世界日報 (日本)

世界日報 (日本)
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世界日報
THE SEKAINIPPO
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判
事業者 株式会社世界日報社
代表者 黒木正博(代表取締役社長)
創刊 1975年(昭和50年)1月1日
言語 日本語
価格 月極 (紙面)2,776円
(電子版)1,100円
ウェブサイト http://www.worldtimes.co.jp/
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世界日報(せかいにっぽう)は日本の世界日報社により発行される新聞。1946年に創刊された、同名の新聞(産経新聞の前身の一つ)の名跡を継ぐ形で、1975年に創刊された。韓国発祥の新興宗教団体世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)及び政治団体国際勝共連合の創設者である文鮮明が創刊に関わっている[1]。日刊紙は関東地方の一部、及び沖縄県の一部[注 1]を配布地域としており、他に日本全国向けの週刊紙、Sunday世界日報がある。
株式会社世界日報社種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
〒103-0025
東京都中央区日本橋茅場町1丁目5番2号 日原ビル5階
設立 1975年1月17日
業種 出版業
法人番号 6011401014474
代表者 黒木正博(代表取締役社長)
外部リンク 世界日報 会社概要
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概要

文鮮明の指示により統一教会と国際勝共連合が出資して、一般紙を目標に1975年(昭和50年)1月1日に設立された[2]。本社および編集局は東京都渋谷区宇田川町に、印刷所を東京都港区海岸に置いた。

しかし、当初の目標だった日刊紙となるにはほど遠く、統一教会の機関紙以上にはならなかった[2]。少なくとも1983年(昭和58年)までは、世界日報の社員は全員が統一教会の会員であり、慢性的赤字体質だったため不足分は統一教会が補填していた[3]。また、寄稿者は統一教会と関係の深い者で占められていた[4]。1983年前後は、世界平和教授アカデミーの松下正寿・福田信之・入江通雅、勝共連合顧問の広田洋二・弘津恭輔に寄稿を依存するといった状態が続いていた[4]。

1982年(昭和57年)10月、経営立て直しのために統一教会会員だった副島嘉和と井上博明が世界日報社に送り込まれる。彼らは、設立時本来の目的だった一般の日刊紙を目指して、紙面作りの刷新・販売店の拡充・200人余りの人員整理・売掛金の回収・経営の合理化・社員の非宗教化を行ったが、それが統一教会と勝共連合の強い反発を買った[4]。その結果、副島と井上を世界日報社から追放するために、1983年(昭和58年)10月1日、勝共連合の者約100人が世界日報本社を占拠すると言う暴力事件にまで発展した。この事件は文の指示によるもので、それに忠実に従い暴力事件を率いたのが当時の勝共連合理事長梶栗玄太郎である[5]。副島・井上両名が世界日報社から追放された後、世界日報社の役員は統一教会と勝共連合の役員が独占、社長には暴力事件の実行者だった梶栗が就任し、結局元の、統一教会の機関紙、勝共連合の宣伝紙に戻った[5]。

1987年(昭和62年)、港区にあった工場を板橋区舟渡に移転。

1998年(平成10年)にはメールマガジンである「ワールド・ニューズ・メール」のサービスを開始し、翌年の1999年(平成11年)には当時では珍しい電子新聞である「IT e-News」をリリースした[6]。

2006年(平成18年)、本社を渋谷駅近くの渋谷区桜丘町に移転するが、その後自社印刷拠点と統合する形で板橋区に再度移転した。

2017年(平成29年)8月、東京都中央区日本橋茅場町に本社を移転。同時に千葉県市川市高谷に総務、編集局などを置くメディアセンターも構築した[7]。

韓国の全国紙『韓国紙世界日報(セゲイルボ)』、ワシントン・タイムズ(米国)やネパール・リパブリック・メディアと提携している[8]。(姉妹紙を参照)

世界日報読者向けに1983年(昭和58年)5月18日に設立された世日クラブというものがあり、講演会を行っている。そこでは保守強硬系を中心とする日本国内の著名な論客[注 2]や自衛隊の元高級幹部[9]の講演が数多く行われている。また世界日報社が制作するインターネット番組「パトリオットTV」は田村重信がキャスターを務め、多彩なゲストが出演している[注 3]。

なお、日本では1946年-1948年に同名の新聞「世界日報」が存在した。この新聞は、題号を「世界経済新聞」(1948年10月1日 – 1950年2月28日)、「夕刊世界経済新聞」(1950年3月1日 – 12月31日)と改めた後、1951年(昭和26年)に産業経済新聞(現・産経新聞東京本社版)に紙面統合されて終刊した。題字と地紋は現・世界日報が同一のものを使用している。
沿革

1946年8月1日 - 東京都にて『(旧)世界日報』創刊。
1948年10月1日 - 『世界経済新聞』に改題。
1950年3月1日 - 『夕刊世界経済新聞』に改題。
1951年1月1日 - 『産業経済新聞』(後の産経新聞)へ紙面統合。
1975年1月1日 - 『(旧)世界日報』の題字や地紋を引き継ぎ、統一教会などの出資により、東京都渋谷区にて『(新)世界日報』創刊。
1977年2月1日 - 東京の竹芝工場にて自社印刷を開始。
1982年5月18日 - 世日クラブを発足。
1987年12月15日 - 板橋工場を新設。
1991年11月17日 - 全国版週刊紙「サンデー世界日報」を創刊。
2000年11月15日 - 電子新聞サービス「IT e-News」を開始。
2003年2月13日 - 創刊1万号を突破。
2006年3月14日 - 東京都板橋区に東京本社を設立。
2017年8月 - 本社を東京都中央区に移転、千葉県市川市にメディアセンターを開設。

紙面

会社案内より[10]。

総合面=1面
総合面(政治・内政)=2面、3面
国際面=4面、5面
経済関連=国内経済、海外経済、証券、産業
オピニオン=最終面
論壇時評、機関紙論評、写真簿
沖縄のページ
教育、文化面
スポーツ面、社会面

論調

論調の根幹は親米保守・反共主義・強硬路線である。家庭連合への弾圧が強まった2022年(令和4年)夏からは、教団側の主張を伝える言論戦の手段として重用されている。
国内

国際性や愛国性などの編集方針を掲げる保守系一般紙だが、同じく保守系メディアとして知られる産経新聞や読売新聞よりも強硬な立場を主張し、極右とみなされることもある他、母体が母体ゆえ必ずしも日本の保守勢力の全てから評価されている訳ではない。それゆえに産経新聞や読売新聞であっても本紙に対し批判的な立場に回ることや、逆に本紙がそれら保守系大手紙の論調にブレがあるなどと批判することもある。
「産経新聞の報道#批判を受けた報道」および「読売新聞#紙面・論調・歴史」も参照

また、共産主義を批判・克服する先導性を掲げ、親米反共の立場をとる[11]。家庭連合の政治組織である国際勝共連合が支持する国会議員(勝共推進議員)を与野党問わず支援する。勝共連合も本紙とは別に『思想新聞』を発行している。
「中央情報局#日本への関与」および「反共主義#新宗教」も参照

日本国内では各政党が発行している機関紙に対して独自の見解を述べることもあるが[12]、国内主要政党では自民党と連立を組む公明党およびその支持母体創価学会と立場が異なること、また勝共推進議員は2022年の時点で自民党以外に立憲民主党、国民民主党、日本維新の会、参政党にもいたことから、産経新聞と異なり自民党だけに盲従という訳でもない。ちなみに自民党内では、統一教会の日本進出に大きな役割を果たした元内閣総理大臣岸信介の流れを汲む清和政策研究会とのつながりが元来強い。
詳細は「世界平和統一家庭連合#日本における政界との関係」および「旧統一教会問題#自民党」を参照
「岸信介#対人関係」および「安倍晋三#死後」も参照

なお自社取材以外の国内一般ニュースは時事通信社から供給を受けている。
国際

世界の主要紙の論調などの翻訳記事を定期的に掲載している。

1983年には旧ソ連の亡命将校であったレフチェンコの証言から日本人エージェント名を報じている。その他に、1967年に日本社会党の幹部がソ連を訪問し、木材貿易で3000万円の経済支援を要請していたと報じている[13]。

2018年6月、シンガポールで行われた米朝首脳会談で、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが朝鮮労働党委員長金正恩に対し、北朝鮮の「完全非核化」に対する費用を名目に500億ドル(約5兆5000億円)を拠出させる約束を交わしていたと報じた[14]。
詳細は「2017年北朝鮮危機#概要」および「米朝関係#トランプのアメリカ大統領就任」を参照

2019年4月、ベトナム・ハノイで行われた2回目の米朝首脳会談の際、トランプが金正恩に対し、米国陣営か中国陣営か、選択を明確にするよう迫っていたことを報じた。これに対し金正恩は即答せず会談は決裂したとしている[15]。
「中国朝鮮関係史#太平洋戦争後」および「2019年2月米朝首脳会談#会談」も参照
教育問題

幼少期からの科学的な見地に基づく性教育について、「性交のすすめ」につながり「快楽の性」や「性の自己決定権」を教え込む過激な性教育だとして反対し、伝統的家庭の価値観を重視し、ジェンダーフリー批判や公立高等学校での一律男女共学化批判(「別学の良さを否定するのはおかしい」)、中高生に対する子宮頸がん予防ワクチン接種推進に反対し性交渉を控えさせる教育を主張するなど[16]、保守的な道徳・倫理観を称揚する紙面作りがなされている。
「青少年有害社会環境対策基本法案#その後の動向」も参照

文部科学省発行の小中学生向け道徳教材「私たちの道徳」が児童・生徒一人一人に配られず、家に持ち帰らせていない学校が多くある問題について、世界日報社が実態を調査し、80・7%の児童・生徒が同教材を持ち帰っていないことや、35・8%の学校で使用されていないことが判明したと報じた一連の報道は[17]、国会質問で取り上げられ、産経新聞も質問内容を報じている[18]。
天皇・皇室

皇位継承問題においては、日本紙が女子皇族の皇位継承に反対と主張したのに対し、韓国紙は逆に女性天皇を認めるべきと主張するという“ねじれ現象”が生じた。
詳細は「皇位継承問題#女系天皇をめぐる議論」および「女帝#女性天皇に関する動き」を参照

2007年4月頃から昭和天皇の洋服デザイナーを務めた、元三越日本橋本店紳士服チーフデザイナーの奥山孝夫が、昭和天皇の洋服作りとファッションを回想するシリーズ「陛下のお仮縫い」を掲載している。関連する著書に奥山孝夫著・世界日報社刊『陛下のお仮縫い~昭和天皇・洋服デザイナーの回想』がある[19]。

2019年1月には昭和天皇の直筆御製(和歌)の草稿と直接原稿が発見されたことについて報道した。その際、朝日新聞の同年元日付けの報道は意図的な歪曲であると批判し、保守系から一定の評価を得ている。岸信介の死を悼む3首や伊豆大島で災害救助に当たる人々を詠んだ歌など未発表の御製も含まれている。
対米報道

アメリカ合衆国の二大政党のうち、共和党にはほぼ追従と言ってもいいほど強い支持を与える一方、民主党はその存在自体強烈に非難する。またネオコンの立場を代弁する。同じ世界平和統一家庭連合系の米国紙『ワシントン・タイムズ』も保守強硬系言論紙として共和党の政策を一貫して支持してきている(ちなみに、ロナルド・レーガンがアメリカ合衆国大統領に当選した時に、日本の世界日報は号外を発行し、東京で配布している)。
詳細は「共和党 (アメリカ)#共和党の傾向と民主党との差異」および「アメリカ合衆国共和党の歴史#小さな政府、そして反共からテロとの戦いへ」を参照

日米関係では、日本に対して対米従属を強く求める論調を出す。
「対米従属論#識者の見解」および「アメリカ合衆国51番目の州#日本」も参照

中東情勢報道でも米国擁護、親イスラエル路線を明確にしており、これらと対立するアラブ・イスラーム諸国、またはイスラーム主義には批判的である。例えばパレスチナで、初の普通選挙にてハマースが勝利した際には、“パレスチナ住民の教育水準が低く政治的思考力が欠けているためにテロ組織を第一党に選んでしまった”として、米国・イスラエルの保守派と同じ主張を行った。
「新保守主義 (アメリカ合衆国)#ネオコンとイスラエルの関係」および「軍産複合体#イスラエル・ロビー」も参照

