受けるのは、「ひろゆき」というキャラクターとスタイル

受けるのは、「ひろゆき」というキャラクターとスタイル : 机上空間
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/29870593.html

『ネットを、そこそこの年数やっている方なら、「ひろゆき」をご存知でしょう。彼は、元2ch(現5ch)の元管理人で、日本の掲示板文化を作り上げた草分けです。というか、彼のマネをして、掲示板は、いくつも立ち上がりましたが、結局のところ、掲示板単体のサイトとしては、生き残る事ができなかったのですね。なので、2chだけが残ったという形です。その2chも、最近は文章でコミュニケーションする文化自体が廃れてきていて、舞台はtiktokなどのショート動画に移っています。

つまり、より短く、より完結に、よりワンフレーズで伝えるツールが流行していて、読解という作業が必要な掲示板は避けられる傾向にあります。その為、2chの利用者の平均年齢は、とてもあがっています。少なくても若者のいるスレッドは、限られてきていて、刹那的な話題を取り扱う場所に限られてきています。

論破王とか言われて、最近、露出の多い論客としてマスコミで大人気ですが、彼はYoutuberとして、生配信を定期的に開催して、視聴者からリアルタイムで入ってくる質問に答えるという活動もしています。この生配信の中には、投げ銭と言って、活動を応援する意味で、自分の希望する金額を寄付するシステムがあります。まぁ、これが収入になるわけですね。生配信にYoutubeというシステムを利用しているので、この投げ銭は、生配信者とYoutubeで折半になります。

彼の論理の組み立ては、討論術とでも言うべき独特のスタイルで展開して、非常に特色があります。一つのパターンとして、いわゆる「お利口さんの論理」に、ちゃちゃを入れるという芸風とも言える論理展開があります。「お利口さんの論理」というのは、日本人が建前として、真っ向から反論できない道徳や価値観に基づく正解です。それに、敢えて疑問を投じるというスタイルが、動画世代に、とても受けています。そういう意味で、彼の主戦場は、テレビやメディアではなく、動画配信です。

それゆえ、つい先日ですが、フランスを拠点(ひろゆき氏はフランス在住)に生配信をしているYoutuberで、最も稼いでいる人にランクされています。投げ銭をした人を優先して、質問に答えるというスタイルで配信をしているので、自分の質問に是非とも回答して欲しい人は、5万円とかの投げ銭をする人もいます。なので、一回の配信で稼ぐお金は、かなりの額になると思われます。

「お利口さんの論理」とは、建前論で正面切って反論できないような、世の中で常識レベルで正しいとされる事柄すべてですね。「差別は良くないよねぇ」とか「若者はもっと挑戦しないと駄目だよね」とか、極めて浅い認識で「そうだよね」という雰囲気で相槌を打ちそうなことに、「いやいや、そうは言っても、こういう例やこういう例もあるし、それはどうなの? 判ってて、皆さん目を瞑って見逃してますよね。それ、わざとですよね。知らないわけじゃないですよね? それに、人間や社会って、そもそも、そんな立派なものですか? 本当に、それを望んでます?」と、「現実」や「体験」を元にした論理を組み立てるのが「ひろゆき」流です。

「お利口さんの論理」は、いわゆる思想的な色を持って、現実を見ない空虚な理想論の事です。学校の先生が、ハナマルで高い点数をくれそうな、一般受けの良い論理です。しかし、30年も不況が続くと、子供でさえも、それが現実と乖離している事に気がついています。まぁ、解りやすく例えると、自治体が公共施設として設けた公園に、「ふれあい広場」とか「ふれあいホール」とか、やたら「ふれあい」をつけたり、地方自治体のオリジナル・キャラクターを、取り敢えず作りまくって、それがあたかも「暖かい地方自治」や「地方の知名度を上げる」事に貢献するかのように振る舞う事です。

「まぁ、取り敢えずやっときゃいいだろ、この立派な主旨に反対する奴はおらんよね?」みたいな、見栄えで行われている行政というのは、結構あります。今、話題になっている行政破綻が直前と言われている京都府の新築の府庁舎に茶室がある理由も、金縁の額縁に入れて飾っておきたい程の立派な理由は準備されています。メインホールの高級建材をふんだんに使った、高級感溢れる建付けも、きっと立派な理由があるのでしょう。それこそ、細かい文字で、びっしりと京都の文化を踏まえた、公共施設として、かくあるべき立派な理由が、何行にも用意されていると思います。

その一方で、京都府の公共サービスの質は、確実に低下していて、住むのに高コストな地域になっています。その上、10年以内に財政破綻するとも言われています。自治体が財政破綻したら、京都府内にある歴史的な建造物や文化の保存・維持というのは、どうなるんでしょうねぇ。府庁舎に自治体色を出して、茶室を設けるより、自治体として京都という土地の財産を守って後世に伝える事のほうが、役割として重要だと思います。それはそれ、これはこれで考えるのが、思想的思考に支えられた「お利口さんの論理」です。個々に立派な理由さえあれば、そういう事が許されるのです。

こういう何となく許されている社会の矛盾に対して、「あの人達、頭が悪いので、こういう事、平気でやっちゃうんですよね」とか、歯に衣を着せない語り口で、「現実はこうだよね。どう考えても、やっている事がオカシイでしょ」という話をするのが、ひろゆき氏のスタイルです。また、「こうあるべき論」を展開せず、「こうである限り、こういう結論になります。諦めてください(笑)」と、理屈をこねくりまわしても、現実は変わらんよ。それで良いと思ってる大人が大多数なんだから、君たちは今ある制度を最大に活用して、快適に生きる道を探しなさい。解決しようとしても無駄だから。と言ってしまうんですね。

