オデッサの南海域で機雷のようなものを貨物船がみつけた…。

オデッサの南海域で機雷のようなものを貨物船がみつけた…。
https://st2019.site/?p=20537

 ※ 今日は、こんなところで…。

『The Maritime Executive の2022-10-27記事「Possible Mine Sighting Stops Ukrainian Grain Exports for a Day」。

   オデッサの南海域で機雷のようなものを貨物船がみつけたので、穀物の積み出しが止まっている。』

https://af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1637377&p_id=170&pc_id=185&pl_id=4062&url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2F4198655405

ドイツは、独自の誘導式155ミリ砲弾である「SMArt 155」の製造を再開しようと考えるに至った。

ドイツは、独自の誘導式155ミリ砲弾である「SMArt 155」の製造を再開しようと考えるに至った。
https://st2019.site/?p=20537

『2022-10-28記事「Germany to resume production of SMArt 155 projectiles following an exceptional performance in Ukraine」。

   ドイツは、独自の誘導式155ミリ砲弾である「SMArt 155」の製造を再開しようと考えるに至った。しかしラインの再立ち上げには今から5年かかるという。

 ドイツは「SMArt 155」を1997年に生産した。全重47kgで、エアブレーキ付きの子弾が2個、封入されており、それぞれ自律的に地上のAFVを襲撃する。

 量産は1万2000発で終了した。うち3000発は、豪州、ギリシャ、スイスに輸出されている。
 つまり、たった1年間、ラインを動かしただけ。

 ラインの再立ち上げには1億ユーロかかりそうだともいう。
 ドイツはしかしこれをあと1万発は造る必要があると考えている。1発の単価は8万1000ユーロを予期。』

米空軍が海外に展開している唯一のF-15C部隊は、いよいよ、撤収の運びとなった。

米空軍が海外に展開している唯一のF-15C部隊は、いよいよ、撤収の運びとなった。
https://st2019.site/?p=20537

『Thomas Newdick, Tyler Rogoway 記者による2022-10-28記事「Air Force Confirms Permanently Based U.S. F-15s Leaving Japan For Good」。

   米空軍が海外に展開している唯一のF-15C部隊は、嘉手納にある。
 それがいよいよ、撤収の運びとなった。11月から、F-15は徐々に、いなくなる。』

「オルラン-10」の搭載カメラはキヤノンの「EOS 800D」…。

「オルラン-10」の搭載カメラはキヤノンの「EOS 800D」…。
https://st2019.site/?p=20537

『Vijainder K Thakur 記者による2022-10-28記事「Ukraine War: Russia’s ‘Indigenous & Inexpensive’ UAVs Bring Ukrainian Counter Offensive To A Grinding Halt」。
   「オルラン-10」の搭載カメラはキヤノンの「EOS 800D」で、その85mmレンズを胴体下に突き出しているという。そしてこのカメラはスウェーデンの道路脇の速度取締り装置にも使われているのだという。

 ロシア国防省によると、「アルマズ-アンテイ」社がサンクトペテルスブルグの「オブホフ」工場にてマルチパーパスのクォッドコプターを大量生産しはじめた、と。その部品はぜんぶ、国内製にする、と。

 同社は11月には400セット(操縦用タブレット込み)、年内には1000台を組み立てたいと言っている。

 ※雑報によると、FPVすなわちファースト・パーソンの視点で操縦するタイプのレース用の市販品のクォッドコプターに、対戦車手榴弾「PKG-3」の弾頭部分のみを横向きに縛着したオフザシェルフの特攻自爆ドローン兵器が、とうとう10月24日に実戦デビューした。ヘルソン戦区のウクライナ兵による。』

火曜日にウクライナの情報部が公表した傍受音声。

火曜日にウクライナの情報部が公表した傍受音声。
https://st2019.site/?p=20537

『Allison Quinn 記者による2022-10-27記事「Russia Now Has a Second Frontline Set Up Just to Kill Its Deserters: Intel」。

   火曜日にウクライナの情報部が公表した傍受音声。

 最前線の後方に督戦部隊が置かれていて、第二線壕まで退却するときに、そいつらから射たれた。さいわい、当たらなかった。おまけに塹壕の中で、ロスネフチ石油公社のロゴ入り防寒ジャケット(ただし血まみれ)が手に入ったのでラッキー……だと。

 ※わたしの承知する限り、督戦隊の実在が初めて報じられたと思う。

 囚人部隊は最前線に出されている。そいつらが後退してきたら撃ち殺せと命じられている兵士(銃後の妻との電話交信)の音声も。

 ラピン上級大将が拳銃を抜いて部下指揮官の頭に突きつけ、ルハンスクで勝手に退却した部隊を最前線に戻さないなら射つと脅したシーンを目撃した者も。この兵隊は先月、モスクワで徴兵されている。

 ウクライナ軍も発見している。後頭部を撃たれている露軍指揮官の戦死体をあちこちで。部下の露兵により、背中から撃ち殺されているのだ。

 ※タマは前からばかり飛んで来るとは限りませんぜ。

 囚人兵は、武器を手渡されるまではおとなしくしていて、武器弾薬を交付されたところでそれを持って最前線から姿をくらまし、ロシア本土へ舞い戻るというパターンが多いようだ。

 ドネツク偽共和国で徴兵された住民たちは、戦意があるわけない。そこで、特にふまじめな兵隊を、部隊所在地に於いて両手を縛って地下室に閉じ込め、その写真を留守家族に見せて「身代金」を強請っているという。指揮官たちが。』

イスラエルがすでにウクライナ軍に対して対ドローン用の「スマート・シューター」照準器を供給している…。

イスラエルがすでにウクライナ軍に対して対ドローン用の「スマート・シューター」照準器を供給している…。
https://st2019.site/?p=20537

『Kyiv Post の2022-10-27記事「Israel Reportedly Provides Ukraine With Smart Shooter Anti-Drone System」。

   イスラエルがすでにウクライナ軍に対して対ドローン用の「スマート・シューター」照準器を供給しているという。

 もともと、ドローンの機種をAIが判定し、小銃弾での狙撃を可能にするシステムだが、イスラエルメディアの報道によれば、ウクライナではこの「スマートシューター」をドローンに搭載するのだという。それによってイランの自爆無人機を迎撃するのだという。詳細は不明。

 ウクライナ当局は、これに関する質問に答えていない。』

冬が到来して困るのは露軍の方じゃねえの?

冬が到来して困るのは露軍の方じゃねえの?
https://st2019.site/?p=20537

『NTV-video の2022-10-27動画「Major General: Winter is more of a disadvantage ofr Russia」。

   オーストリー軍の少将、ブルーノ・ホフバウアーがインタビューに答えていわく。「冬が到来して困るのは露軍の方じゃねえの?」と。装備が悪すぎるからだ。ウクライナ軍のほうはすでに冬用装備は整っているのに……。

 ※ある軍事メディアで、ウクライナ軍の天蓋付き塹壕の内部をビデオ紹介していた。なんと、サウナ室がある。ミニボイラーのようなものを据えて、正体不明の壁材もぐるりとめぐらしてある。82ミリ迫撃砲弾が天井を直撃しても耐えるそうである。本格的な冬が来る前に、完備させたのだ。こんな塹壕生活が、かつてあっただろうか?

 ※雑報によるとオムスクで戦車部隊に徴兵されたばかりの中年新兵たちが怒っている。駐屯地の宿舎が天幕なのだが、その暖房ストーブ用のディーゼル油は兵隊たちで私弁しろと要求されているそうだ。100リッターが4500ルーブルだという。』

ベラルーシの戦車部隊が「対ジャベリン」の欺瞞策を考案。

ベラルーシの戦車部隊が「対ジャベリン」の欺瞞策を考案。
https://st2019.site/?p=20537

『ベラルーシの戦車部隊が「対ジャベリン」の欺瞞策を考案。車体後部に鉄パイプを数mも突き出し、その末端に吊り下げた石油ランタンを燃やしておく。

こうすることで、戦車から輻射する赤外線のホットスポットが、被弾しても害の少ない、車体後方数mにずれてくれると期待できるらしい。

 あたかもその鉄パイプが、発砲直後の戦車備砲のような、いい調子の赤外線イメージになるのかもしれないね。』

欧州 EU内部でぶつかる各国の利害 それでも結束維持を評価すべきか

欧州 EU内部でぶつかる各国の利害 それでも結束維持を評価すべきか – 孤帆の遠影碧空に尽き
https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/6f83bb879b167af548eafac6b2ed5095

『【EU内部の対立 ピレネー越えパイプライン ガス価格上限 独仏「すきま風」】
欧州・EU内部の対立は今に始まった話でなく、以前から財政規律をめぐるドイツ・オランダなど北部とギリシャ・イタリアなど南部の南北対立、いわゆる西欧的価値観をめぐるポーランドやハンガリーなど中東欧諸国との東西対立などが対立軸として存在しています。
現在の欧州にとって最大の課題は「脱ロシア」の状況で、この冬に向けていかに天然ガスを確保するかです。(ただし、後述の状況から、現状はだいぶ好転しているようですが・・・)

欧州向け天然ガスパイプラインと言えば、ロシアからドイツに運ぶ「ノルドストリーム1,2」が、供給停止とか爆破とかで何かと話題になりますが、もちろん他にもパイプラインはあります。

そのなかで関係国の「不協和音」を惹起しているのが、一部建設済みで、工事が中断しているスペインからピレネー山脈を超えてフランスに至るもの。

****スペイン提案「ガスパイプ構想」欧州巻き込む議論…フランスは消極姿勢、ドイツは乗り気****

ロシアによるウクライナ侵略を受け、欧州で露産天然ガス供給への不安が高まる中、スペインがフランスに対し、天然ガスパイプライン敷設構想の再開を呼びかけ、他国を巻き込んだ議論となっている。

スペインは、北アフリカなどから輸入したガスを欧州に供給する狙いだが、フランスは否定的で、欧州連合(EU)諸国間の危機対応をめぐる思惑のずれを浮かび上がらせている。

再開構想が出ているのはスペイン北東部からピレネー山脈を越えて仏南東部を結ぶ約190キロ・メートルのパイプラインだ。当初このパイプラインを通じ、スペインがアルジェリアから輸入した天然ガスを欧州各国に供給することが期待されていた。だが、建設コストがかさみ、環境保護団体の反対もあり、2019年に中止された。

ロシアが今年2月、ウクライナを侵略すると、スペインはEU諸国のロシア産天然ガスへの依存度を減らす一環として、構想復活の可能性に言及してきた。スペインは、アルジェリアやカタール、ナイジェリアなどから輸入したガスをEU諸国へ供給することで、域内での存在感を高めたい思惑があるとみられる。

AFP通信によると、仏政府は、「稼働には時間がかかり、現在の危機に対応できないかもしれない」と、消極的な姿勢を示している。

EU諸国の中で、ロシア産天然ガスへの依存度が高いドイツもスペインに加勢した。ショルツ独首相は今月11日の記者会見で構想について、「実現していれば、天然ガス供給の(厳しい)状況に多大な貢献をしていただろう」と述べた。

ロシア国営ガス会社「ガスプロム」は、タービン修理を名目にパイプライン「ノルトストリーム1」のガス供給量を引き下げており、ドイツでは冬場のガス不足を警戒している事情がある。供給源多様化のためにはフランスの協力が欠かせない。

スペインのテレサ・リベラ環境移行相は12日、地元メディアに対し、ショルツ氏の発言を歓迎したうえで、「スペイン側ではパイプラインは8〜9か月で稼働可能だ」と述べ、仏側に対応を迫った。16日にはペドロ・サンチェス首相が「供給網の改善で、欧州諸国の結束をより示せるようになる」とも語った。