2000年代初頭、ジョージ・W・ブッシュ政権が国連での合意を経ずにアフガン侵攻・イラク戦争を始めて対米批判が強かった頃も、一貫して開戦を正当なものと論じてきた。
「イラク戦争#公式発表による開戦理由」および「ジョージ・W・ブッシュ#1期目」も参照
宗教問題

1994年(平成6年)9月25日と10月30日付の二回、「文春『オウム真理教攻撃』のウソ」と題して、資産家拉致・監禁事件にオウム真理教信者が関わったとする『週刊文春』の報道を批判し、実際は被害者であった長女夫妻や四女らによる資産目当ての犯行と論じ、オウム真理教を擁護した[20][21]。
「宮崎県資産家拉致事件#事件のあらまし」および「オウム真理教事件#事件一覧」も参照

1996年(平成8年)、地下鉄サリン事件を機に自民党が提案した「宗教基本法案」を取り上げ、同法案に対する反対キャンペーンを展開した。同法案は当時自民党所属の衆議院議員だった与謝野馨が座長を務めた「宗教問題ワーキンググループ」において発案されたものだが、政治が過度に宗教を規制するものだとして批判を浴び、最終的に廃案となった[22]。

近年においては、キリスト教根本主義・宗教右派勢力から支持されていると言われる「インテリジェント・デザイン」(ID)理論に肯定的な記事もしばしば載せている[23]。
詳細は「世界平和統一家庭連合#神の世界創造の目的」および「インテリジェント・デザイン#統一教会の日本支部」を参照
左派批判

親米反共の立場から、容共思想ないしは新左翼勢力、さらには左派系論客に対しても厳しい監視の目を光らせるという立場で一貫している。中でも日本共産党に対しては「共産党ウォッチ」という連載が続けられており、元党員の岩田英一や筆坂秀世らが寄稿している。
「筆坂秀世#保守論客への転向」および「日本共産党#離党した・除名された人の著作」も参照
対朝鮮半島報道

以前は、韓国の報道機関が使っている自称を世界日報でも使うことがあったが、現在は基本的に「韓国」と表現されることが多い。また、社説などにおいて韓国の対応を批判する論調も見られる。
「大韓民国#朝鮮民主主義人民共和国と韓国における「朝鮮」の呼称」および「朝鮮民主主義人民共和国#韓国における呼称」も参照

なお、韓国紙セゲイルボの記事が掲載される場合はこの限りではなく、記事の末尾には「※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです」と記載される[24]。
主なスクープ

「華北に侵略」を「華北に進出」と教科用図書検定で書き変えさせたというマスコミの報道が誤りであることを報道。これを受けて産経新聞が訂正記事を載せ謝罪し、朝日新聞も謝罪した。
詳細は「第一次教科書問題#誤報の主張と各紙の対応」および「南京事件論争史#第一次教科書問題と南京大虐殺展覧会」を参照
作家・森村誠一と日本共産党中央機関紙『赤旗』(現・しんぶん赤旗)で特報部長を務めた下里正樹の共著書『悪魔の飽食』の「細菌戦研究のための生体解剖写真」に無関係の写真があることを報道[4]。森村はこのことで右翼過激派の攻撃を受ける。悪魔の飽食シリーズも、最初の版元の光文社が回収絶版とし、問題の写真を削除した上で角川書店(現・KADOKAWA)から再刊されるという事態に至った。
詳細は「悪魔の飽食#不正確な写真掲載と改版」を参照
元KGB少佐スタニスラフ・レフチェンコの証言から日本のエージェント名を暴露[4](後に証言はトラップであるとされた)。
詳細は「産経新聞の報道#誤報・スキャンダル」および「レフチェンコ事件#レフチェンコのエージェント」を参照
1984年(昭和59年)8月4日、朝日新聞は「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚」と題した記事を掲載。生首が転がる写真を添え、「動かぬ事実を物語る歴史的資料になる」とした。加害者とされた帝國陸軍歩兵第23連隊(通称都城連隊。現・陸上自衛隊第43普通科連隊)OBによる抗議と検証の最中、1985年(昭和60年)12月28日付本紙は「朝日、こんどは写真悪用 南京大虐殺をねつ造」と題し、「写真は昭和6年(1931年)、当時の朝鮮で市販されていたもので、満洲帝国発足直前の中華民国遼寧省凌源市で中国軍が馬賊を捕らえて処刑したもの」と暴露した。日記の方は、筆跡鑑定等の検証を朝日新聞は拒み続けている[25]。
詳細は「南京事件論争#疑問ある写真」および「南京事件論争史#朝日新聞による歩兵第23連隊報道」を参照
週刊金曜日2005年9月16日号が、衆議院議員総選挙に関して、共同通信社や時事通信社配信の記事を無断転載し、自社独自取材の総括記事として掲載していた問題を報道。版元の金曜日社はこの事実を認め、問題の記事を執筆していたライターとの契約打切りと、社長の引責辞任を発表した。
詳細は「週刊金曜日#沿革」を参照
2014年(平成26年)8月5日、朝日新聞は韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治(当時既に故人)の証言を虚偽として、証言に依拠した関連記事16本を取り消した。うち12本について10月9日に掲載日などを明らかにしたが、世界日報は17日までに、残る未公表4本の記事のうち3本を特定した。3本は寄稿を含み吉田証言の反応やその引用を織り込んだ記事だった。[13]
詳細は「吉田清治 (文筆家)#朝日新聞による慰安婦報道とその取り消し」および「朝日新聞の慰安婦報道問題#朝日新聞による慰安婦報道の取消 (2014)」を参照

世界日報事件

統一教会幹部であり世界日報編集長であった副島嘉和が統一教会を裏切ったとみなされ襲撃された後、より統一教会色が強い新聞となった[26]。

1983年(昭和58年)10月1日、当時の編集局長ら(副島嘉和と営業局長の井上博明)による、統一教会色を薄め一般紙を志向する路線を会社の乗っ取りであると反発した国際勝共連合理事長梶栗玄太郎ら約百人が、東京都渋谷区宇田川町の統一教会本部が入居していた『ワールドビル』[注 4]内にあった世界日報社事務所に押しかけて社内を占拠し、社員を監禁・暴行した[2]。

この事件で追放された副島と井上は連名で『文藝春秋』 1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ ―世界日報事件で『追放』された側の告発―」という手記を発表。統一教会の思想が“いずれ世界は統一教会により統一される、そしてその中心は世界の王たる文鮮明師である”とする韓国中心主義である事、霊感商法のマニュアルや資金の流れなどを暴露した。中でも、世界各国の、やはり統一教会の幹部たちが演じる元首“代理”と共に、統一教会会長久保木修己が“天皇の代理”として文鮮明に拝礼する秘密儀式があるという内容に、勝共連合を反共の同志と考えていた民族派や右翼が激怒し反発した。
詳細は「副島嘉和#副島手記」および「世界平和統一家庭連合#韓国を中心とする世界統一運動」を参照

同誌発売直前の1984年(昭和59年)6月2日、副島は、帰宅途中の路上で暴漢に「韓国の空手を使ったような」(副島本人による証言)技で全身をメッタ刺しにされ、危うく命を落としかけるほどの重傷を負った(「副島襲撃事件」)。
詳細は「副島嘉和#副島襲撃事件」および「霊感商法#統一教会/統一協会の霊感商法などをめぐる動き」を参照
主な海外支局

北米:ワシントン
南米:サンパウロ
中東:エルサレム
欧州:パリ、ウィーン
アジア:ソウル、台北、マニラ[27]

過去にあった拠点

北米:ニューヨーク、ロサンゼルス
中東:カイロ
欧州:ロンドン、ベルリン
アジア:香港、バンコク
ロシア:モスクワ
アフリカ:ヨハネスブルグ[28]

世界日報社が発行するその他の主な媒体

週刊新聞『Sunday世界日報』

    1991年(平成3年)11月に創刊された毎週日曜日発行の週刊新聞(日曜版)。カラー版20ページのタブロイド版となっている。日刊紙とは異なり、教育・文化・生活・娯楽などを中心とし日本共産党の『しんぶん赤旗日曜版』に近い紙面構成となっている[29]。

月刊誌『ビューポイント』

    日刊紙世界日報に掲載された特集、連載、社説、オピニオン、コラム等を収録する月刊誌[30]。

『ワールド・ニューズ・メール(World News Mail)』

    主に国際的なニュースを配信するメールマガジン。世界各地の事件、出来事の分析などを配信している。週1回発行[31]。

『本土に伝わらない沖縄の真実』

    沖縄の県政、米軍基地、安保問題などの話題や情報を配信するメールマガジン。週1回発行[31]。

e-NEWSヘッドライン ~はーい!朝刊です~

    世界日報朝刊の主な見出しをまとめた情報を配信するメールマガジン。毎日発行[31]。

姉妹紙

ワシントン・タイムズ(米国)
韓国紙世界日報(セゲイルボ)
ネパール・リパブリック・メディア(ネパール)[32]

契約通信社

時事通信社[33]
UPI[33]

過去の契約通信社

ロイター[34]

主な寄稿者

浅野和生 - 平成国際大学教授
乾一宇 - 陸上自衛隊OB(元ルーマニア防衛駐在官・座間分屯地司令)→日本大学大学院教授→同講師
遠藤哲也(日本国際問題研究所特別研究員)
大蔵雄之助(ジャーナリスト)
加瀬みき(岡崎研究所客員研究員)
加藤栄一 - 自治官僚→東京大学講師→東京工業大学講師→筑波大学教授→常磐大学教授
茅原郁生 - 陸上自衛隊OB→拓殖大学教授→名誉教授
木村治美(共立女子大学名誉教授)
久保田信之 - 学習院女子大学教授→名誉教授
小林宏晨(日本大学名誉教授)
小松正之(東京財団政策研究所上席研究員)
櫻田淳(東洋学園大学教授)
杉原誠四郎 - 城西大学→武蔵野女子大学→武蔵野大学→帝京平成大学教授。元新しい歴史教科書をつくる会会長
杉山蕃 - 航空自衛隊OB、第22代航空幕僚長→第21代統合幕僚会議議長→防衛省・三菱重工業・日本航空顧問
鈴木淑夫 - 元日本銀行理事→野村総合研究所理事長→衆議院議員 
高橋史朗 - 麗澤大学大学院特任教授
高橋利行 - 読売新聞社OB(元論説委員・編集局次長)→政治評論家
竹田五郎 - 航空自衛隊OB、第14代航空幕僚長→第12代統合幕僚会議議長→軍事評論家。2020年死去。
田村重信 - 自民党本部専従職員(元政務調査会調査役)→政治評論家。拓殖大学桂太郎塾名誉フェロー
チャールズ・クラウトハマー(米コラムニスト)
中澤孝之(日本対外文化協会理事)
中曽根康弘 - 第71-73代内閣総理大臣。2019年死去
那須聖 - 毎日新聞社OB(元ニューヨーク支局長・論説委員)→外交評論家
西川佳秀(東洋大学名誉教授)
新田容子(日本安全保障・危機管理学会上席フェロー)
丹羽文生(拓殖大学政経学部教授)
濱口和久(拓殖大学大学院特任教授)
筆坂秀世 - 元参議院議員(日本共産党所属)→政治評論家。
ペマ・ギャルポ(政治学者、チベット独立活動家、拓殖大学国際日本文化研究所教授)
細川珠生(政治評論家・公益財団法人国家基本問題研究所理事)
細川隆一郎 - 東京日日新聞→毎日新聞→政治評論家。2009年死去
松本健一 - 麗澤大学教授
宮城能彦 - 沖縄大学教授
宮塚利雄 - 山梨学院大学教授→宮塚コリア研究所代表
八木秀次(麗澤大学教授)
山田寛 - 読売新聞社OB(元アメリカ総局長・調査研究本部主任研究員)→嘉悦大学教授
ロバート・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所代表・政治学博士)
渡部昇一 - 上智大学教授→名誉教授。2017年死去

他の宗教新聞との関係

民族派の葦津珍彦による著書『明治憲法の制定史話』(神社新報社、2018年)は、世界日報で1986年に連載したものを発行したものとされており、その「はしがき」で社長の高山享は、「格別の御理解と御協力を賜った世界日報社に対し、深甚なる謝意」を表すとしている[35]。
番組表

