米国でアジア系による銃乱射事件多発、何が原因でなぜ今なのか

米国でアジア系による銃乱射事件多発、何が原因でなぜ今なのか
カリフォルニアで暴走する老人の動機は憎悪か孤独か
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73691

 ※ ヤレヤレな話しが、語られている…。

 ※ 日本国においても、「経済成長するためには、もっと移民を受け入れる他はない!」というようなことを、声高に叫ぶ論者もいる…。

 ※ しかし、その「負の側面」として、こういう問題も背負い込む…、ということだぞ…。

『なぜ「模範的移民」が銃を手に取ったのか

 米ロサンゼルス郊外モントレーパークのダンススタジオで11人が死亡した1月21日夜の銃撃事件で、米捜査当局は翌日、容疑者のアジア系の男(72)が自らを銃で撃って死亡したと発表した。

 23日には、今度はサンフランシスコ近郊ハーフムーンベイ市のキノコ栽培農園で7人が射殺され、容疑者のアジア系の男(67)が逮捕された。

https://www.foxnews.com/us/california-mass-shooting-who-huu-can-tran

https://www.latimes.com/california/story/2023-01-23/half-moon-bay-shooting-multiple-victims

 容疑者は前者はベトナム系、後者は中国系だった。犠牲者はハーフムーンベイ市で射殺された2人のメキシコ系男性を除くとすべてアジア系の男女だった。

 1930年後半、雲霞のごとくカリフォルニア州に入り込んできたアジア系移民を白人たちは「イエローペリル」(黄禍)と呼んだ。

 低賃金で雇われ、次々と白人労働者の仕事を奪い、白人社会を侵食していく異文化のアジア系(特に日本人移民)をさげすみ恐れた白人たちがペリルと言い出した。

 そして日米戦争が勃発、日系移民は強制収容所にぶち込まれた。

 戦後もアジア系移民は差別に耐え、ただ黙々と働き、1965年の移民法改正で国別のクォータ制が撤廃され、中国、香港、台湾、などから中国人移民が津波のように押し寄せて来た。

 ベトナム戦争終結後は共産主義体制を逃れたベトナム難民の多くがモントレーパークに住み着いた。

 今回事件が起こったモントレーパークは、中国人の不動産業兼投資家の謝樹剛氏が1970年代、当時白人が所有していた土地をプレミア価格で買収。

 それを中国や台湾からやって来た新移民に売却して作り上げたニューチャイナタウンなのである。

 サンフランシスコやロサンゼルスのチャイナタウンから中国系が移り住み、謝氏の「中国系のビバリーヒルズ」構想が徐々に実現していった。

https://www.latimes.com/opinion/story/2023-01-23/monterey-park-shooting-los-angeles-asian-communities

 商業地区には中国系スーパーやレストランが建ち並び、高台には高級住宅が建ち、人口の65%はアジア系となり、首都ワシントンには中国系下院議員(ジュディ・チュウ氏=民主党)を送り込んでいる。

 乱射事件が起こったのは、その一角にあるダンススタジオだった。』

『このダンススタジオにやって来るのは60代、70代、80代の男女ばかり。社交ダンス、ルンバ、タンゴから中国式スクウェア・ダンス「広場舞」まで教える。

 中国系だけでなく、ベトナム系までやって来る。

「言ってみれば、アジア系高齢者のデートスポット。老いらくの恋を求めて孤独な年寄りが集まる、中国語が通じる社交場だ」(中国系メディアの記者、H氏)

 事件が起こった夜は、旧正月前夜。高齢者たちはみな誘い合って集まり、会費10ドルで飲み、踊って楽しんでいたのだ。

 それが一瞬にして地獄と化した。あたり一面血の海となったのだ。
ダンススタジオに通い詰めていた乱射魔

 事件発生直後、射撃犯は白人ではないか、という説が飛び交った。ここ2、3年、アジア系に対する白人によるヘイトクライムが急増している。

 旧正月の祝賀でにぎわうモントレーパークは、アジア系を狙うヘイトクライム常習者にとっては格好の場所だと思われたからだ。

 だが、ところがどっこい、乱射魔はベトナム系の72歳の高齢者、無職のフェ・カン・トランだった。

 ついこの間まで件のダンススタジオに、ほとんど毎日通っていた常連だ。中国系高齢者のオアシスになぜ、ベトナム系が通い詰めていたのか。

 前出の中国系ジャーナリストのH氏はこともなげにこう言う。

「ベトナム系移民と中国系移民の関係はラブ・アンド・ヘイト(愛憎相半ばする)の関係だ。米国内のどこのチャイナタウンにもベトナム人は進出してくる」

「それにベトナム移民の中には中国系が多く、生活環境も混ざり合っている。ちょうどジャパンタウンにコリアンが入り込み、商売をしているのと似ている」

「日本人と韓国人の関係もラブ・アンド・へイトではないのか」

 トランは、モントレーパークから140キロ離れたヘミト市のトレーラーハウス村に住んでいた。車で2時間はかかる。

 H氏が関係者から得た情報によると、トランは20年前にこのダンススタジオで知り合った女性と結婚したが、数年後に離婚。

 その後、ダンススタジオで知り合った別の女性と付き合っていた。ところが、一方的に関係が断たれ、ストーカーまがいでつきまとい、事件当日を狙って、殺害を企てていたともいわれる。

https://abc7.com/monterey-park-mass-shooting-suspect-possible-motive-investigation/12725931/

https://www.latimes.com/california/story/2023-01-23/jealousy-possible-motives-in-monterey-park-shooting) 』

『乱射に使われた銃は、コブライM11短機関銃(市価919ドル=約12万円)。自家製の消音装置が施されていた。銃弾は約40発発射されていたという。

 死亡した11人は中国系女性が9人、ベトナム系女性が1人、メキシコ系男性が1人。年齢別では50代が1人、60代が6人、70代が4人だった。

(トランが標的にしていた女性がベトナム系だとすれば、ホーチミン市出身のミー・ミー・ニャンさん=65=と思われる)
高齢のアジア系移民独身男性に逃げ場なし

 ロサンゼルスの日系メディアで記者活動を数十年続けてきたN氏は、アジア系移民が置かれている生活環境についてこう分析している。

「母国語が英語でないアジア系移民男性の暮らしは一筋縄ではいかない。人種差別、仕事、貧困などに直面するだけでなく、同じ境遇にある女性との比率では大きな差がある」

「上昇志向のある女性は白人男性を結婚対象者に選ぶ傾向が強い」

「孤独感が強くなる。異性の話し相手を探そうとすれば、カラオケとか、趣味のグループとか、教会や寺院に行くことになる」

「しかし、色艶のあるところとなると、ダンススタジオなどは格好の場所となる。今回の乱射犯もまさにこの典型的なパターンだったのだろう」

 米国における銃乱射事件は、1966年から2022年までに185件。

 これまで高齢者が乱射して複数の犠牲者を出したのは1981年ケンタッキーで起こった70代の乱射事件だった。

 近年、高齢者の殺人が急増しているが、通常標的になるのは身近にいる妻やパートナーだ。

 アジア系による乱射事件は07年、南部のバージニア工科大学で韓国籍の20歳の学生が33人を射殺した事件がある。

 最後は警官隊に射殺されたが、遺書などで分かったのは、孤独感と米社会への憎悪だった。

https://www.theviolenceproject.org/mass-shooter-database/)』

『日本でも「高齢者による犯罪」が増えている。

 暴走老人が犯罪に走るのはカネの問題が多い。高齢者が貧困に陥った場合、働こうとしても仕事がない。健康上の問題もある。

 短絡的なカネ目当ての犯罪に走る。介護疲れから寝たきりの妻を殺すケースも後を絶たない。

参考:『暴走老人・犯罪劇場 (新書y) 』、 高橋ユキ著、2017年

 だが、さすがに孤独感や社会に対する憎悪から人を殺したり、ナイフを振り回すといった例はあまりない。

 元妻や女友だちを他の男に「寝とられた」といって銃を乱射するようなことはない。

 銃で撃とうとしても銃は米国のように自由に手には入らない(最近福岡で起きたメッタ差し殺人事件も言ってみれば、まだ30代の男の犯行だった)。

 その点では、モントレーパークの乱射事件は、まさに「アメリカン・トラジディ」(アメリカの悲劇)としか言いようがないのだが、移民によって築き上げられてきた(しかも今もそのプロセスにある)アメリカ合衆国としては、銃規制とともに避けては通れないアジェンダと言える。
ニューサム知事:「Tragedy upon tragedy」

 1月23日には、今度はサンフランシスコ近郊ハーフムーンベイ市のキノコ栽培農園で7人が射殺され、容疑者のアジア系の男(67)が逮捕された。

 男は、チュンリー・ツァオ(67)。中国系の農園従業員だった。

 犠牲者全員、同じ農園で働いていた同僚や上司で、事件前に職場でパワハラや暴行を受けていたといった情報が流れている。

 その報復に銃を取ったということも考えられる。またモントレーパークの乱射事件に触発されたのではないか、といった見方も出ている。

 警察は容疑者の身柄を拘束したから本人の口から動機については明らかになってくるはずだ。

 事件のあったハーフムーン氏はサンフランシスコから南へ46キロ。車で40分のところにある風光明媚な土地だ。

 人口は1万2000人。白人59%、ラティーノ34%、アジア系は5.4%。これといった産業はなく、ツァオが働いていたキノコ栽培や野菜栽培が主な産業ということになる。

 いずれにせよ、これまで銃乱射事件とは程遠かったアジア系の、しかも高齢者による乱射事件がなぜ起こったのか。

 銃規制では全米で一番厳しいカリフォルニアでなぜ立て続けに起こったのか。

 2024年の民主党大統領候補指名を秘かに狙っているとされるギャビン・ニューサム州知事(民主党)は、モントレーパークで行われていた犠牲者追悼集会に出席していたその瞬間、ハーフムーンベイの事件を知り、絶句した。

「悲劇が起きたと思ったら、また新たな悲劇が起こった」(Tragedy upon tragedy)とツイッターに投稿した。

 カリフォルニア州は民主党の金城湯池。

 ジョー・バイデン大統領は、議会に新たな銃規制強化の必要性を訴えた。1月25日にはカマラ・ハリス副大統領がモントレーパーク入りする。』

ナポレオンの命運を左右した「情報」とは

ナポレオンの命運を左右した「情報」とは
小谷 賢 (日本大学危機管理学部教授)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29218

 ※ 今日は、こんな所で…。

『ナポレオン・ボナパルトは、その軍事的才覚によって19世紀初頭のヨーロッパを席巻して巨大な帝国を築き上げ、一介の軍人から皇帝に上りつめた。その手法は、「国民皆兵制度」による国民軍の創設や、砲兵・兵站の重視など枚挙にいとまがないが、意外なことにナポレオンは戦場において情報を重視しなかったとされる。

 その理由は、戦場の情報が司令官の元に届くのに時間がかかったことや、多くの報告は斥候が自分の目で確認したものではなく、伝聞情報を基にしており信頼性が低かったことにある。また、ほとんどの場合、司令官に情報が届く頃には情勢が変化しており、使い物にならなかった。

 ただし彼は、情報そのものには価値を見出しており、自らの参謀本部に情報部門を設置したり、英国で発行される新聞を熱心に読んでいたとされる。当時、英国内では検閲制度が廃止され、新聞各社は自由に記事を書くことができ、その情報の信頼性がフランスのものより高かったためである。

抜擢された大臣が皇帝さえも監視下に

 ナポレオンを情報面から支えた人物としては、警察大臣を務めたジョゼフ・フーシェが有名だろう。当時、フランスでは革命に起因する密告がはびこっており、フーシェの秘密警察はその延長に確立されたのである。

 フーシェは大臣に抜擢されると、あっという間にフランス国内に情報網を築き上げ、政治家の書簡や外交文書を秘密裏に開封して中を読み解くことで、国内の反ナポレオン派や外国スパイ、さらには上司のナポレオンまでをも監視下に置いていた。ナポレオンの最初の妻、ジョゼフィーヌは放蕩三昧の生活であり、金銭目的でナポレオンの私生活の情報をフーシェに売っていたようである。

 フーシェは毎日、ナポレオンに情報報告を行うほどその能力を高く評価されていたが、決して信頼はされなかった。ナポレオンは「私のベッドをのぞくような大臣はうんざりだ」と不平を漏らしつつも、フーシェの首を切れなかったようである。