フランスは、ロシア産天然ガスへの依存度が低く、ドイツに比べ危機感は薄い。更に一層の自立を図るために、次世代型原子炉6基の建設などに優先的に資金を回す方針で、スペインの構想が実現するかは不透明だ。【8月19日 読売】

*********************

なお、スペイン側はEUがパイプライン建設費を支払うべきだとの考えを繰りかえしています。

一方、天然ガスをめぐって財政余力のあるドイツが「自国第一」で身勝手だとの批判をEU内で浴びています。

****EU首脳会議、独に批判の集中砲火 ガス価格対策で****

欧州連合(EU)は20、21の両日、首脳会議を開いた。天然ガス価格高騰に対応するため、ガス価格への上限設定が焦点となった。ドイツが難色を示し、結論は先送りされた。EUではドイツが単独で巨額の国内支援策を決めたことへの不満も高まっており、「自国優先」という批判が相次いだ。会議では、EUの中国政策も課題になった。

首脳会議の声明は、ガス価格への上限設定には踏み込まず、「過度な価格上昇を制限する」ための一時的な方策を定める方針を明記した。また、加盟国のガス備蓄の15%を共同購入する目標を掲げた。

上限価格の設定は9月末に、イタリアやフランス、スペイン、東欧など15カ国が提案した。ショルツ独首相は20日の首脳会議直前、「政治的に価格に上限を設ければ、欧州へのガス供給を減らす危険がある」と演説。ロシアに代わる供給元を探る中、ガス輸出国との新たな契約が難しくなるとの懸念を示した。

ドイツの国内支援策はガス高騰から企業や消費者を守るため、総額2千億ユーロ(約30兆円)を拠出する内容で、9月末に発表された。EU域内でドイツ企業を優遇することになるという指摘が強く、エストニアのカラス首相は20日、「EU27加盟国が自国のことしか考えなければ、EUは沈没する。このことをドイツは理解してほしい」と主張。ポーランドのモラウィエツキ首相は「ドイツが単独行動をとれば、EU市場が阻害される」と訴えた。(後略)【10月22日 産経】

********************

また、EUを牽引する立場にあるドイツとフランスの「すきま風」も表面化しています。

*****仏独政府が来週の会合を1月に延期、エネルギーや防衛で食い違い****

フランスとドイツの両国政府は来週パリ郊外で開く予定だった会合を来年1月まで延期した。エネルギー政策や防衛などの課題を巡り両国に食い違いがあるためで、複数の当局者が19日明らかにした。

欧州諸国はロシアによるウクライナ侵攻後、結束の維持が不可欠になっているが、エネルギー危機によって協力関係を保てるかが試されている。

ドイツ政府の報道官は、2国間協議が合意に至るまでに時間を要することなどから、延期は理にかなっていると双方が判断したと述べた。

フランス大統領府の当局者も、エネルギー政策や防衛協力などの課題で合意に達するには「もっと時間が必要だ」と述べた。

フランスの当局者はドイツがフランス政府に事前に知らせることなく、2000億ユーロのエネルギー総合対策など一連の決定を一方的に下したことに不満を募らせている。フランス政府はドイツのショルツ首相とスペインが進めている、ドイツと南欧を結ぶ新たな天然ガスのパイプライン敷設計画にも反対している。

またフランス側はドイツが欧州ではなく米国から防空システムを調達する動きを主導していることに不信感を持っている。

ドイツの消息筋はロイターの取材に、フランスのマクロン大統領は来週予定していた会合で、かなり大胆な合意がまとまるのを望んでいたと述べた。【10月20日 ロイター】

************************

【対立の背景にある各国の事情】

上記のEU内の「不協和音」はバラバラに見ていても、その様相がイマイチ把握できません。
多くの問題は関連しており、それらををまとめて整理すると以下のように。

自国利益を求める各国の激しい駆け引き・綱引きの状況、各国の事情がよく理解できる記事です。

****EU、輸入ガス価格の上限設定で調整難航 自国優先のドイツに批判も****
欧州連合(EU)の加盟国が域外から購入する天然ガス価格に上限を設定すべきかどうかで調整が難航している。20〜21日のEU首脳会議でも議論されたが、合意には至らなかった。推進派のフランスと反対派のドイツが激しく対立している。

「政治的に価格に上限を設けることで、生産者がガスを他に売ってしまうリスクがある」。ドイツのショルツ首相はドイツ議会で20日、そう演説した。

ドイツが懸念するのは、EUが輸入価格を抑えることで、米国やカタール産の液化天然ガス(LNG)が、より高い価格で購入する国や企業へと輸出され、欧州の必要分を確保できなくなる事態だ。ショルツ氏は、競合相手として日本や韓国の国名を挙げながら、そのリスクを訴えた。

天然ガスの消費量が多く、財政に比較的余裕のあるドイツは、高値でも大量のガスを独自に調達したいのが本音だ。財政状況が比較的良好なオランダやデンマーク、スウェーデンもドイツに同調する。価格の上限設定については、消費者の天然ガス節約の機運を弱めるとの批判もある。

これに対し、フランスやイタリアなどEU加盟国の過半数は、何らかの方法で上限をかけるべきだと主張する。何もしなければEU内の政府や企業間の競争が天然ガスの価格を押し上げ、財力の乏しい加盟国や企業がガスを調達できなくなる恐れがあるからだ。

EUが21日、天然ガスの共同購入の導入で大筋合意したのも、こうしたリスクに対応するためだ。上限設定を主導するフランスは原発大国で、天然ガスの輸入量や消費量がドイツより少ない事情もある。

ドイツの自国優先の姿勢に対しては、EU内の結束を乱すとの批判が出ている。
ドイツは9月、エネルギー価格の高騰対策として最大2000億ユーロ(約29兆円)の巨費を投じ、消費者のために自国内でのガス価格を抑制する計画を発表した。だが、こうした対策を講じることができるのは、財力がある国だけだ。他のEU加盟国は「EU市場内での公平な競争を阻害する」と猛反発している。

フランスは、ドイツを孤立化させ、圧力をかける戦略だ。これまで20年以上にわたって懸案となってきたフランス、スペイン間の天然ガスパイプライン計画を巡り、建設推進を求めるスペイン、ポルトガル、ドイツに対し、フランスは「採算性」を理由に反対し続けてきた。

パイプラインが実現すると、スペインがアルジェリアから地中海の海底パイプラインで輸入する天然ガスが、ドイツを含めた欧州北部に届きやすくなる一方、フランスにとっては自国の原発による電力の輸出と競合するからだ。

そこでフランスは20日、このパイプライン計画を破棄し、代わりに新たな水素用のパイプライン計画を進めることでスペイン、ポルトガルと合意した。

ドイツの新たな天然ガス調達ルートを葬り去るとともに、スペイン、ポルトガルとの結束を深めた形だ。フランスのマクロン大統領はこの日、記者団に「ドイツは孤立した」と述べた。

独仏の対立の深まりから、26日に仏フォンテーヌブローで予定されていた独仏閣僚協議は「2国間の問題で調整が引き続き必要」(独政府報道官)として、来年1月に延期が決まった。一方、独仏両首脳は26日、パリで首脳会談を開き、エネルギー問題などを協議する。【10月24日 毎日】

*********************

各国の事情で駆け引き・綱引き、対立があるのは「当然のこと」でもあります。
そんな対立を抱えながら、EUが曲がりなりにも「結束」維持していることの方が注目に値するかも。

【問題の現在の状況】

最初のピレネー越えパイプラインについては、上記記事にもあるように、「水素用のパイプライン」で話がついたとか。

****パイプライン新設で合意 仏スペイン首脳、水素輸送****

フランスのマクロン大統領は20日、スペインのサンチェス首相、ポルトガルのコスタ首相とブリュッセルで会談し、スペイン北東部バルセロナとフランス南部マルセイユを結ぶ海底パイプラインの新設などのエネルギー網強化で合意した。パイプラインは水素の輸送を主目的とし、天然ガスの輸送は限定的とする方針。

ロシアのウクライナ侵攻後、欧州のガス輸送拠点を目指すスペインは中止していたピレネー山脈を通じてフランスと結ぶパイプライン計画の再開を訴えた。ロシア産ガスへの依存脱却を図るドイツも支持したが、フランスは採算性や環境負荷の観点から反対を貫いた。【10月21日 共同】

*****************

自国利益の話になるとフランスも頑なです。これで話が収まるのかどうかは知りません。
天然ガス価格上限の話は、11月24日に再びこの件に関する臨時会合が開催されます。

****EU、11月にエネ相臨時会合開催へ ガス価格上限設定巡り協議****

欧州連合(EU)はルクセンブルグで25日に開催したエネルギー相会合で、EU全域でのガス価格の上限設定を巡り討議した上で、11月24日に再びこの件に関する臨時会合を開催することで合意した。

EUのエネルギーに関する臨時会合は7月以降で4回目。11月の会合では、欧州委員会が先週提案した、EUのガス共同購入開始に向けた規則など他の緊急措置も採択される見通し。

輪番制のEU議長国であるチェコのヨゼフ・シケラ産業相は「市場パニック時の過度な価格上昇を抑制するダイナミックな電気・ガス価格上限」の導入について閣僚間で幅広い支持を得ていると述べた。

欧州委員会は18日、エネルギー危機で新たな緊急対策を提案した。欧州における天然ガス取引の指標となるオランダTTFに今後一時的な価格上限を設けることなどが盛り込まれた。ただ即時のガス価格上限導入は見送られた。

欧州委のカドリ・シムソン委員(エネルギー担当)は、欧州委がガス価格の上限設定を正式に提案する時期について明示しなかったものの、11月の会合までに「次のステップを準備する」とし、閣僚がEUのガス価格上限案に同意する可能性があるとした。【10月26日 ロイター】

********************

またフランス・ドイツは延期となった閣僚協議に替えて急遽セッティングされた首脳会談を26日に行っていますが、共同記者会見も行われず、「すきま風」状態は改善されていないようです。

****独仏の溝深く 首脳会談、防衛協力などで対立 共同記者会見は見送り****
ドイツのショルツ首相とフランスのマクロン大統領は26日昼、パリで昼食を含めて3時間にわたり会談した。

エネルギー問題や防衛協力などを協議したが、両国の立場の隔たりは大きく、予定された共同記者会見は見送られた。欧州連合(EU)の中核である独仏は最近、主要問題で亀裂を深めており、関係修復には時間がかかりそうだ。

首脳会談終了後、ショルツ氏はツイッターで「今日は非常によい重要な議論ができた。独仏は密接に連携し、共に課題に取り組んでいる」と良好な関係をアピールした。ただ、具体的な内容は乏しく、独仏間の溝を感じさせた。

この日は元々フランスで独仏閣僚協議が予定されていた。しかし独仏間の調整が間に合わず来年1月に延期となり、急きょ準備されたのがこの首脳会談だ。

独仏は20〜21日のEU首脳会議でも、域外から購入する天然ガス価格への上限設定を巡り、賛成するフランスと懸念を示すドイツが対立したばかり。

加えて関係悪化の一因となったのがショルツ氏が提唱した共通防空体制だ。

ロシアによるウクライナ全土へのミサイル攻撃を受け、北大西洋条約機構(NATO)に加盟するドイツや英国など欧州14カ国と、NATO加盟を申請したフィンランドが今月13日、防空体制を強化するため兵器を共同調達する方針で合意した。ただ調達先はイスラエルや米国が有力とされ、自国のミサイル防空体制を周辺国へと拡大しようとしていたフランスは蚊帳の外だった。