テレビ

フルサイズ
    NHK総合、NHK Eテレ、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ、沖縄テレビ、琉球放送

沖縄テレビと琉球放送は東京からの空輸便での配達で、朝刊より遅い時間に配達される事に配慮して12:00から掲載し、翌朝の5:00-12:00の番組も掲載。沖縄県最後発の琉球朝日放送は収録されていない。

ハーフサイズ
    tvk、チバテレ、テレ玉(TOKYO MXは収録されていない)

ラジオ

NHK第1、NHK第2、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ラジオ日本、NHK-FM、TOKYO FM、J-WAVE(なおテレビ面とは違い、ラジオ面に沖縄局の番組は載せていない)

特記事項

電子版はラテ面と広告は削除されている。

その他

2000年頃まで、長年渋谷駅ハチ公口広場に面したビルの屋上に巨大な広告看板があった(会社概要のページに当時の写真がある[36])。また明治神宮野球場のフェンスにも1970年代から1980年代前半にかけて広告看板を掲示していた時期もあった。
一時期、駅前やバス停付近のガードレール等に新聞スタンドを固定して、無人販売していた。
他の一般紙とは異なり、図書館で閲覧できることはほとんどない(寄贈紙が置かれている場合はある)。

脚注
[脚注の使い方]

^ 沖縄本島では当新聞を含む東京本社発行の全国紙・地方紙を多く空輸して、主に午後以後に販売・配達されているため
^ 過去に世日クラブで講演した論客には、小室直樹や松原正、木村治美、清水馨八郎、渥美堅持、井尻千男、三根生久大、入江通雅、大原康男、細川珠生、冨士信夫、吉原恒雄、、渡部昇一、長野拓也、中條高徳、藤井裕久、石平、竹田恒泰、石井昌浩、呉善花、コシノジュンコ、高田純、上甲晃、田村重信、八木秀次、高橋史朗、小林正、中西輝政、櫻井よしこ、渡辺利夫、川上高司、遠藤誉、小川和久、濱口和久、仲村覚、小川榮太郎、渡部恒雄、安積明子、浅野和生、坂東忠信、楊海英、新田均、河添恵子、江口克彦、西岡力、島田洋一、高橋利行、荒木和博、森昭雄などがいる。
^ パトリオットTVに出演した論客には、伊藤俊幸、香田洋二、山口昇、岩田温、八幡和郎、阿比留瑠比、江崎道朗、小川和久、古川勝久、松田学、渡瀬裕哉、小川榮太郎、西岡力、遠藤誉、平井宏治、安積明子、渡邉恒雄、永岩俊道、鷲尾英一郎、神津健一、ロバート・D・エルドリッヂ、デービッド・アトキンソン、行徳哲男、中根滋、孫向文などがいる。
^ 現・宮坂ビル。2022年現在も家庭連合の渋谷家庭教会として使われている。

出典

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関連項目

世界日報 (韓国)
ワシントン・タイムズ
世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会)
統一教会関連の企業と団体
国際勝共連合
自由民主党
文鮮明
副島嘉和
鴨野守
仲正昌樹

外部リンク

世界日報社
世界日報常設コラム「ビューポイント」
世日クラブ・どっと・ねっと
ウィーン発『コンフィデンシャル』(世界日報特派員らしきジャーナリストの取材日

「新たな動員」に揺れるロシア 出回る23日国境閉鎖説

「新たな動員」に揺れるロシア 出回る23日国境閉鎖説
参謀総長を総司令官に任命
https://www.worldtimes.co.jp/global/europe-and-russia/20230113-168144/

 ※ まあ、世界日報ではあるが…。

『ウクライナ東部や南部を中心にロシア軍とウクライナ軍が戦闘を続ける中で、ロシアが新たな動員を行うという情報がメディアで流れている。ロシアは軍事侵攻の指揮を執る新たな総司令官に、制服組のトップであるゲラシモフ参謀総長を任命しており、ロシア軍が新たな攻勢に出るのではとの見方も強い。(繁田善成)

ウクライナ軍の攻勢を受け、プーチン大統領は昨年9月21日に「部分的動員令」を発したが、徴兵逃れのため数十万人の人々が国外に出国するという混乱を招いた。ロシアのショイグ国防相は10月28日、部分動員令に基づく予備役30万人の招集が完了したと述べ、混乱の収束を図った。

そのロシアで、新たな動員令が準備されているとの見方が流れている。

プーチン大統領は1月8日、国防省や内務省など武力を有する「武力省」の代表者らとオンライン会議を開き、本格的な動員の必要性に言及した上で「そうでなければ戦争に勝つことはできない」と語った。ロシアの会員制交流サイト(SNS)「テレグラム」に開設されているチャンネルの一つが報じたものだ。

同チャンネルによると、動員は1月18日に開始されるが、最初の2週間は動員を内密に行うという。当面の対象は現時点で出国を禁止されている人々で、主に、離婚した妻に、子供の養育費を支払う義務を負っている男性という。

確かにそれならば、国境を閉鎖しなくても国外に脱出される恐れはない。養育費も、動員手当から控除すればよい。離婚率世界一で、結婚した夫婦の8割が離婚するロシアならではのアイデアだろう。

また、テレグラムの複数のチャンネルが「彼らの情報源」の話として、1月23日に政府が国境閉鎖に踏み切るだろうと報じた。

一方でロシア国防省は11日、ゲラシモフ参謀総長を、ウクライナ侵攻作戦である「特別軍事作戦」の統括司令官に任命した。制服組のトップを総司令官に任命したことになる。
ウクライナでロシア軍が苦戦し、軍上層部の責任を問う声が一部で上がる中で、プーチン大統領は軍の指導部を守った形となる。

ゲラシモフ氏の総司令官任命に際し国防省は「指導部の強化は軍の任務拡大に伴うもの」との声明を出しており、ロシア軍が新たな攻勢に出るのでは、との見方が強まっている。
というのも、昨年9月末に開始した動員令で招集された30万人のうち、約半数の訓練が2月に終わるからだ。これら動員兵を送り込むことで部隊を再編成し、ゲラシモフ統括司令官の指揮下で再攻勢に出る。そして、空いた軍の訓練施設に、新たに動員する人々を送り込むというシナリオだ。

もっとも、再攻勢に出たとしても、ロシアの国家としての体力がどこまで持つのかには疑問符が付く。戦費の増大によりロシアの財政は急速に悪化しており、2022年の財政収支は約3・3兆ルーブル(約6・2兆円)の赤字となった。

ロシアの国家財政は石油や天然ガスの輸出に頼っているが、欧州連合(EU)の禁輸や、輸出価格に上限を設ける主要7カ国(G7)の制裁を受け、中国やインドなどの制裁に参加していない国々に値引き販売せざるを得ない。

ところで、ウクライナのSNSには、占領地の民家から金目の物を盗み出すロシア兵士の様子が多くアップされている。中には民家から便器を持ち出しているロシア兵もおり、人々の嘲笑の対象となっている。

なぜ便器まで盗むのか。ロシア国家統計委員会のデータによると、ロシアの約600万世帯は屋外のトイレを使っており、また、約12万世帯は自宅や、自宅敷地内にトイレを持ってない。ロシアの最低賃金はアフリカ諸国の約3分の1、そしてラテンアメリカ諸国の約半分よりも低い。ロシアは、全世界のGDPの約4割を占める約50カ国から支援を受けるウクライナを相手に戦争を続けている。経済的に圧倒的な差がある状況で、ロシアがどこまで戦争を続けられるのか。

もっとも、欧米には、今後数十年にわたり欧州の潜在的脅威となり得ないまでにロシアを弱体化させるという目論見(もくろみ)もあるだろう。そのためにはロシア軍を短期間で打ちのめすのではなく、戦闘を長引かせる方がいい。それを知ってか知らずか、プーチン大統領はさらに突き進む構えだ。』

首からカード「屈辱的」 日韓入国検疫に反発―中国ネット

首からカード「屈辱的」 日韓入国検疫に反発―中国ネット
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023011200836&g=int

 ※ 今日は、こんな所で…。

『【北京時事】中国から韓国に入国する際、他の国からの渡航者と区別するために首に掛けられる黄色いカードを巡り、中国国内で「屈辱的だ」と反発が広がっている。韓国と同様に、新型コロナウイルスの感染拡大が続く中国への水際対策を強化している日本に関しても、赤いストラップを手渡される旅客の画像がインターネット上で拡散した。

中国、乗り継ぎ時の「優遇」停止 日韓の渡航規制に対抗

 中国政府は10日、日韓の水際対策強化への報復措置として両国へのビザ発給業務を停止。日韓が「差別的な入国制限」を行っているためとしているが、突然の強硬な対応には、日韓に反発する一部国内世論への配慮も透けて見える。

 韓国で空港検疫が強化された2日以降、中国便の韓国到着時の様子がネット上で物議を醸した。首から目立つカードを下げた状態で空港職員に誘導される中国旅客の様子に、「まるで犯罪者だ」「プライバシーがない」と批判が集中。入国時に必要なPCR検査費用が自己負担であることや、空港での待機が4~5時間に及ぶ点も指摘された。

 日本の対応への批判は韓国ほど目立たないものの、他国からの渡航者と異なる扱いを受けることへの不満は大きい。

 日韓と対照的に取り上げられるのは、インバウンドへの期待から国を挙げて中国人観光客を迎えているタイだ。バンコクの空港で花を手渡される姿などが報じられており、中国国内では「遊びに行くなら歓迎される国がいい」という声も出ている。 』

法の支配

法の支配
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D

 ※ 以下の記述は、もっぱら「国内法体系」における「法の支配」の説明のようだ…。
 ※ 「国内法における法の支配」ですら、こういうもの(多義的、多解釈の対立、収斂せずに拡散する)だ…。

 ※ いわんや、「国際法」においておやだ…。

『法の支配(ほうのしはい、英語: rule of law)は、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である。法治主義とは異なる概念である。

「法の支配」とは、統治される物だけでなく統治する側もまた、より高次の法によって拘束されなければならないという考え方である[1]。大陸法的な法治主義とは異なり、法の支配では法律をもってしても犯しえない権利があり、これを自然法や憲法などが規定していると考える[1]。

法の支配における「法」[注釈 1] とは、全法秩序のうち、「根本法」と「基本法」のことを指す[2]。

法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である[3]。

法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義とも密接に結びついている[3]。

法の支配は、極めて歴史的な概念で、時代や国、論者により異なる様相を呈する多義的な概念である点に留意が必要である[3]。

歴史

古代

「法の支配」の原型は、古代ギリシアのプラトン[4] やアリストテレスの思想[注釈 2] を経て発展したローマ法やヘレニズム法学に求める見解や[5]、古き良き法に由来する中世のゲルマン法に求める見解もあり、一定しない。

市民の誰が支配するよりも、同一の原則である法が支配する方が適切だ。仮に特定の人々に最高権力を置く利点がある場合には、彼らは法の守護者および執行者としてのみ任命されるべきである。
— 政治学、アリストテレス、3.16

我々が自由であるために、我々は皆、法の奴隷でなければならない。(ラテン語: Omnes legum servi sumus ut liberi esse possumus)
— キケロ、[6]

中世

「法の支配」が、明確な形としてあらわれたのが中世のイギリスにおいてであることには、ほぼ異論がない[7]。

ヘンリー・ブラクトンの「王は人の下にあってはならない。しかし、国王といえども神と法の下にある」という法諺が引用されるように少なくとも中世のイギリスに「法の優位」(Supremacy of Law) の思想は存在していたとされる[8]。

中世のイギリスでは、国王さえ服従すべき高次の法(higher law)があると考えられ、これは「根本法」ないし「基本法」(Fundamental Law)と呼ばれ、この観念が近代立憲主義へと引きつがれるのである[2]。そのため、法の支配は、立憲主義に基づく原理とされている[3]。

当時はボローニャ大学で、ローマ法の研究が進み、1240年にローマ法大全の『標準注釈』が編纂されると、 西欧諸国から留学生が集まるようになり、英国にもオクスフォード大学、ケンブリッジ大学が相次いで設立されるなどしてローマ法の理論が研究され、一部持ち込まれたという時代であるが、既に英国全土の共通法ともいえるコモン・ローの発展を見ていた英国では、大陸において発展した「一般法」(ユス・コムーネ、jus commune)を取り込む必要は乏しかった。

