ロシアの強引なウクライナ南東部併合に「民族・国境とは何か?」を問う

ロシアの強引なウクライナ南東部併合に「民族・国境とは何か?」を問う
https://ameblo.jp/chizumania/entry-12767605237.html

『2022-10-06 20:07:28

先日、ロシアのプーチン大統領は、住民投票の結果をふまえてウクライナの南東部4州の併合を宣言。

 しかし今回の”住民投票”はロシア占領軍の威圧のもとで行われたもので、正当なものとはいえないでしょう。

  図1.ウクライナの民族分布 黄色:ウクライナ人、赤:ロシア人、緑:クリミア・タタール人

図2.使用言語 黄色:ロシア語、緑:ウクライナ語

 図3.ロシア語を第二公用語として認めるか?

 しかし、今回ロシアが一方的に併合したウクライナの南東部4州を見てみると、図1.はウクライナ各州の民族構成を示していますが、最もロシア的と言える東部のドネツク、ルガンシク両州でもウクライナ人は約60%と過半数を超え、対してロシア人は少なくはないものの40%強。

 ところが、図2.で使用言語を見てみると(字が小さくよく見えませんが)、うすい黄色のロシア語使用者が約80%を超えています。

 図3.でのロシア語を第二公用語として認めるか?という問いには両州では80%を超える者が”Yes”と答えています。これらは、、2011年の大統領選でのヤヌコヴィッチの支持率(図4.)とよく相関しています。

図4. 2011年大統領選におけるヤヌコヴィッチとユシュチェンコの得票

 つまり、ウクライナ人を自認していながら、ロシア語を日常使っている者がこの地域がマジョリティを占めていることがわかります。この地域では民族と言語とがねじれた関係にあります。

 ”民族”とは”文化、言語を同じくする集団”と定義されるようですが、文化と言語を同じくしない例はむしろ当たり前にあって、例えば、アイルランド共和国のアイルランド人の99%は英語を母語としていますが、彼らは決してイングランド人ではないわけです。

 かように、民族というのは曖昧な概念であり、恣意的で可変・流動的なものです。

例えばフィギュアスケートの絶対王者だったエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)は姓からすれば明らかにウクライナ人ですが、ロシア人を自認し、プーチン・ロシアの熱狂的支持者です。ロシア人も彼を自民族の英雄的アスリートととらえています。

 ある人物が帰属民族を決めるのは、外部の判断ではなく、あくまで当人の帰属意識”自称”です。外見上どう見ても欧米人でも、本人が”私は日本人です”と言えば、その人間は日本人(日本民族)である訳です。

 18世紀のフランス革命以降に提唱された”国民国家”という概念は、”領域”とそのなかの”国民”と”言語・文化の同一性”を謳っていますが、本家のフランス共和国でさえいまなお国内でその同一性は認められず、その概念は幻想にすぎません。

 ロシアに不法に併合された4州のロシア語を母語とするウクライナ人が、今後もウクライナ人のままでいるか?ロシア人となるかは、本人次第ということになるのでしょう。

 国民国家の必要条件?ともいえる”領域”、それ定義するのは国境、旧ソ連各共和国の国境というものは、レーニンによるロシア革命後ソビエト連邦を立ち上げる際に、各民族の集合体(連邦)という形をとるために恣意的に引いたものです。いわゆる”西欧的国民国家”の国境とは異なった形で引かれた境界が、ソビエト連邦崩壊後に独立した各国の国境となってしまったことに今回の戦争、そしてロシア一方的な併合の根本的原因であることは明らかだと思います。

 もちろん今回のロシアの行為は決して容認できませんが、”国民国家”という20世紀に世界を席巻した国家システムを再考・問い直す時期にいま来ているのではないでしょうか?
人、金、物、思想・・・・などが行き交い、情報はネットであっという間に全地球的に広がる、ボーダレス・境界があいまいとなったいま、”国民国家”というものは前世紀までの幻想に過ぎなかったということが、21世紀の国家感ではないでしょうか?

 過去に帰属を問う住民投票は何度か行われましたが。たとえば第一次大戦後のドイツとデンマークの間で行われたシュレスヴィッヒ地方の帰属問題、第二次大戦後のドイツとフランスの間で争われたザール地方の帰属などがありますが、これらはいずれの国からも圧力のない状況で下で公正に行われたものです。

 国内レヴェルで見れば、1979年のジュラ地方のベルン州からの分離の是非を問う住民投票が行われました。その投票は実に民主的で巧妙な形で行われ、南ジュラは残留、北ジュラでは分離が多数を占めた結果、北ジュラがジュラ州として新たにが連邦に加わりました。
しかし今回の”住民投票”はロシア占領軍の威圧のもとで行われたもので、正当なものとはいえないでしょう。

 ところで、1920年に行われたドイツorデンマークへの帰属を問うシュレスヴィッヒの住民投票の結果の図を示します。

上のような結果で、北部(ZONEⅠ)がデンマーク、南部(ZONEⅡ)がドイツ帰属という結果となり、その間に国境が引かれました。この時に帰属民族を変更した者も多かったようです。』