開幕は中国初核実験日の戦慄、習氏が操る「台湾に武力」

開幕は中国初核実験日の戦慄、習氏が操る「台湾に武力」
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK172OC0X11C22A0000000/

『中国が初めて原子力爆弾の実験に成功した記念日に共産党大会が開幕し、総書記兼国家主席の習近平(シー・ジンピン、69)が「強国」「強軍」「台湾統一」「国家安全」を繰り返し訴えた。時代錯誤にみえる動きに戦慄を覚える。

祖国統一は党の揺らがない歴史的任務――。台湾統一問題で習は「武力行使を放棄する約束は決してしない。全ての必要な措置をとる選択肢を留保する」と威嚇した。平和統一に最大限努力するとの前提はあっても身震いせざるをえない。5年前の党大会報告には「武力行使」の文字さえなかったのだから。

異例の3期目入りに向けた習の武器である強国、強軍、台湾統一、中華民族の偉大な復興というスローガンの意味を理解するには、10月16日を開幕日に選んだ理由をまず考える必要がある。

10月16日の歓喜の功績は毛沢東に

それは輝かしい歴史的な日として中国国民の多くが記憶している。1964年10月16日、中国が初の原爆実験に成功したニュースを地方都市で聞いた習と同じ年ごろの中国の知識人は、喜びのあまり飛び上がって「成功したぞー」と叫んだ記憶があるという。

1964年10月16日、中国が初めて成功した原爆実験について「少数国家の核独占を打ち破った」と宣伝する展示(下部は原爆の模型、北京)

中国では共産党史の展示の際、必ず1964年10月16日の成功が誇らしげに登場する。「少数国家の核独占を打ち破った」。これが宣伝の決まり文句だ。中国にとって原爆保有は「米国の帝国主義」「ソ連の覇権主義」への対抗の象徴である。

第一の功績は建国の父、毛沢東にある。「我々は多くの航空機や大砲のほか、原爆が必要だ。(米国など)人からいじめられないために、持たないわけにはいかない」。1950年代半ば、毛沢東が開発を強く指示した経緯を党ニュースサイトは伝える。 習が強国、強軍を訴えた今回の論理の前提なのだ。

中国では重要会議を過去の記念日に開く例が多い。習はあえて原爆保有宣言日を、自らの3期目入りを決める党大会の開幕という「晴れの日」に当てた。米ソと戦える手段を入れたことで沸き立ったお祭り気分を覚えているからだ。当時、人民日報が号外の赤い大文字で成功を祝福した歓喜を知る老幹部に隠れたメッセージを送り、支持を訴えたかのようだ。

ちなみに習が過去に関わった2012、17年の両党大会とも開幕日は平日だ。休日返上を強いて、スタッフの恨みを買ってまで日曜日開幕を強行したのは、必然性があった。64年秋、習は11歳だった。父、仲勲は、小説「劉志丹」に関わる無実の罪で失脚して2年が過ぎていた。

厳しい少年時代の環境から最後にはい上がってトップに立った自分が長く君臨する意義は、米国と互角に戦える強国をつくり上げ、台湾統一をなし遂げること。これが中華民族の偉大な復興という中国の夢につながる。そう信じる習に最もふさわしい日取りだ。

64年当時、孤立していた中国の代表団は東京五輪に参加していない。新疆ウイグル自治区のロプノール実験場からばらまかれた死の灰は、ジェット気流に乗り日本上空に達した。放射性物質が観測されたのは新潟だ。初の五輪の歓喜のなかにあった日本は唯一の被爆国だけに、平和の祭典とほど遠い中国の「嫌がらせ」に衝撃を受けた。

17年習報告に遠く及ばず

16日、習が1時間44分かけて読み上げた報告は、長い全文の抜粋にすぎない。新型コロナウイルス対策で全会議を2時間以内とする内部ルールがあるという。習もこれを守った。そもそも今回の党大会では長時間の討論ができず、異論は出にくい。「ゼロコロナ」は習に好都合なのだ。

中国共産党大会が開幕し、活動報告する習近平総書記(16日、北京の人民大会堂)=比奈田悠佑撮影

注目された習の報告は、一言でいうなら面白みに欠けた。驚くほど新味がない。国家安全などが異様に強調されたが、他の外交政策の印象は薄い。ウクライナ情勢にも触れなかった。全体的に「勢い」がなく、国民生活に直結する具体的な政策への言及も乏しい。何か変だ。