そのため、後にローマ法に由来する主権の概念とコモン・ローとの緊張関係が問題となったが、英国では、「法の主権」の概念の下、「法の優位」が説かれたことがあった。

しかし、その思想は、封建領主と領民との間の封建的身分が前提とされた関係理論に基づいていたのであって、マグナ・カルタにおいては、バロンの有する中世的特権の保護するために援用されたのである。また、その思想は、被治者の権利・自由の保護を目的としていたわけではなく、道徳・古来の慣習法と密接に結びついた当時のキリスト教的な自然法論と親和性のあるものであったのである[2]。

以上に対し、被治者の権利・自由の保障を目的とする近代的な意味での「法の支配」は、中世以後徐々にコモン・ロー体系が確立していったイギリスにおいてマグナ・カルタ以来の法の歴史を踏まえ、中世的な「法の優位」の思想を確認する形で、16世紀から17世紀にかけて、法曹によって発展させられた[2]。

1606年、エドワード・コーク卿は、王権神授説によって「国王主権」を主張する時の国王ジェームズ1世に対し、ブラクトンの法諺を引用した上で、「王権も法の下にある。法の技法は法律家でないとわからないので、王の判断が法律家の判断に優先することはない。」と諫めたとされる[9][注釈 3]。

ここでは、コモン・ロー裁判所裁判官の専門的法判断の王権に対する優位が説かれており、中世的特権の保護から、市民的自由の保護への足がかりが得られるきっかけを作られたといえる[10]。

1610年、コークによる医師ボナム事件の判決は、コモン・ローに反する制定法は無効と判示し、司法権の優位の思想を導くきっかけを作ったとされる[11]。

1610年、トマス・ヘドリィ(Thomas Hedley)の庶民院における長大な演説によってノルマン征服以前の古き国制(ancient constitution)の伝統を理由にコモン・ローの本質が明らかにされ、以後、議会ではヘドリィによって定式化されたコモンローの優位が繰り返し説かれることになった[注釈 4]。

ここでは、「庶民」(commoner)[注釈 5]が議会に政治的参加をすることによって制定される法律の王権に対する優位が説かれており、民主主義と法の支配が密接に結びつくきっかけが作られたのである。そのため、法の支配は、民主主義とも密接に関連する原理とされている[3]。

1688年、メアリーとその夫でオランダ統領のウィリアム3世(ウィレム3世)をイングランド王位に即位させた名誉革命が起こると、これを受けて1701年王位継承法で裁判官の身分保障が規定されることによって法の支配は現実の制度として確立したのである[12]。

アメリカ合衆国における法の支配

1787年、アレグサンダー・ハミルトンらによって成文憲法として起草されたのがアメリカ合衆国憲法であるが、これは「法の支配」を成文憲法によって実現しようとするものであった。

合衆国は、イギリスが立憲君主制をとるのと異なり、共和制を採用し、執政体としては、君主に代わり大統領を選挙によって選出するものとした上で間接民主制をとって立憲主義を採用したのである。

ここでいう共和制とは、人民主権の下、選出された代表者が権力を行使する政体のことである[13]。

1803年、マーベリー対マディソン事件をきっかけに米国で発祥した違憲立法審査権は、コークの医師ボナム事件の判決にヒントを得て、「法の支配」から発想された憲法原理の一つである。

解説

法の支配における法(Law)とは、不文法であるコモン・ローおよび国会が制定する個々の法律(a law、laws)を含めた全法秩序のうち、基本法(Fundamental laws)のことを指す。基本法は、形式的意義の憲法(憲法典)と区別する意味で、実質的意義の憲法と呼ばれている[注釈 6]。アメリカ合衆国、日本では、成文憲法典を制定されているので、基本法は原則として憲法典のことを指すが、それに限定されるわけではない[注釈 7]。

法の支配は、国会が権限を濫用して被治者の自由ないし権利を侵害することがあり得ることを前提とするものであって、権力に対し懐疑的で、立憲主義、権力分立と密接に結び付いている。

ただし、どのように権力を分離するのかはその国の歴史によって異なり、合衆国のように厳格に三権に分立するというものでは必ずしもなく、イギリスのように議会と裁判所を明確に分離しないというような国もある。詳細は英国法#歴史を参照。

法の支配は、名誉革命によって近代的憲法原理として確立したものであり、上掲のヘドリィの庶民院での演説によって明らかにされているように民主主義とも密接に結びついている。

ただし、イギリスのように立憲君主制とも、合衆国のように共和制とも結びつき得るものであり、その国の歴史によって異なる多義的な概念である。ここでいう共和制とは、人民主権の下、選出された代表者が権力を行使する政体のことである[13]。

その目的は、人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の「権利ないし自由」を保障することである。

法の支配は、戦後現代的変容を余儀なくされており、その多義性ゆえ議論は錯綜を極めている。

ダイシーと法の支配

法の支配を理論化したのは、ダイシーの『憲法序説』であり、以後国会主権(Parliamentary Sovereignty)と法の支配がイギリス憲法の二大原理とされるようになった[14]。

ダイシーによれば、法の支配は以下の三つの内容をもつものとされる。

専断的権力の支配を排した、基本法の支配(人の支配の否定)

すべての人が法律と通常の裁判所に服すること(法の前の平等、特別裁判所の禁止)
具体的な紛争についての裁判所の判決の結果の集積が基本法の一般原則となること。

(具体的権利性)

ただし、ダイシー流の法の支配に対しては、ダイシー自身の政治思想や当時のイギリスの政治状況、例えば、コレクティビズム(集産主義)という概念を作り出し批判するのは、自身の政治信条であるホイッグを擁護する点にあるのではないか、フランスでは行政行為に司法審査が及ばないと誤解したことに端を発する行政法に対する不寛容、法の支配の第3番目の内容は国会主権を否定するに等しいなどジェニングズ(W.I.Jennings)による体系だった批判がなされているが、ダイシー流の法の支配は現在でもイギリスの公法学界において多大な影響力を有している[15]。

また、国会主権と法の支配との関係については、ハートVSロン・フラー論争を代表に議論がなされているが[16]、ダイシー流の法の支配は、国会を上訴権のない裁判所ととらえることなどにより国会主権が多数者支配を是認するものとはとらえず、コモン・ローの伝統的理解にむしろ忠実なものであるとの理解がイギリスの公法学界では通説とされている[17]。

法の支配と法治主義

大陸法系においては、ローマ法が普及するに伴い「法の支配(Rule of Law)」は衰退し、19世紀後半にドイツのルドルフ・フォン・グナイストが理論的に発展させた「法治主義」(rule by laws、独:Rechtsstaat)が浸透していった[18]。

法治主義は、法律によって権力を制限しようとする点で一見「法の支配」と同じにみえるが、法治主義は、手続として正当に成立した法律であれば、その内容の適正を問わない。
したがって、「法の支配」が民主主義と結びついて発展した原理であるのと異なり、法治主義はどのような政治体制とも結びつき得る原理である。

このような意味での法治主義を後に述べる実質的法治主義と対比する意味で「形式的法治主義」と呼ぶこともある[3]。

他方、「法の支配」の下においては、たとえ「法律(立法)」の手続を経てなされるとしても、法律の内容は適正でなければならず、権利・自由の保障こそ本質的であるとする点に法治主義との差がある。

このような違いが歴史的に生じたのは、イギリスにおいては、法とは、「古き国制」に由来する人の意思を超えたものであって、人の手によって創造され得るものでなく、発見するものであると伝統的に考えられてきたことが背景にあるとされている[19]。

もっとも、現在では、ドイツでは、法律の内容の適正が要求される「実質的法治主義」の考え方が主流となっているが、反対に、イギリスでは、アンドレ・マルモーが代表する「古き良き法と法の支配は異なる」とする論調のように、多義的な概念である法の支配に政治哲学的な価値を持ち込むこと自体を批判し、法の支配と(形式的)法治主義を同視する見解が多い。

日本での展開

日本の法体系は、長らく慣習法を基調としてきたが、近代化の推進の為、明治憲法は、プロイセン・ドイツ法に準拠することとなり[注釈 8]、以後、法体系は大陸法系を基調として、明治憲法下でも(形式的)法治主義(法律による行政の原則)は認められてきた。

その後、アメリカ法に影響を受けた日本国憲法が制定されると、日本国憲法が法の支配を採用しているものなのかが問題となったが、制定法主義をとり、判例法主義をとるものではないという前提がある以上、ダイシー流の法の支配は採用されていないという点には異論はなく、結局は多義的な法の支配の内容をどのように解するかによってその結論が導かれると解されるようになった。

現在の日本の憲法学においては、「法の支配」の内容は以下の4つとされている[3]。

1、人権の保障 : 憲法は人権の保障を目的とする。

2、憲法の最高法規性 : 法律・政令・省令・条例・規則など各種法規範の中で、憲法は最高の位置を占めるものであり、それに反する全ての法規範は効力を持たない。

3、司法権重視 : 法の支配においては、立法権・行政権などの国家権力に対する抑制手段として、裁判所は極めて重要な役割を果たす。

4、適正手続の保障 : 法内容の適正のみならず、手続きの公正さもまた要求される。この法の適正手続、即ちデュー・プロセス・オブ・ロー(due process of law)の保障は英米法の基本概念の一つでもある。

日本国憲法は、権利の保障は第3章で、憲法の最高法規性は第10章で、司法権重視は76条・81条で、適正手続の保障は31条で、それぞれ定めているので、「法の支配」を満足していると見なされている[3]。

これに対しては、日本国憲法施行の当初から、GHQによる検閲や農地改革等により権利の保障は大きく歪められ、また、最高裁の下す違憲判決の少なさから、日本において「法の支配」は十分に機能していないとする見解もある[要出典]。

このように、現在の日本の公法学において、「法の支配」という概念が広く受容されるようになったが、そのため戦前とられていた法治主義との関係が問題とされるようになった。

現在の日本の憲法学では、ドイツと同様に実質的法治主義と法の支配を統一的に理解する見解が多数であるが[20]、以下に述べるとおり両者を厳格に区別し、法の支配に一定の積極的な意義を見出す論者もいる。

佐藤幸治は、伝統的な「法の支配」における「法」という観念が自律的で自然発生的なルールという意味合いを有していることを指摘して、日本の「法律」という観念との違いに言及し[21]、法の支配を採用して、行政裁判所を廃止した日本国憲法下においても、公定力といった旧憲法下での行政法理論が生き続ける日本の公法解釈のあり方に疑問を呈するだけでなく[22]、(実質的)法治主義は行政による事前抑制に親和的であるのに対し、法の支配は司法による事後抑制に親和的で、国民の司法への積極的な参加とこれを支える多くの法曹の存在が必要であるという積極的な意義がある点に違いがあるとする[23]。

これに対して、阪本昌成は、法の観念については、佐藤と同じく自生的秩序であるとして法の支配と法治主義を厳格に区別しつつも、法の支配を主権者も法律さえも拘束するメタ・ルールであるととらえ、佐藤とは正反対に、国民に一定の行為を要求するものではありえず、むしろ法の形式に着目し、それが一般的・抽象的でなければならず、その内容も没価値的・中立的なものであることを要求するものであるとして、法の支配に政治哲学的な価値を持ち込むことに反対する。英国の公法学界の通説と結論を同じくするが、阪本の学説は、スコットランドの古典的自由主義の渓流を継ぐものなので、当然のことといえる。
国連・持続可能な開発目標2030アジェンダ

国連の2030年までに達成すべき目標として掲げる持続可能な開発目標(SDGs)のターゲット16.3において、法の支配を国家及び国際的なレベルで促進し、すべての人々に司法への平等なアクセスを提供することを謳っている。[24]

