オミクロン株対応ワクチン 発症防ぐ効果71%

オミクロン株対応ワクチン 発症防ぐ効果71%
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221217/k10013925701000.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『2022年12月17日 4時55分

オミクロン株に対応したワクチンの効果を国立感染症研究所などが分析した結果、ワクチンの発症を防ぐ効果は71%だったことがわかりました。
研究グループは発症を予防する高い効果が示されたとしたうえで、今後、どのくらいの期間効果が持続するのかについても調べることにしています。

国立感染症研究所などはオミクロン株の「BA.5」が感染の主流となっていたことし9月から11月にかけて、関東地方の10の医療機関で新型コロナウイルスの検査を受けた16歳以上のおよそ4000人を対象に、検査で陽性だった人と、陰性だった人のワクチンの接種歴を比較してオミクロン株に対応したワクチンの効果を分析しました。

その結果、従来型のワクチンを2回以上接種したうえでオミクロン株対応ワクチンを追加接種した人での発症を防ぐ効果は71%でした。

ワクチンの種類ごとに分析した場合、

▽「BA.1」対応のワクチンを追加接種した人では73%、
▽「BA.4」と「BA.5」に対応したワクチンを追加接種した人では69%だったということです。

研究グループは、「BA.1」対応ワクチンと「BA.4」「BA.5」対応ワクチンとでは有効性に大きな差はなく、オミクロン株対応のワクチンには発症を予防する高い効果が示されたとしたうえで、今後、どのくらいの期間効果が持続するのかについても調べることにしています。』

中国海軍の測量艦 屋久島周辺の日本の領海に侵入 ことし5回目

中国海軍の測量艦 屋久島周辺の日本の領海に侵入 ことし5回目
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221219/k10013927521000.html

『2022年12月19日 17時33分

19日朝、中国海軍の測量艦1隻が、鹿児島県の屋久島周辺の日本の領海内をおよそ3時間半にわたって航行しました。中国海軍の測量艦が周辺の領海に侵入したのはことし5回目で、防衛省が警戒と監視を続けています。

防衛省によりますと、19日午前3時20分ごろ、中国海軍の測量艦1隻が鹿児島県の種子島の南東およそ50キロの海域を西に向かって航行しているのを海上自衛隊が確認しました。

その後、測量艦は種子島の南の接続水域に入り、午前6時50分ごろには屋久島の南の日本の領海に侵入したということです。

測量艦は、およそ3時間半後の午前10時半ごろ、口永良部島の西の領海を出て、南西に向かったということです。

中国海軍の測量艦が周辺の領海内を航行したのは先月以来、ことし5回目で、外交ルートを通じて中国に対し懸念を伝えたとしています。

中国海軍の艦艇が日本の領海に侵入したのは9回目で、防衛省が警戒と監視を続けています。

松野官房長官「外交ルート通じて強い懸念を伝える」
松野官房長官は、午後の記者会見で「海上自衛隊による監視などを行うとともに、空母の艦載戦闘機の飛行には航空自衛隊の戦闘機を緊急発進させるなどの対応を行った。また、測量艦の領海内航行に外交ルートを通じて強い懸念を伝え、活発化させている最近の中国軍の活動全般に対して監視表明を行っている」と述べました。

そのうえで「近年の中国のわが国周辺での軍事活動は、ますます拡大、活発化の傾向にあり、空母などの運用能力や、より遠方の海空域における作戦遂行能力の向上を意図している可能性がある。高い緊張感を持って警戒、監視などの対応に万全を期していく」と述べました。』

中国海軍の空母など6隻 沖縄本島と宮古島間を通過し太平洋に

中国海軍の空母など6隻 沖縄本島と宮古島間を通過し太平洋に
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221216/k10013925881000.html

『2022年12月16日 23時34分

中国海軍の空母など6隻が16日午後、沖縄本島と宮古島の間を通過し、東シナ海から太平洋に出たのが確認されました。中国の空母がこの海域を通過したのはことし5月以来で、防衛省は航行の目的を分析するとともに警戒と監視を続けています。

防衛省によりますと、16日午後、中国海軍の空母「遼寧」など合わせて6隻が沖縄本島と宮古島の間の海域を通過し、東シナ海から太平洋に出たのを海上自衛隊が確認しました。

中国の空母が、この海域を通過したのはことし5月以来12回目で、領海への侵入はなかったということです。

6隻の中には、最新型のミサイル駆逐艦2隻や燃料などを補給できる戦闘支援艦が含まれていて、防衛省関係者によりますと、太平洋に一定期間展開して訓練を行う可能性があるということです。

中国の空母は去年の同じ時期にも太平洋に出たあと、戦闘機やヘリコプターの発着を繰り返したのが確認されていて、防衛省は航行の目的を詳しく分析するとともに警戒と監視を続けています。』

中国のコロナ死者、来年100万人超えの可能性も

中国のコロナ死者、来年100万人超えの可能性も、米研究所予測―米メディア
https://www.recordchina.co.jp/b906249-s25-c30-d0192.html

『米ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の中国語版サイトによると、米ワシントン大学の保健指標評価研究所(IHME)は、中国が新型コロナウイルス感染症に対する厳格な制限を突然解除したことで、2023年までに感染者数が爆発的に増加し、100万人以上が死亡する可能性があると予測している。

IHMEによると、中国の感染者数は4月1日ごろにピークに達し、死者数は32万2000人に達する。IHMEのクリストファー・マレー所長によると、それまでに中国の人口の約3分の1が感染しているという。

中国の衛生当局は、制限を解除して以来、新型コロナによる死亡例を公式に報告していない。最後に報告されたのは12月3日だ。

中国が発表している全国の死者数は5235人。

中国当局は今月、市民による異例の抗議の後、世界で最も厳しい制限のいくつかを解除し、感染者の急増を引き起こした。ウイルスが来月の旧正月休暇中に14億の人口を席巻する可能性が懸念されている。

マレー氏は、IHMEの予測がオンラインで発表された金曜日に、「彼らがゼロコロナ政策をこんなにも長い間堅持するなんて誰も考えていなかった」とし、「中国のゼロコロナ政策は、ウイルスの早い時期の変異株を寄せ付けないようにするのには効果的だったかもしれないが、オミクロン株の高い伝染性により、それを維持することは不可能になった」と語った。

シアトルにあるワシントン大学の独立モデリンググループは、中国各省のデータと最近の香港でのオミクロン株の流行から得た情報を利用した。同グループはパンデミックを通じて政府や企業から信頼されてきた。

マレー氏によると、中国は武漢での最初の爆発的流行以降、死者数をほとんど報告していないため、感染致死率を把握するために香港に目を向けたという。

IHMEは予測する上で、中国政府から提供されたワクチン接種率に関する情報と、感染率の増加に応じて各省がどのように対応するかについての仮定も使用した。

他の専門家の予測によると、中国の人口の約60%が最終的に感染し、ピークは来年1月で、高齢者や基礎疾患のある人々などが最も大きな打撃を受けることになる。

主な懸念は、感染しやすい層の規模が大きいこと、効果の低いワクチンが使用されていること、重篤な疾患のリスクが最も高い80歳以上の人々の間でワクチン接種率が低いことだ。(翻訳・編集/柳川)

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。』

日本の防衛を危機に!なぜ公明党は中国に配慮するのか?

日本の防衛を危機に!なぜ公明党は中国に配慮するのか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20221214-00328306

『安保3文書案に関して公明党が中国に配慮し「わが国」を削除して「脅威」だけを残した。中国で絶賛されている公明党は、遂に「中国の戦友」とまで呼ばれるようになった。その動画を文字化してご紹介する。

◆中国の顔色を重視して日本の安保理念のレベルを下げる公明党

 日本の安全保障に関する「安保3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)」の文案討議に当たって、政府が当初示したのは「中国が日本の排他的経済水域(EEZ)に弾道ミサイルを打ち込んだ事例」に触れた上で「わが国および地域住民に脅威と受け止められた」とする文案だった。

 しかし公明党が反対した。

 日本の多くのメディア(たとえば産経新聞)などによれば、公明党の言い分は「せっかく(11月17日にタイのバンコクで)日中首脳会談をやって安定的な関係を築こうと打ち出した矢先に、なぜ『脅威』などと書き込むのか。外交の妨げだ」ということだったという。9日の与党実務者ワーキングチーム会合で、公明党は一連の文言の削除を迫った。

 その結果、「わが国および」を削除して、「地域住民に脅威と受け止められた」とすることになった。

 脅威を受けているのは「わが国」=「日本」ではなく、「弾道ミサイルが着弾した地域住民だけ」という論理だ。

 そのような「中国の顔色を窺(うかが)ってばかりいる公明党」に妥協した岸田政権も許せない。

 北朝鮮の問題もあろうが、日本のEEZに中国のミサイルが着弾したのは日本を戦争に巻き込む危険性があるからこそ安保3文書が出てきているわけだし、防衛費の増額も図ろうとしているのではないのか。

 それなのに、「わが国および」を削除したら、「日本国は脅威を受けていない」ということになり、防衛費を増額する理由も立ちにくい。地域住民だけが脅威を受けているのに、日本国民全体の増税をするという論理も成り立ちにくくなる。

 このような矛盾した論理を平気で持ち込むほど、自民党にとって公明党は大切なのか?
 そして、公明党はそこまでして、なぜ中国の顔を立てなければならないのか?

 公明党が守ろうとしているのは日本国民ではなく、中国への配慮なのか?

◆中国では「戦友」とまで絶賛されている公明党

 中国のメディアでは、公明党が「わが国」を削除したことに関して礼賛の声が高く、「日本は結局、中国を脅威とは位置付けていない」というコメントがネットにも満ち溢れている。

 2021年10月7日のコラム<「公明党から国交大臣」に喜ぶ中国――「尖閣問題は安泰」と>や10月27日のコラム<日本を中国従属へと導く自公連立――中国は「公明党は最も親中で日本共産党は反中」と位置付け>などにも書いた通り、中国では公明党以上に親中的な政党はないと評価している。

 このたびはまた、「安保3文書」に関して、公明党を「中国の戦友」とまで持ち上げる動画を見つけたので、それを文字化して和訳し、ご紹介したい。

 動画を作成したのは劉曉非という論客で、今年10月22日の段階で「日本の公明党は公開で中国を力の限り支えている」というタイトルで、公明党を「中国の戦友」とまで讃えている。以下はその内容だ。

劉曉非氏のウェブサイトより

皆さん、こんにちは。私は劉曉非です。

 最近、日本の自公連立与党が作業グループを結成して会議を開き、国際情勢について議論しました。議論の内容は、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の3つの重要文書の改訂に関してです。

 両党は話し合いの中で、ウクライナ問題に関しては、ロシアの脅威が高まっていることで一致しましたが、中国に関しては一致しませんでした。自民党関係者は、中国の判断を重大な安全保障上の脅威のレベルにまで引き上げるべきだと言いましたが、公明党は「そんなことは言ってはならない。公明党は安全保障戦略において中国に対する強硬的な言葉を用いることには賛成できない。日中関係を重視しなければならない」と強く主張したのです。

