中国ラオス貨物鉄道、利用は計画の2割 債務返済に難題

中国ラオス貨物鉄道、利用は計画の2割 債務返済に難題
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGS29BT10Z20C22A9000000/

『【ビエンチャン=井上航介】東南アジアのラオスと中国を結ぶ鉄道の利用が伸び悩んでいる。広域経済圏構想「一帯一路」を象徴する鉄道として中国主導で建設されたが、貨物輸送量は計画の2割にとどまる。建設費などを中国からの借金で調達していて、低迷が続けば、代わりに重要インフラを押さえられる「債務のワナ」にはまる可能性もある。

中国ラオス鉄道は2021年12月に開業した。中国雲南省昆明を起点としてラオスを縦断し、首都ビエンチャンまで約1000キロメートルをつなぐ。旅客のほか、国際貨物輸送も行う。トラック輸送が主体だった東南アジア・中国間の物流が大幅に改善するとみられていた。
10月にはタイやマレーシアの鉄道網に接続したほか、シンガポールに延ばす計画もある。
中国やラオス国営メディアは鉄道の効果をしきりに強調している。開業半年で64万㌧超の貨物を運搬し、高速鉄道もラオス国内で41万人の乗客が利用したとされる。

【関連記事】

・タイ・ラオス境界に貨物網計画 「一帯一路」鉄道開通で
・中国ラオス物流に高速鉄道 独DHL、渋滞避け納期安定
・ラオスで「一帯一路」鉄道開通 総額6780億円は中国依存

ただ、実態は苦戦が続く。9月中旬にビエンチャン郊外にある物流施設「タナレンドライポート(TDP)」を訪れると、約60ヘクタールの施設で見られたコンテナはまばらだった。昆明・ビエンチャン間では1日平均2本が運行するのみで、8月にTDPを通過したコンテナ数は6000個と、計画の2割どまりだった。

ボーテン駅周辺に停車する中国ラオス鉄道の貨物列車=小林健撮影

中国が新型コロナウイルスの流入を抑える「ゼロコロナ政策」を堅持し、6月まで上海で都市封鎖が行われるなど、国際物流の需要が激減したことが低迷の主因とされる。ただ、貨物取り扱いの方法も不透明で、ブローカーが介在して輸送費をつり上げ、荷主が使いにくい状況も続く。

同鉄道はラオス鉄道公社と中国企業3社の合弁企業が建設し、総事業費約59億ドル(8700億円)のうち、6割の約35億ドルを中国輸出入銀行からの有利子負債でまかなった。

ラオス政府は債務の政府保証はなく、多額の債務は発生しないと主張する。だが、鉄道をてこに東南アジア、中国、欧州を結ぶ陸上輸送のハブを目指しているため、「鉄道会社を簡単にはつぶせず、偶発債務となる可能性がある」(日本貿易振興機構ビエンチャン事務所の山田健一郎氏)との見方が支配的だ。

「タナレンドライポート(TDP)」のタイからの引き込み線に車両の姿はなかった=小林健撮影

世界銀行などによると、21年末時点でラオスの公的債務は国内総生産(GDP)比で88%に高まった。対外債務は推定104億ドルで、対中国がほぼ半分を占める。

ラオス経済は新型コロナで大きな打撃を受けた。足元のインフレ進行や通貨下落に加え、国運を懸けた鉄道の利用低迷で、対外債務返済に窮する可能性は一層高まっている。レアメタルの鉱山から得られた収入を鉄道事業の担保とするなど、重要施設を手放さざるを得なくなる懸念も急浮上している。

「支払いは人民元で」 国境の経済特区、ラオス・ボーテン 中国企業が浸透

後発発展途上国(LDC)のラオスでは、中国とつながる鉄道の開通を機に経済開発が進むことが期待されている。中国との国境に位置する最前線のボーテンでは「一帯一路」構想の下、首都ビエンチャンでもほとんど見ない100メートルを超える高層ビル群が現れた。
「支払いは中国人民元でお願いします」。ボーテンの飲食店で従業員からこう求められた。店主のライポンさん(37)によると、町では人民元が流通し、水道・光熱費もラオス通貨のキップでなく、人民元で請求されるという。実際、町の至るところで中国語表記の看板や中国語を話す人の姿が見られた。

ボーテンでは中国人民元が流通する=小林健撮影

トラック運転手の男性チュアさん(24)は「自分は中国に生かされている」と話す。中国の荷主から人民元で月20万円ほどの給与を受け取っていて、「ゼロコロナ政策」が終われば、仕事はさらに増えるとみる。自国に産業が乏しいなか、生活は中国抜きでは成り立たない。

ボーテンは中国による開発で一度失敗した経験がある。2000年代には中国本土で禁止されているカジノ産業が栄えたが、中国の禁止要請を受けてカジノが経営破綻。町は長い間、ゴーストタウンの様相を呈していた。

マンションやホテルなど高層ビルが並ぶボーテン経済特区(9月)=小林健撮影

だが、16年に、習近平(シー・ジンピン)指導部の「一帯一路」構想で、中国ラオス鉄道の建設が始まると、国境の町でもにわかに開発ブームが再来した。経済特区には200社以上の中国企業が進出する予定で、人口も回復が見込まれるという。

「カジノがなくても町の潜在力は大きい」。ボーテン経済特区長のシーポーンさんは自信を見せる。貿易や金融、医療などを軸とした1640㌶の大規模開発を構想する。一方、中国への過度な依存ではないかとの指摘に対しては「投資家の関心次第だから、どうしようもないんだよ」とため息交じりに話した。

(ラオス北部ボーテンで、井上航介)

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「天下の愚策だあ!」by天下の愚人

「天下の愚策だあ!」by天下の愚人 | バンコクジジイのたわ言
https://ameblo.jp/bangkokoyaji/entry-12771229709.html

『マイナ保健所は停電時には使えない、ぷぎゃあ!

・・・・・・って、エダノンが言ってたんだが。

それを聞いた殆どの人が、停電時にはそもそも治療だってできんだろうが、あほかと。

エダノン、相変わらず飛ばしてるなあ。』

『「天下の愚策」がトレンド入り…立憲・枝野氏「マイナ保険証、停電したらどうする?」発言にツッコミ殺到「電気なければ診療もできない」
10/24(月) 17:46
https://news.yahoo.co.jp/articles/ae8c118f4fed4d82733ec8c7c4aaa199d3724e2d

立憲民主党の枝野幸男前代表が、現在の健康保険証を2024年に原則廃止し、「マイナ保険証」としてマイナンバーカードに統一する政府方針について、さいたま市の講演会で苦言を呈した。

「保険証をなくすんだって。

デジタル化はいいんですよ。

マイナンバーそのものを有効活用するのはいいことだと思う。

だけど、全員できます?」

 このように切り出した枝野氏は、「保険証は、見れば保険の種類と番号が書いてある。
でっかい銀行だって、キャッシュカードで金を下ろせなかったことがあるじゃないですか。

大停電が起きたとき、どうするんですか。

マイナンバーカードのシステムが壊れたら、どこの医療機関でも保険証を確認できない」と続けた。

 最後は「こんな “天下の愚策” をやめさせるために頑張っていきたいと思っております」と、党の活動について言及した。

 実際、マイナカードの普及は伸び悩んでおり、2022年9月末時点で、交付率は49.0%にとどまっている。

 また、マイナカードの保険証利用は2021年10月から本格運用が始まっているが、実際の利用はなかなか進んでいない。

「日本健康会議」が2022年9月4日に公表したデータでは、カードの読み取り機を導入した医療機関や薬局は6万4965施設で、目標とする20万施設の32.5%にとどまっている。

 今回の「マイナ保険証」の統一方針も、なんとかカードを普及ささせたい窮余の一策だと考えられるが、一方で、任意だったはずのマイナカードの「実質的な強制」との批判も根強い。

 そうしたなか、枝野氏の「天下の愚策」発言が報じられると、SNSでは《見当違いの批判》との声が殺到した。

《大停電が起きれば、マイナンバーカードを使えないだけでなく、病院も機能停止、そこに行くための地下鉄も停止するんだけど》

《え?そこ?停電なったらそもそも電子カルテ見れないから診察できないし、今時紙カルテ使ってる病院なんて皆無に近い、論点はそこじゃなくてさ国民が懸念してるのは国のデータセキュリティの甘さなんじゃないの?》

《「病院が停電」は震災レベルの非常事態で、電子カルテ止まって通常診療不能。加入保険の種類は保険証忘れた人と同様後から確認出来る。

それより、原発を封じ込めて電力不足を招いた方が天下の愚策だ》

 枝野氏が発言した「天下の愚策」は、ツイッターでトレンド入り。 

せっかくの発言も「論点はそこじゃない」とあきれられてしまったようだ。

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原発止めて電力不足、それで停電起こしておいて、何を言ってるのか。

原発止めたのは民主党、その時の官房長官はエダノンだったよね。

口を開けば馬鹿晒すのは、相変わらずだけど、これじゃ、増々立憲の評判は落ちるよね。
泉君は判ってないらしいが。

統一教会で、国会で騒いでも、支持率は上がるどころか下がる一方です。

そもそもたった6万の組織が、国政を動かせるとでも思ってるのが笑えますわ。

あの反社な組織は、単に政治家を使って、信者を増やそうとしただけですがな。

信者が金ツルですから。

そのためには、立憲の議員だって利用してきたじゃないの。

好い加減に、まともな政策協議ができんのかね。

維新は、政府を責めるだけじゃなく、政策でも攻めてるぜ。

このままじゃ、立憲は間違いなく、維新の後塵を拝することになるだろうね。

ネット民のコメント

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野党議員は何故自分達が何時まで経っても ”野党” から抜け出せないのか、その根本的な原因すら理解出来ていない。

国民が求めているのは、ただ耳障りの良い批判の羅列ではなく、”「天下の愚策」をこのようにすれば「国民が納得できる好策」にできる” と言う対抗政策案の提言だ。

マイナンバーカードに反対する理由は別にあります。

それは「通名がばれる」ことです。本名しかない日本人にはわからないことですが、「通名」を使用している方々にとっては都合の悪いことなんです。

それに保険証には顔写真がありません。そのため「使い回し」という不正利用が横行しています。

健康保険証には顔写真がないから、免許証と違って厳密には本人確認ができない。このような不確かなものはできるだけ早く廃止すべきだ。

マイナ保険証であれば、例えば読み取り機が故障した場合は提示するだけでその場は凌げるのではないか。日本の行政や民間のIT化が遅れているのは、本人確認が容易にできる国民カードがないことであることは他のIT先進国と比較してみればよくわかる。

まともな医療機関なら、
停電時は生命維持に必要な方に限られたリソースを回し、
事務系基幹が止まっているのならそれは後、という一定の優先順位がある。

現に止まって無くたって保険証忘れも後日精算とか、対応している。
保険証が紙だろうがカードだろうがマイナだろうが関係ない。

確かにマイナカードにはマイナス面はある。
しかし野党はあまりにも現状に固執するあまり改革が遅れIT推進ができず世界からガラパゴスと言われる。
野党の方こそ保守そのものではないか。現状改革が遅れるのは野党の保守性こそ原因ではないか。
マイナカードは国民すべてに義務化しない限り、行政システムが複雑化し手間がかかりすぎ事務処理が遅れる。

マイナンバーカードに問題点がある事
それは大小含めいくつかあるとは思うが
停電で使えないのは電子カルテ化してる病院ではそもそもカルテが出ない

保健証書も確認は出来ても紐付け登録は出ない

マイナンバーカードは写真入で本人確認可能で停電なら確認だけで医療を受ける事を次善策として提唱して置けば良い話し

色々な仕事をデジタル化し効率化すべきだし、これをどう進めていくかが日本の大きな課題なのに、これに反対ばかりするのは立憲も共産党化しているのかなと思う。

大切なことは、如何に税金が少なく済むかを考えることで、その意味で、マイナンバーカードは不可欠だと思う。あとは、これを皆が安心して使える仕組みを与野党は考えるべき。

「加藤厚労相 “マイナカード持たない人も保険診療 制度検討”」というニュースが報道されているけれど、例外を作るとまたその方が主になって、一本化できなくなってしまいそうです。ここは例外無しに一本化するか、例外を利用する場合は診察毎にある程度高額な手数料を取るなどの対策が必要だと思います。

この人が東日本大震災の陣頭指揮をしていたんですよね。福島原発で水素爆発する筈だと思いました。

戸籍売買と同じことが発生する可能性があるから、アメリカの事例などを調査し、セキュリティ強化を並行する以外の問題はないのでは。

相変わらず立憲はズレてるな!

停電したら使えないと思うなら、停電しないシステム作るなり、そういう重要施設には予備電源を設置するように法律で決めたら良いんじゃないの?

それと、通帳だけあって記帳されてても、今は通帳の磁気読み取れないと引き出しは出来ないと思うが。

マイナンバーカードとか呼び名はどうでもいいのですがIDカードですよね。

自分を証明する公的な書類がない国の方が少ないのではないでしょうか?

運転免許証を返納すればほぼ無いに等しいのでは?

日本では身分証明書がなくてもホテルに泊まれるし、国内線の飛行機にも乗れますよね。
でもこれって偽名で利用できるってことなんですよ。セキュリティを考えればすごく怖いことだと思うんですよね。

この際だから法を改正してマインバーカード全員保持を義務化すればいい。

マイナンバーは、税と福祉を一つのIDで管理できるようにするために必要なシステムなんだし、他の国ではIDカードとして国が身分証明書として常時所持を義務化しているところさえある。

日本も全ての行政に関する個人情報はマイナンバーで統一管理して身分証明書にして全住民に保有を強制し、保険証や運転免許証や自治体カードを紐付けるかどうかは個人に任せるようにすればいいと思う。

「そこじゃない」感満載(苦笑)

健康保険がマイナカードに機能統合できない理由を挙げてどうする。それじゃ「抵抗勢力」そのもの。

運転免許証が統合できないだの何だの、省益を保護したり天下り益を保護したいのかね?
健康保険組合は「保険証発行事務」が削減できる。

当然、その分健康保険料も減額されるべき。

ただ、これは事実でもある。

あの震災時、電気のない場所で診療をしていた医師はいた。電気が無くてもインターネットがなくても災害時には医療提供は必要だし、かならずしも無償とはならない。

ANAだって電子チケットが動かないときのオペレーションを用意していて、実際、活用したこともある。

最初からマイナンバーカードは義務化すれば良かった話…。

それを任意でやったから、マイナポイント付けたりしてお金で釣ろうとしたのが誤り。

今までの保険証なら、保険証を借りてなりすまし診療も可能だし、写真が無いので本人確認にも限界がある。

マイナカードを使ったほうが診療費が高かったのも問題…。

以前指名手配されていたオウム真理教のメンバーが、架空名義の健康保険証を所持して身分証明書としていたことに驚いた記憶があります。

保険証の貸し借りも実際行われています。

転職するたびに、保険証を切り替えてその間は保険証なしの為、急病の時は診察料10割払い、保険証が発行されて病院に提出返戻してもらう、合理的ではないと思います。

マイナンバーカードの保険証搭載を事実上義務化した場合、国民皆保険という原則からすればマイナンバーカードを持っている=なんだかの保険に加入してると高い確率で推測できる。

停電時は医療機関の経営判断になると思うが、通常通りの患者負担額にするか、その日は患者全額負担で徴収して後日還付するかになると思う。

保険証とマイナンバーカードの統合に反対の人の何割が運転免許証を持っているのだろうか?

運転免許証がマイナンバーカードと統合されれば、保険証が統合されなくてもマイナンバーカードを持つ事になりますが?

運転免許証の交付時に一定の時期から自動的にマイナンバーカードに統合されたものが交付されるようになるかもしれませんね。

枝野さんはね自分が何を言っているのか分かっていない。

マイナンバーカードもクレジットカードも基本は同じ。

問題は、官庁が一括して管理する事による情報漏洩などによるセキュリティーへの不安や心配だ。

そのこと以外には多くのメリットがある。

健康情報は薬品関係の産業には有益な情報だし年金の情報だって様々な使い道がある。

論点は問題が起きる事象を停電も含め徹底的に検証し、問題の発生を潰す対策を仮定してみて事故が起きない確信を持てるとした政策であるかどうかということである。

何処までの検証をしたのかを全く公表せずにいつもの政策発表と同様で信頼を得るための説明をしないで進めるていることである。

昔郵便番号にするのにも反対・国鉄民営化も反対・郵便局民営化も反対・安保法制にも反対・機密保護法にも反対・TPPにも反対してきました。

結果として反対して良かったことはなかったと思います。

マイナ保険証も時代の流れで必要かと思います。停電を心配するよりは電気を蓄電して貯蔵する手法開発や自家発電の充実の為の研究推進を提案するのが良いと私は思います。

電力喪失でマイナカードが利用できなくても受信できることは明白。

各保険医療機関等においては、被災により被保険者証等を紛失した者が、平成年 月 日以降も被保険者証等を提示せずに受診しようとした場合には、その氏名、生年月日、連絡先(電話番号等)、被用者保険の被保険者にあっては事業所名、国民健康保険又は後期高齢者医療制度の被保険者にあっては住所(国民健康保険組合の被保険者についてはこれらに加えて、組合名)の申告を受けた上で受診できることとする

マイナンバーカードに集約すれば便利になりますが、国民が気にしているのはセキュリティではないでしょうか?

そうであれば政府は国民に対してセキュリティに対する懸念を払しょくすることを宣伝すべきです。

→政府批判者、健保不正利用者、通名表示反対派などは論外ですが…

サーバーだったり、医療関連機関に非常用電源でも用意する義務を負わせたら終わる話。
保険証が洪水で流されたらみたいな話なんだが、、、結構この手の話で委員会が紛糾するのが日本の知能低下が顕在化してんじゃないかな?

で煩雑な証明書関連の縦割り解消になるのだが、マイナンバーカード一枚だけカード入れに入れていればいい。

若い頃から思っているが、企業が用意するポイントカードも未だに別れているのってなぜなんだろう?

もともとマイナンバー制度の導入を成立させたのは民主党政権、つまり今の立憲やその残党。なのに反対?