脚注
[脚注の使い方]
注釈

^ lawは、ラテン系のフランス語起源の単語の多い英語には珍しく、イングランドを支配したヴァイキングのデーン人の用いた古ノルド語の「置かれた物」という言葉が語源。それが掟(オキテ)、法という意味となった。イングランド東部にはデーン(北海帝国)支配時代の慣習法などの残ったデーンロー地方がある。
^ 政治学の項参照。
^ コーク卿の『英国法提要』・『判例集』は、現在でも法の支配に関する不朽のテキストとされ、ウィリアム・ブラックストンの『イギリス法釈義』は、このコークの法思想を19世紀に継ぐべく書かれた、英国法の体系的なコメンタリーである。イギリスの植民地であったアメリカにおいては、不文法(非成文法)である英国法を知る手段は限定されたものであった中で、『英国法提要』・『イギリス法釈義』はアメリカの法曹に広く読まれるテキストとなり、アメリカ法に強い影響を与えることになる。
^ 「古き国制」の思想は、古くはジョン・フォーテスキューが主たる論者であり、後にエドマンド・バークの「時効の憲法」(prescriptive Constitution)の思想に引き継がれていくが、バークの時代は法の支配の衰退期とされている。
^ 庶民といっても、騎士(Knights)と一定の資産を有する「市民」(Burgesses)のことを指す。
^ 憲法典のないイギリス法の訳語としては、端的に「統治構造」と訳すべきとの者もいる。
^ 成文憲法典を持つ国では、最高法規である憲法に違背した制定法は無効とされ、裁判所が合憲性を判断する違憲審査制がとられているが、成文憲法典のないイギリスでは当然のことながら違憲審査制はない。成文憲法典のある国での違憲審査制の下では、合憲性判定の基準となる「憲法」は憲法典に限られ、基本法である実質的意義の憲法全てが含まれるわけではないとするのが通説である。
^ 明治十四年の政変の項を参照。

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^ 上掲『現代イギリス法辞典』55頁
^ 上掲「現代イギリス法辞典」75頁
^ 上掲『現代イギリス法辞典』66頁
^ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ』59頁
^ 上掲樋口・129頁
^ 芦部『憲法(第3版)』岩波書店、15頁など
^ 佐藤幸治『憲法(第3版)』81頁
^ 佐藤幸治、田中成明『現代法の焦点』有斐閣リブレ、1987年
^ 第154回国会「参議院憲法調査会」第2号
^ “「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択する国連サミット”. 外務省. 2016年11月30日閲覧。

参考文献

伊藤正己『法の支配』有斐閣、1954年
伊藤正己『英米法における法の支配』日本評論社、1950年
伊藤正己・木下毅『アメリカ法入門(第4版)』日本評論社、2008年(初版は1961年)
田中和夫『英米法概説〔再訂版〕』有斐閣、1981年
佐藤幸治『憲法(第3版)』青林書院、1995年
樋口陽一『比較憲法(第3版)』青林書院、1992年
阪本昌成『憲法理論Ⅰ』(成文堂)、1993年
戒能通厚編『現代イギリス法辞典』(新世社)、2003年
宇野重規 『西洋政治思想史』有斐閣、2013年。ISBN 978-4-641-22001-0。

関連項目

立憲主義
法治国家
国際法律家委員会
欧州評議会
法の支配ミッション
デュー・プロセス・オブ・ロー』

「法の支配」で公開討論 林外相主宰、中ロ反発―国連安保理

「法の支配」で公開討論 林外相主宰、中ロ反発―国連安保理
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023011200812&g=int

『【ニューヨーク時事】国連安全保障理事会は12日、「法の支配」をテーマに公開討論を開いた。今月の議長国を務める日本の林芳正外相が主宰した。参加国から国連憲章などに基づく世界秩序の維持が重要だとの意見が相次ぐ一方、中国やロシアは「西側諸国が恣意(しい)的にルールを作っている」と反発した。

安保理改革へ問われる手腕 日本、年初から非常任理事国

 ロシアによるウクライナ侵攻は、国連加盟国間の分断深刻化を浮き彫りにした。中国も東・南シナ海で、力による一方的な現状変更の試みを続けている。
 林氏は演説で、法の支配が存在しなければ「世界は野蛮な力と威圧のジャングルになる」と警告。中ロを念頭に、国連決議や国際裁判所の判決などに従うことが肝要だと訴えた。

 その上で、国連に代わる組織はなく、安保理を含む国連機能の強化が必要だと強調。分断克服のためにも「法の支配という理念の下に結集しよう」と呼び掛けた。

 これに対し、ロシアのネベンジャ国連大使は「西側が作り出したルールに基づく秩序には同意できない」と主張。中国の張軍国連大使も「国際的なルール作りは、一部の国の特権ではない」と米欧をけん制した。 』

半導体規制、日オランダと協議へ 対中国、首脳会談で―米大統領

半導体規制、日オランダと協議へ 対中国、首脳会談で―米大統領
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023011300467&g=int

『【ワシントン時事】バイデン米大統領は、ホワイトハウスを訪れる日本の岸田文雄首相、オランダのルッテ首相とそれぞれ会談し、先端半導体の対中国輸出規制を含めた経済安全保障分野について議論する見通しだ。独自の技術力を持つ日本とオランダに輸出管理の強化を直接求める。米メディアが12日に報じた。

今後10年が勝敗の分かれ目に 米中緊張、日本に試練―「半導体戦争」著者

 日米両国は13日の首脳会談に合わせて、経済安保に焦点を当てた「日米経済政策協議委員会」(経済版2プラス2)の次官級会合を開く。オランダとの首脳会談は17日に行われる。 』

[FT]中国が経済・外交リセット模索 外交関係修復も視野

[FT]中国が経済・外交リセット模索 外交関係修復も視野
The Big Read(上)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB116GH0R10C23A1000000/

『中国が「ゼロコロナ」政策を事実上終了したことで起きた大混乱に伴う代償が急拡大している。公式発表では死者数はあまり増えていないが、学識者やオペラ歌手など高齢の著名人についておびただしい数の追悼記事が流れ、中国の感染症弱者を襲うウイルスの影響力の大きさを物語っている。

中国の複数の地域で医療体制が逼迫、奪い合いとなった抗ウイルス薬と鎮痛剤の供給不足がアジア全土に広がっている。非公式な予想では、ゼロコ…

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『中国の複数の地域で医療体制が逼迫、奪い合いとなった抗ウイルス薬と鎮痛剤の供給不足がアジア全土に広がっている。非公式な予想では、ゼロコロナ解除に伴う中国の「出口波」で死亡しかねない人の数は約100万人とされている。

こうした状況は、毛沢東以来最も強力な中国の指導者である習近平(シー・ジンピン)国家主席のイメージに傷をつけるだけではない。2年間、西側諸国の膨大な死者数を中国の統治の秀逸さの証拠として伝えてきた中国のプロパガンダ(宣伝活動)機関も、政府政策の擁護に四苦八苦している。』

『実は、この大混乱の裏で、習氏の外交・経済政策の抜本的なリセットが進んでいる。中国の当局者と政府顧問によると、中国政府は著しく悪化した外交関係を修復し、疲弊した経済を立て直すための政策を組み立てつつある。

中国政府が抜本的なリセット(成功する保証はない)を目指す背景には、経済、社会、外交政策上の様々なストレスが重なり、危機的レベルに達したことがあると当局者や顧問は語る。』

『複数の当局者と政府顧問の話によると、その目的は、経済面では、減速する経済に力強い成長を取り戻すこと、中国農村部の数億人の労働者の暮らし向きを改善すること、不況に陥った不動産市場を安定させること、苦境に立つ地方自治体の財政を下支えすることにあるという。

中国政府が成長志向の政策をとると予測する有力エコノミストの1人である香港大学の陳志武教授(金融学)は、政府は2023年の成長目標は「6%かそれ以上」になると予想している。国際通貨基金(IMF)が予測する4.4%成長より大幅に高い数字だ。

「彼らが平均5%の成長率を狙う可能性もあり、22年の実績が約3%になりそうなことを考えると、23年については7%程度の目標値を打ち出す必要があるだろう」と陳氏は指摘する。他の数人のエコノミストも23年について5%超の国内総生産(GDP)成長を予想している。』

『外交面では、中国は、国際的な孤立感を経験した後、一部の西側諸国との関係を改善することに主眼を置いている。焦点は欧州との関係にある。ウクライナに対してロシアが仕掛けた戦争に関し、中国がパートナー国であるロシアを支持したことで中欧関係は著しく悪化した。』

『「中国政府は自国が西側諸国と外交面で敵対することは望んでいない。また多国間のフォーラムで孤立しているとみられるのも本望ではない」。英王立国際問題研究所(チャタムハウス)の中国専門家、ユー・ジエ氏はこう話す。「ロシアがウクライナへの軍事侵攻でつまずき、中国にとっては、中ロ関係に関して、投資に対する見返りが著しく悪化した」

習氏とロシアのプーチン大統領は先月、オンラインで協議し、中ロ関係を深化させることを約束した。しかし、複数の中国政府高官はフィナンシャル・タイムズ(FT)との非公式な会話で、ウクライナ問題に関して中ロ両政府のスタンスには違いがあると強調した。これは彼らが一部の欧州外交官に向けて繰り返しているメッセージでもある。

なかには痛烈な批判を口にする人もいる。ある中国高官は匿名を前提に「プーチンはクレージーだ」と発言した。「侵攻の決断を下したのはごく少数の人間。中国はロシアに単純に従うべきではない」』

『習氏の外交的リセットは、ロシアとの緊密な関係がもたらすメリットを中国政府内で再検討したことに端を発する。

複数の中国の当局者によると、中国は今、ロシアがウクライナに対して勝つことができず、紛争後に国際舞台において経済的にも外交的にも著しく衰えた「弱小国」となる可能性を認識している。

加えて、公の場でどれだけ2国間の友好関係をうたっているとしても、一部の中国高官は個人的な場では、プーチン氏自身に対し、幾ばくかの不信感をあらわにする。

過去9カ月、様々な折に、この問題に通じた5人の中国政府高官がFTに対し、ロシア政府はウクライナ全面侵攻に乗り出す意向を中国政府に事前に伝えていなかったと発言した。

こうした見方は、ウクライナ侵攻開始のわずか20日前にあたる22年2月4日に、習氏とプーチン氏が北京で会談した後に出した共同声明の印象とは食い違う。声明は「中ロ協力に制限や禁じられた分野はない」と宣言していた。』

『会談の議事録は非公開のため、二人の間でどんなやり取りがあったのか正確にはわからない。しかし、ある政府高官はFTに対し、プーチン氏が習氏にその意図を伝えたというに近い発言は、「ウクライナ東部の分離主義者がロシアの領土を攻撃し、人道的な惨事を引き起こした場合には、(ロシアは)どんな措置を取ることも排除しない」という言葉だったと語った。

中国側はこの発言を、プーチン氏が始めた全面的な侵攻ではなく、限定的な軍事作戦の可能性を伝えるシグナルと受け止められたと同高官は語った。』

『中国の当局者によると、侵攻当時に筆頭外務次官を務め、中国外務省トップのロシア専門家だった楽玉成氏が6月に更迭されたことが、中国側の誤認を裏付けているという。中国の政官界では、楽氏は次の外務大臣になるとみられていた。同氏は現在、国家新聞出版広電総局の副局長の役職に就いている。

中国前筆頭外務次官の楽玉成氏。ウクライナ侵攻時に中国外務省トップのロシア専門家だった同氏は6月に更迭された=ロイター

事情通の関係者によれば、「楽氏は2段階降格された」という。「ロシアの侵攻に関する諜報(ちょうほう)の失敗の責任を問われた」

中国の当局者や欧州の外交官の証言によると、プーチン氏が習氏にどんなことを語ったにせよ、欧州における中国の地位回復を図る中国外交官は、「ロシアの全面侵攻の意図を中国側は認識していなかった」と主張しているという。

こうした発言は、中国の孤立感を和らげ、欧州が米国に一段と接近するのを防ぐための大きな戦略の一部といえる。』

『中国、欧州双方の外交当局者によると、プーチン氏に核兵器使用を思いとどまらせるために、中国には、ロシアとの緊密な関係を利用する用意があると言うことで、欧州諸国の政府を安心させるのが中国側の戦略だという。

中国政府の戦略のもう1つの側面は、自国を潜在的な仲裁役としてのみならず、戦後のウクライナ復興を支援する取り組みに積極的な参加者として位置付けることだと中国当局者は話す。

習氏自身が先月末にプーチン氏に向けて語った発言からは、自分自身を和平の支持者として打ち出そうとしていることがうかがわれる。

「和平交渉への道のりは平たんではないが、努力をあきらめない限り、和平の見通しは常に存在する」と習氏は語った。「中国は引き続き客観的で公正な立場を維持しながら、国際社会の結束に力を尽くし、ウクライナ危機の平和的な解決に向けて建設的な役割を果たす」

