米最高裁、入学選考の人種考慮を審理 アジア系差別焦点

米最高裁、入学選考の人種考慮を審理 アジア系差別焦点
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN31D4B0R31C22A0000000/

 ※ この問題は、実は、「平等」と言う概念の、根源的な問題に関係しているので、ちょっと語っておく。

 ※ 「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。』(日本国憲法第十四条)

 ※ 『すべて国民は、法の下に平等』であって、『差別されない』と規定されているわけだ。

 ※ この「大原則」に、異を唱える人は、いないだろう…。

 ※ しかし、直ちに「問題」は発生する。

 ※ 現実には、人は「平等(≒みんな、同じ)」じゃ無いからな…。

 ※ 持って生まれた「天賦の才」、「親の社会的な地位」、「親の財力」など、「厳然とした差異」が存在する…。

 ※ そういう「現実に存在する差異」と、「人は、みな平等に取り扱われるべきだ」という政治目標との間のギャップを、どう「調整」すべきなのか…。

 ※ その一つの「説明」が、「結果の平等」と「機会の平等」という考えだ。

 ※ 「結果の平等」(人々が、政策適用した結果、現実に平等となる)は、あくまで「理想」である。現実には、人々に行動する「機会」を平等に保障すれば、それでよしとする…、とか説明するわけだな。

 ※ 「機会」が平等に保障されているのに、「結果」がうまくいかなかったのは、「自己責任」です…、とか「突き放す」わけだな。

 ※ しかし、これをゴリゴリ推し進めると、いろいろ具合悪いことも、生じて来るんだよ。

 ※ その「うまく行かない」要因が、歴史的に長いこと、「差別的な、社会的な地位・立場」に置かれていたせいだとしたら、「自己責任」ですと突き放されてもなあ…、という問題だ。

 ※ そこで、そういう「社会的な地位・立場」の不均衡を是正するには、「機会の平等」の要請を後退させて、積極的にそういう立場の人を、優遇する(≒下駄を履かせる)ことも「許される」、いや、積極的に「そういう政策を、推進すべきだ!」という考えも生じてくる。

 ※ これが、「アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)」というものだ。


 ※ しかし、これを推進し過ぎると、逆に、「機会の平等」を重視する立場からは、「逆差別だ!オレらの、平等権を侵害するのか!」という反発が出てくる…。

 ※ 極めて「政治的な話し」となるので、激しく争うわけだ…。

『【ワシントン=芦塚智子】米連邦最高裁は31日、大学が入学選考の際に人種を考慮することの是非を問う2件の訴訟について口頭弁論を開いた。多数派を占める保守派判事が制度の合法性に懐疑的な見方を示した。最高裁が過去の判断を覆して違憲判決を下せば、大学入学だけでなく奨学金や雇用などの選考に影響が広がる可能性も指摘される。最高裁は来年夏までに判断を下す。

訴訟は保守派団体「公平な入学選考を求める学生たち(SFFA)」がハーバード大とノースカロライナ大を相手取って起こした。ハーバード大については、選考がアジア系米国人を差別しているとして、人種差別を禁じた公民権法に反すると主張。ノースカロライナ大に関しては、人種を重視した選考過程が白人やアジア系を不利にし、公民権法や国民の平等な権利を保障する憲法修正第14条に反すると訴えている。

SFFAは、大学が学生の多様化のために入学選考過程で人種を考慮することを認めた最高裁の2003年の判決を覆すよう求めた。大学側は、人種は選考の1要素にすぎず、判決が覆れば黒人やヒスパニック(中南米系)の学生が大幅に減ると主張している。

人種を考慮した選考はアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)と呼ばれ、白人より不利な立場にあるとされる黒人らに機会を保障するのが目的。入学選考については主に白人保守派が「逆差別」と批判してきたが、近年は教育に熱心なアジア系の間でも不満が高まっている。

口頭弁論では、判事9人のうち保守派6人から入学選考でのアファーマティブアクションの継続に懐疑的な発言が相次いだ。少数派のリベラル派3人は擁護の姿勢を示した。

ハーバード大によると、全米の大学の約40%が入学選考で人種を考慮している。米紙ワシントン・ポストの10月上旬の調査では、米成人の63%が大学入学選考での人種考慮を禁止すべきだと答えた。一方で64%が大学の学生の人種的多様化を促すプログラムを支持している。』