自民は国会で成立した法案・制度を民主主義にのっとり粛々と進めているだけ。今の野党がやろうとしてたことを進めてくれてるんだから「阿保」な質問や報道などでの見解は「お里が知れる」。

マイナは先進国では活用されています。

必要なデータが瞬時に入手できるので、迅速な対応が可能です。

例えば給付金の支給が即座にできます。マイナに否定的な人が多いですが、国や自治体や公共機関から受けるサービスの迅速と利便に注目することは大事だと思います。

高齢者の医療保険制度が変わり、約2割の人の窓口負担が2割となりましたが、優遇措置があり、規定以上の負担金がマイナを通じて自動的に銀行口座に返還されます。

いろんな意味でマイナンバー制度(カード)の必要性は理解できるけど、個人情報の塊のようなカードを日常的に携帯することは危険性が高いと思う

保険証にしろ、免許証にしろマイナンバー制度にヒモづけするのはいいが一枚のカードにすることは、利便性より危険性の方が高いと思う

保険証、免許証は必要な情報のみを登録した個別のカードにするべきだと思う

そこまで言うならとりあえず、保険証番号と免許証番号だけでも記載すればいいのでは?
基本はリーダー読み込みで、仰る通り突発的な対応不可時のために。
・セキュリティ不安=政府(というか自民党)への不安
…というところがあるのは認めましょう。
ただ、それでもこういう一元管理化は必要でしょうね。

記事も揚げ足探しした記事にするのもどうかと思います。

停電でも大きな病院は、自家発電等を活用したりしますし、マイナンバーカードのシステムが停止したらは大問題になると思います。なので自民党もシステムが稼働停止させないことや代替手段としてこういうものを用意しますと返せば良い。

それが議論というものだと個人的には思います。

停電の例はまずかったのだとしても、券面に人が見て判別できるような情報が記載されていないことについて、本当に問題は生じないのかは、色々なトラブルやイレギュラーを想定して検討する必要はある。

特にこれから保険証や免許証に限らず、様々な証明書類などを一元化するなら、そうした問題の洗い出しは必要で停電の例を出したことを嘲笑していればいいというものではない。

免許証に写真は当たり前、健康保険証に顔写真は必要ない。なぜなら使用用途が異なるから。

保険証は支払いが待っているし、なりすましも病院での齟齬で発覚する、ただし運転免許証が無い方にとっては写真付きで身分証としても使用できるメリットがあるので、選択肢として写真の有り無しは選べるようにすれば良い。

枝野氏の停電云々は問題外、ある程度病院なら非常発電設備ぐらいはあるし、仮に紙でも時間はかかるが処理は可能。

停電時でも手書きの処方箋は発行できますから、医療現場としては、マイナ保険証以外の保険番号を確認する術を知りたいです。

また、診療所の発熱外来では、感染予防対策として裏口ないしは別棟棟で診療しますが、カードリーダは受付に1台しかないため、受付ができません。

予想通り、期待を裏切らないコメントです。

そもそも全体が高齢者が多いせいでしょうか、リテラシーが低すぎます。日本は議員総数を減らしてスタッフなどを充実させる、立候補の年齢制限を70歳にするなどが必要です。 
 また、本来の審議に関係ない議員等の不適格性などは、別の委員会や司法で進めて法案や予算とは別にすべきです。

正直まだ問題は多いがマイナンバーカードみたいな仕組みはいずれ必要不可欠。将来を見据えれば当然そうならざるを得ないんだろう。

これが完全なる形になれば様々な不正は防げる上、余計な作業も人件費も絶対に減る。

要は中途半端なカタチで施行するのではなく、すべて完全な仕組みを構築して一気に移行した方が良い。当然セキュリティ含めての話だ。今の状態はあまりにも未成熟過ぎて持つ意味がないから入れない。

個人的にはマイナンバーの普及を急ぐあまり、国民にその性質を伝えきれていないのが問題だと思います。

セキュリティと言っても、今の時代個人情報はある程度簡単に漏れるし、マイナカードの場合不正な読取に対しては自己防衛する機能が付いているのでむしろ安心な気がします。
また、お薬手帳のような服用履歴も管理される為持ち歩く物も少なくなりますし、複数の医療機関で受診した場合に薬の重複が避けられます。

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習近平と新チャイナ・セブン

習近平と新チャイナ・セブン
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20221023-00320742

 ※ これ、貼らなかったな…。

 ※ 改めて、貼っておく…。

『10/23(日) 20:18

23日正午、一中全会が終わり、新チャイナ・セブンが発表された。習近平以外のメンバーを通して、習近平三期目の指導部の構成と、習近平政権とは何ぞやに関して考察したい。
◆新チャイナ・セブンのメンバー

 第20回党大会は10月22日に中共中央委員会委員205人を選んで閉幕した。

 その中央委員会の委員が23日午前に一中全会(第一回中央委員会全体会議)を開催して、中共中央政治局委員25人と中共中央政治局常務委員7人を選出し、北京時間の12時5分に記者会見場に現れて、メンバーのお披露目を行った。

 習近平以外に選ばれたのは「李強(り・きょう)、趙楽際(ちょう・らくさい)、王滬寧(おう・こねい)、蔡奇(さい・き)、丁薛祥(てい・せつしょう)、李希(り・き)」の6人だ。

 筆者は胡錦涛政権時代の政治局常務委員が9人だったので、それを「チャイナ・ナイン」と名付け、習近平政権になってからは「9人」が「7人」になったので、改めて「チャイナ・セブン」と名付けた。

 今般、その「7」が「5」になるか否か分からなかったが、減らさずに今まで通り「7」であったことは、せめてもの幸いだ。これが「5」になっていたら、独裁性がそれだけ高まるので、そこだけでも踏みとどまってくれたと、いくらかは安堵している。

 しかし、新チャイナ・セブンの「顔」を見ると、安堵もしてはいられない。

 王滬寧以外はみな、習近平か、習近平の父・習仲勲と何らかの関係を持った人ばかりなので、いざという時の歯止めが利きにくいという欠点を持つ。

◆新チャイナ・セブンの分業

 では、まずは、新チャイナ・セブンが今後、党あるいは政権内でどのような役割を果たすかを、党内序列順に考察してみよう。この「役割」に関しては中国語では「分工」と称するので、ここでは「分業」という言葉を使うこととしよう。

表1:新チャイナ・セブンの分業予測
筆者作成

 なぜ、表1のように推測できるかと言うと、まず序列2番目は、李克強総理がそうであったように、国務院総理になる可能性が高い。胡錦涛政権では、江沢民が刺客をチャイナ・ナインに送り込んだので、国務院総理の温家宝は党内序列3位でしかなかった。

 こういうケースもなくはないが、新チャイナ・セブンで、そのような「刺客」めいた状況はなく、全員が習近平の「手下」のようなものなので、素直に党内序列2位の李強が国務院総理だろうと推測できるのである。

 次にランクが上なのは全人代(全国人民代表大会)常務委員会の委員長で、これは党内序列3位か4位の者が担う。素直に考えて3位が趙楽際なので、彼が全人代の委員長で、政治協商会議の位置づけは全人代より下なので、党内序列4位の王滬寧が政治協商会議の主席になるだろうことが予測できる。

 特に王滬寧はこれまで中央書記処書記という「党務」を務めてきたが、党務では、非共産党員である八大民主党派との交渉にも当たる。政治協商会議には非共産党員が多いので、役割としては適している。

 問題は、党内序列5位と6位の蔡奇と丁薛祥の分業だ。

 ここは判断が難しいが、蔡奇という人は、習近平に近いというだけで、少なからぬ党員、特に北京の党員は、「蔡奇は無能だ」という印象を持っている。

 党内序列7位の李希は中央紀律検査委員会書記と決まっているので、残るは「党務と(常務/第一)副総理」のポジションである。「副総理」となると、韓正や孫春蘭あるいは劉鶴など他のこれまでの副総理はみな引退しているので、よほどしっかりした人物でないと国務院(中国中央政府)の方が持たない。李強を補強できる人物でなければならないので、蔡奇は外した方が良い。

 このように消去法で行くと、蔡奇が党務で、丁薛祥が副総理となると考えていいだろうか?

 いずれも、来年3月の全人代が閉幕する時の投票まで待たないとならないので、すべて「?」マークを付けておいた。

◆新チャイナ・セブンと習近平との近さ

 筆者は10月16日のBSテレ朝「日曜スクープ」【習近平主席が3期目へ“共産党大会が開幕”権力掌握の動機と背景】で(10月30日まで視聴可能)、第20回党大会の注目点に関して「要は習近平が三期目を迎えるということが最重要事項で、誰がチャイナ・セブンになるかといったことは、小さなことだ」と言ったが、新チャイナ・セブンの顔ぶれを見ると、まさに「誰がなろうと、あまり関係ない」という思いを深くした。

 王滬寧以外はほとんど「小物」で、王滬寧は江沢民政権・胡錦涛政権・習近平政権と三大政権に仕えてきたブレインだが、他は習近平にかつて仕えたことのある人たちばかりだ。中には習近平の父・習仲勲がかつて活躍した場所で生まれ、そこで仕事をしていたという人もいる。いつごろ、どんな感じで関係があったのかなどを、一覧表にしてまとめてみた。

表2:新チャイナ・セブンと習近平との関係

 党内序列「2、5、6」は、習近平とともに(主に部下として)仕事をしているが、「3、7」は、習近平の父・習仲勲と関係していた場所で生まれたとか、そこでずっと仕事をしていたなど、「父との関係」を「愛しむ」ことにより結ばれている人もいる。

 特に趙楽際は父親と同じ陝西省の訛りが直らなかった人で、それゆえに北京では言葉が聞き取りにくいことから、これまでは中央での仕事に声が掛からなかったのに、習近平は逆に、その「陝西訛り」が気に入って重用したのだから、父への思いがどれほど深いか、想像がつくだろう。

 序列7位の李希に至っては、習仲勲が生まれて初めて(革命のための国民党に対する)クーデターを起こした「両当」という、珍しい名前の土地の生まれであり、そこで活躍し続けていた人だということで、習近平はすっかり李希のことを気に入ってしまったのだから、習近平が三期目を狙った理由が、「父の仇を討つ!」という思いであったことが鮮明となる。

 父・習仲勲が鄧小平の陰謀により失脚し、16年間も投獄・軟禁・監視され、1978年に政治復帰した後もなお、1990年に鄧小平の一声で再び失脚させられたことは、拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』に詳述した。

 党内序列7位の李希がいた「両当」に関しては、この本のP.27~P.28に書いてある。

 新チャイナ・セブンは、拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』の縮図のようなものだ。

 逆に言えば、鄧小平によって失脚させられた父への思いを知らない限り、習近平の政治を理解することは不可能だとも言える。

 なお、10月7日のコラム<習近平は最初から三期目を考えていた 国家副主席の位置づけから>に書いた「国家副主席」に来年3月の全人代でなるであろう人は新チャイナ・セブンの中にいないので、何もなければ習近平四期目はあると考えていいだろう。
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。
遠藤誉の書籍紹介

Yahoo!ショッピングで見る

もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」
著者:遠藤誉 』

Black-body radiation

Black-body radiation
https://en.wikipedia.org/wiki/Black-body_radiation

『(※ 原文は、英文。翻訳は、Google翻訳。)

黒体放射は、黒体(理想化された不透明な非反射体)から放出される、環境と熱力学的に平衡にある物体内または周囲の熱 電磁放射です。それは、計算と理論のために、均一で一定であると仮定されている体温のみに依存する、強度に反比例する特定の連続的な波長スペクトルを持っています。[1] [2] [3] [4]

黒体の温度が低下すると、その強度も低下し、そのピークはより長い波長に移動します。比較のために示されているのは、古典的なレイリー・ジーンズの法則とその紫外線の大惨事です。

熱平衡にある完全に断熱された筐体は、内部に黒体放射を含み、その穴が平衡に与える影響が無視できるほど小さい場合、壁に開けられた穴から黒体放射を放出します。

多くの通常の物体から自然に放出される熱放射は、黒体放射として近似できます。

特に重要なのは、惑星と星 (地球と太陽を含む) は周囲と熱平衡状態になく、完全な黒体でもありませんが、それでも黒体放射はそれらが放出するエネルギーの適切な最初の近似値です。太陽の放射は、地球の大気によってフィルタリングされた後、人間 (他のほとんどの動物も) が視覚に使用するように進化した「日光」を特徴付けます。[5]

室温 (23 °C (296 K; 73 °F)) の黒体は、主に赤外線スペクトルを放射します。これは、人間の目では認識できません[6]が、一部の爬虫類では感知できます。物体の温度が約 500 °C (773 K; 932 °F) まで上昇すると、発光スペクトルが強くなり、人間の視覚範囲にまで広がり、物体はくすんだ赤に見えます。温度がさらに上昇するにつれて、オレンジ色、黄色、緑色、および青色の光をますます放出します (最終的には紫、紫外線を超えます)。

タングステン フィラメントライトは、約 2,700 K (2,430 °C; 4,400 °F) の低い色温度を持つ連続的な黒体スペクトルを持ち、赤外線範囲でもかなりのエネルギーを放出します。より効率的な現代の蛍光灯やLEDライトは、連続的な黒体発光スペクトルを持たず、直接発光するか、複数の狭いスペクトルを発光する蛍光体の組み合わせを使用しています。
黒体放射の色 (色度) は、黒体の温度に反比例します。CIE 1931の x,y空間で示されているこのような色の軌跡は、プランク軌跡として知られています。

ブラック ホールは、それに当たるすべての放射線を吸収するという意味で、ほぼ完全な黒体です。ブラックホールの質量に依存する温度の黒体放射 (ホーキング放射と呼ばれる) を放出することが提案されています。[7]

黒体という用語は、1860 年にGustav Kirchhoffによって導入されました。 [8]黒体放射は、熱放射、空洞放射、完全放射、または温度放射とも呼ばれます。

コンテンツ

仮説編集
スペクトラム編集
鍛冶職人は、光の色でワークの温度を判断します。[9]

This blacksmith’s colourchart stops at the melting temperature of steel.

Black-body radiation has a characteristic, continuous frequency spectrum that depends only on the body’s temperature,[10] called the Planck spectrum or Planck’s law. The spectrum is peaked at a characteristic frequency that shifts to higher frequencies with increasing temperature, and at room temperature most of the emission is in the infrared region of the electromagnetic spectrum.[11][12][13] As the temperature increases past about 500 degrees Celsius, black bodies start to emit significant amounts of visible light. Viewed in the dark by the human eye, the first faint glow appears as a “ghostly” grey (the visible light is actually red, but low intensity light activates only the eye’s grey-level sensors). With rising temperature, the glow becomes visible even when there is some background surrounding light: first as a dull red, then yellow, and eventually a “dazzling bluish-white” as the temperature rises.[14][15] When the body appears white, it is emitting a substantial fraction of its energy as ultraviolet radiation. The Sun, with an effective temperature of approximately 5800 K,[16] is an approximate black body with an emission spectrum peaked in the central, yellow-green part of the visible spectrum, but with significant power in the ultraviolet as well.

Black-body radiation provides insight into the thermodynamic equilibrium state of cavity radiation.
Black bodyEdit
Main article: Black body

All normal (baryonic) matter emits electromagnetic radiation when it has a temperature above absolute zero. The radiation represents a conversion of a body’s internal energy into electromagnetic energy, and is therefore called thermal radiation. It is a spontaneous process of radiative distribution of entropy.

Color of a black body from 800 K to 12200 K. This range of colors approximates the range of colors of stars of different temperatures, as seen or photographed in the night sky.

Conversely, all normal matter absorbs electromagnetic radiation to some degree. An object that absorbs all radiation falling on it, at all wavelengths, is called a black body. When a black body is at a uniform temperature, its emission has a characteristic frequency distribution that depends on the temperature. Its emission is called black-body radiation.

The concept of the black body is an idealization, as perfect black bodies do not exist in nature.[17] However, Graphite and lamp black, with emissivities greater than 0.95, are good approximations to a black material. Experimentally, black-body radiation may be established best as the ultimately stable steady state equilibrium radiation in a cavity in a rigid body, at a uniform temperature, that is entirely opaque and is only partly reflective.[17] A closed box with walls of graphite at a constant temperature with a small hole on one side produces a good approximation to ideal black-body radiation emanating from the opening.[18][19]

Black-body radiation has the unique absolutely stable distribution of radiative intensity that can persist in thermodynamic equilibrium in a cavity.[17] In equilibrium, for each frequency, the intensity of radiation which is emitted and reflected from a body relative to other frequencies (that is, the net amount of radiation leaving its surface, called the spectral radiance) is determined solely by the equilibrium temperature and does not depend upon the shape, material or structure of the body.[20] For a black body (a perfect absorber) there is no reflected radiation, and so the spectral radiance is entirely due to emission. In addition, a black body is a diffuse emitter (its emission is independent of direction). Consequently, black-body radiation may be viewed as the radiation from a black body at thermal equilibrium.

Black-body radiation becomes a visible glow of light if the temperature of the object is high enough.[21] The Draper point is the temperature at which all solids glow a dim red, about 798 K.[22] At 1000 K, a small opening in the wall of a large uniformly heated opaque-walled cavity (such as an oven), viewed from outside, looks red; at 6000 K, it looks white. No matter how the oven is constructed, or of what material, as long as it is built so that almost all light entering is absorbed by its walls, it will contain a good approximation to black-body radiation. The spectrum, and therefore color, of the light that comes out will be a function of the cavity temperature alone. A graph of the amount of energy inside the oven per unit volume and per unit frequency interval plotted versus frequency is called the black-body curve. Different curves are obtained by varying the temperature.

The temperature of a Pāhoehoe lava flow can be estimated by observing its color. The result agrees well with other measurements of temperatures of lava flows at about 1,000 to 1,200 °C (1,830 to 2,190 °F).

