ナジブ・ブケレ

ナジブ・ブケレ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%B1%E3%83%AC

 ※ 今日は、こんなところで…。

『ナジブ・アルマンド・ブケレ・オルテス(スペイン語: Nayib Armando Bukele Ortez、1981年7月24日 – )は、エルサルバドルの政治家、実業家。現大統領。

2019年の大統領選挙に中道右派の「国民統合のための大連合」 (GANA) から立候補し、当選。ファラブンド・マルティ民族解放戦線 (FMLN) と民族主義共和同盟 (ARENA) という、国内の二大政党以外から誕生した大統領としては、ホセ・ナポレオン・ドゥアルテ(1984年 – 1989年在任)以来であった。 』

『経歴

オルガ・オルテス・デ・ブケレとアルマンド・ブケレ・カッタンのあいだに、サンサルバドルで生まれる。早くから起業家精神にあふれ、18歳で会社を設立した[1]。エル・ファロ紙電子版によると、ヤマハ発動機のエルサルバドルにおける販売代理店、ヤマハ・モーターズ・エルサルバドルのオーナーを務めている[2][3]。

2012年、ファラブンド・マルティ民族解放戦線 (FMLN) からラ・リベルタ県ヌエボ・クスタトラン市長選挙に立候補し、2862票を得票して当選した(得票率50.68%)。同年5月1日に市長に就任した[4]。

オスカル・ロメロの列福式にて、副大統領(当時)オスカル・オルティス夫妻と

2015年にはサンサルバドル市長選挙に同じくFMLNから立候補し、8万9164票を得て当選した(得票率50.37%)。対立候補の実業家で元副市長、エドウィン・サモラ(民族主義共和同盟 (ARENA) 所属)の得票数は、8万2288票 (同46.49%) に留まった。このときまで6年間、サンサルバドルの市政はARENAが掌握していた。市長就任は5月1日であった[5]。

2017年2月には台湾の台北市を訪問し、中華民国総統の蔡英文と会談した[6]。

2018年2月、第32回国際市長会議出席のためエルサレムを訪問した際、嘆きの壁で祈りをささげる姿が目撃された[7][8]。その後、ブケレは妻の祖父がセファルディムと呼ばれるユダヤ人であったと明らかにした[9]。

2017年10月10日、ブケレはFMLNの倫理委員会から、党内対立を煽り、党を中傷する行為におよんだとして、除名処分を受けた[10][11]。これに先立つ10月7日には同委員会の聴聞会が予定されていたが、審議が原告側に偏っているとして、ブケレは欠席していた[12]。
FMLNから除名されたブケレは、2019年の大統領選に、既成政治を打ち破る無所属候補として立候補しようとした[13]。そのための政党結成に向けて、手始めにヌエバス・イデアス(あらたな理想)という政治運動をはじめた[14]。

新党結成や他党との合流といった試みは、左派のFMLNと右派のARENAという二大政党からの妨害にあったが、最終的に中道右派の「国民統合のための大連合」 (GANA) に加入することで、大統領選挙への立候補資格を得た[15]。

2019年2月3日、ブケレは大統領選挙の勝利宣言を行った。対立候補であったFMLNのウーゴ・マルティネスは敗北を認めた。ブケレの得票率は53%で、決選投票が必要な水準を上回っていた。エルサルバドル内戦終結以降、二大政党以外から大統領が誕生したのは初めてだった。勝利宣言で、ブケレは「われわれは戦後史の1ページを刻した」と述べた[16]。大統領には6月1日に正式に就任した[17]。

人物

政府主催の式典にて、妻ガブリエラ・ロドリゲスと(2014年)

ミレニアル世代の政治家として支持される一方、具体的な政治的スタンスを欠くと批判されることもある[18]。

パレスチナ系ムスリムの父とキリスト教徒の母を持つことから、2019年の大統領選挙では、ブケレがメキシコシティのモスクで祈りをささげる写真が話題となるなど、その宗教が問題とされた[18][19]。ブケレは公には、家族はローマ・カトリック教会の信者だが、父のほか家族の何人かはイスラム教に改宗している、自分自身は宗派よりもまず神を第一に信仰していると述べている[19][20]。なお、彼の名前も「ナジーブ」のスペイン語バージョンである。2014年12月にガブリエラ・ロドリゲスと結婚した。

エルサルバドルのムスリム・コミュリティで精神的な指導者の地位にある、イマームのエマソン・ブケレはきょうだいである[21][22]。エマソンは2015年末、父のアルマンド・ブケレ・カッタンの後任としてイマームに就任した[23][24]。エマソンはエルサルバドルからカルテルが一掃され、理想的な住みやすい国になることを切望している。

関連項目

ビットコイン法 』

エルサルバドル、ビットコイン決済拒否も 通貨名ばかり

エルサルバドル、ビットコイン決済拒否も 通貨名ばかり
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN240W50U2A820C2000000/

 ※ 結局、「通貨」の要諦は、「信用」だ…。

 ※ だれが、「ドンドン価値が下がっていく(or この先、下がることが見込まれる)通貨」を保有したり、使ったりするかね?

『【サンサルバドル=清水孝輔】中米エルサルバドルで2021年9月7日に世界で初めて法定通貨に採用した暗号資産(仮想通貨)ビットコインの普及が遅れている。国民は従来の法定通貨である米ドルを決済手段として使い続けており、1年たっても多くの店舗がビットコインに対応していない。法定通貨とは名ばかりの実態が浮き彫りになっている。

「ビットコイン?もう使えないわ」。首都サンサルバドル中心部にある携帯電話店。従業員のサンドラ・バケラノ(50)さんはこう言うと、店内の張り紙をはがし始めた。張り紙には「ビットコインで支払えます」と書かれている。法定通貨になったときに受け取りを始めたが、利用者が少ないため数カ月前に対応をやめた。

エルサルバドルの携帯電話店は以前ビットコインの支払いに対応していた(21年12月、首都サンサルバドル)

エルサルバドルは21年9月7日に発効した「ビットコイン法」でビットコインを法定通貨と位置づけた。同法は顧客がビットコインでの支払いを希望した場合、店舗は原則として拒否できないと定めている。税金もビットコインで支払える。従来の法定通貨であるドルと併用している。

【関連記事】中米エコノミスト「エルサルバドル、債務リスクが拡大」

ビットコインを法定通貨にした後も、商品やサービスの価格はドルに基づいている。商品の値札に書いてあるドルの価格は変わらず、決済時の交換レートに応じてビットコインで支払う金額が決まる仕組みだ。例えば1ビットコインが2万ドル(約280万円)のときに1ドルの商品を買うと、スマートフォンアプリを通じて0.00005ビットコインを支払う。

小規模な店舗の多くは1年たってもビットコインの決済に対応していない。法律が義務付けていても、実際には政府が店舗にビットコインの受け取りを強制していないからだ。エルサルバドルのルース・ロペス弁護士は「ビットコインでの支払いを拒否して罰則を受けた事例はない」と指摘する。

エルサルバドル商工会議所が3月に公表したリポートによると、法定通貨になってからビットコインで支払いを受けたのは調査対象の企業の14%にとどまった。全米経済研究所(NBER)による1800世帯を対象とした調査では、税金の支払いにビットコインを使ったのはわずか5%だった。

普及が進まない背景にはビットコイン価格の下落がある。米連邦準備理事会(FRB)が金融引き締めに乗り出し、ビットコイン価格は足元で2万ドル以下と直近ピークの21年11月に比べて7割落ち込んだ。足元の価格が低迷しているため、高値で買ったビットコインで支払うのは損だという考えが消費者に広がっている。

衣料品店を営むフレディ・ランダべルデさん(45)は受け取ったビットコインをすぐにドルに替えている(首都サンサルバドル)

ビットコインに対応している店側も、急激な価格変動に苦慮している。サンサルバドルで衣料品店を営むフレディ・ランダべルデさん(45)は「ビットコインを受け取ったらすぐにドルに替えている」と話す。法定通貨になる前からビットコインを取り入れてきたビーチでレストランを営むフリオ・マルティネス(40)さんは「ビットコインの場合は20%上乗せした金額をお願いしている」と打ち明ける。

エルサルバドル政府は決済インフラの整備を急いできた。専用のスマートフォンアプリ「チボ」を用意し、ビットコインとドルを両替するためのATMも設置した。政府が1人当たり30ドル相当のビットコインを配ったことで、チボは急速に普及した。ところが多くの国民は30ドルを使い果たすと、アプリから離れていった。

米ドルとビットコインを両替できるATM(首都サンサルバドル)

エルサルバドルは外国に住む出稼ぎ労働者からの送金が国内総生産(GDP)の2割超に相当する。政府は専用アプリを通じてビットコインを送れば手数料や受け取る手間を減らせると訴えてきた。だが同国の中央銀行によると、1~7月には外国からの送金額のうちビットコインの比率は1.7%にとどまった。

エルサルバドルの経済団体ANEPのエグゼクティブ・ディレクター、レオノル・セルバ氏は「ビットコイン法の実態は外交政策だ」と訴える。ブケレ大統領はツイッターでビットコインについて英語で発信し、人口約650万人の小国の国際的な知名度を高めた。法定通貨になった直後は世界各国から新興企業やメディアが相次ぎ調査に訪れた。

空港に飾られたブケレ大統領夫妻の写真

だが、この発信は既存の国際金融の枠組みにおいては通用しなかった。国際通貨基金(IMF)はビットコインを法定通貨にしたエルサルバドルに反発し、同国が13億ドルの新たな融資を受ける交渉が停滞している。同国は総債務残高がGDPの9割に迫り、米格付け会社は信用格付けをデフォルト(債務不履行)の一歩手前まで引き下げている。

在エルサルバドル日本国大使館の7月時点の試算によると、政府はビットコイン購入で約5900万ドルの含み損を抱えている可能性がある。中米のシンクタンクICEFIのシニアエコノミスト、リカルド・カスタネダ氏は「ビットコインの実験が成功すればブケレ大統領の成果だ。だが失敗すれば犠牲になるのは税金を払う国民だ」と指摘する。

【関連記事】

・エルサルバドル「通貨」の野望、米金融引き締めで暗雲
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・エルサルバドル、「ビットコイン都市」建設を表明 』

フィリピン・インドネシア首脳、安保協力強化で合意

フィリピン・インドネシア首脳、安保協力強化で合意
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM029LQ0S2A900C2000000/

『【マニラ=志賀優一、ジャカルタ=地曳航也】フィリピンのマルコス大統領は5日、初の外遊先であるインドネシアでジョコ大統領と会談し、国防や安全保障体制の構築に向けた協力を強化することで合意した。就任後最初に東南アジア諸国連合(ASEAN)事務局があるジャカルタを訪れることで、域内の経済や安保体制づくりに積極関与する姿勢を打ち出した。

マルコス氏は首脳会談で「我々が築く力強いパートナーシップが、両国を繁栄へと導く」と語った。ジョコ氏も「国境付近における海上の安全保障で連携していく」と話した。

両首脳は安保に関する新たな合意を目指すことを確認した。共同訓練の実施や沿岸警備、教育、情報共有などで協力を強化する方針だ。両国が2022~27年にわたりテロ対策や経済、エネルギー、文化、教育など幅広い分野で協力を進める行動計画も締結した。

南シナ海ではインドネシアやフィリピンなど東南アジア各国と中国が領有権を巡り対立している。フィリピンが領有権を主張するスカボロー礁(中国名・黄岩島)は中国が実効支配する。

マルコス氏は首脳会談後に「平和をもたらし続けるなかで、ASEANが主導的な役割を果たしていくことで合意した」と語った。今年は20カ国・地域(G20)、来年はASEANの議長国を務めるインドネシアとの安保協力には、南シナ海での中国の海洋進出をけん制する狙いが透ける。

インドネシアも南シナ海の自国領ナトゥナ諸島の周辺の権益で中国との対立を抱える。離島防衛の強化に向け、米軍との協力関係を軸に、他国との安全保障上の連携を多層化している。

マルコス氏のインドネシア訪問は6日まで。その後はシンガポールを訪問してリー・シェンロン首相と会い、テロ対策やデータ保護などについて議論する。

フィリピンは米国の同盟国だが、最大の輸出相手国は中国(香港含む)だ。米中両国がマルコス氏に早期の自国訪問を打診したとされ、初の外遊先に注目が集まっていた。』

インドネシア各地、燃料値上げに抗議デモ 労組が主導

インドネシア各地、燃料値上げに抗議デモ 労組が主導
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM056MP0V00C22A9000000/

