ロシアとの戦争で劣勢のアメリカはNATOとEUの戦略的な関係を宣伝

ロシアとの戦争で劣勢のアメリカはNATOとEUの戦略的な関係を宣伝 – 《櫻井ジャーナル》:楽天ブログ
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『 N​ATOとEUは「共通の価値観、共通の課題に取り組む決意、ユーロ大西洋地域における平和、自由、繁栄を促進し、保護するという責務」に基づき、戦略的な協力関係を築くとしている​。アメリカ/NATOが仕掛けた対ロシア戦争で劣勢になった危機感の現れだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、NATOはヨーロッパを支配する仕組みとしてアメリカやイギリスの支配層によって創設された。NATOの初代事務総長でウィンストン・チャーチルの側近だったヘイスティング・ライオネル・イスメイはNATOを創設した目的について、ソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえつけることのあると公言している。

 そのイスメイはドイツ軍が「バルバロッサ作戦」を始めて間もない1941年10月の段階で3週間以内にモスクワは陥落すると推測していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 勿論、心配していたわけではない。アドルフ・ヒトラーはこの作戦に約300万人を投入、西部戦線には約90万人しか残さなかったことから西からの攻撃はないと確信していた可能性が高い。

 ナチス政権は1934年1月にポーランドと不可侵条約を締結したが、両国の間には飛地の問題、いわゆる「ポーランド回廊」の問題があったのだが、交渉はほぼ合意に達し、1939年3月21日にポーランドのジョセフ・ベック外相がドイツの首都ベルリンを訪問することになった。

 ところがベックは姿を現さず、ロンドンへ向かった。ロンドンではコントロール不能になったアドルフ・ヒトラーをどうするか決めるために西側各国の指導者が集まっていた。そして3月26日にポーランドはドイツに対し、回廊をドイツに返還しないと通告する。

 その年の8月11日にイギリスとソ連はドイツ問題で交渉を開始、ソ連の国防相(国防人民委員)と参謀総長はポーランドの反対が解決されれば、ドイツを封じ込めるために軍隊をドイツとの国境へ派遣する用意があると提案している。

 イギリスのテレグラフ紙によると、部隊の規模は120歩兵師団と16騎兵師団だが、イギリスの代表は交渉する権限がないという理由で回答を拒否した。見切りをつけたソ連は1939年8月23日にドイツと不可侵条約を結ぶ(Nick Holdsworth, “Stalin ‘planned to send a million troops to stop Hitler if Britain and France agreed pact’, the Telegraph, 18 October 2008)のだが、これは「ミンスク合意」のようなもので、守られない。

 1939年9月1日にドイツ軍はポーランドへ軍事侵攻。チェコスロバキア侵攻のケースでは黙認したイギリス、フランス、オーストラリア、そしてニュージーランドが9月3日に宣戦布告して第2次世界大戦は始まったのだが、ドイツはそれから半年間、目立った戦闘を行なっていない。イギリスやフランスもドイツとの本格的な戦闘を始めない。「奇妙な戦争」の期間だ。ドイツはこの時点で大規模な戦争を始める準備をしていなかった可能性が高い。そしてバルバロッサ作戦へと進む。

 ドイツの対ソ連戦はイスメイの思惑通りには進まず、1942年1月にドイツ軍はモスクワでソ連軍に降伏、8月にはスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まる。当初はドイツ軍が優勢に見えたが、11月になるとソ連軍が猛反撃に転じ、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、1943年1月にドイツ軍は降伏する。この時点でドイツの敗北は決定的だった。イギリスとアメリカが動き始めるのはこの後である。

 ドイツが降伏する直前の1945年4月に反ファシストのフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、降伏直後にチャーチル英首相はソ連に対する奇襲攻撃の作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)へ命令、5月22日には。「アンシンカブル作戦」が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 下野したチャーチルは第2次世界大戦後、冷戦の開幕を告げる。その冷戦は1991年12月にソ連が消滅した時点で終わり、アメリカの国防総省では世界制覇プランが作成された。​国防次官補のポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げた「DPG草案」、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」​だ。

 その目的として、ソ連と同じような脅威をもたらす新たなライバルの再出現を防ぐことだとしている。アメリカにとって重大な脅威が発生する可能性がある地域として、旧ソ連だけでなくヨーロッパ、東アジア、中東、南西アジアを挙げ、またラテン・アメリカ、オセアニア、サハラ以南のアフリカも注目している。要するに、全世界でアメリカのライバルが出現することを許さないというわけだ。

 1991年12月にソ連が消滅して以来、NATOはソ連首脳との約束を無視して東へ拡大させるが、これはロシアにとって「新たなバルバロッサ作戦」にほかならなかった。

 2014年2月にアメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使った暴力的なクーデターでキエフを制圧、クーデターに反対する東部や南部を軍事的に占領しようとする。そして始まったのがドンバスにおける内戦だ。

 軍や治安機関の内部にもネオ・ナチによるクーデターに反発する人は少なくなかったこともあり、内戦はドンバスの反クーデター派が優勢。そのまま進めばドンバス軍の勝利で終わりそうだったが、そこで話し合いによる解決を目指す動きが出てくる。ドイツやフランスを仲介者とする停戦交渉が始まったのだ。

 その結果、ウクライナ、ロシア、OSCE(欧州安全保障協力機構)、ドネツク、ルガンスクの代表が2014年9月に協定書へ署名する。これが「ミンスク合意」だが、キエフ政権は合意を守らず、2015年2月に新たな合意、いわゆる「ミンスク2」が調印された。

 この合意について​アンゲラ・メルケル元独首相​は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語っている。メルケルと同じようにミンスク合意の当事者だった​フランソワ・オランド元仏大統領​もその事実を認めた。

 アメリカ/NATOは兵器や装備品を供給、兵士を訓練、軍事情報を提供する態勢を整備していく。のちにロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書によると、2022年春に軍事作戦を始める計画を立てていた。その直前、2022年2月にロシア軍は軍事作戦を始動させた。

 この軍事作戦についてNATOは「深刻なユーロ大西洋の安全保障への脅威」だと表現、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権に対する支援をEUと共同でさらに強化すると宣言している。

 アメリカ/NATOは2014年2月、ウクライナの独立や主権を無視したクーデターで領土を占領、ウクライナ人から自らの運命を選択する権利を奪ったわけである。そしてロシアに対する軍事的な恫喝を強化した。

 クーデターで占領できなかったドンバスやクリミアを制圧するため、アメリカ/NATOはウクライナの戦力を増強する必要があり、そのための時間稼ぎがミンスク合意だった。

 ところがロシア軍が先手を打ち、戦況はアメリカ/NATOの思惑通りに進んでいない。ジョー・バイデン政権が始めたロシアに対する経済戦争はロシアへダメージを与えられないだけでなく、EU社会に混乱をもたらしている。それが西側を苦しめている「食糧とエネルギーの危機」だ。

 アメリカ/NATOからの攻撃を受けたロシアは中国との関係を強化、今では「戦略的同盟関係」にある。米英の支配層は中国経済を1970年代に新自由主義化、経済だけでなくアカデミーの世界も支配することに成功したのだが、ロシアと中国との接近を阻止できなかった。

 シティやウォール街を拠点とする金融資本がナチスへ資金を提供していたことが判明しているが、その金融資本はネオコンの黒幕として対ロシア戦争を継続しているように見える。

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最終更新日 2023.01.23 16:40:11 』