 もっとも、今回の公明党の主張は意外ではありません。彼らはいつもそうだったからです。1960年代半ばの発足から現在に至るまで、この党の基本方針は、日本の軍国主義に反対し、日中友好と日韓友好を主張することにあります。この党の創始者である池田大作の教師の一人は、第二次世界大戦中に軍国主義に反対したため、刑務所で亡くなりました。池田の兄は、中国での作戦に参加させられましたが、帰国後、池田に中国における日本軍のさまざまな悪行を話して聞かせたので、池田は幼い頃から軍国主義に反対していました。したがって公明党はずっとこの考え方に沿って、こんにちまで歩んできました。

 1968年、中国が国連での法的地位を回復する前から、池田は公明党を代表して政策を発表し、日本は中華人民共和国を承認し、日中は外交関係を正常化し、国連は中華人民共和国の法的地位を回復させるべきだと主張していました。1969年、公明党は「台湾問題は中国の内政問題であり、日本人は干渉してはならない」と主張しました。1971年には、「一つの中国」を支持し、「二つの中国」に反対しました。そして過去における、いわゆる「日台条約は違法で無効であり、米軍は台湾と台湾海峡から撤退しなければならない」とも主張していたのです。

 その後、日本の一部の歴史教科書が戦争を美化した時には、公明党は基本的に私たち中国側に立って、中国の味方をしたのです。

 しかも、2015年、公明党党首の山口那津男が訪中したのは、中国人民抗日戦争記念館に行き、戦争に反対する意思を表明するためでした。靖国神社参拝についても、公明党は日本政府要人の参拝に一貫して反対してきました。今年4月に安倍晋三元首相が靖国神社を参拝したときにも反対表明をして、安倍晋三に釘を刺さなければならないと発言しています。

 だから今、日本の連立与党の一員として、公明党は自民党に対し、中国とアメリカの間で一方的な立場に立たないよう警告を発し続けなければならないし、またアメリカの共犯にならないように注意を喚起しなければならないのです。日本はアメリカの東アジア担当副保安官ではないのですから。

 結局のところ、日中間に横たわる多くの問題に関して、公明党は基本的に私たち中国と同じ立場に立っていると結論付けることができます。これこそが、わが国(中国)の指導者が、公明党を日本の政界との重要なコミュニケーションのチャネルとして積極的に利用する理由なのです(筆者注:こうして中国は公明党などを介して日本の政治をコントロールしている!)。

 では(中国)国内の外交界はどうみているでしょうか?

 一般に、公明党は刹車片(ブレーキ)とみなされています。つまり、日本の自民党や他の人々が歴史の車輪を戻し、極端な右翼に偏り軍国主義の方向への行動が出始めると、公明党が現れて、そういった動きにブレーキをかけるということなのです。少なくとも、この右翼傾向の趨勢を減速させることができます。

 もちろん、公明党の役割には限界があります。日本最大の政党ではなく、日本社会全体が右傾化傾向にある中で、公明党が動員できる人数は多数を占めているわけではないからです。

 したがって私たち(中国人)は、公明党が中国と完全に一致しているから公明党がいてくれさえすれば日本全体にブレーキを掛け、全ての問題を解決してくれると期待するわけにもいきません。

 しかし、日本にこういう一群の人たちがいるということは、限りなく重要なことです。(一部省略)公明党は今もなお、アメリカが日本を使って中国と戦わせようとしていることに反対し、日本の軍国主義に反対しているのです。

 ですから、彼ら(公明党)の声が大きくても小さくても、数が多くても少なくても、私たちは皆、彼ら(公明党)が成し遂げてきた成果を忘れてはなりません。私たちと同じ塹壕の中で戦ってくれている限り、どの国の人であれ、彼らは皆、私たちが尊敬しなければならない戦友なのです。

 以上が動画の内容だ。

 特に太字部分と、そこに書いた「筆者注」にご注目いただきたい。

◆自公連立は日本の国益にかなうのか?

 一部では、公明党の山口那津男氏が、年明けには訪中する予定があるから、「わが国および」を削除させたのだろうという見方もあるが、それはそれで正しいとしても、とてもそのようなレベルではなく、公明党そのものが、「中国のためにある日本の政党」のようなものなのである。

 それも、このような世界一「親中」の党が、日本の政権与党であるという現実を、日本人はどう解釈すればいいのだろうか?

 自民党がなぜ公明党と手を組んだかに関しては少なからぬ本が出版されており、筆者は勉学のために佐高信氏が著した『自民党と創価学会』を読んだ。その帯には「理念なき野合の内幕を暴く」とか「自民党 政権維持のために信義も捨てる」などという言葉が並んでいる。つまり、票集めをするために公明党と組んだのだということが、さまざまな証言を基に書かれている。

 となれば、目的は旧統一教会と組んだのと同じで、違いは、旧統一教会は政党を立ち上げていないということと、公明党は信者から強制的に寄付を集めるという反社会的行動はしていないということになろうか?

 何れにしても、「票集め」により「政権を維持するため」ということでは一致しているわけで、自民党がいつまでも「反日・親中・親韓」的傾向の強い政党と手を結んでいるべきではないと思うのは筆者ひとりではないだろう。

 自民党自身の中にも、二階俊博(としひろ)元幹事長や林芳正(よしまさ)外相のように、中国に高く評価されている親中派がいるので、もし「思想信条」で結ばれているのなら、自民党自身も二つに分けるべきではないかとさえ思うのである。 

 分けないのは、そうすれば「自民党内の右も左も」当選できるからで、政権与党を維持するために「思想信条」=「信義」を捨てたと言われても仕方ないだろう。

 これが日本の民主主義なのだから、何とも情けない。

記事に関する報告

遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(2022年12月中旬発売。PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『「中国製造2025」の衝撃』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。』

日本の「戦略的覚醒」を米国はどう後押しするべきか?

日本の「戦略的覚醒」を米国はどう後押しするべきか?
岡崎研究所
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28853

 ※ またゾロ、これの再来か…。

『ウォールストリート・ジャーナル紙コラムニストのミードは、11月28日付け同紙に‘Global Tensions Spur a Sea Change in Japan’と題する論説を書き、防衛力強化に向けた最近の日本の動きは重要な戦略的覚醒であり、米国はその支援のためにあらゆることをすべきだと論じている。要旨は以下の通り。

 ここ数年、日本周辺の緊張は着実に高まった。中国の戦狼外交、北朝鮮ミサイル計画高度化、ウクライナ戦争は戦後体制に慣れた大衆にショックを与え、中国のロシア支持により、台湾侵攻の危険性に改めて気づかされた。

 新国家安全保障戦略は厳しい内容になると国内外で予想されている。日本は防衛費を倍増し、反撃能力を取得し、防衛産業を発展させ、自衛隊を世界最強軍の一つに格上げする道を進んでいる。日本は過去3年で曲がり角を迎えた。絶対的平和主義だった世論は変わり、今や国民の60%以上が防衛費増額を支持する。中国を脅威と呼ぶことを避けてきた政府高官は、今や中国に対抗し、台湾を守る必要性を明確に語る。識者は、台湾と周辺海域を中国がコントロールすれば日本の地位に深刻な影響があると見ている。

 日本で何が起こるかは重要だ。日本は米国の最重要の同盟相手で、両国の戦略的関係はインド太平洋での米国の地位の基礎だ。日米同盟と自国能力双方を強化するという日本の決断は、東アジア再構成を目論む中国の努力にとり大きな妨げとなる。東南アジアでは、日本の投資と貿易が中国の経済力への対抗を助けている。米国の説教外交と異なり、相手を尊重する日本外交はアジアではより効果的だ。日本が印・豪との関係を着実に促進させてきたことで、クアッドの急速な進展が実現した。

 引き続き課題は多い。一定の改善はあるが、日韓関係は未だ難しい。減速する経済とOECD最大の対GDP債務比率の下、軍事力強化に必要な予算維持には困難がある。しかし、今は東アジアのために米国がやるべきことの方が多い。長い軍事物資供給ラインと、紛争発生時の供給継続の困難を考えれば、米国は多くの武器と物資を予め地域に集積しておく必要がある。米、台、日の高官は、現状は極めて不十分だと言う。

 地域経済戦略も必要だ。アジア友好経済圏との経済統合拡大は長期的インド太平洋政策の必須要素だ。日本の戦略的覚醒は歴史的な出来事であり、米国はその支援のためにあらゆることをすべきだ。

*   *   *

 この論説は、日本の現状を正確に描写するだけでなく、米国の対応についても注文を付けており、的を射ている。日本で現在起こっている変化は確かに歴史的なものだ。』

『ここ数年の日本周辺の緊張の高まりは、特に世論の防衛力強化への支持の急速な拡大との関係で、極めて重要な要因であることは間違いないが、その「対」として、米国の中国に対する相対的優位性低下への日本関係者の危機感がある。そこから出てくる自然な結論は、日米同盟の抑止力維持・強化のためには、米国の能力の相対的低減を補うために、日本自身が強くなる必要があるし、日米同盟を越えた地域の有志国とのネットワークの強化が重要だということだ。これが、新国家安全保障戦略がよって立つ基本認識の全体像なのだと思われる。

 そうであれば、「米国がやるべきことは多い」とのミードの指摘は全く正しいが、その内容は武器・物資の事前集積などには留まらないはずだ。最も重要なのは、米国自身が軍事力の増加・近代化を真剣かつ急速に進めることである。2011年をピークとして減少し2016年にようやく反転増加、2020年にやっと2011年のレベルを超えた米国の国防費は、今後も着実に増加させていく必要がある。

 よく中国の台湾侵攻があり得る時期の一つとして指摘される2027年は、米側関係者によれば、中国の軍事的優位確立を防ぐために必要な米軍の強化・近代化のための期限という意味合いの方が強い(もちろん、それを実現できなければ、中国の台湾侵攻を抑止できないと言う側面もある)。そんな中で、来年、バイデン政権が提案する国防費が議会で大幅に増額されるというのは、結果オーライではあるが、政権側の覚悟が問われる事態とも言えるだろう。
経済戦略なくして「アジア回帰」は説得力を持たない

 米国は東アジアにおける経済戦略を必要としている、というミードの指摘も大変に的を射たものであり、現在のIPEFなどの動きに加え、何らかの形で「友好国」への市場開放(最近よく言われるFriend Shoring)に踏み込むこと無しには、特に東南アジア諸国は米国の「アジア回帰」を本気で受け止めることは無いだろう。しかし、米国が東アジアでやるべきことは、それに留まらない。より重要なのは、各国が置かれた状況にオーダーメイドで配慮しながら、優先度をつけて安全保障関係の着実な強化を図っていくことである。

 このような努力を通じて、米国を中心とする安全保障のためのネットワークを構築することが、米国の相対的優位性低下を補い全体的抑止力を維持・強化するためのもう一つの重要な要素である。その意味で、最近の米比関係の進展には大変に勇気づけられる。インドネシアとの関係でも、最近の米インドネシア首脳会談で発表されたドローン調達の支援や共同訓練などを通じた沿岸警備隊の能力構築支援は、台湾危機に際する同国の重要な役割が同国内の国際航路の自由で安全な航行の確保であることを考えれば、非常に重要な動きだと思われる。』

ロシア兵が恐怖する新型ロケット弾

北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:ロシア兵が恐怖する新型ロケット弾
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5396427.html

『ウクライナ軍は多くの最新兵器を入手して使用しているが、その中の高機動ロケット砲システム「ハイマース(HIMARS)」で、最新誘導ロケットM30A1(M30A1 guided rockets.)弾を使用し、激戦地ウクライナ東部バフムートBkhmutで実戦使用されている動画が配信された。記録映像