 そのためナポレオンは、個人的に12人の情報提供者を別に雇って情報を得ていた。フーシェが国内で逮捕した政治犯は数千人にもなるとされ、フランス国内だけではなく、ウィーン、アムステルダム、ハンブルクにも拠点を設置し、海外の動向にも目を光らせていた。

 ハンブルクにおいては、スパイ網を築きつつあった英国人、ジョージ・ランボルド卿の邸宅に忍び込んで、スパイのリストを奪い、ランボルドの身柄も押さえることで、英国の陰謀を未然に防いでいる。

 海外からナポレオンに貴重な情報を届けていたのは、カール・シュルマイスターである。ドイツ生まれのシュルマイスターは、仏独ハンガリー語に堪能であったので、オーストリア軍のカール・マック将軍にスパイとして採用されている。しかし、オーストリア軍はシュルマイスターの情報を重視しなかったため、密かにフランス軍に接触し、ナポレオンの副官であったアン・ジャン・マリエ・サヴァリ将軍のスパイとして活動した。

 サヴァリはフーシェの後任として警察大臣を務めた人物である。シュルマイスターはオーストリア軍の情報をナポレオン軍に伝える一方、偽情報をオーストリア軍に伝えることで、1805年10月のウルムの戦いでのフランス軍の勝利に貢献した。そしてその貢献を認められ、シュルマイスターは対外情報の責任者に抜擢されるほど重用された。』

『勝敗を決した重要情報の扱い

 他方、強大なナポレオン軍に対峙していたのが英国やプロイセン、ロシアといった国々である。中でも英軍はインテリジェンスを武器の一つとして活用することで、劣勢を補おうとした。

 英軍司令官、初代ウェリントン公爵は、ナポレオンと同い年で、第二外国語がフランス語という共通点があり(ナポレオンの母語はイタリア語)、ナポレオンのライバルの一人に数えられる。ただし、ウェリントンはインドにおける9年もの戦争経験から、戦場での情報の重要性を認識していた点がナポレオンと異なる。

 ウェリントンの配下の卓越した暗号解読官であったジョージ・スコウベル将軍は、ナポレオンの兄でスペイン王のジョゼフ・ボナパルトの暗号書簡を解読し、仏軍はスペインでゲリラ戦に専念するため、英軍に対する兵力を減らす旨の情報を得ていた。そこでウェリントンは、スペイン・ポルトガル軍とともに十分な兵力を準備し、13年6月のビトリアの戦いで、仏軍を打ち破ることに成功している。

 その後、天下分け目の「ワーテルローの戦い」の直前にも、ウェリントンの部下がナポレオンの戦争計画について知らせてきた。その情報は15年6月18日にナポレオン軍が英蘭軍を攻撃するというものであった。この戦闘は、英蘭軍とプロイセン軍が戦場で合流できるかが勝敗の鍵であり、ウェリントンはプロイセン軍の参戦を確定させてから、仏軍に挑むことになる。

 他方、ナポレオンは戦いの当日、末弟のジェローム・ボナパルトから、プロイセン軍がワーテルローに接近中との情報を得ていたが、プロイセン軍の到着にはあと2日かかるとして、この重要情報を退けたのである。

 戦端が開かれると予定通り、プロイセン軍はその日の夕刻までには参戦を果たし、英蘭軍とプロイセン軍に挟撃された形の仏軍は崩壊した。

 さらにナポレオン戦争で、巨万の富を築いたのが、英国の銀行家であったネイサン・ロスチャイルドである。ロスチャイルドは欧州大陸中にビジネスのための情報網を開拓しており、そこに生じたのがワーテルローの戦いであった。ロンドンの金融市場もこの戦いに注目しており、英国が勝てば英国債を買い、負ければ売りとの観測であった。

 この時、ロンドンにいたロスチャイルドは、ドーバー海峡を隔てた数百㌔メートル先の戦場の情報を得ており、英国政府よりも早く英軍の勝利を知ったという。

 しかしここでロスチャイルドは、英国債を猛烈な勢いで売りこんだのである。ロスチャイルドの一挙一動を見守っていた市場関係者は、彼の売りを見て英国が敗北したと判断し、市場の英国債は暴落するも、ロスチャイルドは価格が底をついたのを見計らい、今度は猛烈な買いに転じ巨万の富を得ることとなった。これは「ネイサンの逆売り」として知られている。』

パンデミック(世界的大流行)の歴史

【医療コラム】パンデミック(世界的大流行)の歴史
https://kawakita.or.jp/aisafetynet/airoken/news/column/

『みなさん、こんにちは。施設長の佐藤です。

全世界が新型コロナウイルスのパンデミックの元におかれて2年間が経過しました。人類は紀元前の昔からさまざまな感染症と戦ってきました。最古のパンデミックの記録は、紀元前430年のギリシャの感染症です。疾患名は不明ですが、死者数7万~10万人といわれています。感染症のパンデミックは歴史を変えるほどの影響を及ぼしてきました。

天平の日本では、天然痘の大流行で藤原四兄弟が相次いで病死し、橘諸兄への政権交代が起きました。社会復興策として「墾田永年私財法」が施行され、土地の私有が認められるようになりました。

14世紀、ヨーロッパではペストが大流行し全人口の4分の1から3分の1が死亡しました。教会をはじめとする封建的な権威の失墜、労働力の急激な減少、人材の払底が起こり、労働者の地位の向上、農奴解放がもたらされました。限界を迎えていた中世ヨーロッパ世界の社会構造の変化を加速させ、近世への変革の一因になったと考えられています。

以下に、パンデミック(世界的大流行)の歴史を示します。

【挿絵】死の舞踊(ヴォルゲムート 1493年)

天然痘

紀元前 エジプトのミイラに天然痘の痕跡がみられる。

6世紀 日本で天然痘が流行、以後、周期的に流行。

735年~737年 天平の疫病大流行では藤原四兄弟が相次いで病死。社会復興策として、土地の私有を認める「墾田永年私財法」が施行。

15世紀 コロンブスの新大陸上陸。アメリカ大陸で大流行。50年で人口が8,000万人から1,000万人に減少。

1980年 WHOが天然痘の世界根絶宣言。人類が根絶した唯一の感染症。
ペスト

540年頃 ヨーロッパの中心都市ビザンチウム・コンスタンチノープルで流行。最大で1日1万人の死者が出たといわれている。

14世紀 ヨーロッパで「黒死病」と呼ばれるペスト大流行。ヨーロッパだけで全人口の4分の1~3分の1にあたる2千500万人が死亡。
コレラ

19~20世紀 地域を変えながら7回の大流行。

幕末から明治 日本ではコロリと死ぬからコロリと呼ばれた。

1961年 インドネシアのセレベス島に端を発した第7次世界大流行は、現在も世界中に広がっていて、終息する気配がない。

新型インフルエンザ

1918年 スペインかぜが大流行。世界で4,000万人以上が死亡したと推定。 (当時の世界人口18億人)

1957年 アジアかぜの大流行。世界で200万人以上の死亡と推定。

1968年 香港かぜの大流行。世界で100万人以上の死亡と推定。

2009年 新型インフルエンザ(A/H1N1)の大流行。世界の214カ国・地域で感染を確認、1万8,449人の死亡者(WHO、2010年8月1日時点)。

新興感染症

1981年 エイズ(後天性免疫不全症候群:HIV)

過去20年間で6,500万人が感染、2,500万人が死亡。

1996年 プリオン病

イギリスでクロイツフェルト・ヤコブ病と狂牛病との関連性が指摘。

1997年 高病原性鳥インフルエンザ

人での高病原性鳥インフルエンザA(H5N1)発症者397人、死亡者249人(2009年1月20日時点) 。

2002年 SARS(重症急性呼吸器症候群) 9ヶ月で患者数8,093人、774人が死亡。

【パンデミック死者数】

1位
1347-1351年 ペスト・黒死病 2億人
2位
1520年 天然痘 5,600万人
3位
1918年-1919年 スペインかぜ 4,000万人-5,000万人
4位
541年-542年 ペスト・東ローマ帝国 3,000万人-5,000万人
5位
1981年-現在 エイズ 2,500万人-3,500万人
6位
1855年 ペスト・19世紀中国とインド 1,200万人
7位
165年-180年 ペスト・ローマ帝国の疫病 500万人
8位
1600年 ペスト・17世紀の大疫病 300万人
9位
1957年-1958年 アジアかぜ 110万人-200万人
執筆者プロフィール

あい介護老人保健施設 施設長 佐藤 清貴(さとう・きよたか)

医学博士
・日本内科学会認定内科医
・日本循環器学会認定循環器専門医
・日本医師会認定産業医
・日本総合健診医学会 日本人間ドック学会認定 人間ドック専門医
・日本人間ドック学会認定 人間ドック健診情報管理指導士
・日本老年病学会老人保健施設認定医 』

米カリフォルニアで相次ぐアジア系米国人の銃乱射事件

米カリフォルニアで相次ぐアジア系米国人の銃乱射事件
https://www.epochtimes.jp/2023/01/134125.html

 ※ その「アジア系」移民なるものの、「中身」が問題だろう…。

 ※ そして、そういう「ご高齢の移民(おそらく、移民第1世代)」の御仁が、「どういういきさつで」「何を思って」、そういう「ふるまい」に及んだのか…、ということこそ、解明されるべきだろう…。

『米カリフォルニア州でアジア系米国人が絡む銃乱射事件が相次ぎ2件発生した。犠牲者は少なくとも18人に及ぶ。中国国内のネット世論では痛ましい悲劇に同情する声もあれば、中国系移民に対する差別表現や銃社会問題に対する揶揄も見られる。

1件目は、モントレーパーク市のダンスホールで男が銃を乱射し11人が殺害された。2件目はハーフムーンベイの農場で起きた銃乱射事件で、7人が死亡した。カリフォルニアで数十年来最悪の銃乱射事件とされる。犯人はいずれも70歳前後のアジア系移民だった。』

(※ 無料は、ここまで。)

ルーマニアの経済

ルーマニアの経済
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88

『ルーマニアの経済では、東ヨーロッパ、バルカン半島の北に位置するルーマニアの各産業の状況、貿易について触れる。

ルーマニアは東ヨーロッパ、バルカン半島の北東に位置し、黒海の西岸に面する。

1989年のルーマニア革命以降、ルーマニア経済は抑制されているものの高いインフレーションの影響下にあり、生活水準の低下が続いている。2000年から2002年にかけ、GDP成長率は1.6%、5.3%、4.3%であり、失業率も2002年時点で10%に収まっている。しかしながら、同時期の消費者物価上昇率は、45.3%、34.5%、22.5%と高い。2004年にはようやく10%を下回ったと考えられている。

ルーマニアの伝統的な産業は農業であり、現在でも就労人口では農業の比重が高い。しかしながら、第二次世界大戦後、ソビエト型の計画経済によって重工業を中心に全工業部門の基盤を固めたため、GDPから判断すると工業国とも言える。鉱物資源は石油、石炭、天然ガスを中心に豊かである。

ルーマニアの貿易依存度は輸出入とも30%を超えており、貿易に強く依存している(なお、日本国の貿易依存度はいずれも10%前後である)。ルーマニア革命以前はドイツやソビエト連邦、旧ソビエト圏との結びつきが強かったが、その後、ロシアや東欧諸国よりもEC(1993年以降はEU)諸国との経済関係を重視している。

農業

ルーマニアは温帯に位置し、ケッペンの気候区分によると東部が温暖湿潤気候 (Cfa)、西部が西岸海洋性気候 (Cfb)、北部が亜寒帯湿潤気候 (Dfb) に属する。季節風や地方風は存在せず、東部の土壌はウクライナ黒土地帯と同等(チェルノーゼム)である。このため、小麦栽培を中心とした混合農業に適する。ブドウの栽培にも適しており、国土全体がブドウの北限界線よりも南にある。

ルーマニアは第一次産業人口が2001年時点で42.3%と高く、農業国である。穀物(小麦)の自給率も100%を上回り、輸出国である。2002年時点の小麦生産量は438万トン(以下、FAOのFAO Production Yeabook 2002による)。国土の中央部以外で冬小麦とトウモロコシ(850万トン)を生産している。国土の中央部はカルパティア山脈、ビホル山脈が占めるため、穀物生産には向かない。