 ※ しかし、「現実」は、こういうものだ…。

『【ジャカルタ=地曳航也】首都ジャカルタをはじめとするインドネシア各地で6日、労働組合が主導し、補助金削減に伴う燃料の値上げに抗議するデモが実施された。3日の同国政府の発表によると、補助金の削減でガソリンと軽油の小売価格がそれぞれ3割上昇するなど、市民生活への影響が大きい。

デモは主要労組の一つであるインドネシア労働組合総連合が計画した。第2の都市スラバヤを含む全国の主要都市で実施され、計数万人の労働者らが参加したもようだ。

ジャカルタでは国会議事堂、中央官庁の前で参加者が「値上げの再検討を求める」などと叫んだ。インドネシアでは都市部でも多くの市民が通学や通勤のためバスや乗り合いタクシーを利用している。燃料価格の上昇が、こうした公共料金の引き上げにつながるのは必至だ。

1990年代後半のアジア通貨危機では、バス料金の値上がりがジャカルタなど都市部での大規模な抗議デモにつながり、スハルト大統領(当時)の長期政権の崩壊につながった。

ジョコ大統領は3日、補助金の削減と燃料の値上げを発表し、即日実施した。インドネシア政府は燃料の小売価格を低めに抑えるため補助金を支給しているが、ウクライナ侵攻を巡る産油国ロシアへの制裁で原油や天然ガスの価格が上昇して「補助金の予算が(想定の)3倍以上に膨らみ、さらに増える可能性がある」ためだと説明した。

ジョコ政権は2023年の財政赤字を国内総生産(GDP)比で3%以内に抑える方針だ。

インドネシア中央統計局が1日発表した8月の消費者物価指数は前年同月比で4.69%上昇した。15年秋以来の高い水準を続けている。今回の燃料価格の値上げで物価高が加速するのは確実だ。地元メディアはインフレと景気後退が同時に進むスタグフレーションにインドネシアが陥る可能性を伝えている。』

インドネシア国際イスラム大学 民主主義との共存を探究

インドネシア国際イスラム大学 民主主義との共存を探究
UPDATE知の現場
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM273090X20C22A8000000/

 ※ スゲーな…。

 ※ こういう形の「モスク」は、初めてだ…。

 ※ 1500人の信者が、一斉にメッカの方向に向かって「礼拝」するのか…。

 ※ さぞかし、「荘厳」な光景だろうな…。

『インドネシア国際イスラム大学は民主主義と共存した穏健なイスラム教の普及に取り組む。ムスリムが世界で最も多い国として、中東に代わってイスラム研究の中心になることをめざす。

2021年に同国で最も新しい国立大学として開学した。ジョコ大統領が国内で世界最高水準のイスラム教育を提供することを狙い国家戦略プロジェクトとして設立を主導した。政府予算で建設費用のほか、学生の奨学金などを支援している。

キャンパスは首都ジャカルタから車で1時間ほどの西ジャワ州デポックに位置する。142.5ヘクタールの広大な土地を擁し、30%を校舎など建物で活用する以外は、自然豊かな緑が覆う。

学部は現在、「イスラム研究」「社会科学」「経済・ビジネス」「教育」の4つがあり、将来的には7学部に増やす計画だ。いまは研究を中心とした大学院として修士と博士の課程を設けている。今後は学士を取得する一般の大学にも形態を広げる。

穏健なイスラム教徒の育成を各学部の横串とし、インドネシア、中東、欧米の研究を幅広く取り交ぜる。思考にバランスを持たせるため、イスラム教とは無関係の授業も提供する。経済学部ではイスラム法に基づいた「シャリア経済」だけでなく、一般の経済学も教える。

教授陣もインドネシアのほか中東、欧米から集め、授業はすべて英語かアラビア語を用いる。高水準の教育を提供する一方、課程をクリアするのは容易ではない。初年度は59カ国から約1000人が応募し約100人が入学したが、すでに20人が脱落した。

イスラム教の研究は中東が中心的な役割を担ってきた。インドネシアは人口2億7000万人のうち9割がムスリムを占める国ながら、本格的なイスラム教の研究をめざすには中東に留学する必要があった。世界で最も多くイスラム教徒を抱える国として、国内でのイスラム教育の強化は喫緊の課題だった。

同大学がめざす穏健なイスラム教の普及はグローバルな課題である過激主義の根絶と表裏一体だ。インドネシアでもイスラム過激派のテロによる悲劇が過去に相次いだ。02年にリゾート地のバリ島で国内組織「ジェマ・イスラミア」のメンバーが引き起こしたテロでは200人以上が死亡し日本人も犠牲になった。

ジョコ政権はイスラム過激派の取り締まりを強める一方、人材育成にも取り組み、硬軟織り交ぜた対策を進めている。力点を置くのは国是である「パンチャシラ」との融合だ。初代スカルノ大統領が打ち出した5原則で、唯一神の信仰をうたい、イスラム教以外の宗教を認めるほか、民主主義の尊重を掲げた。

王族や宗教指導者らを中心とした権威主義と指摘されるイスラム諸国もある中、イスラム教と民主主義を両立させようとするインドネシアの取り組みは珍しい。比較宗教学が専門のコマルディン学長は「イスラム教は本来、他の宗教を受け入れ、共存を模索してきた」と指摘する。少数意見も尊重する民主主義との親和性も高いとの見方を示す。

日本政府も過激主義の根絶をうたい途上国を支援している。コマルディン氏は「きちんと列に並んだり、ごみをゴミ箱に捨てたりする日本人の規律性の高さはぜひ大学の教育に取り入れたい」と語る。(ジャカルタ=地曳航也)』

ザポロジエ原発、出力が大幅低下 能力比13.5%まで

ザポロジエ原発、出力が大幅低下 能力比13.5%まで
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB071LV0X00C22A9000000/

『【キーウ=共同】ロシアがウクライナ南部ザポロジエ州に一方的に設置した「軍民行政府」幹部ロゴフ氏は6日、ザポロジエ原発で唯一稼働中の6号機の出力が13万5千キロワットまで大幅に低下したと表明した。原発職員らが住むエネルゴダール市では停電と断水が起きた。

6号機の本来の出力は100万キロワット。原発内の他の原子炉は冷却に必要な電力を6号機に依存しており、予断を許さない状況が続いている。原子炉を冷却できなければ重大事故につながる。

エネルゴダールから避難中のオルロフ市長は6日、市内の商店付近などで同日、ロシア軍の砲撃が続いたと表明した。

国際原子力機関(IAEA)によると、原発と接続していた4系統の送電線は既に損傷。その予備として唯一機能していた送電線は5日、砲撃による火災の消火作業のため、原発から一時的に切り離された。ただ、消火が終われば再接続は可能としている。

原発にはIAEA専門家2人も常駐を始めているが、周辺で戦闘がやまず、エネルゴダール市民の脱出が相次いでいる。

ロゴフ氏は、砲撃はウクライナ側が行ったと主張した。

【関連記事】

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・ザポロジエ原発、外部電源から遮断 砲撃で送電線が損傷 』

トラス英首相、8日にも物価対策 新内閣は多様性重視

トラス英首相、8日にも物価対策 新内閣は多様性重視
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR06E3U0W2A900C2000000/

『【ロンドン=中島裕介】6日に就任した英国のトラス首相は、同日の首相官邸前での就任演説で「今週、(高騰する)光熱費問題に対処するための行動を起こす」と改めて明言した。英BBCは、新政権が8日にも家計や企業への具体的な支援策を発表すると報じた。トラス氏は6日夜から組閣に着手した。

エネルギー価格の高騰を受けて英国では10月に標準的な家庭の年換算の光熱費が9月までと比べて8割増の3549ポンド(約57万円)に上がる。1月には5300ポンドを超え、インフレ率が22%に達するとの予測もある。物価急騰は内政の最大の課題になっている。

トラス氏は演説で「人々が負担しきれない光熱費に直面しないよう対策をとる」と訴えた。英メディアによると、利用者が支払う光熱費の値上がりに上限を設ける案が検討されている。企業支援策も盛り込まれる可能性があり、対策費は1000億ポンド(約16.5兆円)規模に膨らむ見通しだ。

演説でトラス氏は物価急騰対策に加えて、「減税と規制改革を通じた経済成長」と「公的医療サービスの充実」を優先課題に挙げた。

組閣では首相を含む主要4ポストを白人男性以外が占め多様性の重視をうかがわせる布陣となっている。英BBCによると、こうした4閣僚の布陣は初めて。

不法移民対策などを担う内相には党首選にも出馬した女性のブレーバーマン前法務長官が就いた。対中、対ロ政策のカギを握る外相にはクレバリー前教育相を起用。経済対策のかじ取りを担う財務相にはガーナ系のクワーテング前民間企業・エネルギー・産業戦略相を充てた。4閣僚のほかにも首相を支える副首相兼保健相に女性のコフィー前雇用・年金相を起用した。

国防相にはウクライナ支援の継続性を重視してウォレス氏を留任させた。同氏はゼレンスキー大統領らウクライナ首脳や西側諸国の閣僚の信望が厚く、ジョンソン前首相の有力後任候補との評判もあった。

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ニューズレター https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?n_cid=DSREA_newslettertop 』

二・二八事件

二・二八事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 ※ 知らん人が殆んどだろうが、こういう歴史の一幕もあったんだ…。

 ※ 『非情城市』とか、レンタルビデオ屋から借りて来て、視た記憶がある…。

 ※ やたら、キレイな画像、美しい音楽だったな…。

『二・二八事件(ににはちじけん, 拼音: Èr’èrbā shìjiàn)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権(在台湾の中国人)による長期的な白色テロ、すなわち民衆(当時はまだ日本国籍を有していた台湾人と日本人)弾圧・虐殺の引き金となった事件[1]。

1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた台湾人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には台湾人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。台湾人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は中国から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。

背景

中国国民政府軍と官員を出迎える台湾の学生たち(1945年)

1945年に日本が敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府の官僚や軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目で台湾の行政を引き継いでいた。

中国から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。中国から来た軍人・官僚は、当時の国共内戦の影響で質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が処罰されぬことがしばしばあった。

“Chinese Exploit Formosa Worse Than Japs Did”(ザ・ワシントン・デイリーニュース)

もし罰せられる場合でも、犯人の籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、中国上海市の国際市場で競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的に物価は高騰、インフレーションによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。

日本統治時代の台湾では、皇民化教育政策などはあったが、不正は少なく、帝国大学も創設され、インフラストラクチャも整備した台湾の経済は、日本内地の地方都市を超えて東京市と同じ水準だった[2]。日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい汚職、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。

経緯

専売局台北分局前に集まった群衆(1947年2月28日)
台北市民に焼き討ちされた専売局台北分局
当時の弾圧を描いた木版画
台湾省警備総司令部のビラ(中国語とともに日本語も併記している)

戦後の台湾では、日本統治時代の専売制度を引き継ぎ酒・タバコ・砂糖・塩等は全て中華民国によって専売された。しかし、中国ではタバコは自由販売が許されていたため、多くの台湾人がこの措置を差別的と考え、不満を持っていた。

1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた女性(林江邁、40歳、2人の子持ち寡婦)を、中華民国の官憲(台湾専売局台北支局密売取締員6名と警察官4名)が摘発した。女性は土下座して許しを懇願したが、取締官は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収した。タバコ売りの女性に同情して、多くの台湾人が集まった。すると取締官は今度は民衆に威嚇発砲したが、まったく無関係な台湾人である陳文渓に被弾・死亡させてしまい、逃亡した。

この事件をきっかけとし、民衆の中華民国への怒りが爆発した。翌28日には抗議のデモ隊が省行政長官兼警備総司令陳儀の公舎に大挙して押しかけたが、庁舎を守備する衛兵は屋上から機関銃で銃弾を浴びせかけ、多くの市民が死傷した[3][4]。

激怒した台湾人民衆は国民政府の諸施設を襲撃し、中国人商店を焼いた[3]。日本語や台湾語で話しかけ、答えられない者を中国人と認めると暴行するなどの反抗手段を行った。台湾住民の中には日本語が話せないグループもいたが、「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、台湾人たちは全台湾人共通の合言葉として「君が代」を歌い、歌えない者(中国人)を排除しつつ行進した。また、台湾人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と全島に呼びかけた[5]。