Two bodies that are at the same temperature stay in mutual thermal equilibrium, so a body at temperature T surrounded by a cloud of light at temperature T on average will emit as much light into the cloud as it absorbs, following Prevost’s exchange principle, which refers to radiative equilibrium. The principle of detailed balance says that in thermodynamic equilibrium every elementary process works equally in its forward and backward sense.[23][24] Prevost also showed that the emission from a body is logically determined solely by its own internal state. The causal effect of thermodynamic absorption on thermodynamic (spontaneous) emission is not direct, but is only indirect as it affects the internal state of the body. This means that at thermodynamic equilibrium the amount of every wavelength in every direction of thermal radiation emitted by a body at temperature T, black or not, is equal to the corresponding amount that the body absorbs because it is surrounded by light at temperature T.[25]

When the body is black, the absorption is obvious: the amount of light absorbed is all the light that hits the surface. For a black body much bigger than the wavelength, the light energy absorbed at any wavelength λ per unit time is strictly proportional to the black-body curve. This means that the black-body curve is the amount of light energy emitted by a black body, which justifies the name. This is the condition for the applicability of Kirchhoff’s law of thermal radiation: the black-body curve is characteristic of thermal light, which depends only on the temperature of the walls of the cavity, provided that the walls of the cavity are completely opaque and are not very reflective, and that the cavity is in thermodynamic equilibrium.[26] When the black body is small, so that its size is comparable to the wavelength of light, the absorption is modified, because a small object is not an efficient absorber of light of long wavelength, but the principle of strict equality of emission and absorption is always upheld in a condition of thermodynamic equilibrium.

In the laboratory, black-body radiation is approximated by the radiation from a small hole in a large cavity, a hohlraum, in an entirely opaque body that is only partly reflective, that is maintained at a constant temperature. (This technique leads to the alternative term cavity radiation.) Any light entering the hole would have to reflect off the walls of the cavity multiple times before it escaped, in which process it is nearly certain to be absorbed. Absorption occurs regardless of the wavelength of the radiation entering (as long as it is small compared to the hole). The hole, then, is a close approximation of a theoretical black body and, if the cavity is heated, the spectrum of the hole’s radiation (that is, the amount of light emitted from the hole at each wavelength) will be continuous, and will depend only on the temperature and the fact that the walls are opaque and at least partly absorptive, but not on the particular material of which they are built nor on the material in the cavity (compare with emission spectrum).

The radiance or observed intensity is not a function of direction. Therefore, a black body is a perfect Lambertian radiator.

Real objects never behave as full-ideal black bodies, and instead the emitted radiation at a given frequency is a fraction of what the ideal emission would be. The emissivity of a material specifies how well a real body radiates energy as compared with a black body. This emissivity depends on factors such as temperature, emission angle, and wavelength. However, it is typical in engineering to assume that a surface’s spectral emissivity and absorptivity do not depend on wavelength so that the emissivity is a constant. This is known as the gray body assumption.

9-year WMAP image (2012) of the cosmic microwave background radiation across the universe.[27][28]

With non-black surfaces, the deviations from ideal black-body behavior are determined by both the surface structure, such as roughness or granularity, and the chemical composition. On a “per wavelength” basis, real objects in states of local thermodynamic equilibrium still follow Kirchhoff’s Law: emissivity equals absorptivity, so that an object that does not absorb all incident light will also emit less radiation than an ideal black body; the incomplete absorption can be due to some of the incident light being transmitted through the body or to some of it being reflected at the surface of the body.

In astronomy, objects such as stars are frequently regarded as black bodies, though this is often a poor approximation. An almost perfect black-body spectrum is exhibited by the cosmic microwave background radiation. Hawking radiation is the hypothetical black-body radiation emitted by black holes, at a temperature that depends on the mass, charge, and spin of the hole. If this prediction is correct, black holes will very gradually shrink and evaporate over time as they lose mass by the emission of photons and other particles.

A black body radiates energy at all frequencies, but its intensity rapidly tends to zero at high frequencies (short wavelengths). For example, a black body at room temperature (300 K) with one square meter of surface area will emit a photon in the visible range (390–750 nm) at an average rate of one photon every 41 seconds, meaning that, for most practical purposes, such a black body does not emit in the visible range.[29]

The study of the laws of black bodies and the failure of classical physics to describe them helped establish the foundations of quantum mechanics.
Further explanationEdit

According to the Classical Theory of Radiation, if each Fourier mode of the equilibrium radiation (in an otherwise empty cavity with perfectly reflective walls) is considered as a degree of freedom capable of exchanging energy, then, according to the equipartition theorem of classical physics, there would be an equal amount of energy in each mode. Since there are an infinite number of modes, this would imply infinite heat capacity, as well as a nonphysical spectrum of emitted radiation that grows without bound with increasing frequency, a problem known as the ultraviolet catastrophe.

In the longer wavelengths this deviation is not so noticeable, as h ν and n h ν are very small. In the shorter wavelengths of the ultraviolet range, however, classical theory predicts the energy emitted tends to infinity, hence the ultraviolet catastrophe. The theory even predicted that all bodies would emit most of their energy in the ultraviolet range, clearly contradicted by the experimental data which showed a different peak wavelength at different temperatures (see also Wien’s law).

As the temperature increases, the peak of the emitted black-body radiation curve moves to higher intensities and shorter wavelengths.[30] The black-body radiation graph is also compared with the classical model of Rayleigh and Jeans.

Instead, in the quantum treatment of this problem, the numbers of the energy modes are quantized, attenuating the spectrum at high frequency in agreement with experimental observation and resolving the catastrophe. The modes that had more energy than the thermal energy of the substance itself were not considered, and because of quantization modes having infinitesimally little energy were excluded.

Thus for shorter wavelengths very few modes (having energy more than h ν ) were allowed, supporting the data that the energy emitted is reduced for wavelengths less than the wavelength of the observed peak of emission.

Notice that there are two factors responsible for the shape of the graph. Firstly, longer wavelengths have a larger number of modes associated with them. Secondly, shorter wavelengths have more energy associated per mode. The two factors combined give the characteristic maximum wavelength.

Calculating the black-body curve was a major challenge in theoretical physics during the late nineteenth century. The problem was solved in 1901 by Max Planck in the formalism now known as Planck’s law of black-body radiation.[31] By making changes to Wien’s radiation law (not to be confused with Wien’s displacement law) consistent with thermodynamics and electromagnetism, he found a mathematical expression fitting the experimental data satisfactorily. Planck had to assume that the energy of the oscillators in the cavity was quantized, which is to say that it existed in integer multiples of some quantity. Einstein built on this idea and proposed the quantization of electromagnetic radiation itself in 1905 to explain the photoelectric effect. These theoretical advances eventually resulted in the superseding of classical electromagnetism by quantum electrodynamics. These quanta were called photons and the black-body cavity was thought of as containing a gas of photons. In addition, it led to the development of quantum probability distributions, called Fermi–Dirac statistics and Bose–Einstein statistics, each applicable to a different class of particles, fermions and bosons.

The wavelength at which the radiation is strongest is given by Wien’s displacement law, and the overall power emitted per unit area is given by the Stefan–Boltzmann law. So, as temperature increases, the glow color changes from red to yellow to white to blue. Even as the peak wavelength moves into the ultra-violet, enough radiation continues to be emitted in the blue wavelengths that the body will continue to appear blue. It will never become invisible—indeed, the radiation of visible light increases monotonically with temperature.[32] The Stefan–Boltzmann law also says that the total radiant heat energy emitted from a surface is proportional to the fourth power of its absolute temperature. The law was formulated by Josef Stefan in 1879 and later derived by Ludwig Boltzmann. The formula E = σT4 is given, where E is the radiant heat emitted from a unit of area per unit time, T is the absolute temperature, and σ = 5.670367×10−8 W·m−2⋅K−4 is the Stefan–Boltzmann constant.[33]
EquationsEdit
Planck’s law of black-body radiationEdit
Main article: Planck’s law

Planck’s law states that[34]

B ν ( T ) = 2 ν 2 c 2 h ν e h ν / k T − 1 ,   

where

B ν ( T )   is the spectral radiance (the power per unit solid angle and per unit of area normal to the propagation) density of frequency ν   radiation per unit frequency at thermal equilibrium at temperature T  . Units: power / [area * solid angle * frequency]. 
h   is the Planck constant; 
c   is the speed of light in a vacuum; 
k   is the Boltzmann constant; 
ν   is the frequency of the electromagnetic radiation; 
T   is the absolute temperature of the body. 

For a black body surface, the spectral radiance density (defined per unit of area normal to the propagation) is independent of the angle θ of emission with respect to the normal. However, this means that, following Lambert’s cosine law, B ν ( T ) cos ⁡ θ is the radiance density per unit area of emitting surface as the surface area involved in generating the radiance is increased by a factor 1 / cos ⁡ θ with respect to an area normal to the propagation direction. At oblique angles, the solid angle spans involved do get smaller, resulting in lower aggregate intensities.
Wien’s displacement lawEdit
Main article: Wien’s displacement law

Wien’s displacement law shows how the spectrum of black-body radiation at any temperature is related to the spectrum at any other temperature. If we know the shape of the spectrum at one temperature, we can calculate the shape at any other temperature. Spectral intensity can be expressed as a function of wavelength or of frequency.

A consequence of Wien’s displacement law is that the wavelength at which the intensity per unit wavelength of the radiation produced by a black body has a local maximum or peak, λ peak , is a function only of the temperature:

λ peak = b T ,   

where the constant b, known as Wien’s displacement constant, is equal to h c k 1 5 + W 0 ( − 5 e − 5 ) (where W 0 is the Lambert W function)2.897771955×10−3 m K.[35] So approximately λ peak equals 2898 um*T(K). At a typical room temperature of 293 K (20 °C), the maximum intensity is at 9.9 μm.

Planck’s law was also stated above as a function of frequency. The intensity maximum for this is given by

ν peak = T × 5.879 × 10 10   H z / K  .[36] 

In unitless form, the maximum occurs when e x ( 1 − x / 3 ) = 1 , where x = h ν / k T . The approximate numerical solution is x ≈ 2.82 . At a typical room temperature of 293 K (20 °C), the maximum intensity is for ν = 17 THz.
Stefan–Boltzmann lawEdit

By integrating B ν ( T ) cos ⁡ ( θ ) over the frequency the radiance L (units: power / [area * solid angle] ) is

L = 2 π 5 15 k 4 T 4 c 2 h 3 1 π = σ T 4 cos ⁡ ( θ ) π   

by using ∫ 0 ∞ d x x 3 e x − 1 = π 4 15 with x ≡ h ν k T and with σ ≡ 2 π 5 15 k 4 c 2 h 3 = 5.670373 × 10 − 8 W m 2 K 4 being the Stefan–Boltzmann constant.

On a side note, at a distance d, the intensity d I per area d A of radiating surface is the useful expression

d I = σ T 4 cos ⁡ θ π d 2 d A   

when the receiving surface is perpendicular to the radiation.

By subsequently integrating L over the solid angle Ω for all azimuthal angle (0 to 2 π ) and polar angle θ from 0 to π / 2 , we arrive at the Stefan–Boltzmann law: the power j* emitted per unit area of the surface of a black body is directly proportional to the fourth power of its absolute temperature:

j ⋆ = σ T 4 ,   

We used

∫ cos ⁡ θ d Ω = ∫ 0 2 π ∫ 0 π / 2 cos ⁡ θ sin ⁡ θ d θ d ϕ = π .   

ApplicationsEdit
Human-body emissionEdit

Much of a person’s energy is radiated away in the form of infrared light. Some materials are transparent in the infrared, but opaque to visible light, as is the plastic bag in this infrared image (bottom). Other materials are transparent to visible light, but opaque or reflective in the infrared, noticeable by the darkness of the man’s glasses.

The human body radiates energy as infrared light. The net power radiated is the difference between the power emitted and the power absorbed:

P net = P emit − P absorb .   

Applying the Stefan–Boltzmann law,

P net = A σ ε ( T 4 − T 0 4 ) ,   

where A and T are the body surface area and temperature, ε is the emissivity, and T0 is the ambient temperature.

The total surface area of an adult is about 2 m2, and the mid- and far-infrared emissivity of skin and most clothing is near unity, as it is for most nonmetallic surfaces.[37][38] Skin temperature is about 33 °C,[39] but clothing reduces the surface temperature to about 28 °C when the ambient temperature is 20 °C.[40] Hence, the net radiative heat loss is about

P net = P emit − P absorb = 100   W .   

The total energy radiated in one day is about 8 MJ, or 2000 kcal (food calories). Basal metabolic rate for a 40-year-old male is about 35 kcal/(m2·h),[41] which is equivalent to 1700 kcal per day, assuming the same 2 m2 area. However, the mean metabolic rate of sedentary adults is about 50% to 70% greater than their basal rate.[42]

There are other important thermal loss mechanisms, including convection and evaporation. Conduction is negligible – the Nusselt number is much greater than unity. Evaporation by perspiration is only required if radiation and convection are insufficient to maintain a steady-state temperature (but evaporation from the lungs occurs regardless). Free-convection rates are comparable, albeit somewhat lower, than radiative rates.[43] Thus, radiation accounts for about two-thirds of thermal energy loss in cool, still air. Given the approximate nature of many of the assumptions, this can only be taken as a crude estimate. Ambient air motion, causing forced convection, or evaporation reduces the relative importance of radiation as a thermal-loss mechanism.

Application of Wien’s law to human-body emission results in a peak wavelength of

λ peak = 2.898 × 10 − 3   K ⋅ m 305   K = 9.50   μ m .   

For this reason, thermal imaging devices for human subjects are most sensitive in the 7–14 micrometer range.
Temperature relation between a planet and its starEdit
Main article: Planetary equilibrium temperature

The black-body law may be used to estimate the temperature of a planet orbiting the Sun.

Earth’s longwave thermal radiation intensity, from clouds, atmosphere and ground

The temperature of a planet depends on several factors:

Incident radiation from its star
Emitted radiation of the planet (for example, Earth's infrared glow)
The albedo effect causing a fraction of light to be reflected by the planet
The greenhouse effect for planets with an atmosphere
Energy generated internally by a planet itself due to radioactive decay, tidal heating, and adiabatic contraction due to cooling.

The analysis only considers the Sun’s heat for a planet in a Solar System.

The Stefan–Boltzmann law gives the total power (energy/second) that the Sun emits:

The Earth only has an absorbing area equal to a two dimensional disk, rather than the surface of a sphere.

P S   e m t = 4 π R S 2 σ T S 4 ( 1 )   

where

σ   is the Stefan–Boltzmann constant, 
T S   is the effective temperature of the Sun, and 
R S   is the radius of the Sun. 

The Sun emits that power equally in all directions. Because of this, the planet is hit with only a tiny fraction of it. The power from the Sun that strikes the planet (at the top of the atmosphere) is:

P S E = P S   e m t ( π R E 2 4 π D 2 ) ( 2 )   

where

R E   is the radius of the planet, and 
D   is the distance between the Sun and the planet. 

Because of its high temperature, the Sun emits to a large extent in the ultraviolet and visible (UV-Vis) frequency range. In this frequency range, the planet reflects a fraction α of this energy where α is the albedo or reflectance of the planet in the UV-Vis range. In other words, the planet absorbs a fraction 1 − α of the Sun’s light, and reflects the rest. The power absorbed by the planet and its atmosphere is then:

P a b s = ( 1 − α ) P S E ( 3 )   

Even though the planet only absorbs as a circular area π R 2 , it emits in all directions; the spherical surface area being 4 π R 2 . If the planet were a perfect black body, it would emit according to the Stefan–Boltzmann law

P e m t b b = 4 π R E 2 σ T E 4 ( 4 )   

where T E is the temperature of the planet. This temperature, calculated for the case of the planet acting as a black body by setting P a b s = P e m t b b , is known as the effective temperature. The actual temperature of the planet will likely be different, depending on its surface and atmospheric properties. Ignoring the atmosphere and greenhouse effect, the planet, since it is at a much lower temperature than the Sun, emits mostly in the infrared (IR) portion of the spectrum. In this frequency range, it emits ϵ ¯ of the radiation that a black body would emit where ϵ ¯ is the average emissivity in the IR range. The power emitted by the planet is then:

P e m t = ϵ ¯ P e m t b b ( 5 )   

For a body in radiative exchange equilibrium with its surroundings, the rate at which it emits radiant energy is equal to the rate at which it absorbs it:[44][45]

P a b s = P e m t ( 6 )   

Substituting the expressions for solar and planet power in equations 1–6 and simplifying yields the estimated temperature of the planet, ignoring greenhouse effect, TP:

T P = T S R S 1 − α ε ¯ 2 D ( 7 )   

In other words, given the assumptions made, the temperature of a planet depends only on the surface temperature of the Sun, the radius of the Sun, the distance between the planet and the Sun, the albedo and the IR emissivity of the planet.

Notice that a gray (flat spectrum) ball where ( 1 − α ) = ε ¯ comes to the same temperature as a black body no matter how dark or light gray.
Effective temperature of EarthEdit

Substituting the measured values for the Sun and Earth yields:

T S = 5778   K ,  [46] 
R S = 6.96 × 10 8   m ,  [46] 
D = 1.496 × 10 11   m ,  [46] 
α = 0.306    [47] 

With the average emissivity ε ¯ set to unity, the effective temperature of the Earth is:

T E = 254.356   K   

or −18.8 °C.

This is the temperature of the Earth if it radiated as a perfect black body in the infrared, assuming an unchanging albedo and ignoring greenhouse effects (which can raise the surface temperature of a body above what it would be if it were a perfect black body in all spectrums[48]). The Earth in fact radiates not quite as a perfect black body in the infrared which will raise the estimated temperature a few degrees above the effective temperature. If we wish to estimate what the temperature of the Earth would be if it had no atmosphere, then we could take the albedo and emissivity of the Moon as a good estimate. The albedo and emissivity of the Moon are about 0.1054[49] and 0.95[50] respectively, yielding an estimated temperature of about 1.36 °C.

Estimates of the Earth’s average albedo vary in the range 0.3–0.4, resulting in different estimated effective temperatures. Estimates are often based on the solar constant (total insolation power density) rather than the temperature, size, and distance of the Sun. For example, using 0.4 for albedo, and an insolation of 1400 W m−2, one obtains an effective temperature of about 245 K.[51] Similarly using albedo 0.3 and solar constant of 1372 W m−2, one obtains an effective temperature of 255 K.[52][53][54]
CosmologyEdit

The cosmic microwave background radiation observed today is the most perfect black-body radiation ever observed in nature, with a temperature of about 2.7 K.[55] It is a “snapshot” of the radiation at the time of decoupling between matter and radiation in the early universe. Prior to this time, most matter in the universe was in the form of an ionized plasma in thermal, though not full thermodynamic, equilibrium with radiation.