これはクラスター爆弾の最新型(米ロッキード社製)で、これまでのクラスター爆弾は、目標地点上空で破裂して無数の小型爆弾を放出し、それらは地上近くで破裂して無数の金属球を地上の広範囲の敵に降り注ぐものだ。非常に殺傷力の高い爆弾だが、落下した小型爆弾が不発弾として地上に残り、触れたりすると爆発する欠点があり、触れた多くの子供が犠牲になったとされる。

images にxm30-gmlrs

30A1ロケット弾は、敵の頭上で破裂し、その際に、内部の182000発の硬質なタングス鋼で作られた、BB弾ほど大きさの球状の弾を地上に高速でばらまき、地上の広範囲で機器を破壊し敵兵士を倒す仕組みになっている。最大射程距離は92キロとなっている。英文説明と映像 

粒は小さいが強力で、普通の車両などは穴だらけになり、地上に立っていて浴びれば即死するが、伏せていても浴びた兵士は血管や内臓を損傷して負傷、あるいは、多くの箇所から出血し苦しんで死ぬことになる。映像では、塹壕に伏せていたロシア兵士が、上から無数の金属球を浴びて、そのまま息絶えている様子が映っている。小部隊の頭上で炸裂すれば、一発で部隊は全滅だろう。バフムートで捕虜になった兵士も、この爆弾が恐怖だったと語っていた。恐らく高額なロケット弾で、ウクライナ軍は安価なロケットなどと併用しているようだ。

8803f8fd-s147d430e-s一般的なクラスター爆弾Cluster bomb:

右は、子爆弾に不発弾が多いことで国際条約で禁止されているが、ロシアは今もウクライナでこれを使用しているとして、国際人権団体のアムネスティ(HRW)が問題視している。

過去ブログ:2022年3月ロシア・ウクライナの1回目交渉終わるも交渉中も攻撃止まず 2020年10月アルメニア、アゼルバイジャンの戦闘拡大 クラスター爆弾確認 2015年10月シリアでロシア製クラスター爆弾使用 2007年10月子供に罪は無い,クラスター爆弾と銀行』

Tu-141 (航空機)

Tu-141 (航空機)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Tu-141_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

『ツポレフTu-141ストリーシュ(「アマツバメ」の意味、ロシア語: Стриж)は、ソビエト連邦が開発した偵察用無人航空機(UAV、ドローン)である。1970年代後半から1980年代にかけてソ連陸軍で使われ、2022年ロシアのウクライナ侵攻などにおいてウクライナ軍が長距離対地攻撃に使用しているとみられている。

開発

発進装置上のTu-141

Tu-141はツポレフTu-123に続く機体で、比較的大型かつ中距離航続力を持つ偵察用ドローンである。本機は、前線に接続する後方数百kmを遷音速で偵察する任務を負うため設計された。この機はフィルムカメラ、赤外線画像装置、EO画像装置、イメージングレーダーなどの多様な機材を積むことができる。

従来のツポレフの機体設計のように、本機はダートのように後方にデルタ翼を配置しており、前方にはカナードを配置、またKR-17Aターボジェットエンジンを後部上方に載せている。この機体は固体火薬ブースターを用いて発進台車から発進し、機尾に備えたパラシュートを用いて着地する。

Tu-141は1979年から1989年までソビエト軍に就役し、大半はソ連邦の西側国境地帯に配置された。

実戦運用

Tu-141はウクライナ空軍がドンバス戦争で任務に再投入した[1][2]。

2022年ロシアのウクライナ侵攻において、同年12月5日にロシア本土の戦略爆撃機基地に対して行なわれたウクライナ軍によると見られる攻撃では、Tu-141を改造したドローンが用いられたとの情報がある[3][4](改造された機体は類似のTu-143である可能性も指摘されている[5])。

性能、諸元

データは脚注による[6]。

主要諸元
    乗員:無し
    全長:14.33m
    翼幅:3.88m
    全高:2.44m
    翼面積:10.0平方m
    全備重量:6.215kg
    主エンジン:ツマンスキーKR-17A、推力19.6kN

性能
    最高速度:1,100km/h
    巡航速度:1,000km/h
    航続距離:1,000km
    実用上昇限度:6,000m

参考文献

^ a b “Ukraine Resurrects Soviet-Era Super Drones” (英語). 2021年3月12日閲覧。
^ “Ukrainian Soviet-era mini-space shuttle shaped drone captured by pro-Russia separatists” (英語). The Aviationist. (2014年8月2日)
^ 「ロシア空軍基地から16機消える 爆撃機、ドローン攻撃受け退避か」時事通信(2022年12月9日)同日閲覧
^ “ウクライナ外相、ロシア領内攻撃への関与示唆…米紙「旧ソ連の無人機を改造」”. 読売新聞 (2022年12月9日). 2022年12月10日閲覧。
^ 「ドローン攻撃 防空網突破 露に衝撃 ウクライナ、射程1000キロ射程か」『産経新聞』朝刊2022年12月9日(国際面)2022年12月12日閲覧
^ Munson Air International August 1997, p. 101.

Gordon, Yefim and Vladimir Rigmant. OKB Tupolev: A History of the Design Bureau and its Aircraft. Hinkley, UK: Midland Publishing, 2005. ISBN 978-1-85780-214-6.
Munson, Kenneth. "Unmanned Aerial Vehicles Directory: Part 2". Air International, August 1997, Vol 53 No 2. pp. 100–108.

This article contains material that originally came from the web article Unmanned Aerial Vehicles by Greg Goebel, which exists in the Public Domain.
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、Tu-141 (航空機)に関連するカテゴリがあります。

Tupolev Tu-141 on Khodynskoe Pole in Moscow 』

無人偵察機の「ツポレフ141」は、1968年にソ連で開発が始まった。

無人偵察機の「ツポレフ141」は、1968年にソ連で開発が始まった。
https://st2019.site/?p=20712

『Piotr Butowski 記者による2022-12-15記事「How A Soviet-Era Reconnaissance UAS Became A Cruise Missele」。

  無人偵察機の「ツポレフ141」は、1968年にソ連で開発が始まった。
 初飛行は1974年。
 1978から1990まで、ハリコフ工場で製造した。総数152機。
 ロシアのクメルタウ市の工場では、ちょっと小型の「ツポレフ143」を950機、生産した。

 ツポレフ141は、ロケットアシストで車両から打ち出されると、1000km飛行する。プリプログラムでコースも高度もいくらでも複雑化できる。最も低く飛ぶ場合は高度50m。スピードは時速1100km。

 もともと爆装する無人機ではない。が、偵察道具をおろしてその代わりに爆薬を詰めるとすると、500kgから1トンは搭載が可能だろう。

 露軍側でも「ツポレフ143」を4月11日に使用している。ただし自爆機としてではなく、空中デコイとして。宇軍のSAM配置を探ろうとしたのだ。

 ディヤギレヴォ空軍基地への無人機攻撃は、クレムリンに心理的ショックを与えたはずだ。そこまでの飛翔距離は、モスクワ攻撃とほぼ等しいのである。』

12-16に露軍は70発以上のミサイルをウクライナ国土に撃ち込んだ。

12-16に露軍は70発以上のミサイルをウクライナ国土に撃ち込んだ。キーウその他の都市でこのために停電発生。
https://st2019.site/?p=20712

『Tom Balmforth and Olena Harmash 記者による2022-12-18記事「Russia fires scores of missiles in one of its biggest attacks on Ukraine」。

 12-16に露軍は70発以上のミサイルをウクライナ国土に撃ち込んだ。キーウその他の都市でこのために停電発生。

 ※またしても、現代の不燃都市はミサイル攻撃を無尽蔵に吸収できることが証明された。現住の中層アパートがミサイルで直撃された場合でも最大3人しか死んでいない。空襲警報後に地下室に退避していたならゼロで済んだであろう。そして、ほとんどのミサイルは現住アパートには直撃しない。ヘルソン市では1人しか死んでいない。露軍がこのようなミサイル空襲をあと何十回繰り返したところでウクライナはいまさら困りもせぬ。露軍の方は、ミサイルの弾切れに一歩、一歩と近づいて行く。

 ※戦略的に無駄である――と、とっくに証明されている、このような、派手なだけで目標不明瞭な、ショットガン乱射式な対都市ミサイル空襲を、なぜ再興したのかについては、ひとつの仮説が成り立つ。最前線のすこし後方で大規模な退却を準備していることを、メディア広報の上でマスキングしたいのかもしれぬ。

 ウクライナ陸軍の長は60発から76発のミサイルを撃墜したと語っているが、エネルギー大臣は、すくなくも6箇所の発電施設が被弾したと言っている。

 キエフ市長が金曜日にいわく。市民の三分の一は、暖房と上水が得られない。全戸の40%は停電している。市の地下鉄は止まっている、と。』

2021年12月21日-27日に東シナ海でロシア海軍と中国海軍の合同演習『海洋協同-2021』が実施される

2021年12月21日-27日に東シナ海でロシア海軍と中国海軍の合同演習『海洋協同-2021』が実施される | ロシア海軍情報供給部
http://rybachii.blog84.fc2.com/blog-entry-7734.html

『22-1219c.jpg
『タス通信』より
2022年12月19日11時38分配信
【ロシア連邦と中華人民共和国は12月21日~27日に海軍演習『海洋協同』を実施する】
モスクワ、12月19日/タス通信

ロケット巡洋艦「ワリャーグ」率いる太平洋艦隊艦支隊は、12月21日から27日まで東シナ海エリアで実施されるロシア-中国海軍演習『海洋協同-2021』へ参加する為にウラジオストクから海上へ出航した。

月曜日にロシア連邦国防省は発表した。

「演習の活動段階中、空中目標への合同ミサイル及び砲射撃、海上目標への砲射撃、そして更に兵器を実地使用する合同対潜行動への取り組みが計画されています」
当局は伝えた。

国防省は、演習の主な目的は「ロシア連邦と中華人民共和国の間の海軍協力の強化、アジア-太平洋地域の平和と安定の保持」である事を指摘した。

ロシア海軍から演習を代表するのは、太平洋艦隊旗艦・ロケット巡洋艦「ワリャーグ」、フリゲート「マルシャル・シャーポシニコフ」、プロジェクト20380コルベット「ロシア連邦英雄アルダル・ツィジェンジャポフ」、「ソヴェルシェーンヌイ」である。
中国人民解放軍海軍からは、2隻の駆逐艦、2隻の警備艦(フリゲート)、複合補給艦、そして更にディーゼル潜水艦が関わる。

ロシア海軍と中国海軍は、2012年、2013年、2014年、2015年、2016年、2017年、2019年、2021年に合同演習『海洋協同』Морское Взаимодействиеを実施しています。

『海洋協同-2012』:2012年4月下旬に黄海で実施
[ロシア-中国海軍合同演習「海洋協同-2012」(2012年4月)]

『海洋協同-2013』:2013年7月上旬にピョートル大帝湾で実施
[ロシア・中国海軍合同演習は7月初頭にウラジオストク沖で実施される]
[ロシア・中国海軍合同演習「海洋協同-2013」が始まった]
[ロシア・中国海軍は海賊対処訓練を行なった]
[ロシア・中国海軍合同演習「海洋協同-2013」最終日に砲撃訓練が実施される]