それは5年前の党大会報告をもう一度、読み返せば一目瞭然である。強国など基本方針は5年前も書かれていた。逆にいえば、5年前の報告は良くも悪くも傑出していた。野心的で中国国民をもワクワクさせたのである。

特に社会主義の現代化を基本的に実現する年限について2035年としたのは、突出していた。従来目標の15年前倒しを意味していた。世界一の米国に経済で追い付き、追い越す気概がみえた。「軍の現代化の基本的な実現」の年限も35年としたことで、軍事面でも米国に対抗できる実力を持つという挑戦的な宣言に仕上がっていた。

米国と世界が強く反応したのは必然だった。トランプ前米大統領のブレーンだったバノンは、習の長い17年報告文を8回読み、遠大な意図を見抜いたという。米国を超越しようとうごめく習の野心に驚いたことは、トランプ政権が中国に貿易戦争を仕掛けるきっかけになった。

今回も大方針は踏襲されたが、書き方は慎重だ。「海洋強国」「軍民融合」というキーワードもない。南シナ海問題、半導体など米中技術覇権争いを引き起こした「犯人」をひとまず隠したのである。とはいえ変化は見かけだけだ。共産党がトップ交代を決断しない以上、従来方針は裏で貫徹される。

中国人民解放軍の東部戦区が8月4日、ミサイル発射演習の一場面として「微博(ウェイボ)」に投稿した映像=共同

台湾問題も同じだ。「武力行使」という強烈な言葉を巧みに操りながら、米国と台湾をけん制、威嚇している。興味深いのは16日夜の国営中央テレビのニュースで習発言を紹介した際、「武力行使を放棄する約束は決してしない」というキーワードを省き、後段だけを読み上げたことだ。ミスはあり得ない。

国際社会ばかりか、中国内でも一般国民の間では、台湾への武力行使があれば中国経済と国民生活が破壊されるという懸念が広がっている。記録に残らない「ひそひそ話」であれば「台湾への武力行使は決してしてはいけない」という習の言葉をもじった会話が一般的になされているという。

「(プロパガンダを担う)党中央宣伝部もこうした内外の声を気にしている」という分析がある。習の報告内容から直裁的な表現が減ったのも似た事情がある。だが、これも見せかけだけだ。中身、路線に大きな変化はない。

今後5年以内、10年以内に台湾への武力行使があるかについて、今回の報告で習は「両様の構え」をとったのだ。習の心の内は誰も見通せない。

新経済政策は「無い無い尽くし」

報告には集権に絡む党の指導強化、共同富裕、自力更生、双循環など内向きの言葉も並ぶ。17日の広西チワン族自治区の会議では、習が自ら「中国式現代化」を訴えた。中国独自の発展モデルという。だが習への忠誠を示す政治的な思惑と一体の理念的なキーワードであり、厳しい中国経済を浮揚する力にはなり得ない。いずれもインパクトに欠ける。

数値目標もない。コロナ対策成功が大宣伝されていた20年秋、公表された習発言では、35年までに中等レベルの先進国をめざす長期目標について「経済規模、あるいは1人当たり国民所得を2倍にするのは完全に可能だ」と明言していた。それには年平均4.73%の経済成長が必要だった。「2倍目標」を省いたのは、自信のなさである。

16日の共産党大会開幕式に出席した胡錦濤前国家主席(右)=AP

習時代の過去10年の平均成長率も素通りした。江沢民(ジアン・ズォーミン)、胡錦濤(フー・ジンタオ)両時代にはるかに及ばないからだ。それでも習だけは個人名入りの思想が共産党規約に明記された。矛盾を突かれないための防御戦術である。

住宅政策では固定資産税にあたる「不動産税」導入に触れなかった。住宅不況のなか、今後5年を拘束する新方針は打ち出しにくい。経済の具体策は「無い無い尽くし」である。

習にとって低迷する経済は鬼門だ。3期目が確実な習への配慮という極めて内向きの理由で内外への約束を無視する例が18日にあった。7~9月の国内総生産(GDP)発表が見送られたのだ。

米国を刺激しすぎた17年党大会報告の表現は緩めたが、基本路線に変更はない。米国に対抗する力をつける揺るがない強国路線。それは中国初の原爆実験の成功日に党大会が開幕した事実に裏書きされる。厳しい米中対立は今後も続く。中国経済の低迷と成長率の低落傾向もなかなか終わらない。

問題は、あと5年だけこの雰囲気が続くのか、それとも今後10年ずっと変わらないのか、である。習が27年党大会での4期目入りまで視野に入れているとすれば、世界は覚悟を決めて対中国政策を錬り直す必要がある。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。