ショルツ氏はこの構想を提案した8月のプラハでの演説で「EUが東方に拡大することは私たち全員にとっての利益だ」とも述べ、ドイツが独仏連携から東欧重視路線へと転換したとの指摘もある。フランスはこうしたドイツの対応に不信感を募らせているとみられる。【10月27日 毎日】

*****************

【天然ガス 今年の冬はなんとかなりそう・・・という状況も】
最後に、懸念されてきた欧州の天然ガス状況。大方の懸念とはかなり異なる様相になっているようです。

****ガス不足懸念の欧州、暖冬の影響で供給過剰へ?****

天然ガス価格は8月下旬の高値から70%以上下落した

欧州では急速に天然ガスの供給がだぶついている。これを受けてガス価格は下落。欧州大陸がロシアへのエネルギー依存から抜け出そうとする中、冬の燃料不足と配給の懸念は和らいだ。

ほんの数カ月前には、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、欧州がロシアのガスから軸足を移し、ロシアが制裁の報復として輸出を制限したため、政府当局者や企業幹部、アナリストは欧州大陸が冬の間に必要な燃料を十分に確保できないのではないかと懸念していた。

政府は消費者や企業に燃料の節約を促し、そうしなければ強制的に配給すると警告し、米国やカタールなどが出荷したガスを大量に買い入れた。

こうした対策と、最近の季節外れの暖かい気候のため、陸上や沖合に浮かぶタンカーに大量のガスが貯蔵されることになった。

「供給は順調だ」と、欧州最大の銅生産者で大口のエネルギー利用企業である独アウルビスのローランド・ハリングス最高経営責任者(CEO)は述べた。「もう終わったと言うつもりはない。だが、2カ月前の状態よりはずっと良さそうだ」

欧州の港の沖には何十隻もの液化天然ガス(LNG)タンカーが浮かんでいる。極低温に冷却されたLNGの貨物を受け入れることができる貯蔵スペースや係留場所が不足している中、一部のLNG取引業者は、荷揚げする前に価格が改善することを願ってガスを船内にとどめている。これは市場環境の劇的な好転を象徴している。(中略)

欧州のこの快適な状況は一時的なものかもしれない。来週からは、冬の天候が貯蔵にどんな影響を与えるかを季節予報である程度正確に示すことができるようになる。(中略) 
それでも、欧州の天然ガス価格は8月下旬の史上最高値から70%以上急落している。
最近の穏やかな天候は、欧州の人々が家屋やオフィスを暖めるために満杯のガス備蓄をフルに利用し始める時期を遅らせている。

ロシアのガス供給から軸足を移すための大規模な取り組みにより、欧州各国はロシア政府が最初に輸出を削減したときに懸念されたよりも強い立場になった。欧州連合(EU)と各国政府は、企業や消費者に需要の削減を促す一方で、ガス備蓄を義務化した。EU全域のタンクなど貯蔵庫は94%埋まっている。

政府や企業の関係者は、価格下落を安堵(あんど)の表情で迎えている。アナリストによれば、冬が特別に寒いか、ロシア以外の供給源からのパイプラインが大きなダメージを受けない限り、欧州が危険なほどガス不足に陥る可能性は低い。(後略)【10月28日 WSJ】

*********************

もちろん「しかし、まだ危機を脱したわけではない。ロシアからの供給が減り続けているため、2023年の冬はさらに厳しいものになる」とのことですが、来年の冬の話は誰もわかりません。』

ハンザ同盟

ハンザ同盟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B6%E5%90%8C%E7%9B%9F

『この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2016年9月)
ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2016年9月)
出典検索?: “ハンザ同盟” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL』

『ハンザ同盟(ハンザどうめい、独: Hanse)は、中世後期の北ヨーロッパの都市による都市同盟である。バルト海沿岸地域の貿易を掌握し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した。』

『概要

「ハンザ」は古高ドイツ語であり、現代ドイツ語では 「ハンゼ」(Hanse) と呼ばれる。古高ドイツ語「ハンザ」は「団体」を意味し、もともと都市の間を交易して回る商人の組合的団体のことを指した。「ハンザ同盟」に相当する訳語は日本語以外でも用いられることもあるが、原語に直訳すると二重表現となる。

中世ヨーロッパでは都市同盟が重要な役割を果たした。周辺の領主に対抗するため、独立意識の高い諸都市が連合し、皇帝や国王も都市連合を意識して権力を行使しなければならなかった。これは世界史上、ヨーロッパでしか生じていない現象と言われている[要出典]。最盛期には100以上の都市が加盟し都市同盟の中でも規模と存続期間において群を抜いており、また特殊な存在であるとされている[1]。

ハンザ同盟の中核を占める北ドイツの都市は神聖ローマ帝国の中で皇帝に直接忠誠を誓う帝国自由都市であった。相互に独立性と平等性を保つ緩やかな同盟だったが、経済的連合にとどまらず、時には政治的・軍事的連合として機能した。しかし、同盟の恒久的な中央機構は存在せず、同盟の決定に拘束力も弱かったので、実際はそれぞれの都市の利害が優先された。同盟の慣習法は後の海事法のもとになったと言われている。

リューベック、ハンブルク、ブレーメンなどかつてのハンザ同盟の中心都市は「自由ハンザ都市」を称して中世以来の都市の自由をうたっており、21世紀の現在もなおハンザ同盟の遺風を残している。

歴史

Question book-4.svg

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “ハンザ同盟” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月)

前史

フリース人の活躍

バルト海では古くから交易がおこなわれていたが、中世初期には商業そのものが衰退していた。このバルト海で6-10世紀にかけて貿易を担ったのがゲルマン民族の一派フリース人である。彼らは都市生活を知らなかった点でハンザと大きく異なるが、平和的・恒久的な貿易を基本とし、ワインや木材、穀物、織物などを扱うなどハンザ商人の先駆者としての性格も持っていた。しかし、第二次民族大移動の時代に入ると、ヴァイキングから攻撃を受けるようになる。

東方植民

ヨーロッパも中世盛期に差し掛かるころになると、商業の復活や都市の発達が見られるようになる。人口が増大し、新たな土地を求め農民たちがエルベ川以東の土地に移住し開拓を進めていった(東方植民)。この地域には、キリスト教を受け入れていたドイツ人から見て異教徒であるスラヴ系住民が居住しており、土地を得るために武力による制圧も行われた。

東方植民の成果は大きく、ヨーロッパ世界の拡大と共に貿易圏も拡大していった。それと同時に都市も次々と建設され、多くの都市がハンザ同盟に加わることとなる。

リューベックの建設

1143年、ホルシュタイン伯アドルフ2世は、当時まだ未開の地だったトラーヴェ川とヴァーケニツ川の間にある中洲に目をつけた。彼は各地から住民を募り都市を建設し、リューベックと名付けた。

しかし、1157年の火災で、まだ小さな集落だったリューベックは荒廃してしまう。そこで、リューベックの住民はアドルフ2世の上位君主ザクセン公ハインリヒ獅子公に助けを求める。ハインリヒはリューベック市民のために新しい町を建設するものの、地理的な問題から発展が見込めなかった。そこで、アドルフからリューベックの土地を買い取り、再び町を建設した。この時、リューベックに都市としての特権が与えられた(1159年)。

商人ハンザ

11 – 12世紀の商人は特定の街に定住せず、各地を遍歴して商品を売買する「遍歴商人」が主流だった。

ドイツ人の遍歴商人は北海貿易に参加し、ロシア産の毛皮を求めてバルト海に乗り出していった。

当時、北方貿易の中心になっていたのはヴァイキングの商業拠点となっていたゴトランド島で、ドイツ商人たちは彼らのネットワークに参入した。

しかし、ヴァイキングの法では異民族は自動的に無権利であり、ドイツ商人は常に生命・財産を侵害されるリスクが存在した。

そこで、ザクセンのハインリヒ獅子公が仲介に乗り出し、1161年にヴァイキングとドイツ商人の間に通商権の平等が認められた。

さらにハインリヒはオデルリクスを団長とする遍歴商人団体を承認し、オデルリクスに民事・刑事上の司法権を与えた。商人団長に大きな権限が与えられたのには、ドイツから離れた地で異民族と競合しながら商売をしていくために、強いリーダーシップが必要があったためである。こうして、遍歴商人たちの団体である「商人ハンザ」が誕生した[2]。

ドイツ商人の商業活動の広がりに応じてハンザ同盟の商館の置かれる範囲は拡大した。

西はイングランド(イギリス)のロンドンから、東はジョチ・ウルス支配下(タタールのくびき)にあったルーシ(ロシア)の中心、ノヴゴロド公国のノヴゴロドまで広がった。
このレンジはモスクワ会社設立の足がかりとなった。同盟はロンドンとノヴゴロドに加えてフランドルのブルッヘ(ブリュージュ)、ノルウェーのベルゲンの4都市を「外地ハンザ」と呼ばれる根拠地とし、その勢力はヨーロッパ大陸の内陸から地中海にまで及んだ。
ゴトランド島で中心的な役割を果たした都市は、ドイツ遍歴商人の活動拠点でもあったヴィスビューだった。

ヴィスビューはドイツからロシア商人を放逐し、1237年にはイングランド王国から特権を与えられ国王・貴族に対し寡占的に毛皮を輸出していた。

また、当時のヨーロッパには非合理的な神判や法廷決闘が裁判制度として機能している地域があった。

古ゲルマン法では所有権と言う概念が定着しておらず、海岸に漂着した遭難者の財貨は発見者・海岸住民・海岸領主の物になるとされていた。

ヴィスビューはこれらの原始的な法に対抗するため、リューベックから法体系を導入し、12世紀から13世紀にかけてバルト海沿岸地域に普及させていった。

この過程において、ヴィスビューの法はキリスト教会から承認を受け、キリスト教の布教とセットでヴィスビュー法は伝えられていった[3]。

リューベックはハインリヒ獅子公の保護を受け発展していた。

しかし、ハインリヒは神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)と対立し、失脚する。

リューベックは形の上では王領地となるが、実質的にはホルシュタイン伯に支配されるようになった。

1188年、フリードリヒはリューベックに多くの特権を与え、商業都市としての発展を促進した。

1227年にはホルシュタイン伯の支配を排除して帝国都市としての地位を獲得し、いかなる領主の支配にも属さない帝国直属の都市となった[4]。

リューベック市民の一部は周辺地域に移住し、ロストックやヴィスマールなど新しい都市を建設した。

また、ロストック市民によって建設されたシュトラールズントなど、リューベックの「孫娘都市」も建設された。これらの都市をヴェンド系都市という。

さらにリューベックの法は娘都市やバルト海沿岸の都市に普及していった[5]。

また、北方十字軍などにおいて北ドイツの都市との協力を必要としたローマ教皇庁もリューベックと友好関係を築いた[6]。

都市ハンザの成立

1241年、リューベックとハンブルクの間で同盟が結ばれた。この同盟は後のハンザ同盟の基礎となる。

13世紀になると遍歴商人、使用人に実務を任せ、自らは本拠地となる都市に定住しながら指示を出す「定住商人」が台頭する。

彼らは定住する都市で都市参事会を通じて政治に参加する有力市民であり、彼らの相互援助の都市間ネットワークを通じて都市間で条約が結ばれていった。

これに伴い、ハンザ同盟の性格も商人団体から、商人が定住する都市によって構成される都市同盟「都市ハンザ」へと変質する。

しかし、この過程で上記のヴィスビュー(遍歴商人団体の中心都市)とリューベック(都市同盟の中心)の間で主導権争いが行われた。

ワールシュタットの戦いが起きた1241年、リューベックとハンブルクと間に商業同盟が結ばれた。これは、その都市の資源はその都市の商人が扱い、外来の商人は排他するというもの。