『海洋協同-2014』:2014年5月下旬に東シナ海で実施
[ロシア-中国海軍合同演習「海洋協同-2014」]

『海洋協同-2015』第1段階:2015年5月下旬に地中海東部で実施
[ロシア-中国海軍合同演習「海洋協同-2015」(2015年5月)]

『海洋協同-2015』第2段階:2015年8月に日本海(沿海地方沖)で実施
[ロシア-中国海軍合同演習『海洋協同-2015』第2段階(2015年8月)]

『海洋協同-2016』:2016年9月中旬に南シナ海で実施
[ロシア・中国海軍合同演習『海洋協同-2016』(2016年9月)]

『海洋協同-2017』
第1段階:2017年7月下旬にバルト海で実施
第2段階:2017年9月下旬に日本海及びオホーツク海で実施
[ロシア-中国海軍合同演習『海洋協同-2017』(2017年7月、9月)]

『海洋協同-2019』:2019年4月末~5月初頭に黄海で実施
[ロシア-中国海軍合同演習『海洋協同-2019』(2019年5月)]

『海洋協同-2021』:2021年10月中旬に日本海で実施
[ロシア海軍と中国海軍の合同演習『海洋協同-2021』(2021年10月14日~17日)]

2022年9月上旬にロシア極東方面で実施されたロシア連邦軍の戦略演習『ヴォストーク-2022』にもロシア海軍と中国海軍が参加し、演習が終わった後には太平洋やベーリング海、アリューシャン列島沖へ進出しました。

[ヴォストーク-2022演習と露中海軍の太平洋合同パトロール(2022年9月)]

そして2022年12月21日~27日には東シナ海で合同演習『海洋協同-2022』が実施される事になりました。

ロシア太平洋艦隊からは、ナヒーモフ勲章授与・親衛ロケット巡洋艦「ワリャーグ」、フリゲート「マルシャル・シャーポシニコフ」コルベット「ロシア連邦英雄アルダル・ツィジェンジャポフ」、「ソヴェルシェーンヌイ」などが参加します。
Tweet

関連記事

    2021年12月21日-27日に東シナ海でロシア海軍と中国海軍の合同演習『海洋協同-2021』が実施される
    ロシア海軍太平洋艦隊の戦略用途原子力ロケット水中巡洋艦クニャージ・オレグと原子力水中巡洋艦ノヴォシビルスクはカムチャツカ半島の原潜基地ヴィリュチンスクへ到着した
    戦略演習『ヴォストーク-2022』と北極探検演習『ウムカ-2022』へ参加したロシア海軍太平洋艦隊の指揮艦マルシャル・クルイロフはウラジオストクへ帰投した
    ロシア海軍太平洋艦隊の原子力水中巡洋艦ノヴォシビルスクとオムスクはチュクチ海で超音速対艦ミサイル「オーニクス」とグラニートを発射した
    ロシア海軍太平洋艦隊の小型対潜艦MPK-82はカムチャツカ沖で対潜戦闘訓練を実施した

スポンサーサイト 』

ロシアの武器製造が止まらない理由、制裁を回避する物流ルートの存在

ロシアの武器製造が止まらない理由、制裁を回避する物流ルートの存在
https://grandfleet.info/russia-related/the-reason-why-russias-weapons-production-does-not-stop-the-existence-of-logistics-routes-to-avoid-sanctions/

『2022.12.17

ロシア軍の小型UAV「Orlan-10」を製造に必要な部品は制裁を回避する物流ルートでロシアに運び込まれており、この中には日本の斎藤製作所が製造するエンジンも含まれていると報じられている。

参考:Exclusive: The global supply trail that leads to Russia’s killer drones
ロシアは制裁を回避する物流ルートを既に確保しており、このような手段で入手した部品が巡航ミサイルの製造にも活用されているのだろう

ロシア軍とウクライナ軍は互いにUAVを大量に投入して戦場認識力を拡張しており、UAVの捕捉した情報はリアルタイムで共有されるため砲兵部隊の反応時間は大幅に短縮(20分以下→3分以下)され、上空からUAVに監視されている部隊が砲撃のキルゾーンから脱出するのは難しいと言われている。

出典:Mil.ru/CC BY 4.0 ロシア軍兵士がOrlan-10を操縦する様子

この役割をロシア軍で担うのはMANPADSの有効射高外でも作動可能な小型UAV「Orlan-10」で、2023年の攻勢に必要な物量を揃えるため同機の製造に必要なパーツを買い漁っているらしい。

露サンクトペテルブルクにある特殊技術センター(STC)が製造するOrlan-10の構成部品は海外サプライヤーからの供給に依存し、制裁対象に指定されているSTCへの輸出は禁止されているのだが、ロイターの報道によれば「2022年中もロシア人が経営する香港(Asia Pacific Links)とフロリダ(IK Tech)の会社を通じてサンクトペテルブルク(iLogic)の会社にOrlan-10の構成部品が輸出されている」と報じており、輸出された部品の中には日本の斎藤製作所が製造するエンジン(FG-40型4サイクルエンジン)も含まれている。

つまりロシアは制裁を回避する物流ルートを既に確保しているという意味で、恐らくロイター、英国王立防衛安全保障研究所、iStoriesの共同調査で判明したルート以外にも物流ルーは多数存在している可能性が高く、このような手段で入手した部品が巡航ミサイルの製造にも活用されているのだろう。

当然、不正な手段で入手された部品の調達コストは正規ルートよりも高価で、正しく作動しないものも混じっている可能性が高いのだが、、、

関連記事:NATO事務総長、ロシアは犠牲を顧みない戦争を戦い抜く準備をしている
関連記事:ウクライナ軍総司令官、ロシア軍の動員計画は非常に上手くいっている
関連記事:制裁を回避したロシア、精密誘導兵器の備蓄を使い果たす兆候なし

 ※アイキャッチ画像の出典:Дмитрий Медведев
シェアする
ツイートする
Twitter で Follow grandfleet_info

Tweet Share +1 Hatena Pocket RSS feedly Pin it 

投稿者: 航空万能論GF管理人 ロシア関連 コメント: 43 』

NATO事務総長、ロシアは犠牲を顧みない戦争を戦い抜く準備をしている

NATO事務総長、ロシアは犠牲を顧みない戦争を戦い抜く準備をしている
https://grandfleet.info/european-region/nato-secretary-general-russia-prepares-to-fight-through-war-at-no-cost/

『NATOのストルテンベルグ事務総長は16日「ロシアは長い戦争を戦い抜く準備を行っており、犠牲を顧みない戦いのため動員で多くの人的リソースと武器・弾薬を手に入れようとしている。決してロシアを過小評価してはならない」と警告した。

参考:Putin ‘planning for a long war’ in Ukraine: NATO chief
参考:Зеленский: Россиянам хватит ракет еще для нескольких массированных ударов

やはり両軍の戦いはプーチン大統領が諦めるまで何年も続く可能性が高い

ザルジュニー総司令官は「ロシア軍の計画は非常に上手くいっている。第二次大戦の教訓を活かして前線から遠く離れたウラル山脈の向こう側で必要な物資の準備も行っている。来年の2月までに準備が整い再びロシア軍が攻勢にでる。連中がキーウ攻略に再挑戦するはまず間違いない」と断言していたが、NATOのストルテンベルグ事務総長も「ロシアは長い戦争を戦い抜く準備を行っており、犠牲を顧みない戦いのため動員で多くの人的リソースと武器・弾薬を手に入れようとしている。決してロシアを過小評価してはならない」と警告した。

出典:Головнокомандувач ЗС України

事務総長は「プーチンがウクライナを支配するという目標を諦めた兆候はなく、長期戦を覚悟したロシアとの戦争をウクライナ勝利で終わらせるためには『軍事的手段で目標を達成できない』とプーチンが認識するまで軍事支援を行い『戦争を終結させるためには交渉しかない』と悟らせるしかない」と述べており、目標達成のためなら経済的な問題や人的リソースの消耗を度外視するロシアを引き下がらせるには「国力を消耗し尽くすまで戦うしかない」という意味だ。

ロシア軍はウクライナ軍よりも多くの損失を出しているは間違いなく、中途半端な当初作戦で占領した土地も失っているが、民主主義と権威主義では価値観が異なるため「ロシアには西側社会が到底許容できないリスクとコストに耐える火の玉のような強い意思がある」と指摘されており、ロシア人が何処まで犠牲を支払うことに耐えられるのかは誰にも分からない。

出典:Oleksii Reznikov

ウクライナと西側諸国は当初「制裁の影響でロシアの武器生産は困難に直面して物資が尽きる」と予想、レズニコフ国防相は10月「ロシア軍に残されたX-101/X-55とKalibrの合計は485発だ」と明かしていたが、この発表以降にロシア軍は314発以上(11月16日100発以上、23日70発、12月6日70発、16日74発)のX-101/X-55とKalibrを撃ち込んでおり、ゼレンスキー大統領は16日の演説で「さらに何度かの大規模ミサイル攻撃を実施するのに十分な量のミサイルを敵は持っている」と指摘しているため、ロシアが制裁を回避して武器生産を維持しているのは確実だ。

西側諸国も長期戦に向けてウクライナで必要とされる武器や弾薬の増産に動いているものの、経済的な理論の中で動いているためロシアのような戦時体制とは程遠く、増産が軌道にのるまでに「数年単位のリードタイムが発生する」と指摘されている。

出典:Сухопутні війська ЗС України

つまりロシア軍が目標を達成するためには来年の攻勢が重要で、逆にウクライナ軍は戦いを2024年後半から2025年まで引っ張れば武器や弾薬の供給量で優位性を確保でき、幾ら犠牲を顧みない戦いに強みがあるロシア軍も投射火力で負け始めれば手も足も出なくなるだろう。

管理人もハルキウやヘルソンでの反撃成功を受けて「ウクライナ軍が一気にロシア軍を突き崩すのではないか」と考えたこともあったが、やはり両軍の戦いはプーチン大統領が諦めるまで何年も続く可能性が高い。

関連記事:ウクライナ軍総司令官、ロシア軍の動員計画は非常に上手くいっている
関連記事:ウクライナ国防相、ロシア軍が保有する精密誘導ミサイルの残数は609発
関連記事:ロシア、制裁の影響下で弾道ミサイルや精密誘導ミサイルを288発製造
関連記事:制裁を回避したロシア、精密誘導兵器の備蓄を使い果たす兆候なし

 ※アイキャッチ画像の出典:NATO
シェアする
ツイートする
Twitter で Follow grandfleet_info

Tweet Share +1 Hatena Pocket RSS feedly Pin it 

投稿者: 航空万能論GF管理人 欧州関連 コメント: 28 』

アラブ首長国連邦/UAE(世界史の窓)