3月1日からは各主要都市で民衆が蜂起して官庁や警察を占拠し、中国人を殴打した[3]。台南では台南飛行場が占拠され、旧日本軍の飛行機で東京に飛んでマッカーサー元帥に陳情してGHQの占領下に組み入れてもらおうとする者もいた(機体の部品が欠損していたため果たせず)[5]。高雄では要塞司令の彭孟緝がこれに対し武力掃討を行い、多くの死者を出している[4]。

3月4日には台湾人による秩序維持と食糧確保のための全島処理委員会が成立。事態の収拾に向けて、知識人や地方名士からなる二・二八事件処理委員会も台湾各地に組織され、台北の同委員会は3月7日に貪官汚吏の一掃・省自治の実施・政府各機関への台湾人の登用などの改革を陳儀に要求した[3][4]。

劣勢を悟った中華民国の長官府は、一時台湾人側に対して対話の姿勢を示したが、裏では中国の国民党政府に密かに援軍を要請していた。陳は「政治的な野望を持っている台湾人が大台湾主義を唱え、台湾人による台湾自治を訴えている」「台湾人が反乱を起こした」「組織的な反乱」「独立を企てた反逆行為」「奸黨亂徒(奸党乱徒)に対し、武力をもって殲滅すべし」との電報を蔣介石に送っている。

国民政府主席蔣介石は陳儀の書簡の内容を鵜呑みにし[注釈 1]、3月8日に中国から援軍として派遣された第21師団や憲兵隊が到着した。これと連動して、陳儀の部隊も一斉に反撃を開始した。裁判官・医師・役人をはじめ日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された。また、国民党軍の一部は一般市民にも無差別的な発砲を行っている。基隆では街頭にて検問所を設け、市民に対し、北京語を上手く話せない台湾人を全て逮捕し、針金を台湾人の手に刺し込んで縛って束ね、「粽(チマキ)」と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだという。台湾籍の旧日本軍人や学生の一部は、旧日本軍の軍服や装備を身に付けて、国府軍部隊を迎え撃ち、戦った(「独立自衛隊」、「学生隊」等 )。しかし、最後はこれらも制圧され、台湾全土が国府軍の支配下に収まった。

嘉義市の議員で民衆側に立った陳澄波(中国語版)が市中引き回しのうえで嘉義駅前で銃殺されたのをはじめ[4]、この事件によって多くの台湾人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。犠牲者数については800人〜10万人まで様々な説があり[7]、正確な犠牲者数を確定しようとする試みは、いまも政府・民間双方の間で行なわれている。1992年、台湾の行政院は、事件の犠牲者数を1万8千〜2万8千人とする推計を公表している[8]。

事件当時地区ごとに度々発令された戒厳令は台湾省政府の成立をもって一旦は解除された。しかしその後、1949年5月19日に改めて発令された戒厳令は38年後[9] の1987年まで継続し、白色テロと呼ばれる恐怖政治によって、多くの台湾人が投獄、処刑される根源となった。また、内外の批判によって国民党政府が漸く戒厳令を解除した後も、国家安全法によって言論の自由が制限されていた。今日の台湾に近い形の「民主化」が実現するのは、李登輝総統が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められてからのことである。

その後

二二八和平公園の慰霊塔(台北市)
二二八和平記念碑の碑文(台北市)
二・二八紀念館(二二八和平公園内。建物は旧台湾放送協会 (THK) 台北支局)。
旧台湾放送協会台北支局(1931年)
二二八紀念碑(嘉義市)

事件後、関係者の多くは処刑されるか身を隠すか、あるいは国外逃亡を企てた。

後に中華民国総統を務めた李登輝は留学経験者という知識分子であったため処刑を恐れて知人宅に潜伏し、ほとぼりの冷めるのをまった。外国人初の直木賞受賞作家であり実業家の邱永漢は学生運動のリーダーであったが、当局の眼を掻い潜って出航。香港を経由して日本に逃亡した。亡命者の中には反国民党を掲げたものもあったが、当時は東西冷戦の時代であり、反国民党=親共産党とみなされて、日米ではその主張は理解されなかった。

中国国民党政府は、事件後、戒厳令を38年の間施行した[10]。戒厳令下の台湾では政治活動や言論の自由は厳しく制限され、白色テロと呼ばれる人権抑圧が行われた[11]。

事件は台湾人と中国人の間に亀裂をもたらし、事件について語ることは長年タブーとなっていた[12]。

しかし時が経つにつれ、これを話題にすることができる状況も生まれてくる。当初、国民党は台湾人に高等教育を与えると反乱の元になる、と考えていたが、経済建設を進めるに当たって専門家の必要性が明白となり、方針を転換して大学の建設を認めた。

戒厳令解除後の1989年に公開された侯孝賢監督の映画『悲情城市』は二・二八事件を直接的に描いた初めての劇映画で、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。[12]

李登輝体制下で事件の再調査が行われ、1992年に長大な調査報告書が作成された。

同年の1992年、史上初の『二・二八メモリアルコンサート』が、台湾の西洋オペラの父、自由と民主の戦士の音楽家としても知られる曾道雄(指揮)らによって実現された。曲目はモーツァルト作曲『レクイエム』とブラームス作曲『運命の歌』。当時『二・二八事件』はタブー視されていた用語でありコンサートを開催すること自体、前代未聞であった。これら音楽家の決意を評価した李登輝総統は、このコンサートに参加し謝罪スピーチまで行った。国民党内での自身の政治的基盤が未だ完全に確立していない事を承知の上、政治的リスクを負ってまで参加した李総統の勇気に文芸界と犠牲者家族から高い評価と敬意が向けられた。

1995年2月には台北新公園(現・二二八和平公園)に二・二八事件記念碑が建てられ、李自らが除幕式で公式な謝罪の意を表明した[3]。同公園内の台北二二八紀念館や台北市内の二二八国家記念館で、事件の資料が展示されている。

なお、二・二八事件については、当時台湾共産党が中国共産党の指令を受けて、国民党政権を倒すべく民衆の蜂起を煽ったとの説もあるが、これに対し、それは蔣介石が台湾人を虐殺するための口実だったという反論もある。[要出典]

2006年には、二・二八事件の最大の責任者は蔣介石だとする研究結果が発表された[13]。
外国人犠牲者への対応

二・二八事件が発生した当時、基隆市の社寮島(現・和平島)に約30人の琉球人漁民が残ったが、中国語が分からなかったため処刑された。2011年に訪台した沖縄県議員・當間盛夫らの要請により、「琉球漁民銅像記念碑」が設立された[14][15][16][17]。

2016年2月17日、台北高等行政法院は外国人犠牲者へ初めて賠償を認める判決を下し、二二八事件記念基金会(中華民国政府から委託を受け事件処理を行う基金)に対して犠牲になった与論島出身の日本人遺族の一人に600万台湾元(約2050万円)の支払いを命じた[1]。また、これ以外にも日本人1人を含む外国人2人が犠牲者として認定を受けた。一方、事件前に与那国島から台湾へ渡ってそのまま失踪した2人は2017年7月と2018年3月に外国人犠牲者の認定申請が却下された[18]。

関連作品

映画

『悲情城市』 侯孝賢監督、1989年台湾作品。主な出演者:李天祿(リー・ティエンルー)、陳松勇(チェン・ソンユン)、高捷(ジャック・カオ)、梁朝偉(トニー・レオン)、辛樹芬(シン・シューフェン)
『好男好女』 侯孝賢監督、1995年台湾・日本合作作品。主な出演者:伊能静、林強(リン・チャン)、高捷(ジャック・カオ)
『天馬茶房』 林正盛監督、1999年台湾作品。主な出演者:林強(リン・チャン)、蕭淑慎(シァウ・シュウシェン)、龍紹華(ロン・シァウファー)、陳淑芳(チェン・シュウファン)
『傷痕228』 鄭文堂(中国語版)監督、セミ・ドキュメンタリー(一部再現ドラマ)、2005年台湾作品。
『台湾人生』 酒井充子監督。日本統治時代と戒厳令を乗り越えて、今を生きる人々の声に耳を傾けたドキュメンタリー。2009年日本作品。
Taiwan 228 Massacre 60 Years On: 1947-2007 (紀念康阿裕) - 二・二八事件で蔣介石の中国国民党の軍隊から拷問を受けた康阿裕の証言。

音楽

蕭泰然『1947序曲(中国語版)』(1994年)- 曲中歌われる『台灣翠青(中国語版)』は台湾独立運動の一環である「台湾共和国」の「国歌」とされている。
ChthoniC 『十殿(英語版)』(2009年)

中国、日台に「離間の計」か 日本統治下に60万人殺害説

中国、日台に「離間の計」か 日本統治下に60万人殺害説
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM269QE0W2A820C2000000/

『中国が再び日本に接近している。台湾有事で日本が米軍や台湾の本格支援に回る事態を警戒し、日本の世論が中国から離れないように緊張緩和を探っている。一方で日本がかつて「60万人以上」の台湾の人を殺害したとの情報戦を展開。日台間の連携を阻止するべく「離間の計」を進めている。

8月中旬まで中国では日本を巡る悪い話で持ちきりだった。8月10日に中国江蘇省蘇州市で、浴衣を着て写真撮影しようとしていた女性が警察から、「(中国人にもかかわらず)和服を着ている」と詰め寄られて一時拘束された。日本の夏祭りをイメージしたイベント「夏日祭」も、次々と中止に追い込まれた。
反日から一転、日本に秋波

風向きが変わったのは17日だ。中国側の求めで、秋葉剛男国家安全保障局長と中国の外交担当トップの楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員が中国・天津で会談した。日中間の「建設的で安定的な関係」を実現するため、対話を継続すると一致した。

9月29日の日中国交正常化50年に合わせて岸田文雄首相と習近平(シー・ジンピン)国家主席が電話協議をする案も浮上している。

8月22日に習氏は新型コロナウイルスに感染した岸田氏にお見舞いの電報を送り「国交50年」の重要性に触れた。

きっかけは8月上中旬に開かれたとされる「北戴河会議」とみて間違いないだろう。北戴河は首都・北京から近い河北省の避暑地で、党幹部や引退した長老らが別荘に集まり、党の重要政策や人事を話し合う場とされる。
 会談前にペロシ米下院議長(左)と握手をする岸田首相(8月5日、首相公邸)

8月上旬にペロシ米下院議長が台湾を訪問し、日本にも足を運んだ。岸田首相は公邸に招いてもてなしており、北戴河会議で台湾情勢を巡る日米の連携が議題に上ったとみるのが自然だ。習氏が異例の3期目を確実にしようとしている秋の党大会を前に、日本が台湾問題に関与を深めようとしているのは大きな痛手といえる。

中国は台湾有事で日本の自衛隊が米軍支援にどの程度回るかを注視している。それを左右する日本の世論が「反中」で固まり、米軍と台湾への支援で一致する事態への警戒が高まっている。今後も首脳協議や政府高官らの対話の機会を増やし、あの手この手で日本を”懐柔”していくとみられる。

8月中下旬に中国共産党の党外交を推進する中央対外連絡部が主催する形で、北京の日本大使館や日系企業、政府系機関の関係者らが参加する雲南省の視察が実施された。現地では雲南省ナンバー2の副書記が現れ、あまりの「熱烈歓迎」ぶりに戸惑う関係者もいた。
中国、日本懐柔の一方で情報戦

一方で、中国は台湾向けに情報戦を仕掛けている。8月8日、中国外務省の汪文斌副報道局長が日本の台湾統治期間中に「60万人以上」を殺害したと主張した。15日付の中国共産党の機関紙、人民日報の重要コラム「鐘声」でも「日本は60万人以上の台湾同胞を殺害し、書き尽くせぬほどの犯罪を犯した」と強調している。

中国側が数字の具体的な根拠を示していないことなどから、日本ではほとんど取り上げられていない。日本統治下の台湾で抗日運動が起こり、日本側が弾圧した事実はあるが、当時の台湾の人口は最大600万人超で、その約1割以上が殺害されたというのは、単なる主張としても無理のある数字だ。日本経済新聞は8月17日に中国外務省に60万人の数字の根拠を書面で質問したが、9月1日時点で回答はない。