(下に続く)

By James Kynge, Sun Yu and Xinning Liu

(2023年1月10日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)』

中国外務省、日本の水際対策「早く改めよ」と主張

中国外務省、日本の水際対策「早く改めよ」と主張
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM129LV0S3A110C2000000/

『【北京=羽田野主】中国外務省の汪文斌副報道局長は12日の記者会見で、日本政府が実施している新型コロナウイルスの水際対策について「中国人に対する差別的な制限措置をできるだけ早く改めよ」と批判した。

中国での感染急拡大を受け、日本政府は2022年末から中国からの渡航者に入国時の検査を義務付けたが、検査を受ければ入国可能だ。これに対し、中国政府は10日から対抗措置として、日本人へのビザ(査証)の新規の…

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『日本側の水際対策に対して、不釣り合いに厳しい措置となっており、出張再開や駐在員交代など日本企業の活動に影響が生じる恐れもある。岸田文雄首相は11日、訪問先のロンドンで「極めて遺憾だ」と述べた。

汪氏は12日の記者会見で「科学的な態度で相互尊重の精神に基づくべきだ」と主張。日本政府が水際対策を改善したうえで「中国とともに正常な人的交流の回復に向けて努力することを希望する」と語った。』

中国、情報開示に疑義のWHOに反発 「公開透明」主張

中国、情報開示に疑義のWHOに反発 「公開透明」主張
中国ゼロコロナ
2023年1月12日 18:23 [有料会員限定]
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM128XL0S3A110C2000000/

『【北京=羽田野主】中国外務省の汪文斌副報道局長は12日の記者会見で、世界保健機関(WHO)が中国の新型コロナウイルスの感染状況を巡る情報公開のあり方に疑問を呈していることに反発した。「WHOが科学的、理性的に判断し、客観的かつ公正に発言するように希望する」と批判した。

WHOのテドロス事務局長は11日の記者会見で「中国での新型コロナによる死者が過少報告されていることを踏まえると、(各国合計の死者…

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『中国で感染症対策を担う疾病予防センターはコロナの新規感染者数と死者数の発表を8日分を最後にやめている。最終的に月1回にする計画で、今後、どの程度詳細に感染状況を公表するかは不明だ。

中国では人口が1億人近い河南省の感染率が9割近くに達するなど、国内の感染爆発は続いているとみられる。情報の共有を求める米欧などは懸念を強めている。』

中国輸出12月9.9%減 米欧向け不振、3カ月連続減少

中国輸出12月9.9%減 米欧向け不振、3カ月連続減少
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM092N20Z00C23A1000000/

『【北京=川手伊織】中国税関総署が13日発表した2022年12月の貿易統計(ドル建て)によると、輸出は前年同月比9.9%減の3060億ドル(約39兆円)だった。3カ月連続の減少で、マイナス幅も11月の8.9%から拡大した。世界経済の減速懸念が強まるなか、米欧向けが落ち込んだ。

輸出の減少率は、新型コロナウイルスの感染が初めて広がった直後の20年2月(41%減)以来の大きさだった。輸入は7.5%減の2280億ドルで、3カ月連続で前年同月を下回った。輸出から輸入を差し引いた貿易黒字は780億ドルで、前年同月より減少した。

22年通年の輸出は前年比7.0%増、輸入は1.1%増だった。

12月の輸出を国・地域別にみると米国向けは2割減少し、5カ月連続のマイナスだった。欧州連合(EU)向けも18%減り、3カ月連続で前年同月を下回った。東南アジア諸国連合(ASEAN)向けは7%増え、伸びは11月の5%から高まった。

品目別ではパソコンなどが36%落ち込み、5カ月連続の減少となった。労働集約的な玩具や衣類もそれぞれ1割減った。

輸入は主要品目である集積回路が22%落ち込み、8カ月連続で減った。化粧品も前年同月を3割下回った。新型コロナの封じ込めを狙う「ゼロコロナ」政策の緩和に伴う感染急拡大で外出を控える人が増えて、消費が落ち込んだ影響が出たとみられる。原油は15%増えた。

12月のロシアとの貿易は輸出入ともに8%増えた。このうち、輸出は6カ月連続で増加した。

【関連記事】

・世界の製造業在庫3年ぶり減 過剰感や景気減速で調整へ
・中国消費者物価、心理悪化で伸び鈍く 12月1.8%上昇

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神保謙

神保謙
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E8%AC%99

『神保 謙(じんぼ けん、1974年 – )は、日本の国際政治学者。慶應義塾大学総合政策学部教授。

来歴

群馬県出身[1]。県立高崎高等学校卒業[2]。2004年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。2005年4月、慶應義塾大学総合政策学部講師、2007年4月、同大学総合政策学部准教授、 2008年4月、同大学総合政策学部教授。

2009年4月から2010年12月までキヤノングローバル戦略研究所客員研究員を兼任、2011年1月から同研究所主任研究員に就任。東京財団上席研究員も兼務。また、2019年から1年間タンマサート大学政治学部の客員研究員として現地にて在外調査、研究を行っていた。

著作

著書

アジア太平洋の安全保障アーキテクチャ:地域安全保障の三層構造、日本評論社、2011年

共著

民主党政権 失敗の検証:日本政治は何を活かすか 中公新書、2013年
中国 改革開放への転換:「一九七八年」を越えて、慶應義塾大学出版会、2011年
日本の国際政治学 1: 学としての国際政治』(共著)、有斐閣、2009年
東アジア共同体と日本の進路、NHK出版、2005年
新しい日本の安全保障を考える、自由国民社、2004年
アメリカと東アジア 慶應義塾大学出版会、2004年
イラク戦争と自衛隊派遣 東洋経済新報社、2004年
アジア太平洋の多国間安全保障、日本国際問題研究所、2003年

出演番組
ラジオ

ザ・ボイス そこまで言うか!(ニッポン放送)
飯田浩司のOK! Cozy up!(ニッポン放送)

脚注
[脚注の使い方]

^ “【討論】在沖縄米海兵隊は抑止力か否か”. 産経新聞東京本社. (2015年5月10日) 2017年1月15日閲覧。
^ kenj0126のツイート(162825022497488897)

外部リンク

Ken Jimbo 神保 謙(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス 教員プロフィール)
神保 謙 (Ken JIMBO) (@kenj0126) - Twitter』

抑止論(Deterrence)と拡大抑止(Extended Deterrence)

抑止論(Deterrence)と拡大抑止(Extended Deterrence)
安全保障論(第3回) 担当:神保 謙
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwifiorGtcP8AhXZa94KHbl2BF0QFnoECBUQAQ&url=http%3A%2F%2Fweb.sfc.keio.ac.jp%2F~kenj%2Fsecurity%2Fppt2006%2F3.ppt&usg=AOvVaw095X4EUJb0MCeh0jDi6jEb

 ※ リンクをクリックすると、いきなりファイルがDLされる。

 ※ 「3.ppp」という名称のファイルだ。
   パワーポイント形式のファイルのようだ。
   それを読めるソフトを持っていないと、読めない。
   オレは、Open Officeで読んだ。

 ※ キャプチャした画像を、貼っておく。

核抑止

核抑止
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E6%8A%91%E6%AD%A2

『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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出典検索?: “核抑止” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年9月)

核抑止(かくよくし)とは、核兵器の保有が、対立する二国間関係において互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避される、という考え方で、核戦略のひとつである。核抑止論や、比喩的に「核の傘」などとも呼ばれる。

核抑止

核抑止は2つの意味を持つ。元々の意味としては国家間(核保有国と非核保有国)の戦争を核保有国からの核攻撃を避けようとするため戦争が抑止されるもの。もう一つは1960年代以降に確立した、核保有国同士で核兵器の使用による収拾し難い壊滅的な状態を避けようと、互いに核兵器を保持することで抑止するというものである。

戦争抑止については核兵器保有国と非保有国との間で成り立つと考えられた。これは冷戦初期のアメリカのみが核保有国だったころに強い支持を受け、事実、核戦力一辺倒に傾倒し、朝鮮戦争においては兵力に不自由するほどの通常戦力の減勢を行った。

しかし、ソ連が原爆実験に成功して以降、米ソ両国は核戦争に打ち勝つ(国家を破滅させうるだけの)核戦力を構成することに努力が払われたが、米ソ双方の核戦力が相互の国家を破壊できるだけの質量を整えた1960年代以降は、いかに国家の破滅に至る核の使用をためらわせる軍事的・経済的状況を維持するかにシフトした。この状況においては必ずしも戦争の抑止は目的とされず、また戦術分野にカテゴライズされた核兵器の使用を否定することにもならない。

1960年代、早期警戒衛星の配備で、米ソ両国は相手の核ミサイル発射をより早く的確に察知できるようになった。これにより敵の核ミサイルが着弾する前に報復核攻撃を決断することが可能になった。

相互確証破壊(Mutual Assured Destruction、MAD、1965年)は最も知られた核抑止理論で、ロバート・マクナマラによって発表された。元は確証破壊戦略(Assured Destruction Strategy、1954年)に遡るが、先制奇襲による核攻撃を意図しても、生残核戦力による報復攻撃で国家存続が不可能な損害を与える事で核戦争を抑止するというドクトリンである。

核兵器も通常兵器も、軍事力による戦争抑止と言う意味では手段に過ぎないため、手持ちの戦力をいかに有効に抑止力に転化させるかという観点から、核抑止理論も大量報復戦略(ニュールック戦略、1954年)、柔軟対応戦略(Flexible Responce Strategy、1961年)、損害限定(Damage Limitation、1964年)、相殺戦略(Countervailing Strategy、1980年)、戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative, SDI、1983年)など、時代や技術の変化を受ける。

ソ連崩壊の直後からロシアの政治的・経済的安定が図られた21世紀までの間に、旧ソ連の核関連技術の流出があり、さらにはアメリカ一極化への対抗から中国が支援した事もあり、イラン、パキスタン、北朝鮮における核拡散が発生した。これらは従来の米ソ二極対立における核抑止とは別の核保有・核兵器使用の動機となるため、別種の対策が必要となる。
抑止

抑止は大きく分けて2つあり、一つは「懲罰的抑止」、もう一つは「拒否的抑止」である。懲罰的抑止とは、相手国に、もし攻撃をすれば自国も攻撃されてしまうと思わせることで、攻撃の意志を挫く形の抑止。いわゆる核の傘で日本を守るという考え方は、この懲罰的抑止に該当する。これに対して拒否的抑止とは、いくら攻撃をしても防がれてしまう為、攻撃しても無駄だと思わせる抑止。ミサイル防衛や核シェルターなどがこれに該当する。
核抑止が成立しない場合

非核兵器保有国に対してであっても、核を使用した場合には同盟した核兵器保有国からの報復(核の傘)が機能する状況であるとしても、それでもなお核兵器の使用を抑制できない例として、次のケースが考えられる。

テロリストの核

現在、アメリカで非常に重要視されている問題。国家と違ってテロリストには報復核攻撃されて困る都市がないので、世界最強のアメリカの核戦力をもってしても、弱小国家以下の存在であるテロリストがアメリカや同盟国の都市で核兵器を爆発させることを抑止できないというパラドックスである。核抑止は喪失の脅迫で効果を得るので、喪失するものがない非対称な相手には効きにくいともいわれる。しかし、テロリストといえど帰属する国家や奪還すべき土地が明確に存在する場合、報復核攻撃での放射能汚染は懸念すべき事態であると言える。[要出典]

敗亡寸前の国家の核

核保有国同士が軍事衝突を起こした場合、戦況が劣勢となった国が局面の打開を目的として核兵器を使用する可能性は否定できない。しかし問題の核心は軍事的劣勢と自国都市がすでに瓦礫になって失うものがないことにあるため、国家体制そのものが保証されるのであれば使用する可能性は低い。また軍事的に優勢になった国も、核を使用されることを恐れて国家体制を転覆するまでの攻勢は思いとどめる可能性が高い。核保有国同士での全面戦争は現在のところ無く、核抑止が通常兵器による戦争をも抑止している、との考えもあるが、核兵器を含む大量破壊兵器を所有しているのではないかという、アメリカの思い込みを一因としたイラク戦争のような件もあるので、一概に核抑止が通常兵器による戦争をも抑止しているとは言い難い。