アラブ首長国連邦/UAE(世界史の窓)
https://www.y-history.net/appendix/wh1703-032_3.html

『1971年、ペルシア湾南岸の複数の首長国がイギリス保護国から独立し、連邦国家を構成した。アラブの産油国として経済的発展が著しい。

産油国として急速に発展

アラブ首長国連邦

ペルシア湾岸諸国 赤字国名は首長国諸国

 中東のペルシア湾の南岸に面した湾岸諸国のひとつ。英文では United Arab Emirates なので略称がUAE。emirate は emir(首長)の治める国の意味。emir はイスラーム世界のアミールのことで、王族や指揮官を意味する。首長国は王政の一種で、その地位は世襲でありクウェートやカタールなどの中東諸国に見られる。アラブ首長国連邦は首長制国家の連合体である。現在は7首長国の連合国家であるが、大統領はアブダビ、副大統領はドバイの首長が世襲的に任命されている。議会もあるが、議院の半数は各首長が選び、半数について2005年にはじめて国民が直接選挙することとなった。
 首都はアブダビ。石油輸出国として経済発展がめざましく、とくに最大の都市ドバイでは、高層ビルラッシュや、大規模な海上リゾートであるパームアイランドの建設など、世界の耳目を集めている。またアラブ連盟の構成国であり、アラブ石油輸出国機構のメンバーである。

湾岸の歴史

 ペルシア湾南岸に位置するこの地域は、7世紀にはイスラーム帝国の領域に入り、次いでオスマン帝国領となった。15世紀末にポルトガルの勢力が伸びてきて、1508年にはホルムズ島に基地を設けてペルシア湾に進出した。ペルシア湾にはついでオランダ人、さらにイギリスが進出し、ポルトガル勢力は次第に後退した。

イギリスの「インドへの道」 

1622年にイギリスはサファヴィー朝イランのアッバース1世と協力してホルムズ島からポルトガルを追い出してバンダーレ=アッバースに基地を設け、さらに1778年ペルシア湾北岸のブーシェルに拠点を置き、「インドへの道」の確保に努めた。油田が発見される前の湾岸地方は、インドやペルシア向けの帆船貿易に従事するか、真珠取りと沿岸漁業を行う漁村が点在するだけだったが、イギリスはインドを統治するための中継地として重視したのだった。

海賊海岸 

イギリスのインド支配ルートの遮断を狙ったナポレオンがエジプトに進出し、さらにアラビア半島のワッハーブ王国と結んでペルシア湾岸(現在のアラブ首長国連邦)の諸部族にイギリスに対する反乱をけしかけた。

彼らはイギリス東インド会社の船舶を盛んに襲撃し、イギリスは彼らをアラブ海賊として恐れ、ペルシア湾岸は「海賊海岸」と言われるようになった。

19世紀初頭、イギリスは海賊行為をとりしまるという名目で、アラブ諸部族の最有力部族であたカワーシム部族の本拠地ラス・アルハイマを砲撃し破壊した。<酒井啓子『<中東>の考え方』2010 講談社現代新書 p.37 などによる>

休戦海岸 

しかし、ナポレオンが没落し、ワッハーブ王国もエジプトに滅ぼされると、イギリスは湾岸地方の部族間の抗争を利用して、一部の部族長と手を結ぶようになった。

1820年、ペルシア湾南岸の諸部族の首長とイギリスの間で「海賊行為停止に関する休戦条約」を締結した。

この結果、湾岸地方は「海賊海岸」から「休戦海岸」と言われるようになった。

湾岸の首長国も独立前は、イギリスと休戦協定を結ん成立した国という意味で「休戦海岸」と言われた。1892年にはイギリスの保護国である「オマーン休戦土侯国」となった。
首長国連邦の成立  

第二次世界大戦後の1968年、イギリスがスエズ以東からの撤退を表明すると独立の動きが活発となり、1971年にアブダビとドバイを中心とする6首長国が連合して「アラブ首長国連邦」として独立した。<牟田口義郎『石油に浮かぶ国』 1965 中公新書 p.27 などによる>

Episode オイルマネーが生んだ都市

 アラブ首長国連邦の都市ドバイは、オイルマネーによって潤い、高層ビルの乱立する巨大都市に急成長したが、1990年代までは乗り換え便のための国際空港があるだけで、さらにそれ以前は小さな寒村にすぎなかった。

高さ800mを越える世界一高い(2010年現在)「ドバイの塔」など、超高層ビルが立ち並び、世界最大級のショッピングモール、雪など降ることのないアラビア半島でスキーを楽しめる東京ドームの半分の面積をもつ人工スキー場さえある。

 ドバイが急速に経済発展を遂げたのは、2001年の9.11同時多発テロの副産物だった。

この事件とその後のアメリカ政権による「イスラーム世界」への攻撃で、欧米とアラブ・イスラーム諸国の関係は悪化、アラブ諸国のオイルマネーは、欧米からの締め出し、衝突のリスクを避けて、欧米諸国に対する投資を手控え、ドバイにつぎ込んだのだった。

さらに2007~8年の石油価格高騰であふれかえったオイルマネーは、中東の湾岸産油国全体にバブル景気をもたらした。

 しかし、2008年のリーマン=ショックに始まった世界的経済危機はドバイを直撃、翌年には「ドバイ・ショック」が起きた。

ドバイ・ショックとは、不落と思われていたドバイ政府系企業の「ドバイ・ワールド」が2009年11月に590億ドルにも上る債務の返済延期を申し出て、ドバイの信用が一気に低下、世界中で株価が下落した事件である。

ドル、ユーロ安が円高をもたらし、日本経済を直撃した。震源地ドバイにも高級マンションの値段が急落するなど、影響が出た。<酒井啓子『<中東>の考え方』2010 講談社現代新書 p.37>

NewS イスラエルと国交樹立

 2020年8月13日、UAEは、イスラエルとの正式な国交を樹立した。

仲介したのはアメリカのトランプ大統領であり、実際に動いたのは大統領の女婿であるクシュナー氏(大統領顧問)であった。

大統領就任以来、支持基盤であるユダヤ系アメリカ人よりの外交施策を進めてきた流れがあり、11月の大統領選挙に向けての成果として宣伝されている。

イスラエルにとってはアラブ世界ではエジプトとヨルダンに次いで3番目の国交樹立となり、イスラエル包囲網の一端が綻んだことを諫言しているであろうが、UAEにとってはどのようなメリットがあるのだろうか。

産油国としてイスラエルとの経済関係が生まれることは大きいと思われるが、ペルシア湾をめぐってイランと対立していることから、イランに対する牽制になることがねらいなのではないかと観測されている。 → アメリカの外交政策 』

サウジアラビア=アラブ首長国連邦国境

サウジアラビア=アラブ首長国連邦国境
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E9%A6%96%E9%95%B7%E5%9B%BD%E9%80%A3%E9%82%A6%E5%9B%BD%E5%A2%83

『サウジアラビア=アラブ首長国連邦国境は、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)との国境であり、西のペルシャ湾岸から東のオマーンとの三国国境まで、全長457キロメートルに及ぶ[1]。

1974年8月21日にサウジアラビアのジッダで、サウジアラビア国王ファイサルとUAE大統領シャイフ・ザーイドは、両国間の国境を画定するジッダ条約(英語版)に調印した。これにより、長年続いた境界紛争に終止符が打たれたが、UAE側は、条約調印前の口約束と条約の最終的な文章に違いがあり、紛争は解決していないとしている。UAEによると、交渉団に弁護士や技術者、地理学者がいなかったため、1975年になって初めてこの矛盾に気付いたという。UAEはそれ以来、サウジアラビアとの再交渉を試みている[2]。

1974年の条約の条項は、1995年に国連に申し立てられるまで公表されなかった。UAEはこの条約に批准しなかった[3]。

位置

ジッダ条約に規定される国境は、概ね4本の直線で構成されている。国境は、UAE領のラス・グメイス半島のすぐ西にあるスマイラ湾の海岸、北緯24度14分58秒、東経51度35分26秒の地点(a)から始まる。ここから真南に進み、北緯24度07分24秒、東経51度35分26秒の地点(b)に至る。ここから南東方向に進み、北緯26度56分09秒、東経52度34分52秒の地点(c)に至る。ここから東南東方向に進み、北緯22度37分41秒、東経55度08分14秒の地点(d)に至る。ここから北東方向に進み、北緯22度42分02秒、東経55度12分10秒の地点(e)に至る。地点(e)からは、(f)から(l)までの7つの地点を結んで、オマーンとの三国国境に至る[4]。国境は全て砂漠の中であり、一部塩田を横切る。

歴史

歴史的に、アラビア半島南東部のこの地域には明確な国境線がなかった。19世紀、イギリスは、当時「海賊海岸」と呼ばれていたこの地域の7つの首長国と保護条約を結び、いわゆる休戦オマーン(トルーシャル・オマーン)が誕生した。アラビア半島の内陸部には、ゆるやかに組織化されたアラブ人の集団が存在し、時折首長国を形成していたが、その中でも最も有名なのが、サウード家が統治するナジュド及びハサー首長国だった[5]。イギリスとオスマン帝国は、1913年から14年にかけて、「ブルーライン(英語版)」と「バイオレットライン(英語版)」と呼ばれる線で、アラビア半島の勢力範囲を分割した[6][7]。

第一次世界大戦中、イギリスの支援を受けたアラブ反乱により、中東の大部分からオスマン帝国を追い出すことに成功した。その後、イブン・サウードは王国を大幅に拡大し、1932年にサウジアラビア王国を建国した。イブン・サウードは、イギリスとオスマン帝国が画定した国境線を認めず、アラビア東部の後背地の大部分の領有を主張した(いわゆる「ハムザライン」)。

1935年11月25日、イギリス政府関係者はイブン・サウードと会談し、新王国とイギリスの保護領(休戦オマーン)との間の国境線を確定しようとした[8]。しかし、この会談は失敗に終わり、国境問題は未解決のままとなった[9][10]。

ブライミ紛争

詳細は「ブライミ紛争(英語版)」を参照
1974年以前の国境線が描かれたUAEの地図。この地図ではUAEはカタール(左上)と国境を接している。

1949年、イブン・サウードが支配するサウジアラビアと国営石油会社サウジアラムコは、油田の獲得を目指してアブダビ首長国の西部地区(英語版)に侵攻した。イブン・サウードは、オマーンとの国境に位置するアブダビ東部のアル・アインとブライミの支配にも関心を持っていた。これがブライミ紛争(英語版)のきっかけとなった[11]。1952年8月31日、ラアス・タンヌーラ(英語版)のアミールトルキ・ビン・アブドゥラ・アル・オタイシャンが率いるサウジアラビア人衛兵約80人(うち40人は武装)がアブダビ領を横断し、オアシスにある3つのオマーン人の村のうちの1つであるハマサ(英語版)を占拠し、サウジアラビアの東部州の一部であると主張した[12]。

1954年7月30日、この紛争を国際仲裁裁判に付託することが合意された[13]。一方、サウジアラビアは、裁判の根拠となる各部族からの忠誠心の宣言を得るために、賄賂を使った工作を展開していた。 この工作は、アブダビ首長シャイフ・シャフブート(英語版)の弟で、当時アル・アインのワーリーを務めていたザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンにまで及んだ。ザイードはサウジアラビアから、この地域から得られる石油収入の50%を、その後、新車と4万ルピーの提供を受けた。3度目の接触では4億ルピーが提示され、最後にサウジアラビアのアブドラ・アル・クレイシから3丁のピストルを贈呈したいとの連絡があった[14]。

1955年、ジュネーブで仲裁手続が開始されたが、イギリス人の仲裁人のリーダー・ブラード(英語版)が、サウジアラビアが裁判に影響を与えようとしていることに異議を唱え、辞任したことで破綻した。2人の判事のうち1人が辞任し[15]、判事はもう1人のベルギー大統領のみとなった[16]。

