スロバキア外相が言及した第二次大戦前夜と英仏の宥和策

北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:スロバキア外相が言及した第二次大戦前夜と英仏の宥和策
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『2022年12月8日、キーウを訪問したカーチェル・スロバキア外相Slovak Minister of Foreign and European Affairs Rastislav Káčer:写真左 は、クレーバ宇外相Ukrainian Foreign Minister Dmytro Kulebaとの共同記者会見時に、ウクライナは歴史の教訓をよく学んでいるとしつつ、現在ロシアとの協議(宥和)を求める人々に対し、ヒトラーとの合意が当時のチェコスロバキアの破壊と第二次世界大戦の開戦をもたらしたことを喚起した。

今も『私たちは平和を求めている、私たちは協議に賛成だ』と話している人々に対して、『それはヒトラーとの間ですでに経験したこと、かつて誰かが私たちの後ろで行おうとしていたことだ』と述べ、それが当時のチェコスロバキアの破壊と1939年勃発の第二次世界大戦、何千万人の人々の喪失をもたらしたことを知っていると強調した。参照記事 以下はその歴史経緯

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1938年にオーストリア併合したヒトラーのナチス=ドイツは、同年チェコの一地方であるズデーテン地方にドイツ系住民が多数を占めることを理由に、その地方の割譲をチェコ政府に迫った。この問題で1938年9月29日にミュンヘン会議(ミュンヘン協定):左 が開催されることとなったが、チェコスロヴァキア政府の首相ベネシュは参加が認められなかった。チェコスロヴァキア政府は英仏がドイツの要求を拒否することに期待をつないだが、宥和政策を採るイギリスのネヴィル=チェンバレン首相Neville Chamberlainはドイツの要求をのみ、ズデーテン割譲を認めてしまい、チェコスロヴァキア解体の第一歩がはじまることとなった。images

後にチャーチル 首相Winston Churchillは、チェンバレンによる宥和政策は、「ドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与えた」と非難した。

、、、この経過は、プーチンが、クリミア、ウクライナ東部にはロシア系住民が多く住むからロシアへ帰属させろと言い、強引にクリミアへ侵攻しロシアへ併合したのと瓜二つで、ミュンヘン協定は、筆者もプーチンの時価稼ぎと指摘したミンスク合意を彷彿とさせる。

1-3当時ヒトラーは、英仏がナチスードイツに恐怖して宥和策を取った事で調子づき、ポーランドへも一部領土のドイツへの割譲を要求した。

当時ソ連のスターリンJoseph Stalinは日本との軍事衝突であるノモンハン事件(1939年5月)があったので、東方進出を目論むドイツと戦端を開くことは不利と考えヒトラーと急接近し、1939年8月、独ソ不可侵条約を締結、世界を驚かせた。結局それはヒトラーに行動の自由を与えることとなり、同年9月1日、ドイツ・ソ連は東西からポーランドに侵攻し、両国は不可侵条約20220428ds12_p(秘密協定)に沿ってポーランドを2分し占領し、互いに防衛ラインを設定した。

これを機に第二次世界大戦が勃発し、ヒトラーはさらにフィンランドを狙う。その後ヒトラーは1941年6月22日に独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)して独ソ戦が始まった。参照記事 参照記事

、、、、仮にプーチンがヒトラーの東進を教科書にしているなら、プーチンにとって条約や合意など何の意味も持たない物だろう。

スパイとは、裏を掻くのが信条だから、、。img_3e4be49ac305ed2e911fee62dec2281e66772

外交が駆け引きで、先が読めない中で難しいことは分かる。その結果、仏マクロン大統領のように、ウクライナを支援しながら「ロシアの安全保障も考慮しなければならない」と、一見矛盾した発言が出てくる。

しかし、すでに国連でロシアを「テロ国家」と認定した今、ウクライナ支援の足並みを乱すような、彼の個人的政治信条とも思える発言はしない方が賢明だろうと思うのだが、、。

個人的には、今回のロシア侵攻前後、マクロン氏が交渉にこだわった事で、重要な時期にプーチンに時間稼ぎをされ、彼を通じて西側のまとまりの無さが筒抜けだったと見ている。彼はその後態度を変えたが、筆者から見て、すでにイエローカード1枚なのだ。 参照記事 』