生産シェアが高い作物はヒマワリ(99万トン、世界シェア7位、4.2%)である。

1990年時点は、トウモロコシ、ヒマワリ、キャベツ、亜麻、羊毛などの世界シェアがいずれも上位10位に入っていた。10年間で第一次産業人口が10ポイント以上も上昇するなど、経済構造が農業優位に変化しているにもかかわらず、世界の経済成長に追いついていないため、いずれもシェアが低下した。

黒海に面しているものの漁業は振るわない。1990年時点で13万トンだった漁獲高は、2002年時点では7000トン以下にまで減少した。

鉱業

モレニ油田(1920年代) ルーマニア中南部ドゥンボヴィツァ県に位置する最初の油田

ルーマニアは、石油産出国であり、石油採掘の歴史も深い。早くも1691年にモレニ油田で最初の原油の採掘が始まった。ピテシュティ、プロイェシュティなど油田に近い都市沿いに石油パイプラインも敷設されている。パイプラインはカルパチア山脈が東西方向へ通る部分(トランシルバニア山脈)とドナウ川の中間を東西に延び、鉄門から黒海沿岸の貿易都市コンスタンツァに至る。支線はウクライナにも接続されている。しかしながら、2002年時点では産出量が600万トンに留まり、国内需要をまかないきれず、石油輸入国となっている。

天然ガスは世界産出量の5%に相当する。石炭の埋蔵量は多いが亜炭、褐炭中心であり、品質は低い。それでも世界産出量の10位前後に相当する。石炭は、主に火力発電に利用されている。

他の鉱物資源としては、北西部マラムレシュ県県都バイア・マーレ近郊の亜鉛、鉛、中西部フネドアラ県県都デヴァ近郊の金、銀、鉄である。デヴァの鉱山は古代のダキア人も採掘していた由緒ある鉱山である。岩塩は、モルドヴァ地方北部とトランシルヴァニア南部のムレシュ川沿いで年間200万トン程度採掘されている。他に少量ながら銅、ウランも産する。

工業

ルーマニアはもともと農業国であったが、1950年代からソビエト型の計画経済のもと、重工業を中心に工業基盤を建設してきた。ルーマニア政府の方針として輸入を極端に制限したため、規模としては、食品工業、繊維業が中心であるものの、他の工業基盤も成立している。最も進んだ工業は、絹織物工業であり、2002年時点の世界シェアが5位と高く、生産量は2534万m2に達する。以下に、都市単位で盛んな工業を挙げる。

ブラショヴ - 自動車工業、化学工業
クルージュ=ナポカ - 製薬業、繊維業、窯業
コンスタンツァ - 造船業(ルーマニア第一の輸出港)
ティミショアラ - 化学工業、靴製造業、電気製品
ブカレスト - 首都、工業の中心都市。機械工業、石油化学工業、繊維業、電子機器、セメント製造
ヤシ - 家具製造業、製薬業、鉄鋼業、繊維工業

コンスタンツァとヤシを除く都市は、いずれも計画経済時に工業化が進んだ。しかしながら、ルーマニア工業は農業と同じく、世界の経済成長に遅れをとってしまった。1990年時点では、ワイン、毛糸、絹織物、毛織物、塩酸、リン酸、ソーダ灰がいずれも世界シェア上位10位に含まれていたが、絹織物以外はいずれも脱落している。絹織物もシェア2位から5位に落ちている。

貿易

コンスタンツァ港(ルーマニア語版、英語版)
ルーマニアの貿易拠点として最も重要な港湾である

チャウシェスク時代は国策として貿易黒字を義務付けていたため、貿易収支は健全だったが、産業構造や国内経済に悪い影響を与えてきた。その後、輸入が伸びてゆき、貿易黒字は次第に減ってきている。1990年の主な輸出品は石油を除く化石燃料、金属、機械類、輸入は石油、金属、機械類であり、貿易相手国は輸出入ともソ連が首位にあった。この時点では重工業中心の経済体制をそのまま反映した内容だった。

ルーマニアの貿易依存度は1990年からの10年間で輸出が15ポイント、輸入が5ポイントも増えてきた。2002年現在では輸入179億ドルに対し、輸出139億ドルであり、貿易赤字国である。

色と面積で示したルーマニアの輸出品目

2002年時点の貿易の内容を見ると、軽工業の伸びが著しい。2002年時点の主な輸出品は、衣類 (23.4%)、電気機械 (9.7%)、鉄鋼 (7.4%)。輸出先はイタリア、ドイツ、フランスの順である。主な輸入品は繊維と織物 (13.3%)、機械類 (11.5%)、電気機械 (11.1%)。輸入先はイタリア、ドイツ、ロシアである。ソ連(ロシア)の比重が下がり、EC(EU)中心に変化している。

日本との貿易では、貿易収支のバランスが取れている。日本への主な輸出品は衣類 (43.7%)、スキー靴 (11.3%)、肥料 (3.9%)、日本からの主な輸入品はクレーン (24.4%)、電気回路用品 (8.9%)、電気計測機器 (6.9%) である。 』

ルーマニアの歴史

ルーマニアの歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

『目次
ページ先頭

古代・ダキア人・ローマ化・異民族支配

中世

東方問題の中での近代化と独立

「大ルーマニア」の成立と社会主義政権の成立

チャウシェスク独裁体制とルーマニア革命

    ルーマニア革命
    革命以後
参考文献
脚注
関連項目

ルーマニアの歴史

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ルーマニアの歴史
Coat of arms of Romania.svg
この記事はシリーズの一部です。
ククテニ文化 (5500 BC-2750 BC)
ダキア
ダキア戦争 (101-106)
ダキア属州 (106-c.270)
ワラキア公国 (13C末-1856)
モルダヴィア公国 (1359-1856)
トランシルヴァニア公国 (1571-1711)
ワラキア蜂起 (1821)
ルーマニア公国 (1859-1881)
ルーマニア王国 (1881-1947)
ルーマニア社会主義共和国 (1947-1989)
ルーマニア革命 (1989)
ルーマニア (1989-現在)
ルーマニア ポータル
表 · 話 · 編

ルーマニアの歴史を以下に記述する。ルーマニア(Romania)は「ローマ人の国」を意味するその国名からわかるように、バルカン半島におけるラテン人が形成した国である。だが、周辺のスラブ人と同様に正教会をはじめとするビザンティン文化を受け入れたことや、オスマン帝国、ハプスブルク帝国の影響下に置かれ、長らく独自の民族国家が樹立できなかったのもルーマニアの歴史の一つの側面と言える。また冷戦時期の大統領ニコラエ・チャウシェスクによる共産独裁体制と、1989年に起こった一連のルーマニア革命でも知られる。

古代・ダキア人・ローマ化・異民族支配

帝政ローマ期のダキア一帯

バルカン半島の東北部のこの地には、旧石器時代には人の定住した痕跡があり、石器や祭祀に使用されたであろうと思われる人形などが発掘されている。紀元前2000年頃に、トラキア人から派生したダキア人が住み始め、紀元前514年のペルシア戦争では、ペルシア王ダレイオス1世と戦い、その勇敢さをヘロドトスが記録している。紀元前60年頃には、ダキア人は統一国家を成立させた。2世紀の始めには、ローマ帝国のトラヤヌス帝が、101年から102年と、105年から106年の2度に渡るダキア戦争に於いてダキア王デケバルスを下し、ドナウ川以北でローマ帝国の唯一の属州となる属州ダキアが置かれた。

ローマの属州になるとローマ人の植民地化が進められ、ダキア人はローマ人と混血しローマ化が進み、これが今のルーマニア人の直接の祖先となる。さらに、キリスト教がこの地域にもたらされることになり、2世紀から3世紀にはキリスト教が普及する。ルーマニアでは聖アンドレがダキアにキリスト教を伝えたとされている。

271年、ローマ帝国はダキアを放棄すると共にゲルマン系の西ゴート族に移譲、西ゴート族支配下となる。378年からはフン族の西進によって西ゴート族かイベリア半島へと移り、その後のフン族の四散によってスラヴ系民族の移住が進み、更にブルガール人が1000年ごろまで支配した。このように異民族が侵入・支配が続くものの、ローマ人(ラテン民族)の特色は残った。

中世
ヴラド・ツェペシュ。
詳細は「中世におけるルーマニア(英語版)」を参照

10世紀には、各地に小国がいくつか成立し始め、ワラキア、トランシルバニア、モルダヴィア3カ国に収斂されていく。

そして、1054年の大シスマの時には、ルーマニアの3カ国は東方教会に組み込まれていくことになる。

そして、このうちトランシルバニアは、早くからカトリックを奉じるハンガリー王国の支配下に入り、さらに、1310年にはアンジュー家、次いでハプスブルク家の支配を受けた。
この地域がルーマニアに復帰するのは20世紀初頭の1918年である。

残るワラキア、モルダヴィアは、13世紀にはタタール人に征服された。

14世紀にはタタール人を退け、ワラキア公国とモルダヴィア公国が成立。

しかし、周辺からハンガリー王国、ポーランド王国、オスマン帝国などの脅威にさらされ、1415年にはワラキア公国がオスマン帝国の宗主下に入った。

なお、ワラキアでは吸血鬼や串刺し公と悪評されたヴラド・ツェペシュが、オスマン帝国と度々戦っている。彼は少なくとも現代のルーマニア人からは、オスマン帝国の侵略から守った英雄として捉えられている。一方モルダヴィア公国は、からくもオスマン帝国の支配から免れ、シュテファン大公の時代[1]にはオスマン帝国を破ることもあったものの、16世紀には自治を条件にオスマン帝国の支配下におかれることになった。

東方問題の中での近代化と独立

1859年から2010年までのルーマニアの国境の変遷

1699年のカルロヴィッツ条約以降、この地域はオーストリア帝国とロシア帝国の影響を強く受けることになった。1821年、ギリシャ独立戦争の嚆矢としてトゥドル・ウラジミレスクによってワラキア蜂起が勃発したが、これはオスマン帝国によって鎮圧された。

19世紀にはロシアが占領したが、オスマン帝国の宗主下でワラキア、モルダヴィアの連合公国が成立。1859年にアレクサンドル・ヨアン・クザが両公国の公となり、1861年にルーマニア公国へと統合された。しかし保守貴族が反発しクザは退位させられた。1866年には新憲法が起章され、ドイツのホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家からカロル1世が迎えられた。カロル1世は国内の近代化を推進し、1877年の露土戦争に参戦。この年の5月9日に独立を宣言、オスマン帝国と独立戦争を展開、翌年のサン・ステファノ条約とベルリン協定で列強の承認をうけた。1881年には、カロル1世は国王に即位し、ルーマニア王国が樹立された。

「大ルーマニア」の成立と社会主義政権の成立

詳細は「第二次世界大戦下のルーマニア」を参照
1941年のルーマニア

第一次世界大戦では1916年8月27日に連合国側で参戦した。ルーマニア軍はトランシルヴァニア地方の併合を目指してオーストリアに進撃したものの、旧態依然とした体質と敵ドイツ軍のエーリッヒ・フォン・ファルケンハイン、アウグスト・フォン・マッケンゼンらの奮戦により、開戦からたった3ヶ月後の1916年12月6日に首都ブカレストを陥落させられた。休戦後の1918年12月1日には、ブコヴィナ、トランシルバニア、ドブロジャ、ベッサラビアを獲得し、大ルーマニアを実現させた[2]。

第二次世界大戦では、独ソ不可侵条約を受けてホルティ政権下のハンガリーがトランシルバニアに進駐。

また、スターリンのソ連もルーマニアに侵入し、ベッサラビアとブコヴィナを占領した。
このような領土喪失に無為だった国王カロル2世に国民の不満は高まり、王政廃止の原因となる。

その後、ルーマニアはファシズム団体鉄衛団が政権獲得後枢軸国について戦ったが、ソ連軍侵攻により、1944年に政変が起こり連合国につき(1944年のルーマニア革命)、ナチス・ドイツと戦端を開いた。