このような協定違反があったため、イギリス政府は1955年10月25日に停戦協定を一方的に破棄し、サウジアラビアが占拠するオアシスを奪還することを決定した。10月25日、休戦オマーン軍(英語版)は速やかにオアシスを占領し、銃撃されて軽傷を負ったサウジ首長ビン・ナミ以下、サウジ軍15名全員を捕らえた[17]。サウジ軍はRAFヴァレッタでシャールジャに向かい、そこから海路でサウジアラビアに向かった。戦闘の大半はサウジ軍の降伏後に行われ、200人ほどのベドウィン軍が召集兵軍に対し激しい抵抗を見せた[15]。この事件の後、イギリスは1935年の「リヤドライン」を若干修正したものを今後の国境として使用することを一方的に表明した。

アラブ首長国連邦の独立

「アラブ首長国連邦の歴史(英語版)」も参照

1971年にアラブ首長国連邦(UAE)が独立宣言した後、サウジアラビアはアブダビ首長国との領土問題を理由にUAEの国家承認を保留し、アブダビを個別の首長国として扱った。1974年、サウジアラビア国王ファイサルはUAE大統領シェイク・ザーイドから、UAEの国家承認を得るためのサウジアラビアの協力を切実に求められ、国境問題をめぐる交渉の開始を要請された。ファイサル国王は、国家の非承認という戦術をアブダビ首長国に対する切り札として利用し、早期に和解をさせた。ファイサル国王は、父のサウードが国王だった時代から外務大臣としてこの問題に関わり、イギリスの高官がアブダビを代表して出席した会議が何度も失敗するのを目の当たりにしてきた。サウジ軍が敗れて強制的に排除されたブライミ紛争の処理は、同国にとっての大きな屈辱であり、復讐するべきであると感じていた。ファイサル国王は、1972年7月にターイフを訪れたUAE代表団に対し、「サウジアラビアはブライミで屈辱を受けたので、自分たちの権利を取り戻さなければならない」と語り、「父や祖父から受け継いだ財産を放棄することはない」と誓った。シェイク・ザーイドは和解に意欲的だったが、サウジアラビアの要求は、アブダビ首長国の広大な土地(いくつかの油田を含む)の併合を主張するという非現実的なものだった[18][19]。

1974年8月21日、シェイク・ザーイドとファイサル国王の間で、アブダビ首長国とサウジアラビアの間の国境線を画定する合意がなされた。サウジアラビアは直ちにUAEの国家承認を宣言し、大使を派遣し、ドバイの連絡事務所を領事館に昇格させた。これにより、UAEは連合体としての地位を強化し、シェイク・ザーイドはUAE大統領としての地位を固めた[18]。

国境紛争

1974年のジッダ条約の締結前後の、サウジアラビアとUAEの国境の違いを示す地図。赤い部分は、ジッダ条約によりUAE領からサウジアラビア領に変更された。

1976年、カタールとUAEは両国間を結ぶ高速道路の建設に合意したが、ジッダ条約でサウジアラビア領となった場所で建設作業をしていた建設会社はサウジアラビアから妨害を受けた。さらにサウジアラビアは、UAEの国境は1976年にハーリド国王が協定を結んで確定したと主張し、UAE領の島であるラス・グマイスに港を建設するために、サウジアラビア系のアイルランドの企業に調査を依頼した。その後、サウジアラビアは1977年に別の条約でラス・グマイスの東20マイルを獲得することに成功し、シェイク・ザーイドに3450万ドルの小切手を渡した。しかし、この条約は国際的には認められなかった[20]。作家のアンソニー・コーデスマン(英語版)によれば、「サウジアラビア政府はアブダビに、湾岸のさらに20マイル東に国境を移すよう強要した」という[21]。

1974年から1980年までの間、カタールとUAEの間にはサウジアラビアによる検問所はなく、両国の国民は1990年代までサウジアラビア政府の干渉を受けずに自由に行き来していた。1990年6月、サウジアラビアによって両国間の陸路が封鎖され、サウジアラビアはアル・シラを通じてサウジアラビア領とUAEを結ぶ新しい道路を開通させ、アブダビとカタールの国境を結ぶ道路を閉鎖した。UAE軍関係者によると、サウジアラビア政府はサウジの部族に金を払ってKhor Al Udaid付近に移転させ、彼らが昔からそこに住んでいたと主張したほか、入口付近に様々な軍事インフラを建設したという[22]。

2004年、UAEの外務次官はアメリカ大使に対し、UAEが1974年にジッダ条約に署名したのは「不可抗力」によるものだったと述べた。同年、UAEはサウジアラビアとの国境問題を公に提起し、UAE大統領のハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンはサウジアラビアに対し修正を求めた。サウジアラビアは、ジッダ条約は、海上国境の画定について書かれた第5条を除いて、1974年に確定していると回答した。UAE政府は、ジッダ条約の条文変更をサウジアラビアが認めないことに対する不満を表明した。これは、UAEの前大統領であるシェイク・ザーイドが死去した1か月後に発表されたもので、UAEが国境問題の扱いに満足していないことを示すものである。2004年12月にリヤドを訪れたハリーファ大統領がこの問題を提起したが、解決には至らなかった。

2005年には、国境紛争の再燃が懸念された[23][24]。この年、ハリーファ大統領がカタールを訪問した際に、ドーハとアブダビを結ぶ土手道のプロジェクトが発表されたが、サウジアラビアは、両国の海上国境が明確でないにもかかわらず、この道がサウジアラビアの領海を通過していると抗議した[25]。UAEの外務次官は「サウジの海によってカタールと引き離されることは望んでいない」と述べ、アブダビとカタールを結ぶためには土手道の計画が唯一の希望であることを示唆していた。また、2004年にはUAEとカタールが共同で、カタールがUAEとオマーンにガスを供給するドルフィン・ガス・プロジェクト(英語版)の協定を結んだ。2006年7月、サウジアラビア政府は、このプロジェクトによるパイプラインがサウジアラビアの主張する領海を通過すると主張して抗議した[25]。UAEは2006年にこの紛争を公に再開し、失われた領土があると主張した[26]。
ジッダ条約
詳細は「ジッダ条約(英語版)」を参照

ジッダ条約では、サウジアラビアに対し、カタールの東側にペルシャ湾への出口となるホール・アル・ウダイド(英語版)から東25キロメートルの回廊地帯を認めた[27]。その見返りとして、UAEはアル・アインを含むアル・ブライミー(英語版)地域の6つの村とアル・ザフラ砂漠の大部分を保持することになった[24]。アル・アイン/アル・ブライミーのオアシス地域は9つのオアシスからなるが、その内アル・アイン、アル・ジャヘリ、アル・カタラー、アル・ムワイジ、アル・ヒル、アル・マスディ、アル・ムタレドの7つは現在アブダビの支配下にあり、残りの3つ、ハマサ、サアラ、ブライミは現在オマーンに属している[28]。第3条では、「シェイバー(英語版)・ザララ地区の全ての炭化水素はサウジアラビア王国に帰属するものとみなす」とし、サウジアラビアが同地区全体を探査・開発することを定めていた。第4条では、サウジアラビアとUAEが「それぞれ、相手国の領土内に主に存在する炭化水素田が及ぶ領土の一部で、炭化水素の開発に従事せず、許可しないことを約束する」と規定した[29]。
論点となった条文

1992年、UAEはジッダ条約の条文、特にアブダビ領内にあるザララの20%の土地についての再交渉を希望した。サウジアラビアは1995年に初めて条約の内容を公開し、条約の第3条によりシェイバ油田はサウジアラビアに帰属し、共同開発は行わないと規定されていることを明らかにした[30]。1999年3月に行われたシェイバー油田の落成式には、湾岸協力会議(GCC)各国の石油大臣が参加する中でUAEの石油大臣が出席しなかったが、これはUAEがジッダ条約の条文に長年不満を持っていることを示すためだった[31]。サウジアラビア関係者によると、UAEのザイード大統領の長男のムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンは、2011年3月と4月にサウジアラビアを訪問し、アブダビ領内にあるザララ油田の20%の土地についての和解の希望の意思を伝えた[30]。2011年8月15日、とあるUAE外交官が、UAEはジッダ条約の変更を希望し、主に第3条を変更して、ザララ/シェイバー油田で石油の共有を可能にすることを望んでいると述べたと報じられた。ザーイド大統領は1974年8月、UAEとサウジアラビアが石油を共有することで合意していると信じていたが、条約の条項にはこのことが含まれていなかった[32]。

UAEはまた、「両当事者は、サウジアラビア王国の領土とアラブ首長国連邦の領土との間の海上の国境を可能な限り早く画定する」とした条約の第5条に対しても主張した。UAEによれば、この条項は、1969年のアブダビとカタールの領土協定や、2004年のUAE-カタールのドルフィン・パイプライン協定と矛盾する部分があるため、解決できないという[32]。
UAEは最後に、国際企業が現在の両国の境界を反映した公式地図を作成することを定めた条約の第6条に真っ向から反対した。UAEは、ジッダ条約に準拠していない古い地図を使い続け、2009年までホール・アル・ウダイドとザララ油田の位置をUAE領としていた[32]。2009年8月には、UAE国民がサウジアラビアに入国しようとしたとき、保持していた身分証明書に描かれた地図が旧版のものであることから、国境で追い帰されるという問題が発生した[33]。

ワシントン近東政策研究所(英語版)は、1974年のジッダ条約は、国際法上の有効性に疑問があるとしている。この条約は、それを有効にするための重要なステップである、UAEの連邦国民評議会(立法府)による公表や批准がなされていないためである。また、この条約によりUAEとの国境がなくなることになるカタールは、交渉に参加していない[26]。
関連項目

サウジアラビアとアラブ首長国連邦の関係(英語版)』

イランを怒らせた習近平の発言

イランを怒らせた習近平の発言:イスラムと衝突する中国共産党政権
https://agora-web.jp/archives/221213233634.html

『一人のイスラム教スンニ派の信者が「ユダヤ教徒やキリスト信者とは何とかやっていけるが、絶対一緒にやりたくない相手はシーア派信者だ」と語ったことがある。イスラム教はスンニ派とシーア派に分かれ、前者は多数派だ。具体的には、アラブの盟主サウジアラビアはスンニ派に属し、その中でも戒律が厳しいワッハーブ派だ。少数派の代表はイランだ。

習近平国家主席の発言に怒りを吐露するイランのアミラブドラヒアン外相(2022年12月12日、IRNA通信から)

中国の習近平主席は9日、サウジの首都リヤドで開催された第1回中国・アラブ諸国首脳会談と第1回湾岸協力会議(GCC)首脳会談に出席した。同首脳会談後、公表されたコミュニケによると、アラブ諸国と中国双方は戦略的パートナーの関係を強化することで一致したという。習近平主席は「アラブと中国の新しい歴史が始まった」とその成果を強調した。

その数日後、イランのテヘランから中国に警告ともいえるニュースが流れてきた。イランのホセイン・アミラブドラヒアン外相は12日、中国政府に対し、イラン・イスラム共和国の領土保全を尊重するよう求めるツイッターを更新した。同外相は中国語で「アブムーサ島、レッサートゥンブ島、グレータートゥンブ島の3つの島(Abu Musa, the Lesser Tunb, and the Greater Tunb)はイランの切り離せない部分であり、永遠に祖国に属する」と書いている。

