機密文書の問題でバイデンが突如、攻撃され始めた背景に戦車供与の対立か?

機密文書の問題でバイデンが突如、攻撃され始めた背景に戦車供与の対立か?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202301300000/

『 2023.01.30
アメリカのジョー・バイデン大統領はウクライナへ31両の「M1エイブラムズ」戦車を供給すると発表した。「M1エイブラムス」をアメリカが提供するならという条件で「レオパルト2」を提供するとしていたドイツ政府は自国の主力戦車をウクライナへ引き渡す。

 当初、アメリカもドイツも主力戦車の提供に消極的だった。そうした姿勢を揺さぶるためにイギリス政府は「チャレンジャー2」を供与すると宣言したのである。戦車の提供にはポーランドも積極的だった。

 ドイツではアンナレーナ・ベアボック外相が「フォーラム2000」で「ドイツの有権者がどのように考えようとも、私はウクライナの人びとを支援する」とし、欧州議会で「われわれはロシアと戦争している」と発言しているしているが、クリスティーネ・ランブレヒト国防相はウクライナへの軍事支援に消極的だった。そのランブレヒは辞任を強いられている。

 アメリカではバイデン大統領だけでなくロイド・オースチン国防長官もエイブラムズの供与に消極的だった。積極的だったのはアントニー・ブリンケン国務長官である。

 昨年11月、バイデン大統領を揺さぶる出来事が表面化した。政府の機密文書をバイデンが保管していることを彼の弁護士が発見したのだ。昨年8月、FBIの捜査官チームがフロリダ州マー・ア・ラゴにあるドナルド・トランプ前大統領の自宅を家宅捜査、トランプが持ち出した重要な資料を探したようだが、FBIはCIAと同様、2016年の大統領選挙当時から反トランプだ。

 大統領経験者が機密文書を持ち出すことは珍しくない。CIAやNSAの不正行為を明らかにしたエドワード・スノーデンによると、​バイデン、トランプ、クリントン(夫妻)、デイビッド・ペトレイアスを含む数十人、あるいは数百人が機密文書を持ち出しているが、誰も処罰されていない​。

 トランプが家宅捜索を受けたことに違和感を感じる人は少なくなかったが、バイデンのケースでも違和感を感じる人がいた。何者かが何らかに理由でバイデンが機密文書を保持している事実を明るみに出そうと決めたという推測も成り立つ。

 ドイツの​シュピーゲル誌は昨年11月、ドイツ軍がロシアとの戦争の準備をしているとする記事を掲載​した。ドイツ軍のエバーハルト・ツォルン参謀総長が「軍隊の作戦ガイドライン」と題された秘密の草案を作成し、ロシアを「差し迫った脅威」だとしているのだ。このタイミングでバイデンは攻撃され始めている。

 戦車の問題でバイデン大統領を「説得」したブリンケン国務長官の父方の祖父はウクライナ出身である。父方の祖父母がウクライナからの移民であるビクトリア・ヌランド国務次官と似た背景があるわけだ。ちなみにロシア敵視の感情が強かったズビグネフ・ブレジンスキーはポーランド生まれ、イラクの子供たちを殺し、ユーゴスラビアに対する先制攻撃を推進したマデリーン・オルブライトはチェコスロバキアの生まれである。

 第2次世界大戦当時、ウクライナの西部を含む中央ヨーロッパには親ナチスの人びとが少なくなかった。ステパン・バンデラを信奉するウクライナのOUN-Bもそうした人びとの組織だ。その戦闘員は1943年春にUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。この組織は大戦後の1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)と呼ばれるようになり、バンデラの側近を務めていたヤロスラフ・ステツコが指揮するようになる。

 東アジアでは1954年にAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)が創設される。このAPACLとABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になるが、こうした組織はCIAと緊密な関係にあった。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986)

 ドイツは攻め込んだソ連で1942年冬に敗北、東部戦線でドイツ軍の主力がソ連軍に壊滅させられる。敗北は不可避だと判断したSS(ナチ親衛隊)は特使をアメリカの戦時情報機関OSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣、フランクリン・フランクリン大統領には無断で善後策を協議している。

 その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させたり、保護したり、雇用していく。それらにはラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などという暗号名が付けられた。保護されたナチスの高官や協力者だけでなく、その後継者も育成、ソ連が消滅した後には送り返している。

 アメリカの支配層が「ブラッドストーン作戦」を始めた1948年に作成されたNSC20では、「結果として戦争を起こし、ソ連政府を打倒する」という方針が示されていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)
 OSSはMI6を教師役として作られた組織で、いずれも金融資本と深い関係にある。そのOSSとMI6は1944年に共同で破壊工作部隊を編成する。これが「ジェドバラ」だ。その目的はレジスタンス対策だった。大戦後、レジスタンスに参加していたシャルル・ド・ゴールが暗殺のターゲットになった理由はここにある。

 大戦後にOSSが廃止されると分析担当者の一部は国務省へ、諜報/防諜担当者は陸軍省へ所属することになる。ゲリラ戦部隊のジェドバラの一部メンバーは軍へ移動してグリーン・ベレーをはじめとする特殊部隊の創設に関わる。(William Colby, “Honorable Men”, Simon and Schuster, 1978)

 その後、OSSの人脈はCIAの基盤になるが、ジェドバラの中で破壊工作を担当していた人脈が中心になって極秘機関OPCを組織、1950年10月にOPCはCIAへ入り込んで秘密工作部門になる。この人脈は現在、ウクライナで活動していると見られている。』