ひろゆき氏が人気なのは、まさに、この部分で、キャラクターとして愛されているのも、この部分です。「頑張れば、どうにかなります」「こうあるべきです」みたいな、散々聞いてきて、何ひとつ実現していない議論上の論理ではなく、「現実はこうだよね。それは、今の状態じゃ変わらないよね。じゃ、かしこく防衛して生きるのが利口だよね。なんだったら、日本から脱出して海外の社会で住んでみたら?」みたいな事を言ってくれるから、受けるのですね。

当然ながら、こういう論理は、テストで良い点数を取って、色々と表彰をされて、「社会から評されている。一目置かれている」という自負を持っている人々からは、嫌われます。例えば、田原総一朗みたいに、出演していただけるだけで、テレビ局側が平服してしまうような業界の権威ですね。彼自身も、反権力ジャーナリストみたいなスタイルでやっていて、それを周りも受け入れる事がディフォルトになっています。しかし、ひろゆき氏が対談をした時には、ひろゆき氏の質問に対して「勉強してください」とかわす田原氏に対して、「僕知らないんで教えて下さい。解っているなら説明できるはずですよね。あっ。もしかして、知らないんですか?」と、誰もが薄々感じていた事を言うわけです。もちろん、テレビではなく、ネット配信で企画された番組ですが、ここでは、「出て頂けるだけで、権威に平服するスタッフ」は、いないのですよね。

ひろゆき氏が、何かの発言をして、物議を醸した時に、頼まれてもいないのに批判に走るのは、大概が高学歴で、社会を先導しているという自負を持ってそうな、山のような肩書を持っている人種です。普段から、ナチュラルにそう思っているので、他人を批判する時に、ポロリとお里が知れる特権意識が出てしまいます。つまり、「部外者は黙ってろ。俺たちの言う通りにやってりゃいいんだ」という下々の者共に対する支配者的なポジションの物言いですね。以前の昼間からメロドラマを観ている層ならともかく、ネット上の殺伐とした討論で鍛えられた、昨今の人々に、そういった臭い言動が通じるわけもなく、立派な教養を持っているはずの偉い人が手も無く捻られるのを良く見かけます。

こうやって定期的に痴態を晒してくれる偉い人が出てくるのも、ひろゆき氏界隈の醍醐味です。こういう、いわゆる無頼な文化人、私なんかみたいな不良老人を若い時に思想的に育ててくれたような心の恩師というのは、どの時代にも存在します。私らの時代は、深夜放送のラジオでした。冠番組を持っている、トークもできる本物の教養を持った文化人が、色々な事を教えてくれました。いわゆる、テストで高い点数がもらえる、提出向けの感想文ではなく、清濁併せ呑む、社会の現実です。大体、世間のメインストリームから外れた、サブカル系のテーマを持っていて、それを語るついでに、多くの現実を学びました。

で、前置きが長くなりましたが、ひろゆき氏の立ち位置を、理解してもらう為に、ここまでの説明が必要だったのです。私が考えるに、ひろゆき氏は、私が子供の頃に影響を受けた「心の師」とも違う気がするんですね。つまり、存在自体がキャラクターとして受けている気がします。それを、強く感じたのが、最近、AIを使った「ひろゆきメーカー」というウェブサービスが、人気になっている事です。

「ひろゆきメーカー」は、彼が過去に生配信で、しゃべった音声を、AIが音節単位に分解して学習して、ひろゆき氏にしゃべらせたい事を、文章で打ち込んで送信すると、あたかも、ひろゆき氏が、生配信でしゃべっているかのように、彼の音声で文章通りにしゃべってくれるサービスです。AIで学習しているので、どんな文章を打ち込んでも、経験を積む毎に、たどたどしくなく、自然で流暢なしゃべりになってきます。

このサービスが立案されて、かつ、人気になっている時点で、実は多くの視聴者にとって、ひろゆき氏が言っている内容よりも、ひろゆき氏っぽい、スタイルや物言いが受けているのではないかと思い始めています。私が「心の師」を定めて、熱心に聴き入ったのは、もちろん話す内容が、目からウロコだったり、自分の幼稚さを自覚させられて恥ずかしく思ったりしたからなのですが、現代のひろゆき氏人気というのは、表現されるスタイルが受けているのであり、話している内容は、割とどうでも良いのかも知れないと考えています。

生配信で相談する人々も、もちろん真剣に答えを得たいと考えている人もいるでしょうが、多くは「ひろゆき氏に、あのスタイルで答えてもらいたい」という需要なのかも知れません。いわば、著書にサインをもらう、サイン会に集まる人々と動機が似ている感じです。そうすると、もしかしたら、ひろゆき氏というのは、キャラクター・ビジネスであって、そもそも、私が子供の頃に出会った文化人とは、違う、現代ならではの現象なのかも知れないと思うようになりました。

そう考えると、「影響力のある言論人」として標的に据えて、彼の言動に真っ赤になって噛みついている、各方面の偉い人というのは、幻に向かって戦いを挑んでいるような気がします。というのは、彼らが激昂する理由は、「言っている奴を叩き潰せば、世論から消える」という、今では時代錯誤になった社会討論の理屈から来ていると思えるからです。相手がキャラクターで、実体が社会に対する態度・捉え方で合った場合、いかにマスコミを総動員して袋叩きにしても、恐らくダメージは殆ど無いと思われます。却って、煙に燻り出されたような偉い人が、ネット民の洗礼を受けて本性が知れるだけと考えます。

結局のところ、「心の師匠」みたいな徒弟関係と、ひろゆき氏の言論人としての存在は、まったく同じではないという事だと思います。明らかに今風な現象の一つであり、今後、どうなっていくのか、割合と注目しています。』