何のことかといえば、習近平国家主席が湾岸協力会議(GCC) 加盟国のアラブ指導者とともに声明を発表し、上記の3島の帰属権問題についてイランとアラブ首長国連邦(UAE)両国が協議するよう促したのだ。その後、イランの外相はIRNA通信を通じて「イランの領土保全を尊重するように」と間接的ながら習近平国家主席に抗議したわけだ。

IRNA通信のイラン外相の発言を読んだとき、先のイスラム教スンニ派信者の話を思い出した。アブラハムから派生したユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3兄弟宗教があるが、イスラム教内のスンニ派とシーア派間の対立はイスラム教とユダヤ教、キリスト教とのそれより根が深いという。

習近平主席はスンニ派の盟主サウジで戦略的には同盟国のイラン(シーア派)にイランが自国の領土を宣言している3島の帰属権について、紛争中のUAEと協議すべきだと受け取られるような発言をしたわけだ。習近平主席は大国意識もあって仲介役を演じたのかもしれないが、イラン側が気分を悪くするどころか、「習近平、何を言うのか」と怒りが沸き上がっても不思議ではない。

例えば、イランが自国領土と宣言しているアブムサ島は、ペルシャ湾東部に浮かぶ島でホルムズ海峡入り口付近にある。UAEも領有権を主張している。島は古代からイランの一部であった。20世紀に入ると、イギリスが支配した後、同国は1968年、島の統治権を放棄。その後、イランが同島を再併合したが、UAEとの間で島の主権問題でこれまで紛争してきた経緯がある。

国営サウジ通信が公表したコミュニケによると、アラブ諸国は台湾をめぐる中国の「一つの中国」原則、香港の統制政策を支持。同時に、人権問題の政治化を拒否することで合意している。

例えば、中国では新疆ウイグル自治区のウイグル人弾圧問題、サウジでは同国の反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(59)殺人事件で国際社会から激しく批判されてきた。サウジは中国共産党政権と同様、人権分野では大きな問題を抱えている。同国は欧米メディアで人権弾圧を糾弾されるたびに「内政干渉」と反論してきた。中東の盟主サウジと中国共産党政権は人権問題では共同戦線を敷く余地があるわけだ。

中国の王毅外相は昨年3月24日~30日、6カ国の中東(サウジ、トルコ、イラン、UAE、オマーン、バーレーン)を歴訪し、中国と中東諸国との外交関係強化に動き出してきた。

中国は過去、中東諸国との外交関係で躊躇してきたのは、それなりの理由がある。サウジを含む中東はイスラム教という宗教が大きな影響を持つ地域であり、人権問題で共同戦線が出来ても、遅かれ早かれ宗教問題で中国共産党政権と衝突する可能性があるためだ。

例えば、ウイグル自治区のウイグル人の多くはイスラム教徒(主にスンニ派)だ。そのウイグル人への弾圧を中東諸国はいつまでも黙認できないし、中国共産党政権の宗教政策を批判せざるを得なくなるだろう。ちなみに、トルコは中国から逃げてきたウイグル人を受け入れている。

そして今回、習近平主席はサウジを訪問し、そこでイランに対し、同国の島の領土問題でUAEと協議するように助言した。同主席にはシーア派のイラン側が中国側の提案をどのように受け取るか、といった配慮が欠けていたわけだ。アブラハムの3大宗教が広がる中東地域での中国の外交の前には、常に「宗教」というハードルが控えている。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年12月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/ 』

アブー・ムーサー島
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E5%B3%B6

『アブー・ムーサー島(アブー・ムーサーとう、ペルシア語: ابوموسی‎、アラビア語: أبو موسى‎)は、ペルシャ湾東部に浮かぶ島。面積12平方キロメートル。ホルムズ海峡入り口付近にある、6個の島からなる諸島の一部。イランのホルモズガーン州に属するが、アラブ首長国連邦も領有権を主張している。

島は古代からイランの一部であったが、20世紀初頭になるとイギリスが支配した。イギリスは、後のアラブ首長国連邦領の島々と一緒にアブー・ムーサー島を統治した。

1960年代後半、イギリスは統治権を現在のアラブ首長国連邦の首長国の一つであるシャールジャに渡した。1968年、イギリスが1971年末までにスエズ以東の支配放棄を宣言すると、アラブ首長国連邦の独立の2日前の1971年11月30日にイラン帝国がアブー・ムーサー島を併合した。同年、シャールジャとイランは、「島の主権はアラブ首長国連邦にあるが、イラン軍の島への駐留を認める」ことに合意した。なお、同じくイラン軍に占領された大・小トンブ島について、ラアス・アル=ハイマはイランとの合意を拒否した[1]。

1980年、アラブ首長国連邦は領有権の主張を国連へ訴えた。1992年、イランは島の支配を強め、アラブ首長国連邦が援助している学校、病院、発電所で働く外国人労働者を追放した。 』

〔外国人観光客に対する水際対策―現状〕

〔外国人観光客に対する水際対策―現状〕

新型コロナウイルス感染症に関する新たな水際対策措置(2022年10月11日以降適用)
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcwideareaspecificinfo_2022C083.html

『9月26日、新型コロナウイルス感染症に関する水際措置見直しの詳細が公表されました。10月11日午前0時(日本時間)以降適用される措置の概要は以下のとおりです。
1.外国人の新規入国制限の見直し

外国人の新規入国について、日本国内に所在する受入責任者による入国者健康確認システム(ERFS)における申請を求めないこととします。併せて、外国人観光客の入国について、パッケージツアーに限定する措置を解除します。

2.査証免除措置の適用再開

 査証免除措置の適用を再開します。

3.検査等の見直し

 新型コロナウイルスへの感染が疑われる症状がある帰国者・入国者を除き、入国時検査を実施せず、入国後の自宅又は宿泊施設での待機、待機期間中のフォローアップ、公共交通機関不使用等を求めないこととします。ただし、全ての帰国者・入国者について、世界保健機関(WHO)の緊急使用リストに掲載されているワクチンの接種証明書(3回)又は出国前72時間以内に受けた検査の陰性証明書のいずれかの提出を求めることとします。

4.入国者総数の管理の見直し

 現在1日50,000人目途としている入国者総数の上限は設けないこととします。

5.措置の詳細は、以下の別紙1及び2を参照してください。

別紙1「水際措置の見直しについて」
https://www.anzen.mofa.go.jp/covid19/pdf2/0926_34_1.pdf
別紙2「水際対策強化に係る新たな措置(34)」
https://www.anzen.mofa.go.jp/covid19/pdf2/0926_34_2.pdf
外務省の感染症危険情報発出国については、外務省海外安全ホームページを御確認ください。
https://www.anzen.mofa.go.jp/

(問い合わせ窓口)
○厚生労働省新型コロナウイルス感染症相談窓口(検疫の強化)
日本国内から:0120-565-653
海外から:+81-3-3595-2176(日本語、英語、中国語、韓国語に対応)

○出入国在留管理庁(入国拒否、日本への再入国)
  電話:(代表)03-3580-4111(内線4446、4447)

○外国人在留支援センター内外務省ビザ・インフォメーション
  電話:0570-011000(ナビダイヤル:案内に従い、日本語の「1」を選んだ後、「5」を押してください。)一部のIP電話からは、03-5363-3013

○海外安全ホームページ
  https://www.anzen.mofa.go.jp/ (PC版・スマートフォン版)
  http://www.anzen.mofa.go.jp/m/mbtop.html (モバイル版)』

訪日外国人観光客の受入れ関連情報(最終更新日:2022年12月6日)

北京、ゼロコロナ緩和で混乱 陰性証明残り外食に制約

北京、ゼロコロナ緩和で混乱 陰性証明残り外食に制約
中国総局 川手伊織
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM121OB0S2A211C2000000/

『中国政府が新型コロナウイルスの感染封じ込めを狙うゼロコロナ政策の緩和策「10条措置」を発表してから2週間近くたった。省をまたぐ移動が増えて経済活動が戻りつつある一方、首都・北京では感染が急速に広がり、10人1セットのPCR検査で陽性の疑いと出るケースが増えている。緩和後もレストラン内で飲食する際などにPCR検査の陰性証明を提示する必要があり、依然として外食など一部の接触型消費が制約されるなど混乱が生じている。

「店内飲食のサービスを再開したが、客足はなかなか戻ってこないですね」。北京中心部の商業施設にある火鍋店で働く女性はため息をつく。北京での感染急拡大を受けて11月中旬から事実上禁止されていた店内飲食がこの店では7日に再開。休日は予約で満席になることもあった店だが「再開後は常に半分以上が空席」という。感染を防ぐため外食を控える人が多いほか、「48時間以内のPCR陰性証明を提示しなければいけないという義務が外食の足かせになっている」。
10人分の検体を混ぜたPCR検査では陽性の疑いを示す「異常」が出やすくなる(検査会社の携帯アプリ)

どういうことか。中国は感染者をあぶり出すため、市民に日常的なPCR検査を事実上義務付けてきた。結果は地方政府ごとに開発した専用アプリに反映される。大量の検査をこなすため、10人分の検体を試験管に混ぜて陽性反応が出ないかどうかを調べる。1人でも感染者がいれば、その10人全員が「陽性の疑いあり」とされる。最近の感染拡大をうけ、北京では「陽性の疑いあり」という結果が続出している。自分で抗原検査のキットを入手して陰性を証明できても、PCR検査にのみ対応する北京の専用アプリには検査記録として反映できない。

北京の飲食店や室内体育施設に入る際は、48時間以内に受けた陰性証明を示さなければならない規制が残る。政府が7日に発表した緩和策は「老人福祉施設、医療機関、幼稚園・保育園、小中学校など特殊な場所を除き、PCR陰性証明などの提示を求めない」とし、上海は飲食店や娯楽施設での提示義務を撤廃したが、北京はあくまで例外のようだ。

政府関係者は「政治の中心である北京は特別だから規制が厳しいのは仕方がない」と語るが、感染拡大で限界を迎えるPCRの一括検査と陰性証明の提示義務の矛盾は明らかだ。客が外食したくてもできず、飲食店も客を受け入れたくても受け入れられない。政策の矛盾が現場に混乱をもたらす。
外国人記者にPCR検査義務付け

省をまたぐ国内移動でも、緩和策をめぐる不透明さが残る。

李克強(リー・クォーチャン)首相が9日、中国中部の安徽省黄山市で世界銀行や国際通貨基金(IMF)など6つの国際機関トップと共同で記者会見した。10人超の外国人記者が会見に参加するため、当局の指示に従って北京から同じ高速鉄道に乗り、現地の指定ホテルに到着した8日夜と9日朝に1人ずつPCR検査を受けた。「10条措置」に明記されている「省をまたいで移動する人に対してPCR検査の陰性証明などを調べず、到達地での検査も行わない」との内容とは食い違う。首相ら要人が出席するため当局が過剰に反応したとみられるが、PCR検査で陽性反応が出た記者は記者会見への出席が認められず、さらに現地での隔離を義務付けられた。

ゼロコロナ緩和に伴う混乱は今後も起こりうる。「10条措置」では「必要に応じて抗原検査を実施してよい」とした。感染拡大でPCR検査が追いつかないほか、大規模なPCR検査が地方財政の負担になっていることを考慮して抗原検査も選択肢に加えたとみられる。とはいえ緩和に伴う感染拡大で抗原検査薬も品不足に陥り、オンラインショップでは入荷待ちの状況が続く。
春節で地方に感染拡大の懸念