だが、すでに中国のブログなどでこの「60万人」の数字が転載され、独り歩きを始めている。同じ中国語圏の台湾では日本の無関心を見越した情報戦が始まりやすいとみられる。日本が気づかぬうちに台湾へ広がり、将来、日台間で思わぬトラブルに発展する懸念をはらむ。

日中間で政府・民間を問わずにパイプを増やし、意思疎通を強化するのはお互いに利点がある。だが、中国のほほ笑み外交の裏で新たな「歴史戦」が始まる可能性があることには注意が必要だ。

(北京=羽田野主)

[日経ヴェリタス2022年9月4日号掲載]
日経ヴェリタス https://www.nikkei.com/theme/?dw=20062208 』

フランス上院議員団、7日に台湾訪問 副総統と会談へ

フランス上院議員団、7日に台湾訪問 副総統と会談へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM06B5P0W2A900C2000000/

『【台北=中村裕】シリル・ペルバ氏ら5人のフランス上院議員団が7日、台湾を訪問する。台湾外交部(外務省)が6日発表した。12日まで滞在し、台湾ナンバー2の頼清徳副総統らと会談する予定だ。インド太平洋地域の平和と安定などについて意見交換し、関係を強化する。中国の反発は必至だ。

台湾外交部は「心から歓迎する」とコメント。「(フランスからは)過去1年間で4回目の訪問となり、台湾とフランスの友好関係が示された」などと指摘した。

欧州連合(EU)加盟国からは仏議員の台湾訪問が目立つ。2021年10月に上院議員団、同12月は下院議員団が訪台。6月にも上院議員団が台湾を訪れた。いずれも蔡英文(ツァイ・インウェン)総統と会談した。』

ロシアのガスプロム、中国向けガス輸出決済を両国通貨に

ロシアのガスプロム、中国向けガス輸出決済を両国通貨に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR06BVN0W2A900C2000000/

『ロシア国営ガスプロムは6日、中国に輸出する天然ガスの決済について、両国の通貨であるルーブル建てと人民元建てに移行すると決めたと発表した。ウクライナに侵攻したロシアに制裁を科す米欧に対抗する狙いだ。中ロ間のガスパイプラインの輸出先となる中国の中国石油天然気集団(CNPC)との長期契約で適用する。従来は米ドル建てで決済していたとみられる。

ガスプロムは「新しい決済の仕組みは、お互いにメリットがある」と説明した。

ロシアの有力銀行は制裁の一環として国際決済システムから除外された。ロシアはこれまで、欧州に供給するガスの代金決済でルーブル建てを求めていた。』

四川大地震

四川大地震
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%B7%9D%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87

 ※ 中国、四川、地震…、と聞くと、どうしてもコレが思い出される…。

『2008年四川地震(しせんおおじしん、しせんだいじしん)は、中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で現地時間(CST)2008年5月12日14時28分(UTC6時28分)に発生した地震のことである。

中国地震局は「汶川地震(ウェンチュアンディジェン、ぶんせんじしん、拼音: Wènchuān dìzhèn)」という名称を基本として、広域名の四川省や地震規模を組み合わせた「四川汶川8.0級地震」とも呼び、中国国内の報道などでは歴史的事件の名称でよく用いられるような発生日に基づいた「512大地震」とも呼んでいる。 』

『地震活動の詳細

地震のメカニズム

この地震は、四川盆地の北西端にあって北東から南西の方向に走る衝上断層(断層面が水平に近い逆断層)が動いた結果として起こったとみられている。この断層は龍門山脈の下を走る龍門山断層(ロンメンシャン断層、龍門山衝上断層帯、Longmenshan Thrust Zone)と呼ばれる長さ約300kmの断層帯の一部だとみられている。

地震が発生したこの付近は、標高5,000m級の山が連なるチベット高原から標高500m前後の四川盆地へと急激に標高が低くなる地帯であった。このような急な地形が形成された要因であり、この地震の要因でもあるのがこの付近で活発な地質活動(隆起、沈降、地震といった大地の動きの総称)である。

インド亜大陸などが乗ったインドプレートは1年間に数cmというスピードで北に動いていて、中国をはじめとしたユーラシア大陸の大部分が乗ったユーラシアプレートを強く圧迫している。数千万年前から続くこの動きによってもともとあった山塊や付加体が隆起して、ヒマラヤ山脈やチベット高原といった高地ができた。このプレートの動きは現在も続いており、ヒマラヤ山脈やチベット高原は強い圧迫の影響を受け続けている。この影響はチベット高原の北部では北方向への圧縮、同高原の東部では東方向への圧縮となり、四川盆地の西側でも東方向へ地殻が圧縮されている。また、GPS測地によって新たに考案されたプレート区分においても四川盆地の西側は南方向に動くユーラシアプレートと南西方向に動く揚子江プレートの境界部分に当たる。四川盆地の西の縁は、何らかの理由によりその圧縮の力が集中していると考えられている。

このような条件の下で四川盆地西縁には活構造ができ、地形も急になった。四川盆地西縁の活構造は康定断層帯(鮮水河―小江断層帯。厳密には、四川盆地西縁の活構造に属するのは断層帯の南東側半分のみ)や龍門山断層帯といった多数の断層を有している。また、龍門山断層帯は構造地質学上、アルプス・ヒマラヤ造山帯と揚子江卓状地(シナ地塊の一部)の境界部分に位置している。この地域は寧夏回族自治区・甘粛省東部・四川省西部・雲南省に連なる「南北地震帯」の中にあり、古くから地震の多い地帯ということが知られていた。

プレートの境界と動きのベクトル
(USGSの図 をもとに作成)

1933年8月25日には今回の地震の震源から北北東に約110km離れた地点(茂県畳渓鎮)を震源とするM7.5の地震(茂県地震)が発生、1958年2月8日には北川県でM6.2の地震(北川地震)、1960年11月9日には松潘県でM6.8の地震(松潘地震)、1970年2月24日には大邑県でM6.2の地震(大邑地震)、1976年8月16日・23日にはM7.2の地震が2回(松潘・平武地震)発生するなど、龍門山断層帯の周辺で発生したものと見られる地震は20世紀だけでも多数ある。また、龍門山断層帯にYの字型に接している康定断層帯でも同じように地震がたびたび起きている。ただし、龍門山断層帯の周辺で発生した地震はいずれも龍門山断層帯で発生したものではなかった。ある研究では平均変位速度は1mm/1年以下と非常に動きが遅く1千万年前以降はほとんど活動していないとされており、かなりの長期間に渡って静穏期に入っていたと見られている。今回の地震は、この静穏期の終わりを告げるものであり、従来の地質学では「古い断層」「活動していない断層」とされている龍門山断層帯で地震が発生したことは衝撃を与えた[3][4][5][6][7]。

また2001年11月14日のチベット北部の地震(M8.1)、2002年のアフガニスタン北部の地震(M7.4)、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)、2005年のスマトラ島沖地震(M8.6)やパキスタン地震(M7.6)、2006年のジャワ島南西沖地震(M7.2)、2007年のスマトラ島沖地震(M8.5)、2008年の新疆ウイグル自治区の地震(M7.2)など、インドプレートとユーラシアプレートの境界地域で地震が頻発していることからこの地域が地震の活動期に入っており、向こう20年程度は大規模な地震が続発する恐れがあるとの指摘もある[8]。

本震
色により震度を示した図(USGSによる)

発生時刻 - 2008年5月12日14時28分(現地時間、UTC+8)、15時28分(日本時間、UTC+9)
震源 - 四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県・北緯31度01分5秒、東経103度36分5秒、深さ19km
震源断層 - 龍門山断層の南部、逆断層、直下型(プレート内)地震、長さ約285km±5km[9]
地震の規模 - マグニチュード Ms 8.0(中国地震局)[2]、Mw7.9 (USGS)[1]
    中国地震局は当初地震の規模をM7.8と発表していたが、その後の再解析でMs8.0に修正した[2][10]。アメリカ地質調査所(USGS)は当初Mw7.8と発表し、後にMw7.9に修正した。
    M7.9〜M8.0といえば、いずれも直下型地震(プレート内地震)としては世界最大級の規模だった、1927年の古浪地震や2001年のインド西部地震、日本では1586年の天正地震や1891年の濃尾地震に匹敵する規模である。
    なお、日本の気象庁もアメリカ地質調査所と同じMw7.9と発表している。

北京、上海、香港など、北部の黒竜江省、吉林省、新疆ウイグル自治区を除く中国本土のほとんどの地区や台北[11]、バンコク、ハノイなどで体に感じる揺れが報告されている[12]。

このように広範囲で揺れが観測された理由としてこの地域がユーラシア大陸の強固な岩盤の上にあって地震波が減衰しにくいこと、震源が浅く規模が大きかったため、水平方向に伝播しやすく減衰しにくい表面波(レイリー波)が強くなったことなどが挙げられている。日本の長野県にある気象庁精密地震観測室(現在の気象庁松代地震観測所)では15時41分、18時10分、20時40分(いずれもJST)の4回にわたって表面波を観測し、表面波が地球を2周したことがわかった[13]。また、東京大学地震研究所は、防災科学技術研究所の広帯域地震観測網(F-net)がとらえた地震波形の解析結果から、地震波が地球を6周したと発表した[14]。

名古屋大学の山中佳子准教授の解析によると地下の断層は長さ約120km、幅約40kmにわたる範囲で大きく動いたとみられ、1995年の阪神・淡路大震災を招いた断層は長さ40〜50kmとみられることから今回の断層は長さで2倍以上、地震のエネルギーは約20倍に相当するとみられるという[15]。

また筑波大学の八木勇治准教授らは、長さ約250kmにわたる断層が2段階にわけて動いたとする分析結果を出している。地表近くで最も大きくずれ震源近くでは地表に約7mの段差が現れているとみられ、地震の破壊力は阪神大震災の30倍にもなるという[16]。断層の中に「特にずれが大きい場所が2か所ある」としている[16]。

余震

余震は長期間続き、5月22日までに782回観測されている[17]。中国地震局は24日までにM4.0以上の余震が173回、そのうちM5.0以上が27回、M6.0以上が4回あったと報告した。

8月30日午後4時半(日本時間同5時半)ごろ、雲南省に程近い四川省攀枝花市と涼山イ族自治州の境界付近を震源とするマグニチュード6.1の攀枝花地震が発生、死傷者は600人以上で100万人以上が被災した。5月の大地震と同じ断層の南端のズレに起因するものの、余震ではなく別の地震とみられている[18]。

被害

揺れと地滑りで大きな被害が出た北川チャン族自治県。農業発展銀行の北川県支店(前)と宿舎(後)

この地震によって道路や電力・水道・通信などライフラインが寸断された。2008年7月22日、中国民政部の報告によると、現地時間21日正午現在までで、この地震による死者は6万9197人、負傷者は37万4176人に上り、1万8222人がなおも行方不明となっている[19]。14日時点での発表によれば、家屋の倒壊は21万6千棟、損壊家屋は415万棟である[20]。中でも学校校舎の倒壊が四川省だけで6898棟に上り、校舎倒壊による教師と生徒の被害が犠牲者全体の1割以上を数え、学校建築における耐震基準の甘さと手抜き工事の横行が指摘された[21][22]。11月21日の四川省副知事による発表では生徒の死亡者数を1万9065人とし、これは9万人以上とされる死者、行方不明者全体の2割を超えている[23]。国際連合の国際防災戦略(ISDR)は死者は8万7476人としている[24]。

地震により避難した人は約1514万7400人、被災者は累計で4616万0865人となった。

震源地の汶川県映秀鎮の死者、行方不明者は全人口1万人の約8割の少なくとも7,700人に上った[25]。

死者・行方不明者が多い地震(世界) 順位 震央 発生日 (UTC) 死者・行方不明者数 (人) 規模 (M)
1 中国, 華県 1556年1月23日 約 830,000 8.0
2 ハイチ,ポルトープランス 2010年1月12日 約 320,000 7.0
3 アンティオキア 115年12月13日 約 ≧ 260,000 7.5
4 アンティオキア 526年5月29日 約 ≧ 250,000 7.0
5 中国, 唐山 1976年7月28日 約 ≧ 240,000 7.8
6 中国, 海原 1920年12月16日 約 200,000 – 240,000 8.6
7 インド洋大津波 2004年12月26日 約 230,000 9.1
アゼルバイジャン, ギャンジャ 1139年9月30日 約 230,000 –
9 中国, 洪洞 1303年9月25日 約 ≧ 200,000 7.6
10 イラン, ダームガーン 856年12月22日 約 200,000 7.9
11 イラン, アルダビール 893年3月23日 約 150,000 –
12 シリア, アレッポ(英語版) 533年11月29日 約 130,000 –
シリア, アレッポ 1138年10月11日 約 130,000 7.1
14 イタリア, メッシーナ 1908年12月28日 82,000 – 120,000 7.1
15 トルクメニスタン, アシガバード 1948年10月6日 約 110,000 7.3
16 日本,関東 1923年9月1日 105,385 7.9
17 中国, 直隷 1290年9月27日 約 100,000 6.8

