ネルー・ガーンディー・ファミリー

ネルー・ガーンディー・ファミリー
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 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ 『ジャワハルラル・ネルーの娘、インディラ・ネルーはフィローズ・ガンディー(マハトマ・ガンディーとは血縁関係は無い)と結婚した後に、インディラ・ガンディーと名前を変更した[3]。』…。

 ※ ここは、勘違いしやすいんで、注意しよう。

 ※ 『ネルー・ガーンディー・ファミリー』と称するが、建国の父「マハトマ・ガンディー」と血縁関係は無い…。

『ネルー・ガンディー・ファミリーは、主にインド国民会議(INC)を担ってきたインドの著名な政治王朝である。』

『概要

1947年のイギリス支配からの独立以降の最初の65年のうち、合わせて約37年間にわたって首相を務めてきた[1]。ザ・ガーディアン紙は同じく悲劇に彩られたケネディ家と対比し、「ネルー・ガンディーのブランドは世界で他に類を見ないほどである」と評した[2]。

ジャワハルラル・ネルーの娘、インディラ・ネルーはフィローズ・ガンディー(マハトマ・ガンディーとは血縁関係は無い)と結婚した後に、インディラ・ガンディーと名前を変更した[3]。

家系

第一世代

ガンガダル・ネルー(英語版) (1827–1861) - ムガル帝国配下のデリー駐在コートワール(英語版)(都市長官)を務めたが、この職は1857年に勃発したインド大反乱によって廃止された[4]。家族と一緒に逃亡した先のアグラで1861年2月に死亡した[5][6]。

第二世代

ナンドラル・ネルー(英語版) (1845–1887) - ガンガダルの次男でモティラルの兄[7]。ラージプータナーのケトリ(英語版)に位置する藩王国で1862年からディーワーンを務めたが、1870年に辞任した[8]。ケトリを去った後に法律を勉強して弁護士になった[9]。
モティラル・ネルー(英語版) (1861–1931) - ガンガダルの末子で父の死から3ヵ月後の1861年5月に出生した[5][6]。著名な弁護士かつインド国民会議(INC)議長(インド国民会議議長の一覧(英語版))を二度務めたインド独立運動の代表的な指導者だった[6]。

第三世代

ブリジラル・ネルー(英語版) (1884–1964) - ナンドラルの息子で、ハリ・シン(英語版)が統治していた時期にジャンムー・カシミール藩王国の財務大臣を務めた[10]。
ラメシュワリ・ネルー(英語版) (1886–1966) - ブリジラルの妻で、女性の権利向上を目的とした全インド女性会議(英語版)(AIWC)の共同設立者の一人だった[11]。

ジャワハルラル・ネルー (1889–1964) - モティラルの息子で[6]、1930-40年代のインド独立運動における最も代表的な指導者の一人だった[12]。1947年8月15日に独立したインドの初代首相に就任し、亡くなる1964年5月27日まで務めた[12]。

カマラ・ネルー(英語版) (1899–1936) - ジャワハルラルの妻(インディラの母)で、自由を求める闘争に参加して二度逮捕された[13]。長い間結核に苦しみ、1936年2月28日に若くして亡くなった[13]。

ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット(英語版) (1900–1990) - ジャワハルラルの妹(モティラルの長女)で、インド独立運動に参加して三度投獄され、独立後は外交官として国際連合総会議長などを務めた[14]。

クリシュナ・フーシーシン(英語版) (1907–1967) - ジャワハルラルとヴィジャヤの妹で[15]、作家の道に進んだ[16]。

第四世代

ブラジ・クマール・ネルー(英語版) (1909–2001) - ブリジラルとラメシュワリの息子で、駐米インド大使(英語版)やジャンムー・カシミール州知事、トリプラ州知事などを歴任した[17]。

フィローズ・ガンディー (1912–1960) - 1942年3月26日にインディラと結婚した[18]。ローク・サバー(下院議会)議員として義父の政権の汚職も批判し、最も人気ある議員の一人だった[18]。

インディラ・ガンディー (1917–1984) - ジャワハルラルとカマラの一人娘で、1966年1月19日に首相に選出された[19]。1984年10月31日に2人のシク教徒の警護隊員によって暗殺された⇒(インディラ・ガンディーの暗殺(英語版))[20]。

ナヤンタラ・サーガル(英語版) (1927–) - ヴィジャヤの娘で、1985年に執筆した小説『リッチ・ライク・アス(英語版)』が評価されて翌1986年にサーヒトヤ・アカデミー賞(英語版)を受賞した[21]。

第五世代

アルン・ネルー(英語版) (1944–2013) - ナンドラルのひ孫で、1980年代に連邦政府(英語版)の大臣を務めた[22]。

ラジヴ・ガンディー (1944–1991) - インディラとフィローズの長男で、インディラの暗殺後に首相に就任した[23]。1991年5月21日に「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の女性自爆テロで暗殺された⇒(ラジヴ・ガンディーの暗殺(英語版))[24]。

ソニア・ガンディー (1946–) - ラジヴの妻で、イタリア出身である[25]。現在は国民会議総裁と統一進歩同盟(UPA)議長を務めている[25]。

サンジャイ・ガンディー (1946–1980) - インディラとフローズの次男で、インディラが最も信頼していた補佐役の一人であり、彼女の後継者と目されていた[26]。1980年6月23日に曲技飛行を試みて失敗し、発生した航空事故によって死亡した[27]。

メーナカー・ガンディー (1956–) - サンジャイの未亡人[28]。インド人民党(BJP)に所属して環境保護活動や動物の権利運動に尽力しており、現在は連邦政府の女性子供開発省(英語版)の大臣を務めている[28]。

第六世代

ロバート・ヴァドラ(英語版) (1969–) - プリヤンカの夫で著名な実業家であるが、違法な土地取引の嫌疑に直面している[29]。

ラフル・ガンディー (1970–) - ラジヴとソニアの長男で[1][30]、現在は国民会議副総裁を務めている[31]。

プリヤンカ・ヴァドラ (1972–) - ラジヴとソニアの長女で、「インディラの再来」とも言われて兄のラフルを上回る人気を誇り、政界入りが熱望されている[32]。

ヴァルン・ガンディー (1980–) - サンジャイとメーナカーの息子で、父親の事故死の後に出生した[33]。33歳の若さで人民党の書記に就任した[34]。』

プリヤンカ・ヴァドラ

プリヤンカ・ヴァドラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%89%E3%83%A9

『プリヤンカ・ヴァドラ(英語:Priyanka Vadra、旧姓:ガンディー、1972年1月12日 – )は、インドの政治活動家。』

『生い立ち

ネルー・ガーンディー・ファミリーの一員で、曾祖父であるジャワハルラール・ネルーはインド初代首相、祖母であるインディラ・ガンディーは第5代・第8代首相であった。

第9代首相を務めた父ラジーヴ・ガンディーと、母ソニア・ガンディーの第2子として、インド・デリーに生まれる。ソニアは現在、インド国民会議総裁・統一進歩同盟(UPA)議長を務めている。兄であるラーフル・ガンディーは2004年より下院議員の職にある。

デリー大学で心理学の学位を取得している。アマチュア無線の免許も持つ(父ラジーヴも免許を持ち、電気通信システムの近代化を推進していた)。

有名な実業家であるロバート・ヴァドラと結婚、ライハン・ヴァドラ、ミラーヤ・ヴァドラの2人の子供がいる。

政治活動

その生い立ちから、インド国民会議への応援演説を積極的に行っているが、政界入りへの明言は避けている。

1999年の選挙戦では、BBCのインタビューに「はっきりしていることは、私は政界にではなく人々に関心があるということです。政治家にならなくても、人々のために出来ることが色々あると思っています[1]」と答えている。「何度も言っていますが、政界入りにはまったく興味がありません[2]」

しかし選挙戦では、全国行脚に忙しい母ソニアと兄ラーフルに代わって、彼らの選挙区(バッラーリやアメーティ)での演説を引き受けている。チャーミングなルックスと祖母インディラの再来とも言われる語り口で、集会に多くの聴衆を集める[3]。人々をまとめるのが上手で、思慮分別があると評価され、母ソニアの「政治参謀」を務めているとされる[4]。

2004年の総選挙では、母ソニアと兄ラーフルの選挙を取り仕切った。この間、取材に対し「政治とは国民への奉仕に他なりません、私がやっているのはまさにその奉仕なのです。あと5年は、ただそれだけを続けていきたいと考えています[5]」と話した。』

ソニア・ガンディー

ソニア・ガンディー
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『ソニア・ガンディー (英語:Sonia Gandhi、ヒンディー語:?????? ?????、1946年12月9日 – )は、インドの政治家。統一進歩同盟(UPA)議長、インド国民会議暫定総裁。』

『経歴

イタリア人としてイタリア北東部のヴェネト州ヴィチェンツァ県ルジアーナに生まれ、カトリック教徒の家庭で育つ。1964年にイギリスへ留学し、ケンブリッジの語学学校で英語を学ぶ。そこでケンブリッジ大学に留学していたラジーヴ・ガンディーと知り合い1968年に結婚した。2人の間には1970年に長男ラーフル、1972年に長女プリヤンカが生まれている。

ラジーヴの母のインディラ・ガンディーは当時インドの首相であったが、結婚してしばらくの間はラジーヴもソニアも政治に関わることはなかった。しかしラジーヴは弟のサンジャイ・ガンディーが1980年に飛行機事故で死亡すると政界に入り、さらに1984年に母のインディラが暗殺(英語版)されると、その後を引き継いで首相に就任することになる。そしてソニアはインドのファーストレディとなった。

1991年にラジーヴが暗殺(英語版)されると、国民会議はナラシンハ・ラーオの下で同年の総選挙に勝利したが、次の1996年総選挙では敗北する。党勢を取り戻そうとする動きの中でソニアに期待がかかると、ソニアは1997年に国民会議に入党し、翌1998年3月14日には総裁に選出される。

1999年4月、当時のバジパイ首相の信任決議がローク・サバー(下院)で否決されたことにより第一党のインド人民党を中心とする政権が崩壊すると、国民会議が第二党だったため、その総裁であるソニアが首相候補として挙がったが、多数派工作に失敗し組閣は実現しなかった[4]。下院は結局解散され、同年の選挙でソニアは議員に選出されるが、インド人民党が勝利したため国民会議の政権獲得はできなかった。選挙後ソニアは下院の野党院内総務を務めた。

2004年総選挙では国民会議を勝利に導き政権奪還を果たす。選挙後の5月15日にソニアは国民会議の両院議員総会で首相候補として選出され[5]、そのまま首相に就任するかと思われたが、イタリア生まれであることが批判されていたこともあり、5月18日の両院議員総会で首相就任を固辞し[6]、代わりにマンモハン・シンを首相に指名した。

2006年3月、下院議員と国家諮問委員会議長を辞職した。同委員会議長を務めていることが国会議員による有給職の兼務禁止の法律に触れているという批判をかわすためと見られる。その後、同年5月実施の下院補欠選挙に改めて出馬し、2位の候補に大差をつけて圧勝した。

2019年、ラーフル・ガンディーが国民会議派総裁を退任したため、国民会議派暫定総裁に復帰[7]。

家族

長男のラーフル・ガンディーも政治家であり、2004年に下院議員に選出されて以来その職にある。また、国民会議の幹事長も務める。長女のプリヤンカ・ヴァドラは政界入りこそしていないが、国民会議の応援演説を積極的にこなしている。人気も高く、祖母であるインディラ・ガンディーの再来だと言われることもある[8]。』

ラーフル・ガンディー

ラーフル・ガンディー
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『ラーフル・ガンディー (ヒンディー語:राहुल गांधी alias पप्पू、英語:Rahul Gandhi alias Pappu、1970年6月19日 – )は、インドの政治家。インド国民会議所属。2009年現在、ウッタル・プラデーシュ州アメーティー選挙区選出の下院(ローク・サバー)議員[2]。 』

『家族

ラーフル・ガンディーは、初代インド首相ジャワハルラール・ネルーから連なるインド政治界きっての名門一族、ネルー・ガンディー家の出身である。母は国民会議派の元総裁ソニア・ガンディー、父は元インド首相で1991年に暗殺されたラジーヴ・ガンディーである。また、祖母は同じく元インド首相で1984年に暗殺されたインディラ・ガンディーである。曾祖父が初代首相ネルー、さらにその一代前の高祖父モーティーラール・ネルーも有名な独立運動家であった。兄弟は2歳下の妹にプリヤンカ・ヴァドラがいる。現在未婚だが、大学時代に知り合ったコロンビア人のガールフレンドがいる[要出典]。
学歴・経歴
ラーフル・ガンディー

少年時代デリーの学校へ通った後、デヘラードゥーンにある名門パブリックスクールであるドゥーン・スクール(父ラージーヴの母校でもある[3])へ入学する。

その後デリー大学の聖ステファン・カレッジに入学する。1年後、アメリカのハーバード大学へ移り、そこで3年間在学した後に今度はフロリダ州のローリンズ・カレッジに移り、そこで1994年に文学士(B.A.)号を取得する。

