管理社会は、共産国家特有の現象ではない。 : 机上空間
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/30320875.html
※ 今日は、こんな所で…。
『私は、このブログで、武漢肺炎を発端にした、中国共産党が目指す、高度な管理社会について、いろいろと批判気味に書いてきました。健康バーコードを利用して、都合の悪い人間を強制隔離したり、監視カメラの顔認証システムと紐づいた、個人単位の社会信用システムの活用。デジタル人民元の普及による、個人の資産や購買履歴を丸裸にする試み。特に、社会信用システムで、中国政府が共産党にとって、有用か害かを点数で評価する「信用スコア」は、点数が悪化すれば、その個人は、公共サービスから排除される事で、一生に渡って不利益を被る事になります。例えば、公職から排除。高速鉄道や飛行機での移動禁止。親族の大学進学の取り消し。現在の職から失職。特定の場所への出入りの禁止。共産党にとって、危険分子である人間が、社会に影響を及ぼす手段を排除する事で、将来のトラブルの芽を摘むわけです。そして、立ち寄った場所などの履歴から、反共産党的な集会などに参加していれば、その組織ごと壊滅させる事を狙っています。
とても判り易い例で言うと、冬季・北京オリンピックが開催された時に、人民に交通信号を遵守させる為に行った事例があります。横断歩道で信号を無視すると、近くに設置された大型のモニターに、その人間の個人情報と、顔写真が表示されて、「この人物は、信号を無視しました」と表示されるのですね。そういう罰則を即時に与える事で、交通信号を遵守する習慣を強制的に定着させたのです。全人民の個人情報を管理し、監視カメラの顔認証システムと紐づいているからこそできる事です。
中国共産党の監視社会は、国の治安の安定をかけたガチのシステムなので、欧米の基準では考えられない程に個人のプライバシーに踏み込みます。独裁政権下では、それが許されるのです。
では、民主主義社会では、そのような事が起きないかと言えば、実は人間社会を管理する方法論というのは、思想ごときでは左右されなかったりします。形と程度は違えど、中国のような監視社会というのは、別の必要性から結果として似たような制度として出てきます。このブログの以前の投稿でも、数回取り上げましたが、ロシアとアメリカというのは、まったく社会体制の違う国として認識されていますが、社会に起きている個々の現象を観察すると、原因は違えど、双子のように似ています。つまり、問題に対応する人間の行動・想像力というのは、思想ごときでは変えられないくらい、限界があり、起きている現象だけ見れば、似ているというわけです。
では、アメリカで起きている監視社会制度とは何かと言うと、城塞街と呼ばれる、そこに住むには、一定額以上の年収を得ている富裕層しか許されない、常に警備員と周囲を取り囲む高いフェンスに守られた住宅区画全体が城塞と化した街です。城塞街が出来た原因は、アメリカの全体的な治安の悪化・犯罪の増加です。その為、街の区画全体を高いフェンスで囲み、24時間、専属の警備員が、区画に出入りする人間を監視して治安を保証する住宅地が、全米各地に出現しています。
行政が市民に押し付けたわけではないですが、セキュリティーに多額の出費を容認できる富裕層が、自らの判断で、外界と仕切られた治安の良い区画を作り出し、その中で生活を始めたのです。人によっては、プライベート・ジェットを持っていて、区画内にある飛行場から、出勤する人もいます。つまり、犯罪が存在する外界と、一切の接触なしに生活ができるわけです。
さて、ここまで裕福ではないが、上級階層に属する市民は、市の行政を乗っ取って、自分達で管理する事を始めています。そこそこ上流の人にとって、必要の無い公共サービスというのが存在します。例えば、図書館・公民館・公立病院・・・。上流の人にとって、教育も治療も、プライベートな出費で賄えます。それよりも、重要なのは、自分の財産を犯罪から守る為の警察力です。その為、そこに住む市民全体の福祉を考える市から独立して、自治管理をする新しい行政区画として独立し、そうした福祉の予算配分を思いっきり減らして、警察も民営化する事で効率化し、自分達に住みよい環境を作るというブームが起きています。
こういう行政が行われると、収入の低い層にとって、その行政区画自体が、とても住みにくくなります。安く利用できる施設が閉鎖されたり、貧民向けの救済サービスが廃止されるからです。それに頼る必要の無い、上流層にとって、そういう支出は無駄に過ぎません。結果として、低所得者が区画からの転出を余儀なくされ、残った上級市民にとっては、治安の良い街が自動的に実現できるという仕組みです。治安が良くなれば、その区画の地価も上がり、再開発も進むでしょうから、二度と戻ってこれなくなります。
国家が問答無用で人民に押し付ける監視と、市民が自由意志で創り上げた監視とでは、根本的な意味合いが違いますが、結果で見ると、その気持ち悪さは、とても似ています。アメリカでも、自身の財産と生命を守るという名分の元に、緩やかな個人の監視と、市民の選別が始まっているのです。』