ウクライナで苦境に陥っている米国は東アジアで軍事的な緊張を高める軍事演習

ウクライナで苦境に陥っている米国は東アジアで軍事的な緊張を高める軍事演習 | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
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『アメリカ軍と韓国軍が10月31日から11月4日にかけて実施している合同軍事演習「ビジラント・ストーム」にはアメリカから約100機、韓国から約140機の航空機が参加、そこには岩国基地からアメリカ海兵隊のF-35B戦闘機も含まれていると伝えられている。この軍事演習を挑発、あるいは恫喝と捉えた朝鮮は11月2日に短距離弾道ミサイル約17機以上を日本海や黄海へ向けて発射したほか、ICBMも1機発射したようだ。

 東アジアはすでに台湾で軍事的な緊張が高まっている。アメリカのナンシー・ペロシ下院議長が8月2日に台湾を強硬訪問、蔡英文総督と会談して「ひとつの中国」政策を否定したところから状況は急速に悪化している。この政策はリチャード・ニクソン大統領が1972年2月に中国を訪問した時に合意したルールで、その後の米中関係を支えてきた。そのルールを破った以上、米中関係は悪化せざるをえない。

 ニクソンは1953年、40歳の若さでドワイト・アイゼンハワー政権の副大統領に就任している。大抜擢だったのだが、その理由は闇資金の調達にあったと信じられている。月刊誌「真相」の1954年4月号によると、その原資は闇ドルの取り引きで蓄積された儲けだった。

 アイゼンハワーは第2次世界大戦の終盤、ヨーロッパ戦線におけるアメリカ軍の司令官を務め、ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)を指揮したが、すでに戦争の帰趨は決していた。1942年11月にドイツ軍25万人がスターリングラードで完全包囲され、1943年1月に生き残ったドイツ軍将兵9万1000名が降伏した時点でドイツの敗北は決定的だった。

 それまで傍観していたイギリスやアメリカは慌てて動き始め、1943年1月にフランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相はフランスのシャルル・ド・ゴールらとカサブランカで会談、「無条件降伏」という話が出てきた。この条件はドイツの降伏を遅らせる一因になり、米英にはソ連対策を講じるための時間的な余裕ができたわけだ。

 米英両軍は1943年7月にシチリア島上陸作戦を敢行、ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸作戦は1944年6月だ。つまりアイゼンハワーはドイツ軍との戦いで大したことをしていない。

 1944年はアメリカで大統領選挙があり、ルーズベルトが勝ったのだが、副大統領選びで揉めた。ルーズベルトは同志的な存在で反帝国主義者のヘンリー・ウォーレスを望んだのだが、民主党幹部の意向で反ソ連のハリー・トルーマンに決まった。

 選挙で勝利したルーズベルトは1945年4月12日に急死、トルーマン副大統領が昇格。その翌月にドイツは降伏、その直後に帝国主義者のチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この作戦を無用にした別の理由が7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場で実施されたプルトニウム原爆の爆発実験。この実験の成功で原爆製造への道が開け、正規軍による奇襲攻撃の必要がなくなったのである。広島や長崎の民間人に対して原爆を使う許可を出したトルーマンは反ソ連のチャーチルやアイゼンハワーに支えられていた。

 大戦後もチャーチルはアメリカにソ連を核攻撃するように何度か求め、アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃計画を立てた。たとえばアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)は1954年、600発から700発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという作戦を作成。300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすという「ドロップショット作戦」も計画されている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、​統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなどは1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だった​という。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。この攻撃を成功させるためにもアメリカ軍はキューバを制圧する必要があったのだ。キューバからなら中距離ミサイルでアメリカに反撃できる。これが「キューバ危機」の背景だ。

 この先制核攻撃計画を阻止したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺されたが、彼の死を利用して戦争を始める目論見は失敗している。

 アイゼンハワーはチャーチルと同じように反ソ連の帝国主義者。その副大統領だったニクソンも考え方は同じだ。そのニクソンが中国との関係修復に動いた背景にはベトナム戦争の泥沼化があっただろうが、ソ連と中国を分断してソ連に攻撃を集中させたかったと考えるべきだ。

 ちなみに、アメリカは中国と日本が手を組むことを当時も今も恐れている。ドイツとソ連/ロシアの接近を嫌うのと同じだ。日本と中国との友好関係を築いた田中角栄が危険視されたのは必然だと言える。

 それはともかく、ニクソンは中国と友好的な関係を結んだ。それをアメリカの好戦派は壊してしまったが、その前段階にロシアと中国との接近がある。

 ロシア憎しが先行して2014年2月にネオ・ナチを使ってウクライナでクーデターを成功させたが、それが原因でロシアは中国へ向かい、アメリカのやり口を見た中国もロシアと手を組んだ。アメリカは中国とロシア、両方と戦わざるをえない状況に陥ってしまった。

 ここにきてアメリカ支配層の内部対立が顕在化している理由はそこにあるだろうが、ネオコンやその背後にいる勢力はロシアと中国に勝たなければならない。勝てなければ破滅が待つ。どのようなことをしても負けるわけにはいかないと彼らは考えているだろう。』