その後にラーフルはケンブリッジ大学のトリニティー・カレッジにて開発経済学の分野で哲学修士(M.Phil.)号を取得した(このように2004年の総選挙中に自らが語っている。当時は偽名の「ラーフル・ヴィンチ」(Rahul Vinci)という名前で通っていたとメディアが報じている[4])。

その後ロンドンで経営戦略コンサルタント事務所でしばらく働き、2002年にインドに帰国してソフトウェア会社を始め、2003年に政界入りを決意するまでその仕事についていた。
政治家としての経歴

2003年より政界デビューが噂されるようになり、この頃から母ソニア・ガンディーとともに国民会議派の政治集会やその他の公式の場へ積極的に姿を現すようになった。同じ時期にパキスタンへも平和友好の目的(クリケットのインド対パキスタンの試合を観戦)ということで訪れている。2004年の連邦下院選挙に立候補し、かつて父ラジーヴも選挙で勝った地元アメーティー選挙区で当選する(なお、同選挙で国民会議派が大勝し与党の座に返り咲いた)。

政治キャリアはまだ浅くその政治手腕は未知数ながらも、その血筋から次代の国民会議派リーダーと目されており、インド国内および海外のメディアから注目を集めつつある[5][6]。2007年には国民会議派の幹事長に選出されている[7]。 2013年には国民会議派の副総裁に選出されている。2017年には国民会議派の総裁に選出されている[8]。

2014年の総選挙を控え、国民会議派内部から首相候補として提案する声もあったが、国民会議派の総裁であり母親でもあるソニア・ガンディーが拒否。首相候補から外れ、選挙の責任者として各地で活動するものの選挙自体は惨敗に終わった[9]。

2019年の総選挙でも、国民会議派は惨敗に終わり、総裁を辞任した[10][11]。
日本との関係

2008年2月に訪日し、内閣総理大臣(当時)の安倍晋三との会談で経済連携協定(EPA)推進などが話し合われた。』

インド最大野党、再建へ総裁選 解けぬガンジー家の呪縛

インド最大野党、再建へ総裁選 解けぬガンジー家の呪縛
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD12APA0S2A910C2000000/

『インド最大野党の国民会議派(INC)は17日、総裁選を実施する。党勢の衰退に歯止めをかけ、2024年に控えるインド次期総選挙でモディ首相率いる与党インド人民党(BJP)の〝3連覇〟を阻止するため、批判の多い長年の「ネール・ガンジー家支配」から脱却し、党の再建を目指す新たなリーダーを選ぶのが目的だ。総裁選は改革派と目される下院議員のシャシ・タルール氏(66)と、ガンジー家に近いベテラン政治家のマリカルジュン・カルゲ氏(80)の一騎打ちとなったが、脱ガンジー家の狙いとは裏腹に党幹部らの支持をまとめたカルゲ氏が優位の情勢。選挙の結果は党分裂に発展する危険もはらんでいる。

相次ぐ与党への移籍、失われる党勢

国民会議派は、独立の父マハトマ・ガンジーや初代首相ジャワハルラル・ネールらが指導し、137年の歴史と全国約4000万人の党員を持つ。インド独立後、75年の歴史で50年以上にわたって政権を担ってきたが、14年総選挙で大敗し下野。各地の州議会選でも苦戦が続き、与党BJPの議員引き抜き工作もあって中部マドヤプラデシュ、南部カルナタカなどの重要州で相次ぎ政権の座から陥落。いまや州政権を担うのは連立も含めて29州のうち4州のみ。19年の下院選ではわずかに議席を増やし定数543議席の国会下院で52議席と踏みとどまったが、300議席を超えているBJPには大きく差をつけられたままだ。

有力議員の離党も相次ぐ。20年にはマハラジャ(藩王)の末裔(まつえい)ジョティラディティヤ・シンディア氏(51、現民間航空相)が、自派の州議会議員22人とともに離党し、BJPに電撃移籍している。選挙の監視を続けるインドの市民団体「民主改革協会(ADR)」によると、14年から21年にかけて177人もの国会・州議会議員が国民会議派を離党している。

総裁選、ガンジー家独裁批判がきっかけ

こうした求心力低下の背景には、党の「オーナー」であるネール・ガンジー家によるファミリー支配への強い反発がある。特にネール元首相のひ孫で「4代目」のラフル・ガンジー前総裁(52)は14年、19年の総選挙で陣頭指揮をとったがいずれも敗北。17年に党総裁に就任するが総選挙の大敗によって2年弱で引責辞任し、母親で故ラジブ・ガンジー元首相の妻ソニア・ガンジー氏(75)が「暫定総裁」として再登板している。ラフル氏はその後も党のリーダーと位置づけられているが、重要会合を欠席して突然海外で休養するなど、政治家としての資質を問われる場面も目立っていた。
ネール元首相のひ孫、国民会議派のラフル・ガンジー前総裁への批判は高まっているが…(9月、印西部グジャラート州アーメダバード市内で)=AP

今年8月末にはカシミール地方出身のベテラン政治家で保健・家族福祉相やジャム・カシミール州首相などを務めたグラム・ナビ・アザド前上院議員(73)が突然離党。「古参リーダーが排除され、ラフル氏とその取り巻きのせいで党内民主主義が崩壊している」などと党首脳部を厳しく批判する書簡をソニア氏に送った。

前回選挙で落選した国民会議派所属の前下院議員は「党の再建のためには、ガンジー家以外の指導者が必要」と強調する。特にガンジー家との親密度合いによって党人事が決まり、選挙での公認を巡るプロセスや女性・若手の登用に関しても党員からの不満が高まっている、という。

今回の総裁選は20年8月、元閣僚や州首相(県知事に相当)ら党の改革派幹部23人がソニア総裁に対し、党再建のための抜本的改革を要求する書簡を送ったことがきっかけ。党指導部は早期の総裁選実施を表明したが、コロナ禍で延期されていた。過去50年間で選挙によって総裁が決まったのはわずか2回。ガンジー家メンバー以外が総裁になるのは22年ぶりだ。
ソニア・ガンジー総裁㊧やラフル・ガンジー前総裁㊥など、ガンジー家の写真パネルが掲げられた国民会議派の集会(9月4日、ニューデリーで)=ロイター

総裁選の選挙人は党の各州支部幹部ら約9000人。開票結果は19日に発表される。選挙ではソニア氏らガンジー家の信任が厚い西部ラジャスタン州の首相のアショク・ゲーロト氏(71)が本命視されていたが、同氏の中央政界転出で自分たちの処遇悪化を心配する州議会議員の猛反対に遭って立候補を辞退。代わって国民会議派政権で鉄道相などを務めた前野党上院議員団長のカルゲ氏に白羽の矢が立った。これに元国連事務次長で外務担当国務相などを歴任したタルール下院議員が挑む構図だ。
優位に立つベテラン政治家

ガンジー家に近く、被差別カースト層に支持基盤を持つカルゲ氏にはソニア氏らの後押しがあるといわれる。党重鎮のほか、タルール氏と行動を共にしてきた改革派議員の一部もカルゲ氏の「推薦人」に名を連ねており、優位は揺るがない情勢だ。

これに対し国際派のインテリであるタルール氏はテレビ討論での強さやSNS(交流サイト)のフォロワー数の多さに定評があり、若者や都市住民に支持者が多いが、大組織の運営能力は未知数。キャンペーンでは「変化を望むなら私に投票してほしい」と呼びかけているものの、選挙人は地方幹部などのベテランが多いため苦戦は必至だ。

モディ首相が率いる与党BJPは、カルゲ氏について「ガンジー家の代理人にすぎない。リモートコントロールされた政治家だ」と盛んにSNSで発信しており、カルゲ氏が党総裁に就任した場合にはこうした批判をさらに強めそうだ。ガンジー家に忠実な政治家が再び党内での影響力を強めれば、改革派との対立が先鋭化し党の分裂を招く可能性もある。老舗巨大政党は、このまま衰退へと向かうのか――。今回の国民会議派総裁選はインドの政治にとっても大きな節目となりそうだ。

(山田剛)』

薬害疑い、インド政府調査 アフリカで子ども多数死亡

薬害疑い、インド政府調査 アフリカで子ども多数死亡
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB06CT30W2A001C2000000/

『【ニューデリー=共同】世界保健機関(WHO)は5日、西アフリカ・ガンビアで腎臓疾患による子どもの相次ぐ死亡を受けた調査の結果、同国に出回るインド製のせき止めや解熱用のシロップ4種類に腎臓疾患などの作用を引き起こす物質が含まれていたと発表した。インドメディアによると、インド政府も調査を開始した。

WHOによると、製造元はインド北部ハリヤナ州にある製薬会社。薬害の恐れがあるとみられ、WHOは使用中止を呼びかけた。これまでガンビア以外での流通は確認されていないが、闇市場などを通じて広がっている可能性もあるという。

ガンビアでは7月下旬以降、シロップを服用した後に子どもが死亡する事例が66件報告されている。

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アルメニア人のディアスポラ

アルメニア人のディアスポラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%A9

『アルメニア人のディアスポラは、欧米ではユダヤ人と並ぶディアスポラの代表格として認知されている[1]。2007年の調べでは、全世界には758万人のアルメニア人が存在するとされるが、アルメニア本国に暮らすものは297万人と、全体の4割程度である[2]。

アルメニア語では、こうした離散状態をスピュルク(sp’yurk’ / 元来は花が散る様子を表す言葉。伝統的正書法 (en) では «սփիւռք»、改革正書法 (en) では «սփյուռք» と綴られる[3][4])と呼ぶ[5]。また、古くにはアルメニア高原の外に形成されたアルメニア人コミュニティはガグト «գաղութ» と呼ばれたが、これはユダヤ人のディアスポラ(英語版)を指すヘブライ語の「ガルート」”גלות” を[6]シリア語から借用したものである[7]。

アルメニア人のディアスポラは、盛んな商活動や大量虐殺の歴史などで、ユダヤ人のディアスポラと共通点を持っている[1]。しかし、アルメニア人のヨーロッパへの進出が近代まで盛んでなく、またその信仰もキリスト教であることから、アルメニア人はユダヤ人よりも好意的に欧米社会へ受け入れられている[1]。 』

『歴史

中近世

アルメニア人が故地の外部に共同体を形成するようになったのは、1045年にバグラトゥニ朝アルメニア王国が東ローマ帝国によって滅ぼされたことがその端緒である[8]。この頃に始まった、旧アルメニア王国領域からのバルカン半島と地中海沿岸への移住は、数世紀をかけて西ウクライナ(英語版)、イタリアそしてオランダにアルメニア人のコミュニティを形成していった[8]。続く1375年のキリキア・アルメニア王国滅亡や地中海貿易の拡大により、地中海沿岸のヴェネツィア、イスタンブール、カイロなどがアルメニア人の商業コミュニティとして発達した[8]。

西方のアルメニア人たちが海上貿易で栄える一方、東方のアルメニア人たちはシルクロードを介した陸上貿易の重要な担い手となった[9]。異教徒に寛容であったサファヴィー朝のもと、アルメニア人たちは17世紀を通じてエスファハーンを中心にインド洋へと東進していった[10]。後にイギリスがムガル帝国へ進出するようになると、アルメニア人たちもそれに従ってムンバイ、マドラス、コルカタやマレーシアにまで商業拠点を築いた[8]。初期に西方へ移住したアルメニア人たちは、やがて現地に同化して消滅していった[11]。しかし東方のアルメニア人たちは、独自性を維持した商活動を、異文化の中にあって第一次世界大戦頃まで続けた[8]。

近現代

オスマン帝国からの難民の移住先・人数(1915年 – 1922年)[12] 旧ロシア帝国領 40万 その他欧州 2000 パレスチナ 1万
ギリシャ 4万5000 北米 3万5380 エジプト 4万
フランス 3万 シリア 10万 イラン 5万
ブルガリア 2万 レバノン 5万 その他 1000
キプロス 2500 イラク 2万5000 合計 81万880

このように、初期のアルメニア人ディアスポラは商活動の拡大に伴った移民を行っており、彼らの拡散は従来のコミュニティの崩壊に基づくものではなかった[8]。しかし、1915年にオスマン帝国で発生したアルメニア人虐殺は、新たな移民の波を強制的に作り出すこととなった[13]。そして、この際にオスマン帝国から世界各地へ逃れたアルメニア人ディアスポラの間では、宗教や言語に代わり「虐殺の記憶」が、現在に至るまでナショナル・アイデンティティの役割を果たしている[14]。