According to Kondepudi and Prigogine, at very high temperatures (above 1010 K; such temperatures existed in the very early universe), where the thermal motion separates protons and neutrons in spite of the strong nuclear forces, electron-positron pairs appear and disappear spontaneously and are in thermal equilibrium with electromagnetic radiation. These particles form a part of the black body spectrum, in addition to the electromagnetic radiation.[56]
HistoryEdit

In his first memoir, Augustin-Jean Fresnel (1788–1827) responded to a view he extracted from a French translation of Isaac Newton’s Optics. He says that Newton imagined particles of light traversing space uninhibited by the caloric medium filling it, and refutes this view (never actually held by Newton) by saying that a black body under illumination would increase indefinitely in heat.[57]
Balfour StewartEdit

In 1858, Balfour Stewart described his experiments on the thermal radiative emissive and absorptive powers of polished plates of various substances, compared with the powers of lamp-black surfaces, at the same temperature.[25] Stewart chose lamp-black surfaces as his reference because of various previous experimental findings, especially those of Pierre Prevost and of John Leslie. He wrote, “Lamp-black, which absorbs all the rays that fall upon it, and therefore possesses the greatest possible absorbing power, will possess also the greatest possible radiating power.” More an experimenter than a logician, Stewart failed to point out that his statement presupposed an abstract general principle: that there exist, either ideally in theory, or really in nature, bodies or surfaces that respectively have one and the same unique universal greatest possible absorbing power, likewise for radiating power, for every wavelength and equilibrium temperature.

Stewart measured radiated power with a thermopile and sensitive galvanometer read with a microscope. He was concerned with selective thermal radiation, which he investigated with plates of substances that radiated and absorbed selectively for different qualities of radiation rather than maximally for all qualities of radiation. He discussed the experiments in terms of rays which could be reflected and refracted, and which obeyed the Stokes-Helmholtz reciprocity principle (though he did not use an eponym for it). He did not in this paper mention that the qualities of the rays might be described by their wavelengths, nor did he use spectrally resolving apparatus such as prisms or diffraction gratings. His work was quantitative within these constraints. He made his measurements in a room temperature environment, and quickly so as to catch his bodies in a condition near the thermal equilibrium in which they had been prepared by heating to equilibrium with boiling water. His measurements confirmed that substances that emit and absorb selectively respect the principle of selective equality of emission and absorption at thermal equilibrium.

Stewart offered a theoretical proof that this should be the case separately for every selected quality of thermal radiation, but his mathematics was not rigorously valid.[58] He made no mention of thermodynamics in this paper, though he did refer to conservation of vis viva. He proposed that his measurements implied that radiation was both absorbed and emitted by particles of matter throughout depths of the media in which it propagated. He applied the Helmholtz reciprocity principle to account for the material interface processes as distinct from the processes in the interior material. He did not postulate unrealizable perfectly black surfaces. He concluded that his experiments showed that in a cavity in thermal equilibrium, the heat radiated from any part of the interior bounding surface, no matter of what material it might be composed, was the same as would have been emitted from a surface of the same shape and position that would have been composed of lamp-black. He did not state explicitly that the lamp-black-coated bodies that he used as reference must have had a unique common spectral emittance function that depended on temperature in a unique way.
Gustav KirchhoffEdit

In 1859, not knowing of Stewart’s work, Gustav Robert Kirchhoff reported the coincidence of the wavelengths of spectrally resolved lines of absorption and of emission of visible light. Importantly for thermal physics, he also observed that bright lines or dark lines were apparent depending on the temperature difference between emitter and absorber.[59]

Kirchhoff then went on to consider some bodies that emit and absorb heat radiation, in an opaque enclosure or cavity, in equilibrium at temperature T.

Here is used a notation different from Kirchhoff’s. Here, the emitting power E(T, i) denotes a dimensioned quantity, the total radiation emitted by a body labeled by index i at temperature T. The total absorption ratio a(T, i) of that body is dimensionless, the ratio of absorbed to incident radiation in the cavity at temperature T . (In contrast with Balfour Stewart’s, Kirchhoff’s definition of his absorption ratio did not refer in particular to a lamp-black surface as the source of the incident radiation.) Thus the ratio E(T, i) / a(T, i) of emitting power to absorptivity is a dimensioned quantity, with the dimensions of emitting power, because a(T, i) is dimensionless. Also here the wavelength-specific emitting power of the body at temperature T is denoted by E(λ, T, i) and the wavelength-specific absorption ratio by a(λ, T, i) . Again, the ratio E(λ, T, i) / a(λ, T, i) of emitting power to absorptivity is a dimensioned quantity, with the dimensions of emitting power.

In a second report made in 1859, Kirchhoff announced a new general principle or law for which he offered a theoretical and mathematical proof, though he did not offer quantitative measurements of radiation powers.[60] His theoretical proof was and still is considered by some writers to be invalid.[58][61] His principle, however, has endured: it was that for heat rays of the same wavelength, in equilibrium at a given temperature, the wavelength-specific ratio of emitting power to absorptivity has one and the same common value for all bodies that emit and absorb at that wavelength. In symbols, the law stated that the wavelength-specific ratio E(λ, T, i) / a(λ, T, i) has one and the same value for all bodies, which is to say for all values of index i. In this report there was no mention of black bodies.

In 1860, still not knowing of Stewart’s measurements for selected qualities of radiation, Kirchhoff pointed out that it was long established experimentally that for total heat radiation, of unselected quality, emitted and absorbed by a body in equilibrium, the dimensioned total radiation ratio E(T, i) / a(T, i), has one and the same value common to all bodies, which is to say for every value of the material index i.[62] Again without measurements of radiative powers or other new experimental data, Kirchhoff then offered a fresh theoretical proof of his new principle of the universality of the value of the wavelength-specific ratio E(λ, T, i) / a(λ, T, i) at thermal equilibrium. His fresh theoretical proof was and still is considered by some writers to be invalid.[58][61]

But more importantly, it relied on a new theoretical postulate of “perfectly black bodies,” which is the reason why one speaks of Kirchhoff’s law. Such black bodies showed complete absorption in their infinitely thin most superficial surface. They correspond to Balfour Stewart’s reference bodies, with internal radiation, coated with lamp-black. They were not the more realistic perfectly black bodies later considered by Planck. Planck’s black bodies radiated and absorbed only by the material in their interiors; their interfaces with contiguous media were only mathematical surfaces, capable neither of absorption nor emission, but only of reflecting and transmitting with refraction.[63]

Kirchhoff’s proof considered an arbitrary non-ideal body labeled i as well as various perfect black bodies labeled BB. It required that the bodies be kept in a cavity in thermal equilibrium at temperature T. His proof intended to show that the ratio E(λ, T, i) / a(λ, T, i) was independent of the nature i of the non-ideal body, however partly transparent or partly reflective it was.

His proof first argued that for wavelength λ and at temperature T, at thermal equilibrium, all perfectly black bodies of the same size and shape have the one and the same common value of emissive power E(λ, T, BB), with the dimensions of power. His proof noted that the dimensionless wavelength-specific absorptivity a(λ, T, BB) of a perfectly black body is by definition exactly 1. Then for a perfectly black body, the wavelength-specific ratio of emissive power to absorptivity E(λ, T, BB) / a(λ, T, BB) is again just E(λ, T, BB), with the dimensions of power. Kirchhoff considered, successively, thermal equilibrium with the arbitrary non-ideal body, and with a perfectly black body of the same size and shape, in place in his cavity in equilibrium at temperature T. He argued that the flows of heat radiation must be the same in each case. Thus he argued that at thermal equilibrium the ratio E(λ, T, i) / a(λ, T, i) was equal to E(λ, T, BB), which may now be denoted Bλ (λ, T), a continuous function, dependent only on λ at fixed temperature T, and an increasing function of T at fixed wavelength λ, at low temperatures vanishing for visible but not for longer wavelengths, with positive values for visible wavelengths at higher temperatures, which does not depend on the nature i of the arbitrary non-ideal body. (Geometrical factors, taken into detailed account by Kirchhoff, have been ignored in the foregoing.)

Thus Kirchhoff’s law of thermal radiation can be stated: For any material at all, radiating and absorbing in thermodynamic equilibrium at any given temperature T, for every wavelength λ, the ratio of emissive power to absorptivity has one universal value, which is characteristic of a perfect black body, and is an emissive power which we here represent by Bλ (λ, T). (For our notation Bλ (λ, T), Kirchhoff’s original notation was simply e.)[62][64][65][66][67][68]

Kirchhoff announced that the determination of the function Bλ (λ, T) was a problem of the highest importance, though he recognized that there would be experimental difficulties to be overcome. He supposed that like other functions that do not depend on the properties of individual bodies, it would be a simple function. Occasionally by historians that function Bλ (λ, T) has been called “Kirchhoff’s (emission, universal) function,”[69][70][71][72] though its precise mathematical form would not be known for another forty years, till it was discovered by Planck in 1900. The theoretical proof for Kirchhoff’s universality principle was worked on and debated by various physicists over the same time, and later.[61] Kirchhoff stated later in 1860 that his theoretical proof was better than Balfour Stewart’s, and in some respects it was so.[58] Kirchhoff’s 1860 paper did not mention the second law of thermodynamics, and of course did not mention the concept of entropy which had not at that time been established. In a more considered account in a book in 1862, Kirchhoff mentioned the connection of his law with Carnot’s principle, which is a form of the second law.[73]

According to Helge Kragh, “Quantum theory owes its origin to the study of thermal radiation, in particular to the “black-body” radiation that Robert Kirchhoff had first defined in 1859–1860.”[74]
Doppler effectEdit

The relativistic Doppler effect causes a shift in the frequency f of light originating from a source that is moving in relation to the observer, so that the wave is observed to have frequency f’:

f ′ = f 1 − v c cos ⁡ θ 1 − v 2 / c 2 ,   

where v is the velocity of the source in the observer’s rest frame, θ is the angle between the velocity vector and the observer-source direction measured in the reference frame of the source, and c is the speed of light.[75] This can be simplified for the special cases of objects moving directly towards (θ = π) or away (θ = 0) from the observer, and for speeds much less than c.

Through Planck’s law the temperature spectrum of a black body is proportionally related to the frequency of light and one may substitute the temperature (T) for the frequency in this equation.

For the case of a source moving directly towards or away from the observer, this reduces to

T ′ = T c − v c + v .   

Here v > 0 indicates a receding source, and v < 0 indicates an approaching source.

This is an important effect in astronomy, where the velocities of stars and galaxies can reach significant fractions of c. An example is found in the cosmic microwave background radiation, which exhibits a dipole anisotropy from the Earth’s motion relative to this black-body radiation field.
See alsoEdit

Bolometer
Color temperature
Infrared thermometer
Photon polarization
Planck's law
Pyrometry
Rayleigh–Jeans law
Thermography
Sakuma–Hattori equation
Terahertz radiation
Draper point

ReferencesEdit

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Further readingEdit

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External linksEdit

Black-body radiation JavaScript Interactives Black-body radiation by Fu-Kwun Hwang and Loo Kang Wee
Calculating Black-body Radiation Interactive calculator with Doppler Effect. Includes most systems of units.
Color-to-Temperature demonstration at Academo.org
Cooling Mechanisms for Human Body – From Hyperphysics
Descriptions of radiation emitted by many different objects
Black-Body Emission Applet Archived 2010-06-09 at the Wayback Machine
"Blackbody Spectrum" by Jeff Bryant, Wolfram Demonstrations Project, 2007.

ポータル:
物理 天文学 出演者 宇宙飛行 宇宙空間 化学
最終編集: 2 日前、23.90.233.242
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黒体放射

黒体放射
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BD%93%E6%94%BE%E5%B0%84

『黒体放射(こくたいほうしゃ、英: black body radiation)とは、黒体が放出する熱放射である。熱した物質や恒星の発する光が、比較的温度が低いときは赤っぽく、温度が高いほど青白くなる理由は、黒体放射の温度特性によるものである。』

『概要

黒体放射の色は、プランクの放射式によって解析することができ、黒体の温度によって決まる。

理想的な黒体放射をもっとも再現するとされる空洞放射が温度のみに依存するという法則は、1859年にグスタフ・キルヒホフにより発見された。

以来、空洞放射のスペクトルを説明する理論が研究され、最終的に1900年にマックス・プランクによりプランク分布が発見されたことで、その理論が完成された。

物理的に黒体放射をプランク分布で説明するためには、黒体が電磁波を放出する(電気双極子が振動する)ときの振動子の量子化を仮定する必要がある(プランクの法則)。つまり、振動子が持ちうるエネルギー (E) は振動数 (ν) の整数倍に比例しなければならない。

E = nhν (n = 0, 1, 2, ...)

この比例定数 h = 6.626×10-34 [J・s] は、後にプランク定数とよばれ、物理学の基本定数となった。

これは、物理量は連続な値をとり特定の最小値を持たない、とする古典力学と反する仮定であったが、1905年にアルベルト・アインシュタインがこのプランクの量子化の仮定と光子の概念とを用いて光電効果を説明したことにより、この量子化の仮定に基づいた量子力学が築かれることとなった。

参考文献

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より詳しくは、

Peter C. Milonni (1994). The Quantum Vacuum. Academic Press

関連項目

プランクの法則
キルヒホッフの法則
ヴィーンの変位則
ヴィーンの放射法則
レイリー・ジーンズの法則
シュテファン=ボルツマンの法則
佐久間=服部方程式
量子力学
グローブ温度
色温度
カーボンナノチューブ黒体
熱紋
ボース気体
ウンルー効果』

マックス・プランク

マックス・プランク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF

『マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck, 1858年4月23日 – 1947年10月4日)は、ドイツの物理学者である。

黒体放射を説明するプランクの法則を発見し、そこから ϵ = h ν {\displaystyle \epsilon =h\nu } で表わされるエネルギーの量子仮説を見出したことにより、量子論の創始者の一人となった。

この過程で得られた光の最小単位に関する定数hはプランク定数と名づけられ、物理学における基礎定数の一つとなった。

これらの功績により1918年にノーベル物理学賞を受賞した。「量子論の父」とも呼ばれている。科学の方法論に関して、エルンスト・マッハらの実証主義に対し、実在論的立場から激しい論争を繰り広げた。』

『生涯

物理学を専攻

1858年4月23日、当時ホルシュタイン公国に属していた港町キールに生まれた。[3]。父のヴィルヘルム・プランクは法学者、母親のエンマはグライフスヴァルト出身で、牧師の家系である[4][5]。エンマはヴィルヘルムにとって2人目の妻であり、2人の間には5人の子が生まれた。マックスは4番目の子である[5]。さらにヴィルヘルムと先妻との間に2人の子があり、一家は9人で暮らしていた[5]。

1867年、ヴィルヘルムはミュンヘン大学に招かれ、それに伴い一家はミュンヘンに引っ越した[5]。当時9歳のマックスは、ミュンヘンのマクシミリアン・ギムナジウムのラテン語学級に転校した[5]。少年時代のマックスは、叔母やいとこらと音楽会や山登りをするなどして過ごした[6][7]。学校では品行方正で行儀よく勉強熱心であったため教師からの評判は良く、同級生の間でも人気だった[8][9]。成績も優れていたが、天才と言えるほどの飛び抜けたものではなかった[9]。物理学の分野ではエネルギー保存則について興味を示した[10]。

少年時代、母親の影響から音楽、特にピアノ演奏に関しては特異な才能を示したが、その他にも数学や歴史、古典語学などに興味があり、進路を決めかねて音楽家に助言を求めたところ「助言が必要なくらいなら音楽はやめた方がいい」と言われ、音楽家の道をあきらめたとされる[11]。また、物理学者のフィリップ・フォン・ヨリーからは、物理学は既に確立した「終わった分野」であるとして、プランクが熱力学分野に進むことに反対された[12][13]。しかし1874年、17歳になったプランクはミュンヘン大学に進学した後、1878年にベルリン大学に転学し、物理学を専攻することになる[14]。プランク本人は、科学の分野に向かったのは大学でグスタフ・バウアーの講義を聴いたのがきっかけで、数学でなく物理を目指したのは、「純粋に数学的な原理だけでは解けない自然現象の問題に、私が深い興味をもっていたからです」と述べている[15]。

ミュンヘン大学時代には、兄弟と同じくアカデミー合唱協会(AGV)に入り、そこで知り合ったカール・ルンゲと親しくなった[15]。また、友人たちとイタリアに旅行に出かけたりもした[15]。

大学教授へ

1878年のプランク

プランクは大学で次第に熱力学に傾倒していった。ベルリン大学では、この分野の大家であるヘルマン・フォン・ヘルムホルツ、グスタフ・キルヒホフに師事した。ヘルムホルツの講義は準備されたものではなく、講義中にメモ帳に書かれたデータを探したり、黒板で計算を始めたりしていて、聴く側は退屈に感じた[16]。逆にキルヒホフは念入りに講義の準備をしていて、整然とした内容であったが、無味乾燥であった[16]。講義に満足できなかったプランクは、自分の興味ある講義録や論文を読むことで熱力学を学んだ[17]。なかでもルドルフ・クラウジウスの論文はプランクに強い印象を与えた[18]。

ミュンヘン大学に戻ったプランクは学位論文を書き上げ、その後の学位試験を経て1879年学位を取得した[19][20]。1880年には教授資格取得論文を提出し、審査に合格して大学教授の資格を得た[21]。

プランクの学位論文は、エネルギー保存則とエントロピーについて再検討するもので、教授資格取得論文は、学位論文で得た結論を具体的な問題に適用させる内容であった[21][22]。しかしこれらの論文は、当時の物理学者にほとんど影響を与えなかった。キルヒホフからは誤りを指摘され、ヘルムホルツは論文を読もうともしなかった[23]。プランクはクラウジウスに読んでもらおうとしたが、それも叶わなかった[24]。さらに、すでにウィラード・ギブズがプランクと同様の研究内容を発表していることが後になって分かり、プランクは落胆した[25]。

ともあれ教授の資格は得られたプランクであったが、教授職の空きがなく、しばらくは無給の私講師として親の元で暮らしていた[26]。当時プランクは級友の妹で銀行家の娘のマリー・メルクと交際していたが、収入が無いなかでの結婚に踏み切れないでいた[27]。しかし1885年、キール大学からの招聘を受け、キール大学の員外教授となった[28]。この人事には、元々キール大学で教えていて大学内に友人のいた父親の影響もあったと推測されている[29]。

1887年、29歳のプランクはマリー・メルクと結婚した[28]。2人の間には長男カール、双子の長女と次女であるエンマとグレーテ、そして次男エルヴィンの2男2女をもうけた。