また、都江堰市を流れる岷江の上流にある紫坪埔ダムなど複数のダムに亀裂が生じたり土砂崩れによって川が堰きとめられて地震湖が生じるなどの被害が確認されており、ダムの緊急放流や下流域からの避難を含む対策が取られている[26][27][28]。

世界遺産、文化財などの被害

多くの観光客が訪れる地域で起きた地震であったため、文化財などにも大きな被害が出ている。例えば都江堰を建設した父子を祀った二王廟では、山門の一部が倒壊し、本堂にも被害が出ている。また、江油市の李白旧居も山門が全壊し、建物も一部が損壊した。

九寨溝においては、九寨溝地域そのものや九寨黄竜空港への道は大きな被害がなかったものの、成都市からの陸路(西回り国道213号、東回り省道205号)が甚大な被害を受け通行不能となり、空路のみとなった。道路復旧に難航したが、2010年11月に、国道213号の復旧により、従来通りの陸路が全面回復した。

西安市郊外の兵馬俑坑でも7体の兵馬俑が損傷した[28]。

地震に便乗した犯罪

被害者の救済のための寄付金と称する詐欺事件が発生している[29]。また、中国紅十字会(赤十字社)のサイトが不正侵入による改竄を受け、義援金の振込先を別の口座番号に書き換えられる被害が出た[30]。

前兆現象

地震発生の数日前から、複数の宏観異常現象が観測されていた事が明らかになっている[31][32]

5月10日、四川省綿竹市西南鎮の檀木村で、数十万匹のヒキガエルの大規模な移動があった[32]。
地震の数日前、四川省に近い湖北省の恩施の池で、8万トンの水が5時間でなくなった[32]。

中国国内の反応

天安門広場に掲げられる半旗(2008年5月19日)
香港、中環(セントラル)で掲げられる各国の半旗(2008年5月19日、なおサウジアラビアの国旗は半旗にしてはいけないことになっている)

5月18日までに、武装警察部隊や人民解放軍など15万人近くが現地に動員された[27]。

温家宝総理は即日被災地入りし、地震対策本部を設置するとともに被災地で陣頭指揮を執っている。また、震災5日目には胡錦濤党総書記も震災地の視察を行った[33][34]。中国公安部はデマを流したり、扇動を行ったりする者には厳しい対処を行うと通知している[35]。

またネットでは、専門家が今回の大地震を予報したが、中国の地震局がこれを無視したとの発表もされた[36]。

四川省綿竹市にある、地震発生時刻を指して止まった時計塔は、そのままの状態で永久保存されることになった[37]。最も被害のひどかった北川は、町の再建が不可能と判断し住民全員を移住させ、町全体を「地震教育基地」として保存することになると言われている[38]。

5月18日、中国国務院より、19日から21日までの3日間は全国哀悼日と制定[39] され、中国国内のほか海外の中国大使館などで半旗が掲げられ、この地震による死者に弔意を表した。これは中国の歴史上、初めて自然災害による死者のために、天安門広場で半旗が掲げられたことになる。また、全国の映画館や劇場などの公共娯楽施設の営業が禁止された[40]。

全国哀悼日の初日である5月19日には、地震の発生時刻である14時28分に全国一斉に3分間の黙祷をささげた。電車、船、車などは汽笛を鳴らし、防空警報も鳴らされた。この模様は、中国全土に生中継され、夕方のニュースでも大々的に取り上げられた。この全国哀悼日の期間、各地で政府機関や学校、または市民らの自発的な行動により、募金活動やろうそくを使った追悼集会などが行われ、市民らが「中国加油! 四川加油!(中国がんばれ! 四川がんばれ!)」と声援を送る様子が震災特別番組にて繰り返し流された。

2009年3月2日、中国民政部により四川大地震発生日である毎年5月12日を「防灾减灾日(=防災減災日、防災の日)」と制定された。国民の防災意識を高め、防災に関する知識を普及するのが目的。1年目となる2009年には、四川汶川県映秀鎮にて中国共産党総書記である胡錦濤や国務院副総理である李克強らが参加する追悼式典が行われた[41]。また、中国各地でも追悼式典や、防災訓練などが行われた。

北京オリンピックへの影響

北京オリンピック組織委員会は中国各地で行われる聖火リレーではリレー開始前に1分間の黙祷を行い、関連イベントも縮小すると発表した[42]。だが地震発生翌日の13日に行われた福建省竜岩市でのリレーではスタート時に黙祷などの犠牲者を悼む行事は全く行われず、ネット上には「われわれ中国人には良心のかけらもないのか」「聖火リレーをやめ、節約したお金を救援活動に回すべきだ」といった批判的な書き込みも多数寄せられた[43]。

地震直後にはリレーの日程自体やコースは変更しないと発表していたが[44]、地震発生から1週間目にあたる5月19日から21日までは追悼のため一時中止した。また、6月中旬に予定されていた四川省内でのリレーは8月の開会式直前に延期[45]、チベットでは3日間の予定を1日に短縮した[46]。

義捐金を巡る騒動

義捐金について便乗した詐欺(上述)が発生したほか様々な事件が起きている。

中国のテレビ局中国中央電視台(CCTV)は被災地への支援を国民に呼びかけるキャンペーンを行っている[47] が、このテレビ局が14日に全国放送のニュース番組「新聞聯播」の中で聖火リレー中にランナーらに募金を宣伝する際に募金活動の「やらせ」が発覚し、ネット公開されていた同ニュースの該当箇所が削除されるなどの事件も起きている[48][49]。CCTVはこれを「編集ミスにより『記念撮影』が『義援金の募金』の場面として放送されたもので、やらせや偽善ではない」として、視聴者と撮影されたランナーに謝罪した[50]。

広東省の中学校では募金活動でも「やらせ」が行われ、その現場をビデオで隠し撮りした生徒が「これは私がこれまでに見た、史上もっとも恥知らずの募金行為だ」と語っている[51]。

中国内のネチズンの一部により、本来善意で行われるはずの義捐金の額が少ないとして外資企業を非難する、といった行為もなされ[52]、義捐金の額が少ない、としてケンタッキー・フライド・チキンの店舗などが襲撃される事件も発生した[53]。また、中国商務部により、義捐金の支払いが遅れている外資企業名を公表し、支払いが催促される[54] ということもあった。

なお、義援金は約767億元(報道時点のレートで約1兆600億円)集まったが、そのうちの約8割が政府の税収となったとの指摘がある[55]。

メディアの反応

5月19日から21日までの全国哀悼日の間は通常の番組及び、商業広告が禁止され、CCTVや地方局制作の震災特別番組のみが放映され、通常左上に有るテレビ局の表示もモノクロで表示された。以降、「众志成城抗震救灾(=衆志成城抗震救災,気持ちをひとつにして、震災に打ち克とう)」をスローガンに7月24日現在でも、地元四川のテレビ局を中心に、震災関連の番組が放映されている。

5月19日、北京にてこの地震を基にした「震撼世界的七日(世界を震撼させた7日間)」が、CCTV-1(総合チャンネル)のゴールデンタイムに7月16日から全14話で放映される事が発表された[56][57]。その後、各地方テレビ局でも放映された。

ポータルサイトであるYahoo!中国・香港。Google、新浪網なども、モノクロトーンの画面へとデザインが変更された[58]。また、5月19日の黙祷の期間中Googleのユニークアクセス数(訪問者数)が通常の10分の1になったという[59]。

中国、香港、台湾の新聞各紙も、白黒のみの構成になり、テレビ番組や芸能ニュースなどはまったくなく、この地震関連のニュースで誌面が埋まった [60]。

5月12日の地震発生時、四川省成都空港に偶然居合わせたテレビ東京のカメラマンが地震で逃げ惑う人々の撮影に成功し、その映像が全世界に配信された。アメリカ三大ネットワークとCNN、イギリスBBC、中東アルジャジーラ、韓国KBS、またロイター通信を通してその他の国に配信された。テレビ東京としては自社のクレジットが入った映像が全世界に配信される初の出来事であった。5月12日当日のテレビ東京ワールドビジネスサテライトは地震の映像をトップニュースで伝え、当日予定されていたニュースラインナップが大幅に変更されることになった。なお、中国中央電視台(CCTV)が四川大地震として公開している映像は地震が発生した5月12日のものではない。中国中央電視台の撮影クルーが被害の大きかった四川省汶川県を取材中に起きた余震を撮影したものである。

中国国外の反応

各国政府・組織

倒壊した建物(都江堰市)

Olympic flag.svg 国際オリンピック委員会:ジャック・ロゲ会長は、哀悼の意を表明している。胡錦濤国家主席に対しては、「この困難な時期にはオリンピックがあなた達の味方になります。私達はあなた達に配慮を行います」と述べている[61]。また、オリンピック委員会は災害救援として100万ドルの支援を行うことを決定した[62]。

Flag of the United Nations.svg 国際連合:国際連合人道問題調整事務所のElizabeth Byrsはジュネーブで行われた記者会見で、必要ならば国連災害評価調整チームを中国に派遣する準備ができていると述べた[63]。

Flag of Europe.svg ヨーロッパ連合:EUは中国に対し地震への支援を申し出ており、状況の確認を行っている[64]。

オーストラリアの旗 オーストラリア:スティーブン・スミス外相は哀悼の意を表明するとともに、行方不明者の捜索と救助の専門家の派遣を申し出た[65]。

カナダの旗 カナダ:マキシム・ベルニエ外相は、「私達は数千人が犠牲となり、数百人の子供が倒壊した学校の中に閉じ込められていることに深い悲しみを覚える」と述べた[66]。

フランスの旗 フランス:ニコラ・サルコジ大統領は胡錦濤国家主席に宛てた書簡の中で「私は強く心を痛めており、困難な時期にある中国の人々にフランスの支援を行いたい」と述べた[66]。

ドイツの旗 ドイツ:アンゲラ・メルケル首相は哀悼の意を表明するとともに、速やかな支援を行う用意があると述べた[67]。

イランの旗 イラン:イラン外務省のスポークスマンであるムハンマド・アリ・ホセイニは「イラン政府と同様に悼みの意を表明するとともに中国政府と犠牲者の家族への見舞いを述べ、負傷者の一日も早い回復を祈る」と語った[68]。

日本の旗 日本:福田康夫首相は胡錦濤国家主席と温家宝国務院総理に対して見舞いのメッセージを伝えるとともに[69]、5億円分の支援を行うことを決定した。また、東京消防庁の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)を含めた国際消防救助隊などで編成される国際緊急援助隊救助チーム[62]、医師や看護士で編成される国際緊急援助隊医療チームなども派遣された。

ケニアの旗 ケニア:ムワイ・キバキ大統領は災害を悲しんでいると述べた。「政府とケニア国民を代表して、地震によって悲惨な人命の損失を受けた中国の人々に対し、哀悼と励ましのメッセージを送付した」と述べた[66]。

マレーシアの旗 マレーシア:マレーシア外務省は南西部で発生した破壊的な地震で亡くなった人々に対し深い悲しみを表明した。5月15日現在で、地震の揺れを感じた地域では死傷者は出ていないと発表している[70]。

ニュージーランドの旗 ニュージーランド:マイケル・カレン副首相は中国に対してニュージーランドとして同情と哀悼の意を伝え、要請があれば適切な手段で支援を行う用意ができていると述べた[71]。

朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国:金正日総書記は中国共産党と中国政府に深い同情の意を表明し、中国の犠牲者の家族に哀悼の意を伝えた。また、10万ドル(約1000万円)の支援をした[72]。また、北京時間5月19日午後2時28分、中国と同時に震災犠牲者に捧げる哀悼のクラクションやサイレンを鳴らした[73]。