虐殺からほどなくすると、ロシア帝国崩壊によってアルメニア人たちは自らの独立国家「アルメニア共和国」を手にしたが、それは間もなくボリシェヴィキに支配権を奪われた[15]。新たに成立したソビエト・アルメニアをめぐっては、在外アルメニア人たちの間でも反共派(主にダシュナク党)と容共派(アルメニア民主自由党(英語版)など)に分かれた対立が発生し、この対立は要人の暗殺や教会組織の分裂にまで発展した[16]。

ソビエト・アルメニアには1921年から1925年までの間に、ギリシャ、トルコ、イランなどから約1万9000人の在外アルメニア人が帰国した[17]。第二次世界大戦後にも、イラン、レバノン、ギリシャ、シリアなどから数万人の在外同胞がソビエト・アルメニアへ帰国した[18]。しかし、彼らは差別や迫害の対象とされ、スパイ容疑でシベリアへ流刑されることもしばしばであった[18]。

近年

ソビエト連邦の崩壊によりアルメニア共和国が独立すると、大統領となったレヴォン・テル=ペトロシャン(シリア出身)は、セボウフ・タシジアン(ru, エルサレム出身)やジェラルド・リバディアン(en, レバノン出身)など、自身と同じ在外同胞の専門家たちを積極的に閣僚や顧問として登用した[19]。しかし、次代大統領となったロベルト・コチャリャン(ナゴルノ・カラバフ出身)が容易にアルメニア国籍を取得した一方、アメリカ出身のラッフィ・ホヴァニスィアンは、帰化申請を再三拒否されて大統領選挙への出馬を阻まれるなど、元在外同胞の間でも旧ソ連出身者か否かという壁は未だ残されている[20]。
また、独立後のアルメニアはナゴルノ・カラバフ戦争によってアゼルバイジャンとトルコから経済制裁を受けており、中東から帰国した在外同胞の中には、先行きの見えない経済状況を見限って欧米へ再移住する者も現れている[21]。独立後6年間だけでも、58万人が空路でアルメニアを出国したまま戻らなくなっており、アルメニア人は再びディアスポラとして世界へ拡散する動きを見せている[21]。

一覧

各国のアルメニア人ディアスポラの人口 順位 国・地域 公式統計 各種推計

1 ロシアの旗 ロシア
(ロシアのアルメニア人) 1,182,388(2010年)[22]

1,109,000,[2]1,161,000,[23]1,500,000,[24]2,000,000,[25]2,500,000,[26]2,900,000[27]

2 アメリカ合衆国の旗 アメリカ
(アルメニア系アメリカ人) 483,366(2011年)[28]

800,000,[29]1,000,000,[30]1,200,000,[31]1,400,000,[32]1,500,000,[33]217,000[34]

3 フランスの旗 フランス
(フランスのアルメニア人(英語版)) 12,355(2005年 / アルメニア出身者数)[35]

273,000,[2]300,000,[24]400,000,[36]468,000,[37]500,000,[38]750,000[39]

4 ジョージア (国)の旗 ジョージア
(ジョージアのアルメニア人(ロシア語版)) 248,929(2002年)[40]

239,000,[41]264,822[2]

5 イランの旗 イラン
(イランのアルメニア人(ペルシア語版)) N/A

103,000,[42]120,000,[43]150,000,[44]200,000,[45]202,000,[2]250,000,[46]300,000,[47]500,000[48]

6 ウクライナの旗 ウクライナ
(ウクライナのアルメニア人(ウクライナ語版)) 99,894(2001年)[49]

92,000,[50]100,000,[51]250,000[52]

7 レバノンの旗 レバノン
(レバノンのアルメニア人(英語版)) N/A

70,000–80,000,[53]83,000,[54]100,000,[24]260,000[2]

8 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
(アルゼンチンのアルメニア人(英語版)) 1,227(2001年 / アルメニア国籍者数)[55]

70,000,[56]132,000,[2]141,000[57]

9 シリアの旗 シリア
(シリアのアルメニア人(英語版)) N/A

35,000–40,000,[58]60,000,[59]85,000,[60]200,000[2]

10 トルコの旗 トルコ
(トルコのアルメニア人(英語版)) N/A

50,000,[24]50,000–70,000,[61]60,000,[62]61,000,[63]115,000[2]

11 ギリシャの旗 ギリシャ
(ギリシャのアルメニア人(英語版)) 7,742(2001年 / アルメニア国籍者数)[64]

34,000,[65]70,000-80,000[66]

12 アブハジアの旗 アブハジア
(アブハジアのアルメニア人(英語版)) 41,864(2011年)[67]

50,000,[68]70,000[69]

13 カナダの旗 カナダ
(アルメニア系カナダ人(英語版)) 50,500(2006年)[70]

32,000,[71]50,000,[72]60,000–65,000[73]

14 オーストラリアの旗 オーストラリア
(アルメニア系オーストラリア人(英語版)) 15,791(2006年)[74]

41,000,[75]50,000[76]

15 ドイツの旗 ドイツ
(ドイツのアルメニア人(ドイツ語版)) 11,205(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]

30,000,[77]41,000,[78]50,000-60,000[79]

16 スペインの旗 スペイン (en) 11,706(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]

3,600,[80]45,000,[81]80,000[82]

17 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン (ru) 50,537(1989年)[83]

36,000,[84]42,359,[85]50,000[86]

18 ブラジルの旗 ブラジル
(アルメニア系ブラジル人(ポルトガル語版)) N/A

30,000,[87]35,000-40,000,[88]45,000[89]

19 イラクの旗 イラク
(イラクのアルメニア人(英語版)) N/A

10,000,[90]62,000[91]

20 トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン (hy) 31,829(1989年)[92]

20,000-22,000,[93]30,000,[94]44,000[95]

21 ブルガリアの旗 ブルガリア
(ブルガリアのアルメニア人(英語版)) 10,832(2001年)[96]

6,300,[97]50,000[98]

22 ポーランドの旗 ポーランド
(ポーランドのアルメニア人(ポーランド語版)) 3,000(2011年)[99]

2,900,[100]15,000–30,000,[101]40,000,[102]50,000[103]

23 カザフスタンの旗 カザフスタン (hy) 11,031(2010年)[104]

15,000,[105]20,000-25,000,[106]25,000[107]

24 ベラルーシの旗 ベラルーシ
(ベラルーシのアルメニア人(英語版)) 8,512(2009年)[108]

8,100,[109]25,000,[110]30,000[111]

25 イギリスの旗 イギリス
(イギリスのアルメニア人(英語版)) 1,720(2011年 / アルメニア国籍者数)[112]

18,000,[113]19,000[114]

26 ウルグアイの旗 ウルグアイ
(ウルグアイのアルメニア人(英語版)) N/A

15,000,[115]19,000[116]

27 ハンガリーの旗 ハンガリー
(ハンガリーのアルメニア人(英語版)) 161(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]

3,400,[117]6,000,[118]30,000[119]

28 エジプトの旗 エジプト
(エジプトのアルメニア人(アルメニア語版)) N/A

6,000,[120]11,000[121]

29 ベルギーの旗 ベルギー (en) 9,633(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]

7,000[122]

30 オランダの旗 オランダ (en) 705(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]

1,100,[123]12,000[124]

31 クウェートの旗 クウェート
(クウェートのアルメニア人(英語版)) N/A

6,000,[125]6,200[126]

32 ルーマニアの旗 ルーマニア
(ルーマニアのアルメニア人(ロシア語版)) 1,780(2002年)[127]

1,800,[128]5,000,[129]7,500-10,000[130]

33 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 (en) N/A

3,000,[110]9,100[131]

34 チェコの旗 チェコ
(チェコのアルメニア人(チェコ語版)) 2,100(2011年 / アルメニア出身者数)[35]

1,300,[132] -10,000[133]

35 カタールの旗 カタール N/A

5,500[134]

36 スウェーデンの旗 スウェーデン (sv) 1,672(2011年 / アルメニア出身者数)[35]

5,000[135]

37 ベネズエラの旗 ベネズエラ (hy) N/A

3,500,[136]6,900[137]

38 オーストリアの旗 オーストリア
(オーストリアのアルメニア人(英語版)) 2,667(2009年 / アルメニア国籍者数)[64]

4,000[138]

39 ヨルダンの旗 ヨルダン
(ヨルダンのアルメニア人(英語版)) N/A

3,000,[139]4.900[140]

40 タジキスタンの旗 タジキスタン (hy) 5,651(1989年)[141]

3,000,[142]4,300[143]

41 イスラエルの旗 イスラエル
(イスラエルのアルメニア人(英語版)) N/A

3,000,[144]4,000[145]

42 アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
(アゼルバイジャンのアルメニア人(ロシア語版)) 183(2009年 / 「ナゴルノ・カラバフ共和国」のアルメニア人は含まず)[146]

2,000–3,000,[147]5,000[148]

43 モルドバの旗 モルドバ
(モルドバのアルメニア人(英語版)) 2,873(1989年)[149]

2,400,[150]2,000-4,000[151]

44 イタリアの旗 イタリア
(イタリアのアルメニア人(ロシア語版)) 666(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]

2,600,[152]3,000[153]

45 パレスチナの旗 パレスチナ N/A

2,800[154]

46 ラトビアの旗 ラトビア (ru) 316(2015年)[155]

2,300,[156]3,000[157]

47 キプロスの旗 キプロス
(キプロスのアルメニア人(ギリシア語版)) 1,341(2001年)[158]

1,100,[159]3,500[160]

48 エストニアの旗 エストニア (hy) 1,402(2011年)[161]

1,300,[162]3,000[163]

49 キルギスの旗 キルギス (hy) 1,364(1999年)[164]

900-1,000,[165]3,500[166]

50 デンマークの旗 デンマーク (en) 605(2011年 / アルメニア出身者数)[35]

600,[167]3,000[168]

51 ホンジュラスの旗 ホンジュラス N/A

1,600[169]

52 サウジアラビアの旗 サウジアラビア N/A

1,500[170]

53 スーダンの旗 スーダン (en) N/A

1,500[171]

54 リトアニアの旗 リトアニア
(リトアニアのアルメニア人(英語版)) 1,233(2011年 / アルメニア国籍者数)[172]

1,400,[173]2,500[174]

54 チリの旗 チリ (hy) 11(2001年 / アルメニア出身者数)[55]

1,100,[175]1,500[176]

55 ノルウェーの旗 ノルウェー 275(2012年 / 移民とその子供に限る)[177]

1,000[178]

56 フィンランドの旗 フィンランド (hy) 93(2011年 / アルメニア国籍者数)[64]

200,[179]1,000[110]

57 スイスの旗 スイス
(スイスのアルメニア人(ロシア語版)) 612(2010年 / アルメニア国籍者数)[180]
58 スロバキアの旗 スロバキア (hy) 261(2005年 / アルメニア出身者数)[35]

500[181]

59 マルタの旗 マルタ
(マルタのアルメニア人(英語版)) 10(2008年 / アルメニア国籍者数)[64]

500[182]

60 スロベニアの旗 スロベニア 7(2005年 / アルメニア出身者数)[35]

500[181]

61 アルバニアの旗 アルバニア (hy) N/A

400[183]

62 メキシコの旗 メキシコ
(メキシコのアルメニア人(スペイン語版)) N/A

400[184]

63 インドの旗 インド
(インドのアルメニア人(英語版)) N/A

200,[185]600[186]

64 セルビアの旗 セルビア
(セルビアのアルメニア人(英語版)) 222(2011年)[187]

300–350[188]

65 北マケドニア共和国の旗 マケドニア
(マケドニア共和国のアルメニア人(マケドニア語版)) N/A

300[189]

66 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ (hy) N/A

300[190]

67 エチオピアの旗 エチオピア
(エチオピアのアルメニア人(アルメニア語版)) N/A

80-90,[191]500[192]

68 シンガポールの旗 シンガポール
(シンガポールのアルメニア人) N/A

80,[193]500[194]

69 ペルーの旗 ペルー N/A

250[190]

70 ニュージーランドの旗 ニュージーランド (hy) N/A

200[195]

71 アイルランドの旗 アイルランド 70(2011年 / アルメニア出身者数)[35]

150[196]

72 ポルトガルの旗 ポルトガル 105(2009年 / アルメニア出身者数)[35]
73 バーレーンの旗 バーレーン (en) N/A

100[197]

74 キューバの旗 キューバ (hy) N/A

80[198]

75 日本の旗 日本 46(2014年 / アルメニア国籍者数)[199]

50-60[200]

76 中華人民共和国の旗 中国
(中国のアルメニア人(英語版)) N/A

50-60[201]

77 タイ王国の旗 タイ (hy) N/A

40-50[202]

78 モロッコの旗 モロッコ N/A

25-30[203]

79 コロンビアの旗 コロンビア 13(2001年 / アルメニア出身者数)[55]
80 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク 7(2001年 / アルメニア国籍者数)[64]
81 コスタリカの旗 コスタリカ 5(2001年 / アルメニア出身者数)[55]
82 ボリビアの旗 ボリビア 1(2001年 / アルメニア出身者数)[55]
83 バングラデシュの旗 バングラデシュ
(バングラデシュのアルメニア人(英語版)) N/A

