山上駐豪大使:オーストラリアの原潜を米国の原潜と同様日本が受け入れる可能性

山上駐豪大使:オーストラリアの原潜を米国の原潜と同様日本が受け入れる可能性 | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
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『韓国の大統領が尹錫悦へ交代して以来、アメリカ、日本、韓国の軍事的なつながりが強まり、軍事演習を繰り返している。朝鮮を念頭に置いたような演出がなされているが、実際の仮想敵は中国であり、必然的にロシアとの戦争も想定されることになる。

 そうした中、山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで11月14日に日本がオーストラリアの原子力潜水艦を受け入れる可能性があると表明した。オーストラリアは昨年9月、イギリスやアメリカと軍事同盟「AUKUS」を創設したと発表したが、それと同時にアメリカとイギリスはオーストラリアに原子力潜水艦の艦隊を建造させるために必要な技術を提供するとも伝えられた。

 オーストラリアの潜水艦を受け入れるだけでなく、軍事的な連携を強めるとも山上大使は語っている。日本はアメリカや韓国と軍事的につながっているわけで、太平洋ではアメリカとイギリスを中心にオーストラリアや韓国が軍事的な同盟を結んだということになる。ここに台湾が入るかもしれない。

 ロシア国家安全保障会議のニコライ・パトロシェフ議長に言われるまでもなく、AUKUSは中国やロシアを仮想敵とする「アジアのNATO」である。創設当時のNATOはヨーロッパ支配の仕組みという色彩が濃かったが、現在はロシアを征服するための軍事組織として機能している。

 日本とアメリカは1951年9月8日にサンフランシスコのオペラハウスで「対日平和条約」に、そして同じ日の午後にプレシディオで「安保条約」に調印。この時から日本とアメリカは軍事同盟国になったわけだが、その1週間前に同じプレシディオでアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。いずれもアメリカの指揮下にある軍事同盟であり、ひとつのものと理解することもできる。

 しかし、この当時のアメリカはまだ日本への警戒が消えていない。憲法第9条はそうした警戒心の現れとも言えるだろう。アメリカが第9条を問題にしはじめるのは、その警戒心がなくなってからだ。

 アメリカが日本を軍事力として使う方針を決めたと思われるのはソ連が消滅した直後の1992年2月。アメリカ支配層は自国が「唯一の超大国」になったと考え、その中の好戦派は国防総省の「DPG(国防計画指針)草案」という形で世界制覇プランを作成した。ディック・チェイニー国防長官の下、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心に書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 ソ連が消滅したことでアメリカは他国に配慮することなく単独で行動できるようになったと考えたのだが、細川護煕政権は国連中心主義を放棄しなかった。そこでこの政権は潰されたわけだ。

 アメリカに逆らう国は許されない。逆らう可能性のある国は「潜在的ライバル」とみなされ、叩かれることになる。その潜在的ライバルには旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジアが含まれる。エネルギー資源を抱える西アジアも攻撃の対象になった。1990年代に日本がスキャンダルで揺れたが、偶然と考えるべきではない。

 アメリカの政策に抵抗する日本を危険だとマイケル・グリーンとパトリック・クローニンは考え、カート・キャンベルを介して国防次官補のジョセイフ・ナイに接触した。そのナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」発表、日本の進むべき道を示した。

 そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その10日後に警察庁の國松孝次長官は狙撃された。警察庁長官を殺すことができるのだと示したのだろう。

 山上大使が駐在しているオーストラリアはアメリカの影響下にあるイギリスの国である。そうしたことを示す出来事が1975年11月に引き起こされた。ゴフ・ホイットラム首相が解任されたのだ。

 ホイットラムは労働党の政治家で、1972年12月の総選挙で勝利して首相に就任している。新首相は自国の対外情報機関ASISに対してCIAとの協力関係を断つように命令、アメリカの情報機関は危機感を募らせた。

 イギリスのジャーナリスト、デイビッド・レイによると、ホイットラムはチリのクーデターに関する情報を入手、チリでASISがCIAと共同でサルバドール・アジェンデ政権を崩壊させる工作を展開していたことを知っていたという。(David Leigh, “The Wilson Plot,” Pantheon, 1988)

 オーストラリアのパイン・ギャップにはCIAの通信傍受施設があるのだが、その使用期限が迫っていたこともCIAの懸念材料だった。この施設は1966年12月に結ばれた秘密協定に基づいて建設されたもので、協定の有効期限は10年。1976年までに更新しないと基地を閉鎖しなければならない。ホイットラムが更新を拒否することをアメリカ側は懸念していたのだ。

 そこでCIAは1975年11月、イギリス女王エリザベス2世の総督であるジョン・カー卿を動かしてホイットラム首相を解任した。実際に動いたのはアメリカのCIAやイギリスのMI6だが、総督がいなければ解任できなかった。総督は名誉職だと考えられていたが、そうではなかったのである。

 アメリカのジャーナリスト、ジョナサン・ウイットニーによるとカーは第2次世界大戦中の1944年、オーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣されてCIAの前身であるOSS(戦略事務局)と一緒に仕事をしている。大戦後もCIAと深い関係にあった。(Jonathan Kwitny, “The Crimes of Patriots,” Norton, 1987)

 日本のエリートはアメリカやイギリスの支配グループにすりよっている。明治維新を仕掛けたのがそうしたグループであり、そのグループに従うことが自分の地位と富を確保する方法だと考えているのだろう。明治維新はアジア侵略の拠点として日本列島を使い、手先の戦闘員として日本人を使うことが目的だった。』