1256年、リューベックとロストックが対立する。

しかし、ヴィスマールが両者の仲を取持ち、3都市は友好関係(ヴェンド同盟)を築くことに成功した。

1259年には、ヴェンド同盟の会議も開かれる。ロストックとヴィスマールはリューベックを介してハンブルクとも結びつく。

さらにハンブルクを通じて西方や南方の諸都市も同盟に加わった。この都市同盟は、後のハンザ同盟の基礎となり、ヴェンド同盟の会議はハンザ会議の起源となった[7]。

当時はノヴゴロド商館でヴィスビューの優位性が認められており、ノヴゴロドでのドイツ商人の紛争はヴィスビューが上訴地とされていた。

また、ノヴゴロドの利益はヴィスビューに送られ、ヴィスビューのドイツ人、リューベック、ゾースト、ドルトムントで分け持っていた。1260年頃から諸都市との連携を強めていたリューベックは、ヴィスビューから覇権を奪おうと画策する。

1290年代までに、ほとんどのハンザ都市がリューベックをリーダーとして認めるようになる。

1293年、ロストックにザクセンとバルト海沿岸の諸都市代表が集まり、ノヴゴロドにおける上訴地をヴィスビューからリューベックに移すことが議論された。

ヴィスビューはリガ(現在のラトビア共和国首都)やオシュナブリュックと共に反対したが、会議に参加しなかった諸都市も含め大勢の支持を取り付けたリューベック側が勝利した。

1294年には、ネーデルランドの都市、スヴォレが書状の中でリューベックを「頭」、自らを「手足」に譬えて協力を誓った。

さらに1298年のハンザ会議では、ヴィスビューに拠点を置く遍歴商人団体の廃止が決議された[8]。

このようにリューベックをリーダーとする都市ハンザが台頭すると、それまで遍歴商人らによって独自に運営されていた各地の商館も都市ハンザの支配に下るようになる。最終的な決定権は現地の商人ではなく、ハンザ同盟諸都市の代表によって構成されるハンザ会議が下すこととなった[9]。

対デンマーク戦争

デンマークはハンザ同盟の宿敵であった。デンマークはホルシュタインを通じて陸路で貿易を行っており、海上貿易が中心のハンザ商人に進出できずにいた。

また、海上貿易もハンザ商人に頼らず行っていた。さらに、地理的にハンザの中心地に近く、軍事的な脅威でもあった。

14世紀、デンマーク王国のヴァルデマー4世再興王は王権の強大化とデンマーク領の拡大に邁進していた。1360年にはスウェーデン南部、1361年にはハンザ同盟都市のヴィスビューを占領した。ヴィスビューはハンザ同盟にとって重要な拠点であり、そこが奪われるということは死活問題であった。そのためハンザ同盟都市はデンマークに対して開戦する(1362年)。

デンマークの積極的な膨張策に脅威を抱いていたノルウェー王国、スウェーデン王国、シュレースヴィヒ公国、ホルシュタイン伯国、ドイツ騎士団などもハンザ同盟に味方した。
しかし開戦直後、リューベック市長ヨハン・ヴィッテンボルク率いるハンザ都市連合艦隊はデンマーク海軍に敗北を喫する。

1367年、ケルンでデンマークとの戦争を議題に据えたハンザ会議が行われた。

これにはハンザ都市だけでなくアムステルダムも代表を派遣しており、同市を含むネーデルランド諸都市がデンマークに対して抱いた強い危機感が窺える。

この会議で、ヴェンド、プロイセン、ネーデルランドの諸都市の間で反デンマークのケルン同盟が締結された。

また、この同盟はハンザ同盟と異なり、加盟都市に義務を課している(同盟当事者ではないがリーフラントの諸都市にも軍事的援助義務が課せられた)。

義務に違反した都市は同盟から追放されることが明記された。各都市は同盟の義務を履行するために市民に税を課した。スウェーデン国王加盟も予定されていた。また、この条約でリューベックがハンザの首長であることが初めて明示された。

ケルン同盟によって結束力を固めたハンザ側は1368年、リューベック市長ブルーノ・バーレンドルプを司令官として、海上から国王不在のコペンハーゲンを攻略する。

さらにオランダ(ネーデルランド)都市の艦隊は、デンマーク側に寝返ったノルウェーの当時の首都ベルゲンも襲撃した。当時、北ドイツにいたヴァルデマー4世 (デンマーク王)はハンザ同盟に停戦を呼びかけた。

1370年、シュトラルズントの和議が締結された。

停戦会議においてハンザ同盟は1つの交渉団体「諸都市」としてデンマーク代表との交渉にあたった。ハンザ代表は領土要求を行わず、戦前の権利承認と戦費賠償(税金を取り立てるための要塞を15年間保障占領し、その間の税収の2/3を受領する)が認められた。また、義務の履行を確実にするため、次期デンマーク国王の即位にはハンザの承認が必要とされた。

この戦争はハンザ同盟にとってそれまでの権利が国際的に承認されたことを意味した。一方で1870年(条約締結から500年後、翌1871年にドイツ諸邦が統一されドイツ帝国が成立)以降のドイツでは、「ドイツ民族の勝利」「民族的栄光の担い手として北方に覇を唱えた」とみなされた[10]。

ライバルの台頭

15世紀には周辺の国家の王権が中央集権化を進めた時期でもあった。そのため、ハンザ同盟と各地で抗争が繰り広げられた。

14世紀末、ネーデルランドはブルゴーニュ公の支配下に入った。

15世紀にはアントウェルペンが台頭し、ハンザが商館を置いていたブリュージュの地位が低下した。

ブルゴーニュ公はハンザに対して圧力をかけ、リューベックは強硬策に出ようとする。

オランダ商人はエーレスンド海峡を通って貿易を行い、ヴェンド系都市を通過せずにバルト海に進出したため、リューベックは制裁を試みた。

しかし、オランダ商人によって利益を得ていたドイツ騎士団やリーフラント(リヴォニア)の中小都市が反対したため、ハンザ同盟は一致した行動がとれなかった。さらに、ハンザに反感を持っていたスカンディナヴィア半島の諸王国がオランダを支援したため、ハンザ同盟はオランダ商人の活動を認めさせられた。

14世紀には、イングランド商人が成長し、プロイセンのハンザ都市で貿易を開始した。

するとハンザの諸都市はイングランド商人の取引を規制した。

これに対してイングランド商人はイングランドでハンザ商人が得ているのと同じ権利をハンザ都市に要求した(いわゆる相互主義)。この考えはイングランド議会にも受け入れられたため、1388年にハンザはイングランドに妥協し、相互主義を受け入れてイングランド商人に特権を与えた。この相互主義の適用範囲は拡大し、1428年にはドイツ騎士団領でイングランド商人の団結結成が認められた(ハンザの商館に対応する)。

15世紀、イングランドは私掠船によってハンザの商戦を苦しめた。ハンザ商人でない者が、ハンザ商人と共に商売をしてハンザ特権を享受しているというのがイングランド側の主張であった(ハンザ側では、そのようなケースは事業拡大のために黙認されていた)。

一方でイングランドの王室や毛織物業者にとってハンザ商人は大きな利益をもたらす存在であったため、完全な排除は行われなかった。

百年戦争が勃発するとフランスはハンザ同盟に接近し、ハンザは私掠船によって戦況を優位に進めていたイングランドの船を圧倒した。1474年、ブルゴーニュ公の仲介によってハンザとイングランドは和解し、ユトレヒト条約が締結された。これによってハンザ同盟のイングランドにおける地位は高まり、イングランド商人はバルト海から撤退した。

15世紀初頭の東欧ではヤギェウォ朝ポーランド・リトアニア連合が台頭し、バルト海東岸と南岸を支配していたドイツ騎士団と対立していた。

騎士団領のハンザ都市は商売上のライバルであるドイツ騎士団に対抗して、ポーランドを応援していた。

1410年、ドイツ騎士団はタンネンベルクの戦いでポーランドに敗れ、1466年の第二次トルンの和約で大きく西方に後退した。

プロイセン地方の新たな支配者となったポーランド王国の下、中小の都市は没落し、自由都市ダンツィヒやリガなどの都市が興隆した。この結果、東方のハンザ都市は自己の利益のみを追求ようになり、同盟の一体感は失われていった。

さらに、カルマル同盟を結んで北欧諸国を統合したデンマークに敗れて、バルト海の覇権を失った。

北ドイツでは、神聖ローマ皇帝の勢力が小さくなる代わりに、領邦君主が勢力を伸ばした。領邦君主が自領内都市への圧迫をかけた結果、多くの都市がハンザ脱退していった。

衰退

16世紀の大航海時代において、一般には、ヨーロッパの商圏の中心軸がバルト海・地中海から大西洋・北海に移動したと言われている。

確かに、ここでバルト海沿岸に位置するハンザ同盟都市の発展は鈍る。しかし、販路を継承したモスクワ会社が設立されて時代の波に乗る。一方でハンブルクやネーデルランド諸都市は大西洋方面の貿易にシフトし、さらなる発展を遂げることになる。

同世紀、宗教改革がヨーロッパに広がった。ハンザ同盟もルター派とカトリックの対立に巻き込まれ、都市内・都市間で混乱と対立が生じた。

そして、17世紀に三十年戦争が勃発する。生き残りに必死な北ドイツの都市にはハンザ同盟のために義務を履行する余力がなく、リューベック、ハンブルク、ブレーメンの3都市にハンザの名で行動することを委任された。それを受けて、この3都市は強固な軍事的な同盟を結ぶ。

1648年、参戦国の間でヴェストファーレン条約が結ばれたが、上記の3都市もハンザを代表して条約に列席した。しかし、この条約によってハンザ同盟都市の大半は領邦国家に組み込まれ、ハンザ同盟の存続に終止符を打った。1669年のハンザ会議[注 1]を最期に同盟は機能を完全に失い、実質上終焉した。

17世紀以降、バルト海の貿易圏は、既にスウェーデンとオランダ(ネーデルラント連邦共和国)が主流となっていた。三十年戦争によってドイツの国土が疲弊していたことも、ハンザ同盟の実質的な終焉に拍車をかける事となった。

その後

リューベック、ハンブルク、ブレーメンの3都市の同盟は20世紀まで断続的に存続し、長い間「ハンザ同盟」として活動を続けた。

現在のドイツ連邦共和国でも、ハンブルク(都市州)は「自由・ハンザ都市ハンブルク (Freie und Hansestadt Hamburg)」、ブレーメン州は「自由ハンザ都市ブレーメン(Freie Hansestadt Bremen)」、リューベックは「ハンザ都市リューベック (Hansestadt Lübeck)」を正式名称とする特別市として、かつてのハンザ同盟の名残を現在に留めている。例えば、現在でも車のナンバープレートは、それぞれHH(Hansestadt Hamburg)やHB(Hansestadt Bremen)、HL(Hansestadt Lübeck)となっている。

なお、日本の江戸幕府は幕末の文久年間(1862年)、開港延期交渉のために使節団を欧州に派遣した際、ハンザ同盟から外交を結ぶべく外交的接触を受けている。しかし、その後、北ドイツ連邦が設立されハンザ同盟がそれに属したため、ハンザ同盟からの直接の接触はその後行われていない。