1[204]

84 ミャンマーの旗 ミャンマー (en) N/A

1[205] 』

アルメニア使徒教会

アルメニア使徒教会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BD%BF%E5%BE%92%E6%95%99%E4%BC%9A

『アルメニア使徒教会(アルメニアしときょうかい、アルメニア語: Հայ Առաքելական Եկեղեցի, ラテン文字転写: Hay Aṙak’elakan Yekeghetsi, 英語: Armenian Apostolic Church)は、アルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教・非カルケドン派正教会に分類される教会。約500万人の信者を擁する。「使徒教会」という名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。アルメニア正教会(Armenian Orthodox Church)、あるいは単にアルメニア教会とも呼ばれる。なお、東方典礼カトリック教会であるアルメニア典礼カトリック教会(英語版)とは別組織である。

アルメニア使徒教会の長はカトリコスと呼ばれ、現在では他教会の総主教に相当する。現在の全アルメニアのカトリコスはガレギン2世。エレバンの西郊のエチミアジンにカトリコス座・エチミアジン大聖堂(英語版)がある。次席のカトリコスとしてキリキアのカトリコス・アラム1世がいる。また、イスラエル・パレスチナを中心とした中東を管轄するアルメニア・エルサレム総主教庁、およびトルコ共和国内を管轄するアルメニア・コンスタンティノープル総主教庁(英語版)が、正教会(ギリシャ正教)の総主教庁と並立する形で存在する。 』

『歴史

ガルニ(Garni)にある初期アルメニア使徒教会の聖堂。

アルメニアにキリスト教がもたらされ、浸透した歴史は非常に古い。301年、アルメニア王国が世界に先駆けてキリスト教を初めて公認し、キリスト教を国教と定めている。これは313年のミラノ勅令よりもさらに10年以上前の出来事であった。伝承によれば、イエス・キリストの使徒タダイとバルトロマイ両人により、アルメニアに初めてキリスト教がもたらされたとされるが、現存するアルメニアのキリスト教に関する最古の記述は、それから200年後の2世紀以降からである。3世紀末から4世紀前半に活動した啓蒙者グレゴリオス(英語版)はアルメニア王ティリダテス3世に洗礼を授け、ヴァガルシャパト(現在のエチミアジン)に教会を建てた。これが現在のアルメニア使徒教会カトリコス座である。
イラン北西部西アーザルバーイジャーン州カラ・ケリーサ(Qara kelisa)にあるアルメニア使徒教会の聖タデウス修道院。

5世紀にはメスロプによりアルメニア語のためのアルファベット(アルメニア文字)が作られ、新約聖書と箴言の翻訳が行われた。また、ギリシア語とシリア語が混在していた典礼用語も整理され、ビザンティン典礼の影響下に典礼が整備された。教会組織が整備され、教会の長にカトリコスの名称が使われるようになったのもこの時代である(元来は世俗における「高位の財政事務官」の称号)。しかし当時のアルメニアは、地理的に東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアという2大勢力のちょうど緩衝地帯に位置していたため、両勢力の狭間の中、隣国からの分割を2度にわたり余儀なくされた。そして428年、王制の廃止とともに滅亡した。

国としての自立を失ったアルメニアであったが、その後もキリスト教信仰を拠り所として、ゾロアスター教を信奉するペルシア側の過酷なキリスト教弾圧に対してたびたび抵抗した。451年のカルケドン公会議の際も、アルメニアでは宗教弾圧に対するペルシア側への大規模な叛乱が発生しており、アルメニアは代表を公会議に出席させるだけの余力を持っていない状況であった。そして506年、アルメニア使徒教会の全主教を招集した会議が開催され、カルケドン信条を採択しないことが決定した。[1]これが、カトリック、東方正教会などとは別にアルメニア独自の教派として発展する契機となった。なお、この叛乱によりアルメニア人キリスト教徒は宗教的自由をペルシア側に認めさせることに成功している。

7世紀に入ると、新興勢力であるイスラム帝国が台頭し、サーサーン朝が滅亡する。これにより、アルメニアも一時その勢力下に置かれるが、次第に自立を強め、9世紀末には独立を達成する。一方、この頃東ローマ帝国からの度重なる宗教的統合の要求があったにもかかわらず、アルメニアは独自の宗派であるアルメニア使徒教会の信仰を貫いた。これにより、隣国東ローマ帝国とその国教である東方正教会からの離別は決定的となった。

11世紀末、アルメニアはセルジューク朝支配下に入り、このとき東アルメニアから小アジアのキリキアに多くのアルメニア人が移住した。このことはアルメニア人にとって故郷からの離散をもたらす一方、アルメニア使徒教会の勢力拡大にもつながった。また、この時期にアルメニア使徒教会のカトリコス座は1058年、戦乱を避ける目的でアルメニアからキリキアへ遷った。その後、アルメニア人のディアスポラであるキリキア・アルメニア王国が成立し、マムルーク朝に滅ぼされる1375年まで続いた。1441年にエチミアジンが回復された後も、キリキアのカトリコス座は残った。

17世紀に造営されたイランのサファヴィー朝の古都、エスファハーンのヴァーンク教会。
16世紀以降、アルメニアは当時の2大勢力であるイランのサファヴィー朝とオスマン帝国により東西に国の分割を余儀なくされ、再び国としての自立を失った。これにより、各地域のアルメニア使徒教会は、キリキアとエチミアジンの指導下に属することになった。キリキアは独立を主張するようになるが、エチミアジンはこの主張を現在も認めていない。後にサファヴィー朝に支配されたアルメニア東部は、帝政ロシア領に編入されていった。
当時、アルメニア人の多くはオスマン帝国等のイスラム教徒支配の下に服しており、キリスト教徒は隷属民たるズィンミーとされた。その結果、厳しい差別を受けたものの、近隣のイスラム教徒から物理的迫害を受けることはなく、それなりに平和な共存が実現していた。

しかしながら18世紀以降、欧米列強諸国のオスマン帝国、中東への進出や、オスマン帝国領内に住むキリスト教徒の民族運動が台頭するにつれ、同じキリスト教徒のアルメニア使徒教会信者に対する敵意も日増に強まることとなった。

この結果、次第にイスラム教徒からのアルメニア人に対する突発的な迫害が激しくなり、当時のオスマン帝国領東アナトリアで発生したアルメニア人虐殺によりその頂点を迎える。特に1915年から1917年には、一説には数十万から数百万人ものアルメニア人が犠牲となる凄惨なものとなり、イスラム教徒との共存とともに歩んできた当時のアルメニア人共同体は完全に崩壊した。

アルメニア使徒教会パリ大聖堂。パリ第8区

現在、信者はアルメニア共和国を中心として、トルコ、イラン、アゼルバイジャン、イラク、シリア、レバノン、パレスチナのほか、19世紀以降の移民が多く住むフランス、アメリカ合衆国等、世界各地にコミュニティーを形成している。特にエルサレムやイスファハーンなどにはアルメニア人地区があり、現在も古式を守り、各地に点在する教会はアルメニア人の精神的な拠り所として機能している。 』

『教義と典礼

ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白するが、カルケドン信条を告白しないことから、俗には単性論教会とされるが、アルメニア使徒教会自身は「単性論教会」を自称せず、そうみなされることを不当としている。

カルケドン公会議で否定されたエウテュケスの教説(本来の単性論)を、アルメニア使徒教会もまた異端として否定しているからである。

アルメニア使徒教会の主張では、カルケドン信条を否定するのは、文章上の定式化に難点があるからであり、そのキリスト理解はむしろエルサレムのキュリロスの「ひとつの位格、ふたつの性格」に沿ったものであるとする。

ただし二つの性格は不可分に一体となっているというのがその主張である。これを合性論(en:Miaphysitis)という(伝統的には合性論は単性論の変種として解釈されてきた)。
詳細は「合性論」を参照

カルケドン公会議(第四全地公会議)を承認しないことで分離した教会であるため、より中立的な呼び名・カテゴライズとして非カルケドン派正教会がある。そして、教義を同じくする非カルケドン派のコプト正教会・シリア正教会・エチオピア正教会などとはフル・コミュニオン(完全相互領聖)の関係にある。

典礼は、だいたいにおいてシリア正教会やコプト正教会と類似する。典礼言語には古典アルメニア語を用いる。典礼は、荘重で保守的である。イコンの使用や、形式的には東方正教会との類似点を有するが、聖歌にパイプオルガン等の伴奏楽器を用いる教会も存在する。

教会暦には、1923年以来グレゴリオ暦を使用している。唯一の例外として、エルサレムのアルメニア総主教区ではユリウス暦が使用されている[2]。

アルメニア使徒教会では、教会暦上の1月6日に、イエスの洗礼を記念する神現祭と同時にイエスの降誕を記念する降誕祭を行う[3]。 』

トルコ・アルメニアが13年ぶり首脳会談 正常化に期待

トルコ・アルメニアが13年ぶり首脳会談 正常化に期待
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR06EMB0W2A001C2000000/

『【イスタンブール=木寺もも子】トルコのエルドアン大統領とアルメニアのパシニャン首相は6日、訪問先のプラハで会談した。両国は、歴史認識や近隣国アゼルバイジャンとの紛争を巡る対立で事実上、国交がない。13年ぶりの首脳会談で関係正常化に向けた交渉の進展が期待される。

両首脳は欧州や近隣国の首脳が集った欧州政治共同体(EPC)の初会合後、個別に会談した。会談に先立ち、アゼルバイジャンのアリエフ大統領らも交えて非公式に会話する場面もみられた。

記者会見したエルドアン氏は、アルメニアがアゼルバイジャンとの平和条約を締結すればトルコもアルメニアと国交を正常化できるとの認識を示した。

トルコはアルメニアが1991年に旧ソ連から独立した際、国家承認した。その後、アルメニアがアゼルバイジャン領のナゴルノカラバフを占領すると、トルコは「兄弟国」とみなすアゼルバイジャンへの連帯を示すため、93年に国境を封鎖した。

ナゴルノカラバフを巡る2020年の軍事紛争でアゼルバイジャンが事実上、アルメニアに勝利したことで、アゼルバイジャンはトルコ・アルメニアの関係正常化への反対を取り下げた。内陸国アルメニアにも苦しい経済の活性化につなげる思惑があり、今年1月になってロシアの仲介で正常化交渉が始まっていた。

ただ、両国間には根深い歴史対立が横たわる。第1次世界大戦中にオスマン帝国で起きたアルメニア系住民の殺害について、アルメニアは150万人が犠牲になった「ジェノサイド(特定集団を滅ぼすための大虐殺)」だったと主張する。トルコは強制移住や戦闘で死者は出たものの、ジェノサイドはなかったとの立場だ。

アルメニア国民が反発する可能性もある。9月にはアゼルバイジャンと国境地帯で再び大規模な軍事衝突が起き、両軍で計200人以上が死亡した。軍事的に劣勢のアルメニアでは、アゼルバイジャンと平和条約を結ぶという情報が流れると、パシニャン氏の退陣を求めるデモが起きた。

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アゼルバイジャン、欧州向けガスパイプライン容量を倍増

アゼルバイジャン、欧州向けガスパイプライン容量を倍増
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『【イスタンブール=木寺もも子】カスピ海沿いの資源国アゼルバイジャンは欧州向けの天然ガスパイプラインの容量を倍増させる。6日、経由国のトルコと合意した。同国産ガスを運ぶギリシャ・ブルガリア間のパイプラインも今月に稼働した。欧州はロシアに代わるガス供給元として期待するが、地域紛争を抱える強権国家への依存を懸念する声も上がる。

欧州との間に横たわるトルコを通るパイプラインの容量を2倍の年160億立方メートルにすることで合意した。トルコのドンメズ・エネルギー天然資源相が6日、明らかにした。コンプレッサーの増強などで対応し、「近く」実現するとしている。

アゼルバイジャンからギリシャ、イタリアにガスを運ぶパイプライン「南ガス回廊」は2020年末に商業運転を始めた。今月1日にはギリシャからブルガリアに年10億立方メートルを供給する「支流」も稼働したばかりだ。

「このパイプラインはブルガリア、そして欧州のゲームチェンジャーになる」。1日、ブルガリアでのパイプライン開業式典に参加した欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長は「ロシア依存からの解放」につながると称賛した。

EUとアゼルバイジャンは7月、27年までにガス供給量を年200億立方メートルにすることで合意した。同国のシャフバゾフ・エネルギー相によると22年は21年比で31%増の120億立方メートルになる見込みだ。1日の式典に参加したアリエフ大統領は「新たに複数のガス田も生産を開始する」と述べた。

EUはウクライナ侵攻以前、全体の4割にあたる1500億立方メートルのガスをロシアから輸入していた。脱ロシア依存に向け、アゼルバイジャンは代替供給源の一つとして期待される。ただ、欧州の人権団体などは強権体制で知られるアゼルバイジャンとのエネルギー協力を危ぶむ。

