10日間で「白紙革命」を鎮圧せよ 習近平氏が恐れる悪夢

10日間で「白紙革命」を鎮圧せよ 習近平氏が恐れる悪夢
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD230O70T21C22A1000000/

 ※ なるほど…。

 ※ 「人権」、とりわけ「世界人権デー(12月10日)」は、中国にとっての「鬼門」なんだな…。

『何も書いていないA4の白紙を皆が手に持って高く掲げる「白紙革命」「白紙運動」が、中国共産党大会の最高指導部人事で完勝したばかりの極権・習近平(党総書記・国家主席=シー・ジンピン、69)を直撃している。

新型コロナウイルスを徹底して封じ込める「ゼロコロナ」政策の撤廃要求が主眼だ。だが、上海や北京では「独裁者を罷免せよ」「続投に反対する」と習近平辞任を求めるスローガンまで公然と叫ばれている。2012年の習指導部の発足以来、最大の危機であるのは間違いない。

27日、北京の清華大学で抗議デモに参加する学生ら=ロイター
上海市トップに就いた清華大学校長経験者の陳吉寧氏=共同

習の母校である北京の名門、清華大学でも抗議する学生集会が開かれたのは注目に値する。15年まで清華大校長だった陳吉寧(58)は今回、党政治局入りした。さらに次期首相として有力な李強(リー・チャン、63)の後任として、上海トップに抜てきされた。清華大での抗議は、肩で風切る「清華閥」のメンツに関わる事態だ。

北京の大学生が故郷に帰るバスを手配

事態の深刻さを意識した当局は、清華大など北京市内にある大学宿舎に住む学生らが自分の故郷に帰るためのバスを手配し始めた。学内で発生したコロナへの対策が理由だが、事実上、学生が学内や北京の街頭での抗議活動に参加するのを阻止する措置であるのは間違いない。当面、対面での授業ができない可能性もある。大ごとだ。

これは、1989年6月4日、民主化を求める学生運動の武力弾圧で多数が犠牲になった天安門事件の頃、当局がとった北京の学生を田舎に強制的に帰す対応に似ている。33年ぶりとなるデモ対策としての大々的な措置からは、習政権が学生の動きに神経をとがらせている様子が手に取るようにわかる。

反ゼロコロナ運動はたった数日間であっという間に各地に広がった。中国当局がよく宣伝に使う「外国勢力の介入」などありえない。学生らは、後に責任を問われないように、様々な創意工夫を凝らす。暗闇で白紙を掲げ、それで顔を隠す。習への辞任要求は声だけで、個人を特定されないよう細心の注意を払っている。

目立つ女性、宇宙方程式まで

レベルの高い理系学生の一部は、白紙の代わりに、自らが学ぶ標準ビッグバンモデルの宇宙膨張に関する「フリードマンの方程式」を書いた紙を掲げた。英語表記が、フリーダム(自由)に近いからだという。「上に政策あれば、下に対策あり」。まさに共産党の独裁政権下での学生運動を象徴するエピソードである。

北京市内で白紙を掲げる抗議者ら(27日)=AP

清華大での抗議活動のように男子学生よりも、女子学生がより積極的に正論を吐く様子からは、中国社会の大きな変化も感じられる。3期目入りした習指導部の24人の政治局委員から女性が消滅した時代錯誤の人事とは対照的だ。

「『白紙革命』は、あと10日間で断固、阻止する。(共産党上層部は)世界人権デー(中国語表記は世界人権日)の12月10日に向けて最大級の警戒態勢を敷いている。上層部内に異なる意見はないし、今後も割れない。それが、あの大きな事件との違いだ」

10月13日、北京市内の高架橋に掲げられた抗議の横断幕と立ち上る黒煙=ロイター・共同

内情を知る立場にある人物によれば、党上層部は白紙革命の「鎮圧」に自信を示しているという。これとは別の共産党上層部の周辺からは「党の末端での執政能力、危機コントロール能力をみくびらないほうがよい」という声も聞こえてくる。

「鎮圧」の手法は、力任せの拘束など暴力的なものだけではない。得意のビッグデータを駆使した危険人物の特定、追跡、制御といった危機管理も含まれる。これは19年の香港デモ後の運動家弾圧にも用いられた。

今回の全国的な抗議活動の伏線は、党大会直前の10月13日、たった1人の勇気ある人物の行動だ。学生も多い北京・四通橋に「ゼロコロナは要らない、飯をくわせろ」「領袖は要らない、選挙が必要だ」「奴隷にはならない、公民になる」などと書いた横断幕が掲げられた。極権に至った習体制下の政治問題全てを突いたのが特徴だ。

このうち感染者が出た地域を丸ごと封鎖する人権無視、非人間的な政策は既に限界にきていた。党大会の戒厳状態が緩んだ後、人々の怒りが爆発するのに時間はかからなかった。
不満はまず中国経済を支えてきた外資の工場で爆発した。河南省鄭州にある台湾企業の世界最大級のiPhone(アイフォーン)組み立て工場で、ゼロコロナも絡む待遇問題から抗議活動が起きた。