研究生活

キール大学教授時代、プランクはゲッティンゲン大学が主催した論文コンクールに応募した。コンクールの結果は、1等の該当者がなく、2等がプランクだった[30]。プランクが1等に選ばれなかったのは、論文の内容が当時ゲッティンゲン大学にいたヴィルヘルム・ヴェーバーの主張と対立するものだったことが理由とされている[31]。しかしこの論文はヘルムホルツの目に留まった[31]。

1887年、ベルリン大学のキルヒホフが死去した。後任として大学側は、グラーツ大学のルートヴィッヒ・ボルツマンやカールスルーエ大学のハインリヒ・ヘルツに教授就任を依頼したが、両者に断られてしまった[32][33]。そこで大学は、ヘルムホルツからの推薦のあったプランクを招くこととして、プランクは1889年にベルリン大学へと移った[34]。はじめは員外教授の地位であったが、1892年には正教授となった[34]。

ベルリン大学に来たことによって、プランクはヘルムホルツと同僚になった。プランクより37歳年上で、当時のドイツ物理学における重鎮であるヘルムホルツと近づくことによって、プランクはヘルムホルツに共感し、尊敬の念を抱いた[35][36]。プランクがヘルムホルツに褒められたのは生涯で2、3度だったが、プランクにとってそのことはどんな成功よりも嬉しかったという[36]。

ベルリンに来てから、プランクはドイツ物理学会で自らの研究結果を発表した。はじめのうちは賛同を得られなかったが、やがて支持者が増え、1891年までには学位請求論文が頻繁に貸し出されるようになった [37]。1894年にはヘルムホルツの推薦により、プロイセン科学アカデミーの正会員になった[38]。

1895年ごろから、プランクは黒体から放射されるエネルギー(黒体放射)に関する研究を始めた[39]。そして、ヴィーンの放射法則を修正することで、すべての波長に対して実験結果と一致する式を発見し、1900年にドイツ物理学会の会合で発表した[40][41]。その後プランクはこの式の意味するところについてさらに考え、光のエネルギーがある最小単位の整数倍の値しか取れないと仮定すると説明できることを発見し、放射に関するプランクの法則(1900年)を導出した。またこの過程で得られた光の最小単位に関する定数(1899年)はプランク定数と名づけられ、物理学における基礎定数の一つとなった。

エネルギーが連続的な値ではなく、プランク定数に基づいた不連続な値しかとることができないという理論は、当時の古典物理学では説明がつかなかった。やがて複数の科学者により研究が進み、プランクの理論は量子力学として大きく発展することとなる[42]。

第一次大戦

1905年、アルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表した。プランクは、当時無名だったアインシュタインの論文をいち早く取り上げ、同年から翌1906年にかけてのゼミナールでこの理論を検討し、1906年の会議で相対性理論を擁護した[43][44]。このプランクの行動は相対性理論を科学者の間に広めることに貢献した[43]。一方でプランクはアインシュタインによる光量子論については受け入れるのに慎重な立場をとった[45]。プランクとアインシュタインは1911年に開かれた第1回ソルベー会議の場で出会い、議論を交わした[46]。

1909年、妻マリーは結核で死去した。1年半後の1911年、当時50歳のプランクはマリーの姪であるマルガ・フォン・ヘスリンと再婚した[46][47]。

1909年にはアメリカに行き、コロンビア大学講師 (Ernest Kempton Adams Lecturer in Theoretical Physics) を務めている[48]。また、大学内外において次第に数々の要職を務めるようになった。またドイツ物理学会においても1905年から1906年にかけて会長を務め、そののちも1906年から1907年、1908年から1909年、1915年から1916年の計4回会長を務めた。1912年にはプロイセン科学アカデミーの常任理事になり、1913年にはベルリン大学の学長になった[49]。

1913年、アインシュタインをベルリンに呼び寄せようと計画し、ヴァルター・ネルンストとともにチューリッヒを訪れた。プランクらは、新しく設立されたカイザー・ヴィルヘルム物理学研究所の研究主任や、ベルリン大学での講義の義務が無い研究職といった地位を用意してアインシュタインを説得し、承諾を得ることに成功した[50]。
1918年のプランク。この年のノーベル物理学賞を受賞する

1914年、第一次世界大戦が起こると、プランクははじめこの戦争に賛同した。戦時中に、「われわれはなんと輝かしい時代に生きていることだろう。自分をドイツ人と呼べるとはすばらしい気分である」と手紙に綴っている[51]。1914年10月、進化学者のエルンスト・ヘッケル、化学者のフリッツ・ハーバー、ヴィルヘルム・レントゲン、数学者のフェリックス・クラインらと共に、ドイツの戦争を支援する「93人のマニフェスト」に署名した[51]。この宣言によって、ハーバーらによる毒ガス開発といった、研究者による大量破壊兵器の開発や、戦後の1918年から1923年まで続いた連合国側研究者による研究者コミュニティからのドイツ人排除といった、国家間の対立の構図が研究者社会にまで及ぶことになった。戦争により大学に学生は少なくなり、プランクの2人の息子は戦場へ行き、2人の娘は病院で働くため赤十字の訓練を受けた[51]。

しかし戦争が進むにつれ、プランクは考えが変化し、戦争に賛意を抱けなくなっていった[52]。1915年3月には、以前から信頼していたヘンドリック・ローレンツの助言に従い、93人のマニフェストに署名したことを非公式ではあるが謝罪した[53]。また、1916年に書かれたローレンツ宛ての公開書簡では、戦争中であってもそれを越えた知的・道徳的な分野が存在していて、このような国際的な文化を協力して守ることは、祖国愛や祖国のための行動と両立しうるものだと主張した[54][55]。

1916年5月、長男カールが戦死した[56]。次男エルヴィン(Erwin Planck) はフランスで捕虜となった[57]。さらに大戦末期の1917年に娘のグレーテは大戦末期に娘のグレーテ(同名)を出産したのちに亡くなり、グレーテの夫と再婚したエンマも娘のエンマ(同名)の出産後に亡くなった[58]。こうしてプランクは、4人の子供のうち3人を立て続けに失った。エンマ死後にプランクと会ったアインシュタインは「プランクの不幸が私の胸を締めつけます。私は、彼の姿を見たときに涙を抑えられませんでした。彼は驚くほど勇敢で毅然としていましたが、みずからを蝕む深い悲しみを隠すことはできませんでした」と書いている[59]。

この間の1918年、ドイツ物理学会によってプランク生誕60周年の記念学会が開かれた[59][60]。そしてエンマの死の直前、プランクに1918年のノーベル物理学賞が授与されることが決まった[61]。プランクは1920年6月、ストックホルムでの授賞式に参加した[62]。

ドイツ物理学の代表

プランクは第一次大戦の終戦後も、ドイツ科学の世界的地位を守るため、アカデミーでの会議を継続させていた[63]。しかしドイツ経済は混乱を極め、財源不足は深刻だった。フリッツ・ハーバーと、前プロイセン文化相のフリードリヒ・シュミット=オットは、ドイツ科学の経費調達のための地域・学問・政治的派閥を越えた組織となるドイツ科学救援連合(de:Notgemeinschaft der Deutschen Wissenschaft)の案を考え、プランクもこれに協力した[64][65]。この組織は1920年10月30日に発足した[64]。プランクは一委員として、中央委員会や、日本の星一からの寄付金を運用する星基金運用委員会、そして、ゼネラル・エレクトリック社などからの寄付金を運用する電気物理学委員会に所属した[65][66]。電気物理学委員会は量子力学分野の研究を支援した。この支援は、ヴェルナー・ハイゼンベルクやマックス・ボルンらによる量子論の理論的研究の助けとなった[67]。

プランクはこれに加え、1920年代に各種の委員会など数々の要職を歴任し、ドイツ学界の重鎮となっていた[68]。大学では、講義や委員会に加え論文も発表したが、初期のころのような重要な論文を発表することは無くなった[69]。1926年10月1日、68歳のプランクはベルリン大学教授職を退職し、後任をエルヴィン・シュレーディンガーにゆずった[70]。ただし退職後の1929年から1930年にかけても週4コマの講義を実施し、1932年時点においても大学内の委員にはなっている[71]。

1929年、博士号取得50周年が祝われ、同年にマックス・プランク・メダルが創設された。第1回目はプランク本人と、アインシュタインに贈られた[72]。

1930年6月10日、カイザー・ヴィルヘルム協会会長のアドルフ・フォン・ハルナックが死亡した[73]。同年7月、協会の評議会は、次の会長としてプランクを選出した[74]。プランクはドイツ科学救援連合などいくつもの職責を抱えていたため、会長就任に乗り気でなかったが、考えた末に引き受けることにした[71][75]。プランクは、ドイツ科学研究の代弁者、ドイツ物理化学界の長老などとみなされるようになった[76]。

ナチス政権に対して

1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーがドイツ帝国宰相に就き、これ以降ユダヤ人に対する迫害が始まり、ハーバー、シュレーディンガー、アインシュタインらが迫害、追放の憂き目をみた。[77]。すでに高齢のプランクはカイザー・ヴィルヘルム協会の会長職を辞すことも考えたが、周囲の期待もあり続けることにした[78]。当初プランクは、政権に対して大々的な批判はせず、抗議のために辞職しようと考えていた同僚に対しても、思いとどまるよう助言した[79]。政権に目をつけられて、辞職した後に好ましくない者が後任に就くことになるよりも、今後のドイツ科学のために辞職せずに若者を指導することのほうが重要と考えたためである[79]。同年3月に、アメリカにいたアインシュタインがドイツへの帰国を拒否しナチス批判を始めたとき、プランクは悲しみ、これによってあなたと同じ民族、同じ信仰を持つ人たちが一層抑圧されてしまうだろうという内容の手紙をアインシュタインに送った[80][81]。

同年5月のアカデミーにおいてもアインシュタインがアカデミーを去ることは遺憾であると述べた。ただし、アカデミーがアインシュタインの重要性を理解しなかったと後世に誤解されるのを防ぐため、アインシュタインはヨハネス・ケプラーやアイザック・ニュートンのみと比べられるものを残したと付け加えている[82][83]。

プランクはこの時期にヒトラーにも面会した。ヒトラーは、ユダヤ人自体には何も文句はないが、彼らは皆共産主義者であり、共産主義者は私の敵だと主張した。プランクが、ユダヤ人も様々だから区別すべきではないかと言うと、ヒトラーは反論し、ユダヤ人は”いが”のように寄り集まる、区別はユダヤ人自身がすべきなのに彼らはそれをしていない、だから私はすべてのユダヤ人を同じ基準で扱うのだ、と述べた。これに対してプランクはさらに応答したが、最終的にヒトラーの怒りを買う結果に終わり、事態を改善することはできなかった[84][85]。

またプランクはヒトラー政権の初期、カイザー・ヴィルヘルム協会傘下の研究所の開所式で挨拶することになった。通常このような場では手を掲げて「ハイル・ヒットラー」と言わなければならない。プランクは手を半分上げて、そこからいったん下げ、という動作を何度か繰り返した後に、ようやく手を上げ、「ハイル・ヒットラー」と言った[86][87]。
アインシュタイン以後、多くのユダヤ人科学者がドイツを離れていった。その1人であるカイザー・ヴィルヘルム物理科学研究所所長のフリッツ・ハーバーは、第一次大戦などでドイツに貢献した愛国者として知られていたが、ナチスと意見が対立して1933年に国を追われ、翌年死亡した。プランクは、マックス・フォン・ラウエからの要請によりハーバーの一周忌追悼式典を主催することにした。これには政権からの反対があったが、プランクは実施を強行した[88]。

カイザー・ヴィルヘルム協会会長の任期は1936年4月1日までであった。その後任としてヨハネス・シュタルクが立候補した。シュタルクは親ナチスの科学者で、プランクやアインシュタイン、ラウエらを批判していた人物である。しかし協会はシュタルクを選ばず、カール・ボッシュを次期会長に選び、1937年に引き継ぎがなされた[89]。その数か月後の1937年11月、帝国物理学・工学研究所の50周年記念式典が開催された。当時の研究所所長はシュタルクだったため、ラウエやオットー・ハーン、リーゼ・マイトナーはプランクに対し出席しないよう説得した。しかしプランクは、シュタルク氏個人よりも帝国研究所のほうが大切だとして出席した[90][91]。

1938年4月23日、80歳の誕生日を記念して式典が開かれ、多くの関係者が集まった。式典ではマックス・プランク・メダルの授与もなされたが、この年の受賞者はプランク本人の希望により、フランス人であるルイ・ド・ブロイに決まった[92]。また、新しく発見された小惑星1069番にプランクにちなんだ名(プランキア)が付けられることが発表された[93]。

1938年12月22日、プランクは26年間務めたアカデミー常任理事の職を退いた[94][95]。
晩年

1930年代後半からプランクは講演会や著書で政府批判を続けた[96][97]。80歳に近づくころには、巡回説教師として各地を回り、宗教と科学について思いを伝えていった[98]。プランクの講演内容は国外にも宣伝され、本人もザグレブやローマ、さらには中立国であるスイスとスウェーデンを訪れた[99]。

一方、国内での言論はさらに制限されるようになり、相対性理論の話をする際にアインシュタインの名を出すことも禁止された[100]。プランクもこの方針に従っていたが、1943年あるいは1944年にナチスの外務官クラブにおける講演でアインシュタインの名を出し、「思想界の指導者にして水先案内人」と評した[101]。その後、ナチス学術局は講演活動の中止を勧告した[102][103]。

フランクフルト市は1943年のゲーテ賞をプランクに与えることを決めた。しかし、プランクはアインシュタインを擁護していたという理由で、帝国大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの同意が得られず受賞に至らなかった。プランクがこの賞を受けるのは終戦後の1945年のことである[104]。

プランクは空襲が激しくなってからもベルリンに住み続けたが、1943年に休暇のためベルリンを離れ[105]、ケルンテン州から3000メートル級の山に登ったりもした[106]。その後、妻と共にエルベ川畔のローゲッツに疎開した[107]。ベルリンの家は1943年のベルリン空襲により被害を受け、さらに1944年2月15日の空襲で家財すべてが焼失した[107][108]。これによってプランクが残していた日記や書簡は失われた[109]。

1944年7月23日、ヒトラー暗殺計画に加担した疑いで次男のエルヴィンが逮捕され、死刑を宣告されて翌年2月に処刑された[110][111]。プランクは大いに落胆した。肉体的にも衰えを見せていった。そのような状態のなか、ローゲッツにも戦火が迫るようになったので、夫妻はこの地を離れなければならなくなった[112]。道中では干し草の上で寝るなど苦労したが、ゲッティンゲンで姪と暮らすことができるようになり、ここで敗戦を迎えた[113]。

ゲッティンゲンにある墓

プランクは歩くのもままならない状態であったが、そのなかで、カイザー・ヴィルヘルム協会会長への再就任を依頼された。カイザー・ヴィルヘルム協会は総務部をゲッティンゲンに移していたが、資金は無く、建物は破壊され、研究所との連絡も断たれてていた[114]。当時会長だったアルベルト・フェーグラー(英語版)は自殺していた[115]。総務部のエルンスト・テルショウは、協会再建のため、対外的にプランクの権威が必要と判断したのである[114]。プランクは引き受けて一時的に会長となり、1946年4月、会長職をオットー・ハーンに引き継いだ[116]。

1946年7月、アイザック・ニュートン生誕300年祭にドイツ人でただ1人招かれ、ロンドンを訪れた[117]。

カイザー・ヴィルヘルム協会は占領軍との交渉で再建を許されたが、カイザー・ヴィルヘルムの名を使うことは禁じられた[118]。そのため、プランクを記念して1946年9月11日にマックス・プランク研究所と改名され、プランクは名誉会長となった[118]。マックス・プランク研究所は21世紀に入っても物理学研究の一大中心地として、様々な画期的研究成果を挙げている。

1947年1月、プランクは肺炎にかかり入院した[119]。いったん退院したが同年に再度入院し、10月4日、ゲッティンゲンにて89歳で死去した[120]。

業績

フンボルト大学ベルリンに設置されているプレート

原子論

プランクが学者としての研究を始めたころ、ルートヴィッヒ・ボルツマンにより原子論の研究が進んでおり、H定理などが発表されていた。しかし当時、ボルツマンの理論は学者内で一般的な評価を得られていなかった[121]。プランクも、熱力学を学んだ身として、原子論は受け入れられなかった[122]。ボルツマンの理論に従えば、熱力学第二法則に基づいて系が最初の状態から次の状態へと変化するのは確実ではなく、確率でしかないことになる。これに疑問を抱いたプランクは数度にわたり論文で原子論に反対した[123]。

ボルツマンに反対する科学者としては、エルンスト・マッハやヴィルヘルム・オストヴァルトが有名であり、そのなかでオストヴァルトのエネルギー論が原子論と対立する理論となった[121]。プランクは1891年の学会で原子論に反対したことをきっかけにオストヴァルトと文通を始めたが、しかしエネルギー論にも全面的には同意できず、1895年の学会でエネルギー論を批判した[124]。

このように、原子論とエネルギー論の争いの中で、プランクはどちらの側にもついていなかった。しかし、プランクの弟子のエルンスト・ツェルメロがボルツマンを批判し論争になったこともあり、ボルツマンからは良い印象を持たれなかった[125][126]。1895年以降、プランクは黒体放射の問題に力を入れるようになり、その過程においてボルツマンの考えを受け入れるようになる[127][128]。

黒体放射

黒体とは、外からのすべての電磁波を反射せずに吸収する物体のことである[129]。この黒体に熱を加えたときに自らが放射する電磁波が黒体放射(黒体輻射)である。具体的な例として、外部を断熱にして内部を空洞にした容器に外から小さな穴をあけた場合、容器の内側は黒体とみなすことができ、穴から出てくる電磁波を観測することで黒体放射が観測できる[130]。

