「秘密国家」ベネチア いかにして国を守ったか

「秘密国家」ベネチア いかにして国を守ったか
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28327

『中世・ルネサンス期には、活版印刷の発明によって、情報革命ともいうべき現象が生じた。この時代には世の中のあらゆる知識や事象が文字に記され、ヨーロッパ中に広まったのである。

 このような情報革命の時代にあって、ヨーロッパ各国は国として情報をコントロールしようと苦心していた。その代表はイタリアのベネチア共和国であり、その秘密主義や先進的なインテリジェンスの運用もあって、1000年以上もの命脈を保つことができた。

 ベネチアは軽武装の商業国家であったため、軍事的には東のオスマン帝国やヨーロッパ諸国からの脅威に常に晒されており、このような国家が生き残るためには、対外情報収集と秘密保全、暗号解読という能力に頼るところが大きかったのである。
徹底された

国内の秘密保全

 ベネチアでのクーデター未遂事件を契機に、1310年に結成された十人委員会は、同国の行政を担当する統治機構であり、その任務の一つに共和国内の反乱を取り締まることがあった。この委員会は治安維持の実行部隊として、配下に3人の調査官による情報機関を設けており、1人は赤い外套を着用することからイル・ロッソ(赤い男)、あとの2人は黒い外套からイ・ネグリ(黒い男)と呼ばれ、国内外での秘密活動に従事していた。

 十人委員会が最も重視したのは国内の秘密保全であり、「決して秘密を漏らさない」という合言葉の下、委員会の記録を書面で残すことすら禁じていたほどである。

 またこの頃、イタリア諸国では在外公館制度が導入され、それぞれの国が大使を派遣して外交活動と情報活動を行うようになった。当時の大使は公式のスパイとして情報収集を認められていたため、後に「大使は尊敬すべきスパイである」との言葉までつくられている。そのため、どの国においても外国の大使は警戒されており、ベネチアでは特にその傾向が強かった。

 1481年に十人委員会はベネチアの政治家や政府機関の人間が外国人と接触することを禁止し、外国人からの働きかけがあった場合は直ちに報告するように義務付けた。これに反すれば2年間の追放処分と罰金刑が科されたという。

 さらに十人委員会は共和国秘密保全組織を編成し、国内での監視体制を強化することになる。この組織は市民による密告を奨励するため、街のいたるところに「ボッケ・デ・レオーネ(ライオンの口)」と呼ばれる投書箱を設置した(下写真)。市民は犯罪行為やスパイ行為を見つけた場合、匿名で不正を告発することができ、これは当時の「秘密国家」ベネチアならではのものである。

現在も市街に残る「ボッケ・デ・レオーネ(ライオンの口)」は、ベネチアが「秘密国家」であった象徴といえる (ANDIA/GETTYIMAGES)

 他方、外国に派遣されるベネチアの大使は、優秀なスパイとして機能することになる。彼らは外交活動を行いながら、赴任国でスパイ網を築き上げていた。トリノでベネチア大使が雇うスパイが逮捕された際、同僚のスペイン大使は、「いつものことなので特に驚くに当たらない」といったコメントを残している。

 また16世紀のベネチアの外交官、セバスティアノ・ジュスティニアニとその後任のカルロ・カペッロは大使としてイングランドに派遣され、イングランド王ヘンリー8世の信頼を勝ち取ることに成功した。こうしてイングランド王室の内情が、ベネチアに逐一報告されることになる。』

『欧州に広まった組織的な暗号解読

 インテリジェンスの歴史において、ベネチアが残した最も大きな足跡は、1506年にジョヴァンニ・ソロを中心とする暗号解読組織を設置したことであろう。

 暗号解読については、もともとイスラム諸国の方が先を行っていたようであるが、1467年に博学者のレオン・アルベルティが『暗号解読論』という書籍を出版し、頻度解析(アルファベットで使う文字の頻度に偏りがあることを手掛かりに、暗号を解読する手法)がヨーロッパに紹介されることで、暗号解読の世界が開けたのである。

 当時のヨーロッパにおいては、文書や手紙が配送途中で誰に読まれているかわからない状況であったため、機微な内容は暗号化して送ることが普通であった。

 ある婦人が夫に送った手紙の中で、「朝、庭で摘み取ったばかりのスミレ3輪を同封しました」と書いておきながら、肝心のスミレを入れ忘れた。だが、手紙を受け取った夫が開封すると3輪のスミレが入っていたという逸話が残っている。これは途中で手紙を検閲した人物が、中のスミレを紛失したものと勘違いして、慌てて封入したということである。

 当時、ソロの評判はヨーロッパ中に響いており、ベネチア以外の国であっても、ソロに暗号文を送って解読してもらうほどであった。ソロは死去する1544年まで、ひたすらベネチアの総督府で諸外国の暗号を解読し続け、その情報は当時のイタリア戦争で活用され、ベネチアの窮地を救った。なお、いまだに当時のソロの執務室は確定されておらず、ベネチアの秘密保全のレベルの高さが窺える。

 その後、ベネチアが始めた組織的な暗号解読は、ヨーロッパ各国にも広まっていく。特にフランスではフィリベール・バブーや数学者としても高名なフランソワ・ビエトら有能な暗号解読官が活躍していた。

 ビエトはスペインの暗号を解読することに関してはヨーロッパ随一であり、本人にもこだわりがあったようである。スペイン王フェリペ2世は、ビエトの暗号解読の能力は悪魔と契約したためだとバチカンの大審院に訴えるほどであったが、全く相手にされなかった。だが、ビエトは秘密保全については脇が甘く、最も警戒すべきベネチアの大使に暗号解読の内実について自慢げに語り、彼がベネチアの暗号の一部すらも解読していることを仄めかした。

 大使は早速、十人委員会に対して報告を行っているが、その後、ビエトは二度と大使の前には現れなかったという。恐らくはフランス側の防諜が機能していたものと思われる。
他方、スペインのフェリペ2世は暗号解読や秘密保全に対して全く関心がなかったようで、その後、アルマダの海戦においてイングランドに足をすくわれる遠因となった。

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