パキスタンの旗 パキスタン:パルヴェーズ・ムシャラフ大統領は中国に対して哀悼の意を伝え、偉大な中国の人々を支え、パキスタンの全面的な支援と連帯を保証すると述べ[74]、5月25日には同国の軍用テントの全備蓄量にあたる2万2260張りのテントを寄付した[73]。

フィリピンの旗 フィリピン:グロリア・アロヨ大統領は地震の被害を受けた中国に医療チームの展開を指示した[75]。

ロシアの旗 ロシア:ドミートリー・メドヴェージェフ大統領は慰めのメッセージを送付し、ロシアは必要であれば支援を行う用意があると述べた[76]。

シンガポールの旗 シンガポール:リー・シェンロン首相は救援チームと被害の回復を支援する人々を派遣する指示を行った[77]。

大韓民国の旗 大韓民国:李明博大統領は胡錦濤国家主席に対し、哀悼の電報を出した[62]。また、100万ドルの支援を行うと発表した[78]。

イギリスの旗 イギリス:デイヴィッド・ミリバンド外相はイギリスからの支援を申し出るとともに、中国への哀悼の意を表明した[79]。

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国:ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)は中国に哀悼の意を表し、「アメリカ国民の思いと祈りは中国の人々と直接ともにある。アメリカ合衆国はできる限り支援を行う用意がある」と述べた[80]。ホワイトハウス報道官のダナ・ペリノは中国がいまだ支援を求めていないことについて、「私達が国としてできることは支援と祈りを奉げることです」と述べた[80]。5月13日にはブッシュ大統領が胡錦濤国家主席と電話で地震等の議題について会談を行った[81]。

サウジアラビアの旗サウジアラビア:震災発生直後、すぐに5000万ドル(約53億3000万円)の義捐金、1000万ドル(約10億7000万円)相当の支援物資を申し出た[73]。

モザンビークの旗モザンビーク: 国民1人当たりのGNPが80ドル(約8500円)にも満たない貧困国にも関わらず、4万元(約60万円)の支援を行った[73]。

ペルーの旗ペルー:中国政府が5月19〜21日に実施した「全国哀悼デー」に合わせて、全国追悼を行った[73]。

トンガの旗トンガ:同様に、全国追悼を行った[73]。

バングラデシュの旗バングラデシュ:同様に、全国追悼を行った[73]。

コモロの旗コモロ:同様に、全国追悼を行った[73]。

カーボベルデの旗カーボベルデ :同様に、全国追悼を行った[73]。

自衛隊派遣

日本政府が追加支援物資を送る際に中国側より「航空自衛隊機による輸送でも構わない」との連絡があり、政府も前向きに検討した[82]。しかし中国国内で「援助には感謝するが、日本軍(自衛隊)の飛行機が入るのは困る」などといった否定的世論や、「地震よりひどいニュース」[83] といった批判などが中国国内に表れ始めたため、自衛隊機による輸送は見送られ民間チャーター便で支援物資が輸送された[84]。

台湾企業

中台関係を改善しようとする馬英九では台湾の大陸に対する人道支援で親交が深まった。芸能界では、日本でも人気がある男性歌手、周杰倫と、女性歌手の蔡依林など台湾を代表する歌手らが名を連ねた。独立志向の陳水扁も人道支援に踏み切った。台湾からの義援金はずば抜けて多かった。国務院台湾事務弁公室の陳雲林は「台湾各界は同胞の骨肉の情から義援金や物資を寄せ、国民党は直ちに共産党中央に見舞いを送った。被災地を代表して心から感謝する」と表明。「呉伯雄の大陸訪問は台湾海峡両岸関係の平和的発展を促す」と述べた[要出典]。

芸能人・有名人

歌手のalanがチャリティーソングの「幸せの鐘」を配信し、売上409万円を全額赤十字に寄付した[要出典]。

シャロン・ストーンの発言

「シャロン・ストーン」および「チベット問題」も参照

2008年5月25日、アメリカ人女優のシャロン・ストーンは、第61回カンヌ国際映画祭において香港のテレビ局の取材に対し次のように発言した。
「 中国のチベット人に対する態度、他者に対し思いやりを持てない中国の対応に憂慮しています。地震が起きたとき、これはカルマかもしれない、って思いました。なにかよくないことをしたとき、悪いことが起きたっていうことあるでしょ?私は、チベット政府から、四川大地震の犠牲者に支援を求める手紙をもらったの。彼らは中国の助けになりたいって思っているの。涙が止まらなかった。たとえ誰かが不親切であったとしても、人のために尽くさなければならないこと、常に謙虚に学ばなければならないことを教えられました[85]。[86] 」

この発言により、香港及び中国国内で非難が噴出し、台湾人女優の伊能静は「中国人は彼女に抗議しなければならない」、香港人の俳優のサモ・ハン・キンポーは「Sストーンにビンタくらわせたい!」などと激怒し、チャン・ツィイーやマギー・チャンら中華圏を代表する女優も非難した。インターネット上ではストーンの出演映画や中国向けの広告塔を務めているクリスチャン・ディオールの不買運動呼びかけの書き込みがなされた[87][88][89]。ストーンは29日に謝罪声明を出したが、ディオールは中国向けの広告中止を決定した[90][91]。

ストーンは出演映画や広告のイメージキャラクターを降板し、損失額が5600万ドル(約59億円)となった。さらに香港の人気美少女モデルのジャニス・マンは「“報い”かどうかではなく、天災は誰もが避けられないもの。キリストが与えた懲罰と思う」と発言している。[要出典]

一般市民

地震発生直後から各国で、支援団体による義捐金募集や、民間団体の街頭募金などが行われている[要出典]。

日本の国際緊急援助隊の派遣

福田首相は12日、四川省の大地震を受けてお見舞いのメッセージを送った。その中で日本政府としてできるだけの支援を行う用意があることも表明した。しかし13日夜、中国政府は「要員の派遣は当面必要ない」と正式に連絡してきた。また日本の民間団体も支援に乗り出そうとしたものの、中国の駐大阪総領事館に「外国からの支援は受け付けていない」とはねつけられる一幕もあった。その後、生存率が極端に低下する地震発生から72時間経過後の15日、日本政府が派遣する救援チームを受け入れることを中国は発表した。ここではこの国際緊急援助チームの活動について記載する[92][93]。

国際緊急援助隊の救助チーム第1陣30人が16日、中国四川省青川県の被災地で救助活動を始めた[94]。
    5月18日 - 日本の緊急援助隊は中国人民解放軍に煙たがられているとの報道[95]。
    北川の中学校と市街地で14遺体収容[96]。
    5月19日 - 発生から1週間が経ち生存者救出の可能性も低くなった事から、救助チームの引き上げ検討を開始[97]。
    5月20日 - 国際緊急援助隊の医療チームが四川省入り[98]。
    5月21日 - 救助チームが帰国[99]。
    5月22日 - 医療チーム、成都市の四川大学華西病院で活動開始[100]。
    6月2日 - 医療チームが日本に帰国[101]。

これらの活動に対し、日本大使館に市民からの感謝の意思が多く寄せられたり、新聞やウェブサイトには日本の援助隊を高く評価する記事が掲載されるなどして、中国国内での世論も反日ムードが一転して、比較的に好印象なイメージをあたえたと報道されているが、中国ネット内BBSの「最も忘れてはならない9か国」には挙げられなかった[73]。

7月8日、北海道で行われている洞爺湖サミットのため来日した胡錦濤主席は、救援隊の代表に会い「中国国民を代表して、日本政府と日本国民に心から感謝します。また、中国国民は永久にこの事を心に刻み続けるでしょう」とスピーチした[102]。

約11年後の2019年に公開された中国映画「流転の地球」では、地球を滅亡から救おうとする中国救助隊に各国の救助隊が加勢するシーンで、四川大地震の際に日本を筆頭に各国の救助隊が現地入りしたのと同じ順序で駆けつける様子が描かれた[103]。』

中国・四川省で地震、66人死亡 軍出動で全力支援強調

中国・四川省で地震、66人死亡 軍出動で全力支援強調
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB06CAM0W2A900C2000000/

 ※ どんどん、「死者数」が増えているな…。

『【北京=共同】中国四川省カンゼ・チベット族自治州瀘定県で5日午後0時52分(日本時間同1時52分)、マグニチュード(M)6.8の地震があり、6日時点で死者が66人に達した。負傷者も250人を超え、当局が救援作業を続けた。中国メディアが伝えた。

当局は人民解放軍や武装警察部隊、消防、医療チームなどによる救援隊6500人余りを出動させた。10月の共産党大会を円満に迎えたい習近平指導部は国営メディアを通じ、被災者支援に全力を挙げる姿をアピールした。

中国メディアによると四川省政府は6日午後に記者会見し、66人が死亡、15人が行方不明となっており、約250人が負傷したと発表した。

瀘定県の震源地周辺には多くの村落があり、隣接する同省雅安市でも被害が出た。国営中央テレビによると、強い揺れや山崩れなどにより少なくとも家屋や施設計約250戸が倒壊し、計約1万3千戸が損壊。寸断された道路の復旧を急いだ。

4万戸以上が停電し、通信設備も被害を受けた。当局が広場に設置したテントなどに5万人余りが避難。被災地は山間部で、現場によっては救援隊が徒歩で向かった。中央政府は被災地支援の資金として、四川省に5千万元(約10億1千万円)を割り当てた。

中国では新型コロナウイルスの感染拡大による行動制限や最近の熱波被害など、暮らしに影響する事態が続く。不満の高まりを警戒する習指導部は地震被害を深刻視し、人命救助を最優先するよう指示した。

四川省は地震が多く、2008年の四川大地震では8万7千人超の死者・行方不明者が出た。

【関連記事】中国・四川の地震で習近平氏に「お見舞い」 岸田首相

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柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
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ひとこと解説

いつも思うことだが、中国に限らず、海外では、この程度の地震は大きな災害になる。それに対して、日本では、M7以下の地震が起きても、日本人はまったく慌てない。あ、地震だ、テレビをつけて、NHKの速報をみて、すぐに日常に戻る。一つは地震に慣れている日本人と慣れていない中国人の違いがあるが、もう一つは負担からの対策の違い。建築基準はまったく違う。人間が地震に怯えるのは住居などについて自信がないからである。東京で大きな地震が起きるたびに、故郷の親族から大丈夫?の連絡が来る。こちらはなにも慌てていない。
2022年9月7日 7:12 』

李首相が逆流阻止、習近平路線の無秩序増長に歯止め

李首相が逆流阻止、習近平路線の無秩序増長に歯止め
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK0331Q0T00C22A9000000/

 ※ 『「黄河と長江が逆流することはない」。』…。

 ※ 『古い黄土文明を捨て、青い外洋へ出よ――。古来、皇帝から庶民まで中華文化圏の中心で生きる人々が固執してきた黄土文明を捨てなければ、中国は衰退し、やがて「球籍」(地球上の戸籍)まで失うことになる。』…。

 ※ 『17年の党大会前には、若手のエース級で重慶市トップだった孫政才をあえて失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分であると示した。』…。

 ※ 『「長江は、後の波が前の波を推し進める」』…。

 ※ 分かりにくい「間接話法」、「比喩表現」で、読んでてちょっとイライラする…。
 ※ 特に、『17年の党大会前には、若手のエース級で重慶市トップだった孫政才をあえて失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分であると示した。』の一文だ。

 ※ これの解釈は、「習氏が、あえて孫政才氏を失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分(=習氏)であると示した。」ということで、いいのか…。

 ※ ともあれ、「国家の発展」を願い、そう仕向けようと画策・行動するのは勝手・自由だが、そういうことは、あくまでも「現実の制約」の中でしか、実現し得ないものだ…。

 ※ そして、「他国」は、別に「貴国」の発展・成長を手助けしなければならない立場に置かれているものでもない…。

 ※ 成長・発展したければ、ご自由に…。

『中国では指導部の世代交代問題、そして重大な政策を巡る路線問題を論じる際、必ずといってよいほど中国を代表する大河である黄河、長江が登場する。

黄河も長江もいにしえの時代から中華文明を育んできた河川であり、指導者らが自らの心境を仮託しやすい。言いにくい話を黄河と長江にかこつけて発信する。その意味では、極めて政治的な暗号として使われてきた。