黒体放射のエネルギーは、黒体の材質や形によらず、温度と振動数のみで決まる。このことは1860年にキルヒホフによって確かめられており、さらに言えば、それ以前から陶芸家は、窯の中から出てくる光の色すなわち波長(振動数の逆数)は中に入っている物体によらず、温度だけで決まることに気づいていた[130][131]。物理学ではこの黒体放射のエネルギー分布関数 u ( ν , T ) {\displaystyle u(\nu ,T)}を温度 T Tと振動数 ν \nu で数式として表す取り組みが進められ、プランクがこの問題に取りかかるころには、熱力学の理論であるシュテファン=ボルツマンの法則が発表され、さらにヴィーンの放射法則
u = b ν 3 e − a ν / T {\displaystyle u=b\nu ^{3}\mathrm {e} ^{-a\nu /T}}  (1)
がヴィルヘルム・ヴィーンにより発見されていた(a,bは定数)[132]。

プランクは、小さな線形振動子について研究を進めた。そして1899年、この振動子が黒体放射と相互作用することを考えた。この際、振動数はエネルギーを吸収しまた放出する。この単位時間における吸収・放出のエネルギーを U Uとしたとき、 U Uと u uには

u = 8 π c 3 ν 2 U {\displaystyle u={\frac {8\pi }{c^{3}}}\,\nu ^{2}U}  (2)

の関係があることを導き出した(cは光速)[133]。式(2)に式(1)を代入することにより、振動子の平均エネルギー U Uは

U = h ν e − a ν / T {\displaystyle U=h\nu \mathrm {e} ^{-a\nu /T}}  (3)

と求められる[134]。なお、 h = b c 3 8 π {\displaystyle h={\frac {bc^{3}}{8\pi }}}であり、このhは後にプランク定数と呼ばれるようになる。プランクは1899年の論文でhの値を実験値を参考に h = 6.89×10−27 erg・secと求めた[135]。

また、プランクはエントロピー S Sとエネルギーについて基礎的な関係が成り立つと考えた[136]。そして式(3)を、温度 T Tの代わりにエントロピー S Sを用いて

S = U a ν ( log ⁡ U h ν − 1 ) {\displaystyle S={\frac {U}{a\nu }}\left(\log {\frac {U}{h\nu }}-1\right)}  (4)

と書き換えた[136]。そして、熱力学第二法則により、エントロピーが時間的に増大するためには

R = ( d 2 S d U 2 ) − 1 < 0 {\displaystyle R=\left({\frac {d^{2}S}{dU^{2}}}\right)^{-1}<0}  (5)

でなければならないことを発見した[137]。

ここで登場する R Rについて、プランクははじめ、単純に U Uに比例し

R = − a ν U {\displaystyle R=-a\nu U}  (6)

と仮定すれば式(5)を満たすので、これが基礎的な関係式だと考えた[137]。ところが1900年、元々の式(1)が長波長では成り立たなくなることが、ハインリヒ・ルーベンスとフェルディナント・クルルバウム(英語版)による実験で明らかになった[138][139]。さらにフリードリッヒ・パッシェンは改良した実験で、やはり高温ではウィーンの式(1)から外れることを確かめ、プランクに報告した[139]。
各波長における黒体放射エネルギー値の、ヴィーン、レイリー・ジーンズ、プランクによる式の比較

この実験を知ったプランクは、式(6)に U Uの2次の項を加え、

R = − a ν U + 1 k U 2 {\displaystyle R=-a\nu U+{\frac {1}{k}}U^{2}}  (7)

とすればよいことを見出した[40]。式(7)を積分することにより

U = h ν e a ν / T − 1 {\displaystyle U={\frac {h\nu }{\mathrm {e} ^{a\nu /T}-1}}}  (8)

が得られ、さらに、

u ( ν , T ) = b ν 3 e a ν / T − 1 {\displaystyle u(\nu ,T)={\frac {b\nu ^{3}}{\mathrm {e} ^{a\nu /T}-1}}}  (9)

が得られる。式(9)を元の式(1)と比べると、式(9)は式(1)に「-1」の項が追加された形となっている。この式は1900年に発表された。発表の場に出席していたルーベンスは翌日プランクの元を訪れ、プランクの式は実験結果とすべて一致していたことを伝えた[140]。

プランクはこの論文で引用していないが、黒体放射のエネルギーを表す式として、ヴィーンの放射法則の他にレイリー・ジーンズの法則があった。しかしこのレイリーらの式はウィーンの式とは逆に、長波長では成り立つものの短波長では実験値と合わなかった。プランクの発見は、黒体放射において、すべての波長で成り立つ初めての統一的な式を与えるものであった[141]。プランクは後の1906年に執筆され1907年に出版された教科書において、プランクの式の長波長側の極限をとるとレイリー・ジーンズの法則と一致することを示している[142]。

量子力学

プランクが導いた黒体放射の式は、計算上は実験結果と一致していたが、なぜこの式が成り立っているか、その根拠については分からなかった。そこでプランクは、式に物理的な説明がつけられるよう、考察を進めた[143]。

それにあたり、プランクはボルツマンによる統計力学の考えを導入した。ボルツマンの原理により、エントロピー S Sは状態の数 W Wの対数に比例する。比例定数を k kとすると、

S = k log ⁡ W {\displaystyle S=k\log W}  (10)

となる。

プランクは、N個の振動子にエネルギーが分配されることを考え、考えられる分配の数から状態の数 W Wを求めることで、式(10)を使いエントロピー S Sを求めようとした。
しかし、エネルギーが連続的な値をとるとすると、エネルギー量は無限に分割できるので、状態の数 W Wが無限大となりエントロピー S Sを計算することができない。

そこでプランクは、エネルギーの最小単位 ϵ \epsilon を考え、全エネルギー U Uは ϵ \epsilon がP個集まったものだと仮に考えて計算することにした。すなわち、

U = ϵ P {\displaystyle U=\epsilon P}  (11)

である[144]。計算後に ϵ \epsilon →0とすれば、エネルギーを連続量とした場合の結果が得られる。

N個の振動子にエネルギーが分配される方法が何通りあるかは、P個の要素をN個の振動子に分配される場合の数となる(ただし、エネルギー及び振動子は互いに区別されない)。したがって、 W Wは

W = ( N + P − 1 ) ! ( N − 1 ) ! P ! {\displaystyle W={\frac {(N+P-1)!}{(N-1)!P!}}}  (12)

である[145][146]。

式(10)と式(12)を利用することにより、振動子1個当たりのエントロピー S Sは、

S = k N log ⁡ ( N + P − 1 ) ! ( N − 1 ) ! P ! {\displaystyle S={\frac {k}{N}}\log {\frac {(N+P-1)!}{(N-1)!P!}}}  (13)

これを、スターリングの公式と式(11)を使って計算すると、

S = k [ ( 1 + U ϵ ) log ⁡ ( 1 + U ϵ ) − U ϵ log ⁡ U ϵ ] {\displaystyle S=k\left[\left(1+{\frac {U}{\epsilon }}\right)\log \left(1+{\frac {U}{\epsilon }}\right)-{\frac {U}{\epsilon }}\log {\frac {U}{\epsilon }}\right]}  (14)

となる[145][147]。こうして、統計力学を用いてエントロピーを計算することができた。
この結果を、プランク自身による黒体放射の式から計算したエントロピーと比較する。黒体放射の式からエントロピーを計算するには、式(8)および熱力学の式

∂ S ∂ U = 1 T {\displaystyle {\frac {\partial S}{\partial U}}={\frac {1}{T}}}  (15)

を使えばよく、結果は、

a h S = ( 1 + U h ν ) log ⁡ ( 1 + U h ν ) − U h ν log ⁡ U h ν {\displaystyle {\frac {a}{h}}S=\left(1+{\frac {U}{h\nu }}\right)\log \left(1+{\frac {U}{h\nu }}\right)-{\frac {U}{h\nu }}\log {\frac {U}{h\nu }}}  (16)

となる[148]。

式(14)と式(16)を比較することにより、

ϵ = h ν \epsilon =h\nu  (17)

が得られる。

また、同じく式(14)と式(16)を比較することにより、 k = h / a {\displaystyle k=h/a}である。この定数 k kはボルツマンの名からボルツマン定数と呼ばれている。しかし、ボルツマン自身は k kという符号を使っていなかった。ボルツマン定数の意味するところを初めて明らかにしたのはプランクである[149]。プランクは h hと k kの値を求め、そこから電子の電荷 e eやアボガドロ定数の値を、現在知られている値と近い値で導き出している[150]。

ボルツマン定数 k kを使うと、式(9)は

u ( ν , T ) = 8 π ν 3 c 3 h e h ν / k T − 1 {\displaystyle u(\nu ,T)={\frac {8\pi \nu ^{3}}{c^{3}}}{\frac {h}{\mathrm {e} ^{h\nu /kT}-1}}}  (18)

と表わされる。

当初の方針では、ここから ϵ \epsilon →0の極限をとるのであるが、この計算をすると、エネルギーが実際の値と合わなくなる[151]。

プランクは ϵ \epsilon について式(17)の形で発表した[152]。これは、エネルギーは連続的な値をとるという古典物理学における従来の常識をくつがえすものであった。

プランク自身もこの結果が納得できず、その後8年間にわたり、定数hを古典物理学の枠組みで説明できるようにしようと理論的研究を進めたが、望むような結果は得られなかった[153]。

トーマス・クーンによれば、エネルギーが h ν h\nu の整数倍というとびとびの値しかとれないことをプランクが初めて受け入れたのは1908年のことである[154]。

ただしプランクは、定数hに基本的な意味があることは認識しており、1899年の時点で光速c、重力定数Gとともにhは「自然単位」を形成することを主張している[135][155]。

1900年、プランクは息子のエルヴィンに対して「私はニュートン(あるいはコペルニクス)と同じくらい重要な発見をした」という内容の言葉を言ったと伝えられている[156]。

思想

プランクは哲学者としての側面もあった。神学者のアドルフ・フォン・ハルナックは、「われわれの世代にはひとりの哲学者もいないと人びとは不平を言う。だがこうした不平は不当であろう。いまでは哲学者たちは哲学部とは別の学部に所属しているのだ。マックス・プランクとアルベルト・アインシュタインこそは、そうした哲学者の名前である」と記している[157]。

マッハに対する批判

プランクは、研究を始めた頃はマッハの影響を受けていたが[158]、原子論に関するボルツマンの理論を受け入れるようになる直前に、マッハの考えに疑問を抱くようになった[159]。その後の1908年にマッハ哲学を再考し、同年12月、ライデンでの講演で初めてマッハの科学哲学を批判した[160][161]。

この講演では物理学の統一を主題とした。プランクは、物理学が統一された世界では、人間的な要素を排して、プランク定数h、ボルツマン定数kをはじめとする諸定数に基づいた普遍的な内容で説明がなされると主張した[162]。

一方で、プランクが説明するところのマッハ哲学によれば、人間の感覚にしか実在性を認めないので、プランクの考えと対立する[163]。プランクは、惑星が実在的であるのと同じように原子も実在的であると主張した[163]。

プランクはこの講演後もマッハ批判を続け、マッハ本人からの反論に対しても再反論するなど活動を続けた[164]。こうしたプランクの行動は当時賛否両論あったが、やがてドイツ国内の理論家はプランクの考えを支持するようになっていった[165]。

宗教観

1932年の著書『科学はどこへ行くのか』の中で、宗教と科学には真の対立はありえず、人間がその力を完全なバランスと調和を伴って発揮しようとすれば、自らの宗教的な部分を認識して伸ばさねばならず、このことは真面目で思慮深い人なら経験のあることだろうと述べている[166]。

アインシュタインの「知識は推論からではなく、外界が存在し直接的な認識から得られる」という言葉をひきあいにして、理性だけではない直接的な認識の重要性を説明し、本質的には信仰に類似しているとし、科学には未知なるものへの探究心があり、真実への愛と、畏敬の念を深めるものであるが、形而上学的な欲求をかきたてることにおいて科学は宗教の代わりとはなりえないと語った[166]。

1937年5月の講演「宗教と科学」では、宗教的人間と科学者を取り上げ、両者は普遍的秩序を求めている点では同じであると論じた。

そして、両者は互いに補完しあうものであり、各個人は、宗教的な側面と科学的な側面の両方を発達させるよう努めなければならないと主張した[167]。

この講演はバルト海諸国を皮切りに各国で催され、好評を博した。ウィーンでの講演では、結びの「神を意識せよ」の箇所で拍手喝采を巻き起こしたという[168]。また、講演の内容は出版されるとともに、新聞でも紹介された[168]。

評価

量子力学

1911年のソルベー会議にて。後列左から2番目がプランク

プランクによる黒体放射の式は、すぐに実験的に確かめられ、科学者に受け入れられた[169]。

しかしそこから導き出される量子仮説は、1905年までドイツ国内外問わず、重要性を認識されなかった。

西尾成子は、量子仮説が当初ドイツ国内で支持されなかったのは、プランクがボルツマンの考えを取り入れていたためボルツマンに反対していた科学者に重要性を認識されなかったことが原因ではないかと推測している[170]。

ドイツ国外においても、レイリーとジェームズ・ジーンズが1905年に黒体放射の式に注目しはしたが、量子仮説については話題にする科学者はほとんどいなかった[170][171]。

しかしエネルギーがとびとびの値しかとることができないという量子仮説の考えは、アインシュタインに影響を与えた。アインシュタインは、このエネルギーを、実在する粒子が持つエネルギーと考え、その粒子をエネルギー量子と名付けた[172]。現在この粒子は光子と呼ばれている[172]。

プランクが導いた結果は、後にアインシュタイン、ニールス・ボーアなどによって確立された量子力学の基礎となるものであった。

この業績からプランクは“量子論の父”として知られており、ノーベル物理学賞(1918年)の受賞対象となった。

プランクのノーベル賞受賞にあたっては、ローレンツ、アインシュタイン、ボルン、ヴィーン、ゾンマーフェルトなど多数の物理学者からの推薦があり、ラウエは、量子物理学でノーベル賞が与えられるならばまずはプランクにこそ与えられなければならないと述べた[173]。

ナチスへの対応

2マルク硬貨に描かれたプランク

ナチスが政権を握っている時代、プランクはカイザー・ヴィルヘルム協会で責任ある地位にあり、人間的にも信頼されていた。プランク自身はナチスの政策に批判的であったが、ナチスに対し強く抗議することはしなかった[174]。これは、プランクが当初、ナチスはユダヤ人に対してそのうち分別を発揮するだろうと考えていたことも一因である[175]。フィリップ・ボールは、プランクをはじめとする当時の科学者がナチスの政策に反対したのは、ドイツ科学のためであり、同僚のユダヤ人を助けるためであって、より広く道徳的な観点から考えての反対ではなかったと指摘している[176]。そして、「プランクには何の計画もなく、生まれつきの心の善良さ以上の倫理基準もなく、何の前例も歴史的模範もなかった。そして彼を飲み込んでしまい、最終的には彼を打ち砕いてしまう苦難に対して、プランクをうまく導いてくれるものは何もなかったのだ」と評している[177]。

人物

プランクは音楽に堪能であり、音楽家の道をあきらめたのちも休日にはオルガンやピアノを弾きこなし、オペレッタを書き、友人や近所の子供たちの合唱を指揮するなど、音楽を一生の趣味としていた。音楽では特にロマン派の音楽を好んだ[178]。ベルリン時代の初期には音楽理論の研究をしたこともあった[179]。音楽と並ぶもう一つの趣味は登山であり、72歳の時にユングフラウを制覇するなど各地の山に積極的に登りつづけた[180]。

当時の学者としては大変に謙虚で、自らの功績を語ることは少なかった。黒体放射を扱った講義で、プランクの放射公式について説明する際にも、その式を導き出したのが自分であることは言わなかった[181]。プランクの名を冠した式や用語はプランクの存命中から一般に使われていたが、自身は別の名前で呼ぶようにしていた[181]。

プランクの講義は整然としており、講義を聴いた化学者のJ・R・パーティントン(英語版)や物理学のD・M・ボース(英語版)は高く評価している[182]。一方で否定的な感想も多く、「プランクは印刷された本のようにしゃべる」とも言われている[183]。リーゼ・マイトナーは、ボルツマンの講義と比較してプランクの講義は「はじめのうちどこか人間味に欠け、あっさりしすぎているような気がした」と述べている[184]。講義では、「われわれは更にもう一歩先に進むことができる」「ここに問題は完全に満足の行くところまで解けた」という2つの言葉を好んで使っていた[185]。

プランクは教員生活が長かったものの、直弟子は非常に少なく、プランク学派というものは形成されなかった[186]。博士課程の学生に対しては、学問的な議論をすることはなく、会うこともまれだったという[187]。ただし、少ない直弟子の中からはマックス・アブラハム、モーリッツ・シュリック、ヴァルター・マイスナー、マックス・フォン・ラウエ、ヴァルター・ショットキー、ヴァルター・ボーテといった優れた学者を輩出した[182]。

女性の高等教育について、1897年のアンケートでは、能力と意欲があれば講義の出席を認めたいとしながらも、こちらから女性を招き入れるような制度には反対し、女性は母として、主婦としての役割を果たすのが自然であると答えている[188][189]。その後、リーゼ・マイトナーがベルリン大学に来たとき、プランクはマイトナーの聴講を認め、1912年には、当時無給の客員教授だったマイトナーを有給の助手に指名している[190]。マイトナーは、「先生は人並みはずれて純粋なたちで清廉な性格でいらっしゃって、そういうお人柄が、飾り気のない、偉ぶらない外見とぴったりでした。……ご自分に有利になりそうなことをあえて選ばず、損になるかもしれなくても受け入れようとなさる場面を何度も拝見し、私はそのたびに感銘を受けました。先生は正しいと思えば何でも実行に移されるのです。自分の損得などお構いなしに」と述べている[191]。

主な受賞歴

1914年 ヘルムホルツ・メダル
1918年 ノーベル物理学賞
1921年 リービッヒ・メダル
1927年 フランクリン・メダル、ローレンツメダル
1929年 マックス・プランク・メダル、コプリ・メダル
1945年 ゲーテ賞 』

マックス・プランク協会

マックス・プランク協会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E5%8D%94%E4%BC%9A

『マックス・プランク学術振興協会(独: Max-Planck-Gesellschaft zur Förderung der Wissenschaften e. V.〈マックス=プランク・ゲゼルシャフト・ツア・フェルデルング・デア・ヴィッセンシャフテン・エーファオ〉)は、ドイツの非政府・非営利学術団体。一般にマックス・プランク協会(Max-Planck-Gesellschaft)と呼ばれる。略称はMPG(エムペーゲー)。世界最高峰の学術研究機関であり、前身のカイザー・ヴィルヘルム協会時代も含め、37人のノーベル賞受賞者を輩出している(2021年10月現在)。84の独立したマックス・プランク研究所(Max-Planck-Institut)を傘下に収める。 』