問題点

ICJが1996年に「核兵器による威嚇とその使用は、武力紛争に関する国際法、とりわけ国際人道法に一般的に違反する」と勧告している

詳細は「核兵器の威嚇または使用の合法性国際司法裁判所勧告的意見」を参照

核抑止による平和維持は、「相手が核攻撃するかもしれない」という「相互不信」と「恐怖」が両国間に横たわり、互いの国民等を人質として脅迫し合った中で保たれるものなので、本来の平和とは大きく逸脱しているのではないかということ

核抑止は「報復も辞さない」という考えも含めたものであるが、相手国に核兵器を使用された時点で甚大な被害が発生するとともに混乱状態に陥るので、(特に首都機能を破壊された場合)実際に報復するというのは相当に困難である

核兵器を所有することで安全保障が揺らぎ、かえって危うくする可能性がある

核戦争によって被害を受ける近隣周辺国の存在も考慮しなければならない。例えば、朝鮮戦争が再び起きて北朝鮮軍が韓国に対して核兵器を使用した場合、アメリカ軍が中朝国境に対して核兵器による報復的な攻撃を行なえば、韓国だけでなく日本も放射能を含んだ灰を多量に受ける可能性がある。この場合、少なくとも日本はアメリカ軍の大量の核爆弾による攻撃には反対するのが予想される。日本と朝鮮半島の例だけでなく、放射能被害を考えれば、近隣国への核攻撃を黙って受容できる国はほぼ無いと考えられるので、たとえ反撃であろうと核を使うことへの反対勢力はすぐに多くの国々によって結成されると予想される。また、死の灰は偏西風に流されて全世界に広がり、放射能の他、日光が遮られることによる天候不順をもたらす(使用された核兵器が多ければ壊滅的な核の冬となる)[1]。

「拡大抑止」、「核の傘」への疑問

自国に対する核攻撃を抑止することを「基本抑止」といい、自国の抑止力を他国の防衛や安全保障に対しても提供することを「拡大抑止」[2]、自国の核戦力を背景にして自国および友好国の安全維持をはかることを「核の傘」という[3]。

「核の傘」は、アメリカまたはロシア(1991年以前はソ連)が、同盟国に対する核攻撃に対して、核による報復をすることを事前に宣言することで、核攻撃の意図を挫折させる理論である。これは、冷戦が終わった現在でも存在している。

一般に、自国に対する攻撃に懲罰的な報復をする旨の威嚇を基礎とする「自己抑止」に比べ、同盟国や第三国に対する攻撃に懲罰的な報復をする旨の威嚇を基礎とする「拡大抑止」「核の傘」には、信憑性が伴いにくいとされる。

「核の傘」に対する信頼性の論議は古くからある。冷戦時代に米ソ両国から「報復をしない」という言質を取れる国家は存在しなかった。アメリカ政府は公式には同盟国への核の傘を一度も否定したことは無く、今後も核の傘の提供を維持することを再三明言している。しかし、それは同盟国や仮想敵国に対する外交戦略としての政治的アピールであり、実際に同盟国が核攻撃を受けた場合、アメリカが自国民に被害が出る危険を覚悟して核による報復を選択するか疑問がある。 例えば、ロシアが東京を核攻撃しても、アメリカはモスクワを報復核攻撃をせず、「核の傘」提供国としての報復義務を怠るのではないか、といわれている。なぜならば、アメリカがモスクワに報復核攻撃をすれば、ロシアはニューヨークやワシントンなどを報復核攻撃することが想定され、そのような事態は米露の核による全面戦争につながりかねず、したがって、アメリカ自身が悲惨な損害を被ることになるから、同盟国や第三国が攻撃を受けた場合に報復核攻撃することは、アメリカにとって割が合わないと考えられるためである。湾岸戦争においてパトリオットミサイルが政治的に大きな効果を上げ、アメリカがそれ以来ミサイル防衛に熱心なことも「アメリカは報復義務を怠り、その代わりパトリオットミサイル派遣で済ますつもりではないか?」という疑念を増幅させている。

アメリカの核の傘に対する否定的な考えは当のアメリカの政治家や学者からも出ている[4]。アメリカの核の傘への否定意見の根拠は、直接アメリカ政府高官にインタビューした経験や、意見交換した経緯などを基にしている。

元アメリカ国務長官のヘンリー・キッシンジャーは「超大国は同盟国に対する核の傘を保証するため自殺行為をするわけはない」と語っている

CIA長官を務めたスタンスフィールド・ターナー[5]は「もしロシアが日本に核ミサイルを撃ち込んでも、アメリカがロシアに対して核攻撃をかけるはずがない」と断言している

元国務次官補のカール・フォードは「自主的な核抑止力を持たない日本は、もし有事の際、米軍と共に行動していてもニュークリア・ブラックメール(核による脅迫)をかけられた途端、降伏または大幅な譲歩の末停戦に応じなければならない」という。

以下のアメリカの要人が、アメリカの核の傘を否定する発言をしている

    サミュエル・P・ハンティントン(ハーバード大学比較政治学教授)
    マーク・カーク(連邦下院軍事委メンバー)
    ケネス・ウォルツ(国際政治学者、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)
    エニ・ファレオマバエガ(下院外交委・アジア太平洋小委員会委員)

核報復を想定してもなお自国民の被害を顧みないような独裁者が存在することも想定される

アメリカが同盟国に対して本当に核の傘を提供するかという議論は、米ソ冷戦時代から存在した。欧州においても論争があり、アメリカが「欧州が核攻撃されたらアメリカ本土からソ連に対し報復核による攻撃を行う」と説得したものの、欧州諸国は納得せず、アメリカによるより強い核のプレゼンス(核の傘)を求め、欧州を脅かしていたソ連の中距離弾道ミサイル「SS20」と対等のミサイルを配備するよう求め、結局アメリカは欧州諸国に中距離弾道ミサイル「パーシングII」を配備することになった[6]。

ニュースサイト「ザ・インサイダー」がフレッド・カプランの調査報道を引用した報道によれば、2016年に行われたアメリカ国家安全保障会議の机上演習において、ロシアがバルト三国への侵攻で核兵器を使用した場合、1回目の議論では通常戦力で報復するという結論が出て、参加者を増やした2回目の議論ではロシアの同盟国であるベラルーシに核攻撃するという結論が出たとされ、核兵器を使わない選択肢も想定されていたことが伝えられている[7]。

これに対し、アメリカによる「核の傘」の提供は、アメリカを盟主とする一大同盟の存続理由でもあり、たとえニューヨークが消えようがワシントンが吹き飛ばされようが、アメリカが「核の傘」を提供すると明言した以上、報復核攻撃は行われるとする説もある。なぜならば、アメリカが報復核攻撃を行わなかった場合には、アメリカの国際社会における権威が失墜し、アメリカを盟主とする同盟が事実上解体の危機に晒されるなど、アメリカの政治的利益の損失が甚大だからである。言い換えれば、同盟国に対する核攻撃はアメリカの国際社会における覇権に対する挑戦であるので、アメリカは同国の利益のために報復核攻撃を行うであろうとする説である。しかし、このような覇権維持のための軍事報復は核兵器によらずとも可能であり、核による直接報復の必要性は無いとも言える。

不確実性による抑止の有効論

ある国が本当に核兵器によって反撃してくるかという「拡大抑止」問題をゲーム理論でとらえると、その国自身を含めて関係当事国が「その国が核によって反撃するかしないか」本当の答えを知らない、または起こってみないとわからないという点では、その国が核による反撃を行なえばそれを受ける国は壊滅的な被害が予想されるので、その国の同盟国を核攻撃するというリスクに賭ける選択は期待値としてのデメリットが大きいため選択肢から外され、ある程度の抑止になっている、という考えもある。

冷戦後の核戦略の変遷

冷戦期は米ソ両大国が膨大な数の核兵器と運搬手段を生産し、巨大な核報復システムを構築した。目的はまず核攻撃を抑止すること、そして抑止が崩れて攻撃を受けた場合でも相手国を滅ぼすだけの核戦力を生残させ、報復するというものであった。

しかし冷戦終結によって核報復システムそのものを従来どおりの用途機能で維持する必要性は薄れた。

アメリカ

アメリカの場合は1993年のボトムアップレヴューで示され「同時に発生する2箇所での大規模紛争に対応する」規模にまで削減されることになる。ボトムアップレヴューを受けて1994年に議会に提出された「核態勢の見直し」(NPR)は、中国とロシアを対象としたまま、いわゆる“ならず者国家”と大量破壊兵器を抑止することが盛り込まれ、また国家に支援されないテロリストの核には抑止が効かないことを承認した。1997年、大統領のビル・クリントンは大統領決定指令60(PDD60)に署名した。これはレーガン政権での大統領決定司令の内容、すなわち「ソビエトとの長期(6ヶ月)の核戦争を戦い抜き、勝利する」という戦略を放棄したものである。最盛期に7万発を数えた核弾頭を、2001年の戦略兵器削減交渉でブッシュがロシア大統領のプーチンに提案した1,700〜2,200発前後まで削減するという話は、その後の2002年5月のモスクワ条約で「両国の戦略核弾頭の配備数を2012年までに1,700〜2,200発まで削減する」と明文化されて形となったが、2007年現在でのアメリカ国内の動きでは、アメリカエネルギー省のNPR02(核兵器再考作業)で「2012年までにICBM用で2,085〜970発、SLBM用MIRVで3,600〜2,100発まで削減する」[1]とされており、今でもモスクワ条約が有効であるかは不明である。

しかし、これは核抑止体制の放棄を目標とするものではなく、ICBM、弾道ミサイル原潜による同盟国への核の傘の提供同様引き続き維持され、ならず者国家を対象に使用される地中貫通核爆弾の開発も継続される。その開発のために核実験を必要とするアメリカはCTBTを批准していない。

アメリカはNATO諸国と核兵器の共同保有、いわゆる核共有を行っている。

フランス

フランスは永らくドゴールの提唱した「全方位戦略」を採ってきた。IRIS所長のパスカル・ボニファス(Pascal Boniface)が繰り返しているように、フランスは核兵器の政治的価値を追求している。[8]

1996年にアルビオン高原の核サイロを閉鎖、現在は海軍のSSBNと空軍ならびに海軍航空隊の運用する空中発射型巡航ミサイルASMPによって核戦力を構成している。

大統領のシラクは2006年の演説で核戦力維持の方針を明らかにしているが、それが米露のような具体的かつ実用的な小型核の使用方針とは異なる(核実験場を永久閉鎖したために小型核の新規開発が出来ない)。

フランスはCTBTのオプションゼロを受け入れている。

イギリス

イギリスは核兵器の政治的価値そのものを認めているため、これを放棄するには至っていない。しかし仮想敵の消失に伴い質量ともに削減を続けており、1998年に「戦略防衛見直し」において保有弾頭数を300から200以下に削減することを決定、首相のブレアはSTARTの進展に関わらず削減を進めるとした。同年、空軍が核兵器の運用を停止。海軍はヴァンガード級SSBN4隻を運用しているが、アメリカから導入したトライデントSLBMは最大12個の再突入体を搭載可能なところを3発に制限、1隻あたりトライデント16基で最大48発としている。

この最後の核兵器システムであるトライデントシステムが2010年に寿命を迎える事から、更新の可否によって核廃絶を行う最初の核兵器国になる可能性もあったが、2007年に“与党である労働党の反対を野党の保守党が覆す”ことで更新に必要な予算案200億ポンド(約4兆5000億円)が可決され、2050年ころまで核兵器が運用されることとなった。

中国

かつて中国の核戦力が旧式の固定式ICBMでありながら一定の有効性を持ちえたのは、ABMの能力が限定的で、先制攻撃の効果が不確実であるからであり、その状況下であれば、中国の弾道弾は阻止される事が無いが故にアメリカに(ソ連に対しても)損害見積もりを突きつけられるからである。

中国は現在軍事支出世界2位14兆円の国で軍事支出面ではロシアを抜き旧ソ連に近づきつつあるが、軍拡が完了するまではアメリカ本土に大量の核を向けアメリカに敵視されることを慎重に避けていること、核戦力が通常戦力ほど柔軟に使えない事、通常戦力による台湾併合能力構築を優先している事、のため旧ソ連ほどの核戦力の量的拡大は追求しておらず、近代化で、「アメリカの先制攻撃から生き延びられる生残性の高い少数の報復核戦力」により対米相互確証破壊を構築する事を目指している。

