルナン・ブローデル 物質文明・経済・資本主義
1362夜 グレゴリー・クラーク 10万年の世界経済史
1364夜 イマニュエル・ウォーラーステイン 史的システムとしての資本主義
0231夜 戸板康二 あの人この人
1355夜 エマニュエル・トッド 経済幻想
1337夜 フリードリヒ・ハイエク 市場・知識・自由
1338夜 ミルトン・フリードマン 資本主義と自由
1293夜 ジョン・ミクルスウェイト&エイドリアン・ウールドリッジ 株式会社

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ヘンリー8世
クロムウェル
ジョン・ロー
フェルナン・ブローデル
ジョン・ミクルスウェイト
アルフォンス・トロペンナールス
チャールズ・ハムデンターナー

アングロサクソン・モデルの本質―株主資本主義のカルチャー 貨幣としての株式、法律、言語

ダイヤモンド社
七つの資本主義―現代企業の比較経営論

日本経済新聞社
資本主義対資本主義―フランスから世界に広がる 21世紀への大論争

竹内書店新社
五つの資本主義―グローバリズム時代における社会経済システムの多様性

藤原書店
ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか

ダイヤモンド社
株主資本主義の誤算―短期の利益追求が会社を衰退させる

ダイヤモンド社
画像

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【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(2月1日の動き)

【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(2月1日の動き)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230201/k10013961491000.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻が続いています。

ウクライナの各地でロシア軍とウクライナ軍が戦闘を続けていて、大勢の市民が国外へ避難しています。戦闘の状況や関係各国の外交など、ウクライナ情勢をめぐる2月1日(日本時間)の動きを随時更新でお伝えします。

(日本とウクライナは7時間、ロシアのモスクワとは6時間の時差があります)

ウクライナ東部 ロシア軍が部隊前進か

ウクライナでは、東部ドネツク州でウクライナ側の拠点のひとつバフムトに加え、州都の南西に位置するウフレダル周辺でもロシア軍が部隊を前進させたとみられ、激しい戦闘が続いています。

フランス 自走式りゅう弾砲「カエサル」を追加支援

フランスのルコルニュ国防相とウクライナのレズニコフ国防相が31日、パリで会談し、フランスがウクライナに最新鋭の自走式りゅう弾砲「カエサル」を12門、追加で供与することで合意しました。

両国は、フランス軍の兵士150人をポーランドに派遣し、毎月600人のウクライナ軍の兵士に訓練を行うことや、夏までにフランス国内で2000人のウクライナ軍の兵士に訓練を行うことなどでも合意しました。

また、ウクライナ軍のパイロットにフランス製の戦闘機の操縦訓練を行うことについても意見を交わしたということです。

会談のあとの記者会見で、ルコルニュ国防相は、ウクライナに戦闘機を供与するかどうか質問されたのに対し「タブーはない」と応じました。

また、レズニコフ国防相は、フランスが先月、装甲車の供与を発表したことに関連し「それは投げられた雪玉が雪崩を引き起こしたかのようだった」と述べ、フランスの支援の表明が各国による戦車の供与などの支援表明を後押ししたと指摘しました。

ロシア ラブロフ外相 米国務長官からメッセージ受け取る

ロシアのラブロフ外相は31日、首都モスクワを訪問したエジプトのシュクリ外相との会談後、記者会見を行い、シュクリ外相からアメリカのブリンケン国務長官のメッセージを受け取ったことを明らかにしました。

シュクリ外相は前日の30日、エジプトの首都カイロでブリンケン長官と会談していました。

ラブロフ外相は詳細は明らかにしませんでしたが「ロシアは現状を包括的に解決する目的の真剣な提案であればいつでも耳を傾ける用意がある。受け取ったメッセージは『ロシアは止めるべきだ』『ロシアは立ち去らねばならない』といった内容だった」と批判しました。
ウクライナ外相「第1弾として戦車120~140両受け取る」