新ハンザ同盟

1980年にオランダのズヴォレで「新」ハンザ同盟が結成され、311年ぶりにハンザ会議が開催された。この同盟は、ハンザ同盟本来の目的である加盟都市の貿易推進の他に、文化交流・観光誘致も目的とする、現代風の呑気なものとなった。加盟都市はかつてのハンザ同盟の加盟都市が原則であるが、ハンザ同盟の商館を設置した都市であれば新規加盟も可能とした。折りしも東西冷戦が終結しバルト海の東西を分かっていた政治的障壁が消滅したため、加盟都市は増え現在では175都市を数えている。ハンザ会議は毎年開催されるが、開催地は加盟都市の持ち回りとなっている。会議とはいっても、実際は文化フォーラムのごときもので、会議期間中は中世をしのぶ文化展示や催し物・パレードが行われ、町はお祭りとなる。

21世紀に入り、欧州連合(EU)における独仏の台頭、南北経済格差、イギリスの離脱といった問題が浮き彫りになった。こうした問題にヨーロッパ北部の中小国家が共同で対応するため、新ハンザ同盟はオランダを中心に外交面でも存在感を持つようになっている。2018年時点の参加国はオランダとアイルランド、北欧のうち3カ国(デンマーク、スウェーデン、フィンランド)とバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)である[11]。
経済・貿易
Question book-4.svg

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “ハンザ同盟” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月)

ハンザ同盟の主要交易路

ハンザ商人は、北海・バルト海を中心にヨーロッパ内陸部や地中海地域までも活動範囲とした。特にイングランド王国では、ドイツ商人の果たした役割は大きく、ロンドン市民と同じ身分を与えられていた。

ハンザ同盟の扱う交易品としては、ブリュッヘを通じて貿易されるフランドルの織物のほか、バルト海のニシンが重要である。毎年、夏から秋にかけてのニシン漁期になると北ドイツの各ハンザ都市から北欧に向けてニシン買い付けの商船隊が派遣され、年間数十万トンのニシンが塩漬けにされてヨーロッパ各地に輸出された。またドイツ騎士団領からは木材、琥珀、ポーランド王国からは穀物、ロシア方面からは黒貂、熊、リスなどの毛皮が輸出された。

ハンザ商人は現金・現物による即時決済を中心とする堅実な商業活動を行っていた。それゆえ信用経済は発達せず、金融が発達したイタリア半島とは対照的に、銀行・保険などのシステムは未整備のままだった。そのため、リスクを分散させ多くの投資を集めることのできる船舶共有組合が発達した。

組織

Question book-4.svg
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “ハンザ同盟” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月)

ハンザ同盟は自然発生的な諸都市間の連合体であり、恒久的な中央組織は存在しなかった。しかし、リューベックやハンブルクなど、ヴェンド地方の都市の市会参事(ラート)が無給でハンザの政務を取り仕切っていた。後述するハンザ会議も主にこれらの都市が下準備を行い主催していた。

時代が下り、周辺の王国で法律家による有給官吏が台頭した16世紀には、ハンザ同盟にも外交、法典・議事録の作成などを任されるハンザ官僚が任命された。しかし、財政的理由から人数も1人と明らかに不十分で、権威・権限も弱く、多くはリューベックの法律家・市政家が任命された。このため、リューベックの市会参事がハンザ同盟の政務を担った以前の状況と比べて大きな変化はなかった。

ハンザ会議

ハンザ同盟の意思決定は、同盟都市の都市が集まり、意思疎通を行うハンザ会議で決定された。決定方法は全会一致であったが、強制力は弱く、決議を守らない都市も少なくなかった。開催時期は不定期で、開催地もリューベックかその周辺都市で持ち回り制だった。ハンザ会議に代表を派遣した都市がハンザ同盟都市とされている。

ハンザ会議には全てのハンザ同盟都市の代表が出席したわけではなく、特に開催地から遠い中小都市の出席状況は悪かった。そこで、同盟地域をいくつかの地域に分け、各地区代表のとなる大都市に中小の都市が出席を委任する形で代替されたこともあった。

1669年を最後にハンザ会議は開かれなくなった。

商館

ハンザ同盟は外地に「商館」を建設した。商館と言っても、ハンザ商人団体のことを指す用語で、専用の建物があるとは限らない。特にロンドン、ブリュージュ、ベルゲン、ノヴゴロドの商業拠点は規模が大きく、ハンザ史学においてはこの4つのみを商館と呼び、その他の拠点である「支所」と区別している。

ロンドン商館

ロンドン商館はイングランド王国におけるハンザ商人の拠点。本部の置かれた建物の名前から「スチールヤード」とも呼ばれていた。強大な王権に対抗する必要性から商館の求心力は強く、意思決定機関である総会の決定事項は強い拘束力を持ち、違反者には罰則がかけられていた。

ロンドン商館には職員がおり、2名の商館長はイングランド人(ロンドン市高官が多かった)とハンザ商人が1人ずつ選ばれていた。ハンザ商人はイングランドにおいて特権を与えられていたため、イングランドとの関係を円滑にするため、イングランド人を商館長にしていたのだといわれている。商館長含め12人の役員が商館を指揮し、数名の有給の書記が業務を行っていた。有給の職員が置かれたことは中世では異例のことである。

15世紀になると、ハンザ商人に与えられていた特権を疎ましく思うイングランド商人や、国内の産業を育成しようとするイングランド国王がロンドン商館に様々な圧力をかけるようになる。しかし、イングランドは木材の輸入などで完全にハンザ商人に頼り切っていたため完全な排除は難しく、ロンドン商館は長い間持ちこたえていた。1598年、エリザベス1世によってロンドン商館は閉鎖された。

ブリュージュ商館

ブリュージュ商館はネーデルランド(オランダ)に置かれたハンザ商人の拠点である。本拠地となる特定の建物も居住地も存在していなかったが、ネーデルランドはヨーロッパ世界における経済・文化の中心地であったため、ブリュージュ商館は大きな役割を果たした。商館の幹部は3つの地域が輩出する代表2人ずつ、計6人の商館長から構成された。フランス王国やイベリア半島諸国などとの外交もブリュージュ商館の役割であった。

最終的に1530年代にブリュージュの商館は発展著しいアントウェルペンに移動する。
ベルゲン商館

ベルゲン商館はノルウェー王国におけるハンザ商人の拠点である。特定の建物は存在しなかったが、ベルゲンにあるドイツ人居住区に所在したため「ドイツ人の橋(ブリッゲン)」と呼ばれた。ドイツ人居住区の住民は全員男で、独身が義務付けられていた。ノルウェー王国への穀物供給で大きな役割を果たしていた。

ハンザ同盟が過去のものとなった17世紀まで商館は存続する。しかし、徐々にノルウェーの影響力は高まり、商館の構成員もノルウェー人あるいはベルゲン市民に同化していった。
ノヴゴロド商館

ノヴゴロド商館はロシアの拠点でハンザ商圏の最東端に位置した。前身はゴットランド島の商人による「ゴート商館」。中心的な役割を果たした聖ペテロ教会の名前にちなんで「聖ペーター・ホーフ」と呼ばれていた。最大の輸出品は毛皮で、その他に木材や蜜蝋なども輸出していた。

この聖ペテロ教会は「商人教会」とされ、商人によるミサだけでなく、商業資料の保管や商人による会議などが行われていた。司祭も商人団が指名しており、商人たちが教会を管理していた。ただし、教会内での商行為は許されていなかった。

ロシアにおけるモンゴルの支配(「タタールの軛」)が終わるとモスクワ大公国が台頭する。1478年、「大帝」イヴァン3世にノヴゴロド公国が征服されたことにより、ノヴゴロド商館は弾圧を受けるようになる。1497年には商館が閉鎖され、商館に属するドイツ商人は全員捕えられ、財産を没収された。商館そのものは1514年に復活するが、もはやかつてのような力はなく、形だけの存在にとどまった。

主なハンザ同盟都市

Question book-4.svg
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “ハンザ同盟” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月)

全盛期のハンザ同盟は約200の都市から構成されたと言われている。しかし、加入の際に具体的な条約・協定が締結されたわけではないので、ハンザ同盟都市と言えるかどうか曖昧な都市も少なくない。また、都市以外にもドイツ騎士団とディートマルシェの農民団がハンザ同盟に加わっていた。

ハンザ同盟都市の中でも、都市によってハンザに対する態度は異なる。リューベック、ハンブルクなどの都市は同盟の維持に熱心だったが、当時ドイツで最大の都市であったケルンは同盟内でも独自行動が目立った。

リューベック、ハンブルク、ヴィスマール、ロストクなどはハンザ同盟最初期のメンバーであり、長い間ハンザを支え続けた。最後までハンザ同盟を担い続けたのはリューベック、ハンブルク、ブレーメンの3都市だった。
1400年頃のハンザ同盟諸都市
(●:加盟都市、■:外地ハンザ)
ネーデルラントサークル
ヴェストファーレンサークル
ザクセンサークル
ウェンディッシュサークル
マーグレイヴサークル
ポメラニアサークル
プロイセンサークル
リヴォニアサークル
スウェーデンサークル
北欧

ヴィスビュー
ストックホルム
トゥルク(オーボ)
ベルゲン

ロシア(本土)

スモレンスク
トヴェリ
ノヴゴロド
プスコフ

バルト海東岸

タリン
ナルヴァ
パルヌ(ペルヌ、ペルナウ)

そのうち旧ポーランド(ポーランド・リトアニア連合)

ヴァルミエラ(ヴォルマール)
ヴィリャンディ(フェリーン)
ヴェンツピルス(ヴィンダウ)
カウナス(カウエン)
クライペダ(メーメルブルク)
クルディーガ(ゴールディンゲン)
タルトゥ(ドルパート)
ツェーシス(ヴェンデン)
リガ
カリーニングラード(ケーニヒスベルク)

ポーランド

ヴロツワフ
エルブロンク(エルビング)
グダニスク(ダンツィヒ)
クラクフ
シュチェチン
トルン
ヘウムノ(クルム)

ドイツ

ヴィスマール
エッセン
オスナブリュック
カルマール
キール
グライフスヴァルト
ゲッティンゲン
ケルン
ゴスラー
シュトラールズント
デュースブルク
デュッセルドルフ
ドルトムント
ハノーファー
ハレ
ハンブルク
ヒルデスハイム
ブクステフーデ
ブラウンシュヴァイク
ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル
フランクフルト (オーダー)
ブレーメン
マクデブルク
ミュンスター
ミンデン
リューネブルク
リューベック
ロストック

低地地方

ズヴォレ
ナイメーヘン(ネイメーヘ)
ブルッヘ(ブリュージュ)
フローニンゲン(フローニンヘ)

ハンザと世界遺産
現在のブリッゲン(旧ハンザ同盟ベルゲン商館)

ハンザ同盟の残した歴史的・文化的意義はユネスコに高く評価されており、ハンザ同盟に関連する世界遺産(世界文化遺産)は複数存在する。

ブリッゲン
ハンザ都市リューベック
ハンザ同盟都市ヴィスビュー
シュトラールズントとヴィスマールの歴史地区

ハンザ研究史

Question book-4.svg
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “ハンザ同盟” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月)

ハンザ同盟の歴史研究は1870年代のドイツで本格化した。ドイツ帝国建国によって「ドイツ民族」長年の悲願、ドイツ統一が叶った時期であり、ナショナリズムが高揚した時期でもあった。その影響で初期のハンザ研究はハンザ同盟を中世におけるドイツ人活躍の歴史として解釈し、ハンザ同盟を国家のように捉え、強力な同盟関係が形成された14世紀以降を主な研究対象としていた。

