イランで抗議デモが広がっても体制転覆はしない事情

イランで抗議デモが広がっても体制転覆はしない事情
岡崎研究所
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28153

 ※ 良記事だ…。

『イランでは、ヒジャブ(女性が髪の毛を隠すための頭巾やスカーフ等)の着用義務違反で道徳警察に逮捕された、22歳のアミーニさんが警察署内で亡くなった事件に対して抗議デモが広まっており、治安部隊との衝突で死傷者がでている。さらに、デモ隊はイスラム革命体制打倒を叫んでいると伝えられる。
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 この抗議デモにつき、ニューヨーク・タイムズ紙の9月20日付け解説記事は、次のように報じている。

・抗議デモは女性が主導していて、12以上の都市及びテヘランの大学で起きている。19日のデモでは、女性はヒジャブを外して抗議の意味で振り回し、男女を問わず参加者達は「われわれは、闘い、国を(イスラム革命体制から)取り戻す」と唱和していた。治安当局はデモ隊に対して銃を発射し、放水を行い、さらに、デモ隊のメンバーを追いかけて容赦なく警棒で殴りかかっている。

・アミーニさんの故郷であるイラン北西部のクルディスタンでは、9月17日の彼女の葬儀以来、抗議活動が起きており、人権団体によれば3つの都市で4人が射殺され、85人が負傷し、200人が逮捕された。

・イランにおける過去の全国規模の抗議活動と同じく、特定の出来事(今回はアミーニさんの死亡)をきっかけに抗議活動が始まり、すぐさま、群衆は「イスラム革命体制を終わらせろ」と叫ぶようになった。このような抗議活動は、抑圧的な体制と経済的困難の下で殆ど希望が無いという多くのイラン人のフラストレーションを反映している。しかし、これまで、大きな反政府デモは、治安部隊が大規模に動員されて蹴散らされてきた。他方、アミーニさんの死は、宗教界を含めてイラン国内で広範な怒りをもたらしている。高位の聖職者等も道徳警察の廃止を要求し、政府が宗教的モラルを強要するために暴力を用いる事を非難している。


 イランでは、理由はさまざまだが、数年おきに全国規模で反政府デモが起きている。例えば、2017年にはロウハニ前大統領再選後にロウハニ政権を批判する大規模なデモが起きたが、これは大統領選挙に負けたライシ師(現大統領)を支持した保守強硬派が仕掛けたものと言われている。しかし、ロウハニ大統領への批判は、たちまち、イスラム革命体制批判になり、保守強硬派を慌てさせた。

 また、19年にもガソリン価格の突然の大幅値上げをきっかけに全国規模でデモが起きたが、やはり、デモ隊は、イスラム革命体制打倒を主張した。今回も、若い女性の不審死への抗議がイスラム革命体制への批判となっていると指摘されているが、イランで大きなデモが起こると、イスラム革命体制自体に対する批判となるのが特徴である。

 イランで体制を批判する大規模なデモが起きると、イラン嫌いの米国や欧州諸国はこのようなデモを大きく取り上げるきらいがあるが、イランのイスラム革命体制が今にも倒れると思うのは早計であろう。なぜならば、イランのイスラム革命体制は、40年間かけて強固な支配体制を構築しており、特に1979年のイラン革命前の王政時代には、農村部の犠牲の上に都市部の繁栄があったが、革命後、イスラム革命体制は、農村の開発に力を入れた結果、元々、信心深く保守的な農村部の支持を確保していると思われるからである。』

『度々起きている全国規模のデモも、都市部で起きており、農村部で大規模な反政府デモが起きたとは聞かない。逆に言えば、これまで農村の犠牲の上で特権を得ていた都市部の住民が今度は損な役回りとなり、都市部住民がイスラム革命体制に対して不満をつのらせがちであることも大規模なデモが都市部で起こる遠因であろう。

イスラム革命体制終わりの始まりの可能性も

 ちなみに、イランのイスラム革命体制は、「聖職者による支配」に象徴される神権政治体制だが、その正当性は、イラン革命後、民衆が神権政治体制を支持した結果である。言い換えると、本来の神権政治は、神の思し召しによるものであるべきであるが、イランでは、民意に基づく神権政治という矛盾をはらんでいる。その結果、民意で選ばれた大統領は必ずしも最高指導者の指示に唯々諾々と従う訳で無いというような両者の間の緊張関係も存在する。

 他方、イスラム革命体制は、依然として農村部で強固な支持を得ているとは言え、保守強硬派もイスラム革命から40年以上経過して、徐々に民衆のイスラム革命体制への支持が衰えつつあると認識しているのであろう。その結果、純粋なイスラム革命体制の護持を金科玉条とする保守強硬派は、2020年の国会選挙、21年の大統領選挙で強引に保守強硬派以外の候補を選挙から排除して、元々、保守強硬派の牙城であった司法権(例えば、ライシ大統領は、大統領になる前は司法府長官であった)に加えて、立法府、行政府の3権全てを手中に収めている。

 この事は、保守強硬派が民意に基づく神権政治から、民意に基づかない神権政治に舵を切ったことを示しているのではないかと想像される。言い換えれば、国民に支持されない独裁体制の構築である。これは長期的視野に立てばイランのイスラム革命体制の終わりの始まりかも知れない。

 最後に、今回の出来事が欧米で大きく取り上げられている一因は、犠牲者が、クルド系イラン人であったことも関係していると思われる。イランではクルド系は人口の7%に過ぎないが、クルド人自体は、2000万人がイラン、トルコ、シリア、イラクに分かれて居住しており、国家を持たない最大の民族と言われているが、昔から独立運動の動きが伝えられていて、これらの国にとり政治的に機微な問題となっている。』