ウクライナのクレバ外相は31日、公開した動画で「第1弾として、最新型の欧米の戦車120から140両を受け取る」と述べました。

この中にはドイツ製の戦車「レオパルト2」のほかイギリスの「チャレンジャー2」、それにアメリカの「エイブラムス」が含まれるということです。

クレバ外相は「フランス製戦車『ルクレール』の供与にも大いに期待している」としています。

また、クレバ外相は戦車の供与に加わるのは正式決定に至っていない国も含め12か国に上るという見通しを示し「参加国を増やすとともに、すでに表明した国から供与される数を増やすよう取り組みを続けている」と述べ軍事支援の拡大に向けて働きかけを続ける考えを示しました。

ロシア 欧米戦車破壊に「報奨金」も

欧米の各国がウクライナに対し戦車の供与を相次いで表明する中、ロシアでは、戦車を破壊した兵士に多額の報奨金を出すと表明する企業などが出ています。

原油の採掘用機材メーカーは、ドイツ製の「レオパルト2」やアメリカの主力戦車「エイブラムス」を最初に破壊するか捕獲した兵士らに500万ルーブル、日本円にしておよそ920万円の報奨金を出すとホームページで公表しました。

2番目以降でも、同様の成果をあげた兵士らには、50万ルーブル、およそ92万円を出すとしています。

ロシアの統計庁によりますと、ロシアの1か月あたりの平均賃金は、去年(2022年)11月の時点でおよそ6万3000ルーブル、日本円でおよそ12万円で、今回の報奨金はそれを大きく上回ります。

複数のロシアメディアは、極東のザバイカル地方の知事も同じように多額の報奨金を出すと表明したと伝えていて、欧米がウクライナに軍事支援を行う中、ロシア側の兵士の士気を高めるねらいもあると見られます。

ウクライナ五輪委 “パリ五輪ボイコットの可能性” 本格協議へ

ウクライナのオリンピック委員会は、ロシアとベラルーシの選手の国際大会への復帰が許可された場合、来年のパリオリンピックをボイコットする可能性について各競技の国際競技連盟と本格的に協議を始める方針であることが分かりました。

これは、ウクライナオリンピック委員会が今月26日付けで各競技の国際競技連盟に対して送った書簡の中で明らかにしたものです。

この中で、ウクライナオリンピック委員会はIOC=国際オリンピック委員会がウクライナへの軍事侵攻で国際大会から除外されているロシアとベラルーシの選手について条件付きでの復帰を検討すると発表したことに対し、「ロシアとベラルーシのオリンピック委員会は完全に両国政府の支配下にあり、ロシアの多くのオリンピアンがウクライナへ侵攻している政府の行動を公然と支持している。これはオリンピック憲章の団結の原則に反し、どんな大会への参加も禁止されるべきだ」と批判しています。

そのうえで、「ウクライナオリンピック委員会は各国際競技連盟とパリオリンピックをボイコットする可能性について協議を始める決定を下した」としています。

IOCはロシアとベラルーシの選手の復帰を検討する理由として「いかなる選手もパスポートを理由に参加が妨げられてはならない」としていて、復帰の条件として国を代表しない中立の立場とすることや積極的に軍事侵攻を支持するなど平和に反する行動をとっていないことなどを挙げています。』

米ブリンケン国務長官 イスラエルによる入植地拡大に反対強調

米ブリンケン国務長官 イスラエルによる入植地拡大に反対強調
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230201/k10013967101000.html

『中東を歴訪中のアメリカのブリンケン国務長官はイスラエルとパレスチナの暴力の応酬に深い懸念を示した上で、ユダヤ人入植地の拡大に強く反対すると強調し、パレスチナに対し強硬なイスラエルのネタニヤフ政権にくぎを刺しました。

イスラエルとパレスチナをめぐっては1月下旬以降、イスラエル軍の作戦でパレスチナ人10人が死亡した一方、東エルサレムにあるユダヤ教の礼拝所ではパレスチナ人による銃撃でイスラエル人7人が死亡し、緊張が高まっています。

中東を訪れているアメリカのブリンケン国務長官はエルサレムで31日、記者会見を行い、暴力の応酬に深い懸念を示した上で「パレスチナとイスラエルの人たちが自由や安全などを平等に享受するという目標を達成するための唯一の方法は、2つの民のための2つの国家だ」と述べ、イスラエルと将来のパレスチナ国家が共存する「2国家共存」への支持を重ねて示しました。