戦後、ベッサラビアとブコヴィナをソ連に奪われ、ソ連軍の圧力の下、1947年の12月30日に人民政府が成立。王政は廃止され、ルーマニア人民共和国となった。

チャウシェスク独裁体制とルーマニア革命

1968年8月。プラハ侵攻に抗議するルーマニアのチャウシェスク大統領。東側でのルーマニアの特異性が現れた場面であった。

1965年にはチャウシェスクが指導者の地位につき、国号をルーマニア社会主義共和国へ変更。

1974年には大統領に就任し、独裁体制をしいた。

その間、アメリカ合衆国、西ヨーロッパ、中華人民共和国と外交関係を交わし、「東欧の異端児」と呼ばれるようになった。

急速で過度に重工業化を目指し、西側からの技術の導入や機械の輸入で債務を膨張させた。

対外債務は飢餓輸出の結果完済したものの、「国民の館」と称する豪奢な宮殿を造営するなどの奢侈にはしったため、ルーマニアの経済は疲弊していった。

ルーマニアには石油が埋蔵されていて資源面で優位なことが、東西冷戦、中ソ対立においても、独自の立場の維持を可能にした。しかし、これはルーマニアをチャウシェスクの独裁国家に変質させる要因にもなった。

1977年3月4日、ブカレストの北方約100kmを震源とするマグニチュード7.0から7.5の地震が発生。多数の建物が倒壊して死傷者が出た。ブカレスト市内でも少なくとも十カ所のビルが倒壊したことを駐ルーマニアのアメリカ大使館員が報告している[3]。同年3月9日、ルーマニア共産党政治執行委員会は、同日時点で死者が1357人、重軽傷者10396人、被災家屋2万戸超に達していることを明らかにしている[4]。

ルーマニア革命

ソ連にゴルバチョフが登場し、ペレストロイカをはじめ、1989年にはベルリンの壁の崩壊に連なる、東欧の民主化の波はルーマニアにも波及した。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなど、東欧諸国が無血で民主化を成し遂げる中、チャウシェスク大統領は権力の保持を企図したため、暴動が発生。ルーマニアだけは、流血の革命[5]による民主化となった(1989年のルーマニア革命)。

1989年12月16日に、ルーマニア西部の都市ティミショアラでの牧師強制連行事件に対し、市民は抗議運動を起こし、当局はこれを鎮圧に乗り出したが、死者の発生が抗議運動に過熱化させる結果を招いた。

国民のチャウシェスク独裁の不満は一挙に噴出し、暴動は首都ブカレストを含むルーマニア全域に広がった。12月22日にはチャウシェスクは全土に戒厳令をしき、国軍による混乱鎮圧に着手する。

しかし、国軍は大統領の命令を拒否し国民に合流。彼らと治安部隊との武力衝突が、首都を含む各地で繰り広げられた。ブカレストでは、市民が共和国広場に押し寄せ、更に共産党本部、放送局を占拠。もはやこれまでと、チャウシェスクは夫人とともにヘリコプターで脱出を試みるが失敗、身柄を拘束されてしまう。

これを受けて、暫定政権として救国戦線評議会が結成され、数日で実権を掌握。事実上の政府となった。同評議会は議長に、イオン・イリエスクを選出。12月25日には、チャウシェスク夫妻は即決裁判で銃殺刑となった。その様子は映像で世界中に配信され、「ベルリンの壁の崩壊」の場面と並び、東欧民主化を国際社会に見せ付けることになった。

革命以後

1992年の救国戦線評議会の党大会では、内部抗争の結果分裂し、同年9月には大統領選、上下院選挙が行われイリエスクが大統領に就任。その後、民主化はされたが、高失業率や経済成長の停滞で前途は多難なものとなり、今も旧東欧圏では遅れをとっている。また、トランシルヴァニア地方の少数民族であるハンガリー系住民との民族問題を抱えている。2007年、ルーマニアは欧州連合(EU)に加盟した。

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この節の加筆が望まれています。

アンドレイ・オツェテァ著 鈴木四郎・鈴木学訳 『ルーマニア史1』恒文社、1977年。
アンドレイ・オツェテァ著 鈴木四郎・鈴木学訳 『ルーマニア史2』恒文社、1977年。
ジョルジュ・カステラン著 萩原直訳 『ルーマニア史』白水社、1993年。ISBN 4-560-05747-8。
六鹿茂夫編著 『ルーマニアを知るための60章』明石書店、2007年。ISBN 978-4-7503-2634-4。

ルーマニアの地理

ルーマニアの地理
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%9C%B0%E7%90%86

『本項では、ルーマニアの地理について解説する。

238,397k㎡の面積をもつルーマニアは、ヨーロッパで12番目に大きい国である。黒海沿岸の東南ヨーロッパにあり、北極と赤道の中間点にあるほか、ヨーロッパ最西端である大西洋岸と最東端のウラル山脈からも等距離である。国境の延長は3,195kmに及び、東をモルドバとウクライナ、南をブルガリア、西をセルビアとハンガリーに接する。また、南東部には、245kmにわたって、大西洋へとつながる黒海の海岸線がある。

歴史

ルーマニアには、現在こそ行政区画に反映されていないものの、伝統的にいくつかの地方に分割される。

ルーマニアの地形、行政区分を示した地図。グレーの文字は歴史的な地域名(Țara Româneascăはワラキアを指す)

ドブロジャは、東端にある地域で、北上するドナウ川から黒海沿岸まで延びている。

モルダヴィアは、東カルパティア山脈から、モルドバとウクライナの国境にあるプルト川にかけて広がっている。

ワラキアは、トランシルヴァニアアルプス山脈の南からブルガリアの国境にかけて広がり、オルト川より西側はオルテニア、東側はムンテニアに細分される。ムンテニアとドブロジャの間にはドナウ川が流れる。

中西部はトランシルヴァニアとして知られ、弧状に広がるカルパティア山脈によって、北西部のマラムレシュ地方と隔てられる。西側でハンガリーと接するクリシュナ地方、ハンガリーやセルビアと接する南西部のバナト地方といったカルパティア山脈西側の地域では、ハンガリー人、ドイツ人、セルビア人など少数派の民族が最も集中している。

現在のルーマニアの国境線は、比較的最近になって定まったものである。第一次世界大戦が勃発した際、ルーマニアの領土はワラキア、モルダヴィア、ドブロジャのみであった。これらの地域は古王国(レガット)と呼ばれ、19世紀中頃にオスマン帝国が崩壊したことによって領土となった。第一次世界大戦が終わると、ルーマニアはトランシルヴァニアやバナトを獲得する。第二次世界大戦中には再び領土の一部が失われるが、戦後回復している。これらの地域の統合により、東ヨーロッパのルーマニア語を話す人々のうち85%が領内に収まったが、同時に多くのハンガリー人居住地域が含まれることになった。ハンガリーもルーマニアもこうした領土を自国のものだと認識していたため、領土問題は定期的に表面化した。また、ソ連とルーマニアの国境の歴史的妥当性についても議論の的となってきた。ルーマニア語話者の多いブコヴィナやベッサラビアは、第二次世界大戦終結後からソ連が崩壊するまでソ連領となっており、その後は領土を受け継いだウクライナやモルドバの一部となっている。この問題は解決に至っていないが、1989年以降のルーマニアは領有権を主張していない。

ルーマニアは現在、41の県と特別な権限をもつブカレスト市に分割されている。詳細は「ルーマニアの県」を参照されたい。

地形

ルーマニアの自然地形[1]
カルパティア山脈を示した地図
ルーマニアと近隣諸国の地質図

ファガラシュ山脈はルーマニアで最も標高が高い

ルーマニアの自然地形は、山地(23%)、平地(39%)、丘陵(35%)に大別される。カルパティア山脈では標高2,500mを超える高地が広がる一方、ドナウ・デルタでは海抜数メートルの低地が広がるなど、国土は変化に富んでいる[1]。

カルパティア山脈は、国土の中央部を弧状に1,000km以上にわたって延びており、面積は71,000k㎡にも及ぶ。標高は低級・中級の山々が連なり、幅は100kmもない。縦横の峡谷によって山脈は細かく分断されており、いくつかの主要な河川もここから流れ出ている。谷が多いことと、標高2,256mまで峠道が延びていることから、カルパティア山脈は他のヨーロッパの山脈と比べると、障壁が少ないといえる。また、浸食が進んでいることも特徴で、こうした場所では比較的標高の高い場所に台地が広がり、1,200mを超えるような場所にも集落が存在する。

ルーマニア国内のカルパティア山脈は、東カルパティア山脈、南カルパティア山脈(トランシルヴァニアアルプス山脈)、西ルーマニアカルパティア山脈の3つに分けられ、それぞれ特徴をもっている。東カルパティア山脈は、北西から南東にかけて延びており、平行に並ぶ3つの尾根で構成される。西端は死火山地帯で、多くの円錐状の地形や噴火口跡が残されている。山脈内には盆地が多く、そのうち最大規模の盆地内にはブラショヴがある。盆地は重要な鉱業・産業の中心で、農業も盛んな地域となっている。また、森林が多いのも特徴で、国内の32%ほどを占めているほか、金や銀などの鉱床も存在し、湧き出るミネラルウォーターは数多くの健康リゾートで利用されている。

標高2,216mのブチェジ山脈にあるスフィンクス形の岩。高さは8m、幅は12mある

南カルパティア山脈には、モルドベアヌ山(2,544m)やネゴイウ山(2,535m)の高山があり、150以上の氷河湖が存在する。広い草地や森林が広がっているが、大きな盆地や鉱山資源は少ない。標高の高い地域では、雨や風によって岩が浸食され、スフィンクスや老女に見える岩が知られている。また、この地域には、ローマ時代に山脈越えの道がつくられ、現在でも跡が残っている。数多くの峠や、オルト川、ジウ川、ドナウ川によって形成された谷が存在し、そこを道路や鉄道が横断している。

西ルーマニアカルパティア山脈は、3つの山脈のなかでは最も標高が低く、多くの低地によって分断されている。この山脈は、通行が容易く、防御もしやすいことから、かつてより「門」としての機能を果たしている。最も有名な例は、ドナウ川の「鉄門」である。人口が最も集中している山脈でもあり、北端に位置するアプセニ山脈には、標高の最も高い集落がみられる。

カルパティア山脈の描く弧の内部には、波状に平地と低い丘が連続するトランシルヴァニア高原があり、国内最大の台地となっている。ここは一大穀倉地帯であるのと同時に、メタンガスや塩の産地ともなっている。カルパティア山脈の南側から東側にかけては、外カルパティアと呼ばれる地域が広がっており、標高396mから1,006mまで起伏が多い。また、これらの高地の西側には、やや標高の低い西部丘陵地帯が存在する。ルーマニアの起伏地形はさらに外側にも広がり、外カルパティアの南にはゲティック台地、東部の外カルパティアとプルト川の間にはモルダヴィア台地、南東部のドナウ川と黒海の間にはドブロジャ台地が存在する。外カルパティアと各台地の間は定住に適しており、果実、ブドウの栽培、農業が行われているほか、褐炭や天然ガスが大量に埋蔵している。

カルパティア山脈の高地の両側、南部と西部には平地が広がっている。このうち南部の低ドナウ平野は、オルト川によって東西に二分される。東側はワラキア平原、西側はオルテニア平原(西部平原)である。これらの平地は肥沃なチェルノーゼム土壌となっており、ルーマニア最大の農業地帯である。広範囲にわたって灌漑が行われ、ドナウ川の氾濫原にある湿地帯では、堤防建設と排水を実施してさらなる耕作地を生み出している。

ドブロジャの北端にあるドナウ・デルタは、ルーマニアで最も標高の低い地域である。デルタは沼地、葦の浮島、砂地で構成され、3,000km近くを流れてきたドナウ川は、ここで3本に分流して黒海に注ぐ。ドナウ・デルタは、ルーマニアの漁業の中心地で、葦は繊維として用いられる。また、渡り鳥など希少動物や植物が生息しており、自然保護区に指定されている。

「ルーマニアの保護地域(英語版)」も参照

水理

トランシルヴァニアのトゥルダ峡谷を流れるハシュダテ川

河川

ドナウ川は、バジアシュの南西でルーマニアに入り、流路全体の約40%にあたる1,075kmにわたって国内を流れる。ほとんどがルーマニア南端の国境となっており、この川を境にセルビアやブルガリアと接する。ルーマニア国内の河川のほぼすべてが直接または間接的なドナウ川の支流であり、ドナウ川の総流量の40%近くがルーマニアで合流する。代表的な支流として、ムレシュ川、オルト川、プルト川、シレト川、ヤロミツァ川、ソメシュ川、アルジェシュ川が挙げられる。オルト川は、ルーマニア国内のみで完結する河川としては最長で、615kmある。