英紙ガーディアンは「抑圧的で不透明な体制は信頼できるパートナーではないことをロシアのウクライナ侵攻が示したばかりだ」とするヒューマン・ライツ・ウォッチ幹部らの声を伝えた。ロシアの石油大手ルクオイルがアゼルバイジャンのガス田開発に出資していることも問題視されている。

アゼルバイジャンは係争地のナゴルノカラバフを巡り、隣国アルメニアと長年の敵対関係にある。9月に交戦した際は両軍で計200人以上が死亡した。双方は互いに相手が先制したと主張しているが、軍事力で上回るアゼルバイジャンが、欧州向けガス供給の交渉で立場を強めたことを契機に攻撃を仕掛けたという見方もある。

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カナダ、イラン革命防衛隊の1万人を入国禁止 制裁強化

カナダ、イラン革命防衛隊の1万人を入国禁止 制裁強化
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN07EJQ0X01C22A0000000/

『【ニューヨーク=大島有美子】カナダのトルドー首相は7日に記者会見し、イラン最高指導部に直属する革命防衛隊の上層部のカナダへの入国を禁止すると発表した。およそ1万人が対象となる。イランの風紀警察に拘束された女性が死亡した事件に抗議し、既に革命防衛隊の一部幹部や政府高官に金融制裁を科していたが、制裁対象を広げて圧力を強める。

トルドー首相によると、入国禁止対象となるのは革命防衛隊の上位半数に相当する。カナダ国内での資産も凍結するほか、金融取引も禁じる。トルドー氏は「イランに説明責任を負わせる」と述べた。カナダ政府は3日に革命防衛隊の幹部など34の個人・事業体を対象にカナダにある資産を凍結し、入国を禁止する制裁措置を講じている。

会見したフリーランド副首相兼財務相は「革命防衛隊はテロ組織だ」との認識を示した。

イランでは9月中旬、スカーフのかぶり方が不適切だったとして拘束された女性が死亡。警察による暴行を疑う見方が広がり、市民による抗議デモが広がる。イラン政府はネット規制などでデモ弾圧を強めており、国際社会が非難している。

米財務省は10月6日、イランの閣僚や治安当局の高官7人を制裁対象として米国内の資産を凍結し、米国人との取引を禁じた。すでに9月下旬にもイランの風紀警察幹部などを制裁対象としている。

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・米国、イランのデモ弾圧で追加制裁 内相ら7人
・バイデン氏「イランに代償科す」 デモ弾圧を非難

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米国、イランのデモ弾圧で追加制裁 内相ら7人

米国、イランのデモ弾圧で追加制裁 内相ら7人
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN0702J0X01C22A0000000/

『【ワシントン=芦塚智子】米財務省は6日、イランの風紀警察に拘束された女性の死亡事件に抗議するデモの弾圧や同国内のインターネットの遮断に関与したとして、同国の閣僚や治安当局の高官ら7人を制裁対象に追加したと発表した。バイデン大統領が3日の声明でデモ弾圧を非難し「さらなる代償を科す」と表明していた。

財務省の発表によると、制裁の対象はバヒディ内相やザレプール通信情報技術相、革命防衛隊の幹部ら。米国内の資産を凍結し、米国民との取引を禁止する。ネルソン財務次官(テロ・金融情報担当)は声明で「イラン政府によるインターネット遮断と平和的な抗議活動への継続する暴力的な抑圧を非難し、こうした行為を命令し支援する者への制裁をためらわない」と強調した。

ブリンケン国務長官も6日の声明で「イラン政府は表現の自由や平和的集会の権利を弾圧してきた」と非難した。

財務省は9月下旬にも同事件に関与したとして、イランの風紀警察とその幹部、情報省の高官らを制裁対象に指定。またイラン国民のインターネットへのアクセスを支援するため、イランへのインターネットサービス規制を緩和している。

イランでは9月13日、国民の服装を監視する風紀警察がスカーフで頭髪を十分に隠していなかったとの理由で22歳の女性を拘束。この女性が16日に死亡し、市民らによる抗議デモが広がった。イランの国営テレビや通信社によると、同国の最高指導者ハメネイ師は抗議デモを「米国とシオニスト(イスラエル)政権が計画した」と批判している。

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スカーフデモの2少女死亡 イラン、当局に殺害疑惑

スカーフデモの2少女死亡 イラン、当局に殺害疑惑
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB092NL0Z01C22A0000000/

『【テヘラン=共同】イランの反スカーフデモに参加した16歳の少女2人が相次いで死亡した。イランメディアによると、当局は2人の死因について「転落死」や「自殺」と主張。だが説明に矛盾が判明するなど不審な点が浮上し、国民の間で当局による殺害を疑う声が広がっている。

イランでは髪を隠すスカーフのかぶり方が不適切だとして拘束されたマフサ・アミニさん(22)が急死した事件を契機に抗議デモが発生。治安当局が弾圧し、国際人権団体は多数が殺害されたとの見方を示している。

首都テヘランではニカ・シャカラミさん(16)の遺体が9月下旬にビルの庭で発見された。当局は頭部などが骨折していることから「高所から転落した」と判断した。

今月5日、シャカラミさんが殺害されたとの疑惑をおじが国営テレビで否定。だが翌6日に母が反体制派メディアに対し、おじは治安当局に逮捕されテレビでの告白を強要されたと暴露した。遺体は勝手に埋められたという。英BBCペルシャ語放送が入手した死亡診断書には「硬い物で殴られた複数のけが」を負った後に死亡したと書かれていた。

高校生サリナ・エスマイリザデさん(16)の遺体は9月下旬、テヘラン西方カラジで見つかった。当局は「飛び降り自殺をした」と説明し、過去にも薬を飲んで自殺を図ったと指摘。さらに今月7日に、母親とされる女性が自殺を認めた動画を公開。だが女性が、エスマイリザデさんが生前に動画サイトで公開した母親とは別人だとソーシャルメディア上で指摘された。

アムネスティ・インターナショナルは、エスマイリザデさんが治安当局に警棒で頭を殴られた後に死亡したとの情報を伝えている。

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ロシア プーチン大統領 橋爆発をウクライナ側のテロ行為と非難

ロシア プーチン大統領 橋爆発をウクライナ側のテロ行為と非難
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221010/k10013853931000.html

『ロシアが一方的に併合したウクライナ南部のクリミアとロシアをつなぐ橋で起きた爆発について、プーチン大統領は、ウクライナ側によるテロ行為だとする見方を示し、非難しました。

プーチン大統領は10日に安全保障会議を開催する予定で、事態の一層の緊迫化は避けられない情勢です。
ロシアが8年前に一方的に併合したウクライナ南部のクリミアとロシア南部をつなぐ橋で起きた爆発について、プーチン大統領は9日、重大事件を扱う連邦捜査委員会のバストルイキン委員長から報告を受けました。

この中でプーチン大統領は「ロシアの極めて重要なインフラの破壊をねらったテロ行為であることは疑いの余地がない。計画の立案者であり、実行者で、黒幕でもあるのは、ウクライナの情報機関だ」と述べ、ウクライナ側によるテロ行為だとする見方を示し、非難しました。

また、バストルイキン委員長は、犯行は組織的で、ロシア国内や複数の外国の協力者も関与していると主張しました。
この橋は、一方的に併合したクリミアを自国の領土だと誇示するプーチン政権にとって象徴的な意味を持つ重要インフラで、ウクライナ侵攻を続けるロシア軍にとって戦略的に重要な補給路でもあり、今回の爆発によってプーチン大統領の威信が傷つけられた形になっています。

ロシア大統領府によりますと、プーチン大統領は、国の安全保障政策を話し合う安全保障会議を10日に開催する予定で、プーチン大統領が、橋の爆発について新たな言及を行う可能性もあり、事態の一層の緊迫化は避けられない情勢です。
ウクライナ大統領府顧問「テロ行為非難はロシアにとって皮肉」
プーチン大統領がウクライナ側によるテロ行為だとする見方を示したことに対して、ウクライナのポドリャク大統領府顧問は9日、ツイッターへの投稿で「プーチンがウクライナのテロ行為を非難。それはロシアにとって、あまりにも皮肉なことだ。さきほどロシアの航空機はザポリージャの住宅街に12発のミサイルを打ち込み、13人が死亡した」と書き込み、非難されるべきはロシア側だと訴えました。』

ドイツが移民で圧倒されており、ほとんどの州で受け入れ停止の状態に

ドイツが移民で圧倒されており、ほとんどの州で受け入れ停止の状態に
https://earthreview.net/germany-overwhelmed-by-migrants-now/

『投稿日:2022年10月1日

難民危機が半端ではなくなっているヨーロッパ

夏に以下のような「ヨーロッパへの難民がこれ以上増加すると、ヨーロッパ崩壊の引き金ともなりかねない」というようなことを述べている人たちが多数いることについて書きました。

[記事] すでにアフリカの飢餓人口は2億8000万人に。これ以上飢餓が進行した時に起きる可能性がある「数千万人の移民によるヨーロッパの壊滅」
 地球の記録 2022年8月5日

実際、8月の時点で、アフリカ等からの難問の数は、過去最高に達していることがわかっていました。

[記事] イギリス海峡を渡るアフリカ等からの不法移民の1日の人数が過去最高に
 地球の記録 2022年8月24日

ここにあるような中東やアフリカ諸国からの難民とは別に、今は「ウクライナからの難民」というのが大量に発生していまして、ヨーロッパの難民の問題は、ついに「大きな懸念の最初の段階に達した」といえそうです。

特に移民や難民が殺到している国のひとつであるドイツでは、9月下旬になり、

「もはや難民を受け入れられる余裕がない」

として、ドイツ 16州のうち 12州が、「難民の受け入れを停止した」と報じられていました。

それを伝えていたハンガリーの報道をご紹介します。

皮肉な話ですが、移民と難民により、2021年のドイツは、「大幅に人口が増えた」と報じられてもいました。

出生率が大幅に下がっているのにかかわらず、です。

2022年には、ドイツの出生率は、さらに大幅に下がっています。

2022年第一四半期の出生率の比較

In Deep (グラフを参照した元のツイッターはアカウントが凍結されています)

本来のドイツ人と移民の人口の比率に異常が起き始めているようです。

ドイツの移民に関しての記事はここからです。

ドイツは移民に圧倒され、16州のうち12州が難民の受け入れ停止を開始

Germany overwhelmed by migrants, 12 out of 16 federal states begin blocking refugees
rmx.news 2022/09/30

ドイツの州の大半は、もはや難民を受け入れることができないと言う

ドイツ連邦政府は、より多くの移民の必要性を主張しているが、ドイツの州の現場の現実は、まったく異なる状況を示している。

ドイツには現在、ウクライナでの戦争から大量の難民が押し寄せている上に、アフリカや中東からの移民が劇的に増加しているため、ドイツの 16の連邦州のうち 12州が難民のさらなる受け入れを停止した。

難民への門戸を閉ざしたドイツの州は、幼稚園や学校を含むサービスの緊張を指摘している。しかし、最大の課題は、おそらく住宅の問題だ。バーデン・ヴュルテンベルク州のような州では、2015年から 2016年の移民危機のときよりも多くの移民が押し寄せている。

「高い移民の数を背景に、12の州が現在、初受け入れの停止をアクティブにしています」と、連邦内務省の広報担当者は、ドイツ RND メディアの新聞に語った。

「連邦州への負担は、ウクライナからの難民と一般的な移民の結果です」と広報担当者は述べた。

「現在、バルカン半島ルートの移民数も増加しています」という。

ドイツの 4つの州はまだ難民を受け入れているが、これらの州も援助を求めている。たとえばバイエルン州では、難民の収容能力が 102.8%に達しており、予備のベッドはすべて現在占有されていると報道機関RNDのレポートは述べる。

推定 980,000人がウクライナからドイツに逃れた。

ドイツ連邦政府は、これらの難民を州に引き渡したが、彼らは現在、ドイツ政府に向かっている。現在、ドイツでは毎日平均 875人のウクライナ難民が入国している。ドイツの州は、バルカン半島からのルートに沿ったヨーロッパ以外の移民の流入による極度の負担に直面しており、漏洩したレポートによると、不法移民が今年47%増加したことが明らかになった。

バイエルン州の内務大臣であり、内務大臣会議の議長である Joachim Herrmann 氏は、移民問題に関する連邦政府の方針に抗議している。

「バイエルン州では、亡命希望者のための宿泊施設の選択肢が次第に定員に達しつつありますが、バイエルン州は現在も受け入れています」

「しかし、戦争勃発後の最初の数ヶ月でドイツに逃げた多くのウクライナ人が避難所にいまだにいるのです」

Herrmann 氏は、ドイツ政府の移民前のスタンスを批判しており、「連邦政府がますます多くの人々を受け入れているのに、州だけに任せて仕事を任せているということはあり得ない」と述べている。