その上で「アメリカは、この目標を遠ざけるものには反対し続ける」と述べ、イスラエルによるユダヤ人入植地の拡大やパレスチナ人に対する退去処分に強く反対すると強調しました。

去年末に発足したイスラエルのネタニヤフ政権は、国際法に違反するユダヤ人入植地の拡大を掲げるなどパレスチナに対し強硬で、ブリンケン長官としてはくぎを刺した形です。』

宮台真司さん襲撃事件 警察が行方を追っていた40代男の死亡を確認

【続報】宮台真司さん襲撃事件 警察が行方を追っていた40代男の死亡を確認
https://www.fnn.jp/articles/-/479403

『社会学者の宮台真司さんが大学で男に首などを切られ重傷を負った事件で、容疑者とみられる40代の男が死亡していたことがわかった。

警察が行方追っていた容疑者とみられる40代男
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社会学者で都立大教授の宮台真司さんは2022年11月29日、東京・八王子市の東京都立大の南大沢キャンパスで男に刃物のようなもので切りつけられ、全治およそ1ヶ月の重傷を負い、切りつけた男は現場から逃走していた。

捜査関係者によると、容疑者とみられる40代の男が事件後に死亡していたことがわかった。
警察が行方追っていた容疑者とみられる40代男

警視庁はこの事件で事件発生から2週間後に公開捜査に切り替え、先週には犯行前後の容疑者の新たな映像を公開し、これまでに300件ほどの情報提供が寄せられていた。』

宮台真司教授襲撃事件 容疑者とみられる男死亡 捜査関係者
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230201/k10013967121000.html

『東京 八王子の東京都立大学で、教授で社会学者の宮台真司さん(63)が刃物で襲われ重傷を負った事件で、容疑者とみられる男が2月1日までに死亡していたことが捜査関係者への取材で分かりました。

去年11月29日、東京 八王子の東京都立大学・南大沢キャンパスで、この大学の教授で社会学者の宮台真司さん(63)が男に刃物で切りつけられ、全治6週間の重傷を負いました。

事件後、犯人について有力な手がかりはなく、宮台さんも男に心当たりがないなどと話していたことから、警視庁は現場周辺の防犯カメラの映像を公開するなどして行方を捜査していました。

捜査関係者によりますと、2月1日までに容疑者とみられる男が死亡していることが分かったということです。

警視庁が詳しいいきさつを調べています。』

黒田清隆は明治の初めに米国を鉄道で横断してみて、鉄道網が整備されていれば鎮台や屯田兵は少なくしてもいいのだと確信できた。

黒田清隆は明治の初めに米国を鉄道で横断してみて、鉄道網が整備されていれば鎮台や屯田兵は少なくしてもいいのだと確信できた。
https://st2019.site/?p=20838

『※黒田清隆は明治の初めに米国を鉄道で横断してみて、鉄道網が整備されていれば鎮台や屯田兵は少なくしてもいいのだと確信できた。

ところが日本の場合、2つの大問題がたちはだかる。ひとつは、本州の策源から満洲・沿海州まで1本の鉄道で連接することができない。途中で「汽船海送区間」と「鉄道空白荒野」「無橋河」がいくつも挟まるのだ。

この条件でプロイセン式の動員速度を実現することは不可能だった。

さらに朝鮮政府も支那政府も、日本軍が満州まで急速にかけつけるための鉄道の敷設や運用に、協力する気が無かった。戦前の時代でも、他国の主権領土内に軍用鉄道を維持することは、どの先進大国にとっても、難題だらけであった。

けっきょく日本は、満洲に達する鉄道を確実に監理するために、朝鮮を併合する必要があり、また満洲事変も起こさねばならなくなった。

しかもそこまでしてもなお、半島や満洲に数個師団を常駐させねばならない負担は、解消されなかったのである。

その戦前の日本の苦労に比べたなら、ウクライナの現状は天国だ。軍用鉄道を敷いてやるから土地を出せといえば、今のウクライナ政府はよろこんで出す。そこに標準軌の複線貨物鉄道を敷いてやれ。これなら日本政府もすぐに協力を約束できるはずだ。