20世紀初頭には都市同盟が形成される以前のハンザ商人の活躍も注目されるようになっていった。

第二次世界大戦後はハンザの主体をドイツ人のみに限定する歴史観が批判され、現在ではハンザの主体を特定の国家・民族に限定するのは不適切であるとされている。それと同時に、ネーデルラントやスラヴ系住民らの果たした役割も強調されるようになっている。』

ハンブルク港

ハンブルク港
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%B8%AF

『この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “ハンブルク港” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年5月)』

『ハンブルク港(ドイツ語:Hamburger Hafen)とは、ハンブルクのエルベ川沿いの河口から約100kmに位置しているドイツ最大の港湾。大規模なコンテナターミナルを擁し欧州ではロッテルダム港、アントワープ港(英語: Port of Antwerp)に次ぐ第3の港湾である。2020年現在、海上コンテナ取扱量は世界第18位[1]である。』

『歴史

ハンブルク港

北ヨーロッパ圏で交易が盛んになった1189年5月7日に開港した。フリードリヒ1世からエルベ川での関税を徴収する特権が与えられ、中世都市の自由貿易連合体であるハンザ同盟の最も重要な北海沿岸港として、穀物、織布、毛皮、ニシン、香料、木材、金属の積替地となり発展を遂げた。アメリカ大陸の発見とアジア航路が開通した16世紀中頃以降、欧州で最も重要な貿易港となった。

19世紀後半になると世界貿易の急速な拡大にともない外航船の航行が急増したため、倉庫の貯蔵能力と港湾機能の拡充のために1881年から1888年に倉庫街が建設され、その後の二、三十年の間に港がエルベ川の対岸に拡張された。これ以降、世界最大のコーヒー・ココア・香料・絨毯の取扱港となり、キール運河が1895年に完成すると、バルト海へ短時間で出られるようになり、港の魅力はますます高まった。

第二次世界大戦では、英米軍によるハンブルク空襲でハンブルク港は完全に破壊された。戦後、ハンブルクが英国占領地区、ブレーマーハーフェンが米国占領地区とされた。現在でもその名残として、それぞれアジア・アフリカ航路、北米・南米航路が集中している。
2020年代、中国からの貨物の受け入れ量の増大を背景に、中国国営企業の中国遠洋海運集団がハンブルク港のトレロー・コンテナターミナル(CTT)へ出資することを計画[2]。ドイツ政府内部では中国が重要なインフラへの関与することにについて強い慎重論が出されたものの、既に中国は欧州の複数の港湾で独自に拠点を有しているなどの状況もあり、2022年、出資額を25%未満に制限すること、人事などの重要な決定事項に関与しないことを条件に許可することとなった[3]。

コンテナターミナル

Eurogate Container Terminal Hamburg CTH
オペレーター:Eurogate、岸壁長さ:2,050m、面積(バース数):140ha(7)、水深:16.7m、年間取扱容量(計画):260万TEU(450万TEU)、使用会社:Maersk Sealand, The New World Alliance Hanjin, Yang Ming, MSC
HHLA Container Terminal Burchardkai CTB
オペレーター:HHLA、岸壁長さ:2,850m、面積(バース数):160ha(10)、水深:16.5m、年間取扱容量(計画):280万TEU(520万TEU)、使用会社:Cosco, Evergreen, MISC, CMA CGM, Senator
HHLA Container Terminal Altenwerder CTA
オペレーター:HHLA、岸壁長さ:1,400m、面積(バース数):80ha(4)、水深:16.7m、年間取扱容量(計画):240万TEU(300万TEU)、使用会社:Grand Alliance
HHLA Container Terminal Tollerort CTT
オペレーター:HHLA、岸壁長さ:995m、面積(バース数):40ha(4)、水深:15.2m、年間取扱容量(計画):95万TEU(200万TEU)、使用会社:K Line, MSC, Yang Ming

関連項目
横浜港 – 姉

妹港 』

ショルツ政権、独ハンブルク港への中国出資を容認

ショルツ政権、独ハンブルク港への中国出資を容認
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR286750Y2A021C2000000/

『【フランクフルト=南毅郎】ドイツのショルツ政権は28日までに、中国の国有海運大手によるハンブルク港のターミナルへの出資を認めると決めた。独メディアが伝えた。同港はドイツ最大の港湾で、重要インフラへの中国の関与強化に安全保障面から懸念の声も出ている。

出資するのは中国の国有海運大手「中国遠洋運輸(COSCO)」。当初は35%の出資を計画していたものの、25%未満に制限する。出資は認めるものの上限を設けることで、人事などの重要な決定事項に関与できなくなるという。

ドイツにとって中国は最大の貿易相手国で、自動車の販売などを通じて経済的な結びつきが強い。ハンブルク港は独最大の港湾で、中国側も欧州の貿易拠点として重視しているとみられる。独メディアによると、中国は欧州にある複数の港湾で独自にターミナルを持ったり、港湾運営会社に出資したりしている。

今回の出資を巡っては、重要インフラへの関与強化に独国内でも慎重論が強い。ショルツ政権内でも、対中依存度を高めるとしてハベック経済・気候相など複数の閣僚が反対していた。ショルツ氏はハンブルク州首相を務めた経験があり、11月上旬には訪中も計画する。』

プーチン氏「核の脅し」発言弱める 中印の懸念に配慮か

プーチン氏「核の脅し」発言弱める 中印の懸念に配慮か
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR2851A0Y2A021C2000000/

『ロシアのプーチン大統領は27日、放射性物質をまき散らす「汚い爆弾」の使用について「使う意味がない」と否定した。核兵器の使用についても「ロシアから言及したことはない」と主張し、核の脅しをややトーンダウンした。ロシアの核使用を懸念する中国などに配慮した可能性がある。

プーチン氏は内外の有識者を集めた「ワルダイ会議」で、およそ3時間にわたって質疑に応じた。

「汚い爆弾」をロシアが使用する可能性について「政治的にも軍事的にも使う意味がない」と明言した。

核兵器については、国家の存立が脅威にさらされた場合などに使用できるとした「軍事ドクトリン」に改めて言及した。「核兵器が存在するかぎり常に使用の危険性はある」と主張した一方、先制使用は否定した。

ロシアがウクライナ東・南部4州を一方的に併合したことで、米欧などは4州へのウクライナ軍の攻撃を根拠にロシアが核兵器を使用することを警戒している。

中国やインドなど米欧の対ロシア制裁と距離を置く国々も、ロシアの核使用には懸念を強めている。プーチン氏はロシアの核使用の可能性を持ち出したのは米欧側だと主張し、「ロシアと友好国との関係を悪化させようとしている」と訴えた。

「汚い爆弾」については自国の使用を否定する一方、ウクライナ側の使用の恐れを改めて指摘した。

プーチン氏は、ウクライナが使用済み核燃料を用いた「汚い爆弾」の製造技術を持っていると主張し、「ロシアを陥れるための企てだ」と持論を展開した。ロシアのショイグ国防相が米英仏との電話協議で懸念を伝えたことを「私の指示だ」と明かした。

オースティン米国防長官は27日、ロシアによる「汚い爆弾」の使用について「決断した兆候はない」と述べた。

ウクライナ側は同爆弾の開発を否定している。国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は27日、ウクライナの依頼を受けて数日中に同国内の2カ所の施設を調査すると表明した。

「汚い爆弾」を巡っては、ロシアが偽情報を拡散しているとの見方がある。西側諸国は、ロシアがウクライナの仕業とみせかける「偽旗作戦」を用いることを警戒している。

ロシア外務省は24日、ウクライナの2つの機関が「汚い爆弾」の作製を指示され、「開発が最終段階にある」とツイートした。証拠として「汚い爆弾の試作品」とする写真など複数の画像を公開した。

スロベニア政府は26日、ロシア側が証拠として挙げた写真について、スロベニア国内で撮影された「一般用途の煙探知機だ」と公式ツイッターで反論した。同国の機関が2010年に資料用に一般公開した写真だという。

スロベニア政府がロシア外務省のツイートに反論して投稿した画像

戦況が厳しい中、ロシアが「汚い爆弾」を巡って情報戦を仕掛け、ウクライナと同国を支援する米欧のかく乱を狙った可能性がある。

ロシア軍はウクライナ軍の激しい攻勢にあっている。ウクライナ軍はロシアが併合した南部ヘルソン州の村を奪還。一部の住民は親ロシア派行政府の勧告を受けて退避した。』

ゼンリン

ゼンリン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%B3

『株式会社ゼンリンは、地図情報の調査・制作・販売を行う日本の企業。日本国内で4社存在するデジタル地図調製業者のうちの1社で[2]、地図情報会社として日本国内最大手[3]。自社で調査した情報を基に住宅地図やGISなどを制作・販売するほか、他社に対してデジタル地図やカーナビゲーション用データなどを供給している。 』

『歴史

創業

大分県宇佐市出身の大迫正冨(1921年6月16日 – 1980年5月23日)が、1948年4月に別府市で友人と創業した観光文化宣伝社を前身とし、この年を創業としている。

別府市内で宣伝や観光案内などの事業を行い、正冨は専務取締役として出版部門を担当したが、翌1949年に独立して華交観光協会を設立。観光客向けに名所旧跡を紹介する小冊子『年刊別府』を制作したところ、巻末付録であった詳細な市街地図が土地勘のない観光客の間で好評で、地図への掲載要望が相次いだ[4]。これに手応えを感じた正冨は、翌1950年に社名を善隣出版社と改め、2冊目となる『観光別府』を制作する。『観光別府』では付録の地図情報が一層充実し、住宅地図に近いものとなった。

社名は正冨が好んだ言葉「善隣友好」から採られた。戦時においては地図は軍事機密となるため「平和でなければ地図づくりは出来ない」という思いが込められている[5]。
住宅地図の制作

これら2冊の成功を受け、1952年6月に『別府市住宅案内図』が販売された。江戸時代の古地図や戦前の町内案内図などから着想を得て、一軒一軒の建物の情報が記載された地図は、商店や官公庁など各方面で評価され、発行地域を広げた。

1954年3月には販路拡大を目指して福岡県小倉市下到津(現在の北九州市小倉北区)へ移転し、『住宅案内図』の名称も『住宅地図』へと改めた。
全国展開

以降、住宅地図の発行エリアを順次拡大を進め、1980年には47都道府県全てにおいて住宅地図の発行を開始。以後2018年現在に至るまで、住宅地図を全国展開しているのはゼンリンが唯一となっている。住宅地図全国展開の経過は、のち2004年10月にNHKのドキュメンタリー番組プロジェクトX〜挑戦者たち〜で「列島踏破30万人 執念の住宅地図」として放映・書籍化された。

1952年に大分県別府市で住宅地図の発行を始めてから29年目での全国制覇となったが、同年5月、それを見届けるかのように創業者の正冨が社長在職のまま59歳で病没。後任には正冨の長男である大迫忍が就いた。

電子化からカーナビへ

世界初のGPSカーナビが搭載されたユーノス・コスモ

1980年代に入ると2代目社長となった大迫忍の主導により他社に先駆けて地図のデータベース化に着手。1984年に日立製作所と「住宅地図情報利用システム」を開発した。これにより出版物だけでなく地図データの販売も可能となり、1988年にはCD-ROMに地図データを収録した『Zmap電子地図』を販売。1990年には、GPSに対応した世界初のカーナビゲーションシステムを三菱電機と開発し、ユーノス・コスモに搭載された[6]。

