米統合参謀本部議長はウクライナに対し、ロシアとの話し合い開始を提案した

米統合参謀本部議長はウクライナに対し、ロシアとの話し合い開始を提案した | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
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『 ​マーク・ミリー統合参謀本部議長は先週、ウクライナ軍がロシア軍に勝利することはないかもしれないとした上で、この冬はロシアと交渉を始める機会だと語った​という。これはジョー・バイデン政権の好戦的な政策とは違うものだが、アンカラでCIAのウィリアム・バーンズ長官がロシアのセルゲイ・ナリシュキンSVR(対外情報庁)長官が会談、あるいはビクトリア・ヌランド国務次官が11月末までにモスクワを訪問するという話と相まってウクライナのクーデター体制を動揺させたようで、バイデン政権は事態の沈静化に狂奔してるようだ。

 本ブログでは繰り返し書いているように、冬が本格化してステップの地面が凍結して戦闘車両の走行が容易になり、木々の葉が落ちるこの季節にロシア軍は新たな軍事作戦を予定している。すでにT-90M戦車や防空システムS-400を含む兵器がドンバス周辺へ運ばれ、部分的動員で集められた兵士のうち約8万人はすでにドンバスへ入り、そのうち5万人は戦闘に参加しているというが、訓練中の約32万人も新作戦が始まる前には合流するはずだ。

 ロシア軍は11月11日、ヘルソン地域の西岸(右岸)から約3万人と言われる部隊を東岸へ撤退させたと発表した。これを敗走と主張する人もいるようだが、実際は戦術的な撤退にすぎない。「ウクライナ軍」はカホフカ・ダムや橋に対するHIMARS(高機動ロケット砲システム)などによる砲撃を続け、破壊される危険性が高まっていた。ダムが爆破されて洪水になると大きな被害を受けるが、それだけでなく西岸の部隊が孤立する恐れがある。「背水の陣」を避けたということだ。

 この撤退命令に対してアメリカ/NATO/キエフ側は慎重な見方をしていたが、これは過去の経験から安易に部隊を入れるとミサイルや航空兵力で攻撃され、多くの戦死者が出るからだろう。ロシア軍を包囲する前に撤退され、目論見が崩れたのかもしれない。

 キエフ政権がドンバスへ送り込んでいた軍や親衛隊は4月から5月の段階で壊滅。兵士を補充するために18歳から60歳の男子が出国することを禁じ、動員の対象にしていたが、すでに45歳以上の男子も戦場へ駆り出されているという。しかもロシア軍とは違い、訓練が不十分な段階で突撃させられているとする情報もある。

 すでにウクライナ軍には単独でロシア軍と戦う能力はなく、各国から集めた傭兵でも対応できない。NATOは加盟国の間で意見の対立があるようで、アメリカ軍やイギリス軍を使うしかない。イギリス軍はすでに破壊活動を繰り返しているようだが、アメリカ軍は統合参謀本部が慎重な姿勢を崩していない。

 ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃を決めた2002年以来、統合参謀本部は戦争に慎重な姿勢を維持している。大義がなく、作戦が無謀だという理由からだ。

 2011年春にオバマ政権は中東から北アフリカにかけての地域で「アラブの春」と名づけられた体制転覆作戦を始め、12年になるとバラク・オバマ政権は「穏健派を支援する」と称し、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団への軍事支援を強化する。

 そうした支援を危険だと考えたアメリカ軍の情報機関​DIAは2012年8月、報告書をホワイトハウスへ提出​している。オバマ政権が支援している武装勢力の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団で、アル・ヌスラ(AQI/イラクのアル・カイダ)の実態は同じだと指摘、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。その警告は2014年、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形で現実になる。

 2011年10月1日から統合参謀本部議長を務めていたマーティン・デンプシー大将もバシャール・アル・アサド政権の崩壊は混乱を招き、ジハード過激派(アル・カイダ系武装集団)がシリアを乗っ取ると懸念していた。そこで議長はアサド政権と連絡を取り合っていたとも言われている。そのデンプシーは2015年9月25日に退任、その5日後にロシア軍はシリア政府の要請で軍事介入、オバマ政権が使っていたジハード傭兵を敗走させた。

 アメリカで軍事侵略を推進している勢力にはマデリーン・オルブライト、ヒラリー・クリントン、アントニー・ブリンケン、ビクトリア・ヌランドが含まれている。前の3人は国務長官、最後のひとりは国務次官補や国務次官を経験している。

 国務省は外交を担当する省だが、ロシア革命の直後からファシストの巣窟だったとも言われていた。そこで反ファシスト、反帝国主義だったフランクリン・ルーズベルトは国際会議に出席する際、同行させたのは基本的に軍人で、文民は個人的にルーズベルトが信頼していたハリー・ホプキンスだけだった。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)』