「Rapidus(ラピダス)」設立 日の丸半導体、復活なるか

「Rapidus(ラピダス)」設立 日の丸半導体、復活なるか
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28544

『玉村 治 (スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト)

トヨタ自動車やNTTなど国内企業主要8社が11月、人工知能(AI)、スパコンなどに使う次世代半導体の国産化を目指す新会社を設立した。かつて世界のトップを走った日本の半導体産業は、「失われた30年」と軌を一にするように凋落した。世界の冠たる技術力を誇りながら国際競争力で大きく取り残された日本。日本のモノづくり再興のけん引となるのか。過去の失敗を教訓とできるのか、今後を考える。
(Ismed Syahrul/gettyimages)

今や日本の半導体のシェアが6%となった背景

 新たな半導体製造会社は、ラテン語で「速い」を意味する「Rapidus(ラピダス)」。2社のほかにソニーグループ、NEC、ソフトバンク、キオクシアホールディングスに加え三菱UFJ銀行が参加する。

 現在、半導体の多くは、世界最大の生産拠点である台湾に依存している。有事があれば、多くの企業に甚大なる被害を与える可能性があるという、経済安全保障の観点が設立の背景にある。政府も補助金を出すなど官民一体となって支援し、さらに日米政府が連携を強化しながら、研究開発と量産を図っていく。

 果たして半導体産業の復興はなるのか。今後の日本のモノづくりの試金石となるのか、過去を振り返りながら展望したい。

 1980年代後半、バブルに沸いていた日本のモノづくりは、我が世の春のように世界を席巻した。その代表が、「産業のねじ釘」と言われた半導体だ。正式には集積回路(IC)という。

 半導体産業は、当時、世界トップを走っていた。1988年ごろの、半導体生産額世界トップ10社を見ると、NECを含め日本メーカーが名を連ね、日本のシェアは50%を超えていた。ところが、2020年時点の日本のシェアは10%にも満たない。現在は6%まで落ち込んだ。

 この間、半導体市場は4兆円(1998年)から60兆円(2020年)を超える巨大市場へと急成長した。ネット社会、デジタル社会の到来で、通信分野だけでなく、車をはじめ多くの製品に使われ、半導体需要が大きく膨らんだためだ。半導体不足が、車、電気製品の生産に影響しているように、今後も半導体市場は拡大することは間違いない。』

『しかし、日本は、この成長に大きく取り残された形だ。産業構造の変化に対応できなかった。市場が大きく変貌している様を見ずに、目先の価格競争やサプライチェーンの拡大ばかりに目を向けた。既存の製品のマイナーチェンジ、改良ばかりに目を奪われ、メモリからロジック(CPU)へと切り替わる時代の潮流をとらえることができなかったというわけだ。バブル崩壊の影響を受けて設備投資はほとんどなく、リストラなどが相次いだ。

 こうした凋落の背景を分析すると、いくつかの要因が考えられる。

凋落の教訓 日米半導体協定の足かせ

 一つ目は、米国の影響だ。1980年代半ば以降、車など日本製品が米国内でよく売れ、日米貿易摩擦が取りざたされた。日本車をハンマーで壊す映像が記憶に残る「ジャパン・バッシング」だ。

 半導体分野にも波及し、この摩擦を解消しようと1986年に締結されたのが、日米半導体協定だ。その前年には、プラザ合意で、日本からの輸入に不利な円高ドル安への為替介入が行われたが、日米半導体協定によって、日本は米製品の購入を迫られ、一方で日本製品に高い輸入関税などが課せられた。

 こうした逆境にもめげず日本は、DRAM(半導体メモリ)の製造力増強で対抗したが、90年代に入ると、米国メーカーは知的財産権への侵害を理由に、日本メーカーにジャブ攻撃を与えてきた。日本メーカーは、数千億円ともいわれる特許料を支払ったとされ、ただでさえ、バブル崩壊で屋台骨が揺らいだ日本メーカーには大きな痛手となった。

水平分業の失敗

 二つ目は、水平分業の失敗だ。日本メーカーは、半導体製品の設計から製造までを一貫して自社で行う「垂直統合」に固執した。米国では、コスト削減の観点から80年代後半、設計から製造までを一貫して行う「IDM」(Integrated Device Manufacturer)を脱皮し、工場を持たずICの設計・販売を行う「ファブレス」と、製造に特化する「ファウンドリ」という業態(水平分業)にシフトする構造改革が起きていた。