ルーマニアの河川の多くは、カルパティア山脈から東、西、南に流れている。川の水は降水と雪解け水によって成り立っているため、流量の変化が激しく、時折洪水も発生する。ルーマニア東部ではシレト川、プルト川、西部ではハンガリー領内のティサ川をそれぞれ経由した後、ドナウ川に注ぐのに対し、南部では直接ドナウ川に流れ込む。

ドナウ川はルーマニアでは重要な役割を担っており、交通だけでなく、水力発電にも用いられる。ヨーロッパ最大の水力発電所は、カルパティア山脈を通過するドナウ川が形成する峡谷、鉄門に存在する。また、国内外問わず貨物輸送の経路としても用いられている。河口付近のドナウ・デルタは水深が浅いため、船が航行できるのはブライラの港までとなっている。ドナウ川の利用に関する大きな課題は、国内の主要な産業地域から離れており、内陸交通の場として十分に活かしきれないことである。また、湿地帯や洪水の時期には航行できなくなることもある。

湖沼

ルーマニアには3,500を超える湖が存在する。最大のものは、511k㎡の面積をもつラジム湖である。

気候
ケッペンの気候区分でみるルーマニアの地図

ルーマニアはヨーロッパ大陸の南東部に位置しており、温暖な気候と大陸性気候の境目にある。気候条件は地形によって影響を受けている。カルパティア山脈は、大西洋からの気団の障害となるため、西部や中部では、冬は暖かく、降雨の多い海洋性気候の影響が限定されている。同時に北側にある広大なウクライナの平原から来る、非常に寒く雨の少ない大陸性気候の影響も和らげている。最南東部では、地中海の影響で暖かく、海洋性の気候がみられる。年間平均気温は南部で11℃、北部で8℃である。首都ブカレストでは、1月の最低気温が-29℃、7月の最高気温が29℃となり、平均気温は1月が-3℃、7月が23℃である。全国的に降水はあるが、西部から東部へ、山地から平野部へ行くにつれ少なくなる。一部の山岳地帯では、毎年1,010mmを超える降水量があり、年間平均はトランシルヴァニア中部で635mm、モルダヴィアのヤシで521mmであるのに対し、黒海沿岸のコンスタンツァでは381mmまで減少する。

季節ごとの特徴として、冬は寒く曇りがちで、頻繁に雪や霧となる。夏は晴れることが多いが、にわか雨や雷雨も多発する。冬は一般的に11月から3月までで、春は短くすぐに夏に入る。夏は5月から8月まで続き、秋は9月から11月と長い。1月の平均気温は1.1℃、7月の平均気温は20.6℃である。史上最高気温は、1951年8月10日に南東部で観測された44.5℃、最低気温は1942年1月24日に中部で観測された-38.5℃である。

位置

ヨーロッパ南東部に位置し、黒海、ドナウ川を国境とする。中央部にはカルパティア山脈が横切る。バルカン半島、モルドバ、ウクライナ間の交通の通過点となっている。

大まかな位置座標

北緯46度00分 東経25度00分

ルーマニアの極地

北端(北緯48度15分 東経26度42分): ホロディシュテア - ボトシャニ県の村、ウクライナとの国境
南端(北緯43度37分 東経25度23分): ジムニチャ - テレオルマン県の町、ブルガリアとの国境
西端(北緯46度07分 東経20度15分): ベバ・ベケ - ティミシュ県の村、ハンガリー、セルビアとの国境
東端(北緯45度09分 東経29度41分): スリナ - トゥルチャ県の町、ドナウ・デルタ内

面積

全体: 238,391平方キロメートル (92,043 sq mi)
陸地: 231,231平方キロメートル (89,279 sq mi)
水地: 7,160平方キロメートル (2,760 sq mi)

国境

総延長: 3,149.9km
各国境の長さ: ブルガリア(631km)、ハンガリー (448km)、モルドバ (681km)、セルビア (546km)、ウクライナ (649km)

海岸線・領海

総延長: 245km
国境問題: ズミイヌイ島
排他的経済水域: 面積23,627k㎡

地勢

トゥルダ岩塩坑

最高・最低地点

最低地点: 黒海 (0m)
最高地点: モルドベアヌ山 (2,544m)

天然資源

石油(埋蔵量は減少傾向)、木材、天然ガス、石炭、鉄鋼、塩、耕作地、水力発電

土地利用(1993年推計)

耕作可能地: 41%
永続的な農地: 3%
永続的な牧草地: 21%
森林: 29%
その他: 6%

灌漑地域(1993年推計)

31,020km

自然災害

地震は南部、南西部に多い。地形や気候が要因で土砂災害も発生する。

環境

主な環境問題

土壌浸食、南部の産業排水による水質・大気汚染、ドナウ・デルタの湿地汚染

国際的な合意領域

大気汚染、南極条約、生物多様性、気候変動、砂漠化、絶滅危惧種、環境改変、有害廃棄物、海洋法、核実験禁止、オゾン層保全、船舶による汚染、湿地

署名しているが批准に至っていない領域

残留性有機汚染物質、環境保護に関する南極条約議定書、京都議定書(気候変動)』

成長するルーマニアの展望と問題点

成長するルーマニアの展望と問題点 – 北の国から猫と二人で想う事 livedoor版
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5406325.html

『EU加盟を果たしたルーマニアRomaniaの首都ブカレストで2023年1月24日、ロシアとウクライナの「戦争」へのルーマニアの関与に反対するデモが行われた。参加者らは「戦争反対! 家族の元へ帰れ! 子どもたちの元へ帰れ! 愛する人の元へ帰れ! あなた方の責務は親としての役割を果たすことで、世界を破壊することではない!」と書かれたポスターを掲げた。中には「(ウクライナの隣国)モルドバから出て行け!」と書かれた旗を掲げる人もいた。 全て、プーチンロシアのウクライナからの撤退を指している。

1d3332b8 njnj東欧ルーマニアは今年、低迷する近隣諸国を上回る経済成長を遂げる見通しだ。欧州連合(EU)の資金支援や通貨レウの安定、ロシアやウクライナからの製造拠点移設に伴う外国投資などが追い風となっている。
国際通貨基金(IMF)は今年のルーマニアの成長率を3.1%と予想し、ポーランドや、景気減速と高インフレに見舞われているハンガリーを上回る勢いで、長らく欧州最貧国のひとつであり汚職のまん延で知られてきたが、過去10年でいつの間にか近隣諸国と肩を並べ、ポーランドに次ぐ東欧第2の経済大国にのしあがった。

ルーマニアの明るい見通しを支えているのがEUへの加盟およびEUとの良好な関係だ。ハンガリーとポーランドが、数十億ドル規模のパンデミック復興基金の拠出条件である司法改革を巡りEUと交渉を続けているのを尻目に、ルーマニアは既にEUから60億ユーロ(約8470億円)を超える助成と低利融資を引き出している。
EU当局者は、「(復興基金)計画に盛り込まれた全ての汚職防止措置が正しく実施されれば、ルーマニアはこの地域における良好なガバナンスの見本になり得る」と述べた。これはEUが融資先のEU加盟国へ求める改善策の一つで、ウクライナも意識して遅く対策に乗り出している。

国際的製造、販売ハブを求める企業がロシアやウクライナからコストの低い近隣諸国へと製造拠点に移したことも追い風となり、ルーマニアには昨年1─10月の外国直接投資が93億9000万ユーロと、10カ月間としてはEU加盟以来最大となった。
2022年の調査によると、外国企業101社の半数以上がルーマニアでサプライチェーン(供給網)や物流などの分野を中心に事業の立ち上げや拡大を計画。ルーマニアは投資意欲の評価で欧州4位となっている。この中にはフィンランドのノキアンタイヤが計画する、ルーマニア北西部オラデアの工場に2024年までに6億5000万ユーロを投資するプロジェクトも含まれている。

だが、ルーマニア経済には依然としていくつも障害が残っている。巨額の経常赤字、高齢化、インフラ整備を阻む慢性的なお役所仕事などだ。2024年に選挙を控えて財政赤字の削減は難しいかもしれない。

EUとの関係も常に良好ではない。昨年12月には無許可の移民を巡りオーストリアが反対の立場を取ったことで、ルーマニアは域内を入国審査なしで移動できるシェンゲン協定への加入が見送られた。また、地域格差は大きい。農村の一部ではいまだに電力網が整備されていない一方、活気あふれるブカレストの生活水準は旧東ドイツを上回っている。しかしルーマニア中銀総裁を30年余りにわたって務めるムグル・イサレスク氏は、状況は変わりつつあると楽観的だ。11月のインタビューでルーマニアの現状について「最近地方を訪れたが、道路は両側とも車でいっぱいだった。好調なのはブカレストだけではない。景気後退や貧困が起きているようには全く見えない」と話した。参照記事 参照記事 』

「汚職大国」ウクライナが向き合うべき“もう一つ”の戦い

「汚職大国」ウクライナが向き合うべき“もう一つ”の戦い – 孤帆の遠影碧空に尽き
https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/a3d62f48a44132b06f32da4cade26232

『(ウクライナ南東部マリウポリからの避難民を支援するために集まった国際支援物資の山【2022年12月19日 時事】 こうした現場で横流しなどの不正が横行しやすいのは想像に難くありません。支援された武器についても同様でしょう。)

【相次ぐ汚職容疑・不祥事高官の解任】

昨日取り上げたウクライナへの戦車供与の問題は、ドイツ・アメリカがともに供与する方向で方針転換が図られていることは報道のとおり。

そのウクライナから、もうひとつ重要なニュースが。

****ウクライナ、不祥事や汚職で高官解任相次ぐ…「国民の結束」へ影響懸念****

ウクライナで不祥事の発覚などによる高官の解任や辞職が相次いでいる。ロシアによる侵略に対処するうえで、ゼレンスキー政権は、国民の結束を乱す事態を懸念している模様だ。

大統領府は24日、大統領府副長官を解任する大統領令を発表した。理由は明らかにされていないが、地元メディアは、副長官が米自動車メーカーが住民避難のために提供したスポーツ用多目的車(SUV)を目的外で使用した疑いを報じている。17日には露軍の攻撃を「ウクライナが迎撃した」と誤って説明した大統領府顧問も引責辞任した。

24日には国防省も、物資補給を担当する次官が辞任したと発表した。地元メディアが21日、前線の兵士らへの食料調達が、小売価格より高い価格で行われていたなどと汚職疑惑を指摘した。国防省は22日の声明で「意図的な印象操作だ」と報道を否定したが、火消しにも追われている。

ウクライナの国家汚職対策局(NABU)は22日、40万ドル(約5200万円)の収賄容疑でインフラ省次官を拘束したと発表した。昨年夏、露軍の攻撃に伴う発電や暖房関連の設備調達を巡り、契約額をつり上げる見返りだったといい、仲介業者に不当な利益を与える目的だったとみられる。インフラ省は21日、捜査を受け次官の免職を発表した。

また、検察当局は24日、政府が国民男性の出国を厳しく制限する中で、昨年末に国外で休暇を過ごしたと報じられた検事副総長の辞任を認めたと発表した。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は23日の国民向けのビデオ演説で、公務員が職務以外の目的で出国することを禁止すると表明した。

汚職防止に取り組む国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」(本部・ベルリン)が公表した2021年の汚職指数ランキングで、ウクライナは180か国・地域中122位、ロシアは同136位だった。

支援を続ける米欧や日本など各国のウクライナ政府への不信感が強まれば、ロシア側に付け入る隙を与える可能性もある。【1月25日 読売】

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【米議会にも根強いアフガニスタン支援の二の舞への危惧 腐敗一掃は国際支援維持のために不可欠 更には・・・】
上記記事にもあるように、以前からウクライナは汚職が蔓延する国家として知られており、各種の汚職ランキングでは(ロシアと並んで)常に下位にランキングされる国です。

そうしたことから、ロシア軍侵攻以降、ゼレンスキー大統領のあたかも民主主義の旗を振りかざすような言動に対して鼻白む向きも少なくありません。

「ご立派なこと言ってるけど、ウクライナって犯罪マフィア国家じゃないか」
「あんな国に支援したって、汚職政治家の懐を潤すだけ」
「ウクライナに供与した武器はどこに消えるの? 第三国に横流しされてるんじゃないの?」等々