電化の必要はない。機関車はもちろん、ディーゼルに限る。理想的には、ディーゼルで発電する電気機関車だ。これだと客車もつなぎやすいから。

さらにターミナル駅からは、「軽便鉄道」を四通八達させること。その動力は石炭でいい。ハイテクの低公害ボイラーが可能なことを見せつけてやれ。エネルギーを自給できないウクライナの復興は、最も省エネの陸上輸送手段である、鉄道によるべし。』

2022年にウクライナは、西側諸国から「500列車」に積載された武器弾薬を受取った

2022年にウクライナは、西側諸国から「500列車」に積載された武器弾薬を受取った
https://st2019.site/?p=20838

『Defense Express の2023-1-31記事「Ukraine Has Already Received 500 Trains with Weapons and Ammunition Sent by the USA, Western Countries」。
   2022年にウクライナは、西側諸国から「500列車」に積載された武器弾薬を受取ったという。
 うち米国分は141列車。残りは他の諸国の物資だ。
 これは米陸軍の鉄道補給専門家のトッド・エリソン大佐が、鉄道運営の国際年次イベントで語った数値。ポーランドのニュースサイトが報じている。

 米本国から船積みした武器弾薬も、どこかの港で貨物列車に載せかえて、ウクライナ領土まで届けているのである。直接、貨物船でウクライナの港に揚陸したりは、していないのだ。

 ※その前に米本土内で、特定の港まで物資を内陸から延々と移送しなければならない。これにも主に鉄道が使われているはず。

 今日でも、軍事貨物の鉄道輸送には「ディーゼル機関車」による運行が最も信頼ができる。しかし西欧の鉄道はほとんどが電気機関車なので、いざというときに、こころもとない。大佐はそれを強く感じた。

 東欧の鉄道の問題は、ネットワーク密度が薄すぎる。これではNATOが東欧で露軍と対決するときに、大いに困るであろう。必要な軍需品を直ちに最前線へ届けられないのだ。
 げんに、ウクライナ軍へ物資を速くとどけようとしても、鉄道で停滞してしまうのである。

 ポーランドの北東国境へ集中する鉄路が疎なのも大問題だ。
 欧州標準軌の1435ミリ・ゲージと、ソ連規格の1520ミリ・ゲージの混在もまずい。西側圏は1435ミリで統一すべきだ。』

バイラクタルTB2には、多数の米国製部品が使われている

バイラクタルTB2には、多数の米国製部品が使われている
https://st2019.site/?p=20838

『Kelsey D. Atherton 記者による2023-1-30記事「Mass-market military drones have changed the way wars are fought」。

   バイラクタルTB2には、多数の米国製部品が使われていることが残骸調査で分かっている。
 GPS受信機は「Trimble」であった。搭載のモデム/中継無線機は「Viasat」製であった。ガーミン社製の「GNC 255」も載せている。

 オフザシェルフを徹底活用しているから、システム全体がバカ安いのだ。MQ-9 リーパーが2800万ドルなのに対して、TB2は500万ドルである。』

ロシアでクーデター起きる可能性も

ロシアでクーデター起きる可能性も、プーチン氏の元スピーチライターが指摘
https://news.yahoo.co.jp/articles/406d85923d946f2a80be51c721244e35c6608a79

『(CNN) プーチン・ロシア大統領の元スピーチライターで政治アナリストのアッバス・ガリャモフ氏は30日、CNNとのインタビューで、同国に軍事クーデターが起きる可能性も出てきたとの見方を示した。

ガリャモフ氏はロシアの国民感情について、ウクライナでの損失が積み重なり、欧米諸国からの制裁に苦しむなかで、責める相手を探し始めるだろうと指摘した。

「ロシア経済は悪化し、戦争には敗れ、兵士は次々に遺体となって帰国する。国民はますますつらい目に遭い、なぜこんなことになっているのかと、政治の仕組みをみて説明を探そうとする。そして、ロシアが旧態依然の暴君、独裁者に統治されているからだという答えにたどり着くだろう」とプーチン氏を暗に名指しし、「この時点で軍事クーデターの可能性が出てくると思う」と主張した。

国のトップに嫌われ者の大統領が居座り、だれも支持しない戦争のために血を流さなければならないという状況では、クーデターの時期が今後1年以内に来るかもしれないとも語った。