 一方、日本企業は、「せっかく工場があるのだからもったいない」というスタンスで、垂直統合を維持するため、目まぐるしく変化する半導体に合わせて設備を準備することに追われた。

 これに対し、米国で起こった構造改革の流れに乗ったのが、台湾だ。70年代から国策として半導体産業育成を目指していた台湾に87年、世界初のファウンドリとして創立されたのがTSMC(台湾積体電路製造)だ。

 テキサス・インスツルメンツ副社長だったモリス・チャン(張忠謀)が設立した。当初は、下請け的な存在だったが、アップルやグーグルと手を組むことで、今日世界をリードする世界最大のファウンドリの地位を不動のものにした。』

『部品屋脱出できず

 三つ目は、個々の部品の技術力はすごいが、それを統合して魅力的な商品(最終製品)を世に送り出せなかったことだ。端的な例がアップル社のiPhoneだ。最大iPhoneの6割近くが、日本のメーカーが作った部品なのに、それを集めてiPhoneのようなスマホを作れなかった。

 日本メーカーの状況を端的に示すのが次のエピソードだ。84年に、当時東芝の技術者だった舛岡富士夫氏は、世界で初めてNAND型フラッシュメモリを開発した。しかし、その重要性は正当に評価されず、舛岡氏は、東芝を辞し、東北大学教授に転身した。

 フラッシュメモリは、一瞬にしてデータを消すことができるところからそのように名付けられたが、舛岡氏が発明して以来、デジタルカメラや携帯電話や携帯音楽プレーヤーの主要部品となって今日に至っている。用途を見出したのも海外企業である。

 東芝でフラッシュメモリ開発に携わった元技術者の竹内健氏(現在、東京大学大学院教授)は、著書『世界で勝負する仕事術』の中で、開発したフラッシュメモリを、どう活用していくか、日米の技術者の発想、姿勢の差を以下のような趣旨で指摘している。

 「アップル社は、箱屋(部品を集めて仕上げ。セットベンダー)と呼ばれるが、技術者自らが商品の打ち合わせに参加した。『アップルに技術はない』は誤解。半導体技術を深くまで理解し、どう部品を組み合わせて活用していけば、新しい製品が作れるかを常に考えていた。メーカーに注文を出すくらい開発をリードした」という。

 一方で、「日本の顧客であるソニー、松下電器、富士写真フィルム社は、技術者でなく、部品調達の部門の人しか現れない。どんな製品を作るより、安く買うしか頭になかった」と振り返った。

 デジタルカメラからiPodの登場で、フラッシュメモリの需要は飛躍的に伸びたという。
内向き志向のままだった日の丸企業

 四つ目は、国内にばかり目を向け、海外企業と連携がなかったことだ。韓国も80年代半ばから政府の支援を受けてサムスンなどの財閥が半導体製造に乗り出した。日本と異なるのは、国内市場だけでは生き残れないと早い時期からシリコンバレーなどの海外ベンチャー企業と連携を深めていたことにある。

 その結果、サムスンは91年に世界初の「16M DRAM」を発売、翌年には「64M DRAM」の開発に成功。92年にはDRAM市場では東芝を抜いて、世界一に躍り出た。日本は、バブル崩壊で多くの技術者がリストラされ、トップ企業にいた70数人の技術者が高給待遇の技術顧問としてサムスンに移籍したのは、よく知られている。

 94年から95年にかけて、日本のNEC、東芝などはサムスンとの共同開発・製品情報の供与契約を締結。さらに96年には、通産省(当時)が「日の丸半導体」の優位性維持を狙い、コンソーシアム「半導体先端テクノロジーズ」を創設。日本メーカー以外に、サムスンの加盟を認めた。

 しかし、日本企業の動き、通産省の施策は、皮肉にもその後のサムソンの躍進の礎となった。経済安全保障の観点からは外れた施策といっても過言ではない。

 サムスンは、97年にアジアを襲った通貨危機で、巨大企業へと変貌を遂げる足がかりを得た。韓国政府は、世界通貨基金(IMF)支援の下、多くの財閥系企業を整理するとともに、倒産寸前だったサムスンらに公的資金を投入した。海外に目を向ける改革を行う一方で、サムスンは2000年代に入ると液晶ディスプレイ(LCD)事業や携帯電話事業へ本格的に投資した。