1990年代にはカーナビゲーションやパソコンが一般化。80年代に行ったデジタル化への先行投資が実を結んで売上を伸ばし、1994年(平成6年)9月には福岡証券取引所へ、1996年(平成8年)9月には東証・大証各2部への上場を果たした。

地方の地図出版社であったゼンリンをデジタル化の推進によって国内最大手の地図情報会社へと飛躍させた2代目社長の大迫忍は「年を取ると老害になる。55歳で引退する」[7]として2001年をもって20年間務めた社長を勇退し経営から退いた。同時に「同族経営は弊害を生む」として同族企業から脱却させ、後任には創業家以外から原田康が就任した。

媒体の多様化

2000年代には携帯電話・ノートパソコン・携帯ゲーム機・スマートフォンなどの普及に伴い、これらのデバイスに対して地図サービスの提供を行った。

2000年4月、インターネットの普及を受け、ネットワーク配信事業を行うゼンリンデータコムを設立。同年6月には携帯電話向け地図閲覧サービス『ゼンリン携帯マップ』を開始。当初はラスター形式による地図配信であったが、翌年には携帯電話上での地図描画として世界初となるベクター形式による配信を実現した[8]。

2001年8月、3D地図を開発するジオ技術研究所を設立。

2005年7月、Google マップの日本向けサービス開始と同時にデータ提供を開始 [9]。 同年8月、住宅地図のネット配信サービス『ZNET TOWN』を発売開始[10](2019年3月まで)。

2006年4月、PlayStation Portable用の地図ソフト『みんなの地図』を発売。

2006年に東証一部に上場を果たすと、「経営環境の変化に対応するため、若い経営陣に任せたい」として2008年に原田が57歳で退任[11]。初の生え抜きとして高山善司が45歳の若さで4代目社長に就任した。

近年の動向

2010年代に入ると、自動運転やドローン、雑貨などの新たな分野へ地図データを活用した商品化が進んだ。

自動運転

2008年から社内で先進運転支援システム(ADAS)のための高精度地図データの研究開発を開始し、国内外の関連企業との協業を行う。

2016年5月、三菱電機らと6社でダイナミックマップ基盤企画を共同設立。自動運転の実現に必要となる高精度3次元地図の検討を進める事で合意[12]。

2017年1月、NVIDIAと自動運転向けのソリューションについて共同研究することで合意[13]。

2017年10月、オランダのTomTomと日本におけるトラフィックサービスの共同開発で合意[14]。

2018年1月、日産自動車・Mobileyeと共同でレベル3の自動運転向けの高精度地図の共同開発を発表[15]。
ドローン

2015年9月、一般社団法人日本UAS産業振興協議会・ブルーイノベーションと共同でドローン用飛行支援地図サービスの開発に着手。翌2016年5月には飛行禁止区域を地図上で示す『SORAPASS』を発表[16]。

2017年3月、東京電力ホールディングスとドローン用3次元地図分野で提携し、電線網の上空をドローンの安全な飛行経路として活用する「ドローンハイウェイ」の実現を目指して共同開発を進めると発表[17]。

3D地図データ

国内の主要都市の街並みを再現したカーナビゲーション向けの3D地図データを汎用性の高いFBXに変換し、2014年9月より一部をUnityアセットストアで公開している。2018年7月には、グランゼーラが開発中のPlayStation 4用ゲームソフト『絶体絶命都市4Plus_-Summer_Memories-』において、ゲーム内の街のグラフィックに採用されると発表された[18]。

生活雑貨

保有する地図データを活用した新たな市場開拓を進め、2016年に地図を柄として用いた雑貨シリーズ『mati mati』を発売。第59回大阪インターナショナル・ギフト・ショー春2018の販促品部門で大賞を受賞[19]。お茶の水女子大学との産学連携による地図柄文具の商品開発や[20]、アパレルブランドのマスターバニーエディションのポロシャツへの地図データの採用など[21]、広がりを見せている。

2018年には社内のビジネスコンテストで最終選考に残ったアイデアをもとに、夏休みの自由研究向けキットを発売[22]。

地図づくり

創業以来、現地で実際に目視し状況を確認するのがゼンリンの調査の特徴となっており、その様子は「現代の伊能忠敬」とも例えられる[23]。2018年現在も全国に約70の調査拠点と約1000名の調査スタッフを有し、都市部で毎年、他の地域でも最大5年周期で徒歩による現地調査を実施している[24]。

2012年9月に発生したアップルの純正地図アプリに「パチンコガンダム駅」などの不正確な情報が多数表示される不具合の際には、グーグルが採用していたゼンリンのデータがアップルで使われていなかったため、結果的にゼンリンの地図データが再評価された[25][26]。

製品

住宅地図データ

住宅地図は建物一軒一軒の住所・建物名・入居者名・形状・階数等を収録した地図。刊広社などの競合も存在するが、日本国内すべての自治体の住宅地図を調査・製造しているのはゼンリンが唯一となっている。調査員が目視で現地調査した情報を使用しており、データベースは属性で分けられた約1000のレイヤーを持つ[27]。 消防・救急の指令システムをはじめとする行政サービス、電気・ガスなどのインフラ企業、宅配業者や不動産業者などの民間企業に対してデータを供給している[28]。

主な自社商品

    ゼンリン住宅地図 - 冊子版。B4・A4の2つのサイズを発売。
    ブルーマップ - B4判の住宅地図に公図と都市計画図の情報を加えたもの。
    ゼンリン住宅地図出力サービス - オンデマンド版。
    ゼンリン住宅地図プリントサービス - コンビニエンスストアのマルチコピー機で印刷出来るA3サイズの住宅地図。
    電子住宅地図デジタウン - DVD版。
    ゼンリン住宅地図スマートフォン - スマートフォン版。
    ZNET TOWN - クラウド版。
    ZENRIN GISパッケージ - クラウド版。業種別のGIS機能を追加したもの。
    らくらく販促マップ - 中小企業・個人事業主向け。ポスティング用の機能を追加したもの。
    自主防災マップ - 自主防災組織・自治会・町内会向け。
    mati mati(マチマチ) - 住宅地図のデータを加工して柄として用いたステーショナリーシリーズ。

ナビゲーションデータ

カーナビゲーション

主な自社商品

    JAPAN MAP - パナソニックのカーナビ「ゴリラ」用の更新用データ。

歩行者ナビゲーション

歩行者用の経路ネットワークを「高密度エリア」「低密度エリア」「道路ネットワーク流用エリア」の3つに分けて整備している[29]。「高密度エリア」は1日の利用客数が5万人以上の駅と周辺を対象とし、階段の勾配情報やエスカレーターの稼働方向、屋根の有無などを調査し、階段が少ないルートや雨天時に濡れにくいルートといったきめ細やかな案内を実現している。

主な自社商品
    いつもNAVI

ADAS

ドローンハイウェイ

3D地図データ

主要都市部の建物をポリゴンで作成したデータ。範囲は東京23区・大阪市の全域と、全国政令指定都市(19都市)の中心部で、更新は年1回。オブジェクト毎に数百種類もの属性を持つ。カーナビゲーション用に製作されてきたが、近年はゲームソフトやBIMなど、異なる分野への活用も進む。

主な自社商品
    3D地図データ

観光情報

カーナビゲーション用データとして、全国の主要な観光地・施設の案内文や画像データを収集。

主な自社商品

    道の駅 旅案内全国地図

CSR
ゼンリンミュージアム
ゼンリンミュージアムが入居するリバーウォーク北九州

創業家二代目社長の大迫忍が収集した国内外の古地図コレクションを公開するため、本社所在地である福岡県北九州市に2003年7月に企業博物館「ゼンリン地図の資料館」を開館。

本店所在地を兼ねてリバーウォーク北九州の最上階に位置し[30]、所蔵する8250点の一部のほか、地図制作の歴史やスポンサードする選手・団体などに関する展示を行っていた[31]。

しかし「ゼンリン地図の資料館」を中心に続けてきた地図文化振興の取り組みを一層拡大するため、同資料館は2019年11月15日をもって一旦閉館、同地に新たに「ゼンリンミュージアム」をオープンすることとした[32]。「ミュージアム」開業は「地図の日」にあたる2020年4月19日を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、同年6月6日に延期された[33]。

なお「資料館」時代から、小倉の街並みを見渡す展望カフェスペースも設置されている。
災害時支援協定

東日本大震災を契機として非常時における紙の地図の重要性が認識されたことに伴い、自治体に対し災害時用の地図を贈呈し備蓄する取り組みを行っている[34]。

ゼンリン陸上競技部

実業団活動として1990年より陸上競技部を設けており、2018年現在では藤光謙司、高山峻野、城山正太郎らの選手が在籍している。

スポンサード

ギラヴァンツ北九州
地元北九州市を拠点とするプロサッカーチームであるギラヴァンツ北九州を支援。2010年から2012年は背中上部、2013年以降はパンツのユニフォームスポンサーとなっている。
片山右京 / チームUKYO
元レーシングドライバーの片山右京と、片山が率いるチームUKYOのメインスポンサーとなっている。

木戸愛
2012年2月よりプロゴルファーの木戸愛と所属契約を結んでいる。

テレビ番組
タモリ倶楽部(テレビ朝日)2019年1月時点でも関東ローカルにて提供中。
モヤモヤさまぁ〜ず2(テレビ東京)過去にテレビ東京系列にて提供していたテレビ番組。放送開始から現在でも、いつもNAVIによる地図データ提供行っており、提供していた時期は、いつもNAVIのテレビCMを流していた。
がっちりマンデー!!(TBSテレビ)- 2021年1月17日よりTBSテレビ系列にて複数社の1社として提供開始。

事業所

本社 - 福岡県北九州市戸畑区中原新町3番1号 北九州テクノパーク
第一事業本部など - 東京都千代田区西神田一丁目1番1号 オフィス21ビル
第二事業本部など - 東京都千代田区神田淡路町二丁目101番地 ワテラスタワー
テクノセンター - 福岡県北九州市戸畑区中原新町3番1号
ゼンリンミュージアム(旧・ゼンリン地図の資料館) - 福岡県北九州市小倉北区室町一丁目1番1号 リバーウォーク北九州

その他
「ゼンノ」を冠するゼンノロブロイ

全国各地の産業などが物件として登場しているテレビゲーム『桃太郎電鉄シリーズ』では、小倉駅の物件としてゼンリンをモデルとした「住宅地図制作会社」が登場する。なお、ゼンリンは同ゲームシリーズを開発・販売しているハドソンと共同でパソコン用地図ソフト「MaPiVi」を開発していた[35]。
二代目社長の大迫忍は馬主であり、自身の所有する競走馬の冠名として、社名に由来する「ゼンノ」を付けた。例として2004年のJRA賞年度代表馬のゼンノロブロイがいる。

関連会社

株式会社ゼンリンプリンテックス
株式会社ダイケイ
株式会社ジオ技術研究所
株式会社ゼンリンインターマップ
株式会社ゼンリンマーケティングソリューションズ
株式会社ゼンリンデータコム
株式会社Will Smart
ZENRIN USA,INC.
ZENRIN EUROPE GmbH
Abalta Technologies, Inc.
上海大計数据処理公司
Abalta Technologies EOOD
C.E.Info Systems Private Limited
INFOTRACK TELEMATICS PTE. LTD. 』

地図のゼンリン、中国子会社休止 表札の漢字入力廃止で

地図のゼンリン、中国子会社休止 表札の漢字入力廃止で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJC284J50Y2A021C2000000/