ガリャモフ氏はさらに、プーチン氏は「ウクライナでの勝利がなければ国民との関係が難しくなる」「強くなければ国民に必要とされない」ことから、同氏が戒厳令を出して2024年の大統領選を中止する可能性もあると述べた。』

インドネシアの大統領

インドネシアの大統領
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98

『インドネシアの大統領(インドネシアのだいとうりょう、インドネシア語: Presiden Republik Indonesia)は、インドネシアの元首(大統領)であり、政府の長である。

選出方法

2001年の憲法改正以前は国民協議会によって選出されていたが、2001年の改正憲法で正副大統領のペアを国民が直接選出する方式に改められた(第6A条)[2]。

第6A条第2項では、「総選挙に参加する政党又は政党グループは、総選挙の実施前に、一組の大統領及び副大統領を提案する」とされている。

第3項では「一組の大統領及び副大統領候補は、総選挙において50パーセント以上の票を獲得し、かつ、インドネシアにおける全州の少なくとも半分以上の州において最低20パーセントの票を得た場合に、大統領及び副大統領に任命される」とされ、その要件を満たす候補者ペアがいない場合は第1位・第2位の候補者ペアによる決選投票が行われる(第6A条第4項)[2]。

任期

任期は5年で、再選は1回までとされている(憲法第7条)[2]。1999年の憲法改正以前は再選回数の制限が憲法で規定されておらず、スハルトの32年に及ぶ独裁政権を可能にしていた[3]。

権限

「インドネシア共和国大統領は、憲法に基づく統治権を有する」(憲法第4条第1項)[2]
「大統領は、陸軍、海軍及び空軍の最高司令権を有する」(憲法第10条)[2]
「大統領は、国会の同意を得て、他国への宣戦、講和及び条約締結を行う」(憲法第11条第1項)[2]
「大統領は、非常事態を宣言する」(憲法第12条)[2]
「大統領は大臣を任命及び罷免する」(憲法第17条第2項)[2]
このほか、大使の任命、外国大使の接受、特赦及び復権を与える権利、栄典の授与などが規定されている[2]。

大統領が死亡・辞任や職務遂行不能などで欠けた場合は副大統領が残りの任期を代行する(第8条第1項)が、正副大統領が共に欠けた場合は、外務大臣・内務大臣及び国防大臣が共同で大統領の職務を代行し、3か月以内に、直前の選挙で得票が第1位及び第2位の票を獲得した正副大統領の候補ペアを提示していた政党又は政党連合が大統領及び副大統領候補を推薦し、国民協議会が残りの任期についての大統領及び副大統領を選出する(第8条第3項)[2]。』

「国父」一族の動向に注目 インドネシア大統領選まで1年

「国父」一族の動向に注目 インドネシア大統領選まで1年
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023013100673&g=int

『【ジャカルタ時事】2024年2月に予定されるインドネシア大統領選まで1年余りとなった。2期目を終えるジョコ大統領の後任は誰になるのか。最大与党の擁立候補が決まらない中、「建国の父」といわれるスカルノ初代大統領一族の言動や動向に注目が集まっている。

 これまでに立候補を正式に表明したのは、アニス前ジャカルタ特別州知事(53)=無所属=のみ。与党連合の一角を占めるナスデム党が昨年10月、擁立を発表した。大統領選で2度の敗北を喫したプラボウォ国防相(71)=グリンドラ党党首=も、出馬の意向を示している。

 世論調査ではガンジャル中ジャワ州知事(54)がトップを走ってきたが、所属する最大与党・闘争民主党は、いまだ候補者を明らかにしていない。1月10日に開かれた同党の設立50周年記念式典で擁立候補が発表されるとみられていたが、党首のメガワティ元大統領(76)は約2時間に及ぶ演説でも明言しなかった。

 闘争民主党でガンジャル氏と並んで立候補が取り沙汰されているのが、メガワティ氏の娘プアン国会議長(49)だ。スカルノ初代大統領の娘がメガワティ氏で、プアン氏は孫に当たる。

 ある政治評論家は、メガワティ氏が演説で「わが党の女性幹部は、男女同権という考え方の下、戦う準備をする必要がある」と発言したことに注目。「プアン氏擁立を示唆している」と指摘する。