今回の一連の汚職容疑高官解任は、国内の不満を和らげて戦争遂行に向けた求心力を高めるとともに、対外的にウクライナへの信頼を繋ぎとめるためのように思われます。

ロシアとの戦いにおいて、欧米からの武器支援は「生命線」であり、そこが揺らぐようなことがあっては戦いに勝利することは不可能です。

下記は、昨年9月段階で、ウクライナ支援に対するアメリカ議会にも存在する批判・疑問に関するもの。
今回の措置は、こうした批判・疑問に応えるものでもあるのでしょう。

****「汚職大国」ウクライナに供与された支援金と武器、無駄遣いで「消失」する危険****

<アフガニスタンでは、アメリカからの支援金の3割が無駄遣いや汚職で「消えた」。監視・追跡の仕組みがないウクライナでも同じ間違いを繰り返すのか>

イスラム主義組織タリバンが政権を掌握したアフガニスタンから米軍が撤退し、20年にわたる泥沼戦争にようやく終止符が打たれてから1年。アメリカはまたも、戦争中の国への軍事援助と経済援助に莫大な金額をつぎ込んでいる。今度の相手は、ロシアの侵攻と戦うウクライナだ。

ジョー・バイデン大統領の就任以来、アメリカはウクライナに136億ドルの安全保障援助を約束してきた。さらに米議会は5月に約400億ドルの追加支援法案を可決しており、今後も支援は拡大しそうだ。

アフガニスタンでの経験が手掛かりになるとすれば、これらの資金の多くが流用され、悪用され、あるいはどこかに消えてしまう可能性が高いと、専門家は指摘する。

「アフガニスタンに莫大な資金を投じたときと同じことが起きている」と、米政府のアフガニスタン復興担当特別査察官事務所(SIGAR)のジョン・ソプコ特別監査官は語る。

アメリカのNGOである武器管理協会のガブリエラ・イベリズ・ローザヘルナンデス研究員も、ウクライナへの援助について特別査察官事務所が設置されれば、アメリカの資金がどこ(とりわけ安全保障の領域で)に行き着いたかを追跡する助けになるだろうと語る。

ただ、援助の規模が大きいことや、軽兵器は追跡が難しいことを考えると、実際の作業は厄介なものになるだろうとローザヘルナンデスは予想する。

アフガニスタンでも、タリバンがアメリカの兵器を一部入手したし、イラクやシリアでは、現地のパートナーに提供するはずの武器が過激派組織「イスラム国」(IS)のようなテロ組織の手に渡ったことがあった。

2020年のSIGARの報告書によると、アメリカがアフガニスタン政府に供与した資金約630億ドルのうち、約190億ドルが無駄遣い、汚職、乱用に消えた(ちなみにアメリカがアフガニスタン戦争に費やした金額は計1340億ドルだ)。

ウクライナへの支援金が同じような運命をたどらないようにするためには、もっと監視が必要だと、ソプコら専門家は警告する。

「これだけ莫大な資金が一つの国に急に投入されるときは、最初から監視の仕組みを構築しておく必要がある」とソプコは言う。「だが、それが今は見当たらない。通常の監督機関は忙しくて手が回らないのが現状だ」

懸念されるのは、支援金の行方だけではない。ロシアから占領地域を奪還するための戦いは市街地で展開されることもあり、アメリカ製の武器を手にしたウクライナ軍が、一般市民を巻き添えにする恐れがある。

武器が敵対国や組織に横流しされる危険
アメリカが供給した武器がウクライナ経由で、アメリカに敵対する国や組織に横流しされる危険もある。「中東のテロ組織が、ウクライナから流出したジャベリン(携帯型対戦車ミサイル)を手に入れれば、甚大なダメージになる」と、米戦略国際問題研究所(CSIS)のマーク・キャンシアン上級顧問は語る。

過去の失敗を繰り返さないためには、ホワイトハウスと議会の両方に、ウクライナ紛争の状況を正直に説明する超党派の手続きを設けるべきだと、専門家らは訴えている。

世界でも指折りの「腐敗大国」

ウクライナに対する軍事援助や経済援助の透明性を高めるために、SIGARのウクライナ版を設置するべきだとソプコは主張する。SIGARは、アフガニスタン復興事業に使われるアメリカの資金の流れを監視する政府機関として08年に設立され、四半期ごとに米議会に報告書を提出している。

こうした監視体制は、シリアなどの紛争でもモデルになるはずだとソプコは言う。
「戦争中に武器援助の流れを追跡するのは非常に難しい。小火器の場合はなおさらだ」と、ローザヘルナンデスは言う。「戦場では、軍需品の管理は貧弱になりがちだ。アメリカとウクライナ双方の政策立案者が、説明責任に重点を置く必要がある」

米議会では実際、対ウクライナ援助の流れをもっと厳しく監視するべきだという声が、民主・共和どちらの党の議員からも上がっている。ランド・ポール上院議員(共和党)は5月、上院が400億ドルのウクライナ追加支援法案を迅速に可決しようとしたとき、その手続きに反対して採決を遅らせた(ファスト・トラック手続きを利用するためには満場一致の賛成が必要になるためだ)。

チャック・グラスリー上院議員(共和党)も6月、援助の監視体制が脆弱だと声を上げた。保守派だけではない。上院軍事委員会のメンバーである民主党のエリザベス・ウォーレン上院議員も、強力な監視の仕組みを確立するよう求めた。

1991年にソ連から独立したウクライナは、大掛かりな腐敗に長年苦しんできた。国際NGOトランスペアレンシー・インターナショナル(TI)の21年の汚職腐敗度指数(CPI)で、ウクライナはエスワティニ(旧スワジランド)と並び世界122位にランクされている。

すぐ下にはガボンやメキシコ、ニジェール、パプアニューギニアといった国がランクされている。 ちなみにアフガニスタンは174位と、もっと下だ。イラクは157位、シリアは178位、アメリカは27位、ロシアは136位だ。(中略)

カリテンコによるとウクライナの評価は、信頼に足る9つの国際機関が実施した調査結果に基づいており、前年よりも評価は下がったという。これはウクライナの「政府機関に腐敗を取り締まる常任の管理職が長年存在しなかったため、腐敗追放システムに対するプレッシャーが高まっている」からだ。

「腐敗取締特別検察庁(SAPO)の長官選びは1年以上かかった」とカリテンコは言う。「資産回収管理局(ARMA)のトップ選びも、前任者の更迭から2年近くたってようやく始まった」

問題はさらに2つある。司法改革に着手するための法的枠組みが採択されたのに、改革の実施が遅れていることと、いくつかの腐敗問題の徹底的な解決に寄与するはずの『反腐敗戦略』の議会での採択が遅れたことだ。

ロシアとの戦争も重荷だ。「戦争が続いているのに、腐敗撲滅に向けた改革を目覚ましく前進させることができると期待するのは非現実的だが」とカリテンコは言う。「今すぐにでも取り組まなければならない課題がある」

装備の横流しを防ぐ手だてはない

SAPOの長官は7月に任命されたばかりだし、ARMAと国家反汚職局(NABU)の責任者は選考中だ。トップの不在はウクライナにとって弱点だ。

「各組織が独立性や、権限の基礎となる法的枠組みについて課題を抱えているならなおさらだ」とカリテンコは言う。

トップ人事の遅れは組織の効率性にも悪影響を与える。既に長官が任命されたSAPOでも「独立性を強化し、トップの権限を拡大し、不当な介入を受けるリスクを最小化しなければならない状況は残っている」。

航空防衛産業のコンサルティング会社スティーブン・マイヤーズ&アソシエイツの創業者で、米国務省の国際経済政策諮問委員会を務めた経験もあるスティーブン・マイヤーズも、ウクライナ支援の透明性の欠如を心配する1人だ。

「ウクライナには、支援の分配に関して説明責任を果たすための効果的な仕組みがない」とマイヤーズは本誌に語った。「懸念すべき状況なのは間違いない」

マイヤーズに言わせれば、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領率いる現政権も含む、ウクライナの過去20年間の歴代政権は腐敗の大きな問題を抱えてきた。

賄賂などの違法なカネの流れが生まれがちなだけではない。「さらに深刻なのは支援を受けた軍備品や武器に関わる問題だ」と彼は言う。「戦地の指揮官が装備の一部をロシア人や中国人、イラン人といった買い手に横流しするのを防ぐ手だてがほぼない」

CSISのキャンシアンが心配するのは、腐敗の可能性や具体的な事例が、超党派で進められてきたウクライナ支援に悪影響を与えることだ。

「腐敗の実例が明らかになれば、超党派の合意に水を差すだろう」とキャンシアンは言う。「そんなことになれば深刻な影響が出る。ウクライナはアメリカとNATOからの長期にわたる高度な支援を必要としているのだから」

アフガニスタンとウクライナでは状況があまりにも違うとしながら、キャンシアンも特別査察官事務所の設置は支援の無駄遣いや不正使用の防止に役立つと考える。

ただしアフガニスタンでは、SIGARの警告に耳を傾ける人はほとんどいなかったのも確かだ。

支援がなければ我々の政権は崩壊する
「アフガニスタンではどの司令官も腐敗の問題は遺憾だと言っていた」とキャンシアンは語る。「だが結局は、『支援を削減すればわれわれ(の政権)は崩壊する。支援は続けてもらわなければ困る』と言うばかりだった。ウクライナも同じような傾向にあるのかもしれない」

これまでのところ、高価なハイテク兵器の支援を求めるウクライナ政府の訴えは功を奏している。アメリカ政府は高機動ロケット砲システム(HIMARS)などの最先端の武器を供与してきた。

だが支援の増加に比例して、リスクも増えている。懸念される点は大きく分けて2つ。1つはアメリカから供与された武器がウクライナ軍ではなく、アメリカと敵対する第三者の手に渡る可能性だ。

「武器に関するリスクとは、横流しの可能性だ」とキャンシアンは言う。「ジャベリンや対戦車兵器、スティンガーミサイルの一部が、ウクライナにいる誰かが第三者に横流ししたせいで、渡ってはならない勢力の手に渡ってしまうかもしれない」

アフガンの過ちを繰り返さないために
第2のリスクは、アメリカが供与した兵器や武器によって民間人の犠牲が出てしまう可能性だ。侵攻開始以降、ロシアとウクライナは互いに相手の残虐行為を非難しているが、キャンシアンは「ロシア人に対してではなくウクライナ人、特にロシア語を話す人々に対して」アメリカの武器が使われるシナリオを懸念する。

ロシアが占領しているウクライナの東部や南部では、住民の多くをロシア語話者が占めている。そしてロシア政府の言う「戦争の大義」には、ウクライナ国内のロシア語話者の防衛も重点項目として掲げられている。

アメリカによる監視を強化すれば、供与された武器が必要な場所に届くのが遅れるというウクライナ側の理屈を、キャンシアンは一蹴する。「これらの(監視の)メカニズムには干渉が過ぎる印象があるかもしれないが、実際はアメリカが援助を行う際のスタンダードだ」

「アフガニスタンのときのように『この国は腐敗していて、金を出しても横取りされてしまうだけだ』という見方が出てきたら、ロシアと戦い続けるために必要な長期的な支援は消えうせるだろう」と彼は言う。

この問題について国務省の報道官は、バイデン政権はゼレンスキー政権と直接手を携え、あらゆる形の支援が必要なところに届くよう努めていると述べた。

「アメリカは自国の防衛技術を守り、その横流しや違法な拡散を防ぐ責任を非常に重く受け止めている。支援に関する説明責任がしっかり果たされるよう、われわれはウクライナ政府への積極的な関与を続けている」。

だがこうした言葉だけでは、さらなる透明性を伴う厳格な仕組みを求める人々を納得させることはできない。

SIGARのソプコも支援については、監視を含めて党派を超えた取り組みが大事だと考えている。「それこそが本当に必要だ」とソプコは言う。「そうでなければ、われわれは歴史のハムスターの回し車に乗って、同じ過ちを繰り返し続けることになる」【2022年9月29日 Newsweek】