『概要

マックス・プランク協会の研究対象は、下記の3分野に大別される。

生物・医学分野
化学・物理学・工学分野
精神科学・社会学・人間科学分野

年間予算は18億ユーロ。連邦政府および州政府の公的資金で賄われている。マックス・プランク協会は戦前のカイザー・ヴィルヘルム協会の後継機関であり、高名な物理学者であるマックス・プランクに因んで名付けられた。

マックス・プランク協会は旧東ドイツのドレスデンに自然科学、生化学関係の基礎研究のための研究所を3つ置いている。資金や人的資源において、大学の枠組を超えた最新かつ将来性のある分野の基礎研究に取り組み、大学での研究を補完する役割を担っている。ドレスデンにある研究所はいずれも最新鋭の施設を備えている。

組織

マックス・プランク研究所
詳細は「マックス・プランク研究所の一覧」を参照

マックス・プランク協会は、84の独立したマックス・プランク研究所(Max-Planck-Institut)を傘下に収める。

著名なマックス・プランク研究所にはアインシュタインが所長を務めたマックス・プランク物理学研究所などがある。

ノーベル賞受賞者

マックスプランク協会時代(1948年 – )

スバンテ・ペーボ(生理学・医学賞、2022年)
クラウス・ハッセルマン(物理学賞、2021年)
ベンジャミン・リスト(化学賞、2021年)
エマニュエル・シャルパンティエ(化学賞、2020年)
ラインハルト・ゲンツェル(物理学賞、2020年)
シュテファン・ヘル(化学賞、2014年)
ゲルハルト・エルトル(化学賞、2007年)
テオドール・ヘンシュ(物理学賞、2005年)
クリスティアーネ・ニュスライン=フォルハルト(生理学・医学賞、1995年)
パウル・クルッツェン(化学賞、1995年)
エルヴィン・ネーアー(生理学・医学賞、1991年)
ベルト・ザクマン(生理学・医学賞、1991年)
ロベルト・フーバー(化学賞、1988年)
ハルトムート・ミヒェル(化学賞、1988年)
ヨハン・ダイゼンホーファー(化学賞、1988年)
エルンスト・ルスカ(物理学賞、1986年)
クラウス・フォン・クリッツィング(物理学賞、1985年)
ゲオルク・ケーラー(生理学・医学賞、1984年)
コンラート・ローレンツ(生理学・医学賞、1973年
マンフレート・アイゲン(化学賞、1967年)
フェオドル・リュネン(生理学・医学賞、1964年)
カール・ツィーグラー(化学賞、1963年)
ヴァルター・ボーテ(物理学賞、1954年)

カイザーウィルヘルム協会時代(1914年 – 1948年)

オットー・ハーン(化学賞、1944年)
アドルフ・ブーテナント(化学賞、1939年)
リヒャルト・クーン(化学賞 1938年)
ピーター・デバイ(化学賞、1936年)
ハンス・シュペーマン(生理学・医学賞、1935年)
ヴェルナー・ハイゼンベルク(物理学賞、1932年)
オットー・ワールブルク(生理学・医学賞、1931年)
カール・ボッシュ(化学賞、1931年)
ジェームズ・フランク(物理学賞、1925年)
オットー・マイヤーホフ(生理学・医学賞、1922年)
アルベルト・アインシュタイン(物理学賞、1921年)
マックス・プランク(物理学賞、1918)
フリッツ・ハーバー(化学賞、1918年)
リヒャルト・ヴィルシュテッター(化学賞、1915年)
マックス・フォン・ラウエ(物理学賞、1914年) 』

とくべつに低温に強く、人工衛星素材にできる合金や、特別に錆び難く、艦船の部材に向いている合金…。

とくべつに低温に強く、人工衛星素材にできる合金や、特別に錆び難く、艦船の部材に向いている合金…。
https://st2019.site/?p=20527

『ammy Xu 記者による2022-10-25記事「Machine learning could vastly speed up the search for new metals」。

    とくべつに低温に強く、人工衛星素材にできる合金や、特別に錆び難く、艦船の部材に向いている合金。

 マシンラーニングによってデータをフィードバックさせることによって次々と改善・発見ができるそうである。

 マックス・プランク研究所は17種類の新合金をこれによって得たと。

 とにかく熱膨張係数の小さい鉄・ニッケル合金を探そうとした。液化天然ガスの貯蔵施設などにそれは使える。』

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台湾政府は、義務兵役期間を今の4ヵ月から1年に延ばしたい。

台湾政府は、義務兵役期間を今の4ヵ月から1年に延ばしたい。
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『Lawrence Chung 記者による2022-10-25記事「Taiwan to increase soldiers’ pay as cross-strait military tensions grow」。

   台湾政府は、義務兵役期間を今の4ヵ月から1年に延ばしたい。そしてそれが成った暁には、徴兵の新兵の月俸を今の倍額以上の465米ドル相当に引き上げる。

 トータル4ヵ月の分散的なトレーニングでは市井人を兵隊らしくすることは不可能である。これは米軍のプロも指摘していた。

 また民間の最低賃金以下の俸給額は徴兵忌避の大きな動機となっていた。しばしば台湾の青年は、過食もしくは絶食により体重を増減させて、入営前の体格検査ではじかれることを狙うという。

※いったん義務徴兵年限を短縮してしまったあとでまた元に戻そうとしても、それは容易なことではない。

この場合、インセンティヴ導入が不可欠だろう。

すなわち、1年間みっちり軍営で集中的に教練を受けた者は、除隊後は特権を与えられ、二度と予備役の「訓練召集」には応じなくてよい――とするのだ。むろん有事の予備役動員には国民の義務として応召するが、平時には軍隊とは縁が切れる。

かたや、4ヵ月の分散的な「通い」に等しい初歩教練を受けるだけの緩いコースを選んだ者には、特権は与えない。すなわち、その修了後も、かならず毎年、予備役の「訓練召集」を数日間ずつ、受けねばならない。

もしも海外旅行などでこの訓練召集をサボれば多額の罰金を科される。

これにて、俸給の低いことに文句を言う者もいなくなるだろう。』

ロイターの特派員たちは、9月に露軍が撤退した直後の北東部バラクリア町(ハルキウの南90km)に入り…。

ロイターの特派員たちは、9月に露軍が撤退した直後の北東部バラクリア町(ハルキウの南90km)に入り…。
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『MARI SAITO, MARIA TSVETKOVA and ANTON ZVEREV 記者による2022-10-26記事「Abandoned Russian base holds secrets of retreat in Ukraine」。

   ロイターの特派員たちは、9月に露軍が撤退した直後の北東部バラクリア町(ハルキウの南90km)に入り、指揮所が設けられていた地下室に残されていた数千枚の雑多なペーパーの内容を解析した。

 部隊はすでに8月末には士気壊滅状態であったことが知られる。戦力としては額面の2割にまで落ちていた。
 撤収の1週間前からハイマーズによって撃たれていた。指揮所にも繰り返し、落ちてきた。

 3ヵ月にわたって砲撃を受けてきた露軍の将校が書き残した文書。これはルーレットだ。当たるか当たらないかは運だ。

 市民を電気拷問で尋問していた証拠も出てきた。

 この町を占領した露軍が最初のまともな反撃を食らったのは7月19日だった。それまで4ヵ月、反撃は受けなかった。

 当地の露軍にクォッドコプターが配給されたのは7月20日で、市販の「マヴィック3」が3機であった。ところがソフトウェアがインストールしてなかった。15人のロシア兵隊が、マヴィックを操作できるように訓練された。

 7-24には、1発のハイマースで12名の露兵が戦死した。バルト艦隊の第336海兵旅団所属。

 ※ロシア本土で鉄道レール爆破サボタージュをしている写真が雑報に出ているが、レールの継ぎ目を狙っておらず、これではいちどにレール1本しか使用不能にできないから、せっかくの爆薬の損である。T・E・ロレンスの知恵が現代に生かされていない。』

5月に早々と逃亡したロシア兵、フィラテェフ君の手記の抜粋。

5月に早々と逃亡したロシア兵、フィラテェフ君の手記の抜粋。
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『Sergio Miller 記者による2022-10-26記事「‘ZOV’: Confessions of a Russian paratrooper (Part 1)」。

   5月に早々と逃亡したロシア兵、フィラテェフ君の手記の抜粋。彼はコントラクトニキ、すなわち志願兵だった。第56親衛空挺連隊に所属。この連隊の上級部隊は第7親衛山岳空挺師団。

 この兵隊、空挺強襲中隊の中の迫撃砲の担当であった。

 連隊となる前は旅団で、所在地はヴォルガグラードの北郊だった。それが2021に連隊に昇格して、クリミアのフェトセシアの新築兵舎に移駐した。その兵舎も竣工してないうちに、2-24を迎えた。

 彼の軍歴は長い。最初はチェチェンで志願兵となり、馬の調教を10年やって除隊した。
 そのあと経済的に苦しくなったので、30歳代で再志願したのだ。

 2022-3月後半、彼はヘルソン州で砲撃を受け、片目が酷い感染症に。
 この治療をロクに受けることができなかったことから彼は先行きを考えて脱走を決心した。

 ※俺も武山でいきなり風疹に罹って40度も熱発しているのに週末で医官が不在で何の薬すら貰えぬという体験をさせられた晩に「ここは一生居る場所じゃねえな」と達観したことを想い出す。

 第56空挺旅団は、3000人からなる。3個襲撃大隊、1個降下大隊、1個偵察大隊、1個戦車大隊、プラス、砲兵と高射。

 これが連隊に改組された。開戦前夜に。
 降下大隊がクリミアへ移されて、そこで1個襲撃大隊と編合されて、連隊にされた。
 その中味は、1個空挺大隊+1個空挺襲撃大隊+1個偵察中隊(実質は小隊規模)。

 フィラティエフは「夜戦実験空挺襲撃大隊」とやらに配属された。これは婉曲語法で、中身は、非装甲のUAZトラックに、いっさいがっさいを満載して前線へ送り出される自動車化歩兵大隊であった。

 その大隊は3個中隊からなっていた。1個が45人、他の2個は60人ずつ。総勢165名の大隊だ。

 クリミアの新駐屯地は未完成だった。後から来た兵隊にはベッドがなかった。到着してから10日ほどのあいだ、糧食も満足に配られず。これが開戦前のありさまなのだ。

 彼が迫撃砲小隊を選んだのは、そこならば寝台があったので。

 糧食は悲惨だった。スープの中のポテトは生煮え。パンには黴が生えていた。
 水道のキャパが足りず、洗濯ができない。トイレはしょっちゅう、使用禁止に。
 到着して10日後に、やっと被服の支給を受けた。夏用の戦闘服のみ。彼の頭のサイズに合うベレー帽は無かった。しょうがないから自分用のベレーを私弁調達した。

 中隊長は肥っており、どう見ても不適任者だった。

 訓練は無く、代わりに、がらくたの掃除のような雑用を命じられた。

 小銃射場で実弾射撃することになり、その日は未明5時に起こされた。しかしトラックが来るまで3時間待機する必要があって、射場へは12時に到着した。しかるに、こんどは書類が不備とわかり、けっきょく射撃はせずに帰隊した。

 「ラトニク」とよばれる、湾岸戦争後の露軍の正規の軍装というものが規定されているはずなのだが、ウェビング(縛着帯)付きのボディアーマーは員数が足らず、将校と特権的グループが先にガメてしまっていた。残りのおおぜいの兵隊は防弾チョッキも弾嚢も無し。

 わが中隊の仲間の半数は、ウクライナ軍の軍服を調達して着ていた。そっちの方が露軍の戦闘服よりも上質で、新品であり、いろいろ具合が良いのである。

 開戦初日、フィラティエフは「ラトニク」無しの軽装で国境を越えるしかなかった。寝袋も無かった。

 2021-10月なかばから、冬用戦闘服の支給が始まったが、いずれも古着で、サイズも合わない。けっきょく、上衣は私費で買った。

 フィラティエフは、落下傘降下の訓練をしっかり受けたかった。それには増加俸給がついてくるからである。
 中隊の半分の者は、じぶんではパラシュートを畳めなかった。

 氷点下での降下訓練がなされた。防寒具がなかったこともあり、フィラティエフは両肺の肺炎に罹ってしまって、入院した。

 この結果、彼はボーナスがもらえないことになった。国防省に文句の手紙を書いたものの、相手にされず。

 開戦の2週間前、三度目の部隊検閲がショイグから命じられた。これは尋常ではないと誰もがわかった。

 2月15日には「政治将校」が部隊に配属された。

 徴兵は兵舎に残し、志願兵ばかり40人が「訓練地」に移動させられた。1張のテントに40人が雑魚寝である。しかも一部の者には寝袋がない。水がないので洗濯もできない。メシはさらに悪い。

 この時点でもフィラティエフにはヘルメットも防弾着も支給されていなかった。

 フィラティエフは、再入隊してから4ヵ月、個人用の武器を持たされなかった。ようやく持たされた自動小銃はメンテナンスが悪い状態だった。負い革は切れていて、本体は錆びだらけ。

 2月20日、部隊に強行軍が命じられた。
 兵隊の携帯電話は残置。
 小火器には実弾が装填された。

 17時、わが連隊(実質、大隊)は集合した。フィラティエフは82ミリ迫撃砲担当なのでUAZトラックに乗る。降下大隊はBMD2に乗せられた。分属の砲兵は、120ミリ迫撃砲とD30榴弾砲からなっていた。総勢で500~600人というところ。

 82ミリ迫撃砲中隊は、砲が5門、ウラル・トラック×3台、カマズ・トラック×3台、指揮所トラック(KAMAZ)×1。1門の迫撃砲は、5人で扱う。

 宵の20時から、幹線道路を走り出した。どこへ行くのかはまったく不明。
 そして翌日未明の3時に、クラズヌイ・ペレコプの近くのどこかに到着した。※クリミアとウクライナの境界線から25km。

 参ったのは、UAZトラックの荷台のヒーターが機能してくれないこと。
 連隊の指揮所の将校だけは、何が起きるか分かっていたはずだ。

 2月22日の夜、ふたたびまた国境近くへ移動。23日、ウクライナ軍が国境を越えて攻めてきたという説明があった。

 23日に師団長がやってきて、明日から兵隊たちの日給が69ドルに上がるから喜べと言った。それはボーナスで、基本給とは別だと。しかし開戦だとは言わなかった。けっきょくフィラティエフはこのボーナスとやらを貰っていない。

 2月23日夜の時点で兵隊の中に、「3日間でキエフへ行く」と言っている者がいた。ルーモアは拡がっていたのだ。

 ※雑報によると、ワグネルの囚人兵のうち、手首に赤リストバンドをしているのはHIV感染者、白リストバンドをしているのはC型肝炎のキャリアだそうだ。』

ヘルシンキの新聞が報ずるところでは、先週木曜と金曜、ロシア領海内で露軍は爆雷もしくは機雷を5回、水中爆発させたようである。

ヘルシンキの新聞が報ずるところでは、先週木曜と金曜、ロシア領海内で露軍は爆雷もしくは機雷を5回、水中爆発させたようである。
https://st2019.site/?p=20527

『ERR の2022-10-26記事「Paper: Gulf of Finland explosions could have been Russian depth charges」。

   ヘルシンキの新聞が報ずるところでは、先週木曜と金曜、ロシア領海内で露軍は爆雷もしくは機雷を5回、水中爆発させたようである。その意図は不明。

 その威力はダイナマイト換算で50kgから100kgであるという。

 フィンランド湾では1年以上前にも似たような水中爆発が観測されたという。つまり、そんなに珍しい異常現象ではない。

 ※まさかザポロジアの燃料棒冷却槽にも爆雷を落とす算段じゃなかろうな?』

ウクライナの原子力発電公社の人いわく、露軍がザポロジアでなにかやっていると。

ウクライナの原子力発電公社の人いわく、露軍がザポロジアでなにかやっていると。
https://st2019.site/?p=20527

『2022-10-25記事「Ukraine accuses Russia of secret construction at Zaporizhzhia, Ukrainian refugees told not to return this winter」。

   ウクライナの原子力発電公社の人いわく、露軍がザポロジアでなにかやっていると。
 使用済み燃料の貯蔵所に工作していると。

 同原発には、乾燥状態の使用済み燃料貯蔵施設があって、そこにコンテナが174個あると。1個のコンテナには24本の使用済み燃料棒が収められる。

 露軍はこのコンテナを爆破する気ではないか。

 ※そこはプール貯蔵ではなく、乾燥貯蔵だという。いったいどうやって放熱しているのか、知りたい。』

<社説>習体制異例の3期目 平和構築へ自治体外交を

<社説>習体制異例の3期目 平和構築へ自治体外交を
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1605356.html

 ※ この「世界情勢」において、単なる一「自治体」が、何らかの効果的な「外交」の策を打ち出せると考えている、その「姿勢」がな…。

 ※ 『○○が書き ○○○が売って ○○が読む』…。

『中国共産党が習近平総書記=国家主席=の3期目続投を正式決定し、新指導部が発足した。最高指導部を習氏の側近らが独占し、後継者になる人材は入らず、習氏の在任が4期20年に及ぶことも視野に入る。巨大な経済力、軍事力を持ち、個人独裁に突き進む大国にどう向き合うか、世界が問われることになる。

 長期独裁を確立した習氏が台湾統一にどう取り組むのかは、沖縄にとっても重大な関心事だ。沖縄は、台湾で武力行使があれば巻き込まれる危険性が高い。一方で、歴史的に中国との関係が深い。沖縄には、政府の外交に注文を付け、独自の自治体外交を展開する構想と覚悟が必要だ。

 習氏は党大会で「祖国の完全統一は必ず実現しなければならないし、実現できる」と訴え、今世紀半ばまでの実現を目指す国家目標「中華民族の偉大な復興」の中に位置付け、「武力行使の放棄は約束しない」と明言した。軍の人事でも、台湾方面管轄の司令官だった人物を副主席に抜てきし、台湾問題での米国との対立に備えた布陣を取った。