『地図大手ゼンリンの高山善司社長は28日、日本の住宅地図の製作に関わる中国子会社を3月末に休止したことを明らかにした。日本の調査員が紙の調査票に書き込んだ表札のデータを上海市の拠点で受け取り、名前の漢字をシステムに入力する業務を担っていた。従業員数十人の退職に伴い2億円の子会社整理損を計上した。

ゼンリンが調査員に携帯情報端末を配布し、紙の調査票を廃止したことが理由。表札の名前をシステムに入力する工程が無くなった。ゼンリンの住宅地図製作は、北九州市と沖縄県の2拠点体制になる。調査員をのぞく、従業員数は北九州が約400人、沖縄は約100人。

高山社長は「デジタルトランスフォーメーション(DX)の一環として、新型コロナウイルスの感染拡大で上海がロックダウン(都市封鎖)になる前から計画していた」と述べた。中国人従業員の賃金が上昇し、コスト削減効果が見込めなくなったことが背景にある。

同日発表した2022年4~9月期連結決算は、最終損益が7億円の赤字(前年同期は8000万円の赤字)だった。赤字幅の拡大について高山社長は「自動車の生産調整の影響などでカーナビゲーションシステム用の地図データ販売が減少した」と説明した。

売上高は微増の259億円。カーナビ向けのオートモーティブ事業の売上高は、前年同期より5億円少ない62億円。利益率の高い同事業の減収が響き、営業損益は9億円の赤字(同4億円の赤字)となった。』

上海市トップに北京市長・陳吉寧氏 最高指導部入り有望

上海市トップに北京市長・陳吉寧氏 最高指導部入り有望
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM286SB0Y2A021C2000000/

『【北京=羽田野主】中国共産党は上海市トップの党委員会書記に北京市長の陳吉寧氏を充てる人事を決めた。中国国営の新華社が28日、伝えた。広東省トップには黄坤明・党前中央宣伝部長が就いた。

上海市トップは次の最高指導部入りが最も有望視されるポスト。習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)も上海市トップを経て最高指導部に入った。前任の李強(リー・チャン)氏も今月の党の重要会議で最高指導部入りを果たした。広東省トップも出世コースだ。

陳氏は環境工学を専門とする学者出身。習氏の母校である清華大の学長を務めた。環境保護相を経て2018年に北京市長に就いた。党大会後の中央委員会第1回全体会議(1中全会)で党序列24位以内の政治局員に選ばれた。

黄氏は習氏の福建省勤務時代に知り合い、習氏が浙江省トップに異動後も支えた。

中国メディアによると、少数民族政策などを管轄する中央統一戦線工作部長には石泰峰・中国社会科学院長が就いた。石氏は党幹部を養成する「中央党校」で習氏が校長だった時期に副校長を務めた。石氏は今回政治局員に昇格しており、中央統一戦線工作部長の位置づけも上がっている。』

日米フィリピン、海上警備の合同訓練 中国に対応

日米フィリピン、海上警備の合同訓練 中国に対応
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM242EJ0U2A021C2000000/

『【マニラ=志賀優一】フィリピン沿岸警備隊(PCG)が、日本の海上保安庁と米沿岸警備隊(USCG)の支援のもと、海洋警備能力を向上させる訓練に取り組む。28日には日本が供与した巡視船を活用したえい航訓練をマニラ湾で実施した。南シナ海の領有権を巡り対立する中国が海洋進出を継続するなか、警備能力の強化が急務だ。

日米両機関が海上保安に共同で取り組む枠組み「サファイア」のもと、PCGへの能力向上支援が23日、フィリピンで始まった。6月に続き今回が2回目の実施で、11月5日まで続く。同枠組みで日米が外国の海上保安機関を支援するのは現在フィリピンのみだ。

28日、日本経済新聞など報道陣に訓練が初めて公開された。新造船として日本がPCGに供与し、すでに南シナ海のパトロールに使われている全長97メートルの巡視船メルチョラ・アキノを使い、同44メートルの船をけん引するえい航訓練をマニラ湾で実施した。合計5時間以上に及んだ訓練にはPCGから約100人、日米を含め全体で110人超が参加した。
えい航訓練は操船技術の向上にもつながる(28日、巡視船メルチョラ・アキノの操縦室にあたる船橋)

巡視船が衝突や故障で操船できないことを想定した船の横に接近すると、船の後部からバンという大きな音とともにけん引に使う強度の強いロープが装置から発射された。受け取ったロープはけん引される船の船首に固定され、約220メートルの距離を保ちけん引した。

ロープを発射したPCGの船員アルドリン・ポンフィリアス氏は「とてもいい経験だった。偶発的な事故などが起きたときのため救助の備えができる」と語った。指導に当たった海保の松尾秀昭・上席派遣協力官は「ロープを船から外す際に、より適切な張り具合にするなど改善の余地がある」と指摘した。

巡視船からもう一方の船にロープを発射してけん引する(28日、マニラ湾)

同日の訓練時は海の状況が落ち着いていたものの、荒れた状態でも同様の作業ができるよう能力を上げるべきだとの指摘もあった。えい航では通常よりも巡視船の操船が困難になるため、操船能力そのものを向上するための訓練としても効果があるという。

約2週間に及ぶ期間中には搭載されているボートの揚げ降ろしや操船、船上での消火・消防訓練、逮捕術を使った制圧訓練、船の立ち入り検査訓練なども実施する。日米は今後もPCGに対して年3~4回のペースで訓練を実施する見通しだ。フィリピンを皮切りに日米連携で他の国への能力向上支援を実施することも視野に入れる。USCGのブレンディ・ランドルフ氏は「日米の違いは言語だけ。どこの国の海上保安機関も能力を高め海上の安全を確保する必要がある」と語った。

ボートの揚げ降ろしや操船も訓練した(28日、マニラ湾)

PCGが日米の協力を得ながら訓練を実施する背景にあるのが、南シナ海における中国の海洋進出だ。

フィリピンやベトナムなど南シナ海に面する東南アジア各国は、中国と南シナ海の領有権を巡り対立する。PCGは6日、フィリピンが領有権を主張しながらも中国が実効支配するスカボロー礁(中国名・黄岩島)に中国海警局の船舶4隻が確認されたと発表。2021年には南沙(英語名スプラトリー)諸島の周辺に多数の中国船が停泊を続けたうえ、中国海警局の船がフィリピン船に放水銃を撃つ事案も起きた。

中国は南シナ海のほぼ全域に主権が及ぶ「九段線」を主張する。16年に国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所が中国の主張を否定する判決を下したが海洋進出を続けているのが実情だ。

■マルコス氏、中国に強い姿勢 日米との連携カギ

6月末に就任したマルコス大統領は中国を念頭に「領有権は外国の圧力によって寸分たりとも譲るつもりはない」と主張し強い姿勢で臨んでいる。19日には「PCGの近代化に向けた努力を支援することを約束する」とも明言した。ドゥテルテ前大統領は領有権問題で対立しながらも通商面での関係を優先し中国に対して融和的な姿勢を打ち出していたが、マルコス政権はその対中姿勢を修正している。

マルコス氏は20日、「重量物運搬用ヘリコプターを調達するロシアとの取引があったが(破棄し)、代替として米国から供給を受けることになった」とも話した。フィリピンにとって軍事同盟国である米国と、4月に外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)を初めて実施した日本と協力する意義は大きい。

日本にとってはマルコス新政権と協力関係を構築し、南シナ海・東シナ海における対中国対策で連携することが重要だ。米国にもフィリピンは南シナ海の軍事的要衝の役割を果たし、台湾有事も視野に入れた連携となっている。』

11月の国際観艦式、中国艦艇は参加せず 防衛省発表

11月の国際観艦式、中国艦艇は参加せず 防衛省発表
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA28BMH0Y2A021C2000000/

『防衛省は28日、相模湾で11月6日に開催する国際観艦式に「艦艇を派遣しない」と中国海軍から回答があったと発表した。中国側は代表団を送り7~8日の西太平洋海軍シンポジウム(WPNS)に参加すると伝えてきたという。

防衛省は国際観艦式にロシアを除く全てのWPNS加盟国を招待した。現時点で米国や英国、韓国など海外13カ国から19隻の艦艇が来る予定だ。海上自衛隊は艦艇20隻などが参加する。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料
https://www.nikkei.com/r123/?ak=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXZQOUA28BMH0Y2A021C2000000&n_cid=DSPRM1AR08 』

中国・香港株が大幅下落 ハンセン指数、1週間で8%安

中国・香港株が大幅下落 ハンセン指数、1週間で8%安
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM289BD0Y2A021C2000000/

『【香港=木原雄士】28日の中国株式市場で上海株と香港株が大幅に下落した。上海総合指数は前日比2.2%下げ、半年ぶりの安値をつけた。香港のハンセン指数も3.7%安となり、2009年4月以来、約13年半ぶりの安値を更新した。習近平(シー・ジンピン)指導部の経済政策をめぐる不透明感や新型コロナウイルスの拡大が売りにつながった。

中国株は22日の共産党大会の閉幕後、下げが目立っている。上海総合指数は前週末に比べて4%、ハンセン指数は8%下げた。

28日の香港市場では主力のインターネット関連株が軒並み下落した。アリババ集団は4.8%、騰訊控股(テンセント)は5.8%、美団は7.6%それぞれ下げた。習氏の側近が新たな最高指導部の大半を占め、統制強化の路線が続くとの見方が出ている。不動産の支援策も打ち出されず、中国不動産大手の碧桂園控股は7.4%急落した。

景気の先行きへの懸念も意識されている。広東省広州市や湖北省武漢市など大都市でコロナ規制が強化されたと報じられ、市場心理を冷やした。中国はわずかな感染でも都市封鎖(ロックダウン)に踏み切るなど厳しいコロナ対策を続けており、消費の低迷につながりやすい。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料
https://www.nikkei.com/r123/?ak=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXZQOGM289BD0Y2A021C2000000&n_cid=DSPRM1AR08 』

チベットで大規模デモか 「ゼロコロナ」の封鎖に抗議

チベットで大規模デモか 「ゼロコロナ」の封鎖に抗議
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM28B9B0Y2A021C2000000/

『【大連=渡辺伸】米政府系放送局のラジオ自由アジア(RFA)によると、中国のチベット自治区で新型コロナウイルスの感染拡大に伴うロックダウン(都市封鎖)に反対する大規模な抗議活動が起きた。少数民族への監視や管理が厳しいチベットでデモが発生するのは異例だ。中国政府は「ゼロコロナ」政策を続けており、住民の不満が高まっている。

RFAによると、チベットの中心都市ラサ市で26日、群衆が街頭に集まって大声で抗議し、警察とにらみ合いになった。抗議は夜まで続いた。英BBCによると、ラサに出稼ぎに来た多数の漢民族がデモに参加したといい、「故郷に帰ることも許されていない」という住民の声を報じた。

SNS(交流サイト)の微博(ウェイボ)では「封鎖は77日目だが、解除はまだだ」「食料や物資が足りない」などと住民らが投稿した。長引く封鎖で不満が高まったもようだ。

国家衛生健康委員会によると、チベットでは8~9月、1日あたり数百人の新規感染者(無症状含む)が発生した。現在は毎日数人で推移している。

中国政府はチベット独立の動きなどを警戒し、チベット族に対して厳しい監視体制を敷く。ラサでは2008年、現地当局の統治に反発した大規模な暴動が発生。武力で鎮圧され、当局発表では約20人が死亡した。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

https://www.nikkei.com/r123/?ak=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXZQOGM28B9B0Y2A021C2000000&n_cid=DSPRM1AR08 』