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【生まれ変わる好機】

前述のように「腐敗・汚職」との戦いは、国際社会の信頼を得てロシアとの戦いを勝利するためには必要不可欠なものですが、それ以上に、ロシアとの戦いが終わったあとも、今後のウクライナにとって民主的国家として進むために死活的に重要な課題です。

汚職・腐敗ランキングで下位にあるようなウクライナにとっては、汚職・腐敗は社会の隅々まで行き渡った現象でもあり、これを是正していくことは、ロシアとの戦い以上に困難な、長い時間を要する戦いかもしれません。

****国際支援の陰で汚職懸念=武器流用や着服の疑いも―有識者ら「監察機関設置を」・ウクライナ****

(中略)
生まれ変わる好機
多額の国際支援が投じられたアフガニスタンでは、米政府が資金の使途に目を光らせる特別監察官を設置した。米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)のマーク・カンチアン上級顧問は「まずはウクライナにも特別監察官を置くべきだ」と声を上げる。

復興段階に入れば、さらなる国際支援の流入が予想される。ウクライナのNGO「汚職防止行動センター」のヴィタリ・シャブニン氏は「支援金が政府に直接渡れば、間違いなく汚職の温床になる」と警告。「国際社会の信頼を失い支援が途絶えれば、ウクライナは終わる」として、欧米の監査を受け入れるか、復興資金を管理する基金をつくるべきだと訴える。

一方、戦争は新たな機会ももたらした。汚職の一因だったウクライナの新興財閥(オリガルヒ)の資産を破壊し、政治的影響力を弱体化させたからだ。シャブニン氏は「戦争はウクライナが腐敗を一掃し、生まれ変わる大きなチャンスでもある」と語っている。【2022年12月19日 時事】

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森元首相発言 官房副長官“ロシアの侵攻に厳しい対応継続”

森元首相発言 官房副長官“ロシアの侵攻に厳しい対応継続”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230126/k10013961411000.html

『ロシアのプーチン大統領と親交があった森元総理大臣が、ウクライナ支援に力を入れる日本の外交姿勢に疑問を呈したことについて、木原官房副長官は、ロシアのウクライナ侵攻は暴挙だとして、G7などと結束して厳しい対応を継続する重要性を強調しました。

ウクライナ情勢をめぐり、森元総理大臣は25日、ウクライナ支援に力を入れる日本政府の外交姿勢に疑問を呈したうえで、「ロシアが負けることは考えられない」などと述べました。

これについて、木原官房副長官は記者会見で「ロシアのウクライナ侵略は国際社会が築き上げてきた国際秩序の根幹を脅かす暴挙で、G7=主要7か国をはじめとする国際社会が引き続き結束して断固たる決意で対応することが重要だ。国際社会と連携し、対ロ制裁とウクライナ支援を強力に推進していく」と強調しました。

一方、今後の日ロ関係については「大変厳しい状況にある今の時点では、平和条約交渉の展望を具体的に言える状況ではないが、北方領土問題を解決し平和条約を締結する対ロ外交の基本方針は不変だ」と述べました。』

日本のウクライナ支援を疑問視 森元首相「ロシア負けず」

日本のウクライナ支援を疑問視 森元首相「ロシア負けず」
https://www.47news.jp/politics/8856934.html

『森喜朗元首相は25日、東京都内のホテルで開かれた会合で、ロシアのウクライナ侵攻を巡り、日本政府の対応を疑問視した。「こんなにウクライナに力を入れてしまって良いのか。ロシアが負けることは、まず考えられない」と述べた。

 日本は、ロシアのウクライナ侵攻について「不当かつ残虐な侵略戦争」(岸田文雄首相)と非難しており、森氏の発言は物議を醸しそうだ。

 森氏は、自身がかつて会長を務めた「日印協会」の会合に出席。「今のロシア問題もそうだ。せっかく(日ロ関係を)積み立てて、ここまで来ている」として、ウクライナに肩入れしすぎれば日ロ関係が崩壊しかねないとの認識を示した。』

侵攻下、覚悟の更迭 汚職脱却と信頼回復を優先―ウクライナ

侵攻下、覚悟の更迭 汚職脱却と信頼回復を優先―ウクライナ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023012500700&g=int

『ウクライナのゼレンスキー大統領は24日、ロシアによる侵攻下、大規模な政権人事に踏み切った。実態は、対策道半ばの汚職問題を背景とした更迭劇。弱さをさらけ出すことは「敵国を利する」と疑問視する声もある中、欧州連合(EU)加盟候補国として旧態依然の体質から脱却する覚悟を示した形だ。

ウクライナ、調達巡る「汚職」に動揺 侵攻対応への影響懸念

 焦点の主力戦車など、西側諸国の支援を継続的に受けるためにも、信頼回復が最優先と見なした可能性がある。
 ロシア独立系メディア「メドゥーザ」によると、解任されたのは11人で、そのうち多くは不祥事で足をすくわれた。

 中でも注目は、兵士向け食材調達で「小売価格の2~3倍」(現地メディア)という不自然な契約を結んだとされる国防省。巨額の「差額」の行方は不明だ。兵士が命懸けで戦う中、高官が私腹を肥やす印象を抱かれ、シャポワロフ国防次官が辞任に追い込まれた。
 国防省の信頼が低下すれば、士気に影響しかねない。ゼレンスキー氏は「聖域」なくメスを入れた格好で、汚職疑惑を暴いた調査報道にも謝意を示した。ただ「トカゲの尻尾切り」の懸念は残っている。

 また、動員令で男性が原則出国できない中、「戦争犯罪」捜査を担う最高検ナンバー2のシモネンコ氏は、スペインで休暇を過ごしたと報じられ、更迭された。

 政権中枢では、ティモシェンコ大統領府副長官の「高級車」趣味が批判された。昨年、米国から人道支援用に供与されたスポーツ用多目的車(SUV)で「マイカー通勤」。戦時下の首都キーウ(キエフ)でドイツのポルシェを運転していたと伝えられ、24日の解任につながった。

 「不祥事を問題視している場合かと反論する人には、今はポルシェを乗り回している場合かと問い直してほしい」。現地メディア「ウクラインスカ・プラウダ」記者はこう訴えていた。 』

戦車供与「極めて危険」 米独の決定に猛反発―ロシア

戦車供与「極めて危険」 米独の決定に猛反発―ロシア
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023012600281&g=int

『ロシアのネチャエフ駐ドイツ大使は25日の声明で、ウクライナにドイツ製主力戦車「レオパルト2」が供与されることについて「極めて危険な決定だ」と猛反発した。アントノフ駐米大使も、米国による主力戦車「エイブラムス」供与の発表に先立ち「ロシアの戦略的敗北を企図しているのは明らかだ」とし、バイデン政権を非難した。

プーチン政権、米戦車の破壊警告 ウクライナ支援に反発

 ドイツとロシアは第2次大戦で、人類史上最悪の地上戦とされる独ソ戦を経験している。これを踏まえ、ネチャエフ氏は「ドイツの選択は、ナチズムの恐ろしくかつ時効のない犯罪を巡り、歴史的な責任を取ることを金輪際拒否するものだ」と主張した。 』

戦局動かすゲームチェンジャーか ドイツ製戦車供与

戦局動かすゲームチェンジャーか ドイツ製戦車供与
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00003340V20C23A1000000/

『ドイツ政府は25日、ウクライナに独製主力戦車「レオパルト2」を供与することを決めた。ショルツ首相はこれまで供与に慎重だったが、欧州安全保障の強化に向けて方針を転換した。侵攻するロシアから国土を奪還するため、ウクライナはドイツに同戦車の供与を強く求めてきた。重要な攻撃兵器の供与は戦局を大きく動かすゲームチェンジャーとなる可能性がある。同戦車を巡る最新情勢を解説する。』

『慎重ショルツ首相、同盟国が決断後押し

レオパルト2はドイツが1970年代後半から採用してきた主力戦車で、これまで複数回にわたり改良を重ねてきた。攻撃能力の高さから、世界で最も優れた戦車のひとつとして評価されており、欧州、北大西洋条約機構(NATO)加盟の多くの国々が採用している。

同戦車を巡っては、ポーランドなどが自国で保有する車両のウクライナへの供与を表明したが、再輸出には製造国ドイツの承認が必要だ。ドイツは軍事支援での突出やロシアとの対立を懸念し、供与に慎重な姿勢を見せていた。

20日には約50カ国の国防相らによる国際会議が開かれたが、ドイツが決断を先送りし、国内外で批判が高まっていた。こうした圧力と同盟国の説得に加え、米国が戦車供与に前向きな姿勢を示したことで、外堀が埋まった。ポーランドなどによる提供も認める見通しだ。

レオパルト2の実戦投入に要する期間は明らかになっていない。ウクライナ軍は旧ソ連製兵器を主に使用しており、訓練には1〜2カ月ほどかかるとみられる。春には供与された戦車を軸とした部隊が前線に投入される可能性がある。

戦車、ロシアの防衛線突破に不可欠

ロシアは支配地を防衛するため塹壕(ざんごう)を築く。塹壕とは兵士が身を隠すために陣地の周りに掘った穴や溝だ。ロシア軍からすれば、領土奪還をめざすウクライナの攻撃から身を守りつつ反撃ができる。

ウクライナはロシアの防衛線を突破するため、欧米に強力な陸上兵器の支援を求めてきた。戦車を使えば、砲弾による打撃を防御しながら速いスピードで動き回り、塹壕を突破できる可能性がある。

戦車は銃弾をはね返す「装甲」と、足場の悪い場所で機動的に動ける「履帯(クローラー)」、遠距離の軍事目標に撃ち込む「重砲」を兼ね備える。舗装路が多い市街地戦ではタイヤで動く機動戦闘車が重視されるが、塹壕戦では戦車が重要とされる。

戦車が初めて本格的に登場したのは第1次世界大戦だった。欧州の戦線で塹壕戦が始まり戦況が膠着し、局面を打開するための新兵器として投入された。

第2次世界大戦後も戦車は陸上戦闘の主力兵器として各国が導入を進めた。日本の陸上自衛隊も旧ソ連の上陸侵攻に備える目的で、北海道を中心に多数の戦車を配備してきた。

ソ連崩壊後、戦車の需要は一段落していたが、ロシアのウクライナ侵攻を受け東欧諸国などが再び戦車を重視し始めている。』

『「欧州標準」のレオパルト2、ウクライナ切望

ドイツのレオパルト2はNATO陣営の三大戦車のひとつとされる。英国の国際戦略研究所(IISS)によると欧州の10カ国以上で計約2000両を保有する。このため、欧州各国からウクライナへの大量供与が可能な唯一の欧州製戦車と目されてきた。

ロシアから領土奪還を目指すウクライナは西側の最新鋭戦車の供与を切望してきた。ウクライナ軍のザルジニー総司令官は2022年12月の英誌エコノミストのインタビューで、ロシア軍を撃退するには戦車だけで約300両が必要と主張した。』

『事実上の「欧州標準」戦車であるレオパルト2の供与決定で、NATOからウクライナに提供される戦車が100両規模に達する可能性がある。英米の主力戦車と比べて、交換部品の確保といった整備体制が整えやすい利点もある。

ウクライナへの戦車の供与を巡っては、他国に先駆けて英国が主力戦車「チャレンジャー2」14両を数週間以内に送る方針を14日に発表した。英軍のチャレンジャー2の保有は220両ほどにとどまり、レオパルト2ほどの大量供与は見込めない。

米国の主力戦車「エイブラムス」も本格運用の技術的なハードルは高い。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルなどは24日、米政府がエイブラムスをウクライナに供与する案が浮上してきたと報じた。NATOで足並みをそろえる可能性があるが、数の確保や燃料補給の面からもレオパルト2が最適とみられている。

(押切智義、小川知世、安全保障エディター=甲原潤之介)』

ドイツ、外堀埋まり戦車供与 国内外の批判受け

ドイツ、外堀埋まり戦車供与 国内外の批判受け
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR250800V20C23A1000000/

『【ベルリン=南毅郎】ウクライナへの主力戦車の供与問題が決着した。ドイツはロシアとの全面衝突を避けるために供与に慎重だったが、国内外の批判を受けて外堀が埋まった。第2次世界大戦でナチスの台頭を許した教訓から紛争地への供与を控えてきたドイツが再び歴史的な決断を迫られた。