 米バイデン政権は今月公表した国家安全保障戦略で中国を「中長期的な競争相手」とし、台湾海峡の平和と安定は米国の「永続的な国益」だと主張した。8月にはペロシ下院議長が中国の反発を無視する形で台湾を訪問した。今月19日には米海軍制服組トップが台湾侵攻の時期について「2022年や23年の可能性を排除できないと思う」と発言した。米国側の動きは中国を揺さぶる挑発にも映る。

 一方で、米政府は「一つの中国」政策は不変だと言い続けている。中国も、武力行使すれば国際的な孤立を招くことを理解しているはずだ。軍事的にも政治的にも経済的にも、リスクは極めて大きい。

 15日に沖縄市で開かれた集会でオンラインで講演した元駐中国大使の丹羽宇一郎氏は、北朝鮮の核開発問題解決を目指して03~08年に6回行われた「6者協議(6カ国協議)」の再開を提案した。丹羽氏は「習氏を議長にして6者協議を再開し、戦争に近づかない政策を始めるべきだ。それ以外に北東アジアの平和を維持する方法はない」と強調した。中国への向き合い方として一考に値する。

 来月予定されている日米共同統合演習は、中国を意識して南西諸島を中心に運用能力の向上を図るという。県内では異例の大規模なものとなり、中城湾港など民間施設も巻き込む。県民の負担と不安は増すばかりだ。戦争を望むのは誰か。沖縄県民の立場からは「有事」をあおる言動には反対せざるを得ない。

 まず必要なのは、偶発的な軍事衝突が起きないための信頼構築だ。米追随で軍備強化に走る日本政府に期待できるだろうか。平和のための協議の場を沖縄からも提案すべきではないか。沖縄県が積極的な自治体外交に乗り出すべき状況に来ている。』

習近平の「完全な」独裁はならず。党規約全文が公表

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 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)10月27日(木曜日)
         通巻第7504号  
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 習近平の「完全な」独裁はならず。党規約全文が公表
     個人崇拝条項の銘記は見送られた
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 『静かなシャンシャン大会は胡錦濤の抵抗劇によって党内亀裂の一端を表した。共青団からは誰も選ばれず、経済専門家、金融専門家がきれいさっぱり排除された。

 政治局常務委員は全員がイエスマン、政治局は一名減で24名だが、女性がゼロ。そして改革派が期待してきあ胡春華は第一副首相どころか、政治局員から排除された。

李克強と王洋の名前は中央委員リストからは外され、なによりも習一強体制を象徴する。
 金融方面では通貨レート、金利、外貨準備をコントロールし、市場へ通貨供給をはかるべきポストから易鋼と郭樹清が排除され、かわりに李強(次期首相に有力)と何立峰という経済専門とは言えない人が経済政策に携わる。

李克強首相は来年三月の全人代までポストを維持するが、改革への意欲は失われている。
 さて注目は中国共産党規約である。10月26日に全文が公表されて、精読すると意外感があった。

習近平総書記(国家主席)に忠誠を誓うスローガンが文言にはなく、「中国式現代化によって、中華民族の偉大な復興を全面的に推進する」とだけ盛り込まれた。

 「二つの確立」のほか「党主席」の復活や習氏に対する「領袖」の肩書も明記されなかった。習近平の毛沢東化は、かれの夢想と片付けられたようだ。

 独裁専制の共産党とはいえども、党内には個人崇拝を嫌う空気が強い。
 
 ただし党規約には、台湾に関して「『台湾独立』に断固として反対し、食い止める」との文言があり、四期目を狙う習近平は2026年に台湾に対する「行動」をとり可能性が高まったのである。なぜなら四期目を決める党大会は2027年だからだ。

     □☆◎☆み□☆☆□や☆□☆□ざ☆□☆□き☆□☆□      』

習近平氏への忠誠「二つの擁護」明記  党規約の全文公開

習近平氏への忠誠「二つの擁護」明記  党規約の全文公開
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM26CTP0W2A021C2000000/

『【北京=羽田野主】中国国営の新華社は26日、中国共産党の憲法とされる党規約の全文を公表した。習近平(シー・ジンピン)総書記の党の核心としての地位と、習氏を中心とする党中央の権威を守る「二つの擁護」を明記した。

二つの擁護は党員の習氏への忠誠を事実上義務付ける内容だ。党規約は党内の最高法規で、違反者は取り締まりの対象になりうる。習氏の考えや指示に異を唱えた場合、処分の対象になる可能性がある。国内で締めつけが強まりそうだ。

今回焦点となっていた習氏の党の核心としての地位と、習氏の政治思想の指導的地位を確固たるものにする「二つの確立」は盛り込まなかった。

10月の共産党大会の開幕中は最高指導部らが相次ぎ「二つの確立」の順守に言及。22日の閉幕式で党規約の改正案を巡る決議でも重要性に触れており、党規約に追加するとみられてきた。

党規約には個人崇拝を禁止する項目があり「二つの確立」はこれに抵触する可能性があると反対意見があったとの見方がでている。

建国の父、毛沢東がカリスマ性を発揮して発動した文化大革命で中国全土は大混乱に陥った。このときの反省から盛り込まれたのが「個人崇拝の禁止」項目だ。いまでも当時の悲劇を知る党の長老や年配の幹部は重視している。

二つの確立には習氏の政治思想の指導的地位を確固たるものにする意味合いが込められており、1強を固めた習氏でも党内の慎重論に一定の配慮をせざるを得なかったとみられる。

党規約には「『台湾独立』に断固として反対し、抑え込む」という文言を盛り込み、台湾統一に強い意欲を示した。台湾問題に関与を強めるバイデン米政権や独立志向をもつ蔡英文(ツァイ・インウェン)政権に近いとみなせば、取り締まりの対象になる可能性がある。

「世界一流の軍隊を建設する」とも記した。中国共産党は2050年ごろまでに米国と並ぶ軍事力を構築する目標を掲げている。習氏は10月の党大会の活動報告で「(一流の軍隊建設を)加速せよ」と号令をかけた。党規約にも掲げたことで、軍拡のペースが上がる可能性がある。

この記事の英文をNikkei Asiaで読む
Nikkei Asia https://asia.nikkei.com/Politics/China-s-party-congress/New-Communist-Party-constitution-mandates-loyalty-to-Xi?n_cid=DSBNNAR 』

「胡錦濤と目を合わすな」 病が招いた軍団完敗の悲劇

「胡錦濤と目を合わすな」 病が招いた軍団完敗の悲劇
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD245EJ0U2A021C2000000/

『北京中心部にある要人の執務地「中南海」の奥深くで秘密裏に繰り広げられる宮廷政治劇が、はからずも外国人記者のカメラが回る目の前で起きてしまった。共産党総書記の習近平(シー・ジンピン、69)は、怒り心頭だろう。

宮廷政治劇の主演は、前共産党総書記の胡錦濤(フー・ジンタオ、79)だ。習は脇役にすぎない。習は究極の権力集中である極権を手にしたものの、前任の長老を「体調不良」という理由で第20回共産党大会の閉幕式から途中退席させるしかなかった。

中国共産党大会閉幕式で関係者に声をかける習近平総書記(左)。この後胡錦濤前総書記(右)は退席した(22日、北京の人民大会堂)=共同

中国政治の奥深さを知る人物は、厳しい情報統制のなか、漏れ伝わってきた当時の現場の実情をこう再現する。

「(閉会式の)あの日は(人民大会堂のひな壇に座る要人らの)誰もが示し合わせたように、健康が優れない胡錦濤と目を合わせないようにしていたんだ。すれ違いざまに目が合えば、『聞きたくない話』に付き合わされ、自分が政治的に危うくなる」

「聞きたくない話」の中身

まるで要注意人物、腫れ物に触るような扱いだ。ポイントは「聞きたくない話」という部分である。ずばり習近平への不満もにじむ胡錦濤の本音の嘆きという意味だ。習が全権力を握った今、長老と話すのさえ危険な行為になった。だから誰もが胡錦濤を避け、身体が弱っている長老への気遣いもなく冷たい態度をとる。

おかしい。10年前まで厳しい規律が特徴の共産党トップだった人物が、習の晴れ舞台で不満を示すだろうか。あり得ない。そもそも長老は公の場で気ままに発言できず、内輪でも現トップの権威を傷付けないよう振る舞うものだ。

閉幕式を途中退席する胡錦濤氏(後ろ中央)と李克強首相(前左)、習近平氏(前右)(2022年10月22日、北京の人民大会堂)=比奈田悠佑撮影

ところが、そのあり得ないことが起きそうだった。まれにみる異様な宮廷政治劇を読み解くキーワードは「体調」と「本音トーク」だ。胡錦濤は確かに体調不良だった。だが、不良だからこそ遠慮のない本音の嘆きが出ることもある。

少なくとも、あの場にいた面々は、後に国営通信の新華社が英語版公式ツイッターで「胡錦濤は体調が優れなかった」と説明した本当の意味を知っていた。ストレートに「本音トーク」をしかねない危うい状態である。例えば、人は酔い潰れたときなどに本音を吐き、遠慮のない行動を取る。深層心理がそのまま表れるのだ。

22日も両隣の習や全国人民代表大会常務委員長の栗戦書(リー・ジャンシュー、72)に何らかの意見をぶつけ、「自分にしゃべらせろ」などと迫ったとの説がある。これは証明できない。誇張の可能性もある。

ただ、これに絡み、極めてわかりにくい大事な「スクープ」があった。病状を紹介する新華社の英語版ツイッターの2つ目である。記者と名乗る筆者は、新華ネットの副総裁である劉加文という重鎮だ。「胡錦濤は党大会閉幕式への出席を主張していました。最近、健康回復に時間がかかっていたにもかかわらず……」と明記している。

閉会式に出席したいというのは、長老たっての希望だったのだ。新華社の説明には、健康上、出るべきではなかったし、習の意向に反して出席してしまったという含意がある。もう一歩、深読みすると、胡錦濤は閉会式への出席という行為そのもので何かを伝えたかったという示唆にもみえる。

真相はやぶの中とはいえ、ひとつだけ確かなことがある。勝ち誇る習の隣に座った胡錦濤が、自らのふがいなさを嘆き、いたたまれない心境だったことだ。長老らが持つ赤い書類ばさみの中の紙には、胡錦濤がみるのもいやな名簿が入っていた。

直前の次期中央委員会メンバーの選出の結果、長く自分を支えてくれたかわいい弟分李克強(リー・クォーチャン、67)が最高指導部から丸裸状態で退任し、中央委員にも残らなかった。丹精込めて自分が育て上げた共産主義青年団(共青団)と縁が深い改革派、汪洋(ワン・ヤン、67)の運命も軌を一にしていた。

そして次の日には、子飼いの副首相、胡春華も最高指導部入りできないばかりか、59歳という若さにもかかわらず政治局から追い出される。共青団の真のホープといわれた好男子の哀れを誘う末路である。

チベットで健康を害した際、手足となって働いてくれたかわいい子分の胡春華さえ、自分は守れなかった。習は事前に通告していたはずだ。長老は翌日、起きる共青団派にとってのさらなる悲劇を知っていた。このままでは組織が弱体化し、7千万人を超す共青団員は路頭に迷う。軍団の崩壊である。

記者会見に臨む習近平総書記(手前左)ら中国の新指導部。李強氏(手前右)、趙楽際氏(2列目右)、王滬寧氏(2列目左)、蔡奇氏(後方中央)、丁薛祥氏(後方左)、李希氏(後方右)(2022年10月23日、北京の人民大会堂)=比奈田悠佑撮影

3期目入りする習が、自らの秘書、お友達で埋め尽くされた最高指導部メンバーを披露した23日の驚愕(きょうがく)の記者会見。そこからときを戻し、すったもんだの末、長老が途中退席を迫られた一幕を観察すると、違った風景がみえてくる。中国史に刻まれるクライマックスは、誇らしげな習によるお披露目ではなく、胡錦濤が主役の前日の悲劇なのだ。「胡錦濤劇場」は10年の闘いの全ての結果を物語っていた。

体調不良とされた胡錦濤は、習の仕事を取り仕切る中央弁公庁の副主任らの手助けもえながら立ち上がったものの、一時退席を拒み、2回も席に戻るしぐさをみせた。新華社が説明した強い意志からしても、この時点で会場から去るのは長老の意思ではなかった。

習と言葉を交わした後、李克強の肩をポンとたたいて歩き出した長老は、完全に正気に見えた。肩をたたいたのは、退任に追い込まれた李克強のやるせない心情を思いやる真心からの慰労の表現だろう。

7年前からパーキンソン病

映像を確認した医学専門家によると、ひな壇袖の出口に向かって前のめりぎみにスタスタ速足で歩いたのは、パーキンソン病の特徴である「突進歩行」という症状に似ているという。立ち上がる際、バランスが取りにくいのも、この病の特徴という。

習近平氏㊧と胡錦濤㊨江沢民㊥両氏ら長老の間には溝も……(2015年9月の軍事パレードで)=柏原敬樹撮影

胡錦濤の健康問題が明確になったのは7年前だ。15年9月3日、北京での大規模軍事パレードの際、胡錦濤も天安門の上に立った。だが、現場を撮影していた複数のカメラは、彼の左手先が小刻みに震えているのを見逃さなかった。パーキンソン病の最も明らかな症状である「振戦」だった。

病はその後も少しずつ進行していたようだ。この病の治療は難しい。ただし、認知にも何らかの問題があるのかは不明だ。もし明確なら開会式、閉会式への出席を医師団がとめたはずだ。それが指導者らの健康を厳格に管理する共産党中央保健委員会の役割である。

不思議なのは非公開だった本会議場に外国メディアが入ることを許された直後に「胡錦濤劇場」が始まったタイミングだ。偶然にしてはできすぎで、会場内の雰囲気は長く凍り付いたままだった。

そこに本人の「未必の故意」を感じとることもできる。おそらく世界にドタバタ劇の映像が流れる。万一、習の「晴れ舞台」に泥を塗る被害が出たとしても仕方がない。そんな深層心理だ。自らの大会出席はこれが最後という覚悟の行動にもみえる。

退場を強いられる胡錦濤が言葉をかけた際の習の態度はあまりに冷たく、つれなかった。体を長老の側に向けてあいさつする礼儀もない。この非礼さは「未必の故意」を感じとった習の意趣返しなのか。

政治局委員にさえ残れないことを予感していた胡春華は、胡錦濤の退場時、終始、腕組みをしながら渋い顔をしていた。異様な雰囲気だ。そして閉会式後の別部屋でのセレモニーのとき、あいさつに回ってきた習の前では作り笑いをしながら拍手もした。気丈である。
途中退席する胡錦濤氏㊥の目の前で腕組みして渋い顔の胡春華副首相(手前左から2番目)(22日、北京の人民大会堂)=比奈田悠佑撮影

党政治局委員からの降格が決まった後、習近平氏を前に作り笑いで拍手する胡春華氏(23日の国営中央テレビニュースから)

10年前のことだ。胡錦濤は、中央軍事委員会主席に居座った江沢民(ジアン・ズォーミン)と対照的に潔く退いた。完全引退で習に恩を売ったとされる。しかし当時、北京の政界関係者は「その裏には健康、気力の衰えもあった」と指摘していた。

そもそも身体はさほど強くない。胡はチベットのトップ在任中、高山病に悩み、大半を任地外で過ごした。長く最高指導部で精勤した精神的な疲労からくる顔面神経のこわばり、糖尿病の気もあったとされる。

3年後の15年に確認された手の震えからみて、引退時点で既に健康面に問題があったとみてよい。そうだとすれば、今回の習の最高指導部人事での驚くべき完勝は、胡錦濤の長年の体調不良も絡む政治力の衰えの結果である。

習はそこを鋭く突いた。胡錦濤は何ら効果的な防御策をとれず、李克強も首相の職務にまい進するばかりで、政治的な動きは封じられた。共青団派は一方的にたたかれ続け、最後に指導部から一掃されてしまった。もし胡錦濤の健康が完璧なら、違う展開もあった。李克強、胡春華とも今後も活躍できる道が開かれたかもしれないのだ。

笑顔を隠さない李強氏

外国メディアによる様々な角度からの映像は、胡錦濤劇場の主役らをとらえただけではなかった。次の日、いきなり主役に躍り出る上海トップの李強(リー・チャン、63)らの表情までつぶさに伝えている。

腕を支えられながら退出する胡錦濤がすぐ後ろを通り過ぎるそのとき、笑顔で隣の女性副首相、孫春蘭(72)に話しかけている不遜な人物。それが李強である。突然の出来事によるざわつきをあえて無視している。まるで事件が起きるのを予感したかのようでもある。
途中退席する胡錦濤氏㊥の前で笑顔で談笑する李強・上海市党委員会書記(手前右から2番目)(22日、北京の人民大会堂)=比奈田悠佑撮影

習の秘書出身の最側近である李強が、翌日発表される自らの最高指導部入り、そして首相への道が敷かれる栄誉を知っていたのは間違いない。腕組みして動かなかった胡春華と好対照をなす。勝者と敗者はこの時点ではっきりしていた。これこそ中国共産党の異形の権力闘争である。厳しさ、そしてもの悲しさを感じざるをえない。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
習近平帝国の暗号 2035

著者 : 中澤 克二
出版 : 日本経済新聞出版
価格 : 1,980円(税込み)

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【大中国の時代「習氏の兵法」 記事一覧】

・台湾統一に習近平氏「37年の計」 心の侵攻と迫る有事
・習近平氏、後継明かさず忠臣競わせる 集団指導と決別

この記事の英文をNikkei Asiaで読む https://asia.nikkei.com/Editor-s-Picks/China-up-close/Analysis-Was-Hu-Jintao-about-to-express-discontent?n_cid=DSBNNAR 
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細谷雄一
慶應義塾大学法学部 教授
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ひとこと解説

実に読み応えがある、迫力ある記事でした。多くの方に読まれ、北京でいったい何が起こっていたのか、この記事を通じて想像をみな、膨らませているのだろうと思います。中華人民共和国の歴史において、この日はきっと、大きな一つの転換点として記憶されるのだろうと思います。そして、胡錦濤前共産党総書記の退席は、まるで松岡洋右の国際連盟からの脱退に繋がる議場からの退場のドラマにも似ていて、嵐の予感を抱かせます。李克強と汪洋の中央委員会から排除は、胡春華の昇進とバーターだとも報じられていましたが、蓋を開ければ共青団の完全排除。1978年に始まった改革開放時代が本格的に幕を閉じる契機になるのでしょうか。

2022年10月26日 23:38』