 公立大学の専門家も、メガワティ氏の演説の同じ部分を取り上げ「闘争民主党をスカルノ一家から切り離すことはできない。もしガンジャル氏が大統領になったら、党内にプアン氏の居場所がなくなってしまう」と語った。

 国内政治に詳しいインドネシア人女性記者は「闘争民主党がガンジャル氏を選べば、彼が大統領になるだろう」と予想。「世論調査で支持率が低迷するプアン氏を擁立した場合は、混戦が避けられないのでは」と話している。 』

ロシア・ウクライナ、節目巡り心理戦 大規模攻勢「2月24日説」

ロシア・ウクライナ、節目巡り心理戦 大規模攻勢「2月24日説」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023013100709&g=int

『【キーウ時事】ロシアのウクライナ侵攻は2月に差し掛かり、24日の丸1年の節目が間近に迫る。プーチン政権が一方的に「併合」した東・南部の戦闘と並行し、双方のどちらが戦争の長期化に耐え得るかを巡る心理戦が展開されている。ロシア軍による都市部への空爆や砲撃が続き、民間人の死傷にも歯止めがかからない状況だ。

 「プーチン政権は新たな大規模攻勢を準備し、2~3月にも踏み切る可能性がある」。米ブルームバーグ通信は1月27日、クレムリン(大統領府)関係者の話を伝えた。昨年秋から劣勢と撤退が続く中、戦局の主導権をウクライナから取り戻すのが狙いという。

 侵攻1年の節目に攻勢があるとウクライナ側で警戒されてきたが、今回の報道は「クレムリンが認めた」という点で異例だ。ウクライナ国家安全保障・国防会議のダニロフ書記も2月24日説について「彼らが言う通りで、秘密でも何でもない」と指摘した。
 ウクライナのゼレンスキー大統領は、敵軍撤退を柱とする10項目の和平案を国際社会に提示。実現に向け、国連本部での「平和サミット」開催を目指すが、ロシア包囲網の強化が目的なのは明らかだ。ロシア側が攻勢の準備をほのめかす背景には、ウクライナの計画を頓挫させる思惑もありそうだ。

 「ロシアは長期化させ、われわれの戦力を消耗させようとしている」。ゼレンスキー氏は1月29日の動画でこう述べ、西側諸国の兵器支援を急ぐよう訴えた。本命視するドイツ製の主力戦車「レオパルト2」は保有国から順次引き渡される予定だが、運用が難しい米国の主力戦車「エイブラムス」は今年中に間に合わない可能性もあると伝えられている。 』

北大西洋条約機構/NATO(世界史の窓)

北大西洋条約機構/NATO(世界史の窓)
https://www.y-history.net/appendix/wh1601-071.html#wh1702-109

 ※ 『2002年にロシアは準加盟国となった』…。

 ※ ここは、知らんかった…。

『(4)NATOの変質

冷戦終結後、対共産圏軍事同盟としての目的は消滅。東欧革命、ソ連の解体、ユーゴスラヴィアの解体に伴い、東欧に加盟国を拡大させ、全ヨーロッパの集団安全保障機構へと性質を転換させた。

 NATO(北大西洋条約機構)は第二次世界大戦後、冷戦期の1948年に創設され、その目的は時期とともに変化しながら、柱は共産圏に対する防衛を目的とする軍事同盟であった。従って冷戦の終了とともに東側のワルシャワ条約機構の解散と同じく消滅してしかるべきであったが、前者が解散されたのに対して、NATOは存続を続け、さらに加盟国を増大させている。その反面、アメリカ軍の占める割合は減少し、米軍主体の核で重装備した軍事同盟という性格は薄らいでいる。その変質をまとめると次のようになる。

冷戦終結後のNATO

 1990年にNATO加盟諸国は「ロンドン宣言」を発表し、ワルシャワ条約機構を敵視することを放棄すると宣言、目的を一変させた。結成当時のNATOの目的は大きく変化したので、現在のものを「ニューNATO]という。東欧民主化によって成立した東欧諸国、ソ連解体に伴って成立したバルト三国などが相次いでNATO加盟を申請するようになると、ロシアはNATOが新たにロシアを敵視するのではないかと反発したが、97年にNATO諸国首脳がロシアのエリツィン大統領との間で「ロシアを敵視しない」という「基本文書」に署名、その結果東欧諸国のNATO加盟が実現した。
 → NATOの東方拡大