旧式の液体燃料方式のICBMである東風5号は、横穴から引き出して直立させてから燃料を注入して発射する場合(横置き状態で燃料常時充填しておき直立させようとすると重量によりタンク破壊を招く)、衛星による監視で燃料注入を察知したアメリカによるミニットマンの先制攻撃により発射前に破壊される危険性があったので、一定期間燃料を入れっぱなしにできる直立サイロの建設を徐々に進めていた。最近では、衛星で監視できない移動式で、燃料注入不要で即応発射できる固体燃料方式のICBMである東風31号Aへの更新が進みつつあり、MIRV化した東風41号の開発も進んでおり、両型あわせて100-150基配備する計画との事である。

中国初のSSBN夏型原子力潜水艦は稼働率が低い上に1隻しかなく、搭載する巨浪1号の射程が2500kmしかないため味方空軍の勢力圏外のハワイ以東まで進出せざるを得ず、しかも騒音が大きかったので発射位置に到着する前に発見されて撃沈される可能性が高く、実用核戦力というより習作の色彩が濃いものであった。晋型原子力潜水艦5隻への更新が進行中であるが、晋型原子力潜水艦の搭載する巨浪2号は射程8000kmで中国近海からでもアメリカ本土を攻撃できる上、ロシアのルービン研究所からの技術導入で静粛性が飛躍的に向上しており生残性の高い報復核戦力になっている。

2007年1月にASAT実験を行ったのは、主にアメリカに対するMD導入への牽制であるか、アメリカのネットワーク戦の要であるGPSシステムの崩壊能力を示威したものか、または本気で将来、大量に衛星破壊を行なう兵器システムを構築するつもりがあるのか、2007年末現在は判らないが、不意に飛来してくるミサイルの小さな弾頭を迎撃するMDよりは、一定の低軌道を飛ぶ脆弱な一定数の軍事衛星を好きな時と場所で攻撃するASATの開発・運用のほうがより現実的である。軍事衛星をすべて失えば米軍は有効な攻撃が不可能になる[1]。ただし大規模な宇宙空間での破壊行為はケスラー・シンドロームを招くために、世界的批判に曝されるリスクがあることは、中国も2007年1月の実験で理解しているはずである。

ロシア

ロシアは原油高による資源輸出(輸出総額の80%)による経済の好調(6%⁄年の経済成長)によって軍事的にも復調しているが、アメリカと全面対決できる国力や戦力規模ではなく、保有する核戦力は共産党時代(ソ連)の遺産に頼る部分が大きい。

2000年に策定された「ロシア連邦軍事ドクトリン」は核の使用について「核兵器などが使用された場合のみならず、ロシアの国家的安全にとって重大な状況下での通常兵器を使用する大規模侵攻に対する報復などのため、使用する権利を留保する」としている。ロシア政府は先制不使用の原則は維持されるし、核兵器を政治的抑止力とする戦略に変更は無いと説明しているが、ブッシュ政権の核の先制使用の宣言に対抗するもので「核の使用については、他のすべての危機解決手段が尽きるか効果が無いと判明した場合には使用できる」ともしている。

2001年の大統領であるブッシュJr・プーチン両氏の会談で対テロ戦争について協議され、翌2002年にはSORTにも合意、戦略核弾頭数を1700〜2200発に削減することが決まっている。また、2003年に提出された軍事ドクトリンではロシアならびに同盟国に対する圧力や攻撃に対して「戦略的抑止力を個別限定的に使用することを検討する」としており、アメリカ同様に核兵器による抑止から使用にシフトしているが、CTBTは批准している。なおロシアは核弾頭を保管可能な状態とするアメリカに同調しており、戦略兵器としてカウントされない核弾頭も「ロシア軍の土台として残る」とプーチンも発言している事から、核兵器用の放射性物質が核兵器として使用されないようにする、あるいは民生用途に転用するための何らかの処理を受けているわけではない(SORTは核兵器の削減は求めても廃棄を定めてはいない)。

北朝鮮

北朝鮮は「アメリカの侵略戦争の危険性が現実化している状況で(実験用)黒鉛減速炉による核活動の用途を変更し、自衛的な核抑止力を保有するようになった」と言明している。

しかし、北朝鮮は、中国の8倍、200基以上のノドン準中距離弾道ミサイルを日本向けに配備しており、十数ヶ所の在日米軍基地に対する自衛的抑止力と言うには多すぎる。38°線の戦車を旧式のまま据え置いてまでノドンに資金を投入し200基も揃える理由は抑止力では説明が付かない(ただし、200基全てが核弾頭装備というわけではなく、北朝鮮のミサイル搭載可能な核弾頭数は2013年時点の見積もりで23個である)。

そのため、北朝鮮は、核を手段とした「金王朝」による朝鮮半島統一の選択肢を捨てておらず、日米両国に核ミサイルを突きつけて介入を阻止する意向ではないかと観測する専門家もいる。 [9]

北朝鮮の唱える「自衛的な抑止力」に何故200基もの日本向けノドンが必要なのか明確な公式説明はなされていない(「アメリカの北朝鮮核攻撃に、アメリカ諸都市ではなく日本の諸都市への報復攻撃で応えるのが北朝鮮の抑止戦略なのではないか」という観測も有る)。

また、北朝鮮当局が運営に関わる組織「わが民族同士」が「われわれには、世界が見たことも聞いたこともない現代的武器があり、それは単なる見せかけではない」などと主張する動画をインターネット上に公開した事があるが、これは放射線強化型の原爆ではないか、といった指摘がある。

北朝鮮の核ドクトリンは明らかになっていないが、戦略核兵器を用いる時点で報復を招き、自国の滅亡を意味するため、相互確証破壊を高める為に核兵器の質を高める努力を続けているとされる。このような場合、水爆を開発する事が核五大国が採った道であるが、現在の北朝鮮では強化原爆を手に入れた可能性はあるものの、水爆には至っていないと考えられている。そこで戦略核としての用途に限り、コバルト爆弾や窒素爆弾の保有の選択肢を選ぶ可能性も指摘されている。コバルト爆弾や窒素爆弾は攻撃後に占領する事もできないほど強烈な残留放射能を残すと言われ、従来の核保有国では無意味なものとしてアイデアだけのものになっているが、北朝鮮においては日本やアメリカを占領するプランがあるとは考えにくいため開発を断念する理由にはならないとされる。特に窒素爆弾に関しては大量の炭素14を生じさせ、これは半減期がおよそ5600年という長期の放射能汚染を残すので、相互確証破壊の担保という点では優れており、北技術的にも原爆や水爆のダンパーにコバルトや窒素化合物を用いるのみであるため、原爆を保有する北朝鮮にも可能ではないかとされている。

2009年2月2日、朝鮮人民軍総参謀部は朝鮮半島非核化について「核兵器を保有する当事者が同時に核軍縮を実現する道しかない。南朝鮮での核兵器生産と搬入、その配備と利用、南朝鮮とその周辺地域で我々に加えられるすべての核脅威に対する根源的な清算を目標とする朝鮮半島全域の非核化である」などの見解を表明する[10]

核軍縮

個々の詳細は当該記事を参照のこと。

SALT I:1969年より交渉開始、1972年5月妥結
ABM制限条約:1972年締結、2002年、アメリカの脱退で無効化
SALT II:1979年に調印したがアメリカ議会の批准拒否により1985年に期限切れ失効
INF全廃条約:1987年調印、1998年発効、1991年廃棄完了
START I:1991年調印、1994年批准、2001年削減完了
START II:1993年に調印したが双方は実行せず
START III(第三次戦略兵器削減条約):1999年交渉開始するも進展せず
モスクワ条約(SORT):2002年締結、2012年を削減期限としていた
新START:2010年調印、2011年発効

非核兵器地帯

消極的安全保障として非核兵器地帯がある。

非核兵器地帯条約

トラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約)
ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)
バンコク条約(東南アジア非核兵器地帯条約)
ペリンダバ条約(アフリカ非核兵器地帯条約)
セメイ条約(中央アジア非核兵器地帯条約)

その他の非核兵器地帯

南極条約
海底における核兵器等設置禁止条約
宇宙条約、月協定

核抑止論を取り上げた作品
特撮テレビドラマ – ウルトラセブン 第26話「超兵器R1号」 (1967年)
漫画 – 沈黙の艦隊 (1988年-1998年)
ビデオゲーム – メタルギアソリッド ピー

^ a b c 高井三郎著 『日本の自前核兵器整備の徹底研究』 軍事研究2007年7月号 p.10-p.52
^ “拡大抑止(かくだいよくし)の意味 - goo国語辞書” (日本語). goo辞書. 2022年1月9日閲覧。
^ “核の傘(かくのかさ)の意味 - goo国語辞書” (日本語). goo辞書. 2022年1月9日閲覧。
^ 伊藤貫著『中国の「核」が世界を制す』参考
^ Stansfield Turner。元海軍大将。
^ 中西輝政編著『「日本核武装」の論点』参考
^ 太田清 (2022年5月2日). “ロシアが核攻撃に踏み切ったらアメリカはどこに報復するか?米政権内で行われていた机上演習の衝撃的な中身”. ノアドット株式会社. 2022年5月7日閲覧。
^ フランスの核抑止力政策
^ 防衛省防衛研究所主任研究官へのインタビュー記事
^ 北朝鮮軍参謀部、核保有国間の「核軍縮」を主張 聯合ニュース 2009/02/02

関連項目

軍事力
勢力均衡
ミサイル
戦略防衛構想
ミサイル防衛
日本の核武装論
大陸間弾道ミサイル
潜水艦発射弾道ミサイル
核拡散防止条約
米ソデタント
チキンゲーム
日米核持ち込み問題
汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

典拠管理: 国立図書館 ウィキデータを編集

フランス (データ) イスラエル アメリカ

カテゴリ:

軍事学 核兵器 冷戦 平和 』

拡大抑止(かくだいよくし)

拡大抑止(かくだいよくし) の意味・使い方
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E6%8A%91%E6%AD%A2/

『出典:デジタル大辞泉(小学館)

意味
例文
慣用句
画像

かくだい‐よくし〔クワクダイ‐〕【拡大抑止】 の解説

自国の抑止力を他国の防衛・安全保障に対しても提供すること。自国だけでなく、同盟国など他国が攻撃を受けた場合にも反撃する意図を示すことで、同盟国等への攻撃を思いとどまらせること。』

拡大抑止
http://dictionary.channelj.co.jp/2018/18062128/

『 Posted on 18年9月3日 by 「安全保障用語」編集部

【Extended deterrence】
自国だけでなく、同盟国が攻撃を受けた際にも報復する意図を示すことで、同盟国への攻撃を他国に思いとどまらせること。

米国は同盟国である日本や韓国に対し、核を含む「拡大抑止」の提供を約束している。

「基本抑止(Basic deterrence)」が、自国の国民や領土に対する核抑止であるのに対し、「拡大抑止」は同盟国への核・通常攻撃を抑止する。

拡大抑止は一般的に、「核の傘」とも呼ばれるが、厳密には、拡大抑止には「拡大核抑止(Extended nuclear deterrence)」と、通常戦力による「拡大通常抑止(Extended conventional deterrence)」がある。

「核の傘」については、冷戦期に旧ソ連と対峙していた米国が「パリを守るために、ニューヨークを犠牲にする覚悟があるのか」と核による米国の報復攻撃に疑問が呈されたこともある。

安全保障、抑止 』

日米、中国核戦力を「拡大抑止」 防衛相会談

日米、中国核戦力を「拡大抑止」 防衛相会談
先端装備開発へ新枠組み
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA130H30T10C23A1000000/

『【ワシントン=三木理恵子】米国訪問中の浜田靖一防衛相は12日(日本時間13日午前)、国防総省でオースティン米国防長官と会談した。中国の核戦力の増強に対処するため米国の核を含む日米の「拡大抑止」を強化すると確かめた。極超音速ミサイルの迎撃技術などの迅速な開発へ協力する枠組みの創設で合意した。

11日にワシントンで開いた日米外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)の結果を踏まえ、相手のミサイル発射拠点を…

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