 一方、日本は迷走した。国内大手企業は、半導体事業を切り離して連携し、エルピーダメモリ、ルネサンスエレクトロニクスなどを設立した。それら〝日の丸企業体〟は度重なる経済危機によって、撤退(倒産)やリストラに見舞われた。価格と開発スピードに勝る、韓国、台湾企業との競争に敗れた形で、再び、多くの技術者が転職を余儀なくされ、海を渡った人も少なくなかった。

 サムスンは2009年薄型テレビ、半導体メモリで世界トップとなり、世界最大のIT・家電メーカーとなった。携帯電話も2位のシェアを誇り、白物家電も上位を占め、日本のお株を奪った。

 この間、日本政府は、明確な施策を打ち出せなかった。韓国、台湾だけでなく中国も大規模な補助金、減税を実施、国内産業を育成した。日本企業も、バブル崩壊による、デフレマインドが長引き、新たな投資に資金を回せなかった。』

『日本政府は本気か?

 日本凋落の背景をみると、負けるべくして負けたといえる。後出しじゃんけんで言い訳は可能だが、その時は、状況を読めなかったということだ。こうした反省を踏まえ、復興に生かすのか。

 政府は21年6月に今後のデジタル、半導体の方針をまとめた「半導体戦略」を策定した。半導体はあらゆる産業に関連し、デジタル社会を支える重要基盤であり、安全保障にも直結する死活的に重要な戦略技術と位置づけ、政府として積極的に関わっていくことを強調した。米中技術対立が深刻化し、経済安全保障の観点から半導体の国産化への宣言である。

 政府は5月に成立した経済安全保障推進法を受け、日本の経済・社会の戦略的な「特定重要物資」に半導体を盛り込んだ。その流れの中で、経済産業省は6月、TSMCとソニーグループなどが熊本県に作る工場に、最大4760億円の補助金を出すことを決めた。さらに、政府はキオクシアや米マイクロン・テクノロジーの国内工場への投資計画にも支援を表明している。

 国内生産回帰は、半導体製造能力で、米国、韓国、台湾に大きく差をつけられる中、国内で半導体を自給的に安定確保できる体制作りをする狙いがある。

 7月には、米国と半導体分野で共同研究を進めることで合意した。産業技術総合研究所、理化学研究所、東京大学などと研究開発組織を創設する。米企業はIBMなどが参画する。

 政府は、11月初旬に発表した22年度の2次補正予算案で、この日米連携を後押しする意味で、研究拠点整備に約3500億円を計上した。今回設立されたラピダスは、AI、スパコンなどに使われる、回路の線幅2ナノメートルの最先端の半導体(ロジック半導体と呼ばれる)開発を目指す。

 まだ世界でどこも成功していないもので、再び世界の主導権を握る考えだ。政府は700億円を出資する。

 日本の半導体生産は、世界からみて遅れているが、日本の技術が決して世界に劣っているわけではない。生産体制のアップデート、部品を良質な最終製品につなげる橋渡し、国際連携など失われた30年時代の〝失敗〟をどう生かすか。世界の潮流を見極める洞察力も問われている。

 米国との連携を図りながら、内向きだった過去の轍は踏んではならない。ただ、米国も半導体産業の国内回帰を目指しており、これにつられ、日本の強みである半導体製造装置、材料部品工場が拠点を移すことも否定できない。懸念も山積するが、状況を見極めることも大事だろう。
モノづくり再興になるか

 省エネに貢献した日本の技術は、SDGs、GX(グリーントランスフォーメイション)の技術でも貢献できる、強い分野である。そういう意味で、モノづくりにこだわらない、モノづくりなど発想の転換、パラダイムシフトが必要なのかもしれない。

 先ほども触れたが、ラピダスは、「速い」を意味する。名前の意味するところを解すれば、かつて「速さ」を売りに世界市場にでていたのが、韓国、台湾。その速さを見習うと同時に、世界最速の小型の半導体を開発しようという意欲の表れでもある。

 大事なのは、政府を含め官民一体となって、日本のモノづくりを見直し、再考する絶好の契機をものにし、将来につなげることだろう。』