現在のNATO

 「北大西洋」地域の安全保障にとどまらず、国際連合とOSCE(全欧安全保障協力機構)のもとで、民族紛争や人権抑圧、テロに対して、平和維持に必要な軍事行動を行うこととなった。その最初の行動が1999年のコソヴォ紛争でのNATO空軍のセルビア軍に対する空爆であり、アフガニスタンへの治安出動である。

対ロシア軍事同盟への傾斜 

2002年にロシアは準加盟国となったが、2014年のウクライナ危機がおこり、ウクライナ反政府軍への軍事支援の疑いが生じたため、ロシアの準加盟国は撤回された。

NATOは集団安全保障機構という理念からはずれ、かつてのソ連に対抗する軍事同盟という性格を復活させ、対ロシアの軍事行動に対する集団的自衛権の行使へと進む気配を見せており、憂慮されている。』

ギリシャ首相「レオパルト2供与せず」

ギリシャ首相「レオパルト2供与せず」 トルコ抑止優先
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB309KJ0Q3A130C2000000/

『来日したギリシャのミツォタキス首相は31日、欧米諸国がウクライナに主力戦車の供与を相次いで表明するなかで「ギリシャは戦車を提供しない」と述べた。同国にはドイツ製戦車「レオパルト2」が配備されているが、東地中海の権益などを巡って対立する隣国トルコへの抑止力として保持する考えを示した。

都内で日本経済新聞社の取材に応じた。ミツォタキス氏は「ウクライナには装甲兵員輸送車などを含めて多大な軍事支援をして…

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『ギリシャはトルコと歴史的に対立し、両国間の海上境界が画定していない。近年は地中海沖のガス田探査などを巡って軍事的な緊張が高まっている。

ただ対トルコの「主戦場」は海上や空中で、地上戦用の戦車に喫緊の必要があるかは不明だ。戦車の供与に否定的なのはロシアに配慮している可能性がある。

ロイター通信が報じた欧州連合(EU)の内部文書によると、ギリシャは他の加盟国と比べて凍結したロシア資産の金額が少ない。ミツォタキス氏は「(EUが決めた)全ての制裁に我々は準拠している」と強調し、対ロ制裁で後れを取っているとの見方を否定した。』

『ギリシャは同じ正教国のロシアと伝統的に近い関係にあり、欧州の中ではロシア寄りとされる。国民の親ロ感情も根強い。ロシアのラブロフ外相は今月、ギリシャが米国の要求に従って「反ロシア的な行動」を取っていると警告していた。

ギリシャは債務危機後、中国企業の投資マネーに頼っており、中国寄りとの見方が広がってきた。ミツォタキス氏は「どの国もギリシャへの投資を考えていない時期だった」と振り返り、中国マネーに頼らざるを得ない状況だったとの認識を示した。』

『中国国有海運最大手の中国遠洋海運集団(コスコ・グループ)は2008年、ギリシャ最大のピレウス港の運営権の一部を獲得。16年にはギリシャ国営の運営会社株式の51%を取得し、21年10月には出資比率を67%まで引き上げた。中国の広域経済圏構想「一帯一路」の玄関口としての役割を担うことになった。

ミツォタキス氏はピレウス港への投資は「多かれ少なかれ成功した」と評価しつつ「ここ数年間は中国企業がギリシャに投資することに強い意欲を示していない」と指摘した。中東やアフリカにも近い立地を生かして「外国の直接投資を大幅に多様化するつもりだ」と明かし、中国以外からの投資受け入れに意欲をみせた。

ギリシャは09年、財政赤字を隠してきたことが発覚し、欧州全域を揺るがす債務危機に発展した。18年には約8年に及んだEUの金融支援から卒業。19年に首相に就任したミツォタキス氏は、経済成長につなげるため親ビジネス路線を掲げてきた。

(田口翔一朗、イスタンブール=木寺もも子)』