感染者の隔離などゼロコロナ政策の具体的な実行は、中国共産党の末端組織で日本の町内会に相当する「社区」が担う。緩和策の発表前は、10人分をまとめたPCR検査で「陽性の疑いあり」となれば、すぐに社区から追加検査などの要請があった。社区によって対応は異なるが、緩和後はPCRの一括検査で「陽性の疑いあり」となっても1人ずつのPCR検査はおろか抗原検査による再確認すら求めない地区もある。

約3週間後の来年1月7日には鉄道など交通機関が春節(旧正月)向けに特別対応を取る「春運」が始まる。春節を実家で過ごすため大都市から実家に帰省する旅客数が増える時期だ。過去2年の春節は感染拡大を抑えるため政府が帰省や旅行の自粛を呼びかけていたため、2023年の春節は久々に里帰りする人も多いとみられる。大都市の感染拡大が医療資源が乏しい地方都市や農村に広がる可能性がある。政府は高齢者のワクチン接種を促すなど対応を急ぐが、春節以降に新たな混乱が生じる懸念は拭えない。
ニューズレター
多様な観点からニュースを考える

※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

花村遼のアバター
花村遼
アーサー・ディ・リトル・ジャパン パートナー
コメントメニュー

今後の展望

2年前にはコロナの優等性とされていた国々で付けが回ってきています。これまでゼロコロナ政策を敷いてきた反動で、多くの国民は新型コロナの免疫がなく、春節では感染爆発が起こる可能性が出てきました。これまで多くの先進国では、ワクチンと自然感染による免疫獲得で結果的に重症化率を低くコントロールしてきましたが、どちらも機能していない中国では、最新の変異株(初期の株よりはそれ自体の毒性が強い)での重症化率が思いのほか高くなる可能性が出ています。結局、ハンマー&ダンスで、規制を緩めることと強めることを繰り返してきた国が、死亡者数を低く抑えられ、長い目で見ると成功だったと言えるのでしょう。
2022年12月19日 7:57
柯 隆のアバター
柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
コメントメニュー

ひとこと解説

ゼロコロナ政策を転換してよかったが、ウィズコロナにするには、有効なワクチン接種が前提である。効果が低い国産ワクチンの接種を固執している現状では、各々の人はウィルスの前で判決を待つ犯人のような気分。体的に自信のある人なら、とくに問題がないが、高齢者と持病のある人は死刑の宣告を待っているもの。一日も早く外国から有効なワクチンを輸入して大規模接種を行ってほしい
2022年12月19日 8:20
川島真のアバター
川島真
東京大学大学院総合文化研究科 教授
コメントメニュー

分析・考察

中国はもはやワクチンにも頼らない、感染拡大を事実上容認することで集団免疫を獲得し、2023年3月の全国人民代表大会までに事態を落ち着かせようとしているものと思える。しかし、感染拡大に伴って感染者は病院に押しかけ、少なからず死者もでるであろう。特に1月中下旬に春節が来ることから、一層の混乱が予測できる。元々、ゼロコロナ政策はワクチンの問題と医療体制の不備が背景にあった。その背景は今も変わらない。ゼロコロナでなければ、なんでもありというわけにもいかないであろう。医療体制を可能な限り整備するか、重病者を選別して治療する体制を作るのか、問題は次の段階に移ったということである。
2022年12月19日 7:31 』

北朝鮮「偵察衛星の実験」主張 18日の弾道ミサイル

北朝鮮「偵察衛星の実験」主張 18日の弾道ミサイル
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM1907P0Z11C22A2000000/

『【ソウル=甲原潤之介】北朝鮮の朝鮮中央通信は19日、国家宇宙開発局が18日に偵察衛星開発のための試験をしたと報じた。試験装置を運搬体に搭載し高度500キロメートルまで発射したと伝えた。日韓の防衛当局が18日に発表した弾道ミサイルの発射を指すとみられる。

撮影や伝送の能力を確かめる目的で、北西部東倉里(トンチャンリ)の西海衛星発射場から打ち上げたと説明した。「2023年4月までに軍事偵察衛星1号機の準備を終える」とした。

19日付の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は記事とともに韓国・ソウルの上空写真などを掲載した。偵察衛星の能力を主張する狙いがあるとみられる。

韓国軍は18日に発射したのは「準中距離弾道ミサイル」だったと推定している。北朝鮮は2~3月に弾道ミサイルを発射した際も偵察衛星の実験と主張した。この時は日米韓は大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発に関連した試験だったと分析した。

人工衛星を打ち上げるためのロケットと長距離弾道ミサイルの飛行制御には共通の技術を使うとされる。

北朝鮮は21年に固体燃料を使った新型ICBMの開発をめざす方針を示している。従来の液体燃料型より迅速な発射が可能になる。衛星開発を前面に出しながら、固体燃料を使った中長距離ミサイルの開発を進める恐れがある。

【関連記事】

・北朝鮮弾道ミサイル、日本射程の新型か 反撃能力を威嚇
・北朝鮮が弾道ミサイル2発発射、EEZ外に落下 防衛省

北朝鮮

金正恩(キム・ジョンウン)総書記のもと、ミサイル発射や核開発などをすすめる北朝鮮。日本・アメリカ・韓国との対立など北朝鮮問題に関する最新のニュースをお届けします。

北朝鮮「偵察衛星の実験」主張 18日の弾道ミサイル(8:57)
北朝鮮弾道ミサイル、日本射程の新型か 反撃能力を威嚇(18日 19:45)』

米国、中国の経済圧力抑止へ連携 同盟国と

米国、中国の経済圧力抑止へ連携 同盟国と
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN08EKQ0Y2A201C2000000/

『【ワシントン=飛田臨太郎】米政府・議会は日本や欧州連合(EU)など同盟国・地域と協力し、中国による経済的な威圧行為の抑止策を検討する。中国は巨大な経済力を外交の武器に利用する動きを鮮明にしている。同盟国・地域が足並みをそろえて中国に圧力をかけて、中国が対立する国に経済規制を課すのを阻止することを狙う。

米議会の上院・下院で可決した国防権限法案に新たな政策を盛り込んだ。近くバイデン大統領が署名し成立する。成立後半年以内に米政府内に省庁横断の専門組織を設け、同1年以内に報告書の素案をまとめるよう政府に義務付ける。

専門組織は国家安全保障会議(NSC)や国家経済会議(NEC)のメンバーを中心に構成する。日本やEUなどの同盟国・地域と協議しながら戦略を練ると定める。中国の動向をにらみながら毎年、更新し3年後に最終案をまとめる。

中国は巨大な経済力をてこに、対立する国に対して貿易を制限するなどの方法で威圧する動きを強めている。新型コロナウイルス問題などで関係が悪化したオーストラリアにはワインや石炭などの関税引き上げや輸入制限を行った。台湾と関係を強化したリトアニアには輸入制限をかけた。日本にも過去にレアアースの輸出を止めて揺さぶりをかけた経緯がある。

経済的威圧には各国で協力して対峙するのが有効だ。巨大な経済力に1カ国では太刀打ちできなくても、多国間連携の枠組みがあれば対応しやすい。

例えば、中国が特定の国に制裁関税の引き上げをちらつかせた場合、米国を中心に同盟国が一致して対抗措置を打ち出すと事前に具体案を公表していれば、中国は手を出しづらくなる。

米国には多国間で協力する仕組みを前面に打ち出すことで、東南アジアなど中国の圧力にさらされやすい国々を米欧日の陣営にひきつける狙いもある。バイデン政権は米中関係を民主主義と権威主義の「体制間競争」と位置づけ、仲間を増やす努力を進めている。

新しく立ち上げる専門組織は、米企業からも要望を聞き取る。中国の経済政策による産業界への影響を分析・評価する。

米産業界からはバイデン政権の対中政策によって経営環境が不利になっているとの不満がくすぶる。10月から導入した先端半導体の技術や装置をめぐる禁輸措置は米国だけが先行した。「日本やオランダの企業にビジネスチャンスを奪われている」として早期追随を要求している。

米国には定期的に対中経済政策について意見を交わす組織があれば、同盟国と足並みをそろえやすくなるとの期待もある。中国との経済関係が深いドイツや日本には圧力が増す可能性がある。

ロシアのウクライナ侵攻を受け、日米欧はエネルギーなどの制裁を講じた。戦争が長期化するなかで、ロシアが苦戦する要因となっている。安全保障は軍事面に加え経済面も大きな影響力を持つとの認識が改めて広がった。

国防権限法案には米国政府が中国製品の調達を禁じる規制も入った。長江存儲科技(長江メモリー・テクノロジーズ、YMTC)や中芯国際集成電路製造(SMIC)、長鑫存儲技術(CXMT)の3社の製品・サービスを購入できなくする。華為技術(ファーウェイ)や中興通訊(ZTE)などは既に禁止している。

米当局は現時点で新しい規制内容の詳細は示していない。日本企業が米政府と取引する場合、サプライチェーン(供給網)の一部であっても対象の中国企業の製品・サービスが組み込まれることを禁じる可能性も残る。この場合、供給網をくまなく検証する必要があり、大きな手間が生じる懸念がある。

【関連記事】

・中国YMTCなど30社超を禁輸リスト 米商務省が発表
・「半導体戦争」、10年かけて中国抑止 米連合の結束が要
・米半導体輸出規制、中国がWTO提訴 日蘭は米追随協議
・米政府高官、対中半導体規制「日本やオランダと協議」

この記事の英文をNikkei Asiaで読む
Nikkei Asia https://asia.nikkei.com/Politics/International-relations/US-China-tensions/U.S.-sees-China-as-economic-bully-seeks-united-front-with-allies 

ニューズレター https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?n_cid=DSREA_newslettertop 

多様な観点からニュースを考える

※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

柯 隆のアバター
柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
コメントメニュー

ひとこと解説

人類が一番愚かなのは互いに助け合えば、とても平和な社会になるのに、絶えず無意味の戦いを続ける。グローバル時代において国益とは何かをあらためて再考する必要がある。国益のために、気に入らない相手国にレアアースを供給しない経済圧力政策はたちまち自分にも跳ね返ってくる。国際紛争を解決するのに、一番重要なのは外交努力である。むろん、戦争犯罪に対しては、外交努力だけでは不十分で制裁も選択肢の一つ。現状をみれば、国際社会はますます不安定化すると思わざるを得ない
2022年12月19日 8:28

白井さゆりのアバター
白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
コメントメニュー

ひとこと解説

米国は中国中心のグローバルサプライチェーンを再構築しようとしているようだ。現在でも米国の輸入の最大相手国は中国で、完全なデカップリングを目的としているのではなく、戦略的にも将来的にも重要になる半導体や気候変動関連のクリーンエネおよび関連する鉱物資源をできるだけ信頼できる国地域で再構築する計画のようだ。欧州もほぼ同様な考えで政策を進めようとしている。これまでは低価格で効率的な貿易ネットワークに日本も世界も依存してきたが、米国の強いイニシアチブで戦略的分野では構造変化がみられそうだ。日本企業にとっても新しい成長機会が生まれる可能性がある。ただ米国は自国中心主義の姿勢があるところがやや懸念される。
2022年12月19日 8:03 』