黄河、長江の逆流なし

「黄河と長江が逆流することはない」。これは首相の李克強(リー・クォーチャン)が8月16、17両日、広東省深圳に入り、港湾を視察した際、青空の下、身ぶり、手ぶりを交えながら朗らかに語った言葉だ。中国メディアの報道によれば、前段は「改革・開放(政策)は引き続き前に進めなくてはならない」という内容だった。

広東省深圳の港を視察する李克強首相(中国国営中央テレビの映像)

李は10月16日開幕が発表された共産党大会を前に、政策路線問題に決着をつけるかのような発信をしたことになる。似た発言は3月にもしたが、今回は「北戴河会議」直後だけに注目度が高かった。とはいえ、反応が大きすぎたため、李が語る映像は中国内では既に見ることができない。

李発言と歩調が合う動きがあった。「(新時代の)新発展段階は、その歴史的な方向と奮闘の目標からみて、まだ社会主義初級段階の歴史の範疇(はんちゅう)を超越していない。この一点は必然的に明確だ」「新発展段階は、初級段階の外にある段階ではない」
中国共産党中央委員会傘下の理論誌「求是」9月1日号が掲載した一連の記事は示唆に富む
しつこく繰り返される解説は、共産党中央委員会が発行する理論誌「求是」の9月1日号に掲載された。ネットでの公開は8月31日で、党大会開幕日発表の翌日だった。筆者は、中央党史・文献研究院長の曲青山(党中央委員)である。

この雑誌は、まず2年前の中央委員会第 5回全体会議(5中全会)で国家主席の習近平(シー・ジンピン)が、新発展段階について語った演説を冒頭に置いている。2035年をめざす長期目標にも触れた習演説を、曲が解読する形式をとっている。

新発展段階は35年に目標を置く現代化の基本的実現、さらに49年の「第2の100年」(新中国建国100年) をめざす新たな段階を指す。習としては、「豊かさ」をめざした鄧小平時代を超越して、「強さ」をめざす自らの時代の新たな発展段階という雰囲気を醸し出したい。そうなれば政治上、極めて有利だ。

ところが、曲は、鄧小平理論の根幹を成す重要な構成部分である社会主義初級段階の中の一段階にすぎないと断じている。初級段階論は、1987年秋の第13回党大会で鄧が主導して系統的に説明された。当時、初級段階は、56年の社会主義改造の基本的な完成から、21世紀中葉の現代化の基本的実現まで延々と続くとしていた。

習は2017年党大会で現代化の基本的実現を約15年も前倒し、35年とした。これが習による新時代の最大の実績のはずだ。それでも初級段階は35年で終わらない。概念に大変化はなく、習が宣伝する新発展段階も初級段階という鄧小平由来の大枠の中に収められてしまった。

歴史をひもとき整合性を持たせる合理的な説明とはいえ、今、あえて強調するのは意味深である。経済急減速下での「北戴河会議」の結果を踏まえ、皆が納得できる総括を習自身の過去の言葉も引用しながら、少し複雑な形式で行った。そう考えるのは、うがち過ぎだろうか。

「社会主義初級段階にある以上、まずは改革・開放の継続でケーキを大きくすべきだ。初級段階を卒業した後の理想型であるケーキを均分する『共同富裕』(皆が豊かに)を拙速に実現しようとすべきではない」。そういうメッセージにもみえる。

鄧小平「社会主義初級段階論」という大枠

習による新時代は、18回党大会を開いた12年に始まったという時代認識区分は是としている。これは21年の「第3の歴史決議」に描かれた通りだ。だが、中国国民の生活を左右する経済政策路線の解釈は別である。

今なお鄧小平以来の社会主義初級段階から抜け出していない――。そうクギを刺した狙いは、経済を巡る習路線の無秩序な増長に歯止めをかけることにあった。党大会日程の発表文には、改革・開放という文字がなく、共同富裕にも触れている。だが権威ある党の理論誌の解説と合わせれば、バランスがとれる。鄧小平は今なお健在だ。

黄河を巡っては、社会主義初級段階論が公式提起された翌年の1988年、大きな文化的なうねりがあった。大論争を引き起こし、再放送禁止になった中国のテレビドキュメンタリー「河殤」(かしょう)の放映である。

中国のテレビドキュメンタリー「河殤」(かしょう)のシナリオ解説本

古い黄土文明を捨て、青い外洋へ出よ――。古来、皇帝から庶民まで中華文化圏の中心で生きる人々が固執してきた黄土文明を捨てなければ、中国は衰退し、やがて「球籍」(地球上の戸籍)まで失うことになる。

革新的で大胆な主張は衝撃を与えた。映像の視覚的な力で文明論をひもとき、知的好奇心に訴えた番組は、改革・開放へ人々を動かすアジテーションの役割を果す。理論的な支柱は、河殤の企画顧問も務めた中国経済学界の泰斗で北京大教授の厲以寧だ。李克強の恩師である。

「黄河と長江の逆流はない」という李発言の直後、党大会で党トップとして3選を狙う習の今後の政治権力の行方、指導部の世代交代問題などにも大きな影響があるのではないかという臆測が広がった。

とはいえ8月末、党大会開幕を10月半ばと発表した経緯は5年前と同様で、習主導で順調に準備が進む様子をうかがわせた。経済に不案内な習の「暴走」に歯止めがかけられたからといって、それが即、習の政治基盤を揺るがすわけではない。

一方、習は長期的な世代交代問題、未来を担う新しい指導層の育成に関して、長くだんまりを決め込んでいる。「ポスト習近平」論議は、再び封印され、闇の中にある。

17年の党大会前には、若手のエース級で重慶市トップだった孫政才をあえて失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分であると示した。同じ手は使えない。では党内に広がる「次世代を育成すべきだ」との声にどう対処するのか。

世代交代問題で注目された習発言は1年前にまで遡る。「第3の歴史決議」採択前の21年10月である。「国家の政治制度が民主的なのか、有効なのか、を評価するには、国家の指導層が秩序だった交代ができるかをまずみるべきだ」

一瞬、ドキッとするが、習は過去にも似た発言をしていた。ポイントは「国家」の指導層にだけ言及し、「党」や「中央」には触れないことだ。翌月の歴史決議では、さらに曖昧になった。「時代の重責に堪える後継者らを大量に育成する」。これは、党として次世代を集団として育成する重要性に触れた一般論にすぎない。

長江で世代交代に触れた江沢民氏

ここで過去の例をみてみよう。興味深いのは元国家主席、江沢民(ジアン・ズォーミン)による22年前の「公式」発言だ。

「長江は、後の波が前の波を推し進める」

2000年5月30日、中国を訪問していた当時の自民党幹事長、野中広務ら与党3党幹部と北京・中南海で会い、こう話している。「後の波が、前の波を推す」というのは、長江の流れのように、世の中は絶え間なく変化し、新しい世代が古い世代に取って代わることを意味する中国のことわざだ。

2019年10月、中国建国70年の記念式典に臨む習近平国家主席。左は胡錦濤氏、右は江沢民氏(北京)=共同

会談で江は、後継者とみなされていた当時の国家副主席、胡錦濤(フー・ジンタオ)の名に触れた。注目したいのは、それでも江がすんなり全権限を胡に譲ることはなかったという権力闘争の歴史である。

この発言の2年後、02年秋に開いた第16回党大会で、党トップの総書記職こそ胡に譲ったものの、党中央軍事委員会主席の座は手放さなかった。軍を動かせる点で実質的な権力の源泉であるポストから離れるなら、影響力が一気に衰えてしまう。江が党軍事委のトップから退いたのは、さらに2年後の04年秋だった。

陝西省に下放中の習近平主席(中央、梁家河の記念施設の展示)

時の権力者が、その権限の全てを若手にすんなり譲る例は極めてまれだ。習の場合も、10月党大会での3期目入りは既定にみえ、その後の権力委譲の形はまったくみえない。

黄河と縁が深い黄土高原。その真ん中にある陝西省延安付近で青少年期を過ごした習は、「黄色い大地の子」を自称する。かたや李克強は「古い黄土文明を捨てよ」と説いた「河殤」が象徴する改革・開放路線の申し子である。政治的には、なお「脱鄧小平」を志向する習が李をどう扱うのか、そして後継者の育成問題をどう処理するのか。答えは1カ月余り後に出る。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)

1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』

ドイツ、電力安定へ苦渋の判断 「脱原発」を先送り

ドイツ、電力安定へ苦渋の判断 「脱原発」を先送り
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR065K40W2A900C2000000/

『【ベルリン=南毅郎、ヒューストン=花房良祐】ドイツ政府は年内にすべての原子力発電所を停止する方針を見直す。国内で稼働している3カ所の原発のうち1カ所は年内に停止させるが、ほかの2カ所は2023年4月まで動かせる状態にしておく方針だ。ロシアの天然ガス供給が不安定で、この冬の電力の安定を優先する。「脱原発」を掲げてきたショルツ政権にとっては苦渋の決断だ。

「必要なことは全てする」。5日、ハベック経済・気候相は今冬の電力安定へ力を込めた。同日公表した電力供給に関するストレステストでは、電力網で危機的な状況が発生する可能性を「完全には排除できない」との結論に至った。

今回の政策判断は原発を今冬の予備電源として活用するという内容だ。独経済・気候省によると原発は電力網からいったん外し、電力供給が不安定になる場合に稼働させる。ロシアからのガス供給が途絶えるなか、不測の事態に備える狙いだ。経済大国ドイツの電力確保は、欧州全体でのエネルギー供給の安定に寄与する。

ショルツ政権は脱原発の方針を維持する。放射性廃棄物の処理を巡る問題が解決できないためだ。長期では風力を軸とした再生可能エネルギーで国内の電力を賄う戦略を描く。ハベック氏は「原子力はリスクの高い技術だ」と述べ、原発稼働の延長が一時的な措置だと強調した。

ドイツの脱原発方針はメルケル政権だった11年5月に決まった。同年3月の東京電力福島第1原発の事故を教訓に、段階的な廃炉を実施してきた。残る3カ所の原発の取り扱いが焦点になっていた。独メディアが8月に公表した世論調査では稼働の継続を求める声が8割に達した。ショルツ政権は、国民の支持を背景に稼働延長の余地を残した。

メルケル氏から政権を引き継いだショルツ首相は、同氏が率いる中道左派のドイツ社会民主党(SPD)、環境政党の緑の党、産業界に近い自由民主党(FDP)の3党の連立で政権を維持する。FDPは原発の活用に積極的だが、緑の党は否定的だ。ハベック氏は同党の共同党首を務めたことがある。

米国やベルギーでも原発政策の修正が相次ぐ。脱炭素で気候変動対策を進めるほか、ウクライナに侵攻したロシアからの石油や天然ガスへの依存を下げるためだ。

米国のカリフォルニア州議会は1日、25年までの廃炉を計画していた「ディアブロキャニオン原発」の稼働を5年延長するため、総額14億ドル(約2000億円)の救済策を可決した。電力が逼迫するなか、基幹電源(ベースロード)として原発を維持することが得策だと考えた。

米連邦政府のバイデン政権も電力システムを安定させるため、基幹電源としての原発を支援する必要があると判断する。8月に成立した気候変動対策を柱とするインフレ抑制法では、既設の原発に1キロワット時あたり1.5セントの免税措置を設けた。新設する原発への免税措置は同2.5セントに拡大する。

ベルギー政府は3月、25年までに閉鎖する予定だった原発の稼働延長を決めた。運転期間を10年延ばす方針だ。』

8月米サービス業景況感、改善続く 景気底堅くドル高に

8月米サービス業景況感、改善続く 景気底堅くドル高に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN06D4M0W2A900C2000000/

『【ニューヨーク=斉藤雄太】米サプライマネジメント協会(ISM)が6日発表した8月の非製造業(サービス業)景況感指数は56.9と前月から0.2ポイント上昇した。小幅ながら2カ月連続の上昇になり、低下を見込んだ市場予想も上回った。新規受注が拡大し、供給制約にも改善の兆しが出ている。世界経済の減速懸念が強まるなかで米景気の底堅さが目立ち、米金利上昇やドル高を誘っている。

