無人偵察機の「ツポレフ141」は、1968年にソ連で開発が始まった。
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『Piotr Butowski 記者による2022-12-15記事「How A Soviet-Era Reconnaissance UAS Became A Cruise Missele」。
無人偵察機の「ツポレフ141」は、1968年にソ連で開発が始まった。
初飛行は1974年。
1978から1990まで、ハリコフ工場で製造した。総数152機。
ロシアのクメルタウ市の工場では、ちょっと小型の「ツポレフ143」を950機、生産した。
ツポレフ141は、ロケットアシストで車両から打ち出されると、1000km飛行する。プリプログラムでコースも高度もいくらでも複雑化できる。最も低く飛ぶ場合は高度50m。スピードは時速1100km。
もともと爆装する無人機ではない。が、偵察道具をおろしてその代わりに爆薬を詰めるとすると、500kgから1トンは搭載が可能だろう。
露軍側でも「ツポレフ143」を4月11日に使用している。ただし自爆機としてではなく、空中デコイとして。宇軍のSAM配置を探ろうとしたのだ。
ディヤギレヴォ空軍基地への無人機攻撃は、クレムリンに心理的ショックを与えたはずだ。そこまでの飛翔距離は、モスクワ攻撃とほぼ等しいのである。』