続いて11月24日、新疆ウイグル自治区ウルムチで10人が死亡したとされる火災が発生。交流サイト(SNS)で「都市封鎖の影響から消火活動が遅れた」との情報が拡散し、抗議活動が勃発する。

デモは形を変えながら燎原(りょうげん)の火のごとく広がり、上海や北京に波及する。落書き、小規模なもみ合いを含めれば、抗議活動がない大都市を探すのが困難なくらいだ。
方励之から劉暁波「08憲章」まで

当局が警戒する世界人権デーに関わる大事件とは、1989年の天安門事件そのものではない。その3年前だった86年12月の世界人権デー前後に盛り上がった学生運動を巡る政治的な闘いである。

安徽省の中国科学技術大学の副学長だった物理学者、方励之による民主化提唱がきっかけになった学生運動は、内陸部の安徽省から上海、北京にまで極めて短期間で波及した。今回、新疆での事件が上海、北京に伝播(でんぱ)した流れに似ている。

86年民主化運動では「対処の甘さ」を問われた当時の党総書記、胡耀邦が87年1月に解任された。大事件の裏には、新旧交代を主導した胡耀邦を陥れようとする長老らと、胡耀邦を重用してきた当時の最高実力者、鄧小平が絡む複雑な権力闘争があった。

86~87年の政治劇には、くしくも習の父で、長老の1人だった習仲勲も大きな役割を果たした。鄧小平が最終決断を下した胡耀邦の解任に、習仲勲が体を張って抵抗したのである。

党内闘争は89年の天安門事件で一層、深刻化する。胡耀邦の解任後、鄧小平によって総書記に抜てきされた趙紫陽が学生運動に同情する姿勢を示し、党内分裂の様相を呈する。

48年12月10日、国連総会での世界人権宣言採択を記念する世界人権デーに関しては、中国で後にもう一つ、事件が加わった。2008年の人権宣言採択60周年に合わせて、劉暁波や人権活動家らが用意した「08憲章」の発表日として選ばれたのだ。

2年後、劉暁波は、栄えあるノーベル平和賞を受賞する。だが、獄中にあり、授賞式には出席できなかった。式典での空席の椅子は、中国の人権状況の深刻さの象徴として歴史に刻まれた。劉暁波は拘束されたまま「獄死」した。

今回の反ゼロコロナ運動は、突然の封鎖措置で身動きがとれなくなる基本的人権の問題のほか、民生、経済も関係が深いだけに、学生ばかりではなく、多くの一般人も加わった。対処は極めて難しい。

問題は1989年以降の33年間、当局が、場所を問わず中国各地で起きる本格的な大規模デモに直面した経験がないことだ。例えば2012年9月、今回と同じ北京市朝陽区で行われた大規模反日デモは、基本的に当局シナリオに沿った「官製デモ」にすぎなかった。
「日本を中国の1つの省(地方)として領土化せよ」という過激なスローガンまで出た反日デモ(2012年9月、北京で)

一部、参加者は当局に雇われていた。北京近郊の農村地帯からバスに乗せられて動員されたのだ。日当は50元(当時のレートで620円)ほどで、昼食用の弁当も支給されたという。

隊列後部には、朝陽区政府の関係者が付き沿い、ペットボトルのミネラルウオーターを配るほどの気遣いを見せた。北京市内の大学の学生らが、集団で参加することは許されなかった。当局は、コントロール不能になることを恐れた。

今回も抗議活動の集団の中にひそかに当局関係者が入り込み、12年と似た手法を使う動きもあるとされる。だが、デモの矛先が向いているのは、日本や米国など外国ではなく、ゼロコロナという習政権の看板政策である。

民主化運動の歴史詰まる12月10日

コロナ対策は20年1月の初期段階から習が「自ら指揮し、自ら手配している」と公言している。そして、既に大成功を収めたという宣伝までしてしまった。ことの性質が、最高指導者の体面に直接、関わるだけに、いたずらに民衆を刺激するわけにもいかない。

習近平国家主席(2022年4月)

習政権は、中国の民主化運動の歴史が凝縮している12月10日の世界人権デーを最大限に警戒している。今後10日間には、土日の休日がある。白紙革命、白紙運動の起点となったのも土日だった。

この土日を主軸にした運動スタイルは、19年に200万人にまで膨れ上がった香港の大規模デモに似ている。 まずは、この週末から週明けにかけて、中国国内の動きがどうなるのか注視したい。ここには、北京の大学宿舎に住む学生らに対して田舎に帰るよう促す措置があったことが関係している。

ことの次第によっては、今後の習政権の寿命まで左右する重大事態に至る可能性もある。1986~89年の学生運動と連動した党内の権力闘争が裏で再燃する悪夢。それも絶対ないとは言い切れない。習は今後も長く極権を維持できるのか。世界人権デーまでの猶予は、残り10日間にすぎない。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)

1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

【関連記事】

・中国で「白い紙」掲げ抗議 若者らゼロコロナに不満
・[FT]広がるゼロコロナ抗議、習氏の「無謬神話」試練に
・[FT]ゼロコロナ政策への怒り、中国を揺るがす抗議活動 』