与党ドイツ政府は、10万人の不法移民に対する恩赦、より迅速な帰化プロセス、およびドイツの雇用主の要求をサポートするために移民を年間 50万人増やすよう求めるなど、移民を自由化するプログラムを長らく提唱してきた。

それにもかかわらず、データは、ドイツにいる移民が統合されておらず、不釣り合いな量の重大な犯罪を犯し、数百億ドルの国家資金を必要とし、非常に高い失業率を特徴としていることを示している。

バイエルン州の内務大臣は、州が「圧倒される」脅威にさらされていると警告し、次のように述べた。

「難民の数が多い時期に、アフガニスタンからの地元労働者のための新しい入国許可プログラムを開始したり、イタリアやその他の EUの国境を越えた州から追加の難民を受け入れることは、ドイツのすべての人たちを圧倒し、誰にとっても役に立たず、最終的には難民にとっても役に立たない」

ドイツの世論調数は、現在の政権が対ロシア制裁を終了し、ロシアとのエネルギー関係を回復するよう求めていることを示しているが、移民圧力の高まりも一因となっている可能性がある。

ドイツでは。インフレが家計を圧迫しており、進行中の危機を考えると、ドイツ人はますます移民を受け入れなくなる可能性がある。』

クリミア大橋爆発  プーチン大統領の反応は? 間違いないのは「冬が来る」という事実

クリミア大橋爆発  プーチン大統領の反応は? 間違いないのは「冬が来る」という事実 – 孤帆の遠影碧空に尽き
https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/1c0524c58934ca1e5266377be6c79b0e

 ※ これも、良記事だ…。

 ※ 一般人が入手し得る「公開情報」を、ほぼ万遍なく、網羅的に拾っている…。

 ※ 特に、ここの地域の「地面の様子」に言及している点は、参考になる…。

 ※ 天・地・人の、「地」の話しだな…。

『【「世界最終核戦争」(アルマゲドン)の危機】

アメリカ・バイデン大統領の“キューバ危機以来”“プーチン大統領による核の脅しは「冗談ではない」”と「世界最終核戦争」(アルマゲドン)への危機感発言があったのが10月6日。

****冷戦以来初の「世界最終核戦争」の危機に 米大統領****

米国のジョー・バイデン大統領は6日、世界は冷戦が終わって以来初めて「世界最終核戦争」の危機にさらされているとして、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領にとってのウクライナ侵攻の「出口」を模索していると述べた。

バイデン氏はニューヨークで開かれた民主党の資金調達イベントで、人類が世界最終戦争の危機にさらされるのは1962年のキューバ危機以来だと述べた。

専門家はプーチン氏が使うとすれば小型戦術核の可能性が最も高いとしているが、バイデン氏は限定された地域への戦術攻撃であろうと、大惨事の引き金になりかねないと警告した。

バイデン氏は「プーチン氏が戦術核兵器や生物・化学兵器を使う可能性に言及するのは、冗談で言っているわけではない。ロシア軍の戦果は期待を大きく下回っていると言えるからだ」との見解を示した。
 
また、プーチン氏による核の脅しは「冗談ではない」として、「われわれはプーチン氏にとっての出口を見極めようとしている。彼はどこに出口を見いだすだろうか?」と語った。 【10月7日 AFP】

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この発言後、例によってホワイトハウスは、具体的な動きがある訳ではないとバイデン発言の“火消し”に動いています。

****核兵器使用の兆候なし=バイデン氏発言を釈明―米報道官****

ジャンピエール米大統領報道官は7日、核兵器使用を示唆したロシアのプーチン大統領の発言に対し、バイデン大統領が「冗談を言っていない」と警告したことに関し、「ロシアが差し迫って核兵器を使用する準備を進めている兆候はない」と記者団に語った。

ジャンピエール氏は「大統領はプーチンの核兵器使用の威嚇への懸念を語った。国連総会でも話し、過去数週間にわたり、われわれが言ってきたことでもある」と説明。「米国の戦略的な核態勢を変更する理由は見当たらない」と強調した。【10月8日 時事】 

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【クリミア大橋爆破 ロシア政府が原因をどう説明して、どのような対抗措置に出るのか 核兵器使用は?】

しかし、現実の方がバイデン発言の“現実味”を強める方向で動いています。

8日にはクリミア大橋で爆発があり橋が破損。

ロシアのクリミア支配の象徴であり、プーチン大統領の肝いりで建設された橋であり、軍事的にも補給路として重要な橋であるだけに、ウクライナの関与も取り沙汰されるなか、プーチン大統領がどう反応するのか?と世界が注目しています。

****クリミア大橋の爆発、焦点はロシアの報復 9月には核兵器を示唆****

ウクライナ南部クリミアとロシアを結ぶ「クリミア大橋」で8日に起きた爆発は、ウクライナ侵攻で行き詰まるロシアの苦境を浮かび上がらせている。ウクライナが戦略拠点を攻撃したとの見方が広がる一方で、ロシアが強硬手段で報復する可能性も取り沙汰されており、緊張の高まりは必至だ。

ゼレンスキー氏「未来は晴れ晴れ」

ロシア当局によると、8日午前6時過ぎにクリミア大橋の車道を走行中のトラックが爆発し、並行して走る貨物列車の燃料タンクに引火して炎上、車道の一部が崩落した。

2014年からクリミアを実効支配するロシアの当局は復旧作業を急ぎ、午後4時から一部車道の走行規制を解除し、その後に列車の運行も再開したという。

ロシア国家テロ対策委員会は、爆発したトラックの運転手がクリミアの対岸に位置するロシアのクラスノダール地方に住む男性だったと説明しており、トラックに仕掛けられた爆弾が爆発したともみられている。

ウクライナ側からは爆発への関与を示唆したメッセージが相次ぐ。ゼレンスキー大統領は8日夜のビデオ演説で「今日のクリミアは曇りだったが、我々の未来は晴れ晴れとしている。クリミアなどで占領者を追い払った未来だ」と発言。

前日の7日がプーチン露大統領の70歳の誕生日だったことを踏まえ、ウクライナのダニロフ国家安全保障国防会議書記は、橋が爆発する様子とバースデーソングの動画をツイッターに投稿して皮肉った。

米紙ワシントン・ポスト紙(電子版)は詳細に触れていないが、ウクライナの情報機関が橋を爆破したという同国の政府関係者の話を報道。ソーシャルメディアでは、遠隔操作された船が橋の下まで移動し、積載していた爆発物が爆発した可能性なども取り上げられている。

ロシア「核兵器の使用も辞さない」

クリミアの実効支配を進めてきたロシアは18年から19年にかけて、クリミア大橋の車道と鉄橋を相次いで完成させた。今年2月のウクライナへの軍事侵攻に前後して、軍部隊を大橋経由で移動させて、クリミアをウクライナ南部攻撃の拠点や補給基地としてきた。
一方で8月に入ると、クリミアのロシア軍施設で爆発が相次いで起きたことから、ウクライナが同地の奪還作戦に着手したとの見方が浮上。今回の爆発がウクライナ側の攻撃に起因するならば、ロシア軍の補給路を遮断するだけではなく、クリミア奪還に向けた動きの一環とも言えそうだ。

重要インフラが損壊しながらも、タス通信によると、ロシア国防省は陸路にとどまらず、海路による輸送を続け、ウクライナ南部での軍事作戦の継続に支障を来していないと説明している。

8日夜になると、プーチン氏がクリミア大橋やクラスノダール地方のエネルギーインフラなどの警備の強化を命じた大統領令を発令。原因究明と再発防止に取り組む姿勢を前面に出している。

クリミアに続いて、9月末にはウクライナ東・南部4州の「併合」も一方的に宣言したロシアは、自国領とみなす地域が攻撃されれば、核兵器の使用も辞さないとの立場を明示する。特にクリミアが攻撃された場合には、メドベージェフ安全保障会議副議長(前大統領)が7月の時点で、ウクライナが「終末の日を迎える」と直接的な表現で警告していた。
クリミア大橋の爆発後には、ロシア下院のスルツキー国際問題委員長が「ウクライナの関与が確認された場合、我々の対応は厳しいものになる」と表明。今後、ロシア政府が爆発の原因をどう説明して、どのような対抗措置に出るのかが焦点になりそうだ。

ウクライナでの苦戦が続く中、ロシアの省庁間の対立がクリミア大橋の爆発に絡んでいるとも指摘されている。ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は8日のツイッターへの投稿で、ロシア軍と対立を深めてきた情報機関の連邦保安庁(FSB)が爆発に関与した疑いが強いとの見解を表明。爆発したトラックがロシアからクリミアに向かっていた点に触れ、「誰が爆発を起こしたのかは明白ではないか?」と書き込んでいる。【10月9日 毎日】

*******************

上記記事最後のロシア情報機関の連邦保安庁(FSB)に関しては、これまでも“偽装工作”が噂されてはいます。

例えば、1999年、プーチン氏をカリスマ的権力者に押し上げることになったチェチェン侵攻のきっかけとなった「ロシア高層アパート連続爆破事件」もFSBの自作自演だとも言われています。真相はわかりませんが。

ただ、今回はどうでしょうか? 前述のように極めて重要なクリミア大橋爆破となると、ほとんどクーデター級の大ごとですから、プーチン大統領の指示でも無い限りは・・・。ロシアの核兵器使用を正当化するためのプーチン大統領の自作自演・・・というのは今のところは“小説・映画の中の話”です。

単純でわかりやすいのはウクライナの関与を疑う考え。ただ、ロシアの報復を考えると“単純でわかりやすい”話でもありません。ゼレンスキー大統領も「我々の未来は晴れ晴れとしている」と浮かれている場合ではないかも。

いすれにしても、ウクライナが東部ハリコフ州で電撃的な反転攻勢をしかけ、ドネツク州では要衝リマンを奪還する、更に南部では重要拠点のヘルソン周辺でロシア軍の前線を突破するなど、ロシア軍の苦境が続く中で、もし事件がウクライナ側によるものとロシアが判断した場合、プーチン大統領がどう反応するのか?

事件がどのように発展するのか・・・世界の誰もわかりません。(自作自演でない限り)プーチン大統領も対応を決めかねる問題でしょう。「世界最終核戦争」の危険をおかすのか・・・。

【冬の到来  軍事作戦は困難に ウクライナ側は南部の奪還作戦にとって今後数週間が極めて重要】

一方で、誰もはっきりとわかる問題は「もうじき冬がやってくる」という事実。

ウクライナにとっても、ロシアにとっても、また、軍事的にも、市民生活の上でも、更に欧州のウクライナ支援という国際関係においても、「冬が来る」という事実は重要な影響をもたらします。

まず軍事面については、ウクライナ・ロシア双方にとって軍事作戦が困難になります。それだけに、動けなくなる前にできるだけ・・・という話にもなります。

****ウクライナ、冬前の南部奪還が焦点 米当局者が注視****

(2022年10月5日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版)

米政府当局や議員らは、ウクライナは極めて重要な戦いに直面していると警告を発している。ロシアに南部の実効支配を固める機会を与えないよう、冬場に戦闘条件が厳しくなる前に領土を奪還する必要があるという。

ウクライナ軍はここ最近、東部で領土を相次ぎ奪還し、南部では重要拠点のヘルソン周辺でロシア軍の前線を突破するなど、2つの戦線で迅速な前進を遂げている。ロシアのプーチン大統領は、両地域を自国の一部であると主張し、併合に乗り出している。

米国防総省は、ウクライナは東部での勢いを生かし、黒海への玄関口である南部の戦略的地域を占領するロシア軍を撃退すべきだと指摘している。

米上院外交委員会のクリス・マーフィー議員(民主)は「戦闘の季節は短くなりつつある。ウクライナ側は優位に立っており、引き続き優勢に進める必要がある」との見方を示す。

「ウクライナにとって長期的に本当の痛手となるのは、ロシアが南東部マリウポリから南部オデッサまでの給水を断つことだ。ウクライナの生命線はオデッサへのアクセスであるため、南部では防衛態勢だけでなく、攻撃態勢をとることが重要だ」という。

ウクライナは、東部ハリコフ州で電撃的な反転攻勢をしかけ、ドネツク州では要衝リマンを奇襲作戦で奪還するなどの成功を収めている。だが、西側同盟国はヘルソン州の解放が重要な試金石になるとみている。

奪還に重要な数週間

ある米軍当局者は「ヘルソンを支配できれば、ロシアの本当の望みと思われるオデッサの掌握は確実に阻止できる」と語った。ウクライナ側も、南部の奪還作戦にとって今後数週間が極めて重要になるとの立場を示している。(中略)

軍当局やアナリストらは、ウクライナは11月中旬以降にもヘルソンを解放できるとみているが、あくまでも事がうまく運べばの話だ。(中略)

冬に地面の凍結なければぬかるみに

西側のある外交官は「ヘルソンに関しては、近いうちに何らかの手を打つ必要がある」と話す。「国民や軍の士気向上につながるだけでなく、提供された訓練や設備が最大限に活用されている証拠にもなる」

