“プーチンのロシア” 社会にはびこる病は“無関心”

“プーチンのロシア” 社会にはびこる病は“無関心”
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/12/09/27883.html

『「戦争を防ぐことができなかったわれわれは受賞に値する団体なのか」

ことしのノーベル平和賞に選ばれたロシアの人権団体「メモリアル」の幹部はこう語り、複雑な胸の内を明かしました。

ソビエト時代に創設され、一貫して人権侵害の監視に取り組んできた「メモリアル」。2000年のプーチン政権発足後のロシア社会をどう見てきたのか。ウクライナ侵攻後のロシアはどうなっているのか。話を聞きました。

ロシアの人権団体「メモリアル」とは

「メモリアル」はソビエト時代の1987年に創設され、政権による政治弾圧を記録するなど人権侵害の監視に取り組んできました。

ノーベル平和賞の受賞が決まり取材に応じる「メモリアル」のメンバー(2022年10月)

2016年にはプーチン政権からスパイを意味する「外国の代理人」に指定されます。

そして2021年12月。ウクライナへの軍事侵攻直前に、外国の団体から資金を得て活動しているなどとしてロシアの最高裁判所から解散を命じる判決を言い渡されました。

侵攻後の2022年3月には治安機関による事務所の捜索まで行われたという人権団体「メモリアル」。

その幹部オレグ・オルロフ氏がNHKのインタビューに応じました。

※以下、「メモリアル」の幹部オレグ・オルロフ氏の話

「われわれは受賞に値するのか」

ノーベル平和賞が私たちに授与されることを知ったとき、私たちはこれが本当に起こったことなのか驚き、信じられない思いでした。その日の朝、私はもて遊ばれているのではないかとさえ思いましたが、その後、喜びと感謝の気持ちが起こりました。

「メモリアル」オレグ・オルロフ氏

なんとも不思議な感覚でした。ご存じのように、恐ろしく、残酷で、血なまぐさい戦争が行われているときに私たちは平和賞を受賞することになりました。私たちを含むロシアの市民団体はこの戦争を防ぐことができませんでした。

私たちは平和賞に値する団体なのでしょうか。その問いへの答えはまだ出ていませんが、私と私の同僚にとってこれは非常に重要な賞です。いまの非常に厳しい状況において強力な精神的な支えであり、私たちが仕事を続けるための励みになります。

2000年のプーチン政権発足後のロシア社会とは?

ロシアでは2000年代に入り徐々に言論の自由が破壊されロシア国営テレビだけが「現実」を作っていきました。

当局によって人々は「自分たちは何も達成できない」と吹き込まれていきました。「自分の世界にいなさい」と言うのが当局の仕事でした。そして彼らはそれを達成しました。

ロシア プーチン大統領

もちろん、非常に活動的で社会で起こっていることにすぐに反応することのできる人たちはまだ残っていますが少ないです。大多数は自分の無力さを学び、その無力さのために自分自身に関係すること以外は何も興味がわかなくなっています。

それは大きな悲劇でロシア社会の病気だと言えるでしょう。

人々は自分の狭い境界の外で何かをすることは非常に危険であるという“恐怖”を植え付けられています。当局を批判することは非常に危険です。

確かに政治的抑圧があります。スターリン下のようなものではなく、社会を威嚇するために特別に作られた広く選択的な抑圧です。

人々はジャーナリストや社会学者、特に外国のジャーナリストと話すことを恐れています。あなたと話すことで自分自身を危険にさらすよりも「私は何も知りません。興味がありません」と言って引っ込むほうがよいのです。

抑圧に対する抵抗はなかったのか?