ISMの景況感指数は50を境目に経済活動の拡大・縮小を評価している。サービス業は新型コロナウイルス禍からの回復局面に入った2020年6月以降、2年3カ月連続で50を上回った。コロナの感染再拡大やインフレの加速、米連邦準備理事会(FRB)の金融緩和から引き締め方向への政策転換が重なり、21年末から22年6月にかけて同指数は低下基調にあったが、現在は小康状態にある。

ISMの製造業の景況感指数も8月は市場予想に反して下げ止まった。FRBが利上げに積極的な姿勢を保ち、米景気の後退懸念はなおくすぶるものの、足元では粘り腰をみせている。
サービス業の指数を項目別にみると、企業の活動状況を示す指数は60.9と1ポイント上昇した。新規受注は61.8と1.9ポイント上がり、小売業や教育サービス、金融・保険など幅広い業種で上向いた。雇用は50.2と1.1ポイント上がった。ゴールドマン・サックスは各項目の上昇を踏まえ「(米景気の)基調の強さを示した」と指摘した。数値が高いほど遅れを示すサプライヤーの納期に関する指数は54.5と3.3ポイント下がり、サプライチェーン(供給網)の混乱がやや和らいでいる様子も浮かんだ。

一方、6日発表のJPモルガンとS&Pグローバルが算出する世界の企業の景況感を示す総合指数(購買担当者景気指数=PMI)は8月に49.3と前月から1.5ポイント下がり、20年6月以来の低水準になった。好不況の分かれ目になる50も下回った。ISMの調査とは対象が異なるため、米国のPMIも低下傾向にあるが、ドイツや英国、日本などの主要国も落ち込んでいる。

景気の先行きを巡っては、特にエネルギーの調達不安を抱える欧州で急減速懸念が強まっている。前週末にはロシア国営の天然ガス会社ガスプロムが欧州向けガスパイプライン「ノルドストリーム」の再開を当面延期すると発表し、天然ガス価格が高騰した。インフレ加速を踏まえ、欧州中央銀行(ECB)は8日の理事会で通常の2倍の0.5%か、3倍の0.75%の利上げに動くと市場はみている。大幅利上げは通貨安や輸入インフレの圧力を和らげうる半面、景気への負荷も重くなる。

6日の米市場ではISMのサービス業指数の公表後、米金利上昇を手がかりにドル買いが進んだ。主要通貨に対するドルの強さを示す米インターコンチネンタル取引所(ICE)算出のドル指数は110台半ばまで上昇し、20年ぶりの高水準を更新する場面があった。対ドルの円相場は一時1ドル=143円台まで下がり、24年ぶりの円安・ドル高水準になった。米景気の相対的な底堅さや「安全通貨」としての需要拡大によるドル高が加速し、どこで歯止めがかかるか見通しにくくなっている。
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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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ひとこと解説

米国のサービス業の景況を示す代表的指数が、FRBが利上げを加速する中でも、2か月連続で上昇した。0.2ポイントというわずかな幅ではあるが、「利上げ→リセッション(景気後退局面)入り」のシナリオを想定している市場関係者(筆者を含む)にとって、強い逆風である。ワイオミング州ジャクソンホールで8月下旬に行った講演でパウエルFRB議長は、インフレ抑制に向けた強い決意表明を行った。利上げをさらに大幅に実施し、政策金利を高い水準に長くとどまらせて金融引き締め効果を十分に浸透させる作戦(higher for longer)が、従来の想定を超えて実施される可能性を、債券市場は意識。米長期金利は大幅に上昇した。
2022年9月7日 7:38 』

米商務長官、半導体補助金の支給「23年春までに開始」

米商務長官、半導体補助金の支給「23年春までに開始」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN06E260W2A900C2000000/

『【ワシントン=鳳山太成】レモンド米商務長官は6日の記者会見で、半導体メーカーへの補助金支給について2023年春の支給開始をめざす意向を表明した。国内で先端半導体の生産投資を促し、台湾などアジアへの依存を減らすねらいだ。

米国では8月上旬、半導体の生産や研究開発に527億ドル(約7兆5000億円)の補助金を投じる新法が成立した。レモンド氏によると、23年2月までに企業から補助金の申請を受け取り、商務省が審査したうえで春から順次配る。

レモンド氏は「補助金は企業に渡す『白紙の小切手』ではない」と述べ、使途を厳しく監視すると強調した。補助金を受け取った企業が中国に先端半導体の工場を建てたり、自社株を買ったりしないよう条件を付けると説明した。

米インテルや台湾積体電路製造(TSMC)、韓国のサムスン電子など半導体工場の対米投資を表明している企業が補助金を申請するとみられている。

日本や中国、台湾、韓国などアジア各国・地域の当局も補助金で半導体の国産を強化している。日本はTSMCの工場などへの支給を既に決めた。米国の補助金支給は後れを取ることになり、需給に見合った投資が進むかどうかは不透明だ。

【関連記事】

・米国、半導体補助金を支給へ 大統領令で省庁横断組織
・米国、半導体補助金法が成立 7兆円で生産・開発支援 』

北朝鮮がロシアに短距離ロケット、砲弾を供与。志願兵の用意も

『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)9月7日(水曜日)弐
        通巻第7455号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 北朝鮮がロシアに短距離ロケット、砲弾を供与。志願兵の用意も
   一方、戦争中なのにロシア人百万人「観光客」がEU諸国へ旅行
****************************************
 八月初旬、米メディアが「北朝鮮が10万人の『志願兵』をロシアへ派遣する用意がある」と報じた。
 北朝鮮はシリアにつづき、ウクライナ東部のドネツク共和国とルガンスク共和国の『独立』を承認した。

 九月初旬に欧米各紙は「北朝鮮がロシアの弾薬、装備、兵器不足に対して、数百万の砲弾を供与した」と伝えた。これは偵察衛星による船舶の出入りから米国のインテリジェンス機関が把握した数字だとしたが、ロシア軍が兵員の不足に加えて弾丸不足に陥ったのは事実のようだ。

 しかし戦争中であり、EU諸国はロシアへの経済制裁を実施中にもかかわらず、ロシア人の『観光客』がEU諸国へ陸続として入国している。2月24日の侵攻開始から8月までの統計で、998085名のロシア人が観光名目に旅行した。

 一方、『避難民』としてのウクライナ人のEU諸国への入国は770万人、このうち490万人がすでにウクライナへ帰国したという。

 EU諸国はロシア人へのヴィザ発給停止に傾き、とくに入国拠点のエストニアでは緊急措置として五万人のロシア人観光客を追い返した。チェコも同様な措置をとった。

 ゼレンスキー大統領は、ハッカー、SNSにおける宣伝戦争において10万のロシア人の若者、とくにITワーカーがウクライナに協力していると発言しているが、ロシア人若者の多くはドバイへ集中している。

□☆み□☆☆□や☆□☆□ざ☆□☆□き☆□☆□   』

英国EU離脱の難問、北アイルランド問題

英国EU離脱の難問、北アイルランド問題
https://arc.asahi-kasei.co.jp/member/watching/pdf/w_295-07.pdf

 ※ ごくザックリと把握すると、北アイルランド地域(法的には、英国の領土の一部)に、EU関税を適用するのか、英⇔EU間の「国境管理」規制を、そのまま適用するのか…、という問題であるようだ…。

 ※ 英国がEU加盟国になった段階では、英⇔EU間の「国境管理」は、「EU加盟国」間の「比較的緩やかなもの」が適用されていた…。

 ※ しかし、ブレグジットで、「EU離脱した」モンだから、英⇔EU間の「国境管理」は、「EU域外国⇔EU間」の「厳格なもの」が適用される…、という話しとなった…。

 ※ この流れで行くと、「北アイルランド(法的には、英国の領土の一部)」には、「EU域外国⇔EU間」の「厳格なもの」が適用されるという話しとなりそうだ…。

 ※ しかし、それでは「ちょっと、困る。何とか、善処できないのか。」と英国側が言っている…。

 ※ そういう感じで、あるようだ…。

 ※ これに、「英⇔EU間」の「人の移動」の規制が絡むんで、ますます、問題は複雑化するわけだ…。

 ※ EU側は、「人の移動は、制限しておいて、関税(物の移動)は制限しないで欲しいとか、ムシのいいことを言うな!いいとこ取りは、許さん!」と言うだろうしな…。

英国の保守党党首選=トラス氏有利>トラス氏英首相に

北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:追記:英国の保守党党首選=トラス氏有利>トラス氏英首相に
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5369145.html

 ※ なるほど、トラス勝利は、スコットランド独立問題なんかにも、影響を与えるわけだ…。

 ※ まず、『人口500万人の小さなスコットランド自治政府』である点…。

 ※ 次に、コロナに直撃されたんで、『新型コロナで景気が悪化したことに伴い、独立後に自力で経済を立て直せるか懸念する市民が増加』という点…。

 ※ 参考になった…。

 ※ あと、今の英国が抱えている問題として、「北アイルランド」の「関税問題」がある…。

『2022年9月5日昼(日本時間同夜)に英国の保守党の次期党首、すなわち次の首相が決まる。今のところ通商政策に精通するトラス外相の優位は動かない。8人が立候補した党首選は、夏季休暇前の5回の議員投票でスーナク(Rishi Sunak)元財務相(42)とトラス(Liz Truss)外相(47)の2人に絞り込まれた。上位2人による決選投票は、一般党員による郵送投票で行われ、9月5日に結果が発表される。両候補はこの1カ月余り、英国各地を遊説し、支持を呼び掛けている。

jふimages議員投票で終始リードを守ったスーナク氏だが、物価高騰が国民生活を直撃する中で財政規律を重視するイメージの払拭に苦労しているほか、ジョンソン首相辞任の引き金を引いたことへの首相支持者からの反発や、インドの大富豪の娘である妻の脱税疑惑などが尾を引き、劣勢を強いられている。

トラス氏は強硬離脱派Brexit hardlinerの支持を受けているうえ、大型減税や経済活性化を通じ51PX173JQYL.SX318_BO1,204,203,200た「サッチャリズム Thatcherism」の再来を主張し、スーナク氏を突き放している。党員を対象にした各種の世論調査では6割前後の支持を固め(上右のグラフ参照)、ブックメーカーの賭け率から逆算した勝利確率は9割前後に達する。

トラス氏は、来年4月に19%から25%への引き上げが決まっている法人税増税を「就任初日に撤回する」と公約。国民保険料の再値下げや光熱費に上乗せされているグリーン税の一時凍結なども約束した。

スナク氏は、トラス氏の政策は借金頼みで「ツケを子どもたちの世代に回すだけ」と批判。インフレ抑制を最優先し、減税はその後だと訴えてきた。参照記事  過去ブログ:2022年7月英国首相「政府は危機の最中に退陣すべきではない」>辞任表明 2021年11月イギリス海峡で過去最悪の難民海難事故で31人死亡 2015年10月フランス側難民が海峡トンネルに徒歩で侵入 フランス
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スコットランド独立を目指すスコットランド民族党(SNP:Scottish National Party)は、独立の是非を問う住民投票を来年実施するよう求めているが、与党・保守党の党首選を争うトラス外相とスナク前財務相は2022年8月16日、いずれも北部スコットランドの独立に否定的な見解を示し、スコットランド自治政府をより注意深く見守り、独立を求める新たな動きを抑え込むと約束している。

特に、保守的と言われるトラス首相の誕生には、人口500万人の小さなスコットランド自治政府あたりは警戒感を持っているようだが、スコットランドでは、新型コロナで景気が悪化したことに伴い、独立後に自力で経済を立て直せるか懸念する市民が増加。英調査会社ユーガブが2022年6月⒕日に発表した現地の世論調査によれば、「2023年に(独立を問う)住民投票を実施すべきでない」と答えたのは59%で賛成の28%に大差を付けた。参照記事

Balmoral_CastleFireShot Webpage Screenshot #1924 – ‘Liz Truss2022年9月6日:

与党・保守党は現地5日午後12時半(日本時間同8時半)過ぎ、党員投票による党首選で、多数票を得たトラス氏Liz Trussが勝利したと発表した。

トラス氏は6日、エリザベス女王から組閣の要請を受け、新しいイギリス首相:PM Trussになる。エリザベス女王は現在、スコットランドのバルモラル城Balmoral Castleに滞在中のため、トラス氏はロンドンのバッキンガム宮殿ではなく、バルモラルを訪れ、組閣の要請を受ける予定。参照記事 英文記事』