「他国と連携して戦車をウクライナに送る」。隣国ポーランドのモラウィエツキ首相はドイツに主力戦車「レオパルト2」の供与を認めるよう圧…

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『「他国と連携して戦車をウクライナに送る」。隣国ポーランドのモラウィエツキ首相はドイツに主力戦車「レオパルト2」の供与を認めるよう圧力をかけ続けた。侵攻を受けた歴史を持つポーランドなどがドイツの背中を押した。

ショルツ政権は当初、重火器の提供はあくまでも他国を経由した間接的な支援を想定していた。レオパルト2の供与決断を迫られたのは、民主主義国としての責務の重みが過去の教訓を大きく上回ったためだ。

ドイツがこのような形で決断したのは初めてではない。

ショルツ首相はロシアによる侵攻直後の昨年2月27日に独連邦議会で演説し、国防費を国内総生産(GDP)比で2%以上に引き上げる方針を表明した。独国防費は過去20年間、GDP比で1%台前半にとどまり、米国などから批判を受けてきた。

次に殺傷能力のある重火器の直接供与。ドイツはロシアの侵攻直後まで武器供与に慎重で、代わりにヘルメット5000個を送ったことで猛烈な批判を招いた。4月下旬には、自走式対空砲「ゲパルト対空戦車」などの本格的な供与に動いた。

いずれも共通するのは、ショルツ氏がドイツの独断専行を明確に避けてきた点だ。「ウクライナの戦争」に本格的に関与を深めることでロシアと北大西洋条約機構(NATO)の戦争になるのを避けると訴えてきた。

国内に目を向ければショルツ政権の不協和音も大きい。ショルツ氏が率いてきたドイツ社会民主党(SPD)と環境政党の緑の党、自由民主党(FDP)の3党連立だが、緑の党とFDPは戦車供与に前向きな発言を繰り返した。

優柔不断との批判を浴びながらも、結果的に米国を巻き込んで西側諸国が歩調をあわせる。ウクライナ危機が長引くほど、ドイツ流の意思決定と付き合う必要がある。』

米、ウクライナに主力戦車「エイブラムス」31両を供与

米、ウクライナに主力戦車「エイブラムス」31両を供与
米欧5カ国首脳が電話協議
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN25DLR0V20C23A1000000/

『【ワシントン=坂口幸裕】バイデン米大統領は25日昼、ホワイトハウスで演説し、ウクライナに主力戦車「エイブラムス」を供与すると発表した。「米国と欧州は完全に団結している」と述べた。戦車の供与に慎重だった米国とドイツがそろって方針を転換し、ウクライナがめざすロシアからの領土奪還を支える軍事支援の強化で足並みをそろえた。

【関連記事】

・ドイツが主力戦車を供与決定 米国も提供、欧州安保強化
・ウクライナ大統領、戦車供与に謝意 「スピードが重要」

バイデン氏はロシアが戦力を増強しているとの認識を示し「ロシアに対抗できるようになる必要がある。機動力を向上させ、長期的にロシアの侵略を抑止し、防衛する能力が必要だ」と語った。エイブラムスがウクライナに届くまでには数カ月かかる見通しだ。

演説では米欧の軍事支援について「ウクライナが自国の領土を防衛するのを支援するものだ。ロシアを攻撃する脅威ではない」と強調。ウクライナの自衛力を向上させるためで、ロシア領の攻撃が目的ではないと訴えた。米国が戦火に巻き込まれないようロシアを過度に刺激するのを避ける狙いがにじむ。

米国に先立ち、ドイツ政府は25日にウクライナに独製主力戦車「レオパルト2」を供与すると決めた。ポーランドなどが保有するレオパルト2の提供も承認する。ドイツは軍事支援での突出やロシアとの対立を懸念し、供与の決断を先送りしていた。

バイデン氏はウクライナに供与する戦車が「ロシアを攻撃する脅威ではない」と強調した=ロイター

バイデン氏はレオパルト2を送ると決めたドイツについて「ショルツ首相のリーダーシップとウクライナ支援への揺るぎない関与に感謝したい」と言明した。25日午前にはショルツ氏、フランスのマクロン大統領、英国のスナク首相、イタリアのメローニ首相と電話協議し、ウクライナへの全面的な支援を継続すると確認した。

バイデン氏とショルツ氏は今月に複数回の電話で話し、対ウクライナへの安保協力を巡って調整してきた。ショルツ氏は1月中旬に、米国がエイブラムスを提供すればレオパルト2を送る用意があると伝えたとされる。

米政府高官によると、24日夜にホワイトハウスのサリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)が首都ワシントンでドイツ、フランス、英国の安全保障担当者と会って支援内容を詰めた。

米国はひとかたまりとなる「戦車大隊」を編成できる31両のエイブラムスを譲渡する。米軍は近くウクライナ兵に対する操作や保守・管理に関する訓練に着手する。同南部や東部でロシアから領土を奪還できるように他の部隊との統合作戦も支援する。

米高官は記者団に、エイブラムスについて「ウクライナの長期的な防衛力を強化する新戦力になる」と説明。国土が平たんで開けた地形で効果的に戦うには機動性に優れ、遠距離から軍事目標を破壊できる重砲を持つ戦車が欠かせないと判断した。

米国は19日に装甲車「ストライカー」や歩兵戦闘車「ブラッドレー」も送ると決めている。
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田中道昭
立教大学ビジネススクール 教授
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ひとこと解説

ロシア軍の戦車損失が話題となってきましたが、戦略論的に見ると、戦車は最も兵站を必要とする兵器の一つ。ロシアの戦車損失は、準備不足、兵站不備、関連の歩兵不足が主因であったと分析されています。第3段階と言われるウクライナ軍の反抗では戦車は重要であり、バイデン大統領も演説のなかで反撃や機動力向上のために重要と発言。米Politico記事では、ドイツは主力戦車レオパルト2供与の条件に米にエイブラムス供与を迫ったとしています。ロボットというあだ名をもつショルツ首相、最近では「遅らせる」と名前が動詞化され揶揄されていました。同記事では米の同戦車の使用には数カ月を要し運用難易度も高いことが強調されています。https://www.politico.com/news/2023/01/25/u-s-to-send-31-abrams-tanks-to-ukraine-in-major-reversal-00079437

2023年1月26日 6:07
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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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分析・考察

すでに明らかになっている米欧からウクライナへの主力戦車供与台数を足し算してみよう。米国のM1「エイブラムス」31両。英国の「チャレンジャー2」14両。ドイツの「レオパルト2」がドイツから直接供与される14両を含めて2個戦車大隊を編成可能な88両(80両とする報道も)。以上の合計で133両である。ウクライナ軍のザルジニー総司令官が、ロシア軍を22年2月24日侵攻前のラインまで押し返すのに必要になるとした最低限の追加供給数は、戦車300両、装甲兵員輸送・戦闘車700両。同司令官が示した数字の半分弱にとどまる。なお、英紙フィナンシャルタイムズは、今度は米国の戦闘機F16の供与問題を大きく報じている。
2023年1月26日 8:11

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バイデン政権 』

ドイツが主力戦車を供与決定 米国も提供、欧州安保強化

ドイツが主力戦車を供与決定 米国も提供、欧州安保強化
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR257U60V20C23A1000000/

『【この記事のポイント】

■ドイツ製主力戦車「レオパルト2」は欧州内に2000両
■ポーランドなどによる保有車両提供も承認表明
■米国も主力戦車「エイブラムス」を31両供与へ

【ベルリン=南毅郎、ワシントン=坂口幸裕】ドイツ政府は25日、ウクライナに独製主力戦車「レオパルト2」を供与することを決めた。ショルツ首相はこれまで供与に慎重だったが、欧州安全保障の強化に向けて方針を転換した。ポーランドなどが保有する戦車の提供も承認する。米国も同日、主力戦車「エイブラムス」の供与を決定した。

【関連記事】

・バイデン氏、ウクライナに戦車供与「米欧は完全に団結」
・ゼレンスキー氏、主力戦車供与でバイデン氏に謝意

ドイツ政府は自国が保有する14両の提供を決定するとともに、他国が保有する同戦車の供与も承認する方針を表明した。各国と協力して2個大隊を編成させたい方針で、これには88両程度が必要とされる。

独国内でウクライナ兵の訓練を速やかに実施し、弾薬などの提供も進める。ショルツ氏は声明で「国際的に緊密に調整し、協調して行動する」と説明した。独政府は追加の戦車供与も視野に入れている。

レオパルト2は欧州内に計2000両ほどあるとみられる。ポーランドやフィンランドはウクライナへの供与を表明しているが、供与には製造国であるドイツ政府の承認が必要で、焦点になっていた。ロイター通信によると、スペインも25日、供与の用意があると明らかにした。

米ABCニュースはウクライナ高官の話として、ドイツが承認すれば12カ国がおよそ100両を供与することになっていると報じた。

米政府は「エイブラムス」を31両供与すると決めた。バイデン米大統領は25日、ドイツのショルツ首相、フランスのマクロン大統領、英国のスナク首相と電話協議し、ウクライナ支援を巡って協議する。

ウクライナでは融雪を終える春にかけ、ロシアが大規模な攻撃を仕掛けるとの懸念が高まる。国土の奪還に向けて地上戦で有利に運ぶには高精度かつ高機動の西側諸国の戦車がカギを握る。今後は、欧米による主力戦車の受け渡し時期やその規模などが焦点になる。

【関連記事】

・戦局動かすゲームチェンジャーか ドイツ製戦車供与
・最強戦車レオパルト2を供与へ なぜドイツは迷ったのか
・米国も戦車供与に傾く、対ウクライナ 米報道

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前嶋和弘
上智大学総合グローバル学部 教授
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ひとこと解説

アメリカがエイブラムスを提供することで、ドイツの戦車支援がようやく決まりました。エイブラムスを使いこなすには2か月の訓練が必要だといわれていますが、レオパルトの方はそんなに時間がかからないのでロシアの攻勢に対応するにはこちらも不可欠。
2023年1月25日 21:13

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岩間陽子
政策研究大学院大学 政策研究科 教授
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分析・考察

今出ている情報では、欧州全体で2個戦車大隊、それぞれ40両。ドイツ自身は14両1個中隊を供与。米のエイブラムスを加えると、100両超。ウ兵の訓練はドイツ国内でやる。この数日の間に、欧州全体でのパッケージをまとめ、かつ米国にエイブラムスを供与するよう迫った。レオパルトにいくつか型があるのだが、なるべく最新鋭の2A6で揃うように各国に根回しした。バイデンとは合意があったが、米国防総省の説得に時間がかかった、というようなことのようです。いずれにせよ、社民党首班のドイツが先頭に立って米欧のパッケージをまとめたというのは、多少もたついたものの、独が安保でリーダシップを取った歴史的瞬間と評価できるのでは。
2023年1月25日 22:49

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鈴木一人
東京大学 公共政策大学院 教授
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分析・考察

ドイツにおける議論は、戦車の提供によるウクライナ側の優勢を獲得することと、それが戦線を拡大し、ロシアの過剰な反応を引き出す可能性がある、という間でのバランスだった。こうした「仮定」に基づく議論は、日本でも共通する。「もし○○が起きたらどうする」という心配から反対するというのは、過去に痛い目に遭った国々ならではのことだと思うが、同時に、そうした「仮定」に基づく反対は国際社会において賛同を得ることは難しい。それが結果としてドイツへの批判となっていた。今回の一連の流れは日本にとっても学ぶところが多い。
2023年1月26日 9:56

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菅野幹雄
日本経済新聞社 上級論説委員/編集委員
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ひとこと解説

これまでのドイツの逡巡は、歴史的にも経済的にもロシアとの「特別な関係」があったからこそ、といえます。

米国を動かしてでも実現するドイツ製戦車のウクライナへの供与は、ロシアの兵力にドイツが物理的に直接対峙する覚悟を示したという意味で、今回のウクライナ危機の世界史的な一里塚です。

これが戦況、そして長い目でみた世界の平和構造にどんな波及をするか。まだ、誰も正確に予測できないのではないでしょうか。

ロシアは色々と強がって言っていますが、プーチン大統領にはかつてないプレッシャーになると思います。それが彼の狂気をいたずらにかき立てないことを、祈るばかりです。
2023年1月26日 0:07

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ウクライナ侵攻 https://www.nikkei.com/promotion/?ak=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXZQOGR257U60V20C23A1000000&n_cid=DSPRM1AR08 』