2000年以降、人権に対する攻撃は絶え間なくありましたが、2011年から2012年にかけてプーチン氏の権力復帰に対する不満から人々がこれに抵抗するといううねりがありました。社会活動の急増、抗議行動の急増、社会が憤慨し巨大な抗議行動が起こりましたが、過酷な法律、人々の投獄、政治的プロセスによって抑え込まれました。

2011年 モスクワで行われた大規模集会

社会に示されたのは「干渉するな。危険だ。罰するぞ」ということです。

人権に対する攻撃は強力な時、ゆっくりとした時、後退したこともあり、状況にわずかな改善があった瞬間もいくつかありました。それと同時に市民社会への攻撃もありました。それは時期によってさまざまな形を取りました。

もう22年がたちます。22年の間にロシアの社会は徐々に劣化していったのです。

ウクライナ侵攻後のロシアはどうなっているのか?

侵攻直後の2月には反戦運動が盛り上がり非常に強力な抗議が行われました。多くの都市で人々が街頭に繰り出し有名な文化人たちの抗議の手紙が集まりました。戦争反対の請願書には100万を超える署名が集まりました。このようなことが集中して起こりました。そして、私の記憶ではこれが市民の抗議活動の最後のうねりでした。

抗議デモ参加者を連行するロシアの警察(モスクワ・2022年9月)

その後の苛酷な法律、人々の投獄、巨額の罰金。これらのことで市民社会は怯えてしまいました。

公に戦争反対と言うだけで少なくとも巨額の罰金が待っています。もしくは数日間、15日、30日ほど拘束されます。そして次の段階では実際に刑務所に収容されてしまいます。何年にもわたって収監されるのです。言葉だけで。おわかりいただけますか。そのような法律が多く施行されました。そして今も施行され続けています。

ロシアではかなり大規模な出国、国外への出国が始まりました。まず出国するのは抗議活動の中心となる人たちです。若く、活発で、思慮深い人たち。これはロシアに対するプーチン大統領の恐ろしい犯罪です。ロシアが、自国の将来のための人材を失っているのはとてもひどいことです。

なぜ「メモリアル」は解散させられたのか?

もし「メモリアル」が合法的に存在し続けたなら反戦運動のプラットフォームになることは明らかでした。そのためウクライナへの軍事侵攻前に社会運動の場を排除しようとしたのだと思います。

われわれはこの国の抑圧された歴史と向き合い人権問題に取り組んできましたが、治安当局はそれを非常に嫌い、いらだっていました。

当局にとって歴史とは政治の“ツール”にすぎません。彼らがそこで考えだそうとしているのはウクライナに関する歴史的研究のようなもので「ウクライナという国は存在せず、そのような民族は存在しない」というようなたぐいのことです。彼らにとって歴史とはそのような“ツール”なのです。

解散の判決を下したロシア最高裁法廷(2021年12月・モスクワ)

私たちが歴史について敬意を持って話し、真剣な社会調査を行い、ロシアという国の犯罪行為について思い出させるとき、彼らはそれが気に入らないのです。

彼らは私たちが人権問題を扱っているということも同じくらい気に入っていません。私たちは現在ロシアにいる政治犯のリストを公開しています。すべての人について説明し、これが政治的迫害であることを証明しています。彼らにはこれらすべてがとても気に入らないのです。

プーチン大統領は、もし、ロシアでの世論や、市民社会、反体制派を抑えることができなかったならば、おそらく、この戦争を始める危険を冒さなかったでしょう。

今後の活動はどうするのか?

私たちが解散させられたとき、法廷でもはっきりと話しました。

特定の団体、法人を解散することはできても、人々の共同体としての「メモリアル」を解散させることはできません。

私たちは活動していますし、活動していきます。解散させられましたが、活動しているのです。自宅で、他の方法で、半地下で、地下で、引き続き活動していきます。

そして、外国に行った私の同僚たち、かなりの数が去りましたが、彼らは助かるために去ったのではありません。彼らはみな国外で活動するために去ったのです。ここでそれができないなら、国のためにその地で活動します。

私たちはみな仕事を続けています。アーカイブとライブラリの両方を保存するよう努めており、保存できると思います。そして今も人権を守り続けています。
「メモリアル」の資料室(2021年12月撮影)

私たちができることは働き続けることです。私たちにとって重要なことは何があっても活動をやめず、仕事を続けることなのです。』