ウクライナ軍は冬を迎える前に南部を奪還することが急務だと当局者は指摘する。この地域の地面は過去3年間凍結しておらず、まもなくひどくぬかるんだ状態になる恐れがあるという。

このような環境では両軍とも作戦を展開することが難しくなり、幹線道路に無防備な状態でとどまることを余儀なくされるだろう。また、ぬかるみは領土を守る側に有利に働くと軍当局やアナリストはみている。防衛側は土地を横断する必要がないためだという。

ロシア軍の士気は低いが、関係者によると、同国は南部の拠点を強化しており、ウクライナ側の攻撃は一層困難になっているという。(中略)

インフラや兵たんでウクライナ側に強み

だが、ある米国防当局者によると、ロシア軍は冬を前に、物資を運ぶために必要なインフラや兵たんの確保に苦戦しており、ウクライナはここで強みを生かす可能性があるとみている。(中略)

ロシアが2月に侵攻を開始して以来、米国はウクライナへの安全保障支援として168億ドル(約2兆4000億円)超の拠出を約束している。バイデン米大統領は先週、70億ドルの軍事支援と武器供与を含めたウクライナ向けの追加緊急支援案に署名して法制化させた。

バイデン政権は今週、ウクライナ向けに6億2500万ドル相当の武器を追加供与することも明らかにした。これには、北部と南部におけるウクライナ軍の反撃で威力を発揮した高機動ロケット砲システム「ハイマース」4基が含まれ、迅速に供与するという。

西側同盟国は、ウクライナ軍が都市部に居座るロシア軍を相手に、受け取った武器を複雑かつ多面的な攻撃に配備できるという証拠を求めて、ヘルソンでの攻撃を注意深く見守っている。(中略)

停戦前の領土奪還が重要に

(中略)米当局や議員らは、ウクライナが今後ロシアとの停戦交渉を有利に進めるためには、南部のさらなる奪還が不可欠だと主張している。

米下院外交委員会のブラッド・シャーマン議員(民主、カリフォルニア州)は「ウクライナには間違いなく、クリミア半島の東側に位置するアゾフ海や黒海の港が必要になる。ヘルソンは明らかに大都市であり、取り戻したい」と主張する。

「最終的に決着がつくのは、今から6~8カ月後だろう。プーチン氏の支配地域は2月時点よりいくぶん広く、そのまま停戦にこぎ着けることになる。そうなる前にウクライナは領土をさらに取り戻す必要があると思う」【10月6日 日経】

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【冬の寒さ ロシア軍は戦闘以前の問題も】

「冬の寒さ」という点で言えば、ロシア軍の装備には不安も。

****ロシア動員兵は迷彩服まで自腹 支給の装備品は80年代もの…各地で資金難****

ロシアで部分的動員令による混乱が続いています。非常に古い迷彩服が支給されているとみられ、動員兵らは自腹で買わざるを得ない事態となっています。  

モスクワの情報ニュースチャンネルは、軍服から寝袋まで約25万円をかけて自前で用意した家族の話を報じています。モスクワ市内の軍事用品を扱う店では冬用の迷彩服や手袋などがよく買われ、保温性の下着もほぼ売り切れていて、空のハンガーが目立ちます。  

7日に出兵するという男性は、すでに戦地に派遣された友人から支給の装備が80年代のものだと知らされ、複数の店で防寒具などを探し回っていました。
 
独立系メディアによりますと、急きょ動員された兵士のなかには体調不良者や新型コロナウイルスの感染者も多いとみられ、長距離移動の列車やバスで感染症が蔓延(まんえん)している可能性があります。  

また、動員によって地方は資金難に陥っていて、クルガン州やカルーガ市は年末年始の花火やコンサートなどのイベントの中止を発表しました。  

予算は動員兵のためのより良い装備品の購入に充てるということです。 また、地方は動員への反発を抑えるのに必死で、動員兵の家族に羊や魚などを配る自治体も出てきています。【10月7日 テレ朝news】

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動員兵らは自腹で冬用の迷彩服や手袋などを買わざるを得ない事態・・・というのが広くあてはまる事実なら、ロシア軍は戦闘以前の問題に直面しているようにも。

なお、ウクライナ国防相の話として、ロシアが第三国を通じて防弾チョッキ20万着と冬服50万着を調達しようとしたが、トルコに注文を断られた・・・という話も。

【インフラが破壊されたウクライナの市民生活を待ち受ける“寒くて暗い冬”】

ウクライナ側の市民生活も深刻な事態を迎えます。

****ウクライナに迫る厳しい冬、ライフラインの被害甚大****

ウクライナ東部ハリコフに1人で暮らすオルガ・コブザールさん(70)は、ロシア軍の砲撃を受けて廃墟と化した団地の1室で、間もなく訪れる厳しい冬を乗り越えようとしている。自宅は電気も水道もセントラルヒーティングも使えず、台所のガスコンロで暖をとる。

コブザールさんが住むのはロシア国境から30キロほどのサルティウカ地区。冬の気温は氷点下20度まで下がり、当局はここ数十年で最も厳しい冬になると警告している。

この団地に残っているのはコブザールさんたった1人。近隣の住戸は砲撃を受け、炎に包まれた。彼女は自宅の損傷こそ免れたが、基本的なライフラインは失われた。(中略)

ウクライナは7カ月にわたる戦火がエネルギー供給網と住宅地域に大きな被害をもたらした。当局は冬の訪れを前に、ロシアが重要なインフラを狙い撃ちするのではないかと危惧。市民に薪から発電機まであらゆるものを備蓄するよう呼びかけている。

ハリコフのテレホフ市長は「なす術がない。ミサイルがどこに落ちるか、何が破壊されるか次第だ。侵略者はわれわれに寒くて暗い冬を過ごさせようとしている」と話した。

<広がる懸念>

都市部の住宅地は、天然ガスを燃料とする発電所によるセントラルヒーティング設備を備えている。しかし窓や壁が破壊された団地ではパイプが凍結し、その地域のセントラルヒーティング設備が破損する恐れがある。(中略)

セントラルヒーティングに障害が発生した場合には電力が頼りになるため、多くの市民が電気式の暖房器具を購入した。しかし専門家によると、市民が一斉に電気の暖房器具を使用すれば、電力供給がひっ迫する可能性がある。(中略)

アナリストによると、西側諸国との対立を激化させているロシアがウクライナ経由の天然ガス輸送を停止した場合、ウクライナは天然ガスパイプラインの圧力を維持し、全地域にガスを供給するのが困難になる恐れがある。(後略)【10月9日 ロイター】
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ウクライナほどではないにせよ、欧州各国も対ロシア制裁及びその影響でガス・電力確保に大きな不安を抱えた「冬」となります。市民生活が厳しくなった場合、どこまでウクライナ支援で結束できるか・・・という問題もあります。』

クリミア大橋、爆発後に一部通行再開とロシア当局

クリミア大橋、爆発後に一部通行再開とロシア当局 
BBC News
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28168

 ※ この情報が、「精度という点」、「穏健、かつ、バランスが取れていて」、良記事だと思う…。

『ウクライナ南部のクリミア半島とロシアを結ぶ欧州最長の大橋で8日朝に爆発があり、その一部が崩落した。ロシア当局は同日夜、通行の一部が再開したと明らかにした。ロシア当局によると、爆発で3人が死亡した。それとは別に、国際原子力機関(IAEA)のラファエル・グロッシ事務局長は同日、声明を出し、ロシア軍が占拠するウクライナ南部ザポリッジャの原子力発電所が同日未明に外部電源を失ったと明らかにした。

ロシア外務省は8日夜、ケルチ海峡にかかりクリミアとロシアをつなぐ大橋の車道部分で、車が通行しているように見える動画を公表した。

車道と並行する鉄道橋も、通行が再開した様子。

クリミアの地元当局は、部分再開した橋が使えない大型車両用に、ロシア本土とクリミア半島を結ぶフェリーの運航を開始した。

8日朝の爆発を受け、国営メディアはロシア国家反テロ委員会の声明を報道。それによると、「タマン半島側のクリミア橋の道路部分で午前6時7分、トラックが爆発し、これによってクリミア半島へ向かっていた列車の燃料タンク7基に引火した」のだという。「橋の車道部分が2カ所、部分的に崩落した」と、同委員会は説明した。

ロシア当局によると、橋の道路部分でトラックが爆発し、並行する鉄道橋で列車の燃料輸送車両に火が燃え移った。トラックの爆発で道路の一部が崩落し、近くの車両にいた3人が死亡したという。

ロシア政府のドミトリー・ペスコフ報道官によると、橋での「緊急事態」についてウラジーミル・プーチン大統領は説明を受け、事実関係の調査を政府に命じた。刑事事件としての捜査も始まっているという。

ロシアはこれまで、兵器や砲弾、部隊の人員などをウクライナへ送り込むために、この橋を使ってきた。ロシア軍の補給拠点を集中的に攻撃してきたウクライナ軍にとって、この橋は重要な標的だったとされている。

ロシアは2014年にクリミアを違法に併合した後に、橋の建設を開始。2018年にウラジーミル・プーチン大統領が自ら先導して開通した。ロシアによるクリミア併合の象徴だった。プーチン氏が自ら開通したケルチ橋が燃えている様子の重要性と象徴性は、きわめて大きい。

プーチン大統領の70歳の誕生日の翌日だったこともあり、この橋を強く憎んできたウクライナの人たちは、ソーシャルメディアに相次ぎ歓喜の声を投稿した。

ウクライナの大手銀行モノバンクは、崩落した橋の絵をデザインに使った新しい引き落としカードを発行したと発表した。

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の顧問、ミハイロ・ポドリヤク氏は、ツイッターに橋の道路部分が崩落した写真を投稿。トラック爆破がウクライナによるものとは直接は認めなかったものの、「クリミア、橋、始まり。違法なものはすべて破壊されなくてはならない。盗まれたものはすべてウクライナに返還されなくてはならない。ロシアに占領されたものすべてから(ロシアは)追放されなくてはならない」と書いた。

ウクライナ国防省はツイッターで、「ミサイル巡洋艦モスクワとケルチ橋――ウクライナのクリミアにおけるロシアの力の悪名高い2つの象徴――が沈んだ。ロシアよ、次はなんだ?」と書いた。

ウクライナ政府はツイッターでわずか2語、「sick burn(きついな)」とだけ書いた。

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これに対してロシア外務省は、「民間インフラの破壊に対するキエフ(ウクライナ語ではキーウ)政権による反応は、そのテロリストとしての本質を証明するものだ」と反発している。

クリミア議会のウラジーミル・コンスタンティノフ議長も、爆発について「ウクライナの野蛮人どもがその血まみれの手で、ついにクリミアの橋にまで手を伸ばした」と非難。そのうえで、「橋の破壊は深刻なものではないので、ただちに修復する」と述べた。

ケルチ海峡にかかる橋は全長19キロで、建造費37億ドル。欧州最長の橋で、ロシアのメディアは「世紀の建設」とたたえていた。ロシア政府はこれまで、陸海空からの攻撃にも耐えるものだとしていた。

橋は、ウクライナが統治する地域から160キロ以上離れている。そのため爆発物の専門家はBBCに対して、火災は砲撃が原因ではないだろうと話した。

「路面に、衝撃による破砕の跡や破片が見えないことから、空を飛んでくる武器が使われたのではないと思われる」とこの専門家は述べ、「周到に計画された下からの攻撃が原因かもしれない」と話した。

「車両用の橋と鉄道橋に爆発物がしかけてあり、暗号化されたラジオ指令で起爆したのではないかと思う」という。

クリミアでは8月にもロシアの空軍基地で爆発が起きるなど、空爆が相次いだ。これについてウクライナは9月に入ってから、攻撃は自分たちによるものだったと認めた。
ザポリッジャ原発は外部電源喪失

その他、ウクライナやロシアでは次の展開があった――。

ロシア軍が占拠するウクライナ南部ザポリッジャの原子力発電所は8日、砲撃によって再びすべての外部電源を失った。原子炉の冷却に必要な電源を非常用のディーゼル発電機に頼っている。国際原子力機関(IAEA)のラファエル・グロッシ事務局長が明らかにした。

ロシア国防省は8日、ウクライナでの軍事作戦を統括する司令官に航空宇宙軍のセルゲイ・スロヴィキン総司令官を任命したと発表した。

ロシアのメディアは、親ロシア派が支配するウクライナ東部ドネツクで、ウクライナ軍が印刷工場を砲撃したと非難している。

(英語記事 Crimea bridge partly reopens after huge explosion – Russia / Crimean bridge: Excitement and fear in Ukraine after bridge blast)

提供元:https://www.bbc.com/japanese/63189814 』

プーチン氏は核を使うのか、ロシア国民はどうするべきか……ゼレンスキー大統領を単独取材

プーチン氏は核を使うのか、ロシア国民はどうするべきか……ゼレンスキー大統領を単独取材
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28163

『ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、ロシア政府が核兵器の使用に向けて「自国社会に準備させ始めている」と述べた。

首都キーウの大統領府でBBCの単独取材に応じた大統領は、ロシアにはまだ核兵器を使う用意はできていないと思うとも付け加えた。

ゼレンスキー氏は、ロシアへの先制攻撃を呼びかけたとロシアが自分を非難していることについて、制裁について話したのが誤訳され、利用されたのだと説明した。

また、プーチン氏は核兵器を使うかという質問には、自分が「できない」と言えば、力を誇示するためにやりかねないと回答。一方で「できる」と言えばウクライナをはじめ各国にパニックを招くと話した。

その上で、「プーチンが恐れているのは核攻撃ですらなく、自国のコミュニティー、自国民だ。なぜならここへきて彼を失脚させられるのは、ロシア国民だけだ」と述べ、「彼から権力を取り上げ、別の人間に渡すべきだ」と話した。

もしウクライナが勝ったなら、プーチン氏は生き残ると思うかと質問されると、ゼレンスキー氏はしばし考えた後、「どうでもいい」と答えた。

提供元:https://www.bbc.com/japanese/video-63182631 』

戦争長期化で歪み続けるロシア経済 もはや修復不能

戦争長期化で歪み続けるロシア経済 もはや修復不能
金野雄五 (北星学園大学経済学部教授)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28026

『ロシアによるウクライナ侵攻から半年以上が経過し、ロシア経済も変化が見られ始めている。実質賃金が4月から前年比マイナスを継続。これに伴い、小売売上高も減少を続ける。経済の屋台骨とも言えるエネルギー資源の生産量にも西側諸国の制裁の影響が出始め、財政収支もマイナスとなりつつある。
ロシアによるウクライナ侵攻でロシアから撤退したコーヒーチェーン「スターバックス」の後継店。各地で経済活動の歪が見られている(Abaca/アフロ)

 ただ、ロシア国内では「制裁慣れ」ともとれる動きがあり、財政もしばらく持ちこたえられそうだ。ロシアの国力衰退によって戦況が大きく変わるとまでは言えない状況だ。引き続きロシア経済の実態を注視しながら、プーチン政権の動きを見定める必要がありそうだ。

ジワリと影響が出ている西側諸国の制裁

 ウクライナ侵攻後、西側諸国が相次いでロシア産エネルギー資源の輸入削減や禁輸を打ち出したことで、市場では徐々にロシア産化石燃料を忌避する動きが強まり、その結果、ロシアのエネルギー資源の生産量は減少に向かっている。

 西側諸国がいち早く足並みをそろえて禁輸措置を決定したのは石炭だ。この制裁により、ロシアの石炭生産量は、2022年7月に前年比5.1%減となり、1~7月で見ると0.9%減少している。

 原油生産量に関しては、5月に前年比2.4%減少。7月は同2.8%増となったが、これは中国やインドが輸入量を増やしたためとみられる。しかし、中国やインドにとってこうした取引量の拡大は、米国をはじめとした諸外国からの目線もあり、継続的になされるものではないとの見方が一般的だ。

 また、現在ロシア産石油(原油および石油製品)の最大の輸入地域である欧州連合(EU)は6月、ロシア産石油輸入の約90%を年末までに停止することで合意している。この禁輸措置により、ロシアは原油生産の縮小を余儀なくされる見通しだ。

 天然ガス生産量は、7月に前年比22%減少し、1~7月でも同7.3%減となっている。これは主に、ロシア側が、外国で修理中のタービンが、西側の制裁によってロシアに戻されないこと等を理由に、最大の輸出先である欧州向けのパイプライン送ガス量を大幅に削減していることによるものだ。しかし、同時にEUも、ロシア産天然ガスへの依存からの脱却の動きを急速に強めていることに注意が必要だ。

 EUは3月に、ロシアからの天然ガス輸入量を年内に3分の2削減し、2027年までに完全に輸入を停止するという目標を掲げ、省エネやエネルギー供給源の多様化に急ピッチで取り組んでいる。天然ガスの輸送は、石油のように簡単ではないため、対露制裁に同調しない中国やインドへ輸出先を転換しようにも難しい。ロシアの天然ガス生産は、原油生産以上に、輸出市場の制約による影響を強く受ける可能性がある。』

『筆者が試算したロシアの国内総生産(GDP)における非友好国(対露制裁に参加している国)向け石油輸出が占める割合は6%、天然ガスは1%で、計7%にのぼる。EU等によるロシア産エネルギー資源への依存からの脱却によって、この7%の大半が消失することになる。その一部は、対露制裁に同調しない中国やインドへの輸出先転換によって補われることになるが、その場合でもディスカウント(買い叩き)に遭うことは避けられない。
財政は持ちこたえるも

 ロシアの国家財政は、今のところ持ちこたえている。歳入面では、石油ガス価格の高騰により「石油ガス収入」が安定的に推移していること、歳出面では、いわゆる戦費と目される「国防・安全保障・総務支出」がそれほど急拡大していないことが財政の安定に寄与している。

 7月には、約1兆ルーブルと本年に入り単月では最大の財政赤字となったが、1~7月期で見ると、4820億ルーブル(21年GDP比で0.4%に相当)の財政黒字だ。少なくとも、22年については財政が赤字になるとしても小幅赤字で、大きく崩れる可能性は低い。
(出所)ロシア財務省付属シンクタンク「経済専門家グループ」資料より、筆者作成 写真を拡大

 また、たとえ財政赤字になったとしても、これまでの財政黒字を積み立てた国民福祉基金の残高が22年6月末時点で10.8兆ルーブル(うち流動資産部分は7.4兆ルーブル)あり、これを取り崩すことで、国債を発行せずとも財政赤字を補填することが十分可能な状態だ。

 しかし、2~3年後もロシアの国家財政が盤石かと問われると、必ずしもそうとは言えない。前述の通り、西側諸国がロシア産エネルギー資源の輸入削減を進めていることから、ロシアの石油・ガスの生産・輸出量は減少に向かうと見込まれるが、これは石油ガス収入の減少要因となる。こうした中で、今後、戦費が拡大されたり、国民の不満を緩和するために大規模な財政支出が行われたりすると、財政赤字は急拡大し、その分、国民福祉基金が底をつく時期も早まることになる。

我慢強い国民性と「制裁慣れ」

 ロシア国内の小売売上高については、ウクライナ侵攻の翌々月の4月から減少が鮮明となった。4月には、前年比9.8%減少、5月は同10.1%減となり、直近の7月まで前年比約1割減の推移を続けている。

(出所)ロシア国家統計庁より、筆者作成 写真を拡大

 小売売上高の減少の主因となっているのは、実質賃金の減少だ。3月にルーブルが対米ドルで前月から25%下落し、インフレ率が2月の9.2%から16.7%へ急上昇したことにより、実質賃金は4月に前年比7.2%減、5月も同6.1%減と前年割れを続けている。』

『小売売上高、実質賃金とも前年割れを続けているものの、6月頃から、わずかながら持ち直しの動きがみられることにも注意が必要だ。こうした持ち直しの背景には、ロシアの企業や国民が、制裁を課された状態に適応してきているということがある。

 その端的な例がウクライナ侵攻により撤退した米国のハンバーガーチェーン大手のマクドナルドやコーヒーチェーンのスターバックスの後継店の開店だ。ともに、ロゴや商品、サービスが酷似したものを提供している。

 このほか、制裁により半導体をはじめとする高度技術品の輸入が規制されるなかで、そうした部品なしで製品を製造・販売する動きも広がっている。自動車のエアバッグやABS(アンチロック・ブレーキシステム)の製造が困難になるなかで、これらの装置を装備していない自動車を製造し、新車として販売する形だ。
世界的な信頼を失ったロシア経済の行方は

 ウクライナ戦争下でのロシア経済は、歪を明らかにしつつも、しばらくは大きく悪化することなく継続しそうだ。

 しかしながら、質の下がった商品が流通し、明るい将来展望を描くことができないような社会・経済状況が続く限り、若年層を中心に優秀な人材の国外流出は避けられない。こうした人材流出は、ロシア経済の今後の成長可能性を、中長期的に大きく制約する要因になるだろう。

 また、たとえ戦争が終わり、西側諸国による制裁が緩和されることになっても、エネルギー資源の安定的な供給者としてのロシアに対する信頼はすでに失墜している。多くの国が、ロシアへのエネルギー依存を極力減らそうとする方向性は変わらないだろう。ロシア経済の基幹産業である石油・ガス部門の成長はもはや見込めない。

 ロシアは戦争の勝ち負けにかかわらず、経済的な下り坂を進むことになりそうだ。』

https://note.com/wedge_op/m/mf04861eb2d69

長期化するウクライナ戦争 露わになるプーチンの誤算

長期化するウクライナ戦争 露わになるプーチンの誤算
岡崎研究所
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28074

『フィナンシャル・タイムズ紙は、「プーチンの諸々の誤算(Vladimir Putin’s catalogue of miscalculations)」と題する社説を9月17日付で掲載している。社説の主要点は次の通り。

・ハルキウ地方でのロシア軍の敗走は、ロシアの大きさと軍事力が、より小さなウクライナを簡単に制圧でき、ウクライナ人はロシアを「解放者」として歓迎するとのクレムリンの間違った期待を再度際立たせた。

・同地方での敗走は、それまで投入した兵力をキーウ周辺と北部から同地に振り向ければ、総動員なしでも東部ウクライナ全域を占拠、保持できると考えたモスクワの過ちを明らかにした。

・西側諸国が彼ら自身の経済をも傷つける対ロシア制裁に対し意欲を欠き、西側の団結は早く壊れ、キーウに戦争をやめるように圧力をかけるという前提も誤りだった。プーチンは欧州への天然ガス供給を急激に減らしたが、欧州連合(EU)各国間に相違は残るものの、共同の準備と衝撃緩和のための大きな前進が見られた。

・西側の協調した反対姿勢は、非西側諸国、特に中国が米国中心の国際秩序に挑戦するという共通の利益のために味方になるとの、プーチンのもう一つの前提についても、後退を余儀なくさせた。

・上海協力機構会議で、習近平はウクライナ戦争への「疑問や懸念」をロシアに伝えるとともに、カザフスタンに対し「いかなる勢力の干渉」(注:ロシアの干渉が最もあり得る)に対してもカザフスタンの主権と一体性を守ると述べた。

・同じくインドのモディ首相は、今は「戦争の時期ではない」と述べ、公にウクライナ侵攻を批判した。

・プーチンの誤算は西側民主主義国には朗報であり懸念材料でもある。これまでの多くの誤算は、プーチンがウクライナでより広い敗走に直面した場合、今後の彼の決定も賢明であるとは信頼できないことを示すからだ。


 この社説は、ウクライナ戦争についてプーチンが多くの誤算を重ねてきたことを指摘している。これらの指摘はかなり当たっていると言ってよい。

 まず、プーチンは、ウクライナ側の抵抗を過小評価した。ゼレンンスキーはウクライナ東部でロシアから奪還した領土を訪問した際に、今でもプーチンはロシア人とウクライナ人とは一つの民族と考えているのかと皮肉っている。
 
 西側諸国の対応についても、見誤ったと言える。

 サマルカンドでの上海協力機構会議での習近平の対応とモディの批判は、プーチンにはかなり厳しい印象を残したのではないかと思われる。特に習近平がカザフスタンのトカエフにカザフスタンの主権と一体性を支持すると述べたことは重要である。

 プーチンはウクライナ侵攻直前にルハンスク、ドネツク人民共和国の独立を承認したが、トカエフはこのロシアの承認行為を認められないとしてきた。カザフスタン北部のロシア人居住地の分離独立は受け入れられないと意思表示しているわけで、それを習近平が支持したことは大きな意味を持つ。』

『プーチンはこの首脳会議の後、ウクライナ東部全域を解放するまで特別軍事作戦を続けると言っているが、これはキーウ攻略とウクライナ全土の傀儡政権による掌握はもうあきらめたことを示している。

 戦争の流れはウクライナの側に有利になって来ていることは否めない。

国内反発を受ける動きも

 プーチンは国内のタカ派から総動員令の発布を求められ、9月21日に予備役の部分動員令を発した。ショイグ国防相によれば、予備役約30万人を段階的に招集するとしている。しかし、ロシア国民の反発はかなり強く、抗議デモが起きたり、招集から逃れようとする若者たちがロシアから出国するなどといった事態が起きている。

 また、プーチンは、ハルキウでの敗走は自分に責任がなく参謀本部の責任であるとするなど、最高司令官としての責任感に欠ける発言も見られる。

 今後のウクライナ戦争にはまだ紆余曲折はあろうが、プーチンが当初考えた戦争目的、ウクライナを国家としてなきものにし、ロシアに統合するとの目的を達成することはできないことは既に明らかであると言える。』